●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年11月中
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『将棋の子』(4) 投稿者:ホランド  投稿日:11月20日(木)22時16分08秒


 アーニャ
> 映画『デッドゾーン』('83年 カナダ・字幕)
> 監督:デビッド・クローネンバーグ、主演:クリストファー・ウォーケン(^0^*

 『デッドゾーン』って、そんなにいいの?
 ボクがいくつか見たクローネンバーグは、正直言って、みんなイマイチだったんだけど、これはクローネンバーグ作品のなかでは一番人気のようだね。ボクも観てみたいなあー。


 園主さま
 『将棋の子』、お貸し下さり、ありがとうございました。見てのとおり、とても楽しませていただきました。
 『パイロットフィッシュ』もいずれ読んでみたいので、文庫になってからでいいですから、もし買われることがあったら貸して下さいね。それから、今日のこの書き込み文を書いていて、以前保坂和志さんが刊行されたという『羽生』という長編評論(?)も読んでみたくなりました。もし手近に本があったら、こちらもよろしくお願いします(笑)。……そういえば、最近、保坂さんが刊行された『小説を書きあぐねている人のための小説入門』(草思社)も良く売れているようですね。保坂さんのことだから単純な技法書じゃないんでしょうけど、それを読んだら、ボクもまた小説を書く切っ掛けをつかめるかなあー?





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


『将棋の子』(3) 投稿者:ホランド  投稿日:11月20日(木)22時15分26秒

 

『水戸の天才少年、略して「水戸天」と呼ばれた(中略)先崎(学、後の八段)が2級に昇級したころには、まだ入会すらしていなかった天才集団が、次々とかけ抜けて行く。
 昭和58年7月に6連勝で2級に昇級した天才軍団の旗頭、12歳の羽生善治は8月には踊り場にたたずむ先崎をあざ笑うかのように、再び6連勝で1級昇級。続く昭和59年1月には初段入段を果 たしている。昭和57年といっても、羽生たちの入会月は12月、つまり羽生は6級から初段までをわずか1年1ヶ月という驚異的なスピードでかけ抜けたことになる。その間の成績55勝22敗、勝率7割1分4厘というハイ・アベレージであった。
 羽生が6級で入会し、初段に上がるまでの間、先崎はずっと2級のままであった。羽生と同期入会の中曽根敦也6級は、羽生が初段に上がったときも6級のままである。天才、羽生善治の驀進ぶりが窺えようというものだ。
 昭和57年組の恐ろしさは、羽生一人が独走していたのではないということにある。昭和59年7月の時点で、先頭を走る羽生初段を追う1級陣に佐藤康光、小倉久史、木下浩一が名を連ね、先崎2級に森内俊之、郷田真隆、秋山太郎らがすでに追いついてきている。
 あの天才少年の名をほしいままにしていた先崎学ですら、4人に追い越され3人に並びかけられるという非常事態に陥っていたのである。
 羽生は55勝22敗で6級から初段をかけ抜けた。ということは、奨励会対羽生は22勝55敗、誰かがその55敗を引きうけていることになる。しかも、それは羽生だけに限らず、羽生とそれほど遜色のない勝率でここまで勝ちあがってきた57年組全員に対していえることなのである。つまり、57年組の嵐が吹き荒れる間、奨励会は沈没船や難破船の山となっていたはずなのだ。』

 成田英二もその嵐に巻き込まれます。しかも、その時期、彼は、父を急病に失い、最愛の母が癌に犯されるという不運に見舞われ、やがて奨励会を去ることになるのです。
 母親を失った後、彼は職を転々として、最後にはサラ金に追い回されるところまで落ちてしまいます。かつての天才少年が、社会からドロップアウトしてしまう。そんな彼と再会した大崎さんが描く、成田英二の人生については、みなさんにも是非、直接『将棋の子』で読んでいただきたいと思います。大筋だけだと暗いばかりの話のようですが、敗れ去っていった若者たちに向ける大崎さんの視線はどこまでも優しく共感的であり、なにより成田英二のどこまでも純粋で明るい性格に、読者は何度も救われるのです。
 夭折した村山聖は『勝つも地獄、負けるも地獄』という言葉を残していますが、そんな「棋士の世界という地獄」からドロップアウトして「世間の地獄」に沈んだ若者たちのその後を描きながら、「彼らは将棋に裏切られたのではない、将棋はただ彼らに夢を誇りを与えただけで、何も奪ったりはしていないんだ」という結論にいたるこの物語が、ノンフィクションであったことを、ボクはホントにうれしく思いました。





(以下は「『将棋の子』(4)」につづく)


『将棋の子』(2) 投稿者:ホランド  投稿日:11月20日(木)22時10分27秒


 で、『将棋の子』ですが、これは夭折した天才棋士の伝記として話題になった『聖の青春』に優るとも劣らぬ 作品です。と言うか、ボク的には「こっち」の方が好きかな。『聖の青春』は、病弱でいつまで生きられるか保障のかぎりではないという少年が、将棋に生きる意味と目的を見い出し、しゃにむに頑張って将棋界の頂点に手の届くところまで行きながら、その直前で病いに倒れたその壮絶な生涯を、師との温かな交流などを背景にして描いた作品でした。村山の命を賭けての将棋人生は、たしかに凄まじいものだし、健康でさえあれば開けたであろう頂点への道を思うと、その無念は思い半ばに過ぎるものがあります。でも、空前絶後の7冠を達成した天才棋士羽生善治をも脅かし、その存在と力量 を認めさせた村山は、少なくとも将棋の世界では、天に愛された成功者の一人だったとも言えると思います。
 それに比べると『将棋の子』に描かれる青年たちは、村山とは正反対に、十代前半から二十代前半のすべてを賭けた「将棋への夢」を断ち切られながら、なおも生き長らえなければならないという「過酷な運命」に立ち向かいます。この作品では、奨励会を去った何人かの若者の姿が描かれますが、中心的に描かれるのは、著者の大崎さんと因縁浅からぬ 関係にあった成田英二です。
 札幌にある「北海道将棋会館」で、小学校低学年でありながら、大人たちをころころと負かして向うところ敵のいない色白で華奢な天才少年を、同じく小学生だった大崎さんは偶然知ることになります。これが後の成田英二。まもなく将棋から離れた大崎少年とは違い、成田は北海道で天才の名を欲しいままにし、早くから奨励会入りを勧められながらも、虚弱な体質ゆえに母に溺愛されて育った彼には、親元を離れてまで将棋をする気はなく、結局、実家兼店を火災で失うまで、奨励会入りの決断を遅らせてしまいます。大崎さんが大学時代に再び将棋にのめり込み、その伝手で将棋連盟に入った後、偶然、奨励会員となった成田と再会するのですが、その時、成田は大崎さんのことなど、全然憶えていませんでした。でも、同郷のよしみから、やがて大崎さんを兄のように慕うようになります。成田はいつもニコニコしていて、あまり自分を主張しない甘えん坊タイプだったようですが、こと将棋にかけては大崎さんの助言も頑として受けつけない頑固さを示しました。成田は序盤に弱く、圧倒的に不利な形勢を異様なまでの終盤力で逆転して勝つというタイプで、この型に自信を持っていました。だから彼は、定石を学ぶというようなことは一切しません。「他人と同じ将棋をしても意味がない。だから、こっち(僕)はそんな勉強なんかせずに、強い人と手合いを重ねるだけです」というようなことを言う、古いタイプの棋士でした。しかし、成田の後には、やがてこういう古い考え方を完全に葬り去ることになる、革命的な新世代の集団が迫っていました。それが羽生善治を筆頭とする「昭和57年組」です。





( 以下は「『将棋の子』(3)」につづく)


『将棋の子』(1) 投稿者:ホランド  投稿日:11月20日(木)22時09分20秒

 みなさん、こんばんは! 今日は最近読んだ大崎善夫さんの『将棋の子』(講談社文庫)について書かせていただきます。
 大崎善夫さんは、夭折の天才棋士 村山聖の生涯を描いたノンフィクション『聖の青春』(現・講談社文庫)でデビューし、このデビュー作で新潮学芸賞と将棋ペンクラブ賞を受賞して注目された気鋭の作家です。『聖の青春』に続き、将棋の天才少年たちが全国から集う「奨励会」に入会しながら、きびしい淘汰競争の果 てに夢やぶれて奨励会を去っていった若者たちのその後を描いた第二作『将棋の子』が、講談社ノンフィクション賞を受賞。さらに、第3作にして初の本格的な小説(フィクション)である『パイロットフィッシュ』(角川書店)が吉川英治文学新人賞をし、大崎さんはその作家的地位 を不動のものにしました。
 大崎さんは1957年札幌市に生れ。大学を卒業後、日本将棋連盟に入り、『将棋マガジン』の編集者を経て『将棋世界』の編集長を10年勤め、『聖の青春』の刊行後、連盟を退職して専業作家になっています。

 『聖の青春』が刊行されたのは、こないだ話題に昇ったマンガ『ヒカルの碁』の人気爆発によって囲碁が注目され始めた時期だったと思います。将棋は、羽生善治など多くのスター棋士を生み出したことから、囲碁にくらべると遥かにメジャーだったんですが、それでもまだ「大人の世界」という印象が強かったと思います。それが『ヒカルの碁』の大ヒットにより、若年層に囲碁ブームが巻き起こり、それに伴って「囲碁将棋なんてオヤジくさい趣味」というイメージが薄れたように思います。

 ボク個人としては、この時期は竹本健治さんの囲碁マンガ『入神』(南雲堂)の思い出と重なる時期です。このマンガには、村山聖をモデルにした桃井雅美(通 称、桃井くん)という天才少年棋士が脇役で登場するんですが、これは囲碁や将棋を愛する竹本さんが、身なりにまったく構わず、あだ名が「肉丸くん」という、特異な風貌と個性を合わせ持つ若き天才棋士への好感から作り上げた「神に愛された天才」キャラクターで、『入神』以前の推理小説『妖夢の舌』(光文社文庫)にも、完全に主人公を喰った個性的キャラクターとして登場しています。でも『聖の青春』にも描かれているとおり、村山聖は幼い頃に患って以来の腎臓ネフローゼのために、将来を嘱望されながらも若くして亡くなります。
 『入神』の著者あとがきには「この作品を村山聖くんに捧げます」という主旨のことが書かれていましたが、その後、竹本さん関連のネットサイトに、村山ファンの若い女性から「村山聖をモデルにしたと言いながら、絵的には三枚目だし性格的にも傲岸不遜な桃井というキャラクターは、村山聖を冒涜するものではないのか」という主旨の批判の投稿がありました。この時ばかりは、いつもはおとぼけの竹本さんも、真摯に自分なりの「村山聖という天才」への思い(好意のかたち)を語っておられたと記憶します。
 同人誌は別にして、小説家竹本健治 初のマンガ作品となった『入神』は、竹本さんがつきあいのある作家・友人たちに、部分的にアシスタントをしてもらいながら制作を進めるという特異な(竹本さんに言わせると『お祭り的』な)システムを採ったことと、本業の小説との併行作業であったため、一冊完結の長編を完成させるのに足掛け4年を費やしてしまいました。執筆開始当時には連載の始まっていなかった『ヒカルの碁』が、『入神』刊行時にはすっかり囲碁ブームを巻き起こしていて、まるで便乗出版のようなかたちになってしまったのが、「囲碁マンガの先駆者」になるはずだった竹本さんとしては痛し痒しだったそうです。で、うちの園主さま(アレクセイ)も、『入神』のお手伝いをしたメンバーの一人だったんです。その関係で、ボクも当時、いろんな楽屋話を聞かせてもらってました。もともとは興味のなかった囲碁や将棋の世界をあつかった『聖の青春』や『将棋の子』を読むことになったのも、その当時、園主さま経由で、棋士たちへの竹本さんの、竹本さんらしからぬ 「熱い思い」を耳にしていたからだったんです。





( 以下は「『将棋の子』(2)」につづく)


匂い(4) 投稿者:園主  投稿日:11月19日(水)22時03分29秒


 ホランド
>> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

> いかにも園主さまらしい評論(?)で、楽しく読ませていただきました(笑)。

> でも、今回の「中井英夫の「晩年」」って、考えてみたら『虚無への供物』と同じことをやってるんですよね。
> 笠井(潔)さんが、その『虚無への供物』論である「「完全犯罪」としての作品」の中で――『虚無への供物』の作中に描かれた犯罪は、じつはどれも実際には存在しない「犯罪」だった。犯人を名乗る人物による「堪えがたい無意味な死に、意味を与える犯罪」の、その意図を汲んで、探偵がそれがさもあったかのように語っていただけなんだ――というようなことを書かれてたと思うんですけど、園主さまが「中井英夫の「晩年」」でやったことも、これと同じなんじゃないでしょうか。

そこまで考えて書いたわけではなく、高原英理による『月蝕領崩壊』の解説について「なかなかうまいこと書いてるなあ」なんて思いながら書いていたら、結果 的にああいう形になってしまっていたんだ。もちろん、最後の中井英夫による「夢野久作」の解説文も、当初は引用する予定なんて全然なかった。書いてるうちに「あれだ」ということになったんだ。
結局のところ、いつも考えていることが中井英夫のフィルタを通して出てきただけだったんだと思うし、それでそれなりに「中井英夫論」になっていたのだとしたら、やはり私は中井英夫のそうした部分と本質的に響き合って惹かれてきたんだということなんだろうな。

> こないだ、こう書かれてましたけど、実際には自民党は解散時の議席を減らしたみたいですよ。ニュースをちゃんとご覧にならなかったんですね。・・・なんとなくわかります。「日本人なんて馬鹿ばかりだから、こんな情勢になったって、ハッタリの人気取りばかりやっている小泉を支持するんだろう」と思って、不愉快な思いをさせられるであろう選挙結果 を、ちゃんと確認しなかったってことなんでしょうね(笑)。

終盤に近い選挙速報を10分ほど見ただけだった。その時点で、趨勢はおおむね判明していたから、自民党の形勢はわかったはずなんだが、悲観の色眼鏡にとらわれていたから勘違いしたんだろうな。自戒しなくては。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


匂い(3) 投稿者:園主  投稿日:11月19日(水)22時02分26秒


 アーニャ
> 今人気断トツ「氷帝学園中」のトップ・プレイヤーにして部長:「跡部景吾(あとべけいご)」クンのお誕生日は……そう、アリョーシャと同じなの(爆笑)。

私の誕生日というのは、あまり有名人の誕生日とか命日には当ってないようだ。跡部クンには悪いけれど、彼が『今人気断トツ』でも、そりゃあ私とは関係ないからなあー(-_-;)。

>『テニスの王子様』キャラのアニメ版の画像も、ご参考までに。

>・跡部景吾→http://tennipri.neic.jp/rhythm_19.html

>・壇太一→http://tennipri.neic.jp/rhythm_18.html

> ……でも、(※ 跡部景吾クンは)可愛げがないから、アリョーシャ好みではないわね〜☆
> 「山吹中」の「壇太一(だんたいち)」クンって、健気な1年生あたりかしら。

くやしながら、お察しのとおり(笑)。

> ところでホランドくんとアリョーシャは、このガシャポンシリーズの方はどう評価してるの?機械に貼ってあった小さな写 真を見た限りでは、「炉辺のムーミンパパ」なんかイイなと思ったんだけど、実物を見てないので、まだなんとも……

ガシャンポン版『ムーミン』については、ホランドとだいたい同意見だ。だから私は、ガシャポン版も買ってあるからね。

ところでフィギュアの新作で(たぶん)注目されているのが『週刊 わたしのおにいちゃん』(海洋堂・メディアワークス)。見るからに怪しげなタイトルだが、内容もそのままのロリコン魂爆発だ(笑)。
ブックレットとの組み合わせで売り出される5号完結のシリーズものだが、説明が面 倒なので、宣伝ビラから紹介文をそのまま引用しておこう。制作者側の「屈折したテレ」がそのまま伝わってくる、なかなか味のある文章だ(笑)。

『とってもスイートでソリッド。ちょっぴりキュートで超クール。/恋でもなく、夢でもない、かなり照れくさい商品が本当に実現してしまいました。』

『「私立大文字西小学校」の通う女の子たちの生活を、フィギュアとイラストとコミックで毎週お届けします。/世界に誇る造形力の海洋堂制作のフィギュアと、先鋭的な作家が描く女の子たちのコラボレーションが生み出す独自の世界観……。/初心者からマニアまで、週刊だから一号ずつ自分のペースで萌えることができます。世も末ですね。』

まあ、馬鹿にせずに、いちおうフィギュアだけは確認してほしい。「いかにも」という点が、あるいは鼻につくかも知れないが、まちがいなく「入魂の力作」だぞ(笑)。





( 以下は「匂い(4)」につづく)


匂い(2) 投稿者:園主  投稿日:11月19日(水)22時01分30秒


 Keenさま
>> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

> 文中で園主さま自らおっしゃってる通り、短編集『夜翔ぶ女』も未読でしょう?(笑)
> そこに所収の「卵の王子たちー世界一小さな密室」という作品は、1978年9月初出ですが、今日の「引きこもり」の増加を見事に予見しています。
> 書かれた時代が早過ぎたため、「自閉症」という障害への誤解に基づく誤表現はあるものの、中井さんが「描こうとしたこと」は、当然そのような誤解を越えた普遍的なものです。『幻想文学』誌上だったかで、どなたかがこの短編を激賞してらしたはずなのですが……思い出せません(私としたことが!/笑)。椿實さんだったかなあ〜?

> 園主さま、まだまだ「お楽しみ」が沢山残ってて、イイなあ〜。(^0^*

ええ、私の場合、傑作も駄作も含めて、まだまだたくさん楽しみを残しておりますよ(笑)。

> 「文学作品における病いの表現」という問題について(<ホランドくん)

これは読んでからの話でございましょう。ですが、そういう部分にも、中井英夫の長所と短所、強さと弱さが、きっと表れているものと存じます。それを世俗的な形で安易に擁護するのではなく、きちんと評価することこそが、中井英夫を評価することだと存じますし、その実践例が今回の評論(『中井英夫の「晩年」』)でもあるのでございます。

> 緊急連絡!

> 本日、午後8時〜10時、BS11チャンネルにて、

> 映画『デッドゾーン』('83年 カナダ・字幕)
> 監督:デビッド・クローネンバーグ、主演:クリストファー・ウォーケン(^0^*

> が、放映されます!

クリストファー・ウォーケンの主演が大きいとは言え、そこまでおっしゃるならと、いちおう近所のレンタルビデオ店に行きましたが、やはりこの手のマニアックな旧作は残っておりませんでした。残念。





( 以下は「匂い(3)」につづく)


匂い(1) 投稿者:園主  投稿日:11月19日(水)22時00分32秒

みなさま、私、本日はギャラリープチフォルムで開催されております「藤飯治平展」に行ってまいりました。
案内状に刷られた藤飯の新作油彩「海の城砦」は、岬の上に築かれた古い城砦を描いた、静謐な風景画でございます。私の元来の趣味から申しますと、いささか落ち着きすぎているという感じがございましたが、毎回、画廊から律儀に案内状を送っていただきながら、趣味に合わずと不義理を続けていた若干の負い目がございましたのと、「海の城砦」には、どこか単なる落ち着いた風景画におさまらない「雰囲気」のようなものがございましたので、単に義理で見に行くのではなく、その何がしか自分の感じたものに賭けてみようと思い、展覧会場へ足を運んだのでございます。
会場で展示作品をひとわたり見た印象は、やはり「独特の静謐さはあるものの、落ち着きすぎていて、私の趣味とは言えない」というものでございました。しかし、廊主によると、この画家の展覧会は、親画廊であった大阪フォルム画廊時代から40年来続いているもので、作家はすでに七十に達して今も旺盛な製作を続けているとの話でございました。……こう申しては何でございますが、その説明を聞いて私は、その年齢ならば、そこに展示された作品に見られるような「境地」も、なるほどと納得させられましたし、その年齢にしては絵がすこしも干涸びてはいないというのは感心できることだと考えました。
そのうち「昔の作品もお見せしましょう」と言って廊主が倉庫から出してくれた画家四十代の作品は、今回の新作とは違い、画家の若いエネルギーを感じさせる、ある種の暗い力と物語性があり、確実に私の守備範囲に入ってくる作品でございました。また、同時期に製作されたカタログを拝見すると、そこにはグスタフ・ルネ・ホッケのマニエリスム美術論『迷宮としての世界』で紹介されていても何ら違和感のない、ハッキリと私好みの作品(「バベルの塔」連作の一枚や、独自の廃都風景画)が収録されており、最初に感じたものが間違いでなかったことがこれで立証されたとの思いで「ああやはり普通 の風景画家ではなかったんだな」との意を強くしたのでございます。
ただ、惜しむらくは、やはり現在の藤飯治平の絵は、まだ私には十分に理解できないという事実でございます。30年前の作品であれば、資金さえ許すならば、私は藤飯の作品を躊躇なく購入したことでございましょうに。……私も歳をとれば、あるいはそれなりに現在の藤飯の作品の魅力を理解できるようになるのかも知れません。しかし、問題はそういうことではなく、私という人間が、もともとそういう「静謐」さとは対極にある「ドストエフスキー的な暗い情熱(黙示録的情熱、あるいはロシア的激情)」に共鳴する人間だったのならば、藤飯治平との距離は、今後さらに広がる一方なのかも知れません。





( 以下は「匂い(2)」につづく)


緊急連絡! 投稿者:Keen@コーフン☆  投稿日:11月19日(水)08時32分41秒

本日、午後8時〜10時、BS11チャンネルにて、

映画『デッドゾーン』('83年 カナダ・字幕)
監督:デビッド・クローネンバーグ、主演:クリストファー・ウォーケン(^0^*

が、放映されます!
これをロムしてらっしゃるアナタ、時間的・環境的に可能でしたら、是非ご覧下さいませ♪(園主さまには、ゴメンナサイ☆)


イメージと演出(下) 投稿者:ホランド  投稿日:11月17日(月)15時09分05秒


 園主さま
> みなさま、すでにご承知のとおり、先の衆院選では、自民党と民主党が議席を伸ばし、公明党も着実に議席を確保する一方、社民党と共産党が大きく議席を減らす結果 となりました。

 こないだ、こう書かれてましたけど、実際には自民党は解散時の議席を減らしたみたいですよ。ニュースをちゃんとご覧にならなかったんですね。・・・なんとなくわかります。「日本人なんて馬鹿ばかりだから、こんな情勢になったって、ハッタリの人気取りばかりやっている小泉を支持するんだろう」と思って、不愉快な思いをさせられるであろう選挙結果 を、ちゃんと確認しなかったってことなんでしょうね(笑)。

 ま、でも、若手の安部さんを抜擢してお得意のイメージ戦略を取りながら、議席数を減らしてしまったというのは、ボクたちにとっては「良い傾向」ですよね。
 もちろん今回の選挙で最大の争点となった「年金」の問題(国内問題)も大切ですけど、この調子じゃあどっちにしろ一発解決の処方箋なんて無いに決まっているそれ(年金問題)を表看板に押し立て、あまり話題にしたくない「イラク問題」や「有事体制推進問題」といった話題を隠されてしまうなんてことのないよう、こまめな追求がこれからも必要ですよね。
 ・・・アフガンでもイラクでも、日本の協力したアメリカ軍の空爆による「劣化ウラン弾」のせいで、今も日々、多くの子供たちが死んでいるという事実を、決して忘れさせてはならないと思います。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。


イメージと演出(中) 投稿者:ホランド  投稿日:11月17日(月)15時08分00秒


 アーニャ(続き)

>> ガシャポンの機械がうまく動かなかったことを『アンラッキー』と感じて『けっこうショック受け』ちゃうというのは、いかにもKeenさまらしいよね。・・・笑っちゃいけないんだけど、でも絵的には・・・(笑)。

> 「らしい」ってのは、よーくわかるけど……そんなに可笑しいかしら?

 気を悪くしないで欲しいんだけど、説明するとこういうことだよ。
 ガシャポンがうまく作動しなくてお金がつまったりした場合、普通の人は「怒る」んだよね。よくジュースやタバコの自動販売機のことで怒ってる人がいるだろ。つぎに、怒れない気弱な人は、お金が返ってこないこと、またお店の人にそれを言ったら「信じてくれるだろうか」なんて、いらぬ 心配をしてオロオロするなんてことは、ま、あるわけだよ。でも、「怒る」「困る」「うろたえる」っていうのは、ある意味で論理的な反応であり誰でも納得できる部分があるから、一般 に「変な反応」だという印象はあたえない。だから、基本的に「可笑しい」という印象もうけない。ところがKeenさまの場合は、ガシャポンの機械がうまく動かなかったことを『アンラッキー』と感じて『けっこうショック受け』ちゃうというんだから、これは「特殊な反応」であり、一般 には「変な反応」だと受け取られて、それで「可笑しい」ということになるんだよ。
 例えば、お化け屋敷に女の子を連れて入り、お化けが出てきた途端、その子が怖がったりしても、誰もそれを「可笑しい」とは思わないけど、その子がケラケラ笑い出したりしたら「変な子だなあー」って、こっちも可笑しくなるってこと、ある思うんだよ。そんな感じかな。
 ちなみに園主さまは「変人好き」だから、「変な子」も好きな方だよ。・・・って言うか、「変な子好き」って言ってもいいかな。ごく普通 の子では、物足りない部分があるようだね。それで苦労してきたってところもあるようだけど、それはまあ自業自得ってところかな(笑)。

> ところでホランドくんとアリョーシャは、このガシャポンシリーズの方はどう評価してるの?機械に貼ってあった小さな写 真を見た限りでは、「炉辺のムーミンパパ」なんかイイなと思ったんだけど、実物を見てないので、まだなんとも……

 ボクもガシャポン版『ムーミン』は、本当に良く出来ていると思うよ。ただあれは情景模型的な作品だから、どうしてもキャラクターが小さくなっちゃって、その分、『ムーミンズランチ』に比較すると、キャラクターの表情が作り込めていない。だから「飾り物」としては、ガシャポン版の方が完成度が高いんだけど、間近にながめる分には、表情のゆたかな『ムーミンズランチ』の方が楽しめるかなと思うんだよ。ただまあ、これはフィギュアに何を求めるのかという問題が大きいから、人それぞれだとは思うけどね。

>> でも『マメなネタふり』なんかしてると、年寄りネコみたいに思われるよ(ニヤリ)。

> 「アーニャは、やおいネコ」→「アーニャ、早老いネコ」ってこと?
> でも、お生憎さま。Keenさま同様、私も体内時計が遅いようだから。大体、チェシャ猫に「時間」なんてあるのかしら?(逆襲/ニヤリ)

 さすがはKeenさま譲りの「深読み」だね(笑)。でも、ボクはそんな凝ったことを考えたんじゃなくて、単純に「始終うとうとしてやりすると、年寄りネコみたいに見える」という意味で言ったんだよ。『マメ』というのは「こまめに」つまり「労を惜しまず、始終」寝たフリをやるってことだろう(笑)。





( 以下は「イメージと演出(下)」につづく)


イメージと演出(上) 投稿者:ホランド  投稿日:11月17日(月)15時06分56秒

 みなさん、こんにちは! ここんとこアーニャが『テニスの王子様』のことを書いていますけど、これはKeenさまの影響のようですね。ボクはもう長らくマンガを読んでいないので、『テニプリ』のことはよく知らないんですが、こないだ連載が終った『ヒカルの碁』なんかと並んで、コミケットでも一番人気を誇る作品だというくらいは知っています。
 そういえば「花園」で『テニプリ』が話題にのぼる切っ掛けとなった、テニスまんがの古典『エースをねらえ!』が、連続テレビドラマになるそうですね。主演は、小山ゆうの漫画を原作にした女剣客映画『あずみ』で主演した上戸綾だとか。『エースをねらえ!』の主人公の岡ひろみは「普通 の女の子」という設定だから、わりあいクセのないアイドルである(らしい)上戸でもいいと思うんですが、問題は宗方コーチとお蝶夫人。死の影を背負った「古典的鬼コーチ」と、非現実的なまでの「お嬢さま」である天才プレーヤーを、誰が演じるのか? 特に金髪巻き毛に家ではロングドレスという「イメージ」の強いお蝶夫人を、どのように実写 化するのかは、ひとつのポイントでしょうね。まさかそのままは再現できないけど、でもあの「容姿」に象徴されていた「別 格」性を出すのは、かなり難しいかも知れませんね。





 アーニャ
>『テニスの王子様』キャラのアニメ版の画像も、ご参考までに。

>・跡部景吾→http://tennipri.neic.jp/rhythm_19.html

>・壇太一→http://tennipri.neic.jp/rhythm_18.html

> ……でも、(※ 跡部景吾クンは)可愛げがないから、アリョーシャ好みではないわね〜☆
> 「山吹中」の「壇太一(だんたいち)」クンって、健気な1年生あたりかしら。

 ボクもそう思うな(笑)。それにこの子だけ、声優さんが女性なんだよね。
 まんがやアニメでの「少年」の範疇って、結構むずかしいところがあるんだけど、いちおう男性が声を当てたら、それはもう「その世界」では「少年(子供)」ではなく、自立した「青年(大人)」に近い感じがあるんじゃないかな。もちろんテレビアニメ『海のトリトン』みたいに、子役の「男の子」が声を当てるという例外もあるんだけど。

> ご存じない方にはわからないでしょうが、主人公が通う「青春学園中」のライバル校の中で、今人気断トツ「氷帝学園中」のトップ・プレイヤーにして部長:「跡部景吾(あとべけいご)」クンのお誕生日は……そう、アリョーシャと同じなの(爆笑)。

> 中学3年生だから、15才ね。もちろん、超美形♪決めゼリフは「俺様の美技に酔いな」(^0^*

 そんなわけで、跡部景吾は園主さまの「寵愛の対象」という意味では「好み」ではないだろうけど、誕生日が同じというのは満更無意味でもないんじゃないかな。だって、こういうタイプって、園主さま案外お好きなんだよ。例えば園主さまは、「僕は神だ!」という超美形・榎木津礼二郎((c)京極夏彦)と波長が合うんだからね(笑)。





( 以下は「イメージと演出(中)」につづく)


おまけ。 投稿者:アーニャ  投稿日:11月17日(月)10時32分02秒

☆ホランドくん

>でも『マメなネタふり』なんかしてると、年寄りネコみたいに思われるよ(ニヤリ)。

「アーニャは、やおいネコ」→「アーニャ、早老いネコ」ってこと?
でも、お生憎さま。Keenさま同様、私も体内時計が遅いようだから。大体、チェシャ猫に「時間」なんてあるのかしら?(逆襲/ニヤリ)

ついでに、リンクも貼り直しておくわね、飛び易いように。(^0^*

・跡部景吾→http://tennipri.neic.jp/rhythm_19.html


とりあえず、追加情報(^0^* 投稿者:アーニャ  投稿日:11月16日(日)23時31分26秒

『テニスの王子様』キャラのアニメ版の画像も、ご参考までに。

・跡部景吾→http://tennipri.neic.jp/rhythm_19.html

・壇太一→http://tennipri.neic.jp/rhythm_18.html

☆ホランドくん

>ガシャポンの機械がうまく動かなかったことを『アンラッキー』と感じて『けっこうショック受け』ちゃうというのは、いかにもKeenさまらしいよね。・・・笑っちゃいけないんだけど、でも絵的には・・・(笑)。

「らしい」ってのは、よーくわかるけど……そんなに可笑しいかしら?
ところでホランドくんとアリョーシャは、このガシャポンシリーズの方はどう評価してるの?機械に貼ってあった小さな写 真を見た限りでは、「炉辺のムーミンパパ」なんかイイなと思ったんだけど、実物を見てないので、まだなんとも……

それでは皆さま、お休みなさい。にゃあ〜♪


現実と虚構(下) 投稿者:ホランド  投稿日:11月16日(日)02時33分18秒


 園主さま
> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

 いかにも園主さまらしい評論(?)で、楽しく読ませていただきました(笑)。
 以下は、感想です。

 まず今回のを読んで思ったのは、園主さまの文芸評論って、今回のと同様に、けっこう文中に「小説(フィクション)的表現」が折り込まれるんですよね。角川文庫版『トランプ殺人事件』の解説にも、一種の心象風景を語る部分で「少年の独白」が出てきましたが、今回の場合は、「地上」における「文人」的生活に安らいでいた中井英夫を非難する「影法師の声」が「セリフ」的に語られます。
 最近は、社会的な問題をよく取り上げることもあって、園主さまの評論は「現実」と「常識」と「論理」によって編み上げられた「リアリズム評論」とでもいうような感じが強かったんですが、最新作のこの「中井英夫論」が、以前の文芸評論に見られたのと同じパターンだったというのは、園主さまが基本的には変っていないという証拠なんだと思いました(笑)。

 でも、今回の「中井英夫の「晩年」」って、考えてみたら『虚無への供物』と同じことをやってるんですよね。
 笠井(潔)さんが、その『虚無への供物』論である「「完全犯罪」としての作品」の中で――『虚無への供物』の作中に描かれた犯罪は、じつはどれも実際には存在しない「犯罪」だった。犯人を名乗る人物による「堪えがたい無意味な死に、意味を与える犯罪」の、その意図を汲んで、探偵がそれがさもあったかのように語っていただけなんだ――というようなことを書かれてたと思うんですけど、園主さまが「中井英夫の「晩年」」でやったことも、これと同じなんじゃないでしょうか。
 中井英夫の晩年の「不幸」は、単に「たまたま」病気で恋人を失った結果 の「不運」だったのではなく、そこには中井英夫の「宿命」という「(見えない)必然性」が存在したのだとするのが、園主さまの論文なんですよね。つまり、中井英夫の晩年の不幸は、「無意味な不幸」ではなく「意味のある不幸」なんだというのが、園主さまの主張なんです。だから、そこにはおのずと『虚無への供物』に描かれた「犯罪」と同様の、「虚構」的な手法が使われてるんだと思います。
 でも、

> そう。あれは「平和な昭和」という幻想が、私ども被っていた時代の、小さな「世界の裂け目」だったのでございましょう……。「洞爺丸遭難事故」は世界の真相に関する「警告」であり、「田中貞夫の病死」は予言者本人にあたえられた「確認通 知」であり、「9.11」は世界に突きつけられた「現実への裂け目(招待状)」なのだと存じます。

とおっしゃっているように、園主さまは「虚構=反・真実」とは考えておられないようですね。むしろボクたちの「現実」とは、(しばしば)「多くの虚構に塗り込められた、偽りの現実」でしかない、という認識が園主さまにはおありのようです。つまり園主さまとしては『見えていない現実』を、手垢に汚れた「現実」に還元して語るのではなく、むしろあえて「フィクション」の形を借りることで、はっきり描き出そうとしたんじゃないかと、ボクは思うんです。
 ですから、作家論に登場する、竹本健治の「寄る辺なき少年」だとか、中井英夫の「地上を呪詛する黒い影」というのも、「単なるフィクション」ではなく、作家の「内面 の真実」である「作家の無意識(に近い部分)」を掬いあげて、形を与えたものなんじゃないでしょうか。

 なぜ、園主さまがこういう「特殊な形式」の評論を書かれるのかと言えば、それはたぶん「嗜好」としか言いようがないんでしょう。でも、その「嗜好」が、ポリフォニー的でメタ・フィクション的、つまり「重層的な語り」を選ぶというのは、どういうことなのか? ……それはたぶん、園主さまの根本にある「絶対的なるものへの懐疑」が、「一本道の語り(評論らしい評論)」をどこかで疑るからなんでしょう。その結果 、特権的でない複数の「語り」がお互いを相対化しつつ響き合う、という形式を指向するんでしょうね。園主さまの評論は、階層を異にした複数の語りの響き合いのなかで、その対象の多面 性・重層性を、総体として語ろうとしているのだと、ボクは感じました。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


現実と虚構(中) 投稿者:ホランド  投稿日:11月16日(日)02時32分42秒


 Keenさま
> おひさしぶりです。

 お帰りなさい!(^-^)

> もうかなり前になりますが、読売新聞の子ども向けコラム「北村薫のミステリーの小部屋」で、中井英夫『虚無への供物』がデカデカと紹介されました。リンク貼ろうと思ったのですが、「ヨミウリ・オンライン」の無料部分には、見つかりません(泣)。

 『虚無への供物』を子供向けに語るって、どうしたらいいんだろう? ボクがそれをやれって言われたら、きっと悩んじゃうだろうなあー。その点、北村さんは学校の(国語の)先生だったから、若い人たちを惹きつけるように語るっていうのが、お上手なのかも知れませんね。

> 読売新聞・文化欄には、「稲生物怪録」が、東雅夫さんのけっこう大きな写 真つきで紹介されています。これも、オンラインにはありませんでしたが。(T-T)

 『稲生モノノケ大全 陰の巻』とかいうタイトルでしたよね。

 そう言えば、昔、園主さまが澁澤龍彦さんの追悼文を書かれた時、そこに稲垣足穂の『稲生物怪録』小説「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」を引用されてましたよ。

> 文中で園主さま自らおっしゃってる通り、短編集『夜翔ぶ女』も未読でしょう?(笑)
> そこに所収の「卵の王子たちー世界一小さな密室」という作品は、1978年9月初出ですが、今日の「引きこもり」の増加を見事に予見しています。
> 書かれた時代が早過ぎたため、「自閉症」という障害への誤解に基づく誤表現はあるものの、中井さんが「描こうとしたこと」は、当然そのような誤解を越えた普遍的なものです。『幻想文学』誌上だったかで、どなたかがこの短編を激賞してらしたはずなのですが……思い出せません(私としたことが!/笑)。椿實さんだったかなあ〜?

 「文学作品における病いの表現」という問題については、その書き方によっては、園主さまから厳しい批判をうける可能性は大いにあり、ですね。園主さまは、大好きな中井英夫だって、例外扱いにはしないでしょうし、昔、綾辻行人さんの『フリークス』という畸形を扱った本格ミステリの連作短編集にかんして、綾辻さんのフリークスたちに対する態度が同情的であったにもかかわらず、厳しい批判を加えた、ってこともありましたからね。どこが良くないとおっしゃってたのかまでは、憶えていないんですけど(^-^;)。


 アーニャ
>> マメなネタふりだなあー、ネコのくせして(笑)。

> あら、「寝たフリ」は、ネコの得意技よ(笑)。

> アーニャ@座布団猫

 園主さまに座布団をもらってたからねー(笑)。でも『マメなネタふり』なんかしてると、年寄りネコみたいに思われるよ(ニヤリ)。

>>『ムーミンズランチ』(北陸製菓・海洋堂)

> こちらでは、まだ発売になってないの。Keenさまはもちろん、その気になってるようだけどね(笑)。
> でも、この間、ガシャポン版「ムーミン」別シリーズ(海洋堂)見つけて、トライしたら機械の故障か、出て来なかったのよね☆お店の人も「メーカーさんじゃないと……」って、お金だけ返してくれたんだけど、けっこうショック受けてたみたい。
> 珍しく、アンラッキーだったのねー(笑)。

 ガシャポンの機械がうまく動かなかったことを『アンラッキー』と感じて『けっこうショック受け』ちゃうというのは、いかにもKeenさまらしいよね。・・・笑っちゃいけないんだけど、でも絵的には・・・(笑)。





( 以下は「現実と虚構(下)」につづく)

 

現実と虚構(上) 投稿者:ホランド  投稿日:11月16日(日)02時31分52秒

 みなさん、こんばんは! 先日、園主さまと『マトリックス・レボリューションズ』を観てきました。でも、正直言って期待はずれでした。もっと盛り上がるかと思ったんですが、案外これといった見どころがなかったんですよね。
 いわゆる「見せ場」というのはいくつかあるんですが、それがどれも新味に欠けていて、面 白くないんです。例えば、ザイオンに攻め込んできた数え切れないほどの機械生命たちを、人間たちがパワードスーツみたいなのに乗り込んで迎え撃つんですけど、こういうのっていくら派手にやられても「ぜんぶCGだからなあー」という感じで、何の驚きもありません。また、エージェント・スミスとネオの空中戦も、すでにご指摘があったとおり『ドラゴンボール』そのものだし、一部には『風の谷のナウシカ』を彷佛とさせるシーンもありました。

 テーマ的には面白いことをやっているのかも知れませんが、三部作の完結編としては、どうにも結末が弱いんです。
 マトリックス世界の異物排除システムの一部でしかなかったエージェント・スミスが、癌細胞のように異常増殖を始めた結果 、機械の作り出したマトリックス世界そのものが、崩壊の危機に瀕してしまいます。それを食い止められるのはネオだけということになって、ネオが(宿命のライバルっぽい)エージェント・スミスを倒して、敵対していた人間と機械が共存を約し、世界に平和がおとずれる、というのがその結末。
 ネオが機械をやっつけて、人間の世界を取り戻すというのも「ありきたりな結末」だから、それに比べれば、人間も機械に依存している以上、機械を一方的に排除するんじゃなくて、お互いに納得できる範囲で共存していこうという結末は「ハリウッドらしからぬ 」という点で悪くはないし、機械の側のマスターシステムを象徴する人物(仮の姿)が「いつまでこの平和が続くのかな」と皮肉な疑問を呈するところなんかも批評性があって、それなりに面 白いんです。でも、エンターティンメントとしては、中途半端なところで決着がついてしまったという感じで、映画として成功しているとは思えませんでした。たぶん、こういう結末になってしまったのは、もともと三部作として大きな話にする予定のなかった第一作に、むりやり続編を付け加えて辻褄を合わせた結果 なんじゃないかと思います。これなら単純な話の第一作だけで十分だったように思いました。





 AOIさま
> レニにはならない。レニにはならないと呪文のように思っていました。
> 言われるとおりなのだと思います。
> どうもありがとう。

 園主さまやボクが、AOIさまに対しても遠慮なく批判の鉾先を向けるのは、ボクたちの中にも「なるべくならそんなことはしたくはない。つらい思いをさせたくはない」という気持があるからだと思います。そういう自分の「弱さ」を自覚するからこそ、余計に厳しくなるんだと思うんです。「ここで退いちゃダメだ」って。だって、そんな感情に負けてしまったら、「しがらみ」に負けて筆が鈍る人や、「利得」のために筆を曲げる人のこと、批判することができませんものね。

 もちろん、ボクたちの筆が「人並み」に鈍ったところで、それを責める人はいないでしょう。でも、ボクたちの中には(たしか吉本隆明さんの詩にあった)「自分がここで退いたら、最後の抵抗線の一角が崩れてしまう」というような自負があるんです。だからボクたちは「人並み」に安らぐことができないんです。その気持を、AOIさまにも共有してほしい。だから、感謝の言葉なんていりません。AOIさまには、ボクたちと同じ戦いを戦ってほしいと思うんです。そしてまた、それが「レニにならない」戦いでもあると思うんですよ。皆が先を争うようにして総崩れになっていく・・・そんな時代だからこそ、こうした戦いが必要なんじゃないでしょうか。





( 以下は「現実と虚構(中)」につづく)


誕生日ネタ・2 投稿者:アーニャ@座布団猫  投稿日:11月15日(土)13時44分54秒

マンガでもアニメでもやおいでも(笑)人気絶頂の『テニスの王子様』だけど、とんでもない暗合を見つけちゃったわ!

ご存じない方にはわからないでしょうが、主人公が通う「青春学園中」のライバル校の中で、今人気断トツ「氷帝学園中」のトップ・プレイヤーにして部長:「跡部景吾(あとべけいご)」クンのお誕生日は……そう、アリョーシャと同じなの(爆笑)。

中学3年生だから、15才ね。もちろん、超美形♪決めゼリフは「俺様の美技に酔いな」(^0^*

ちなみに、TV東京系チャンネルのアニメでは現在、原作から離れたオリジナル・ストーリーの番外編が続いてて、来週11月19日(水)に放送されるのは「氷帝学園・プライベート編」のようです。「次回予告」で、フリルブラウスの「跡部様」がチラリと映りました。地方によっては放送日にズレがあるでしょうが、よろしかったら、ご覧下さいね。(^0^*

……でも、可愛げがないから、アリョーシャ好みではないわね〜☆
「山吹中」の「壇太一(だんたいち)」クンって、健気な1年生あたりかしら。
以上、マニアックなご報告でした。

続いて、アーニャからのお詫び☆
8月9日投稿の「めぞん花園」作中で、保育士の資格試験を「秋」としましたが、教員採用試験と同様、夏に行われるものだそうです。
きちんと調べずに書いてしまったので、読者の皆さまに誤解を与えてしまいましたこと、慎んでお詫び申し上げます。

にゃあ〜♪


「見てしまった」中井英夫 投稿者:Keen  投稿日:11月14日(金)19時30分35秒

☆園主さま

> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

依然、言語化できないままですが、中井さん関連の情報を少々。

>↑で紹介されている創元ライブラリの新刊も、bk1では品切れになってました(あ、今現在はわかりませんが、私が発注しようとした時はそうでした)。(^0^*

その後確認したところ、「今現在」は、ちゃんと「24時間以内発送」扱いでしたので、お近くの書店で見つからない方、どうぞご利用くださいませ(笑)。

文中で園主さま自らおっしゃってる通り、短編集『夜翔ぶ女』も未読でしょう?(笑)
そこに所収の「卵の王子たちー世界一小さな密室」という作品は、1978年9月初出ですが、今日の「引きこもり」の増加を見事に予見しています。
書かれた時代が早過ぎたため、「自閉症」という障害への誤解に基づく誤表現はあるものの、中井さんが「描こうとしたこと」は、当然そのような誤解を越えた普遍的なものです。『幻想文学』誌上だったかで、どなたかがこの短編を激賞してらしたはずなのですが……思い出せません(私としたことが!/笑)。椿實さんだったかなあ〜?

園主さま、まだまだ「お楽しみ」が沢山残ってて、イイなあ〜。(^0^*
私は、まだ読んでないものって……あと少ししかないのですよ☆


見たくない現実・見えていない現実(4) 投稿者:園主  投稿日:11月14日(金)01時05分25秒


 Keenさま
>> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

> ……拝読しました。まだ、言葉にできません。昭和にタイムスリップしてしまいそうです。

そう。あれは「平和な昭和」という幻想が、私ども被っていた時代の、小さな「世界の裂け目」だったのでございましょう……。「洞爺丸遭難事故」は世界の真相に関する「警告」であり、「田中貞夫の病死」は予言者本人にあたえられた「確認通 知」であり、「9.11」は世界に突きつけられた「現実への裂け目(招待状)」なのだと存じます。

> もうかなり前になりますが、読売新聞の子ども向けコラム「北村薫のミステリーの小部屋」で、中井英夫『虚無への供物』がデカデカと紹介されました。リンク貼ろうと思ったのですが、「ヨミウリ・オンライン」の無料部分には、見つかりません(泣)。
> その影響か、ウチの近所の書店で長らく眠っていた講談社文庫版が消えてましたし、園主さまが↑で紹介されている創元ライブラリの新刊も、bk1では品切れになってました(あ、今現在はわかりませんが、私が発注しようとした時はそうでした)。(^0^*

よい傾向でございますね。あとはそれがどう読まれるかでございます(笑)。

> で、今日の読売新聞・文化欄には、「稲生物怪録」が、東雅夫さんのけっこう大きな写 真つきで紹介されています。これも、オンラインにはありませんでしたが。(T-T)

東雅夫の『稲生物怪録』本は、オリジナルのそれに、『稲生物怪録』関連創作(マンガ・小説など)を集成して付したような本で、定価は5000円。『哲学者の密室』を思わせる分厚さで、私は書店で手に取り「これを読むほどの興味は無いなあ」と棚に戻してしまいました。
そういえば荒俣宏が、平田篤胤か誰かの『稲生物怪録』の注釈書か何かを出しておりましたね。いくら妖怪ブームだといっても、こんなマニアックな本がどれだけ売れるものなのか……?


 アーニャ
>> マメなネタふりだなあー、ネコのくせして(笑)。

> あら、「寝たフリ」は、ネコの得意技よ(笑)。

うまい! 座布団一枚!(笑)


 ホランド
こないだKさんが言ってたんだが、すでに『このミステリーがすごい!』の投票は終ったようだな。今年の国産ミステリで、私の印象に残っているのは、京極夏彦の『陰摩羅鬼の瑕』くらいなんだが、やっぱり今年も横山秀夫なんかが上位 にくるんだろうか? 本格以外は興味が無いから、べつに順位なんてどうでもいいんだけど、本格は『陰摩羅鬼の瑕』以外に何があったんだろう? 

『陰摩羅鬼の瑕』に関しては、あの出来なら5位というところかな? ほかにこれというのが無いのなら、3位 くらいになるかもしれない。私としては『陰摩羅鬼の瑕』が8位くらいになるくらいの水準を期待したいところなんだが。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


見たくない現実・見えていない現実(3) 投稿者:園主  投稿日:11月14日(金)01時04分39秒


 AOIさま(つづき)

前回はうっかり失念しておりましたが、大西巨人が『なんじら人を審け。審かれんためなり』(『大西巨人文選1 新生』所収)と書いていたのを思い出しました。

『 ハンキーは(中略)「われわれは、もっと遠い将来を思えば、必要以上の殉教者をつくりたくない。重光こそ、事に殉ずるタイプである」と結んでいる。
 (中略)
 ハンキーが当時どんな「もっと遠い将来」を思い、ピゴットがどんな「崇高な役割」を重光に予想したにせよ、われわれは戦前、戦争中および戦後のすべての「悪夢」を決して忘れることをしないであろう。なしくずしに実現せられた鳩山・重光の復活と組閣とは、その種の現実にたいするわれわれの感覚の鈍化と順応とのために、事態の異常さを多かれ少なかれ国民にカモフラージュし得ているのである。
 (中略)
「なんじら人を審け。審かれんためなり」あるいは「なんじらのうち罪なきものと罪ありしものと力を合わせて、石を投げよ。」』

この文章を読んで「重光葵は復活したけれども、レニ・リーフェンシュタールは未だ許されてはいないのだから、彼女にささやかな同情を寄せることくらい許されるのではないか」と考えるのは間違いでございます。と申しますのも、レニ・リーフェンシュタールその人は表面 上葬り去られたかのように見えますが、実際には「レニの負の面」を受け継いだ「レニの末裔」たちが、その後もずっと生きのび、現在もその勢力を拡大しつつ、現に生き続けているからでございます。そして『その種の現実にたいするわれわれの感覚の鈍化と順応とのために』我々はややもするとレニ・リーフェンシュタールという重い「現実」にたいして、安易な許しを与えてしまうのでございます。

誰もが「逆境」にも増して「順境」に弱い。自分がしたいことをして、他人から賞賛され、ちやほやされることを、意識的に拒める者は稀有でございます。ですからこそ、我々はそんな『誰も』の象徴であるレニ・リーフェンシュタールを、つねに厳しく審き続けなければならないのでございます。そしてそれが、自己の堕落にたいして責任を引き受ける(『審かれんためなり』)ということなのでございます。

私とて、怖いのでございますよ。ですからこそ、おたがいに注意し合っていこうではございませんか。……子供どうしのように屈託なく(笑)。





( 以下は「見たくない現実・見えていない現実(4)」につづく)


見たくない現実・見えていない現実(2) 投稿者:園主  投稿日:11月14日(金)01時03分49秒


 AOIさま
> レニにはならない。レニにはならないと呪文のように思っていました。
> 言われるとおりなのだと思います。
> どうもありがとう。

たとえそうだったとしても、そうだからといって、ご自分を責めたりはなさらないで下さいまし。私がいろいろと申しましたのは、AOIさまを責めるためではなく、誰もが陥りがちな心理的陥穽に気づいて欲しかったからでございます。『誰もが陥りがちな』ことだからこそ、それに気づくことはたいへんな困難事であり、にもかかわらず、AOIさまはその困難事をなしとげたのでございますから、自己否定的になる謂れはどこにも無いのでございます。むしろ、自分の弱さに気づくという「稀有な勇気」を持てたご自身に、「持つべき自負」をもっていただきたいと存じます。

誰もがレニになる可能性はございます。と申しますのも、誰もが「逆境」にも増して「順境」に弱いからでございます。自分がしたいことをして、他人から賞賛され、ちやほやされることを、意識的に拒める者は、いつの時代にも稀有でございます。
例えば、私がしばしば批判する「探偵小説研究会」のメンバーの場合、どこにその問題があるのかと言えば、それはこうした「弱さ」に無自覚な点なのでございますね。「批評家」ならば、あらゆるものから自由であるため(偏向を排除するため)に、意識的な公正さへの配慮が是非とも必要でございます。にもかかわらず彼らは、彼らを世に出してくれ(ちやほやされる切っ掛けを与えてくれ)た「恩人・笠井潔」の意のままとなって、批評家として「笠井の意向」に抗うことをいたしません。これは、世俗的には当たり前にある「恩恵としがらみ」といった問題なのですが、彼らは「公」にたいする責務をおびた「批評家」なのでございますから、批評家としての行いにおいては、その「恩恵としがらみ」を断ち切らねばならないのでございます。なのに、彼らにはそれが出来ない、やろうとしない。つまり彼らは、「批評家としての責務」に反して「自己の私的な利益と感情」を選んでしまっているのでございます。ということは、彼らはまさしく「現代日本のミステリ界における、レニ・リーフェンシュタール」なのでございますよ。
そして、現在の世界を被っているのは、むしろこうした「レニの末裔」たちであって、そうでない者の方が少ないのでございます。言い換えれば、「大多数の普通 の人びと」は現時点において既に、無自覚な「レニの末裔」だということなのでございます。

ですから、私たちがもし、本気でレニの轍を踏みたくないと願うのならば、『レニにはならない。レニにはならないと呪文のように』思って、表層的な意識だけを自己洗脳する(麻痺させる)のではなく、むしろ「レニのようになってしまう。レニのようになってしまう」と常に自分を「不安な(宙吊り)状態」に留め置くことが必要なのでございます。そうすれば、自分が何かしようとした時に「これは、自分がレニになることを容認するためになされる行ない(発言)なのではないか?」と自問して、自己の行動の意味を慎重に腑分けすることもできるのでございます。そして、こうした意識があれば、当然のことながら「他者への同情」だって安易にできるものではないのでございますね。
同情というのは、自身の現状に余裕のある者がすることであって、自身が今この瞬間に危機に曝されている者は、もとより他人に同情している暇など無いのでございます。そして、それぞれがそうした危機意識を持たないかぎり、「レニという普遍性」からの脱却は不可能なのでございます。





( 以下は「見たくない現実・見えていない現実(3)」につづく)


見たくない現実・見えていない現実(1) 投稿者:園主  投稿日:11月14日(金)01時02分44秒

みなさま、すでにご承知のとおり、先の衆院選では、自民党と民主党が議席を伸ばし、公明党も着実に議席を確保する一方、社民党と共産党が大きく議席を減らす結果 となりました。これは、テレビなどでよく耳にしました(「自民党vs民主党」という図式に乗っ取った)「二大政党化」を、国民が選んだということなのでございましょう。しかし、私は、民主党が自民党の対抗勢力になれるとは考えておりません。左翼色の鮮明だったかつての社会党ですら、政権に参画した途端、腰砕けになってしまったのでございますから、もともと自民党に近かった人や中道勢力に属していた人たちで構成される民主党になど、もとより多くは期待できないからでございます。もちろん、だからと言って、社民党や共産党に政権維持能力があるとも思っていないのでございますが、ひとまず「対抗勢力」としてなら、それなりの存在価値もあると思うのでございます。
しかし、国が傾くと、国民が自己中心的な視野狭窄に囚われて(保守化して)バカになるという現象が、昨今の日本にもはっきりと表れてきているようでございますね。流行りものが好きな日本国民には、巨視的なバランス感覚というものが、どうにも乏しいようでございます。

なお、自民・公明などの与党政治家はもとより、以前刊行された小泉首相の写 真集を買ったみなさまには、ぜひ率先してご師弟を自衛隊入りさせ、率先してイラクへの「人道支援」に赴かせていただきたいものでございます。もちろん、その後も続くであろう「海外派兵」にも。……なにしろ、「隗より始めよ」という言葉もございますし(笑)。





( 以下は「見たくない現実・見えていない現実(2)」につづく)


お久しぶりです。 投稿者:Keen  投稿日:11月12日(水)23時46分03秒

☆園主さま

> 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

>人間・中井英夫の「もうひとつの真実」に接していただければと願わずにはいられません。また、忌憚のないご感想を賜われれば、幸いでございます。

……拝読しました。まだ、言葉にできません。昭和にタイムスリップしてしまいそうです。

もうかなり前になりますが、読売新聞の子ども向けコラム「北村薫のミステリーの小部屋」で、中井英夫『虚無への供物』がデカデカと紹介されました。リンク貼ろうと思ったのですが、「ヨミウリ・オンライン」の無料部分には、見つかりません(泣)。
その影響か、ウチの近所の書店で長らく眠っていた講談社文庫版が消えてましたし、園主さまが↑で紹介されている創元ライブラリの新刊も、bk1では品切れになってました(あ、今現在はわかりませんが、私が発注しようとした時はそうでした)。(^0^*

で、今日の読売新聞・文化欄には、「稲生物怪録」が、東雅夫さんのけっこう大きな写 真つきで紹介されています。これも、オンラインにはありませんでしたが。(T-T)

代わりに、「アリスのティーパーティ・3」のリンク(北陸製菓のHP)貼っておきますね。
http://www.horico-web.com/alice3/index.html
「ムーミンズランチ」も、↑ここから見られます。

まずは、復帰のご挨拶まで。


(無題) 投稿者:AOI  投稿日:11月12日(水)17時55分48秒

☆園主さま

>結局は「自他に厳格になり切れない自分」のための「保障」としての「同情」。
「同情の担保」でしかありえないのでございますよ。

レニにはならない。レニにはならないと呪文のように思っていました。
言われるとおりなのだと思います。
どうもありがとう。


中井英夫の「晩年」 投稿者:園主  投稿日:11月12日(水)00時31分29秒

 みなさま
本日(正確には、昨日11日)は、本当にひさしぶりに中井英夫に関する評論をアップさせていただきました。タイトルは、

 中井英夫の「晩年」――「幻想文学者」という生

ひさしぶりと申しましても、私の場合、中井英夫に関するそれなりの長さの評論というのは、過去に一度書いている切りでございますし、それはまだ、このサイトにはアップしておりません。したがいまして、始終ここ「花園」への書き込みの中で言及しているとは言え、このサイトでの中井英夫に関する本格的な評論のアップは、今回が初めてでございます。

例によって「作品論」ではなく、「作家論」というよりも「人物論」になってしまっているため、結果 としてマニア向けの濃い内容となってしまいましたが、この評論を通して少しでも多くのみなさまに、人間・中井英夫の「もうひとつの真実」に接していただければと願わずにはいられません。また、忌憚のないご感想を賜われれば、幸いでございます。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm



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