●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年6月下
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本日は、これにてうち止め。 投稿者:園主  投稿日: 6月27日(金)02時31分13秒

 野茶坊 さま
> 私は本人に「貴方のおかげです」などとは言わないんだよ。第三者には言うけど・・・。
> 「この3ヶ月間の・・・」という言い回しに全部含まれてるんです! 

私好みの「可愛い」言い種でございますな(笑)。
これで本当に「やんちゃ坊主の少年」であれば良かったのに(ニヤーーッ)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


無自覚という病い(下) 投稿者:園主  投稿日: 6月27日(金)02時22分02秒

 ino さま(つづき)

>>「主張の一貫性=公正さの保持」といった最低限の努力すらできないものが、身の程知らずに多くを望むなということでございます。

> この言葉、非常にこたえます。でも私はもう「反省」とか「自責」はしないことにしました。

いいえ、大して『こたえ』てはおりません。こたえていないから進歩しないのでございますよ。ポーズを取ることで納得し、それでお終いにしてきたから、進歩がないのでございます。
貴方さまは、ご自身が信じ込んでおられるほど、「誠実」な人間ではございません。けっこう「しぶとく」て「要領の良い」、「自己正当化=善人ぶり」(の自己暗示)が得意な方なのでございます。

>> おぼろげな情報にとびつく

> これから時系列を確かめ情報収集いたします。

「好ましい情報」だけを欲している点で、すでに貴方さまの情報収集の努力は、「百害」こそあれ「無益」でございましょう。

> ホランドさんから感謝はするなと言われましたが、お礼を申し上げます。ご意見有難うございました。

「感謝」も「お礼」もいりません。形ばかりのそれらは、私を誠意を侮辱するものでしかございませんから。

貴方さまの「本音」が「感謝」に無いことは、『悩乱した病人、又は一父より。』という「怨みがましい」タイトルにも明らかでございましょう。
ご自身が『悩乱した病人』であることを認めているなら、ほかに書くべきことはたくさんあったはずでございます。けれども、私に言われた『悩乱した病人』という比喩に反発しているから、「無根拠」にああ思ってるとかこう思ってるとか、無責任で自己満足的なことばかり、書きつけたのでございましょう。


貴方さまが心から感謝しているというのなら、私の書いたものを十ぺん読んでからレスを書き、それを十ぺん推敲なさいまし。そして、それが「思いつきを並べただけの、無根拠で無責任な文章」になっていないか、いちいち確かめてご覧なさいまし。それが「行動」で示す「本物の誠実さ」でございますよ。

「病気だからできない」と言い訳しないでおれますか?

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


無自覚という病い(中) 投稿者:園主  投稿日: 6月27日(金)02時20分42秒

 ino さま(つづき)

>>「肩入れ」>道義的責任>不公正な存在

> 私がこうして再々貴BBSを訪れてしまう?のは、たぶん、仰るとおり「肩入れ」しているからでしょう。もうひとつの想いは、トリックスターをご演じになるアレクセイさんではなく、私にこうして静かに語ってくださるアレクセイさんと夢野さんの対話は不可能なのかという想いもあるのです。

『アレクセイさんと夢野さんの対話は不可能なのか』などと言う前に、ご自分が「肩入れ」無しに物事を見、根拠を示してものが言えないものか、それをお考えなさいまし。

自分に非があるのを自覚しながら、反省することもなく、他人に「優しく」語りかけることを期待するというのは、救いがたい「身勝手」であり「甘ったれ」でございますよ。

> 掲示板の運営は、個人の感性、美意識もあるでしょう。また責任とともに併せ持っているのは主体性を発揮する権利だと思うのです。その選択であろう過去ログ削除を支持する私を、>「子分」イスラエルetc.に例えておられるのは驚きです。夢野さんは権力ではありません。

これも日本語の態をなしておりません。
『夢野さんは権力ではありません。』……現に「立入禁止命令」という管理人としての「強権」を発動した夢野さまが、どうして「権力(者)」ではないと言うのでございます。貴方さまのような「無根拠」が許されるのなら、「アメリカは権力ではありません」「公明党はイラク攻撃を支持していません」「宗門は間違っていません」……なんとでも言えることでございましょう。
「無根拠」に「我々は正義だ」というのがアメリカ流であり、「我々はテロと戦っているだけだ」と一方的に言うのがイスラエル流でございます。つまり「傷つけられたから、正統な防御(過去ログ隠蔽)をしたんだ」というのがイスラエル流でございますよ。

>>「哀れみ」を乞い「施し」を受ければそれで良いのかもしれませんが。

> わが子には、きちんとこの病気のことは説明しています。なんら恥ずべき病気ではないのだと。聞かれたらうつ病だと言いなさい。どんな病気かと聞かれたら、脳の神経と神経を通 るものが少なくなっているそうだと言いなさい。この病気は子どもに遺伝したりしないよとも。
>  仰るとおり「負け犬」にだけはなりたくありません。諦めたりはしていません。

>>「男の美学はやせ我慢」とか「武士は食わねど高楊枝」というではありませんか。

> 仰るとおりです。アレクセイさんはきっと立派なお父様がおられたのでしょうね。けっして今をこのままにしておく気はありませんよ。おかげさまで子どもたちも元気に育ってくれています。

良うございますか、ただ「もっともらしいこと」「ご立派なこと」を言うだけでは、子供は納得しませんよ。「根拠」も「行動」も示さず、「私は負けない」とか「頑張っている」と言ったところで、日頃から「泣き言」を言っているような人間の実態は、子供だって先刻ご承知なのでございます。子供は「親の背中」を見て育つのであり、「建て前」や「きれいごと」や「出来もしない誓い」を鵜呑みにして育つのではございません。子供は、貴方さまの「口先」に誤魔化されるほど、愚かではないのでございます。

それに「児童心理学」では常識でございますが、親が頼りないほど、小さな子供はしっかりするものなのでございます。しかし、そのツケは、子供が大きくなってから表れてくるのでございますよ。

貴方さまは、まるで「子供がしっかりしているのは、自分の手柄だ」とでも言わんばかりのおっしゃりようでございますが、それは厚かましゅうございます。「私は何とかでかんとかで、ああ情けない」なんて泣き言を抱え込んでいる父親の心を、子供が感じ取っていないとでもお思いですか? そんな貴方さまの「惰弱な精神」が、本当に子供さんにプラスに働いているとでもお思いですか? もし、そうお思いなら、それはまったくの「無根拠な思い込み」であり「単なる希望的観測」だと申せましょう。





( 以下は「無自覚という病い(下)」につづく)


無自覚という病い(上) 投稿者:園主  投稿日: 6月27日(金)02時19分34秒

 ino さま
>> 私の場合には「根拠はある」のでございますから、「中傷」ではございません。

> 「根拠のある悪口」も主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊しの可能性もあると思うのですが。

貴方さまはご自分で、わざわざ『新明解』から「中傷」の定義『根拠のない悪口などをもって、他人の名誉を傷つけること』を引いたのではないのですか?

もちろん「根拠のある悪口」は存在しますよ。しかし、それは「中傷」ではないし、言ってはならない「誤った言説」でもございません。貴方さまが無謬を信じたい池田大作氏も、たくさん「根拠のある悪口」を「戦時政府」や「宗門」に向けて発しているのではございませんか? つまり、「根拠のある悪口」は、ビアスの『悪魔の辞典』やニーチェの「畜群」(大衆のこと)といって言葉を待つまでもなく、正統な「批評の言葉」なのでございますよ。

したがいまして、貴方さまが「根拠のある悪口」を『主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊し』と「無根拠」結びつけて否定したがるのは、貴方さまご自身が「正統な批判」に堪ええず、相手に「言い掛かり」をつけつつも、「優しく叱ってね」と無反省に甘えている、ということなのでございます。

> 「根拠のある悪口」も主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊しの可能性もあると思うのですが。

と言うのなら、どうしてその実例を示さないのですか? 貴方さまの文章が意味不明になるのは、根拠説明がなされないからではないかと、マムさまにご助言いただいたばかりなのに、貴方さまは形ばかり「御礼」は言っても、それを実践してみせた試しがございません。そういうのを「不誠実」というのでございますよ。

ともあれ、「私の批評」を論じている場で、根拠も示さず、

> 「根拠のある悪口」も主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊しの可能性もあると思うのですが。

と書くのは、私の批評に「無根拠」に『主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊し』というイメージを擦りつけるためになされた、まぎれもない「中傷」だと申せましょう。でなければ、私の批評を論じている時に、どうして、こんな無根拠な「一般 論」を持ち出す必要があるのでございましょう?

私の批評が「気に入らない」のなら、どうして正面から「貴方の批評は、こういう理由で、批評の名に値しない」と批判しないのでございますか? ……それは、批判ができないからでございますよ。だから、姑息なやり方で「中傷」するのでございます。
そしてこれは、「同時代を考える」掲示板への投稿時に、私の書き込みを削除できず、後になって「掲示板を付け替える」という名目の下に、私の書き込みなどの「読まれたくないもの」を削除した、夢野さんの姑息なやり方と、本質的に同じなのでございます。堂々と戦えないから、裏から手を回して相手を罠にはめる、といった陰険なやり方なのでございます。

>> まともな文章が書けなくては、もとより「根拠」の示しようがございませんから。

> そうでしょうか?私が言いたいのは人の気持ちを考えればこんなことは言えないという心情は、貴殿の「批評及び批判」には時として「ないのではないか」という疑問が私にはある、ということが言いたいのです。あ、このことは最後に仰っていますね。

貴方さまと私は他人であり、別人でございます。したがって貴方さまと私とは当然感じ方が違いますし、貴方さまが私の感じ方を忖度しても無駄 でございましょう。私の感じ方は、所詮、私にしかわかりません。ただし、それでも私の感じ方に疑問があり、人を「冷血人間」のように言いたいのであれば、「根拠」をお示し下さい。
貴方さまが『疑問』に思うのは勝手でございますが、それを「無根拠」に公の場所で書けば、それは立派に「無根拠な悪口」であり、すなわち「中傷」でなのでございます。





( 以下は「無自覚という病い(中)」につづく)


ふい〜 投稿者:野茶坊  投稿日: 6月27日(金)02時12分29秒

☆園主さま

毎度のことながら一気に膨大なレス。とても一度には読み切れん。どこにそんなエネルギーがあるのやら・・・。ホントに宇宙人なんじゃないの・・・?(笑)

>遠慮なく申しますと、『この3ヶ月間の「同時代」との関わり』とは、とりもなおさず「アレクセイが活躍した時期の「同時代」との関わり」だと申せましょう。したがいまして、野茶坊さまを学会組織に復帰せしめて成果 は、主に私にあると言っても、決して過言ではないと自負いたします。そして、これこそが、私の創価学会に対する、なによりの「恩返し」なのではないでしょうか(笑)。

自分でこんなこと言うかね、ホントに・・・。前からそうなんだが、私の言うことを先取りしすぎるんだよ、貴方は! 別 にいいけどさ・・・(いじいじ)。
私は本人に「貴方のおかげです」などとは言わないんだよ。第三者には言うけど・・・。
「この3ヶ月間の・・・」という言い回しに全部含まれてるんです! 

3月、『同時代』を発見してしばらく見物してたら、「アレクセイ」という変なのが現れて、「お! おもしろくなってきたぞ。」とニヤニヤしながら見てたわけ。言いたい放題のこと言った挙げ句、同調者は誰もなく、「みなさま、耳障りでしょうが・・・」みたいな殊勝なこと淋しそうに言い出すから、私は仕方なく「別 に耳障りじゃないよ。耳が痛いけど・・・。貴方は退転者じゃない」といったようなことを書き込んで「助け船!」出したんだよ。それが私の『同時代』への書き込みの始まりだったんだよ。おかげでこうなった。どうしてくれる?(笑)

☆マムさま

いやあ、貴方はアレクセイに勝るとも劣らぬ「不良創価学会員」だよ。
しかも婦人部! そして「活動家」なんでしょう? 貴方のいる組織はどんな感じなんだろう。
一度覗いてみたいね、ホントに。
ちなみに私は「不良志願」てとこかな? 『コン太の回想』は不良志願宣言みたいなものです。

昨夜、元支部婦人部長(「元」というのがミソ)がうちにきて、語る語る語る・・・。思いの丈を吐き出して、「あんたたちだから語れたよ。さあ、久しぶりに勤行しようかねえ」と、いそいそと帰っていきました。「立ち止まってみるのもいいもんでしょう?」と私が言うと「そうだね。見えなかったものが見えてくるね。」とおっしゃる。
「でも、進まざるを退転って言うでしょう? 何だか後ろ暗くて・・・」。
「動けばいいってもんじゃないでしょう。動けば動くだけ、かえって停滞しちゃうってこともあるんだから・・・」
「あ、そうか。立ち止まって、今まで見えなかったものが見えてきたってことは、ちゃんと前に進んでるわけだ。」
「そう思うけどね、俺は・・・。だから、もうちょっと立ち止まっていたら?」
「そうするかね(笑)」
・・・ずたずたになっちゃてたおばさん、ちょっとは元気になるかな・・・?
元のモーレツ婦人部に戻ったら、こっちが困るけど・・・(笑)。


☆inoさま

情に流されてませんか? inoさんはinoさんの立つ位置を定めていけばいいのであって、夢野さんにもアレクセイさんにも気を遣う必要はないと思いますよ。


悩乱した病人、又は一父より。 投稿者:ino  投稿日: 6月26日(木)23時37分33秒

☆アレクセイさま

>私の場合には「根拠はある」のでございますから、「中傷」ではございません。

「根拠のある悪口」も主観的思考の産物(客観的視点を経ていない)=我のみ尊しの可能性もあると思うのですが。

>まともな文章が書けなくては、もとより「根拠」の示しようがございませんから。

そうでしょうか?私が言いたいのは人の気持ちを考えればこんなことは言えないという心情は、貴殿の「批評及び批判」には時として「ないのではないか」という疑問が私にはある、ということが言いたいのです。あ、このことは最後に仰っていますね。

>「肩入れ」>道義的責任>不公正な存在

私がこうして再々貴BBSを訪れてしまう?のは、たぶん、仰るとおり「肩入れ」しているからでしょう。もうひとつの想いは、トリックスターをご演じになるアレクセイさんではなく、私にこうして静かに語ってくださるアレクセイさんと夢野さんの対話は不可能なのかという想いもあるのです。
 掲示板の運営は、個人の感性、美意識もあるでしょう。また責任とともに併せ持っているのは主体性を発揮する権利だと思うのです。その選択であろう過去ログ削除を支持する私を、>「子分」イスラエルetc.に例えておられるのは驚きです。夢野さんは権力ではありません。
 
>「哀れみ」を乞い「施し」を受ければそれで良いのかもしれませんが。

わが子には、きちんとこの病気のことは説明しています。なんら恥ずべき病気ではないのだと。聞かれたらうつ病だと言いなさい。どんな病気かと聞かれたら、脳の神経と神経を通 るものが少なくなっているそうだと言いなさい。この病気は子どもに遺伝したりしないよとも。
 仰るとおり「負け犬」にだけはなりたくありません。諦めたりはしていません。

>「男の美学はやせ我慢」とか「武士は食わねど高楊枝」というではありませんか。

仰るとおりです。アレクセイさんはきっと立派なお父様がおられたのでしょうね。けっして今をこのままにしておく気はありませんよ。おかげさまで子どもたちも元気に育ってくれています。

>「主張の一貫性=公正さの保持」といった最低限の努力すらできないものが、身の程知らずに多くを望むなということでございます。

この言葉、非常にこたえます。でも私はもう「反省」とか「自責」はしないことにしました。

>おぼろげな情報にとびつく

これから時系列を確かめ情報収集いたします。

ホランドさんから感謝はするなと言われましたが、お礼を申し上げます。ご意見有難うございました。


自己洗脳と解体作業(18) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時44分33秒


 Keen さま
> 食玩『パンダコパンダ』

> 達成!打率10割(^0^* 

> 昨日、ペットボトルを3本買って、6種類+1シークレットが揃いました。Wりはナシ。AOIさまのご忠告通 り、手前にあったボトルの包みにタッチしてみたら、次々と探し物が当たったのです。

それは素晴らしゅうございますねえ、う〜〜む。

> あとは園主さまがお持ちのシークレットだけですが、これは形状が不明なので判別 できません。

どういうものかと申しますと「みみ子が胸にパンちゃんを貼りつかせ、背中にランドセルを背負って歩いているポーズで、背景として肩くらいまでの高さの木の柵があり、足元には草が生えている」というものでございます。

> それは、ウコンがいっぱい入ってた、昔(園主さまの少年時代)の給食ですね。現代の給食カレーは、「こくまろ」もしくは「新本格/笑」ですから、あまり黄色くないらしいです。

なんだか私が『昔』のカレーしか知らない、昔の人間みたいでございますが……(-_-;)。
でも、もともと『パンダコパンダ』は、私が幼い頃のアニメなのでございますよね。ですから、カレーは黄色いのが当然なのでございます。

> カレーをかぶったパンちゃんは、火傷しなかったのかな?と心配ですが……でも、洗うの大変そう〜。『基礎論』のホランドくんみたい(苦笑)。

>「何のこと?」と興味ある方は、竹本健治『ウロボロスの基礎論』(講談社ノベルス)を、お読み下さいませ。(再度CM)

あっ、そう言えば……、うっかり竹本健治情報を、書き忘れるところでございました!

私が、さる情報筋から入手したところに拠りますと、創元推理文庫から刊行予定の、竹本健治の「ゲーム三部作」(『囲碁殺人事件』『将棋殺人事件』『トランプ殺人事件』)の解説者が、それぞれ有栖川有栖、若島正、大内史夫の3氏に内定したようでございます。……そうでございます。わが楽古堂主人さまが、私に続いて3人目の文庫『トランプ殺人事件』の解説者に内定したのでございます!

ただし、当該文庫は刊行日程も未だ定かではございませんので、場合によっては、解説者にも若干変動があるかも知れません。従いまして、この情報はあくまでも私個人の情報であり、その責任についても私個人にあるとご理解下さいまし(まあ、間違いございませんが/笑)。

> と、いうことは……ついに実現?「アレクセイ・チェ・デバラ」!(爆笑)

ノーコメント。

> ハル・ベリーは、『007』シリーズ最新作のボンド・ガールですよ♪

ああ、なるほど。いわゆる「ボンド・ガール」タイプは、あまり興味がないのでございますよ。もちろん、本物が擦り寄ってくれば、話はべつでございますが(笑)。


 アーニャ
> 「おやすみパンちゃんトラちゃん」に、ちゃんと肉球が描き込まれてたのが良かったわ♪
> ぷにぷにしないのだけ、ちょっと残念だけど(笑)。

ホントだ。さすが、着眼点がちがうな(笑)。

> ところで、ミミ子ちゃんが全部パンチラなのは、原作もそうだからなの?

鋭いな(笑)。なにしろ宮崎駿さんが「原案・脚本・画面設定」をやっているからなあー。

> 「男の色気」は、むしろある程度の年輪を重ねないと、出ないわよー。

これもある意味では「時分の花」と言えるんだろうか……?(^-^;)

> NHKの朝ドラ『ほんまもん』で、佐藤慶と根津甚八が親子役だっていうんで、TVに貼りついてたわよ〜☆

それにしても、シブ過ぎ……。


 ホランド
> もしもボクが実在しなければ、それでも「ボクという人格」を、みなさんは愛してくれますか?

もちろん(笑)。

じゃあ、おまえは、私が実在しなくても、私を愛してくれるだろうか?





それでは、みなさま、本日はこれにて失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


自己洗脳と解体作業(17) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時43分44秒


 ino さま(つづき)

> メスを入れるということは自己破滅や破綻に向かう可能性もあるのだから、ハイリスク・ハイリターンで自分を見つめなおすという覚悟が必要だと思います。しかも自分が決めること。それが仏教の原点だったよね?

マムのおっしゃるとおりなのでございます。批評とは、批評家にとっても被批評者にとっても共に「危険」なものであり、またそれでも「必要」な「手術=大事」なのでございます。

>>批評された側が血が流れないから問題なんだよ。わかる?

> そうでしょうか、今回の過去ログ問題のことも含まれているでしょうが、流れたから正当な防御が必要だったんではないのでしょうか。

夢野さまや貴方さまは、「病い」の手術の執刀医に、『人口皮膚』にメスを入れられただけでバカ騒ぎし、血が『流れたから正当な防御が必要だった』と主張する、「脳乱した病人」なのでございますよ。

> 「そうだったんですね!!」と書いた理由は、ある人から池田氏は肝心な時、イラク攻撃反対と言わなかった、また公明党の選択を支持しないと言わなかった!と言われていたことと、創大でのスピーチの(報道が何故かされなかった)おぼろげな情報(創大生を前にしてイラク攻撃反対の発言があったようだというおぼろげな情報)しか私が持ち合わせていなかったことが、この言葉を書かせた理由です。

『おぼろげな情報』に飛びついて、「やっぱり、池田先生は大聖人の生まれ変わりだったんだ」といって安心した、昔の学会員と同じだということでございます。

>>師弟観

> このBBSで、とぎれとぎれでしたが、論は書いたつもりです。興味がおありでしたら過去ログに保存していただいていると思います。

貴方さまが「花園」に書かれた師弟論は「論の態を為していない独りよがりなものだ」と、たしか書いたはずでございますよ。もうお忘れですか? 

> ・私の文章表現については仰るとおりだと思います。途中でたぶん左脳が疲労し右利きなのに左の方で作業するみたいになっているのだと思います。いい訳ですが。

『言い訳』そのものでございます。アメリカ批判、公明党批判では出てこない、論理的混乱がその証拠でしょう。
「言い訳」だとわかっているのなら、言い訳をするのはお止しなさいまし。それは「甘え」であり「欺瞞」であり、相手に「失礼」な言い種でございます。


 せどり公爵 さま
> ところでバタイユじゃがあの「サバト館」で出している一連の本は「将来危ない」そうじゃ・・・なんとも悲しい事態ではないか?ええ??愛書家諸君。サバト館もかっての限定本ブームの折りに活躍した成瀬書房の二の舞にならなければいいのじゃが・・・といっても園主殿。貴殿の所蔵している『初稿 眼球タン』は大丈夫じゃよ!!!安心せい!!サバト館でも生田耕作存命中の本はそう簡単に暴落せんそうじゃ!

最近の『奢霸都館』の本は、その多くを金子國義の人気に頼った「ただ金をかけただけの俗悪な本」という印象が、私にはございます。ですから、生田耕作亡き後の、高価でありながら粗製濫造と言ってよい「奢霸都本」が、古書価において定価割れするのは、自ずと必然でございましょう。

センスも無いのに、ただ「凝った本」を作れば(『奢霸都館』の名前で)売れるだろうとでも思っているかのような安易さが、現在の出版者側には透けて見えるのでございます。しかし、そうした「勘違い」を醸成したのは、まぎれもなく、「奢霸都本」だ「湯川本」だと、「受け売りの権威主義」を振り回すしか能のなかった、多くの、センスの無い古書マニア・古書店主の存在なのでございましょう。

資料として揃えるのならばともかく、美的な対象として本を蒐集する場合、コレクターの側に厳格な美的センスがあるのならば、「版元=出版社」や「シリーズ」で揃えるというような暴挙は、おおむね不可能事なのでございます。なぜなら、そうした「括り」によって含まれるすべての本が、内容的にも造本的にも同様に優れている、というようなことは、まずありえないことだからでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(18)」につづく)


自己洗脳と解体作業(16) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時42分34秒


 ino さま(つづき)

> 以上私の申し上げたかったことです。ただの蒸し返しかもしれませんが。
> 言い訳がましいことをわざと書きます。私はAC突出型の鬱の脂肪のついた四十男で自宅療養を言い渡されている男で鬼束ちひろの暗い歌が大好きで仕事もできずに困っていますよ。マムさん。毎日梅雨なので近くのランドリーで百円玉 3こいれて、ペットボトルのお茶を飲み、家に帰ってソファーに座るともう眠くなって3時過ぎに子どもが帰ってきて、この前は小5の娘がお父さんは何の病気なのと聞かれたので、あのね脳のね伝達物質がね人より少なくてすぐばてるからお医者さんがゆっくりしなさいといったんだよ、そのくせせっせとインターネットをしているよ。ここで笑う。
> とト書きが入るあーくだらない、人生マムさん何色ですかーーーーーーーーー。

「泣き言」はお止しなさいまし。もとより「同じ身の上ならぬ」他人には、貴方さまに「同情」することなど適いません。ですが、「哀れむ」ことはできましょう。「哀れんで欲しい」のならば、そうはっきりとおっしゃいなさいまし。そうして欲しいのなら欲しいと自分の口から言うべきであり、何も言わずに、ただ「もの欲しそうな目」で他人を見ること(暗黙の要求)により、「施し」を受けようなどというのは、そもそも虫が良すぎるのでございますよ。

貴方さま自身は、そうして「哀れみ」を乞い「施し」を受けていれば、それで良いのかも知れませんが、それでは貴方さまのお子さんがあまりに惨めでございましょう。貴方さまが病気なのは仕方がございません。しかし、同じ病人でも、そのなかには立派な人もいれば、負け犬もいるのでございます。ちょうど学会員にも立派な人もいれば、単なる負け犬もいるように。
貴方さまがもし、少しでも本気でお子さんのことを考えておられるのならば、貴方さまは是が非でも「負け犬」になってはならない。そんな自分に耽溺してならないのではございませんか? しっかり、なさいまし。父親としての愛があるのなら、お子さんために、命を削ってでも、誇り高く生きて見せてはいかがでございましょう。「男の美学は、やせ我慢」とか「武士は食わねど、高楊枝」と言うではございませんか。

> 男の色気・・?。私は20代前半に心身ともに戻りたいとよく思います。そして桜木花道やGacktのようになりたかったなーと恐れ多くも思うのであります!

べつに恐れ多くはございません。人間誰しも、できれば「より若々しい心身」でありたい(戻りたい)とか、「美形」に生まれたかったと思うものでございますよ。
しかし、身体であれ心であれ「願うだけではどうにもならない」、つまり「努力して初めて、何とかなる可能性もある(可能性も開ける)」というのは「大人の常識」でございます。もちろん、人間には「個人的な限界」があり「可能性は無限に開かれている」わけではございませんが、いずれにしろ「開かれている可能性」にすら挑めない人間が、何をか望まんやでございます。つまり「主張の一貫性=公正さの保持」といった、最低限の努力にすらできない者が、身の程知らずに多くを望むな、ということでございます。

「美しくありたい」と望むのならば、まずは可能なところから、それに挑戦なさいまし。

>> 自分の血を流しての批評

> 尊いことだと分かります。反面批評された側の流れる血のこともお考えいただきたく存じます。アレクセイさんにとっては、その血を見ながら自己を見よということなのでしょうか。それが慈悲だという意味で、また潰れるものは潰れよとそれを覚悟で批評されるのでしょうか。そのあたりもアレクセイさんにお聞きしたかったのです。

私はこれまでにも何度か「相手が自殺しても仕方がないという覚悟で批評をしている」と明言しております。それで私を「人殺し」と呼ぶ者がいるのなら、それはそれでいい。しかし、「自殺」は本人の選択であり、本人の意志によってなされたものなのですから、本人の意志を尊重する私は、その結果 に「無用の負い目」など感じはしないのでございます。

また、このように考えるからこそ「批評は、そんな甘いものじゃない」「その覚悟がないのなら、止めろ」と言うのでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(17)」につづく)


自己洗脳と解体作業(15) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時41分28秒


 ino さま(つづき)

> 私の認識は、自分の運営する掲示板を自らの判断でツリー式にしたり過去ログの保存法を「皆さんはどうしたらいいと思いますか」と投げかけられたこともあり、私は「隠蔽した」とは捉えません。

この文章は、たぶん「夢野さんが、自分の運営する掲示板を、自らの判断でツリー式にしたり、過去ログの保存法を変えたことについては、彼自身、事後的にではあれ「皆さんはどうしたらいいと思いますか」と問いを投げかけられたこともあり、私としては、ことさら「隠蔽した」とは捉えません。」という意味でございましょう。

こう理解した上で申しますと、まず夢野さまが「皆さんの意見」を聞いたのは、「事後的」であり「批判後」であった、という事実が重要なのでございますね。つまり、夢野さまは最初にやりたいようにやってしまってから、それが非難されたため、その「言い訳」として形式的に「皆さんの意見」を聞いたに過ぎません。もし、「皆さんの意見」を尊重する気があるのなら、最初にそれを聞いていたはずなのでございますよ。
……こんな見え透いた「ポーズ」からも、その「本音」が見抜けないというのは、貴方さまがニュートラルな視点を失って、夢野さまに「肩入れ」しているからでございます。

> 読まれたと思いますが私は公開の要望があれば削除すべきところは(中傷、デマなど)して公開されてはと書きました。掲示板運営は私的な権利であると私は思います。

「権利」と「道義」とは、同じではございません。アメリカにも、自国の方針を自己決定する「権利」がありますから、各種国際協定に批准する「義務」はございません。にもかかわらず、アメリカの「一国主義」が国際的な非難を浴びるのは、そこに「道義」的な問題があるからでございます。
それと同様に、夢野さまにはご自分が管理する掲示板についての「強権」が保証されております。ですが、「道義」を欠いた「強権」発動が非難されるのは、当然のことなのでございます。

したがいまして、「権利」があるから「私は許す」とおっしゃるのであれば、貴方さまはアメリカは無論のこと、公明党(議員)も創価学会も非難することは出来ません。なぜならば、彼らには「戦争を指示」する「自由=権利」があり、逆に「戦争に反対」しなければならない「義務」は無いからでございます。彼らにあるのは、これまで主張してきたところに対する「道義的な責任」なのであり、彼らを批判するのであれば、そこを問うしかないのでございますよ。

また、夢野さまによって隠蔽された「過去ログ」には、すでに『削除すべきところ(中傷、デマなど)』など残っていないというのは、すでに論じたはずでございましょう。何か意見を言うのなら、それを踏まえておっしゃってくださいまし。私が、それについて書いたのは、ほんの5日前でございますよ。

> もともと「同時代を考える」掲示板上でも、管理人である夢野さまは、削除が妥当であると判断すれば、現に何度も削除をなさっていたのでございますから、私に「削除したければ削除なさい。しかし、それで恥をかくのは貴方ですよ」と大見得まで切られて、それでも削除できなかったものを、今さら「鬼の居ぬ 間」に『あらし』だ『罵倒』だと「難癖」をつけて削除するというのは、「理に適ってもいない」し、なにより「恥知らずな所業」だと申せましょう。(『「自覚」という無自覚(5)』 6月21日(土)02時28分44秒)

削除すべきものはすでに削除してあった。こんなあからさまな事実に目をつむって、夢野さまに都合の良い『削除すべきところは(中傷、デマなど)して公開されては』などという意見をおっしゃる貴方さまは、アメリカを支持する「子分」イスラエルやトルコ、そして日本政府と同様の、著しく「公正さに欠けた(=不公正な)存在」だと言えるのでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(16)」につづく)


自己洗脳と解体作業(14) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時40分25秒


 ino さま(つづき)

> 私の常識ではこれらの言葉をじ・ぶ・ん・の掲示板でたくさんの人の目前に晒されている管理人の心情察しするに余りあります。

それは私も同様でございます。しかし、これは「自業自得」なのでございますよ。「公的言論発表者としての責任の重さ」への無自覚についての。

良うございますか、「ダブルスタンダード」を平気で振り回すような人が、一人前の顔をして(そのつもりになって)人前で講釈を垂れたりする(公に発言したりする)から、言論は総じて「実の無いもの」と看做され、「無力」化されてしまうのでございます。つまり、「言論」が死んだことの責めの多くは、こういう無自覚な人々の存在に帰されるべきであり、当然、貴方さま自身もその責めを避けられないのでございます。

忌憚なく批評され批判されるのが嫌ならば、公に発言するのは止めるべきでございましょう。責任を取る覚悟もない者が、一人前の顔をして、公の場所にしゃしゃり出るべきではないのでございますよ。「言論の場」は「(無責任な)子供の遊び場」ではない、ということなのでございます。

> 始めに書いたことですが私が夢野さんに恩を感じていて言いたいこと=批判ができないなら(最初のアメリカのこと)大日本帝国の軍国主義を終わらせてくれたアメリカ=恩人批判を自らに禁ずるべきであろう、ということですね。
>  これは夢野さんがBBCの過去ログを「隠蔽した」ことを私が批判しないとする前提があるわけですよね。私の認識は、自分の運営する掲示板を自らの判断でツリー式にしたり過去ログの保存法を「皆さんはどうしたらいいと思いますか」と投げかけられたこともあり、私は「隠蔽した」とは捉えません。
>  読まれたと思いますが私は公開の要望があれば削除すべきところは(中傷、デマなど)して公開されてはと書きました。掲示板運営は私的な権利であると私は思います。加えて人間感情を無くしてまで人のための言論を受け入れることができるでしょうか。
 
>  私は申し上げるまでもなく、自分の意思でこれを書いています。私には今回のBBSリニューアルで過去ログが消えた?もう公開しない?ということを批判しません。

これまた日本語になっておりません。こんな人には、アメリカも非難されたくはないでしょう。なぜならば、「根拠」を示すには、まともな「論述」が必要であり、まともな文章が書けなくては、もとより「根拠」の示しようがございませんから。こんなことだから、貴方さまの書かれているものは、(無自覚ではございましょうが)しばしば「中傷」にしかならないからでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(15)」につづく)


自己洗脳と解体作業(13) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時39分06秒


 黒猫館館長 さま
> 実は先日から黒猫館へのアクセスがしにくくなっている問題についてですが、本日、プロバイダーから調査結果 が届きましたところ、なんと、「サイトが二重にアップされている。」そうです。これがどういうことであるのか、パソコン素人のわたしには全くわかりません。

> しかし近日中にプロに修正を依頼するつもりですので、日頃黒猫館をご愛顧してくださっている花園のみなさん、もう少しお待ちください。

了解いたしました。一日も早い復旧をお祈りしております。
それにしても、不思議な事態でございますねー。


 ino さま
> 私は疑問があるのです。アレクセイさんはご自分のBBSへの来訪者には非常に丁寧にレスされるのに、例えば次のような仰り方が果 たして中傷(根拠のない悪口などをもって、他人の名誉を傷つけること〜新明解)でなく批評(物事のよい点・悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること。また、そのもの。)なのかということです。

> (同時代BBS)4・16
>>  私は、夢野さんよりも貴方(酔夢さん)の方を高く評価しております。
>> (略)つまり夢野さんの「批評」とやらは『凡庸な批評文』以下だということです。ただし「この掲示板には不似合い」とは言えないということです。貴方ならばこの意味が理解できるでしょう(笑)

>> しかし彼の「いかにも誠実な信仰者」だという態度の裏側に隠された「日和見的打算主義者(迷っている人が、どんな甘言に弱いかも読みとって、それを誠実ぶって語り、その場の状況に応じて人気取りをする偽善者)の正体は・・・

> 私の常識ではこれらの言葉をじ・ぶ・ん・の掲示板でたくさんの人の目前に晒されている管理人の心情察しするに余りあります。

> それはともかく上記のアレクセイさんの書き込みは批評であり、中傷ではないとお考えかご意見をいただきたく存じます。

もちろん「批評」でございますよ。

上に引用なさっている「私の・夢野評価」について、貴方さまは「根拠を示していない」から「中傷」だとでもお思いになられたのかも知れませんが、批評が『物事のよい点・悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること。また、そのもの。』ということならば、私は夢野さまの『悪い点などを取り上げて、そのものの価値を論じること』をしているのですから、お示しになられている『新明解』の「批評」の定義に、私の行為は「完全に合致している」と申せましょう(言うまでもなく、この定義は『よい点・悪い点』の双方を共に論じなくてはならないとは申しておりません)。また、「中傷」とは『根拠のない悪口などをもって、他人の名誉を傷つけること』であり、私の場合には「根拠はある」のでございますから、「中傷」ではございません。ただ私は、「最初から」わかりきった根拠を、わざわざ示さなかっただけのことで、「示せ」と乞われれば、それをしてきたはずでございますし、だからこそ夢野さまたちは「(私に)論破され」「ぐうの音も出なかった」のであり、その結果 「隠蔽工作」に走ったのではございませんか。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(14)」につづく)


自己洗脳と解体作業(12) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時38分01秒


 マム さま(つづき)

> 驚くほど頑迷で、いくら懇切丁寧に話をしても、また矛盾を突きつけられても聞く耳をもたない姿・・いくらそれを指摘されても相も変わらず同じことばかり言っているその姿・・それって、不安から逃れるために自動的に思考回路が寸断されストップしているんじゃないの?とさえ思えてくる^^強烈な痛みや過度なストレスを瞬時に寸断してショック症状を回避するときの体内防衛制御システム(体内ブレーカ)みたいなもんだと考えたほうがいいかなぁ?例えば自動車に乗っていて窓から手を出していて、対向車に腕をちぎられたのに全然痛みもなくしばらく気づかなかったみたいなこと・・よく聞くでしょ。

野茶坊さまへのレスにも書きましたとおり、私のイメージは『「脆弱な自我」を被う「自我防衛装置(プロテクト)として幻想自我」』というものでございます。

この「死にいたる病い」をさらに説明いたしますと、夢野さまたちが「懲りない」のは、この「幻想自我」に固着して、本来の自我を「無意識化=押し込め」しているからだと存じます。つまり、本当はすごく傷ついているのに、それを認めるのが嫌で、傷ついているという「自己認識」自体を自他に隠蔽(=抑圧)してしまう。そして「幻想自我」を自分の自我だと信じて振る舞い続ける。しかし、その奥では、着実に傷は膿み崩れていきますから、「仮面 =プロテクト」はその「腐敗臭」をも押し込めるべく、さらにその「厚み」を増していかねばなりません。その結果 、作りあげられたのが、何があっても変わらない「硬直した(非人間的に=無反応な)表情のない顔」なのでございます。

> 井上さまがAOIさまへのレスで「尊いことだと分かります。反面批評された側の流れる血のこともお考えいただきたく存じます。」とあるけど、批評されても批評された側が血が流れないから問題なんだよ。わかる?(>inoさま)

そのとおりでございます、ブラックジャック先生。彼らは、全身が強靱な「人口皮膚」に被われておりますので、少々メスを入れても、血は流れず、患部に到ることもできないのでございます。ですから、われわれに必要なのは、自己暗示的によって構成されたその「プロテクト」を、まずは解体することなのでございます。

> 井上さまとアレクセイさまとの師匠観を同列に論じられているようだけど、アレクセイさまが心の師匠とされる大西巨人への思いと、井上さまが師匠とされる池田大作に寄せる思いとは多分別 物だと思うよ。

私の「師弟観」については、本サイトに『同行二人 ―― 私の師弟論』として、すでにアップしております。
また、「同時代を考える掲示板」への「2003年 04月 26日 15時 45分 34秒」づけの書き込みの中で、創価桜さまへのレスとして、

> 私が「師弟不ニ」を否定している? とんでもないことです。……ただ、私と貴方では「師弟不ニ」ということに対する理解が、根本的に違っているようですね。そのへんのところを明らかにしていきましょう。

云々と縷々語っておりますので、inoさまには、上記の論文と共に、もう一度こちらをご参照いただきましょう。

>> 三上寛〜どうして私のパンクスターであった彼は去ったのでせうか。

> えっ!この人って死んじゃったの?知らなかったぁ・・

いえ、そういう意味ではなく「創価学会を(見捨てて)去った」という意味でございます。

彼が去った意味については、inoさまは、学会員として「自分の胸に聞いてみる」べきでございましょう。それがマムさまのおっしゃる「実体が問題なのではなく、自分の解釈(=理解)が問題(のすべて)なのである」ということの意味なのでございましょうね。

> 人生何色かって?う〜ん、そうねぇ、ほんのりピンク色

> (タグ使ってみたけどうまくいったかな?)

ここは、タグの色指定ミスだと存じますので、ログにおさめる際は「ピンク色」にしておきましょう。これも一種の「誤植」なのでございますね(笑)。

ちなみに、私の人生は「色々」でございます(笑)。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(13)」につづく)


自己洗脳と解体作業(11) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時21分14秒


 マム さま(つづき)

> ぶっちゃけて言えば、「同時代掲示板の常連さま」は、日蓮さまが書いた立正安国論に登場してくる(自分の想念を固定的なものして信じて疑わない)「旅人」みたいなもんだよ。旅人が、日蓮さまのとこにプラリと来て「世間は飢饉や伝染病や地震で大変だ・・」と嘆いて見せ「私は何とかこれをしなきゃいかんと常々思っている・・」って顔をしかめながら偉そうなこと言った。そして日蓮さまが「うんうん、お前の言ってることは正しい、その通 りだね」って当然言ってくれると思って期待したけど、さにあらず(笑)。

> 期待は見事に裏切られ、「そういうおまえ自身に原因があることを知れ!」って日蓮さまは一喝したでしょ。それで、その旅人がムチャクチャ怒った。怒り心頭に発してキレまくった。その旅人に、日蓮さまは動じることなく経典を引きながら理路整然と説き続けたでしょ。そして最後に「あんた自らが変る事が大事だということがまだ解からんのか!」とやったでしょ(笑)。そこまでされて、ようやく旅人がハッとして目覚めるって話じゃん。

> もっともらしく嘆いて見せて同調や共感を期待した「旅人」の偽善と欺瞞を打ち砕いたってことでしょ。同時代掲示板の夢野さまや常連さまは、同じ旅人でもキレたまんま「おまえなんかのとこに二度と来ない!俺の目に見えないところでホザいてろ!」と言って席をたって逃げ出したっていうパターンだと思うよ。

そういえば、そういうのがございましたね。さすがは不良学会員。『立正安国論』の内容をすっかり失念しておりました(笑)。

> 正義!正義!と叫ぶ人たちの、その書かれた文章を特定の言葉を別の言葉に「単純」に置き換えたらどうなるかのかなぁって試しにやってみたの^^。夢野さまの(evaさま)の「がん公」へのカキコは、全く別 の『ホンネ』が浮かび上がってくるという良い例だったと思います。ほかの人の「がん公」カキコも言葉を単純にトランスしてみると、驚くほどその人たちが攻撃対象としている戦争賛美者に近い『ホンネ』が見えてきて面 白かった^^。だから、根っこが同じ人たちのカキコは「仮面」を被っているとも、カタルシスであるとも感じたし、アレクセイさまの「悪は裏側の善を盾として生き延びようとするだろう」ということにも通 じていくのかとも思いました。

「置き換え」による自己矛盾の指摘は、本来なら一度で充分なのでございますが、こういう「懲りない面 々」には「しつこく」やることの方が、むしろ大切なのでございましょう。つまり、理解を拒絶している人たちには、「批判内容(=質)」よりも「批判の持続(=量 )」がこたえるということでございます。まるで、動物の調教でございますが、頭で理解しないのなら、これもやむを得ないところでございましょう(笑)。

> 物事を短絡的にしか結論づけできず、心地よい言葉だけ拾い上げ、不快な言葉は最初からフィルターをかけてしまう。甘言には驚くほど不用意で検証さえせず思考停止させ、その総てを受け入れる。実は何も考えていなし、考えているふりをして考えようとしていないということを強く印象づけるものだった・・。「真面 目すぎる普通の人たち」がどんどんエキセントリックになっていく姿を見ていると、やはりそこに狂気を感じてしまうんだよね、マムは。

マムさまは、正しい意味で真面目な人でございますね。私の中には「大衆は豚だ」という意識が抜きがたくございますから、こういうのを見せつけられても「狂気」だとは思わないのでございます。「またか……」という感じで、うんざりさせられるだけなのでございますよ。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(12)」につづく)


自己洗脳と解体作業(10) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時20分00秒


 マム さま(つづき)

> それにしても、野茶坊さまの「おい、お茶!」と私が言うのは、「お茶が入ったよ」という意味だっていうのは、ムチャクチャ笑っちゃった。目に見えるようでお腹がイタい。

私も(笑)。

> 今頃気づいた?女のほうが「したたか」なんだから無駄な抵抗は意味なし。ケッケッケ!

まったくでございますね。ですから、傷つきやすい私は、つい美少年の方へと走ったのでは……(笑)。

> な、なんだ!全くもう・・ノロケてしまって。それが言いたかったのか・・でも、ここんとこプリントしてうちの旦那さまに読ませてやろうっとφ(._.).。o○

ちなみに、野茶坊さまの息子さんは、私に会わせたくないほど「可愛い」そうでございます。まったく、羨ましいご家庭でございますな(羨望の眼差し)。

> 夢野さまや井上さまやそのほかの同時代常連さまにとっては、アレクセイさまは一見容赦ない表現をされているように見えるのかもしれません。しかしマムは、アレクセイさまの言葉の背景に「語り合えば見えてくる」という思いがあり、一環してそれに支えらた言動をされていると感じています。

『「語り合えば見えてくる」という思いがあり』というよりも、「「語り合えば見えてくるかも知れない」という願いがあり」でございましょうね。

> 口当たりのいい言葉だけ並べてことさら共有感を強調したりするのは、実は語り合いをしていることにはならず、その意思も最初からなく、何の産物も生み出さないということになるのだと思うけど?

そのとおりでございますし、第一『口当たりのいい言葉だけ並べてことさら共有感を強調したりするのは』気色悪うございます(笑)。

> 人間を取り巻く世界を語る場合、その実像を語っているようでいて実は自分で勝手に生成したイメージに固執して語ってるってことがあるでしょ?その生成したイメージに対して、疑問を感じたとしたら、自分で形成してきた「初期(原初)イメージ」そのものにメスを入れなければ意味がないと思うんだよね、マムは。

> 実像が問題ではなく、実像に対して自分で生成したイメージを問題にしなければならないのに、「同時代の常連さん」は、自分で生成したイメージに固執し即・実像であると思い込みたがってる。見ているとさぁ、実像がそうではないと感じ始めると、何とかそこに「整合性」をとろうとするか、「実像自体がおかしくなってしまった」って他人事のように思考停止し短絡的に決定づけてしまうかのどちらかだよね。前者が池田大作へのイメージであり、後者が創価学会や公明党へのイメージということになるけど根っこは同じだし、そこから一歩も離れようとしない。

じつに適格な解説だと存じます。……しかし、これくらいのことは、夢野さまも「理屈としては」つまり「他人事としては」理解しているはずでございましょう。それを「どうして」自分のこととして捉えなおすことができないのか? 一言でいえば、「弱いから」なのでございますが、問題はその「弱さ」の克服方法なのでございます。なぜ「弱い人間」と「強い人間」がいるのか? その根源的「差異」とは何なのか? それがわからないかぎり「克服」は困難なのですが、それがわかったからといって克服法がみつかるという保証はない。したがって、その時に問題となるのが、超越的な「宗教の力」なのだと存じます。

> イメージと実像の間で転倒を続けていくと、歪んだ自己肯定につながり更に極端なイメージを肥大化させ、一方でより閉塞的な人間関係を形成するしかなくなってしまう。だから、いつまでたっても堂々巡りで悩み続けるか、さもなくばプッツンして「がん公」カキコにあるような「神崎潰せぇ!冬柴殺せぇ!」みたいな狂気に近いものが一気に吹き上がっていく。その二者択一に自らを追い込んでしまうことになるんだよ。しかも、それがアレクセイさまの指摘する「真面 目な普通の人たち」・・。戦勝祈願で提灯かついでフィーバーした人たちと根っこは同じじゃん。夢野さま、井上さま、創価桜さま、Jonathanさま、tatamiさま、あなたたちが今のような視野狭窄を続けていると皮肉なことに、戦争に手を貸そうとする加害者の立場にそのまま立つことになることだって充分可能性としてあるんだよ。

そのとおりでございましょう。ある意味では、「真面目な普通の人たち」ほど「危険な(厄介な)存在」はございません。なぜなら、そもそも紋切り型の「真面 目」とは、その内に「臆病」と「視野狭窄」を含んでおりますから、いざとなれば長いものに巻かれて「大政翼賛」する可能性は、大いにあるのでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(11)」につづく)


自己洗脳と解体作業(9) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時19分02秒


 マム さま(つづき)

「不器用な男」とは、単に「能力がない」ということではなく、「どうにでもできる能力があるのに、自己の倫理にしたがって、あえて不利な選択をする男」のことをいうのでございましょう。
これは、私が以前こちらでも紹介した劇場用アニメ『銀河鉄道999』(原作:松本零士)での、キャプテンハーロックの『男なら負けるとわかっていても戦わなければならない時がある、死ぬ とわかっていても行かなければならない時がある。鉄郎はそれを知っていた。彼を死なせてはならない!』(記憶に基づく)というセリフにも明らかでございましょう。つまり星野鉄郎は愛するメーテルを救出するために、単身、機械化母星に乗り込みます。もちろん鉄郎には万にひとつも勝つ望みはなかったのでございますが、彼は自己の「思い」に殉じて死地に赴いた。たとえ逃げても、誰もそれを責める者は無かっただろうに、それでも鉄郎は行った。そんな「不器用」な選択をする鉄郎を、ハーロックは『男』と呼び、「男心に男が惚れて」、頼まれもしないのに、危険も厭わず、鉄郎の加勢に向かったのでございます。……こういうのが、本当の「不器用な男」。マムさまが好きな「不器用な男」なのでございましょう。

したがって、マムさまは「卑怯な男」に情け容赦のない(殺すことさえ厭わない)クイーン・エメラルダスみたいなものでございますね(笑)。

> よく見たら「ひとりごと」って書いてあった。マムへのラブレターじゃなかったのか・・な〜んだ、残念(笑)

そんなことはございますまい。inoさまは、

> (※ アレクセイの)この記述を読みまた書き込むことにしました。

と書かれておりますが、『ひとりごと』部分の感情の噴出ぶりを見れば、マムさまの「男の色気」論にコンプレックスを刺激されて書いた、というのは明らかでございましょう。ですから、あれは一種の「ラブレター」……「恨み言をつらねたラブレター」だったのでございましょう(笑)。

しかし、抑圧されたコンプレックスを、正直に言語化したというのは、inoさまのためには良かったと存じます。私はいろいろと厳しく批判はいたしますが、それは「卑怯だ」とか「論理的一貫性がなく、不誠実だ」といった「倫理」レベルの批判でしかなく、マムさまみたいに『野暮』だとか『色気がない』なんて「えげつない」ことは申しませんからね。そんな大胆な外科手術は、小心な私にはできないのでございます。ですから、これからはマムさまのことを、ブラックジャック先生と呼ばせていただきましょう(笑)。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(10)」につづく)


自己洗脳と解体作業(8) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時17分37秒


 マム さま(つづき)

> 同時代掲示板の常連さんってなんか男のイロケがないんだよね。深刻な顔して「こんなに真剣です、こんなに悩んでいます、こんなに僕は純粋です」みたいなものが前面 に出すぎ。そのくせ、頭が固いというか人の話に聞く耳もたないし、前に進もうともしないしさぁ。展開も進展もなく無味乾燥なテレコ言葉の繰り返しだけ。言葉を拾えないってのは無粋で野暮天すぎてイロケなさすぎだよ、ホント^^

『同時代掲示板の常連さん』に限らず、「深刻ぶる」人は「カッコ悪い」のでございますね。なにしろ本物の「深刻」ではございませんから、安っぽい。

私自身、「カッコイイ男(漢)」になりたいという気持ちがございますが、私が「カッコイイ」と感じる男は、決して「深刻ぶる」ことはございません。彼は、苦しい時ほど「莞爾と笑って、冗談や減らず口を叩いて」見せるのでございます。
その典型が、隆 慶一郎の『一夢庵風流記』(新潮社文庫・集英社文庫)の主人公 前田慶次郎でございますし、本日ご紹介いたしました『解体屋外伝』の主人公も、そういう男なのでございます。

> 妥協しない頑固な日蓮さまはわかりやすくていいけど、親鸞さまとか道元さまもいいなぁ。道元さまは難しそうな顔して人を寄せつないような雰囲気あるし・・親鸞さまは人を見てるようでそのマナコはどっか遠くをみつめてるし・・こういったミステリーな男ってのもいいもんだわ。

そうでございますね。私も「いろんなタイプ」に興味がございます。
しかし、やっぱり日蓮が好きだというのは、学会との過去のしがらみや影響からではなく、もとからそういうタイプが好きだったということなのでございましょう。なにしろ私が好きなのは、大西巨人とか南方熊楠、大杉栄、宮武外骨などといった、「奇人」と呼ばれることもある、筋金入りの「反骨の硬骨漢」なのでございますから。……ま、つまり基本的に「揉めごとの多い」人たちなのでございますよ(笑)。

>> ひとりごと 無粋で野暮天男の色気なさすぎだよ〜仰るとおり不器用な人たちですね、たぶん。(<inoさま)

> 不器用じゃないんだよ、イロケがないんだよ。マムは不器用な男って好きだよ(^_-)☆ハ ゚チッ

『不器用』というのは、一見「欠点」のようであって、じつは近年多くの場合「長所」の一種として使われることが多ございます。なにしろ、かつて、かの高倉健が生命保険のCMで『不器用ですから……。日生ロングラン』などと言っていたほどでございますからね。
つまり「今どき」自分で自分のことを「不器用な人間」だなどと言うのは、一種の「臆面 の無さ」であり「厚顔」ぶりなのでございます。自分で自分を「軽薄才子じゃない、朴訥な、心清らかな人間だ」と主張しているのも同然なのでございますね。

じっさい『不器用』な男とは、決して『無粋で野暮天男の色気なさすぎ』の反対(対立物)ではございません。それは高倉健(のイメージ)からも、明白なことでございましょう。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(9)」につづく)


自己洗脳と解体作業(7) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時16分04秒


 マム さま
たくさんの書き込み、まことにありがとうございます。
特に、今までならば、私しかしなかったであろう説明までなさって下さっているので、たいへん「助かるなあー」と喜んでおります(笑)。

なお、このマムさまへのレス以外は、基本的に、昨夜書いたものでございます。そのせいで、野茶坊さまへのレスに、『「ホンネは仮面 の裏にあり?(1)」 6月26日(木)09時04分59秒』にお書きになられている『体内防衛制御システム(体内ブレーカ)』に似た比喩が出てまいりますが、解釈イメージの違いを比較して楽しんでいただければ幸いと存じます。

> ウフッ!ってときに限って微妙に寝ないんだよね。これが・・ そういえば漫画喫茶で漫画読んでたら、「お情け・・お情け・・ルンルン」とか言って枕もってイソイソとしてるのに、眼鏡かけた息子が寝ないってのがあって大声で笑っちゃった。

私は、この「状況」よりも、そこに登場する「子供」が気に入りました。『眼鏡』をかけているところがポイントでございますよね。これは「真面 目」を意味する記号であり、きっとそわそわしている母親に「お母さん、明日は早いんでしょ。早く寝なきゃ。夜更かしは良くないんだよ」なんて言いに来たのでございましょうね(笑)。

> 「恩返しはしないとね」と言った時点で、すでに相手を自分よりも上とか下とかって差別 感覚で見てるってことになるよ。それって本来の仏教からは大きく逸脱してるんじゃない?お釈迦さまも日蓮さまもニュアンスや次元はそれぞれ違うけど厳しく諌めてたような気がするけど。

厳しいご意見でございますね。しかし私も、どちらかというと、「恩返し」ということを考える方でございます。と申しますのも、私は人に「借りをつくる」のが嫌いで、親切にされたりすると、かえってそれを負担に感じて、「早く恩返しをしよう」などと考えたりするのでございます。結局これは、私が相手に「心を許していない」ということであり、それは「相手の思いを素直に受け入れていない」ということなのでございましょう。ですから、それはかえって相手の好意に対する「非礼」なのでございますが、「心を許さない」というのは、私の(傷つきやすさを補うための)欠点でもあり長所でもございますから、そう容易には改善できないのでございます。私に好意で接して下さる方とは、すぐにでも打ち解け、素直に甘えることができるようになれれば良いのでございますが、これも生涯の課題なのでございましょう。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(8)」につづく)


自己洗脳と解体作業(6) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時15分13秒


 野茶坊 さま(つづき)

> 文面からして、ああ、夢野さんだなって感じ(ほとんど確信)ではあるが・・・。
> それにしても「夢野式リセット」じゃなくて、ホントにリセットしてほしいんだけどな・・・。

同感でございます。「夢野式リセット」は「夢野式23箇条」につづくヒット作になりそうでございます。……曰く「君、それは夢野式リセットだよ」云々(笑)。

> 彼は今のまんまじゃ堂々巡りだろう、延々と・・・。『同時代』もおんなじようなことを繰り返してきたんじゃないのかな、もしかすると・・・。(私はこの3ヶ月しか知らないが・・・)。

たぶん、間違いなくそうでございましょう。彼の「脆弱な自我」を被う「自我防衛装置(プロテクト)として幻想自我」は、「強固」と言うよりも、「しぶとい」と呼ぶべきでございましょう。

私の批評により、いったんは崩壊したかに見えた夢野さまのそれ(プロテクト)は、「まるで何ごともなかったかのように」すぐさま修復されてしまうのでございますから、その修復された「傷のないのっぺりとした顔」は、非人間的に「無気味なもの」だとも申せましょう。……もちろん、プロテクトの下の病んだ「素顔=自我」は、プロテクトの存在ゆえに、かえって「鍛え=本質的治癒」の機会から遠ざけられ、さらに傷つき病み崩れているのでございましょうが。

> がん公への彼の書き込みを見ると、相も変わらず人ごとみたいに「評論?」している。そのことで安心感を得てるのかな? KやSを遠吠え的に責めながら、その分、自分が停滞するんじゃしようがない。そのことを彼に伝えたいわけ。まあ、こっちとしては言うだけのことをできるだけ簡潔にスパッと言って、あとは本人が決めること。ただ、彼を見てると、何か自分を見てるような気がして、やりきれないんだよな。だから、彼を簡単に許す気はないよ。『同時代』への書き込みは次回で最後にするつもりだけどね・・・。

『彼を見てると、何か自分を見てるような気がして、やりきれないんだよな。だから、彼を簡単に許す気はないよ。』……これはとても大切な認識でございましょう。「情けは、他人のためならず」すなわち「批評は、他人のためならず」なのでございますから。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(7)」につづく)


自己洗脳と解体作業(5) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時14分06秒


 野茶坊 さま
> 名指しの批評・・・。
> 大人の物言いしてきただけだよ、俺は・・・。

ホランドくんも書いておりますが、私はその『大人の物言い』というものに問題を見るのでございますよ。
童話『裸の王さま』における子供の「王さまは裸だ」という直言が、批評の原型であるように、「批評の言葉」とは、「大人」よりもむしろ「子供」の方にこそ、近親性があるのだと存じます。

> 最近、地区の壮年部の家を訪問しているのだ! 活動家に返り咲いたぞ! 訪問して何を語ってるかって・・・? ご想像にまかせます。堰を切ったように本音を語ってくれるよ、みんな・・・。
> 地区部長も支部長も、座談会にしか来なかった私が「積極的に動き始めた」ってんで大喜び。まじめな人たち、大事にしたいです。しかし、県患部はさすがに鼻がいい。この前の座談会に突然やってきて、あらぬ 話を必死にやってたが、冷ややかな人多数。さて、次の手を・・・。

楽しそうでございますねー(笑)。「敵」が抵抗すればするほど、「困らせてやれ」とほくそ笑んでしまう。まさにそれが「子供」であり、それでこそ「野茶坊」でございますよ(笑)。

> 私のこうした活力はこの3ヶ月間の「同時代」との関わりから生まれたと言って過言ではないのです。だから、夢野さんに最低限の恩返しはしないとね。「不知恩」の徒になりたくないですから・・・(笑)。

遠慮なく申しますと、『この3ヶ月間の「同時代」との関わり』とは、とりもなおさず「アレクセイが活躍した時期の「同時代」との関わり」だと申せましょう。したがいまして、野茶坊さまを学会組織に復帰せしめて成果 は、主に私にあると言っても、決して過言ではないと自負いたします。そして、これこそが、私の創価学会に対する、なによりの「恩返し」なのではないでしょうか(笑)。

> 酔っぱらいの八つ当たりのようなカラミに、丁寧なレスありがとござんした。
> こっちにお邪魔した当初、美少年を演じるつもりだったんだが、「それはあぶないよ」と誰かに囁かれて、酔っぱらいに変更したんだよな。酔っぱらいの扱いもなかなかのもんだ。

いえいえ、私は常日頃から「自覚のない酔っぱらい」に対し、丁寧な言葉(批評)を投げ掛けておりますし、今さら、お礼を言われるほどのことではございません(笑)。
ともあれ、酔っ払いというのは、善かれと思って「介護」してあげても、それに文句を言うような輩が多ございますからね。野茶坊さまが演じられた酔っぱらいなどは、しごく質のよい、楽しい酔っ払いでございますよ(笑)。

> しかし、突っ込まれっぱなしはくやしいなあ・・・。

それはもう「踏んだ場数(=実戦経験)」が違いますから(笑)。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(6)」につづく)


自己洗脳と解体作業(4) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時13分13秒


 AOI さま(つづき)

>> (^з^)-☆チュッ(<マムさま)

> み〜っちゃった!!(^^)
> もてないもてないって、もててるじゃない!?
> よかったわね〜ふふ♪

私への『チュッ』だったと理解して良かったのでございましょうか?(^_^;)

> 私からみて、簡単にいってしまうと、園主さまの批評は、執拗な揺さぶり、覚醒であり相手が見ていないもの、見たくないものまで見せつけよう、抉り出そうとするものです。

まったく、そのとおりでございます。

> 当然中傷と受け取られることにもなりますね。
> でも、それが自己の利害のためのものでないということはinoさまにもお分かりいただけるのではないでしょうか?

> 私もよく思いますよ。なにも、そこまでしなくってもーって。(笑)
> ハラハラ・・・。泣かされましたよ。今でもね。ino さまもでしょ?
> えげつないまでに。とにかく鬼ですから(笑)。
> でも、そこまでしなければ、したことにならないと。・・・たしかに。
> そこまでする人はいません。人はたいがい自分がかわいいですからね。
> とにかく、自分の血を流しての批判なんですから。それが誰のためかといえば、自分のためではないんですもの。

> できません。ふつうは。

ここまで「感動的」に書いていただくと、何やら嘘っぽくなってまいります(笑)。

『誰のためかといえば、自分のためではない』というのは、表面的にはそのとおりでございましょう。しかし、だから「他人(=被批判者)のため」とか「批判を読む、第三者のため」かと言えば、そうとも言い切れません。もちろん、それらのためになるに越したことはございませんが、そうならなくても私はそれをやるのでございますから、やはり「私の批評」は、まず「私自身のため」になされていると、考えるのが至当なのではないかと存じます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(5)」につづく)


自己洗脳と解体作業(3) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時12分16秒


 AOI さま(つづき)

で、なぜ私はこのような「純粋な内面化=極端な内面化」を想定するのかと申しますと、それはたぶん、私の習い性として「最悪の場合」を想定するからでございましょう。
つまり「完璧な確信犯」とは「付帯的な余剰(迷いの原因)」を一切持たない人間である。したがって、「信念(確信)」を突き崩すためにつけ込むべき「虫食い穴=付帯的な余剰」が無い、ということなのでございますね。

ですから、この基準からしますと、AOIさまが例示しておられる『自暴自棄』による犯行や『悪いことをしているという(自覚のある)確信的犯罪』というのは、「自己矛盾した言葉」になってしまうのでございます。

すなわち、「自暴自棄」とは「自己(の理性的・客観的)判断の放棄」であり、それは「それが自己にとって好ましい」と感じられるからなされることなのでございますね。その「好ましさ」のみに身を委ね(=曝し)、それ以外のすべてを棄却して状態が「自暴自棄」なのではないでしょうか? 
また『確信的犯罪』とは、自己の信念の置くところが「確実に正しい」と思ってなされる犯罪であり、彼に『悪いことをしている』という自覚はありえません。それがあっては『確信的犯罪』とは言えないのでございます。つまり、ここでAOIさまがおっしゃっているのは、彼の「他人には(他人の誤った価値観に拠れば)、これが悪いことだと思えるだろうな。それは否定しない」という認識なのだと存じます。

つまり、私とAOIさまとの議論の「擦れ違い」は、私が「最低最悪の事態」を想定しているのに対し、AOIさまは「ごく常識的な=現実的な・事態」を想定しているからなのではないでしょうか? ですからこそ、一般 的には「AOIさまのおっしゃるとおり」でありながら、私にはそれが「本質的問題解決ではない」と感じられるのでございましょう。

>> つまり「不美人よりは美人を選ぶ」というのは「しかたのないこと」であり、それは「差別 」ではない、と考えるのでございます。

> と、「差別」というものが『善も悪も存在しない』この世に「悪」として在るという認識があって、「不美人よりは美人を選ぶ」というのは「差別 」ではないと考えるわけですね。
> そこには「差別」という「悪」のボーダーをなにがしかのところで引いている訳でしょう?
> 本質的な差があると考えているのではなく、価値判断のボーダーがあるということなのだと思うけど。

なるほど。つまり、私が「悪」を「程度もの」だと考えているということでございますね。
……たしかにそうなのかも知れません。私は、完璧主義者ですので、無意識のうちに「善と悪とは、連続的につながっている」とは考えたくない。なぜならば、そう考えると、否応なく「線引き」が問題となるのですが、それは所詮、「相対的」なもので、人それぞれに「恣意的」なものとなってしまって、実質的に「悪」を取り逃がすことだと感じられたからございましょう。

しかし、AOIさまがご指摘のとおり、私の〈「差別」というものが『善も悪も存在しない』この世に「悪」として在る〉という「明らかに矛盾を含んだ世界認識」は、「切れないものを切ろう」とする行為であり、だからこそそれは「線引きをせずに切る」という矛盾を含んでいたのであり、そこに矛盾を感じるからこそ、私は『ボーダー』という発想に対し盲目だったのでございましょう。……じっくりと考えてみたいと存じます。ご意見、ありがとうございました。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(4)」につづく)


自己洗脳と解体作業(2) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時11分28秒


 AOI さま(つづき)

>>「その時点」では、それはその人の「選んだもの」であり、「選ばされた」などと言って済ませられないものだ、ということでございます。

> 主観的決定を避けるべきものであれば、当然そうですね。

> つまり、「殺人」「戦争」は「好悪・優劣」の主観的決定をするべきものとは思っていません。

私が引っ掛かるのは、この『主観的決定』にかかわる『べき』という発想なのではないかと存じます。つまり私には、『主観的決定』とは、『べき』意識を越えたレベルのもの、だと意識されているのですね。ですから、私の言う『主観的決定』とは、一般 に言う「客観判断」よりも一段深層の、「客観判断」を支えるレベルの、より根源的で選択不可能な『主観的決定』のように思われます。

>> そして『好悪・優劣を内面化してしまう』場合、「その時点」では、その人は、その「影響」を、「好ましいもの」だと主観して「受け入れる」のだと存じます。つまり、少なくとも「その時点」で納得していなければ、「内面 化」は不可能だと存じます。

>> 基本的には、すべての人は「その時点」では、「善意」で行動しているのだと存じます。つまり「盗み」にも「殺し」にも、彼らなりの「(本気の)理屈」は必ずあるのでございます。仮令、本人が「俺は悪の道を行くんだ」と公言していたとしても、本人の主観としては「その時点」では「それが正しい」と感じられているのでございます。

> この二点に関してはちょっと疑問です。

> ・つまり、「好ましいもの」だと主観して「受け入れる」のかどうか。
> 「ねばならない」というところで受け入れることも、好ましいと思わなくとも生来的に体得してしまっている場合もあるかと思います。
> ・すべての人は「その時点」では、「善意」で行動しているのかどうか。
> 性善説のように感じますが。自身の欲望に関していえば、たしかに「善意」で行動しているといえるのでしょね。
> 「盗み」にも「殺し」にも「(本気の)理屈」はあるでしょうが、それは必ず「善意」の行動であるのかどうか。自暴自棄であったり、悪いことをしているという確信的犯罪もあるのでは?

ここにも「レベル」の問題があると存じます。
つまり私が『内面化』という時は、完全な「内面化」、つまり完全な「自己内同一化」を言っているのでございますが、AOIさまの場合は、一般 的な「内面化」つまり「イデオロギー(虚偽意識)の信奉」まで含めておっしゃっているのであろうと存じます。ですからこそ『「ねばならない」というところで受け入れること』もある、ということになるのではないでしょうか? 私の場合、「ねばならない。だから受け入れている」という意識(「べき」意識)が少しでも残されている以上、それは「他者性」が残されているということであり、その意味で『内面 化』したとは言えない、という感じがあるのでございますね。

ですから、そこから逆算すると、

> そして『好悪・優劣を内面化してしまう』場合、「その時点」では、その人は、その「影響」を、「好ましいもの」だと主観して「受け入れる」のだと存じます。つまり、少なくとも「その時点」で納得していなければ、「内面 化」は不可能だと存じます。

ということになりますし、

> 基本的には、すべての人は「その時点」では、「善意」で行動しているのだと存じます。つまり「盗み」にも「殺し」にも、彼らなりの「(本気の)理屈」は必ずあるのでございます。仮令、本人が「俺は悪の道を行くんだ」と公言していたとしても、本人の主観としては「その時点」では「それが正しい」と感じられているのでございます。

ということになります。つまり、彼らには「本来、××であるべきだけど」とか「××であるべきだから」といった「付帯的な余剰」が無い、と私は考えているのでございます。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(3)」につづく)


自己洗脳と解体作業(1) 投稿者:園主  投稿日: 6月26日(木)17時07分09秒

みなさま、私、昨日、いとうせいこうの『解体屋外伝』(講談社文庫・品切れ)を読了いたしました。この作品は、世界規模の宗教団体を作ろうとしている、洗脳技能者である洗濯屋(ウオッシャー)一派と、洗脳はずしの専門家である主人公の解体屋(デプロブラジャー)との対決を描いた作品でございまして、単行本は1993年、文庫本は1996年に刊行されております。文庫解説者の精神科医 香山リカが『これは現実に追随する娯楽小説ではなく、現実に先んじて生まれた物語であった』と書いておりますとおり、この作品の単行本刊行時には、「洗脳」という言葉を流行語にしてしまった「かの事件」は、まだ影も形もございませんでした。つまり、本作は、予言的に「オウム真理教事件」を先取りした作品だったのでございます。そして、その予言性が決して「まぐれ」ではない証拠に、本作の開巻間もなく『「面 白いでしょ、オウムみたいで」』(p48)というセリフまで登場しているのでございます。

もちろん、この小説は、その予言性だけに価値があるのではなく、一種のサイバーパンクSFとしても第一級の傑作であり、なにより「面 白い小説」でございます。
しかし、「SFはどうも苦手だ。まして、サイバーパンクSFだなんて」という方もいらっしゃいましょうし、特に女性には食わず嫌いの方も多かろうと存じますので、ここでは私が「花園」をご覧のみなさまのために、特別 製のキャッチコピーをつけておきましょう(笑)。

  『これは、もう一組の……「私とホランド」との物語である』

まだ誰も指摘していないと思うのですが、どうやら、いとうせいこうは「元気な男の子」が好きなようでございますね。それが、私との共通 点(笑)。
そして『難解な絵本』は、いとうの子供好きが炸裂した「子供の日記」形式の批評的な「パロディー掌編小説集」で、私の偏愛する一著なのでございます。
いとうは、私のひとつ上なのでございますが、なんだか親近感まで感じさせられるのでございます(笑)。

私は、いとうのデビュー作『ノーライフキング』(新潮文庫)にその才気を感じ、『難解な絵本』(角川文庫・たぶん品切れ)ですっかりイカレタのでございますが、その次の『からっぽ男の休暇』(講談社)にいまひとつ感心できず、その後に刊行されたSF大作『ワールズ・エンド・ガーデン』(新潮文庫・品切れ)のテーマに、当時、興味が持てなかったため、新刊で購入しておきながら、結局は読まじまいで積読の山に埋もれさせてしまい、いとうの著作ともそのまま疎遠になってしまいました。
しかし、この『ワールズ・エンド・ガーデン』は、後に「湾岸戦争」を予告した作品として一部に注目を集め、その続編である本作『解体屋外伝』は、「オウム事件」を予告した作品として注目をされていたのでございます。私も近いうちに『ワールズ・エンド・ガーデン』も読む予定なのですが、みなさまも『解体屋外伝』『ワールズ・エンド・ガーデン』(ついでに『難解な絵本』)を見かけられましたら、ぜひ購入してお読み下さいまし。もちろん、図書館本でもけっこうでございます。




 AOI さま
> 食玩『パンダコパンダ』

> こちらももうなくなってしまったみたいです。でも、6種は揃いましたよー。

それはおめでとうございます。喜んでいただけたようで、お薦めした甲斐がございました(笑)。

> 『おかえりパパンダ』と『みみ子ままとパンちゃん』はダブりましたよ。ついでの時でいい?

ええ、できれば『おかえりパパンダ』の方をよろしく(笑)。





( 以下は「自己洗脳と解体作業(2)」につづく)


追記。 投稿者:ino  投稿日: 6月26日(木)16時06分20秒

私の思春期のスター三上寛氏は健在で灰野氏らとあのトランスボイスを噴出させていることでしょう。彼が去ったのは「桜咲く日に入会し、桜咲く日に脱会す」と自ら歌っているよう、創価学会から去ったという意味です。不悪。


ムンクの病める子を思い出し。 投稿者:ino  投稿日: 6月26日(木)16時00分40秒

☆マムさま

>ハイリスク・ハイリターンで自分を見つめなおすという覚悟が必要だと思います。しかも自分が決めること、それが仏教の原点だったよね。

頓珍漢なことを書いていたら、指摘してください。仰っていることは例えば1000人のうち999人は落ちてしまうと仰ったことを、心して考えよ理解せよそして実践せよということですか。

>批評された側が血が流れないから問題なんだよ。わかる?

そうでしょうか、今回の過去ログ問題のことも含まれているでしょうが、流れたから正当な防御が必要だったんではないのでしょうか。

>視野狭窄

「そうだったんですね!!」と書いた理由は、ある人から池田氏は肝心な時、イラク攻撃反対と言わなかった、また公明党の選択を支持しないと言わなかった!と言われていたことと、創大でのスピーチの(報道が何故かされなかった)おぼろげな情報(創大生を前にしてイラク攻撃反対の発言があったようだというおぼろげな情報)しか私が持ち合わせていなかったことが、この言葉を書かせた理由です。

>師弟観

このBBSで、とぎれとぎれでしたが、論は書いたつもりです。興味がおありでしたら過去ログに保存していただいていると思います。

>「イメージと実像(下部構造と上部構造)の転倒」

理解できるよう努めます。

・私の文章表現については仰るとおりだと思います。途中でたぶん左脳が疲労し右利きなのに左の方で作業するみたいになっているのだと思います。いい訳ですが。



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