●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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tatamiは畳? 投稿者:マム  投稿日: 6月20日(金)16時30分36秒

ホランドさま

>マムさまが「ペダントリー」を必要としない

ン?ペダントリー???辞書どこだ辞書!辞書もってったやつはだれだ!
でも、りかちゃんペンダントなら持ってるけど オホホホ( ^^)/~~~~~~~~~νピシッ!


>夢野さんに同調した「tatami」さんが、園主さまを「同時代」掲示板から排斥しようとして、「捨てハンドル」で第三者になりすまし、批判の書き込みをしたのと、すごく似た感じですよね。tatamiさんは「なりすまし」が暴かれて以来、姿を暗ましていますが

tatamiさんって同時代にリンクしてある「■哲学の部屋■批判すれども攻撃せず」の部屋主さんじゃない?ヤフーチャットで「■哲学部屋■省察と対話」(カテゴリ:芸術と人文)を開いている部屋主さんが、たしかtatami_2002さんだったと思うけどね。チャット参加者が「tatamiさんが部屋主です」って言ってたからね。多分どちらの部屋も同じ人だと思うんだけど。もし違ってたらゴメンね。ヤフチャのプロフに、職業は「ものかき」、好きな言葉は「いじめっ子とえらぶる頭のよい子は人類の敵」と書いてあるのが面 白かった。http://profiles.yahoo.co.jp/tatami_2002


>哲学部屋の理念。哲学の基本は自分を見つめ返す態度にある。さて、哲学とはなにか、どういうものか?ですが、ここでは、哲学は、自分の考え方、感じ方を見つめ返し、捉え返す姿勢が基本。という発想です。具体的には、「おれって、こう思ってるんだよ・・・でも、どうして、そう思うんだろ?本当にそう思ってていいのかな? 他の考え方もあるのかな?」ってかんじです。一口知識:これを、哲学では、「省察的態度」といいます。(同時代:LINK:哲学部屋)

>そもそも、哲学的対話は、それぞれの人が、省察的態度を持ちながら、「どうかんがえるべきか? どうかんがえられるのか?」と問題を批判的に検討して、考えや、それを生み出す「考え方、感じ方」を作り出していこうとします。(同時代:LINK:哲学部屋)

>基本倫理。哲学とは、普遍性があると思われる法則を懐疑し選択取捨し、要不要を見極めて自分の仮設的自己認識・仮設的世界認識をより現時点より妥当性のあるものへと深めていきたいと求める者が歩む道筋の一つではないかとぼくは考えています。 哲学部屋においても、それを希求し、様々な意見を聞かせて頂く中で自分の思いを深めることができればと思い参加させていただいています。 (同時代:LINK:哲学部屋)


すっごく笑えた。だって言ってることとやってることが全然違うんだもの・・v(^^ゞ

そうだおうちに帰ったら辞書で調べなくっちゃ ペンダントいやペダントリー
メモメモ...ψ(。。 )φ(._.)


病める魂と救済の言葉(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 6月20日(金)14時31分10秒


 アーニャ
>> それとも名古屋出身(?)ということで、ドラゴンズファン?

> 先代シンボルキャラの「青いコアラ」、その名も「ドアラ」(!)には恐れ入ったものだけど、格別 の思い入れはないわねえ〜。

 それ、スゴイなあー。まさかそれを、星野仙一監督の時代に使ってたんじゃないだろうなー(笑)。

>> それともボクと同様、特に好きなプロ野球チームは無いっていうことなのかな?

> そう。Keenさま同様、「赤鯱(グランパス)」よ♪
> ボールは、やっぱり棒で打つより、足で転がして遊んだ方が楽しいわ。私は前足、人間は後ろ足(?)という違いがあるようだけれど。(^0^*

 なるほどね(笑)。

> それにしても、ネコがのんびりお昼寝してられるような世の中であって欲しいものだわね。
> 昼寝のフリして、諜報活動してるかもしれませんけどね……フフフ♪

 ホントにね。戦争になったら、犬やネコも見境なく爆弾の犠牲になるし、食べるものだって無くなってしまうよね。それに外国産の犬やネコは「敵性動物」だということになって、そんなのを飼って餌をあたえてたりすると「非国民」だということになっちゃうかも(笑)。・・・これが、あながち冗談ですまないところが、「戦争の狂気」なんだよねえー。


 園主 さま
> (1)批判的・対立的スタンスをもつ人、(2)イチャモンをつけ揶揄する人、(3)一方的見解を押し付ける人、(4)削除されて言論弾圧と勘違いする人、(5)えらぶる態度の人、(6)独善的な人、(7)批判的な人、(8)わがままな人、(9)笑いを多用する人、(10)傲慢な人、(11)見下す人、(12)自分勝手な人、(13)自らのスタンスを語らない人、(14)文句や批判に終始する人、(15)事柄批判にとどまらず個人攻撃をする人、(16)不利益な人、(17)自分を棚上げして他者を非難する人、(18)論点をそらす人、(19)主張に一貫性のない人、(20)倫理的態度をないがしろにする人、(21)知識と才能をふりまわす人、(22)才知を気取る人、(23)傲慢な人」は、「断固として、異議を申し立てをし、書き込みをする者を拒否する (<夢野氏)

 「夢野式23箇条」・・・これはホントにスゴイですね。
 特に『(1)批判的・対立的スタンスをもつ人』って、臆面もなく最初に断っちゃってるところがスゴイし、『(7)批判的な人』と繰り返してるところが痛ましいです。またそれでいて『断固として、異議を申し立てをし、書き込みをする者を拒否する』、つまりご自分では「批判的・対立的スタンス」を選ぶんだ、ご自分は(他人に要求したことに)「矛盾した」選択をするんだと、無自覚に力説しちゃってるんだからなあー・・・(-_-;)。

 よっぽど園主さまの「批判」がこたえたんでしょうし、それまでまともに批判されたことがなかったんでしょうね、きっと。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。


病める魂と救済の言葉(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 6月20日(金)14時30分13秒


 トム さま
 ようこそ、いらっしゃいました。

 どうやらトムさまは、「同時代」掲示板での、園主さまの「仮借ない批判」に反発を覚えられたようですね。たしかに園主さまは、ご自分の本音を隠さない(『シュガーコーティング』しない)から、批判される方は、日頃体験することのない「直截な否定評価」に、つい感情的に反発してしまうんでしょうね。でも、「言い方」がどうあれ、「批判の内容」が当っておれば、その点については素直に認めないといけないと思います。みなさん、それが出来ないでからこそ、逆に園主さまの批判を裏づける結果 になってしまうんですから。

 ちなみに、園主さまが、

> 貴方さまの問題点については、ホランドくんの論文選択の表裏 ――『黒祠の島』と『十二国記』に論じ尽くされていると存じますので、是非こちらをご参照下さいまし。(>みなさまも)

とご紹介して下さっていた拙論ですが、特にトムさまに関係するだろう部分を、ここに引用紹介させていただきます。

> 結局『十二国記』の主人公たちに対する『若い女性層』の共感とは何だったのか、と問わざるをえません。作者が『十二国記』に込めた思いはどうあれ、多くの読者がそこから引き出したものは、結局「スーパーマンに対する憧れ」以上のものではなかったのではないでしょうか? ただ、その「スーパーマン」が、見るからに「スーパーマン」なのではなく、自分たちと「同じような」悩みや弱さを与えられていたから、その点で「逃避的同一化」がしやすかったということなのではないでしょうか? 『十二国記』ファンの多くは『……強くなりたい……』(『月の影 影の海』(下)より)という景王陽子の言葉に、きっと共感したことでしょう。けれども、この言葉を自分のこととして呟いた人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか?

 ここでの『十二国記』に「コン太の回想」が当て嵌まり、その作品に共感した『若い女性層』にトムさまが該当すると思っていただければいいんじゃないかと思います。論文を通 読していただければ幸いです。


 ino さま
> アレクセイさまの指摘する「まじめ過ぎる普通の人たち」であるはずの常連さんが無自覚にその中に巻き込まれ、狂気は共鳴し増幅されていく。「狂う」ということは、こういうことなのね・・・とつくづく思い知らされましたね。自分も周りも見えなくなっていくのですね。この人たち自らが大合唱してみせた批判の矛先、アメリカ・日本・創価学会・公明党とそっくりであることさえ気づかない^^(<マムさま)

 マムさまや園主さまの「明晰な批判」に対し、夢野さんや創価桜さんの「頑な自己正当化」の言葉を比較したら、どちらが正しいかは、もはや明白なんではないでしょうか?

> みなさま、お気を煩わせましたが、今日付けで退園いたします。
> 皆様に花の降りそそがんことを祈りつつ。お元気で。

 「鬼畜アレクセイ・マム」を叫び「一億玉砕」を呼号する「夢野式神聖大日本帝国」と一蓮托生になってはならないと思いますよ。inoさまは日蓮信者なんだから「日蓮托生」でなきゃ。・・・失礼しましたー(^-^;)。

 いつでも、戻ってきて下さいね。お待ちしてまーす!(^-^)


 影姫青夜 さま
> インターネットからおけぱあと3(keen様に捧げます)

 ボクも、原作の『岩崎宏美『橋』』を知りませんから、どこがどう改変されているのかわかりませんでしたー(T_T)。





( 以下は「病める魂と救済の言葉(5)」につづく)


病める魂と救済の言葉(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 6月20日(金)14時29分19秒


 野茶坊 さま(続き)

 この「r」さんが、夢野さんご本人か、その仲間かはわかりませんけど、いずれにしろ、このタイミングで「匿名の第三者」が夢野擁護論を書き込むというのは、いかにも出来過ぎです。
 これは以前、夢野さんに同調した「tatami」さんが、園主さまを「同時代」掲示板から排斥しようとして、「捨てハンドル」で第三者になりすまし、批判の書き込みをしたのと、すごく似た感じですよね。tatamiさんは「なりすまし」が暴かれて以来、姿を暗ましていますが、普通 に考えれば「r」というのは、夢野さんでもJonathanさんでもないのなら、他に思い当たるのはtatamiさんくらいしかいないでしょう。ボクが見たところ、Jonathanさんは文体的に違うし、「なりすまし」まではしないと思いますので、この「r」は、夢野さんご本人か、さもなければtatamiさんだと思います。

 ボクとしては、「r」の正体がお二人のうちのどちらかなのなら、できればtatamiさんであって欲しいと思います。他人事ながら、「r」さんの正体が夢野さんご本人というのでは、あまりにも惨めだと思うからです。
 でも、「管理人としての苦労」を自分で強調してしまうのも「夢野さんの特徴」なら、

> 「こうしてほしい」を一方的に言うのは、ちょっと想像力を欠いてると思いますよ。

なんて「自分のことを棚上げにして言う」のも、夢野さんの特徴です。
 後者について説明すると、夢野さんは投稿者に対し、他の掲示板では類例を見ないような「夢野式23箇条」を、管理人として課したんです。その夢野さんに、投稿者である野茶坊さんが「この程度のことを要求する」のは当然ですよね。そうでなければ、夢野さんの方が『一方的に』言ってる(要求している=課している)ことになるんですから。
 なのに、そのことにきれいさっぱり忘れるような「人並みの記憶力を欠いてる」人が、野茶坊さんに『想像力を欠いてる』なんて、とても言えた義理じゃない、ということです。つまり、この「客観性の無さ(主観的視野狭窄)」こそが、「r」さんが、夢野さんご本人なんじゃないかという印象をあたえる、大きな原因になっているんです。
(※ ちなみに、新しい(ツリー式の)「同時代」掲示板は、ソースを開いても、それぞれの書き込みの「リモートホスト」が確認できないんで、管理人である夢野さん以外の者には、「なりすまし」が見抜きにくくなっています)

 はっきり言ってボクは、夢野さんの「良心=信仰心」に直接訴えようとなさっても、その効果 は望めないと思います。
 でも、「諭す」にしろ「叱咤」するにしろ、徹底的にやるのが「仲間」なんだと思います。夢野さんには報いてもらえないかも知れませんが、その努力は決して無駄 にはならないと思いますので、どうか「創価学会員の誇り」にかけて、精いっぱい頑張って下さいね。


 Keen さま
> ……園主さまって、もしかして、前世はフランス人だったんじゃないですかあ〜?(もちろん、カタリ派の/笑)

 なるほどね(笑)。たしか『サマー・アポカリプス』(笠井潔・創元推理文庫)に登場するシモーム・リュミエールのモデルである、哲学者シモーヌ・ヴェイユも、異端である「カタリ派」に興味を持ってたんですよね。園主さまは、ヴェイユにシンパシーを感じる人だし、「不良創価学会員」であり「日蓮の不良弟子」だそうだから、さしづめ「日蓮宗カタリ派」ってところかも知れませんね(笑)。

> 『パンダコパンダ』

> 本日の収穫。「ミミ子の逆立ち」と、シークレットの「カレーパンちゃん」!
> 給食のカレーをかぶってしまった、とのことです。なかなかカワイイですよ♪
> 初めてのシークレットです♪ウフフ。

 さっそくシークレットをゲットですか。さすがですねえー(笑)。

> でも、もうあんまり残ってないかも……お店によっては売り切れだったし

 じつはボクが今日たち寄ったファミマも、売り切れでしたよ。たしか、これは増産しないんですよね?





( 以下は「病める魂と救済の言葉(4)」につづく)


病める魂と救済の言葉(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 6月20日(金)14時28分26秒


 野茶坊 さま
> 『同時代』過去ログ復刻感謝。取り急ぎお礼まで。

> イラチの虫が多忙に紛れる昨今。

>> もはや、あの掲示板は、(同じところで足踏みをなさっている井上さま以外の)まともな人には見放された様子でございますね。

> 見放すにはあまりにも・・・。何せうちらの看板しょってますから・・・。
> 忠犬コン太の後は、野生児・野茶坊が引き継いでみましょうか。
> あ、俺はまともじゃないんだ(笑)。

 御多忙中、貴重な時間を割いてのご活躍、拝見していますよ。もちろん「同時代」掲示板への、

> Re^3: 過去ログ保存&掲示板の在り方の問題について(03/06/19(Thu) 01:52)

のことです。
 夢野さんに、「勇気を持て」「現実を見ろ」「貴方だって、学会員だろう」という思いで、精いっぱい人間的に呼び掛けておられるのが、ひしひしと伝わってきます。
 特に後半の『よけいなことですが、地元の組織には顔出してます?』という問いかけは、夢野さんを「身内」と認めての、「個人」としての呼びかけだというのがわかります。

 でも、残念ながら、そのあとに書き込みをしている、正体不明の「r」という人が、

> 野茶坊さんの言いたいことも大変わかりますが、上に書かれた内容の一部は直接かんりにんさんへメール送るか直接会って言えばすむことではないでしょうか。

> 掲示板の管理・運営はけっこう大変なものなんですよ。あなたが自分から何か技術的な事か、運営上でのサポートに名乗りをあげるなら別 ですが。
> 夢野さんが自費で運営し、仕事等の合間をぬって、色々なプレッシャーも今まであったうえで一人でずっと管理しているんですから、その大変な負担をもう少し理解できませんか?
> 「こうしてほしい」を一方的に言うのは、ちょっと想像力を欠いてると思いますよ。

と、野茶坊さまの呼びかけに対する、「夢野さんの本音」を代弁していますよね。つまり、野茶坊さまの「身内」としての「個人」的な呼びかけは、たぶん夢野さんにとっては「大きなお世話」であり、「嫌味」なものにしか聞こえなかったんだと思います・・・。





( 以下は「病める魂と救済の言葉(3)」につづく)


病める魂と救済の言葉(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 6月20日(金)14時26分19秒

 みなさん、こんばんは! レスが間遠になってスミマセン! じつはこないだから虫歯が疼きだしてたんですが、ボクも歯医者さんに行くのはあんまり好きじゃないから、いろいろと誤魔化し誤魔化ししてたんです。でも、とうとう昨日、覚悟を決めて行ってきました(笑)。
 ホントに十年ぶりくらいだと思うんですけど、やっぱり治療方法は変わっていませんでしたね。でも、子供の時の印象ほど、痛い思いをしませんでした。これは、ボクが大人になったせいなのか、それとも何か細かな技術革新があって無痛療法が進歩したのか、それとも今回はそれほど虫歯がひどくなかったということなのか……? まだ何回かは通 院しないといけないようですけど、今は「こんなものか」という感じで恐怖感が無くなってしまいましたから、次からはリラックスして治療が受けられそうです。医者通 いが嫌いな方は多いと思うんですが、みなさん、虫歯にかぎらず、病は悪くならないうちに、早めにお医者さんに見てもらいましょうね。「案ずるより産むは易し」……思いきって行ってみたら、案外どうってことないですから(笑)。





 マム さま
> 繰り返し繰り返しの過剰な謝罪は、逆に言い訳っぽくなるし、謝罪に見せかけて自分を正当化したいの?と思われてしまいますよ。マムが気にしてないと言ってるのですから、それでいいじゃありませんか。(>inoさま)

> お菓子食べながらパソ打ってたら、おっととっと課長が呼んでる・・会議の時間だ ソレッ

> グァハッハッハ やっぱ、お風呂あがりにハダカであぐらかいてビールぐいっ!
> じゃだめ?^^;

 マムさま、たくさん書き込みをくださり、ホントにありがとうございます!

 これまで「花園」では、AOIさんとKeenさんのお二人が「女飛車角」という感じの存在だったのですが、この両巨頭に優るとも劣らぬ 、マムさまの「キャラ立ち」にほとほと感心いたしました(笑)。マムさまには、ちょっと男性的にさっぱり(すっぱり?)した感じがあって、ボクのイメージでは『新世紀エヴァンゲリオン』のミサトさんっていうイメージです(でも、グズグズ悩むのは、たいがい男性の方みたいですけど/笑)。

> 善なる人々から狂気が生まれ、わたしたちの身近なところから排斥の論理が増幅されていくことを知った超お真面 目バージョン「カキコ拒否・出入り禁止」のマムでした^^ハァ 疲れたビ

>それにしてもラーフラまで生んでおいて、ヤショダラちゃんを捨てて家出したのは許せんぞ!しかものこのこ帰ってくるんじゃねえよ!お釈迦さま(相手にされずジェラシーを感じるマム・・)さてと、お当番だから給湯室にお茶でも沸かしにいくか

 こういう「重い指摘」の後に、ご自分の日常に立ち戻って、物事と自己を相対化し茶化してしまえるというのは、マムさまが「ペダントリー」を必要としない、ホントに頭が良い人なんだからだと思いました。

 今後も、この調子で、いつでもどこからでも(笑)、書き込みをしてくださいね! ・・・会社に行っても覗いて下さってたなんて、ホントにうれしく思いました(^-^)。


 AOI さま
> 『パンダコパンダ』

> ペットボトルは、ちょっと困るんだけど・・・ベムラーに噛みつかれそうだったんだもんねー(反動)。

 『ウルトラマンイマジネーション』のベムラーとラゴン、そうとう怖がらせちゃったみたいですね・・・(^_^;)。

> ちょっと違うように思います。
> つまり、「差別」などの「否定的な問題」について語っていたのではなく、互いに合意できた主観的決定が避けられないものについて語っていたのですから。「殺人」や「戦争」について、主観的決定が避けられないものという前提の合意はしていません。

 園主さまとの議論、興味深く読ませていただいています。ただ、ここの部分が、ボクにはよく理解できませんでした。『互いに合意できた主観的決定が避けられないもの』というのを、もうすこし噛み砕いてご説明いただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。





( 以下は「病める魂と救済の言葉(2)」につづく)


善なる人々 投稿者:マム  投稿日: 6月20日(金)08時09分24秒

見てますかあ!夢野さま^^

野茶坊さんが同時代掲示板にカキコされましたが、予想通りの反応ですね。今のところ速攻レスのrさんだけですけど、そのカキコが総てを物語っていますね。

おかしなことをしておいて非を認めず正当化しようとやっきになっている。正当化しようとする意識すら今では完全麻痺してしまい、無感覚になっている。事実を突きつけられても、辛口の意見・否定的な意見はすべて悪(あらし・問題発言)だと思い込み、理性を失いヒステリックな声をあげる。俺達は正義だと・・文句があればこなくていいと・・前へ進もうとすればするほど、排斥の論理が踊り狂い、どんどんおかしくなっていく。それが、今の「同時代掲示板」の姿でしょうね。

アレクセイさまの指摘する「まじめ過ぎる普通の人たち」であるはずの常連さんが無自覚にその中に巻き込まれ、狂気は共鳴し増幅されていく。「狂う」ということは、こういうことなのね・・・とつくづく思い知らされましたね。自分も周りも見えなくなっていくのですね。この人たち自らが大合唱してみせた批判の矛先、アメリカ・日本・創価学会・公明党とそっくりであることさえ気づかない^^

事実を事実として見ず、「初めに言葉ありき」。自由な議論など最初から存在しない。その人たちの中によってのみ通 用する絶対的な言葉や通念ですべてを解釈しようとしている「だけ」。収まりきらない異分子を排除し純粋化すればこうなるというお手本みたい。同時代掲示板の夢野式23箇条は勉強になりました、とっても^^;

そういえば、かつて公に謝罪までして収束させた言論問題を今頃になって蒸し返し、聖教新聞連載『新・人間革命』で正当化し始めているのは実に面 白いですね。自公連立の余波はここまで押し寄せているのでしょうか^^

こういう人たちには、思い出して欲しい。お釈迦さまのいとこデーヴァダッタが実は驚くほどお釈迦さまに忠実であったことを。デーヴァダッタが誰よりも戒律に厳しく禁欲的であったことを。それらを総て封印して、教団から排斥しその挙句お釈迦さまを殺そうとしたなんてつじつまの合わないこと言い続けられ、悪人の代名詞に仕立て上げられたことを。教団の保守派と革新派の争いで勝った人々が後生にわたって念入りに捏造した話だったと言われていることを。釈迦族出身者の弟子とバラモン出身者の弟子との相容れない確執から生まれたとされることを。

きっとこの人たちはいうのでしょうね。
言論戦とはシロでもクロでも最後まで言い切ったほうが勝つのだと・・
それが正義なのだと・・

善なる人々から狂気が生まれ、わたしたちの身近なところから排斥の論理が増幅されていくことを知った超お真面 目バージョン「カキコ拒否・出入り禁止」のマムでした^^ハァ 疲れたビ

それにしてもラーフラまで生んでおいて、ヤショダラちゃんを捨てて家出したのは許せんぞ!しかものこのこ帰ってくるんじゃねえよ!お釈迦さま(相手にされずジェラシーを感じるマム・・)さてと、お当番だから給湯室にお茶でも沸かしにいくか


シークレット 投稿者:Keen  投稿日: 6月19日(木)15時18分00秒

本日の収穫。「ミミ子の逆立ち」と、シークレットの「カレーパンちゃん」!
給食のカレーをかぶってしまった、とのことです。なかなかカワイイですよ♪
初めてのシークレットです♪ウフフ。

でも、もうあんまり残ってないかも……お店によっては売り切れだったし、タッチ感では、内容も偏ってるみたいでしたので。
AOIさまはいかがでしょうか?


いやいや、 投稿者:Keen  投稿日: 6月19日(木)10時16分44秒

☆マムさま

早速のレス、ありがとうございます。

>やっぱ駄目?

お釈迦さまは、何しろ美貌の(?)ヤショダラ妃を袖にし、なおかつ、「煩悩」を捨てた方ですからねー。マムさまのみならず、ニコール・キッドマンやハル・ベリーや田中麗奈が束になってかかっても、籠絡するのは不可能でしょう。

園主さまなら、どのような反応を見せるのか、ちょっと興味ありますが……
ま、上記の女優3人ならば結果は目に見えてますから、「絶世の美少年」も加えておくべきでしょうね(笑)。

☆園主さま

↑いかが?(^0^*

フランスで、サッカーのコンフェデ杯が始まりました。
ジーコ・ジャパンの公式初試合です。昨夜の初戦はNZ相手に3−0で勝利しました。

実は、賢ちゃんが現在「サッカー断ち」してます。なっちのソロ・デビュー曲(夏に発売予定らしい)ヒット祈願だそうです。
で、私は「王様の耳はロバの耳〜」状態なので、ちょっとこちらで書かせて頂きます。
開催地がフランスってトコが、嬉しいですわ♪ピクシーも、現地からちょっとゲストコメントしてましたっ♪♪
ああ〜〜〜っ!今、ビデオ見ながら書いてるんですが、これからフランスのゲームが始まるところでして、元グランパス監督のベンゲルさまが画面 にいぃ〜!!(嬉泣)

では、また。(^0^*


やっぱ駄目? 投稿者:マム  投稿日: 6月18日(水)17時52分15秒

Keenさま

>>お釈迦さまに惚れちゃった

>お釈迦さまは言うことでしょう、「俺にホレちゃあ、いけないぜ」と。
>しっつれいしましたあ〜♪(下手より逃走)

グァハッハッハ やっぱ、お風呂あがりにハダカであぐらかいてビールぐいっ!
じゃだめ?^^;
・・・お釈迦様ってクールなのね・・ショボショボ(上手より逃走)ハァ(-_-;)

今の旦那で我慢するう・・ボソッ
今日は早く帰って、まともな餌つくろっと!今夜はウフッ(^^ )


「ミミ子ママとパンちゃん」ゲット(^0^* 投稿者:Keen  投稿日: 6月18日(水)16時45分50秒

☆AOIさま

ご忠告通り、手前のボトルを2本だけ取り出してタッチしたら、すぐわかりましたわ。もう1本はわかりませんでしたが、今日のターゲットは↑でしたので、すぐ元に戻しておきました(お店にご迷惑にならないように)。何しろ箱入り「アリス」でも、念力だけで打率4割2分の私ですもの、ほーっほっほ♪「おかえりパパンダ」と並べると、とてもイイ感じです……ウフフ。

>なりきりママの表情もいいですが、パンちゃんの安堵しきった、甘えきった、うっとりがよいです。(全能域?/笑)

「おかえりパパンダ」のミミ子の表情も、↑のパンちゃんと同じですね♪

☆園主さま

>優しさと厳しさは「反対語」なのか?

日本では、そのようになりがちですね。「聞くは一時の恥……」という、りっぱな格言もあるというのに。
私の知っている範囲で、の話ですが、少なくともフランス人は違っていました。どんなツマラナイ話題であっても「議論大好き!」ですが、相手の論理に納得したら潔く認めて、謝罪も厭わない。が、「自分の説にも筋が通 っている」と判断したら、とことん突っ込みます。でも、相手の説の良いところもキチンと取り込むことは忘れません。とは言うものの、「そんなの私のせいじゃない」という面 もあります(笑)。

……園主さまって、もしかして、前世はフランス人だったんじゃないですかあ〜?(もちろん、カタリ派の/笑)

>「権力の魔性」

まさに『ロード・オブ・ザ・リング』ですねえ〜。

>「アヴィニョンの橋の上で」

ひらかなの「う」に「゛」は、機種依存文字だったのですね。失礼しました。
♪は・し・の〜、う・え・で〜、おーどろーよ、おーどろーよ、は・し・の〜、う・え・で〜、わーになってーお・ど・ろ〜♪っていうんじゃなかったかなあ。日本でも有名なはずですから、皆さまご存じですよね?

なお、「おーに・だんす〜」というのは、「鬼ダンス」とは無関係のフランス語です(笑)。

☆マムさま

初めまして。横レス、失礼致します。

>お釈迦さまに惚れちゃった

お釈迦さまは言うことでしょう、「俺にホレちゃあ、いけないぜ」と。
しっつれいしましたあ〜♪(下手より逃走)


大人の関係 投稿者:マム  投稿日: 6月18日(水)14時03分16秒

>ともあれ、inoさまは先の『対立関係にあったと認識していました。』の後をこう書き次いでおりますが、ここまでくるともう文章が破綻し切っており、まるで意味を為しておりません。何が「原因」で何がその「結果 」なのか、その因果関係が混乱し切っております。

誰にだって間違いはあるし拙速さから判断を誤ることがあるでしょう。間違えれば修正すればいいんだし、そのこと自体が問題じゃない。それに本人が気づかないで傷口を広げるようなことをしようとしたら、周りの友人がアドバイスなり忠告なりしてあげるのが大人の関係じゃないかと思うよ。「良薬口に苦し」っていうじゃん。

マムは思うけど、井上さまは忠告とかアドバイスをして夢野さまから「なんだと!ゴラァ ザケんなよ」みたいなこと言われたくないというのが本音じゃない?嫌われることに恐れをなして、でもそれを認めたくないからなんとか周りに言い訳しようとして、意味不明瞭な文を書くはめになってしまったんじゃないの?嫌われたくない、嫌われたくない、いい子でいたいってのはお子チャマってことなんだよ。親に意見して巣立ちが始まるんだと思うけどなあ。

自分の手に染めないで、権力と戦います!行動を起こします!たってねえ^^
正義が正義でなく仮面になってしまうよ。

お菓子食べながらパソ打ってたら、おっととっと課長が呼んでる・・会議の時間だ ソレッ


お釈迦さまに惚れちゃった 投稿者:マム  投稿日: 6月18日(水)09時11分23秒

おはっようございまああす!今日も一日元気なマムです

>> 第一、井上さんが気にしている同時代掲示板の発言は、よっぽどお気に召さなかったのか、ツリーごと総て削除されているし^^(>inoさま)

>これでめでたく、マムさまは「悪の枢軸」入り確定でございます。たぶん、inoさまや野茶坊(コン太)さまとは違い、「利用価値」が無いと判断されたのでございましょうね(笑)。しかし、inoさまや野茶坊さまが、ハッキリと夢野さまに敵対したら、どうなると思います? ……たぶん「サダム・フセイン」扱いを受けるだろうと、私は予想しております(笑)。

たった一行、「皆さんここにいるみたいだよ」と同時代掲示板に書いただけなのにい。カキコ拒否され、閲覧拒否され、他の人のカキコも巻き添え削除されて、そのあげくマムが悪の枢軸入り確定ですかあ?まあもっとも旦那にはそうかもしれないけど^^

と思いきや、今度は、マムがこの掲示板に揚げた「ノーラさんのカキコ」がツリーごと削除されてる!!戦時中の検閲の再現みたいで怖いですね。ここまでされると。

ウン?ということは、夢野さまもこの掲示板をよく見てらっしゃるのですね^^ひょっとして惚れてる?(只今妄想中^^;)「このボケェ!おめえにむかついてんだよ」みたいな天の声が聞こえないでもないけど^^

外圧?(笑)に屈して、過去ログを復帰されるのかどうか興味津々ですけど。技術的問題はクリアしたというのは遅ればせの過去ログ復帰正当化に向けた準備作業かな?次は、「仕方ないなあ、それじゃあ皆様の要望にお応えして復帰することにするよ(ボソッ)」って言うのでしょうかね。殿方ってどうしてこうカッコばかりつけたがるのでしょ。アメリカや日本とかわらないよそれじゃ。

それにしても、過去ログ復活問題に関する同時代・常連さんの意見は「あらし発言や問題発言を削除して過去ログを掲載すべし」という意見に収束してますね。修正削除済みの過去ログ復活などしたら、それこそ今まで以上に批判の的になるし、物笑いの種になることが目に見えてるのに。応援しているつもりが、かえって夢野さまを追い詰めてしまっていることに何故気が付かないのかなあ。擁護することだけが目的になってしまって、本来議論すべき過去ログの根幹問題に蓋をしようとするからおかしくなるってことに気が付いてほしいな。贔屓の引き倒しっていうんでしょ?こういうのって。


>『当たり前でありながら忘れられがちな事実』というのは、「認識」においては『当たり前』だが、「現実」においては『当たり前』ではない、ということでございます。ですから、その『当たり前』の場所は、「現実」には遥かに遠く、そこは『スタート地点』であるよりも、むしろしばしば「ひとつのゴール」であったりするのでございます。

お釈迦様が、いつも弟子に「正しくものごとを見つめよ」と言ったそうですが、出家の原点もそこにあったような、そして帰着するところもそこだったのかなあとか^^思ってしまいました。

>つまり「普通の人」は、権力を持ったら「狂う」ものなのでございます。権力を持って狂わないのは、「非凡な人」なのでございます。ですから、自分の「凡庸さ」を知り「恥じ」を知る人は、むやみに権威や権力を欲したりはしないものなのでございます。……ま、その意味では、「バカが権力を握る」のは必然であり、ある意味では「やむを得ないこと」なのでございます。

そうですよねえ、お釈迦様も、教団が成立して権力を握っていたのだからハーレムでも作って好きなことできただろうに^^死ぬ ときに「私を敬ってはならない、私が見出したダンマを各々の修行に励むことのみにより見出していきなさい」みたいなことを言ったというのだから、やっぱ非凡だったのでしょうね。今頃きづいてどうする^^でも惚れてしまいそう・・こんな男に。


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(13) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時32分56秒


 影姫青夜 さま
> インターネットからおけぱあと3(keen様に捧げます)

「ぱあと2」はAOIさまに捧げられておりましたが、「ぱあと1」を捧げた相手は誰でしたっけ?

ところで、ポスターをちらと見ただけで詳しいことは存じませんが、『彷書月刊』誌が、創刊何周年か何かの記念か何かで(笑)、「古書」にかんする「小説またはエッセイ」を公募している模様でございます。受賞作には、賞金が20万円とか。影姫さま、挑戦してみられては、いかがでございましょうか? ……ただし、この場合、蔵書自慢だけではダメでございますよ(笑)。


 Keenさま
> すゅる・ぽ〜ん、だ・hぃ・にょ〜ん、おーに・だんす〜、おーに・だんす〜

ものすごく「子供ウケ」しそうな歌でございますね(笑)。

> ……誘惑の囁きに負けました。
> 今日、ファミマーにて「パンダ コパンダ」つきジュースを買いまして、「おかえりパパンダ」ゲット。確かに、実物の方がはるかにカワイイですね。ミミ子が、パパンダのふかふかのお腹にめりこんでる……気持ちよさそう♪
> これは、「いかにも」園主さま好みですねえ〜。(^0^*

そうでございましょう、そうでございましょう(ニコニコ)。

ちなみに私、フィギュアショップでセットを購入したにもかかわらず、仕事の帰り道にあるファミリーマートに立ち寄り、つい必要もないジュース類を買って、『パンダコパンダ』フィギュアを蒐めはじめてしまいました。そして今日、ついにかの「3800円シークレット」を引き当てました! これは「パンちゃんを連れて登校するミミ子」(仮称)でございます。
現在、「ミミ子の逆立ち」が2個、「目玉焼きを作ろう」が1個、「おやすみパンちゃんトラちゃん」が1個ダブっております。一方、セットに足りないのは「おかえりパパンダ」と「とびだすパンちゃん」。もう一つのシークレット「泥まみれになったパンちゃん」(みたいなやつ)は、あまり可愛くないので、特に欲しいとは思っておりません。……ともあれ、AOIさまともども、またダブリの交換をいたしましょう(笑)。

> 『北野勇作どうぶつ図鑑』シリーズも、全6巻、完結しました。5&6巻のカバー裏がジオラマになってて、完成した折り紙の動物たちを配置して遊べるようになってます。でも、折り紙、けっこう難しいんです……(T-T)

おやおや、こないだはクラウスさまよりうまく出来たと、ご自慢なさっていたのに(笑)。


 AOIさま
> 続侘び侘びに数ほども

書き込みをしようとしたら、AOIさまのお書き込みを発見いたしました。本日はもう、これにAOIさまへのレスを書き足している時間がございませんので、悪しからず次回にということでご了承下さいまし。



それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(12) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時31分50秒


 ino さま(つづき)

>  このようないくつかの心情のまま、貴BBSには参加できないと判断いたしました。

つまり、貴方さまは『このようないくつかの心情のまま』に「花園」への参加を断念したのではなく、『このようないくつかの(矛盾した)心情』を直視し、それと対決することを避けたからこそ、その問題から「逃避」すべく、「真実」を求める「花園」から逃げ、アメリカや公明党を批判しながらの「善人ごっこ」や「批評家ごっこ」が可能な、「虚偽」に耽溺できる「同時代を考える」掲示板に逃げ込んだのでございます。

> 一年単位で書き込みませんと大見得を切りながら来てしまいました。

> 融通の利かない頭なのです、私は。
> もうしばらく書かないといいながら、書き込んでしまいました。

> みなさま、お気を煩わせましたが、今日付けで退園いたします。
> 皆様に花の降りそそがんことを祈りつつ。お元気で。

また「考えも無し」に愚かな「宣言」をなさいましたね。
完全に「逃避」し切れないところが、貴方さまの「苦悩の元」でもあれば、貴方さまの「希望(救い)」でもあるのでございますよ。だから、ここから完全撤退するということは、貴方さまがダメになるということを意味するのでございます。
私には「帰るに値する場所」がございましたが、貴方さまに残されたのは「自分を見ないですむ、欺瞞の楽園」だけということになるのでございます。夢野さまやその同類たちのように、完全に「イッてしまっている」人たちは、大聖人の仏法を持ってしても、連れ戻してやることができないのでございますから、貴方さまもその怖さを、もっと考えるべきでございました。貴方さまの行動は、大西巨人が諌める、「拙速」そのものなのでございます。

ともあれ、「恩人だから」批判できないというのなら、貴方さまは「アメリカ」批判を自らに禁ずるべきでございましょう。まともなアメリカ人なら、当然「そんな貴方には批判されたくない」ということでございましょう。批評とは、そんなに甘いものではないのでございますよ。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(13)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(11) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時30分56秒


 ino さま(つづき)

>  その中で、私の頭は、マムさんのHNは、マムさんの記事のすぐうえにあったトムさんのHNを真似た男性の悪意ある書き込みだと短絡したのです。
>  こんな病的な心理は、長い間お世話になった「同時代を考える」掲示板が、アレクセイさんの掲示板と対立している。私の心情では私は「同時代掲示板」の住人(バーチャルな)である。したがって夢野さん、「同時代掲示板」への中傷は認めがたいというものです。

なぜ、前回のマムさまへの謝罪で、このことをハッキリと説明しなかったのでございますか。自分のそうした「過ち(誤解のこと)」を伏せておいて、言葉だけで謝ろうとするから、何が言いたいのかわからないような謝罪になったのでございましょう。

ともあれ、inoさまは先の『対立関係にあったと認識していました。』の後をこう書き次いでおりますが、ここまでくるともう文章が破綻し切っており、まるで意味を為しておりません。何が「原因」で何がその「結果 」なのか、その因果関係が混乱し切っております。

inoさまは、決して文章を書き慣れておられるわけではございませんが、かと言って、このような文章しか書けない方でもございません。現に、inoさまがアメリカを告発する文章は、普通 に筋が通っており、無理なく読むことができるものとなっております。では、なぜ今回の文章がこんなものになったのかと言えば、それは私がAOIさまへの先日のレスにも書きましたとおり、

> そこに『歪み』や『内的葛藤』が発生したり、それで『精神の均衡』を狂わせたりというのも、それは単に「矛盾した価値を(自己の内面 で)両立させようとしたから」であって、「非本来的な価値観を内面化しようとしたから」ではないと存じます。

ということであり、つまり「国家・社会レベル」の「隠蔽工作」は告発するのに、「身近な知人レベル」の「隠蔽工作」は告発しない、という「ダブル・スタンダード」を採用しているから、inoさま自身、アメリカのように「筋の通 らない理屈(?)」を言わなければならなくなるのでございます。

> 私の心情では私は「同時代掲示板」の住人(バーチャルな)である。したがって夢野さん、「同時代掲示板」への中傷は認めがたいというものです。

「心情論理」としては、そういうこともございましょう。しかし、ご自身が『「同時代掲示板」の住人』だと感じているから、夢野さまを批判できないと言うのであれば、「貴方も日本人なのだから日本政府の批判をすべきではないし、創価学会員なんだから学会の組織や幹部やその方針を批判すべきではない」ということになりはしませんでしょうか。ですが、貴方さまは、「むしろ」日本人であり創価学会員であるからこそ、それらの過ちを黙認することができず、批判しなければならなかったのではなかったのでしょうか?

したがいまして、貴方さまがここで、「「同時代掲示板」への帰属意識」を「根拠」として、『夢野さん、「同時代掲示板」への中傷は認めがたい』と言うことは出来ません。
もちろん、私の「批判」が「批判」ではなく、貴方さまのおっしゃるとおり『中傷』なのであれば、貴方さまに「「同時代掲示板」への帰属意識」が有ろうと無かろうと、貴方さまに『認めがたい』という感情や判断が出てくるのは当然でしょう。ですが、私の「批判」は、貴方さまがおしゃるような『中傷』ではございません。むしろ、それが『中傷』だと書いた、貴方さまのその言葉の方が、私の「批評」に対する『中傷』であり、「悪への加担」なのでございますよ(もちろん、マムさまの短文の書き込みは、どう読んでも『中傷』になどなりえません)。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(12)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(10) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時29分45秒


 ino さま
> 私は病的やも知れませんが、貴BBSへの禁則処分を自らに課しました。仰る様「逃げ」かもしれませんが、自分では言語化できていません。

『言語化』できない、つまり「明確に語れない」動機により「感情的に」選んだのだとすれば、その選択はたぶん「易きに流された」ものでございましょう。言語化できないような巧妙な「悪」を本能的に避けるなどといった事例は、特別 に優れた人による、ごく例外的な事例なのでございますから。

> さて、私の誤解に基づいた認識「同時代を考える」のマムさんの書き込みNO.41に対しての私のナーヴァスなあるいはシニカルな言葉のお詫びをNO.42で致しました。なぜかと申しますと、私の頭では、その時は「同時代の掲示板」過去ログの保存、またアレクセイさんの同時代への書き込み禁則について、アレクセイさんと夢野さんは対立関係にあったと認識していました。

評論家が「駄作を駄作と評価する」ことが、作者との『対立関係』を意味するでしょうか? もちろん「駄 作」と評価された作家は、評論家を敵視するかも知れませんが、評論家が作家のそんな感情を知れば「こいつバカだな」と思うだけで、対立する気にもならないことでございましょう。「それにも値しない」ということでございます。ただ、「誉め合わない」「評価し合わない」状態、つまり「創価学会の座談会」のような「仲良しクラブ」的な関係ではなく、「是々非々で、誉めもすれば批判もする」ような「クールな関係」を『対立関係』と呼ぶのならば、私と夢野さまは『対立関係』にあったと言ってもよろしゅうございましょう。しかし、こういう言葉の使い方は、夢野さまの、

> 先にも書いたように、僕の文章が誤解を与えたのでしたらその点については御了解ください。
  (「同時代を考える」掲示板・2003年 03月 25日 付け・「かんりにん」名義 )

とまではいかないものの、日本語としては間違いでございましょう。

ちなみに、同じ書き込みで夢野さまは、こんなことを言っております。

> (2003年 03月 24日 21時 40分 51秒 )の書き込みに限らず、アレクセイさんが興奮してくると、このような不当な前提と想定に基づき、無理矢理「そう言おうと思えば言えるかもしれない」という程度に過ぎない言葉の羅列となり、誠実さに欠け、読むに耐えません。
> それがいつも正鵠を得た想定や憶測ならまだしも、所詮、憶測は憶測にすぎません。憶測なのだから間違うかもしれないという配慮や想定がなく、安易に断定されるのではどうみても慎重さに欠けると思われます。また、そうして誤った憶断があれば修正するなり、謝ることがあってもよいのではないか、と思います。

ぜんぶ自分に帰ってきた言葉だからこそ、「過去ログ」ごと消して、隠蔽したかったのでございましょう(笑)。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(11)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(9) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時28分06秒


 トム さま
ようこそ、お出でくださいました。
今回の書き込みは、貴方さまらしさが出ていて、たいへん嬉しゅうございました。私はいま、こう言いとうございます。……「だから言ったでしょう。ハッキリと相手を名指さない批判は、その相手に「私も同感だ」と言われて、態よく利用され消費されてしまうだけだと。……いかがですか、野茶坊さま?」。

>> もちろんトムさまのように「鬼神アレクセイ」の掲示板なんか怖くて見れないという方もいらっしゃいましょうが、

> なんで上のような言葉がでてくるのか、私の常識では捉えにくいところがありますが、ちょっと景気付けのレトリックのようなものでしょうか?あまり必然性のない、つまり無くてもいいようなレトリックだとおもいますけど。

貴方さまの『常識』では、当然そのようになることでございましょうね。理解できないのも、当然だと存じます。

>「同時代を考える」の私の書き込みに続くマムさんの書きこみと、またそれに続く井上さんの書き込みの意味が分かららなかったので、ここにおじゃましなかっただけなのですが、いやはや「華麗な」レトリックでほんのかすかに「トム」が話題になっていたので、一応挨拶のつもりで書きこみました。では。

「同時代を考える」掲示板への、マムさまと井上さまの『書き込みの意味が分かららなかったので』→『ここにおじゃましなかっただけ』とのことですが、この「論理展開」が理解できません。なぜならば『分かららなかったので』→「確認のため見た(おじゃました)」の方が、論理的だと思うからでございます。

『いやはや「華麗な」レトリック』とのことですが、『なんで上のような言葉がでてくるのか、私の常識では捉えにくいところがあります』と書いた後でのこの評価は、貴方さまの「非論理性」を如実に証すものでございましょう。つまり『華麗な』という評価は、「理解して」言っているのではなく(=「額面 どおり」でも「その裏返し」でもなく)、ただ単に感情的な、「皮肉」としての「凡庸なレトリック」だということでございます。

ともあれ、今回は貴方さまに関する「評価」を本格的に書かせていただきましたので、次回は『挨拶』程度のものではなく、もうすこし中味(=論理)のある書き込みをしていただけると嬉しゅうございます。もちろん無理は申しません。それが可能ならば、ということでございます(笑)。

ちなみに貴方さまの問題点については、ホランドくんの論文選択の表裏 ――『黒祠の島』と『十二国記』に論じ尽くされていると存じますので、是非こちらをご参照下さいまし。(>みなさまも)





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(10)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(8) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時26分51秒


 マム さま(つづき)

>> どんな組織に所属しようと、どんな信仰を持っていようと、そこに生きる人間も基本的にはただの人なんだという、この当たり前でありながら忘れられがちな事実(アレクセイの花園:創価学会の人々)

> というところから、批判する人も、批判される人もスタートし、多様な議論がなされていたら、多くのものが生み出されていたに違いないと思うと残念です。

『当たり前でありながら忘れられがちな事実』というのは、「認識」においては『当たり前』だが、「現実」においては『当たり前』ではない、ということでございます。ですから、その『当たり前』の場所は、「現実」には遥かに遠く、そこは『スタート地点』であるよりも、むしろしばしば「ひとつのゴール」であったりするのでございます。

> 夢野さまのアレクセイさまに対する出入り禁止などという強権発動が何故なされたのか、今でもその理由がわかりません。夢野さまの門前払いのごとき頑なな態度が残念ですね。

『残念』なことでございますが、それが「(大半の)人間の現実」だと存じます。自分の「正義」を疑えない人間(この場合、夢野さまですが)にとって、自分を批判する人間は必然的に「悪」だということになります。そして彼は「正義は、悪に勝たなければならない」と考えます。しかし、「論理」ではどうしても勝てない。ならば、どうするか? その答は『強権発動』。「問答無用」どころか「問答拒絶」の彼には、(アメリカと同様)それしか手が無いのでございますからね(笑)。

> 第一、井上さんが気にしている同時代掲示板の発言は、よっぽどお気に召さなかったのか、ツリーごと総て削除されているし^^(>inoさま)

これでめでたく、マムさまは「悪の枢軸」入り確定でございます。たぶん、inoさまや野茶坊(コン太)さまとは違い、「利用価値」が無いと判断されたのでございましょうね(笑)。
しかし、inoさまや野茶坊さまが、ハッキリと夢野さまに敵対したら、どうなると思います? ……たぶん「サダム・フセイン」扱いを受けるだろうと、私は予想しております(笑)。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(9)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(7) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時25分51秒


 マム さま
> マムは最近になってですが、たまに同時代掲示板を見ていました。最近ではその関係からこの掲示板も見るようになりました。両方見比べていますが、同時代掲示板は管理人さんの性格からなのか、意味もなく反発するだけの発言者が多いですね^^

「類は友を呼ぶ」ということでございましょう。したがって、私の「類」でない方は、ここに来づらい居づらい(笑)。

>> ネットで執念深く延々長々悪口書く人とかいるみたいやけど、凄いエネルギーやね。書いてる途中に気分悪くなったりせえへんのかな。いくら暇でもせっかくの休みには私はほかの事するけど、皆さんどうですか?ま、良いかそんな事、寂しい人もいる、という事で。(同時代:LINK:たまQ:テスト用掲示板:ノーラ:03/06/14(Sat) 23:38)

> 書きぶりからみて、同時代の学会員常連さんなのでしょうが、これなどは揶揄するだけのお決まりのパターンといっても、いい例でしょう。同時代掲示板を応援しているつもりなのでしょうが、かえって品位 を下げてしまうことに、そろそろ気づいても良いのではないかと思います^^。

この種の人々は、現実的に痛い目にあわなければ(「論破された」程度では)金輪際、目が醒めることはございませんでしょう。私もだてに、彼らを『バカ』呼ばわりしたのではございません。

例えば、この「ノーラ」さまも、自分が『悪口書く人』の『悪口書く人』だということに、まったく気がついておりません。つまり、これくらいの『バカ』になると、「理屈(論理)」は通 用しないのでございます。
ちなみに、「ノーラ」さんの頭では、私がここに書いたことが「批評」か「悪口」かの区別 はつきませんし、事実、区別はついておりません。つまり、野茶坊さまのレスにも書きましたとおり、彼らにとっては「肯定してくれない」相手の「意見」は、概ね『誹謗中傷』なのでございます。したがって『耳を傾ける』必要など無いし、『反省』など思いもよらないことなのでございます。

> しかるべき反論も主張もなく、あっちに立つ、いやこっちに立つと、子供のごとき反応する人が掲示板で後を立たないというのはコミュニケーションの未成熟さを見せつけられているようで情けない限りですね。

『コミュニケーションの未成熟さ』というよりも、端的に「人間の未熟さ」でございましょう。

> 『君よ、如説修行の行者たれ』は批判される創価学会の人々にとって、『創価学会の人々』では、創価学会を批判する人々にとって、それぞれ数多くの示唆を含んでいると思いました。

恐縮でございます。

> マムが咀嚼するには時間がかかりそうですが、「まじめ過ぎる人たちの姿」を中心にして、「信仰をする者」の知的懐疑の必要性への指摘と、「批判する者」の世間にありがちな差別 意識や偏見に対する指摘、この両者への指摘はまさにその通りだと思いました。また、立場が違うというだけで、どちらも一人の人間の中に裏表として潜んでいて、一体化した同じ病根からどちらにもなりうるというようにも感じました。

そうでございますね。いずれにしろ「他人事」ではございません。
「権力者の横暴」を批判し「権力の魔性」を言う者が、「掲示板の管理権」程度の「権力」を持った途端、「権力の魔性」に憑りつかれて「権力者の横暴」を振るいだすのですから、「国会議員」になって「おかしくなる」人が出るのは、むしろ当然だと申せましょう。
つまり「普通の人」は、権力を持ったら「狂う」ものなのでございます。権力を持って狂わないのは、「非凡な人」なのでございます。ですから、自分の「凡庸さ」を知り「恥じ」を知る人は、むやみに権威や権力を欲したりはしないものなのでございます。……ま、その意味では、「バカが権力を握る」のは必然であり、ある意味では「やむを得ないこと」なのでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(8)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(6) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時23分12秒


 野茶坊 さま(つづき)

>> もちろん野茶坊さまのように、あんな出来損ないでも同じ学会員なんだから、見放さずに何とかしてやろうという「奇特な人」もおられます

> 「同じ学会員なんだから」ということではありませんよ〜。「うちらの看板」しょっての行動は、そのまま「うちら」の評価につながってしまうということです。別 に「奇特」なのではありません。

ならば、夢野さまに「おまえなんか創価学会員ではないから、学会員を名乗るな」と言ってさしあげるか、さもなくば、そもそも「創価学会の信心」がその程度のものなのだと認めて、貴方さまが信心をお辞めになるか、そのいずれかを選ぶべきなのではございませんか? これが「論理的に、誠実な態度」だと思うのでございますが(笑)。

>> かの「夢野式23箇条」に違背しないでいて、「骨抜き」にされないというのは困難でございましょうね。

> 貴方のように露骨ではなかったにせよ、自分ではとっくに違背しているつもりなんですが・・・。ああ、旧掲示板に「23箇条」はなかったんですね。

つまり『骨抜き』でない発言をしておれば、元からあった「暗黙の、夢野式23箇条」に引っ掛かかったはずだ、ということでございますよ。言い換えれば、引っ掛からない「批判」というのは、その「暗黙の圧力」の「隠蔽」に半ば加担していた、とも言えるのでございます。もちろん、その『つもり』はないでしょう。なぜなら、そういう「後ろめたさ」は、自己に対して「隠蔽」されるからでございます。

>> 私には子供がおりませんから、個人的には、やるだけやって「ダメだった」で済まないこともございません。しかし、子供さんのおられる方は、それでは済みませんからね。私以上に頑張ってもらわねばなりません。

> アパルトヘイト下の南アフリカで、白人警官に集団で投石した咎で警察の護送車に放り込まれていく子どもたちを助けようと、「Any child is my child!」と絶叫しながら警官隊に挑みかかっていくおじさんの映像を見たことがあります。
> 「どの子も私の子!」。貴方にはこの境涯をめざしていただきたいのですが・・・。

私が、その境涯に「近い」ことは、あえて断るまでもないと思っておりましたが(笑)。言うまでもなく、「他人の痛み」を共有しようという努力(理念)と、「他人は他人だ」という現実を直視する態度とは、矛盾するものではございません。
そして、それを混同すれば、きっと人は「きれいごとの偽善(欺瞞)」の方へ引きずられることでございましょう。例えば、自身「対話による平和」を説きながら、その一方で「意見には耳を傾けるが、誹謗中傷は無視する」などと論じて恥じないご都合主義というのは、「理念」に酔って「(自身の)現実」を見失い、結果 として彼が、際限もなく「悪しき現実」の方へと転落した、という事実を示しているのだと存じます。

> 日本では犬を食べていたか? 場合によっては食べていた。
> 私の郷里奄美では昔、「犬はネリヤカナヤ(沖縄で言うニライカナイ=水平線の彼方の理想郷)からの使者だから、食べてはいけない。」と言われていた。ということは、場合によっては食べていたということ。現に私の幼少時まで、野良犬を捕らえて食べる人はいた。文句あるか?

> 鯨を食うのは野蛮だと欧米人は言う。ならば牛を食うのはどうなんだ? 

昔、中国では不老長寿の妙薬として、赤子(人間)の肉が珍重されていたそうでございます(中野美代子『カニバリズム論』『悪魔のいない文学史』)。……で「人間を食って何が悪い。文句があるか」と彼らは言ったことでございましょう。当時かの地では、それらは「犯罪」ではございませんでした。ちゃんとお金を払って買ってきた「食用肉」を食って「なにが悪い」? 「輸血」や「臓器移植」は良くても「人肉」食いはいけない、という合理的な説明は、果 たして可能なのでございましょうか?

先日、AOIさまへのレスに、書いたとおりなのでございます。

> これまでも何度か書きましたとおり、私の立場は、

> 『導師は、地上に戻って悪の勢力と闘うことなしには、第三の、究極の離脱には
> 到達しえないと告げた。この言葉自体が僕には謎だ。導師は、世界は仮象であり
> 善も悪も存在しないことを僕に教えたのだから。』
>                   (笠井潔『サマー・アポカリプス』より)

> というものなのでございます。
> この世界には、先験的な『善も悪も存在しない』。しかし、私は「悪」と戦い、
> 「悪」に勝たねばならない。私の戦いとは、常にこのレベルでなされるものでな
> ければならないのでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(7)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(5) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時22分05秒


 野茶坊 さま(つづき)

で、そんな私にとって「学校」は何かと考えてみますと、それは「社会の縮図」だったように思われます。ですから、まあ「ロクなものじゃない」のでございますが、しかし、だからこそ、そこで学んだことは無駄 ではございませんでしたし、そこ以外に「社会の縮図」でない世界があるとも思えません。また、何か特別 に良いことだけを教えてくれるような「ユートピア」など、どこにもありえないと思えるのでございますね。

もちろん、昨今はお国の都合にあわせた「思想教育」や「管理教育」が強化されてきており、それは好ましくないことだと思うのでございますが、では、そんな学校へなど行かない方が良いのかと申しますと、私は「行ってもいいんじゃない」というような感じでございます。というのも、いつの時代だって、多かれすくなかれ「学校」とはそういう場所でありながら、しかしその中から、小数とは言え「まともな人間」が出てきているのは事実でございますし、一方、学校教育が「まとも」になったからといって、「まともな人間」がたくさん出てくるとは、私には思えないからでございます。

どうしようもない親から立派な子供が育つこともあれば、立派な親からどうしようもない子供が育つこともある。……こう言えば、「でも、まともな親の下で育った方が、比較的まともな子供が育つでしょう」と言われそうですが、もともと「まともな人間」は少数派なのでございますから、『まともな親の下で育った』『比較的まともな子供』などというのも、私の基準で言えば「ロクなものじゃない」ということになるのは、目に見えているのでございますよ。

そんなわけで、「学校」と「親」は似たようなもので、子供への影響力は「大きいようで、じつはそうでもない」というのが、私の認識なのでございます。なにしろ「学校」と言ったって、現実に子供たちと接しているのは「教師」であり、「教師」というのは「親」と同様、大半は「ただの人」なのでございましょう? それが、ただ「教師」だというだけで、何か特別 に立派なことができるなんて、とうてい思えないのでございます。「職業倫理」で「人並み以上のこと」ができるようには、人間は作られていないと思うのでございますね。

従いまして、大雑把な言い方ではございますが、私は最後は「本人」の問題だと思うのでございますよ。もちろん、「学校」にも「教師」にも「自分の問題」として、頑張っていただかなければなりませんが、まあ、それ以上のものでもなかろうという気がするのでございますね。ですから、『教育』が、未だ実現されたことがないような「理想」的なものなのなら、そんなものを「ただの人である教師」になど期待しても無駄 でございますから、まあ、せいぜい各種の「調教」をやっていただいて、その良し悪しを子供たちに叩き込んでいただければと思うのでございます。そして、それでどうなるかは、最終的には本人次第だというように思うのでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(6)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(4) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時21分00秒


 野茶坊 さま
>> 新聞など見ておりますと、私は「教育の現場」が心配でなりません。

> アレクセイさんが「教育の現場」におられた頃(小中高校生だった頃)はいかがでしたか? 
> 学校はお好きでしたか? 
> 私は大嫌いでしたね。学校嫌いが教員になって・・・これはもう悲惨なものです(笑)。
> 状況は昔も今も本質的には変わらないと思います。学校は、学校制度発足当初より、教育の場ではなく、調教の場なのです。ただ、最近とみにその本質が顕在化してきたということです。
> 調教の場を教育の場に変えていこうということの困難性を承知の上で、もう少しあがいてみようかと思っています。そのうち、放り出して逃亡するかも知れませんが・・・(笑)。

なるほど、ごもっとも……と、言ってしまっては、他所と変わらなくなりますから、ここでは少しツッコミを入れておきましょう(笑)。

『学校は、学校制度発足当初より、教育の場ではなく、調教の場』である、というのはよく言われることですし、『調教の場を教育の場に』というのも当たり前に言われることでございます。つまり『調教』は好ましくないものであり、『教育』は好ましいものだということでございますね。しかし、この2つは、果 たして別物なのでございましょうか? 果たして『調教』でない『教育』などというものがあり得るのか?

> アレクセイさんが「教育の現場」におられた頃(小中高校生だった頃)はいかがでしたか? 
> 学校はお好きでしたか? 
> 私は大嫌いでしたね。

私は昭和37(1962)年生まれでございますが、学校は好きではございませんでした。しかし『大嫌い』というほどのこともございませんでした。なぜ学校が好きではなかったかと申しますと、それは一日のうちのかなりの時間を拘束され、したくもない勉強をさせられるからでございます。つまり、私は、今も昔も「好きなことだけをしていたい(一生遊んで暮らしたい)」人間ですので、学校が「娯楽場」ででもないかぎり、「好き」になれる道理がなかったのでございます。それに夜更かしの朝寝坊である私は、朝起きるのが辛うございました。また偏食でしたから、給食が苦痛でした。運動は苦手でしたから、体育の授業は、とうぜん嫌い。それ以外はまあまあ出来ましたので、面 白くはなくても、苦痛というほどのことはございませんでした。

今、省みますと、いやいや学校に行ったことが良かったか悪かったかというと、私は「行って良かった」と思っております。いやいや学んだことでも、今は役にたっていますし、強制されなかったら、金輪際しなかったであろう勉強も多かったからでございます。

子供時代の私は、いわゆる優等生タイプでございました。成績はそこそこでしたが、正義感が強く、決まりごと(約束)は必ず守るべきだと考えるタイプでございました。ですから、小学生の時には、よく学級委員になったりいたしました。しかし、中学生くらいになると、「自分勝手な人間」というのがいかに多く、しかもそういう「いい加減な人間」には「道理」が通 用しないから、いくら一生懸命にやっても無駄だ、というような「諦観」が育ってまりました。ですから、その頃には「委員」などの「肩書きと責任」のあるものには一切かかわらないようになり、「君らには何も期待しない。だから、そっちはそっちでやってくれ。こっちはこっちでやらせてもらう」という「大衆嫌悪」的な考えを持つようになりました。……つまり、私には一種の「理想主義」があって、それをもって「現実」と対するから、結局は「現実には期待しない」というニヒリズムが到るのでございます。しかし、それでも、そういう「下劣な現実」とは馴れ合いたくはないという気持ちも強うございますので、最終的には「狷介孤高」的な立場を選ぶ、という方向性が、その頃すでに出来上がっていたのでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(5)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(3) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時19分26秒


一時「自然に優しい」というフレーズが大流行いたしましたが、現代の日本人は「是非善悪」よりも「優しい」ことを大切にする傾向がございます。しかし「自然への優しさ」も、最終的には「人間への優しさ」でしかないように、日本人が好きな「優しさ」は、「他者」への優しさではなく、「自己」への優しさなのでございます。だから「外国人」や「ホームレス」などの「他者(=自分とは違う存在)」には、決して優しくはないのでございます。

しかし、本当の「優しさ」とは、「他者への優しさ」でございます。「自分」とは「違う」ものに対して、どれだけ「思いやり」を持てるか、それが「優しさ」の基準でございましょう。と言うことは、「優しさ」は「主観的」であるよりも「客観性」をこそ必要とするのでございます。「冷徹な客観性」は、決して「冷たい」わけでもなければ、「優しくない」わけでもございません。むしろこれは、その「優しさ」が本物か否かを見定める重要なポイントだとも申せましょう。

もちろん光原百合は、『遠い約束』の登場人物のなかで「他者」を代表する人物に対しても、単に「嫌な奴」で済ますのではなく、なんとかそんな人間をも理解しようと努力しています。その意味では、作者は確実に成長しているのでございましょう。ですが、光原百合に「主観に流されやすい」という弱点が残っているのも事実でございます。

光原は、『遠い約束』の後の、第三著作『十八の夏』で「日本推理作家協会賞・短篇部門」を受賞しておりますが、さて、そこではさらにどのくらいの成長を見せているくれているのでしょうか? 「選考委員の鑑識眼」と共に、俄然興味のわいてきた、私なのでございました。

ただし……「読んでも良いけど、批評はして欲しくはない」と、誰かさんは思っておられることでございましょうが(笑)。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(4)」につづく)

 

優しさと厳しさは「反対語」なのか?(2) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時18分00秒


私が、昔「SRの会」の合評会で、ご本人を前にして酷評した作品「浪速大学ミス研シリーズ」のひとつ「優しい犯人」(鮎川哲也選 公募アンソロジー『本格推理』号数不詳所収・光文社文庫)の問題点も、まさにその点にございました。この合評会に参加したのは十人弱。そのうち、私と賢ちゃん以外は、この作品を「光原さんらしい、感じの良い、好感の持てる作品」だと評価しました。それに対して私は、半ば苛立ちながら、その読みは「甘い」として、この作品の意味するものに対する作者の(そして読者の)「無自覚」を告発いたしました。

大雑把に申しますと、この作品に描かれた「事件(謎)」の真相は「一種の復讐譚」でございました。……ある人(A)を「無神経」に傷つけた人物(B)を、別 のある人物(C)が復讐的にその「無神経」ぶりを思い知らせる(懲らしめる)犯行だったというのが、この作品に描かれた「優しい犯行」であり、だからこそタイトルも「やさしい犯人」なのでございます。犯人(C)は、傷ついた人(B)のために、頼まれもしないのに、無償の報復的犯罪をした。ああ、なんと「優しい犯人」なんだろう、という「感動オチ」なのでございますが、私はそうした「作者の意図」と「読者の解釈」に対し、「待った」をかけたのでございます。

と申しますのも、(A)を傷つけた(B)は、意図的に(B)を傷つけたわけではなく、ただちょっと「無神経」で「気がつかなかった」というだけなのでございますね。それが優しい「吉野桜子」には「余計に許しがたい。傷つけたという自覚でもあればまだしも、なーんにも気づいてないなんて!」ということで、だから彼女は(C)を「優しい犯人」と、共感的にそう呼んだのでございます。
しかし、はっきり申しまして(C)の行動は「独りよがり」の「優しさの押しつけ」であり、「吉野桜子」の解釈も、「作者」の意図も、まったく同様なのでございます。(B)に(A)を傷つける意図があったのならわかりますが、この場合、(A)が傷ついたのは、もっぱら「独り相撲」の結果 でございます。ですから、(B)には誰からも復讐を受けるような「合理的な謂れ」はございません。例えば、生まれつきの身体が弱くてスポーツができない人に、スポーツの楽しさを得々と語るのは「無神経」でございましょう。しかし、その時彼が、相手が一見「健常者」同様であったため『身体が弱くてスポーツができない』という事実に気づけなかったのならば、それは責められるような「誤解」でもなければ、責められるべき「過失」にすらならないのでございます。

もし、犯人(C)の「過剰な感情移入」を「優しい」と言うのであれば、殺されたイラクの子供たちのために、国会議員を皆殺しにしようとする殺人者も「優しい」でしょう。毛虫を踏みつぶした男を、車で轢き殺した男も「優しい」ということになりましょう。「優しければ、それでだけで正しいのか?」ということなのでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(3)」につづく)


優しさと厳しさは「反対語」なのか?(1) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(水)00時16分00秒

みなさま、私、一昨日、賢ちゃんと共に旧知の仲である推理作家 光原百合さんの『遠い約束』(創元文庫書き下ろし・2001年3月30日初版刊行)を、やっと読ませていただきました。感想は「まあまあ楽しめた」と言ったところでございましょうか(笑)。私の好みから申しますと、いかにも光原さんらしい「大甘な善意」に支えられた小説なのでございますが、エンターティンメントなんだから、こういうのがあっても悪くはないと思いましたし、個人的に懐かしい作品でもあったのでございます。

光原百合の弱点である「大甘な善意」とは如何なるものかと申しますと、それは「主観的な善意」であり「感情に流されがちな善意」であり、つまり「危うい善意」だということでございます。そうした「主観に流されがち」、逆に言えば「冷徹さ(=客観性)を欠く」という特徴は、この作品のなかでも、いくつかのミスとして露呈しております。

この小説の主人公は、浪速大学推理小説研究会に所属する18歳の女性「吉野桜子」で、この物語の「語り手」でございます(一部、三人称の叙述もあり)。この「吉野桜子」というのは、光原百合が学生時代、小説を書く際に使っていたペンネームで、大学生当時、クラブの会誌に書いていたのが、この「吉野桜子」名義の「浪速大学ミス研シリーズ」だったのでございます。したがいまして、主人公の「吉野桜子」というのは、光原百合自身が(願望充足的にではあれ)強く投影されております。また光原自身、『時計を忘れて森へ行こう』(東京創元社)でミステリ作家としてデビューする際、当初は「吉野桜子」でいこうと考えていた(光原が尊敬する有栖川有栖と同じく「作者と作中の語り手が同名」というパターンだった)のでございますが、「本名の光原百合の方が絶対に良い」という周囲の説得を受けて、本名でデビューすることになったという経緯もあったのでございます。
そんなわけで、どうしても作者自身、主人公と「同一化」しやすい向きがあるのでございますが、例えば本作中のあるところで、「吉野桜子」が「心内語」で「ミステリファンの世界は狭いから」というようなことを言ってしまうのでございます。言うまでもなく、これは「大阪大学推理小説研究会」に所属し、その後「SRの会」や「畸人郷」といった「ミステリマニアのサークル」に入って、数年経った後での「光原百合」にとっての「(妥当な)感慨」ではありえても、大学に入学し、ミス研に入ったばかりの「吉野桜子」に持ちうる「感慨」ではないのでございます。つまり、ここには「自他の区別 (他者認識)の甘さ」つまり「冷徹な客観認識の弱さ(主観への流されやすさ)」が見て取れるのでございます。

作者光原百合は、その作風からもわかるとおり、たいへん「善良」な「優しい」人柄なのでございますが、そうした人物が「私もそうだから、他人も当然そうだろう」と考えるのは、時にたいへん危険なことでもございましょう。なぜなら、光原が「善良」であり「優しい」人なだけに、その「勝手な憶測」に反した人間は、どうしても「悪」だと見なされやすいし、周囲もそう思い込みやすいからでございます。





( 以下は「優しさと厳しさは「反対語」なのか?(2)」につづく)


続々詫び侘びの数ほども 投稿者:AOI  投稿日: 6月17日(火)23時12分50秒

☆園主さま

>特に塗りが甘いということはないと存じます。原作が昔のアニメであり、もともとのカラーリングがシンプルなため、原作が実写 の怪獣などにくらべますと、塗りが「シンプル」だとは申せましょうが、これは『甘い』ということではないと存じます。細部の塗りや暈しなどは、じつにしっかりしておりますよ。

ものによっては輪郭、境界などの塗りに気になるところがあったので。
欲張りとはわかってるんですけどもね(笑)。


>『ミミ子ままとパンちゃん』のミミ子の表情が、いちばん良いかも知れませんね。

なりきりママの表情もいいですが、パンちゃんの安堵しきった、甘えきった、うっとりがよいです。(全能域?/笑)

☆Keenさま

『パンダコパンダ』は箱に入っていないので、手の感触で『ミミ子ままとパンちゃん』『おやすみパンちゃんトラちゃん』もぜひ、ゲットしてくださいませ。
ただし、あんまり冷蔵ケースを開けてがさごそやってると怒られます。(汗)


続侘び侘びに数ほども 投稿者:AOI  投稿日: 6月17日(火)23時11分09秒

☆園主さま

>> 人間の歴史は個人の内面の中へも流れ込んでいて影響を受けないでいられるということもまた、不可能なことだといえます。
>> 気をつけなければならないことは、本人の自覚としての「好悪・優劣」が個人の内面 の問題としてあるかどうかは甚だ不確かだということですね。

>むしろAOIさまの議論は、「内面と外部に区切りがある(基本的に、先験的独立性を持つものである)」ということを前提になさっているように思われます。だからこういう議論になるのではないでしょうか?

いいえ、そういいうことではないです。
「自明の前提」といわれているように、言わでもがななことだったとは思いますが。
それぞれの主観的な決定は主体的に選択された絶対なものでもないということを言いたいにすぎません。
女装についてツッコミを入れたのは、男性が女装するというのは、これもまた「型」に対するこだわりだと思うからですね。

>AOIさまはここで「差別」などの「否定的な問題」を扱っておられますから、議論がどうしても「でも、その実感を絶対化してはいけないよ」という話になるのですが、そうした言い方は「逆の場合」にも当て嵌まるということに対して、あまりにも不用意なのでございます

>つまり、「殺人」や「戦争」や「身勝手」が「いけないこと」だという『今現在の』私の内面 の判断も、じつは「外部の影響」によって醸成された「偏見」でしかなく、案外、自分の手で人を殺してみれば病みつきになって「そんなに悪いものでもない。人間だって動物なんだから、弱肉強食の原理を否定する必要はない。弱者はどんどん殺されればいい」ということになるかも知れませんよ、と言ってるも同然だということなのでございます。

ちょっと違うように思います。
つまり、「差別」などの「否定的な問題」について語っていたのではなく、互いに合意できた主観的決定が避けられないものについて語っていたのですから。「殺人」や「戦争」について、主観的決定が避けられないものという前提の合意はしていません。

>また、ですからこそ私は『今現在の=今ここの』私の内面の価値観を「私のもの」として責任をもって明確に提示するのでございますよ。

これについてはよくわかりました。


>私に言わせれば、人間に『本来の主観的な「好悪・優劣」』などございません(存在しません)。すべては、後天的に、それぞれの「環境(=外部)」の中で「作られたもの(=虚構)」でございます。ですからこそ、問題としうるのは「『今現在の=今ここの』私の内面 )(=虚構)」そのものの価値なのでございます。

>したがいまして、そこに『歪み』や『内的葛藤』が発生したり、それで『精神の均衡』を狂わせたりというのも、それは単に「矛盾した価値を(自己の内面 で)両立させようとしたから」であって、「非本来的な価値観を内面化しようとしたから」ではないと存じます。

本来のというのは生来の(先験的)という意味で言ったのではないんです。
ですから、もちろん「矛盾した価値を(自己の内面で)両立させようとしたから」ということになります。そして本質的な問題は、なぜ、矛盾した価値を(自己の内面 で)両立させようとしたのかということですね。矛盾した価値を(自己の内面 で)両立させようとしなければ『歪み』や『内的葛藤』が発生したり、それで『精神の均衡』を狂わせたりということもないわけですから。
単なる「外部の影響」というよりも力関係によって、好悪・優劣を内面化してしまうということに自覚的であるべきと思うからです。


>「外部の影響」などということで「自他の内面の価値観」を相対化するのは、正しい(有効な)批判ではございません。問題はいつでも『今現在の=今ここの』その人の内面 のみなのでございます。

と言われていることは正しい認識でしょう。
また、そういう覚悟なく批判もできないと思います。
『個人の内面」の問題として「好悪・優劣」の主観的決定は避けられない』ということの気をつけなければならないこととして言ったまでです。


>つまり「悪の論理」に徹すれば、『歪み』や『内的葛藤』も発生しないし、『精神の均衡』を狂わせてしまうこともない、ということでございます。

ここで言われている「悪の論理」というのは、善意でなされることまでも含んでいるのでしょうね。
疑問を感じなければ、また、感じたとしてもほかのことに目がいっていれば、『精神の均衡』を失うこともないわけですから。



侘び侘びの数ほども 投稿者:AOI  投稿日: 6月17日(火)22時55分58秒

☆inoさま

お帰りなさいませー!?と書いたら、退園されるって?
びっくり!がっくり!なぜ!?シクシク・・・(T-T)

>友川かずきのアルバム3枚目「千羽鶴を口に咬えた日々」(1977)(1993再販?)の「殺されたくないなら殺せ」でした。

ありがとうございました。
近々、休止されていた定期的な東京でのライヴを聴きに行く予定でいます。(わーい!行けたらいいな♪)

>私はこの歌を恣意的かもしれませんが、国家の魂胆への友川のプロテストを感じます。

引用されていた部分しかわかりませんが、その含意はあると思いました。





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