●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年5月中
 ●


【5月上旬へ】 【5月下旬へ】

【バックログ目次へ戻る】 【BBSへ】

【トップページへ】



追加! 投稿者:アーニャ  投稿日: 5月20日(木)11時36分43秒

>閉ざす言葉と開く言葉

Keenさま宛のレスの体裁になってるけど、実質はオープンの論文よね。いつもの「アリョーシャ節」がうなってるわ〜☆
せっかく力作を書き上げたばかりで悪いけど、今日の読売新聞に「日本推理作家協会賞」の結果 も載ってたから、追加情報としてお知らせしておくわね。「本格ミステリ大賞」と同じようなものだけど、全部で5作受賞してるから、他3作の評価はどうかというところかしら。

乱歩賞も24才の最年少受賞だとか。何だか流行りモノみたいに見えちゃうから、本当にイイ作品書いてても、逆に「ああ、またか」扱いされる恐れもあるかも?

>世間に染まることなく世間とわたりあえる

って、難しいのよね。だからこそ心がけることが大切なんでしょうけど。

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


転記のお知らせ。 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)23時44分1秒


 通りすがりさま
せっかくお書き込みをいただきましたが、掲示板自衛策として、貴方さまの書き込みを、

掲示板『ARGUMENT』
http://6006.teacup.com/aleksey/bbs

の方に転記させていただきました。
この掲示板は、掲示板荒らしで泣きつき男の「ネズミ」が三度目の泣きつきを行った際、私が対応を面 倒がったために使用停止にされてしまった同名掲示板を引き継ぐものでございます。

「ネズミ」男関連の書き込みについては、今後そちらの掲示板をご利用下さいまし。

書き込み、ありがとうございました。やっぱり、ネズミはネズミです(笑)。



http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


閉ざす言葉と開く言葉(10) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)17時05分12秒


 芙宮さま
>> 貴女さまが『できる〜中略〜「おいおい……」という気がしないでもございません(笑)。

> むむむ・・・ですよ。園主さま。そりゃあ‘できる〜’はジョークみたいなものですけれど、自分の稼ぎで生きられるくらいの社会人にはなりたいと切に願って?いるのですよ。芙宮だって少しは大人になったんだぞぅ。毎日、楽しそうで羨ましいよっていわれるくらい快活(言いすぎ?)にね!

私とてそれを望んでいるのでございますよ。私の可愛い芙宮さまが、世の中の汚さに泣いて暮すことのないように、強くあってほしいと常々祈っているのでございます(笑)。

> ご存知の通り日本語も不慣れなもので・・・。でも、芙宮の感じていることをなるべく正確に表そうとすると変な日本語になっちゃうんだよぅ。

そう。その自分の実感を大切にして、それを忠実に表現しようとする姿勢を、いつまでも大切にしていただきたいのでございます。そしてその上で、「敵」の言葉も、必要とあれば自由にあやつることができる強かさが必要だと思うのでございます。世間に染まることなく世間とわたりあえる、そんな大人になっていただきたいのでございます。

> あ、それと、園主さま方ってのは、間違いとかではないのよ。私には誰が園主さまだかわからないし、ひとりなのか違うのかもわからないし、それに、ホランドさま達のことをサブ園主みたいに認識しているから、どっちみち園主さま方で良いかなあって(笑)。

それは非凡に正しい認識なのかも知れません。「花園」の園主は一応「私」でございますが、ホランドくんを含め、「花園」においで下さるみなさまは、それぞれがそれぞれのかたちで「花園」の園主なのでございましょうし、斯く語る「私」自身、単純に一人格とはかぎりませんからね(笑)。ある意味で「私」は、「花園」に集って下さるみなさまの集合的無意識が人格化されたものなのかもしれません。もちろん、そのような場所において、誰が誰の分身だなどという下世話な発想は、野暮の骨頂。貧困なる精神に由来する、表面 的・断片的思考の真骨頂とでも言うべきものなのでございましょう(笑)。


 ホランド
> 今日(5/14)は園主さまと『アップルシード』(監督/ 荒牧伸志・原作/ 士郎正宗)を観てきました。やっぱり、絵には(特に人の顔には)多分に抵抗がありましたけど、エンターティンメントとしては充分に楽しめました。テーマ的な部分は十全だと思ったんですが、園主さまに言わせると「大人に見せるのなら甘い。子供向けならこれで充分だろうが」となかなか手厳しいものでした。

私はこの作品に語られているような、「人間の未来」にたいする希望は持っていない。絶望的な未来にも対峙する「人間の可能性」を信じているだけだ。

じっさい、この作品が描いた「人類の救い難さ」は、アニメドラマにもできるくらいありふれた事実だが、製作者たちが、その「救い難さ」をどこまで切実に感じているかは、いささか疑問だ。じっさい、イラクやパレスチナなどの悲惨で非人間的な「現状」を知っていたら、自身の無力感の方が先に立って、ああ簡単に「希望」は語れないんじゃないかな。

ま、その意味では、日本のアニメクリエーターの多くも「世界の真相を知ってしまうことを恐れ」、出来合いの正義や理想や希望を語ることによって、現実から目をそらしている、と言っても、けっして言い過ぎではないだろう。





それでは、みなさま、本日はこの辺で失礼させていただきます。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


閉ざす言葉と開く言葉(9) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)17時04分12秒


 影姫さま
> 優は17歳にしてすでに驚異的な物理学の才能を有していることが判明したそうです。

> 優を米国の大学に編入させることにしたのです。

> そして昨年12月クリスマス、黒猫館大広間で優の旅発ちを祝福する大パーティが開かれました。優の最後の挨拶の言葉はこうです。
> 「ボクをあのゴミ箱のようなニューヨークのスラムから拾ってくださった影姫様、そしてボクに学問する喜びを教えてくださった館長様、時にはケンカ相手、時には遊び相手になってくれたハムちゃま、そして黒猫館の外から暖かくみまもってくれた園主様、ホランド様、可愛がってくださったkeen様、AOI様、みんな本当にありがとうございます。ボクはまたいつの日か帰ってくるからその時はまたよろしくお願いします。」

まったく存じませんでした。お祝いにはせ参ずることもできませず、たいへん失礼いたしました。
遅まきながら、優さまのさらなるご成長をお祈りしております。

> 優を米国の大学に編入させることにしたのです。封建的なヨーロッパや日本の大学と違い、米国の大学は小学校さえでていないらしい優に対して「才能さえあれば受け入れてくれる」との寛大な回答を書面 で通知してくれました。しかしなにより優が米国行きを望んだことが最大の理由であることはいうまでもありません。当初はハーバート大学を予定していたのですが最終的にはよりニューヨークの中心部に近いイェール大学に決定しました。

私なりの餞の言葉を贈らせていただきます。

アメリカの大学は、『封建的』ではなく、あらゆる才能に開かれているということでございますが、それは一面 の真実ではあれ、その反面も無視してはなりません。要するに『才能さえあれば受け入れてくれる』という発想は、アメリカらしい実利主義だということでもあるのでございます。そしてその結果 が、軍・産・学の、政治的な三位一体体制でございます。

『戦後日本の歴史教育しか知らない、「戦争を知らない子供たち」の1人である私が、アメリカに来て、いちばん驚いたことは、この国は臨戦体制にあるということです。(まぁ、渡米してすぐに開戦したので、余計そういう印象が強まっているんだと思いますが)
もう少し具体的に言うと、政治・経済・アカデミックの世界に軍需が与えている影響力の大きさに、驚きました。
 (中略)
FPNで話題になったシナリオ・アプローチや、ゲーム理論の発展に多大な貢献をしたランド研究所も、元々は軍需用途の研究機関、「ハーバード流交渉術」も、テロの際の人質交渉での経験や研究に基づいて民需に転用された(確かそう習った)、等など、先進的な研究が軍によって行なわれていた例は枚挙に暇がありません。クリントン政権下で行なわれていた、TRP (Technology Reinvestment Project) という軍事技術の民需転用も、今は下火になったようですが、今も、無線ICタグの先進ユーザとして、研究に貢献しつつ、数十億個のタグ需要を作り出すとも言われており、その存在感は無視できないものがあります。やや脱線しますが、ロジスティックス (Logistics) という単語がもともと「兵站」を意味する軍事用語だったように、アメリカにおけるSCM分野の理論は、産・学ならぬ 、産・軍・学で育まれてきた色彩が濃いことも、恥ずかしながら、この国に来るまで私は知りませんでした。
若者が自由なアイディアを基に起業している、と世間で思われているかもしれないシリコンバレーですら、その成功に政府が大きく寄与していると言われています。』
      (アメリカ、そしてシリコンバレーにおける軍の存在感より)

つまり、アメリカにおける学術研究は、そのまま軍事と結びついており、まして「物理」をや、ということなのでございます。現代社会においては、最早「学者バカ」では済まされないのが「科学」の世界。――優さまには「信念を持った、人間主義の科学者になって下さいまし」と、是非にもお願い申し上げたいと存じます。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(10)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(8) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)17時03分8秒


 Keenさま(つづき)

しかし、そのような態度と情報摂取によって彼らは、デイヴッド・コグズウェルが指摘したような『表面 的な些事にばかり注意が向かってしまい断片的な思考ばかりするようになる』のでございますし、その結果 、ミステリ業界に氾濫するのは『ひとこと論評』ばかりということになってしまいます。

『このミステリーがすごい!』や『本格ミステリ・ベスト10』を始め、多数刊行されているミステリーベスト本やミステリー読本の類、ミステリ専門誌、あるいはミステリ系ウェブサイトのいずれを見ても、『ひとこと論評』の氾濫がはっきりと見て取れることでございましょう。

ミステリ専門誌などでは、ときどき「本格(的な)評論」という体裁をとった少し長めの評論が掲載されることもございますが、それらはたいてい「作品」と「人間」を直結させて意図的に「社会」を欠落させたものでございますし、笠井潔のように「作品」と「人間」や「社会」を透視する視点を(一見したところ)提示してはいても、それは常に「自己の身辺」とは関係のない「観念的」な「人間」であったり「社会」でしかないという意味において、『断片的な思考』の断片性を巧妙に隠蔽糊塗したものでしかなかったりするのでございます。

そして、こうした状況依存的・断片的思考に被われた知的環境から生み出されるのが「ミステリ評論家」であるからこそ、ミステリ評論家は「片輪」でもあれば、その根源的思考の欠除のために「水準が低い」ということにもなります。また、ですからこそ、千街晶之が批評家として「片輪」であったとしても、彼の著書『水面 の星座 水底の宝石』が、「ミステリ界(内部)」で評価される限りにおいては「受賞に値する、水準以上の」「受賞に異存のでない」作品ということにもなるのでございます。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(9)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(7) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)17時02分5秒


 Keenさま(つづき)

しかし、千街晶之や「探偵小説研究会」所属評論家にかぎらず、およそミステリ業界に関わる者の多くは、もともと外界に目を閉ざし、「ミステリをたくさん読んでいること」に自らのアイデンティティーを委ねてきた人たちでございます。つまり平たく言えば「狭隘なミステリオタク」。ですから、知れば、その狭い生存領域から放逐される怖れのある「現実」に目を向けろと言っても、それはかなり過酷な要求であろうということくらいは、私とて重々承知しているのでございます。他人(外部)から「ミステリバカ」と蔑まれながらも、みずからが営々と築いてきた「小世界」内での「今の地位 」を危険に曝すようなことが、どうして彼らにできましょう?

こうした人たちを生み出す知的環境とは、どのようなものなのでございましょう。
『チョムスキー』(現代書館)の著者デイヴッド・コグズウェルはこう言っております。

『 テレビ・ラジオ・新聞・雑誌のようなマスコミに接していると、Tひとこと論評Uの洪水に絶え間なく晒されるので、じっくり考えて結論を出そうと思っても論理的に筋を追うことができなくなるし、表面 的な些事にばかり注意が向かってしまい断片的な思考ばかりするようになる。だけどマスコミに受け身で接するのをやめて、意識的にじっくり考える心掛けをすれば、そうしたT痴呆化の罠Uから逃れることができる。マスコミ報道を「真実」だと信じてはいけない。マスコミが流している情報が「読者や視聴者のため」に出されていると信じてはならない。マスコミが流している情報を信じるのは、とんでもない愚か者である。』

例えばここに、

『 第4回本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)は、13日、会員投票の開票を行い、小説部門に歌野晶午氏の『葉桜の季節に君を想うということ』(文藝春秋)、評論・研究部門に千街晶之氏の『水面 の星座 水底の宝石』(光文社)を選出した。』(『ミステリー’Z』より)

という「情報」が流されたとします。この情報は「ミステリファン」によって、どのように利用消費されるでしょうか?

私が想像するに、多くのミステリファンは「予想が当ったか否か」「受賞作が妥当か否か」を問題とし、「投票者個々の選評の吟味」といったことをその思考の中心とするに止まって、そもそもこうした「賞の存在そのもの」には、まったく思考が及ばないものと存じます。
つまりミステリファンにとって、こうした「情報」は、無前提に「読者や視聴者のため」に出されているものなのでございますね。もちろん、それが「作家個人」や「ミステリ業界」や「出版界」のためのものであることは薄々承知していたとしても、そうした世界にアイデンティティーを委ねてしまっている彼らには、「作家個人」や「ミステリ業界」や「出版界」の利益は、そのまま自分たちの利益でもあると感じられるのでございます(=依存)。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(8)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(6) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)17時01分7秒


 Keenさま(つづき)

つまり、私が彼らを「批評家として片輪」だと言うのは、彼らの片目がつぶれているからなのでございますね。もちろんもって生まれた障害ならば、本人の責任ではございませんから、それは責められることではなく、むしろ同情されてしかるべきことでございましょう。ですが、彼らの場合、人間としての勇気の欠除に由来する責任逃れのために、自らの片目を故意に潰したのですから、同情の余地はございません。

みずから「業界」に入った以上、「業界」の問題点は「業界人」として引き受ける「責任」がある。にもかかわらず、彼らは自らの安寧のために、事実の直視を避けて、知らん顔でだんまりを決め込む。このようなことが、他者を批評する「批評家」に赦されることでないのは、もはや論を待たないのでございます。

チョムスキーは、自国の政府の外国における悪行について、「知らない」「興味ない」で済ませている多くの人たち(アメリカ国民)を次のように告発しています。

『学校で練習問題を解いているわけじゃないし、マスコミが火星とか18世紀のネタを扱ってるのを、ここで論じているわけでもありません。我々が選んだ政府が行っている政策のせいで、今この瞬間にも実際に人々が苦しみ、拷問を受け、餓死しそうになっているのです。我々はとりあえず民主社会に暮らす市民です。だから有権者として政府の行動の責任をとる立場にあるし、行動を改めさせることもできる。マスコミの怠慢を許しているだけでは、我々は市民としての責任を放棄しているに等しいのです。』(映画『マニュファクチャリング・コンセント』より)

この言葉が、私がここで扱っている千街晶之や「探偵小説研究会」の問題と、どう関連するのか「わからない」という人もいるでしょう。理解したくない言葉は、往々その勇気のなさ故に、理解できないものだからでございます。しかし、そういう人にこそ理解してもらはなくてはなりませんので、ここでは次のように、わかりやすく言い換えてみましょう。

「ミステリ業界にかかわる人間にとっては、千街晶之や「探偵小説研究会」の問題というのは、ごく身近な問題であり、決して、天下国家を論ずるといった、にわかに縁遠い話というわけではありません。だから気がつかないはずがない。むしろ「気がつかない」というのは、意識的に目をそむけている証拠なのです。しかし、我々がそうして彼らの行いを看過容認している間にも、彼らはその組織的政治力によって、業界における権威の分配を意のままに操ろうとし、ある程度は実際に操っている。その恩恵にあずかっている人たちは良いでしょうが、しかし、そこから(インサイダー談合)こぼれたがために不当に冷や飯を食わされている人、業界の裏側を知らないがために、恣意的に歪められた情報を鵜呑みにせざるをえず、そのために不利益を被っている多くの一般 消費者の存在することを、我々は忘れてはなりません。少なくとも我々が、その問題が所在する業界に積極的に関わっており、そこに起こっていることを身近な問題と知っているのであれば、我々はそれを正す努力をしなければなりません。それをしないのは、「業界人」として、あるいは「ミステリを愛する者」としての責任を、放棄しているに等しいのです。」





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(7)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(5) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)16時59分55秒


 Keenさま(つづき)

「評論・研究部門」で千街晶之の受賞が問題となるのは、受賞作の出来不出来の問題ではなく、受賞した批評家が「批評家として片輪」だという点なのでございます。

言うまでもなく、千街晶之は、私が問題提起している「笠井潔=探偵小説研究会の党派的政治性」の問題を自覚しておりましょう。それに気がつかないほど、千街はバカではございません。しかし、気づいてはいても、それを直視する勇気がないという点において、千街晶之は批評家として凡庸であり不具だと言えるのでございます。

批評家というものは、本来「自分の目でものを見、考え、語る」人間であり、笠井潔の望むような「三匹の猿」(見ざる、言わざる、聞かざる)のような存在であってはなりません。ところが、それなりに頭も良く、それなりに批評能力があっても、人間としての勇気や事実や真実に対する誠実さを欠いていれば、往々にして人は、自己に不都合な事実・現実には目を瞑るようになってしまいます。

例えば、ノーム・チョムスキーは、(前説にも引用したとおり)こんな風に言っております。

『自分がどんな社会に属しているか、その社会が何をやっているか、こういうことを真剣に問いつめるのは苦しくて不愉快なことが多いですよね。答えを探してもたいていは秘密主義の壁の向うに隠されていて見つけだすのは困難だし、見つけだしてもたいていは醜悪で胸が痛むような答えなので、腹が立ったり暗澹たる気持ちになる。こうした問題の真相を知ろうと思えば――そして真相を知ってしまうと――自分でも何か行動せざるを得なくなる。それは簡単にできない場合もあるし、大きな自己犠牲を伴うこともあるでしょう。……たしかにお気楽な道はありますよ。権力者に楯突かず屈服するとか、疑問をもって真実を探るという態度をやめてしまうとか、宣伝布教(プロパガンダ)の体制がたえまなく我々に吹き込むT教義(ドクトリン)Uをそのまま信じ込むとかね。主流派のTものの見方考え方(イデオロギー)Uがやすやすと大衆の心をつかむのも、大勢に逆らう異論反論が出てこないで人々が だんまり をきめこむのも、政府(おかみ)や同盟国の悪行を正当化するようなT公認教義Uを人々が喜々として受け入れるのも、あるいは逆にT敵対勢力Uが何かをしたとなればそれがたとえインチキ情報であっても皆一斉に非難の声をあげるってのも、そうした安直のなせるわざでしょう。』(『Towards a New Cold War』、佐藤雅彦訳文)

これはなにも「国家」(や、思想・信仰)レベルに限定される話ではございません。チョムスキーがここで語っているのは「人間の安直さ」という一般 的な性格のことなのでございます。

ですから、この話は、そのまま「日本の社会」や「日本のミステリ界」にも当て嵌まりましょう。つまり、千街晶之がそれなりの知性を持ちながら、私が提起している「身近な問題」について『だんまり』を決め込むというのも、彼が凡庸に『真相を知ってしまうと――自分でも何か行動せざるを得なくなる。』ということに気づいているからに他なりません。気づいていなければ行動のしようもないからと、気づいていない振り(演技)をしているに過ぎないのでございます。つまり千街晶之や「探偵小説研究会」所属の評論家にかぎらず、およそ「ミステリ評論家」を肩書きとする人たちは、例外なく『権力者に楯突かず屈服するとか、疑問をもって真実を探るという態度をやめてしまうとか、宣伝布教(プロパガンダ)の体制がたえまなく我々に吹き込むT教義(ドクトリン)Uをそのまま信じ込むとか』いった『お気楽な道』を選ぶことによって、「業界」での身分の安寧をはかっているのでございます。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(6)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(4) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)16時58分35秒


 Keenさま
>>コスモクリーナー

> って、「放射能除去装置」でしたっけ?
> ガミラス人と地球人は、宇宙服越しにしか接触できないのね〜☆(T-T)
> でも、「アンタッチャブル」もまたよし、フフフ♪(^0^*

そうでございますね。たしか、ガミラス人は「放射性ガス」の中でしか生きられないという設定で、テレビ版第1シリーズ『宇宙戦艦ヤマト』の最終回では、ガミラス艦がヤマトを急襲し、ヤマトに打ち込んだ接舷用パイプから放射性ガスを送り込んだ後に、乗り移ってきたものと記憶いたします。その放射性ガスにより、ヤマトの乗組員の生命が危険に曝された際、森雪が「古代くんが死んじゃう!」とコスモクリーナーDを稼動させ、一瞬発生する猛毒性ガスによって死んでしまう――というような展開だったのではないでしょうか。

ちなみに、元来ガミラス人はイスカンダル人と祖先を同じくしている同族であり、元はガミラス人も酸素呼吸をしていたのでございますが、長年の環境破壊に順応する形で、放射性ガスを呼吸するようになった、というような話だったように記憶いたします。

> さて、今日の読売新聞に「本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)」の結果 が載っていました。今夜あたり、園主さまからご報告&分析があるのでしょうね〜。
> 皆さま、お楽しみに♪(^0^*

ホランドくんもご紹介しておりましたとおり、「第4回本格ミステリ大賞」の受賞作は、大方の予想どおり、

  小説部門:    歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』
  評論・研究部門: 千街晶之『水面の星座 水底の宝石』

という結果となりました。

この結果については、(笠井潔が『オイディプス症候群』で受賞したのとは違って)私も特に異論はございません。歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』は大方の認めるとおり、たいへん良くできた作品だと存じますし、千街晶之の『水面 の星座 水底の宝石』も、日本のミステリ評論界の水準からして、受賞は当然の結果 であったと存じます。
むしろ千街晶之の場合、なまじ「探偵小説研究会」に所属しているがために「身内票」を云々されるのが気の毒なくらいなのでございますが、まあこれは本人の望んだことなのですから、しかたございますまい。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(5)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(3) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)16時57分17秒


池田名誉会長も再々申しておられますとおり「勇気のない信心は、敗者の信心」でございましょう。日蓮大聖人は、幕府が三度目の諫言を用いないと知ると「三度諌めて 用いられずは山野に退くべし」という故事に習い、身延山に退隠生活をすることを決意し、文永十一年五月十七日草庵を作り身延に入山されたのでございますが、さて創価学会員は、学会そのものや公明党を「いったい何度諌めれば」山野に退く覚悟があるのでございましょう?

  友よ強く 雄々しく立てよ
  僕が信ずる 君が心を
  苦しき仕事 深夜の勉強
  これも修行ぞ 苦は楽し
  君が信念 情熱を
  仏は じっとみているぞ

学会歌『友よ強く』(作詞 山本伸一〔池田大作〕、作曲 今城洋一)にもありますとおり、実在するものならば、仏はすべての人の行動とその秘められた心を『じっとみている』ことでございましょう。我々がしなければならないのは、形式的に素直な信仰ではなく、仏の前にすべてを晒しても、一点として恥じるところのない「菩薩道(衆生救済)」の信仰なのではございませんでしょうか?

学会組織を離れた私は、今、嘘偽りなくそのことに満足しております。自分が正しいと信じた行動をした上でのことならば、私は喜んで地獄へも落ちましょう。私が恐れるのは、己が怯懦により生き恥をさらすことなのでございます。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(4)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(2) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)16時56分4秒


また先日は、この冬柴鉄三幹事長や神崎武法代表ら首脳を含む(※ 公明党)13議員の国民年金未納が12日、発覚いたしました。
13名とは、〈衆院議員〉神崎武法、冬柴鉄三、北側一雄、遠藤乙彦、池坊保子、漆原良夫、石田祝稔、〈参院議員〉森本晃司、風間昶、山下栄一、千葉国男、 山本保、福本潤一でございます。

中でも「山下栄一」については、かつて「創価学会関西男子部長」として、学会男子部の会合で演壇に立ち、私を含む男子部員たちに「指導」を行っていたのを、何度もじかに見ているだけに、暗澹たる気分になるのを避けられませんでした。――実質的に信仰を放棄して十年以上経つ私ですらこうなのですから、現役の真面 目な創価学会員の苦衷たるや察するに余るものがございます。

しかし、私はあえて真面目な学会員のみなさまに、ここでもお尋ねしたい。

 ・ それでも、公明党を「平和の党」「庶民の党」だと思うのか。
 ・ それでも、今の公明党を支援するのか。
 ・ それでも、公明党支援を打ち出す、創価学会の信仰が正しいと思うのか。
 ・ それでも、こんな学会の最後の権威である池田大作名誉会長だけは無謬だと言うのか。
 ・ それでも、こんな信仰が日蓮大聖人の意に適うものだと思うのか。

「花園」においで下さった、数少ない良心的な創価学会員のみなさまは、「内部からの改革」を目指しておられました。それはそれでひとつの方法であり、決して間違ったやり方だとは申しません。しかし、問題なのは「なぜ、内部に止まって」なのか、ということでございます。つまり、「正しきあり方」への近道が、「内部にこそあるから」と考えるからなのか、それとも単に「外部に出るのが(退転者呼ばわりされ孤立するだけではなく、これまでの自身の信仰の姿勢を否定するのが)怖い」からなのか、ということでございます。

私が尊敬するノーム・チョムスキーは、こう言っております。

『自分がどんな社会に属しているか、その社会が何をやっているか、こういうことを真剣に問いつめるのは苦しくて不愉快なことが多いですよね。答えを探してもたいていは秘密主義の壁の向うに隠されていて見つけだすのは困難だし、見つけだしてもたいていは醜悪で胸が痛むような答えなので、腹が立ったり暗澹たる気持ちになる。こうした問題の真相を知ろうと思えば――そして真相を知ってしまうと――自分でも何か行動せざるを得なくなる。それは簡単にできない場合もあるし、大きな自己犠牲を伴うこともあるでしょう。……たしかにお気楽な道はありますよ。権力者に楯突かず屈服するとか、疑問をもって真実を探るという態度をやめてしまうとか、宣伝布教(プロパガンダ)の体制がたえまなく我々に吹き込むT教義(ドクトリン)Uをそのまま信じ込むとかね。主流派のTものの見方考え方(イデオロギー)Uがやすやすと大衆の心をつかむのも、大勢に逆らう異論反論が出てこないで人々が だんまり をきめこむのも、政府(おかみ)や同盟国の悪行を正当化するようなT公認教義Uを人々が喜々として受け入れるのも、あるいは逆にT敵対勢力Uが何かをしたとなればそれがたとえインチキ情報であっても皆一斉に非難の声をあげるってのも、そうした安直のなせるわざでしょう。』(『Towards a New Cold War』、佐藤雅彦訳文)




( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(3)」につづく)


閉ざす言葉と開く言葉(1) 投稿者:園主  投稿日: 5月18日(火)16時54分8秒

みなさま、本日はひさしぶりに「創価学会=公明党」の問題について書かせていただきます。
すでにこの問題について私は、

 ・ 君よ、如説修行の行者たれ! 不良・創価学会員によるアメリカ「イラク攻撃」支持の公明党批判

 ・ 創価学会の人々 討論・戦争と組織と信仰をめぐって

などで、自身の批判的な立場を明確にしております。しかし、それでもまだ私には「創価学会=公明党」の問題が「他人事」とは思えない部分が残っていて、何か問題が起こるたび、良心的な創価学会員たちの心中を慮っては、同情に胸が痛むのでございます。

例えば、先の「イラク・日本人人質事件」に関して、政府が被害者家族にたいして「救出費用」を請求し、これを取り立てたということがございましたが、これを最初に言い出したのが、私が前記論文君よ、如説修行の行者たれ!で批判した、公明党の冬柴鉄三幹事長なのでございます。

『 フランス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツなど先進諸国のメディアは、小泉首相をはじめ政府与党が、退避勧告を無視してイラク入りした人質を、自己責任論を振りかざして非難したことに、大枠のニュース扱いするほどにぶったまげていた。「自作自演」(同時期に人質にされた二三カ国七〇余人も自作自演とでも言うのか?)というおのれの下劣を証明するようなグロテスクな説を振りまいて貶め、救出費用まで取り立てたことに目を剥いていた。
 さらには、政府に同調して保守系メディアや市民が、人質とその家族を「自業自得」「日本の恥」とバッシングする醜悪さに唖然としていた。お上の責任放棄と横暴にはやたら思いやりがある分、お上に逆らう者にはひどく残酷になる、強きを助け弱きをくじく骨の随まで滅私奉公、異論排除のファシズム体質、イジメ体質を気味悪がっていた。
 そこへ持って来て、あからさまなファシスト登場。自民党の柏村武昭参院議員が四月二六日の参院決算委員会で、イラクの日本人人質事件について「反日的分子のために数十億円もの血税を用いることに違和感、不快感を」表明し、「勝手に危険な国に出かけて行って武装勢力に捕まったこと自体が反国家的」と言い切ったのだ。政府と意見を異にする者は、非国民、保護の対象にはならない、と。
 おそらく、外国のメディアは、民主化、近代化が必要なのは、イラクなんぞより日本なんじゃないか、と思ったに違いない。
 (中略)
 さて、「救出費用」請求を最初に言い出したのは、公明党の冬柴幹事長。さすが教祖の鶴の一声でどんな無理無体な号令にも信者たちが一糸乱れぬ 結果で従ってくれる政教一致の宗教政党らしく民主主義と政治のイロハを軽々と踏みにじってくれる。宗教は信じる者しか救わないが、政治は支持する者しない者も等しく差別 せずに救うのを大原則とする。
 だからたとえ政府が実際に救出に貢献していたとしても、請求する権利を持たない性格の費用なのだが、まして今回は、政府は救出していないのだから、救出費用が発生しようがないではないか。』

(米原万里『発明マニア』第26回「画期的抜本的な税制改革案」より、『サンデー毎日』5/23号所掲)

公明党の冬柴鉄三幹事長は、アメリカのイラク攻撃について『目的は大量 破壊兵器などの完全廃棄で、これが国際社会の脅威になっていることが問題なのだ。テロリストに科学兵器が回ったら大変なことになる。』と、イラク戦争を積極的に支持推進した人物でございますが、肝心の「大量 破壊兵器」がいまだに発見されていないのは、周知の事実でございます。

つまり、アメリカのデマに踊らされてイラクへの侵略戦争に加担し、イラクの政情を悪化させて『危険な国』にしたのは、日本政府与党公明党のなかでも戦争推進派であった冬柴鉄三幹事長らに他ならないのでございます。まして、こういう人たちが、イラクで人質になった被害者たちに、謝罪するというのならばともかく、「けしからん!」などと声を荒げるのは、彼らが本質的に「血も涙もないファシスト」だという証拠に他ならないのでございます。





( 以下は「閉ざす言葉と開く言葉(2)」につづく)


たけかんむりのしゅん 投稿者:芙宮  投稿日: 5月16日(日)23時18分51秒

を得るべくして、友人とともに竹林に分け入ってきました。焼いたり煮たりと旬を満喫いたしました。ぜんまい、わらび、ういきょう、いたどり・・・など、ここひと月は学校の敷地内の野山で採取しては美味しくいただいているのです。特に、よもぎの白和えの風味が気に入っているので、なんとやらの一つ覚えで日々採取しては、朝食のお供にしている日々です。それだけで、ひとりでたべる味気ないご飯も楽しく食べられるものですわ。ふふ。(微笑)

園主さま
>貴女さまが『できる〜中略〜「おいおい……」という気がしないでもございません(笑)。

むむむ・・・ですよ。園主さま。そりゃあ‘できる〜’はジョークみたいなものですけれど、自分の稼ぎで生きられるくらいの社会人にはなりたいと切に願って?いるのですよ。芙宮だって少しは大人になったんだぞぅ。毎日、楽しそうで羨ましいよっていわれるくらい快活(言いすぎ?)にね!

>それにしても『道のりは長いけれど、計画には時間がない』という言葉も、何やらつかみどころのない名言でございますし、『園主さま方』という表現も、なにやら園主が大勢いるようで面 白うございますな(笑)。

ご存知の通り日本語も不慣れなもので・・・。でも、芙宮の感じていることをなるべく正確に表そうとすると変な日本語になっちゃうんだよぅ。あ、それと、園主さま方ってのは、間違いとかではないのよ。私には誰が園主さまだかわからないし、ひとりなのか違うのかもわからないし、それに、ホランドさま達のことをサブ園主みたいに認識しているから、どっちみち園主さま方で良いかなあって(笑)。

ホランドさま
 素敵な詩をありがとうございました。そうかもしれません。うたがもつ感情を、芙宮の胸のうちで、何だろう・・鮮明に再現できるというか。感覚を共有できる詩って自分の中にはいってくると、何だかどきどきしません?そんな風になれたっていうことは、私がその真っ只中にいるからかもしれません。もっとも、私がうまれたのは、かたい服に覆われた幼い希望に想いを寄せて、雪ウサギに光る南天の赤に手をのばす、ような季節だから、五月には多分に憧れもあるせいか、すごく瑞々しく感じました。きっとこの詩に出会うべき時だったのね。どんなに素敵なものでも自分の中の時が合わないと心に入ってこないものね。ホランドさまが、小粋な紳士に見えました(笑)。

では、おやすみなさいませ。皆さま。


お伽話の崩壊――砕かれた平等社会の夢想 投稿者:園主  投稿日: 5月16日(日)00時43分13秒


みなさま、本日は、私が先日こちらに発表させていただきました、『窒息するオフィス 仕事に脅迫されるアメリカ人』(ジル・A・フレイザ−、岩波書店)についての感想文に手を加え、新たに、

  ・ お伽話の崩壊 ―― 砕かれた平等社会の夢想

としてアップさせていただきました。ご笑読いただければ幸いと存じます。


なお、本日は時間がございませんので、レスは後日ということで、ご勘弁下さいまし。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


優、青春への旅発ち 投稿者:影姫  投稿日: 5月15日(土)03時35分47秒

ホランド様から優は最近どうしているか?というご質問があったので
お答えします。
実は優は現在黒猫館におりません。遠い土地に旅発ちました。

ことの起こりは優が黒猫図書館所蔵の物理学関係の本を熱心に読んでいる
ところをうちの旦那である黒猫館館長が発見し、簡単な物理学関係の質問
を2,3してみたそうです。すると優はまるで1+1=2程度の問題であ
るがごとくスラスラと質問に答えたそうです。そこで館長がもっと突っ込
んだ質問をしてみたことろどうも優は17歳にしてすでに驚異的な物理学
の才能を有していることが判明したそうです。優の得意分野は特殊相対性
理論と宇宙物理学だそうです。
館長はこれは大変なことだとわたしに相談してきました。そして二人でじ
っくり相談した結果、優を米国の大学に編入させることにしたのです。封
建的なヨーロッパや日本の大学と違い、米国の大学は小学校さえでていない
らしい優に対して「才能さえあれば受け入れてくれる」との寛大な回答を
書面で通知してくれました。しかしなにより優が米国行きを望んだことが
最大の理由であることはいうまでもありません。当初はハーバート大学を
予定していたのですが最終的にはよりニューヨークの中心部に近いイェー
ル大学に決定しました。

そして昨年12月クリスマス、黒猫館大広間で優の旅発ちを祝福する大パ
ーティが開かれました。優の最後の挨拶の言葉はこうです。「ボクをあの
ゴミ箱のようなニューヨークのスラムから拾ってくださった影姫様、そし
てボクに学問する喜びを教えてくださった館長様、時にはケンカ相手、時
には遊び相手になってくれたハムちゃま、そして黒猫館の外から暖かくみ
まもってくれた園主様、ホランド様、可愛がってくださったkeen様、AOI
様、みんな本当にありがとうございます。ボクはまたいつの日か帰ってく
るからその時はまたよろしくお願いします。」

これが優の最後のメッセージです。

そして2003年12月31日ベルリン空港から夜行便で優はニューヨ
ークへと旅発ちました。優は絶えず笑顔で湿っぽい別れにならなかった
のは優の性格の良さからでしょう。そして優がなによりニューヨーク行
きを望んだ理由は少年娼婦として虫けら以下の生活を強いられたニュー
ヨークの街でそのような惨めな過去を清算したいという想いがあるのだ
とわたしは推測しています。
夏休みにでも優はまた帰ってくるでしょう。花園の皆様、優の今回の旅発
ちを祝ってあげてくださいませ。

それでは。(あのこにくらしいゴールデンハムスターについては次回。)

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


アップルシードとしての「顔」(下) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月15日(土)01時32分38秒


 Keenさま
 こまめに書き込みをいただき、ありがとうございます!

> さて、今日の読売新聞に「本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)」の結果 が載っていました。今夜あたり、園主さまからご報告&分析があるのでしょうね〜。
> 皆さま、お楽しみに♪(^0^*

 この書き込みを見て、結果発表があったことを知りました。園主さまも何も言っていなかったので、知らなかったんじゃないかな? さっそく調べてみたところ、その結果 は、

『 第4回本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)は、13日、会員投票の開票を行い、小説部門に歌野晶午氏の『葉桜の季節に君を想うということ』(文藝春秋)、評論・研究部門に千街晶之氏の『水面 の星座 水底の宝石』(光文社)を選出した。』(『ミステリー’Z』より)

ということで、園主さまがお荷物としての「解説」――「探偵小説研究会」所属評論家・柳川貴之の力量 (2004年4月12日)で、

『 さて、私は拙論『2004 本格ミステリ・ベスト10』の舞台裏の最後で、本(2004)年5月に決まる「第4回本格ミステリ大賞」の受賞作は、

  小説部門:    歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』
  評論・研究部門: 千街晶之『水面の星座 水底の宝石』

だと予想したが、先般発表された「候補作」にも、予想どおりにこの2冊が入っていた。「探偵小説研究会」のメンバーである千街晶之の評論書は、ここでは措くとして、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』の受賞を予想するのは、いくつかの理由がある。
 その理由とは、

(1) 昨年の「本格ミステリ」作品のなかでは、歌野のそれが断トツに評判がよく、これに受賞させなければ「本格ミステリ大賞」の、つまり「本格ミステリ作家クラブ」の見識が疑われる。

(2) 「身内の作品」だけではなく、「本当に優れた作品」に賞を与えることによって、「賞」そのものを権威付けることができる(「日本SF大賞」が、SFプロパーの作家の作品と、それ以外の作家の話題作に、交互に賞を与えてきたのは有名はところ)。

(3) これまではどちらかというと「本格ミステリ作家クラブ」に距離をおいてきた歌野に、賞を与えることで、歌野を「抱き込む」ことができるかも知れない。

といったことがあるからである。』

と皮肉っぽく書いたとおりの、あらゆる意味で「順当な結果 」となったようですね。
 もっとも、園主さまとは「もしかすると、小説部門は『赫い月照』(谺健二・講談社)になるかも」って話もしてたんだけど・・・(笑)。



 園主さま
 今日はありがとうございました。次は『パッション』ですね!





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


アップルシードとしての「顔」(上) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月15日(土)01時20分16秒

 みなさん、こんばんは! 今日(5/14)は園主さまと『アップルシード』(監督/ 荒牧伸志・原作/ 士郎正宗)を観てきました。やっぱり、絵には(特に人の顔には)多分に抵抗がありましたけど、エンターティンメントとしては充分に楽しめました。テーマ的な部分は十全だと思ったんですが、園主さまに言わせると「大人に見せるのなら甘い。子供向けならこれで充分だろうが」となかなか手厳しいものでした。

 ボクとしては「3Dをベースにした2D表現」が、やっぱり気になりました。ゲームのオープニングアニメとして見るのなら、これもこれで充分に楽しめるんですが、一本の(芝居)映画の映像表現としては、まだまだ実験の域を出ていないと感じたんです。例えば、メカニックの戦闘シーンなんかでは、3D表現と2D表現の長所がうまく統合されてて、とっても迫力があったんですが、――それにしても「人間の顔」に問題があります。3Dをベースにしているため、2D本来の自由さ(マンガ的に独自な誇張表現)が失なわれていて、ものすごく「表情」の表現が貧しくなっているんですよね。「顔」の表情が、単純に「眉」「目」「口」の形態的変化の組み合わせに限定されてしまっていて、たとえば実写 における役者の「目の演技」にあたるものが、まったく表現できなくなっているんです。従来の2Dアニメの場合、うまいアニメーター(および演出家)ならこれを「独自の表現」でカバーして「目(だけ)の演技」もさせていました。ところが、今回の場合、3D的に形成された「枠」によって、「歪んでみえない効果 的な歪み」としての「誇張表現」が前提的に制限されているから、表情はつけられてはいても、悪い意味で「能面 的」で、かなり貧しいといった印象が否めなかったんです。ゲームの3Dキャラに馴れている人なら、抵抗も少なかったんでしょうが、ボクの印象としては、リアルな3Dグラフィック表現のネックは、やはり「人の表情」だったなという感じでした。
 身体の動きはライブアクションをなぞれても、人間の複雑微妙な表情(アナログ)と、極端に記号化されたアニメ(マンガ)キャラの造作(デジタル)とは、元来その本質を異にしていて、「大胆な飛躍(誇張)」無しには折り合いのつかないものですからね。





( 以下は「アップルシードとしての「顔」(下)」につづく)


およっ? 投稿者:Keen  投稿日: 5月14日(金)22時28分23秒

カウンター「0131313」でした。
ちょっと面白い数字でしょ?(^0^*

さて、今日の読売新聞に「本格ミステリ大賞(本格ミステリ作家クラブ主催)」の結果 が載っていました。今夜あたり、園主さまからご報告&分析があるのでしょうね〜。
皆さま、お楽しみに♪(^0^*


あれ? 投稿者:Keen@ややバテ☆  投稿日: 5月13日(木)18時29分58秒

>コスモクリーナー

って、「放射能除去装置」でしたっけ?
ガミラス人と地球人は、宇宙服越しにしか接触できないのね〜☆(T-T)
でも、「アンタッチャブル」もまたよし、フフフ♪(^0^*

鬱陶しい雨のせいで、ややウツ気味というか、ダルいよー。
ごろごろしていたい……はあ。


愛、それは…… 投稿者:Keen  投稿日: 5月13日(木)13時59分39秒

☆園主さま

>「今どきデスラー」

時代の波に流されず、デスラーも中井英夫もピクシーも。
Keenの愛は、永遠に不滅ですっっっ!!!

ただ、しをんさんのように「デスラーの子供」を望むのは難しいですね☆
しかし、イスカンダル人のスターシャ&地球人の古代守カップルで出産可能だったことを考えると、ガミラス人&地球人にも可能性がないとは言えません(笑)。

でも、もしも「母上、襁褓(むつき)が濡れましたぞ。フッ」なんて口にする、顔色の蒼い息子が生まれたら……?(爆☆)

あー、それ以前に、ガミラス人は酸素と二酸化炭素の関係が逆転していたのを思い出しましたっ!それゆえの「コスモクリーナー」でしたっけ。
ということは、双子のような連星であるにもかかわらず、イスカンダル人とガミラス人は相見えないことになりますね。つまり、デスラーのスターシャへの愛は、初めから成就不可能だったと……いやいや、『さらば』より後の作品を認めない、という立場からすれば、この問題は存在しません。
男だけしかいないガミラス艦隊で、絶対的カリスマを誇るデスラー総統の「男の友情物語」を、しをんさんと語り合ってみたいものです♪(^0^*
(↑最後はやっぱりコレ/笑)

>「ナーゴコレクション3」

ナーゴ公式HPでは、まだ紹介されてませんでした。
本の新刊も出るのでしょうか?

☆ホランドくん

アーニャのネタ解説、どうもありがとう。「ギリシアやローマ」については、私もアーニャもクイーンは未読ですから、お察しのとおり。知らぬ 間に暗合が入り込んでた、というわけですね(笑)。

そういえば、矢吹駆シリーズのパスティーシュ『カモン、ベイビー』にも、意図せぬ 暗合が含まれてたことに気づきました。
笠井さんが『バイバイ、エンジェル』作中に、ローリング・ストーンズの名曲「悪魔を憐れむ歌」を効果 的に引用してたのは覚えてますか?
で、「カモン、ベイビー」というフレーズは、ストーンズと双璧をなすビッグネームであるドアーズの名曲、「ハートに火をつけて」のサビの歌詞だったんですね〜。
♪Come on baby, light my fire〜♪って。
おそらく、無意識下での連想が働いたのでしょう。内容的にも、恋歌だし(笑)。

そもそも、『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』で「マイホーム・パパになったアラゴルン」を見てしまったことが、『カモン、ベイビー』執筆のきっかけだったと思われます。
ただし、あのシーンで私は銀幕のアルウェンに、「なんでワレの子供やって決めつけるねん!エオウィンの子かもしれんやん!!」とツッコミを入れておりましたが……(笑)

矢吹駆シリーズの結末については、本当はもう少し掘り下げて書きたいのですが、もう少し元気になってからにしますね。
ではまた。


耳寄り情報など。 投稿者:園主  投稿日: 5月12日(水)21時39分15秒

みなさま、本日はお知らせをいくつか。


(1) 先日ホランドくんが書き込んでくれた「エドモンド・ハミルトン論」を、

    夢に安住できなかった男 ――エドモンド・ハミルトン論

   としてアップさせていただきました。
   書影もアップしておりますので、既読の方もぜひご確認下さいまし。


(2) お薦めの展覧会情報を2つ。

   ・ 『ドローイング展』 青木画廊 2004年517日(月)〜29日(土)
       (出品作家/予定)
      浅野信二、市川伸彦、牛尾篤、宇野亜喜良、ヨルク・シュマイザ−
      坂本淳一、高松潤一郎、多賀新、建石修志、山本じん

   ・ 『成田朱希展 ―生まれないで死なないで―
         2004年519日(水)〜29日(土)〔日曜休廊〕
       ギャラリーベルンアート(大阪市北区西天満4-2-4 美術ビル2F) 


(3) 『ナーゴ・コレクション3』(バンダイ)が、発売!

    ここ「花園」でも話題になったネコフィギュアシリーズの第3弾が発売に
   なりました。今回も、とっても可愛いネコ12匹が終結。写真映りはイマイチ
   ですが、強力お薦めです。





 Keenさま
> 世代はともかく(笑)、しをんさんだって「ヴィゴ様」に関しては、相当アナクロに「萌え〜♪」してるじゃありませんかー!

はいはい、もちろん「萌え」に今も昔もございますが、私は「今どきデスラー」というところに感心したのでございます。もちろん、バカにしているのではございません、その情の濃さと言うか義理がたさに感心したのでございますよ(笑)。

> ふっふっふっ、その「昔日のファンたち」は、ネット上で今もそれぞれの「偏愛サイト」にて、万年少女として健在ですわよ。もちろん、私もその中の一人です。
> 昭和は、今なお「現役」です♪(^0^*

「明治人」ならぬ、「昭和人」侮るべからずでございますな(笑)。


 ホランド
> 映画『パッション』

> ボクも興味があります。そちらもご一緒させて下さいね(笑)。

了解。供を命じよう(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


五月の詩・序詞(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月12日(水)00時36分59秒


 アーニャ
> ホランドくん、Keenさまのことをそんなに気遣ってくれて、ありがとう。
> GW中はクラウス兄さまがカケルくん(@マイホーム・パパ/笑)のごとくマメに働いてらしたので、Keenさまはよく休めたようよ。それで今日の通 院は、久しぶりに自転車で出かけたのよ!大体、「菖蒲湯」に反応して「やおい心」が発動していること自体、元気が回復した証拠だわ(笑)。

 そうみたいだね(笑)。でも、最初に回復するのが「やおい心」だっていうのは、かなり問題があるように思うけどなあー(^-^;)。

> あ、そうそう、ギリシアやローマでの古代レスリングは、双方全裸で戦ったそうよ。
> アリョーシャ、実は「本格」好みだったのね(笑)。

 これは説明しとかないと、わからないんじゃないの?

 ここで言う『実は「本格」好み』というのは、ミステリにおける「本格と変格」という分類法を踏まえてのことだよね。
 大雑把に言えば、本格ミステリというのは「謎が論理的に解かれるミステリ」、変格ミステリというのは「それ以外の、主として怪奇幻想的な雰囲気を重視したミステリ」のこと。

 前者の代表は、海外ではE・クイーン、国内では鮎川哲也。後者は、海外だと・・・う〜ん、例えばE・A・ポーの「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」「告げ口心臓」なんかが、変格ミステリだと言えるかな。ただし、ポー自身は「モルグ街の殺人」や「盗まれた手紙」「黄金虫」なんて本格ミステリも書いてる「本格ミステリの始祖」なんで、変格ミステリ作家とは言えないんだけど。国内では、ペンネームがポーに由来する江戸川乱歩が、変格ミステリ作家の代表格。本格に憧れ、優れた本格作品もいくつか残しながら「やはり乱歩の本質は変格だった」というのが、定評となっているよね。ほかには、夢野久作、渡辺啓介、渡辺温なんかも変格ミステリ作家だと言えるだろうし、そうした作家を愛した我らが中井英夫も(そしてその流れを汲む竹本健治も)変格ミステリ作家だと言えるんだよね。もちろん『虚無への供物』は立派な本格ミステリなんだけど、変格テイストを色濃く残した作品だと言えるわけだし。

 で、中井英夫や江戸川乱歩を偏愛する園主さま(や、Keenさまやボク)は、「本格(ミステリ)」のファンであるよりも、むしろ「変格(ミステリ)」のファンだという感じなんだけど、だから、

> アリョーシャ、実は「本格」好みだったのね(笑)。

というのが、アーニャのオチだったというわけ。

 もっとも、アーニャは『ギリシアやローマでの』ってところで、クイーンの『ギリシャ棺の謎』『ローマ帽子の謎』を踏まえた、ってわけではないと思う。というのも、生粋の「変格ファン」であるKeenさまに育てられたアーニャには、たぶんそういう連想は働かなかったんじゃないかと思うからなんだけど・・・どうかな?(笑)


 園主さま
> というわけで、ちかいうちに『アップル・シード』を観に行こう。

 了解しました!

> 他に観に行きたいと考えているのは、『キリストが処刑されるまでの12時間を描く衝撃作。「ブレイブハート」でオスカー監督になったメル・ギブスンが27億もの私財を投入し12年の構想期間を経て完成させた。残虐シーンやユダヤ人迫害の怖れなどから上映反対運動が広がったが、全米で大ヒット。』と紹介された映画『パッション』だ。

 ボクも興味があります。そちらもご一緒させて下さいね(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


五月の詩・序詞(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月12日(水)00時35分15秒


 影姫さま
> お薦め漫画サイトのご案内です。この「とりマイア」なる漫画家、かなり以前から眼をつけていました。同人誌はほとんど持っています。商業誌では『絶対隷奴』というアンソロジーに収録されていますが単行本の存在はよくわかりません。
> それにしても美青年+ボンデージとはまさにわたしのツボなのです。

 そう言えば、ユウくん(優くんに変わったんでしたっけ?)はお元気ですか? ハムちゃまさまも、どうなさってるのかな?


 AOIさま
>>『アップルシード』

> 最近観た映画ではダントツによかったですよ。

 園主さまのお誘いもありましたし、観てくることにしますね(笑)。

> 原作とアニメでは絵が違いますね。
> 女性は戦闘服以外みんなボディコンなんだけど、これって、だれのお好みなのかしら(笑)?

 原作者の士郎正宗は、童顔にボディコンというのが好きなようですね(笑)。メカフェチだし、身も蓋もなく言っちゃうと、典型的なオタク漫画家! 
 だから、映画版『アップルシード』の深刻な感じは、ちょっと原作とは違うのかも知れませんね。読んでないんで、確かなことは言えませんけど。

> 夏には大友克洋の『スチームボーイ』が公開されるんですね。こちらも期待しています。

 大友克洋のアニメって、あんまり感心したことがないんですよね。ディティールには凝ってるんだけど「人間が描けてない」というか「人間に厚みがない」という感じがするんです。

>>「戦いが終ったら、母になりたい」というようなセリフがあったと思うんですが、いかにも「悲劇」を予測させるセリフですよね。

> このセリフ自体はなかったとおもう・・・聞き漏らしてるのかな?
> でも、コピーだとしたら、ばっちりです。

 コピーだと思います。予告編では、それが読み上げられていましたけど、劇中のセリフではないと思います。

> 未遂?

 なにが〜っ!

> 「単なるスケベおやじ」と「スケベおやじ」はどういうふうにちがうんやろかぁ(大阪ふう/ボケ)

 「単なるスケベおやじ」なら、・・・「笠井潔葬送」なんてこと、喜んで言ったりしないですよね(^-^;)。


 Keenさま
> 劇場版『宇宙戦艦ヤマト・完結編』('83年)を、20年の時を経て、初めてTV(※録画)で見た。
> ……虚しかった。

 ボクは観てないです。『ヤマト』については「『さらば』まででよい」という話を、何度も園主さまから聞かされてますし・・・。
 あの世代には、『ヤマト』は愛憎相半ばする特別な作品みたいですね。もし、園主さまがもうすこし早く批評をやってたら、確実に「ヤマト葬送派」になっていたでしょうね。「見苦しく延命し続ける『ヤマト』を安楽死させる」とか言って(笑)。





( 以下は「五月の詩・序詞(5)」につづく)


五月の詩・序詞(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月12日(水)00時33分3秒


 芙宮さま
> 今度こそ初夏の風に乗って久々に来ましたよ。ライラックの香りが風に溶けていて、大好きな季節。

 おひさしぶりです! 風薫る五月。――五月と言えば何といっても、中井英夫によって編まれた、寺山修司の第一作品集『われに五月を』所収の、次の歌を思い出します。

    五月の詩・序詞

  きらめく季節に
  たれがあの帆を歌ったか
  つかのまの僕に
  過ぎてゆく時よ

  夏休みよ さようなら
  僕の少年よ さようなら
  ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 重たい本 すこし
  雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち

  萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
  僕は知る 風のひかりのなかで
  僕はもう花ばなを歌わないだろう
  僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
  春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
  そうして僕が知らない僕の新しい血について
  僕は林で考えるだろう
  木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ

  きらめく季節に
  たれがあの帆を歌ったか
  つかのまの僕に
  過ぎてゆく時よ

  二十才 僕は五月に誕生した
  僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
  いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
  はにかみながら鳥たちへ
  手をあげてみる
  二十才 僕は五月に誕生した

 ――もしかすると、今の芙宮さんにピッタリな歌かも知れませんね(^-^)。





( 以下は「五月の詩・序詞(4)」につづく)


五月の詩・序詞(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月12日(水)00時31分51秒


 『消防署の勧告に背いて、たき火をして火事になった家に、消防車は消火に行くべきでないとはいえないだろう。たしかに個人には、他人に危害を加えない限りで危険を冒す権利があり、輸血拒否、危険なスポーツ、喫煙などが許容されている。輸血拒否をして治療に失敗しても医師の責任を追及する資格がないという意味で、患者の自己責任がなりたっている』……政府には、無前提に国民の「生命・身体・財産」そして「法によって保障された権利たる自由」を保護し保障する義務がある。
 「たき火で火事」の譬えはわかりやすいし、『個人には、他人に危害を加えない限りで危険を冒す権利があり、輸血拒否、危険なスポーツ、喫煙などが許容されて』おり、その範囲で発生した「国民の危機」については、国が全力でこれに対処する義務を負う、というのもわかりやすい説明です。

 園主さまも以前「国は、外国は危険ですから旅行なんか止めときなさいと一言勧告さえしておけば、危険な外国での被害の一切は被害者の自己責任の範疇であり、国は何の義務も負わない、とでも言うのか」と皮肉っぽく書かれていましたが、そのとおりですよね。

 例えば、路上駐車していた車が車上荒らしにあった場合に、警察に「違法な路上駐車をしていて盗難にあったのだから、それは自業自得ですよ。そんな事件に捜査費用をあてるのは税金の無駄 遣いです」と断られるとか、玄関を開けたまま、ちょっとご近所まで出掛けいる間に空き巣に入られたので、被害届を出そうとすると「今どき戸締まりもせず家を開けて盗難にあうなんて、自業自得ですよ。(以下同文)」と言われるとか、小さな子供を表の道路で遊ばせていて、ひき逃げにあったところ「子供を一人で道路で遊ばせておくなんて、あなたの自業自得ですよ。(以下同文)」と警察に捜査を拒否されるとか、あるいは、独り暮しのお年寄りが不自由な生活をしていて、役所にヘルパーの派遣を求めたところ「面 倒をみてくれる子供をつくらなかったんだから、それは自業自得ですよ(以下同文)」あるいは「子供に面 倒を見てもらえないというのは、自業自得ですよ(以下同文)」と言われる等々。

 「人質事件被害者とその家族」をバッシングした人たちは、同じ論理が自分たちに向けられた時、どんなことになるのかということを、少しは考えた方が良いと思います。バッシングの背景には、いつでも、「想像力」の欠除、つまり「思いやり」の欠除があるんじゃないでしょうか。





( 以下は「五月の詩・序詞(3)」につづく)


五月の詩・序詞(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月12日(水)00時30分14秒

 みなさん、こんばんは! 園主さまもアレクセイ掌編集で紹介なさっている、理路明晰な名著『戦争倫理学』(ちくま新書)の著者で、倫理学教授の加藤尚武さんが、本年4月26日付けの『毎日新聞』「論点」欄に、「政府の存在理由とは」と題する論文を発表なさっていました。『国民の「生命と自由の保障」に例外なし』『国に被害者への救出費用請求権はない』という見出しの付された同論文を、ご紹介しておきたいと思います。

『 イラクで人質になった日本人に対して「政府が避難勧告をしている地域に自ら入ったのであるから、その結果 について自ら責任をとるべきであって、政府が救出すべきではない」という意見が、閣僚の一部、評論家などから出されている。これらの意見は人質解放が告げられる前の時点で、「たとえ人質の救出に政府が失敗しても、その責任は負わなくてよい」という言い訳の伏線でもあったようだ。

 さらに解放直後「活動を続けたい」という人質発言に、「多くの政府の人たちが救出に努力したのに、なおかつそういうんですかね」(小泉首相)といった非難が相次いだ。「国家に救済を求める以上は政府に忠誠を示すべきだ」という感情も背後にあった。

 どういう事情にせよ「政府が救出すべきではない」という結論は出せない。憲法31条の「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」という「生命と自由の保障」は、たとえ政府の勧告に反して外国の危険な地域に進入した者にたいしても適用されるからである。

 たとえば、消防署の勧告に背いて、たき火をして火事になった家に、消防車は消火に行くべきでないとはいえないだろう。たしかに個人には、他人に危害を加えない限りで危険を冒す権利があり、輸血拒否、危険なスポーツ、喫煙などが許容されている。輸血拒否をして治療に失敗しても医師の責任を追及する資格がないという意味で、患者の自己責任がなりたっている。イラクで人質になった人が「政府が保護責任を果 たしていない」と訴えたら、「被害にあったことは貴方(あなた)の自己責任ですから、政府に補償の義務はありません」と答えてよい。

 自由が奪われ生命が脅かされている国民がいたら、どのような事情があっても、国家は救出に乗り出すべきである。もしも日本政府が「テロリストの要求する自衛隊の撤兵はしない。人質に取られたのは被害者の自己責任であるから政府は救出の努力をしない」という態度を示したら、世界から非難を浴びただろう。そのときテロリストの側が人質を解放したら、日本政府の存在理由が問われることになっただろう。

 山で遭難した人にヘリコプターの費用への支払いが要求されるように、諸費用を被害者に負担させるべきだという意見もある。しかし、仮に国民の人身保護は国家の義務だという原理を考えないにしても、今回の人質解放が政府の努力の結果 であったのか、それとは違う力が働いていたのかを正確に立証することはできないから、政府に費用の請求権はないと思う。

 政府の努力と、人質解放という結果との因果関係がどの程度存在したか、わからないままの決着であった。自衛隊が武力行使をしないと人質が救えないという状況が発生しなかったのも政府にとって救いだった。自己責任論議は、人々が国家の存立根拠を忘れ真の国家意識が荒廃していることを示すものであった。』




( 以下は「五月の詩・序詞(2)」につづく)


ハンロ〜ン! 投稿者:Keen  投稿日: 5月12日(水)00時26分17秒

☆園主さま

>> デスラーさま〜☆

>三浦しをんでも口にしないであろう「アナクロなキャラ萌え」……。世代がバレバレでございますね(笑)。

世代はともかく(笑)、しをんさんだって「ヴィゴ様」に関しては、相当アナクロに「萌え〜♪」してるじゃありませんかー!
『夢のような幸福』によると、ヴィゴ様見たさのためだけに、『GIジェーン』『クリムゾン・タイド』などの出演作を鑑賞しているようだし、「私、ヴィゴ様の子供を産む!」宣言もなさっているそうだし。(^0^*

>それにしても、『ハイネルさま〜☆』とか『リヒテルさま〜☆』などと言っていた昔日のファンたちも今では……。昭和は遠くなりにけり、でございますなあー(^-^;)。

ふっふっふっ、その「昔日のファンたち」は、ネット上で今もそれぞれの「偏愛サイト」にて、万年少女として健在ですわよ。もちろん、私もその中の一人です。
昭和は、今なお「現役」です♪(^0^*

では、お休みなさい。


キリスト殺害者たち(6) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時31分28秒


 ホランド
というわけで、ちかいうちに『アップル・シード』を観に行こう。

他に観に行きたいと考えているのは、『キリストが処刑されるまでの12時間を描く衝撃作。「ブレイブハート」でオスカー監督になったメル・ギブスンが27億もの私財を投入し12年の構想期間を経て完成させた。残虐シーンやユダヤ人迫害の怖れなどから上映反対運動が広がったが、全米で大ヒット。』と紹介された映画『パッション』だ。

ちなみに上の紹介文は、ここんとこ繰り返し利用させてもらっている『サンデー毎日』GW合併号(2004.5/9-16)所掲の「試写 室のナイショ話」(襟川クロ・篠塚郁子)から。ちなみに、この映画紹介対談にも、「イラク・日本人人質事件被害者バッシング」が影を落としているようだ。

「最後の12時間はT責めUの12時間だから。復活がわかっていてもつらい」
「うん。途中で出ちゃう人も多いと思う。なぜここまで生々しく描く必要があったんだろうと思ったら、そうまでされてもなお、他人を赦そうとした存在がキリストなんだね」
「聖書のいろんなエピソードをうまく取り入れながら、時々ジム・カヴィーゼルのきれいな素顔を見せてほっとさせる。それとこの映画は、マスメディアをリードする人に対する権力側の恐怖や、大衆心理の怖さも描いてるよね」
「Tイエスを殺せ!Uと手を振り上げた人のうち、何人が彼を実際に知っていたんだろう。極悪人と彼のどっちを釈放するかというシーンは、大衆心理の無責任さに愕然」
「その場の勢いというか、ノーと言えない力が作用するんだね。弟子のペテロも、群集の勢いに押されて、イエスを知らないと言ってしまう」
(中略)
「最後の方で、(※ イエスの)お母さんがカメラにまっすぐに視線を向けてるでしょ。Tあなたは人のために何を捧げられるのですかUって聞かれてるようで、思わず居住まいを正してしまった」』

イラクで、恵まれない子供たちのためのボランティア活動に従事し、そのために結果 としては人質になってしまった高遠菜穂子さんが、解放直後『これからもボランティア活動を続けるかと問うアルジャジーラのインタビューに答えて、「続けます。今は、すごく疲れて、ショックなこともたくさんあるけど、イラク人のことを嫌いになれないんです」』と答えたことを思い出しても良い。

同時に、おなじ号で、中野翠が『文化人より公権力の人びとの発言のほうが、よくも悪くも一般 の生活実感に近かったような気がする』と言って、『公権力の人びとの発言』のほうを「擁護していた」ことも思い出しておくべきだろう。
きっと中野は、キリスト処刑に加担して権力者を擁護した、当時の知識人の生まれ変わりなのだろうな。

海外の人たちの目に、高遠さんらをバッシングした日本人の姿が、どんな風に映ったかは想像に難くない。マザーテレサに憧れて、国際ボランティアの道を進んだ高遠さんを、自ら危険な場所に入ったという一点でバッシングする人々。その常軌を逸した日本人のヒステリックな姿は、多くのクリスチャンに、キリスト殺害者たちの姿を、生き生きと二重写 しにして見せたことだろう。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


キリスト殺害者たち(5) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時30分43秒


 影姫さま
> お薦め漫画サイトのご案内です。この「とりマイア」なる漫画家、かなり以前から眼をつけていました。同人誌はほとんど持っています。商業誌では『絶対隷奴』というアンソロジーに収録されていますが単行本の存在はよくわかりません。
> それにしても美青年+ボンデージとはまさにわたしのツボなのです。

まさに影姫さまの世界でございますね。とてもきれいな絵だと存じます。
一方、私にとって「きれい」よりも重要な要素は、「可愛い」なのでございましょうね(笑)。


 AOIさま
>>『アップルシード』

> 最近観た映画ではダントツによかったですよ。

そこまでおしゃられる作品なら、ぜひ見たいものでございます。近々ホランドくんと観に行くことにいたしましょう。

> 笠井さんもこの熱意に応えて、ぜひとも、傑作を書かねばなりません!なりません!!

そのまえに「反論くらいしろ」と言いたいところでございます。もちろん、できるものならば、でございますがね。ございますがね(笑)。

> 「笠井潔葬送シリーズ」はともかくとして、江戸川乱歩の晩年の作品についての論文があったはずですよね・・・たしか(催促/笑)。

『「偉大なる夢」への儚き抵抗 ――江戸川乱歩と戦争』のことをおっしゃっているのでございましょう。そうですね、そろそろ考えたいと存じます。ちなみに、この論文は、乱歩の「戦時下の作品」を扱ったもので、『晩年の作品』というのは、ちょっと違うと存じます。――ともあれ、ご期待下さいまし(笑)。


 Keenさま
> 劇場版『宇宙戦艦ヤマト・完結編』('83年)を、20年の時を経て、初めてTV(※録画)で見た。
> ……虚しかった。
> 全ては、劇場版第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち』で描ききったことばかりではないか。ただ、ヒーロー&ヒロインカップルや我が愛するデスラーが生き残った、という点が異なっているだけだ。作品としての完成度も低く、公開当時、何の興味ももてなかったのも当然だ。あらすじすらも知らなかった(覚えてなかった?)のだから。

「形式(美)の堕落」を端的にしめした作品だと申せましょう。

たしか、私は途中で劇場を抜けて『クラッシャージョウ』(高千穂遥原作、安彦良和監督)を観に行ったものと記憶いたします(なお、同じ日に『超人ロック』劇場版第一作も観ました)。

> デスラーさま〜☆

三浦しをんでも口にしないであろう「アナクロなキャラ萌え」……。世代がバレバレでございますね(笑)。
それにしても、『ハイネルさま〜☆』とか『リヒテルさま〜☆』などと言っていた昔日のファンたちも今では……。昭和は遠くなりにけり、でございますなあー(^-^;)。


 アーニャ
> 「スケベおやじ」と「変態おやじ」も、どう違うんやろかあー?(笑)

「スケベおやじ」は、そこら辺にいくらでも転がっている「普通のおやじ」の本性であり、「変態おやじ」は、その特殊稀少な性的指向において、「スケベおやじ」からも理解不能と呼ばれる存在のことを言うんだ。
つまり「スケベおやじ」は、動物的本能的性欲に、無自覚的に従順な存在。「変態おやじ」は、「本能」に逆らって、性を倒錯的に享受しようとする「知的な性的アナキスト」のことだ。





( 以下は「キリスト殺害者たち(6)」につづく)


キリスト殺害者たち(4) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時29分9秒


一方、このようにして定着した、手段を選ばない「株価至上主義の猛烈経営」は、アメリカ有数の巨大企業エンロンの粉飾決済と破綻に象徴されるように、アメリカの経済界を決定的に不健全なものにしてしまいました。本書に描かれたように、アメリカ国内では、企業に対する労働者の『悲痛なうめきと怒り』が渦巻き、その一方、企業は「設けるためなら何をしてもいい」という考えに染まりきって、経営の健全化など思いもよらないという状態でございます。おのずと社会的な貧富の差は開いてゆき、「ごく一部の金持ちと、大多数の貧乏人」という二極分化が、なおいっそう進んでおります。――そしてそうした過程で展開されたのが、海外への収奪攻勢としての、アメリカ主導による「グローバル経済」であり、そしてさらにその先に必然的に現われてきたのが、「9.11」であり、アフガン戦争であり、イラク戦争だったのでございます。

つまり、当然のことながら「すべてはつながっていた」ということなのでございます。

例えば、先日の「イラクでの日本人人質事件」被害者に対する、日本国内での常軌を逸したバッシング(海外からは奇異の目で見られた)は、日本経済の傾いた現状や、日本の右傾化と、決して無縁ではございません。つまり「貧すれば鈍する」で、よほどしっかりした考えをもった人間でないかぎり、貧しくなれば、頭の回転も鈍り、心も荒んできて、ろくなことをしないようになる、ということなのでございます(「負け組」の憤懣のはけ口としての弱者バッシング)。無論、この諺の有効性に国籍は関係ございません。問題はあくまでも「個々の人間性」なのでございます。

「人間」というものを考える場合、残念ながら「経済」生活という要因は、無視いたしかねましょう。貧しくとも美しく生きられる人間ばかりなら、この世は天国であり、たぶん国家なども必要ないのでございましょうが、人間はそのようには造られていないのでございます。
私は、ながらく「文学」と関わるなかで、私の興味の本体は、そこに描かれた「人間(の深淵)」にあるのだということに気づいたのでございますが、近年、その「人間」がもっとも剥き出しになる場所が、危機的な状況をむかえた「経済」であり「政治」の世界だったのでございましょう。だからこそ私は、おのずとそうした世界にも、目をむけざるをえなかったのでございましょうね。

ともあれ、本書に描かれたのは、2001年の「9.11」前夜のアメリカでございます。ひるがえって、今の日本を考えますに、日本は前例のない長期の経済的低迷を続けており、「痛みを分かちあう」構造改革でこの不況を乗り越えようと訴えて首相に就任した小泉純一郎の下、戦争国家への道を突き進んでおります。
いまだに内閣支持率は高いそうでございますが、はたしてこれで、多くの国民がその「痛み=犠牲」に報われる日が来るのでございましょうか? アメリカ国民の二の舞いにならないという保証が、いったいどこにあると言うのでございましょう。
私には、日本がアメリカを十年遅れで後追いしているように思えてなりません。日本の経済が行き詰まった時、日本の政治家たちが考えたこととは何か。何に成功のモデルを求めたか。それを考える時、すくなくとも大多数の庶民にとっての日本の行く末は暗澹たるものである、としか私には思えないのでございます。





( 以下は「キリスト殺害者たち(5)」につづく)


キリスト殺害者たち(3) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時20分57秒


それまでの「家族主義的経営」時代においては、アメリカのホワイトカラーは、ブルーカラーと同じ被雇用者の身分にありながら、より会社の側に近く「管理職」的な気分があって、会社に対する帰属忠誠意識もつよかったようでございます。ですから当然、ブルーカラーのような切実な「労働運動」へのかかわりを持つことも、ほとんどございませんでした。しかしそれは、そうした労働運動の恩恵を、ホワイトカラーたちが、自らは血を流さずに、間接的な形で易々と受け(保障され)ていたために他なりません。ブルーカラーたちが経営者側から勝ち取った各種の権利は、ブルーカラーたちだけの権利には止まりません。経営者側としては、ホワイトカラーたちまで敵に回したくはございませんですから、「被雇用労働者に対し、平等に保障する権利」として、ブルーカラーたちが中心となって勝ち取った権利を、ホワイトカラーたちにも自動的に保証したのでございます。そんなわけで、ホワイトカラーにしてみれば、そうした権利保証は「当然のことだ」としか感じられず、特にありがた味も感じなければ、ブルーカラーの権利闘争への感謝も無かったのでございます。「彼らが保障されるのなら、我々も保障されないと筋がとおらない」――たしかにそのとおりではあるのでしょうが、この時、彼らには、手にしたその「権利」が、「(他人により)戦い取られた」ものではなく、ただ「(当然の権利として)自然に与えられたもの」だと感じられていたのでございます。
したがって、ホワイトカラーのそうした認識の甘さが、1980年代以降、彼ら自身を直撃した際、彼らは為すすべ(抵抗も団結)もなく、切り捨てられたり、非人間的な労働へと一方的に駆り立てられるという状況を、黙って甘受せざるをえなかったのでございます。

『一九九〇年代に経営の理論家として教祖的な地位 を手に入れたグローヴは、『パラノイヤだけが生き残る』のなかでこのように書いている。「品質の教祖W・エドワーズ・デミングは、企業のなかの恐怖を根絶することを主張している。私はこの格言の無邪気さに悩まされてきた。経営のもっとも重要な役割は、人びとが市場に勝つことに熱心に打ち込むような環境をつくることである。恐怖はそのような熱心さをつくりだし維持するのに大きな役割を果 たす。競争の恐怖、破産の恐怖、間違いを犯す恐怖、失業の恐怖は、強力な刺激要因となりうる。われわれはどのようにして従業員のあいだに失業の恐怖を植え付けるのか。それは自分たち自身がそれを感じることによってのみ可能になるのである。」』(P176)

グローヴのこの言葉における、「企業」を「国家」、「従業員」を「国民」、「市場」を「国家間競争」に置き換えれば、ブッシュ政権が煽った「テロの恐怖」の出所も、おのずと理解できようかと存じます。

ともあれ、このようにして、大きな犠牲を払いながらも、アメリカの経済は何とか持ち直したかのように見えました。しかし、持ち直したのは「大企業」であり「国」であって、「労働者個々(個人)」ではございませんでした。レイオフやM&Aなどの「非常時的断行」によって労働者に多大な犠牲が強いられ、その結果 として企業実績が回復向上しても、いいえ、そのことによって回復向上したからこそ、その「成功した経営手法」が改められることは絶えてございませんでした。会社がいくら儲けても、そのお金は社員には還元されず、あいかわらず社員は過酷な労働を強いられ、徹底的に搾り取られ、捨てられる。経済が上向きになっても、失業者は減らないので、「イヤなら辞めたまえ」と会社から脅迫された場合、会社と事をかまえるには、どこまでも「個人」でしかなかったホワイトカラーは、完全に無力だったのでございます。





( 以下は「キリスト殺害者たち(4)」につづく)


キリスト殺害者たち(2) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時19分22秒


かつての日本人は「仕事中毒(ワーカホリック 【workaholic】)」者の代名詞として世界に知られる存在であり、一方、日本人自身は「そんな勤勉な国民性だからこそ、奇跡的な戦後復興と高度経済成長を実現したんだ」と、多少屈折の気味はあるにせよ、そうした(『プロジェクトX』的に美化された)自己像を、おおむね肯定的にとらえてきたのでございました。しかし、その一方で、日本人は、欧米の人間らしい仕事ぶり(生活ぶり)に憧れを抱いてもまいりました。つまり、かつて高度経済成長を支えた日本人の多くは、「家庭」や「自己」を犠牲にすることによって「会社」や「国」の繁栄に尽くした、とも言え、そうした自己犠牲的側面 には必ずしも納得していたわけではなかったのでございます。
「欧米では、バカンスとして、一ヶ月近くのまとまった休暇が与えられるらしい」「勤務時間は、きっちり5時まで。アフターファイブは、保証された個人の時間の代名詞であり、残業なんてしないらしい」「週休二日で、週末の家族サービスは当然。接待ゴルフで休暇返上なんてこともないらしい」というようなことが羨望をにじませて、しばしば日本人ホワイトカラーの口の端にのぼりました。また、ですからこそ、高度成長以降、日本では労働環境の是正がなされ、「より人間らしい労働環境」づくりが目指されてきたのでございます。

ところが、1980年代初頭、それまで世界経済を独占してきた欧米に、日本が攻勢をかけはじめました。あの「ジャパン・アズ・ナンバー1」という言葉が流行した時代でございます。当時、アメリカは「自動車」を中心に日本から攻め込まれ、防戦一方となってしまいました。当時のアメリカ大企業の多くは、長年の繁栄とそれにともなう穏健保守的な家族主義的経営があだとなり、会社組織が肥大化して、小回りのきかない、危機に際して対応のままならない「鈍重な巨象」となっていたのでございます。その結果 アメリカ経済は大きく傾き、醸し出された危機感から反省的におこってきたのが、「家族主義的経営の放棄」であり「過酷な実績主義への変換」であり、「無駄 (余剰人員)の切り捨て」たるレイオフ、そして企業力をつけるためのM&Aでございました。

このような流れのなかで、いったい何が起こったのか。それは、時代逆行的な労働条件の悪化に止まらず、パソコンや携帯電話などの普及にともなう、それでなくとも削られゆく「私」の時間への「仕事」の侵入という事態で、会社が要求するのは、ほとんど「7/24」(週7日24時間労働)というような状況となってきたのでございます。
本書の帯には、こう刷られております。

  『 「もちろん、休みはとりますよ。昼休みという休みをね……」
    「会社にソフトボールチームはありません。
     あれば生産性が0.56%下がってしまうから……」!?

  仕事がどこまでも追いかけてくる――
   こんな働き方は まともじゃない





( 以下は「キリスト殺害者たち(3)」につづく)


キリスト殺害者たち(1) 投稿者:園主  投稿日: 5月11日(火)17時18分38秒

みなさま、本日は、私が今年読んだ中で「もっとも重要な本」だと評価できるであろう、ジル・A・フレイザ−著『窒息するオフィス 仕事に脅迫されるアメリカ人』(岩波書店)をご紹介したいと存じます。

『本書は2001年に出版されて大きな話題となったアメリカのホワイトカラー(※ 非現業部門の従業員、事務業務に従事する者)の過酷な働き方を描いた衝撃のレポートである。著者は、さまざまな大企業のなかで仕事に押し潰されている多数の男女に四年にわたりインタビューをしてきた。そして、M&A(※ 企業買収と合併)とレイオフ(※ 大量解雇)が連動した株価至上主義の猛烈経営が、いかにアメリカのホワイトカラーをスウェットショップ(搾取工場)状態に追いやってきたかをリアルに描き出した。ここに語られているのは、IBM、AT&T、シティバンク、インテルなど、誰もが知っているアメリカの大企業の、日本ではよく知られていない近年の変貌の有様であり、そのオフィスで働く人々の悲痛なうめきと怒りである。』

と、監訳者 森岡孝二の「訳者あとがき」にあるとおりの内容でございます(なお、※印註は、私による)。

ご承知のとおり、私はもともと、読書(文学および人文科学一般)・芸術といったものに耽溺する浮世離れした書斎派趣味人であり、アニメやフィギュアを愛好するオタクであり、およそ政治や経済とは無縁に生きてきた人間でございます。しかし、あの「9.11」によって、「政治」の世界が、私が興味を持つところの「人文科学の世界」に深く関連する「人間の世界」であったことを痛感させられ、否応なく興味を持たされることになりました。しかし、事ここにいたっても、まだ私は「経済」の方へは、とんと興味が持てずにおりました。典型的な文系人間である私は、数字や数式がとても苦手で、給料明細書はいつも支給額を確認するだけ。そんな私ですから、数字と縁のふかい「経済」は長らく敬遠の対象でございましたし、「経済」とほとんど同義語とも思える「企業社会」の問題も、なんとなく無縁なものと考えてきたのでございます。
ところが、長びく不況のせいで、わりあい恵まれていた私の労働環境にも、このところ好ましからざる影のさしてきたのを、しばしば感じるようになりました。そうしたことがきっかけで、新聞書評で紹介されていた本書を、手に取ることになったのでございます。





( 以下は「キリスト殺害者たち(2)」につづく)



【5月上旬へ】 【5月下旬へ】

【バックログ目次へ戻る】 【BBSへ】

【トップページへ】