●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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相縁機縁(7) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)21時43分57秒

 影姫さま
> ☆最近の収穫

> 阿後長人『絵浪血華』(部数不明限定私家版・たとう・貼函・ダンボール外箱完本・発禁本)>阿後長人とは米倉斉加年の変名です。米倉氏は絵本『多毛留』で国際ボローニア賞を受賞、切手の絵柄に採用されるなど画壇での評価は高いです。ミステリファンなら角川文庫の夢野久作のカバー絵でご存知でしょう。この本はそんな米倉氏が秘密出版したエロチック画集です。圧巻はあの角川文庫版『ドグラ・マグラ』の「元絵」です。文庫版では女性の大事な部分が「角川文庫」で隠されています。しかし本画集ではそれがありません。つまり「無修正」なのです。さらに女性器と男性器の「ドッキング」場面 も満載、これでは発禁になるのも無理はないのです。ハイ。

米倉に発禁画集があるのは存じておりましたが、『ドグラ・マグラ』の表紙に使われている絵が、その画集に収められている作品だというのは、初めて知りました。それにしても「性器」や「性交」がそのまま描かれているから発禁だなどというのは、現代ではナンセンスというべきでございましょう。いっそのこと、性交などという卑猥な行為自体、憲法で禁止した方がスッキリするのではないでしょうか?(笑)

> 綿矢りさ『インストール』(カバ・元帯完本・河出書房新社)これはブックオフで拾いました。ちなみに100円で初版です。噂では神保町では5000円以上ついている店もあるらしいです。初版発行部数は不明ですがそう多くはないでしょう。ちなみに現在は50版を超えています。このままいけば『蹴りたい背中』より高くなる可能性もあります。

この本は、たしか新人賞受賞作品を単行本化したもので、刊行当時から(著者の若さが)話題になっており、純文学作品としては、それなりの部数出た本なのではないかと存じます。私は刊行当時に買ったのでございますが、いまだに読んでおりません。著者の可愛らしさとは似ても似つかない、あの装丁画を何とかしてもらいたいものでございます(笑)。


 アーニャ
> アリョーシャの「永遠の薔薇」展&小樽旅行の方が、もっとうらやましいわっ!☆

はっはっは、羨ましいだろう。だが、そのせいで今は金欠病だ。なのに古本屋が目録を送ってきて……うむむ(-_-;)。


 ホランド
> 小樽文学館の掲示板、見ましたよ。「大西巨人展」、ホントに実現するといいですね(^-^)。

亀井秀雄館長ならやってくれるんじゃないかと本気で期待してるんだ。
それに、佐藤武画伯とは話が盛り上がって「今度北海道に来たときは、ぜひご連絡ください。アトリエには絵がたくさんありますから、ご案内いたしますよ」とのお誘いも受けたしな。……ホントに「出会い」の多かった、初の北海道行だったよ(笑)。





それでは、みなさま、本日はこのあたりで失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


相縁機縁(6) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)17時03分15秒


 Keenさま
湯冷めしたのでございましょうか?(笑)

お風邪を召されたとのこと、はやく治して、元気なお姿をお見せ下さいまし。一日も早い治癒を祈念しております。


 楽古堂・大内史夫さま
> 皆様へ。お久しぶりです。お元気でしょうか?

ごぶさたしております。こちらはあいかわらずでございますが、このところ少々遊び過ぎたせいで、さすがの私も若干「お疲れ気味」でございます(笑)。お小遣いも完全に底をついたことでございますし、しばらくは本でも読んで、家でゆっくりしようかなどと考えております(笑)。

> 小樽の『彗星との日々』に行かれたとは、羨ましいことです。運河の周りに、レンガの倉庫が立ち並ぶ、古風な趣のある街という印象。二十五年前の記憶。変化していることでしょう。

小樽の街並は、基本的には変わっていないものと存じます。ただ、観光名所である運河周辺が若干ライトアップされていたり、小樽駅に「4番ホームは、石原裕次郎ホーム」といった看板が揚がっている程度でございましょう。
街並が変わっていないこと自体は喜ぶべきことなのでございますが、その理由の方は「景観保存」であるよりもむしろ、小樽市の経済的逼迫によるところが大きいようで、必ずしも喜んでばかりはいられないという現状にあるようでございます。

お暇になったら、またお立ち寄り下さいまし。お待ちしております。


 nasuさま
おひさしぶりでございます。

> で、最近流行のWikiを利用して、ばーっとなんか出来ないかと試行錯誤を重ねて、本日に至りました。

> 電脳ウロボロ線は終了します
> 今日から竹本Wikiと名前と機能を大幅に変更して再始動します。

あいかわらず新しいことに積極的に取り組んでおられるようでございますね。私はそういう方面 はからっきしなのでございますが、「Wiki」というのは「みんなで作るウェブサイト」みたいなものでございましょうか? 

ともあれ、今度こそ安定したサイトとして発展してくださることを期待しております。頑張ってくださいまし。





( 以下は「相縁機縁(7)」につづく)


相縁機縁(5) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)17時02分34秒


 本多正一さま(つづき)

今回『佐藤 武 展』へ行ったのは、小樽文学館に置いてあった案内ハガキをたまたま見つけたからであり、展覧会がたまたま翌日からの開催であったからに他なりません。ハガキに刷られた版画一枚を見て「これはけっこういけるかも知れない」と飛び込みで展覧会を観に行き、自分の趣味に会う画家を見つけた。そしてその画家から送ってもらった、昔の画集の巻末作家論(柴橋伴夫「不安と崩壊の〈綺想体〉」)に、画家が『1975年にインド・ネパールを周遊した。小樽出身のSF作家である荒巻義雄と同伴したこの小旅行で、自らの作風を一転させる豊潤なイメージの源泉となるべき記憶を心に焼きつける。』とあるのを見つけ、画集を送っていただいたお礼かたがた画家に電話をさしあげたところ、あの画廊のオーナーが「なつかしい」荒巻義雄であり、まさに荒巻の書斎はあの画廊の上にあって、日に一度は画廊を覗きに来る、というお話を聞かされたのでございます。

私、佐藤さまに「そりゃあ、荒巻さんの悪口を言わなくて良かった」などと軽口を叩きましたが、小樽文学館の館長さんが大西巨人に近い人であった奇縁、そこでみつけた一枚のハガキによって飛び込んだ未見の画家の展覧会を開催していた画廊のオーナーが荒巻義雄だったという奇縁(しかも荒巻は、小樽の出身者だったのでございます)。――「相縁機縁」というのは『お互いに気心が合うか合わないかは、みな縁によるということ。』という意味だそうでございますが、今回の北海道行は、そうした「縁の不思議」を痛感させられる、たいへん興味深い旅行でございました。

ちなみに、私は、今回の展覧会で佐藤武さまの絵を「初めて見た」ものと思いこんでおりましたが、お伺いしたところ、佐藤さまはかつて「荒巻さんの文庫の表紙画を描いたことがある」とのお話でしたので、当然私はそれを目にしているはずでございます。当時、その絵に何も感じなかったのは、たぶんその絵が今の画風とは大きく違っていたからでございましょう。その絵とは、たぶん短編集『女神たちの午後』(角川文庫・絶版)の表紙画なのではないかと推測しております。

> 寺山修司氏と中井英夫氏の世界

> ええと、話題の齋藤愼爾氏ですが、来る5月13日、下記の講演を行うそうです。ご興味おありの方、お誘いあわせのうえご来場ください。

ご案内、ありがとうございます。

ちなみに、みなさまに解説をしておきますと、『話題の』というのは、俳人の斎藤慎爾さんが、作家の車谷長吉さんを提訴ということで、今「話題の」ということでございます。





( 以下は「相縁機縁(6)」につづく)


相縁機縁(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)17時01分40秒


 本多正一さま
前回、レスを洩しておりました。たいへん失礼をいたしました。

小樽文学館での『彗星との日々 ―中井英夫との四年半』写真展の大成功、おめでとうございました。また、すでに新しいプロジェクトも進んでいるとか。企画の実現を、心より期待して、吉報をお待ちしております。

ところで、「相縁機縁」の一例とでも申せましょうか、本日、私にとっては少々面 白い事実が判明いたしました。
展覧会終了の翌日から札幌「時計台ギャラリー」で行なわれていた『佐藤 武 展』に 、無理を言っておつきあいいただきましたが、この画廊(ビル)のオーナーがSF作家の荒巻義雄であることが、今日、佐藤画伯との電話でわかったのでございます。

荒巻義雄と言えば、美術に造形が深く、美術理論を小説に転用した(らしい)評論「術(クンスト)の小説論」と、前衛的な短編小説「大いなる正午」で、1970年に日本のSF界に衝撃のデビューを果 たした作家でございます。

私、「大いなる正午」は、昭和56年(1979)当時でございますから、活字本を読みはじめてまだ間もない若い頃に、筒井康隆編『実験小説名作選』(集英社文庫・絶版)で読んで、その類例を見ないビジョンに(面 白いとは思わなかったものの)圧倒された記憶がございますし、その前年、私がエンターティンメント小説を読むきっかけとなった、同じく筒井康隆編の「年代・年度別 日本SFベスト集成」シリーズ(徳間ノベルス)の『'71 日本SFベスト集成』に収められた、荒巻の短篇「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」は、幻想的な叙情性あふれる好短篇として、当時の私をつよく捕えた作品でございました。

ヨーロッパを放浪する主人公の青年が、旅先で、マルキ・ド・サドの小説(『美徳の不幸』)の主人公「そのまま」の薄幸の美少女ジャスティーヌと出会い、愛を交わし別 れる――本作は、一種のメタ・フィクションでありながら、濃密な叙情性をうしなわない、稀有な幻想小説であり「広義のSF」作品であったはずでございます(と申しますのも、このあたり記憶だけで書いておりますから、荒巻の他の作品と混同している怖れもあり、その場合はご容赦願いたいと存じます)。

ちなみに、笠井潔の『黄昏の館』などは、荒巻の本短篇(か、たしか本短篇の長編化作品であった『白き日旅立てば不死』)の影響をもろに受けた作品でございますし、たしか笠井は荒巻の幻想ミステリ『エッシャー宇宙の殺人』(中公文庫・絶版・原タイトル『カストロバルバ 〜エッシャー宇宙の探偵局』)の解説も書いているはずでございます。

そんなわけで、私にとって、かつて「荒巻義雄」は、大好きな作家の一人だったのでございますが、私がSFから離れ、荒巻の作品とも縁遠くなり、ある時ハタと気づいたみると「あの荒巻義雄が」なんと「旭日の艦隊」「紺碧の艦隊」シリーズなどで、架空戦記小説の先駆者として世に知られる存在となっており、隔世の感とともに、縁遠くなってしまったことをイヤでも痛感させられたのでございます。





( 以下は「相縁機縁(5)」につづく)


相縁機縁(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)17時00分21秒


まして、イラク人グループによって日本人3名が殺されるようなことにでもなれば、政府は「我々としても全力を尽くしたのだが、このような結果 になったことは、まことにもって遺憾である。この上は、同胞3名を死に到らしめた憎むべきテロリストたちに、その非を悟らせるためにも、自衛隊をテロリスト殲滅作戦にも積極投入していく方針である。守りを固めるだけでは安全は保証されないというのが、すでに世界の常識であり現実であるのならば、我々は、日本人の生命・身体・財産を守るために、攻守ところをかえて、テロリストたちと積極的に対峙していかねばならない」と、まあ、そういう話になっていくことでございましょう。つまり、3名の日本人が殺されることでよって、自衛隊は晴れて(公式に)「軍隊(軍事部隊)」となることが出来、以降は日本政府も表面 を繕わなくても済むようになるという寸法でございます。

あえて自国民を犠牲にし、そのことで国民の支持を取りつけるという「政治手法としての謀略」は、たとえば一昨年あたりに話題になった「真珠湾」の真相にも明らかでございます。「真珠湾が奇襲をうける」という情報をつかみながら、あえて知らない振りをして攻めさせておき、「国際法に基づかない、宣戦布告前の奇襲攻撃だ」として日本を非難する一方、国民に「憎むべき卑怯な日本人」というイメージを植えつけた、当時のアメリカ政府。この同じ手法が、「9.11」ニューヨーク同時多発テロでもアメリカ政府によって選ばれたのではないかとの疑惑が、今もアメリカの国内外には渦巻いております。

じっさい、世界の歴史を繙けば、このような「政治的謀略」は何ら珍しいものではないのでございますから、「真珠湾」や「9.11」でそれがなされたとしても、すこしも驚くには当りませんし、まして「盧溝橋」(盧溝橋事件:「北平(現、北京)郊外の盧溝橋付近で日本軍が夜間演習中、中国第29軍側からの発砲を受けた」ということがきっかけとなって日中戦争に拡大。日本軍側の謀略説もある)などの前例があり、何事であれアメリカに追従する日本政府であれば「国益に鑑みて」「あえて自国民を、敵に惨殺させる」くらいのことは、躊躇なく可能な選択なのでございます。

先日ホランドくんが、『読売新聞』「編集手帳」欄(04.3.19)記者の、『だれしも平和がいいに決まっている。罪もない子供が巻き添えで死ぬ 戦争を、好きこのんで支持する人などいない。』という「カマトト的偽善(的欺瞞)」を、『(それは)事実ではない。戦争になった方が金儲けができる。そのためにはよその国の子供の死などものの数ではない、という人間は確実に存在する。そんな輩がいなくならないからこそ、この世に戦争は絶えないのだ。』と告発しておりましたが、まったくそのとおり。いつの時代にも何処の国にあっても、為政者・権力者というものは、自己に有利な現国家体制を守るためならば、他国の名もなき子供たちは無論のこと、自国民の犠牲すら屁とも思いはいたしません。それは、同じくホランドくんの紹介していた『軍旗はためく下に』(結城昌治)にも描かれていたとおりで、残念ながら、むしろそれこそが「人間社会の恒久普遍の現実」なのでございます。





( 以下は「相縁機縁(4)」につづく)


相縁機縁(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)16時59分35秒

しかし、前述のとおり、日本政府は「他国への人道支援」を盾にとって、日本国民の生命を危機に曝そうとしております。このような「本末転倒」がなぜ発生するのかと言えば、それは政府がすでに自衛隊を「自衛隊」だとは考えておらず、「国際戦略」における「政府の駒としての、軍隊」だと考えているからでございましょう。つまり、最優先されるべきは「国益」を守るための「政府の方針」であり、「日本国民の生命・身体・財産の保護」が第一なのではない、という考えを日本政府は持っているのでございます。日本が、国際社会(正確には「対アメリカ」でしかない)という枠組みの中で、「損をしない」「面 子を潰されない」ということが最重要であり、そのためには「多少の(国民的)犠牲も致し方ない」という考えを、現日本政府がもっている証拠なのでございます。

まして、今回拘束された3人は、必ずしも日本政府の方針を支持していたわけではございませんし、もとより日本政府が派遣した人々でもございませんから、日本政府の本音で言えば「そんなやつらは、かってに死ねばいい」ということなのでございます。日本政府は「情報を収集し、救出に全力をつくす」というようなことを言っているようでございますが、たった「3日」でそんなことのできようはずのないことは、政府自身がいちばんよく知っているはずでございます。つまり、「テロリストの要求には応じない」――これが基本方針でございますが、だからといって「人質が殺されてもしかたない」とまで言ってしまっては「角が立つ」。だから、いちおう出来ないのを承知のうえで、「建て前」として「情報を収集し、救出に全力をつくす」と言っているのに過ぎないのでございますね。日本の政府首脳が、本気で「要求の拒否」と「救出」の両方が共にうまくいくなどと考えられるほど、現実無視の夢想家であったならば、もとより「帝国アメリカへの隷従」など選んだはずがないのでございます。

つまり、先程も書きましたとおり、日本政府は「国益のためならば、国民の犠牲も止むなし」という考えなのでございます。これが「現在の日本政府の、基本的な考え方」なのだということを、我々は胆に銘じる必要がございましょう。
私は「武力攻撃事態対処法」を解説した拙文国民は守られないの結語として、

『すなわち「国民の安全」の確保とは、「国の独立」が磐石に保証された場合にのみ、その余力を傾ける対象でしかない、ということ。それまでは「国民」の方が「国の独立」を守るために、命を賭しての『協力』が要求される、ということなのである。』

と書いましたが、今回の事例は、その実例であると申せましょう。人質になった3名は、日本の「国益」のために「国民の義務」として「犠牲になるべきである」というのが、「為政者の本音」なのでございますね。





( 以下は「相縁機縁(3)」につづく)


相縁機縁(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月 9日(金)16時58分27秒

みなさま、すでに報道のなされておりますとおり、イラクで日本人3名が、「サラヤ・アルムジャヒディン(イスラム戦士軍団)」を名乗るイラク人グループにより拘束され、同グループの「日本軍(自衛隊)が3日以内に撤退しなければ、3人を殺害する」とのメッセージが、カタールの衛生テレビ『アルジャジーラ』に届いたとのことでございます。これに対し、日本政府は同日8日夜、福田官房長官が緊急記者会見を行ない「自衛隊はイラクの人々のために人道支援を行なっている。撤退する理由はない」と述べ、要求を拒否する考えを表明しております。

報道によりますと、誘拐拘束された日本人3名は、イラクでボランティア活動などに従事していた「民間人」とのことで、必ずしも自衛隊のイラク進駐を支持していた人たちではないもようでございます。このことを考え合わせますと、今回の事件の「展開」が示しているのは、すでに「自衛隊」は自衛隊ではなく、りっぱな(ただの)「軍隊」であり、「サラヤ・アルムジャヒディン」の言うとおり『日本軍』に過ぎないのだという事実でございましょう。

理屈は簡単明瞭でございます。本来「自衛隊」という組織は、「日本国民」を守るための実力組織であり、「建て前としての国際貢献」にしろ、「本音としての国際軍事協力」にしろ、それは「二の次」でなければなりません。つまり最優先事項は「日本国民の生命・身体・財産の保護」であり、そのためには「国際貢献」「国際軍事協力」を放棄(あるいは、後回しに)することも、充分に理に適った(他国からとやかく言われる理由のない、真っ当な)選択なのでございます。言い換えれば、国民の生命を危険に曝してまで、他国を「人道支援」する、などという言い種は、筋の通 らない「偽善」でしかなのでございます。ですから、私に言わせれば「国民を守るという本分も果 たせないやつら(自衛隊と日本政府)が、何の国際貢献か。一人前によその国に行って、いい顔を見せようなんてするな、10年早いわ!」ということでございますね(アメリカなら、善かれ悪しかれ、自国民の生命を最優先することでございましょう)。





( 以下は「相縁機縁(2)」につづく)


寺山修司氏と中井英夫氏の世界 投稿者:本多正一  投稿日: 4月 9日(金)10時45分55秒

 ええと、話題の齋藤愼爾氏ですが、来る5月13日、下記の講演を行うそうです。ご興味おありの方、お誘いあわせのうえご来場ください。
【てこな文化講座】
5月13日(木) 13:30開場 14:00開演
講師 : 齋藤愼爾 (評論家・俳人)
演題 : 「寺山修司氏と中井英夫氏の世界」
全席自由 1、000円  市川市文化会館 B1Fローズルーム
※シルバー(65歳以上)・学生・ローズメンバーは200円引


桜満開ですが…… 投稿者:アーニャ  投稿日: 4月 7日(水)11時33分55秒

またしても、Keenさまの風邪引きを報告致します。
日曜日に、一日だけすっごく寒かったのがいけなかったのよね、きっと。
私も看病で、しばらくネット落ちになると思うわ。

☆ホランドくん

>うらやましいなあー。(>温泉)

アリョーシャの「永遠の薔薇」展&小樽旅行の方が、もっとうらやましいわっ!☆


それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


たびたびすみません 投稿者:nasu  投稿日: 4月 7日(水)06時45分52秒

下のURLですが
http://fiction.jp/%7Euroboro/
です、重ね重ね申し訳ありません。

http://fiction.jp/%7Euroboro/


男いじめ 投稿者:影姫  投稿日: 4月 7日(水)02時42分26秒

皆さん今晩は。

いよいよ春ですね。東北でもようやく晴れた日が多くなり鬱もよくなってきました。
一安心です。しかし暖かくなるとわたしの大好きな「レザーの服」が着られなくなる
のは寂しいですね。わたしは冬場は上下ともライダーズジャケットと革パン、革の手袋
で「決めて」いるのです。夏場は軽装になるのであまりファッションに凝れません。
さびしい。

☆最近の収穫

1>阿後長人『絵浪血華』(部数不明限定私家版・たとう・貼函・ダンボール外箱
完本・発禁本)>阿後長人とは米倉斉加年の変名です。米倉氏は絵本『多毛留』で
国際ボローニア賞を受賞、切手の絵柄に採用されるなど画壇での評価は高いです。
ミステリファンなら角川文庫の夢野久作のカバー絵でご存知でしょう。この本はそ
んな米倉氏が秘密出版したエロチック画集です。圧巻はあの角川文庫版『ドグラ・
マグラ』の「元絵」です。文庫版では女性の大事な部分が「角川文庫」で隠されて
います。しかし本画集ではそれがありません。つまり「無修正」なのです。さらに
女性器と男性器の「ドッキング」場面も満載、これでは発禁になるのも無理はない
のです。ハイ。

2>若月彰『六・一五詩集』(限100部・裸本完本・私家版)若月彰とは歌人・中
城ふみ子の旦那で詩人です。そんな若月氏が樺美智子の死に対する怒りをぶつけた
詩集が本書です。といっても今読むとなんともアナクロな感じもするのですが60
年代の市民運動・学生運動の実態を知るには良い本でしょう。

3>綿矢りさ『インストール』(カバ・元帯完本・河出書房新社)これはブックオ
フで拾いました。ちなみに100円で初版です。噂では神保町では5000円以上
ついている店もあるらしいです。初版発行部数は不明ですがそう多くはないでしょ
う。ちなみに現在は50版を超えています。このままいけば『蹴りたい背中』より
高くなる可能性もあります。

ホランド様の先日のご質問には次回答えます。眠いです。寝ます。どた・・・

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


おひさしぶりです 投稿者:nasu  投稿日: 4月 7日(水)01時32分27秒

おひさしぶりです、ずいぶんご無沙汰してしましました
nasuと申します。
仕事が一段落して、ようやく活動を再開できそうですので
ご挨拶に伺いました。

活動と言うのも、他では無く電脳ウロボロ線の事です。
当初、ユーザーと管理者の垣根のないサイトを目論みつつ、
当時の私の技術では結局の所、既存のサイトと変わりがなく
特色を出すことに躍起になっていた当時の私は自分の事は棚に上げて
特色とは何かと悩んでおりました。
その間、帰郷・再上京・就職・転職と私の身の上にも色々ありまして
忙しさにかまけて、更新はおろそかになり、とうとう一時閉鎖とあいなりました。
その間、忙しい仕事の合間をぬって「マリア様がみてる」を満員の山手線で
読破しながら。
「なんで ごきげんよう と誰も言わないのだろう?」
と考えておりました。
そして数ヶ月後、春雷の中、はたと気がついたのです。
「ここは新橋でリリアン女学院で無く、山百合会でもなく俺の会社で
 俺は女学生では無くサラリーマンでついでに言うと今は会議中なんだなぁ」
と上司の失敗しかなぁ、と言う顔を尻目に悟った訳です。

検索が出来てついでに誰かが勝手に更新してくれるサイトを作ればいいのか!

で、最近流行のWikiを利用して、ばーっとなんか出来ないかと試行錯誤
を重ねて、本日に至りました。

電脳ウロボロ線は終了します
今日から竹本Wikiと名前と機能を大幅に変更して再始動します。
まだ作りかけですが、お暇でしたら一度起こし頂ければ幸いです。
(と言うか人が来ないとどうにもならないもので)

図々しいお願いですが、あらためてよろしくお願いします。

http://fiction.jp/%7Euroboro/cgi-bin/pukiwiki/pukiwiki.php


『軍旗はためく下に』(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 7日(水)01時07分1秒


 付き添いの2人が短気をおこすなとなだめようとすると、三浦軍曹は、

『「とにかくおれは死んでやる。歩けるうちに何処かへ行けなんて、死ねと言われたようなものだからな。きさまがそう言うのなら、ここで死んでやる。おれがどんなふうに死んだか、みんなに伝えてくれ。危ないからどけ」
「何をする気だ」
「どかないと、とばっちりをくうぞ」
 三浦軍曹はいきなり手榴弾の安全栓を抜いた。(中略)
 私も小柴兵長も慌てて抑えようとした。
 しかし、歩けないはずの軍曹が突然二十メートルくらい走った。バギオにくる途中、自動小銃の音を聞いたときの素早さと同じです。いざとなった場合の精神力としか考えられない。
 ところが、三浦軍曹の叩きつけた手榴弾というやつは不発でした。二発とも不発です。手榴弾というやつは全く不発が多くて、わたしも魚をとるつもりで使ったことがあるけど、やはり不発だった。
 不発だと知った三浦軍曹は、その場に坐り込んでしまいました。わたしは小柴兵長とほっとして駆寄ったが、どうにも慰める言葉がない。軍曹の涙を初めて見ました。ぼろぼろ涙をこぼして、体を震わせているんです。よほど口惜しかったか悲しかったか、背中いちめんに彫物をした威勢のいい大工の棟梁が、左腕がぶらぶらになり、足の傷もかなり深くて痛かったはずです。それが死のうとして死ねなかった。わたしたちが病院に入るようにすすめても、首を振るばかりです。無理もありません。入院すれば内海伍長と同じです。腹をへらして死を待つ以外にない。といって、負傷した体で現隊へも帰れない。わたしたちにしても、軍曹を放って帰るわけにはいきません。そのうち日が暮れてくるし、わたしたちもどうしたらいいか分からなかった。それで、とにかくその晩は近くの空家に泊り、あとは翌る日になって考えることにしました。別 荘ふうの小さな空家が、松林のあちこちにまだ焼け残っていたんです。寒い晩でした。月が明るくてね。月のひかりが窓からさして、松風の音が聞こえていました……。』





 楽古堂主人さま
> 皆様へ。お久しぶりです。お元気でしょうか?

 こちらこそ、おひさしぶりです! こっちは変わりはありません。楽古堂さまもあいかわらずお忙しいようですね。
 園主さまから、楽古堂さまが解説を書かれた創元文庫版『トランプ殺人事件』は6月刊行だと聞いていますが、どのような切り口から解説をなさるのか、とっても楽しみにしております☆

> 中井英夫は、『幻想博物館』を再読。澁澤龍彦が「日常的な心理や風景を次第に幻想的な物語の時間空間に変質させていく描写 のうまさ」と評価した言葉に共感。

 『幻想博物館』は、とにかく「うまさ」の際立った稀有の短編集ですよね。――ボクもひさしぶりに再読してみようかな。
 ちなみに『幻想博物館』所収の短篇では、ボクは「大望ある乗客」が、意外なオチでけっこう気に入っています。この短編集の場合、いずれ劣らぬ 傑作揃いだから、どの作品が好きかは、もう個人の好みの問題になってしまうんでしょうね。楽古堂さまなら、どれがお好きかなあ?

 また、暇になったおいで下さいね!


 園主さま
 小樽文学館の掲示板、見ましたよ。「大西巨人展」、ホントに実現するといいですね(^-^)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


『軍旗はためく下に』(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 7日(水)01時06分7秒

 みなさん、こんばんは! FIVEPLACESさまからお薦めいただいて読んだ、結城昌治の『軍旗はためく下に』を先日読み終えたので、感想を書かせていただきます。――と言っても、なかなか難しいんですよね。兵士の目線から見た、戦争の無意味さを描いた作品、……なんて言っても、ほとんど何のイメージも喚起させないだろうというのはわかっているんですけど、でも、じゃあどう説明したらいいのかが思いつかない。で、結局、印象に残ったシーンをご紹介することにしました。

 本書『軍旗はためく下に』は、一兵卒の見た戦争の記録を残そうとした元兵士が、戦争末期に南方で悲惨な目にあった元兵士たちを尋ねてまわり、話を聞き出す、という「回想」形式の連作短篇になっています。収録作品は、「敵前逃亡・奔敵」「従軍免脱」「司令官逃避」「敵前党与逃亡」「上官殺害」の5作5章で、それぞれのタイトルは、陸軍刑法で死刑と定められた罪科です。
 本書の圧巻は、たくさんの人たちの少しづつ食い違った証言が次々と紹介されてゆく中で、軍隊とはどういうところなのかということを浮き彫りにした、「敵前党与逃亡」だと思います。でも、ボクの印象に残ったシーンが描かれていたのは「司令官逃避」でした。

『 昭和十九年末、太平洋戦争における日本軍はすでにサイパン、グワム、テニアンを奪われ、陸海軍の主力を結集したフィリピンのレイテ島でも惨敗を喫し、十二月十五日には陸海空の圧倒的な戦力をもった米軍がルソン島の南、ミンドロ島に上陸、フィリピン防衛を担う第十四方面 軍司令部の置かれたルソン島の中心マニラ市街は連日の空爆に曝されていた。特攻機はつぎつぎに基地を飛立って還らず、内地では沖縄決戦、本土決戦が叫ばれていた頃である。』

 本章の語り手は、この時、ルソン島北部の北サンフェルナンドにいました。彼の所属していた部隊は、三十過ぎの補充兵と撃沈された輸送船から何とか這い上がった丸腰の海没組を中心に、上陸してから臨時に編成された特設中隊でした。つまり意気のいい現役兵はほとんどおらず、そのうえ装備もない、ボロボロの使い物にならない部隊だったんです。でも、中隊長は温厚な部下思いの人物でした。ところが、このオンボロ部隊が、もっとも危険なポイントの守備につけられてしまいます。つまり、使い捨ての任務につかされたのです。でも、軍の命令は絶対ですから、彼らはそこで可能なかぎり任務を果 たそうとします。

 ところが、そうしたなか、分隊長の三浦軍曹が戦闘で左腕を折り、さらに右足にも負傷してびっこをひかないと歩けない状態になってしまいました。それで中隊長は三浦軍曹を後方の野戦病院へ送ることを決め、2人の付き添いをつけました。その一人が本章の語り手です。

 「後送」の決定と2人のつきそいは、どうせ全滅を運命づけられた部隊だからこそ、一人でも生き残るチャンスを与えてやろうという中隊長の親心から出たものです。でも、だからこそ、親の代から大工の棟梁で背中いちめんに刺青を入れた侠気のある三浦軍曹は、当初「戦友を見捨てるようで嫌だ」と頑張ったのですが、残っても足手まといになるだけだと説得され「後送」を受け入れます。

 でも、3人がやっと辿り着いた野戦病院は、出てきた衛生兵の「入院したって仕方がないぜ」「薬もなければ食物もない。動けなくなったのが残っているだけだ。動けるうちに現隊へ戻った方がいい」という説明そのまま、ただ傷病兵を死ぬ まで転がしておくだけの場所になりはてていました。ただ死ぬのを待っているだけの衰弱しきった傷病兵たちを見て、突然、三浦軍曹が言います。

「おれは死んでやる――」「何だあのざまは、あれが傷病兵に対する軍のやり方か。おれを軍指令部につれて行ってくれ。軍司令官の前で自決してやる」





( 以下は「『軍旗はためく下に』(下)」につづく)


お久しぶりです。 投稿者:楽古堂・大内史夫  投稿日: 4月 4日(日)14時47分2秒

皆様へ。お久しぶりです。お元気でしょうか?アクセス・ポイントを変更した機会に、書き込みできないか試してみます。小樽の『彗星との日々』に行かれたとは、羨ましいことです。運河の周りに、レンガの倉庫が立ち並ぶ、古風な趣のある街という印象。二十五年前の記憶。変化していることでしょう。中井英夫は、『幻想博物館』を再読。澁澤龍彦が「日常的な心理や風景を次第に幻想的な物語の時間空間に変質させていく描写 のうまさ」と評価した言葉に共感。春期講習で多忙中。短くて失礼します。


関西幻想(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 3日(土)21時03分8秒


 Keenさま & アーニャ
> またしばらく、温泉へ出かけます。
> 今度は山の中ですので、出先からの書き込みも難しいかな。
> いやむしろ、そういう場所の方がネット整備されてたりして……

> 行って来まーす。(^0^*

 うらやましいなあー。でも、気をつけて行ってらっしゃい!


 園主さま
 今日はどうもありがとうございました。ボク、十三って乗り換え以外ではほとんど降りたことがなかったので、あの商店街、なかなかインパクトがありました(笑)。いわゆる風俗の店がたくさんあって、その間に今風のラーメン屋さんとか居酒屋さんとかがあって、ミナミにくらべると、まだ何となくまとまりにかける感じがするんですけど、その分これから盛り上がるんじゃないかという可能性も感じました。

 関西以外の人にとっては、関西・大阪といえば、まず日本橋の通天閣界隈、つぎにミナミの道頓堀界隈。でも、その次に、キタの街がくるかどうか疑わしい……。むしろ今回『赤目四十八瀧心中未遂』で紹介された尼崎の方が(兵庫県になっちゃうけど)イメージ的には「関西」なんじゃないかな。でも、尼崎は下町で、そうした面 で関西的だというのなら、生野や東大阪なんかも、いかにも関西という感じになるのかも。でも、繁華街で関西のイメージを代表できる街といったら、ミナミのつぎに注目されてもいいのは、あんがい十三なんじゃないかな。あか抜けてなくて、『赤目』に出てきたチンピラやくざとかが、いかにも歩いてそうだし(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


関西幻想(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 4月 3日(土)21時02分30秒

 みなさん、こんばんは! 今日は園主さまと大阪・十三(じゅうそう)の『第七芸術劇場』という映画館に『赤目四十八瀧心中未遂』を観に行ってきました。「オフシアター系」って言うのかな? いわゆるメジャーな映画館には掛からない映画を上映しているマニアックな映画館ですが、十三にこんな映画館があるなんて、ぜんぜん知りませんでした。
 十三というのは、昔は歓楽街としてとっても栄えた街で、関西限定の喜劇俳優だった頃の藤田まこと(『必殺!』シリーズ、中村主水役)が出した歌には『十三のねえちゃん』というのがあったそうです。でも、その十三も時代の推移に取り残されるかたちで繁華街としては衰退の一途を辿り、バブルの頃には既に「昔の繁華街」になってたようです。でも、近年はそういう街だからこそ逆に、この『第七芸術劇場』みたいな新しい動きが出始めているようですね。

 ちなみに園主さまやボクが住んでいるのは、大阪の北西部にあたる豊中市で、いつも利用している電車は、阪急電鉄の神戸線。最寄りの駅は、神崎川駅です。この神崎川駅の大阪市寄りの(東)隣の駅が、さっきご紹介した十三で、反対隣(西隣)の駅が兵庫県に入って園田駅。この園田駅が『赤目四十八瀧心中未遂』の舞台となっている「尼崎」にあるんです。映画の冒頭では、阪急電鉄ではなく、阪神電鉄の尼崎駅が登場しますけど、映画の後半の心中行シーンでは阪急電車が使われています。つまりボクたちにとって「尼崎」は隣の街であり、映画に登場する町並みは「(すこし前の)うちの近所にそっくり!」という感じでした。――もっとも『赤目四十八瀧心中未遂』に描かれたような関西の下町に「薔薇園をかかえた広壮な洋館邸宅」というのは不自然じゃないか、とのご意見もあるでしょうが、……そこはそれ(笑)。京都の山手には「蒼鴉城」とか「幻影城」とか場違いな洋館建築があるそうですから、尼崎の隣り街にも「薔薇園をかかえた広壮な洋館邸宅」は「あり」ということでご了解下さい(笑)。

 なお肝心の映画ですけど、正直言って期待したほどではなかったかな。悪くはないし、面 白いシーンもいっぱいあるんだけど、全体として弱い感じがするんですよね。いかにも「関西」な「尼」の町並み(とくに、市場とか商店街とか文化住宅の家並みが出色)や赤目四十八瀧は、とっても魅力的だったんだけど、主人公がどうにも変に浮いていました。もちろん主人公は「尼」にやってきた「異人」という設定だから、浮いているのはいいんだけど、その浮き方がはずしているんです。真剣なシーンでどうにも笑えちゃうんですよね。なかには意図的に笑わせようとしたシーンもあったんでしょうが、どこでも変にはずしてて「おかしい」んです。
 監督の荒戸源次郎は、鈴木清順の門下らしく、その影響がもろに感じられる面 白い絵を撮るんだけど、ここ一番で構成的な締まりに欠ける印象がありました。「尼」の世界を、一種の「異世界」として楽しめる人には、これで充分なのかも知れませんが、どこまでがリアルで、どこまでがフィクションだかが見えてしまう地元の人間には、監督の魔術が充分に効を奏さなかったということなのかも知れませんね。





( 以下は「関西幻想(下)」につづく)


春の湯治。 投稿者:Keen&アーニャ  投稿日: 4月 3日(土)10時14分18秒

またしばらく、温泉へ出かけます。
今度は山の中ですので、出先からの書き込みも難しいかな。
いやむしろ、そういう場所の方がネット整備されてたりして……

行って来まーす。(^0^*


小樽文学館という「空間」(4) 投稿者:園主  投稿日: 4月 3日(土)00時15分12秒

 

それにしても世間は狭いですねえ。中井英夫ファンとして小樽文学館に足をふみいれた私は、よもやそこの館長さんが、大西巨人に近い人だなんて想像もしませんでした。でも、同じく中井英夫ファンとして小樽文学館に足をふみいれた三浦しをんさんも、じつは大西巨人のファンで、『彗星との日々――中井英夫との四年半』展の終幕イベント終了後、数人でごいっしょした古本屋では、大西巨人編『日本掌編小説秀作選』(上下・カッパノベルス・絶版)を買い求めておられました。

中井英夫は、大西巨人と聞いて「あ、あの小説のへたな人」と言ったとか聞いていますけど、それは中井英夫が三島由紀夫にシンパシーを感じるタイプ、文学的美文調を好しとする感性の持ち主だったからなのでしょう。でも、中井英夫も大西巨人もともに不本意かも知れませんが、両者には案外似たようなところがあるのかも知れません。たとえば、戦争や軍隊にたいする嫌悪感はどこか共通 するところがある。中井英夫は、軍隊ごっこをして自決した三島を、欺瞞にみちた「戦後」への抵抗ということで、観念的に救い出そうとしたけれど、決してあの軍服姿を好ましいとは思わなかったんじゃないでしょうか。
大西巨人は対馬で、中井英夫は市ヶ谷の参謀本部(の病院)で終戦を迎えたわけですが、どちらも直接戦闘にかかわらなかったという点も、私には興味深い。

中井英夫というと一般には、澁澤龍彦・三島由紀夫・埴谷雄高・江戸川乱歩といった「幻想・耽美」の系列と理解され、一方、大西巨人はわずかに中野重治と共通 の「論理・倫理・社会」派の系列だとイメージされがちですが、そうした(党派的)図式で作家を評価するのは、あまりに非・文学的なことでしょう。今後は「中井英夫と大西巨人」を並べて論じるようなことも、決して珍説・奇説の類として扱われることもなくなっていくんじゃないかな。いや、そうなるように私もますます精進しなければなるまい(と、大西巨人風に締めくくっておきます/笑)。

以上、一部ミスタイプの訂正と、原文の補足(※ 原文「世間」を、「地方(軍隊用語:軍隊外の一般世間・社会を指す)」と補足)、および適宜言及したページへのリンクを追加をしております。





 ホランド
ということで、明日は映画『赤目四十八瀧心中未遂』だから、よろしく。




それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


小樽文学館という「空間」(3) 投稿者:園主  投稿日: 4月 3日(土)00時14分29秒


『ことばの奪還(上・中・下)(2004/03/31 (水) 16:24 〜 16:27)

また、お邪魔します。

館長さんというか、亀井さんが大西巨人に近い位置にいる人だとわかり、うれしくなって、さっきの書き込みをしたんですが、それにしても単に「中野重治にかかわる人」としてお名前に見覚えがあったのか、いや、もっと何度も見たような気がするぞ……という感じがだんだん強くなってきて、さきほど「もしや」と思い、大高知児 編著『『神聖喜劇』の読み方』(晩聲社)を確認したところ、やっぱりありました。亀井秀雄の「ことばの奪還 ――『神聖喜劇』論――」。

大西巨人の書いたものは、単行本になったものなら『地獄変相奏鳴曲』以外はぜんぶ読んでいるんですが、周辺文献となると、買ってはあるものの読んでいないものが多くて、『『神聖喜劇』の読み方』もやっぱりそんな一冊でした。おはずかしい。

「ことばの奪還 ――『神聖喜劇』論――」の冒頭は、次のとおり。

『 いま返答を求められているのだが、その相手が何か陥穽を用意していることは容易に察することができる。相手は身分上の権限を笠に着て、この組織での経験を積み知識にも自信があって、時には衆を頼んで問い詰めてくる。それだけに、どんな陥穽が用意されているのかは、ちょっと簡単に見当がつかない。それならば返答を拒んでしまうべきか。だが、相手の権力が沈黙を許さないのである。『神聖喜劇』の主人公、東堂二等兵は、しばしばそういう状況に立たされてしまった。
 この東堂にかぎらず、昭和十七年一月十日、対馬の厳原に送り込まれた教育召集兵たちは、ことばに関してほとんど無権利状態に置かれていた。命令の復誦と、要求された返答以外のことばは、制度的な正当性がまるで認められないような扱いしか受けなかったからである。そのなかで何とかして条理を通 そうと試みる東堂は、とりわけむずかしい問答を強いられることが多かった。』

私はさっきの書き込み(「感想と要望」)で、玉 川さんの自由な発言(心情公表)の背景には、亀井館長の存在が大きいのではないかというようなことを書きましたが、どうやらこれは正しい推測だったようですね。「ことばの奪還」の必要性を知る亀井さんが、「組織」における「身分上の権限」をもって、それを適正に行使しているからこそ、小樽文学館は「役所」であるにもかかわらず、大西巨人が『神聖喜劇』で描いた「地方(軍隊用語:軍隊外の一般 世間・社会を指す)を象徴する、軍隊という組織」の似姿に堕さずにすみ、玉 川さんたちも「ことば」を奪われずにすんでいるのではないでしょうか。




( 以下は「小樽文学館という「空間」(4)」につづく)


小樽文学館という「空間」(2) 投稿者:園主  投稿日: 4月 3日(土)00時13分8秒

 

私は、小林多喜二や伊藤整といった、いまどき扱うにしては地味な地元作家をきちんと顕彰なさっている(中井英夫風に言えば「反時代的」な)小樽文学館の常設展に、深く感銘をうけました。けれども一点だけ引っ掛かったと言うか、違和感を感じたのは、もちろんあの石原慎太郎に関する展示でした。
私は自分の政治的立場から、あの展示を批判しようとは思いません。個人的な意見や立場がどうあれ、形式としての「不偏不党公正中立」を繕わなければならない役所としては、地元に欠くベからざる偶像である石原裕次郎の兄も、必要に迫られれば、扱わざるをえなかったのだろうと考えます。
でも、やはり「浮いてるよなあー」というのは同行した友人にもらした、私の正直な感想ですし、友人も「殺す側と殺される側の呉越同舟ですよね」なんて笑っていました。まあ、そのくらいあの展示は「そぐわない」ものだと感じられ、きっと展示しなければならなかった方は、もっと嫌だったんだろうなと、同情を禁じ得ませんでした。

そんなわけで、今の小樽文学館は、公立の文学館としては、たぶん日本一「文化的」なのではないかと、私は評価します。わずかに瑕瑾はあるものの、これも上に向けての「アリバイ」だと考えれば、あっても良いものだと評価できましょう。
こんな素晴らしい文学館が、この先もずっとこのままの状態で続いて欲しいというのは、私の個人的な趣味の問題にとどまらず、日本の行く末にもかかわることなんだろうなと思います。この自由な気風が抑圧された時、日本はふたたび戦火を被ることになるんでしょうね。大げさに聞こえるかも知れませんが、そうした意味で私は、小樽文学館を「平和と文化の象徴」だと考えるのです。


さて、最後に館長さんに要望です。小樽文学館で「大西巨人展」を開いてはいただけないでしょうか? 大西巨人は地味な作家かも知れませんが、この十年はブームと言って良いほどの状況ですし、大西ファンは熱心な人が多いから、この画期的な展覧会には、きっと全国各地からお客さんが集まると思いますよ。
小樽や北海道と無縁な企画は立てにくいということでしたら、小林多喜二と結びつけるとかできないかなあ。大西さんが講演をするためにそちらへ行って、石原慎太郎の展示を見て苦笑する姿を、ファンとしてはぜひ見てみたいのですが……無理な注文でしょうか?(笑)




( 以下は「小樽文学館という「空間」(3)」につづく)


小樽文学館という「空間」(1) 投稿者:園主  投稿日: 4月 3日(土)00時12分10秒

みなさま、私、過日訪問いたしました、小樽文学館について、次のような文章を書きました。これは同館の掲示板に書き込んだ文章でございますが、私の批評活動の一環として、記録の意味も含め、こちらにもご紹介させていただくものでございます。

『感想と要望(上・中・下)(2004/03/31 (水) 12:49 〜 12:51)

この掲示板では、はじめまして。『彗星との日々――中井英夫との四年半』本多正一写 真展の最終日にお邪魔しました、田中幸一(HN:アレクセイ)です。

私は中井英夫ファンとして今回の企画展に寄せていただいたわけですが、小樽文学館が市立の文学館とは思えないユニークな企画をいくつも実現されており、かつ常設展も役所仕事にありがちな「ひととおりのもの」では決してないことに気づき、むしろそっちの方に興味をそそられました。

副館長の玉川さんが、こだわりのある方であり、ただ者ではないのは、「日記」の内容にあきらかでしょう。よくもまあ役所がらみの掲示板に、こんなに個人的な(熱い)想いが書けるものだと、良い意味であきれてしまいます。――想いを「語れる」ではなく「書ける」としたのは、その行為が玉 川さんご本人の意志の問題とは別の、「役所がらみの掲示板」であるという物理的条件にこだわったからです。つまり、書きたいという気持ちはあっても、こういう場所では普通 はあんな風には書けない。正確に言えば「書かせてもらえない」ことが多いんじゃないかと考えたからです。

文学館を拝見して感じたのも、やはり同じことでした。壁に貼り付いている可愛い(?)トカゲのオブジェひとつ見ても、そこには良い意味での、役所らしからぬ 、「個人」のこだわりが強く反映されているように思えました。

ですから私は、小樽市というのは、なんと「文化事業」というものに理解があるのだろうかと感心したんですが、館長さんのページおよび個人サイトまで閲覧して、やっと合点がいきました。

「館長からのメッセージ」のページには、「歴史教科書問題」が「つくる会」を批判する立場からの意見として語られているようでしたし、韓国との文化交流も、たぶん館長さんのそうした姿勢に立脚したものだろうというのが、そこから読み取れました。私も館長さんと同じ立場に立つ者なんですが、だからこそ「こういう人が館長でいるからこそ、この文学館は、役所らしからぬ 自由な気風が感じられるのだな。決して偉い先生が、名誉職として名前を貸しているだけということではないんだな」とうれしくも思い、納得もしたというわけです。

館長さんがどこかの大学の先生だというのは聞き及んでいたんですが、今日さきほど、館長さんのお名前が『亀井秀雄』だと知って、「あれ、どこかで見た名前だぞ。でも、ありそうな名前だから、同姓同名かもな」などと考えながら、館長さんの個人サイトプロフィールを閲覧するにおよんで、「ああこの人か。どおりで見たことがあるはずだ」とさらに納得。なにしろ不勉強者ですから、まだ館長さんのご著書は読んだことはないんですが、私は大西巨人を「心の師」と仰ぐ熱心なファンであり、大西巨人と中野重治とは深くつながっているので、館長さんの『中野重治論』は、古本屋さんで何度も目にし手にも取っていたんです。




( 以下は「小樽文学館という「空間」(2)」につづく)



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