●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年4月下
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今どきの「俗情との結託」(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時15分26秒


 ホランド
> 矢吹 駆の言うとおり、たしかにこの犯人の「人民」に対する告発には「ルサンチマン(恨みつらみ)」が込められすぎていて、とても客観的なものだとは言えません。でも、この告発を「私には関係がない」と言えるような人もまずいないんじゃないかな。ましてこのようなご時世なら、むしろその告発を真摯に受け取るべきなんでしょうね。

まったくそのとおりだ。中野翠をその典型として、自身に「知的訓練」を科してもいなければ、「知識人としての責任の自覚」も持ってないような輩、つまり良くも悪くも凡庸な「大衆・人民」の一人でしかない輩が、偉そうに知識人(文化人)ぶって(他人事のように)「庶民
感覚」など持ち出すなと言うんだ。そんなもの、所詮は「自堕落(で、無自覚)な自己肯定」以外の何ものでもないのだから。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


今どきの「俗情との結託」(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時14分46秒


 アーニャ(つづく)

> 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』ってタイトルの本があったと思うんだけど、私はさしずめ、「花園で田中幸一にケンカを学ぶ」ってトコかしら(←スゲコワ〜☆)。ちなみに、上記の本は読んでないけど、広告に紹介されてた見出しに「逃げ道は残しておく」なんてのがあったような?相手にとってか、自分のことなのか……記憶が曖昧で、申し訳ないけど。

はっはっは。「ケンカ十段」と呼ばれる私だから、もちろんその本は知ってるし、「初版完本」で持ってるぞ。だが、「いかにも」って本なので、新刊で買ったわけではない。評判になって、かなり版を重ねてから古本で購入したんだ……(^0^;)。で、――手に入れたら安心してしまって、まだ読んでいない(^-^;)。

著者の遥洋子は、関西お笑い界出身の(わりあい)美人タレントだが、関西人らしい反骨心のある、負けん気の強い女性のようだな。ただ、彼女の正義感は、しばしば紋切り型の正論を出ないきらいがあって、勢古浩爾のような、自身大した仕事はしていなくても「私は頭がいい」と思っている手合いからは、「バカ女」との烙印を捺されているようだ。たしかに遥洋子にも「口数と気迫で押し切ろうとする」ような、男にはもっとも疎まれる問題点はあるけれど、彼女の子供のような純粋さは、ちゃんと認めてあげなくてはならないと思う。それでこそ「男」だと私は思うのだが、上野千鶴子の「陰口」は言っても「論争はしません」という、かの内田樹教授と同様、今どきの男は「利口ぶる」ばかりで、からっきし意気地というものがない。その点では、私はむしろ女性の方に、シンパシーを感じることが多いんだ。
以前読んだ『男流文学論』(上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子・ちくま文庫)も、とても楽しめたし、共感も出来た。おおむね近代以降の男は、威張るばっかりで、根本的には女性よりもずっと「へたれ」が多い、と私は思っている。

ちなみに、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』に示された「ケンカのしかた・十箇条」は、次のとおり。

  1. 『守るための開き直り』
  2. 『守るための質問、〈わからない〉編』
  3. 『守るための質問、〈○○ってなに?〉編』
  4. 『攻撃の為の質問、〈そのまんま〉編』
  5. 『広い知識をもつ』
  6. 『ワクを超えた発想をする』
  7. 『言葉に敏感になる』
  8. 『間をあけない』
  9. 『声を荒げない』
  10. 『勉強をする』

もちろんこれは「議論というケンカ」のための十箇条であって、本物の「殴り合いのケンカ」「口げんか」のための十箇条ではない。

私が某氏の前で、別の人に指導していたのは、この8番。そして某氏の弱点は、この7番だと言えるだろう。
おまえの指摘どおり、私の弱点は9番。これは本物の「殴り合いのケンカ」「口げんか」では有効なこと(威嚇)なんだが、「議論」においては弱点だ。なぜなら内容的には勝っているケンカを、その形式(見かけ)において台無しにしてしまうからだ。だから、笠井潔などは「内容的」には私に完膚なきまでに言い負かされていても、「肩書」を含むその形式(見かけ)において「相手をするに足りず」などと言って「逃げ」をうつことも可能になるんだな。

でもまあ「声を荒げる」ことには、いくつかのメリットがある。まず第一には「(気分が)スッキリする」という点。私は基本的に快楽主義者なので、言いたいことを我慢するというのが、とても苦手だ。つまり、思ったことは、できるだけストレートに表現したい。そのために多少「損」をしても、スッキリすれば、ひとまずそれで良しという気持ちも強くあるんだ。
2点目は、「声を荒げる」と、世間の耳目を惹けるという効果がある。つまりお上品にやっていては、私のような無名者が、有名人に対し効果 的な痛打を与えることはできない。だから「おんどりゃ、なにさらしとんじゃー!」と声をあげて、周囲の耳目を充分にひきつけ、そこから(手のひらを返して)冷静に論理的に、公衆の面 前で相手をやり込めれば良い、ということだ。つまり終止上品にやってたのでは、相手に無視されたら「それで終り」という部分もあるんだよ。これが「議論」成立以前のゲリラ的な「ケンカの仕込み方」だというわけだ(笑)。

> Keenさまはボチボチと療養生活を送ってますので、ご心配なく。

ゆっくり静養なさって下さい、とお伝えしておくれ。





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(7)」につづく)


今どきの「俗情との結託」(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時13分50秒


 アーニャ
> 園主に代わって、訂正☆
> Boiled Eggs Online によると、三浦しをん『月魚』の文庫版は、「角川文庫」から5/25に刊行予定です。
> また、小説最新作『私が語りはじめた彼は』は、5/26に新潮社刊とのこと。
> アリョーシャ、きっとごっちゃになっちゃったのね〜。

ご指摘のとおりだ。なりかわっての訂正、ありがとう。

また、三浦しをんさんとみなさまには、あらためて訂正とお詫びをさせていただきます。申し訳ございませんでした。

恃衆、あるいは 一票の重みと党派の暴力 ―― ある「探偵小説研究会」所属評論家の弁

> 久しぶりの「鬼神」バージョンだわねー(笑)。いかにもアリョーシャらしいけど、その「いたぶり好き」だけは、さすがに悪趣味だと思うわよ。まあ、本人が自覚してるからイイんだろうけど(本当か?/笑)。それとも、「何のこれしき、まだまだ」って、悪人笑いするのかしらね。

さすがはアーニャ、私の性格をよく把握しているな。おまえの推測はおおむね当っているよ(笑)。

拙論で批判された「探偵小説研究会」所属評論家某氏は、じつは私が他の人との雑談の中で、その人の「冗談における切り返し」のタイミングの悪さをとらえて『あなたはケンカが弱いタイプですね。切り返しというのは、タイミングを逸したのでは効果 はありません』と「ケンカ指導」をしているのを横で聞いていたんだよ。それを、私が「かの田中幸一」であると知りながら「単なる冗談」だと聞き流したのか、それとも自分の力量 を勘違いしていたため自分だけは大丈夫だと安心していたのかは知らないけれど、ともあれ、批評家としての自他に関する「鑑識眼」があれば、彼はあんな目にはあわなくても済んだということだ。

まあ、彼がどんなグループに所属しようとそれは彼の勝手だけれども、あそこまでハッキリ『批評家としての自覚を持てません、自信ないです。』『そういう自称批評家の方は、たくさいらっしゃいますが、個人的には軽蔑しております。』と書いたからには、今後、「探偵小説研究会」が斡旋してくれる公刊物への原稿書きや『本格ミステリ・ベスト10』『本格ミステリ大賞』への投票は、辞退するのが筋というものだろう。

だが、なにしろ「利権」がらみのグループに属していながら、それを指摘されて空っとぼけるような人だし、お仲間は「同類、相憐れむ」で「そんなこと気にする必要はない。頑張れ!」なんて励ましてくれるだろうから、最終的には、めでたく「笠井潔の手駒」である「無責任評論家」が、「延命」することになるんじゃないかな(笑)。





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(6)」につづく)


今どきの「俗情との結託」(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時10分43秒


 nasuさま
> 先日 「イノセンス After the Long Goodbye」山田 正紀著を読了しました。
> この手のノベライズにありがちな「俺のバトーはこうじゃねぇ
> てゆーかトグサ出てこないじゃんトグサ」
> とか思うファンの人は少なくなさそうだなー と言う出来でした。
> 今更こんな事を書く年ではないので、はしょりますが(笑)

たしかにおっしゃるとおり。名の通った小説家にノベライズさせた場合、「原作」に忠実であることは、期待しない方が良ろしゅうございましょうね。私も、「似ていない似せ絵」と同様、そういうものは好きではございませんので、あまり読まないのでございます。なにしろカラオケでも「原作に忠実」に歌うことを自分に科しているくらいでございますから(笑)。

ところで、『イノセンス』の「原作」とは、押井守監督による映画のオリジナルシナリオを指すのでしょうか。それとも原作者の士郎正宗のマンガを指すのでしょうか?
私にとって士郎正宗は、『アップルシード』の原作マンガ以来「読めない(絵を眺めるだけの)作家」なので、映画『イノセンス』にどの程度かかわりがあるのかは、よくわからないのでございます。

> 先行例として「ラーゼフォン―時間調律師」神林 長平著
> を読んではいましたが、大物あるいは個性的な作家にアニメや映画のノベライズ

それにしても気になるのは、こうしたノベライズが、たいがいSFプロパーの作家によってしかなされないことでございます。売れないうちならばともかく、一家をなした後の作家がこういう仕事をするのは、純文学はもとより、中間小説・時代小説・ミステリーなどのジャンル作家では、ほとんど見られません。
SF作家の執筆姿勢が柔軟だからだと思いたいところでございますが、やはりこれは、SFの市場が狭く――つまり、仕事がすくなく選べない、あるいは他ジャンルの人気作品にかかわって、そのあたりの客を取り込もうという狙いから、といったところが実際なのでございましょうか?

> すくなくとも「山田 正紀の電脳に対する解釈は間違っている!」
> と新橋周辺で叫ばせるだけの物でありました。
> 原作知らない人には近未来ハードボイルドとして楽しめるでしょうが・・・
> 思い入れが強いとちょっと。

なるほど。しかし、もともと山田正紀は、流行に応じて何でも書く「器用な物語作家」であり、「ハードSF(サイエンス・フィクション)作家」でないことは、そのデビュー当時から明らかでございましょう。ですから、『電脳に対する解釈』も、通 俗的に「イメージ先行」で、SF作家らしい科学技術にたいする知識は存外ないのかもしれませんね。そのへんにこだわるような作家ならば、「架空戦記もの」が流行ったといえばそれを書き、「サイコ・サスペンス」が流行ったといえばそれを書き、「本格ミステリ」が流行ったといえばそれを書き、といった変わり身の早さを見せることなど、そもそも不可能だったでございましょう(笑)。

ま、どちらにしろ「サービス精神と熱気にあふれた展開で読んでるうちは面 白いのだが、拡げた風呂敷を畳みきれず、最後は腰砕けになる作家。だからデビュー作の『神狩り』のように、決着のつかないお話の方がよい」という私の評価は動かないものと存じます。

> あずまんがは榊ちゃんよりもよみちゃんがイイ(・∀・)と思います
> 「よつばと!」は実は未読なんですよね、私は先に「ラブやん」を
> 読まねばなりませんので・・・
> ってゆーか「あずまんが大王」はかなりイイ(・∀・)!です  
> 是非是非読まねばなりません! なりません

私も『よつばと!』を読み、とても気に入りました。『あずまんが大王』の方は、あずま氏のオフィシャルサイトA-ZONEの著作紹介コーナーの「立ち読みあずまんが」で、ほとんど1冊分の分量 が読め、どういう作品かがよくわかりました。

子供好きである私個人としては、よつばが大活躍するストーリーマンガである『よつばと!』の方が、4コママンガの『あずまんが大王』よりも好みだと申せましょうが、この作者の持ち味である「脱力系のほんわかした雰囲気」は両者に共通 しており、なによりその「動と静の緩急の間」に絶妙の才能を感じました。私も、とても良いマンガ家だと存じます。

なお『ラブやん』というのは寡聞にして存じ上げません。あずま氏の作品なのでございましょうか?





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(5)」につづく)


今どきの「俗情との結託」(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時09分38秒


風向きに応じて『今では気の毒に思っている。』などと言ってはおりますが、中野にはまったく反省は見られず、自分の発言についての責任は、すべて他人にこれを転嫁しております。
曰く、

  (1)『今なお怪情報入り乱れ』
  (2)『ついつい、そういう人たちのイメージを重ねてしまい』
  (3)『周囲の政治的演出に振り回されていたらしいということがわかって来て』

(1)について言えば、プロの作家なら、わからないことをわからない段階で書くな、ということでございます。そして、それを推してでも書いたのであれば、そのことに関しては「自己責任」を取れ、ということでございますね。

(2)については、中野の個人的な「日頃の偏見」を「人質及びその家族」に勝手に重ね、一般 人を公の場所で「バッシング」しておきながら、「日ごろ個人的な偏見を持ってました(偏見は持たせた奴が悪い)ので、つい」で済むのか。プロなら「自己責任」を取ってみせろ、ということでございます。

(3)については、中野の陰険卑劣さがよく表れた部分だと申せましょう。中野はここで「私が、被害者及びその家族を批判したのは、彼らの行動が(左翼陣営によって)政治的に演出されたものであったからだ。つまり悪いのは、彼らでも、私でもなく、演出をした左翼陣営だ」と言いたいのでございます。しかし、彼ら(人質及びその家族)が基本的に「左翼寄り」なのは隠れもない事実で、だからこそ「サヨ嫌い」の匿名世間は、彼らを『声高』に「無名の暴力」によってバッシングし、政府は政府で救出への真剣な取り組みを拒み続けてのでございます。つまり、今回の事件に「演出」があったとすれば、それは主に「政府」側の「彼らは勝手な人たち」という演出以外にはございません。なのに、それを指摘しないまま、構図を逆転させて、左翼陣営に、自己の担うべき責任を転嫁をした中野翠は、確信犯的な「無責任作家」であると言えるのでございます。

ともあれ、

(A)『喧喧囂囂(←難しい字だ)』
(B)『この騒ぎからだんだん国民的コンセンサスというかコモンセンスが作られて行けばいい。』
(C)『「国」「政府」「官庁」などの公権力を批判さえしておけば、自分は反権力で知的な自由人――と思っているような人のことを、私は日ごろから嫌悪している』

など、いかにも低劣な中野翠の「俗情との結託」ぶりでございますが、何はともあれ、

『考えなれないことを考えて、疲れた。楽しんだ話を書きたい。『戸川鉄骨 人物肖像集』(坪内祐三編、みすず書房T大人の本棚Uシリーズ)が面 白く、ほのぼのとした救いになった。』

などと、これしきのことで疲れてしまうような「脳」しか持たないと言うのなら、今後は金輪際、難しい社会的な問題については、口(筆)を謹んで言及しないことでございましょう。それが「人間として誠実」であり、「作家としての誠実」というものでございます。つまり「身の程を知れ」ということでございますね。「中野さんは、読書でもして、ほのぼのとした老後をお過ごし下さい」ということなのでございます。


なお「ほのぼの」といえば、昨日、ホランドくんによる『よつばと!』の紹介文よつばとボクらホランド掌編集に収めさせていただきました。書影も入り、より同書の雰囲気がつかみやすくなっておりますので、どうぞご確認下さいまし。





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(4)」につづく)


今どきの「俗情との結託」(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時08分46秒


次に中野翠でございますが、こっちは『野党や一部世論から自己責任論に対する疑問が出され、〈海路の日和〉が少しのぞいてくる』に従って、「人質およびその家族バッシング」の主張を軌道修正しはじめるという、極めて(岩見隆夫の言うところの)日本人的な態度を見せております。

『 この事件をめぐっては今なお怪情報入り乱れ、うまく考えをまとめられない。以下、箇条書きにて。
●今回の事件の中で、「自己責任」という言葉がさかんに使われた。逆にそういう動きを批判する声も出て来て、喧喧囂囂(←難しい字だ)という状態になっているのは、決して悪いことではない。
 今はまだ両者とも感情的に昂っていて醜悪なところもあるけれど、海外危険地域での日本人ジャーナリストや民間人の活動のあり方について、この騒ぎの中からだんだん国民的コンセンサスというかコモンセンスが作られて行けばいい。』
『●前号でも書いたとおり、私は、人質になった人たちの家族の発言には疑問を感じた。気持が動転した上でのことだろうが、ずいぶん政府や外務省に対して攻撃的だなあと驚いたのだ。
「国」「政府」「官庁」などの公権力を批判さえしておけば、自分は反権力で知的な自由人――と思っているような人のことを、私は日ごろから嫌悪しているので、ついつい、そういう人たちのイメージを記者会見家族の姿に重ねてしまい、批判めいたことを書いてしまった。家族の人たちは動転する中で周囲の政治的演出に振り回されていたらしいということが、だんだんわかって来て、今では気の毒に思っている。』
『文化人より公権力の人びとの発言のほうが、よくも悪くも一般の生活実感に近かったような気がする(情報操作だあ! と言われてしまえばそれまでだが)。左翼としてはマズイ事態なんじゃないか。
●考えなれないことを考えて、疲れた。楽しんだ話を書きたい。『戸川鉄骨 人物肖像集』(坪内祐三編、みすず書房T大人の本棚Uシリーズ)が面 白く、ほのぼのとした救いになった。(以下略)』(前記連載より)

このような態度を、大西巨人は「俗情との結託」と呼んだのでございます。それにどうでございましょう、この「言い訳がましさ」「覚悟のなさ」。

自身が、「世間」並に「人質及びその家族バッシング」に加わっていたくせに、風向きが怪しくなると『うまく考えをまとめられない』とか『気がする』などと誤魔化し始めます。そのあげく、自分は「無関係な第三者」だよと言わんばかりに、臆面 もなく『今回の事件の中で、「自己責任」という言葉がさかんに使われた。逆にそういう動きを批判する声も出て来て喧喧囂囂(←難しい字だ)という状態になっているのは、決して悪いことではない。』などと言い出す始末。「おまえも参加者だろ、他人事のようにを言ってる場合かよ」と言いたくなるではございませんか。





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(3)」につづく)


今どきの「俗情との結託」(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月30日(金)19時07分41秒

みなさま、今週の『サンデー毎日』(GW合併号2004.5/9-16)は、イラク日本人人質事件の被害者とその家族にたいする「自己責任」批判(バッシング)が、多くの執筆者によって検証されております。これは買っておいて損のない、興味深い号だと申せましょう。


まず、人質や人質家族を行動を擁護し、彼らをバッシングした人たちを批判するのは、

 ・ 江川紹子(「千思万考」第1回)「近頃巷に流行るT病U」
 ・ 米原万里(「発明マニア」第25回)「国家機密の隠し方」
 ・ 森住卓「「自己責任」を問われる人質たち…、「誰が被害者を加害者にしたのか?」」

一方、人質や人質家族を行動を批判する側は、

 ・ 岩見隆夫(「サンデー時評」第313回)「『ル モンド』の批判はあたらない」
 ・ 中野翠(「満月雑記帳」第506回)

ということになりましょう。
前者3人とは、私、ほとんど同意見ですので、ここでは後者の2人の意見について、ご紹介しておきましょう。

近い将来「反・毎日」(「親・産経」あるいは「親・読売」)になるであろうとおぼしき岩見隆夫は、産経新聞パリ支局長山口昌子の著書『大国フランスの不思議』の意見を引き、これに同調して『一方、日本のように島国であるうえ、天候にも左右されやすい農耕民族の場合は、〈待てば海路の日和あり〉(根気よく待てば、好機がおとずれる)で、伝統的にあなたまかせの姿勢にならざるをえない。』という「粗雑な国民(属性)論」を展開した後、今回の「自己責任」騒動について、次のように書いております。

『 人質の家族が、犯人グループの要求どおり自衛隊を撤退させろ、と声高に迫ったとき、国家と人質(個人)の望ましい関係はほとんど人質や家族側の意識のなかにない。だから、人質の命を救うためには、政府は何でもやれ、活動は続けるなどという無頓着な要求や発言が出てくる。
 しかし、政府と世論の側から、たとえば、
「人に迷惑をかけるのに、十分に注意せずに信念を通す人を称賛すべきだろうか」(四月二十一日、産院本会議での福田康夫官房長官)
 といった自己責任論が噴き出すと、家族側は一転してただただ頭を下げる姿に切り替え、解放された人質は口を閉ざした。このひょう変は、国家と個人の関係を自覚したから、という印象ではなく、〈待てば海路の日和あり〉に通 じる島国・農耕民族的反応のような気がする。
 その次には、野党や一部世論から自己責任論に対する疑問が出され、〈海路の日和〉が少しのぞいてくる、といった極めて情緒的な展開になってきているのだ。』(前記連載より)

「おまえが言うな」と言っておきたいと存じます。このお粗末に「情緒的」な論文は、自己責任論者の「頭の悪さ」を端的に示して好個の実例だと申せましょう。

『自己責任論が噴き出すと、家族側は一転してただただ頭を下げる姿に切り替え、解放された人質は口を閉ざした。このひょう変は、国家と個人の関係を自覚したから、という印象ではなく、〈待てば海路の日和あり〉に通 じる島国・農耕民族的反応のような気がする。』――『印象』『気がする』と書けば、どのような無根拠な理屈でも通 ると、この人は考えているのでございましょうか。言うまでもなく、人質及びその家族の態度が『ひょう変』したのは、暴力的な「世間からのバッシング」にあったからで、そんなことは「常識」に類する話でございましょう。それをアナクロな「島国・農耕民族体質説」で説明するとは、ばかばかしくて話にもなりません。

こんな人を、左翼の「毎日」が、いつまでも使っているのは、岩見が社内(政治)でそれなりに力を持つ「古株」だというようなことがその理由であろうと、私は推察するのでございますが、しかし、ここまで程度が低いと、「毎日」は、彼に書かせておけば、雑誌の見掛け上の(左右)バランスがとれるし、相手(右)はバカだということを示す好例にもなると、そこまでの深謀遠慮があって「放し飼い」にしているのではないか、とまで疑ってしまいたくなるのでございます。万が一これが当っていたら、私は「毎日はすごい!」と絶賛の言葉も惜しまないつもりでございます(笑)。





( 以下は「今どきの「俗情との結託」(2)」につづく)


ふぉろ みー 投稿者:nasu  投稿日: 4月29日(木)23時45分49秒

先日 「イノセンス After the Long Goodbye」山田 正紀著を読了しました。
この手のノベライズにありがちな「俺のバトーはこうじゃねぇ 
てゆーかトグサ出てこないじゃんトグサ」
とか思うファンの人は少なくなさそうだなー と言う出来でした。
今更こんな事を書く年ではないので、はしょりますが(笑)
原作者の考えるキャラクターと読者の考えるキャラクターの間に差が出来
さらに演出家・小説家の間に出来る差があり、
「でも原作のまんまだったら演出家っていらないじゃない?」
と言う商業的な展開に伴う根元的なギャップがあり。
一言で言えば「解釈の差」に収斂してしまう問題でありましょう。
「山田 正紀のバトーはこうなんだ」とやや原作の終わりを意識した
読書をすれば原作の熱狂的なファンも腹が立たないでしょう。多分。
しかしながら先行例として「ラーゼフォン―時間調律師」神林 長平著
を読んではいましたが、大物あるいは個性的な作家にアニメや映画のノベライズ
をさせると全然別の話なっちゃうなー と思う次第です。
すくなくとも「山田 正紀の電脳に対する解釈は間違っている!」
と新橋周辺で叫ばせるだけの物でありました。
原作知らない人には近未来ハードボイルドとして楽しめるでしょうが・・・
思い入れが強いとちょっと。

所で、最近客先常駐で某省庁に出入りすることになりました。
会社と違って気軽にさぼれないのでアレですが、「役人仕事しろよ」
と思う日々です。つらいなぁー

ホランド様>あずまんがは榊ちゃんよりもよみちゃんがイイ(・∀・)と思います
      「よつばと!」は実は未読なんですよね、私は先に「ラブやん」を
      読まねばなりませんので・・・
      ってゆーか「あずまんが大王」はかなりイイ(・∀・)!です  
      是非是非読まねばなりません! なりません

http://fiction.jp/%7Euroboro/


園主に代わって、訂正☆ 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月28日(水)18時12分38秒

Boiled Eggs Online によると、三浦しをん『月魚』の文庫版は、「角川文庫」から5/25に刊行予定です。
また、小説最新作『私が語りはじめた彼は』は、5/26に新潮社刊とのこと。
アリョーシャ、きっとごっちゃになっちゃったのね〜。

>「笠井潔葬送」シリーズ

久しぶりの「鬼神」バージョンだわねー(笑)。いかにもアリョーシャらしいけど、その「いたぶり好き」だけは、さすがに悪趣味だと思うわよ。まあ、本人が自覚してるからイイんだろうけど(本当か?/笑)。それとも、「何のこれしき、まだまだ」って、悪人笑いするのかしらね。

『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』ってタイトルの本があったと思うんだけど、私はさしずめ、「花園で田中幸一にケンカを学ぶ」ってトコかしら(←スゲコワ〜☆)。ちなみに、上記の本は読んでないけど、広告に紹介されてた見出しに「逃げ道は残しておく」なんてのがあったような?相手にとってか、自分のことなのか……記憶が曖昧で、申し訳ないけど。
あ、bk1で見つけたから、リンク↓に貼っておくわね。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3cc90d5451dd80102480?aid=02atnifty0001&bibid=00002357&volno=0000

Keenさまはボチボチと療養生活を送ってますので、ご心配なく。
ホランドくんの投げキス、効いてるみたいよ。(^0^*

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


よつばとボクら(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月27日(火)21時11分17秒

 それから、印象的だったのが第3話の「よつばと地球温暖化」(第1巻所収)と第14話の「あさぎと おみあげ」(第2巻所収)。どちらにも「大人のごまかし」が出てくるんですが、それをよつばちゃんは素直に受け入れて喜びます。このエピソードを、否定的にとらえるのも肯定的にとらえるのも、共に簡単だと思うんですが、ボクとしては問題はそんな単純なことでないように思います。例えば、両親が幼い子供に寝室での行為を見られ「何してるの?」とたずねられ「プロレスごっこしてたんだよ」と「ごまかす」ことが単純に「悪」なのか。子供に理解できようとできまいと、大人にするのと同じように、正直に事実をありのままに語るのが「正しい」と単純に言えるのか? ――ボクは、そんな場合の、大人の「教条的な正直さ」には、どこか「責任回避のための、嘘回避」という感じをうけるんですよね。相手にとってその説明がどうであろうと、自身が正直に語ってさえおれば、後で責任を問われることはないから安心、みたいな。
 おととい園主さまが、アップなさった論文、
真の敵を見さだめる勇気 ―― 荷宮和子『声に出して読めないネット掲示板』
のなかに、『しない善より、する偽善』という言葉が紹介されていましたけれど、ボクはこの2つのエピソードに、同様の「善悪における純粋さの問題」というものを考えさせられたのでした。

 ちょっと硬い話になりましたけど、でも『よつばと!』は文句なしに楽しめるマンガです。うえに紹介したエピソードのほかにも、第10話「よつばとケーキ」(第2巻所収)、第11話「よつばと どんまい」(前同)など、楽しくて印象的なお話が満載。活字本もいいけど、やっぱりマンガも面 白い! 『よつばと!』を、みなさんに強力推薦いたします!





 園主さま
 ひさしぶりに『バイバイ、エンジェル』における「犯人の(による)告発」部分の引用でしたね(笑)。

 矢吹 駆の言うとおり、たしかにこの犯人の「人民」に対する告発には「ルサンチマン(恨みつらみ)」が込められすぎていて、とても客観的なものだとは言えません。でも、この告発を「私には関係がない」と言えるような人もまずいないんじゃないかな。ましてこのようなご時世なら、むしろその告発を真摯に受け取るべきなんでしょうね。

>  そうです。革命と人民は本質的に無関係です。いいえ、あらゆる歴史の現実が露骨に示しているのは、革命の最悪の敵が人民そのものであったという事実なのではありませんか。革命の真の敵は、刑務所や軍隊や政治警察や武装した反革命ではなく、……人民という存在だったのです。乳臭い牝牛みたいに愚かな善意で目を曇らせた革命家たちは、いつもこの露骨な真実に無自覚でしたが、人民はその小狡い臆病な獣の本能で熟知していました。人民の熱狂的な支持と拍手のもとで、あるいは保身のための無言の加担によって、無数の革命家たちは投獄され拷問され虐殺され続けてきたのです。

 でも、その革命家もまた、人民のなかから生い立ってきた「人民の子供たち」であることを忘れてはならないんだと思います。だから「希望はある……」と。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


よつばとボクら(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月27日(火)21時10分10秒

 みなさん、こんばんは! 今日はマンガ本を3冊買ってきて読みました。1冊は、もう惰性で読んでるとしか言い様のない『新世紀エヴァンゲリオン』(漫画:貞本義行、原作:GAINAX、刊行:角川書店)の第9巻で、この巻では「やおい」方面 で爆発的な人気を誇ったカヲルくんの登場です。
 でも、正直いまさらどおってことないなあー。テレビで大筋のところは知ってるし、違ってるところがあるからといって、それもどおって程のことではないように思いました。

 で、お薦めなのが、あとの2冊『よつばと!』(あずまきよひこ、メディアワークス)の1・2巻。ちょうど2巻が出たところで、たくさん平積みされているのが、たまたま目について、読んでみることにしたんです。
 内容は、 第1巻 、第2巻それぞれの帯裏文にあるとおりです。

 『「あずまんが大王」のあずまきよひこが贈る新しい仲間たちがやってきた!
  ちょっと変わった女の子よつばちゃんと、とーちゃんと、その周囲の人たちが
  繰り広げるささやかな日常。なんにもないところにあふれる不思議な空気。
  読むとなんだか楽しくなる、ただそれだけの、ちょっと普通のマンガです。』
            
 『ちょっと不思議な女の子よつばちゃんと、
  まわりの大人や子供たちの夏がすぎていくー。
  わらったり、ないたり、たべたり、ねたり。
  どこかなつかしくて、なにかあたらしい。
  「あずまんが大王」のあずまきよひこがお届けする、
  超本格まったりコミック第2弾! 産地直送!』

 『あずまんが大王』というのは、おたく系のマンガファンには知られた傑作のようで、ボクもタイトルや本は知ってたんですけど、なんとなく敬遠していました。でも、今回は普通 っぽい感じだったので手に取ってみたんですが、これが大正解でした。

 感じとしては保坂和志の名作『季節の記憶』のマンガ版。もっとも、こっちの方には「思弁癖」や「静かな哀しみ」みたいなものはなくって、『季節の記憶』のクイちゃんにあたる よつばちゃんが、ひたすら元気に無邪気に肯定的に走り回って、大人たちを和ませるんです。

 たしかに、こういう先行きの定かならぬ暗い世相だからこそ、こういう作品が描かれ読まれるのかも知れません。だから、そうした観点からこうした「癒し」の作品を批判する向きもあろうかと思います。でも、ボクとしては、これを逃避場所とせず、現実を前向きに生きるためのエネルギー源にしたいと思いました。つまり、問題は読者側の消費スタンスなんじゃないかな。

 ちなみに、いちばん大笑いできたのが第9話「よつばと復讐」(第2巻所収)。これは文句なしに楽しかった。





( 以下は「よつばとボクら(下)」につづく)


「非国民」と「小国民」の分かれ道(下) 投稿者:園主  投稿日: 4月25日(日)18時47分15秒


『幼稚でひ弱な道徳』を振り回し、態よく『国家に支配されたがる人々』の、「真の味方」とは誰であり「真の敵」とは誰なのか?

『「……私は、あらゆる革命の敗北の、その究極の根拠を発見したのです。
 なぜ、一切の革命は常に絶対に敗北するのでしょうか。歴史は、敗れた革命の残骸で埋めつくされているではありませんか。なぜ、革命はいつだってまるで悪い運命に呪われているもののように絞殺され続けてきたのでしょうか」
 「なぜです」と日本人は陰気な声音で尋ねた。
 「理由は、そう、わかってしまえば実に簡単なことなのです。それは、革命のなかにいつも解き難い矛盾と背理が含まれていたからです。革命は、胎内に敵対者の罠をはらんでいたのです。その罠とは、〈革命は人民による人民のための事業である〉という愚昧な命題です。この命題こそが、革命の敗北の根拠なのです。革命そのものとこの命題のあいだにあるものは、決して解くことのできない矛盾と撞着だけです。
 そうです。革命と人民は本質的に無関係です。いいえ、あらゆる歴史の現実が露骨に示しているのは、革命の最悪の敵が人民そのものであったという事実なのではありませんか。革命の真の敵は、刑務所や軍隊や政治警察や武装した反革命ではなく、……人民という存在だったのです。乳臭い牝牛みたいに愚かな善意で目を曇らせた革命家たちは、いつもこの露骨な真実に無自覚でしたが、人民はその小狡い臆病な獣の本能で熟知していました。人民の熱狂的な支持と拍手のもとで、あるいは保身のための無言の加担によって、無数の革命家たちは投獄され拷問され虐殺され続けてきたのです。(以下略)」』

『 〈人民〉とは、人間が虫けらのように生物的にのみ存在することの別 名です。日々、その薄汚い口いっぱいに押しこむための食物、食物を得るためのいやいやながらの労働、いやな労働を相互の監視と強制で保障するための集団、集団の自己目的であるその存続に不可欠な生殖、生殖に男たちと女たちを誘いこむ愚鈍で卑しげな薄笑いにも似た欲情……。この円環に閉じこめられ、いやむしろこの円環のぬ くぬくした生温かい暗がりから一歩も出ようとしないような生存のかたちこそ、〈人民〉と呼ばれるものなのです。つまり人民とは、人間の自然状態です。だから、あるがままの現状をべったりと肯定し、飽食し、泥と糞のなかで怠惰にねそべる豚のように存在しようと、あるいは飢餓のなかで、その卑しい食欲を満たすため支配的な集団にパンを要求して暴動化し、秩序の枠をはみ出していくように存在しようと、どちらにせよただの自然状態であることに変わりはありません。
 だから人民は、本質的に国家を超えることができないのです。国家とは、自然状態にある個々の人間が、絶対的に自己を意識しえない、したがって自己を統御しえないほどに無能であることの結果 、蛆が腐肉に湧き出すように生み出された共同の意志だからです。制度化され、固着し、醜く肥大した観念、生物的生存と密通 し堕落した観念、これが国家だからです。』
                  (笠井潔『バイバイ、エンジェル』より)

私たちの前には分かれ道がございます。片方は「非国民」の歩む道、もう片方は「小国民」の歩む道でございます。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


「非国民」と「小国民」の分かれ道(上) 投稿者:園主  投稿日: 4月25日(日)18時46分21秒

みなさま、本日は、ここ「花園」に以前に書きました文章に手を加え、

   真の敵を見さだめる勇気 ―― 荷宮和子『声に出して読めないネット掲示板』

として、新たにアレクセイ掌編集の方に加えさせていただきました。


先日、イラクで人質になった3人について、日本国民のかなり多くが、彼らの行動を口々に痛罵したようでございますね。なぜなら、危険を顧みなかった彼ら3人の「イラクの子供たちのためのボランティア活動」や「マスコミでは伝えられない、真実のイラクを伝えるため」といった渡航理由は、信念に生きることができず、無難にお茶の間評論家(あるいは居酒屋評論家)に甘んじるしかない多くの「凡庸な日本人」にとっては、自己とはひたすら無縁なものとして、ただ「左翼的」であり「偽善的」であり「いい気なものだ」と、やっかみ半分、そのようにしか思えなかったからでございましょう。

こうした反応について、社会学者の宮台真司は、ネット匿名掲示板「2ちゃんねる」を例に引いて、「当今の日本人には、潜在的な左翼ぎらい、2チャンネル用語で言う「サヨ」嫌いの気分が、蔓延している。今回の人質たちへの、多くの日本国民の反応も、おおむねそうした文脈に沿ったものだと言えるだろう。これは、多数派ではあるが一人では何も出来ない人たちが、自分たちよりも弱い少数派を叩いて満足する、という心理に基づいた行動、つまり、弱い犬ほどよく吠える、ということにほかならない」という主旨のことを書いておりました。

一方、荷宮和子は『声に出して読めないネット掲示板』のなかで、「2ちゃんねる」などの匿名掲示板に多く見られる「差別 的」で「攻撃的」「冷笑的」な言説を分析して、それを『負け組』の「不満のはけ口」なのではないかと、同様の指摘しております。

今回イラクで人質になった3人とその家族は、結局そうした世論に強迫された形で、「世間をお騒がせしたこと」について謝罪をし、イラク残留や再渡航を断念しなければならなくなりました。無論これは、彼らの本意ではございませんが、謝ってみせなければ済まされないような状況(袋叩きにされかねない状況)が、彼らの周囲には醸成されていたのでございましょう。
つまり、彼らは日本に住んでいる限り、自己の信念にもとづいた行動や発言をすることができないのでございます。体制順応的な大衆たる「周囲」から浮いてしまう態の「信念の行動」など選んだ日には、「傍迷惑な人」「自分勝手な奴」そして「非国民」だと見られ、迫害されてしまう。それが「今の日本」なのでございます。

つまり、現在の日本の問題は、単に「政府」の問題であるにとどまらず、そうした体制に無自覚に順応してしまう「大衆」のレベルにまで拡大してきており、もはやそれは疑うべくもございません。

また、そんなご時勢だからこそ、そうしたものに抗う意志を持つ者たちは、『「非国民」のすすめ』(斎藤貴男:筑摩書房:2004年4月10日刊行)、『「非国民」手帖』(歪・鵠:情報センター出版局:2004年4月21日刊行)といった具合に、「非国民」たらんとする覚悟を、ここに来て再確認し始めたのでございましょう。

ご参考までに、上の2著の帯に刷られた惹句をご紹介しておきましょう。

 ・『「非国民」のすすめ』: 国家に支配されたがる人々

 ・『「非国民」手帖』:   幼稚でひ弱な道徳など 犬も喰わない!





( 以下は「「非国民」と「小国民」の分かれ道(下)」につづく)


「笠井潔葬送」シリーズ(下) 投稿者:園主  投稿日: 4月24日(土)20時57分7秒


 Keenさま
>ナディア・モドーキ作『カモン、ベイビー』

> でも、これってお礼になるんでしょうか?園主さまがもっとも嫌がりそうなパロ書いてしまいましたが……☆

いいえ、とんでもございません。とても気に入りましたので、かってに拙論バイバイ、矢吹 駆の末尾への追補を決めさせていただいたのでございます(笑)。

たぶん、Keenさまは、このような「軽い」扱い方が、私の好みではないのではないか、とお考えになられたのでございましょう。しかし、この作品は「その後の矢吹 駆」を描きながら、謀らずもその作者である「笠井潔の変節」を描いた点において、とても批評的であり、かつそれがその「軽さ」のゆえに、かえって最高に皮肉な作品となっているのでございます。

と申しますのも、デビュー当時の笠井潔は、国民健康保険に加入しておらず、病気になっても、家で独りうなりながら、野生の動物のように自然治癒に任せていた自分の姿を、一種の「体制に従属しない自由人」として描いていたのでございます。
ところが、奥様もいらっしゃればお子さまもいらっしゃる現在では、そんな「ロマンチックな自慢話」など到底出来ない「小市民的」生活環境にあるのは、疑いを入れないところでございましょう。ですから「カモン、ベイビー」で描かれた矢吹 駆の姿は、「小市民的生活」を憎悪してみせた昔の自己の(他者に向けた)イメージを、ある程度は守りたい笠井には、なんとも皮肉に正確な、現在の似姿となっているのでございます(笑)。

> ……イタタタ、カケルファンの皆さま、石を投げないで下さい。

三浦しをん情報をひとつ。三浦のこれまでの小説5作のなかでも特に人気の高い『月魚』が来月、新潮文庫に入るそうでございます。

主人公は、若くして古本屋を営む美青年。幼馴染みの親友との微妙な関係。幼い頃に失踪した父との再会。そして、蔵書値つけ対決……。『ミスター味っ子』の古本屋バージョンに「やおい」趣味まで盛り込んだ、「もー、たまらん」という小説でございます。ぜひ、この機会にご購読下さいまし(笑)。

なお、私、本日は、いつもの友人たちと四天王寺の古本市に行き、ひきつづき古本屋めぐりをしてまいりました。いくつか収穫がございましたが、三浦しをんの本では利き目となっている『極め道』の2冊目を見つけました。残念ながら帯はございませんでしたが、本の状態は良かったので、失礼ながら『カモン、ベイビー』のお礼として、前回の購入分をプレゼントさせていただきますので、どうぞお受け取り下さいまし。


 ホランド
> なんだか最近、笠井さんがらみの評論が立て続けですね。もうじき伝説の笠井潔批判論文「地獄は地獄で洗え…」も読めるのかな?(笑)

もういくつか書いてからな(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


「笠井潔葬送」シリーズ(上) 投稿者:園主  投稿日: 4月24日(土)20時56分6秒

みなさま、私、本日も新論文をアップさせていただきました。今回のものも「笠井潔葬送」シリーズ(笑)のひとつで、タイトルは、

 恃衆、あるいは 一票の重みと党派の暴力 ―― ある「探偵小説研究会」所属評論家の弁

でございます。
今回は、私が実地に取材したことをもとに書き上げた「ノンフィクション」仕立て。もちろん、評論とは、もともとフィクションではないのでございますが、今回のものは「論理的分析」よりも「事実」をして語らしめたという意味合いにおいて、「ノンフィクション」的な評論なのでございます。

また、先日アップさせていただきましたバイバイ、矢吹 駆 ――「矢吹 駆シリーズ」のラストの末尾に、Keenさまが書いて下さった傑作パスティーシュ「ナディア・モドーキ作『カモン、ベイビー』」を追補させていただきました。

「笠井潔葬送」シリーズについては、まだまだ構想がございます。断続的に発表してまいりますので、どうぞご期待下さいまし(笑)。




 nasuさま
前回はレスを洩してしまい、たいへん失礼いたしました。

>  慣れればラクなんですが、所謂 オープンソースソフトウェアはインストーラーがなかったり、ソース(プログラムのもと)しか配布してなかったりと初心者や苦手なな人には敷居が高いですね。慣れるとその方がありがたいのですが、痛し痒しと言うかまぁ。

何となくわかります。初心者への親切が、ベテランにはかえって煩わしいものとなるというのは、どんなジャンルにも、まま見られることでございますからね、

> ちなみに「日本語全文検索」とはファイルの内容を日本語で全部検索可能と言う意味です。
> イメージ的にはGoogleの個人版と思って頂ければ、けっこう便利なんですよ これが。

しかし、やはり私はコンピュータやネットの素人でございます。『ファイルの内容を日本語で全部検索可能と言う意味』と説明されても、「それはひとつのファイルの中に、これこれの文なり単語なりが、どこに使われているとか、そういう検索なのかな? それとも、パソコンの中にあるすべてのファイルなのかな? まさかインターネットにつながれている、すべてのファイルってことはないよな?」なんて考えてしまいます。そのあたりに興味をお持ちの方からすれば、「なんだこいつ、なんにも知らないな」という感じになるであろうことはよくわかっているのでございますが、興味のない人間とは、この程度のものなのでございましょう。

ま、じっさい、私にとってパソコンは、あくまでも文章を書き、それを公開するための道具でございますから、パソコンそのものにそれ以上の興味を持つことは絶えてないのでございます。自分のやりたいことに直結する技術なら、イヤイヤながらでも何とか勉強するのでございますが、なにしろイヤイヤですから、よっぽどのことでないとダメなのでございますよ(^-^;)。


 田中 洌さま
> 氷のような仕事と火のようなご健筆を祈りつつ、神のご加護のあらんことを。

『氷のような仕事と火のようなご健筆』というのは、けっこう私好みでございます。なにしろ私は「ぼくも誉めてあげるから、君も誉めてよね」的なベタベタした関係が根っから嫌いで、「震え上がるような冷厳さ」や「焼きつくすような激しさ」というものに、むしろ惹かれる方でございますから(笑)。

ま、ともあれ、貴方さまの、誰のことを書いているのかさっぱりわからない文章、言い換えれば、誰にでもそれなりに当て嵌まりそうな「意味ありげでありながら、内容空疎」な文章を、なんとなく有り難がってくれる人も、この世の中にはきっといることでございましょう(例えば、野崎六助の『夕焼け探偵帖』を絶賛した法月綸太郎など)。ですから、これからも希望を失わずに頑張って下さいまし。

短いおつきあいでございました。ご機嫌よう、さようなら。





( 以下は「「笠井潔葬送」シリーズ(下)」につづく)


オラは人気者! 投稿者:ホランド  投稿日: 4月21日(水)23時27分56秒

 みなさん、こんばんは! 押井守監督の『イノセンス』が、カンヌ映画祭に出品されたそうです。
 内容的には「今までやってきたことの総まとめ」みたいな作品で、安心しては見られるんだけど、従来からのファンには、ちょっと肩透かしを食わされたって感じも無きにしも非ず。また案の定、あのマニアックな内容だから、今のところ国内では、さほどの観客動員を見ていないようなんですが、その分、いかにも「外人さんウケ」を狙ったとおぼしき「オリエンタリズム」が、カンヌでどのくらいの評価を受けるのか? 外国で大きな映画賞を受賞しての、堂々の凱旋帰国ロードショーが、はたして実現できるのでしょうか?

 アカデミー賞を取った宮崎駿さんの『千と千尋の神隠し』の「ジャポニスム」は、決して外国での評価を当て込んだものではなかったと思うんだけど、『イノセンス』の意識的な戦略は、吉と出るのか凶と出るのか。
 ホントなら、押井守作品では、『ビューティフル・ドリマ−』とか『機動警察パトレイバー・ザ・ムービー』(1・2)なんかを、外国の映画祭に出して、評価してもらいたいところなんだけどなあー。





 Keenさま
>ナディア・モドーキ作『カモン、ベイビー』

 作者名もタイトルも内容も、ばっちり決まってますね! 特に本文は、短いものとは言え、立派なパスティーシュになっていると思いますよ。バルベスの使い方なんて、これ以外ないだろうという感じでした。

 ところで、ミシェールってやっぱり『♪ カーモン、ベイビー、カモン、ベイビー、タマネギ食べれるー?』ってほどの『将来楽しみ』な『天才的』少年なのでしょうか?(笑)

> 今日は調子がいいので、ちょっと書き込みしてみます。園主さまの↓のお知らせの後では、「何やそれ!」と思われそうですが……(^0^*

 それにしても、ひさびさにお元気そうなご様子がうかがえて、とっても嬉しかったです。無理をしていただいても困るんですが、調子の良い日には、ちょこっとでいいですから、お姿を見せて下さいね!(^-^)

> なお、「ナディア・モドーキ」の筆による「矢吹駆シリーズ」の結末は、園主さまの論文「バイバイ、矢吹駆」の内容を受けて書かれたものであり、同論文中で触れられている「いかにもKeen氏らしい大胆な推測」とは別 物ですので、ご了承下さいませ。え、その「推測」の内容?……それはヒミツです♪(^0^*

 え〜〜っ、いつまで秘密なんですかー?! 園主さまに「Keenさまの考えてた『いかにもKeen氏らしい大胆な推測』って、どんなのですか?」って訊いたら、にべもなく「忘れた」って返事だったし……(-_-;)。


 田中 洌さま
> さようなら

 ああ〜あ、やっぱり最後まで、その調子でしたね。
 これ以上は何を言っても無駄でしょう。

 さようなら、せめてお元気で。


 園主さま
バイバイ、矢吹 駆 ――「矢吹 駆シリーズ」のラスト

 なんだか最近、笠井さんがらみの評論が立て続けですね。もうじき伝説の笠井潔批判論文「地獄は地獄で洗え…」も読めるのかな?(笑)





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


さようなら 投稿者:田中 洌  投稿日: 4月21日(水)20時06分5秒


人間の内奥にひそむ多面性だと?
いかにも。
しかし、あなたが暗に行使したがっているのは、そのような普遍妥当性を隠れ蓑に、殺戮に眉をおひそめあそばされながら、こっそり口をぬ ぐっているご自身を公然と慰めたい衝動だ。真実のとばくちで足踏みするやつらのいいぐさは、いつだってそうだ。永劫に、地球のいまわの際まで、「悲しいことに、善と悪の内的せめぎ合いのなかに私たちはいる」というわけだ。はっきり、こういえばいいのだ。「戦争で焼け死ぬ 人たちには申し訳ないが、巻き込まれなくてすむ私たちに文句をいわないでくれ」と。
最後に、氷のような仕事と火のようなご健筆を祈りつつ、神のご加護のあらんことを。グッドラック・フォーエバー、田中 洌。


追記 投稿者:Keen@療養中  投稿日: 4月21日(水)14時56分41秒

なお、「ナディア・モドーキ」の筆による「矢吹駆シリーズ」の結末は、園主さまの論文「バイバイ、矢吹駆」の内容を受けて書かれたものであり、同論文中で触れられている「いかにもKeen氏らしい大胆な推測」とは別 物ですので、ご了承下さいませ。え、その「推測」の内容?……それはヒミツです♪(^0^*


病床より、園主さまへのお礼 投稿者:Keen@療養中  投稿日: 4月21日(水)14時32分3秒

今日は調子がいいので、ちょっと書き込みしてみます。園主さまの↓のお知らせの後では、「何やそれ!」と思われそうですが……(^0^*

でも、これってお礼になるんでしょうか?園主さまがもっとも嫌がりそうなパロ書いてしまいましたが……☆
まあ「つねに妄想一筋」者の戯言と、笑って下さいませ。想像力豊かな皆さまにおかれましては、カケルくんが赤ンボ抱き上げて「べろべろばあー」したり、ミルク飲ませたり、う●ちつきオムツ取り替えたり、どうやっても泣き止まないので途方に暮れたりしてるところをお楽しみ……イタタタ、カケルファンの皆さま、石を投げないで下さい。


カモン、ベイビー 投稿者:ナディア・モドーキ  投稿日: 4月21日(水)14時27分36秒

「カケル、ミシェールが泣いてるわ。あの泣き方はオムツよ。私、もう出勤時間だから、あとお願いね」

「ああ、わかった」

私は、カケルへのキスも慌ただしく、愛車のシトロエン・メアリに乗り込んだ。

あの「ラルース家殺人事件」から、もう何年経ったのだろうか。その後いくつかの事件を経て、カケルと私は現在、小さなアパルトマンで同居している。大学で哲学のリサンス(学士号)を取得した後、カケルに習い覚えた日本語をもとに、さらに学習を深めた私は、今では語学学校で教える側になっていて、カケルが主にメナージュ(家事)をしてくれている。もちろん、以前のようなラ・ヴィ・サンプル(簡単な生活)ではない。なぜなら、私たちの間には、昨年生まれた息子のミシェールがいるのだから。彼の名付け親は、ジャン=ポール。

「まったく、嬢ちゃん(マ・プチット)に赤ん坊ができるなんて、信じられますかい?警視もこれで、おじいちゃんってわけですな」

独身ゆえに、初めて名付け親になったバルベスも私のパパも、もはやこの小さな天使の虜だ。どうやらジャン=ポールは私たちの息子に、サタンを討伐した大天使の名を与えたつもりらしい。
ともあれ、私たちはうまくやっている。一体どういうわけでこうなったのかは、いずれ明らかになるだろう。あなた(読者)が好むと好まざるとに関わらず、カケルは今や、日本語で言うところの「マイホーム・パパ」なのだから。


バイバイ、矢吹 駆 投稿者:園主  投稿日: 4月21日(水)12時58分7秒

みなさま、私、本日はひさしぶりに書き下ろしの評論文をアップさせていただきました。……と申しましても、じつは2年程まえに書いたものでございます。ある同人誌用に書き下ろしたものなのでございますが、その同人誌の刊行が頓挫して今も刊行の目処がたっておらず、一方、拙稿の内容が「予言」的な部分を含み、そろそろ公開しておかないと出し遅れの証文状態になりかねなかったため、今回、サイト上での公開に踏み切ったのものでございます。

今回の評論はバイバイ、矢吹 駆 ――「矢吹 駆シリーズ」のラストと題し、サブタイトルのとおり、笠井潔の「矢吹 駆シリーズ」のラストを大胆に予想したものでございます。

みなさまは私のこの予想に、「あっ」と声をあげて、その意外性に撃たれるでしょうか。それとも「そんなところだろうな」と自然に納得なさるでしょうか。あるいは「そんなのありえない」と否定なさるでしょうか。そしてまた、そもそもこの予想は当るでしょうか、当らないでしょうか。 ――いずれにしろ、その答が出るのは、まだしばらく先のことでございます。





 ホランド
一昨日の晩、Keenさまから連絡があって「先日来の体調不良の原因が、風邪ではないということが検査で判明し、現在その治療にあたっています。と言っても、急病というわけではなく、以前から伏在していた病気が今回の検査で初めて露見したもののようだから、かえって良かったのかも知れません。だから、しばらく間、ネット落ちはするけれども、あまり心配はしないで下さい」という主旨のお話だった。

このところAOIさまもお姿を見せて下さっていないし、そのうえKeenさままでがしばらくお休みでお姿を見せていただけなるというのは、正直、さびしい限りなんだが、しかしまあ、私のやっていることは「一人立つ」ということが基本にあるんだから、これからもマイペースでやっていかねばな。
たとえ書き込みはいただけなくても、「花園」を覗けば、そこにいつもどおりの様子を見て安心していただける、そんな風でなくてはならないと思っている。だからまあ、今までどおり、うちのペースで頑張っていこう。協力をよろしく。





それでは、みなさま、本日はこのあたりで失礼いたします。

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