●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年1月上
 ●


  【2003年12月下旬へ】 【1月中旬へ】

【バックログ目次へ戻る】 【BBSへ】

【トップページへ】



今夜も寒いわね☆ 投稿者:アーニャ  投稿日: 1月10日(土)22時28分16秒

☆アリョーシャ

>ミャウリンガル

私とKeenさまの間では、文字通り「必要ない」ものだから、見たこともないわ。
実際にお買いになった方がおっしゃることなら、それが実態なんでしょうね。
賢ちゃんも、「興味はあるけど、別に必要ないからなー」って言ってたわよ。

☆ホランドくん

お待たせ。ホランドくんの膝の方がアリョーシャより面積が狭い分、私を落とさないように気をつけてよね。
うーん、ぬくぬく……(^0^*

それでは皆さま、お休みなさい。
にゃあ〜♪


御免なさい、一つだけ。 投稿者:  投稿日: 1月10日(土)20時59分17秒

僕も参加した派兵反対署名運動が朝日のネットで記事になりました。
先遣隊は派兵され、不可逆的であることは間違いありませんが、
この署名運動は、行き過ぎた政策に、一定の圧力をかけるという
意味でも無意味だったとは思いません。
「おかしいものは、おかしい」と主張できる学会へ目指していきたいです。
しかし最も恐るべきは、これで自己満足に陥ることと自己陶酔でしょう。

それでは、一月闘争(試験)に参ります。

http://www.asahi.com/national/update/0110/016.html


子供に謝罪させるな(6) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時37分9秒


 アーニャ
>> 昨年暮れに発売されたネコ語翻訳機(商品名「ニャウリンガル」)

> アリョーシャ、これ、「ミャウリンガル」の間違いじゃないかしら?

そうみたいだな。つい日本人的に書いてしまったようだ(笑)。

ところで、アーニャの「ミャウリンガル」評価は、どうなんだ?

> ま、とりあえず今夜は寒いから、私が膝の上で丸まって、あっためてあげるわよ。(^0^*

ありがとう。あったかかったよ。


 ホランド
> でも、やっぱり「無知」は罪だと思います。客観的に責任を問えるか否かはべつにして、それは誰よりも本人にとっての罪だから、やっぱり「無知」ではいけないんだと思いますし、現実に目を向けなければいけないんだと思います。

そうだな。「無知の罪」とは、他人に対してのものには止まらず、必ず自分に対してのものともなってしまう。だから「無知」によって「他人には迷惑をかけていない」場合でも、「だから良い」というわけにはいかないんだろう。

> もちろん、ボクは徴兵忌避をしますよ。戦うべき時は自分で決めます。国にそんなことまで命令されたくはありません。国は、国民を幸せにするための「制度」であり「機構」なんですから、国民に犠牲を強いるなんて本末転倒。ボクらが守るべき国とは「ボクらを守る国」なんだと思います。(>Keenさま)

ちなみに「徴兵忌避」の現実について書いておこう。前記『声に出して読めないネット掲示板』にも同じ本から引用紹介されているんだが、こないだ紹介したばかりの『ベトナム症候群 超大国を苛む「勝利」への強迫観念』(松岡完・中公新書)に、つぎのような報告がある。

『(※ ベトナム戦争で)徴兵に従わなかった者は五七万人。うち起訴された者は二万五〇〇〇人、有罪判決をうけた者は九〇〇〇人たらず、処罰を受けた者は三〇〇〇人あまりしかいない。しかもジミー・カーター大統領は徴兵忌避者に恩赦を与え、ジェラルド・フォード大統領は条件付きながら彼らに社会復帰の道を開いた。「こんなことになるってわかっていたら、俺もカナダに行ってブラブラしてるんだったよ」と、ある帰還兵はぼやいている。』

まさに「無知」は自身に対する「罪」だったわけだ。

現在は、あのイスラエルでも「良心的徴兵忌避者」が増えている。現実の問題として、現代において、弱者に採りうる抵抗法としての「良心的徴兵忌避」は、決して命がけの「危険な選択」とまでは言えない。だから、われわれ弱者は、その事実を承知した上で、そこを仮借なく攻めるべきなんだよ。くりかえすが、「徴兵拒否」は決して非現実的な戦法ではない。戦時において採りうる、もっとも現実的な「反・人殺し」の戦法なんだ。





それでは、みなさま、本日はこの辺で失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


子供に謝罪させるな(5) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時36分30秒


 さま(つづき)

> 僕の大好きなinoさんが他サイトで、「命ずるものは、迷彩服に着替えイラクへ行け!」という主旨の詩を書かれていて、感銘を受けた僕は、神崎氏がイラクへ行くというニュースを耳にし、多少「やるじゃないの」と思ったのですが。
> 園主さんの御教授くださったカキコとリンクを参照し、信じた僕がバカでした。
> 既に決定事項となっているイラク派兵推進を補強するための、デタラメな政治的パフォーマンスだと知り、もう公明党は死んだのかもしれません・・(泣)

いかにもinoさまらしゅうございますね(笑)。

しかし、そのような言葉は、金輪際、(公明党首脳を含む)今の「権力者」には届かないことでございましょう。inoさまの詩の貴重さは、そのような権力者に対する怒りの輪を広げる点にあるのだと存じます。

昨日、ニュース番組で、とうとう自衛隊本隊へのイラク派遣命令の出されたことを知りました。小泉首相はインタビューに応え「危険もあるかと思うが、自衛隊の諸君は、きっと立派に使命を果 たしてくれると信じている」というようなことを言っておりました。
以前にもご紹介いたしましたとおり、「イラク人道復興特別措置法」にもとづく「(自衛隊等)派遣基本計画」には『当該活動の実施にあたっては、自衛隊の部隊等の安全が確保されなければならない。』と明記されており、小泉首相の「危険」を承知しているとの発言は、あきらかに「基本計画」に反するものでございます。しかし、

『派遣される地域は「戦闘行為がなく、活動期間中も戦闘行為のない場所」となっていますが、この「戦闘行為」にはゲリラ戦は含まれていません。正規軍の戦闘行為のみを「戦闘行為」としているのです。従って法律上はイラクは戦闘行為のない地域になります。(中略)法案に従うのなら「ゲリラ戦が行なわれていてもイラクは非戦闘地域です」と堂々と答えるべきなのです。』
(小池清彦「今週の『異議あり!』イラク特措法」『朝日新聞』」二〇〇三年九月十一日夕刊・『声に出して読めないネット掲示板』より孫引き)

日常的にロケット弾が飛び交い、自爆攻撃がなされていてもなお、それが法的には「戦闘地域」とは規定されない(テロは戦闘行為ではない)、というような偽善的な物言いをする人びとに、誠実さを期待するというのは、もはや期待する側も「共犯者」同然だと申せましょう。

公明党の「立党の精神」は、『大衆と共に語り、大衆のために戦い、大衆の中で死んでいく』ございましたが、こうした公明党の「現場主義」は、しかしもはや形骸化していると断じても良うございましょう。形骸化し切っているからこそ、彼らはことさらに「現場」に入る「パフォーマンス」をくりかえすのでございます。そして、こういうパフォーマンスが、創価学会員にたいして有効なのは、なにより創価学会員自身が「現場」を知らない、つまり「虐げられた庶民の現場」を知らない、「庶民」とは異なる立場の人間になってしまっている証拠なのでございます。つまり「戦後は遠くなりにけり」ということなのでございましょう。

『聖教新聞』と『公明新聞』を読んでいれば、それですべてがわかるほど、「庶民」の現実に光は当てられておりませんし、光を当てないように努力しているのが、ほかならぬ 彼ら「権力者」なのでございます。
戸田第二代会長ならば、きっと「青年よ、賢明になれ。そして断じて怯まず、破邪顕正の剣をかざし、権力の魔性の闇を払え!」と叱咤したことでございましょう。





( 以下は「子供に謝罪させるな(6)」につづく)


子供に謝罪させるな(4) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時35分31秒


 影姫さま
> 革新的出版のお知らせ

私も、こっち方面は苦手でございますが、このような本が刊行されるのは、本当に素晴らしいことだと存じます。また、いろいろご紹介下さいまし。


 さま
あけまして、おめでとうございます。

> 実家がネット出来なくなり、下宿先に帰還し、久々に覗きました。
> やぱ、実家は良いもんですね、親父や母上の昔話を聞けたのは収穫でした。
> 僕の爺は母方も父方も早死にしてるんですね。今まで、爺の話は聞いたこと無かったんですが、これが、なんとなんと両方ともヤクザとつるむ中途半端はチンピラだったようで、ちとショックでした。母は爺がヤクザと花札やってる最中、外で見張り役をやらされてた話等等、苦労話のオンパレード。
> 両チンピラ爺の遺伝子を確実に受け継いでる僕が鬱々ちゃんっての不思議でやんすねー。

「チンピラ」というところがミソではないでしょうか。「チンピラ」というのは「自己の弱さに無自覚な弱い人間」のことでございますからね。だから「チンピラ」は「強きに媚びて、弱きをくじく」情けない人間であるか「見境なく噛みつく狂犬」でしかありえないのでございます。
その点、貴方さまの場合は、ご自身の弱さについて、過剰なまでに自覚的でございますから、無自覚な「チンピラ」にはなれないのでございましょう。もちろん、貴方さまの場合、弱さの自覚が「過剰」になってしまうという点が、「克服すべき弱さ」なのではないかと存じます。

> そそ、学生時代(今もそうですが/泣)といえば、僕も美術部だったんですよー。
> といっても絵を書くことなんかそっちのけで、ガラクタ部室を快適なラウンジに改装し、悪友と紅茶をすすりながら音楽鑑賞するってな有様で、先生も呆れ顔。
> もし園主さんのような厳格な同級生がいらしたら・・・・・(ヒャ〜〜/怖)

私も中学で美術部に所属していた頃は、ほとんど絵なんか描かずに、話のわかる先生との雑談を楽しんでいただけでございます。それは高校での漫画部でも同じで、日頃は、女子ばかりの先輩をおちょくって(甘えて)遊んでいただけでございました。

ただ、文化祭用にスライド・ストーリーを作った時は、副部長だったこともあって、かなり真剣になり、チンタラやっている部員にはそうとう腹も立てました。一人あたま10枚見当で絵を描かなければ間に合わないのに、全体を見てのペース配分を考えもせず、自分が受け持った目の前の一枚に、自己満足的にかかり切る。そんな無責任な姿に、私は苛立ちを覚えたのでございます。
私は、全体主義的な押しつけは嫌いでございますが、皆で協調してやると決めたことに対して、無責任な個人主義を決め込む人間を、決して好きにはなれないのでございます。





( 以下は「子供に謝罪させるな(5)」につづく)


子供に謝罪させるな(3) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時34分39秒


 Keenさま
> 『バーディ』は、実は原作では、第二次世界大戦後の話なのだそうです。
> アラン・パーカーは、それを「ベトナム後」に置き換えたわけですね。
> それと、アラン・パーカーは英国人です。ご参考までに。

イギリス人であるアラン・パーカーが、あえてベトナム戦争を選んだのも、「ベトナム症候群」があったればこそでございましょう。

それに、私は「アメリカ人」の責任を厳しく問うておりますものの、それは何もすべての「アメリカ人」が悪いとか、「アメリカ人」だけが悪い、と思っているからではございません。どこの国にも「悪い」人間は大勢いますし、その意味では、どこの国に帰属する人間かは問題ではありません。ただ、その国の人間ならば、その国に責任を持たなければならない、持つべきである、と私は考えます。私は「わが祖国」日本に愛着を感じ、責任を感じるからこそ、現在の日本の方向性に憤りを禁じ得ないのでございます。同様に、アメリカ人には、もっともっと自分の国に責任を感じてほしい。飛び抜けた超大国アメリカの国民が、それ相応の責任を問われるのは当然でございますし、その責任は、他者に問われる以前に、自らが担うべきものなのだと思うのでございます。

> 美老人となった園主さま(未来形)はともかく(笑)、ホランドくんが徴兵されてしまうかもしれない……!

> 怒っちゃ、ダメよ〜。(^0^*

はい、たしかに私は『美老人』になるのでございましょう。ただし、ただの『美老人』ではございません。私が望むのは、次のような「老人」でございます。

『筆を取られぬ老残の身になるとも、口だけは減らないから、ますます悪しくなりゆく世の中に、死ぬ までいやなことをいって、くたばるつもりなり』
                    (大岡昇平『成城だより3』)


 AOIさま
『バーディー』にかんして、積極的なご発言、ありがとうございました。
いつもは私が受け持つ「厳格」「狷介」、つまり「嫌われ者」のパートを受け持って下さり、たいへん申し訳なくて、恐縮しております(笑)。

前回も書きましたとおり『どんな作品にも「負の面」「欠けている面」がある』のですから、感動に任せて安易に「全肯定」の評価をあたえることは危険であり、その意味ではAOIさまのしめされた「負の面 」を凝視するという立場は、いたって重要だと存じます。

しかし、その一方、ホランドくんが指摘しておりましたとおり、「アメリカ」の側の「負の面 」を凝視するために、「ベトナム」の側を一面的に「善」と捉えてもなりません。もちろん、このようなことは承知の上で、AOIさまは「被害者としてのベトナム人」像を仮構なさったのでございましょうが、あのように典型化されると、アメリカ人側の気持ちを問答無用で切り捨てることにもなりかねないと危惧されるのでございます。アメリカは批判されるべき「加害者」であった。けれども、では「ベトナム」は一方的に同情されるべき「無垢な被害者」でしかなかったのかと言えば、そんなことはありえませんでしょう。そうした現実認識に立って考えなければならないというのは、誰かを批判する際に「絶対善」の権威をふりまわしてはいけない、ということなのだと存じます。少なくともわれわれは、アメリカの側に立って、アメリカを批判すべきだと、私はそう考えるのでございます。





( 以下は「子供に謝罪させるな(4)」につづく)


子供に謝罪させるな(2) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時33分10秒


荷宮は、前著『若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝』のなかで、「決ってしまったことは仕方がない」とあっさり諦めてしまい、理不尽にたいして怒ろうとはしない「現代の若者」像を描き出し、彼らにたいして不満を表明いたしました。しかし、今回の『声に出して読めないネット掲示板』では、そんな「現代の若者」たちも、決して本質的に恬淡としているわけなのではなく、自分のなかの「虐げられている者=弱者」としての「不満の鬱積」に充分自覚的ではないために、さらに弱者を差別 するという行動に出てしまっているのだ、ということを明らかにしているのでございます。

しかし、それがすべてではない、ということも、荷宮は「折紙オフ」事件を分析することで、みごとに証明してみせたと申せましょう。「左翼」的な「偽善的」「建前的」「きれいごと的」言説(「大人」的偽善)に対し、過剰なまでの拒絶反応をしめす「2ちゃんねる」の主流派的言説。彼らの「差別 」発言や「右」的発言は、「反・偽善」としての「(ナイーブな)本音主義」から出ている部分も、たしかにあるのでございます。しかし、そうした中にあって『しない善よりする偽善』を合言葉に、心無い若者によって燃やされた広島平和記念公園の折鶴を「我々で補完しようではないか」として始められた「折紙オフ」。彼らは「ちゃねらー」らしからぬ 自身の行動に、戸惑いと不安を感じつつも、なんとか所期の目的を達成し、その過程で多くのことを学んでゆきました。これまでは己の純粋性だけに自衛的に固執し、それを依拠して他者の「不完全性」を非難することで満足しようとしていた彼らが、批判されるかも知れない(事実、批判もあった)立場に身をおいて行動した。・・・その姿を紹介した本書第2章は、若者の成長する姿を描き出して、感動的なものとすら申せました。

荷宮は、「あとがき」の最後をこのように締めくくっております。

『 果たして、このまま日本は「殺伐としたダメな国」になる道を突き進んでいってしまうのだろうか。いや、決してそうではないはずだ。

 「最後まで希望を捨てちゃいかん……あきらめたらそこで試合終了だよ」
                   (井上雄彦『スラムダンク』集英社)

 この台詞に「ピン」とくる世代、子どもの頃にこの台詞に接した世代が、「このままじゃいけない」ということに気付いたならば、きっと日本は、「殺伐としたダメな国」になる道から引き返すことができるに違いないのである。』

そのためにも、大人は頑張らなければならない。このまま若者たちを戦場に送りだし、将来、彼らを送りだした「今の大人」ではなく、否応なく戦場に狩り出された若者たち自身に「侵略してゴメンなさい」と謝罪させなければならないような国にしてはならない。『子供に謝罪させるな』……これも「2ちゃんねる」に登場した言葉なのでございます。





( 以下は「子供に謝罪させるな(3)」につづく)


子供に謝罪させるな(1) 投稿者:園主  投稿日: 1月10日(土)16時32分31秒

みなさま、本日は(『若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝』の著者)荷宮和子の新刊『声に出して読めないネット掲示板』(中公新書ラクレ)をご紹介し、強くご推薦したいと存じます。

この本、裏表紙の紹介文である、

『誹謗中傷罵詈雑言。殺伐とした国・日本の殺伐とした巨大匿名掲示板。インターネットによせられた膨大な声をT女子供文化評論家Uの著者が読み解く。あなたは「ネット向き人間」か否か?』

からわかるように、一見したところは「2ちゃんねる」をその代表とする日本のネット匿名掲示板の批判的検証本のようなのでございますが、じつのところ、本書の射程は、もっと深くもっと遠いものでございます。
最初に「2ちゃんねる」への書き込みを分析し、それが日本の現状を正直に映す鏡だとした上で、しかしそんな『殺伐』とした掲示板においても例外的な事件として注目された「折鶴オフ」の言説を読み解くことによって、急激に右旋回して「戦争国家」へと傾いていく日本の将来に、わずかに残された「希望」を読み取ろうとしたのが、本書の「真の姿」だと申せましょう。つまり、本書における「ネット匿名掲示板」の分析というのは、それ自体が目的なのではなく、昨今の日本の危険な傾きを支持してしまっている若者たちの心理を分析する素材として、右寄りの言説が主流をなす「ネット匿名掲示板」が俎上にあげられたということなのでございます。

荷宮は、「2ちゃんねる」で主流をなす、「差別的」で「攻撃的」「冷笑的」な言説を発する者について、

『つまり、真っ当な神経の人間ならば「見るに耐えない」と感じるような差別 的な書き込みをする人間とは、おそらくは、「在日ではなく、女ではなく、低学歴でもないものの、しかし低所得の人間」なのではないか』

と鋭く推測してしてみせます。……そうなのでございます。彼らは「在日」や「女」や「低学歴」を嘲笑しても、「低所得者」をバカにすることは、ほとんどないのでございます。つまり、「ネット匿名掲示板」とは、「小数の金持ちと大多数の低所得者」という政治政策による二極分化の進むなかで生み出されてきた多数の「希望のもてない(在日ではなく、女ではなく、低学歴でもない)低所得者」たち、つまり『負け組』の「不満のはけ口」なのではないかと、荷宮は分析して見せるのでございます。

本来ならば上に向かって戦いを挑まなければならないはずの「弱者」である彼らが、自分たちよりもさらに「弱者」である人たちを「差別 」することによって癒されようとする。これは武士階級によって搾取されていた人口的ボリュームゾーンをなす農民が、武士階級によって「建て前として与えられた階級区分」である「士農工商」や、さらにその下に政治的に設けられた「穢多・非人」という「被差別 」階級制度を、喜んで受け入れ、差別したことと、相似的であると申せましょう。





( 以下は「子供に謝罪させるな(2)」につづく)


酔いどれ天使 投稿者:  投稿日: 1月10日(土)05時50分31秒

★Keenさん

>ピエール・バルーに詳しいわけでもないんですよ。
>カセットも、好きな友人が選んで作ってくれただけだし。

そうそう、学生時代(今も/泣)ってーと、金有りませんから、(現在も・・)
音楽情報の主要メディアといやー、もっぱらカセットテープでしたよねー、
僕も高校の美術部時代には、悪友のレゲエ野郎から渡されたボブの『LIVE!』が
初のレゲエとの出会いでしたね。「トレンチタウン・ロック」もよかですが、
「I shot the sheriff」も好きですねー。
当時は歌詞の意味も分からず、ただ曲調に惹かれた訳ですが、
原盤を手に入れてからは、ボブのメッセージ性に触れて、
改めて感動ひとしおだったのを記憶しています。


>「かに道楽のテーマ」は、楽しみにしてまーす♪
>ネイティヴ大阪人である園主さま&ホランドくんとの「歌合戦」もね!(^0^*

あれ?「かに道楽」のCMって関西限定なのかな?
園主さんには是非お会いしたいですねー、ネット上で出会った人の中で最も強烈な存在でしたから。
「歌合戦」ねー、そんな機会があれば、園主さんとアニメソング・バトルを受けて立ちますぜ。

御免なさい、ヘベレケに酔いながらコレ書いてます。失礼が御座いましたらお詫び申し上げます。

【余談】

実家近くの図書館にて、CD六枚借りました。結構イケルやつあるんですよねー(吃驚)

・マッコイ・タイナー 『サハラ』
・スライ・ストーン  『フレッシュ』
・オーネット・コールマン『フリー・ジャズ』
・ギドン・クレーメル&キースジャレット 『TABULA LASA』★★★★★
・エリック・ドルフィー 『IN EUROPE VOL3』
・ジョニ・ミッチェル  『HIJIRA』 

まだ聴き込んでませんが、どれもナイスです。

御免なさい、ヘベレケに酔いながらコレ書いてます。失礼が御座いましたらお詫び申し上げます。
一月中はレポート、テスト三昧ってことで、皆様しばしの御別れを。


チョイト・アディオス 投稿者:  投稿日: 1月10日(土)05時48分56秒

★AOIさん

>ブエノスアイレス生まれって?スペイン語堪能!?

ムムム、、疑っておられるようなので、詩の朗読でも。

Un dia venusinas bajaron en Buenos Aires con unas somrillas claras
De su planeta de hembras caian por los espacios dijiaron Son de menrira!
palomas de propaganda.Y polen en los enaguas.Traian dos ccorazones invctos
en las entoranas,decian Son espejismos,fantasma! puro fantasma!
Y un dia las venusinas volvieron camino a Venus calladas,tristes,y raras
que habitan esta ciudad yjueron las que inventaron los tangos y la nostalgia.

ある日金星から女たちがブエノスアイレスに降りてきた。明るい日傘を持って
女ばかりの惑星から 宇宙空間を落ちてきた。でも誰も信じなかった、
みんな言った、嘘の娘たちだよ!宣伝の鳩だよ!
胸当てに花粉を入れて、ペチコートには太陽を持って、
なんと素敵な金星の女たち!
体内には誰も触れていない心臓を持っていた。
みんな言った、蜃気楼だよ 幻想! まったくの幻想!
深くて 物静かで 悲しげで 不思議な女性たちが彼女らなのだ
彼女たちが発明したのだ タンゴとノスタルジーを

(タンゴは場末の売春宿で娼婦の悲しみから生まれたのです)

>バンドネオンは、もう製作されていないとか。どのようにして手に入れられたのですか?

それはですねー、バンドネオン愛好家のサイトで知り合った方から
イタリア系ポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)の奥様Keiko de Paoliさんという方を
紹介してもらい、両夫妻から御好意で信じられない格安で譲っていただいたのです。
状態によりけりですが、100万〜50万が相場なんですね・・そこを・・(涙)
その後も、教本やスコアを送って頂いたりして感謝することしきりです。
そそ、バンドネオンといえばアルフレッド・アーノルド社製が有名ですが、
僕のはELA社のもので、アルフレッドの親父さんのメーカーなんで古いんです。
調律はしっかりしてるものの、結構ガタきてます・・・(ボタン関係が・・)
何の因果か、八十年巡り巡りって、ロコ(イカレ男)の手に渡るとは・・
なんと哀れなバンドネオン・・・「かに道楽」ではなく「私の隠れ家」でも奏でたいよ・・

>一噌さんの演奏は何回か聴いたことあります。
>能管、田楽笛、篠笛を駆使してバッハもジャズも吹いてしまう貪欲さは、
>ちょっと腺病質な彼が発する駄洒落の対極にあり(笑)。

きぇ〜〜。一噌幸弘でしたら、最近手に入れた吉凶部隊で能楽、田楽笛を演奏してるますぜ。

>能管、田楽笛、篠笛を駆使してバッハもジャズも吹いてしまう貪欲さは、
>ちょっと腺病質な彼が発する駄洒落の対極にあり(笑)。

もう、能管、田楽笛でバッハなんてくりゃー、間違い無く僕の守備範囲でしょう(笑)
一噌幸弘は吉凶部隊でジョン・ゾーンの発明した「コブラ」をやってるわけですが、これって面 白い!

【以下コピペ】

*********************************

《コブラ》
ジョン・ゾーン考案の、ゲームの理論を応用した即興演奏のシステム。
プロンプター(指揮者)の持つ19枚のカードと、
それに対応した演奏者のサインによって音楽が進行する。
演奏者は耳や口に手をやってサインを出し、プロンプターにカードを要求。
プロンプターはカードを出して「曲調を変える」「演奏者を変える」
「今のフレーズをメモリー」などの指令を実行する。楽譜的な指示はないので、
どんな楽器構成でも成り立つ。(演奏者は大体10人位が適当)。
またゲリラシステムというのがあって、
プロンプターの指示から離れたグループを作って曲中に差し込むことができたり、
ルールは結構複雑である。
**********************************
こりゃ、ライブで聴いてこその醍醐味でしょねー。


明けちゃいましたね・・>皆様 投稿者:  投稿日: 1月10日(土)05時45分5秒

★園主さん

実家がネット出来なくなり、下宿先に帰還し、久々に覗きました。
やぱ、実家は良いもんですね、親父や母上の昔話を聞けたのは収穫でした。
僕の爺は母方も父方も早死にしてるんですね。今まで、爺の話は聞いたこと無かったんですが、
これが、なんとなんと両方ともヤクザとつるむ中途半端はチンピラだったようで、
ちとショックでした。母は爺がヤクザと花札やってる最中、外で見張り役をやらされてた話等等、
苦労話のオンパレード。
両チンピラ爺の遺伝子を確実に受け継いでる僕が鬱々ちゃんっての不思議でやんすねー。

>お好きなことで、わざわざご指名がかかったのですから、さぞや頑張られもし、
>楽しかったことでございましょう。学生時代のことを思い出しました(笑)。

そそ、学生時代(今もそうですが/泣)といえば、僕も美術部だったんですよー。
といっても絵を書くことなんかそっちのけで、ガラクタ部室を快適なラウンジに改装し、
悪友と紅茶をすすりながら音楽鑑賞するってな有様で、先生も呆れ顔。
もし園主さんのような厳格な同級生がいらしたら・・・・・(ヒャ〜〜/怖)

>いえいえ、淳さまの書き込みは決して『板汚し』などではございませんよ。
>それは常連のみなさまも認めていることでございますから(笑)。

涙涙・・・

>ええ、焦っても、すぐに解決できるような問題ではございませんからね。
>ただ、自分なりに目をそらさず、誠実に問題に対していくことが大切かと存じます。

僕の大好きなinoさんが他サイトで、「命ずるものは、迷彩服に着替えイラクへ行け!」
という主旨の詩を書かれていて、感銘を受けた僕は、
神崎氏がイラクへ行くというニュースを耳にし、多少「やるじゃないの」と思ったのですが。
園主さんの御教授くださったカキコとリンクを参照し、信じた僕がバカでした。
既に決定事項となっているイラク派兵推進を補強するための、
デタラメな政治的パフォーマンスだと知り、もう公明党は死んだのかもしれません・・(泣)

★ホランドさん

>でも、そんなんじゃ女の子とつきあっても大変なんじゃないですか?
>なーんて勝手に想像を膨らませてしまいますが

・・・図星で御座いますぞー
現在独り身ですが、一昨年から去年にかけてバイト先で知り合った
かなり年上の人妻と不倫関係に落ちちゃいまして、
その方、演劇、絵画、音楽に深い造詣をお持ちでらっしゃるんですね。、
もう僕そういうのってホロホロに弱いんですよ。
男性であれ女性であれ、自分に無い世界を持つ人に限りない尊崇の念を抱くんですね。
だからそんな僕は、「花園」で常連様が文学や絵画、映画、フィギュア等のネタで歓談される
様子をしょっちゅう「花園」の外から羨ましげに覗き見(ROM)しちゃうわけ(笑)

結局、彼女とは破局しましたが、彼女の一言忘れられませんねー。
「あなた、ピーターパン症候群ね」・・・・トホホ。  

>淳さまって、けっこうキャラが立ってるんですよね。

浮いてるといいましょうか・・場違いと申しましょうか・・・
「ヨネスケのとなりの晩御飯」バリの迷惑千万な、珍入者と申しましょうか・・・


『バーディー』をめぐって(6) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時11分42秒


 楽古堂主人さま
 あけまして、おめでとうございます。
 ご挨拶が遅れてしまい、失礼いたしました。

> ・ なんとなく、ご無沙汰している形ですが、ROMはしているのです。
> ・ 他で、いろいろと書いています。
> ・ ここで、書くことがなくなってしまうのです。

 ご活躍のご様子、こちらこそチェックしてなくてゴメンなさい。でも、それぞれが信ずるところを信ずる場所でやることが大切なんだと思います。お互いに頑張りましょうね!


 影姫さま
> 革新的出版のお知らせ

 年頭からすごい本をご紹介下さり、ありがとうございました。
 でも、個人的には、ちょっとあれです・・・。


 アーニャ
> アーニャ、肉球擦り剥く。

 肉球のケガは治ったようだね。よかった(^-^)。でも、おすましアーニャのべそかき顔なら、いちど見てみたかったけどね(笑)。

> ま、とりあえず今夜は寒いから、私が膝の上で丸まって、あっためてあげるわよ。(^0^*(>園主さま)

 次はボクだよ(^-^)。


 園主さま
 無知のゆえに戦場へ行き、ベトナム人を殺し、傷ついて帰ってきたバーディーやアル。彼らを「自業自得」だと責めるのは、やはり酷だと思います。例えば、こないだ話題になったレニ・リーフェンシュタールも「無知」ゆえの「無罪」を主張しました。バーディーやアルたちを、レニとどのように区別 して評価するのか、あるいは、そもそも区別すべきでないのか? 「年齢」の問題、「犯した罪の重さ」の問題、「享受したうま味」の問題などがからんでくると思いますし、その点でボクは、直接「人殺し」をしていないレニに方こそ、むしろ責めたい気がします。彼女はその才能によってヒトラーに取り入ることで、直接的な「人殺し」を免除されたからこそ、戦後、無罪を訴え復権を図ることもできたんですからね。その点、いくら同情されようとバーディーやアルの「人殺し」の罪は、自他にたいして決して消せはしないんですから・・・。

 でも、やっぱり「無知」は罪だと思います。客観的に責任を問えるか否かはべつにして、それは誰よりも本人にとっての罪だから、やっぱり「無知」ではいけないんだと思いますし、現実に目を向けなければいけないんだと思います。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


『バーディー』をめぐって(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時06分5秒


 AOIさま(続き)

> しかし、この映画を観たベトナム人がこうつぶやくのが、私には聞こえてくるようでなりませんでした。「たしかに何の罪もないアメリカ青年が、肉体に、またこころに深く傷を負った。ほんとうに悲しいことだ。戦争さえなければ彼は、幸せに暮らしていただろうに。けれど、彼は何かをしようとベトナムに来たはずだ。なにをしたのか。何をするか知らなかったはずはない。たしかに彼は戦争の被害者だ。しかし、彼はベトナム戦争の加害者だ」と。

 アメリカは明らかに「加害者」でした。でも、ベトナムやベトナム人を、単なる「被害者」と捉えるのもどうでしょう。たしかに政治体制に縁のなかった一般 のベトナム人は、北ベトナム人であれ南ベトナム人であれ「戦争」の被害者だったかも知れません。でも、そうした一般 人も「政治」や「国」や「体制」について、「無知」であり縁遠かったからこそ、「戦争」にかかわらなかったのかも知れません。つまりバーディーの逆パターンです。バーディーはその「無知」ゆえに戦場へ行きましたが、一般 のベトナム農民たちは、「政治」に「無知」であったからこそ、北ベトナムにも南ベトナムにも加担することなく、ただ一方的な被害者になった。「加害者」と「被害者」の違いはあるけれど、どちらも「無知」ゆえに「戦争」の被害者になったという点では同じだとも言えます。ベトナムの大きな被害は、大半アメリカにもたらされたのは事実ですが、でも、ベトナム人どうしの政治体制をめぐる内戦であった事実も忘れてはなりません。アメリカが介入しなければ、被害はここまで拡大しなかったでしょうが、アメリカが介入しなくても「戦争(殺し合い)」はあったということは押さえておくべきだと思います。

> 一本の映画で描くことの限界はたしかにあるでしょう。しかし、描かなければいけないこともたしかにあるはずだと思います。

 そのとおりだと思います。でも、ボクは感想でも書いたとおり、この映画は「戦争映画」ではないんじゃないかと思うんで、ベトナムのこと(加害問題)を描く「必要」があったかどうかは疑問です。

> 友人や親しい人が壊れてしまってから「これから何かを考え、どのように生きていくのか」では、手遅れなんですよね。
> それ以前に、どれだけのベトナム人が血を流し、死んでいったことか。

 そのとおりなんです。でも、ボクたちはいつでも『手遅れ』なんじゃないかと思います。だって、今この時にさえ、ボクたちは他人の犠牲の上に、この生活を送っています。だから、冷たいようでも、手遅れは承知で、やれることをやるしかない。「そんな暢気なこと言って! その間にもたくさんの人が犠牲になっているんですよ」と言われても、だからって直ぐにどうにかできるわけではありませんからね。・・・おなじ理由で、ベトナム人の犠牲のうえに『バーディー』という映画があっても良いと思います。あらゆるものは、そうした犠牲の上に成り立っており、誰の手も、決して真っ白ではありえないんだという大前提さえ見失わなければ。そして、その手の血を濯ぐために、それが必要なものなのならば。





( 以下は「『バーディー』をめぐって(6)」につづく)


『バーディー』をめぐって(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時05分18秒


 AOIさま
>> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪(イントロクイズ/笑)

> ホランドさまにはわからないわよ!(エッヘン!)

> ♪なのにあなたは京都へ行くの
> 京都の町はそれほどいいの
> この私の愛よりもぅ〜〜〜♪
> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪

> ということで、『なのにあなたは京都へゆくの』 BY チェリッシュでした!

 かなり昔の曲ですね。チェリッシュって、結婚式の定番『てんとう虫のサンバ』しか知らないなあー。

> 『現代童話』(全5巻、今江祥智・山下明生編、福武文庫 絶版)について

> 「はせがわくんきらいや」(長谷川集平)以外で、ちゃんと知っているのは、「モチモチの木」(斎藤隆介)と「しばてん」(田島征三)だけでした。(爆)

 ボクは、あそこで挙げた作品、ほとんど忘れてますよ(笑)。「はせがわくんきらいや」は、絵のインパクトが強かったのと、タイトルから内容が推しはかれるのとで、おおおよ記憶してますけど。

>『バーディー』

> かなり前に観た印象で書いていますので、本来ならばもう一度見直してからと思うところですが、かつての印象でいえば、「バーディー」は「国家」「体制」に押しつぶされそうになりながらも抵抗を試みる「個人」を描いていたものとは思えませんでしたね。むしろ、押しつぶされそうになりながらも、抵抗せずにいたがために、深く傷を負った帰還兵だったように記憶しています。

 ボクもそうだと思います。バーディーにしろアルにしろ、「戦争」に行ってもなお、まだ「国家」や「体制」というものについては、ピンときてなかったんじゃないかな。ただ「なんだこれ? こんなはずじゃなかった!」みたいな感じでうろたえているうちに、巻き込まれ、逃げ場を失い、傷ついた。

> 平凡なナイーヴなアメリカ市民である青年が徴兵され、国家に忠誠を尽くし、戦地へ赴き、肉体に、あるいは精神にリカバリできないほどに傷を負い。彼は最後に・・・。とても哀しく美しい話でもあります。

 同様に、バーディーには『国家に忠誠を尽く』すなんて感覚もなかったんじゃないでしょうか? ただアルも行っちゃったし、彼も行かざるを得なくなったから行った・・・みたいな。バーディーは、良くも悪くも「国家」や「体制」とは(主観的には)縁遠い人間でしたから。





( 以下は「『バーディー』をめぐって(5)」につづく)


『バーディー』をめぐって(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時03分29秒


 Keenさま
> アーニャの「やおい師匠」でもあるわたくしに、何を言えというの?「突っ込みが甘い!」とか?ほほほ。

 困ったもんだ(-_-;)。

> あ、ホランドくんの念波のおかげで、温泉出発時に買った「ムーミンズランチ」は「ミイ」でした。これで、10種類+1シークレットが揃いましたわ♪(^0^*

 その後も苦労しておられるようですね。でも「苦労は買ってでもしろ」って言いますし。・・・あっ「若いうちは」でしたね(笑)。

> ほほー、園主さまって、つるんつるんなんだー。ふ〜ん。
> で、ホランドくんは?(ニヤリ)(※←今年は、ひと味違うKeenを目指すわっ♪)

 じゃあ、Keenさまが小説の中で「具体的」に描写して下さいよ。ひと味違うところを見せて下さい(ニヤリ)。

> もともとは、ユーゴ版「トム&ジェリー」みたいなアニメ「ピクシー&ディクシー」から来ているのですよ。このアニメの大ファンだったドラガン少年は、草サッカーの試合中でもTVを見に帰ってしまったとか。彼がいないと勝てないので(当時からずば抜けて上手かった)、不審に思った仲間が自宅をのぞいてバレてしまい、それ以来のニックネームです。

 このエピソード、とっても子供らしくて可愛いですね(笑)。サッカーの才能はあるけど、それを鼻にかけて友だちを見下しているようなガキだったら、イジメてやりたくなりますけど(笑)。

> 「バーディ」本人の態度としては、AOIさまのおっしゃる通り、時勢に流されてしまったのだと思います。私はむしろ、これを「アル」(ニコラス・ケイジ)の物語として観ていました(アルはむしろ、時勢に乗っかったクチですが)。アルの方こそが、バーディを必要としていたのだ、と。
> 確かに、「加害者」という視点がないのは、この作品最大の欠点です。が、兵役忌避したために、バーディの入院先でのボランティアを義務づけられているという青年が、端役で顔を出しています。
> 映画は完結しても、彼らはこれから何を考え、どう生きて行くのか?それを問いかける作品なのだと思いました。

 映画の感想で書いたように、アルやバーディーが『時勢に流されてしまった』ことを、ボクは責めようとは思いません。あれは仕方がなかった。たとえ罪もないベトナム人を殺すようなことになっても・・・と思います。もちろん、殺された方はたまりませんけど、戦争がどういうものかを知らない子供たちが戦場に送られ、そこで殺すか殺されるかという状況においやられた場合、それを他人が責めることは困難だと思います。でも、『バーディー』にも描かれていたとおり「徴兵忌避」をした青年もいたわけです。だからと言って、アルやバーディーの「無知」が悪いと責めるのではなく、「啓蒙」ということの重要性を、ボクはここで確認したいと思うんです。徴兵忌避をした青年と、アルやバーディーとの違いは、彼らに必要な「知識」に接する機会(環境)があったか無かったなという違いだけだったのかも知れません。アルやバーディーだって、近くにそういうことをきちんと教えてくれる大人がいたら、戦争に行かなくても済んだかも知れないと、そう思うんです。だから、ここ「花園」でこういうことを話し合うのは、決して無駄 ではないと思います。たとえ国は動かせなくても、一人の人間を、その「無知」ゆえの悲劇から救うことはできるかも知れないんですからね。

> ハイ、だからこそ今、日本人である私たちも「自らのこと」として映画を受けとめ、現状についてよく考えなくてはならないのだと思います。
> 美老人となった園主さま(未来形)はともかく(笑)、ホランドくんが徴兵されてしまうかもしれない……!

 もちろん、ボクは徴兵忌避をしますよ。戦うべき時は自分で決めます。国にそんなことまで命令されたくはありません。国は、国民を幸せにするための「制度」であり「機構」なんですから、国民に犠牲を強いるなんて本末転倒。ボクらが守るべき国とは「ボクらを守る国」なんだと思います。





( 以下は「『バーディー』をめぐって(4)」につづく)


『バーディー』をめぐって(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時02分36秒


『バーディー』は、評判どおり、「友情」を描いた、とても感じのよい映画でしたね。ただボクは、これは本質的に「戦争映画」ではないんじゃないかと思いました。なら、どうなのかと言えば、それはタイトルにも示されているとおり「この汚い現実に、はたして生きる意味があるのか?(夢想に閉じこもって何がいけないのか?)」ということがテーマなんだと思います。で、戦争とはここでは「汚い現実」を象徴するもの(代表するもの)だったというわけです。だから、Keenさまから指摘があったとおり、この『バーディー』の原作は、ベトナム戦争ではなく、第2次大戦の帰還兵の物語だったわけで、要は「悲惨な戦争体験」なら、戦場はどこでもよかった。ただ、中心的な観客として想定されるアメリカ人の多くにとって、第2次大戦は「正義と勝利と栄光の戦争」ですから「汚い現実」の象徴としては効果 が薄い。その点、ベトナム戦争は効果的だったということなんではないでしょうか。監督が「この汚い現実に、はたして生きる意味があるのか?(夢想に閉じこもって何がいけないのか?)」というテーマについて出した応えは、「君を必要とする人がいるかぎり、君は現実に生きる義務がある」ということなんだと思います。だって、誰ともかかわりなく生きるんなら、現実に生きようが妄想に生きようが、そこにさしたる違いは無いし、不都合もないんじゃないでしょうか。現実とは、つねに他人との関係性の中でだけ問題になるんだと思います。そして、人間というのは基本的に独りでは生きていけないものだから、やっぱりイヤでも現実を生きなければならないということになるんじゃないでしょうか。
 ちなみにニコラス・ケージ演ずるアルが、自閉から回復してくれないバーディーにこう呟くシーンがありました。「昔の戦争には英雄がいた。それがどうだ? 俺たちはジョン・ウェインに騙されたんだ。いいカモだったんだ!」・・・いたずら小僧だったアル、夢見がちの変人だったバーディー。でも、彼らは「いい子」たちだった。そんな彼らがなぜ、ここまで傷つけられなければならなかったのでしょう。もちろん、彼ら自身が「いい子」であるだけではなく「利口」であるべきでした。「騙される」べきではなかった。でも、「子供」にそこまで多くを望むのは、酷なことのように思います。だからこそ、ボクたち「大人」が彼らを守ってやらねばならない。彼らが「現実」の「汚さ」「酷薄」さを知り、それと戦えるようになるまで、彼らを守ってやるのがボクたち「大人」の務めなのではないでしょうか。





( 以下は「『バーディー』をめぐって(3)」につづく)


『バーディー』をめぐって(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 1月10日(土)04時01分4秒

 みなさん、こんばんは! 観ましたよ、『フルメタル・ジャケット』『プラトーン』『バーディー』。

『フルメタル・ジャケット』は、やっぱり、よく話題になる前半の新兵訓練学校の部分が印象的でしたね。新兵を汚い言葉で罵倒し続け、意図的に人間としての尊厳を打ち砕こうとする教育法。これは単に、ハートマン(だったかな?)という教官が個人的に「鬼教官」だったってことではなく、あれは計算されたプログラムなんだと思います。というのも、こないだ読んだ中島らもの『ガダラの豚』のネタ本のひとつで、以前、園主さまにお薦めいただいて読んだ「自己開発セミナー」にかかわる「洗脳」についての本に、同様の(洗脳)手法が紹介されてたからなんです。
 でも、通称「デブ」って呼ばれた新兵がおかしくなって、ハートマンを射殺してしまうところの演出が、まま『シャイニング』だったのはいただけませんでしたね。中盤から後半にかけてのベトナム戦争のシーンは、かなりリアルな感じがしましたが、映画としては盛り上がりにかけて、前半のインパクトに比べると、やや尻すぼみの印象をうけました。

『プラトーン』はニ度目なので、最初に観た時ほどのインパクトはありませんでしたけど、やっぱり全体としてよく出来ている映画だと思いました。それにしても、エリアス軍曹役のウィレム・デフォーはカッコ良かった。チャーリー・シーン演ずる新兵クリスと、ジャングルのなかで星空を見上げながら「この戦争は負けるだろう。わが祖国はあまりにも傲慢すぎた。その罰がそろそろ当る頃だ」と予言的な言葉を静かに語るシーンはとても素敵でしたし、逆に、敵のうようよいるジャングルのなかを独りで疾走するシーンは、良い意味での「戦士」としての魅力に満ちていました。また、その後、ジャングルのなかで仲の悪いバーンズ軍曹(トム・ベレンジャー)と出会い、友軍兵の姿に思わずニコリと微笑むんですが、次の瞬間、バーンズの殺意を読み取って、さっと笑みが消えるというシーンの演技はとても良かったし、バーンズが撃ち殺して置き去りにしたはずのエリアスが、森のなかから大勢のベトナム兵に追われ、ぼろぼろになりながらも必死で友軍のヘリに助けを求めながら駆け出してきて、結局は殺されちゃうシーンは、とてもショッキングでした。映画のポスターにもつかわれた有名なシーンですが、力つきて跪き、空を仰いで両腕を天に向かってさしのべる姿は、「エリ エリ レマ サバクタニ( 神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか)」と叫んだ磔刑のキリストを二重写 しにさせる、すごいシーンだったと思います。このシーンがあったからこそ、ウィレム・デフォーは、後に「人間キリスト」を描いて物議をかもした『最後の誘惑』で、イエス・キリストを演じることになったのだとも思います。ちなみに特典映像で知ったのですが、オリバー・ストーン監督は、エリアスをアメリカ先住民、つまりインディアンの血を引く者として描いていたようですね。たぶんそれは「誇り高き戦士」でありながら、同時に圧倒的な暴力に抗しえなかった「宿命論者」として、エリアスを描いたということだと思います。
 このほか印象的だったのは、クリスたちの小隊がカンボジア国境付近の小さな村に入った際、銃を突きつけても素直に言うことをきかない村の若者に、クリスは自分がなめられ馬鹿にされていると思って苛立ち、機関銃を若者の足元に乱射して脅しつけながら、自分の方が悔し泣きしてしまうというシーンでした。これは、貧しく無学な他の兵隊たちとは違い、高等教育をうけながらも「戦争を貧しい人たちに押し付けるのはアンフェアだ」としてあえてベトナムに志願した、良心的で知的なアメリカの若者であるクリスの中にさえ存在した「蔑視」というものをよく表現したシーンだと思います。この映画は、かなりの部分、監督の体験をそのまま映画化しているみたいですから、これもたぶん実話なんじゃないかと思いました。





( 以下は「『バーディー』をめぐって(2)」につづく)


革新的出版のお知らせ 投稿者:影姫  投稿日: 1月10日(土)02時11分5秒

みなさんこんばんは。

実は「ポット出版」から「日本のゲイ・エロテック・アート」シリーズが
刊行開始されました。
三島剛、船山三四等名のみ高いがもう実際に観る機会がほとんどなくなっ
ってしまった「男絵」の世界が濃厚に甦ります。ゲイ映画ややおいに興味
のある人は必見の画集でありましょう。わたしもさっそく注文しました。
興味のある方はお早めに。恐らく初版で完売でありましょう。

詳しくは↓  ↓

http://www.tagame.org/shop/contents/jgea1.html


寒中お見舞い。 投稿者:アーニャ  投稿日: 1月 9日(金)23時30分8秒

>昨年暮れに発売されたネコ語翻訳機(商品名「ニャウリンガル」)

アリョーシャ、これ、「ミャウリンガル」の間違いじゃないかしら?

>やっぱり「父親としての愛」という立場しかないのか……。そこまでの年齢差はないんだがなー(-_-;)。

ということは、アリョーシャの方は、まんざらでもないってわけね。フフフ♪
どういう展開になるのかしらねー?
案外、すでに噂を聞きつけたしをんさまが、ロムなさってたりして……

ま、とりあえず今夜は寒いから、私が膝の上で丸まって、あっためてあげるわよ。(^0^*
「一念館」の暖炉の火って、暖かいわねえー。フフフ♪
それでは皆さま、お休みなさい。
にゃあ〜♪


ちょっと焦ってます。 投稿者:Keen  投稿日: 1月 9日(金)20時03分43秒

☆AOIさま

>友人や親しい人が壊れてしまってから「これから何かを考え、どのように生きていくのか」では、手遅れなんですよね。
>それ以前に、どれだけのベトナム人が血を流し、死んでいったことか。

ハイ、だからこそ今、日本人である私たちも「自らのこと」として映画を受けとめ、現状についてよく考えなくてはならないのだと思います。
美老人となった園主さま(未来形)はともかく(笑)、ホランドくんが徴兵されてしまうかもしれない……!

>もう一度、ビデオ観てみますね〜。

私も、近日中にDVD観ますね〜。

☆園主さま

怒っちゃ、ダメよ〜。(^0^*


おはようございます。 投稿者:AOI  投稿日: 1月 9日(金)09時12分45秒

外出前に(苦笑)

☆Keenさま

>兵役忌避したために、バーディの入院先でのボランティアを義務づけられているという青年が、端役で顔を出しています。

そう、そう、そういうシーンもありました。

>映画は完結しても、彼らはこれから何を考え、どう生きて行くのか?それを問いかける作品なのだと思いました。

そのように意味づけをしたから、あえて「秀作」と言ったんですけれどもね。

友人や親しい人が壊れてしまってから「これから何かを考え、どのように生きていくのか」では、手遅れなんですよね。
それ以前に、どれだけのベトナム人が血を流し、死んでいったことか。

もう一度、ビデオ観てみますね〜。
「ファニーとアレクサンドル」も返す前に観なくっちゃ。


私も、外出前に。 投稿者:Keen  投稿日: 1月 8日(木)15時00分34秒

☆AOIさま

>『バーディ』

「バーディ」本人の態度としては、AOIさまのおっしゃる通り、時勢に流されてしまったのだと思います。私はむしろ、これを「アル」(ニコラス・ケイジ)の物語として観ていました(アルはむしろ、時勢に乗っかったクチですが)。アルの方こそが、バーディを必要としていたのだ、と。
確かに、「加害者」という視点がないのは、この作品最大の欠点です。が、兵役忌避したために、バーディの入院先でのボランティアを義務づけられているという青年が、端役で顔を出しています。
映画は完結しても、彼らはこれから何を考え、どう生きて行くのか?それを問いかける作品なのだと思いました。

以上、推薦人のくせに、私も記憶の範囲で書いてます(苦笑)。
『ミッドナイト・エクスプレス』『ミシシッピ・バーニング』は、もっと記憶薄いです★


外出前に。 投稿者:AOI   投稿日: 1月 8日(木)10時05分50秒

☆Keenさま

>『バーディー』

かなり前に観た印象で書いていますので、本来ならばもう一度見直してからと思うところですが、かつての印象でいえば、「バーディー」は「国家」「体制」に押しつぶされそうになりながらも抵抗を試みる「個人」を描いていたものとは思えませんでしたね。むしろ、押しつぶされそうになりながらも、抵抗せずにいたがために、深く傷を負った帰還兵だったように記憶しています。
平凡なナイーヴなアメリカ市民である青年が徴兵され、国家に忠誠を尽くし、戦地へ赴き、肉体に、あるいは精神にリカバリできないほどに傷を負い。彼は最後に・・・。とても哀しく美しい話でもあります。
彼が深くこころに傷を負ったことがどういうことであったのかということを想像することは決して難しいことではありません。(だから、そこはあえて描かなかったということもいえるでしょう)
しかし、この映画を観たベトナム人がこうつぶやくのが、私には聞こえてくるようでなりませんでした。「たしかに何の罪もないアメリカ青年が、肉体に、またこころに深く傷を負った。ほんとうに悲しいことだ。戦争さえなければ彼は、幸せに暮らしていただろうに。けれど、彼は何かをしようとベトナムに来たはずだ。なにをしたのか。何をするか知らなかったはずはない。たしかに彼は戦争の被害者だ。しかし、彼はベトナム戦争の加害者だ」と。
一本の映画で描くことの限界はたしかにあるでしょう。しかし、描かなければいけないこともたしかにあるはずだと思います。
以上、記憶の範囲で。
なお、「ミッドナイト・エクスプレス」、「ミシシッピー・バーニング」にも不満あり(笑)。


「黒孔庵幻灯会」の前に。 投稿者:Keen  投稿日: 1月 7日(水)09時16分10秒

>もちろん『バーディー』で扱われるエピソードも「ベトナム症候群」のひとつでございますし
>もし戦争体験によって自分の殻に閉じこもってしまった『バーディー』の主人公が、ベトナムではなくアフガニスタンやイラクに行っていた(空軍の兵士だったな)らどうなっていたのか。……これは、考えてみる価値のある問題だと思うのでございます。

『バーディ』は、実は原作では、第二次世界大戦後の話なのだそうです。
アラン・パーカーは、それを「ベトナム後」に置き換えたわけですね。
それと、アラン・パーカーは英国人です。ご参考までに。


バランス(7) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時11分41秒


 Keenさま(つづき)

『「国家」「体制」といったものに押しつぶされそうになりつつも、抵抗を試みる「個人」を描く』ことを評価する人間であるならば、我々は「体制順応派」であってはなりません。「感動的な物語」にすがりつき、それを手放しに賞賛することで満足するのではなく、その向うに伏在する現実を直視しようとする者こそが、『「国家」「体制」といったものに押しつぶされそうになりつつも、抵抗を試みる「個人」』を描いたアラン・パーカーの「真の理解者」なのではないでしょうか。
ユダヤ人絶滅収容所の、あるドイツ人所長は、勤勉実直かつ相当な教養人で、日々クラッシック音楽と文学を嗜む一方、収容所の所長としての仕事もたいへんよくこなして「数字」を上げた、という話がございます。同様に、『バーディー』を見て感動の涙を流した後、ニュースを見て「せっかく民主主義と自由経済を薦めてやったのに、それに反抗するような恩知らずの中東のイスラム教国など、うむを言わさず片っ端から、どっちが正しいのか、爆弾で教えてやればいいんだ」などというアメリカ人を、あるいは『ミシシッピー・バーニング』に感動した後、世間話に「あそこは朝鮮人部落だから、柄が悪い」などと言う日本人を、アラン・パーカー(であれ、オリバー・ストーンであれ、スタンリー・キューブリックであれ)は、決して「真の理解者」だとは思わない、思いたくはないことでございましょう。

> 「デカレンジャー」って、もしかして、「刑事(デカ)」なの……?(恥)

それが中心的な意味でございましょうね。裏の意味も無いとは申しませんが(笑)。


 ホランド
中井英夫関連、最新情報を2つ。

 (1) 講談社文庫版『虚無への供物』は、2分冊になって完全リニューアル決定。
 (2) 「永遠の薔薇 中井英夫へ捧げるオマージュ」展に、司修が参加。

それと、明日の「黒孔庵幻灯会」、よろしく。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


バランス(6) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時10分35秒


 Keenさま
> アンラッキー
> ラッキー

「両方」があって「普通」なのでございますよ。比率の問題はあるにせよ、誰しも片方だけではありえません(笑)。

>>「羊の腿肉」

> ……トリプってしまいました。ああ、「ハイジ」と「釣りのスナフキン」の呪いが、再び……?一応、「白の王様」が1コはさまってはいるのですが。(※この後買い物に出かけ、「4コ目」が……)

本物なら、美味しくいただけますのにね(笑)。

>>『えっち』って言う人の方が、もっとえっちなのでございます(笑)。

> そのご期待にお応えできるよう、精進致したいものと存じます。(※すでに構想中♪)

ぜひ、期待にお応え下さいまし(笑)。

> ハイ、皆が走って逃げている時に、賢ちゃんだけが石に蹴つまずいて、もしくは川にはまって(※『薔薇迷宮』参照/笑)捕まってしまい、その隙に他の人はまんまと逃げ果 せてしまう……という展開になりそうで、私も心配でございます。(←愛です、愛。)

問題は、捕まることそのものではなく、捕まることによって「人殺しはしない。戦争にはいかない。逃げる」と断言した言葉が、根底から覆される点でございます。捕まっても、なお賢ちゃんは「人殺しはしない。戦争にはいかない」言い続けるだけの根性があるかどうか……。自分の公言したことを翻したら、誰よりも傷つくのは賢ちゃん自身でございましょう。そんな目にはあわせたくないのでございます。

>>「バーディー」はKeenさまもお奨めのとおり、秀作だとは思いますが、ベトナム戦争の加害者としての部分がすっぽり抜け落ちているんですね。「アメリカにとってのベトナム戦争観」がぬ ぐえないと思えます。あえて、そのように描いたということも言えないこともありませんが。(<AOIさま)

> 一本の映画で全てを描ききることは、(不可能ではないにしても)神業に等しいでしょう。
> 初期のアラン・パーカーは、「国家」「体制」といったものに押しつぶされそうになりつつも、抵抗を試みる「個人」を描くことに努めていたように思われます。「ミッドナイト・エクスプレス」「ミシシッピー・バーニング」然り。「エンジェル・ハート」も、タイプは異なりますが。また、あの名作「小さな恋のメロディ」の脚本がアラン・パーカーだったと、つい最近知りました。「エビータ」など比較的新しい作品は未見ですが、「アンジェラの灰」も抵抗する個人、ではありますね。

以前にも書きましたとおり『ミシシッピー・バーニング』は、私の大好きな作品でございます。たしかに現実を見れば、あの映画は大甘の理想主義映画だと申せましょうが、そうした「理想主義的な勧善懲悪」のドラマが、人の心に与える「善的影響」は決して無視しえないものだと存じます。ですから、

> 一本の映画で全てを描ききることは、(不可能ではないにしても)神業に等しいでしょう。

というのは、そのとおりなのでございますが、それは同時にどんな作品にも「負の面 」「欠けている面」があることの証とも申せますし、それがあるのならば、我々はそこにも目を向けるべきでございましょう。そうでなければ、人は「非現実的な理想主義」に感動する一方、現実生活では「理想主義」に見向きもしないといった「功利的な生き方」を選んでしまう怖れがございます。『プラトーン』や『フルメタル・ジャケット』や『バーディー』や『ミシシッピー・バーニング』を生み出したのもアメリカなら、それを生み出さずにはいない現実を歩んできたのもアメリカですし、そうした映画に感動したのもアメリカ人なら、その語るところを再び反古にしているのも同じアメリカ人でございます。そして、同じことは日本人にも申せます。





( 以下は「バランス(7)」につづく)


バランス(5) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時07分13秒


 楽古堂主人さま(つづき)

> ・ しかし、今年は正念場でしょう。
> ・ 小生も干支にちなんで、「ミザルキカザルイワザル」ではなくて、「飛耳長目」のサルでありたいと思っています。

そうでございますね。今年とは言わず、ここ5年が日本に住む我々にとっての『正念場』だと存じます。

しかし、私は独り身ですし、今のところ子どもを作る予定はございませんから、言ってみれば、最長であと40年、なんとか最低限「自分に恥じない生き方」ができれば「それで良い」とも申せます。しかし、楽古堂さまのように、子どもさまがいらっしゃる場合、現実問題として、そうはいきません。今後、日本がアメリカに追従して世界各地に派兵したり、戦争資金協力したりすれば、それはすべてお子さまや未来のお孫さまの生活や安全に直結してくるのでございます。
徴兵制が復活すれば、子どもさんたちが人殺しをしなければならなくなりますし、志願制を永続させようと思えば、今以上に「金を出せ」という話になるでしょう。誰だって、安月給で戦場に行きたいとは思いませんからね。

「憲法(9条)改正論議」「自衛隊法改正」「国旗国家法制定」「個人情報保護法(マスコミ規制法)案」「有事法制」「教育基本法改正案」「反テロ法制定」「自衛隊派遣特別 法制定」「武器輸出三原則の見直し」と、ここ数年の日本の流れを見れば、この先に待っているのが「非核三原則の見直し」や「靖国神社の国営化」、そして「憲法改正」による第9条「戦争放棄」条項の放棄を経て「自衛隊の廃止と、陸海空三軍の発足」といったものであるのは、歴然としておりましょう。まだ気がつかない日本人はいたとしても、かつて日本軍に蹂躙された東アジアの人びとは、もはやその流れを確信する段階にいたっているのが、日本の「現状」なのでございます。

もう私は41歳ですから、この先、日本が戦争に参加したとしても、兵隊にとられることはございません。四十過ぎのオヤジが軍隊にとられる時は、日本のニ度目の敗戦が確実になった時でございましょう。ですが、今の子どもさんたちの場合、戦争になれば、次の「三つの道」しか残されておりません。

 (1) 戦争に反対して、牢屋にぶちこまれる(時には、そのまま殺される)。
 (2) 戦争に行って(協力して)、見知らぬ他国民と、殺しあいをする。
 (3) 偉くなって、他人を戦争へ行かせ、自分は国内で指揮命令する側にまわる。

私たちにできることは限られております。しかし、それができるのも、今だけかもしれません。国が本気になれば、我々から「発言の機会」を奪うことなど造作もございません。「非国民(戦争非協力者・戦時法違反者)」を理由に、プロバイダーに対し「合法的」圧力をかければ、一発なのでございます。つまり「戦争」になってからでは、遅いのでございます。





( 以下は「バランス(6)」につづく)


バランス(4) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時06分23秒


 楽古堂主人さま
あけましておめでとうございます。

> ・ なんとなく、ご無沙汰している形ですが、ROMはしているのです。
> ・ 他で、いろいろと書いています。
> ・ ここで、書くことがなくなってしまうのです。
> ・ 今年も、よろしくお願い申し上げます。

ご活躍を、およろこび申し上げます。
書き込みができないことでお気を使っていただく必要はございませんが、「花園」では「花園」でしか書けないことを書いていただければと存じます。じっさい、他所では書けないネタは多いはずでございますよ(笑)。
今年もよろしくお願いいたします。

> ・ 日蓮を読んでいて、「守護国家論」に次の言葉を見付けました。
> 「本地久成の円仏はこの世界にましませり。この土を捨てて何れの土を願うべきや。故に法華涅槃を修業する者の所住の処は浄土と想ふべし。何ぞ煩はしく他処を求めんや」
> ・ もちろん、ご存じでしょうが、年頭の所感と対応すると思います。
> ・ この世界しかないということです。

そのとおりでございます。日蓮は「生きている間に、真面目に働き、御仏に縋って念仏を唱えれば、死後の極楽往生が保証される」とした既成宗派が、そうした教えによって農民を思想的に隷属させようとした権力者と結びついていた点を厳しく非難し、「人は死んでから幸せになるのではない。仏法は、人間が生きたまま幸せになれる即身成仏を説いた法なのである」と主張いたしました。つまり「死後の極楽とはまやかしである。今此処こそが大切なのだ」と現世利益の重要性を説いたのでございます。

> ・ 「本地久成の円仏」とは、(宗教的には難しい問題なのでしょう。教えを請いたいと思いますが、今は)単純に肉体を持って、この世界に存在していた釈迦その人と理解します。

これは学説的に解釈の分かれるところでございましょうが、少なくとも日蓮は『この世界に存在していた釈迦その人』が『本地久成の円仏』そのものなのではなく、『本地久成』つまり「宇宙開闢の瞬間」に存在していた「円仏(=すべてを具えた、究極の仏)」の「ある時代の(仮の)姿」が釈迦だと捉えていた、と記憶いたします。つまり、『この世界に存在していた釈迦その人』が生まれる以前にも当然「世界」は存在しており、その「世界」の『本地』の中心的存在、一にして全なる仏こそが『本地久成の円仏』という言葉の意味なのだと存じます。……しかし「(創価学会の)教学」には、あまり興味が無かったので、ほとんど「我見」なのではございますが(笑)。

> ・ 宗教者であることを明らかにしたことで、今までの批評家田中幸一の言説の分かりにくかった部分が第三者にも、ずいぶんはっきりと焦点を結んだと想います。

そうでしょうか? そうかも知れません。ですが、そもそもそこまで興味を持ってくれる人が、何人いますことやら(笑)。

> ・ 宗教、政治、(広義の)文学の三つの分野で活躍されると思いますが、小生の希望としては、文学も忘れないで頂きたいと思っています。
> ・ バランスの取れた活動を、期待しております。

難問でございますね、何が『バランスの取れた活動』なのか?
信仰者にとっては「宗教」は根源問題であり、日々「政治的」に命の危険にさらされている人たち(イラク人、パレスチナ人など)にとっては「政治」は死活問題であり、先進国において豊かで安全な生活を保証された文学ファンの多くにとっては「文学」は日々の喜びの中心でございますからね。これらについて、どこででも通 用する『バランス』などというものが、はたして存在しえるものなのでございましょうか? 多様な価値をもつ多様な他人をすべて納得させるような、客観的に妥当な『バランス』などというものが。
私には、これはけっこう人間の根源的な問題のように思われます。「人は、なぜ、何のために生まれてきたのか」「価値ある生とは何か」といった問題でございます。





( 以下は「バランス(5)」につづく)


バランス(3) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時05分20秒

 AOIさま(つづき)

> 「バーディー」はKeenさまもお奨めのとおり、秀作だとは思いますが、ベトナム戦争の加害者としての部分がすっぽり抜け落ちているんですね。「アメリカにとってのベトナム戦争観」がぬ ぐえないと思えます。あえて、そのように描いたということも言えないこともありませんが。

そうでございます。『プラトーン』『フルメタル・ジャケット』『バーディー』など、アメリカの「ベトナム反戦映画」は、「ベトナムに行ったアメリカの若者たちの悲劇」を通 して「反戦」を訴えており、その彼らによって殺された「ベトナム人の悲劇」は、「汚い戦争(戦場)」の描写 と、殺されていくベトナム人への同情以上のものではありえないと思われます。つまり「僕らも彼らも、おなじ被害者なんだ」ということで「加害者意識」が希薄なのでございます。
ベトナム戦争は、当時、国防長官であったロバート・マクナマラの名前を取って「マクナマラの戦争」と呼ばれたこともある(イラク戦争を「ブッシュの戦争」と呼ぶように)のでございますが、このマクナマラが戦後「ベトナム戦争は間違いだった」とする回顧録を出して、たいへんな物議をかもしたのでございますが、しかし、その「間違い」とは「アメリカにとって間違いだった」「すべきではない戦争だった」という意味であり、決して「戦争」行為そのものを批判・反省しているわけではございませんでした。当然「ベトナム人に対して、一片の謝罪もない」というのは、チョムスキーが指摘しているとおりなのでございます。つまり「あれはアメリカが参加する値打のない戦争だった」というのが、マクナマラの意見の根本認識なのでございます。
これと同じで、アメリカ人の「ベトナム反戦」は、どこか「ベトナム戦争は、アメリカにとって悪の戦争だった」というニュアンスがつきまとい、根源的な「戦争」批判にはなっておりません。ですからこそ、多くのアメリカ国民は(「ベトナム化」を危惧しながらも)「アフガン空爆」や「イラク侵攻」を簡単に支持してしまうのでございます。

しかし、これは何もアメリカに限ったことではございません。日本人とて大半の者は、「原爆を落とされた」「天皇と国に騙された」といった被害者意識はあっても、「従軍慰安婦」問題や「歴史教科書」問題、「日の丸・君が代」問題など、加害者意識にかかわる部分では、たいへん意識が低いと申せましょう。決して、アメリカ人の意識の低さを、馬鹿にできる立場にはないのでございます。

ですから「ベトナム反戦映画」を観るという行為には、「戦争」を「(仮定的に)自分の問題」として考える場合の、「可能性」の問題であり、「限界」の問題がからんでくると申せましょう。「歴史の記憶はいずれ消えてしまうから、人は戦争の是非を論理的に判断できるよう論理的思考力を身につけることこそが大切だ」とした大西巨人の意見には、「想像」「共感」「同情」(と、それへの依存)の限界ということも、きっと含まれていたのでございましょう。





( 以下は「バランス(4)」につづく)


バランス(2) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時04分17秒

 AOIさま(つづき)

>> 『フルメタル・ジャケット』『プラトーン』『バーディー』の順に3本で「ベトナム戦争映画特集」といたしましょう。
>> 「戦場へ(兵士教育編)」「戦場で」「戦場からの帰還後」という時制順でございます。

> なるほど。「バーディー」の欠点を補うセレクトだと思います。
> 「バーディー」はKeenさまもお奨めのとおり、秀作だとは思いますが、ベトナム戦争の加害者としての部分がすっぽり抜け落ちているんですね。「アメリカにとってのベトナム戦争観」がぬ ぐえないと思えます。あえて、そのように描いたということも言えないこともありませんが。

これも偶然なのですが、すでに買ってあったベトナム戦争関連の本2冊(『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』『ベトナム症候群 超大国を苛む「勝利」への強迫観念』、ともに松岡完・中公新書)を、先日読んだところですので、本当にちょうど良いタイミングでございました。
『プラトーン』は廉価版が出てたので、前々からを買おうと思っていたもので、今回『フルメタル・ジャケット』の1350円売りの廉価版を見つけたため、この際にと、併せて購入したものでございます。もちろん『バーディー』は、以前Keenさまにお薦めいただいて購入しておきながら、半年近く放置していたもので、今回、

> 『フルメタル・ジヤケット』にはマシュー・モディンくんも出演してますから、もう1作、ということなら、ぜひアラン・パーカー監督『バーディ』を!(^0^*

と3本目にお薦めいただき、はじめて「ベトナム戦争もの」だというのを思い出したような次第でございます。

もともと私は「戦車」が好きでしたし、「戦争」というものには興味がございました。なんどか言及いたしましたとおり、私が最初に書いた本格的な評論文は『偉大なる夢への儚き抵抗 江戸川乱歩と戦争』と題するものでもございました。
しかし、今回『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』『ベトナム症候群 超大国を苛む「勝利」への強迫観念』の2册を読んだのは、「戦争」そのものへの興味と言うよりも、「9.11」以降に私の重要テーマとなった「アメリカ」(あるいは「アメリカの戦争」)に関するものとしてでございます。1962年生れの私にとって、(長く見積もって)1960年から1975年まで続いた「ベトナム戦争」は、知っているようで知らない戦争でございました。しかし、ベトナム戦争は、アメリカ「国民が支持しなかった戦争」であり、アメリカにとって「初めての負け戦」として、大変に重要な意味をもつ戦争だということは、「ベトナム反戦映画」と言ってよい『プラトーン』や『フルメタル・ジャケット』などの存在からも承知しておりましたから、ひととおりの「通 史」くらいは読んでおかないと、と思っていたのでございます。

もちろん『バーディー』で扱われるエピソードも「ベトナム症候群」のひとつでございますし、現在のアメリカが、敵の死体を見ないですむ「戦争の遠隔化(ゲーム戦争化)」を薦め、味方に被害の出やすい「地上戦」を避けて「空爆」という戦術を重視しているのも、すべて「ベトナム戦争」の「負の遺産」である「ベトナム症候群」に含まれます。悲惨な戦争体験だったからこそ「戦争を止めよう」ではなく、「悲惨と感じない戦争をやろう」という方向にアメリカは進んできたのでございますね。ですから、(『バーディー』は未見でございますが)もし戦争体験によって自分の殻に閉じこもってしまった『バーディー』の主人公が、ベトナムではなくアフガニスタンやイラクに行っていた(空軍の兵士だったな)らどうなっていたのか。……これは、考えてみる価値のある問題だと思うのでございます。





( 以下は「バランス(3)」につづく)


バランス(1) 投稿者:園主  投稿日: 1月 7日(水)02時02分8秒

みなさま、本日は、友人からの電話で聞かされた話をご紹介いたしましょう。
私たちの共通の友人である本好き・二十代中盤・ネコと同居、のある女性(この掲示板にも何度か登場)が、昨年暮れに発売されたネコ語翻訳機(商品名「ニャウリンガル」)を購入したそうでございます(実際に購入したのは、お母上だったか?)。私はぜんぜん知らなかったのでございますが、ネコ語翻訳機に先立つ1年前に、イヌ語翻訳機(商品名「バウリンガル」)発売されてヒット商品になっており、今回はそのネコ・バージョンというわけでなのございます。で、実際に使ってみた感想はと申しますと「子猫の時ならいざしらず、犬とはちがって、ネコはめったに鳴かないので、ほとんど使う機会がない」とのことだったようでございますね。たしかに言われてみれば、そのとおり。ネコを飼っていない……じゃなかった……人語をあやつるネコしか飼ったことのない私でも「歳とったネコは、ふてぶてしいくらいに堂々としてて、犬のようにしじゅう鳴いたり吠えたりしないし、そもそも飼い猫なら、飼い主がネコが要求する前に日課的に必要な対応はするだろうから、ほとんど鳴く必要はないからなあ」と納得させられたのでございます。たぶん、この翻訳機はネコの鳴き声を録音し、それを『満足・恐怖・ピンチ・威嚇・要求・自己表現・求愛(さかり)』といった風に大雑把に分類して翻訳するのでございましょうが、いつ鳴くかわからないネコのそばで、一瞬を逃すまいと、ずっと翻訳機を構えておくようなことは、ふつう出来ませんし、かと言って、無理やり鳴かせようとすれば、翻訳された感情は「威嚇(怒り)」で「うるさいなあー、もう!」に決っているのですから……翻訳の必要などございませんよね(笑)。
でも、つい「面白そうだな」と思う気持ちはよくわかりますし、ネコ好きの方が、自分の翻訳能力の方に自信を持ちつつ「機械でどれくらいやれるか、試してやろうじゃないの」って気になるのも、たいへん良くわかるところでございます(笑)。

それにしても「ネコ語翻訳機」とは、本当に二十一世紀なのでございますなあー(しみじみ)。





 AOIさま
>> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪(イントロクイズ/笑)

> ♪なのにあなたは京都へ行くの
> 京都の町はそれほどいいの
> この私の愛よりもぅ〜〜〜♪
> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪

> ということで、『なのにあなたは京都へゆくの』 BY チェリッシュでした!

その歌、存じ上げません。歌を聞けば思い出すかも知れませんが、すくなくとも歌詞だけでは憶えがない。……それに、出だしが『♪る−るるるる−』でなければ、『イントロ』クイズにならないのでは?(-_-;)

>>↑のお見合い大作戦、AOIさま、どう思われます?(^0^*(< Keenさま)

> すでに、深く静かに潜行・・・な〜んて、ないか(^-^;)?
> おふたりとも鉄壁・受け身なんだろうから妖精が必要かも・・・とおもったり。そのくせ、恋の橋渡しなんて死ぬ ほどイヤじゃないかなと思ったり。

若い頃は人の紹介なんて嫌でございましたが、最近はそれもオーケーという感じになりました(笑)。でも、すこし気づくのが遅かったようでございますね。最近は紹介や橋渡しなんて、ぜんぜんございませんから(泣)。

ちなみに、三浦しをんさまには「意中の人」がおられる模様でございますよ。でも、まだ告白し(きれ)ていないような感じで、今のところ「片思い」だから、異性には縁がないをおっしゃっているようでございます。したがいまして、私を紹介して下さっても、ほとんど可能性は……。

『 などと言ってるうちに、残りのページも少なくなってきた。そんな……これから切ない恋の話をしようと思っていたのに! もう何年も片思いをしている相手に、どさくさに紛れて「ラブです」と何回目かわからない告白をしたら、あっさり無視されてこれまた何回目かわからない失恋をした話、とか。
 やはり「ラブです」なんてアンポンタンじゃない決めぜりふで、どさくさに紛れずビシッと思いの丈をぶつけてやるべきなのかしら。真剣になればなるほど、十代男子のように照れて三枚目になってしまう己れの性格が憎い。』(「この恋はなにに似てる?」より、『人生激場』所収)

やっぱり「父親としての愛」という立場しかないのか……。そこまでの年齢差はないんだがなー(-_-;)。





( 以下は「バランス(2)」につづく)


ラッキー♪ 投稿者:Keen  投稿日: 1月 6日(火)18時34分32秒

今日になって、文書が修復できましたっっっ!!!
一日遅れで、投稿しますねー。(^0^*

☆園主さま

>「羊の腿肉」

……トリプってしまいました。ああ、「ハイジ」と「釣りのスナフキン」の呪いが、再び……?一応、「白の王様」が1コはさまってはいるのですが。(※この後買い物に出かけ、「4コ目」が……)

> 『フルメタル・ジヤケット』『プラトーン』『バーディー』の順に3本で「ベトナム戦争映画特集」といたしましょう。
>「戦場へ(兵士教育編)」「戦場で」「戦場からの帰還後」という時制順でございます。

完璧なダンドリですねー。『ダンドリくん』ってマンガも、ありましたね。

>『えっち』って言う人の方が、もっとえっちなのでございます(笑)。

そのご期待にお応えできるよう、精進致したいものと存じます。(※すでに構想中♪)

>賢ちゃん、すこしは考えているのでしょうかねえ? 自分が逃げ出すタイミングくらいは何とか……。いかにも逃げ遅れそうなタイプでございますから、心配でございます(笑)。

ハイ、皆が走って逃げている時に、賢ちゃんだけが石に蹴つまずいて、もしくは川にはまって(※『薔薇迷宮』参照/笑)捕まってしまい、その隙に他の人はまんまと逃げ果 せてしまう……という展開になりそうで、私も心配でございます。(←愛です、愛。)

☆AOIさま

>(「賢の君」を)「花園」でお待ち申し上げていると風よ!つたえて!
>まづは、「しをんの姫君」と「幸の君」との妄想炸裂草紙を鬼印式部さまに書いていただきたいですわ。

現状では続きを書こうにも書けないので、「作中で「幸の君」と「賢の君」を結婚させて、強引に既成事実を作ってしまいませうか」とも言っていた式部さんですが、何やら良い案が浮かんだようです。お楽しみに……(^0^*

>・・・深い縁で結ばれているから、成り行きに任せておいても大丈夫?(笑)

そうですわね。私が過去に出会った方々も、誰のおせっかいでもない、不思議なご縁でしたもの。こうして、インターネットという公共の場で語りあっているだけで、すでに充分「お仲人」しているのかもしれません(笑)。

>だんだん、スキになっちゃいそうよ。PIXY。

お薦めは、木村元彦『誇り──ドラガン・ストイコビッチの軌跡』、『悪者見参──ユーゴスラビアサッカー戦記』(ともに集英社文庫)。単なるタレント本ではなく、サッカーを切り口とした「ユーゴ事情本」となっています。お気が向かれましたら、どうぞ。(^0^*
なお、今ちょっと読み返してみたら、「PIXY伝説」に記憶違いがありました。代表試合ではなく「ACミラン×レッドスター・ベオグラード戦」で、コスタクルタもその場にいましたが、世界最高のディフェンダーと言われていたのは、マルディーニ(※こちらもミランで現役)でした。(爆)

>「バーディー」の欠点を補うセレクトだと思います。

うーむ、ナルホド。

>「バーディー」はKeenさまもお奨めのとおり、秀作だとは思いますが、ベトナム戦争の加害者としての部分がすっぽり抜け落ちているんですね。「アメリカにとってのベトナム戦争観」がぬ ぐえないと思えます。あえて、そのように描いたということも言えないこともありませんが。

一本の映画で全てを描ききることは、(不可能ではないにしても)神業に等しいでしょう。
初期のアラン・パーカーは、「国家」「体制」といったものに押しつぶされそうになりつつも、抵抗を試みる「個人」を描くことに努めていたように思われます。「ミッドナイト・エクスプレス」「ミシシッピー・バーニング」然り。「エンジェル・ハート」も、タイプは異なりますが。また、あの名作「小さな恋のメロディ」の脚本がアラン・パーカーだったと、つい最近知りました。「エビータ」など比較的新しい作品は未見ですが、「アンジェラの灰」も抵抗する個人、ではありますね。
私の個人的な印象ですので、AOIさまの感じ方とは違っているかもしれません。いかがでしょうか?                                  

☆ハムちゃま

「デカレンジャー」って、もしかして、「刑事(デカ)」なの……?(恥)              


アンラッキーな日★ 投稿者:Keen  投稿日: 1月 5日(月)21時28分48秒

「アリス・3」、「羊の腿肉」4コ目。
OASYS突然のクラッシュにより、書きかけ原稿消失。
全国高校サッカー、岐阜工&四中工、準々決勝で散る。
アーニャ、肉球擦り剥く。

……というわけで、凹みまくりの今日でした。
でも、孫悟空の女の子の年賀状は、とっても嬉しかったな♪(^0^*


あけましておめでとうございます。 投稿者:楽古堂主人  投稿日: 1月 5日(月)13時34分44秒

園主様へ。皆様へ。
・ あけましておめでとうございます。
・ お久しぶりです。
・ なんとなく、ご無沙汰している形ですが、ROMはしているのです。
・ 他で、いろいろと書いています。
・ ここで、書くことがなくなってしまうのです。
・ 今年も、よろしくお願い申し上げます。

・ 日蓮を読んでいて、「守護国家論」に次の言葉を見付けました。
「本地久成の円仏はこの世界にましませり。この土を捨てて何れの土を願うべきや。故に法華涅槃を修業する者の所住の処は浄土と想ふべし。何ぞ煩はしく他処を求めんや」
・ もちろん、ご存じでしょうが、年頭の所感と対応すると思います。
・ この世界しかないということです。
・ 「本地久成の円仏」とは、(宗教的には難しい問題なのでしょう。教えを請いたいと思いますが、今は)単純に肉体を持って、この世界に存在していた釈迦その人と理解します。
・ 宗教者であることを明らかにしたことで、今までの批評家田中幸一の言説の分かりにくかった部分が第三者にも、ずいぶんはっきりと焦点を結んだと想います。
・ 宗教、政治、(広義の)文学の三つの分野で活躍されると思いますが、小生の希望としては、文学も忘れないで頂きたいと思っています。
・ バランスの取れた活動を、期待しております。
・ しかし、今年は正念場でしょう。
・ 小生も干支にちなんで、「ミザルキカザルイワザル」ではなくて、「飛耳長目」のサルでありたいと思っています。


楽古堂主人・大内史夫拝

2004年1月4日(日)


東京の空の下。 投稿者:AOI  投稿日: 1月 4日(日)10時49分32秒

新春クイズ正解発表!!

>> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪(イントロクイズ/笑)

>ぜんぜんわかりませーん。降参です! こんなんでわかる人、いるのお???<ホランドさま

ホランドさまにはわからないわよ!(エッヘン!)

>由紀さおり『夜明けのスキャット』! ……でも、なぜ?<園主さま

惜しい!!いいセンいってるわよー。

♪なのにあなたは京都へ行くの
京都の町はそれほどいいの
この私の愛よりもぅ〜〜〜♪
♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪

ということで、『なのにあなたは京都へゆくの』 BY チェリッシュでした!
賢ちゃんなら、わかったかもね♪

☆Keenさま

> 京都……?
> もしやこれは「葵の上」と「賢の君」の、らんでぶー……?
> キャー!(御簾の影から隙見☆)

(よよ・・・/涙)足を棒に探せど。。。いずこに忍ばれておいでなのでしょう?
「花園」でお待ち申し上げていると風よ!つたえて!

>↑のお見合い大作戦、AOIさま、どう思われます?(^0^*

すでに、深く静かに潜行・・・な〜んて、ないか(^-^;)?
おふたりとも鉄壁・受け身なんだろうから妖精が必要かも・・・とおもったり。そのくせ、恋の橋渡しなんて死ぬ ほどイヤじゃないかなと思ったり。
・・・深い縁で結ばれているから、成り行きに任せておいても大丈夫?(笑)
ホランドさま、どう思う???
私としては、オタクの縁でもいい。負け犬の縁でもいい。男女の縁でもいい。ということで・・・(無責任/爆)
そうそう、「LIBRA」拡充は大賛成で〜す!!
まづは、「しをんの姫君」と「幸の君」との妄想炸裂草紙を鬼印式部さまに書いていただきたいですわ。

>PIXY伝説
>(以下、次号/笑)

お話、尽きないようですね。(笑)
だんだん、スキになっちゃいそうよ。PIXY。


☆ホランドさま

>『現代童話』(全5巻、今江祥智・山下明生編、福武文庫 絶版)について

「はせがわくんきらいや」(長谷川集平)以外で、ちゃんと知っているのは、「モチモチの木」(斎藤隆介)と「しばてん」(田島征三)だけでした。(爆)


> ちなみにご報告しておきますと、AOIさまのご挨拶に続いて、芙宮さんからは携帯メールで、園主さまに年賀メールが届いたそうですよ。どうせなら「花園」に書き込んでくれればいいのにね(スネ)。

芙宮さまからもGO!!サイン(笑)?


☆園主さま


> 本年の「初カキコ」は、どちらから書き込んで下さったのでしょうか?(笑)

ベッドの中から(笑)・・・シングル。


>『フルメタル・ジャケット』『プラトーン』『バーディー』の順に3本で「ベトナム戦争映画特集」といたしましょう。
>「戦場へ(兵士教育編)」「戦場で」「戦場からの帰還後」という時制順でございます。

なるほど。「バーディー」の欠点を補うセレクトだと思います。
「バーディー」はKeenさまもお奨めのとおり、秀作だとは思いますが、ベトナム戦争の加害者としての部分がすっぽり抜け落ちているんですね。「アメリカにとってのベトナム戦争観」がぬ ぐえないと思えます。あえて、そのように描いたということも言えないこともありませんが。


どちらも「日常」(5) 投稿者:園主  投稿日: 1月 3日(土)23時49分1秒


 AOIさま
> なぜか、京都に来ています。

本年の「初カキコ」は、どちらから書き込んで下さったのでしょうか?(笑)

> ♪る−るるるる−る−るるるる〜る−るるる−る−る−〜♪(イントロクイズ/笑)

由紀さおり『夜明けのスキャット』! ……でも、なぜ?

> 暖かな元旦です。
> みなさまのところはいかがですか?
> 今年もどうぞよろしくおねがいします。

まったく温かな新年でございますね(笑)。
こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 Keenさま
> Keen賀新年!

本年もよろしくお願いいたします。

> ほほー、園主さまって、つるんつるんなんだー。ふ〜ん。

なんだかこれでは、無毛症のような……(^-^;)。

> で、ホランドくんは?(ニヤリ)(※←今年は、ひと味違うKeenを目指すわっ♪)

そりゃ彼だって、生えるところには(笑)。

> でも、しをんさんと園主さまって、本当にベストカップルかもしれませんよー。私には、わかります。温泉で『妄想炸裂』読みました……私の生き別 れの妹としか思えません!(※ただし、妹の方がずっと読書家で、ずっと博識なようですが)趣味があえば、年の差なんて!もしやご本名は「キョウコ」だったりして……(←すでに妄想炸裂☆)園主さまは例によって「鉄壁」だからあんなことおっしゃってるけど、確か Boiled Eggs の「しをんのしおり」に、著者宛メルアドがあったから、LIBRAのアドレスご連絡して、お仲人つとめちゃおうかしらねー?あ、でも、二人分の蔵書には、さすがの「一念館」も耐えかねるかもしれないから、お庭に蔵建てなくちゃ!それから……

うむむ。やはり波長が合いましたか(笑)。

> 「アリス・3」ですが、もしよろしかったら、我が家でWりやトリプりなどした分、進呈しましょうか?実は先日、いきなり「羊の腿肉」がWったのですが、アーニャは「私は魚派だから、マトンは趣味じゃないわ」って言うんですよ(笑)。

『アリス』のキャラは、ただでさえ「無気味」系が多ございますが、「羊の腿肉」は愛嬌もございませんものねえ、アーニャにふられるのも致し方なかろうかと(笑)。

Wりについては、有難く頂戴いたします。どうぞよろしく。

> では、「アラゴルンよりガンダルフが趣味」な私って……?

三浦しをんよりも年期の入った……(笑)。

>> 次の「黒孔庵幻灯会」は「戦争映画特集」
>> 『プラトーン』に、巨匠スタンリー・キューブリックのベトナム戦争映画『フルメタル・ジヤケット』。

> 『フルメタル・ジヤケット』にはマシュー・モディンくんも出演してますから、もう1作、ということなら、ぜひアラン・パーカー監督『バーディ』を!(^0^*

そうでした、そうでした。『バーディー』も「戦争映画」でございましたね。ちょうど良い機会でございます。それでは、『フルメタル・ジャケット』『プラトーン』『バーディー』の順に3本で「ベトナム戦争映画特集」といたしましょう。

なお、これはどういう順か、おわかりでしょうか? 
答は、「戦場へ(兵士教育編)」「戦場で」「戦場からの帰還後」という時制順でございます。

> 園主さまの、えっち☆

『えっち』って言う人の方が、もっとえっちなのでございます(笑)。


 鬼印式部さま
> 京都……?
> もしやこれは「葵の上」と「賢の君」の、らんでぶー……?
> キャー!(御簾の影から隙見☆)

そう言えば、昨年の自衛官募集のポスターに、モー娘。が使われてたような。

自衛隊のイラク派兵に続き、武器輸出三原則の見直し案も出ているとか。賢ちゃん、すこしは考えているのでしょうかねえ? 自分が逃げ出すタイミングくらいは何とか……。いかにも逃げ遅れそうなタイプでございますから、心配でございます(笑)。


 アーニャ
> A Happy にゃあ〜 Year!

今年もよろしく(笑)。


 ホランド
> というわけで、今年も右腕として、隻腕の園主さまをお助けする所存でーす(笑)。

さまよえる左腕は元気にしているだろうか?

ともあれ、左腕が無いのでは、弄ってやれないな。スマン(笑)。





それでは、みなさま、本日はこのあたりで失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


どちらも「日常」(4) 投稿者:園主  投稿日: 1月 3日(土)23時48分6秒


私にとって「本」や「フィギュア」や「美少年」の話をするのは、「それが楽しい」からであって、それは「現実から逃避するため」の方便ではございません。そういうものであってはならないし、そうしたのでは「わが愛するものたち」に対して失礼だと思うのでございます。
ところが、世のかなり多くの人たちは、そういう冒涜行為を日々無自覚に重ねております。例えば「ミステリ」に関して語っているかぎり、一目置かれるであろうミステリ作家も評論家もマニアも、こと「今の日本」「今の世界」の情況に関しては、無力な「ただの人」の一人に還元されてしまいます。彼らが、賢しらにコメントを発したとしても、そんなものに特別 な価値を見い出す者はまずいないでしょうし、じじつ特別な力などそこには無い。また、それがわかっているからこそ、彼らは自分たちの「守備範囲」という「幻想としての個人的権威」が保証された小世界に固執し、そこから一歩たりとも出ようとはしないのでございます。口では「私は普通 の人間です」などと謙虚ぶったことを言いながら、じつは自分が得た「虚名」が自慢で自慢でたまらない。だから彼らは「無力な一人」にもどって発言することができないし、そこに価値を見い出すこともできないのでございます。

先の太平洋戦争では、多くのミステリ作家が、戦争に協力し、あるいは沈黙を守った。ミステリ作家で時代に抗したものなど「いない」と言っても、決して過言ではございませんでしょう。そしてそれは、今この時代においても、まったく選ぶところはございません。
かつて天城一が「本格ミステリが流行する時、日本は(国は?)保守反動化する」というようなことを書いていたと(おぼろげに)記憶するのでございますが、「ミステリ」は、より正確に申しますならば「本格ミステリ」とは、そういうジャンルなのでございます。これは、「本格ミステリ」が「保守的」で「権威主義」的な小説ジャンルであるというようなところから来ることなのかどうか、因果 関係の確かなところはまだわかりませんが、「ミステリ」というジャンルを考える上で、これは(関係者は無視したいでしょうが)無視できないファクターだと申せましょう。

本格ミステリ作家は、評論家は、マニアは、どうして、ご自慢の「知性」で、「名探偵」のように「理路整然」と、大国や権勢者の欺瞞を論破しないのでしょうか? それは彼らが、頭の良さにのみ自足できる「ナルシスト」ではあっても、正義と真実の使徒としての「名探偵」ではありえないからなのでしょうか? それとも、そもそも「名探偵」とは、できるだけ派手に人が殺された後に、賢しらに事件を「解説」してみせるだけの、鼻持ちならない「役立たず」、無自覚な「へたれ」の願望的幻像でしかなかったということなのでございましょうか?





( 以下は「どちらも「日常」(5)」につづく)


どちらも「日常」(3) 投稿者:園主  投稿日: 1月 3日(土)23時47分8秒


はっきり申しますと、一人前の口をきくプロのミステリ作家や評論家はもとより、私の周囲にいる多くの人たちが、たいがいは「それまでの自分の世界」に耽溺して、「今の日本」「今の世界」に生きているという『当事者意識』があまりにも薄い……としか見えない。この危機的な情況にあっても、そこから目を逸らしてさえいれば、いつか悪夢は過ぎ去るだろう、といった『臨場感』(=アクチュアリティー)不足の「ダチョウの論理」を、彼らは私に強く感じさせるのでございます。

もちろん、池澤も指摘しておりますとおり、たいがいの人は、この危機的情況をそれなりに感じており、それなりの不安感も持っているのでございましょう。ところが、そうであるからこそ、彼らは不甲斐なくもそこから目を逸らしている。また、そうした雰囲気がひしひしと感じられるからこそ、私はそういう人びとに「苛立ち」を禁じえないのでございます。

さて、そこで私はなぜ、かように縁も所縁もなさそうな、「負け犬」の話と「情況認識」の話を、木に竹を継ぐようにして並べて見せたのか。それは、こうした遠近取り揃えた「今の日常」の並列こそが、私の考える「本来のあり方」であり、私の「情況」に対する対し方を原型を示すものでもあるからなのでございます。

情況が困難であればあるほど、人はそれから逃げようといたします。それが上に挙げた「ダチョウ」たちの態度でございますね。ですが、その一方、情況が極めて困難であり、どうしてもそこから逃れられないとなれば、逆に人はその情況に魅入られ、そこに縛られてしまいがちでもございます。つまり、口を開けばその話しか出来ないような状態になりがちだということでございます。
ところが私の場合、この正反対の方向性のどちらにも「縛られたくない」という気持ちが強うございます。自分から積極的選択的に関わるのは良いけれど、強迫的な心理によって否応なく関わることはしたくない。ですから、「これまでの日常」を代表する「負け犬」のお気楽な話(個人的な日常の話)もいたしますし、その一方『自分の暮らしがどこかで世界全体につながっている』『今の時代に生きているという当事者』としての発言も当然のごとくするのでございます。





( 以下は「どちらも「日常」(4)」につづく)


どちらも「日常」(2) 投稿者:園主  投稿日: 1月 3日(土)23時44分36秒

さて、話題はがらりと変ります。
当サイトではお馴染みの池澤夏樹が、これも何度かご紹介しているメールマガジン『新世紀へようこそ』の第94回「日本の停滞、日本の迷い」(2003年1月21日)に、つぎのように書いております。

『(略)

 今年は大きな岐路が少なくとも二つあります。
 第一はアメリカがイラクを攻撃するか否か。
 第二は日本がこの停滞から抜け出せるかどうか。

(中略)

 日本の問題はどうでしょう。
 ぼくが「日本の停滞」と書いたのは、経済のことではありません。経済は大事だし、失業率の推移も大事ですが、それらすべての背景には万事に対する日本人の無関心があります。

 政権の担当者から一般市民まで、今の時代に生きているという当事者意識が薄い。自分の暮らしがどこかで世界全体につながっているという、いわば臨場感がない。だからイラクも遠い。国内と海外の間、個人と社会の間に見えない壁がある。
 まるで日本人はみなガラスの箱の中で暮らしているかのようです。餌と酸素は自動的に供給されると信じてただじっとしている。
 しかしそこには強烈な不安感があって、それはたとえばここ数年連続して年間の自殺者の数が3万を超えるというような数字に表れています。日本は交通 事故の死者の4倍近い人々が自ら死を選ぶ国です。何かがそれだけの数の人を死の方に追いやったのです。

 本来ならば個人の視点はそのまま世界につながっています。自分は今のこの世界で生きているという自覚があるべきなのです。
 先日、仏文学者である海老坂武さんの『〈戦後〉が若かった頃』という回想記(岩波書店刊)を読みました。1960年代にパリに留学した海老坂さんがまず気づいたのは「新聞を読んでいないと人の話についていけない」ということだった。毎朝3時間かけてル・モンド紙の主要記事を読んでから出かけるという義務を自分に強いたとか。つまり「世界」は人々の(少なくとも知識人たちの)関心事だった。(以下略)』

いま私は、メールマガジン『新世紀へようこそ』の後半を編んだ単行本『世界のために涙せよ 新世紀へようこそ2』(光文社)を読んでいるのでございますが、池澤の上の文章に行き当たって、「ああ、これだったんだ」と膝を打つ思いにとらわれました。何が「これ」かと申しますと、私が昨今、漠然と感じている「苛立ち」の出所でございます。

私は昨年末、知人の掲示板(『館の掲示板』)に「暮れのご挨拶など。」と題する、つぎのような書き込みをいたしました。

『☆ 管理人さま
ご無沙汰しております。当代きっての危険人物でございます(笑)。

結局、今年は一度もお会いできなかった……でしょうか? やはり当方が(島田荘司調)ミステリをぜんぜん読んでないからなのでしょうね。だからそれと関わるところとは、どうしても縁がなくなってします。それでいて、笠井潔など一部の作家がらみだけは、しっかりチェックしてしまうというのは因果 なものです。

ということで、管理人さまも投票なさっている『2004 本格ミステリ・ベスト10』について、今年もビシッと言ってやりました。大熊さんもおっしゃっているとおり『読者がしっかりしないと。相手は読者をなめてかかってるんだから、甘やかしたらダメよ。』と、私も思いますので。
怖いものが見たいということであれば、ぜひこちらをご覧ください。

と、宣伝してしまいました。すみません。でも、これが私に残された、僅かばかりの「ミステリへの愛の証」なのです。
遠巻きにミステリ界を眺めている私には、昨今、「本格ミステリ」がどんどん『八つ墓村』化しているように思われます。つまり「閉鎖的(自己充足的)な小世界」化しているということです。もともと「本格ミステリ」にはそうした純化傾向があるのですが、どうもそれがジャンルを好ましからざる方向へと押しやっているような……。

そんなわけで、ジャンルにピッタリ伴走しておられる管理人さまには、ぜひその位 置から愛のある提言をと期待したいところです。来年のさらなるご活躍に期待しております。頑張って下さい。』

この書き込みに滲んでいるのが、その「苛立ち」。つまり、多くの人びとに見られる『今の時代に生きているという当事者意識が薄い。自分の暮らしがどこかで世界全体につながっているという、いわば臨場感がない。』ということへの「苛立ち」なのでございます。





( 以下は「どちらも「日常」(3)」につづく)


どちらも「日常」(1) 投稿者:園主  投稿日: 1月 3日(土)23時43分6秒

みなさま、ご承知のとおり、このところの「花園」は、「三浦しをん」ネタで盛り上がっております。ですが、その煽りで三浦さまのエッセイ集『妄想炸裂!』(新書館ウイングス文庫)をお読みになられたKeenさまが、『でも、しをんさんと園主さまって、本当にベストカップルかもしれませんよー。私には、わかります。』などとトンデモないことをおっしゃられる始末。なんだか私、三浦さまに申し訳なくて……(^-^;)。しかし、それもこれも三浦さまと私が、同じ「オタク」であり、かつ『負け犬』((c) 酒井順子)だからなのでございましょう。

『IN・POCKET』2003年12月号の巻頭座談会は、酒井順子・香山リカ・井筒啓之の3人による『負け犬、大いに吠える』でございます。ここで言う『負け犬』とは、『未婚で、子どもがいない、三〇代以上の女性のことを指します。独身だけど仕事ができるとか、美人であるといった要素はここではいっさい関係ありません。世間で言う「普通 の家庭」を築いていない人のことですね。かつて結婚していた人でもいま現在未婚ならば負け犬ですし、結婚経験のないシングルマザーも負け犬です。』(酒井の説明)というものを指しており、これは酒井の著書『負け犬の遠吠え』(講談社文庫)における「独自の用法」とご理解下さいまし。
ここで言う「負け犬」にも、たしかに自虐的な自己否定のニュアンスがあるにはあるのでございますが、ただ、「負け犬」である酒井順子は「自分が女として、世間的には負け犬と見られているし、自身も負け犬と感じることがある」という「事実」を認めて、その状態を「負け犬」と呼んでいるのであって、決して「客観的否定評価」としてこの言葉を使っているわけではない、というあたりの「微妙なニュアンス」を、私はみなさまにご理解いただきとうございます。

さて、上の酒井の説明では「負け犬」というのは、もっぱら女性に用いる言葉のようでございますが、当然のことながら男性にも「負け犬」にあたる存在はおりますし、かくいう私もその一人でございます。そして酒井が『負け犬の遠吠え』で示した「オスの負け犬」のパターンは、次のようなものでございました。

(1) あまり生身の女性には興味のない男……オタ夫
(実際の肉体を使用せず、コンピュータや雑誌のグラビアや妄想の中だけで女性を楽しむことができる)

(2) 女性に興味はあるけど、責任を負うのは嫌な人……ダレ夫
(女性とセックスはするしモテなくもないが、面倒くさがりで飽きっぽく孤独を愛する)

(3) 女性に興味はあるけど、負け犬には興味のない人……ジョヒ夫
(顔も収入もそこそこで、結婚欲も強いが、よく言えばつねに理想を追い求めている「身の程知らず」)

(4) 女性に興味はあるけど、全くモテない人……ブス夫
(結婚はしたいし高望みもしていないが全くモテず、お見合いパーティーなどへの参加を繰り返し、ときには風俗へ)

(5) 女性に興味はあるけど、単にダメな人……ダメ夫
(暴力。キレる。飲酒に薬物。マザコン。ギャンブル。仕事をしない。女癖が悪い。などさまざまなタイプがいる)

以上5つのパターンでございますが、私の場合、これぞぴったりというのはございませんものの、あちこち思い当たる節があって、いささかどきりとさせられました。

まず、私は「エロスは想像力だ!」と主張する人間ですから(1)の傾向はハッキリとございます。しかし「妄想」を好むというのは、ひとつには(2)の要素である『面 倒くさがり』という傾向の裏返しでもございましょう。私はハッキリと「女性に対してこまめ」な人間ではございません。また、それでいて(3)の要素である『よく言えばつねに理想を追い求めている「身の程知らず」』というのもございまして……これではモテなくて当然でございましょうね(笑)。もちろん、こんな性格でも、美形で金持ちであればモテもするのでございましょうが、私が持っているのは「本」のみ。本に惹かれる女性がいればベストなのですが、荒俣宏の蔵書に惹かれて結婚したともっぱらの噂だった(?)杉浦日奈子が、あっという間に離婚したという前例もございますから、本は女性に対し、お金や美貌ほどの拘束力を持たないのでございましょう。私の良いところは(4)ほどの積極性がなく(5)のような明らかな問題点が無いところでございましょう。つまり、積極的に人様に迷惑をかけることだけはない、ということでございます。……しかし、これもまた「負け犬の遠吠え」なのでございましょうか?





( 以下は「どちらも「日常」(2)」につづく)


久方ぶりのレス(下) 投稿者:Keen