●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年8月中
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夏の名残の・・・ 投稿者:野茶坊  投稿日: 8月20日(水)01時47分39秒

ご無沙汰しておりました。

いやあ、旅はいいっすねえ。日常からの脱却。スイスと奄美。
子どもに言わせると、スイスより奄美の方がいいそうな。そりゃ、ふるさとだもんね。

今年は奄美復帰50周年。そのお祭り騒ぎに溜息つきながら、「本土並み」をめざして、自然に逆らい続けた50年の歩みを思う・・・。

復帰運動に「命をかけた」親父は、国の補助金頼りの土木事業・自然破壊を「タコの足食い」と苦々しく喝破した。「なんで日の丸ふって復帰しなきゃならなかったんだ? 独立したってよかったじゃないか! 奄美復帰と引き替えに沖縄は永久的に基地にされたんだろう? 冗談じゃないよ。」と親父に噛みついたら、コップが飛んできた。高校時代のこと。

親父は死ぬまで苛立っていた。墓の下でも苛立っていることだろう・・・。
盆には、墓石に黒糖焼酎を一升瓶まるごとぶっかけてやった。浴びるほど飲め!

子どもと防波堤に釣りに出かけた。9歳の娘が釣った20?ほどの小アジを生きたまま、人間の人差し指を曲げたくらいの大きさの針にひっかけて、100号のおもりと共に海に投げ込む。先糸はワイヤー。

待つこと2時間。竿先の鈴が鳴る。「まだまだ・・・」。やがて剛竿が根もとからひん曲がり海面 に先を突っ込む。竿を固定した鉄杭がコンクリートにこすれて妙な音をたてる。が、鉄杭を曲げてしまうほどの引きではない。「よし!」。竿を立て、強引にリールを巻く。巻けない。ドラッグをほんの少しゆるめる。「ジジジジ〜ッッ」。沖へ走る。ぐんぐん走る。やがて、疲れたか、左右に動き回る。

「この程度で疲れてしまうのは・・・・」。いやな予感。竿をたてて糸を張り、急激に寝かして糸(太さ2ミリ)のゆるみを巻き取る。この作業を繰り返すうちに海面 に魚影が浮かぶ・・・。
「やっぱり・・・」。2メートルのサメ。私一人なら、引き上げて、ナイフで後頭部の筋肉を切断するところ。これで顎は動かない。よって噛みつかれる危険はなくなる。あとはヒレと背中の肉を切り取って残りは海に放り込む(腹部にはナイフを入れない。臭いの強烈さは半端ではない)。

だが、子どもがいる。尻尾の一撃を食らったらひとたまりもない。さて、どうしたものか・・・。と思っていたら、サメの野郎、何を思ったか、まっすぐこっちへ突っ込んでくる。子どもが悲鳴をあげる。桟橋の下は数本の太い鉄柱で支えられている。この場所で大物釣りをやる場合、糸が鉄柱に絡まったら、鉄柱に張りついた珊瑚や牡蠣にこすれて、間違いなく切られる。件のサメはその定石通 り、鉄柱に糸を巻き付け、簡単にぶちきってくれた。「さいなら。もう会いたくないね。」

5歳の息子は自分の釣った魚に怯えて、逃げ出した・・・。


なぜか、釣りの話になってしまいました。
ではまた。


古くて新しいもの(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月20日(水)00時56分08秒


 アーニャ
> でも、「加賀(石川県の旧名)のお蘭」?
> 私、『エースをねらえ!』には詳しくないので、またも暗合かと思っちゃったんだけど……

 『加賀高(校)の緑川蘭子』ということだったよ。
 ちなみに、主人公 岡ひろみの入った高校は「お蝶夫人」のいる『テニス王国、西高』と言われる『県立西高』で、横浜・横須賀あたりが舞台みたいだから「神奈川県立(横浜?横須賀?)西高等学校」みたいだね。原作を確認すれば、わかると思うんだけど。

> 中井さんのキャラのネーミングで私が一番気に入ってるのは、『名なしの森』所収の「変身譜」に出てくる「鶴田亀江」!あまりのイージーさに……全く、中井さんらしいんだから〜(笑)。

 園主さまからも聞いたんだけど、中井さんって、少なくともハッキリとした「信念の人」「志操堅固な人」ではなかったみたいだね(笑)。
 良く言えば「直感の人」、悪く言えば「気分屋」。だから中井さんの作品には「斑(ムラ)」があり出来不出来が激しいんだけど、逆にそんな中井さんだからこそ、最後まで「美の使徒」であり、「凝り固まらない人」でありえたんだろうね。つまり、「笠井系」ではなく、・・・どっちかっていうと「竹本系」ってことかな?(笑)

> あ、島田荘司さんといえば、宇山さんが企画した「Mystery Landシリーズ」(講談社)の『透明人間の納屋』と、同シリーズの小野不由美『くらのかみ』を買ったわ。お二人とも、ちゃんと読むのは初めてなので、楽しみなの。読み終わったら、感想書くわね。とりあえず、造本は今時にはめずらしく本格的で、とってもイイわよ♪

 そのシリーズは気になってたんだ。第一回配本は、島田荘司さんと小野不由美さんと、ミステリマニアに人気のある殊能将之さん。ボクが気になってるのは、小野不由美さんなんで、早く感想を聞かせてね。・・・ちなみに、竹本健治さんもラインナップに入っているけど、実現はいつのことになるのやら(^-^;)。

> そういえば、ホランドくんの女性の好みって、あんまり聞いたことないようね。確か、性格重視だから、外見にはこだわらないって言ってたような……「男性の好み」なら、よーくわかってるけど。ほほほ。

 Keenさま譲りだよね。まったくもう・・・(-_-;)。


 園主 さま
 今日はありがとうございました! また近いうちに『マトリックス・リローデッド』を見に行きましょうね。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


古くて新しいもの(中) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月20日(水)00時55分01秒


 『夏休みのレモネード』は、1970年代のシカゴを舞台にしたお話。カトリックのアイルランド系少年(ピート)が、年下のユダヤ人の少年(ダニー)を「天国」へ行けるようにするために、ユダヤ教から改宗させようと、子供なりに「宗教」の問題を考え、「文化の多様性」の問題を考えていく、といったお話。全体としては、感じの良い「佳品」といった印象でしたが、「宗教」問題を扱いながらも、そこで語られているテーマは、より根源的な「人間的な寛容(多様性)」ということだったと思います。
 最終的にはダニーは、「改宗」しないままに白血病で死んでしまうんですが、ダニーにカトリックの「聖体拝領のパン」を与えるようと、教会からパンを持ち出そうとしたピートが、それを見とがめた神父と、こんな会話を交わします(記憶に拠る)。

  「彼にあげると約束したんだ」
  「でも、洗礼を受けていない者は、聖体拝領を受けられないんだよ」
  「そんなの変だよ。そんなのキリスト様らしくないよ」
  「・・・だが、そのパンは、まだ聖別していない、ただのパンだよ」
  「そんなこと気にしないよ」
  「・・・わかった。持って行きなさい」

 そして、息子ダニーを失ったユダヤ教のラビである父親とピートは、ラストシーンでこんな会話を交わします(前同)。

  「きっとダニーは天国にいるよ」
  「どうしてわかるんだい?」
  「それが信仰というものだよ」

 この作品で語られている「信仰」「寛容」「良心」「思いやり」といったことは、たしかに1970年代を舞台にしてこそ、ストレートに語りうることだったのかも知れません。でも、この作品で語られていることは、素朴ではありながらも、人間の深い真実に根ざしているのではないかと、ボクは思います。
 大家族のちょっと頑固な(主人公の)父親を演じたアイダン・クインが、古き良きアメリカを感じさせて印象に残りました。この映画は、ある意味でアメリカの国民画家ノーマン・ロックウェルの世界に通 じる「アメリカの良心」を描いていたのかも知れません。





( 以下は「古くて新しいもの(下)」につづく)


古くて新しいもの(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月20日(水)00時54分14秒

 みなさん、こんばんは! 今日は園主さまと、「ヤマムラ・アニメーション」(山村浩二)と『夏休みのレモネード』(ピート・ジョーンズ監督)を観てきました。

 「ヤマムラ・アニメーション」の方は、短篇アニメーションが20本くらい(2パート・各約60分)上映されたんですが、人形を使った3Dアニメからセル・アニメまで、バラエティーに富んだ技法と内容で、とても楽しく見ることができました。
 ただし、「ヤマムラ・アニメーション」に特徴的なのは、「技法の組み合わせ」ということだと思います。単に「人形をつかった3Dキャラクターと描画の二次元キャラクターが同時に出てくる」というようなことだけではなく、たとえば「粘土人形でつくった3Dアニメのフィルムに、後で描画の表情(2D)をコンピュータ合成する」といったことしてるんです。だから、質感と表現力を無理なく両立させ、表現に幅を持たせることに成功しているんですね。そうした点で山村の作品は、古い技法(テクニック)と新しい技術(テクノロジー)がうまく溶け合った「古くて新しいアニメ」作品になっていると言えるんです。

 同名落語に材を取り、アカデミー賞候補になったことで有名な『頭山』は、ご存じのとおり、頭に桜の木が生えた男の話。やがて春が来て、その桜の下でたくさんの人たちが花見の宴会を始めます。頭の上での迷惑なドンチャン騒ぎにごうを煮やした男が、その立派に育った桜の木を引っこ抜くと、その穴に水が溜まり池になってしまいます。すると今度は、その池で釣りをしたり水遊びをしたりする人たちが出てきて・・・。やがて男は狂気に捕われ、最後は自分の頭にできた池に身投げして自殺してしまうという、シュールな「メタ・フィクション」作品です。この非常によくできた原作を、3Dキャラクターと描画の二次元キャラクターを併存させる「メタ・フィクション」傾向の強い山村浩二が映像化するのですから、面 白い作品にならないはずはありません。むしろ、あまりにも自然に映像化され過ぎていて、山村の作品としては、意外性に欠ける方だと言えるかも知れないくらいです。でも、原作を知らないアメリカ人が感心したというのは、想像に難くないところでしょう。ボクの印象では、むしろ『頭山』は、山村の「水準作」なんじゃないかと思いました。

 あと感心したのは、やっぱり山村って「絵的なセンス」が抜群に良いっていうこと。一人でキャラクターデザイン・色彩 設定・美術(背景)・動画をこなすんですから、アニメーターとしての「動き」のセンスだけではなく、高度で幅広いデザインセンスが求められるわけですが、山村はそれらすべての点で高度な才能を持っています。だから、数多い作品がワンパターンになることなく、作品ごとにバラエティーに富んだ内容を、それに応じた映像で見せてくれるんです。だから、黙っていられたら、ある程度見なれるまでは、続けてみせられても、同一人物の作品だとは気づかないと思いますよ。・・・そんなわけで、とにかくいろいろ見られて、純粋に楽しめた2時間でした。





( 以下は「古くて新しいもの(中)」につづく)


サンダーバード! 投稿者:アーニャ  投稿日: 8月17日(日)02時00分04秒

今日(あ、もう昨日、ね)は、NHK教育で劇場版『サンダーバード』を観たわ。
私、このシリーズは、ほとんど初めてだったのよね。
イギリスでは1967年の公開のようだけど、日本では、TVシリーズも含めて、もっと後だったんでしょうね。クラウス兄さまが子供の頃、見てたそうだから。
後の「007シリーズ」をはじめ、いろいろな作品の原型が一杯つまってるって感じを受けたわ。もちろん、とっても面 白かったわよ♪
レトロな人形劇もイイわねー、フフフ♪

☆ホランドくん

>『アーニャくんのようなネコは、めったに出るものではない。』

ありがとう。実現の暁には、ぜひ使わせて頂くわね。(^0^*
名前の由来についても、詳細な説明をありがとう。
でも、「加賀(石川県の旧名)のお蘭」?
私、『エースをねらえ!』には詳しくないので、またも暗合かと思っちゃったんだけど……

中井さんのキャラのネーミングで私が一番気に入ってるのは、『名なしの森』所収の「変身譜」に出てくる「鶴田亀江」!あまりのイージーさに……全く、中井さんらしいんだから〜(笑)。
Keenさまの話だと、羽根木に出入りしてたノラ猫は、赤毛のトラジマで「アカちゃん」だったらしいし、案外いいかげんなのねー、って。

あ、島田荘司さんといえば、宇山さんが企画した「Mystery Landシリーズ」(講談社)の『透明人間の納屋』と、同シリーズの小野不由美『くらのかみ』を買ったわ。お二人とも、ちゃんと読むのは初めてなので、楽しみなの。読み終わったら、感想書くわね。とりあえず、造本は今時にはめずらしく本格的で、とってもイイわよ♪

☆アリョーシャ

前の書き込みに書き忘れたんだけど、アリョーシャの質問(2)で、どうして『基礎論』の方がイイと思ったのか、聞かせて欲しいわ。きっと、私の「二度死ぬ 」バージョンとは、全く違った理由でしょうから(笑)。
(実は、座布団ぜんぶとられちゃうんじゃないかと覚悟してたんだけど……/苦笑)

「杏子さん」は、なるべくアリョーシャ好みの女性になるように、と書いたつもりだったんだけど、特に不満はないようだから、一応成功したと思っていいかしら?
そういえば、ホランドくんの女性の好みって、あんまり聞いたことないようね。確か、性格重視だから、外見にはこだわらないって言ってたような……「男性の好み」なら、よーくわかってるけど。ほほほ。

夜も更けました。皆さま、お休みなさいませ。
涼しいので、よく眠れることでしょう。にゃあ〜♪


涼しい夏(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月16日(土)18時50分15秒


 影姫 さま
> ☆ホランド様>澁澤龍彦が一躍注目されだしたのはあの「サド裁判」
> からです。この時、弁護団の筆頭に名乗りをあげたのが埴谷雄高だ
> ったのです。埴谷雄高が弁護側につかなければこの裁判は単なる
> 「エロ翻訳本の裁判」程度で終わっていたでしょう。これもまた
> 中井英夫の場合とは一味違った「発掘」だと思います。

 なるほど。「サド裁判」までの澁澤さんは、「翻訳家」の方が表看板だったんですよね。「サド裁判」についてはあまり興味が無かったので、すっかり忘れていました。納得です!(^-^)


 アーニャ
>>絶賛!!
>>アーニャ、すっごい! これ、とってもイイよ! Keenさまには申し訳ないけど、これまで書かれた『薔薇迷宮』外伝のなかで、最高傑作だと思う!

> 光栄だわ。(^0^*
> いつか『アーニャ短編集』出版の際には、「碧川蘭が絶賛!あの田中幸一も褒めた!」とか、帯に使わせて頂こうかしらね?(笑)。

 いいけど、平凡でおもしろくないよ。どうせなら、

『アーニャくんのようなネコは、めったに出るものではない。』

というのはどう?
 古いけど、これは綾辻行人さんのデビューに際して島田荘司さんの贈った言葉のパロディー。アーニャのように「小説」を書くネコなんて『めったに出るものではない』けど、たまに出るのも事実だからね(笑)。

> 『エースをねらえ!』で思い出したんだけど、ホランドくんのペンネームって、お蝶夫人のライバル「緑川蘭子」と何か関係あるの?(素朴な疑問)

 関係無し。後で気がついたんだよ。

 ボクの名前の由来を説明すると、ボクは以前「江川蘭」という名前を使ってたのは知っているよね。だから竹本さんの『ウロボロスの基礎論』では「江川くん」なんだ。この名前は、まず『匣の中の失楽』の「ホランド(片城蘭)」のニックネームを、当時ボクが書いていた「実名小説」の中で使わせていただきたくて、最初に「蘭」の方が決まったんだ。でも「片城蘭」そのままってのもなんだから、氏の方は変えることにした。で、「蘭」はすなわち「ホランド」で、これに氏(うじ)を加えて、何か意味のある名前に出来ないかなと考えてたら、「ホランド」というのは「ド、ランホ」という並び替えができるのに気づいたんで、これに「エガワ」をくわえて「エドガワ、ランホ」、つまり「江戸川乱歩」のアナグラムになるようにしたんだよ。ボクは、乱歩も大好きだからね。ただ、この当時はボクは、乱歩に『江川蘭子』というリレー小説があるのを知らなかったんだ。で、あとでそれを知って、単純に『江川蘭子』の男性名と取られるのがイヤになったので、氏を変えることにしたんだ。

 いろいろ迷ったあげく、やっぱり一番好きな中井英夫さんがらみの氏が好いなと思い、「中井蘭」とか「塔蘭」とか考えたんだけど、なにしろ語呂が悪いし、ひねりが無いのも嫌だった。で、たまたま目についたのだ、中井さんが同人誌時代につかっていたペンネーム「碧川深(みどりかわ ふかし)」。ほかに「緑川弓彦」というのもあったんだけど、「碧川」の方がかっこいいと思ったから、こっちにしたんだ。あとで園主さまから『エースをねらえ!』に弾丸サーブの「加賀のお蘭」こと「緑川蘭子」というのがいると指摘されて愕然としたんだけど、何度も名前をあらためるのは嫌だったし、漢字違いの「碧川」の方だから「まあイイや」ということで納得することにしたんだよ。


 園主 さま
 映画鑑賞とビデオ上映会、楽しみにしています!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


涼しい夏(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月16日(土)18時49分04秒

 みなさん、こんばんは! このままじゃ終わらないでしょうけど、すっかり秋めいた涼しい日が、大阪でも続いています。ここのところ、遊びに出かける機会のなかったボクですが、近いうちに映画を見に行こうと、園主さまから誘われました。予定の作品は、昨日、園主さまがご紹介なさっていた『頭山』の短篇アニメーション作家山村浩二さんの作品上映会「ヤマムラ・アニメーション」と、こちらもいかにも園主さまらしい『夏休みのレモネード』。無邪気な子供たちが、子供たちなりに、人種や宗教の問題を考え、その垣根を乗り越えて友情を結ぶ姿を描いた作品だそうです(笑)。それと、前から言ってた『マトリックス・リローデッド』は、園主さまのお友達の日程調整が難航しているので、もしかするとボクと二人で行くことになるかもしれないという話でした。この夏は話題作の目白押しだというような世評にもかかわらず、個人的には『踊る大走査線2』や『ターミネーター3』への興味は失せてきたので、映画館で見たい映画は「ヤマムラ・アニメーション」『夏休みのレモネード』『マトリックス・リローデッド』で充分かな。それよりもビデオで見たい映画の方が多いですね。特に夏のうちにみたいのは、話題のホラー映画『呪怨』です。園主さまは『スパイダー・パニック』を見たいと言ってますけどね(笑)。





( 以下は「涼しい夏(下)」につづく)


終戦記念日(下) 投稿者:園主  投稿日: 8月16日(土)03時18分01秒


 影姫さま
> 神主が祝詞をあげます(うちは神道なのです。)そして家族全員
> で御先祖様にお祈りします。するとなんとも落ち着いたイイカンジ
> になります。

京極夏彦の新刊『陰摩羅鬼の瑕』に拠りますと、祖霊崇拝というのは「儒教」の教えから来たもので、もともと「仏教」とは何の関係も無いものだそうでございます。なぜなら仏教は、輪廻転生を説く宗教ですから、肉体から離れた「霊魂」という発想があり得ないのだ、というような話でございました。その際「神道」の話はございませんでしたが、「神道」はもともと「自然」崇拝に発する「八百万の神」崇拝で、これももともと「祖霊」崇拝の宗教ではないのではないでしょうか? もともと「自然」崇拝であり「八百万の神」崇拝だったものに、天皇家の「祖霊」である「天孫降臨の神」が最高神として位 置づけられる形で政治的に継ぎ木され、その結果、各々の家の「祖霊」信仰が、そのまま天皇家の「祖霊」崇拝という形で簒奪されていったということではないのでしょうか? ……思いつきですので、裏づけはございませんが。

> といっても東北は今年は梅雨開けせず冷夏・・・夏はありません
> でした・・・うほほほ・・・・ヾ(;▽;)ノ

もう夏は終わったのでございますか。……しかし、では「読書の秋」でございますね(笑)。


 アーニャ
> 『薔薇迷宮』外伝・「めぞん花園」

質問への回答、ありがとう。

>> 早死にするのは御免だが、本当にこういうオイシイ話はないかなあー……。

> Keenさまの「暗合力」は、よく知ってるでしょ?もしかしたら、私の小説を媒体にその不思議なパワーが作用するかも……今後「キョウコさん」って方にお会いしたら、要チェックよ!
> 「ノストラ・アーニャの大予言」なんてね♪フフフ♪♪

有名な「ノストラ・某の大予言」は当らなかったからなあー……(笑)。

> 『赤いルノー・アルピーヌ』

については、たぶん笠井さんがらみだとは思ったんだが、例によって思い出せなかったんだよ(笑)。
でも、昔、一度だけ笠井さんの車に乗せてもらった時は、たしか国産車で、真っ赤な外車じゃなかったと思うな。……その昔、「健康保険」にも加盟していないことを自慢してた人にしては、真っ赤な外車というのは如何なものかと思わないでもないのだけれど(笑)。

> あ、アリョーシャ、訂正を1カ所お願い。

了解した。


 ホランド
> すくなくとも、先の大戦では、日本のミステリ作家は、積極的に軍部政府に協力するか、沈黙を守るかで、はっきりと筆で抵抗した人は、一人もいませんでした。園主さまも論文『偉大なる夢への儚き抵抗』で江戸川乱歩を扱い、かなりきびしい評価をしていましたけど、『陰摩羅鬼の瑕』でも学術的に「天皇崇拝」の非論理性を指摘している京極さんが、乱歩と同じ立場に立たされた時に、いったいどんな態度を採るのでしょう? 「京極堂」シリーズを読んでいるかぎり、正面 切っての抵抗をする可能性はなさそうなだけに、どういう態度を採るのかが気になるというのは、ボクにもとてもよくわかります。

京極夏彦は明晰な合理主義者だから、天皇制の「えせ宗教性」については明確に理解しているけれど、ただ「宗教」であれ「妖怪」であれ、それが社会装置として有効に機能する分には喜んでそれを認めようというスタンスのようだから、天皇制というものが再びそうした位 置に就くような時代が到来した場合、京極がどういう態度を採るかが、興味深いんだな。もちろん私だって、何も「まともに抵抗して虐殺されろ」なんて言う気は無いから、花田清輝的な「えせ転向」的なやり方、つまり「策士」的なやり方もありだとは思うんだけど、でも、往々にして「策士」は「策に溺れ」易いものだから、少なくとも自分の問題としては慎重にならざるをえないんだよな。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


終戦記念日(中) 投稿者:園主  投稿日: 8月16日(土)03時17分16秒


このように、本日が「終戦記念日」だということをほとんど意識せずに見たビデオやテレビ番組が、偶然にも様々な形で「戦争」と関係の深い内容のものだったのでございます。しかし、これは必ずしも偶然とばかりは申せませんでしょう。と申しますのも、「T仁義なき戦いUをつくった男たち」を友人が送ってくれたというのも、じつは私が先日読んだ『映画脚本家笠原和夫 昭和の劇 』をその友人にプレゼントしたからですし、この本を読んだそもそもの理由は、同書の書評で語られていた笠原和夫の「戦後への嫌悪」というものに、興味を持ったからに他ならないのでございます。同じテープに収められていた「アニメ作家 山村浩二」については、単に私がアニメ好きだからということで録画してくれたのでございますが、この番組の背後に「戦争」の影を見れたのも、近年私がその手の問題に興味を持っていたからでございましょう。そう言えば、この友人は、このビデオと共に、北九州市立大学で行なわれた、チョムスキーのドキュメンタリー映画『CHOMSKY 9.11 Power and Terror』の上映会パンフレットも送ってくれました。これは私がこの友人に、この映画を薦めていたからでございます。
『未来をください 戦火の中の子どもたち』を買ったのは、『シャヒード』展関連イベントに参加して、その種の問題や活動に興味を持ったからなのでございますが、もともとこれはAOIさまのご紹介で知ったイベントですし、その意味ではAOIさまからいただいた『灰とダイヤモンド』と続けて見るというのは、「半分だけの偶然」に過ぎなかったのでございます。また、もし今日たまたま九州の友人の送ってくれたビデオを見る気にならなかったなら、私はテレビをつけることもしなかったでしょうから、『NHKスペシャル』を見ることもなかったのでございます。

これらの偶然や必然や通して、今年の終戦記念日は、私のこれまで人生で一番まじめに「戦争と人間」について考えた終戦記念日となったようでございます。なぜなら、このようなことを書いている私ですが、2001年の「9.11」までは、「終戦記念日」も単なる歴史上の記念日に過ぎなかったからでございます。

時代は、そんな暢気な私にも、「終戦記念日」の意味を問うところまで来ている、ということなのでございましょう。





( 以下は「終戦記念日(下)」につづく)


終戦記念日(上) 投稿者:園主  投稿日: 8月16日(土)03時16分08秒

みなさま、本日(8/15)は、盆休みということで弟家族が夕方まで日帰りで遊びに来ておりました。弟家族が帰った後、私は、以前に九州の映画ファンの友人が送ってくれたビデオを鑑賞することにいたしました。収録番組は、『ETV』の「T仁義なき戦いUをつくった男たち」の回と、『情熱大陸』の「アニメ作家 山村浩二」の回でございました(ともにNHK制作)。前者は映画『仁義なき戦い』の監督深作欣二と脚本家笠原和夫にかんするもので、後者は昨年のアカデミー賞アニメーション短篇部門の候補作『頭山』の作者にかんするものでございます。「T仁義なき戦いUをつくった男たち」は、映画『仁義なき戦い』の冒頭シーンから始まるのでございますが、その冒頭シーンとは広島への原爆投下のキノコ雲のモノクロ写 真に、書きなぐり体の赤文字でタイトルが重なり、つぎに焼跡へと場面が替わって「昭和20年8月15日」と大きくスーパーが入り、その後、闇市のシーンへというものでございます。私は、この日付けを見て、偶然にも今日が同日の「終戦記念日」であることを思い出し、同番組のひとつのテーマでもある、戦争と敗戦体験が深作欣二と笠原和夫という二人のクリエーターに残したものについて考えながら、同番組を見たのでございます。一方、「アニメ作家 山村浩二」の方は、短篇アニメーションに情熱を傾ける山村を、アカデミー賞授賞式前後の様子を交えながら紹介したもので、直接「戦争」とは関係ないの番組だったのでございますが、ご存じのとおり前回のアカデミー賞授賞式は、イラク戦争が開戦されて間もない頃の開催で、主催者側から列席者に「派手な服装は謹むように」というおふれが出されたり、『千と千尋の神隠し』で長編アニメーション部門の候補者だった宮崎駿が、時節に配慮して授賞式に列席しなかったとか、長編ドキュメンタリー部門の受賞作『ボーリング・フォー・コロンバイン』の監督であるマイケル・ムーアが、受賞スピーチの演壇でブッシュ「大統領」批判を吹いたなどといった、「戦争」がらみの話題の絶えない授賞式でしたから、私は番組では触れられていないそれらのエピソードを、自ずと思い起こしたのでございます。

ビデオを見終えた時に、たまたまやっていたTV番組がNHK総合の『NHKスペシャル』の「テレビ放送50年特集 核の時代を生きる人間の記録・ヒロシマ、ナガサキの映像は問いかける」でしたので、私はそのままこの番組の後半90分を鑑賞。その偶然に「やはり今日は、あらためて戦争を考えてみるべき日なんだな」と思ったのでございます。

2番組150分のビデオに引き続き、同じNHKの特集番組を90分間見た私は、引き続き溜まっていたビデオを見ることにし、まずは先日行ってきた『シャヒード』展関連の講演会会場で買った、「アムネスティー・インターナショナル日本」作成の、パレスチナ、アフガニスタン、チェチェン、チベットなどにおける難民問題や人権侵害問題を紹介した、アムネスティーの活動用ビデオ『未来をください 戦火の中の子どもたち』(28分)を鑑賞。つづいて、以前AOIさまからプレゼントしていただいたアンジェイ・ワイダ監督の1958年の映画『灰とダイヤモンド』(ポーランド・104分)を鑑賞いたしました。
前者はもちろん現在の「戦争」状況に直接かかわるビデオでございましたが、後者も第二次世界大戦終戦時のポーランドにおける、あるテロリスト青年の悲劇を描いた映画でございました。また、このビデオを見終わると、その時にテレビでやっていたのは、山崎豊子原作の日中合作の大作テレビドラマ『大地の子』の再放送の最終回の最後のシーンでございました。





( 以下は「終戦記念日(中)」につづく)


御先祖様万万歳。 投稿者:影姫  投稿日: 8月16日(土)00時19分21秒

お盆ですね。みなさん。

みい〜〜ん、、みい〜〜〜んという気だるい蝉の声を聞きながら
今年もお墓参りに行ってまいりました。

神主が祝詞をあげます(うちは神道なのです。)そして家族全員
で御先祖様にお祈りします。するとなんとも落ち着いたイイカンジ
になります。そして親戚の家に入ってビールを飲みながらしばし
歓談。テレビでは高校野球。う〜〜〜〜〜〜む。これぞ金鳥の夏、
日本の夏。

☆ホランド様>澁澤龍彦が一躍注目されだしたのはあの「サド裁判」
からです。この時、弁護団の筆頭に名乗りをあげたのが埴谷雄高だ
ったのです。埴谷雄高が弁護側につかなければこの裁判は単なる
「エロ翻訳本の裁判」程度で終わっていたでしょう。これもまた
中井英夫の場合とは一味違った「発掘」だと思います。

さて残り少ない夏、やりのこしたことがあっと後悔しないように
みなさん夏を十分に楽しんでください。

といっても東北は今年は梅雨開けせず冷夏・・・夏はありません
でした・・・うほほほ・・・・ヾ(;▽;)ノ

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


ホメて頂いてありがとう(^0^*  投稿者:アーニャ  投稿日: 8月13日(水)22時40分12秒

>> 『薔薇迷宮』外伝・「めぞん花園」

>絶賛!!
>アーニャ、すっごい! これ、とってもイイよ! Keenさまには申し訳ないけど、これまで書かれた『薔薇迷宮』外伝のなかで、最高傑作だと思う!(<ホランドくん)

>私も期待以上の出来に、正直感心したよ。(<アリョーシャ)

光栄だわ。(^0^*
いつか『アーニャ短編集』出版の際には、「碧川蘭が絶賛!あの田中幸一も褒めた!」とか、帯に使わせて頂こうかしらね?(笑)。
ところで、『エースをねらえ!』で思い出したんだけど、ホランドくんのペンネームって、お蝶夫人のライバル「緑川蘭子」と何か関係あるの?(素朴な疑問)

☆アリョーシャ

>早死にするのは御免だが、本当にこういうオイシイ話はないかなあー……。

Keenさまの「暗合力」は、よく知ってるでしょ?もしかしたら、私の小説を媒体にその不思議なパワーが作用するかも……今後「キョウコさん」って方にお会いしたら、要チェックよ!
「ノストラ・アーニャの大予言」なんてね♪フフフ♪♪

>ところで、ちょっと引っ掛かった点について質問させてもらうけど、

>(1)『乱暴に角を曲がってきた』のは、なぜ『赤いルノー・アルピーヌ』なのか?
>(2)『幸一』を圧死させた『沢山のダンボール箱』につまっていたのは、なぜ 『匣の中の失楽』なのか?

>これらに「特別な意図」があるのかどうかがわからなかったんだが、あれば教えてくれないか?
>特に(2)なんかは、『匣の中の失楽』よりも『ウロボロスの基礎論』の方が良かったんじゃないだろうか?

お答えします(笑)。
まず、(1)について。「ルノー・アルピーヌ」は、『哲学者の密室』でナディアが欲しがってた(カケルに弁償を迫ってた)車だけど、ナディアの好みは「青」だったわね。で、『基礎論』作中の笠井さんの愛車が「赤」なんだけど、私は別 に「田中の野郎、若くて可愛い奥さんゲットしやがって……」と、嫉妬に駆られた笠井さんがアリョーシャを轢き殺そうとした、なんて言ってないわよ〜(笑)。
どこかのお金持ちのお坊ちゃんが、無謀な運転してたんじゃないの?ほほほ。

(2)については、まず単純に、アリョーシャが一番沢山持っていそうな本、ということで選んだんだけど、まあ『匣』で死ぬ なら本望かな、という配慮もあったわね(笑)。それに、「ホランド」「杏子」などの縁語や、最後の一行との絡みも、ね。
ちなみに、別の本が落ちてきたとすると、それぞれにパラレルな別の作品が書けそうだわね。

・『バイバイ・エンジェル』→「地獄は地獄で洗え」バージョン。ドロドロとした愛憎渦巻く、暗殺&復讐譚。

・『ウロボロスの基礎論』→「007」じゃなくって(笑)「アレクセイは二度死ぬ 」バージョン。自らの死亡を偽装した凄腕エージェント・アレクセイと、パートナーの杏子、助手・ホランドが暗躍して悪の陰謀を打ち砕く、スリルとサスペンス&お色気のアクション劇。

・『虚無への供物』→実は姉弟だった杏子とホランド。予知能力で震災を予見していた杏子は、事故に見せかけて偽装結婚した夫を殺害し、彼に誘惑され、骨抜きにされていた弟を救出する。だが、死んだはずの幸一は実は生きていた……?推理比べや劇中劇で、謎が謎を呼ぶ、アンチ・ミステリ・バージョン(?)

……どなたか、書いてくださる?(笑)

あと、読んでくださった他の皆さまも、よろしかったら感想お聞かせくださいね。
実は「数字の暗合」なんかも隠してあったりするのよ。フフフ♪

あ、アリョーシャ、訂正を1カ所お願い。
過去ログ収録時に、「ワン!と傍らで犬が鳴いた」というところを、「犬が吠えた」に訂正して頂きたいの。
つい、ネコの習性で書いちゃったのよね〜。野茶坊さまから突っ込みが入る前に、自力で気づいたわ(笑)。
お手数かけちゃうけど、ヨロシクね。

それでは皆さま、よい夏休みを。にゃあ〜♪


モデルは柳沢教授!?(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月12日(火)20時47分10秒


 影姫さま
>  あの澁澤龍彦や中井英夫を発掘したとも言われる戦後幻想文
> 学の父、埴谷雄高が死んでから一体何年経つのか良く解りませ
> んが彼の独特の文学は今日も確実にファンを増やしているよう
> です。そんな埴谷君の書物に古書マニアが注目しないわけがあ
> りません。

 埴谷雄高さんのファンって、増えてるんでしょうか?

 聞くところによると、生前、埴谷さんはその著作の文庫化を許可しなかったとか。たぶん、書物に向き合う姿勢というものにこだわった、ひとつの見識だったんでしょう。だけど没後、とうとう『死霊』が文庫化されましたよね。埴谷雄高の初文庫化、しかも有名な代表作とあって、今回の文庫はたちまち版を重ねたようですけど、・・・さて問題はこれからです。これでいったいどれくらいファンが増えるのでしょう?
 澁澤さんや中井さんでさえ、固定客というのは一万人にも満たない。「異端の文学者」なんて呼ばれた頃もあったけど、ひとまず読むのに苦労させられることない澁澤さんや中井さんでさえそのくらいなんだから、いかに高名だとはいえ、難解でしられる純文学者の固定客は、多く見積もっても5千にも満たないんじゃないでしょうか? 正直に言えば2千にも満たないだろうというのが、ボクの推定です。つまり、コアなファンが熱心に読み継いでいくというのが埴谷雄高で、文庫化で「裾野が広がる」というタイプではないんじゃないかなあー。

 ちなみに『虚無への供物』の再評価の切っ掛けをつくったのが埴谷さんだというのは事実ですから、その意味では中井さんを『発掘した』と言っても良いと思うんですが、澁澤さんを埴谷さんが『発掘した』というのは、どうもピンと来ません。ひとまず、お二人が共通 して『黒死館殺人事件』のファンだというのは知っているんですが、埴谷さんと澁澤さんには、どういう接点があるんでしょうか?


 園主 さま
> 私が邪推いたしますのは、「転向者」を「策士」と評価する論理は、しばしば「頭の良い人間の自己欺瞞」となりやすく、京極夏彦のような人間には「予防線(転向の伏線)」ともなりかねない、ということなのでございます。「林羅山策士説」の場合は、「結果 」が見えていたから「結果オーライ」で説得力を持ち得ましたが、自分が一種の「転向」を迫られた時、人はそれを自己欺瞞的に「形式的転向」だと自他に言い聞かせて、自ら敗北するようなことになるのではないか? いや、むしろ、その方が一般 的であろうからこそ、私は京極夏彦に、その覚悟の如何を問い質したい気持ちが押さえられないのでございます。

 いかにも園主さまらしいですね(笑)。

 京極堂 中禅寺秋彦は、戦時中、軍部の「洗脳」を研究する特務機関に所属していたことになっていたと思うんですが、今度、日本が戦争になったら、京極さんなんかはその種の方面 で「文筆」による協力を求められるんでしょうね。それは京極さんの力量と名声から推して、すこしも不思議なことではありません。そうなった時に、京極さんは、一人の人間として、小説家として、どういう選択をするのでしょうか?
 すくなくとも、先の大戦では、日本のミステリ作家は、積極的に軍部政府に協力するか、沈黙を守るかで、はっきりと筆で抵抗した人は、一人もいませんでした。園主さまも論文『偉大なる夢への儚き抵抗』で江戸川乱歩を扱い、かなりきびしい評価をしていましたけど、『陰摩羅鬼の瑕』でも学術的に「天皇崇拝」の非論理性を指摘している京極さんが、乱歩と同じ立場に立たされた時に、いったいどんな態度を採るのでしょう? 「京極堂」シリーズを読んでいるかぎり、正面 切っての抵抗をする可能性はなさそうなだけに、どういう態度を採るのかが気になるというのは、ボクにもとてもよくわかります。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


モデルは柳沢教授!?(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 8月12日(火)20時46分06秒

 みなさん、こんばんは! ボクも今日『陰摩羅鬼の瑕』を読了しました。そうですねぇ、たしかに日本のミステリ史に残る大傑作である『姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』、あるいは圧倒的な大作である『絡新婦の理』や『鉄鼠の檻』に比較すると、「普通 」だなあーという印象は否めませんが、『塗り仏の宴』よりは随分マシだと思いました。どっちにしろ、国内ミステリの年間ベスト5に入る水準なのは間違いなくて、今年の「第4回 本格ミステリ大賞」は、きっとこの作品で決まりでしょう。ボクとしては、京極さんにはこの水準をたもって欲しいなーという感じです。
 ちなみに、本作に登場する由良伯爵は、「花園」ではお馴染みの人気マンガ『天才 柳沢教授の生活』(山下和美・講談社)の主人公 柳沢良則教授をモデルにしたんじゃないかと思うくらいのそっくりさんです。もちろん、別 人ですからそのままではないですけど、例えばこんなところなんか、どうでしょう?

『「伯爵は、ご自身のお言葉を借りれば、今でも日日刻刻と成長していらっしゃいます。毎日が勉強で凡ての物事が教材だとおっしゃるんです。そうですね?」
 驚きの連続ですと伯爵は答えた。
「どれだけ学習しても、どれだけ思惟を積み重ねても足りることはありません。そうしたものに終りはないのです。人は幾らでも成長する。否、しなければならない。存在していることに就いて考えることが出来る存在は、人間だけなのです――」』





 マム さま
 おかえりなさい! ご旅行、存分に楽しんでこられたようですね(笑)。

> 人はそれ自体が輝くのじゃなくって・・照らされることで光輝くのだし、光を失えば闇の中に戻るんだなぁと感じたし、仏説にある「自体顕照(自らが光り輝く)」は自力と他力の即一の世界だってことも強く感じた

 含蓄の深い言葉ですね。この言葉をわざと間違って解釈すれば、人が『輝く』とは「自力」によって「名声を得る=他人からの評価を得る」ということになるんですが、もちろんここでいう『輝く』とは、そんな薄っぺらなものではないですよね。でも、それにもかかわらず、人はあまりにも安易に人の「輝き」というものを、表面 的にとらえがちだと思います。もちろん「キラキラ輝いている人」「はつらつと生きている人」というのは素晴らしいんですが、「苦境を歯を食いしばって生きている人」なんかも、やっぱり違った「輝き」を発していると、ボクは思うんです。でも、そういう「輝き」というのは、それを見通 す目を持たない人には見えないんじゃないかなあ? 一般に、人は「華やかな部分しか見ない」という傾向がありますからね。

 この両者を比較すれば、よくわかると思うんですが、「キラキラ輝いている人」「はつらつと生きている人」というのは、かならずそう生きうる「環境」に恵まれていると思います。どんなに立派な人でも、今日、子供に食べさせる御飯もなかったら、ニコニコしていられませんものね。つまり、「キラキラ輝いている人」「はつらつと生きている人」というのは、「他者」によって作り上げられた「環境」のなかで輝いているとも言えるんです。
 では「苦境を歯を食いしばって生きている人」はどうでしょうか? 彼は「キラキラ輝いている人」「はつらつと生きている人」とは違った「輝き」を発しています。でも、そうした人たちとは違い、彼は「環境」に恵まれていないのに、どうして「輝く」ことができるのでしょうか? それはたぶん彼をそのように育てた「他者」であり、「他者」がつくった「生育環境」があったからでしょう。つまり彼もまた、「他者」のなかで「輝く」自分を勝ち得ていったのだと思います。

 このように見ていくと、どんな場合であれ、「輝き」は「自力」だけではなく、「他力」との『即一』の中から生まれるんだということがわかります。って言うか、「他者」のいない「自己=私」というのは、ありえないんですよね。だから「他力」の働いていない「自力」というのも、またありえないんだと思います。それが、この世界内に在るということなんでしょう。・・・というのが、ボクのひとつの解釈です(笑)。





( 以下は「モデルは柳沢教授!?(下)」につづく)


埴谷クンあの世で元気か? 投稿者:影姫  投稿日: 8月12日(火)03時15分01秒

 夏です。暑いですネ。皆さん。ここらでひとつ一服の清涼剤
のような愛書閑話をひとつ。

 あの澁澤龍彦や中井英夫を発掘したとも言われる戦後幻想文
学の父、埴谷雄高が死んでから一体何年経つのか良く解りませ
んが彼の独特の文学は今日も確実にファンを増やしているよう
です。そんな埴谷君の書物に古書マニアが注目しないわけがあ
りません。

 埴谷ファンならやはり持ちたいのが真善美社版の元版『死霊』
(アプリゲール叢書)。しかしこの本昭和20年代前半発行なの
で紙質も悪く良い状態の本がなかなか出ません。ここで最初から
つまずくマニアも多いでしょう。
 
 次はやはりアフォリズム集『不合理ゆえに我信ず』でありまし
ょう。コレクターの皆さんは月曜書房版・現代思潮社版・成瀬書
房版から好きな装丁の本を選んでゲットすれば良いというわけで
す。

 リッチ派には『闇のなかの黒い馬』『ドストエフスキー全論集』
の限定版(両方共河出書房)をお薦めします。どちらも駒井哲郎の
版画が入っています。しかし値段が○○万¥也。お覚悟。

 あと個人的お薦めは『内界の青い花』(これも河出書房)。これ
は「病と死に関するエッセイ集」でネクラ派の皆さんにお薦めです。

 さてここでカミング・アウトさせていただくとわたしは「内ゲバ
大好き人間」なのです。といってもわたしが内ゲバをやりたいわけ
ではありません。「内ゲバを研究する」ことが好きなのです。立松
和平の『光の雨』や連合赤軍関係の資料を読むのは大好きですし、
内ゲバ経験者のお話を聞くのも大好きです。特にわたしの心に残っ
ている内ゲバは猫をかん袋に押し込む和尚さんではありませんが、
大きな布袋に丸裸に剥いた人間を押し込み、袋をキッチリ閉じてか
ら大勢で袋を殴る蹴るというものです。怖いですネ。

 そんな「内ゲバマニア」のわたしの「マイ・フェバリット・ブック」
が『内ゲバの論理』(三一書房)です。この本、「暗殺の美学」「憎悪
の哲学」「リンチの論理」など全くわたしのツボを押さえた内容です。
しかも新書判でブックオフでも入手可能。埴谷入門者にもお薦めできま
す。

さてこの暑い夏、埴谷君の根暗で奇妙で難解で捻じ曲がった奇妙な世界
に浸ってみるのも一興かと存じます。もしかしたら『稲川淳二の恐怖夜話』
より涼しくなれるかもしれませんョ。

☆園主様>今回の投稿はヒジョーに久しぶりに「万華鏡」に収録してください。
よろしくお願いします。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


『陰摩羅鬼の瑕』読了(下) 投稿者:園主  投稿日: 8月12日(火)00時42分24秒


 マムさま
> 今年の夏休みは、旦那さまと一緒にアジアンテイスト・バックパッカーの貧乏旅行でした。安宿はヘンな虫がいるみたいで朝起きるとあっちこっち痒いし、途中でお腹こわすし、ムチャ暑いし結構大変だったけど^^;雨が降ってる中を歩いてるときは命のシャワー浴びてるみたいで気持ちよかった。それにいろんなお友達もいっぱいできたよ!ベトナムからラオス・タイに立ち寄りながら最終目的地カンボジアのアンコールワットとアンコールトムに出会えたときは超感激でした!思い焦がれていた恋人に会えた感じ^^

おかえりなさいまし。ずいぶん充実した旅だったようでございますねえ(笑)。
書斎派の私といたしましては、たとえ旅をするにせよ「不衛生な所(特に虫の多い所)」「暑い所」は真っ先に避けたいところでございますが、そういう場所に堪えられ、楽しめる方には、一種の羨望を覚えます(笑)。

しかし、最近シャヒード展の関係で、パレスチナの現状に関する講演になんどか出かけているせいもあり、私がいま見に行きたい外国と言えば、パレスチナの難民キャンプということになるようでございます。
つまり私の場合は、「旅」の(特に「海外旅行」の)中核をなす「自然」「風土」「文化」といったものにはあまり興味がなく、やはり「人間」そのものに興味があるのでございましょう。笠井潔や高村薫が「荒涼とした風景」に惹かれるように、私も「人間」を中心に据えた「荒涼とした風景」に否応なく惹かれるのかも知れません。

そう言えば、以前にご紹介いたしました「岩波フォト・ドキュメンタリー 世界の戦場から」(総編集=広河隆一)の第二回配本『核に蝕まれる地球』(森住卓・定価1700円+税)が刊行されました。大変つらい内容ではございますが、多くの人の手に取っていただきたい写 真集でございます。

昨今私が痛切に思いますには、我々がまず心しなければならないのは、我々があまりにも「無知」だということでございます。これは、広く「外の世界」を旅する者には自明なことなのでございましょうが、例えば、かつての私がそうであったように「ミステリ(小説)ばかり読んでいる読書家」だとか、「ヨーロッパ(あるいは東南アジア)にしか興味のない旅行家」といった、「私の世界」から一歩も出ていかない者には、なかなか気づきにくいことなのでございます。そして、そうした無知は、時に致命的な「瑕」ともなるのでございます。ですから、私たちは可能な限り、広く世界に心の目を向けるべきでございましょうし、自己の「無知」とそれに基づく「狭い」、時に「誤った」世界観を改めてゆくべきでございましょう。それは大変な困難事ではございましょうが、それが人間の現実にとって、せめてもの「救い」であり「希望」になるのだと存じます。

『法語の能く従うなからんや。之を改むるを貴しと為す。巽与の言は能く説ぶなからんや。之を繹ぬ るを貴しと為す。説んで繹ねず、従って改めざるは吾これ如何ともすること未きのみ――』
   (『論語』子罕 第九・『陰摩羅鬼の瑕』P738より孫引き)




それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm

 

『陰摩羅鬼の瑕』読了(上) 投稿者:園主  投稿日: 8月12日(火)00時41分37秒

みなさま、私、11日午後10時30分をもって京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』(講談社ノベルス)を読了しました。ひさびさの「京極堂」シリーズ長編としては、80点といったところでございましょうか。心配したほど悪くはないものの、やはり初期の迫力は確実に失せているという印象でございました。

ネタ割りにならない程度に書かせていただきますと、まず今回の作品は、これまでにもなくシンプルな本格ミステリであり、かなりオーソドックスな「ワンアイデア」ものだと申せましょう。『ダ・ヴィンチ』の『陰摩羅鬼の瑕』特集で、ミステリ評論家の千街晶之が書いておりましたとおり、シンプルな構造ゆえに、真相はかなり早い段階で見抜くことが可能で、その意味では「伏線」の張り具合などもわかりやすい作品となっております。すべては、最後の「あり得ないことがあり得た」とする論理のために構築された作品で、その意味では『鉄鼠の檻』に似ているとも申せましょう。ですが、作品の厚みにおいては『鉄鼠の檻』に数段劣るといった印象は否めず、また最後の京極堂による謎解き(憑き物落とし)のシーンまでは見せ場にも欠けて、京極作品には珍しく、冗漫な印象を与える作品となっておりました。ただ、この作品で「救い」となっているのは、ネタのわりには後味の悪くないラストでございましょう。

個人的に興味を持ったのは、京極堂によって語られる「林羅山策士説」でございます。「排仏論者」でありながら「僧形」をまとった儒学者として、非難されることの多い林羅山を、京極堂は「策士」として評価し、説得力のある論理を展開するのでございます。しかし、そのあたりについてまったく無知な私を説得することは、さほど困難なことではございませんので、この説が、専門的に見てどれほどの価値を有するものなのかは、私には何とも申せません。もちろん、フィクションとは言え、京極夏彦のことですから、それなりに専門家にも一考を促すような意見として書いたのでございましょうが、その学術的な価値に関わりなく私が邪推いたしますのは、「転向者」を「策士」と評価する論理は、しばしば「頭の良い人間の自己欺瞞」となりやすく、京極夏彦のような人間には「予防線(転向の伏線)」ともなりかねない、ということなのでございます。「林羅山策士説」の場合は、「結果 」が見えていたから「結果オーライ」で説得力を持ち得ましたが、自分が一種の「転向」を迫られた時、人はそれを自己欺瞞的に「形式的転向」だと自他に言い聞かせて、自ら敗北するようなことになるのではないか? いや、むしろ、その方が一般 的であろうからこそ、私は京極夏彦に、その覚悟の如何を問い質したい気持ちが押さえられないのでございます。

さて、私の『陰摩羅鬼の瑕』の評価を、わかりやすく同シリーズ内での順位 として示しますと、次のようになります。 (※ すべて初版ノベルス版についてです)

 (1)『魍魎の匣』
 (2)『姑獲鳥の夏』
 (3)『鉄鼠の檻』、『絡新婦の理』
 (5)『狂骨の夢』
 (6)『陰摩羅鬼の瑕』
 (7)『塗り仏の宴』





( 以下は「『陰摩羅鬼の瑕』読了(下)」につづく)


アジアンテイスト! 投稿者:マム  投稿日: 8月11日(月)13時04分48秒

皆さまご無沙汰してました!お元気ですか!!

今年の夏休みは、旦那さまと一緒にアジアンテイスト・バックパッカーの貧乏旅行でした。安宿はヘンな虫がいるみたいで朝起きるとあっちこっち痒いし、途中でお腹こわすし、ムチャ暑いし結構大変だったけど^^;雨が降ってる中を歩いてるときは命のシャワー浴びてるみたいで気持ちよかった。それにいろんなお友達もいっぱいできたよ!ベトナムからラオス・タイに立ち寄りながら最終目的地カンボジアのアンコールワットとアンコールトムに出会えたときは超感激でした!思い焦がれていた恋人に会えた感じ^^

向こうで買ってきたCDなんか聞いたりして、なんとなくウキウキワクワクって余韻がまだ続いてる^^;来年は新疆とか敦煌とかシルクロードの世界を歩いてみたいなぁ・・旅って「生きてることに飽きた」みたいな自己喪失感情からの回帰とか再構築みたいなものかもしれないね・・また旅行のためのお金ためなくっちゃ^^;

これが文化だ!文明だ!人間だ!みたいな自己主張の強いヨーロッパもいいけど、自然に逆らわないというか、いい加減というか、ごった煮みたいなアジアン世界を歩いてると「生きることの懐かしさ」みたいなものを感じたし、夕陽に照らされて輝いてるアンコールワット見てたら人はそれ自体が輝くのじゃなくって・・照らされることで光輝くのだし、光を失えば闇の中に戻るんだなぁと感じたし、仏説にある「自体顕照(自らが光り輝く)」は自力と他力の即一の世界だってことも強く感じたし、法華経の世界が仏になれる「可能性のみ」を記すに留まった理由みたいなものもなんとなく朧げだけど見えたような気もした。

このへんのところはまだうまく言葉に表せないけど、疑問に思ってたことがパタパタと片付きそうな感じ!今年の夏休みの大きな収穫だった。いい夏休みだった!

ベトナムで作ったアオザイ(色はシロ)着て会社に顔出したら超ウケた!あれって涼しいし、着てて楽だし、足が長く見えるし?、体型のごまかしにはおすすめ!^^;

皆さま、暑い夏だけど体には気をつけてね!

さてと・・これから実家にいってサービスだぁ・・忙しくなるなぁ。時計なんてなきゃいいのに(^o^)ニャハ

マムの夏休み日記でした!



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