●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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ドキュメンタリー(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月14日(月)18時58分38秒


 ヘコヘコアザラシ さま
> 「問答無用で掲示板を没収した『ティーカップ・コミュニケーション』社については、今後じっくりと「自己の非」を教えて差し上げるつもりでございます……なにしろ相手は、会社組織というだけで、知的には「雑魚(ざこ)」でございますから(笑)」とは……トホホ!
> 自社への誹謗・中傷を、自社のサーバで許しているとは、ティーカップはザコじゃなくて、間抜けでっせ!

 アザラシさまの論法だと、「日本語を批判する者には、日本語を使わせるな」とか「略字新かなを批判する者には、略字新かなを使わせるな」とか「日本を批判する者は、日本に住まわせるな」とか「日本国憲法を批判する者は、国会議員にするな」・・・「そんなことを許すのは、間抜けのすることだ」ということになりますよね。
 で、こんな発想をなさるアザラシさまは、とうぜん身近な有力者には「ヘコへコ」なさるんでしょうし、その一方で、園主さまのように権威権力におもねらない人を妬んでは、こんな「煽り」をなさるんだと思います。「俺が我慢しているのに、おまえだけカッコつけるな」と。

 仮にも「ネット関連企業」に名を連ねてるんなら、どこの馬の骨ともわからない(したがって無責任な)人物の、こんな幼稚な「煽り」に乗って、「民事賠償」裁判の危険を自ら犯すほど、「ティーカップ」だってバカじゃないでしょうね。
 第一、そんなことしたら、世間の物笑いになって恥の上塗りをするだけだし、『(知的)ざこ』じゃなくてホントの「バカ」になっちゃうんですから(笑)。
 

 アーニャ さま
> アリョーシャあ〜☆

>> 得意の肉玉スタンプで、Keenさまを癒してさしあげろよ(笑)。(<園主さま)

> 私のは、「肉球」スタンプよっ!
> 「肉玉」っていうと、何か違うモノみたいじゃないの〜☆

 爆笑!

 『肉玉』って、「丼もの」みたいだねー(^-^)。

> ☆皆さま
> Keenさまへのお見舞い等、ありがとうございます。
> のんびりと療養中ですので、いずれまた。

 Keenさまを、『肉玉』でもって、よろしくね!(笑)


 園主 さま
> 初版本『ドグラ・マグラ』

 ホントに買ったんですね。それはすごいなあー。・・・影姫さまのコメントも気になるところです(笑)。
 さっそく、拝見にうかがいます!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


ドキュメンタリー(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月14日(月)18時57分58秒


 マム さま
> はじめましてよろしくです!楽古堂(らっこどう)さまって、ラッコを思い出してかわいいなあ・・とか思ってよく見たら本居宣長さまの言葉だったんだぁ!アレクセイさまもホランドさまも素敵な名前だし、花園常連さまってカッコいいよ。もち野茶坊さんもね、ワン!

> 個性的な人いっぱいいて、イッツ・ア・スモール・ワールド!だぁ・・

 ありがとうございます! 

 『スモール・ワールド』つまり『小宇宙』というのは、園主さまが目指されているものでもあるんですよ。園主さまは、澁澤龍彦さんのファンで、「散漫な世界」よりも「凝縮された小宇宙=オブジェとしての世界」を指向するようですからね。

> パラノ型思考に対してスキゾ型思考が生まれた。でもそれはいずれも同軸的な或いは二極的な志向だった。その上で、スキゾ型思考のもつ意味は、むしろそのモチベーションにあり、自分の責任において立つべき位 置を定めることが・・求められている・・とこう理解していいのかなぁ。

 それでいいと思います。「スキゾの試みが失敗したから、やっぱりパラノが正しかったんだ」といった、「笠井潔」的な言い方は、間違いだと思います。

> 前者の「こいつはやっかいなことになる」ってのはわかるんだけど^^、後者のセクハラってのはどうかなぁ・・一度でいいから会社でセクハラ受けてみたいもんだ!ちょっと待てよ・・ひょっとして、セクハラ受けてるのにセクハラだと思わないのかなぁ?・・カキコしながら重大なことに気づいてしまった^^;

 ふふふ(^-^)。・・・でも、冗談はさておいて、これは結構重要な指摘だと思いますよ。

 「セクハラ」ってのも、所詮は「解釈の問題」だってこと。つまり、「セクハラ」っていう概念が無かった時代には、「セクハラ」は存在し得なかった。概念が生まれた途端に「セクハラ」は「セクハラ」になった。そして、個人レベルでもそれは同じだということです。
 で、ある事象を捉えて、それが「セクハラなのか否か」を問うた時、どちらの理解が正しいのかといえば、それには暫定的な答は出せても、「絶対的に」どちらの解釈が正しいとは言えない。だって、概念は時代と共に、これからも変化していくんですからね。ですから、「セクハラ」といった言葉を武器として振り回すんじゃなくて、何が「不公正なことなのか」それを考えないといけないと思うんです。でないと、紋切り型の「セクハラ」を振り回すだけじゃ、男女間の理解の溝は深まるばかりなんじゃないでしょうか。大切なのは「相手の立場に立つ」こと、そして「相手を思いやること」なんだと思います。そしてこれは「差別 」問題全般に通じることなんだと思います。

 それから、マムさまに苦言をひとつ。

 マムさまのinoさまへの『それでもチ○チ○ついてんのか!』発言について、AOIさま・園主さま・ボクの間でいろいろ議論されてますけど、当のマムさまは「言い過ぎでした」と認めて終わっちゃってますよね。でも、ボクらがこれだけ議論しているというのは、この問題の本質が「言い過ぎでした」の一言では片づかない重要な問題を含んでいるからだと思いますし、第一、マムさまがinoさまを批判したとおり、簡単に「わかりました」とか「ご批判、ありがとうございました」って答えるような人は、たいてい、その問題について真剣に考えていないものなんですよ。
 夢野さまたちの問題を掘り下がるのも結構なんですが、自分自身の問題をなおざりにしていてはいけないと思います。マムさま自身が、『それでもチ○チ○ついてんのか!』と発言したことの「内的必然性」を検証なさらないものだから、園主さまがそのあたりについて「必然性」はあったはずだという議論を展開されていますが、でも、それについて誰よりも何かを語りうるのは、マムさまご自身なんです。だから、園主さまの、

> むしろ問うべきは、なぜ「あの時・あの場で・マムさまには」それが「必要」と感じられたのか、ということなのございましょう。

という問題提起については、すこしお考えいただければと思いました。





( 以下は「ドキュメンタリー(5)」につづく)


ドキュメンタリー(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月14日(月)18時55分14秒


 楽古堂主人 さま
 「星雲賞」同人誌評論部門の受賞、おめでとうございます!

 こないだ竹本さんの『トランプ殺人事件』の解説が決まったばかりなのに、好い事続きですね。これをきっかけに、楽古堂さまのメジャーデビューがあればいいのにって思いますが、その点、評論家は損ですよね。作家なら、すぐにでも注文が来たかも知れないのに。でも、楽古堂さまは楽古堂さまらしく、これまでどおりのマイペースで頑張って下さいね!


 AOI さま
> で、いきなりですが、風邪ひいてます。
> 寝ている間に窓が開いてる。窓から誰か侵入してくるっていうわけじゃなくて、開けちゃう人がいるんですね。もう。
> 膝、関節ガクガクで。みなさまも気をつけて!
> こんななのに明日は奥日光に行きます。温泉つかればなおるかなあ。
> 湖がいっぱいあるんですよ。

 もう、お帰りでしょうね。奥日光はどうでしたか? 風邪の方はいかがでしょう? しばらくは自宅で養生なさった方がいいですよ。

>>「差別」と「差別表現」の問題は、ホントに難しいですよね。理念として「差別 がいけない」というのは分かりやすいんですけど、それが日常使用している「言葉」にかかわってくると、なかなか微妙です。

> 私が言ったのは特に「差別」「差別表現」ということで言ったものではありません。マムさまも「差別 」「差別表現」ということから納得されたようではありますが。
私が言いたかったのは、同時代掲示板で語られていたことについては、すべてを把握していませんが、花園で語られていたこと、マムさまとinoさまとの対話を聞いていて、お二人の関係性からマムさまの『それでもチ○チ○ついてんのか!』は言い過ぎではないかということを言いたかっただけです。お互いの関係性の中から言葉は紡がれるわけで、一般 論は一般論に過ぎず、マムさまとinoさまの関係性であの発言は、言いすぎと思えたということです。

 そういうことなんですか? 議論の流れからすると『「差別」と「差別表現」の問題』だと思ったんですが。だって、AOIさまが引いておられた、

> 男性が女性の論客に「不感症」だの「男が寄り付かない」などという

といった事例は「性的いやがらせ」でしょうし、その根底には「性差別」があるんじゃないでしょうか? そして、それを承知でAOIさまはこうした事例を紹介なさったのではないのですか? また、そうだからこそ、

> 男の人たちはチ○チ○ついてるとかついていないとかということは、冗談でも言ったりすることでもあるでしょうし、私が過剰反応なのかもしれませんが、女性から言われるというのはまた別 の意味合いがあるのではないですか?

と問われたのではないでしょうか。

 マムさまのinoさまへの発言をめぐる今回の議論は、基本的には、「一般論」としての「性的比喩を用いて、悪口を言うべきではない」という主題に沿っての議論だとボクは理解したんですが、この理解は間違っているんでしょうか?

 でも、風邪気味の頭で考え過ぎて、知恵熱を出さないで下さいねー(笑)。

>>閨房の秘め事みたいな世界はまだよくわからないお子チャマなんだよね。キャー!(<マムさま)

> やっぱりお子ちゃまだったんだー(笑)。どうも威勢がいいなあと思ってたんですよー。
> でも、大丈夫よ。他にもお子ちゃまはいますからッ(笑)。ねっ!?ホランドさま!!

 そればっか・・・(-_-;)。





( 以下は「ドキュメンタリー(4)」につづく)


ドキュメンタリー(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月14日(月)18時54分28秒


 野茶坊 さま
 「同時代」掲示板の方、やっと夢野さんからレスがつきましたね。でも、今回のハンドルは、なぜだか『夢野道人』。
 当サイト『LIBRA アレクセイの星座』の歴史に詳しい人しか気づかないでしょうけど、ボクはこのハンドルを見て、おもわず笑ってしまいました。というのも、こないだから話題にのぼっている、「掲示板会社に泣きついた掲示板荒らし」の野嵜さんの「正字正かな」仲間で、同じく「掲示板荒らし」である木村さんのいくつかあるハンドルに『無鬼道人』というのがあったからです。こういう、人の「道」から逸れちゃう人っていうのは、やっぱり道から逸れてるってことに、ある程度は自覚的なんでしょうね。だから、ことさら「道」を意識した名前をつけちゃうんじゃないかなと思いました。

 さて、師匠の言葉(の権威)を振り回すんじゃなくて、それを自分がどう受け止め、どう理解しているのかを示せ、という野茶坊さまの要求に対して、これまでそれをなしえなかった夢野さんは、次のように答えています。

> それを、どう解釈されるかは、その人の信心によるわけですから、余計な解釈は無用だ、というのが僕のスタンスです。野茶坊さんの言われるように、解釈をすることもあるでしょうが、それこそ自分の恣意的な解釈を与えかねない危ない道なのかもしれないという配慮ぐらいは必要でしょう。誰でもそうした失敗はあるのですから。
        (「同時代を考える」掲示板、03/07/13(Sun) 07:59)

 夢野さんは、「言葉」というものが「理解」なしには成り立たないんだ、「解釈」をしなければ、それは単なる「無意味な記号の羅列」に過ぎないんだ、ということがわかっておられないようですね。つまり、実際にはご自分も「解釈」をしているのに、そのことに自覚がなくて、ただ「自分は素直に受け止めている」のだと誤解なさってるんです。

 当たり前のことなんですが、ふつう誰だって『余計な解釈』『自分の恣意的な解釈』をしようなんて思っていないし、自分の「理解=解釈」こそが「字義どおりの素直な理解」だと思っているものなんです。でも、厳密に言えば「解釈」とは、人の数だけあるんですね。なぜなら「言葉」というのは「暗号」の一種であり、それを読む「人」とは「翻訳機=暗号解読機」だからなんです。つまり「翻訳機=暗号解読機」には、あらかじめ「翻訳コード」が設定されていて、それに沿って翻訳がなされるわけですけど、その「コード」はその人の「人生経験に基づく世界理解」から生成されたものですから、指紋と同様におのずと「万人不同」なんですね。だから、解析翻訳結果 には「個性」が印されてしまわざるをえないんです。

 例えば、ある人が「平和主義でいこう!」と言ったとします。これは誰にとっても「平和主義でいこう!」という言葉でしかありませんが、これに「そうだ!私も平和主義でいく」と共感したAさんとBさんは、じつはそれぞれにこの「平和主義」を、次のように「個性的に解釈」しているかも知れないんです。

 (A) 平和実現のために、自他にわたって、いかなる暴力も否定する。
 (B) 平和実現のために、悪に対しては、武力行使も辞さない。

 単に「平和主義」の解釈ということなら、この「二つの解釈」はどちらも間違いではありません。でも、解釈の結果 は正反対になってしまうんですね。

 つまり、どんなに深い「叡智の言葉」であっても、それが適正に「解読」されなければ、それは園主さまのおっしゃる『ペンペンたる経文の一節、権威者の言葉』になってしまうんです。だからこそ、園主さまは、

> 『ペンペンたる経文の一節、権威者の言葉』というものは、「自分に言葉」に翻訳されて始めて、生き生きと躍動しはじめるのでございます。

とおっしゃったんでしょうし、野茶坊さまは、夢野さんが「壊れた・翻訳機=暗号解読機」だと理解なさっていたからこそ「オウムのように(無思考に)師匠の言葉を繰り返すのではなく、自分の言葉で語りなさい、解釈を示しなさい」っておっしゃったんでしょうね。

 でも、なにしろ夢野さんは「壊れた・翻訳機=暗号解読機」ですから、野茶坊さまのおっしゃっていることすら「理解」できず、冒頭に引用したとおりの、トンチンカンな答をなさったんだと思います。

 夢野さんの文章は穴だらけなんで、それを指摘しだしたら切りがありません。だから池野めだかじゃないけど『今日はこのくらいにしといたる』ということにします(笑)。あとは野茶坊さま、よろしく。





( 以下は「ドキュメンタリー(3)」につづく)


ドキュメンタリー(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月14日(月)18時53分38秒

 みなさん、こんばんは! こないだ、園主さまがお買いになった写 真集を見せていただきました。岩波書店から刊行の始まった「岩波フォト・ドキュメンタリー 世界の戦場から」シリーズ(総編集・広河隆一)の第一弾として刊行された『反テロ戦争の犠牲者たち』(広河隆一)『国境を越える難民』(小林正典)の二冊(共に定価1700円)です。
 どちらも胸の痛くなるような写真が少なくなくて、何ともやり切れない気分になるんですが、でも「この現実から目を背けちゃいけない」という気持ちだけは、ボクの中にもありました。たとえ、何もできなかったとしても、同じ人間として、この現実を「知らない」では済まされない。この現実に対して、どんな態度を選ぶにしろ、それはこの現実をいったんは全部受け止めてからの、「私の(有責な)選択」でなければならないと感じたんです。人間として「知らなかった」という言い訳だけは、すべきではないと感じたんです。

 世界を語る上で、「現実」を知るということは必須です。でも、その現実というものは、何も国家間のパワーバランスだけが問題となる「政治的現実」ばかりではないと思います。「正義の戦争」の美名の下で、今も世界では、多くの人が住む家を失い、餓えに苦しんでいます。その苦痛を人間的共有することも、世界の「現実」を知るということなのではないでしょうか。
 かつて「一人の人間の命の重みは、地球のそれよりも重い」というようなことが言われ、やがてそれは現実を無視した「空言」だと非難されるようになりました。・・・たしかに「政治の世界」ではそうなのかも知れません。でも、こと「個人の選択」においては、この言葉はむしろ正鵠を射ているのではないでしょうか。いま、目の前で飢えている一人の子供のためならば、国家の行く末など犬にでも食われてしまえという思い。それは、園主さまがしばしば引かれる、イワン・カラマーゾフの「罪もない子供たちの犠牲の上に保証された天国への切符など、こちらから突き返してやるよ」という思いと同じなんだと思います。





( 以下は「ドキュメンタリー(2)」につづく)


アリョーシャあ〜☆ 投稿者:アーニャ  投稿日: 7月14日(月)10時56分31秒

>得意の肉玉スタンプで、Keenさまを癒してさしあげろよ(笑)。

私のは、「肉球」スタンプよっ!
「肉玉」っていうと、何か違うモノみたいじゃないの〜☆

>『ドグラ・マグラ』、拝ましてやるからなあー(笑)。(>ホランドくん)

私も見たいわ♪皆さまもきっと同じだろうから、そのうち書影UPしてね。

☆皆さま

Keenさまへのお見舞い等、ありがとうございます。
のんびりと療養中ですので、いずれまた。

にゃあ〜♪


ザコザコアザラク 投稿者:黒井ミサ  投稿日: 7月14日(月)01時43分03秒

「問答無用で掲示板を没収した『ティーカップ・コミュニケーション』社については、今後じっくりと「自己の非」を教えて差し上げるつもりでございます……なにしろ相手は、会社組織というだけで、知的には「雑魚(ざこ)」でございますから(笑)」とは……トホホ!
自社への誹謗・中傷を、自社のサーバで許しているとは、ティーカップはザコじゃなくて、間抜けでっせ!


金と銀(14) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時29分12秒

 マム さま(つづき)

> マムは会社行くとき塗り壁だったりして・・だってもうおばさん年齢に近づいてるも〜んね!イジイジ・・「そうだろうなぁ・・・」なんて言わずに否定してよね!「マムはまだそんな歳じゃないよ!」って^^;ネッ!

マムさまはお若うございますよ。実年齢は存じませんが、精神は溌溂として躍動なさっておりますから(笑)。

ちなみに『塗り壁』というのは「長い書き込み」のことでございます。
これは、かつての「花園」掲示板が「黒地に白文字表示」であり「一投稿の字数制限が無かった」頃、そこへ電子掲示板の書き込みに馴れていなかった当時の私が、活字原稿を書くノリで、ほとんど改行することなく蜿蜒と長文の書き込みをした結果 、その書き込みの見た目が「闇夜に浮かぶ、白い塗り壁(妖怪)」のようだったということから、この言葉が出来たのでございます(笑)。

> 「自由は孤独であり、不安という代償を支払わねばならない」みたいなことをいう人がいたり、本にもそんなこと書いてるけど、マムは必ずしもそうとは思わないんだ。

これは一般論としては、そうだということでございましょう。もちろん、マムさまのような例外も存在いたします。

> マムが少女のころというか乙女チックだったときに、人恋しさみたいなものが人一倍強い時期があったんだよね・・これでも^^;(笑わないでよ!)でもそういうのって、ある日突然、瞬間的に抜けた。まるでスッポーン!ってな感じで。ナナンダ!これは一体何だ、何だ!みたいな・・その後さ、笑いがこみ上げてきて、しばらく大笑いしてた。今、思い出しても実に愉快だったなぁ。

これは一種の「悟り」であり、誠に「稀有な体験」であると存じます。

> 次元は違うんだろうけど、日蓮さまの「喜悦はかりなし(諸法実相抄)」っていうのは、「金ぴかの仏さまになれた!」ってのとは違うし、「な〜んにもしなくてもそのままで仏さまなんだ!」ってのとも違うと思うんだよね。

そうでございましょう。「こうしてしんどい思いもしながらも、人々のために働けることの喜び。これすなわち菩薩の喜びであり、仏の境涯である」といったような境地でございましょうね。

> マムも以前は、理不尽なものは理不尽だとして暴れたことがあるのね。物品セールスと指導をワンセットに尋ねてくる幹部さんを糾弾してその座から引きずり下ろしたり、市民団体から推薦された学会員(女性)が選挙期間中、地元学会組織から一方的に非難・排除されたのでゲリラ徹底抗戦をしてみたり、県コーラスの団長が親分気取りで分派行動をし始めたのでそれを潰してみたり・・(カキコすると切りないからそのあとは、省略ね)。

> しかし、あったまくる〜!のは何でだろう?と自問自答してみたら、天誅じゃぁ!みたいなことしててもなん〜にも意味がないと気づいたんだよね。立場が違うだけで、本質的なものを見失ってるってことでは「同類」・・そんなところに自分との出逢いなんてないと・・。まさに頭がスッコーンって感じの瞬間だった。

思うのですが、「正義を振りかざす」ことの虚しさをいずれ悟る人間というのは、マムさまにしろ野茶坊さまにしろ私にしろ、現実に危険人物と看做されるほどに「身体を張って」「身近なところで」、現にもめ事を引き起こしてきた人間だけなのではないでしょうか? 夢野さんや創価桜さんなんかは、一見「過激」に見えても、実際には「身近なところと揉めることは避け、遠くの相手に対し、安全な遠距離から石を投げているだけ」だと存じます。そんなことの繰り返しですから、善かれ悪しかれ「手応え」がなく、おのずと進歩や変化の、しようがないのではないでしょうか?


 アーニャ
> Keenさまの具合がよくないので、私もしばらくお世話で、欠席するわね。
> 書きたいネタはイロイロあるんだけど……

Keenさまのことはよろしく頼んだぞ。得意の肉玉スタンプで、Keenさまを癒してさしあげろよ(笑)。


 ホランド
『ドグラ・マグラ』、拝ましてやるからなあー(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


金と銀(13) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時22分16秒


 マム さま(つづき)

> 「正義」という言葉、少なくともジョナサンさまや使徒さま(笑)の口から出るときは実にいかがわしいものとしか映らない。

まったくでございますね。彼らは自分の失敗を糊塗するためのフォローしているつもりで、実際には恥の上塗りをしているだけなのですが、それには金輪際気づかないのでございましょう。

ちなみに、夢野さまの別ハンドルネームである『eva』や『使徒』というのは、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に由来するものでございまして、

>> eva さん 2003年 07月 08日 23時 48分 58秒
>>「使徒」って神の使いじゃないかと想うんですが、どうして地球を襲うんでしょうか?同じくアダムとイブから生まれしエヴァは、どうして使徒と戦うんでしょうか? エヴァに乗る資格はどうして現実にシンクロできないアダルトチルドレンだったんでしょうか?いろいろ謎が多くて面 白いですね。もっと続きが見たい…。

という書き込みは、普通に読めば、『新世紀エヴァンゲリオン』への言及だと申せましょう。

> 彼の言う「普通にシンクロできない己の存在性の大きさ」は、このままでいけば、同病相哀れむの世界で、益々幼児退行現象を強め、閉塞した闇に落ちていくだけのように思う。

しかし『エヴァに乗る資格はどうして現実にシンクロできないアダルトチルドレンだったんでしょうか?』という言葉には、夢野さまのこの『普通 にシンクロできない己の存在性の大きさ』という言葉が響いてもおります。

つまり、アダルトチルドレンである私(夢野)は、現代においては「選ばれた私」であり「特別 な私」であるという、間接的な自己賛美でございます。

たぶん夢野さまは『普通にシンクロできない己の存在性の大きさ』、それが苦しいとおっしゃりたいのでございましょうが、所詮それは、「自分は、選ばれて、重き十字架を背負いたる者」だという、陳腐にナルシスティックな自画自賛に過ぎないのでございます。

言うまでもなく、夢野さまの問題は「普通にシンクロできない己の存在性の大きさ」にあるのではなく、「普通 にシンクロできない己の存在性の卑小さ」にあるのであり、夢野さまが目を背けているのは、この「単純明解でありながら、だからこそ残酷な答」なのでございましょうね。

以前、私が「同時代を考える」掲示板で、Jonathanさまを批判した際、この『新世紀エヴァンゲリオン』を引き合いに出しましたところ、Jonathanさまは『私は、『エヴァンゲリオン』なる少年が見る漫画をみるほど、暇人ではありません(笑)』とおっしゃられて、私から「サブカルチャーに対する、無知の由来する偏見蔑視」を指摘されることになったのでございますが、当然、当時すでに夢野さまは『新世紀エヴァンゲリオン』を見て(愛好して)おられたでしょうから、お仲間であるJonathanさま「幼稚な発言」には、きっと眉を顰められていたことでございましょう(笑)。

ともあれ、劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』は、「総集編と完結編」ですから、それだえ見てもしかたございませんので、できれば「TVシリーズ」を見ていただきたいと存じます。このテレビアニメは「優れて現代的な」(時代の鏡としての)作品でございます。





( 以下は「金と銀(14)」につづく)


金と銀(12) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時21分16秒


 マム さま(つづき)

> 同時代の表看板「岡庭昇さま」ということでネットでググッてみたら、なんと!なんと!覆面 暴露座談会記事大好きな「噂の真相」とか、拉致問題報道で世間から非難と嘲笑の的になった「週刊金曜日」にカキコしてるじゃん(笑)なんとなくいろ〜んなものが透けて見えてるような・・見えないような・・。こういうのに、蘇鉄の実を一度食べさせてあげればいい。

私は『噂の真相』や『週刊金曜日』が、特に問題のある雑誌だとは思いません。もちろん「弱点」はあるでしょうし、「失敗」や「間違い」もあったでしょうが、それは社会的な事象を扱うどんな雑誌にもあることだと存じます。

『噂の真相』は、ほとんど読んだことはございませんが、例えば「覆面暴露座談会記事」というもの自体は、必ずしも悪いことではないと存じます。なぜなら、そういう形でなければ、表に出てこないであろう「弱者の本音」や「抑圧隠蔽された事実」というものもあると思うからでございます。ただ、この手法は、その匿名性ゆえに、往々安易で無責任なものなりがちですし、事実無根の謀略的中傷に利用されることも決して少なくございません。しかし、だからと言って「覆面 暴露座談会記事」を全面否定してしまったら、喜ぶのは問答無用の権力者だけであることは明かでございます。ですから、私たちは『噂の真相』的なメディアの持つ「長所と短所」を踏まえたうえで、情報の真贋を見抜くためのメディアリテラシーの涵養が必要なのではないでしょうか(ちなみにこれは、先日取り上げた『2ちゃんねる』の問題にも通 じると存じます)。

一方、『週刊金曜日』については、創刊時購読しておりましたので、おおよその雰囲気は存じております。一言でいえば「左翼的に、くそ真面 目な雑誌」だと申せましょう。
『拉致問題報道で世間から非難と嘲笑の的になった』というのは、具体的にどういう事実を指しておっしゃっておられるのか、私はよく存じ上げませんが、ただ北朝鮮の「日本人拉致」が「公式自認」される以前の、「拉致疑惑」報道に対する、『週刊金曜日』の「慎重な姿勢」や「牽制的な姿勢」が、事後的に『非難と嘲笑の的になった』ということであれば、それは問題にすべきことではございませんでしょう。
たとえば、「イラクの大量破壊兵器」問題報道や、かの「ロス疑惑」報道、「松本サリン事件」報道といっしょで、確たる証拠もない段階で、皆がこぞって、被疑対象を特定した攻撃的な「疑惑」報道をしている時に、「ちょっと待てよ、それは確かなのか」と冷静に牽制する立場が必要なのは明かなことでございます。今回の「北朝鮮による日本人拉致」疑惑は、たまたまそれが事実だったとはっきりしたから、「疑惑」報道をしていた方は鬼の首でも取ったように有頂天になり、「牽制」していた方を「非国民」「敵の回し者」呼ばわりいたしましたが、結果 として彼ら(『週刊金曜日』バッシングサイド)が間違っていた時の態度は、「松本サリン事件」報道を見れば明かなのでございます。
したがいまして、詳しいことは存じませんが、『週刊金曜日』が「拉致」問題で『世間から非難と嘲笑の的になった』としても、そのこと自体にさほどの意味があるとは思わないのでございます。どっちにしろ、メディアに踊らされて「有事法制関連3法案」を通 してしまうような『世間』とは、概ね「無知でバカ」だと言っても差し支えないからでございます。

したがいまして、岡庭昇さまが『噂の真相』や『週刊金曜日』に寄稿なさっていることを根拠として、岡庭さまを否定するという論法は、間違いだと存じます。

しかし、あの夢野さまやJonathanさまの書き込みを読んでおりながら、それを批判しないまでも、諭したり苦言を呈したりすることすらなさらないのだとしたら、それは岡庭昇という批評家が、「お客さま」は批評の対象から外す(タブー化する)「凡庸な二流の評論家」である、ということを意味しているとは申せましょう。これはミステリ評論家が、本音ではミステリファンの程度の低さを感じていたとしても、決してそれを口にしないのと同じことなのでございます。





( 以下は「金と銀(13)」につづく)


金と銀(11) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時20分26秒


 マム さま(つづき)

> 百歩譲って、カキコ削除権限を認めたにしても、掲示板という性格を考えれば、説明義務を有しているのは当然のことだと思うんだよね。野茶房さんの今回のカキコのどこに問題があるのかマムにはわからない。あくまで「自分」にとって都合のよいものだけ残し、不都合なものは有無を言わせず削除・隠蔽、「大義名分と印籠」を欺瞞という名前で装飾した掲示板で何を訴えようとしているのだろう?

> 結局、理由も根拠も説明せずのいきなり削除は、お二人とも「発言が完全に誤りであり、釈明すらできないものであった」ことを認めたことになる。総ての関連カキコを消せば、新しく見る人にとってはわからない・・見ていた人でも時間が立てば記憶から消える・・とでも思ったのかな?いつまで、こういうこと続けるつもりなんだろ?

誰しも「道理」が理解できないわけではございません。しかし、道理にしたがって生きるのは、しんどうございますから、つい楽をしようとして、与えられている手段(権力)を濫用するのでございましょう。そして人間は、いったん楽を憶えてしまうと、それを捨てることは困難でございますから、それを改めるのではなく、「道理」に対する理解を拒絶するようになるのでございましょうね。
つまり、これは「何をしたいから、こうした」ということではなく「何をしたくないと思って避けた結果 、こうなってしまった」というようなことだと存じます。そして、これは「主体性の欠除」に発したことゆえに、改められ正されることがほぼ無いのでございましょう。「権力の魔性」とは、「何かができる」という積極性にあるのではなく、「すべきことをしないで達成できる」という消極性に問題の本質があるのだと存じます。

> 商業ベースの行為として許されないのは当然だけど、こういった個人HPでも許されることじゃないよ。私的HP掲示板であれば尚のこと、本人たちはそれなりの目的と志をもって始めた掲示板のはずだと思うんだよね。ここまできたらどう見たって、自らクビを締め、その志すらドブに捨て去った姿というしかない。

> 冷静さを欠き、狂ったその姿は、単に恥をかくだけじゃなくって、むしろ、非営利的な個人までがインターネットを利用して情報操作しているといった問題を投げかけたと思う・・。世相がおかしくなると、静かに物音をたてず人の心の中に魔の手が忍び寄ってくるということかなぁ?自分は正義だと思い続けている人たちが、積極的に悪魔の手先になっていることさえ気づかずに。

『それなり』のものであろうとも、『目的』や『志』に形を与えようとすれば、それ相応の「努力」は当然必要なのでございます。なのに「努力」は嫌だけど「達成」はしたいと考える。そこに登場するのが「これを使えば、貴方も一発で正義のヒーローですよ」と猫なで声で擦り寄ってくる「堕落の悪魔」なのでございましょう。

> そういえば、同時代掲示板の表看板たる岡庭昇さまの「ユーゴ空爆と新帝国主義」(1999/04/28)と題するレポートに次のような文章があった。

> 『報道とは本質的に国家意志の狡智・巧妙・狡猾な宣伝である。それはときに、正しい情報の提供や弱者への連帯や権力批判すらも宣伝の手段に転化する。』『つまり、しばしば正義はいかがわしいのである。シニシズムを採らないわたしが、正義こそは正義であると断固主張するわたしが、その上でそう言うのだ。 』

> まさにその通りだよね。何故かって?同時代掲示板やジョナサン掲示板が岡庭昇さまの指摘する「しばしばいかがわしい正義」を自らの手によって演じて見せたのだから・・。キョエー!岡庭昇さまの優等生はこわ〜い(ーー)

私もかつて「心の師」と仰ぐ大西巨人の、ファンたち相手に5対1くらいで論争をしたことがございますが、「ファンは所詮、ファンでしかない(弟子は所詮、弟子でしかない)」というのを痛感しました。もちろん、私もファンのひとりなのでございますが、問題はその上での「個々の実際」なのでございます。





( 以下は「金と銀(12)」につづく)


金と銀(10) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時19分19秒


 マム さま
いつも、たくさん書き込んで下さって、ありがとうございます。その調子で頑張って下さいまし。当てにしております(笑)。

> はじめましてよろしくです!楽古堂(らっこどう)さまって、ラッコを思い出してかわいいなあ・・とか思ってよく見たら本居宣長さまの言葉だったんだぁ!アレクセイさまもホランドさまも素敵な名前だし、花園常連さまってカッコいいよ。もち野茶坊さんもね、ワン!

> 個性的な人いっぱいいて、イッツ・ア・スモール・ワールド!だぁ・・

ありがとうございます。それこそが「アレクセイの星座」なのでございますよ。そしてマムさまは、その星座の中で、今はいちばん輝いている星なのでございます(笑)。

> すごいですね!マムは「かけっこ」でリボンは一杯もらったけど、やっぱり嬉しかったよ!

私の場合、子供の頃から、「賞」というものには、とんと縁がございませんねえ……(-_-;)。

> 胸キュンキュンしなかったから「エロは全然感じなかった」というのが正直な感想で〜す。ただ、ワイワイ騒いでてそのノリが面 白かったってとこかな(笑)これって、ヒョッとしてマムも「(アレクセイさま言うところの)おばさん趣味化」してきたってことの照明?いや証明?

> オヒネリ!オヒネリ!みたいな大衆演劇って役者さんとお客さんが「一体感」を持つことの楽しさみたいなものかも知れないね。これは、ライブハウスも同じだと思うんだ。「小さな空間」、「暗い照明」って一体感を作り上げる演出としてはいいし、しかもそれが高尚でもなくメジャーでもないところが妙に一体感を盛り上げるよね(笑)

そうか。たぶん私は「みんなで盛り上がる」ということに対して、どこか「反感」とも「嫌悪」ともつかない感情を持っているのでございましょう。なぜなら「みんなで盛り上がる」時というのは、大抵の場合「個人の冷静な判断」が放棄され失われて、「全体」に「身を委せた状態(依存した状態)」になっているからでございます。で、それが私には「怜悧さに欠けている」とか「べたべたした関係」とか「もたれ合い」みたいなものとして感じられるのでございましょう。要は、私の根底に「他者への不信と嫌悪」があるということなのでございましょう。だから「身をまかせ切れない」のではないでしょうか?

> マムはまだエッチはスポーツみたいなとこがあって、閨房の秘め事みたいな世界はまだよくわからないお子チャマなんだよね。キャー!それにさ、マムのおうちっていつもだれかが来ていて、「エッこの人だれだっけ?」みたいな世界だから、「陰微=淫微」なオンナの歓び?悦び?知るには程遠いなあああ・・ア〜ア

現実のエッチに縁遠い生活をしているからこそ、子供と同様に「イメージ」先行になってしまうのだという解釈も可能でございましょう。オーソドックスなセックスが三度の飯より好きだとおっしゃるような方なら、ほぼ間違いなく、私のようなスタンスこそ『お子ちゃま』のそれだと評価なさることでございましょう。

ですが、単なる「性交」ではなく、人間的な「性」としての「エロティシズム」をどのように享受するのかは、所詮「人それぞれ」であり、他人のそれと自分のそれを比較して、こっちの方が「大人の」それだなどと自慢するのは、馬鹿げたことだと存じます。無論、私が書いたことも、単に「私の趣味は、こうです」ということであって、スポーツのようなセックスを楽しんでいる人を見下すものではございません。それは「私としては、より多くも求めたい」という、個人的な希望表明に過ぎないのでございます。

> エロってシャーマニズムとかアミニズムと深い関係あるのかなぁ・・・

もちろん、そうでございましょう。ギリシャだったかどうかは忘れましたが、神殿の巫女が神職の一端として娼婦を兼ねていたという事実もあるそうでございます(神聖娼婦)。つまり「巫女」というのは、「神」の「依り代」であり、「神」とより深く接しようと思えば、おのずと「巫女」と交わるということにもなるのでございましょう。ですから、信者らと次々に交わる「巫女」の仕事は、「汚れた」ものではなく、文字どおり「神聖」なものであり、「浄化」の仕事だったのでございましょうね。





( 以下は「金と銀(11)」につづく)


金と銀(9) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時18分31秒


 楽古堂主人 さま
「星雲賞」受賞、おめでとうございます。
しかし、それも当然の結果でございましょう。なぜなら、私が「趣味」だけで人を評価しているのならばともかく、客観的に見て、私に評価されない人が星雲賞受賞者にも多々いらっしゃるのでございますから、私に評価されて、それでも星雲賞を取れないというのは、原理的におかしいのでございますよ。明かに評価基準は、私の方が厳しいのでございますから。つまり、こちらが負けているのは「鑑識眼」ではなく、「世間的な権威」だけなのでございます(笑)。

> ・ 以下の文章は、他の討論や原稿との関係を重視して、こちらに引き続き起こせて頂こうかと考えました。
> 1・書評『ケルトの白馬』
> 2・天使流離譚
> 3・アニムスの物語
> 4・京極百珍(「40の設問」篇)          
> 5・京極百珍(「課題討議」篇)          
> 6・ネットゼミナール 楽古堂(小説合評・討議)
>・ お考えをお聞かせください。

もちろん、これらの原稿は、楽古堂さまのご意見を中心にしながらも、「合作」的な意味合いの強いものでございますから、うちのサイト以外に、適切な場所はございませんでしょう。

問題は、それ以外のもので、私やホランドくんの原稿に「参照文書」としてリンクが張られているものでございます。これらについては、すぐに削除すると「リンク切れ」で「参照」が不能となりますので、新たな収録先が決まるまでは、当サイトにブラインド状態残しておき、他の収容先に収容された段階でリンクを張りなおし、その上で、うちの分は削除するという段取りになろうかと存じます。

つまり、『7月31日』付けで削除されるのは、『天酒房 楽古堂』のトップページと、『MENU』ページのリンク、それから私やホランドくんの原稿にリンクの張られていない「独立した原稿」ということになります。ですから、『天酒房 楽古堂』は、見掛け上では『7月31日』付けで削除されますものの、実際にはその日から順次、削除作業がなされていくといった感じとなりましょう。

> ・ それから、keen様へ送ったムーミンの原稿が、『ネットゼミナール』関係で、たしか一編あったように思います。

もうしわけございません。たぶん「おばあさんの知恵袋」でしたかのことをおっしゃっておられる存じますが、これはすでに収録された分と、この原稿との間に入る分を入れなければ収録できないと考えているうちに、忙しさに紛れてほったらかしにしてしまっておりました。

こちらはうちのサイトに残る分でございますし、できるだけ早く何とかしたいとは存じますが、『天酒房 楽古堂』の削除作業(削除自体よりも、「花園」の「過去ログ」のあちこちに張られたリンクの解除に手数がかかりそう)と重なりますので、早急には対応できそうにございませんので、その点、悪しからずご理解下さいまし。





( 以下は「金と銀(10)」につづく)


金と銀(8) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時17分35秒


 AOI さま(つづき)

> 「それでもチ○チ○ついてんのか!」は議論とは関係ないと思えること(性的に貶めること)、「単なる悪口」だと受け取られるというリスクを犯して言う必要があるとも思えなかったということです。

つまり『と受け取られるというリスクを犯して言う必要』があるのか、というような議論の立て方は「否定のための否定」の論理、だと存じます。
例えば「『男性が女性の論客に「不感症」だの「男が寄り付かない」などというのは、議論で勝てないとわかって、議論を放棄する捨て台詞』という不適切な比喩的事例を持ってくる必要があったのか、そんなこと、ここでは関係ないではないか」と言われた場合、それに反論するための「絶対に、その表現でなくてはならない理由」など思いつくでしょうか? そもそも、そんな「絶対の言葉」だけで話している人間など、この世に実在するのでしょうか?

『必要』というものは、「その時・その場で・その人に」あったり無かったりするもので、それがすでに過去になった時点で「その必要を問う」ても、あまり意味はないのでございます。まして「他人」には、その「必要」性が共有できるものではないのでございます。
むしろ問うべきは、なぜ「あの時・あの場で・マムさまには」それが「必要」と感じられたのか、ということなのございましょう。

> ということからのマムさまへの書き込みで、私のボーダーを示したに過ぎません。
> また、マムさまとinoさまの関係をそばで拝見していて私が思ったことでもあります。

『マムさまとinoさまの関係』というのは、結局のところ、そこで語られた「言葉」にしかないのでございますから、その「言葉」を適切に(つまり、一般 に説得力のある論理によって)評価するしかないのではないでしょうか? 「個別 事例」を評価するに当っても、その評価基準となるのは、「一般的公正さ」以外にはありえないと存じますし、AOIさまの議論には、そのあたりに混乱があるものと存じます。

なお、大西巨人の『三位一体の神話』(光文社文庫)が刊行されました。刊行時、なにかと話題になったミステリ形式の小説でございますが、テーマはズバリ「金と銀(一流と二流、本物と偽物)」でございます。ぜひ、お読み下さいまし。





( 以下は「金と銀(9)」につづく)


金と銀(7) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時16分34秒


 AOI さま(つづき)

> 私は、「比喩」による否定的表現を問題にしたのではありません。
> チ○チ○ついていても、ついていなくても議論には関係ないからです。また、リスクもあるわけで、その必要があるのかということです。

これは「言葉狩り」につながる危険な論法だと存じます。
どんな言い方であろうと、それが「表現」である限り『リスク』は付き物であり、それを知らない人間はほとんどおりません。例えば、一見してヤクザとわかる人に「ヤクザは社会の害虫だ」と面 と向かっていう人は、まずおりません。小さい子供に「君がこの世に生まれて来なかったとしても、君のご両親はそれなりに楽しく暮らしたでしょう」なんていう人も、まずおりません。同様に、マムさまがinoさまにああいう表現をなさったのは、少なくともその時は、そうした表現に多少の「リスク」はあったとしても、それ以上に「思い」を伝える上で「有効」であろうと感じられていたからだと存じます。
『チ○チ○ついていても、ついていなくても議論には関係ない』というのは、「(主旨が同じで、もっと穏当な)違う表現もあっただろう」という意味なのでございましょうが、これはとんでもない間違いでございます。「桜がきれいに咲いている」も「きれいに桜が咲いている」も「主旨」は同じですが、ある作家がどちらかを選んだ時、そこには他人にはうかがい知れない「微妙な理由」が存在しており、他人が傍から見ていて「べつにそっちじゃなくても良いだろう」というような大雑把な話ではないのでございます。

『それでもチ○チ○ついてんのか!』という言葉は、明かに「そんな情けないことでどうするんだ!」というメッセージを「強く」含んでおり、『議論には関係ない』などとは到底申せません。言うまでもなく、メッセージというのは「イコール・論旨」ではなく、そこに込められた「言外の感情」も含むのでございます。ところが、ここでのAOIさまのおっしゃり方は〈「論旨」さえ伝われば、リスクを犯してまで「感情」を伝える必要はない〉とおっしゃっているも同然なのでございます。「めくら」という表現のリスクが大きければ、「目の不自由な人」と言い換えれば良いという発想は、この二つの言葉の間の「明かな違い」を平然と無視するものであり、まさにそこに問題があるのでございますが、今回の場合は『それでもチ○チ○ついてんのか!』という言葉に込められた「感情」を検討する以前に、そのままその言葉を「無価値」として切り捨てようとするものだと、私には思われるのでございます。

> たしかに、マムさまの言われていることは悪意をもってなされたものではないと思いますよ。でも、相手がそう取るとは限らない。

「相手がどう取るかわからない」ということは、問題ではございません。それを言えば、冗談ひとつ言えません。「リスク」を背負って「語り合う」ところにだけ、コミュニケーションは成立するのでございます。問題は「リスク・マネージメント」でございましょう。

> つまり、男性が女性の論客に「不感症」だの「男が寄り付かない」などというのは、議論で勝てないとわかって、議論を放棄する捨て台詞のようなものでしょう。議論の本質とは関係ないことで相手を貶めるというふうに。

これは全然問題が違います。
マムさまの場合は、「男性らしい」ということを「肯定的」に評価しているからこそ、inoさま個人のあり方が「男性的状態ではない=否定的状態である」ということを伝えるために、『それでもチ○チ○ついてんのか!』という言葉が使われました。つまりこれは、マムさまがinoさまと同じ前提に立った上で、問題意識をより深く共有できるであろう表現を、inoさまの「問題点」に当てたということなのでございます。

ところが『男性が女性の論客に「不感症」だの「男が寄り付かない」などというのは、議論で勝てないとわかって、議論を放棄する捨て台詞のようなもの』なのですから、同じ「性的」な表現(比喩)を用いて否定しているとしても、「批判の主旨」に沿った表現か否かで、両者には大きな隔たりがあり、それを同日に論じることの方が、むしろ問題だと申せましょう。
つまり、マムさまのinoさまへの『それでもチ○チ○ついてんのか!』という比喩的批判の言葉よりも、この言葉を否定する根拠として、『男性が女性の論客に「不感症」だの「男が寄り付かない」などというのは、議論で勝てないとわかって、議論を放棄する捨て台詞』という比喩を持ってくるということの方が、よほど不適切であり、問題があるものと存じます。





( 以下は「金と銀(8)」につづく)


金と銀(6) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時15分33秒


 AOI さま(つづき)

> 男の人たちはチ○チ○ついてるとかついていないとかということは、冗談でも言ったりすることでもあるでしょうし、私が過剰反応なのかもしれませんが、女性から言われるというのはまた別 の意味合いがあるのではないですか?

『女性から言われるというのはまた別の意味合いがあるのではないですか?』とのことですが、それは当然ございましょう。しかし、それは「年長者」から言われるのと「年下」から言われるのとの「差」ほどの違いがあるかどうか? ……たぶん、それはその個人の「性差意識(性差階級観?)」に拠ると思います。
じっさい、自分にそう言われても仕方のない非があったとして、マムさまのような女性にそう言われるのと、年下の男性に同じことを言われるのとでは、絶対に年下の男性に言われる方が腹が立つでしょう。これは、私のなかに「マムさまは、悪意なくそういう表現をする人だ」という了解があり、一方、年下の男性に対しては「いくら私に非があったとしても、若年者ならもうすこし言い方を考えるべきだ」という考えがあるからでございます。もっとも、彼に対し私の認識として、彼が「いい奴」であり「善かれと考えて、そういう言い方をする奴」だという了解があれば、さほど腹は立たないでしょう。つまり、この場合「性差」ということは「個人差(個性)」以上の意味は無いであろうということでございます。
もちろん、「女性はすべからく慎ましくあれ」と思うような男性は、私のようには考えないでしょうが、私はそんな考え方を支持いたしません。

> 私からいえば、奥さんにしか言えないんじゃないかなっていう感じですね(笑)。

私は「夫婦」という一般的な関係性よりも、発話者の「個性(とその理解=関係)」の方が大きいと存じます。

> 相手に魅力を感じている人から言われたら、当然ダメージ大きいんじゃありません?今までのやりとりを拝見していて、マムさまに魅力を感じるのは当然だと思いますしね。
> それは別に、美醜に関わる偏見ではないと思いますけど。本音なのでは?

この『魅力』という言葉が問題でございますよね。
具体的に言えば、相手が「私をよく理解してくれている、良い人だ」という了解があれば、その了解とは「一種の魅力(を感じている状態)」の存在を意味しましょう。そういう相手から、厳しい指摘をされれば「その批判が当っている可能性が高い」と了解できますから『当然ダメージ大きい』。ですが、この場合、「男女」も「美醜」も基本的には無関係でございます。
もちろん、相手に感じている『魅力』が「鈍いけど、いい人」みたいなものがあれば、その人が厳しい批判をしても、あんまり堪えないかも知れませんよね。「この人、良い人なんだけど、見当違いのことで怒るからなあー。まあ、善意から言ってくれているんだから、聞き流しておこう」なんて思うかも知れません。

つまり、AOIさまとしては「inoさまがマムさまに『魅力を感じている』可能性が大であり、そんな相手から罵倒されれば『当然ダメージ大きい』だろう、だから言葉を選ぶべきだ」とおっしゃりたいのでございましょうが、この論法を裏返すと「魅力を感じられていないであろう人物が批判する時は、相手への言葉の効果 が弱いと考えられるから、(罵倒的な)きつい言葉を使うべきである」ということにはならないでしょうか? でも、これはおかしゅうございましょう? 批評や批判は、その当事者の「関係性」がどうであろうと、出来うる限り「適正」であるべきであり、その「親密度」に応じて「言葉使い」を変えるべきではないと存じます。
ですから、inoさまとマムさまの場合も、inoさまがマムさまをどう思っていようが、それはマムさまの言葉使いを評価する時には「関係ない」と私は考えます。





( 以下は「金と銀(7)」につづく)


金と銀(5) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時14分28秒


 AOI さま(つづき)

>> この問題も、「差別」の問題であると共に、「言葉」の問題でもございますから、単純に「人を傷つける言葉だから、使うべきではない=封印すべき」というレベルで議論を終わらせるべきではないと存じます。
>> 「無自覚な」使用は厳に謹むべきですが、そういう言葉を、「正当」かつ「自覚的」に使うことはできないのか……というようなことも考えるべきではないかと存じます。

> このように言われていることについては同感です。
> 議論していいことだと思いますし、今回、園主さまの思われたことをお聞かせください。
> また、一般論として話してもわかりにくいと思います。
> 私は今回の流れの中で言ったことで、一般論として書いたものではありません。

これは、

> 私が言ったのは特に「差別」「差別表現」ということで言ったものではありません。マムさまも「差別 」「差別表現」ということから納得されたようではありますが。
> 私が言いたかったのは、同時代掲示板で語られていたことについては、すべてを把握していませんが、花園で語られていたこと、マムさまとinoさまとの対話を聞いていて、お二人の関係性からマムさまの『それでもチ○チ○ついてんのか!』は言い過ぎではないかということを言いたかっただけです。お互いの関係性の中から言葉は紡がれるわけで、一般 論は一般論に過ぎず、マムさまとinoさまの関係性であの発言は、言いすぎと思えたということです。

ということでございますね。
そうだとすれば、私は、『マムさまとinoさまの関係性で』の『あの発言』は、言い過ぎたとは思いません。マムさまが善くも悪くもああいうスパッとした物言いをなさる方であることは、inoさまも感じておられたでしょうし、マムさまにああいう物言いができたのは、マムさまがinoさまにある種の親近感を抱いていたからでございましょう。本当にどうしようもない奴だと思っていれば、その相手に『それでもチ○チ○ついてんのか!』とはおっしゃれなかったと存じます。つまり、こうした二人の個性が体面 したところに、あの言葉は出るべくして出たのであり、ですから私は、あれを『言い過ぎ』だとは考えないのでございます。あれを『言い過ぎ』だとするには、あくまでも「一般 的に言って」というような「(一般論・的)基準」の適用が必要であると存じます。

> 『この世に善も悪もない』のであれば、「無自覚に」「何にも考えずに」「考えるのを避けて」いたとしても責められることではないのではないでしょうか?

いいえ。『この世に善も悪もない』としても、「無自覚に」「何にも考えずに」「考えるのを避けて」いたとして、責められるべきことは責められるべきでございましょう。また、たぶん「善悪」というのは、「行為」に先立って存在していたのではなく、「行為」の後に「観念」されたものでございますから、事後的に「観念」されたそれがなくとも、「責める・責められる」ということは可能であり、それが可能であれば、それを適正に運用するための検討も必要不可欠でございましょう。

> また、私が考えたいといっているのはここで言われている

>>「無意識」というのは、元来「意識化されない意識」のことで、この「抑圧され、無意識化された、意識」というものは、その大半が元は「ただの意識(意識され(う)る意識)」であり、何らかの「理由」により、「抑圧」という過程を経て「無意識化」されたものなのだと思うのでございます。

> 何らかの「理由」や「抑圧」のシステムについてです。
> つまり、これらのことがわからなければ、意識されることも、自覚されることもないように思います。

『何らかの「理由」』というのは、個々別々ですから「一般論」としては語れません。『「抑圧」のシステム』というのは、すでに「心理学」等の知見でその多くのところが解き明かされていると存じます。ですから、我々がしなければならないのは、個々の具体例について、そうした知見を適切に適用して、個々の問題を腑分けし、個別 に問題の解決に勤めることだと存じます。そして、それが「批評」でございましょう。





( 以下は「金と銀(6)」につづく)


金と銀(4) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時13分18秒


 AOI さま
> で、いきなりですが、風邪ひいてます。
> 寝ている間に窓が開いてる。窓から誰か侵入してくるっていうわけじゃなくて、開けちゃう人がいるんですね。もう。
> 膝、関節ガクガクで。みなさまも気をつけて!
> こんななのに明日は奥日光に行きます。温泉つかればなおるかなあ。
> 湖がいっぱいあるんですよ。

そんな調子で、旅行をなすって大丈夫なのでございましょうか? くれぐれも大事になさって下さいましよ。

> 園主さまは闘争中?
> いい気なもんだね私。

いいえ。『ティーカップ・コミュニケーション』社との闘争は、こちらの「説明要求」をあちらが「是非に非ず(問答無用)」と蹴ったことで、その日のうちに一応の決着はついておりまして、そのあと私は、まったく別 の要件で忙しくしていたのでございます。

『一応の決着』とは、つまり、私は「強迫」に屈することなく言論で抵抗し、それに言論で対抗しえなかった相手は、暴力的に「掲示板」を没収することで「形式的な決着」をつけた、ということでございます。
まあ、もともとあの掲示板は「無料貸与」のレンタル掲示板であり、「ログ」は取ってありましたから、私の方にはほぼ実害はございません。掲示板が必要であれば、また「無料貸与を受ければ良いだけ」なのでございますから、反撃を急ぐ必要はないのでございますよ(笑)。

『ティーカップ・コミュニケーション』社が、野嵜さまの名前をあげて「削除要求」をしてきたことで、「掲示板荒らし」の方が「泣きを入れた」事実が明かとなったのでございますから、これは『言葉・言葉・言葉』という名をもつサイトのサイトマスターである野嵜さまの、実質的な「敗北宣言」だと申せましょう。
もちろん、ご本人は否定なさるでしょうが、「五分対当の立場でのケンカ」では、上位 権威者に泣きついた方が「負け」だというのは、世界の常識。野嵜さまがどう言い繕われようと、世間はそのような「告げ口男」の「言い訳」を、真に受けはしないのでございます(笑)。
したがいまして、今回の件は、野嵜さまたち「掲示板荒らしの敗北」を、決定的に世間に知らしめたというメリットが私の側にはあり、「掲示板荒らしを晒しものにする」ということが主たる狙いだった掲示版『ARGUMENT』は、その消滅に際して、その目的を完全に達成したということなのでございます(笑)。

無論、問答無用で掲示板を没収した『ティーカップ・コミュニケーション』社については、今後じっくりと「自己の非」を教えて差し上げるつもりでございます。……もっとも、笠井潔に対するほどの根気が持てないであろうことが、私自身心配ではございます。なにしろ相手は、会社組織というだけで、知的には「雑魚(ざこ)」でございますから(笑)。

ちなみに、先日やっと、内田樹さまの「おじさん」的思考2 期間限定の思想』(晶文社)を読みました。あいかわらず達者な文章であり、見るべきところも多々ありながら、最終的には「自己正当化」になるところも「あいかわらず」でございました。
先月29日、友人たちと、京都文化博物館での『今日の人形芸術』展を見に行った際に、あちらの古本屋で「初版完本極美」を購入したのでございます。この本の内容ならば、じゅうぶんに500円の価値はあったと評価いたします(笑)。





( 以下は「金と銀(5)」につづく)


金と銀(3) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時12分23秒


 野茶坊 さま(つづき)

> この前、座談会週間を強引に前倒ししてわが家でブロック座談会を勝手にやったら(私はブロック長ではありませんが)、12時過ぎまで皆、時間を忘れて語る語る・・・。イラク戦争加担、有事関連三法案に関しては、「やっぱり、自分の考え(K党・S会への疑問)は間違ってなかった」と、安堵と憤りを交錯させた人が大多数(元圏幹部の爺さんも含めて)と見受けられました。選挙の話をするためにやってきた地区部長はついに語れずじまい。そのうち皆に同化して、「いやあ、これがホントの座談会なんだよな。これがいいんだよ、これが・・・」。
> 十数年、会合に出たことがないという壮年部が帰り際、嬉々として「また是非連絡してくれ。次もここ(私の家)でやるんだろ?」。「今度は焼酎持参でやりますか?」。

> うちのブロックの人たち(及び他ブロックからの参加者)は、患部がやってくる地区座談会には出ないと思います。ケケケ・・・。

> 地区の機関誌をつくろうと張り切り始めたおっさんがいます。全本部にばらまける態勢をつくってから、やおら・・・。にひ〜。

うらやましくなるくらい、楽しそうでございますねえー(笑)。

「弱者・少数者」の戦いは、結果を焦ってはなりません。まずは戦いの過程を楽しむことであり、しぶとく・強かに・しなやかに戦うことが重要でございましょう。いわば「雑草」の戦いでございます。

> 無告の民は解放されつつあります。

> もし、信仰放棄を公言するアレクセイさんがうちの地区で私と同じことやったら、どうなるか・・・? 結果 は見えているだろうね。皆、私が曲がりなりにも信仰を続けている「イン」だからこそ、安心して盛り上がり始めたに過ぎない。

> そうした弱さは容易に克服できるものではないだろうね。それが現実。私もそうだった。いや、これは過去形ではない。今もそうした弱さを私は持つ。「いざ」という時にその弱さが噴出してくるだろう。これを「己身の魔」と呼ぶ。断固叩き伏せるべし。

ハッキリした「敵」としての『患部』よりも、本当の敵(=最終的な敵)とは『無告の民』を『無告の民』たらしめている「弱さ」という「己心の魔」でございましょう。それからの開放は、人類永遠の課題でございます。

> 「池田先生はホントは戦争反対なんだ」なんてことをいちいち声高に喚かなきゃならんこと自体がすでに「師弟不二」の対極なんじゃないのか?

なぜ「彼ら」は、池田大作氏が戦争反対であることの、証拠を欲するのでございましょう? その答は明白。つまり、彼らが池田大作氏を「権威」として利用する人間だからでございます。そうであるからこそ、「世間に向けて」の保証書がどうしても必要だったのでございますよ。

彼らが、本当に池田氏を「師匠」と仰ぎ全幅の信頼をおいており、池田氏が「戦争に反対しないわけがない」と信じているのならば、「証拠」などは必要はございませんし、「世間」の批判に対しても「そう思うのならば思えば良い。誰が何と言ったところで、私は池田先生が戦争反対者であることをよく知っているし、先生が弁明しないのならば、その必要がないと考えておられるということだから、私も弁明しようとは思わない。だが、真実は一つだ」と余裕をもって構えていられるはずでございます。また、このように、彼らが池田氏を「平和主義者」として信頼しているのなら、池田氏が「戦争を支持した」ことが判明した場合以外は、何ら騒ぎたてる必要はないはずなのでございます。

彼らが、世間に対して池田氏の偉大さを喧伝したがるのは、彼らが池田氏の「権威」に依存(=寄生)しているからであり、「裸の池田大作」など愛せはしないからなのでございます。

> 私の場合、「突き抜ける」というより、タマネギの皮を剥ぐように一枚一枚自分をめくっていくのかも知れないね・・・。
> ああ、そうか、一瞬で突き抜けるのは、乙女時代・少年時代のことか・・・。

私の場合も『タマネギの皮を剥ぐように一枚一枚自分をめくっていく』という感じでございますね。「自他の嫌なところ・弱いところ」をいろいろ考えているうちに、いつのまにか少しずつ変わっていたという感じでございます。





( 以下は「金と銀(4)」につづく)


金と銀(2) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時11分07秒


 野茶坊 さま
『めぞん一刻』

> なんだってえ〜? 「そういちろうさん」てどんな人かいな? 「メゾン一刻」のHPを見てみようかな。おかしなヤツだったら承知せんぞ〜。

ご感想はいかがでございましょう?(笑)

> 漫画のタイトルだけは覚えていますが、まともに読んだことがないので、内容やら登場人物やら、とんと記憶にないのです。
> そういえば、『回想』で紹介したSさんが、K地区男子部の巣窟になっていたあのアパートを「イッコクカン」と呼んで喜んでいたのは、「メゾン一刻」からの取材だったのかな? 当時は何のことやらさっぱりわからず、Sさんに尋ねもしなかったんですが・・・。

「イッコクカン」と言えば、『めぞん一刻』しかございませんでしょう。Sさまが、いかに『K地区男子部の巣窟になっていたあのアパート』を愛されたいたかが忍ばれるエピソードだと存じます(笑)。
ホランドくんが、「花園」は個性的な人の寄り集まりで毎日が宴会状態だから、まるで『一刻館みたい』だというようなことを書いておりましたが、Sさまもそうした思いを込めて、そのアパートを「イッコクカン」とお呼びになられていたのでございましょう。ですから、野茶坊さまには是非『めぞん一刻』をお読みいただきたいと存じます。思い当たるフシが、きっとたくさん見つかることでございましょう(笑)。

> 浅田次郎の小説

浅田次郎は「泣かせ」の作家でございます。読者を泣かせるのがとても上手い、ちょっと狡い「癒し」の小説家と申せましょう。その意味で、浅田次郎は善くも悪くもエンターティンメントの枠内に止まる作家でございます。
しかし、初期にあっては必ずしもそうではございませんでした。長らく不遇を託ち、人生の陽陰道を歩いてきたせいか、初期の作品には一種の「屈折」があり、それがあるからこそ「感動」にも厚みがあったのでございます。つまり、初期の浅田次郎には「さび」が効いていたが、最近のものは「泣けるには泣けるけど、どうも甘ったるくていけません」というのが、『鉄道員〈ぽっぽや〉』での直木賞受賞後しばらくした頃に浅田次郎を見限った、私の意見でございます。そして、そういう私の浅田次郎ベストワンは『プリズンホテル秋』(シリーズ2作目)でございます。

>> しかし、(悪い意味で)『イン(活動家)とアウツ(退転者)を区別』する(単純な)人にとっても、むしろ『グレーゾーン』というのは「存在しない」のではないでしょうか?

> そうですね。その具体例はここに書きませんが、枚挙にいとまありませんね(笑)。
> ホントはみんなグレーゾーンなのではないかと私は思うのです。凡夫=ただの人なんですから。
> (だから、いつかの書き込みに「ホントに確信持てたら成仏しちゃうよ」と書いたのです)。

同感でございます。人は誰しも「神仏」ではない「凡夫」の身でございますから、わからないことの方が多いのは当然でございますし、であれば自ずと疑問も涌けば、迷いもする。なのに、ペンペンたる経文の一節、権威者の言葉を振り回して、何の疑いもなく「正邪」を語り他人を断罪する人というのは、一言でいえば「盲信者(=狂信者)」であり、平たく言えば「何も考えずに、他人の権威に依存して、無責任な行動をとる人」ということになりましょう。
『ペンペンたる経文の一節、権威者の言葉』というものは、「自分に言葉」に翻訳されて始めて、生き生きと躍動しはじめるのでございます。逆に言えば、『ペンペンたる経文の一節、権威者の言葉』を、自分の言葉に置き換えて語れない人というのは、その「内容」を理解しておらず、ただその「権威」を利用しているに過ぎないということでございましょう。「論語読みの論語知らず」という言葉がございますが、これは「法華語りの法華知らず」「池田信者の池田知らず」と言い換えても良いのでございます。





( 以下は「金と銀(3)」につづく)


金と銀(1) 投稿者:園主  投稿日: 7月13日(日)23時10分12秒

みなさま、私、書籍蒐集を始めて以来、かれこれ二十年になりますが、その当初に「この本さえ手に入れれば、それで満足だ」と思った本が3冊ございます。それは、私に「活字による異世界探訪」の魅惑を決定的に刷り込んだ「アンチ・ミステリー」の3冊、『虚無への供物』『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』でございます。
このうち『虚無への供物』は、初版刊行が昭和39年とわりあい新しく、初版本の古書価格も、安くはないものの買えない値段ではなかったため、わりあい早く入手することができました。またそのおかげで、著者中井英夫にも会って、「その人々の一人」をいう献辞付きで「塔晶夫」のサインを直接もらえましたし、しっかりもう一冊準備していった方には、「中井英夫」のサインをもらうこともできました(笑)。
しかし、『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』は、初版刊行がともに昭和10年と戦前の本であり、著者はすでに亡くなっておりました。また、この二作は、その著者である夢野久作と小栗虫太郎などの戦前戦後の探偵小説作家の手になる「(いわゆる)変格探偵小説」を対象とした昭和五十年代の「大ロマンの復活」ブームを通 過して世間的な再評価を受けたことや、「バブル経済期」には「不景気にも強い」といわれた「古書」が投機の対象となり、「異色作」としての知名度ゆえに『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』も投機の対象となってしまった結果 、一時はとんでもない値段がついたのでございます。私がこの3冊を欲しいと思ったのは、ちょうどその頃でしたので、就職したばかりで薄給だったことを差し引いても、やはり『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』は、文字どおり「高嶺(高値)の花」でございました。

しかし、私はついに、その一方『ドグラ・マグラ』を購入したのでございます。最高値がついた当時の、ほぼ半額でございました。とはいえ、私が買った本では飛び抜けた最高値でございますし、持ち家があり自家用車を持っていない私個人の買い物としても、たぶん最高値でございましょう。ともあれ、『ドグラ・マグラ』が私にも手の届く範囲に降りてきたというのは、長期化して出口の見えない不景気のせいであり、「不景気に強い」と言われた古書も「バブル」の反動を受けた結果 なのでございます。ですから、こういうご時勢に、古ぼけた推理小説一冊に対し法外なお金を支払うというのは、正直うしろめたさも無いわけではございません。しかし、数千円という本ならば、あれもこれも買ったと書いて恥じないのですから、この私にとっての「特別 な本」の購入について、ことさら沈黙するのも、あるいは「偽善的」かと思い、いつもどおり私のトピックとして、ご報告することにしたのでございます。

ちなみに「大ロマンの復活」ブーム以降、『ドグラ・マグラ』の普及版としての務めを担ってきた角川文庫版『ドグラ・マグラ』の帯には、次のような惹句が書かれておりました。

  「ドグラ・マグラ」は、天下の奇書です。
  これを読了した者は、数時間以内に、一度は精神
  に異常を来たす
、と言われます。読者にいかなる
  事態が起こっても、それは、本書の幻魔怪奇の内容
  
によるもので、責任は負いかねますので、あらか
  じめご了承下さい。       =角川書店

いかがでございましょう? 実質の伴わないキャッチコピーによる誇大広告が常態化している日本の出版業界(例えば、内田樹を『現代思想の至宝』と評する)では、当今珍しくもない「惹句」でございましょうが、この一冊の古ぼけた推理小説に、とんでもない対価を支払ってまで購入した私としては、この「惹句」は少しも誇大だとは思えないのでございます。

ちなみに、私がこの本を最初に読んだのは、つきそいのための病院の一室であったことを、ここに書き添えておいてもよかろうかと存じます(笑)。





( 以下は「金と銀(2)」につづく)


かくも怪しげなトラップサイト(2) 投稿者:マム  投稿日: 7月13日(日)08時22分33秒

(つづき)

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> 人に説教する前に 使徒 - 2003/07/11(Fri) 01:13 No.3425
>>「K教授の講演」は、ある方のご好意により私は「取扱注意」「禁コピー」の条件付きで「一部」ではなく全文を送っていただいております
>こういうことを書くのもアホだと思いますよ。

>某サイトでの「こういうことを書くの《も》アホだと思いますよ。」の中で、《も》といっているのは、Jonathan氏と同様に野茶坊さん《も》という意味ですから、Jonathan氏の強行突破に関して《も》アホだと思っています。

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一方で、資料を出してしまった夢野さま(使徒さま)も都合の悪いことには一切触れず(夢野さま個人に資料の版権があるのかどうか知らないけど)、「リトマス試験紙」みたいなものだと言って、自分には非がないかのごとく、そして他人事のごとく、また批判する相手に問題をなすりつけるがごとく「がん公」で言い訳と正当化にやっきになってる(笑)。悪魔に売られた友人を「怨念」だと逆売りしながらも、野茶坊さまや南里boyさまも同じであり、しかも「狂いの同系性」だなどというに至っては・・サブい一人漫才見てるよう(^^; で最後は、「見解は僕とそれほど違わない」ときたよ。「これで手打ちしよっての?」って感じで大笑い。喧嘩売っておいて、自分には責任はないという逃げ!?「あなただけにアホといったのではない」みたいなこと最初にカキコして、頭っから腰が引けてんだよ、腰が!オットット、マムとしたことがはしたない言動でした(@_@)。おしとやかに行こうと決めたばっかりなのに・・

いずれにしても、彼らが今後の残された人生、どういった道を歩むことになるか容易に想像がつくよね。

「正義」という言葉、少なくともジョナサンさまや使徒さま(笑)の口から出るときは実にいかがわしいものとしか映らない。もっと言えば、自己正当化のためならば、師でも創価学会でも信仰でも友人でも何でもひたすら利用し売る。そして罪悪感もなければ自覚もない。あるのは視線を自分に向けてくれているだろうと想像しながらの、無自覚な笑いだけ。

主体としての「自分の感性」を重視するのはいい。でも、幻想世界へのナルシズム的退行は幻想世界への逃避でもあるし、孤立を誘うだけに過ぎない。

社会とのかかわりの中で自分を見つめ是正することをひたすら拒み、師という権威付けや印籠言葉だけで自己正当化し、そして人と関わりをもとうとする、人に認めてもらいたい、人に必要だと思われたい・・ただそれだけの世界。そのためには手段を選ばない。彼らの師弟観はひたすら後ろ盾としての「自分のみ」への救済主としての師であるようにしか感じられない。

権力の魔性とは「人を道具として見る・扱う」ことだという人がいるけど、誰が見てもそれは一部の権力者・独裁者の中にあるのではないと思うんだよね。もっと日常的な世界の中で、まじめで普通 に見える人の中に、そして自分の中にこういった狂気が潜んでいるってことでしょ。そして、自分を価値あるものとして位 置付けようとする「サイコロジカル・エンバイロンメント(安心できる居場所)」は一歩間違うと狂気に連なるということだとも思う。そのことから見れば、彼らの掲示板は生きることに失敗し、自己の解体を拒みながら自己正当化のために「真面 目で普通の人たち」をひたすら誘いこむゴキブリホイホイのようなトラップサイトでしかない。

同時代の表看板「岡庭昇さま」ということでネットでググッてみたら、なんと!なんと!覆面 暴露座談会記事大好きな「噂の真相」とか、拉致問題報道で世間から非難と嘲笑の的になった「週刊金曜日」にカキコしてるじゃん(笑)なんとなくいろ〜んなものが透けて見えてるような・・見えないような・・。こういうのに、蘇鉄の実を一度食べさせてあげればいい。

最後に一句「同時代、面白いよ!でもやがて悲しき花火のあと・・」、「同時代、オッと蓮華だ!?ただの華(花)火やん!」ちょっと字余り^^;う〜ん、ついでにもう一句「哲学探究部屋、誘い込まれてハイオシマイ!」これは季語がないなぁ・・あ〜あ、文才ないのがよくわかるよ〜^^

まっ、梅雨明けスッキリということで、故郷のお話でもしてくださいな^^アッ、そうそう「ネェ」って言葉いいね!


かくも怪しげなトラップサイト(1) 投稿者:マム  投稿日: 7月13日(日)08時19分32秒

以下は得意満面にご自分のHPでカキコ(チャット)しているジョナサンさまの弁・・

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「もう例のやつ暴露しちゃったからね(笑)」
「迫害や内部分裂は、もう散々経験済みですから。」
「私のそのまた上に、青年僧侶と言うご意見番もいるしね(笑)」
「私の何百倍も迫害を受けた人たちです。 」
「(この暴露に)一斉にみんな、呆然、閉口といった感じですね。」
「小物を切ったら怨嫉だと言われるし、自分の言葉でしゃべっても、妄想だと言われるから、結局あれしかすべはない」

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どうも言いたいのは、「自分はいつも迫害を受けている、だれも自分の言葉なんか信じてくれない、自分には偉い人が後ろ盾についてる、暴露したらみんなビックリしてる、アッハッハ」ということらしい。

ご本人はこれより遡る「池田大作発言隠蔽問題カキコ」情報ソースと信憑性を巡る非難カキコ続出に何の釈明もできなかったため、起死回生とばかり拙速にとびついたのかもしれないね。「資料の感想を求めます」みたいなカキコしながら、都合の悪いカキコは夢野さまと同じで削除、「削除の判断基準は何?」というカキコをした人がいたけど(ラーメンマンさまっていう人だったかなぁ?)、これももちろん即刻削除し「相変わらずへんな書き込みする人いるねぇ」とチャットで笑っている。参加者もそれに異を挟まない。

資料の内容全編なんて見たことないからよくわからないけど、なんとなく書いてあること想像つくよね。でも、マム自身は興味ない。だって、こんなことって創価学会に限らず、会社だろうと、町内会だろうと、少年野球チームだろうと、老人会だろうと、趣味の会だろうと、ボランティア団体だろうと、どこの組織でも日常茶飯事でしょう。いろ〜な普通 の人の集まりなんだから、創価学会だけがどこから見ても空に浮いた宝塔みたく「外見」が金ぴかにピッカピッカ輝いてると思うほうがおかしい。鬼の首とったように喜んでるけど、泥の中に咲く「蓮の華」ってのはそういうことじゃないかなぁ。物事の峻別 もできないで、「法の華」じゃあるまいし、「最高ですか!」じゃおかしいでしょ。

むしろ問題は、自分を「正当化するためには手段を選ばず」ってことだと思うんだなぁ。資料を公開するにあたって親しい友人(資料提供者)すら悪魔に売っている。しかも、その友人(資料提供者)に対して「何とひねた男だろう」とビューワーからカキコもされ「本部職員か?」とあらぬ 疑いまでされてる。別の人が資料提供者である旨を説明カキコしたけどこれを削除、「ひねた男」というカキコだけは今でも晒されている。「ログ消し」できるチャットで「同意があったか?」という問いかけについては「いいの、いいの話はついたから(笑)」みたいなカキコ。それが、どういう意味をもつか気がつかないということのほうがよっぽど大きな問題。参加者も含めて罪悪感もなく得意満面 になっているとすればかなり常軌を逸している。


梅雨明けは間近?マジか? 投稿者:マム  投稿日: 7月12日(土)08時13分42秒

☆AOIさま

>こんななのに明日は奥日光に行きます。温泉つかればなおるかなあ。
>湖がいっぱいあるんですよ。

いいな、いいな!でも風邪みたいだから、お風呂上りのバスタオルでおなか出して寝ないでね。いってらっしゃ〜い!

☆野茶坊さま

夢野さまという人は、つくづく目的のためには手段を選ばない人物ですね(笑)
「がん公」へ以下のカキコをした「使途」なる人物はどうみても夢野さまでしょう。野茶坊さまに同時代掲示板で意見されたのがよっぽどこたえたみたい。「将を射んとすれば馬を・・」みたいな新しい別 ハンドルで南里boyさま攻撃ですか?それとも「江戸の敵は長崎で討つ」?それにしても情けないなぁ。正々堂々と同時代掲示板で議論すればいいものを^^;

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>[2871]  脳天気なのは誰?
>□投稿者/ 使徒□投稿日/ 2003/07/12(Sat) 06:05:05 

>南里boy@Jonathan応援隊へ
>資料をお持ちであることがご自慢のようですね。
>ひとつお伺いしますが、南里boyさんと同じく資料を持っていると公言している野茶坊さんは某サイトで、同じ書き込みをされたJonathan氏を激しく批判しています(「良識が問題」「自己宣伝」「遠吠え」「「屁のツッパリ」にすらならない」etc)。
>当然、野茶坊さんの批判はJonathan氏の行動を応援する南里boyさんにもそのまま当てはまるのではないですか? それなのに、このティールームで仲良く談笑されているのは何故なのでしょう。

>[2180]  希望はどこにあるか?
>□投稿者/ 使徒□投稿日/ 2003/07/11(Fri) 10:37:10 

>気持ちはよく解ります。
>さらに、怨念を晴らしても何も変わないことはお解りのことと思います。反体制的な言動の多くは、怨嫉に起因する憂さ晴らしにすぎないことが多いのは退転者を見れば明らかですが、良く見ると、批判されている人と批判する人の狂いが同じだったりします。体制を批判し正義面 した者が正しいとは限りません。この峻別も難しい難問ですが、狂いの源は信仰の狂いに他なりません。そして、その狂いの多くは僕の見る限り、世間の評価への迎合でしょうか。それは時の流れということと底通 しています。

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「がん公」ジョナサンさまカキコの中にジョナサンさま掲示板がリンクされてるのでそっちいって見てみれば、なんと!なんと!資料を渡したのは夢野さまなんだねぇ!こりゃ驚きだ・・。

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>冗談多いよ 投稿者:eva - 2003/07/11(Fri) 00:07:04
>こんな、大事な問題を人の引用でやるな

>削除を要求します 投稿者:夢野 - 2003/07/11(Fri) 19:40:07
>勝手に転載されて迷惑です。
>即刻、削除してください。

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たまQ bbsにはこんなこと書いてるし、よくわからない人だねぇ

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>eva さん 2003年 07月 08日 23時 48分 58秒
>「使徒」って神の使いじゃないかと想うんですが、どうして地球を襲うんでしょうか?同じくアダムとイブから生まれしエヴァは、どうして使徒と戦うんでしょうか? エヴァに乗る資格はどうして現実にシンクロできないアダルトチルドレンだったんでしょうか?いろいろ謎が多くて面 白いですね。もっと続きが見たい…。

>eva さん 2003年 07月 11日 12時 25分 35秒
>自分の狂いに目をつぶって他者の矛盾を責めたところで希望などあるはずもありません。私怨は自他ともに滅ぼす狂気の剣なのだ、と想います

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朝だ!朝だ!朝日がのぼ〜る 投稿者:マム  投稿日: 7月11日(金)16時05分13秒

☆野茶坊さま

>>マムが少女のころというか乙女チックだったときに、人恋しさみたいなものが人一倍強い時期があったんだよね・・これでも^^;(笑わないでよ!)

>笑笑笑笑笑笑笑・・・・。腹痛え・・・。ごめんごめんごめん(笑)。

いつまでも、女は乙女チックなので〜す。(`ヘ´) フンダ!!!
まぁ、でも花園の殿方は少年の心を失わない素敵な人ばっかりだから許すとするかヾ(^-^)ゞ

>孵る→還る=自分自身への回帰、もしくは新たな自分との出逢い・・・?

先日、「自分が無思考に当たり前と思ってきたことに、メスを入れて丹念に検証していくといった孤独な作業を止め、勢いだけに任せると失敗する」とカキコしたと思うんだ。

マムも以前は、理不尽なものは理不尽だとして暴れたことがあるのね。物品セールスと指導をワンセットに尋ねてくる幹部さんを糾弾してその座から引きずり下ろしたり、市民団体から推薦された学会員(女性)が選挙期間中、地元学会組織から一方的に非難・排除されたのでゲリラ徹底抗戦をしてみたり、県コーラスの団長が親分気取りで分派行動をし始めたのでそれを潰してみたり・・(カキコすると切りないからそのあとは、省略ね)。

反応?マムと一緒になって気勢をあげた人もいるし、沈黙を守り続けた人もいれば、副会長さんが無粋な顔して、名刺見せながら印籠説教をしにきたり、地元幹部さんの中には、旦那さまのとこにきて恫喝みたいな言葉を投げつける人もいた。旦那さまは「マムはマム。私がどうのこうの言ってどうにかなるようないい加減なヨメじゃねぇよ」って言いながら追っ払ってた(^^; カッコイイ!キャーキャー!

しかし、あったまくる〜!のは何でだろう?と自問自答してみたら、天誅じゃぁ!みたいなことしててもなん〜にも意味がないと気づいたんだよね。立場が違うだけで、本質的なものを見失ってるってことでは「同類」・・そんなところに自分との出逢いなんてないと・・。まさに頭がスッコーンって感じの瞬間だった。

で、タブーを捨てて思いっきり様々な人と交友・交遊してみたり、歴史とか文献とか教学とかひとつひとつ解きほぐしてみたり、別 の関係性から「日常性」の中でその意味を編みなおしてみたりすると、生き生きとした光景が眼前に広がってプラスマイナスいろ〜んな新発見・再発見があった。立場や方向性は違うけど、同じような人たちが世間にはいっぱいいるってことも知った。

今はまだ、その作業の道程にあり道半ばだけど、自分が自分に立てたという感じは持ち続けてるし、少なくとも創価学会という枠組みの中で生きてはいないし、その執着もない。あるとすれば、お題目をあげて元気が出るという実感と、その学会員の多くはまじめな普通 の人たちであること。

結局、自己の解体作業を同時並行的に継続していかないと、自分の立つ位置など定められない。主題としてのアレクセイさまの「自己解体」に関するカキコや、展開としてのホランドさまの「パラノ(同質化収斂 )とスキゾ(違和性発見)」に関するカキコはそういった大事な問題を俎上に乗せているんだとも思う。

今はおしとやかな?山賊の娘、マムでした!

今朝、旦那さまが「マム、今日帰ってきたら話があるんだ・・」って言ってたけど、なんだろ?お小遣いはまだあるはずだしなぁ??まっいいや!お仕事、お仕事!


陣中お見舞い 投稿者:AOI  投稿日: 7月11日(金)15時16分50秒

花園ファンさまにはお目にかかれずじまい。
もしかして、彦星さまに会いに来たのかな(笑)?(モテモテ♪)

やらなくいけないことは一向にはかどらず、ついついネットをロムしちゃいます。
で、いきなりですが、風邪ひいてます。
寝ている間に窓が開いてる。窓から誰か侵入してくるっていうわけじゃなくて、開けちゃう人がいるんですね。もう。
膝、関節ガクガクで。みなさまも気をつけて!
こんななのに明日は奥日光に行きます。温泉つかればなおるかなあ。
湖がいっぱいあるんですよ。

園主さまは闘争中?
いい気なもんだね私。



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