●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年3月上
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AOIさまへ(下) 投稿者:Keen  投稿日: 3月 7日(日)01時34分15秒

>ファラミア
>「おいおい、気持ちはわかるけど、私情だけでは勝てないわよー。一緒に戦う兵士(頭ごろんになっちゃった)のことも考えなくっちゃ!」とつっこみいれたくなりましたけれど。

同感。だからファラミアは好きだけど、あの出陣シーンでは、私は泣けませんでした。でも、

>私が一番感動したところは、援軍の要請に応え、山の頂から次々にのろしが上がるシーンです。

そ〜なんです!風景も美しかったし、あそこでは号泣してました。(T-T)「ここって、泣きどころじゃないかもなー」と思ったのですが、やっぱりあってたのかしら?(笑)

>でも、もしかして、あの小泉さんも「そうなんだ!私のやっていることは正義のために援軍を送ることなんだ!」な〜〜ん思って、感動してたりするのじゃないかなとおもったり・・・(やれやれ)

みんな自分に都合よく解釈して、感動するんでしょうねえ(苦笑)。

>原作は知りませんが、この老王が援軍を送ったことが契機となって、各国が立ち上がったのだと思うけれど、この王に対する信望が伺えます。

ローハン王・セオデンですね。『二つの塔』の戦いでゴンドールが援軍送ってくれなかったので、初めは抵抗示してましたよね。でも、そんな「人間同士のいがみ合い」してる場合じゃないって、「王の判断」をしたのでしょう。それに、この人も『二つの塔』で後継ぎの一人息子に先立たれてますし。エオウィン姫は姪ですが、早くに両親をなくしてるので、実質的には親子と同じ。強くて凛々しいお姫様って、好きです♪(^0^*
なお、アラゴルンがエオウィンを袖にするシーンも不満(笑)。原作はどうなってるのか知りませんが、アラゴルン、口下手のくせにすかしすぎ……☆(「幻影」だなんて、メーテルじゃないってば/笑)

ゴラムとフロドについては、ホランドくんへのレスに書いた通り、まだ考え中。
原作では、サムも最晩年(ずーっと、ずーっと後になってからですが)に、エルフの国へ旅立ってますよ。

では、お休みなさい。


AOIさまへ(上) 投稿者:Keen  投稿日: 3月 7日(日)01時33分19秒

>『パーフェクト・ワールド』

私もずいぶん前にWOWOWで見たきりなので、よく覚えてないのですが……映画自体は、悪くなかったと思います。むしろ、「たいへんよくできました」と文部省推薦で、近所の市民ホールで中学生が団体鑑賞するような作品、という印象を受けました(イヤミじゃなくて)。つまり、きちんとまとまっていて毒のない悲劇、ということ。ラストが近づくにつれ、オチの予測がついてしまう。私が「アメリカ」と感じたのは、そこら辺りかなあ。欧州映画だったら、もっとひねりの効いた展開&結末にするだろうな、と思ったんですよ。
『ミスティック・リバー』は、1年後くらいにWOWOWで放映されたら見るかも……というくらいの興味しかないものですから、コメントできません。ゴメンナサイ☆

>「クリント・イーストウッドおまえもか!」

何しろ、「ダーティ・ハリー」ですからねえ〜(笑)←っちゃいけない、のかな。

>>『王の帰還』

>クライマックスは個人的な演技というよりもむしろ演出力によるのじゃないかとおもうんだけれど。

そうですね、役者だけに責任押しつけたら、かわいそう(笑)。そのシーンへ行くまでの運びや見せ方も含めて、ということで。

>指輪(権力、悪の誘惑)との格闘、真の王へと成長してゆくというのは、『ロード・オブ・ザ・リング』のテーマですから、最後の盛り上がりとして、威風堂々とした「王様」をみたいという気持ちはわからなくないんですが、やっぱり私もシラケちゃうんですね。
>なんでシラケちゃうのかというと、たくさんの兵士や市民が死んでいったシーンが脳裏に焼きついているわけです。喪の儀式でもあるというのはわかるんだけれど、王だけが讃えられ、祝われることにシラケるのですね。
>戴冠式のシーンはなくてもいいと思うくらい。アルウェインとふたり結ばれました。というだけで。
>でも、『王の帰還』というタイトルにあるように正義のために戦い真の王となるという『ロード・オブ・ザ・リング』は、一種の帝王学なのですね。だから、やっぱり戴冠式は必要なのでしょうし、兵士や市民の死は問題にはならないんだと思います。

AOIさまと同じところ、私もひっかかってるんですよ。なぜって、レンジャー時代のアラゴルン自身が玉 座を否定していて、ゴンドールの統治は執政に任せた上で、自分は在野の戦士(の首領)として、陰ながら北方(=最前線)の警護に当たっていたわけでしょう(ちなみに、東方はファラミア率いるゴンドール軍が守り、ボロミアは執政の後継ぎとして父の側にいた、という構図)。「王だけが讃えられ、祝われる」ことに、一番違和感持ってたのはアラゴルンだったはずです。その彼があえて王冠を受けたからには、大きな内面 の変化があったはずです。だから、「威風堂々とした「王様」をみたい」というよりも、「様々な葛藤を経て、自身の宿命を受け入れた」というところが見たかったのです。もちろん、こういう経緯で王となったアラゴルンにとって、名もない「兵士や市民の死」は、「問題にはならない」はずがないですよね。


イノセンス 投稿者:園主  投稿日: 3月 6日(土)15時29分51秒

 みなさま
レスが遅れており、申し訳ございません。――と言いつつ、本日はこれからホランドくんと、押井守の新作劇場アニメーション『イノセンス』(の初日)を見てまいります。『AKIRA』とともに、ジャパニーメーション・ブームの先駆けとなった作品『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の続編でございます。私のレスは明日ということで、ご勘弁下さいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


ナコイカッツィ(下) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 6日(土)13時45分23秒

(Keenさまつづき)
>私が見たところでは、役者の力量不足だと思います(『バーディ』の逆)。

>(※ここから、ネタばれ有り。映画未見の方はご注意!)
指輪に完全に魅入られ、狂気に陥ったフロドが弱過ぎる。剣を授けられ、王として全隊を統率するアラゴルンが、戴冠式で正装した姿が、どうしても「王様」に見えない!せいぜ
い、武勲を認められて出世して、イイお洋服着せて貰いましたー♪ってくらいにしか……(泣)。だから、アルウェンとの「感動の再会」も、何だかかえってシラケてしまう☆その点、ローハンのエオウィン姫とゴンドールのファラミアの笑顔の方が感じがよかった♪(原作では、この二人は結ばれるそうですよ。(^0^*)
>アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンは、もしかして、「王といえども、一人の人間」というところを強調して演じたのかなあ、とも考えてみました。もちろんそれはその通 りだし、私もエラそうに踏ん反り返った「王様」が見たかったわけではありません。でもやっぱり、指輪の旅を経験して、精神的に逞しく成長したところをもうちょっと見せて欲しかったな〜、と。

特に力量不足は気にならなかったんですけれどね。クライマックスは個人的な演技というよりもむしろ演出力によるのじゃないかとおもうんだけれど。
指輪(権力、悪の誘惑)との格闘、真の王へと成長してゆくというのは、『ロード・オブ・ザ・リング』のテーマですから、最後の盛り上がりとして、威風堂々とした「王様」をみたいという気持ちはわからなくないんですが、やっぱり私もシラケちゃうんですね。
なんでシラケちゃうのかというと、たくさんの兵士や市民が死んでいったシーンが脳裏に焼きついているわけです。喪の儀式でもあるというのはわかるんだけれど、王だけが讃えられ、祝われることにシラケるのですね。
戴冠式のシーンはなくてもいいと思うくらい。アルウェインとふたり結ばれました。というだけで。
でも、『王の帰還』というタイトルにあるように正義のために戦い真の王となるという『ロード・オブ・ザ・リング』は、一種の帝王学なのですね。だから、やっぱり戴冠式は必要なのでしょうし、兵士や市民の死は問題にはならないんだと思います。

>ところで、フロド役のイライジャ・ウッドくん、カワイイ顔してても、やっぱり白人
男性。薄めだけど、ちゃーんと胸毛も腹毛もありましたね〜☆(爆笑)
まだイロイロ書き足りないような気もしますが、本日はこれにて。

イライジャ・ウッドは子役として早くから注目されていましたね。
『八月のメモワール』、精神を病んだ父(ケビン・コスナー)との家族の葛藤のドラマ、なかなかの秀作でした。この作品ではじめてイライジャを見たときの子役とは思えない演技力にいっぺんでファンになってしまいました。
久しぶりに見る彼にびっくり!でも、子どもの時は私好みでとってもかわいかったと思うけれど、今はルックスは好みじゃないわ(笑)。

>内面の演技では、ファラミアが『二つの塔』に続いて、お気に入りです♪(^0^*「父に認められたい次男」という設定が、いかにも私好み、ということもありますが(苦笑)、そういう内面 の葛藤をよく表現していると思うのです。

よかったですね。兄をひたすら思慕する父に認められたいファラミア(だった?すっかり、名前忘れてる。パンフレットも買ってないし/笑)、死を覚悟で出陣する姿、その悲壮感がひとりの人間としての葛藤をあらわしていました。
ただ、兵士を率いる長として、勝ち目のないと分かっている戦い。「おいおい、気持ちはわかるけど、私情だけでは勝てないわよー。一緒に戦う兵士(頭ごろんになっちゃった)のことも考えなくっちゃ!」とつっこみいれたくなりましたけれど。

私が一番感動したところは、援軍の要請に応え、山の頂から次々にのろしが上がるシーンです。
でも、もしかして、あの小泉さんも「そうなんだ!私のやっていることは正義のために援軍を送ることなんだ!」な〜〜ん思って、感動してたりするのじゃないかなとおもったり・・・(やれやれ)
劣勢を覚悟で援軍の先頭に立つ老王。娘にあとを託す父王。父に隠れて従軍する娘。
父を救うべく戦う娘。原作は知りませんが、この老王が援軍を送ったことが契機となって、各国が立ち上がったのだと思うけれど、この王に対する信望が伺えます。

間違って書きかけのものを消滅してしまいました(泣)。
とりあえず。


ナコイカッツィ(中) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 6日(土)13時28分12秒

☆Keenさま
>ショーン・ペンが受賞した瞬間の会場の雰囲気がすごく良かったので、ジンときたのでした。

ショーン・ペンのキャラクターなんでしょうね。
決してカッコいい俳優というのではなく、平凡なアメリカ人、というより、社会的には弱者であったり、はみ出していたり(アウトロー)のイメージが共感を呼ぶのじゃないかな。イーストウッドと近いけど、イーストウッドほどカッコよくないし、理性的でもない(笑)。

>クリント・イーストウッドは、俳優としては大好きですが……『パーフェクト・ワー
ルド』(だったかな?ケビン・コスナーと共演した作品)を見た時、「クリントさ〜ん、俳優だけにしといたら〜?」と思ったんですよねー☆ですから、AOIさまの言いたいこと、何となくわかるように思います。そう、「アメリカ」なんですよね。

そうですか。私はこれ『パーフェクト・ワールド』好きなんです!
もう、ずいぶん前に観たので、そういえば監督はイーストウッドだったなと思い起こしたという次第ですが(笑)。たしかに、イーストウッドの存在感は薄かったですね。その辺はイーストウッドのファンには不満かもしれませんね。『ラスト・サムライ』のトム・クルーズのファンも不満じゃないかと思ったりします(笑)。謙さんカッコよかったし。トム・クルーズ霞んでしまった。
これが「アメリカ」(?)なのは気にはならないんですけれど。
どういうところで「アメリカ」と感じられたのでしょうか?
私が『アメリカ』で気になるのは、「犯さなくてもいいはずの過ちを犯してもわが身(家族)を守る(ほんとか?)ためならば許される」というところです。
「クリント・イースットウッドおまえもか!」といった理由です。
ミスティック・リバーに感じた疑問です。


ナコイカッツィ(上) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 6日(土)13時24分4秒

☆ホランドさま

>すこし視点を変えれば、人並み以上に盲目になっている部分があるもの。

確かに鼻持ちならないと思う人はいるのは分かるけれども、客観的に言えば事実なのだから、「人並み以上に盲目」だとは思わないですよ。

>ゴラムを切ることは物語の一種のカタルシス』になるとも、ボクは思えません。だから、あの扱いは何だったんだ、という疑問がそのまま残っています。

観客としてはいつゴラムが隙を見て指輪を奪うかとひやひやしているわけですね。ゴラムに疑いを持つサムをフロドは排除するということにもなってしまった。そういう意味でゴラムに疑いをもつ観客(読者)にとっては、フロドのナイーヴさに苛立ちを覚えていたわけで、ゴラムが最後のところできられることにカタルシスを感じるんじゃないのかな?私は疑問だけが残ちゃうんだけれど。
このあたりは、宗教観もかかわってきそうな気がします。
というより宗教観そのものなのではないかと思えます。
ゴラムを邪な心に魅入られた悪の象徴であり、サムは人間的な良心を体現した象徴と考えれば、ゴラムを切り捨てるというのは悪に打ち勝ったということになるのでしょう。
しかし、ゴラムは、絶対悪ではなく二面性を持った存在として描かれてもいるのですね。
悪に魅入られたものは、決して後戻りできないし、切捨てられるものだということを描いているようで疑問なのです。
結局、指輪を捨てるたびは、如何に悪に魅入られないで、悪を切り捨てることによって実行できるということなのだろうけれど。宗教的な命題を敷衍しているのだと思う。
ですから、善的な人物は必ず救いの手が現れ(除:兵士一般人)、悪に魅入られた者は滅びる。
私が期待していた旅は悪に魅入られ,長い長い時間を指輪とともに生きてきたゴラムがフロドとサムと指輪を捨てる旅をすることによって、どのように変貌するのか(2では、そういう期待を抱かせたのですが)指輪を手にする前の姿をどのように取り戻してゆくのかということであり、疑い続けるサムと最後まで信じようとするフロドとの三人が旅を通 して成長してゆく姿だったのです。
そういう意味で期待は裏切られました。
つまり、指輪を捨てることによって、悪が死に絶え、世界の様相が一変してしまうということがあれば、めでたしめでたしということなんだけれど・・・。
物語世界では、指輪は捨てられたのですから、悪のはびこる世界はもうないわけですね。
フロドもビルボもエルフの国に行く必要がないように思うんだけれど。
悪に魅入られなかった神に近い存在としてエルフの国いりするってことなのかな。

サムも指輪を手にして躊躇するシーンがありましたが、サムはどうしてエルフの国に行かないのでしょう。
サムは善の(担い手であったフロドの)忠実な僕(しもべ)であった。
忠実な僕(しもべ)であった者が現世の書き手となる。ということなのでしょう。


ヘンな時間に起きちゃった☆ 投稿者:Keen  投稿日: 3月 6日(土)03時39分25秒

早い時間からうたた寝してたんで……

ぼやけた頭で、ふと思いました。
『愛と誠』三部作、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を観て感じた不満と比較してみて、竹本健治『闇のなかの赤い馬』について感じた「不安」も、やはり「不満」の一種だったのだな、と。
前者の映画2作は、作品として一応は完結しているので、不満はあっても「不安」にはならない。竹本作品の場合、オチがつかないことが多いので、勝手にあれこれ妄想して遊べるのも楽しいとはいえるけれど、やはりそれは、「不満」だからそうせざるを得ないのだ。この場合の「不満=不安」は、竹本世界独特の「不安な世界観」とは全く別 物であり、むしろ「不完全」というべきかもしれない。

では、もう一度寝ることにします。お休みなさい。


よっ、待ってましたっっっ!!! 投稿者:Keen  投稿日: 3月 5日(金)13時14分33秒

☆浮世渡郎さま

初めまして(だったかな?)、黒猫さまのご舎弟でいらっしゃいましたよね。

>やはりあっしとしましては「バンドしぶき浪の花」

イイですよね〜、コレ(笑)。
映画では、スケ番たちが全員、昔日の「専売公社」時代の「食塩パック1kg」を手にしていたのが、超レトロで爆笑しました。(一定年齢以上じゃないとわからない世界で、ゴメンナサイ☆)

『愛と誠』について、お詳しそうですね、イロイロとお聞かせ下さいませ。
特に岩清水くんについて、ヨロシクお願いします♪(^0^*

☆ホランドくん

>でもボクは、サムの顔を見ながら、いつも「(阪神タイガースの)伊良部に似てるなあー」なんて思ってたんです、じつは(「♪ ごはんがごはんがススム君」も/笑)。

うわあぁぁぁ〜〜〜、気づいてなかったけど、似てる、似てる!!!
ホビットだから、ゴハン大好きなところもね♪誠実でお料理上手なサムって、「お婿さんにしたい男性No.1」になれるかも?(^0^*

真面目な話。「引き裂かれた」状態について、ホランドくんの見解をもとに、私ももう一度考えてみますねー。


イヤ・・・なんとも・・・ 投稿者:浮世渡郎  投稿日: 3月 5日(金)01時35分30秒

・・・・・・あ、いやどうもです。(汗)

『愛と誠』ですか・・・やはりあっしとしましては「バンドしぶき浪の花」
がなんとも・・・イヤ・・わからんでもいいんですそんなもん。(汗)

お眼汚しでござんした・・・さらばッ!!(逃走)

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


続・「悪の花園」篇 投稿者:おKeen姐さん  投稿日: 3月 5日(金)00時23分51秒

>>『愛と誠』

>冷たい一瞥をくれたかと思った瞬間、にぶい閃光がKeenの頬を薄く切り裂いて走った。

かのように見えたが、それは残像だった。一瞬早く身を翻したKeenの左手の鞭がしなり、ホランドが投げたナイフを弾き飛ばしていた。


善と悪との相剋(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 4日(木)22時34分46秒


 Keenさま(続き)

>> ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

> うんうん、『旅の仲間』でのボロミアといい、ゴンドール兄弟はいい味だしてますよねー♪お父ちゃんは情けなかったけど☆確か原作では、デネソールも実はパランティア(あの、水晶玉 みたいの)を持っていて、サウロンに操られていた、という設定だったと思います。

 その説明があった方が、納得いきますよね。もしかして、編集段階でカットされたとか? 長男に死なれたショックとはいえ、デネソールの様子は尋常じゃないですもん。とてもあの兄弟の父親だとは思えない。……でも、最後まで目を覚ますことなく、死んじゃいましたよね。

>> ゴラム
>> もう少し、説明していただけませんか?

> うーん、昨日書いた以上に掘り下げるにはもう少し時間が必要なので、待っててくれる?

 ええ。ぜんぜん急ぎませんので、よろしくお願いいたします。

> 私が思うに、トールキンは「二つに引き裂かれた」状態をすでに人間(※ホビットと同義に使います)の限界を越えている、と考えているのではないかと。善と悪が混在してどちらにでも転び得るのが人間の自然な姿(=サム)なので、指輪の毒で「引き裂かれた」状態(=フロド、ビルボ)は、もはや人間には重荷に過ぎる。まして、彼らは何らかの罰として「引き裂かれた」わけではなく、むしろ運命の悪戯によって担わされたものなので、それに耐えて生き抜くには、せめてもの慰労が必要だ、と。

 ボクが言いたかった「人間的」な『「二つに引き裂かれた」状態』というのは、「善悪両面 を併せ持つ」というだけのことに過ぎなかったんです。
 つまり、ホビットというのは、元来「悪」の側面を(ほとんど)持たない種族だと思うんですよね(=フロド、ビルボ、サム)。非力でお調子者ばかりだけど、心はきれいな種族。それと比較した場合、人間には「善悪両面 」があって、その意味で人間は『引き裂かれた』存在だ、と言いたかったんです。

 ですから、『「二つに引き裂かれた」状態』というのは、Keenさまのおっしゃる『善と悪が混在してどちらにでも転び得るのが人間の自然な姿』であり、フロドやビルボは「指輪」に接することによって初めて「善悪両面 を併せ持つ」存在、つまり「人間」的な存在になったんだ、と理解したんですよ。だから、その葛藤を引き受けて生きていってほしいと考えたんです。

 Keenさまが『指輪の毒で「引き裂かれた」状態(=フロド、ビルボ)は、もはや人間には重荷に過ぎる。』とおっしゃる場合の『「引き裂かれた」状態』とは、たとえば「人格分裂」みたいな「病的状態」を指しておられるんでしょうけど、ボクが言いたかったのは、そういうことではなかったんです。「妖精」的な存在であるホビットが、「悪」を知って「人間的」な存在になる。さて、彼のその後は? ――という風に考えたので、「エルフの国」行きは、なんだか「逃げ」のように思えたんですね。

> 原作のことは私もわかりませんが、少なくともピーター・ジャクソン監督は、「人間のあるべき姿の象徴」をサムに託して描いたのではないでしょうか。「フロドへの無償の友情」という形で(←ん?岩清水くんと共通 するような……/笑)。

> だから、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の「影の大主人公(笑)」は、実はサムなのかもしれません(←Keen説)。

 サムに入れ込んでますねえー。でもボクは、サムの顔を見ながら、いつも「(阪神タイガースの)伊良部に似てるなあー」なんて思ってたんです、じつは(「♪ ごはんがごはんがススム君」も/笑)。


 アーニャ
> あーら、「五十歩百歩」ってのは、「五十歩」と「百歩」の間には「2倍」という大きな差があるってことじゃないの?(笑)

 人間は二足歩行だけど、猫は四足歩行で倍になるから、「五十歩」と「百歩」はまったく同じって、意味かも知れないよ(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


善と悪との相剋(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 4日(木)22時33分54秒

 みなさん、こんばんは! 先日、FIVEPLACESさまにお薦めいただいたので、結城昌治を何か読もうと思ってたら、今日、古本屋さんで『軍旗はためく下に』(講談社文庫・絶版)を200円で見つけました。ホントは手始めに短編集を読もうと思ってたんですけど、ちょうどこないだから「戦争」のことについて、あれこれ書いたり考えたりしてたところだから、良い機会なのかも知れないと思って、これを購入することにしました。
 下は、裏表紙の紹介文です。

『太平洋戦争中、赤紙一枚で駆り出された多くの兵隊たち。彼等は虫けらのように死んだが、中には、敵前逃亡、奔敵、従軍免脱、上官殺害等の罪を犯し、陸軍刑法により処刑された人々もいる。中国からソロモン諸島にいたる日本軍の戦跡を追い、処刑された兵隊たちの隠された真実、人間の心情を探った直木賞受賞作。』

 それから、こないだご紹介しました『イラク派兵を問う』(天木直人・池田香代子・野中広務・田島泰彦 / 岩波ブックレット No.616)の中から、とても印象的なお話をひとつご紹介しておきます。
 これは、前に園主さまが『「有事関連三法案」の中核をなす「武力攻撃事態対処法」』を論じて、『「国の独立」は、「国の安全」「国民の安全」に優先するという「国家意思」が、ここに示されております。』と剔抉したみせた「国(=政府)の真意」が、とてもよく顕われているエピソードだと思います。

『 作家の司馬遼太郎先生が昔に書かれた随筆の中にこういうことが書かれてあった。戦時中、満州におって、戦車隊の少尉で、船に乗せられ、「これは南方に連れて行かれるなぁ」と思っていたら新潟に着いた。そして、赴任地は栃木県であった。ここで何をするのかと思っていたら、「米軍が上陸したら恐らく東京周辺から五百万の難民が北上してくるだろう。その時にお前たちは戦車隊でその米軍の進行を防ぐんだ」といわれた。自分は「それでは五百万の北上してくる難民に対してわれわれは、それとぶつかった時に戦車隊はどうするんですか」といったら、指揮官は、ぐっと一息いきを飲んで、「目をつぶって踏み殺して行くんだ」と。私(司馬先生)は難民たちの上に体をかぶせて、そしてひとりでも助けたいという気持ちになったという。司馬遼太郎先生の本を私は忘れることができませんけれども、有事というものはそういうものを考えることだと思う。』(野中の発言より・P42〜43)




 Keenさま
>『愛と誠』

> いいのかい?そんな大口叩いて……園主兄ぃの「恐怖の制裁」が炸裂しても、アタシは知らないよ。それとも、すでにホランドの方が実力は上で、「返り討ちにしてくれるわ!」ってこと?まあいずれにせよ、アタシはその現場を克明にレポして、妄想炸裂させて頂くだけだがね。

 冷たい一瞥をくれたかと思った瞬間、にぶい閃光がKeenの頬を薄く切り裂いて走った。

>> Keenさまは「岩清水くん」再評価の急先鋒ということで(笑)。

> それにはまず、原作読まないと。でも、全巻だと長そうだな〜☆三浦しをんさんに依頼しましょうか?でも売れっ子だから、原稿料高くなってるかもしれないわねー(笑)。

 そんなことより、園主さまが東京にいた、2月29日日曜日。朝日新聞の連載読書エッセイ「三四郎はそれから門を出た」で三浦さんは、大西巨人『深淵』と伏見憲明『ゲイという「経験」増補版』の二冊を取り上げていたそうですよ!(笑)





( 以下は「善と悪との相剋(下)」につづく)


「悪の花園」篇(笑) 投稿者:おKeen姐さん  投稿日: 3月 4日(木)14時20分3秒

☆ホランドへ

>それにしても『悪の花園』って、いいですよねー。これからはボクが「花園」の「影の大番長」を名乗ろうかな(笑)。

いいのかい?そんな大口叩いて……園主兄ぃの「恐怖の制裁」が炸裂しても、アタシは知らないよ。それとも、すでにホランドの方が実力は上で、「返り討ちにしてくれるわ!」ってこと?まあいずれにせよ、アタシはその現場を克明にレポして、妄想炸裂させて頂くだけだがね。

……疲れるので、元に戻ります(笑)。

>Keenさまは「岩清水くん」再評価の急先鋒ということで(笑)。

それにはまず、原作読まないと。でも、全巻だと長そうだな〜☆三浦しをんさんに依頼しましょうか?でも売れっ子だから、原稿料高くなってるかもしれないわねー(笑)。

>> ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

>同感です! 園主さまも、ファラミアが死を覚悟して出撃するシーンに、ウルウルしてたみたいですよ(笑)。

うんうん、『旅の仲間』でのボロミアといい、ゴンドール兄弟はいい味だしてますよねー♪お父ちゃんは情けなかったけど☆確か原作では、デネソールも実はパランティア(あの、水晶玉 みたいの)を持っていて、サウロンに操られていた、という設定だったと思います。

> ゴラム
>もう少し、説明していただけませんか?

うーん、昨日書いた以上に掘り下げるにはもう少し時間が必要なので、待っててくれる?

>でも、ボクとしては、「魔性」に魅入られた部分を抱え込んだまま、つまり引き裂かれたまま生きていくということが、「ホビット」ではなく、「人間」の生き方だと思うんですよ。だから、引き裂かれたフロドが「エルフの国」へ行っちゃうのは、どうも納得できないんですよね。

私が思うに、トールキンは「二つに引き裂かれた」状態をすでに人間(※ホビットと同義に使います)の限界を越えている、と考えているのではないかと。善と悪が混在してどちらにでも転び得るのが人間の自然な姿(=サム)なので、指輪の毒で「引き裂かれた」状態(=フロド、ビルボ)は、もはや人間には重荷に過ぎる。まして、彼らは何らかの罰として「引き裂かれた」わけではなく、むしろ運命の悪戯によって担わされたものなので、それに耐えて生き抜くには、せめてもの慰労が必要だ、と。

>フロドは「ホビット」だけど、やっぱり主人公として「人間のあるべき姿の象徴」として描かれている部分も、確実にあると思うからなんです。この辺の疑問は、原作を読めば氷解するのかも知れませんが。

原作のことは私もわかりませんが、少なくともピーター・ジャクソン監督は、「人間のあるべき姿の象徴」をサムに託して描いたのではないでしょうか。「フロドへの無償の友情」という形で(←ん?岩清水くんと共通 するような……/笑)。指輪の旅で成長したサムは、堂々とロージーにプロポーズして結婚、子供も生まれ、幸福な家庭を築きます。そんなサムにフロドは書き上げた『指輪物語』(※ちゃんとビルボの『ホビットの冒険』の続編になってた)を渡し、「続きは君が書いてくれ」というようなこと言ってませんでしたっけ?「二つに引き裂かれることなく」生きて行ってくれ、とも。
だから、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作の「影の大主人公(笑)」は、実はサムなのかもしれません(←Keen説)。


ホランドくんへ 投稿者:アーニャ  投稿日: 3月 4日(木)00時41分33秒

>> 私から見ると、「五十歩百歩」ね(笑)。

>そんな雑な見方をしてると、「猫に小判」だから仕方がない、って言われるぞ(笑)。

あーら、「五十歩百歩」ってのは、「五十歩」と「百歩」の間には「2倍」という大きな差があるってことじゃないの?(笑)

それでは皆さま、お休みなさい。良い夢を。にゃあ〜♪


長の長たる所以(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 3日(水)23時05分18秒


 アーニャ
> まあ、今日は竹本健治『囲碁殺人事件』(創元推理文庫)が手に入ったから、少し持ち直したようだけど……ホント、仕様がないわよねー(笑)。でもこれ、私が思うに、アニメの『ヒカ碁』放映中に出版した方が、よく売れたんじゃないかしらねえ……「おっ?囲碁のミステリか。どれ、読んでみようかな」って、新規の読者層の目を引いたかもしれないな、と。今さら遅いけど。

 ボクも、創元推理文庫版『囲碁殺人事件』を手に入れたよ。すっごくカッコイイ表紙だよね。今までで最高かも知れない。ちょっと『古畑任三郎』のオープニングを連想したんだけど(笑)。

> そうそう、アリョーシャの書き込みにあった、「ミステリとミステリーの区別 」なんて、存在自体知らなかったわ!私とKeenさまは、所謂「探偵小説」を「ミステリ」と理解してたのだけど、もしかして違ってたのかしら?

 『ミステリ』っていうのは、「探偵小説」と言うよりも、「ハードボイルド」「スパイ小説」「冒険小説」などを含む「推理小説一般 」を指す言葉なんだと思うよ。一方『探偵小説』は、基本的には「ハードボイルド」「スパイ小説」「冒険小説」を除いた、「本格ミステリ」と「変格ミステリ」を併せたものって感じかな。

 でも、アーニャたちがそれらを『ミステリー』と言わないのは、『知らなかった』と言うよりも、きっと『無意識に使い分けていた』ということなんだと思う。

 『ミステリ』と『ミステリー』の大きな違いは、『ミステリ』は「推理小説」という意味でしか使わない、いたって限定的な言葉(専門用語=ジャーゴン)だけど、『ミステリー』の方は、AOIさまが書かれていたように、語の本来の意味に近い「神秘・謎・怪奇」という意味で使われることも多いという点なんだ。つまり「UFOもネッシーも超能力も、ミステリー(=解き得ない謎)」ということになっちゃって、『ミステリー』は「推理小説(=理性的に謎を解く小説)」とは「対極にあるもの」まで含んでしまうんだよね。
 だから、例えば『UFO殺人事件』という本が「ミステリー」として売られている場合、この本は「UFOや宇宙人によってひき起された殺人事件を描いた作品」なのか、「UFOや宇宙人によってひき起されたかに見せ掛けた殺人事件を描いた作品」なのかがわからないんだ。で、前者が『ミステリー』と名乗るのは仕方ないんだけど、『ミステリ』とは名乗れない。『ミステリ』と名乗れば「詐欺だ」というのが、この区別 の意味なんだ。

> 私から見ると、「五十歩百歩」ね(笑)。

 そんな雑な見方をしてると、「猫に小判」だから仕方がない、って言われるぞ(笑)。
 中井英夫ファンなら、建石修志さんが書いてらしたみたいに『おお、厳格なる数学よ!』っていう顔をして(厳密さを持って)なきゃね(笑)。


 園主さま
 遅ればせながら、おかえりなさい(^-^)。

> 『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』

> そんな中で、特に私の印象に残った作品は、何といっても建石修志さまの初期鉛筆画でございます。講談社文庫版『幻想博物館』の表紙画、同書所収の「火星植物園」の挿し絵、『黒鳥の囁き』の表紙画、稀覯本『香りのおもいで』の表紙画など、思いがけない作品を直接見ることが出来ました。

 そんな作品がまだ残ってたなんて意外ですよね。ボクもそのうちに見に行こうっと!





 ところで今夜中には、ひさびさにきれいな切り番「0123456」に届くと思われます。これを踏んだ方は、できればここ「花園」に、そのことをご報告下さいね。これまでロム専門だった方も、ハンドルネームで結構ですから、ぜひお願いいたします。もちろん、常連の方もご遠慮なく!


 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


長の長たる所以(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 3日(水)22時56分25秒


 Keenさま(続き)

> 『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』

> ローハンのエオウィン姫とゴンドールのファラミアの笑顔の方が感じがよかった♪

> 内面の演技では、ファラミアが『二つの塔』に続いて、お気に入りです♪(^0^*
> 「父に認められたい次男」という設定が、いかにも私好み、ということもありますが(苦笑)、そういう内面 の葛藤をよく表現していると思うのです。『二つの塔』では、フロドたちを解放するシーン。『王の帰還』では、父に拒絶されるシーンでの、クロース・アップの表情。……泣きました(T-T)。時間の都合もあるでしょうが、もうちょっと活躍してほしかったなあ〜☆

 同感です! 園主さまも、ファラミアが死を覚悟して出撃するシーンに、ウルウルしてたみたいですよ(笑)。

> ゴラムを最終的に切り捨てるのはなぜ?何のために連れてきたの?
> 納得できる説明してよっ(ぷんぷん)
> ゴラムを切ることは物語の一種のカタルシスなのでしょう。きっと。(AOIさま)

 『ゴラムを切ることは物語の一種のカタルシス』になるとも、ボクは思えません。だから、あの扱いは何だったんだ、という疑問がそのまま残っています。

> ラストシーンでも、実はサムが重要な役割を果たしているのだと思います。AOIさまが感じた不満も、主役二人の演技力不足と無縁ではないかと。なぜなら、ゴラムとフロドは同じだからです。フロドが落ちて、ゴラムが助かったって良かった。でも、それでは「物語」が成立しない(笑)という事情はさておき、フロドが指輪を振り切って手を伸ばすことができたのは、サムが呼びかけたからです。それに、ゴラムは道案内として「ついて来た」のであり、「つれて来た」わけではありません。また、一度でも指輪を保持した者は、指輪にとり憑かれて二つに引き裂かれ、もう「元には戻れない」んですね。すっかり年老いたビルボまでもが「もう一度指輪を見たい」と言ってます。その苦しみを少しでも和らげることができるのが、「ヴァリノール(=エルフの国)」なのでしょう。それゆえ、フロドとビルボは旅立つ、サムに後を託して。

というご説明が、どうもピンと来ません。特に『ゴラムは道案内として「ついて来た」のであり、「つれて来た」わけではありません。』という点に、ドラマづくりとして、どれほどの(意味の)違いがあるのかと思うんですよ。もう少し、説明していただけませんか?

> とにかく、さあ泣けー!という「感動のシーン」以外(多分)でも、いっぱい泣きまくりました。スクリーン一杯に雪山や草原が映し出されただけでその美しさに泣き、圧倒的劣勢で戦に臨む前、「Death!(=死を!)」と兵士たちが覚悟の叫びをあげるのに泣き、ゴンドールの執政・デネソールの前でピピンがアカペラで歌う美声に泣き……もちろん、男装のエオウィンが兜を脱ぎ捨て、「I am not a man!」とナズグルの首領を倒した時も、サムがフロドを背負いあげた時も泣きました。(うう、思い出しただけでもうるうる〜☆)

 それは、さぞやスッキリしたことでしょうね(笑)。

 でも、ボクとしては、「魔性」に魅入られた部分を抱え込んだまま、つまり引き裂かれたまま生きていくということが、「ホビット」ではなく、「人間」の生き方だと思うんですよ。だから、引き裂かれたフロドが「エルフの国」へ行っちゃうのは、どうも納得できないんですよね。フロドは「ホビット」だけど、やっぱり主人公として「人間のあるべき姿の象徴」として描かれている部分も、確実にあると思うからなんです。この辺の疑問は、原作を読めば氷解するのかも知れませんが。





( 以下は「長の長たる所以(5)」につづく)


長の長たる所以(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 3日(水)22時55分20秒


 AOIさま
> 私も同感。
> 内部の事情に詳しくありませんが、中村さんは「ペシャワールの会」からアフガニスタンに派遣されたというのではなく、中村さんに共鳴する人たちが後援する会として「ペシャワールの会」が設立されたのでしょうね。
> サイト自体は現地スタッフではなく、日本の「ペシャワール会」でつくっているものではないかと想像します。支える側としては、支えることで精一杯でこういう表現になってしまうのかなと思いました。

 そういうこともあるでしょうし、直接自分が『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』わけじゃないから、そう書いても「自慢にはならない」という安心感もあるんでしょうね。でも、その裏には、そうした行動を「影で支えている」という自負も当然あって、そこを自慢したいという気分もあるから、つい周囲の目を失念して、『誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする』人を、代償行為的に派手に持ち上げてしまうんでしょうね。

 何か大切なことをきちんと見ている人も、すこし視点を変えれば、人並み以上に盲目になっている部分があるもの。それが、完璧ではありえない「人間」という生き物の宿命なんだということを、他山の石として、ボクたちはそこから学ぶべきなんだと思います。


 Keenさま
> よたろうさま

> でも「軟式」なんて無責任な態度だなんて言われないかな?
> (↑誰を想像してビクビクしてるかは内緒(笑))

 これって、誰かさんへの、一種の「お世辞」?(笑)

> 映画関係では、その後、『愛と誠』の続編と完結編もWOWOWで見ました。まず続編、「前作の大ヒットを受け製作されたシリーズ第2弾」とのことですが、これは×!二代目誠の新人・南条弘二、ヘタ過ぎ☆また、全編にわたって手抜き過ぎ☆「悪の花園高校編」だったので、別 な意味での笑いはありましたが、影の大番長役の多岐川裕美がまあまあ原作のイメージを伝えているかな、という程度。岩清水くんがカケラも出て来ないのも不満でした(笑)。
> で、完結編はやや反省の色が見られ(笑)、「黄桜団のシュン」に柴俊夫、政財界の影の大物に大滝秀治と演技派を配したものの、三代目誠の加納竜も、初代・西条秀樹にはかないませんでしたね☆運動神経抜群だったヒデキは、アクションシーンもなかなかの迫力で演じており、一番良かったと思います。岩清水くんもやっと「悪の花園」に転校して来て、いい味だしてました。(^0^* でもやっぱり、扱いが小さいかな〜☆ラストにも絡んでなかったし。誠が初めて素直に愛を抱擁するラストシーンは、まあ、映画としての収まりはつくものの、三部作の結末としては弱い、説得力に欠ける。原作を知らないので想像ですが、もう少し奥行きのある終わり方だったのでは、と感じました(※ネタばれしないように書いてます)。

 主演の西条秀樹さんもさることながら、多岐川裕美さん・柴俊夫さんが高校生役というのも、時代を感じさせますねえー。もっとも、役柄よりはお歳をめしていらしたでしょうけど(笑)。

 それにしても『悪の花園』って、いいですよねー。これからはボクが「花園」の「影の大番長」を名乗ろうかな(笑)。……Keenさまは「岩清水くん」再評価の急先鋒ということで(笑)。





( 以下は「長の長たる所以(4)」につづく)


長の長たる所以(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 3日(水)22時54分36秒


 FIVEPLACESさま
> 『ミステリ百科事典』、読み物としてもミステリ本としても面白いですので、もし発掘出来たら読んでみて下さいね。ネタバレの嵐ですが(笑)、ネタバレの数が多すぎて不思議と実作を読むときの弊害は少ないと思いますので。近いうちに当サイトでも特集を組む予定です。

 本がみつかれば、きっと読ませていただきます。また、そちらのサイトでの「特集」も楽しみにしていますので、実現の折りには、ぜひご連絡下さいね。

> 私的には結城昌治は短篇がオススメです。
> ユーモア溢れた作品や切れ味鋭い作品が目白押しですよ。また、『斬に処す―甲州遊侠伝―』などの時代小説や『志ん生一代』のような評伝小説も素晴らしいです。

 なるほど。短篇を読んでみるというのは、思いつきませんでした。昔の角川文庫あたりを、古本屋さんで探してみます!

> 好きな作家として挙げた方達にも共通しますが、幅広い作風を持っている作家は私の好みです。

 ボクはどっちかって言うと、芸域が狭くても、強烈な「個性派」の方が好きです。そういう作家って、斑っ気で、あたりはずれが激しいんですけどね(笑)。

> 私は島田氏の、物語の語り口というか筆力が好きなのでミステリマニア的にどれほど優れているかはうまく説明出来ませんが(本格ミステリ・マスターズの『魔神の遊戯』も良かったと思っていますから)、奇想天外な状況作りと解決の力技ぶりは楽しめますよ。新書で安いですし、是非読んでみて下さい。

 島田荘司が好きな人というのは、あの憑かれたように熱い語り口が好きだという人が多いようですね。園主さまは、逆にそういうところで引っ掛かる部分があるようですけど。

 『魔神の遊戯』は、本格ミステリマニアにはそれほど評価されていないようですが、『ネジ式ザゼツキー』の方はそのうち読みたいと思います。

>> そう言えば、島田さん、最近は「冤罪事件」「死刑制度」「日本人論」の本を出さなくなりましたね。

> 表立ってはいませんが、秋好事件の支援など精力的に行っているようです。
> 社会評論や社会問題をテーマとした作品も今後どんどん書いていくのではないですかね。

 それは楽しみですね(笑)。

 そう言えば、たしか『活字倶楽部』の前号が毎年好例のアンケート特集号で、その項目のなかには「昨年一番印象に残ったこと」だったか「昨年一番興味深かったこと」みたいなのがあるんですが、我孫子武丸さんや綾辻行人さんなど、島田さんの推輓を得てデビューした新本格第一期の作家さんたちが、「イラク戦争」がらみのことを語っていたのが印象的でした。

 また、ホラー作家の津原泰水さんは、たしか母上が被爆者だということで、同じくホラー作家の井上雅彦さんが無造作に書かれた文章に、激しく噛みついたという事件が、以前にあったようですね。そんな津原さんは、上のアンケート項目への回答として『富国強兵』と辛辣な一言を書いておられました。――たしかに今の日本は「富国強兵」の国だと思います。

> 御手洗ファンの友人はそうした傾向を「初期の純粋な本格作品が読みたい」と歓迎していませんでしたが、私は社会問題と本格を両輪に精力的に執筆を続ける氏を応援したいです。

 ボクも、「抱き合わせ商品」的な安易なかたちで、ミステリに社会問題を持ち込んで欲しくはないけど、島田さんのそうした双方向性自体は高く評価しています。ただでさえ本格ミステリの「世間」は「タコ壺」だと言われてるし、他に期待できる人はほとんど見あたらないんですから、島田さんにはぜひ頑張ってほしいですね。





( 以下は「長の長たる所以(3)」につづく)


長の長たる所以(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 3月 3日(水)22時53分6秒

 みなさん、こんばんは! 先日、オウム真理教(現・ア−レフ)教祖 麻原彰晃こと松本智津夫被告に対し、求刑どおりの「死刑」の第一審判決が下されましたね。もちろん上告されるでしょうから「死刑」が確定したわけではないし、ボクは「死刑制度」そのものには反対なんですど、いずれにしろ「死刑」を認めた現行法からすれば、「地下鉄サリン事件」など同教団のひき起した事件にかんして、最高指導者である松本が、「死刑」という最も重いかたちで責任を負うのは、当然のことだとボクは考えます。
 また、ここで進んで引き合いに出しますが「戦争責任を取らなかった、昭和天皇 裕仁」の二番煎じにならない方が、(「教団のため」と言うよりも)「信者のため」「彼自身のため」にもなると思います。なぜなら、人の上に立ち、人の心の拠り所になるべき人間とは、その身を犠牲にして死ぬ ことにより、「永遠性」を獲得するものだと思うからなんですね。
 だから国としても、松本を抹殺することそのものよりも、松本の見苦しく生き長らえようとする俗物性を、裁判のなかで明らかにしていきたい、そのことによって信者の幻想を打ち砕きたいと考えているのでしょうが、今のところ、それはあまりうまくはいっていないように、ボクには思えます。

 この先、日本がどんどん「戦争」に傾いていき、将来その歴史を批判的に総括されるような時代が来たとしたら、その時には、「ハルマゲドン」という形で日本の行く末を予言し、国家に戦いを挑んだ「異形の宗教家」として、麻原彰晃は歴史にその名を刻むかも知れませんね。もちろん、その頃にはオウム真理教による一連の事件に巻き込まれた、罪もない人々の犠牲は、ほとんど顧みられなくなっていると思います。それが好ましいことじゃないのは当然ですが、たとえば日本人の大半が「イラク戦争」において、巻き添えで殺されていく多くの罪もなき子供たちの存在に目をつむり、「大所高所」から「イラク戦争の必要性」を語るのと、それは同じ種類のことなんでしょう。つまり、時間や空間を隔てられた場所における「名もなき人たちの犠牲」は、いつの時代でも「瑣末な問題」として顧みられないものであり、「歴史」とは往々にして、そうしたものを捨て去ったところで作られていくものだ、ということなんです。





 芙宮さま
> 大切な芙宮さまだなんて・・嬉し恥ずかしいわっ・・(くすり)。園主さまは、芙宮の敬愛するお父さんですから光栄ですわ。ではまた、ふらりと来ます。

 かつてはあれだけ園主さまを困らせたのに、ホントに大切にされていますよねー。やっぱり「手のかかる子どもほど可愛い」ということなんでしょうか?(笑)

 「覗き」だけではなく、またご来園くださいね!(^-^)/


 影姫さま
 ご機嫌はなおりましたか? ホントに被害妄想っぽいんだからなあー(笑)。

 誰が見たって、もう影姫さまは「アレクセイ・ファミリー」の一員なんですよ。――それが喜ぶべきことかどうかは、別 にして(笑)。


 ハムちゃまさま
> ハムちゃ魔ひさびさとおじお!!!
> 昨夜はまたセーヤがヒステリー起こしたようで!!!にゃんとも「黒猫館ファミリー」の一員としてはじゅかちいでちゅ!!!

 フォロー、ごくろうさま(笑)。お互い、お騒がせな友人を持つと、苦労が絶えませんよねー(笑)

> 花園の諸君、これからも女・古本・バカ一代・セーヤの面倒見てあげてくだちゃい!!!

 もちろんです。ボクらは「友だち」なんですから!





( 以下は「長の長たる所以(2)」につづく)


続・あれやこれや 投稿者:Keen  投稿日: 3月 3日(水)13時01分47秒

(※『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』ネタばれ有り、注意!)

昨日の続きです。
アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンは、もしかして、「王といえども、一人の人間」というところを強調して演じたのかなあ、とも考えてみました。もちろんそれはその通 りだし、私もエラそうに踏ん反り返った「王様」が見たかったわけではありません。でもやっぱり、指輪の旅を経験して、精神的に逞しく成長したところをもうちょっと見せて欲しかったな〜、と。

内面の演技では、ファラミアが『二つの塔』に続いて、お気に入りです♪(^0^*
「父に認められたい次男」という設定が、いかにも私好み、ということもありますが(苦笑)、そういう内面 の葛藤をよく表現していると思うのです。『二つの塔』では、フロドたちを解放するシーン。『王の帰還』では、父に拒絶されるシーンでの、クロース・アップの表情。……泣きました(T-T)。時間の都合もあるでしょうが、もうちょっと活躍してほしかったなあ〜☆原作の後日談では、指輪戦争の功績を認められてゴンドールのどこかの領主となり、エオウィンと結婚してめでたし、めでたしとのことです。(^0^*

映画のオープニングは、ゴラムがまだスメアゴルだった頃、指輪欲しさに犯してしまった殺人事件でしたよね。それで村を追放され、指輪だけを友として長い長い時を生きてきたゴラム。指輪を取り戻すために、フロドを殺そうともしました(※原作『指輪物語』の前作である『ホビットの冒険』では、ビルボをも)。しかし一方のビルボとフロドは、同じ指輪保持者としてその身上を哀れみ(=pity)、機会は何度もあったにも関わらず、ゴラムを殺そうとはしませんでした。「指輪の毒」を身をもって知っているからでしょう、「自分も同じなのだ」と。その因果 が指輪をめぐる最後に現れた、ということではないですか?

とにかく、さあ泣けー!という「感動のシーン」以外(多分)でも、いっぱい泣きまくりました。スクリーン一杯に雪山や草原が映し出されただけでその美しさに泣き、圧倒的劣勢で戦に臨む前、「Death!(=死を!)」と兵士たちが覚悟の叫びをあげるのに泣き、ゴンドールの執政・デネソールの前でピピンがアカペラで歌う美声に泣き……もちろん、男装のエオウィンが兜を脱ぎ捨て、「I am not a man!」とナズグルの首領を倒した時も、サムがフロドを背負いあげた時も泣きました。(うう、思い出しただけでもうるうる〜☆)
エンドロールでアニー・レノックスが歌う主題歌「Into the west」(オスカー受賞)も、泣きながら聴きました(もともとアニー・レノックスの大ファンですので)。バックに、美術担当さんのラフ・スケッチらしき鉛筆画が次々と映し出され、私が観た回では、途中で席を立つ人はほとんどいなかったと思います。で、入れ替えで外に出ると、次回の順番待ちの長蛇の列……オスカーが発表されて、今は一層混雑してるでしょうね〜。

不満と言いつつも、やっぱり劇場まで観に行ってよかったな〜♪と思うのでした。(^0^*


あれやこれや(下) 投稿者:Keen  投稿日: 3月 2日(火)19時31分4秒

>AOIさま

早速のレス、ありがとうございます。
お察しのとおり『ミスティック・リバー』は未見ですし、内容も知りません。が、ショーン・ペンが受賞した瞬間の会場の雰囲気がすごく良かったので、ジンときたのでした。
クリント・イーストウッドは、俳優としては大好きですが……『パーフェクト・ワールド』(だったかな?ケビン・コスナーと共演した作品)を見た時、「クリントさ〜ん、俳優だけにしといたら〜?」と思ったんですよねー☆ですから、AOIさまの言いたいこと、何となくわかるように思います。そう、「アメリカ」なんですよね。

『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』は、実は先週観て来ましたっっっ!!!(東京行けないんで、せめてもの抵抗/笑)ハッキリ言って、私も不満です。これ一作だけなら、作品賞なんて絶対無理です(断言!)。『愛と誠』同様、三部作の結末としても弱いですね。その原因は、私が見たところでは、役者の力量 不足だと思います(『バーディ』の逆)。

(※ここから、ネタばれ有り。映画未見の方はご注意!)
具体的には、フロドとアラゴルンです。1&2では、徐々に指輪に蝕まれて行く様子、真の王へと成長して行く様子をうまく演じており、ワキを名だたる名優たちが支えていたからバランスがとれてましたが、完結編では彼らが主役なのです。指輪に完全に魅入られ、狂気に陥ったフロドが弱過ぎる。剣を授けられ、王として全隊を統率するアラゴルンが、戴冠式で正装した姿が、どうしても「王様」に見えない!せいぜい、武勲を認められて出世して、イイお洋服着せて貰いましたー♪ってくらいにしか……(泣)。だから、アルウェンとの「感動の再会」も、何だかかえってシラケてしまう☆その点、ローハンのエオウィン姫とゴンドールのファラミアの笑顔の方が感じがよかった♪(原作では、この二人は結ばれるそうですよ。(^0^*)

ですから、今回はサムが良かった……泣けました、号泣(そう、私は小心なラテン系)。ラストシーンでも、実はサムが重要な役割を果 たしているのだと思います。AOIさまが感じた不満も、主役二人の演技力不足と無縁ではないかと。なぜなら、ゴラムとフロドは同じだからです。フロドが落ちて、ゴラムが助かったって良かった。でも、それでは「物語」が成立しない(笑)という事情はさておき、フロドが指輪を振り切って手を伸ばすことができたのは、サムが呼びかけたからです。それに、ゴラムは道案内として「ついて来た」のであり、「つれて来た」わけではありません。また、一度でも指輪を保持した者は、指輪にとり憑かれて二つに引き裂かれ、もう「元には戻れない」んですね。すっかり年老いたビルボまでもが「もう一度指輪を見たい」と言ってます。その苦しみを少しでも和らげることができるのが、「ヴァリノール(=エルフの国)」なのでしょう。それゆえ、フロドとビルボは旅立つ、サムに後を託して。

……と言いつつ、実は私も、原作はよく知りません。ざっと立ち読み&ダイジェストの流し読み程度なので、こういう解釈でいいのかどうかはわかりません。楽古堂さまのご意見を伺いたいところですが、お忙しいようで、4月以降でないと観られないとか。

ところで、フロド役のイライジャ・ウッドくん、カワイイ顔してても、やっぱり白人男性。薄めだけど、ちゃーんと胸毛も腹毛もありましたね〜☆(爆笑)
まだイロイロ書き足りないような気もしますが、本日はこれにて。


あれやこれや(上) 投稿者:Keen  投稿日: 3月 2日(火)19時28分32秒

園主さま、お帰りなさいませ。「永遠の薔薇」展は、なかなかの盛況だったようですね。よきかな♪お疲れのところを、レポありがとうございました。(^0^*

さて、しつこくも竹本健治『闇のなかの赤い馬』についてですが、「少年回廊」の常連で、以前にこちらにも書き込みして下さったよたろうさまが、面 白いご意見を発表されました。これは園主さまはじめ、皆さまにもご紹介したいなあと思いリンクを打診したところ、↓のようなメッセージを添えての許可を頂きましたので、同書を既読の方はご覧下さいませ。なお、ネタばれしてますので、未読の方はご注意願います。

            ※

http://www.geocities.jp/nanshiki_mystery_club/index.html

ども、よたろうです。

リンク先のページを「軟式ミステリ部・資料保管庫」として、
「「赤い馬」考」以外にも、「闇に用いる力学」の基礎資料として
「『闇に用いる力学』進行表」と「『闇に用いる力学』相関図・暫定版」を
公開することにしました。
何の役に立つか判りませんが、誰か何かの役に立てて下さい(笑)

>Keenさま
 リンクですか? ビミョーですねぇ(笑)
 多分、ちゃんとしたミステリマニアの人の目には穴だらけだと思うんですよ。
 まあ、極く私的な感想だということも申し添えておいていただければ結構ですよ。
 でも「軟式」なんて無責任な態度だなんて言われないかな?
 (↑誰を想像してビクビクしてるかは内緒(笑))

            ※

映画関係では、その後、『愛と誠』の続編と完結編もWOWOWで見ました。まず続編、「前作の大ヒットを受け製作されたシリーズ第2弾」とのことですが、これは×!二代目誠の新人・南条弘二、ヘタ過ぎ☆また、全編にわたって手抜き過ぎ☆「悪の花園高校編」だったので、別 な意味での笑いはありましたが、影の大番長役の多岐川裕美がまあまあ原作のイメージを伝えているかな、という程度。岩清水くんがカケラも出て来ないのも不満でした(笑)。
で、完結編はやや反省の色が見られ(笑)、「黄桜団のシュン」に柴俊夫、政財界の影の大物に大滝秀治と演技派を配したものの、三代目誠の加納竜も、初代・西条秀樹にはかないませんでしたね☆運動神経抜群だったヒデキは、アクションシーンもなかなかの迫力で演じており、一番良かったと思います。岩清水くんもやっと「悪の花園」に転校して来て、いい味だしてました。(^0^* でもやっぱり、扱いが小さいかな〜☆ラストにも絡んでなかったし。誠が初めて素直に愛を抱擁するラストシーンは、まあ、映画としての収まりはつくものの、三部作の結末としては弱い、説得力に欠ける。原作を知らないので想像ですが、もう少し奥行きのある終わり方だったのでは、と感じました(※ネタばれしないように書いてます)。
原作と映画は別物ですから、やはり分けて考えなくてはなりませんね、無視はできないまでも。


『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』ほか(下) 投稿者:園主  投稿日: 3月 2日(火)00時28分58秒


二次会は、品川駅前にある「つばめグリル」で行なわれ、これへは約50人くらいが参加しておりました。参加者は、当日駆けつけられなかった梅木英治、喜国雅彦、司修、畑農照雄、板東壮一、藤田新策、森山大道、山下陽子などの各氏をのぞく、参加作家のみなさん。それから中井英夫に縁の深い編集者として、深夜叢書社の斎藤慎爾、講談社の宇山秀雄、昨年惜しくも休刊となった『幻想文学』の東雅夫の各氏。中井英夫の葬儀で菩提を弔った、僧侶にして歌人の福島泰樹氏。小説家では、ご存じ綾辻行人氏、若き中井英夫の登場する短篇の収められた小説集『東京怪奇地図』の著者 森真沙子氏、かつて「塔英介」というペンネームをつかった倉阪鬼一郎氏、昔からの中井ファンである小森健太朗氏。この他にミステリ評論家の千街晶之氏やミステリ研究家の山前譲氏。意外なところでは、かつての全共闘代表で、先般 『磁力と重力の歴史』(みすず書房・全三巻)を刊行して多くの賞を受賞し話題となった山本義隆氏なども参加しておられました。
展覧会会場の方では、編集者として中井英夫を支えた元東京創元社の戸川安宣氏、ミステリ作家の北村薫氏もお見掛けいたしたが、お二人は二次会は欠席しておられました。

二次会の会場で、私がお話させていただいたのは、たまたま座ったところが近かった斎藤慎爾さまと、光文社文庫版『神聖喜劇』、同「江戸川乱歩全集」の装丁などで知られる装丁家の間村俊一さまのお二人。斎藤さまからは昔のお話を聞かせていただき、間村さまには私の方から大西巨人ファンとして『神聖喜劇』のすばらしい装丁についてお礼を言わせていただきました。

以上が、私の確認しえた範囲での著名人の顔ぶれでございますが、もちろん展覧会場の方には、この他にも多くの著名人が来場したものと思われます。
いささか簡単ではございますが、これで『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』とそのオープニングパーティー及び二次会のご報告とさせていただきます。


                 ○


なお、本日は中野の個性派古書店「タコシェ」へ赴き、お目当ての林良文 最新画集『LES FOYERS INFINIS』と、買いもらしていた「山本タカト」特集の雑誌『アックス』(30号)を購入。前者は、イタリア・ボローニャの画廊「MONDO BIZZARRO」が、同ギャラリーでの展覧会にあわせて2003年に作成した画集。後者は、山本タカトの書き下ろしマンガが収録されている、ファンとしては見逃せない雑誌特集号でございます。
また「タコシェ」が入っているビルには、「まんだらけ」中野店などの所謂「オタクショップ」が多数出店しており、私はそこで、買いもらしていた『あしたのジョ−』胸像フィギュアなどを、思いがけず入手することが出来ました。

じつは、このほかに大きな買い物が2点ほどあったのでございますが、ひけらかしが過ぎるのもなんですので、今回はここまでのご報告とさせていただきます(笑)。





本日は時間がございませんので、レスは後日ということでご勘弁下さいまし。

それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』ほか(上) 投稿者:園主  投稿日: 3月 2日(火)00時18分53秒

みなさま、本日(3月1日)午後8時頃、東京より戻りました。すでにご報告いたしましたとおり、昨日はINFORMATIONでもご紹介中の『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』を見に行き、そのままオープニングパーティー及び二次会に参加してまいりました。

展覧会会場は、参加作家が増えたせいでございましょう、当初の「ギャラリーオキュルス」を第一会場、直近の古書店「啓祐堂」を第二会場として開催されました。
参加作家は、中井英夫の最後の助手であり、中井没後の中井英夫関連の出版・イベント等の企画にたずさわってきた本多正一さまをはじめ、石塚公昭、梅木英治、喜国雅彦、今道子、 佐中由紀枝、多賀新、竹本健治、建石修志、司修、 楢橋朝子、畑農照雄、板東壮一、藤田新策、間村俊一、森山大道、山下陽子、山本美智代、渡辺東の各氏で、たいへん作品数の多い、にぎやかな展覧会となりました。

そんな中で、特に私の印象に残った作品は、何といっても建石修志さまの初期鉛筆画でございます。講談社文庫版『幻想博物館』の表紙画、同書所収の「火星植物園」の挿し絵、『黒鳥の囁き』の表紙画、稀覯本『香りのおもいで』の表紙画など、思いがけない作品を直接見ることが出来ました。次にインパクトの大きかったのは、やはり石塚公昭さまによる中井英夫人形でございましょう。先日来、石塚さまのサイトで公開されていた「晩年の中井英夫」ではなく、若い頃(編集者時代?)の中井英夫を再現したものでございました。

午後6時からのオープニングパーティーの会場となった「ギャラリーオキュルス」は、渡辺東さまが個人経営する画廊で、その広さは個人画廊としては普通 程度。ですから、個展の会場としては十分に広いものの、参加作家が19人ともなるといささか無理があり、第二会場が準備されたわけでございます。が、ということはパーティー会場としても、作家全員が入るだけで窮屈になってしまう広さでしたので、午後6時からのパーティーが近づいてまいりますと、おのずと会場は満員となり、会場前には会場からあふれた、作家を含む大勢の人がたむろするという椿事とあいなりました。結局、午後6時のパーティー開始の時点では100人前後が集まり、多くの方が会場の外で、配られたワインを飲むという「大盛況ぶり」。そんなわけで、パーティーといっても、ほとんど顔見知りとの立ち話だけになってしまいましたので、要領のよい私は「二次会でゆっくりさせてもらおう」とばかりに、さっさと会場の2軒隣の喫茶店に退散。そこで二次会が始まる午後8時を待つことにしたのでございます。





( 以下は「『永遠の薔薇 ― 中井英夫へ捧げるオマージュ展』ほか(下)」につづく)


冬の名残り(下) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 1日(月)23時59分22秒

☆ハムちゃま

>ムフ・・・しかしここだけの話でちゅがセーヤのやつ「辻邦生」の隠れファンにゃんでちゅよ!!!第一作『廻廊にて』読んで泣いたとか!?ムフムフ・・
この小説実は日本ではめずらしいレズビアン小説の傑作なんでちゅよ!!!
むふーーーーーーーん!!!

へーー!そうなの?知らなかったわー。
興味津々・・・ムフフ・・・。
影姫さまの守備範囲はここまで及んでいたのね。

あ、そういえば団鬼六原作『花と蛇』が公開されるようですね。杉本彩主演。監督石井隆。
こちらについては影姫さまはいかが?
園主さまにふるべきかしら?

☆Keenさま

>『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』が、作品賞はじめ、ノミネート11部門完全制覇したわっっっ!!!

>主演男優賞は『ミスティック・リバー』のショーン・ペン。
スタンディング・オベイションだったわ〜。(T-T)

ご報告ありがとうございます。おおよその下馬評どおりということなのでしょうね。
でも、私はやっぱり、アメリカだなあと思っちゃいました。
どちらもまだ観ていらっしゃらないと思いますが。

(以下、ネタバレ含む)
『ミスティック・リバー』は作品として、疑問。
「クリント・イーストウッド、おまえもか!?」っていう感じです。
今のアメリカ人の心情を特徴うずけているとはいえ・・・。
ストーリーの8割までは共鳴できますが、どうしてもあとの2割は納得できません。
あとの2割どうしっちゃったの?別人によって書かれた?
ストーリー的にも無理があると思うんだけど。
これを政治的だなんて思うのは私だけ????
ご覧になった方には、感想いただきたいわ。
ティム・ロビンスもショーン・ペンも好演してはいるんですが。


『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』については、原作を知らずに言ってしまう無謀をお許しください。
「お伽噺は体制維持装置としてある」という言葉を思い出してしまったわけです。
でも、コレは常識の範疇ですよね。
また、「そういう側面ばかり・・・」と言われそうね(苦笑)。
でも、いいでしょ?かたやオスカーとっちゃってるんだからー>園主さま
王たるものは王。選ばれし者は選ばれし者。うがった見方とは思いつつ。
ゴラムを最終的に切り捨てるのはなぜ?何のために連れてきたの?
納得できる説明してよっ(ぷんぷん)
ゴラムを切ることは物語の一種のカタルシスなのでしょう。きっと。


冬の名残り(中) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 1日(月)23時52分43秒

(園主さなつづき)

>AOIさまにとって『ジャンル(枠)』は『ほとんど意味のないもの』であるということではなく、単に『ジャンル(枠)』に無知であり、無自覚なだけだとしか見えないのでございますね。
>「思考の枠」としての「ジャンル」という「観念」が理解できない。そして理解できないものだから、つい「関係ない」と言って済ませてしまっている……という感じでございます。

『ジャンル(枠)』は『ほとんど意味のないもの』と言ったのは、映画・文学を鑑賞するにあたってのことです。
「思考の枠」としてのジャンルは鑑賞の後に来るものではないでしょうか。
私には「戦争映画」は「戦争という題材を通して、人間の本源を描くもの」という以上には必要でなかったということです。
「ジャンル」を必要としているのは、分類しなければならない専門家であったり、批評家であって、あとは、ジャンルについて思考する場合や議論を他者と交わす場合でしょう。
「戦争映画」というジャンルという観念がなくても『バーディー』や『地獄の黙示録』は観れるし、語れる。
「戦争映画」というジャンルの観念がなければ語れないということでしたら、また、「戦争映画」は「戦争という題材を通 して、人間の本源を描くもの」ということに疑義があるのであれば、まずは、「戦争映画」というのジャンルの定義を園主さまが出されるべきではないでしょうか。

>一般人が「ミステリー」と「ミステリ」の区別も知らないで、平気でそれを同一視しているという事実

これについては、『専門的(業界的)には』使いかたは違うのだろうとは思っていました。しかし、実際には不分明なのでは。というより、使いかたのコンセンサスがとれていないのでは?
例えば、「ミステリ」を辞書機能で検索してみると「ミステリー」と表示され
和英辞典では、
[小説など]a mystery (novel, etc.).
大辞林では
(1) 神秘的なこと。不可思議。なぞ。
(2) 怪奇・幻想小説を含む、広い意味での推理小説。

と出てきます。
辞書的には、あきらかに「ミステリ」と「ミステリー」とは同一のものなのですね。
で、私見では、「ミステリー」とは(1) 神秘的なこと。不可思議。なぞ。を指し、「ミステリ」は
(2) 怪奇・幻想小説を含む、広い意味での推理小説。
を業界的にはいうのではないかと理解していますが。


冬の名残り(上) 投稿者:AOI  投稿日: 3月 1日(月)23時47分45秒

☆ホランドさま

> 「誰もが行きたがらない所に行き、誰もがやりたがらないことをする」

と書いちゃってること。

>実際そのとおりのことをなさってるんでしょうけど、こういう書き方が、それができない多くの人に対し、どういう印象を与えるかということについて、ちょっと無頓着なように思われます。つまり、「何かをしなくてはと思いながらも、何も出来ていない多くの人」に対して、こうした言い方は、「(自慢げで)鼻持ちならない」という印象を与え、ことによると反発さえ招きかねない、ということがわかっておられないように思うんです。

私も同感。
内部の事情に詳しくありませんが、中村さんは「ペシャワールの会」からアフガニスタンに派遣されたというのではなく、中村さんに共鳴する人たちが後援する会として「ペシャワールの会」が設立されたのでしょうね。
サイト自体は現地スタッフではなく、日本の「ペシャワール会」でつくっているものではないかと想像します。支える側としては、支えることで精一杯でこういう表現になってしまうのかなと思いました。

☆園主さま

>小沢牧子さんの講演会記録「「心のノート」を考える」

分かりやすく要約してくださってありがとうございます。
それで、現在の学校教育の現場の問題として、付け加えさせていただきたいのですが、

河合さんも指摘する『つめこみ教育、おしつけ教育、点取り競争というという教育』によって吹き出して問題(『学級崩壊』『不登校』など)を解決するために心の教育をしましょう、スクールカウンセラーをおきましょう、というのは本末転倒である。まずは、つめこみ教育、おしつけ教育、点取り競争をやめるべきである。
子どもたちを孤立させ、競争させ、教員を評価し、お互いに反目しあうような状況をつくることを反省し、学校をきもちよく過ごせる場所にしていく努力をするべきである。
たとえば、学級でトラブルがあったら、みんなで自分たちの問題として話し合うことで解決していくべきであり、カウンセラーという専門家に委ねることは、問題を排除し、見えにくくさせ、個人の資質や家庭の問題にしてしまう結果 になる。

長年、学校現場をみてきた小沢さんの主張ですが、現場の教師の方、子どもをもつ親の立場の方たちの声を聞かせていただけたらと思います。


失礼☆ 投稿者:アーニャ  投稿日: 3月 1日(月)14時14分21秒

さっきの書き込み、オスカーのことよ。
つい、コーフンして書き忘れちゃったわ……Keenさまと、WOWOWで生中継見てたの。
ちなみに、主演男優賞は『ミスティック・リバー』のショーン・ペン。
スタンディング・オベイションだったわ〜。(T-T)


わお! 投稿者:アーニャ  投稿日: 3月 1日(月)14時08分36秒

アリョーシャっ、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』が、作品賞はじめ、ノミネート11部門完全制覇したわっっっ!!!
まあ、三部作の集大成、ということでしょうね。
ともあれ、私も、嬉しくってよ。

それでは皆さま、ごきげんよう。にゃあ〜♪



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