●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2003年11月上
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ホランドくんへ 投稿者:アーニャ  投稿日:11月10日(月)23時03分45秒

>マメなネタふりだなあー、ネコのくせして(笑)。

あら、「寝たフリ」は、ネコの得意技よ(笑)。

>『ムーミンズランチ』(北陸製菓・海洋堂)

こちらでは、まだ発売になってないの。Keenさまはもちろん、その気になってるようだけどね(笑)。
でも、この間、ガシャポン版「ムーミン」別シリーズ(海洋堂)見つけて、トライしたら機械の故障か、出て来なかったのよね☆お店の人も「メーカーさんじゃないと……」って、お金だけ返してくれたんだけど、けっこうショック受けてたみたい。
珍しく、アンラッキーだったのねー(笑)。

>あと『アリスのティーパーティー 3』がまもなく出るようだね。

あと何が残ってるんだろう?という気もするんだけど。

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


プロパガンダとしての「人道支援」(4) 投稿者:園主  投稿日:11月 8日(土)22時43分35秒


 影姫さま
> 現在『NUBA』を持っているのは相場より格安で発見したからです。

少々意地悪な質問をいたしましたが、正直なお答え、誠にありがとうございました。

私は、自分の好きな本が「格安」……と言うよりも「不当に安かった」りすると、すでに所蔵している本であっても、意地になって購入したりいたします。それで、同じ本をたくさん持っている、なんてことにもなってしまうのでございます。実際、最近は新刊の単価が高いため、へたな初版本は新刊本以下の値段でございますしねえ。


 アーニャ
>>『アンティーク家具店の老猫「モス」』というのは、最初、楽古堂さまのことかと思ったら『家具店に来るマナー知らずのお客には「シャーッ!!」と威嚇する』から、私のことだって言うんだな。やれやれ……(^-^;)。

> 楽古堂さまだなんて、私は考えもしなかったわよ〜!
> アリョーシャと「誕生日が同じ」というポイントも、お忘れなく!
> ただし、モスは1986年生のようだけど、ね(笑)。

『「誕生日が同じ」というポイント』……忘れてた(^-^;)。


 ホランド
> 『赤目四十八瀧心中未遂』、読まれてましたっけ? 文庫本をお持ちなら貸して下さいね。

『赤目四十八瀧心中未遂』は読んでいない。初版本は直木賞の受賞時に定価で買っておいたけど、その前に読んだ処女出版の短編集『鹽壺の匙』がイマイチだったので、持ち歩きにくい単行本で読みたいとまでは思っていなかったからだ。今は文庫にもなっているんで、100円均一で見つけたら読もうと思っている。そのうち見つかるだろうから、のんびり待っててくれ。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


プロパガンダとしての「人道支援」(3) 投稿者:園主  投稿日:11月 8日(土)22時42分27秒

実際、「私たちは危険な現場にまで直接おもむいて、現地の声を聞いてきて政策立案をしているんだ」という主張は、子供だましの「欺瞞」も甚だしく、何より「傲慢」でございましょう。そんなことは自民党だって民主党だって社民党だって共産党だって、みんなやっていることでございますし、イラク攻撃に反対した多くの人びとの中には、攻撃の最中に「人の壁」となって、この「(一方的な)殺戮」に抵抗し、亡くなられた方さえいたのでございます。

それに比べて、自分たちが「イラクの町を廃虚にし、多くの人びとを殺害した(アメリカの)侵略戦争」に加担しておきながら、その報いとして当然なすべき「戦後処理」を、恩着せがましく「人道支援」などと言うこの「厚顔さ」のいったいどこに、「人道」があるというのでございましょう。

当初、イラクの復興事業の権限を一手に独占したがったアメリカはもちろんのこと、イラク攻撃に当初反対していたフランスやドイツが、攻撃が始まるや一転してアメリカへの協力を申し出たというのも、それは戦後の「イラクの石油」の分配をにらんでことであったというのことは、常識に類する事実でございましょう。ですが、こんなことについても、公明党のPR用ビデオは「国際社会が一致団結して、人道支援を行なう」などという「欺瞞的なきれいごと」に摺り替えられてしまうのでございます。

このように、すこし「世界の現実」を知っている者から見れば、悲惨なまでに「穴だらけ」のPR用ビデオも、多くの創価学会員にとっては、有効なのでございましょう。事実、このビデオを観て「説得力がある」と思ったからこそ、「地区担」のAさんは、このビデオを私に見せることで、私の公明党批判をかわし、説得できると思ったのでございましょう。

ですが、それは「甘い目論見」であったとしか申せません。私がこのビデオを見て確信したのは、

(1) 今の公明党は、徹底して「欺瞞的(嘘つき)」である(現実に対する誠実さを欠いている)。
(2) 創価学会員(の大半)は、「無知」「盲従」の徒輩である。

という2点だったのでございます。





( 以下は「プロパガンダとしての「人道支援」(4)」につづく)


プロパガンダとしての「人道支援」(2) 投稿者:園主  投稿日:11月 8日(土)22時41分24秒

この種のビデオでは、「常套的な手法」でございますが、――公明党の議員さんたちが現地に赴き、病院に人びとを見舞い、その話を聞いている姿や、地元の人たちに歓迎され、子供たちに取り囲まれている姿、といった映像がビデオの随所に出てまいります。
しかしその一方、現地が「悲惨な状態」だというのは、帰国後の議員さんの口から(議員さんのアップで)語られるだけで、本当に悲惨な状態というのは、映像には現れてまいりません。むろん、爆撃によって粉砕された町並みや、インタビューにも応じられないほどの大怪我をした人など「公明党が支持した、アメリカのイラク攻撃」によって、直接的にもたらされた甚大な「被害」について、それとわかるような「映像」はまったくは出てはこず、問題の「劣化ウラン弾」の被害については、その名称すら登場しないのでございます。
つまり、このビデオは、

(1) アメリカの「イラク攻撃」と、それへの公明党の支持については、「過去のこと」として不問に伏している。
(2) 「悲惨な現状があるから、支援が必要だ」と声高に訴えはするものの、「悲惨な状態が、いつ・なぜ・誰によって・誰の協力のもとに、もたらされたのか」については、まったく言及しない。
だから、イラクに無知な人びと(多くの学会員)は「イラクは、もともと貧しい国であったのだろう」という誤った印象を受けるようになっている。つまり「悲惨な現状」は、アメリカの「イラク攻撃」によってもたらされたものではなく、それ以前からのものであるという「誤った印象」を植えつけられ、アメリカの「イラク攻撃」は単に「イラクに民主主義をもたらした」というプロパガンダ(政治的宣伝)の強化に加担しているのである。
(3) 「自衛隊のイラク派遣」についても、なぜ日本の国際貢献が、湾岸戦争時と同じように「お金」だけであってはいけないのかの説明がまったくない。
なぜ平和憲法を奉ずる国として「自衛隊は自衛のためだけの、専守防衛の組織のだから国外には出せない。その代わりイラクの人びとのためには最大限の貢献をさせてもらう」と、毅然たる態度を取れなかったのか。それは、自衛隊の派遣の「主たる理由」が「困っている人(イラク)への人道支援」ではなく「ご主人様(アメリカ)へのご機嫌取り」だからであり、アメリカの世界戦略構想のなかで日本が軍事的にも役割分担を求められており、それへ向けての「既成事実作り」に他ならないからである。……つまり、イラクへは、「民間人が行っても役に立たない」というのではなく、「民間人(だけ)が行っても、アメリカは満足しない」ということなのである。





( 以下は「プロパガンダとしての「人道支援」(3)」につづく)


プロパガンダとしての「人道支援」(1) 投稿者:園主  投稿日:11月 8日(土)22時40分15秒

昨日、会社の帰りに、創価学会の地区幹部の婦人Aさんに行き会いました。「幹部」と言っても、世間の人がイメージするような大層なものではなく、あくまでも私が居住する地域の(町内会レベルの)幹部で、創価学会内の名称でいうと「地区担」さんと呼ばれる「まじめに信心している、普通 のおばさん」でございます。
Aさんが、私を見かけて「9日の選挙、お願いしますね」と声をかけてこられました。彼女は、私が未活動家であることは重々承知なさっているとはいうものの、学会にも公明党にも特に敵対的だとは思っておられなかったのでしょう(事実そのとおりなのでございますが)、それは「投票するとすれば、公明党と公明党の候補者を選ぶだろう」という大前提の下に発せられた投票依頼の言葉でございました。しかし、ご承知のとおり、私は今回の選挙で、公明党を支持する気はまったくございませんでしたので、それをはっきり告げておいた方が良いと思ったのと、「公明党の、イラク攻撃支持」をすっかり忘れたかのようなその軽い口ぶりに苛立ったことから、「イラク戦争を支持した公明党に投票するわけにはいきません」とやや攻撃的な切り口上で返事したのでございます。Aさんは、なかば「身内」だと思っていた相手からの思いもかけぬ 批判に、困ったような顔をして口をつぐんでしまわれました。
その夜、拙宅に『イラク復興支援と公明党』と題された公明党の政策PR用ビデオが届けられました。訪問者に対し最初に応対に出るのは、いつも母でしたので、私はこの時だれが来たのか判らなかったのでございますが、母が件のビデオを私のところへ持ってきて「Aさんが、観てもらってくれって、持って来はったよ」と言ったので、私はAさんが早速フォローにやってきたのだなと理解したのでございます。

はっきり申しまして、公明党が支援者用に作っている政策PR用ビデオのごときでは、私の考えを動かすことは不可能だと確信しておりました。私とて、だてに学会員として十年ちかく活動していたわけではございませんから、この種のビデオの中味は、タイトルを見ただけでおおよそ見当もついたのでございます。

『イラク復興支援と公明党』の内容は、おおむね次のように要約できましょう。

(1) 公明党がイラク復興支援を推進するのは、政府の方針に対する政府与党としての責務だからではなく、国連でも全会一致採択されたイラクの復興支援が、人道的な見地からして必要なものであり、日本が国際社会のなかで当然担うべき責務でもあるから、である。
(2) イラクはインフラが機能しなくなっており、衛生状態が悪化していて、病気で死ぬ 子供たちが急増しており、イラクの人びとは国際社会の援助を心待ちにしている。
(3) 公明党は視察団を派遣して、危険な現場まで赴いて、そこで見聞きした生の現実をもとにして、復興支援の問題に取り組んでいる。
(4) 自衛隊のイラク派遣に反対する人たちもいるが、イラクの現場へ民間人を派遣しても、実際には動きが取れない。現地では、自分の生活を自給自足でやっていける自衛隊でないかぎり、ものの役には立たないし、自衛隊にはそれだけの装備と実績がある。
(5) 流動的な境界ではあっても「戦闘地区」と「非戦闘地区」の区別は存在する。だから、それを見極めながら、自衛隊は「非戦闘地区」での活動に従事しなければならない。だが、いずれにしろ無理をしろとは言わないし、その必要もない。できる範囲のことを一生懸命やるだけでも、イラクの人たちは日本の貢献に感謝してくれるだろう。





( 以下は「プロパガンダとしての「人道支援」(2)」につづく)


基本(下) 投稿者:ホランド  投稿日:11月 8日(土)17時20分43秒

 AOIさま
 こないだボクは『議論から逃げるようなことはしないでほしいと思います』と書きましたけど、誤解のないように補足しておきますと、これは文字どおり、そういうことです。つまり、ボクが言いたいのは「ボクや園主さまから逃げないでほしい」ということではなく、『議論から逃げるようなことはしないでほしい』ということです。ボクや園主さまから逃げることは簡単ですが、『議論』から逃げるというのは、「言論」の放棄であり、それはそのまま「暴力」の容認にもつながりかねないからです。

 園主さまもおっしゃっていたとおり、ボクたちが「暴力」を否定する「平和主義者」であるかぎり、ボクたちは「暴力」に代わる「問題解決手段」として「対話・言葉・議論」といったものを支持せざるをえません。そのボクらが、自分たちの問題でこれを放棄したのでは、その「平和主義」までが嘘になってしまいます。結果 はどうあれ、どんなことがあっても「言葉による解決」を放棄しないということが、「平和主義」の基本中の基本なのではないでしょうか。


 ハムちゃまさま
> 映画『赤目四十八瀧心中未遂』

 ボクも、ぜひ見に行きたいです! 原作もそのうちに(笑)。


 影姫さま
> 現在『NUBA』を持っているのは相場より格安で発見したからです。

 正直なご回答、ありがとうございます。こういうのって、古書価を知っている人なら誰にでもあることでしょうけど、一般 の人に対し「興味は無いけど、古書価の高い本が割安で出てたったので、買った」なんて言うと、時には顰蹙を買いかねないから、なかなか正直には言いにくいところがありますよね。

 斯く言うボクだって、古書価1万円の本が千円で売ってたら、転売して小遣い稼ぎをしようかな、なんて思ってしまいますし、その一方、こないだ古本屋さんで、七十年配の男性客が店主に「最近は澁澤龍彦も売れないみたいですなあー。このへんの本も持っとるんですが、でも読むのはもっぱら図書館で借りたベストセラーなんですが」なんて無邪気なことを言い、店主も「まあ、本を買う楽しみというのもありますさかいなあー」なんて無難なフォローをしているのを聞いた時は、ちょっとムッとしてしまいました。そういうのも「あり」だとはわかっていながら、澁澤ファンのボクとしては、やっぱりちょっと眉を顰めちゃったんですよね。・・・興味のない本を買う自由はある。でも、できればみんな自分の価値観をしっかり持って、それぞれに個性的なコレクションをしてほしいなとは思います。その本のためにもね。


 アーニャ
> アリョーシャ、お手数だけど、過去ログ収録時にはこれで訂正お願いするわね。
> 良くなったからって、あんまり無理しないのよ〜☆高熱の後って、意外と体力消耗してるんだから。
> ホランドくん、その辺、よく見張っててくれる?あ、でもそれって、逆効果 だったりして……フフフ♪(←お久しぶりのお約束ネタ/笑)

 マメなネタふりだなあー、ネコのくせして(笑)。

 園主さまに最近見せてもらったフィギュアでは、ボクは『ムーミンズランチ』(北陸製菓・海洋堂)がお気に入り。ボクも単品で「釣りをするスナフキン」と「ミー」と「ヘムレンさん」を買ったよ。
 あと『アリスのティーパーティー 3』がまもなく出るようだね。

> 最後に、笠井さんの新刊『魔』の書評が読売新聞に載ってたわ。

 それにしても園主さま、笠井潔ネタ・法月綸太郎ネタだと、ホントに活き活きしてくるね(^-^;)。
 東京創元社のミステリ雑誌は『創元推理』から『ミステリーズ』に変り、それにともなって「創元推理」評論賞は無くなっちゃったみたいだけど、その「遺産」はどう評価すべきなのか?(笑)


 園主さま
 『赤目四十八瀧心中未遂』、読まれてましたっけ? 文庫本をお持ちなら貸して下さいね。




 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


基本(上) 投稿者:ホランド  投稿日:11月 8日(土)17時19分34秒

 みなさん、こんばんは! 昨日はひさしぶりに野球のTV中継を見てしまいました。阪神タイガースの試合ですら一度も見なかった今年なのに、アテネオリンピックへの出場権を賭けたアジア地区予選の最終試合(3試合目)が、アジアのライバル韓国との試合だったので、サッカー・ワールドカップの時のことも頭をかすめ「どんな試合だろう」と軽い気持でチャンネルを捻ってみた結果 、……息もつかせぬ緊張した試合で、結局最後まで見ちゃったというわけです。

 この試合は投手戦で、どっちも出てくるピッチャーがみんな好投をしていました。だから、韓国のチームなんかは見るからに強打者という人が並んでいながら、低めを丁寧についてくる日本の投手陣に、たくさん三振を取られていました。一方、「打線のつながり」を重視して、どちらかと言えば強打者の少なかった今回の日本チームは、「基本に忠実」に「まず先頭打者が何としてでも塁に出て、次のバッターがランナーを進め、後のバッターがそれを返して、1点を確実に取る」という野球に徹した結果 、先取点をとってリードし、その後、韓国側のミスとその直後の2塁打によって2点目をもぎ取り、そのまま守り切って勝負を制しました。
 ペナントレースとは違い「待ったなしの一発勝負」である国際試合では、「派手に勝つ」ことではなく、「確実に勝つ」ことが必要であり、そのためには「勝つ野球」ではなく「負けない野球」、つまり「ミスがなく、基本どおりに点を重ねていく」というしぶとい戦い方が必要になってくるそうです。その点、今回の日本チームは、プロばかりで結成された理由も「勝つため」でしたから、「勝つために基本どおりの野球をする」という同意が徹底していたようです。それに対し韓国の方は、オリンピックへの出場権を賭けた「絶対に負けられない試合」であったにもかかわらず、過剰なまでの「勝ち気(闘志)」の空回りが目につき、結果 としては大振りの三振を濫発して負けてしまいました。

 「乗るかそるか」の重要な局面であるほど、「ミスをしない」「押さえるべきところを確実に押さえる」という「基本の遵守」が勝負の帰趨を決するというのは、何も野球にかぎった話ではないでしょう。やはり、他人を楽しませるような「派手なプレー」というのは、目立たない「基本」の上にこそ築かれていなければならない。そうでないと、いざと言う時に「足元を掬われる」ことになるんだなと思いました。





( 以下は「基本(下)」につづく)


忘れ物。 投稿者:アーニャ  投稿日:11月 6日(木)16時23分28秒

☆アリョーシャ

>『アンティーク家具店の老猫「モス」』というのは、最初、楽古堂さまのことかと思ったら『家具店に来るマナー知らずのお客には「シャーッ!!」と威嚇する』から、私のことだって言うんだな。やれやれ……(^-^;)。

楽古堂さまだなんて、私は考えもしなかったわよ〜!
アリョーシャと「誕生日が同じ」というポイントも、お忘れなく!
ただし、モスは1986年生のようだけど、ね(笑)。


機種依存文字、失礼☆ 投稿者:アーニャ  投稿日:11月 6日(木)12時52分31秒

一昨日の私の書き込み中、ひとつ機種依存文字が入ってたようだわ。
正しくは、

>体重15kgの超デブ猫「モーヴ」

です。
アリョーシャ、お手数だけど、過去ログ収録時にはこれで訂正お願いするわね。
良くなったからって、あんまり無理しないのよ〜☆高熱の後って、意外と体力消耗してるんだから。
ホランドくん、その辺、よく見張っててくれる?あ、でもそれって、逆効果 だったりして……フフフ♪(←お久しぶりのお約束ネタ/笑)

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


質問への答え 投稿者:影姫  投稿日:11月 6日(木)08時03分31秒

☆園主様・AOI様>『NUBA』の新装版は買わないでしょう。
わたしはアフリカの原住民にそれほど関心はないし、『NUBA』
の写真を見てもピンと来ません。
現在『NUBA』を持っているのは相場より格安で発見したから
です。
では〜〜。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


訂正報告 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)23時15分23秒

 みなさま
先ほどアップいたしました、私の書き込み「どこに違いが」に誤記がございました。謹んで訂正させていただきます。

訂正は、同書き込み(1)の冒頭部『みなさま、いよいよ明後日が』で、これを『みなさま、いよいよ次の日曜9日が』と訂正いたします。

なお「過去ログ」収録時には、この文章を残した上で、当該文章の方も訂正させていただきますので、よろしくお願いいたします。


どこに違いが(12) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時51分25秒


 アーニャ(つづき)

> 最後に、笠井さんの新刊『魔』の書評が読売新聞に載ってたわ。竹本さんの『クレシェンド』は、穂村弘さんの囲み記事だったけど、笠井さんは無記名の「短評」扱いです。↓リンク貼っておくわね。
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/top01.htm
> ……この内容ってつまり、褒めてないってことよねー☆(苦笑)

くやしいなあ。これは私も紹介しようと切り抜いていたのに。竹本健治風に言うと(?)「僕の笠井さんを取っちゃイヤ!」(笑)。

> 笠井さんの分は、土曜日までしか読めないってことかしら?
> 「短評」は、バックナンバーに残らないようだから。

では、全文引用させてもらおう。

『 文芸春秋社のシリーズ「本格ミステリ・マスターズ」の1冊。私立探偵・飛鳥井がサイコセラピスト・鷺沼晶子の依頼で謎解きに挑む2編を収録したハードボイルドタッチのミステリー。ストーカー、摂食障害、外国人労働者問題といった現代社会の病理をテーマに、古典的で、本格推理の原点ともいえる入れ替えトリックを絡ませる。笠井ミステリーを敬遠していた向きにも純粋に楽しめる。』

ま、この書評は「笠井潔の代表シリーズ「矢吹駆シリーズ」の衒学趣味が鼻について楽しめない人には、この「飛鳥井シリーズ」の方が、ひと昔前の社会派推理小説みたいなもので平凡だから、かえって読みやすいでしょう」ということなんだろうな(笑)。

ちなみに、私は、この「飛鳥井シリーズ」の主人公である私立探偵が大嫌い。ハードボイルドの一つのパターンとして、主人公の一人称の語りで物語が展開していくんだが、この主人公というのが、

 『自分と、自分が生きているこの時代を直接的に描いてみたい。
 そんなモチーフから、私立探偵飛鳥井をめぐる物語が構想された。
 作者と同年齢に設定せれている飛鳥井は、
 「自業自得の潔さ」において生きるという個人主義的信条においても、
 作者の現在が投影されたキャラクターといえるだろう。
                           笠井潔』

  (笠井潔『道〈ジェルソミーナ〉 私立探偵飛鳥井の事件簿
   初版単行本(1996年10月30日 第一刷発行)・帯文全文)

という作者笠井潔の「鼻持ちならなさ」をそのまま受け継いでいて、偉そうなことこの上なしの鬱陶しい奴なんだ。

ま、笠井潔という人間が、他人をどのように見ているかを、そして笠井潔がどういう人間かを知るには、このシリーズは最適かも知れない。「矢吹駆シリーズ」では、主人公が神秘的すぎて、作者を誤解してしまう可能性が高いからな(笑)。

アーニャも言ってるとおり、はっきり言って、笠井潔の中ですら「二線級」でしかない「飛鳥井シリーズ」を、「ハードボイルドでありながら、本格ミステリの骨子をしっかりと備え、なおかつ現代日本の諸問題について評論家らしい鋭い洞察を加えるシリーズ」などという「嘘ではないけど……誉めすぎだろう」といった評価は、笠井潔主催の「探偵小説研究会」所属の評論家たち(千街晶之、佳多山大地、円堂都司昭など)に任せておくのが一番だろうな(笑)。


 ホランド
> ということで、AOIさまとの議論はまだまだ片がついておりませんので、早く元気になって下さいね。

まだ本調子ではないけれど、書いていたら、この分量になってしまったよ(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


どこに違いが(11) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時43分31秒


 アーニャ
> 「ミステリ作家も裸足で逃げる」兼「泣く子も笑う(?)田中幸一」が、可愛いネコフィギュアに頬ずりしてる姿を想像すると……(^0^*

何を言う。私は前から「可愛いもの」は大好きだぞ。ただ女の子みたいに「ファンシー系」の「作られた可愛らしさ」には抵抗があるがな。

ちなみに、今日も法月綸太郎先生を可愛がってしまったなあー。どうせ、「現実逃避」が基本のミステリ界では、誰ひとり指摘してあげないだろうから、私が心を鬼にして指摘してあげたんだ。まあ、本人も、気づかない方が幸せだというタイプだとは思うがな(笑)。

> アリョーシャは、何故かアクセスできないんですって。まだ何にもしてないのに、すでに立入禁止ってわけかしら?(笑)

いや、きっと「貴方にはもっと大切な仕事があるでしょ?」ということだったんだろう(笑)。

> アリョーシャが見逃してた「ナーゴ・1」シリーズ

「ナーゴ・1」については、Keenさまが画像を送ってくれたんでハッキリしたんだが、たぶん私はそれを見落としていたんじゃなくて、見たけど出来がよくなかったので、あっさりと忘却していたんだと思う。実際、バンダイのサイトでは「ナーゴ・2」の宣伝文句に「あのナーゴたちが、さらに可愛く、リアルになって再登場!」というようなことが書いてあったから、「1」と「2」では製造元も認める「歴然たる差」があるようだ。

> アリョーシャが見逃してた「ナーゴ・1」シリーズがたまたま3コ売れ残ってたんだけど、それが、体重15?の超デブ猫「モーヴ」と、ハムスターのマリアとセットの「ダリア」、それに、アンティーク家具店の老猫「モス」だったの。この「モス」、実はアリョーシャと誕生日が同じな上に、家具店に来るマナー知らずのお客には「シャーッ!!」と威嚇するんですってよ〜(爆笑)。
それから「ダリア」は、後から家にやって来たハムスターのマリアを「食べちゃいたい程かわいい」と思っているのに、カゴに近づいて見てるだけで、ご主人様から「こらっ!ダリア!」と叱られてしまうとか。この「ダリア&マリア」と、「ナーゴ・2」の黒猫「チョコレート」を組み合わせると……そう、「黒猫館」の御三方になるんですねー♪これもなかなかの暗合でしょ?(^0^*

『「黒猫館」の御三方』というのは、よくできた暗合だね(笑)。
『アンティーク家具店の老猫「モス」』というのは、最初、楽古堂さまのことかと思ったら『家具店に来るマナー知らずのお客には「シャーッ!!」と威嚇する』から、私のことだって言うんだな。やれやれ……(^-^;)。

> 色使いや塗りの丁寧さは、むしろ最近の海洋堂より(※ バンダイの方が)上質じゃないかしらね。

一概に、どちらの方が上とは言えないだろう。そのシリーズに割り当てられたスタッフによりけりだからね。ただ、基本的に「塗り」は中国のスタッフによってなされ、そうした作業は日本だけではなく世界各国から請け負っている中国スタッフだけに、優れたスタッフをいかに大勢確保するかが、勝負の分かれ目となってくる。で、その点、海洋堂は一歩先んじてはいたものの、バンダイのような資本も実績もある企業が参入してくると、今はいいけれど、この先はだんだん大変になってくるだろうな。じっさい、食玩ではすでに海洋堂は独走状態ではなく、バンダイとの並走状態だからな。3位 以下は、山の彼方に引き離しているとしても。





( 以下は「どこに違いが(12)」につづく)


どこに違いが(10) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時42分32秒


 影姫さま
> ☆園主様・ホランド様>『NUBA』はアフリカの原住民を撮った写真集です。通 常このテの本は人気がないのですがこのNUBAだけはあのレニが撮ったというだけで物好きな古本マニアの人気本となりプレミアも付いているのです。

このご報告に対し、AOIさまは、

> 『NUBA』は物珍しさだけなのでしょうか?影姫さまの評価は如何ですか?

と問うておられましたが、私はこう問わせていただきましょう。

「もし、影姫さまが『NUBA』の初版本を所蔵しておられなかった段階で、新装版(初版二万部)が新刊書店に並んだ場合、影姫さまはその写 真集をお買い求めになられたでしょうか?」

……こうお尋ねした方が、写真集の内容そのものへの正直な評価をお聞かせ願えると考えたからでございます。

> しかし・・・うおー!!年末古本商戦ではイイ本をゲットしまくるぞ〜〜〜!!!オーーー!!!

私は先日の『物語の表現展』で大竹茂夫さまの絵を購入いたしましたので、今年はもう打止めでございます。もう「目録も送ってきてはならん!」という気分でございます。……欲しい本があると「バカボンのパパ」状態になってしまいますから(『クリスマスは苦しみますのだ』の巻)。


 ハムちゃまさま
おひさしぶりでございます。

映画『赤目四十八瀧心中未遂』、大好評でございますね。私も、ぜひ見に行きたいと存じます。

この映画については、書店で「写真集」を拝見しましたので、なんとなく雰囲気はわかっておりましたが、AOIさまの、監督荒戸源次郎は『鈴木清順監督『チゴイネルワイゼン』のプロデューサーでしたが、さすが、清順さんの影響強い。随所。』というご説明に、なるほどと納得いたしました。

鈴木清順監督の映画は、この『チゴイネルワイゼン』しか見ておらず、その印象は「ちょっと土俗的な臭いのする妖美とエロティシズム」といったものでしょうか。なかなか興味深い「幻想映画」だと思ったのでございますが、後にこれは内田百間の短篇を映画化したものと知り、その前提で見れば「よくがんばったかな」という微妙な評価でございます(笑)。

> しかしセーヤのやつこーいうの好きでちゅねえ!!!今はあの『無間地獄』で読書界を震撼させたとかいう新堂冬樹の『溝鼠』(ネズミとハムスターは違う動物でちゅよ!!!変な想像しにゃいよ〜〜〜〜に!!!)読んでるっていうし!!!
> ヤクザとか闇金融とかそういうものになりたいんとちゃいまちゅか!?

私はどうも、そういう「泥臭い現実」に関する世界は、あまり好きではございませんね。もともとの嗜好が「書斎派・趣味人」系でございますから、最近のように「政治」や「世界情勢」について語るのでも、本来の守備範囲ではないという意識がついてまわっているのでございます。





( 以下は「どこに違いが(11)」につづく)


どこに違いが(9) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時41分30秒


 AOIさま(つづき)

最後にひとつ。

> ひっかかることは無理に納得してはいけないと言われているので、伝わっていないと思うところ、納得できないところをこだわっているのですが。

とのことで、ここでも私の言葉を引き合いに出しておられますが、私が『ひっかかることは無理に納得してはいけない』というのは、文字どおりそのとおりで「納得する努力をしなくてよい」ということではございません。

『ひっかかることは無理に納得してはいけない』というのは、「ひっかかること(について)は合理的に納得する努力をしなければならない」ということなのでございます。そして『合理的』とは、無論「他人にも理解できる理路において」ということであり、個人的な「意図」や「気分」を言うのではございません。
つまり「ひっかかること(について)は合理的に納得する努力をしなければならない」ということを具体的に言えば、「自分の間違いを合理的に自己に納得させる」か「相手の間違いを相手に合理的に納得させることによって、自己も合理的に納得する」という、このいずれかを求める努力を怠らない、ということなのでございます。

ですから、AOIさまが本気で『ひっかかることは無理に納得してはいけないと言われているので、伝わっていないと思うところ、納得できないところをこだわっている』のであれば、より具体的に論理的に、他人にも説得的なかたちで、その『こだわり』の証明をすべきでございましょう。

> しかし、やはりレニに責任があったというべきだ。レニが美に対するこだわりと同じくらいに人間の生の尊厳に対しての鋭敏さと感受性とを働かせていたら、ドイツ人の多くがヒトラーを指導者とみなしたとしても、レニならば気づいたにちがいないのだから。

というAOIさまのお言葉の「意図せざる問題点」と、

『うやむやのうちに「スプラッターとパズルストーリーのごった煮地獄」と評された同時多発テロさながらの自爆プロットに付き合わされてしまった、というのが正直な感想。』

という法月綸太郎の言葉の「意図せざる問題点」が、いったいどれだけ違うのか。その問題点について、読者の「誤解」だとか、「真意」はこうだとか、そのような説明すれば、それで事足りることなのか。それではなぜAOIさまは、それをレニにはお許しにならないのか。そのあたりを明確に説明すべきでございましょう。

もちろん、私はそんな説明など不可能だと承知の上で、こう要求しているのでございます。そしてそれは、AOIさまを虐めるためではなく、この「歴然たる矛盾」を突きつけることによって、AOIさまご自身の問題点にお気づきいただくためなのでございます。

AOIさまの「後付けの意図説明」は、もう必要ございません。私は、レニとAOIさまと法月綸太郎の行いに、どれだけ本質的な(免責性における)違いがあるとおっしゃるのか、そこを説明していただきたいのでございます。





( 以下は「どこに違いが(10)」につづく)


どこに違いが(8) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時40分31秒


 AOIさま(つづき)

> 『彼女と同じだから「同情し」「許す(赦す)」』というのではありません。
> 『許す』ことなど、それこそ私に出来ることではないです。
> 彼女が自分の罪を引き受け、責任を感ずることを「期待し」「願う」気持ちです。

この言葉を発した時のAOIさまに「嘘」は無かったかも知れません。しかし、こういう耳障りの良い、感動的な言葉を、どれだけ多くの戦争協力者たちが口にしてきたか。……それを忘れてはなりません。

レニに『「期待し」「願う」気持ち』も結構でございますが、本当にAOIさまご自身は、そういう期待を他人から寄せられても「よし、任せておいて! どんな強迫にも懐柔にも、私は決して屈しないから。またもし、私が過ちを犯したとしても、私は自分の犯した過ちに対する批判には素直に耳を傾け、これを真摯に思考し抜いて、みごと反省して責任を取って見せるから。決してプチ・レニになってならないから、あなたもせいぜい頑張りなさいよ」と断言できるかどうかなのでございます。

私の場合は、そのような断言ができません。「拷問されたら、小林多喜二みたいには死ねないだろうな」とか「宮本顕治みたいに獄中非転向を貫けないだろうな」といった不安が常にございます。しかし、だからこそ逆に私は「転向も止むなし」などとは、決して口にしないのでございます。それを口にすれば、それはそれを自分に許したも同然となってしまうからでございます。

だからレニについても「仮定の話」を持ち出し「空想のレニ」をでっち上げ、そのうえで「同情」をしめしたりはいたしません。どうして「そこまでして同情しなければならない必要性」があるのでしょうか? AOIさまは支離滅裂な言い訳で否定なさっておられますが、それは結局は「自他に厳格になり切れない自分」のための「保障」としての「同情」。「同情の担保」でしかありえないのでございますよ。

私は「知り合い」でも「友人」でも「有名人」でも「直接」でも批判すべき時はする。たとえ「気まずくても」「気まずくなることが予測されても」「心を鬼にしてやる」ということを二十数年来実践してきて、それがかなり無理なくやれるようになりました。私のこういうスタンスは、決して素質だけでやれることでもなければ、苦痛をともなう日頃からの実践なくして出来たことでもございません。ですから、そんな私は、日頃からやるべきことをやっていない人間に、いざという時に、日頃以上に困難なことへの勇気ある対応ができる、などとは思いません。賢ちゃんが「徴兵から逃げる」などと言った時、これを信じなかったのは、彼が日頃、もっと小さな困難に対してすら、そういう断固とした態度を取れずに来たことを、よく知っていたからでございます。

そして、AOIさまが、レニに関して、

> 罪がない、責任がないと思っている未熟な人にとって、自分の罪を引き受けるには、それ相応の情況が必要だろうと思うということです。

とおっしゃる一方、ご自分の問題点に対する対応ぶりを見せてもらって、私はAOIさまが「レニ以上」であり得るとは、正直思えないのでございますね。問題点を指摘されている議論で、

> ホランドさま自身に「凡庸さ」や「ただの人」を一括りにしてしまう、偏見(差別 感)があるのじゃないですか?

> ホランドさまこそ分っていないんじゃないの?

というような「子供のケンカ」のような言い種は、たとえ冗談半分であったにしろ、傍目には明らかな「醜態」であり、それに気づかれていないAOIさまは「何もわかっていない」としか言い様がないのでございます。
それともAOIさまは「レニに関して言ったように『それ相応の情況』を作ってくれない貴方が悪いんです」とでもおっしゃるのでしょうか?





( 以下は「どこに違いが(9)」につづく)


どこに違いが(7) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時39分31秒


 AOIさま(つづき)

例えば(1)の「権力者の直接懐柔」も、今は単なる「想定」ですから、簡単に「断る」と言えますが、これが現実には非常に困難なことでございます。なぜなら、人間というのは、たいがい「権力が好き」ですし「有名人には弱い」。それをそのまま認める人は、ごく小数ですが、実際のところは大半の人がそうで、だから「中井英夫が軽井沢で美智子妃殿下(当時)とすれ違い、途端にファンになった」なんてことも起るのでございます。

実際、AOIさまも、世間でいう各界有名人とお知り合いのようでございますが、その中で、相手に対して明確に「私は貴方を評価していない」という意志を伝えた相手が、一人でもおありでしょうか?

人というものは、相手がいないところでは平気で酷評しても、本人のいるところでは全然そうした評価を口に出来ません。ですから、知り合いの有名人を酷評できる人は、ごく稀でございます。同様に、日頃は無縁な有名人について「あんなのの、どこが良いのか?」などと言ってる人ほど、有名人本人と直接面 談して握手でもしようものなら、感動に打ち震えて即刻ファンになってしまうなどといった体たらくも、決して珍しいことではないのでございます。

だからこそ「権力者の直接懐柔」というのは「仮定の話」で考えるほど「無効」なものではございません。大抵の人は「協力してください?」と乞われれば、「私に出来ることであれば」なんて答えてしまうものなのでございますよ。

こういう「厳しい現実」を想定し、「自分の問題」として「レニの問題」を考えなければならない。もちろん、こういう「思考訓練」をしていたところで、いざ現実となれば、そううまくは参りません。しかし、こうした「思考訓練」をしたこともなければ、その必要性すら感じたこともなく、ただ漠然と「私は平和主義者だ。戦争協力はしない。憲法改悪も許さない」などと考え、人間が繰り返してきた「人間性の敗北の歴史」についてもただ漠然と『教訓に』なんて言っていたのでは、そんなもの「厳しい現実」が眼前に差し迫った時には、あっさりと吹き飛んでしまうに決まっているのでございます。

そうした目で、AOIさまのご意見を読ませていただいている私には、

> レニを取り込むということです。同化しないと言うことです。

などといった言い回しは、「空想の中のレニ」をひねくり回しているが故の「言葉遊び」にしか見えません。レニを取り込もうが同化しようが、どっちにしろ「厳しい現実」に拮抗するだけの備えがないことに、何の変わりはないのでございますから、「厳しい現実」そのものには、いずれ取り込まれざるをえないのでございます。





( 以下は「どこに違いが(8)」につづく)


どこに違いが(6) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時38分00秒


 AOIさま(つづき)

つぎに、AOIさまが、レニの問題をご自分のこととして思考し得ていない、という点について書かせていただきます。「おうむ返し(中)」に書かれている部分ですが、引用が煩雑になるので、ここではすべてを再引用はいたしません。

AOIさまは、「一般論・紋切り型」しか語っていない、「自分の問題」として語っていない、というホランドくんの批判に対し、

> これらのこと(※ 一般論)は自分に繋がることです。
> 無縁なことではありません。たとえ、紋切り型と言われようと、考えてきたこと、自問自答してきたことです。明確な答があれば、

>>> 「生への鋭敏さ感受性が必要だ!」といくら叫んでみても形成されるものではないですね。個々の意識の中にある、あるいは眠っている意識を目覚めさせるには。

> なんて尋ねたりしません。

とおっしゃったり、私が『全員に当て嵌まるような答』はないと書いたレスを引き合いに出して、

> 私は私でレニを教訓にします。
> レニを取り込むということです。同化しないと言うことです。

と、たぶん「自分なりに考えている」ということを示されておられます。

しかし、私たちがAOIさまに求めている「自分の問題」として「考えるべきだ」「考えていない」というのは、こういう「一般 論は、私の問題でもある」とか「私は考えている」とか言った「一般論」の話ではないのでございます。……具体的には、賢ちゃんの「非戦思想」を思い出していただければ、分かりやすいのではないかと存じます。

賢ちゃんは「自分は平和主義者だから、人殺しはしない。絶対に戦争にはいかない。」と断言しました。しかし、この断言は、具体的な根拠を欠いた「無思考の産物」つまり「紋切り型」でしかなかったことは、私がどんどん「具体的な困難情況」を提示して追い詰めていくと、ひたすら「逃避(的断言)」を繰り返すしかなかったことに明らかでございましょう。
つまり、具体的に考えるということは、やはり「一般論」と無縁ではないにしろ、遥かに具体的なことなのでございますよ。例えば、

(1) 小泉首相が直々にAOIさまのもとに訪れて、直接AOIさまのご意見に耳を傾け、真摯に『最善の努力をします』と力強く誓い、『だから貴女も協力して下さい』と魅力的なポストを示された」場合、AOIさまはどうするか?

今なら「断る」かも知れませんが、

(2) 日本の情況が今より悪くなっていて、愛国的でない人物は、次々に軍隊へ放り込まれて戦場へという流れがすでに出来ていたとして、その場合、AOIさまが小泉首相の要求に応ずれば、少なくともAOIさまの周囲の男性は命を長らえることができるとしたら?

この場合、AOIさまは「敵の懐に飛び込んで、そこから正していこう」と考えたりはしないでしょうか? その結果 、それは成功せず、戦後、AOIさまは「転向者」「加担者」として断罪されます。この場合、実際、政府側の人間としての特権から受益し、それでいて本来なすべきことをなしえなかったのであれば、断罪は正当なことだ、と心底思えるでしょうか?
そもそも、そうなることは予想されたことなのに、そこへあえて足を踏み込んだというのは、結果 として云々ではなく、初めからその結果を選んだ「転向者」そのものなんだ、とまでお考えになれるでしょうか?

ここでも、問題は「意図」ではございません。「社会的な選択」の責任は、たいてい「結果 」に対して問われるのでございますから、問題は「何を選んだか」なのでございます。ですから、こういう具体的な情況を考えない限り、「自分の問題」として考えたとは申しません。「私は人殺しはしない」「戦争にはいかない」と言ったところで、それを強制されるような「具体的情況」も想定しないで、そんな「一般 論」を断言するのでは「何も考えていない」「言葉を弄んでいただけ」と言われても仕方のないことなのでございます。





( 以下は「どこに違いが(7)」につづく)


どこに違いが(5) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時36分36秒


 AOIさま(つづき)

ホランドくんが、AOIさまの、

> レニを教訓にしなければと思えたのです。

というお言葉を『「お題目」であり「紋切り型」になってしまっている』と厳しく批判したのは、結局、『教訓に』と言いながら、ぜんぜん教訓にしておらず、ただそう「言っているだけ」だからなのでございますね。『教訓に』という言葉に対する厳しさが、その実効において全く見られないからこそ『お題目』『紋切り型』と言うのでございますよ。

例えば、かの大西巨人ですら「例えば私は、泥棒は絶対にしちゃならんというような書き方をします。しかし、私だって人間だからいつ何時泥棒をしなければならないハメになるかも知れない。しかし、そんな時にも自分への自制となるように、私はあえて、泥棒は絶対にしちゃならん、と断言するんです」というようなことを書いて(語って?)おります。

つまり大西巨人のような人ですら、自己に対してはそれだけ慎重で懐疑的なスタンスを取り、過信的ではございません。ですからこそ、自分をあえて厳しい立場に追い込むようなこともなさいます。つまり、大西巨人のように「首尾一貫」した「論理的」な人間は「自分が人に要求した以上は、当然自分はそれを言われるまでもなく果 たさねばならない」と考えるのでございます。そう考えるからこそ、他人への「厳格さ」が、自己への「厳格さ」ともなるのでございますね。また、逆に言えば、大西巨人は自己に厳しくありたいからこそ、他人にも厳しく、いい加減な(月並みな)「同情」を示したり、「助け舟」を出したりなどいたしません。自分が過ちを犯した時には、そうした形で「安易に赦される」のではなく、厳しく断罪されるべきだと考えるからなのでございます。

その点、AOIさまの場合は、大西巨人の「正反対」だと申しても過言ではありません。ご自分の問題点について、「自己に厳格になれない」AOIさまは、当然のことながら、他人の問題点についても、同様の態度を取らざるをえません。
ですから、その結果『やはりレニに責任があったというべきだ。』と言いながらも、その「批判」も内容空疎でございますし、その空疎さを埋めるがごとく示された「同情」も月並みの域をでないのでございます。

何度でも申しますが、他人を『教訓』にするなどという言葉は、容易に口にできるものではないのでございます。なぜ、他人にできなかったことを自分ができるというのか? ……それは無自覚な傲慢というものでございましょう。

問題は「他人」にあるのではございません。「自分」にあるのでございます。ですから、「他人」を断罪する時は、なまじ「自分」のことなど投影せず(「私だってこれくらい」などと考えず)に、事実に則して客観的に、これを厳しく断罪すべきなのでございましょう。逆に「自分」を断罪する時は、なまじ「他人」を投影せず(「誰だってこれくらい」などと考えず)に、事実に則して客観的に、これを厳しく断罪すべきなのでございます。





( 以下は「どこに違いが(6)」につづく)


どこに違いが(4) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時35分20秒


 AOIさま(つづき)

AOIさまが、レニについて、『レニ』という映画で知りえた範囲でしかご存じなく、それでもあえて、

> しかし、やはりレニに責任があったというべきだ。

とおっしゃるのなら、つまり「責任は問われてしかるべき」だとおっしゃれるのなら、

私が、AOIさまのお言葉である、

> しかし、やはりレニに責任があったというべきだ。レニが美に対するこだわりと同じくらいに人間の生の尊厳に対しての鋭敏さと感受性とを働かせていたら、ドイツ人の多くがヒトラーを指導者とみなしたとしても、レニならば気づいたにちがいないのだから。

や、法月綸太郎の言葉である、

『うやむやのうちに「スプラッターとパズルストーリーのごった煮地獄」と評された同時多発テロさながらの自爆プロットに付き合わされてしまった、というのが正直な感想。』

という「言葉のみ」をもって『責任があったというべきだ』と断ずるのも、当然「正当な行為」となりましょう。

AOIさまは、そこで言う『レニ』は、ご自分の頭の中でだけ「空想されたレニ」であって「現実のレニ」のことではない、というようなほとんど「無茶苦茶な言い訳」をなさっておられましたが、「空想の中の存在」に対し『しかし、やはりレニに責任があったというべきだ。』などと「責任を問う」ことなど、もとより不可能なのでございます。
また百歩譲って、それが「空想の中での責任議論」であったとしても、それならそんなものに「実在の人物」名前を「不適切」に当てはめて、わざわざ「誤解を招くようにして公表する」というのは、それこそ意識的な「不適切」行為なのではないでしょうか。

ま、いずれにしろ、レニの「気持ち(意図)」がどうあれ、レニの「行為」には『やはりレニに責任があったというべきだ。』という評価を下すのならば、自身の「行為」に対しても『「気持と(意図)」がどうあれ』、厳格な評価を下すべきでございましょう。

チョムスキーも申しておりますとおり、人間として最低限の「倫理」とは、「他人に科す倫理は、自分にも科するべきである」ということなのでございます。それこそが『レニを教訓に』ということなのでございます。





( 以下は「どこに違いが(5)」につづく)


どこに違いが(3) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時32分58秒


 AOIさま(つづき)

以前にも書きましたとおり、何をどう考えようと、それは「完全な自由」でございますし、それを「(公に)表現する」のも自由でございます。しかし、「公」に出すからには、その「自由」には「責任」が付いて回ります。つまり、その「自由の行使」が「公」に対して不適切なものであれば、「責任」を取らされ「不本意な目に合う」のも甘受しなければならない、ということでございます。

そしてこの「(公に)表現する」という行為にともなう有責性というものは、レニや法月綸太郎のような「一次表現者」も、それについて語った「二次表現者」も、何の違いもございません。なぜなら、そこには本質的な「違い」など、どこにもないからなのでございます。
例えば、レニは「ヒトラー」や「ナチス」について「(公に)表現した」二次表現者だとも申せますし、法月綸太郎は『暗黒大陸の悪霊』や「マイケル・スレイド」について「(公に)表現した」二次表現者だ、とも言い換えうるからでございます。

AOIさまは、こうした私の批判に対し、

> う〜む。
> 批判は甘んじて受けますが、映画の感想だったんですが、「社会的な問題」にはありえないということですか?

と、自分の「(公に)表現する」という行為が、『映画の感想』という、何かレニの「(公に)表現する」という行為(映画)よりも「責任の軽い表現行為」であるかのようにお考えのようでございますが、実質的な影響力の差こそあれ、本質的には両者は同じ責任を負っているのでございます。

例えば、レニの映画について、レニに「あれはヒトラー(ナチス)賛美の映画だ」という批判をした場合、レニにはこういう「二つの抗弁」が可能でございます。

 (1)「そんな事実は全くない」(事実否認)
 (2)「そんな意図(つもり)はなかった」(意図否認)

レニの場合、(1)はほとんど無効でございました。彼女の「意図」がどうあれ、映画を客観的に評価すれば、レニの映画は「ヒトラー」や「ナチス」そのものを賛美する側面 を持っていたり、その「思想」に加担するものとなっているとしか言えないものだったのでございます。つまり、完成したフィルムの内容という「事実」は、作者にも否定しがたいものだったのでございます。
しかし、「個人の意図」ならば、何とでも言い繕うことが可能でございます。というのも、個人の内面 を、他人が完璧に推し量ることは「不可能」だからで、ですからこそ、レニも最終的には(2)の抗弁を選択したのでございます。

しかし『個人の内面を、他人が完璧に推し量ることは「不可能」』であるからこそ、「公」に提出されるものについては「致命的な誤解を与える余地のないもの」として提出する「責任」が、表現者には求められるのでございます。言い換えれば、「誤解されても仕方のないもの」を提出した段階で、それはすでに表現者の「責任不履行」であって、それをそのまま素直に「誤解」した者の「責任不履行」ではない、ということでございます。ですから、この場合「それは誤解だ」という抗弁が可能だと思うこと自体、すでに「(公に)表現する」という行為に附随する「責任」の自覚が不足・欠如していたと非難されざるをえないのでございます。

(註……もちろん、それが「誤解されても仕方のないもの」か否かの「境界」は曖昧でございますが、今、我々が問題としているのは、客観的に「明白」なものについてでございます。)





( 以下は「どこに違いが(4)」につづく)


どこに違いが(2) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時31分55秒


 AOIさま(つづき)

文春文庫の新刊『暗黒大陸の悪霊』(マイケル・スレイド)の「解説」で、法月綸太郎が、こんなことを書いておりました。

『うやむやのうちに「スプラッターとパズルストーリーのごった煮地獄」と評された同時多発テロさながらの自爆プロットに付き合わされてしまった、というのが正直な感想。』

ここで法月綸太郎が「何を言いたいのか」はハッキリしております。しかしでは、こういう「無神経」と言うよりも「面 白半分のふざけた」表現が許されるのかと言えば、私はもちろん「許されない」と存じます。

社会や世界の動きに対して「無知鈍感」な大半のミステリファンが、こうした表現を問題視しなくても、「本格ミステリ」の「タコ壷」世界の親分である笠井潔が問題にしなくても、あるいは「タコ壷」の身内同士は庇い合うのが当然だと思っている「業界評論家」たちが沈黙したとしても、私はこの法月綸太郎の「無知」と「想像力の欠除」に由来する「不適切な」形容、「文筆家として恥ずべき」形容を容認することはできません。

しかし、こんな法月綸太郎でも、仕事として「9.11」やアフガン空爆やイラク侵略戦争や世界情勢について、感想なり批評なりを要請されれば、関連の本をいくらか読んで、しっかりお勉強した上で、いかにもそれらしい感想なり批評なりを公にすることでございましょう。
つまり、「公式見解」などというものは、その人が本質的・日常的な部分で「無神経」「想像力欠除」「無責任」「差別 的」な部分を持っている人間だとしても、もっともらしく、つまり一般人を納得させる程度に「それらしいもの」として「でっち上げる」ことは十分に可能なのでございます。そして、そういう「紋切り型(それらしい意見)」への依存が日常化している人間とっては、日頃、不用意に発せられた言葉に現れた「本質」よりも、しっかりガードを固めた上で書かれた「公式見解」に現れたものの方が、「自分の本来の姿」だなどと、自身「勘違い」に思いこんでいるものなのでございますね。

さて、AOIさまは、上に引用した法月綸太郎の言葉を、どう評価なさいますか?

仮にAOIさまが、法月綸太郎の批評家としての力量をご存じだとしたら、次のように評価なさるのではないかと存じます。

「しかし、やはり法月綸太郎に責任があったというべきだ。法月が本格ミステリに対するこだわりと同じくらいに人間の生の尊厳に対しての鋭敏さと感受性とを働かせていたら、ミステリ読者の多くが「9.11」とそれに続く戦争の災禍について無関心・無神経であったとしても、法月ならば気づいたにちがいないのだから。」

AOIさまは、この「推測」に対し、もしかすると「私はそんな風には考えません」とか「そのような仮定での話は無意味です」とおっしゃるかも知れません。ならば、上の言葉は、法月綸太郎の不用意な言葉遣い(『同時多発テロさながらの自爆プロット』)が、厳しく糾弾されたことについて、法月綸太郎に『同情』した「ある第三者」によるものとお考えいただいても構いません。

「ある第三者」である彼あるいは彼女は、現に、

『うやむやのうちに「スプラッターとパズルストーリーのごった煮地獄」と評された同時多発テロさながらの自爆プロットに付き合わされてしまった、というのが正直な感想。』

と書いた法月綸太郎について、

「しかし、やはり法月綸太郎に責任があったというべきだ。法月が本格ミステリに対するこだわりと同じくらいに人間の生の尊厳に対しての鋭敏さと感受性とを働かせていたら、ミステリ読者の多くが「9.11」とそれに続く戦争の災禍について無関心・無神経であったとしても、法月ならば気づいたにちがいないのだから。」

と書いた。すると、今度はミステリ読者である私が「なんで法月綸太郎と比較されて、しかも貶められなければならないのか」とこれを批判した時、「ある第三者」である彼あるいは彼女は「そういう意味で書いたのではありません」つまり「そのつもりはなかった」と言い訳したとすると、AOIさまは、この「ある第三者」である彼あるいは彼女には「しかし、やはり」「責任は無かったというべきだ。」という評価をなさるのでしょうか?

しかし、それならばレニに対して、どうして『やはりレニに責任があったというべきだ。』ということになるのでございましょう?





( 以下は「どこに違いが(3)」につづく)


どこに違いが(1) 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)22時30分21秒

みなさま、いよいよ次の日曜9日が衆議院選挙の投票日でございます。今回の選挙は、内紛を押さえ込み若手の人気政治家を閣僚の重要ポストに据えた小泉自民党に対し、小沢一郎の自由党と合併した菅直人代表の率いる民社党がどこまでやれるか、といったところが争点のようでございます。しかし、はっきり申しまして私は、この選挙にほとんど興味がございません。総論としては、ひとまず小泉自民党に負けてもらいたいのでございますが、勝ってほしいという程の党や人がおりません。選挙前の論戦では、しばしば小泉首相をやり込めて、株をあげた菅直人にしても「今さら」という気がしますし、社民党は影が薄いし、共産党は十年一日。だいたい、どの政党であれ、選挙公約も守れないような奴らが、いまさら流行りに乗って「マニフェスト」がどうのと騒ぐのはバカバカしい限り。次の選挙では「マニフェスト」など、影も形も無くなっていることでございましょう。

それにしても、先般 の創価学会員のみなさんとの議論もあって、やはり目につくのが公明党のテレビCM。『公明党はやります! 生活与党・公明党』……とかいったやつでございますが、当然のことながら、アメリカの「イラク攻撃」を支持した「苦渋の選択」が絡む、「平和」「外交」には一切触れようとはいたしません。臭いものには蓋をして、きれいごとだけ並べておけば「無知な大衆(および学会員)」は何だかんだ言いつつ結局はついてくるものなんだ、という意識がありありと窺える「欺瞞的な」テレビCMでございました。
私は、公明党が議席を減らすと見ておりますし、それが公明党のためにも、創価学会員のためにも、日本のためにもなると考えております。





 AOIさま
議論が長引いていますので、再び議論の原点となった、

> しかし、やはりレニに責任があったというべきだ。レニが美に対するこだわりと同じくらいに人間の生の尊厳に対しての鋭敏さと感受性とを働かせていたら、ドイツ人の多くがヒトラーを指導者とみなしたとしても、レニならば気づいたにちがいないのだから。

という、このAOIさまのお言葉を確認した上で、総括的に話を進めてまいりたいと思います。

もちろん、『総括的に』と申しましても、これは議論を「終らせるために」まとめるということではございません。個々具体的な矛盾の指摘は、あまりご理解いただけないようなので、そのままそうした議論を重ねても、議論が隘路に落ち込むだけだと判断した、ということでございます。





( 以下は「どこに違いが(2)」につづく)


アリョーシャ、良かった(^0^* 投稿者:アーニャ  投稿日:11月 5日(水)12時56分17秒

「ナーゴ」のリンク、貼り直しておくわね。
http://neargo.ne.jp

それと、読売新聞の書評だけど、笠井潔『魔』については、「短評」をクリックしてね。
竹本健治『クレシェンド』については、「バックナンバー」をずーっと遡って、3/9までたどり着くと読めるわよ。
……ということは、笠井さんの分は、土曜日までしか読めないってことかしら?
「短評」は、バックナンバーに残らないようだから。


クダクダ言わんで臓物捌きなはれ!慶應出ちゅうもんはその程度なんかい!!(勢子姐さん) 投稿者:ハムちゃま  投稿日:11月 5日(水)02時38分48秒

はむは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
ハムちゃまひさびさサンジオ!!!
ムフムフ・・・(`▽´)・・・
セーヤはまだ観てないらちいんでちゅがわたちは映画『赤目四十八瀧心中未遂』
観てキマちた!!!ハムスターは飛行機代タダなんでちゅよ!!!
したがってシュバルツバルトから東中野までひとっとび!!!

しかし主人公が若いでちゅねええ〜〜〜。わたちは四十がらみの男を想像
していたのでちゅがこの主人公は20代にしかみえまちぇんね!!!
しかしその「うぶ」さがまたカイカン・・・(⌒ー⌒)
アヤちゃんもイイ味出してまちゅねええ!!!
しかし勢子姐さんが一番目立ってまちゅね!!!
主人公を叱りつけ、またある時は相談にも乗る頼もしい存在・・・きゃーーース・テ・キ♪
内田裕也の刺青師もハマリ役!!!

総じて原作を読んでも楽しめる映画になっていたのではないでちょうか??
しかし難点は長さ!!!2時間半はハムスターにはキツイ長さでちゅね!!!
一時間半ぐらいにまとめてくれたらよかったのでちゅが!!!

しかしセーヤのやつこーいうの好きでちゅねえ!!!今はあの『無間地獄』
で読書界を震撼させたとかいう新堂冬樹の『溝鼠』(ネズミとハムスターは
違う動物でちゅよ!!!変な想像しにゃいよ〜〜〜〜に!!!)読んでるって
いうし!!!
ヤクザとか闇金融とかそういうものになりたいんとちゃいまちゅか!?
セーーーーヤの奴!!!

そりでははむは〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


苦しみもまた喜び……その愛ゆえに。 投稿者:園主  投稿日:11月 5日(水)00時47分05秒

みなさま、一昨日(11/3)ご報告いたしましたとおり、私、インフルエンザに倒れましたものの、自慢したくなるような自己治癒力と、ホランドくんのすすめで初めて参りました休日医療センターでいただいたお薬のせいで、昨日にはすっかり回復。無事お務めも果 たしてまいりました。

ほぼ回復していた、発症翌日の一昨日夕刻は、ほとんど読み終えかけていたジョン・ロールズの『公正としての正義』(木鐸社)を読み上げて、引き続き三浦しをんの新刊『人生激場』を読みはじめて、日付けのかわる頃に読了いたしました。

ジョン・ロールズは『正義論』で知られる思想家で、その代表著作名からも「気になる存在」だったのでございますが、なにぶん『正義論』は大部の本だということでしたので、『正義論』の原型となった、それまでのわりあい短い論文を集成した、本書『公正としての正義』を試しに読んでみたのでございます。
書店で開いて見た時に、これは手こずりそうな本だなと思ったとおり、なかなか読み進めない本でございました。訳文の問題もございましょうし、原文の問題でもございましょう。もちろん、私の能力不足が最大の問題で、とても理解できたなどとは申せませんが、ひとまず通 読はして、雰囲気だけは感じ取ることができました。

こういうしんどい本を手こずりながら読んだ後、しかもまだ微熱の残った状態でしたので、続いて読んだのが、以前たいへん楽しませてくれた『しをんのしおり』の続編とも言うべき、三浦しをんの新刊エッセイ集『人生激場』(新潮社)。何度も噴き出させてくれる大変たのしいエッセイ集でございまして、オタクに理解のある方には是非お薦めでございます。……ただし、誤解されては困るのでございますが、書かれていることは「オタク」ネタでも、そのエッセイから伝わってくる著者の人柄は「根が真面 目で、育ちのよい、人懐っこくも照れ屋のお嬢さん」というものなのでございます。つまり「しをんさんは、感じのよい娘さんだなあー」と好感をもってしまうのでございます。……まるで「おじいさん」のノリでございますが(笑)。
なお、三浦しをんについては、後日、もうすこしまとまったものを書きたいと考えております。

単行本と並行して読んでいたのは、アルンダティ・ロイ『帝国を壊すために 戦争と正義をめぐるエッセイ』(岩波新書)。ロイは、私より1つ上のインドの作家。最初に書いた小説『小さきものたちの神』が1997年にブッカー賞を受賞。執筆のかたわら、パキスタンとの戦争危機やヒンズー・ナショナリズムの勃興に抗して、大衆社会運動にも関与。特に「9.11」以降は、アメリカとそれに追随する諸国へ批判の矢を放っています。
チョムスキーやサイードを愛読しているという女性作家らしいエッセイ集で、独特の柔らかさとクセと愛嬌と力がございます。インドの現状報告以外、内容的に特に目新しいものではございませんが、チョムスキーなどのハードな文体は「しんどい」という方には、おすすめの本だと申せましょう。

そして現在読んでおります文庫本は、保坂和志の評論・エッセイ集『アウトブリード』(河出文庫)。「小説は力が抜けてて好きなんだが、保坂のエッセイはどうしてああ理屈っぽくなるんだ」という読者の声も多いと、著者自身べつのところで書いておりましたが、私の場合は、評論・エッセイも、小説と同じか、それ以上に波長が合うようでございますね。例えば、よくわからない(奇妙な・変な)ものに惹かれ、しかもそれを突き詰めて思考したいと感じてしまうところなど、私と共通 した心性でございましょう。
『ユリイカ』誌1994年11月号、特集「大岡昇平の世界」に寄稿したエッセイ「『成城だより』と『神聖喜劇』」では、誉めているのはほとんど大西巨人ばかり。その大西に対して敬意をもって対した大家大岡の人柄に、保坂が好意を示す、といった内容。このエッセイだけではなく、保坂和志はかなり「正直な作家」であることがよくわかる、評論・エッセイ集なのでございます。

レスは後日ということで。ご了承下さいまし。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


めずらしきこと 投稿者:アーニャ  投稿日:11月 4日(火)16時46分04秒

皆さまお久しぶり、アーニャよ。
私が芙宮さまとお遊びしてる間に、Keenさまは風邪でネット落ち、アリョーシャはインフルエンザですって?
何事かと思って過去ログ読んでみたら、案の定、アリョーシャのこんな書き込みがあったじゃないの。

>イラストエッセイ『いつでもどこでもネコ町物語 ナーゴの子猫たち』『いつでもどこでもネコ町物語…ナーゴ』(モーリーあざみ野・NHK出版)は、最近、ネコ好きの間でベストセラーになった本
>このイラストを忠実にフィギュア化したのが、『いつでもどこでもネコ町物語 ナーゴコレクション』(バンダイ・250円)
>ぜひ商品を手にとって外箱裏の「コレクション一覧」をご覧下さいまし。きっと欲しいと思うネコがいるはずでございますよ(笑)。

「ミステリ作家も裸足で逃げる」兼「泣く子も笑う(?)田中幸一」が、可愛いネコフィギュアに頬ずりしてる姿を想像すると……(^0^*
「ナーゴ」の公認HPは、こちら→です。http://neargo.ne.jp
アリョーシャは、何故かアクセスできないんですって。まだ何にもしてないのに、すでに立入禁止ってわけかしら?(笑)

ちなみにKeenさまは、このシリーズは知ってはいたものの、品質がどうか判らなかったから手を出してなかったのよね。それがアリョーシャがお見舞いにって、ひとつ(アンディ&ポジ父子)送って来たものだから……
でも、アリョーシャお気に入りの「クルト」と、Keenさまが気に入った「レイニー」「チョコレート」をちょうどそれぞれ引き当てたので、もう打ち止めになさるようよ。
あと、アリョーシャが見逃してた「ナーゴ・1」シリーズがたまたま3コ売れ残ってたんだけど、それが、体重15?の超デブ猫「モーヴ」と、ハムスターのマリアとセットの「ダリア」、それに、アンティーク家具店の老猫「モス」だったの。この「モス」、実はアリョーシャと誕生日が同じな上に、家具店に来るマナー知らずのお客には「シャーッ!!」と威嚇するんですってよ〜(爆笑)。
それから「ダリア」は、後から家にやって来たハムスターのマリアを「食べちゃいたい程かわいい」と思っているのに、カゴに近づいて見てるだけで、ご主人様から「こらっ!ダリア!」と叱られてしまうとか。この「ダリア&マリア」と、「ナーゴ・2」の黒猫「チョコレート」を組み合わせると……そう、「黒猫館」の御三方になるんですねー♪これもなかなかの暗合でしょ?(^0^*

バンダイのフィギュアも、なかなかの出来ね。Keenさまが見つけたものでは「ピーターラビット・フィギュアコレクション(全3種)」(バンダイ・\380)がお薦め。ポストカード1枚と紅茶味のキャンディが入ってて、中身は見えるようになってます。Keenさまは、かかしに洋服を取られてハンカチにくるまっているピーターのセットだけ買ったわ。色使いや塗りの丁寧さは、むしろ最近の海洋堂より上質じゃないかしらね。

最後に、笠井さんの新刊『魔』の書評が読売新聞に載ってたわ。竹本さんの『クレシェンド』は、穂村弘さんの囲み記事だったけど、笠井さんは無記名の「短評」扱いです。↓リンク貼っておくわね。
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/top01.htm
……この内容ってつまり、褒めてないってことよねー☆(苦笑)

近々、Keenさまも復帰なさると思うわ。アリョーシャもよく休んで、早く元気になってね。
それでは皆さま、ごきげんよう。にゃあ〜♪


言論とは、暴力よりも困難なもの。 投稿者:ホランド  投稿日:11月 2日(日)16時53分29秒

 みなさん、こんにちは! 園主さまがインフルエンザと聞いて、さっそくお見舞いに行ってきました。ご本人がおっしゃってたとおり、見た目にはほとんど回復されているご様子でした。「移ってはいけないので、1メートル以内には近づくな。……寂しいだろうが」などと減らず口を叩けるほどで、ボクも一安心(^-^)。
 でも、明日は仕事に出られるとのことでしたから、休日医療をやっているところを探して、行ってもらうことにしました。まだ微熱があったので、つきそってあげようかって言ったら、子供じゃあるまいしって、強がってたので、ボクは留守番をすることにしました。結果 はやっぱりインフルエンザだったようで、それでもほとんど回復の方向に向かっているので、抗生物質を飲めばすぐによくなるだろうという診断だったそうです。みなさん、どうぞご安心ください。





 AOIさま
 ボクが第三者的な感想を書けば、すこしはご理解いただけるかと思ったんですが、ダメでしたね。横から口を挟んでも効果 はなさそうなので、この議論に関しては以降、口を謹むことにします。

 ただ一点だけ申しておきますと、

> 「おうむ返しに反応しているだけ」と思われるのならこれ以上のお話は無理なのでしょうね。
> ですから、以下のことについてのレスは別に構いません。
> 中旬以降は書き込みをする余裕もなくなると思いますので、どうぞご安心ください。

 『おうむ返しに反応しているだけ』と判断したことと、『これ以上のお話は無理』だという判断は同じではないと思いますよ。そんなこと言ってたら「対話」や「議論」による解決なんてありえませんし、そんなことじゃ「言論人」とは言えませんからね。

 したがって、AOIさまは『これ以上のお話は無理』とお思いなのかも知れませんが、ボクはそうは思いません。ですから、AOIさまとしては『以下のことについてのレスは別 に構いません。』ということなんでしょうが、ボクは大いに構います。ただ、この議論は園主さまに一任するので、AOIさまには園主さまと徹して議論していただきたいと思います。

 『中旬以降は書き込みをする余裕もなくなると思います』というのは、しかたのないことですが、これを理由として(『〜(な)ので』で接続して)『どうぞご安心ください。』というのは、どういうことなのでしょうか?
 これは普通に読めば、AOIさまが議論の続行を疎み、それを打ち切りたいと自身願っているのに、ボクや園主さまの方が「疎んでいる」として、議論打ち切りの責任を擦りつけているようにしか見えません。

 ボクや園主さまが『安心』できるのは、AOIさまが「じっくりと考える時間をください」と言って議論をいったん打ち切るような「発展的休止」であって、今回のような一方的な打ち切り宣言(松岡洋右外務大臣、国連の席を立つ、みたいなもの)ではぜんぜん『安心』できないんです。本当に忙しいんなら仕方ありませんが、忙しさにかこつけて、議論から逃げるようなことはしないでほしいと思います。園主さまが以前おっしゃってましたが、「本当の議論とは、意見が食い違ったところから始まるんだ」ということだと思います。


 影姫さま
> 『呪怨2』全然怖くないぞ〜〜〜!!!製作者カネ返せ〜〜〜!!!
> ゴルア!!!ゝ(`▽′)ノ~~~~~~~~~~~~~

 『2』も怖くなかったんですか。『1』の方はご覧になりました?

 『呪怨』が「怖い」という世評は、本当なのかなあー???


 園主さま
 ということで、AOIさまとの議論はまだまだ片がついておりませんので、早く元気になって下さいね。




 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。

 

インフルエンザ 投稿者:園主  投稿日:11月 2日(日)12時56分04秒

 みなさま
申し訳ございませんが、私、インフルエンザにかかってしまいましたので、もうしばらく休ませていただきたいと存じます。……と申しましても、こうして書き込みをできる程度には回復しておりますので、どうぞご心配なく。

先ほどネットで調べて、風邪ではなくインフルエンザであることが、ほぼハッキリしたのでございますが、昨日は急な発熱で一日中寝込んでおりました。午前中までは何ともなかったのに、昼過ぎから急に全身に悪寒が走り、身体が重くなりました。その症状がたいへん急なものであったことと、咳やくしゃみといった症状がまったく無かったため、私は外食したの昼食のなかにおかしなものでも入っていたのではないかと疑ったほどでございます。帰宅して、すぐに布団にもぐり込んだ途端、急激な寒気に襲われ「熱が出ているんだな」と思いながら眠ってしまいました。寝ている間、今度は身体がとても暑くなってまいりました。しかし、熱が出た時は汗をかかなければならないと思っていましたので布団を被り続けたのでございますが、その時は不思議に汗がでませんでした。

夜になり、すこし熱が下がったかなと思い、床から起きだしましたが、食欲はなくリンゴとミカンだけを食べました。この時、初めて体温を計りましたところ38.5度ございましたので、いちばん高かった時には39度を超えていたものと存じます。それから先程まで、3時間に一度くらいの割り合いで目を醒ましたりしながら、ずっと床についておりましたが、朝方には発汗もあり、さらに熱も下がったようでしたし、発症後ずっと続いていた軽い頭痛もかなり薄らいで、今は発熱後のぼんやりした重さがあるのみでございます。

現在も37.5度の微熱は続いておりますが、私は発熱にはわりあい強い方ですので、特につらいことはございません。ただ、昨日今日明日と病院が休みですので、このまま治ってくれるのかどうかが、気掛かりといったところでございます。

ネットで調べましたところ、

『普通感冒とインフルエンザの違いは、まず、普通 感冒は緩やかに発病し、軽い悪寒、鼻炎、咽頭炎が顕著、発熱はあっても37℃台、全身の疼痛はない、という症状が特徴的です。しかし、インフルエンザは急激に発病し、強い悪寒、39〜40℃の高熱、関節痛、筋肉痛、強い全身の疼痛が現われるなど、普通 感冒とは明確に区別される重篤な呼吸器疾患です。そして、インフルエンザウィルスは低温・低湿の環境下で最も増殖するため、冬季に流行するものの一つです。』

ということで、インフルエンザというのは、高温多湿に弱いそうですので、布団をひっかぶって暑さを我慢していたのは正解だったようでございます。
今年はインフルエンザの流行はないという予測もあるそうでございますが、みなさまもお気をつけ下さいまし。





それでは、みなさま、本日はこれにて失礼いたします。


『赤目四十八瀧心中未遂』 投稿者:AOI  投稿日:11月 1日(土)02時28分30秒

☆影姫さま

影姫さまのお住まいの方ではもう、かなりお寒いことでしょうね。

>『NUBA』はアフリカの原住民を撮った写真集です。通常このテの本は人気がないのですがこのNUBAだけはあのレニが撮ったというだけで物好きな古本マニアの人気本となりプレミアも付いているのです。

『NUBA』は物珍しさだけなのでしょうか?影姫さまの評価は如何ですか?

先日、影姫さまご推薦の『赤目四十八瀧心中未遂』を観てきました。(以下ネタばれ)

すばらしい!!監督荒戸源次郎の性根傾けた凝りに凝った映画です。
例によって原作を読んでいませんが、原作に忠実のようですね。車谷長吉さんも大変気に入られたようです。
荒戸さんは鈴木清順監督『チゴイネルワイゼン』のプロデューサーでしたが、さすが、清順さんの影響強い。随所。
役者もひとクセもふたクセもある人たちがずらり。
ヒロインの綾に寺島しのぶ。映画初出演で舞台では新人賞などとっているようですが、とてもいい演技でした。富司純子の娘ですが親の七光りにあらず。
それと園主さまも気に入られたようですが、勢子ねえさんの大楠道代がいい味出していました。貴重な役者です。清順映画の常連さん。内田裕也の刺青師もドスが利いていました。
主人公の生島の大西滝次郎は原作でどうなのかわかりませんが、私が想像するにもう少し精彩 のない感じなのではと想像するのですが、後の方ではかなりはまり役に思えてきました。

窓も開かない狭い薄汚れたアパートの一室で、来る日も来る日も大きなビニール袋で届けられる臓物を鋭利な小刀で部位 毎に切り分け、串刺しにする。そのシーンだけでも胸にこたえるものがあります。
後半の滝のシーンは幻想的で耽美。
また、なんと!音楽は私の大好きなピアニスト千野秀一さんでした(うるうる)。
お聞き漏らしなく。きっと、印象に残ると思いますよー。


おうむ返し(中) 投稿者:AOI  投稿日:11月 1日(土)02時22分06秒

(ホランドさまつづき)
また、
>彼女の「選択の普通さ(一般性)」を「一般に、避けがたい(やむを得ない)」ものとして、その情において容認したのでございましょう。

とかかれていますが、、「一般に、避けがたい(やむを得ない)」ものと思っていません。「避けるべきもの」「避けなければいけないもの」と思っているということです。
だからこそ、「生への鋭敏さや感受性」を働かせていればと同情したのですよ。「一般 に、避けがたい(やむを得ない)」とおもえば、、「生への鋭敏さや感受性」を働かせていればと願うこともないでしょう?「情において容認」していません。

ということで、

ホランドさまこそ分っていないんじゃないの?


>それに園主さまは、

> >「私にも差別心があるのはわかっています」「私も戦争協力がいけないことはわかっています」と簡単に言ってしまえるというのは、本質的には全然「わかっていない」証拠だと申せましょう。なぜなら、それらは「わかっている」だけでは済まず、血まみれの摘出手術が、例外なく(=自分にも)必要な難病だということを全然わかっていないからこそ、お気楽に「わかっています」などと口走りうるからなのでございます。

>と書いて、「問題」を「我がこと」として考えなくてはならない、我が胸を引き裂いて「深淵」に潜むものを剔抉しなくちゃならない、とおっしゃってるのに、それへのレスが、

> レニがその点で凡庸だったのはなぜなのか。
> 差別意識は長い歴史の中で醸成され、個人の中へ流れ込み、緊張の時代その感情は沸点に達し、憎悪がむきだしになる。差別 意識がそういう時代をつくるともいえる。それに抗うための力「生への鋭敏さや感受性」はどのように培われるものなのか。
> なぜ、レニは「生への鋭敏さや感受性」を働かせることが出来なかったのか。
> レニを教訓にしなければと思えたのです。

>という「自分」とは無縁の「紋切り型」議論(一般論)と、「自分の考え」を少しも示さない、(レニに)否定的な「疑問の提示」だけ

上のレスとして書いたものではありません。これらのことは自分に繋がることです。
無縁なことではありません。たとえ、紋切り型と言われようと、考えてきたこと、自問自答してきたことです。明確な答があれば、

>> 「生への鋭敏さ感受性が必要だ!」といくら叫んでみても形成されるものではないですね。個々の意識の中にある、あるいは眠っている意識を目覚めさせるには。

なんて尋ねたりしません。園主さまのレスは

>当然、全員に当て嵌まるような答はございませんし、もしかすると、そんなもの(解決法としての答)は存在しないのかも知れません。つまり歴史に学ぶ人は、放っておいても学ぶし、学ばない人は傍の者が何をどのようにしても学ばないという可能性も、大いにあるのでございます。しかし、それが現実だとしても、放っておくわけにはいかないと思える者が、こうして徒労を覚悟で声をあげ、批判を続けるのでございましょう。

というものでした。
私は私でレニを教訓にします。
レニを取り込むということです。同化しないと言うことです。

>>> もちろん、私の中に差別感と言えるものが一切ないとはいえません。

>>なぜ、このような「当たり前のこと」を言わなければならないのかをお考え下さいまし。

>>これは「今ここ」で問題になっている「差別意識」から、話を逸らそうとするものにほかなりません。私は「一般 論」をお話しているのではなく、貴女さまの「今ここ」での発言に現れた「差別 意識」を問題にしているのでございます。

これは、園主さまの書かれていたものですが。

>「私にも差別意識はある」と明言したのに、それを腑分けする方向には決して進もうとはしない。だから・・・。これこそが、レニにも当て嵌まる「答」のように、ボクには思えました。

とも関連するので。
「一般論」を言ったものではありません。「今ここ」での発言について言ったものです。差別 感と言えるものが私のうちにないと断言は出来ないが、「今ここ」での発言は差別 感からのものではないということをいったのです。


おうむ返し(上) 投稿者:AOI  投稿日:11月 1日(土)02時13分04秒

☆ホランドさま

>どうもボクとの議論の時と同じく「おうむ返しに反応しているだけ」ってパターンに入ってきたようですねえー。
>後の部分も基本的には、みんな同じ

ひっかかることは無理に納得してはいけないと言われているので、伝わっていないと思うところ、納得できないところをこだわっているのですが。
「おうむ返しに反応しているだけ」と思われるのならこれ以上のお話は無理なのでしょうね。
ですから、以下のことについてのレスは別に構いません。
中旬以降は書き込みをする余裕もなくなると思いますので、どうぞご安心ください。

>>> AOIさまは、なぜレニ・リーフェンシュタールに「同情」したのでございましょう? 
>>> それはレニを「同じ人間」として見、評価したからでございます。

>という園主さまに対し、AOIさまは、

>> そうではないですよ。非凡であると言う点ですでに「私と同じ、ただの人」ではありません。その非凡さに見合うだけの生への鋭敏さや感受性を持ち合わせていなかったことに同情したのです。

>と返してるんですが、これが反論や論理的否定になっていないことは、AOIさま以外の人には明らかでしょう。・・・だって、園主さまは、AOIさまがレニの(「非凡」なところではなく)『凡庸』なところに「私と同じ、ただの人」を見て「同情」したのだろう、と書いておられるのに、AOIさまはそれをまったく理解なさっていないんですから。

と書かれていますが、全部書くと、

>>AOIさまは、なぜレニ・リーフェンシュタールに「同情」したのでございましょ
う? 
それはレニを「同じ人間」として見、評価したからでございます。つまり、「才能」があったとは言え、それ以外は「私と同じ、ただの人」であったレニが、「時代」に翻弄されて、祖国の人たちから『魔女』呼ばわりにされるまでになった、その運命を「私だって、レニのような才能があったら、同じことをしたかも知れない」と考え、彼女の「選択の普通 さ(一般性)」を「一般に、避けがたい(やむを得ない)」ものとして、その情において容認したのでございましょう。

つまり、後半部分の

>その運命を「私だって、レニのような才能があったら、同じことをしたかも知れない」と考え、彼女の「選択の普通 さ(一般性)」を「一般に、避けがたい(やむを得ない)」ものとして、その情において容認したのでございましょう。

というレスとして、こういう仮定はできないと言うことをいったのですよ。つまり、『凡庸』だからと言って、「私と同じ、ただの人」とは思えないということです。

>>つまり、「才能」があったとは言え、それ以外は「私と同じ、ただの人」であったレニが

と私がこう思っているのだろうとしてかかれていますが、人間は、みんな誰でもが「ただの人」と言えるし、みんな誰でもが「ただの人」ではないとも言える。『凡庸さ』はそれぞれなんだから、凡庸だからって、「私と同じ、ただの人」とは思わない。ましてや、

>それ以外は「私と同じ、ただの人」

なんて思わないんです。私のことを誤解しているのじゃない?そうでなければ、ホランドさま自身に「凡庸さ」や「ただの人」を一括りにしてしまう、偏見(差別 感)があるのじゃないですか?



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