●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年4月上旬(2)
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奔流のごとく(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時18分37秒


 影姫青夜 さま
> さて「月光書影閲覧室」ですが面白いほどホイホイ作業が進んでおります。
> やはり活字だけを相手にする作業より画像を扱ったほうが楽しいようです。

たいへんよくわかります。ですが、調子に乗って、ページが重くし過ぎないようにご注意下さいまし。ブロードバンド化が進んでいるとは言え、そうした配慮があるかないかで、作り手の器量 も問われますから。


 Keen さま
> 『クレシェンド』

> 「竹本ワールド」は「全体小説」化しようとしているのがわかりますね。

私が気になるのは、どうして作家は晩年に近づくと、作品の『「全体小説」化』を謀ろうとするのか、ということであり、いろんな作品をリンクさせていく形での『「全体小説」化』というものは、はたして評価に値することなのか否か、ということでございます。

こうした形で『「全体小説」化』を謀った作家としては、馴染みのあるところでは、泡坂妻夫や笠井潔がすぐに思いつきますが、彼らのそれは「ウルトラマン 対 仮面ライダー」的興味の喚起はべつにして、作品として成功しているのか否か。つまり、作者とファンの「自己満足」に終っていないのか否か、……そこが問題なのでございます。

> 『狂い壁狂い窓』(講談社ノベルス初版)が届きました。裏表紙の竹本さん、若いですねえ〜/笑)

そうでございますね。当時の竹本さまは、今よりも少し髪が長く、なによりその髪や口ヒゲが黒々としておられます。考えてみれば、その当時の竹本さまは、今の私よりもお若いのでございますよねえー(しみじみ……)。

> お忙しいご様子、風邪など召されませんよう、ご注意下さいませ。

お気づかい、ありがとうございます。

このところ、寝不足が続いて、昨日などはひさしぶりに車酔いになったりいたしましたが、本日は休みで10時間ぐっすり眠りましたから、これこのとおり快調でございます(笑)。


 ユウ さま
> あの・・・・、、、ボク。。。ユウです。

> あの・・・実は影姫様が小説を書かれたようなんです。
> でも影姫様、、、小説は始めてだから。。。
> とんでもなく稚拙なものかもしれませんけど。。。

> アッ・・・こんなこと言っちゃった!影姫様ごめんなさい!

> ダダッ!!(逃走)

コントみたいで、なんだかとってもおかしゅうございます(笑)。

……で、要件は……小説でございましたね(^-^;)。


 ホランド
> 今日も、ありがとうございました!

予定していた映画を観ることができて、ひと安心だ。
また明日から、さらに仕事が忙しくなるが、よろしく頼む。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


奔流のごとく(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時15分14秒


 AOI さま
> 『永遠の不服従のために』にチョムスキーと対面した時の印象を書かれていますが、このことですね。(「反時代のパンセ」の採録)

現在『永遠の不服従のために』を読んでおりますが、まだ「チョムスキー」のところまではいっておりません。

その前には、やっと「監修:坂本龍一 + sustainability for peace」の『非戦』(幻冬舎)を読みました。
「9.11」とビンラーディン・アルカイーダを結びつけた「証拠」とやらのお粗末さに呆れてしまいました。まさか、ここまでとは……。

> チョムスキーにとって、ユダヤ人であるということにとどまらず、迫害された者の歴史、またそれと戦った者の歴史を思えば、どれほどのものでもないということのように苛立たれたのではないかと思いました。ご自分に、言い訳を許さない人なのでしょう。

私のような凡人が言うのも何でございますが、私もできれば『迫害された者の歴史、またそれと戦った者の歴史』に連なる者になりたいと願っております。もちろん、他人はそのように評価してくれはしないでしょうが、要は自分で納得できる程度のことはしたいということなのでございます(笑)。

>『愛に関する短いフィルム』
> ↑マゾヒストな貴方に御奨め(笑)。監督:クシシュトフ・キェシロフスキ

>1988年の作品で、ビデオ化されていて、気の利いたレンタルショップでしたら置いてると思います。

『気の利いたレンタルショップ』が無いのでございますよ、近所では。なにしろ未だに新作二泊三日が500円もするのでございますから……(-_-;)。

> 『愛に関する短いフィルム』は孤独な青年の愛の物語です。

おお、まさにこれは、私のための、私の物語!

> 新タイムスリップグリコの「ケムール人」ダブりました。そのうち、お送りしますね。

ありがとうございました。「ケムール人」はご指示どおり、ホランドくんに渡しました。「ボクも、コレクターになりそ……」と、とても喜んでおりましたよ(笑)。

同時に送っていただいた「遠藤賢司セレクト」では、私は『夢よ叫べ』がとても気に入りました。……予想どおりなのではございませんか?(笑)

>> AOIさまには、良識ある人というイメージがあります。(< 杉澤鷹里さま)

このご意見には、私もKeenさま同様に同感でございますが、

> (モジモジ)・・・恐縮です。

これに騙されてはなりませんよ。(> 杉澤鷹里さま)

> お忙しいので、園主さまはまだ、読まれていないでしょうけど、「薔薇迷宮」、こういうものを目指していらしたのではないかしらん?
> 読まれたら嫉妬なさるでしょ。きっと。

ご指摘のとおり、まだ拝読しておりません。

あらかじめ私の「メタ・フィクション」観をご紹介しておきますと、私にとって「メタ・フィクション」の価値は、もっぱら「現実」とのかかわりにおいて存在いたします。つまり「現実」の「虚構性」を証すものとしての「メタ・フィクション」。「虚構」が「現実」と等価であるという「残酷な事実」を人間に突きつけるものとしての「メタ・フィクション」に、私はその価値を見い出します。ですから、私にとっての『虚無への供物』『匣の中の失楽』は、そういう意味での傑作だったのでございます。

したがいまして、私の場合は「メタ・フィクション」なら何でも良いというわけではございません。「メタ・フィクション」性が「現実を相対化する」ものと認識されながらも、まさにその「甘い認識」において「虚構の虚構性を強化する」類いの「メタ・フィクション」を、私は面 白いとは思いません。ジョン・バースやトマス・ピンチョンらの前衛的な「メタ・フィクション」を面 白いと思わないのは、そうした理由からだと存じます。

私が『薔薇迷宮』に、「メタ・フィクション」的技法に馴れていない方を巻き込んだのも、そういう「メタ・フィクション的自家中毒」を排除し、「メタ・フィクションの陥穽」に陥らないようにと考えたからでございます。
これまでにも何度か書いたことでございますが、私はかつて「すべてが引用の断片からなる長編小説」というものを構想したことがございます。このウンベルト・エーコ的な発想にもとづく小説は、「世の新しきものは無し」という世界の「現実」を、「虚構」という形で再現してみたいという発想に支えられたものでございました。

ことほど左様に、私の小説観とは「現実」との不断の葛藤の中にしかなく、それ無くしてはいかなる「技法」も意味をなしません。その意味では、AOIさまのお感じになられた、

> 挑発的

という部分に、私はいちばん興味を持つのでございます。





( 以下は「奔流のごとく(7)」につづく)


奔流のごとく(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時14分08秒


 ino さま
> そうだったのですか、鍛えの園(笑)でもあるのですね。なんか結社みたいですね。

……(苦笑)。

> ゆっくり考えます。

かなり余裕が出てきたようでございますね。好ましい傾向だと存じます(笑)。

我々がこうして凡庸な議論を戦わせている間にも、イラクでは罪もない多くの人々が虐殺されていることでございましょう。ですから、我々はついその「後ろめたさ」から、大仰にそれを嘆くポーズを取りがちでございます。ですが、そんなことをしても、その「嘆き」がろくすっぽ持続しないような薄っぺらなものであったならば、そんなポーズには何の意味の意味もございません。いや、むしろ、イラクの人々に対して、冷酷無比だと申せましょう。
私たちはこれまだって、世界のどこかで繰り返されてきた悲劇を知らずに、のほほんと「日本の日常」を生きてきたのでございますから、急に嘆いてみせても仕方ございません。まさに

  ぼくが オモチャの戦車で
  戦争ごっこをしてた頃
  遠くベトナムの空で
  涙も涸れていた

のでございますから(『ラインを越えて』作詞作曲:真島昌利/歌:THE BIUE HEARTS)。 

もちろん、私は、「イラク戦争」の現実を他人事として無視し、忘れてもいいと言っているのではございません。その「怒り」と「憎悪」を腹の底に秘めて、終ることのない「世界への抵抗戦」のエネルギー源にしなければならないと言うのでございます。


 楽古堂主人 さま
岬にての物語・・・竹本健治『クレシェンド』ノート

すでに完成させ、「MENU」ページなどともリンクを張りました。ご確認下さいまし。

> 『天酒房 楽古堂』閉店

ご理解とご協力を賜り、ありがとうございました。
今後のさらなるご活躍をお祈りしますと共に、今後ともよろしくおつきあいくださいまし。

『LIBRA アレクセイの星座』もその分、進化する所存にございます。


 杉澤鷹里 さま
> 自分で掲示板を運営するようになって、園主さまの怪人ぶりをより切実なものとして感じるようになりました。ただひたすらに敬服しています。

敬服していただいた矢先に「シンドイから、ご勘弁を」とやってしまいましたが、これはあくまでも次なるステップへの準備行動に過ぎません。私は「トリックスター」でございますから、「無難」なマンネリは何よりも嫌いなのでございます(笑)。
私が好きでしたテレビアニメ『あしたのジョー2』(出崎統監督)のなかで、ベネズエラの下町出身のボクサー カーロス・リベラが、矢吹丈にこう語るシーンがございます。

『ヤブキ、おまえには火薬の臭いがする。私の故郷ベネズエラの下町に漂っていた、ドキドキするようなあの花火の臭い……火薬の危険な臭いが』

こう言いながら、うれしそうに不適な笑みを浮かべたカーロスの顔を、私は今も忘れません。

ですから、若い貴方さまに注文をつけさせていただくとすれば、それは貴方のご文章はあまりにも「そつが無さ過ぎ、無難に過ぎる」ということでございます。
貴方の文章からは、充分に若者らしい「自己顕示欲」も感じられますし、したたかな計算も読み取れます。そしてそれは、一概に否定されるべきものではなく、むしろ貴方の若さと頭の良さを証すものだと見るべきでございましょう。しかし、

> 非闘争的な小市民ですから。ただ。ちょっとだけ、イタズラ心が旺盛なだけです。

というような文章を書いていると、貴方の成長はこの「安全圏」の中でこじんまりとまとまってしまうことでございましょう。貴方に今必要なのは、その「殻」を破ることでございます。たとえ傷ついたとしても、ながい目で見れば、それはきっと貴方のためになることでございましょう。

最後に一言。……私に「お世辞」は通用いたしません(笑)。





( 以下は「奔流のごとく(6)」につづく)


奔流のごとく(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時13分19秒


映画からの帰宅後、パンフレットを読んで、初めて『ボウリング・フォー・コロンバイン』が、カンヌ国際映画祭で「カンヌ国際映画祭55周年記念特別 賞」を受賞した経緯を知りました。それは

『2002年カンヌ国際映画祭を最も賑わした作品、それが『ボウリング・フォー・コロンバイン』。ドキュメンタリーとしては46年ぶりのコンペ出品作となった本作は、前例のない20分にも及ぶスタンディングオベーションを巻き起こし、上映館に人々が押しかけ大騒動になるという事態にまで発展。審査委員長のデイヴィッド・リンチは、この映画に惚れ込み、急遽「カンヌ国際映画祭55周年記念特別 賞」をつくって、限りない賞讃と敬意を贈った。』

つまり、デイヴィッド・リンチは『ボウリング・フォー・コロンバイン』に、ノンフィクションとしての『ツイン・ピークス』を見たのでございましょう。暗く暗くどこまでも暗く、希望の光は「書割り」に差し込むライトの光、作り物の希望。人々は見えない「恐怖」に怯え、不安の闇なかに生きている。

> 「他者=外部」は、常に「私=内部」を侵犯する「脅威」として「恐怖」されるものと感じられている(<ホランドくん)

つまり、私はいつ、その「恐怖」に侵され、乗っ取られるかも知れない。そんな不安を描いたのが『ツイン・ピークス』の救いのないラスト・シーンではなかったでしょうか。その意味では、マイケル・ムーアとデイヴィッド・リンチは、見掛けがいかに違っていようと、共に「アメリカ(白人社会)の申し子」「アメリカ(白人社会)の鬼っ子」であることに変わりはないのでございます。

しかし、その一方で、上に引用したホランドくんの言葉は、「オウム真理教」を論じた大澤真幸を想起させるものがございます(『虚構時代の果 てに オウムと世界最終戦争』/ちくま新書)。(記憶違いがなければ)大澤は、「毒ガス(=目に見えず、いつのまにか私を侵犯する悪意の象徴)攻撃」を受けていると真剣に訴えていた「オウム真理教」教祖や幹部たちの「被害妄想的な恐怖」を語りながら、彼らの脆弱なメンタリティーを指摘しておりました。そんな彼らによる『世界最終戦争(ハルマゲドン)』計画は、なんと「コロンバイン高校銃乱射事件」や「アフガン空爆」「イラク戦争」に似て「過剰防衛」的であったことでございましょう。

ですから、それを思えば「アメリカ(白人社会)の不安」は、決して他人事ではございません。『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、過剰に「他者」を恐れ、過剰に「戸締まり」をし「武装」する「郊外」居住のアメリカ白人と比較して、戸締まりなどしない隣国カナダの人々(白人)の生活を比較的に紹介しております。ここで紹介されているカナダの人々は、ムーアの「泥棒が怖くないんですか?」という質問に対し「怖くないことはないけど、そこまでしなくてもいいでしょう。入られる時は入られるんだし、心配してても切りがないですよ」と答えます。

「心配しても切りがない」にもかかわらず「心配」するという心理。……それが「不安(恐怖)」なのでございます。このように、「不安(恐怖)」は「他者」を怪物化し、人を「過剰な攻撃」に駆り立てるのでございます。そして、こうした「不安(恐怖)」は、もはや決してアメリカ一国に止まるものではございません。アフガンやイラクの悲劇にも明らかなとおり、『ツイン・ピークス』の「闇」は、もはや全世界と我々の周囲にまで及んでいるのでございます。





( 以下は「奔流のごとく(5)」につづく)


奔流のごとく(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時12分32秒


次は先日観に参りましたドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(マイケル・ムーア監督)について。
この映画については、すでにホランド君が、

> この映画の結論だけを先に言ってしまえば、銃が普及しているという点ではカナダも同じなのに、「なぜアメリカでだけ」銃器犯罪が多発するのかと言えば、それはアメリカは歴史的に「恐怖」に支配された社会だからだ、ということなんです。つまり「他者=外部」は、常に「私=内部」を侵犯する「脅威」として「恐怖」されるものと感じられている、と言うんですね。だから、わかりやすく言えば「びびり虫=臆病者」が「過剰反応して攻撃的になる」というパターンだということです。これはアメリカの「銃器犯罪」の問題に限らず、「何でもかんでも」の「訴訟社会」の問題、「やつらが我々の仕事と安全を奪っていく」という「人種」問題、それから「ならず者国家は危険であり、先制攻撃が必要だ」の「外交」問題にも、じつに見事に当て嵌まる「アメリカ」論なんです。

との紹介をしておりますが、私もまったくこのとおりだと存じます。ただ、この映画のパンフレットを読んでいて、新たに「腑に落ちた」点がひとつございましたので、その点について書かせていただきたいと存じます。

私が気づいたこととは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』と『ツイン・ピークス』(デイヴィッド・リンチ監督)が「とても似ている」ということでございます。「陽気」なマイケル・ムーアに対して、「神経症的な」デイヴィッド・リンチ。この対称的な両者の「共通 点」とは、いったい何なのか? ……それは「目に見えぬ恐怖に支配されたアメリカ社会」に「嫌悪しつつ魅惑され」「魅惑されながら嫌悪している」という点でございます。

私は予備知識なく観た『ボウリング・フォー・コロンバイン』のなかに描かれた、「銃乱射事件」の舞台であるアメリカの「郊外」の町リトルトンが「ツイン・ピークス」の町に似ている、と感じました。それは『ボウリング・フォー・コロンバイン』の登場人物の一人、事件の舞台となったコロンバイン高校の卒業生で、ブラックな味わいのテレビアニメ『サウスパーク』の原作者マット・ストーンの、次のような言葉によってでございます。

『コロンバインはすごく嘘っぽい学校で、リトルトンはうんざりするくらい平和で変化のない町だ。あの頃、たとえば、試験で失敗したら、そのまま一生負け犬でいなければならないという恐怖に支配されていた。(事件の犯人である)エリックとデュラン(中略)は感じていたと思う。今の自分が永遠につづく……でもそれは間違いで、やがて出口が見つかるという事実に彼らが気づいてさえいれば……』

表面的『うんざりするくらい平和で変化のない町』、表面 的には「優等生」ぞろいの学生たち。しかし、その裏側で「息がつまりそうな不安と恐怖」が彼らの中に蟠っていた。
……12人の生徒と1人の教師の命を奪ったコロンバイン高校銃乱射事件の町リトルトンは、そんな「ツイン・ピークス」そっくりな町だったのでございます。





( 以下は「奔流のごとく(4)」につづく)


奔流のごとく(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時11分36秒

さて、話は変わり、新しいページのご紹介でございます。

『創価学会の人々 ―― 討論・戦争と組織と信仰をめぐって

これは、これは先月来、私が秘密裏に進めてまいりました(笑)、他の掲示板での議論をご紹介するものでございます。
日本の与党「公明党」の、アメリカによる「イラク攻撃」支持をめぐって苦悩する創価学会の人々ともに、「戦争と組織と信仰をめぐって」それぞれが「己が身を切る」議論を行ないました。ここでの議論は、決して創価学会員やそれに興味のある人に限定されるものではないと、私はつよく確信いたします。
「自分がこれまで信じてきたものに裏切られた時、人はどのようにしてその現実に対するのか?」……それがここでは生身の姿で示されているからでございます。ですから問題は「信仰」だけには限られません。なぜならば、人はその自覚の有無にかかわりなく、何かを信じて生きており、何かを信じずには生きていけない存在だからなのでございます。





( 以下は「奔流のごとく(3)」につづく)


奔流のごとく(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月10日(木)23時10分55秒

みなさま、すでに楽古堂さまからもご報告のありましたとおり、楽古堂さまの文章を集成したサイト内サイト『天酒房 楽古堂』が、この夏をめどに閉鎖される運びとなりました。驚かれている方も多かろうと存じますので、私の方からも、その理由についてご説明させていただきます。

まずその主たる理由は、私が、楽古堂主人こと大内史夫さまの原稿の公開にかかわるに充分なだけの「時間的余裕を持てなくなった」ということでございます。もう随分以前から申しておりますとおり、当サイトの所期の目的であった私の旧稿の収録や、中井英夫・竹本健治に関するサイト内サイトの開設ほか、実現をめざしながらも、実際には課題(『神聖記』『Ryu's Milk Bar』の更新など)が増える一方の状態が長らく続いていたのでございます。つまり、時間不足がかなり以前から常態化していたのでございますが、これまでこれに対するいかなる手も打てずに、ここまで来ていたのでございます。

楽古堂さまの玉稿を、当サイトに発表していただけるのは、大変ありがたいことなのでございますが、私の立場では、それを楽しむ以前に、それを適切に公開するという作業(HTMLページの作成・アップ・管理)がございました。そして、これが負担になりはじめてきたのでございます。いずれ「独立」をという話は、随分以前からしていたのでございますが、楽古堂さまのご活躍も広がりを見せてこられたことから、そろそろいかがかとお願い申し上げたのでございます。
すなわち、わかりやすく申しますと「人気球団を支え続けるだけの資金(時間)が無くなったため、やむなく球団を手放す決断をした親会社のオーナー」というのが、今の私の立場なのでございます。

じっさい、これ以上無理をするのは、お互いのためにもならないであろうと、私は考えます。最近私は、楽古堂さまから送っていただいた原稿について、HTMLページ作成時の必要にかられて、これを一読するに止まり、楽しんで味わうということがほとんどできなくなっておりました。つまり、平たく言えば「ルーチンワーク化」していたということでございます。
ご存じのとおり、私は自身の信念として「やりたいことをやる」「やりたくないこと(面 倒に感じられること)はやらない」「義理人情に流されない」といったことを自分に科しておりますので、このような気持ちのまま、せっかくの楽古堂さまの原稿を扱うのは、好ましいことではないと考えたのでございます。

幸い楽古堂さまからも『同じことを繰り返していても、進歩は望めません。自分のHPを持つというよりは、『天酒房』を解体させていきます。必要とされる場所に、必要とされる原稿を発表していきます。議論を、外に広げていきたいのです。』とのご意見をいただきましたので、ありがたくお言葉に甘えさせていただくことにいたしました。
じっさい、楽古堂さまと私では、その批評の目指す方向性にかなりの違いがある(それ自体は良いこと)にもかかわらず、楽古堂さまの文章が私のサイトの中にあるという事実によって、色眼鏡で見られるという側面 のあったことも否定はできません。そんなわけで、楽古堂さまには、今後は、よりいっそう自由な立場でのご活躍をと期待し、『天酒房 楽古堂』の解体を真に発展的なものとしていただきたいと、(「まもなく」の)元オーナーとしては期待しているところなのでございます。





( 以下は「奔流のごとく(2)」につづく)


「天酒房・楽古堂」閉店のお知らせ。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 4月10日(木)15時19分28秒

Keen様へ。
・ 『黒死館殺人事件』が、出てこないとは!
・ 年は取りたくないものです!
・ 母親の顔を忘れることはありませんが。


*************************************


園主様へ。皆様へ。
・ 『天酒房』を、今年の夏をメドに閉店することにいたしました。
・ ご愛読に感謝いたします。
・ 読んでおきたい、保存しておきたい文章などが、もしありましたらよろしく対応下さい。
・ 発展的解消です。
・ 喧嘩別れではありません。
・ 誤解なきように、お願いいたします。
・ 同じことを繰り返していても、進歩は望めません。
・ 自分のHPを持つというよりは、『天酒房』を解体させていきます。
・ 必要とされる場所に、必要とされる原稿を発表していきます。
・ 議論を、外に広げていきたいのです。
・ 皆様には、今までの「花園」での楽しい語らいに感謝いたします。
・ 特に、「ゼミナール楽古堂」での泡坂妻夫の回は、忘れられません。
・ 衝撃的でした。
・ 今後も、竹本健治論で盛り上がれればうれしいです。
・ 夏以降も、普通に掲示板に書き込みしていきます。
・ よろしくお願いいたします。
・ 実に多くの出会いと、学びの機会を与えて頂きました。
・ 最後になりましたが、最大の気持ちをこめて、園主様・ホランド様のご厚情に感謝いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


Keen様へ。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 4月 9日(水)23時34分12秒

・ お元気そうでなにより。
・ ただし、困りました。
・ 指摘して頂いてる本の多くが未読です。

>「7」真壁岬さんは、ここですでに重要な役を担って登場しています。

・ 読んでいないのです。
・ 「緑衣の牙」(光文社文庫)は、新古書店でようやく手に入れたと思ったら、中身が島田荘司の「サテンのマーメイド」(集英社文庫)に化けていました。
・ 真壁岬の物語を読みたいです。
・ 読んでいなかったために、記憶のなかの北海道の少女が活躍してくれて、楽しかったのですが。
・ 当時から神話・伝説に詳しくて、岬に迫る知識を持っていました。

>「21」

赤江瀑『殺し蜜狂い蜜』
竹本作品にも『狂い壁狂い窓』

・ これらも未見。

>「31」で「アマテラス」となるべきところが、「アルテミス」になってます。 

・ タイプミスの指摘、ありがとうございます。
・ 無意識です。
・ 気が付いていませんでした。

>原曲よりもずっと激烈な恐怖で(怖かった☆)。    

・ 戦慄というのは、ああいうことなのでしょう。

>「39」「46〜50」で、「竹本ワールド」は「全体小説」化しようとしている

・ 旨いまとめ方ですね。
・ そうだと思います。 

>「55」ここでの「ゆらゆらふるふる」は、些かの陰りもなく美しい。竹本作品にしては珍しく、読後感が爽やかですね(笑)。

・ 同感。
・ 心境の変化でしょうか?
・ 現実的には、岬が本土に帰る前に、汚れた髪をシャンプーしてリンスしたというだけのことなのでしょうけど。
・ でも、名文だなあ。
・ 女性の長くて美しい髪が、ああいう風に見える瞬間は、僕にもありますが、ああは、書けません。

> 冒頭と末尾の塚本邦夫の歌がいいですね (^0^*

・ みなさん、まちがわれますが、塚本邦「雄」です。

> また、私個人としては、広告などで「矢木沢」という姓を見て、すぐに「降矢木」を連想しました。

・ なんのことか不明?
・ 『純正音律』も未読。
・ 雑誌で長編を読むという習慣は、遠い昔になくしています。
・ では、また。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


影姫様の御小説。 投稿者:ユウ  投稿日: 4月 9日(水)21時39分38秒

あの・・・・、、、ボク。。。ユウです。

あの・・・実は影姫様が小説を書かれたようなんです。
でも影姫様、、、小説は始めてだから。。。
とんでもなく稚拙なものかもしれませんけど。。。

アッ・・・こんなこと言っちゃった!影姫様ごめんなさい!

ダダッ!!(逃走)

<行き方>

したのURLから「黒猫館トップページ」→「目次のページ」→「応接室」→「黒猫小劇場」
です。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


えっ !? 投稿者:Keen  投稿日: 4月 9日(水)17時12分17秒

☆AOIさま

>温室に落ちたウサギ

それって、もしかして、いきなり「シークレット」なんじゃないですか?
↓の「フィギュア情報」には、入ってないですよ〜!
AOIさま、強いっ!(いいなぁ〜☆)

鷹里くんの「イメージ」には、私も賛成。
(もっとモジモジさせちゃう〜フフフ♪)

☆鷹里くん

「Keen姉(姐)さん論」もいずれ書いてくれるってこと?楽しみにしてるわね♪
まずは、お大事に。

☆楽古堂さま

>林望先生のその手の書物

林望『本当はとても えっち な古典文学』(扶桑社)ですね。
(※「えっち」は、太字です/笑)

すでに発売中、チェック済みでしたが、購入はまだです(笑)。
まるで鬼印式部のために出版されたかのようなタイミングですが……果たして、内容はどこまでのモノでしょうね?(^0^*

☆ホランドくん

舞い散る桜の花の下で……とか?フフフ♪

☆園主さま

お忙しいご様子、風邪など召されませんよう、ご注意下さいませ。

http://www.horico-web.com/alice2/index.html


MOTTO WASABI 投稿者:AOI  投稿日: 4月 8日(火)20時20分16秒

しばらく行かなかったコンビニに行ってみたら、「アリスのティーパーティー2」がありました。「温室に落ちたウサギ」の表情はなかなかですね〜。身体がこわばって、目が寄ってる(笑)>Keenさま

☆杉澤鷹里 さま

>AOIさまには、良識ある人というイメージがあります。

(モジモジ)・・・恐縮です。

>できれば、感想など直接書き込んでいただけると、さらに嬉しいです。作家の皆さんも喜ぶと思います。形式など拘らず、どどーん、と書いてくれたらいいですから。

今は、ただただ、感心し、あっけにとられ、なんとか字を追っているというかんじ
ですので(笑)。「温室に落ちたウサギ」状態(笑)
小説でこういうのってありましたっけ?
批評であれば・・・(謎笑)。
この先一体どうなるのか、とっても、興味深いですわ。
くんずほぐれつ、相補完的でありながら、挑発的で、跳梁するように交差するものも。
「黒い龍」、どのような暴れ方を?
すべて飲み込んでしまうのですか?やはり・・・。飲み込み技も期待?

お忙しいので、園主さまはまだ、読まれていないでしょうけど、「薔薇迷宮」、こういうものを目指していらしたのではないかしらん?
読まれたら嫉妬なさるでしょ。きっと。

☆影姫青夜さま

♪おひさしぶ〜り〜ね〜♪
なぜ、影姫さまの名義の書き込みなのか大体想像がつきましてよ(笑)。

>同じ監督の『殺人に関する短いフィルム』なら10回以上観ています。

さすが・・・!

>「愛」のことは3年に一度程度しか考えないわたしの性格によるものでしょう。

これは、ちょっと、怪しい〜。この前、どんな短歌つくってらしたかしら(謎笑)?

>そこで提案ですがAOI様が『殺人に関する短いフィルム』を観たならわたしも『愛
に関する短いフィルム』を観ることにしますがいかがでしょうか?フフ・・・。

『愛に関する短いフィルム』も、十分に犯罪的ですので、影姫さまのお気に召すこととと思いますよ(笑)。
市内に映画館がなくなったということですが、ビデオショップは充実しているようで
すね。
もとより『殺人に関する短いフィルム』は、今週中に観ようと思っています。『アマ
チュア』『傷跡』も何とか今回見たいのですけど、いけるかどうか。
近くのレンタルショップには『殺人〜』も『愛に〜』も置いていないんですよ(泣)。
あ、それから『殺人に関する短いフィルム』を観るから、『愛に関する短いフィル
ム』を観てくださいというようなことではありませんので、お気になさらずに(笑)



☆年度初め(?)で忙しい方多そうですね。くれぐれもむりなさらずに!


『クレシェンド』ネタばれ警報! 投稿者:Keen  投稿日: 4月 8日(火)12時15分32秒

☆楽古堂さま

お待ちしておりました!(^0^*
私も今、時間がとれませんので、とりあえず初読しての感想のみ書かせて頂きます。

まずは、「智久&類子シリーズ」第3弾の『緑衣の牙』(光文社文庫)※『眠れる森の惨劇』(カッパ・ノベルス)改題※をご参照下さいませ。(読まれてますよね?)
「7」真壁岬さんは、ここですでに重要な役を担って登場しています。
ですから、これに気づいている読者は、「12〜16」を別の感情を伴って読み進めることになります。

「21」私は、赤江瀑『殺し蜜狂い蜜』を連想しました。「狂気へと誘う音」でしょうか?
竹本作品にも『狂い壁狂い窓』がありますから、竹本さんも読んでいると思いますが。
(……と書いていたら、某ネット古書店に注文していた『狂い壁狂い窓』(講談社ノベルス初版)が届きました。裏表紙の竹本さん、若いですねえ〜/笑)。

失礼ながら、タイプミスを指摘させて頂きます。
「31」で「アマテラス」となるべきところが、「アルテミス」になってます。偶然とはいえ、ギリシア神話の「月の処女神」になってるところが、面 白いですね〜(笑)。

「44」の『ボレロ』は、『クレシェンド』というタイトルとあわせて、私にも聴こえました。ただし、原曲よりもずっと激烈な恐怖で(怖かった☆)。

「39」「46〜50」で、「竹本ワールド」は「全体小説」化しようとしているのがわかりますね。前述の通 り、真壁岬と牧場智久はすでに交錯してますから、『クレシェンド』では、天野不巳彦との邂逅がポイントなのでしょう。「59」の証明にもなります。

「52」は、私の極めて個人的な暗合(苦笑)。

「55」ここでの「ゆらゆらふるふる」は、些かの陰りもなく美しい。竹本作品にしては珍しく、読後感が爽やかですね(笑)。

冒頭と末尾の塚本邦夫の歌がいいですね♪(^0^*

また、私個人としては、広告などで「矢木沢」という姓を見て、すぐに「降矢木」を連想しました。これは楽古堂さまが未読の『ウロボロスの純正音律』にも関わってくると思います。私も『メフィスト』をちょっと覗く程度にしか読んでませんし、まだまだ完結の日は遠いようですので、何とも言えませんが(ややネタばれゴメンナサイ☆)。

以上、慌てて書きなぐりました(失礼☆)ので、またいずれ、ゆっくりと考えてみたいです。
ではまた。


皆さま、ご無沙汰してますが、近日中に復活予定です(ぺこり)。


お詫び 投稿者:園主  投稿日: 4月 8日(火)02時04分48秒

 楽古堂主人 さま
昨日、ご投稿いただきました岬にての物語・・・竹本健治『クレシェンド』ノートをアップさせていただきましたが、時間の都合上「仮アップ」とさせていただきました。つまり、まだ文字をタグで飾っておらず、「MENU」ページ等へのリンクも張っていない未完成状態でのアップでございます。すでにご報告のとおり、私、このところ仕事がたいへん忙しく、みなさまのお書き込みへのレスも、以前ほどこまめにつけられないような状態だからでございます。今回のご投稿のHTML化ついては、後日、時間が出来しだい手を加えて完成させたいと存じますので、悪しからずご了承下さいまし。


 みなさま
レスは後日とさせていただきます。ご勘弁下さいまし。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


「岬にての物語――竹本健治『クレシェンド』ノート」アップ。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 4月 8日(火)01時05分34秒

園主様へ。皆様へ。
・ 竹本健治の『クレシェンド』(角川書店・平成15年度)を、ついに読むことができました。
・ 春期講習のテストの試験監督が、学生アルバイトの仕事になったため。 
・ 予定外の自由時間ができました。
・ 午前中に読んで、午後は岬にての物語・・・竹本健治『クレシェンド』ノートを書いていました。
・ 鉄腕アトムの誕生日に、充実した時間を過ごせました。
・ うれしいです。
・ 例によって、初読の感想を綴った読書ノートです。
・ 何番からでもかまいません。
・ 若い皆さん方と、竹本健治を語り合えるのを楽しみにしております。



  2003年4月7日

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


こぼれよわが笑顔、と犯罪者は言った。 投稿者:影姫青夜  投稿日: 4月 7日(月)21時44分13秒

こんばんは。影姫です、今夜は「公爵」ではなくおしのびで参りました。

さて「月光書影閲覧室」ですが面白いほどホイホイ作業が進んでおます。
やはり活字だけを相手にする作業より画像を扱ったほうが楽しいようで
す。この分だと4月中にオープンできるでしょう。
とはいえ「これが影姫のコレクション??たいしたことないじゃ〜〜〜
ん!!」とは思わないほうが賢明でしょう。今回アップするのはわたし
の蔵書のホンの一部です。「大物」はそう簡単に手の内を明かさないの
ですよ。ふふ・・・♪

☆AOI様>『愛に関する短いフィルム』>これと同じ監督の『殺人に関
する短いフィルム』なら10回以上観ています。これはやはり「殺人」
のことなら一日に3回考えても「愛」のことは3年に一度程度しか考え
ないわたしの性格によるものでしょう。とはいえ違う世界を知ることも
肝要。そこで提案ですがAOI様が『殺人に関する短いフィルム』を観た
ならわたしも『愛に関する短いフィルム』を観ることにしますがい
かがでしょうか?フフ・・・。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


おれい。 投稿者:ino  投稿日: 4月 7日(月)21時31分49秒

ホランドさま

コメントありがとうございました。本日はお礼のみ書かせてもらいます。
よく読みます。


「恐怖」の研究(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 7日(月)01時31分00秒


 杉澤鷹里 さま
> 明日から過密スケジュールの学業が再開されます。この春休み最大のイベントが掲示板の開設と「花園」への参加でした。

 学業が『過密スケジュール』ということは、いわゆる「バイトと遊び」の大学生ではないということなんですね? いったい、どういうことを学ばれているのでしょうか? きっと専門的なことなんでしょうね。

> 自分で掲示板を運営するようになって、園主さまの怪人ぶりをより切実なものとして感じるようになりました。ただひたすらに敬服しています。

 運営者側には、ゲストとして参加しているだけではわからない、大変さがあるのは事実ですよね。

 でも、だからといって、それを恩着せがましく言うような人は、「それまでの器だった」ってことなんですけど、・・・でも、そういう人って案外多い。
 思い起こせば「花園」の独立は、園主さまが間借人としての権利を、臆することなくまともに要求した結果 の、家主との決裂でしたからね。口には出さなくても、間借人やゲストは運営者(主人=サイトマスター)を立てて下手に出るべきものだ、って思っている運営者は少なくありません。だから、いざとなると、そういう本音が覗いたりするものなんですよね。

> 弟分だから、いつでも姉さんの後をついて廻ってます。

 では、Keenさまのどういうところを、そこまで慕われているのか、その説明をぜひお願いします(笑)。

> 綾辻さんの声を聞いて、「ああ、やっぱり。中性的な声だ」とうっとりしたのも、遠い昔のことです。

 ボクはそれまでに関ミス連大会で綾辻さんのお声を聞いていましたから、レコードの声はすこし印象が違いました。レコードと違って、平素のお声はもっと普通 に男性的なんです。ただ、これは平素の会話と歌唱では、喉の使い方が違うから、当然のことなんですよね。山下達郎だって小田和正だって、歌ってる時のような声で、平素もしゃべってるわけじゃありませんもんね(笑)。


 AOI さま
> おそらく、辺見さんは気遣いもあって言われたように思いますが、チョムスキーにとって、ユダヤ人であるということにとどまらず、迫害された者の歴史、またそれと戦った者の歴史を思えば、どれほどのものでもないということのように苛立たれたのではないかと思いました。ご自分に、言い訳を許さない人なのでしょう。

 やっぱり、チョムスキーって、ものすごく真面目な人なんでしょうね。ユーモアはあっても、いい加減(適当)なところは無い(し、許せない)人なんじゃないかと思います。

> 新タイムスリップグリコの「ケムール人」ダブりました。そのうち、お送りしますね。

 園主さまはすでに揃えておられますので、・・・ボクがいただきます!(^o^)/


 園主 さま
 今日も、ありがとうございました!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。






「恐怖」の研究(中) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 7日(月)01時30分13秒


 ino さま
> 早速ですが、先日の「悪」を仏法の目からみて、書いた私の文章、気が向かれたらコメントいただけると幸いです。

 正直言って、いまひとつピンと来ませんでした。で、どうしてこういうことになるのかと考えてみますと、結局「法」と「器(心)」の関係が曖昧だからのように思うんです。つまり「法」が本質で「器」が表れだと説明されたのに、その点での「法」への疑問の説明を「器」レベルでされているような感じがする、と言うか、どこか「循環論理」だという印象があって、説明になっていないような、感じがするんです。・・・でもまあ、ボク自身あんまりよくわかっていないというのは事実なので、「感じ」を連発したんです。つまり、単純にボクが理解していないだけなのかも知れません(^-^;)。

 ちなみに、ボクが「仏説」に思うのは、「この世の現実」をいくら上手に説明していたとしても、それだけでは「真理」とは言えない、ということです。

 ひとつの「結果(=現象)」に関する「説明」は、原理的には複数個可能なはず。ですから「うまく説明」できているというだけでは不十分なんです。
 例えば「実在するのは、仏教の描く地獄か、それともキリスト教の地獄か?」といった場合、どちらが正解かを「事実」を示して説明することができない、ということなんですよね。「臨死体験」なんかは、その「示し得ない事実」を示そうとするものなんですが、臨死者が「見たてきたもの(結果 )」をどう「解釈(説明)」するかということでも「解釈は複数個ある」という宿命に捕われざるをえないんです(つまり、どちらの地獄観が正しいかは、死んでみないとわからない。臨死体験者が出てきて「こちらが正しい」と言ったところで、その体験したもの自体も「実物の地獄を見てきた」のではなく「夢を見ていた」という風にも解釈されうるので、結局、それでは地獄観の決着をつけられなくなる、ということ)。

>>『「宗教」が「人間」を手段化すること』を宗教家の方が批判なさる場合、それは同時に『「人間」が「宗教」を手段化することは間違いではない(正当である)」というところまで意味しているのでしょうか。

> 自分の幸せと言う目的のために、宗教は手段化されているでしょう。しかし信仰を持つには自分がはじめに信じた信仰と、新しい信仰との間には、対話、葛藤、実験など人間的な行為が介在すると思います。
> したがって手段であるはずの宗教に、信仰体験を重ねるうちに、布教の使命感がうまれ、手段のみではでなくなっていく可能性もあります。

 ご説明にそった理解ではないかも知れませんが、このご説明から、気づいたことがあります。それは「宗教」というものは「原理的に手段化できないもの」であり、ボクの質問は意味をなしていなかったのではないか、という考え方です。

 つまり、「宗教」というのは「信じる」ことを前提としますから、「信じる」ことと切り離された純粋な「手段化」は考えられない。なぜなら「信じていない者は、宗教を手段にしようとは思わない」からです。ですから、「信じていない」のに「宗教」を「手段化」しているかのような状況は、じつは「宗教」を「手段化」しているのではなく、その宗派の「名前(権威)」や「組織」といった現実的属性を「手段」的に利用しているに過ぎず、それは「宗教の手段化」ではなく、単なる・世俗レベルの「組織利用」にしかなりえない、のではないかということです。





( 以下は「「恐怖」の研究(下)」につづく)





「恐怖」の研究(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 7日(月)01時29分13秒

 みなさん、こんばんは! なんと今日も、昨日にひきつづき、園主さまから急遽連絡が入り『ボウリング・フォー・コロンバイン』(マイケル・ムーア監督)を観てきました!(笑)

 内容的には、予備知識以上に新しいものはなくて、要するに、1999年4月20日にアメリカ・コロラド州リトルトンのコロンバイン高校で発生した、学生2名による銃乱射殺人事件をきっかけに、マイケル・ムーアが「銃社会問題」を追求し、そこからさらにアメリカ社会の根っこにある「恐怖」の心理を暴き出していく、というものでした。つまり、この映画の結論だけを先に言ってしまえば、銃が普及しているという点ではカナダも同じなのに、「なぜアメリカでだけ」銃器犯罪が多発するのかと言えば、それはアメリカは歴史的に「恐怖」に支配された社会だからだ、ということなんです。つまり「他者=外部」は、常に「私=内部」を侵犯する「脅威」として「恐怖」されるものと感じられている、と言うんですね。だから、わかりやすく言えば「びびり虫=臆病者」が「過剰反応して攻撃的になる」というパターンだということです。これはアメリカの「銃器犯罪」の問題に限らず、「何でもかんでも」の「訴訟社会」の問題、「やつらが我々の仕事と安全を奪っていく」という「人種」問題、それから「ならず者国家は危険であり、先制攻撃が必要だ」の「外交」問題にも、じつに見事に当て嵌まる「アメリカ」論なんです。

 で、ここからはボクの意見なんですが、・・・つまり、アメリカは「強い」から「暴力的」なのではなく、「弱い」から強迫的に「強く」なろうとし、その「強さ」を誇示し続けなければならない(そうでないと「不安」でならない)という「存在」なんじゃないでしょうか? だから「適当なところ」で満足する、つまり「足るを知る」ってことが出来ないということなんじゃないでしょうか? 自分では歯止めが効かない「戦争依存症」なんじゃないのかなあー・・・って思って、救われない気分になったのでした。





( 以下は「「恐怖」の研究(中)」につづく)


さくら さくら 投稿者:AOI  投稿日: 4月 6日(日)23時29分52秒

☆園主さま

>辺見さまが「反時代のパンセ」で、チョムスキーが苛立っていた様子を書いていらしたのを、一部読んだからでございます。

『永遠の不服従のために』にチョムスキーと対面した時の印象を書かれていますが、このことですね。(「反時代のパンセ」の採録)
お二人の対談を読んで思ったことは、話のはじめに、辺見さんはチョムスキーの発言に対する風当たり、中傷など、いろいろ大変なのではと、質問されたのですが、長く運動をやってきたチョムスキーにとって、誰も耳を傾けない、デモの妨害も当たり前だったころを思えば、そんなことは取るに足らないことだということ。そういうことを悲観的に考えることの方が運動にとってマイナスとでも言いたいようでした。文章からの印象ですが。
おそらく、辺見さんは気遣いもあって言われたように思いますが、チョムスキーにとって、ユダヤ人であるということにとどまらず、迫害された者の歴史、またそれと戦った者の歴史を思えば、どれほどのものでもないということのように苛立たれたのではないかと思いました。ご自分に、言い訳を許さない人なのでしょう。


>>『愛に関する短いフィルム』
>> ↑マゾヒストな貴方に御奨め(笑)。監督:クシシュトフ・キェシロフスキ

>大阪でも観られましょうか?

1988年の作品で、ビデオ化されていて、気の利いたレンタルショップでしたら置いてると思います。
トリコロール愛の三部作「赤の愛」「青の愛」「白の愛」の横あたりに。
キェシロフスキは1996年54歳でなくなっていますが、東京で、キェシロフシキの特集をやっていて、かつて、ビデオでみたこの作品を劇場で観れて、とても感慨深いです。
『愛に関する短いフィルム』は孤独な青年の愛の物語です。


新タイムスリップグリコの「ケムール人」ダブりました。そのうち、お送りしますね。


春休み最後の日 投稿者:杉澤鷹里  投稿日: 4月 6日(日)23時11分39秒

 明日から過密スケジュールの学業が再開されます。この春休み最大のイベントが掲示板の開設と「花園」への参加でした。

☆アレクセイさま
 自分で掲示板を運営するようになって、園主さまの怪人ぶりをより切実なものとして感じるようになりました。ただひたすらに敬服しています。

☆AOI さま
>よろしくお願いします!

 こちらこそ、よろしくお願いします。
 AOIさまには、良識ある人というイメージがあります。あっ。他の皆さんに良識がないという意味じゃないです。念のため。

>HP面白いですねえ。ロムさせていただいていますわ。

 ありがとうございます。そういう声を聞けて本当に嬉しいです。できれば、感想など直接書き込んでいただけると、さらに嬉しいです。作家の皆さんも喜ぶと思います。形式など拘らず、どどーん、と書いてくれたらいいですから。

☆楽古堂主人さま
>小生の『クレシェンド』論が完成しましたら、ぜひ討論をしましょう

 楽しみにしてます。

☆Keen姉さん
>ようこそ「花園」へ。待ってたわよ♪(^0^*

 来ちゃいました。

>園主さまやホランドくん、楽古堂さまの他にも、個性豊かな皆さまとの楽しい会話(バトル/笑)を期待してるわよ〜(^0^*

 ファイターであるかのような印象を与える紹介はお止めください。私、非闘争的な小市民ですから。ただ。ちょっとだけ、イタズラ心が旺盛なだけです。


☆ホランドさま
> へえーっ、Keenさまは、杉澤さまの「姉さん」なのか。・・・「ねえさん」じゃなく「あねさん」?(笑)

 うーん。心情的には限りなく「あねさん」に近いけれど、「ねえさん」と訓んでいます。弟分だから、いつでも姉さんの後をついて廻ってます。

>『歪んだ王国』は、園主さまにダビングテープをいただきました。綾辻さんがボーカルで参加していると聞いたので、とても期待してたんだけど、ホントにちょっとだけだったので残念でした。

綾辻さんの声を聞いて、「ああ、やっぱり。中性的な声だ」とうっとりしたのも、遠い昔のことです。

 では、また。

http://www4.rocketbbs.com/141/ouro.html


手段をめぐって 投稿者:ino  投稿日: 4月 6日(日)11時58分50秒

ホランドさま
>長年園主様にいじめていただいた結果です(笑)

そうだったのですか、鍛えの園(笑)でもあるのですね。なんか結社みたいですね。

早速ですが、先日の「悪」を仏法の目からみて、書いた私の文章、気が向かれたらコメントいただけると幸いです。

 3・28のホランドさまの問い>『「宗教」が「人間」を手段化すること』を宗教家の方が批判なさる場合、それは同時に『「人間」が「宗教」を手段化することは間違いではない(正当である)」というところまで意味しているのでしょうか。

これについては正直なところ、私にとっては難問です。前者の「宗教」が「人間」を手段化する、これは例えば、聖職者集団が、信徒から自分たちの保身のために供養をむさぼったり、宗教のドグマのために信徒を洗脳し、命までも差し出させたり、人間のための宗教という本来の宗教の使命から逸脱しているという意味でよくわかります。
 後者の『「人間」が「宗教」を手段化することは間違いない(正当である)』というところまで意味しているのでしょうか?という問いを考えていました。
 私がこれから言うことは、「人間」=庶民信仰者 「宗教」=庶民信仰者にとっての宗教という視点に限らせていただきます。例えば日本の例でいうと、浄土真宗を信じていたが、他力本願という宗教的思想では自分の借金の問題は解決しないので、他力本願でない宗教で解決していたところ現世での問題解決を説く日蓮仏法にであったので、それを選んだ。この人にとって「借金の解決」という問題解決の手段として宗教はあるといえます。
 ここでは浄土真宗と日蓮仏法は比較され天秤にかけられ、その結果後者を選択したわけです。(こう割り切っては、信仰体験が論じられないのですが)この場合、自分の幸せと言う目的のために、宗教は手段化されているでしょう。しかし信仰を持つには自分がはじめに信じた信仰と、新しい信仰との間には、対話、葛藤、実験など人間的な行為が介在すると思います。
 したがって手段であるはずの宗教に、信仰体験を重ねるうちに、布教の使命感がうまれ、手段のみではでなくなっていく可能性もあります。
 人が何を信じるかはいうまでもなく全く自由であるべきです。同時に対話によって(言論の自由という意味です)布教をする自由も保障されねばなりません。信じない自由も保障されなくてはなりません。
 『「人間」が「宗教」を手段化することは間違いではない(正当である)』というところまで意味しているのでしょうか?
 私のいえることは、人間の幸せのために、どんな宗教を信じようが自由である。しかしその人を改宗させるための言論も自由である。ということです。 


遥かな旅路の物語 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 6日(日)00時30分37秒

 みなさん、こんばんは! 今日は、園主さまから急遽連絡が入り『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を観てきました。この映画には、「善の勢力」と「悪の勢力」との戦いが描かれていて、ボクは、アメリカのブッシュ大統領が「9.11」の時に言った「正義と悪との戦い」という言葉を、いやでも思い出さずにいられませんでした。

 この物語は、善玉と悪玉がかなりハッキリと描き分けられた「勧善懲悪の物語」です。でも、「勧善懲悪」という言葉から連想されるような、アメリカ的に楽天的な(二項対立の)「善と悪との戦い」ではありません。と言うのも、この物語が、戦闘能力は低いけれど心の美しい小人族ホビットの少年フロドを主人公とし、その彼が、悪心をおこさせる魔性の指輪との葛藤のなかで、世界に平和を取り戻そうと「苦難の旅」をするという物語だからです。世界に平和をもたらすのは、フロドの仲間の英雄豪傑たちではなく、ホビットの少年フロドの美しい心と勇気だからなんです。そしてその彼が、魔性の指輪との葛藤に悩み苦しみながらも、親友サムに励まされながら、目指す道を歩いて行くというこの物語は、ボクたちの現状にとっても、無視できない示唆を与えてくれていると思います。
 この物語にもボクたちの現実にも、「悪の勢力」というものは実在しますから、ボクたちはこれと戦っていかねばなりません。でも、ボクたちがまず打ち勝たなくてはならないのは、自分の心の中にある、弱い、汚い心なのでしょう。そして一人ひとりでは弱いボクたちでも、仲間の励ましがあれば、きっと最後までつらい旅路を戦い抜けるんだと思うんです。
 ボクはこの映画を、いつの日か「悪との戦い」の道を行く人たちのために遺された、「友情」の物語なんだと思いました。





 ino さま
> 論理的な思考がいかに苦手かお分かりになりましたね。

 最初から完璧な人なんていませんよ。ボクの場合も、長年園主さまにいじめていただいた結果 です(笑)。

>「同時代の掲示板」もチェックされていたのですね(苦笑)

 ええ、助手ですからね。ほかのみなさんには内緒でしたが、ボクだけは知ってました(^-^;)。

> 本日、脳が擦り切れていますので、後日お話させてください。

 ええ。ボクたちの「旅路」は長いんですから、「焦らない、無理をしない」で行きましょう(笑)。


 園主 さま
 今日はありがとうございました!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


RE.人間らしく生きるための三原則(2) 投稿者:ino  投稿日: 4月 5日(土)23時32分20秒

ホランドさま

論理的な思考がいかに苦手かお分かりになりましたね。「同時代の掲示板」もチェックされていたのですね(苦笑)

本日、脳が擦り切れていますので、後日お話させてください。


人間らしく生きるための三原則(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 5日(土)02時18分04秒


 ハムちゃま さま
> ついに黒猫館で書影コンテンツ発動!!!その名も「月光書影閲覧室」!!!
> かっくいい〜〜〜〜〜〜!!!!!!(・∀・)ノ

 あっは。ホントにかっこいいタイトル(?)ですね。でも、マニアック過ぎて、ボクの知っている本なんか無いんじゃないかなあー。まあ、内容は知らなくても、今では見られない素敵な装丁の本が見られれば充分なんですけどね。
 期待してますので、頑張って下さい!


 楽古堂主人 さま
> ・ 楽古堂は、『少年回廊』『月下の宿帳』『Salon de 書痴』等々の掲示板 に出没しています。

 前の2サイトは知ってますよ。三つ目の『Salon de 書痴』っていうのも、かなり凄そうですね。

>江藤蘭世氏・彭城矯介氏

 名前からして、ただ者ではなさそう。まあ、江藤さまとは二文字ダブってますけど(^-^;)。

> ・ 勉強できそうです。
> ・ 楽しいです。

 また勉強の成果を見せて下さいね!


 園主 さま
> テーマは「人間」

と、こう言い切ってしまう人って、案外いないでしょうね、きっと(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


人間らしく生きるための三原則(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 5日(土)02時17分20秒


 yua さま
> 「偏見」は「知性」からもっとも遠いもの・・・。その通りだと思います。だからこそ、(真に正しい教育とは、で議論になりそうですが)教育や、色んな人に会ったり、色んな本を読んだり、色んな所へ行ったりして、見聞を広めることが大切なんだと思います。

 そうですね。「見聞」を広めるというのは、とても大切なことです。人間の想像力には限界がありますから、やっぱり「知識」は必要です。例えば、チョムスキーが紹介している「アメリカの覇権外交の歴史」なんかも、じっさい想像を絶するものがありますよね。少なくとも、「日本の日常」に埋没している人には、想像のつかないものだと思います。
 でも、その一方で「知識」だけじゃダメだってことがあるのも事実。だって、博識を誇る多くの「日本の知識人」が「日本の日常」に埋没しているという事実がありますからね。
 「知識」や「経験」というのは、所詮「道具」であって、いくらその道具が優れたものでも、それを使う人に、その「意志」や「能力」が無ければ「猫に小判」です。その意味でもボクたちは「知識に溺れる」ことのない、しっかりした「主体」に、自己を鍛え上げなければならないのだと思います。

> たしかに一部の二乗の方や修羅界の方にはやけに「尊敬されたがり」だったり、自分のことを何か特別 な人だと思い込んでいる人もいますよね。
> 僕もそうならないように、常に自分を問う姿勢を保ちたいです。

 ホントにそうです。博識を鼻にかけている人ほど、鼻持ちならない存在はいないし、あれほどみっともない存在もありませんもん。例えば、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』の名探偵 法水麟太郎は、ペダンチック(衒学趣味的)な探偵として知られますが、あれは「小説」だから面 白いんであって、「現実」にあんな探偵がいたら、正気を疑われることでしょう。・・・でも、あれを地でいきかねない人って、けっこういるんですよ(笑)。

 ま、でも、ここへ出入りしている限り、その心配はいらないでしょう。だって、博識を鼻にかけるようなことを書いたら、間違いなく園主さまの鉄槌が下るでしょうからね(笑)。

> みなさん、チョムスキーを読まれているようですね。
> チョムスキーは以前から気になっていたので、読んでみようかな。
> 言語学者でしたっけ?アメリカを痛烈に批判してるとお聞きしたことがあります。

 チョムスキーは、ボクからもお薦めします。
 なにしろチョムスキーは、言語学の世界で「チョムスキー革命」と呼ばれるものをひき起こした人ですから、超一流の学者であることは、論を待ちません。と言いますか、「9.11」が起こり『9.11 アメリカに報復する権利はない』(文春文庫)が日本でもベストセラーになるまでは、日本では「言語学者」としては知られていても、反体制運動家としてはほとんど知られていなかったんです。・・・今はもう、それが完全に逆転してますけどね(笑)。
 チョムスキーの反体制運動家としての経歴は長くて、ベトナム反戦デモに参加している姿が、ノーマン・メイラーだったかの小説にも描かれているそうですし、当時「べ平連」のメンバーだった哲学者の鶴見俊輔さんたちが、チョムスキーを日本に招いたりしたそうですよ。だから、日本の平和運動とのかかわりも古い人なんです。
 ・・・ちなみに鶴見俊輔さんは、ボクの好きな作家 中井英夫の古い友人で、夢野久作の『ドグラ・マグラ』を語り合った仲だそうです(笑)。

> 明日、三宮をウロウロするので買ってきます♪
> バイト代も入ったしヽ(´▽`)丿

 以前は、よく園主さまと元町の高架下の古本屋めぐりをしたものです。そういえば、もうずいぶん神戸へ行ってないなあー。
 バイト代で、よい本を買って下さいね(笑)。





( 以下は「人間らしく生きるための三原則(5)」につづく)


人間らしく生きるための三原則(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 5日(土)02時16分13秒


 AOIさま
> 新タイムスリップグリコを買ってみましたよー。少し前に当たったのは「疾走する怪人」ケムール人。これって、いいですねえ。気に入っちゃいました。レトロでちょっと乱歩な(笑)。

 ボクもこないだ園主さまに見せてもらいましたが、やっぱり実物はすごいですよね。「失踪するケムール人」は、びっくりして尻餅をついている酔っ払いのおじさんが良かったし、カネゴンは「電柱の上で悩むの図」が良かった。本編でも、ああいうシーンがあったのかな? でも、カネゴンの頭じゃ、とても電柱に登れそうにないんですが(笑)。

 園主さまのご説明によると、このウルトラマンシリーズは『ガメラ』(平成三部作)や『新世紀エヴァンゲリオン』などで知られる、特撮の樋口真嗣さんがレイアウトデザインを手掛けたらしいですよ。だから、フィギュア作家とはひと味ちがった、「物語性」優先のデザインになったんでしょうね(特に、頭・上半分だけのバルタン星人なんかが典型的)。

> 『クレシェンド』まだ、読んでないの。いつになったら読めるかな?貧読(泣)。

 慌てる必要はないですよ。美味しいものは後に取っておくという手もあるんですから(笑)。

> 最近読んだのは、ずっと前に買って置いた『イラクの小さな橋を渡って』くらい。友人に回覧。

 良いことですね。地道ですけど、そうしたことの積み重ねの先にしか、平和は無いんだと思います。

> 映画『笑うイラク魂』(空爆前にイラクを訪問した人のツアービデオ。イラクの人々の日常、インタヴューなど)は『イラクの小さな橋を渡って』そのものの映画でした。戦争前とは思えない表情が写 されていて。この時期に出稼ぎからイラクに帰ってくる人も沢山いるのですね。
>「戦争?建物が壊れるだけさ」
>「死んだら、神の元に行くんだよ」
> 一方、若い一人息子の兵士を失った母や劣化ウランの影響で白血病の子供の手を引く母親の哀しい表情も。

 イラクの人たちは楽天的なんですね。でも、実際に戦闘に巻き込まれたり、怪我をしたりしたら、そんなことも言ってられませんものね。

 今日も、池澤夏樹さんのサイト『Cafe Impala』から、メールマガジン「新世紀へようこそ」の第98号が届きました。池澤さんも「イラク戦争」の開戦に挫けることなく、地道な抵抗活動を行われています。
 すでに世間では、何をやっても無駄だとばかりに、世界から切り離された「日本の日常」に沈潜している日本人も多いようですけど、ボクは、たとえ気持ちだけであったとしても、イラクの人たちのことを思い、彼らの側にある努力を続けたいと思います。

> (#^-^#) ぽー♪
> ホランドさまの魔法って効くわ〜。なんだか、かるくなったみたいよ〜。アリガトウ!

 ホントに効果があったとは思いませんけど、「気持ち」って大切ですよね。それがなきゃ、何も始まらないし(笑)。





( 以下は「人間らしく生きるための三原則(4)」につづく)


人間らしく生きるための三原則(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 5日(土)02時15分28秒


 ino さま
>> 二乗

> これを私は「理論を最も重視する人」に近いニュアンスで使いました。だから私のような右脳派?は見下されるのではないかと卑しい根性を見せてしまいました(苦笑)。

>「主観に淫する」〜厳しいお言葉ですが甘受します。

 園主さまの洗礼を受けましたね(笑)。でも、あれくらいで驚いてちゃいけませんよ。あの程度は、園主さまの批評では「好意を示した」程度。本気で「批判」したら・・・。それは、あちらの掲示板をお読みだからご存じですよね(笑)。

 そのあちらの掲示板に、inoさまは「感情に流されるのは良くないけれど、時には感情的に書くことも必要なのではないか。「大感情」という言葉もあることだし」という主旨のことを書かれていましたが、ボクはこれについて、ちょっと注文をつけさせていただきます(笑)。

 「大感情」という言葉は、あまり聞いたことがないんですが、inoさまの文脈から言えば、これは肯定的な表現なのでしょうね。つまり「大いなる感情」といった意味なのではないかと推察します。
 一方、園主さまが『主観に淫する』と表現した「悪しき主観性」、つまり「感情に流された状態」というのは、当然、この「大感情」の対極に位 置するものだと思います。だから、言わば「小感情」。
 こう考えてくると、園主さまが批判されているのは「感情そのもの」ではなく、「悪しき主観性」としての「小感情」であり、それを批判するということは、持つのなら「大感情」を持て、ということなんだと思います。ですから、この場合

 (1) 感情に流されるのは良くない
 (2) けれど、時には感情的に書くことも必要なのではないか
 (3) 「大感情」という言葉もあることだし

という三段論法は誤りだと思います。
 つまり、ここでは「感情」という言葉をめぐって、論理の混乱が見られます。分かりやすい例を示してみましょう。

 (1) 暴力の濫用は良くない
 (2) けれど、時には暴力的になることも必要なのではないか
 (3) 「先守防衛」と言うのも、最後は「暴力」に頼るということだし

という論法と同じなんですね。
 これらは共に、(1)の意味を取り違えているために起こる、論理の「混乱」です。
 つまり『感情に流されるのは良くない』という言葉によって否定されているのは、「感情」そのものではなく、それに「流される」ことであり、『暴力の濫用は良くない』という言葉によって否定されているのは、「暴力」そのものではなく、それを「濫用」することなんです。

 園主さまはよく「論理的であれ」と言いますが、それは「感情の否定」を意味してはいません。なぜなら「感情を否定」したら「精神を病む」しかないからです。つまり「論理的であれ」というのは「感情を統御せよ」という意味であり、すなわち「感情に流されるな」ということなんですね。

 ですから、大切なのは、「感情を殺す」ことでも「感情を垂れ流す」ことでもなく、「感情を過不足なく適切に表現する」ということなのです。

 だいたい園主さまの批評自体が、ものすごく「情の濃い」ものではないでしょうか? たしかに「論理的」ではあるんですけど、そうであるからこそ余計に「抑制された感情の激しさ」が伝わってくるといった感じ(笑)。こないだから園主さまは「馬鹿は馬鹿だ」と「論理的」に書いてましたが、これは「感情を抑制」した結果 なんですね。抑制してなかったら「馬鹿」の説明(立証)をしたりはしないでしょうし、もちろん「馬鹿」なんていう「おとなしい」言葉ではおさまらなかったことでしょう。・・・ボクは、園主さまが文章外で、(口論ではなく)怒鳴り合いの喧嘩したのを何度か見てますが、そりゃもう大阪弁でボロクソですよ。そういう場合、もう相手を人間扱いしてませんものねー・・・(^-^;)。

> 私は、貴方さまを、そんなに「器用で」「余裕のある」人間だとは見ておりません。悪い人ではないけれども、「拙速」な部分が多々見られ「ジタバタし過ぎる」「可愛い」人だと思っているのでございます。(<園主さま)

 これは憶えておいてイイことなんですが、園主さまが「可愛い」と言った場合、それは「好き」というのと、ほぼ同義です(笑)。ですから、見下されたとか、馬鹿にされたなんて思わないで下さいね。
 最初に書いたとおり、これは園主さまと誤魔化しなくつきあう人間なら、誰しもが経験する「アレクセイの洗礼」なんです。だから勝負は「ここで逃げるか、懐に飛び込むか」ということなんですよ(笑)。





( 以下は「人間らしく生きるための三原則(3)」につづく)


人間らしく生きるための三原則(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 5日(土)02時14分46秒

 みなさん、こんばんは! 今日は一日中ぐずついたお天気でした。明日も雨模様だそうです。それほど強い雨ではないんですが、これでせっかく咲いた桜も、ずいぶんと散ってしまうのでしょうね。

 最近、あんまり出歩いてないということもあって、この「まくら」部分のネタが不足ぎみなんですが、書くことが無いと、いつも真っ先に思い浮かぶのは、今もつづいている「イラク戦争」のこと。それが、良いことなのか悪いことなのか・・・。でも、それを忘れないためにも、書きつづけるという行為は、役に立っていると思います。もしボクに、こんな風に文章を書く習慣が無かったら、きっと他の「遊び」(読書も含む)に熱中して、「考えたくもない現実」としての「イラク戦争」のことなんか、きっと忘れちゃっているでしょうからね。
 「三猿」・・・「見ざる。言わざる。聞かざる」というのは「敗者としての逃避家」の特徴です。その意味でも「見る。言う。聞く」の三つは、人が人らしく生きる上で、とても大切な行動原理なんでしょうね。だからボクは、ここでこれにちょっと手を加えて、自分に科する三原則にしたいと思います。

 人間らしく生きるための三原則
『目を背けるな、口を閉ざすな、耳をふさぐな』

 そして、さらに付け加えると、
『顔を上げてゆけ!』。





 Keen さま
> ……あやしうこそものぐるほしけれ

> (鬼印式部日記・抄)

 なんだかアブナイ予感が・・・(^-^;)。

> フィギュア+お菓子の商品は「食玩」と呼ばれ

 ローソンで、ブリスターパックされた、10センチくらいの大きさの本格的な『ガンダム』フィギュアが売られてました。紙箱入りの「食玩」フィギュアとは違って、中味が見えており、当然好きなのを選んで買えるようになっています。だから、ちょっと小振りだとは言え、その出来はどこからみても「本格フィギュア」。ボクも、それ手に取ってみて「とうとうコンビニでも、「食玩」という方便を使わずに、こういうフィギュア商品を売るようになったんだなあー」と思ったんです。・・・が、よくよく見てみると『ラムネ一個入り』という印刷がありました。それで、これがいちおう「食玩」だということはわかったんですが、そのブリスターパックの商品のどこを探しても、外見からはついにラムネは見つけられませんでした。・・・そりゃあ、ラムネ一個ですからねえー(^-^;)。





( 以下は「人間らしく生きるための三原則(2)」につづく)


近況ほか。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 4月 4日(金)22時10分04秒

園主様へ。皆様へ。
・ お久しぶりです。
・ お元気でしょうか?
・ 楽古堂は、『少年回廊』『月下の宿帳』『Salon de 書痴』等々の掲示板 に出没しています。
・ 『少年回廊』には、江藤蘭世氏という哲学と変身が趣味の、実に聡明な御仁がおります。
・ 『月下の宿帳』では思わぬことに、若い方々と寺山や唐の「アングラ」演劇を語っています。
・ 『Salon de 書痴』は、古書を語るサロンです。
・ 彭城矯介氏という正字正仮名を遣う、親切で博学多識な方がおります。
・ 勉強できそうです。
・ 楽しいです。


杉澤鷹里様へ。
・ 「楽古堂主人論」ありがとうございました。
・ ご返事が遅くなり、失礼しました。

> 奥深いところにまで突き進む蛮勇ある評論家

・ 本人は、そう書くのが自然だから、そう書いているだけのことです。

> 微細なところまで踏み込んで網羅的に言及

・ 「夢のあとさき」を始めとする「架空の詩の教室」を読んでいただくと、僕の「精読」という方法論が、さらに明確になると思います。

> 論じ難い箇所についての己の意見を堂々と表明する態度

・ これについては、勇気を必要とする時があります。
・ しかし、僕の批評は、もともと後進に乗り越えられていくことを、前提にしています。
・ 踏み台にして頂いて結構です。
・ 違和感のあるところから、議論を展開できたらと思います。

> 楽古堂主人の評論には共感する・示唆されたという感想が、交互に訪れるかんじ

・ 現在、『風刃迷宮』論が途中になっています。
・ 『フォア・フォーズの素数』が刊行後に、継続する予定で中断しております。
・ 小生の『クレシェンド』論が完成しましたら、ぜひ討論をしましょう。
・ その前に、読まなければ!


Keen様へ。
・ 古典の「エッチ」なところの説明については、小生、とうていその任に堪えません。
・ 伝え聞くところでは、林望先生が、その手の書物を執筆途中らしいです。


http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/ohuti_rakkodo.html


ゆっくり考えます。 投稿者:ino  投稿日: 4月 4日(金)06時18分57秒

>「一人を殺せば犯罪者だが、百万人殺せば大犯罪者だ」納得します。

 丁寧に私の思考法を分析、指摘していただきありがとうございます。昨日投稿に失敗したのは「師弟論の根拠」について書いたものでした。

>「主観に淫する」〜厳しいお言葉ですが甘受します。

ホランドさまの聞きたかったことは、仏説であろうと判断したのもよく「考える」ことができていなかったということでしょう。ホランドさまは、文脈から>世界は「法」の現われである、、つまり「私(個)」も「法」の現われのひとつの「形」であるということでしょうか。でもそうすると、世の中に「悪」はなぜ存在するのでしょうか。という問いに、>「悪」はなぜ存在するのでしょうか。だけ切り取って返答することは非常に大きな問いであり、私の力量 では不可能であろう、したがって、慣れ親しんでいる(適切な表現であるかどうかわかりませんが)十界論と九識論をもって、私の考えていることを理解していただこうと書いたのです。

おっしゃるように慌てているのは否定しません。慌てるのは私の根拠のない劣等感のようです。

また、暇なときに個批評ください。


テーマは「人間」(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月 4日(金)01時14分25秒

 ino さま(つづき)

それから参考までに申しておきますと、私が興味を持つものは「人間」であり、それはそのまま「世界」という意味でもございます。と申しますのも、「世界」は「私=人間というスクリーン」に映じた影であり、「私=人間」を抜きにして「世界」はありえないからでございます。
そして、私の「宗教」への興味も、当然そうした「人間=世界」への興味の一面 でしかございません。「宗教」を考えるということは「人間とは何か?」を考えることであり、それはそのまま「この世界とは何か?」という問いに直結するのでございます。ですから、私が、

>> つまり学会員の人は、しばしば「中味」を問う努力を放棄して「目に見える権威=アリバイ」を欲しがるのです。
>>「思考放棄」して、それにすがりついたほうが楽なのは当然ですが、既にそうした「悪癖」がなかば「普遍常態化」しているということなのです。もちろんこんなことは池田SGI会長も望んではいないに関わらずです。

と言う時、そこで問われているのは「学会員だけではない」ということなのでございます。
言うまでもなく、たいていの人は無自覚な「権威主義」に囚われているのであり、それは何も「学会員」や「信仰者」に限った話ではございません。ただ、今は「学会員」を論じているから、主語が「学会員は」となっているだけで、私は常にもっと大きな問題、つまり「人間は」という主語で問題に取り組んでいるのでございます。

そうした意味で、私は徹頭徹尾「差別なし」((C) 隆 慶一郎)なのでございます。
私は「創価学会」や「学会員」を、良くも悪くも「特別視」しません。私は「ヒロシマ」や「オキナワ」をも「特別 視」はしないのでございます。

私にとって「学会員の問題」はそのまま「人間の問題」であり、「創価学会という組織の問題」は「あらゆる組織の問題」なのでございます。私が取り上げる「個々の問題」は、常に「普遍的な問題」の「象徴」なのでございます。

その意味で、私が「宗教」や「政治」の問題にのめり込んでいると見るのは、大きな間違いでございます。扱うテーマが何であれ(「ミステリ」であれ「フィギュア」であれ「美少年」であれ)、そこで論じられるのは、やはり「人間」の問題なのでございます。


> どなたか「半角4000文字以上、投稿前にかいてしまったときの、うまい対処の仕方教えていただけませんか?
> 今日もだったのですが、「半角4000字以上」のため投稿できず、ちょびっと削り、再投稿だめ、また削り再投稿、だめ。印刷して保存し、半分にして投稿しまた印刷をみて書き込むということもできない。デリートして消したのはまたやるしかないのでしょうか。

作成した文章は「テキストファイル」として保存し、それを適当なところでいくつかに分割して、投稿すれば良いのでございます(私がいつもしているように、ということでございます)。



 ハムちゃま さま
> ついに黒猫館で書影コンテンツ発動!!!その名も「月光書影閲覧室」!!!

「いかに見せるか」……お手並みを拝見いたします(笑)。


 Keen さま
> 「アリスのティーパーティー2」

これは「アリスのティーパーティー」(1)よりは、マシなようでございますね。しかし、フィギュア専門誌に掲載された同「3」は、グッと良いようでございますよ。「タバコを吸う芋虫」とか、前回フルタの方に含まれていたジャバウォッキー(でしたっけ?)などが含まれていて、対決意識を隠そうとしないところが……いかにも大阪のメーカーでございますなあー(笑)。

私が次に注目しているのは、海洋堂製作の『マクロス』メカのガシャポンフィギュアでございます。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


テーマは「人間」(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月 4日(金)01時13分30秒

 ino さま(つづき)

「誤った批評的態度」には、大別して2つの方向がございます。

(1) 問題を、他人事のように考えることによって、自分を見失う(傍観に堕する)
(2) 問題を、引きつけ過ぎることによって、現実を見失う(主観に淫する)

言うまでもなく、貴方さまは(2)のタイプでございます。

> 彼が、どんな罪に問われ、どんな罰を受けるか解らないが、ミサイル、自動小銃、戦闘機、劣化ウラン弾でイラクを攻撃するアメリカ、アメリカの青年を「兵」として使うアメリカ(同様に自らの権力維持のためにイラク青年を「使う」フセインもいるわけだが)その権力に対する戦いだったのではないか。この国の司法は彼を裁くことができるのか?彼は誰も傷つけていない。ここで「悪」とはイラク民衆を殺すブッシュ権力中枢であり、アメリカ青年を殺すフセイン権力中枢である。
> 彼の「悪事」は、包丁で武装した機動隊員を脅したという点にあるだろう。脅迫。
> 「一人を殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄だ」というチャップリンの反語が聞こえてきそうだ。

貴方さまはここで、「一人を殺した犯罪者」の立場に立って、「百万人を殺した犯罪者」を批判しておられるのでございます。
たしかに、百万人を殺したものが「英雄」と呼ばれるのは、間違いでございます。しかし、だからと言って、「一人を殺した犯罪者」の「罪」が軽減されるものでもございません。チャップリンの反語は「百万人を殺した犯罪者」を「英雄」と呼ぶ過ちを批判するものではあっても、「一人を殺した犯罪者」を擁護するためのものではございません。彼が言いたかったのは「一人を殺せば犯罪者だが、百万人殺せば大犯罪者だ」ということなのでございます。

したがいまして、貴方さまの「出刃包丁の青年」に対する擁護論は、決して「ブッシュやフセイン」を告発するものにはならないのでございます。「大義名分(警察官はどうしてイラク戦争に反対しないのか)を掲げれば、一人くらい殺したって許されるのだな」と、彼らはそう問い返すことでございましょう。

こうした「倒錯」に陥ってしまうのは、貴方さまに(1)や(2)いった明白な弱点があるからでございます。この点はよくよく自省しなければならないところでございましょう。
つまり「(私が)感動したから」それが「正しい」とは限らない。「(私が)良い人だ(と思った)から」その人は「間違わないだろう」あるいは「騙さないだろう」、という貴方さまの直情径行(極端な素直さ)は、貴方さまご自身の「甘え」でもあるのだ、ということなのでございます。

ですから、私は、貴方さまのその自覚的でありながら、改まりにくい「弱点」について、具体的な提案をさせていただきたいと存じます。
ここでは「文章に対する場合」を例示いたしますが、これは「あらゆる物事に対する場合」の、対応の基本型となることでございましょう。

(1) ある文章に接して(肯定的、あるいは 否定的な)動揺を感じた場合、まず3回深呼吸をして冷静になる。
(2) 慌てて、その答を見い出そうとせず、その文章を三度は読みなおして、相手の言いたいことを正確に理解するようにつとめる。
(3) その文章に対する、自分の意見・感想は、その場で書くのではなく、翌日以降に書く。

つまり「慌てず(頭を冷して)」まず「じっくりと考え」、その後「自分の考えをまとめる」ということでございます。

何度も言うようですが、大切なのは、まず「考える」ことであり、反射的に「書き散らし」「喋り散らす」ことではない、ということなのでございます。





( 以下は「テーマは「人間」(5)」につづく)


テーマは「人間」(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月 4日(金)01時12分44秒

 ino さま(つづき)

(1) 冷静さに欠ける(落ち着きが無く、慌てふためく)
という弱点の別バージョンとして、貴方さまが心しておくべき「弱点(問題点)」は、

(2) 問題を自分に引きつけ過ぎて(感情移入し過ぎて)、対象を冷静に評価できない。

という点でございます。これは、先日の

> 沖縄で警備中の機動隊に、包丁を持った酒に酔った二十歳の青年が「警察官はどうしてイラク戦争に反対しないのか」と出刃包丁でつめよったとの報道

に対する、貴方さまの反応に典型的に表れております。

この「報道」で知りうる『青年』の行動は、ただ単に「酒に酔って」「出刃包丁を持ち出し」「米軍基地警備にあたっていた機動隊員に」「「警察官はどうしてイラク戦争に反対しないのか」と言い」「出刃包丁でつめよった」というだけのことでございます。
彼が「何を・どこまで・考えて」そうした行動を取ったのか、彼にどういう「背景」があったのか無かったのか、そうしたことはこの報道からは一切窺い知れません。

ところが、貴方さまはここで、あっさり

> 私は想像力をかきたてられました。彼がその行動に出るまでの心情はどのようなものであったのかと。

と「想像の世界」に入り、

> わがふるさとを占領するアメリカ、イラクを攻撃するアメリカ、それを支持するといったヤマトンチュ、警備と称して来た機動隊員たち。彼の忍耐は限界を超えたのではないのか。出刃包丁という武器を持って、それら間違っているものたちに、一人で立ち向かっていったのではなかったのかと。酒を飲んでというのが残念だが、私は彼の闘争を否定できない。

と「物語=妄想」を膨らませた結果、最後には『私は彼の闘争を否定できない。』として、「はかり難い事実」と「個人的な物語=妄想」とを混同するにいたっているのでございます。

つまり、ここで貴方さまがなさっていることは、「事実の適格な評価」ではなく、「自己の願望を投影して、それを自己肯定する」という行為なのでございます。そして則ちそれは、当初の「事実を蔑ろにする」ということなのでございますね。

現実に起こった事件について、真剣に考えるのであれば、まず事実確認が必要でございましょう。しかし、貴方さまはそうした努力は早々に放棄して、「自分に都合の良い物語をでっち上げ」それに「酔う」ことに終始してしまっているのでございます。





( 以下は「テーマは「人間」(4)」につづく)


テーマは「人間」(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月 4日(金)01時11分24秒

 ino さま(つづき)

ここから、貴方さま個人の問題について書かせていただきましょう。

貴方さまの「弱点(問題点)」は、ご自分でもお気づきのとおり、

(1) 冷静さに欠ける(落ち着きが無く、慌てふためく)

という点でございます。

> 「師弟論」は代々会長と私の関係も論じることが必要ですのでお時間を下さい。

貴方さまは、このように書かれておりますが、私は「早急な回答」など要求したことはございません。それどころか、前回、わざわざ私は、

>> この問題提起には、一朝一夕で応えられるものではございませんでしょうが、学会内では金輪際、つき付けられることのない「本質的な難問」として、じっくり検討していただければ幸いと存じます。

と書いているのでございます。

では、なぜ貴方さまは、私に対し『お時間を下さい』などと「見当違い」なことを書かなければならなかったのでございましょうか? ……それは、誰よりも貴方さまご自身が「早急な回答」を必要だと思い込んだからなのでございます。

ようございますか、議論というものは「掛け合い漫才」ではございません。テンポよくやり取りをしていれば良い、というものではございません。
議論とは、自分とは違った他者の意見を、自分の意見にぶつけて、自分の意見を検討する(検討し合う)場なのでございます。

ところが、貴方さまは「批判」されたり「疑問」を呈せられたりすると、まず「それに応えなければならない」と慌てふためいてしまいます。そして、その結果 、いちばん大切な「検討する」「考える」という行為が抜け落ちてしまうのでございます。

これはホランドくんの「悪」についての問いかけに対する場合でも、今回の「師弟論の根拠」の場合でも同じでございます。貴方さまは「回答をしなければ」という一点に捕らわれてしまい、相手が問いかけたことについて、自分の頭で真剣に考えてみるという、いちばん大切な部分を忘れてしまわれるのでございます。

「悪」のことで言えば、ホランドくんが聞きたかったのは「仏説」ではなく、貴方さまご自身がどう考えているのか、ということでございましょう。「仏説」を信じているのであれば、「どういう理由」で信じているのかを聞きたかったのだと存じます。ところが、貴方さまのご回答は「仏説ではこうなっています」という頓珍漢なものでございました。
これは「師弟論の根拠」の場合も同じで、私が問うたのは「そもそも根拠などあるのか(有無)」ということなのに、貴方さまは答は「ちょっと待って下さい、調べてみます」というものでございました。
言うまでもなく、大聖人の御書に「信者団体のリーダーを、師と仰げ」などということは書かれておりません。もちろん、「信仰の師に付き従え」ということは書いているでしょうが、「信仰の師=信者団体のリーダー」だなどと書いているわけがないのでございます。……そしてこのようなことは「ちょっと考えればわかること」なのでございますが、自分の頭で考える習慣のついていない貴方さまは、反射的に「なんでも書いてあるはずの御書から、それらしい部分を引いてこよう」となさるのでございます。





( 以下は「テーマは「人間」(3)」につづく)


テーマは「人間」(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月 4日(金)01時09分27秒

みなさま、ひさしぶりに展覧会のご案内でございます。
こちらでは既におなじみの、大竹茂夫さまの展覧会が、東京銀座の「青木画廊」で行われます。今回は『1982年青木画廊での初個展以来、精力的に進化を続けている大竹茂夫の学生時代から現在まで、最新作も含めた各時代の油彩 画約30点を展示、販売いたします。』とのことでございます。めったに見る機会のない作品もあろうかと存じます。関東方面 の方は、ぜひ展覧会にお運び下さいまし。



        大竹茂夫展 ―20年の軌跡―

      2003年日(月)〜19日(土)
      会期中無休/平日10:30 〜 18:30/日曜12:00 〜 18:00


       青木画廊
       東京都中央区銀座3-5-16島田ビル2F TEL.03-3535-6858





 ino さま
> RE.仏法対話(1〜4)で、「日蓮仏法における師弟論」を次の機会にと申し上げたのは、正直にいって、この日やっとあれをかいた(疲労)状態だったのと、是は嘘ではありませんが文証が思い浮かばなかった(御書が思い浮かばなかった)のです。書き方の作戦を練ったりできるほど、私は器用ではありません。「耳のたこ」は思い浮かばず、あらためて調べないと書けないのです。
> そのことを園主さまが問題だと=inoはそれがすぐ書けないのに、池田SGI会長を「師」ということが問題だというご心情なのでしょう?

ぜんぜん違いますよ。落ち着いて下さいまし(笑)。
私は、貴方さまを、そんなに「器用で」「余裕のある」人間だとは見ておりません。悪い人ではないけれども、「拙速」な部分が多々見られ「ジタバタし過ぎる」「可愛い」人だと思っているのでございます。……年長者に対し「可愛い」という表現は失礼かとも存じますが、これは私の偽らざる感想なのでございます(笑)。


貴方さまは、私が「耳にタコができるほど聞かされているはずのこと、つまり学会の信心の要である師弟論の文証・理証を、すぐに示せないでいて、師を語るな」と批判したと受け取られたのでございますね? ……そうではございません。私は、貴方さま「個人の信心の強度」を云々したいのではなく、それ以前に「この信心は、そもそも実在の力なのか(妄想ではないのか)?」ということを問うているのでございます。

つまり、貴方さまのように真面目に信心に取り組み、それなりに教学も学んでいる人でさえ、なぜか『耳にタコができるほど聞かされているはずのこと、つまり学会の信心の要である師弟論の文証・理証』を示せないのは、どういうことなのか? つまり、それが意味するのは「貴方さま個人の信心がいい加減だ」ということではなく、「そもそも、師弟論の文証・理証など存在しておらず、聞かされてもいないから、思い出せないのではないか 」ということなのでございます。

ご承知のとおり、私は「創価学会の信仰は、妄想である」という見解に立つ人間でございます。ですから「妄想」に対する「真剣さ」を要求したりはいたしません。まずはそれが「真剣に取り組むに値するものなのか否か」を問い、それが「真剣に取り組むに値するものだ」という結論に達した後でないかぎり、「取り組みの真剣さ」を問うてみても詮なきことなのでございます。
これを平たくいえば、蜃気楼を真剣に追い掛けても徒労なのですから、それへの「真剣な取り組み」など、もとより要求したりはしない、ということでございます。

ここまではご理解いただけましたでしょうか? 再度、まとめて申しますと、私は、貴方さま個人の信心の強度を問うているのではございません。私が問うているのは、学会の信心の実態なのでございます。「要となる師弟論が、じつは無根拠なのではないか?」と、学会の信心そのものを難詰しているのでございますよ。





( 以下は「テーマは「人間」(2)」につづく)


Please 投稿者:ino  投稿日: 4月 3日(木)23時12分29秒

みなさん、こんばんわ。
桜がずいぶん散りました。

さっそくですが
どなたか「半角4000文字以上、投稿前にかいてしまったときの、うまい対処の仕方教えていただけませんか?
今日もだったのですが、「半角4000字以上」のため投稿できず、ちょびっと削り、再投稿だめ、また削り再投稿、だめ。印刷して保存し、半分にして投稿しまた印刷をみて書き込むということもできない。デリートして消したのはまたやるしかないのでしょうか。


ハムちゃま、ゴメンナサイ☆ 投稿者:Keen  投稿日: 4月 3日(木)13時37分29秒

>ハムスターのフィギュアにお菓子がついてくる!?前代未聞でちゅね!!!
>ところで「通信販売」してくれるんでちょうかね!?

北陸製菓のHP、よくよく見たら、このシリーズは去年の六月頃には東北地方でも販売していたようですが、現在は、多分、もう「フィギュアショップ」にしかないんじゃないかと思われます。
フィギュア+お菓子の商品は「食玩」と呼ばれ、販売時期がかなり限定されるようです。
「フィギュアショップ」なるところは、私も行ったことないですし、どこにあるのかも知りません。
マニア向けの雑誌はイロイロあるようですが、私もよくわかりません。
「アリス」シリーズが好きなだけですので……

というわけで、そそるだけそそっておいて、本当にゴメンナサイ☆(ぺこり)。

そういえば、近所のスーパー(私が「アリスのティーパーティー」リクエストしたのに、入れてくれなかったところ)で、フルタの「2」の売れ残りが、ワゴンで見切り品扱いになってました。海洋堂と組んでた「1」の時は完売だったのにね。
Keenの助言を無視するから、こういうことになるのじゃ☆
これに懲りたら、次はちゃんと「アリスのティーパーティー2」を仕入れなさいよ〜!
そしたら、きっと売れるからね♪

ちょっと時間がないので、他の方々へのレスは、また今度。
あれから、「大工」と「叫ぶハンプティ・ダンプティ」が出ましたわ♪
クッキーは、相変わらず美味しいですよ♪♪


アレクセイさま 投稿者:ino  投稿日: 4月 3日(木)07時12分50秒

RE.仏法対話(1〜4)で、「日蓮仏法における師弟論」を次の機会にと申し上げたのは、正直にいって、この日やっとあれをかいた(疲労)状態だったのと、是は嘘ではありませんが文証が思い浮かばなかった(御書が思い浮かばなかった)のです。書き方の作戦を練ったりできるほど、私は器用ではありません。「耳のたこ」は思い浮かばず、あらためて調べないと書けないのです。
そのことを園主さまが問題だと=inoはそれがすぐ書けないのに、池田SGI会長を「師」ということが問題だというご心情なのでしょう?
 「師弟論」は代々会長と私の関係も論じることが必要ですのでお時間を下さい。



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