●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年5月上
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デスラーさまぁ〜☆ 投稿者:Keen  投稿日: 5月10日(月)18時09分15秒

劇場版『宇宙戦艦ヤマト・完結編』('83年)を、20年の時を経て、初めてTV(※録画)で見た。
……虚しかった。
全ては、劇場版第2作『さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち』で描ききったことばかりではないか。ただ、ヒーロー&ヒロインカップルや我が愛するデスラーが生き残った、という点が異なっているだけだ。作品としての完成度も低く、公開当時、何の興味ももてなかったのも当然だ。あらすじすらも知らなかった(覚えてなかった?)のだから。

デスラーさまのキザ極まりない仕草(※白バラの香りを聞いてから、身振りたっぷりに胸に差す)が見られたのだけが収穫であった。
それと、ナレーターが仲代達矢だった。声は彼らしく素晴らしかったが、映像にマッチしているとは言い難い、と感じた。彼の声は、宇宙向きではないだろう。

このやるせない虚脱感を抱え、「花園」に救いを求める。
諸君、すまない……フッ(←デスラーなりきり♪)

ではまた。(^0^*


そういえば 投稿者:アーニャ  投稿日: 5月 9日(日)18時17分52秒

☆AOIさま

>あれ?「書斎派」のアリョーシャって書いたことあったっけ?

本人はともかく、『薔薇迷宮』作中のアリョーシャは、常に肉体派というか「××派」であって、決して「書斎派」ではなかったわねー(笑)。

かつて『大往生』『大霊界』なんてタイトルが流行ったので、Keenさまも真似して『大浴場』って使ってみたそうよ。
どなたもツッコミ入れて下さらないので私が補足しておくけど、皆さまのワープロソフトでは、「ヨクジョウ」を変換するとどんな漢字が最初に出ますか?
KeenさまのOASYSは日頃の使用頻度からいっても、もちろん「浴場」なんだけど……
「スケベおやじ」と「変態おやじ」も、どう違うんやろかあー?(笑)

あ、そうそう、ギリシアやローマでの古代レスリングは、双方全裸で戦ったそうよ。
アリョーシャ、実は「本格」好みだったのね(笑)。

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


フラっとレス 投稿者:AOI  投稿日: 5月 9日(日)11時33分9秒

☆ホランドさま

>『アップルシード』は予告編を見て、妙に3Dしてるの絵が気持ち悪かったので、あんまりみたいと思わなかったんですが、どうしようかな・・・。

最近観た映画ではダントツによかったですよ。
動きのリアルさは面白いと思うけどな。それより、はじめのほう音声が聞き取りにくかったのが気になりました。劇場のせいかもしれないけれど。
原作とアニメでは絵が違いますね。
女性は戦闘服以外みんなボディコンなんだけど、これって、だれのお好みなのかしら(笑)?
ひとみちゃんの赤いハイヒールはやっぱり赤なんだろうか。

夏には大友克洋の『スチームボーイ』が公開されるんですね。こちらも期待しています。

>「戦いが終ったら、母になりたい」というようなセリフがあったと思うんですが、いかにも「悲劇」を予測させるセリフですよね。

このセリフ自体はなかったとおもう・・・聞き漏らしてるのかな?
でも、コピーだとしたら、ばっちりです。

>> 「・・・だって、アリョーシャったら、いきなり裸になって『ブラッシーだ!』なんて言って、羽交い絞めにしてくるんだもの・・・」

>これじゃ園主さま、単なるスケベおやじじゃないですか。――まあ、たしかに単なるスケベおやじではあるんだけど(笑/って、ごまかし!)。

未遂?
「単なるスケベおやじ」と「スケベおやじ」はどういうふうにちがうんやろかぁ(大阪
ふう/ボケ)

☆園主さま

>未発表の笠井潔批判論文「地獄は地獄で洗え…」を公表する前に、「笠井潔葬送シリーズ」の書き下ろし論文を1本構想しているのでございますが、そのネタとなる本が1冊みつからず、そのために執筆が遅れております。どうしても必要な本だというわけではないのですが、そんなに奥に仕舞い込んではいないはずだということもあって、執筆しないでいるのでございます。

笠井さんもこの熱意に応えて、ぜひとも、傑作を書かねばなりません!なりません!!

「笠井潔葬送シリーズ」はともかくとして、江戸川乱歩の晩年の作品についての論文があったはずですよね・・・たしか(催促/笑)。

>う〜む……。たしかに「単なるスケベおやじ」扱いで、ございますね。ございますねー……。

プロレスしてただけなんだもの、いいじゃない(笑)。スタコラ、、、(逃)

☆アーニャ

>作中のアリョーシャが、いつのまにか「書斎派」から「肉体派」に転身してるのは、AOIさまの男性観に変化でもあったのかしら?

あれ?「書斎派」のアリョーシャって書いたことあったっけ?
文体からすると、「書斎派」というより、むしろ「肉体派」ですよね(笑)。


梅雨も近いんでしょうか。静かな雨が降っています。「花とアリス」を観にいく予定。
無事に観れたら、ご報告します。


たまには布教活動 投稿者:影姫  投稿日: 5月 8日(土)03時15分36秒

お薦め漫画サイトのご案内です。この「とりマイア」なる漫画家、かなり以前から
眼をつけていました。同人誌はほとんど持っています。商業誌では『絶対隷奴』と
いうアンソロジーに収録されていますが単行本の存在はよくわかりません。
それにしても美青年+ボンデージとはまさにわたしのツボなのです。園主様が「星
崎龍」にこだわっておられるのと同じ程度にわたしもこの「とりマイア」という漫
画家にこだわっているのです。

それでは興味のある方は↓からジュンプしてくださいませ。

http://www.ne.jp/asahi/aiirorando/torimaia/


ウフフ。 投稿者:アーニャ  投稿日: 5月 7日(金)15時16分2秒

>しばらく書き込みがないとご病気のことが心配になって仕方がないボクなのに、たまに書き込みがあったと思ったらコレだもんな・・・(-_-;)。

ホランドくん、Keenさまのことをそんなに気遣ってくれて、ありがとう。
GW中はクラウス兄さまがカケルくん(@マイホーム・パパ/笑)のごとくマメに働いてらしたので、Keenさまはよく休めたようよ。それで今日の通 院は、久しぶりに自転車で出かけたのよ!大体、「菖蒲湯」に反応して「やおい心」が発動していること自体、元気が回復した証拠だわ(笑)。

AOIさま、芙宮さま、お久しぶり♪(^0^*
AOIさまは久々の新作でもあるわね。作中のアリョーシャが、いつのまにか「書斎派」から「肉体派」に転身してるのは、AOIさまの男性観に変化でもあったのかしら?いつものように繊細かつ、今回はなかなか大胆な描写 で……(くすくすっ)
芙宮さま作の「お父様へ……(仮題)」なんてのも、読んでみたいわ。いつか書いて下さらないかしらね。

>> 風呂上がりのコーヒー牛乳、ジャンケンに勝たないと分けてやらないからな

>なぜ「奢ってやらないからな」ではないのでしょうか? ケチなのか、それとも小学生なみに「間接キッス」を狙っている「変態おやじ」だからなのか。だからなのかー……。

アリョーシャ、自分で合理的な回答を出してしまってるあたり(笑)。
さらに付け加えると「一本のコーヒー牛乳を、二人で半分コする」ってところが、萌えポイントなんじゃないかしら。それと、いくら湯上がりだからって、冷たい物を一気飲みするとお腹をこわすかもしれない、という配慮もありそうだし(父性愛)。
あ、Keenさまが書き落としてたらしいんだけど、あの二人の会話は、湯船につかりながらのものだそうです。セリフにエコーなどかけてお読み下さい、ですって(笑)。

それから、ナディア&カケルの息子・ミシェールくんは、その後、アリョーシャが涎垂らすほどの美少年に成長したらしいわよ〜。まあ、あの二人の子供なら、当然でしょうね。(^0^*

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


良い夢を 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時36分17秒


先程の書き込み(「日本人の誇り」)の冒頭で、『掲示板への書き込みというのは、不思議に集中するものでございますね。』『めったに書き込まない方の書き込みがあった時にかぎって、他の方も書き込みをなさいます。』ということを書きましたところ、本当に年に数度しかお出でいただけない芙宮さまからの書き込みがなされておりました。――もちろん、私の書き込みの文章は、芙宮さまの書き込みの存在を知らない段階で書かれたものだったのでございます。





 芙宮さま
> ミステリの類から目が覚めてしまった私は、新たなる本の探し方がわからなくなっていた。読書に当てていた時間が何となく暇をもてあます時間になって、募るイライラ。やっとリハビリになりそうな本を友人から聞きつけて、今『すぐそこの遠い場所』『クラウド・コレクター』を読んでいるところです。今ひとつ・・・と感じることもありますが、好感の持てる、読書リハビリには最適な本だと思います。黙々。

その本なら、単行本刊行時に「なかなか雰囲気のある、凝った造りの本じゃないか」と購入いたしましたが、すぐ読まなければならないというようなタイプの本ではございませんでしたので、いまだに未読でございます。そういえば、最近文庫化されておりましたよね。

> できる社会人になろう計画のため、最近、読めるけれど書けない『漢字』練習をしています(恥・・・)。そうしたら、5年来の勘違いをしていて、間違った記憶をしていた地名があることを発見!親に罵られてしまいました(哀)。道のりは長いけれど、計画には時間がない!頑張れ私!という所で今日はふらりと帰ります。

貴女さまが『できる社会人』を目指すというのは、もちろん悪いことではないのでございますが、「おいおい……」という気がしないでもございません(笑)。

ま、人間だれしも、誤った思いこみというのはあるものでございます。ご承知のとおり、私などは、それを大勢の方の前に、自ら曝してしまったのでございますよ。それに比べれば、親に罵られることくらい、大したことではございません(笑)。

それにしても『道のりは長いけれど、計画には時間がない』という言葉も、何やらつかみどころのない名言でございますし、『園主さま方』という表現も、なにやら園主が大勢いるようで面 白うございますな(笑)。


ともあれ良い夢を見て下さいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


日本人の誇り(5) 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時10分16秒


 AOIさま
本当におひさしぶりでございます。約一ヶ月ぶりでございますね。いかがお過ごしだったでしょうか?

> 未発表原稿のアップたのしみにしていますよ〜。

未発表の笠井潔批判論文「地獄は地獄で洗え…」を公表する前に、「笠井潔葬送シリーズ」の書き下ろし論文を1本構想しているのでございますが、そのネタとなる本が1冊みつからず、そのために執筆が遅れております。どうしても必要な本だというわけではないのですが、そんなに奥に仕舞い込んではいないはずだということもあって、執筆しないでいるのでございます。このような事情ですので、どうぞ今しばらくお待ち下さいまし。それまでに別 の旧稿をアップするかも知れませんし(笑)。

> アリョーシャは、両腕をぶるんぶるんと交差して、バシッ、バシッと背中を打ちつけると、一糸纏わぬ 姿で仁王立ちになっていた。

う〜む……。たしかに「単なるスケベおやじ」扱いで、ございますね。ございますねー……。


 Keenさま
> 風呂上がりのコーヒー牛乳、ジャンケンに勝たないと分けてやらないからな

なぜ「奢ってやらないからな」ではないのでしょうか? ケチなのか、それとも小学生なみに「間接キッス」を狙っている「変態おやじ」だからなのか。だからなのかー……。


 ホランド
> ボクも、園主さまに変わって、訂正☆

ありがとう。すっかり「小国民」だと思っていたよ。
以前、山中恒さんの「少国民シリーズ」の本を見た時、「少」という字に「あれっ?」と思った記憶はあるんだが、その時はそのひっかかりをそのままにしてしまったんだ。

アメリカ軍による、イラク人捕虜虐待問題が継続報道され、世界を揺るがしています。

ああ、でもああいう告発報道がなされたことは、「アメリカの良心」がまだ生きていたことを感じさせて、正直とてもうれしかったよ。80年代からの企業買収と合併で、アメリカの多くの新聞社やテレビ局が、一部資産家大企業の傘下に収められ系列化されており、それにともなう「報道の自由」の抑圧が懸念されて久しかったんだけれど、逆境の中でも、生き残る良心は生き残るということなんだろうな。

> エドモンド・ハミルトン論

私にとって、エドモンド・ハミルトンと言えば、まず日本で制作されNHKで放送されたアニメ版『キャプテン・フューチャ−』であり、子供の頃、原作者を知らずに見た東映・円谷のテレビドラマ版『スターウルフ』だ。どちらも主題歌を、私が好きな歌手 ヒデ夕樹(『海のトリトン』など)が歌っていて、知ってのとおり、いずれも私のカラオケ定番曲だ。

> 「縛られてある自己」 と、それに発する「解放された自由への思い」という対は、ハミルトンの作品に「メタ(自己言及)」的な、独特の「二重性」を与えています。つまり「冒険活劇の世界」とそれを夢見ている「平凡で退屈な現実の世界」という「二重性」が、しばしば作品のなかにまで持ち込まれるんです。

この指摘を読んで、私は、20年ちかく前に読んだハミルトンの『スターキング』も、そんな作品だったことを思い出したよ。
当時の私は、この作品に10点満点の9点を与えていて、ものすごく楽しんだことがはっきりとわかる。今にして思えば、『スターキング』のメタフィクション的構成にも強く惹かれたんだろうな。でも、翌年に続編の『スターキングへの帰還』を読んで、ハミルトンへの評価を大きく下げている。内容は憶えてないが、たぶん、この続編は失敗作だったんだろうな。シリーズがこの2作目で終っているところから見ても。

で、今回は「フェッセンデンの宇宙」を読みたくて、この新アンソロジーを購入し、先にお前に読んでもらうことになったわけだが、期待した以上のもののようなので、今から読むのが楽しみだ。もっとも、事前に期待し過ぎるのは、とても危険なことなんだがな(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


日本人の誇り(4) 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時09分5秒



なお、同誌同号にに掲載された、フォト・ジャーナリスト森住卓による前記寄稿文にも、アメリカのパウエル国務長官をめぐる、次のような事実が報告されておりました。

『(※ 日本人ジャーナリスト二人が拉致拘束されたという、未確認情報の)メールを読んだ時、私はこの情報を本当に政府に知らせるべきなのか、真剣に悩みました。先に拘束された3人が殺されるかもしれないという現実を前に、小泉首相は「テロに屈するな」「ひるむな」と叫ぶだけです。
 それどころか、こともあろうに、人質の身が危険にさらされている微妙な時期に、犯人グループが最も憎悪するアメリカのチェイニー副大統領(※ ネオコン)と会談し、忠誠を誓う映像がアルジャジーラでアラブ世界全体に放送される状況でした。残念なことながら日本政府の対応が、どうしても、純粋に人質の救出を目的にして動いているように思えなかったからです。

 どのような政府でさえ、国民は税金を払う義務があり、反対に政府は主義・主張にかかわらず国民を保護する義務があるはずです。
 結果的には、5人それぞれがイラクの人道支援に協力したり、アメリカの占領政策の矛盾を世界に伝えようとするなど「イラク人の敵ではない」ことがはっきりし、また、イスラム聖職者協会の皆さんの尽力もあり解放されました。

 さらに小泉首相が頼りにするアメリカのパウエル国務長官さえこう話しています。「危機を知りながら良い目的のためにイラクに入る市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険を冒してしまったあなた方の過ちだ』などと言うべきではない」と。
 
 人質が助かるやいなや、数十億円の「費用負担」を求めるとか、「自業自得」という論理までまかり通 る社会の空気はやはり、常軌を逸しています。まだアメリカの方がまともなんじゃないかと、感じた人は少なくないはずです。』

パソコン画面での横書き表記の読みやすさを考慮して、 米原・森住両氏の原文には無い「空行」を、引用者の判断で適宜挟んだとこを、最後に記しておきたいと存じます。





( 以下は「日本人の誇り(5)」につづく)


日本人の誇り(3) 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時08分18秒


 それで、カメラアングルをもう少し引いてみた。すると、小泉首相が我を忘れて逆上した理由が読めてきたのだ。
 あの場面には、人質解放に決定的役割を果たしたイラク・聖職者協会のクバイシ師が同席していて、日本政府の対応について、
「われわれの方が日本政府よりも人質のことを考えていたみたいですね。日本政府からは何の接触もありませんでした。そうそう、解放が遅れた理由の一つに、小泉首相が犯行グループをテロリスト呼ばわりしたことがあります。われわれが解放に全力を尽くしたのは、日本政府のためではなく、政府の自衛隊派兵に反対している日本国民のためです」
 と身も蓋もないことを言ってしまったのだ。
 日本政府の面子を完全に潰されたことに対して、小泉首相は逆上したのではないだろうか。クバイシ師の言うことが、デタラメだったら、あそこまで青筋立てないだろう。冷静に論理立てて反論すればいいことなのだから。
 おそらく図星だったから反論しようにも反論できない。自国民の解放に尽くしてくれた恩人を貶すわけにもいかない。内心焦りまくったのではないか。それで高遠さんたちに八つ当りしたのではないだろうか。

 すでに犯行グループからの通知に記されていた、三人を解放する理由も、(1)日本政府が拘束された三人の人質の命よりも戦争犯罪者ブッシュに仕えることを優先させているので、われわれが日本政府に代わって人質の命を助ける、(2)イラクの抵抗運動は平和な文民の外国人を狙ったものではない、(3)マスメディアを通 じて呼び掛けを行ったイラク・イスラム聖職者協会の原則に従う、(4)自衛隊派兵に反対する日本人がデモをしていたので、日本政府と日本国民を区別 することにした、(5)人質の日本人三人は、イラクの人々を助けており、占領国への従属に汚染されていないことを確認したから、というものであった。

 要するに、日本政府は人質解放に何ひとつ寄与していないのである。頼ったのは、米軍とアメリカの諜報機関、それに占領当局のCPAと、いずれもこの際むしろ逆効果 な相手ばかり。
 そのことは、続く二人の人質解放に際して、同じクバイシ師からあからさまにダメオシされてしまった。
「川口外相のテレビでの呼びかけを見ましたが、人質を解放してほしくないのが見え見えでしたね。日本政府は人質が解放されてもちっともうれしくないみたいですし」
 人質だった安田さん、渡辺さんも言い切った。
「殺されなかったのは、われわれが武器を持っていなかったからです」「日本政府は何もしなかった」
 五人が拘束された理由は、退避勧告を守らないでイラクに行ったせいかもしれないが、人質にされてしまったのは、日本国のパスポートを持っていたせいだ。日本が米国に追随して自衛隊を派遣しているため敵国と見られたためだ。そして、無事解放されたのは、家族のテレビを通 じての訴え、NGOの人たちのデモやメールでの働きかけ、五人それぞれがイラクの人々のために尽くしてきた今までの活動とイラク占領に反対する立場、その人脈と人徳のおかげだ。
 つまり人質にされた原因は、日本政府にあり、解放された原因は、人質たち自身にあること、イラク人に自衛隊は歓迎されておらず、イラクには武装せずに行った方が安全なことを満天下にさらされてしまったのだ。

 巷には日本政府が膨大な釈放金を払ったという「国家機密」がまことしやかに流れているが、今回に限って、それは嘘っぱちだ。最大最高の国家機密は、日本政府は何もできなかったし、何もしなかった、ということ。選挙を目前に控えたこの時期、必死で「自己責任」なる詭弁を弄して人質たたきをやっているのは、この恥ずべき事実が暴かれるのを恐れてのことに他なるまい。

(以上、米原論文)




( 以下は「日本人の誇り(4)」につづく)


日本人の誇り(2) 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時07分16秒



 「発明マニア」第25回  国家機密の隠し方

米原万里        

 えげつないというか、おぞましいというか、イラクで人質となり、それだけでも傷ついた人たちと家族に対するバッシングがいまだに続いている。匿名という自分が反撃されない絶対的に安全な位 置から誹謗中傷のメールや手紙を送りつけるという、自分の言動に対する「自己責任」をも放棄している人たちに「自己責任」を問う資格は論理的にも倫理的にも無いので、被害者と家族の皆さんは、心安らかに無視するべきだと思う。

 ところが、始末の悪いことに、小泉首相をはじめとする政府の高官がバッシングにお墨付きを与え、一部メディアと文化人、知識人と呼ばれる人たちが、焚きつけ煽っている。それがあまりにも執拗で嵩にかかっているので、逆に疑問に思えてきた。なぜ彼らはかくも必死になるのだろうか、と。

 たとえば、解放直後の高遠菜穂子さんが、これからもボランティア活動を続けるかと問うアルジャジーラのインタビューに答えて、
「続けます。今は、すごく疲れて、ショックなこともたくさんあるけど、イラク人のことを嫌いになれないんです」
 と泣きじゃくりながら述べたことに、小泉首相は一部スポーツ紙などが「小泉キレた」と見出しを付けるほどに逆上した。
「これだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか」
 一国の指導者ならば、ここはまず鷹揚に構えて人質をねぎらう言葉が出てくるべきだろうのに、完全に平常心を失ったとしか思えない感情むき出しの反応である。
 これに同調して人質とその家族イジメが再燃したのだが、落ち着いて高遠さんの発言を反芻してみると、そして、あの映像と発言が中東地域に流れたことを思うと、むしろ極めて順当なことを言っているのだ。
「続けるなんて、とんでもない、もう懲り懲りです。活動はやめます。こんな嫌な目、怖い目に遭わされてイラク人が嫌いになりましたから。やはり外務省の退避勧告に従うべきでした。イラクみたいな危険なところには、自衛隊のように武装してないと来るのは無理です。それにこれ以上日本政府、日本国民の皆さまにご迷惑おかけするわけにいきませんし」
 とでも高遠さんが言ったら小泉首相や政府に従順であることを至上価値とする一部日本の世論は満足するかもしれないが、
「ふん、その程度の覚悟で活動をしていたのか。しょせん金持ち日本のひまを持てあましたお嬢様のお遊びだったのね」
 と世界中の人々にバカにされるのがオチではないか。下手をすると、イラクの人々の反感を買って、後から拘束された、安田さん、渡辺さんの身に危険が及んだかもしれない。あの放送を視聴したイラク人の身になって考えてみよう。
「酷い目に遭ったけれど、イラク人を嫌いになれない」
 と言った高遠さんに、イラクの人々も中東の人々も人間としての魅力を感じたことだろう。彼女を通 して日本人一般に対する好感度もアップしたに違いない。民間外交の鑑として、小泉首相も川口外相も高遠さんに感謝こそすれ、筋違いな自己責任論を振りかざして憎々しげに貶すのは、どう考えても異常なのだ。




( 以下は「日本人の誇り(3)」につづく)


日本人の誇り(1) 投稿者:園主  投稿日: 5月 7日(金)01時06分4秒

みなさま、掲示板への書き込みというのは、不思議に集中するものでございますね。私が書き込みをしない時には、できればホランドくんに書き込みをして欲しいところなのでございますが、それが往々そううまくはまいりませんし、他の方の書き込みも同様で、めったに書き込まない方の書き込みがあった時にかぎって、他の方も書き込みをなさいます。もちろんこれは、書き込みのすくない掲示板には書き込みにくい、という一般 論にかかわる部分もあるのでしょうが、それ以前に、すこし不思議なくらいの「タイミング」の問題、――「共時性(シンクロニティー)」とまで言うと、いささか如何わしくなってしまいますが、それに近いものがあるのではないかと、つい考えてしまいます。で、本日は、ホランドくんの書き込みに続いて、私も書き込みをさせていただきます(笑)。


さて前回、私は『サンデー毎日』GW合併号(2004.5/9-16)を取り上げて、『イラク日本人人質事件の被害者とその家族にたいする「自己責任」批判(バッシング)が、多くの執筆者によって検証されております。』と紹介し、当該執筆者を、

『まず、人質や人質家族を行動を擁護し、彼らをバッシングした人たちを批判するのは、

 ・ 江川紹子(「千思万考」第1回)「近頃巷に流行るT病U」
 ・ 米原万里(「発明マニア」第25回)「国家機密の隠し方」
 ・ 森住卓「「自己責任」を問われる人質たち…、「誰が被害者を加害者にしたのか?」」

一方、人質や人質家族を行動を批判する側は、

 ・ 岩見隆夫(「サンデー時評」第313回)「『ル モンド』の批判はあたらない」
 ・ 中野翠(「満月雑記帳」第506回)

ということになりましょう。』

と分類した上で、『前者3人とは、私、ほとんど同意見ですので、ここでは後者の2人の意見について、ご紹介しておきましょう。』ということで、後者の2人に対し、批判的検証を加えました。

そこで今回は、前者3人なかでも特に感心した、米原万里の文章をご紹介したいと存じます。当初、私の意見を交えながら、米原論文の要旨をご紹介しようと思ったのでございますが、読み返してみると、あまりにも無駄 のない見事な文章だったので、結局は下手に切り刻んで紹介するよりもと、この第25回分をそのまま全文紹介させていただくことにいたしました。
米原さまには「このエッセイ集が刊行された暁には、5冊購入して、4冊を友人に進呈する」ことをここに約し、全文引用については大目に見ていただくことをお願いしたいと存じます。





( 以下は「日本人の誇り(2)」につづく)


今度こそ初夏の風 投稿者:芙宮  投稿日: 5月 6日(木)23時41分43秒

に乗って久々に来ましたよ。ライラックの香りが風に溶けていて、大好きな季節。
ミステリの類から目が覚めてしまった私は、新たなる本の探し方がわからなくなっていた。読書に当てていた時間が何となく暇をもてあます時間になって、募るイライラ。やっとリハビリになりそうな本を友人から聞きつけて、今『すぐそこの遠い場所』『クラウド・コレクター』を読んでいるところです。今ひとつ・・・と感じることもありますが、好感の持てる、読書リハビリには最適な本だと思います。黙々。
明後日は夜中にこっそりひとり映画をしようと計画しています。『グッバイレーニン』・・・主人公へたれていた(友人談)・・・はさておいて。できる社会人になろう計画のため、最近、読めるけれど書けない『漢字』練習をしています(恥・・・)。そうしたら、5年来の勘違いをしていて、間違った記憶をしていた地名があることを発見!親に罵られてしまいました(哀)。道のりは長いけれど、計画には時間がない!頑張れ私!という所で今日はふらりと帰ります。おやすみなさい★園主さま方。


エドモンド・ハミルトン論(7) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時28分6秒


 アーニャ
> 園主に代わって、訂正☆

 ボクも、園主さまに変わって、訂正☆

> 「非国民」と「小国民」の分かれ道(上) 投稿者:園主  投稿日: 4月25日

 この書き込みでつかわれている「小国民」という言葉は、園主さまの造語なのかとも思いましたが、ご本人に確認したところ、単純な思い込みによる間違いだったようです。つまり日本語には「少国民」や「小市民」という言葉はあっても、「小国民」という言葉はありません。
 「少国民」という言葉は、第二次世界大戦中に日本でつかわれた「年少の国民」を指す言葉です。だから年齢に関係のない「非国民」と対比的にならべるには、ちょっと無理がある。
 園主さまは、この「少国民」を「小市民」の国民版というような意味で、まちがって憶えておられたそうです。だからわざわざ「小」と打ちかえて「小国民」と表記していたようですね。いかにも園主さまらしい、筋の通 った間違い方だと思いました(笑)。


 園主さま
 アメリカ軍による、イラク人捕虜虐待問題が継続報道され、世界を揺るがしています。
 全裸にした捕虜の前で、ポーズをとって記念写真を撮るアメリカ人女性兵士の写 真は、イラク人だけではなく、中東の人たちは無論のこと、全世界の男性女性に「よその国のこと」ではすまされない、生々しい衝撃をあたえたようです。

 でも、こういう捕虜にたいする性的な辱めといった虐待行為は、命のやり取りをする「戦場」では、必ずと言って良いほど発生することだとも言えるでしょう。なにしろ「敵」は「殺してもよい」存在なのだから、「辱める」ことくらい「何がいけないのか?」という感覚になってしまうのは、当然のことなのです。つまり、ここに「戦争」の背理がある。

 「正義の戦争」だ「民主主義をあたえる解放戦争」だ「戦後復興事業」だと言ってみたところで、所詮「戦争の実態」とは「人を人扱いにしないこと」なんだというのを、この事件はたいへんよく示していると思います。

 当然、イラクの人々は、もう決してアメリカを許さないでしょう。これほどの明白な辱めを受け、人間扱いされていないという事実をつきつけられてもなお、アメリカを支持することなど、誇りある人間には到底できないことだからです。このような辱めを受けるくらいなら殺された方がマシだ、と考えた人は少なくないでしょう。だから、彼らは決して屈服しない。たとえ勝てない戦いでも、自分の命を捨ててでも、抵抗しぬ くことでしょう。

 すでにアメリカ兵の犠牲者は、数百人に昇っています。「彼らはイラクの人々のために、勇敢に戦い、崇高な使命に殉じて死んでいきました」・・・家族への報告は、そのようなものになるんでしょう。

 「向こうはどんなところだい?」と問われた帰還兵たちは、心の中で「地獄だよ」とつぶやいてから、おもむろに空言を語りだすのでしょうね。――世界は、すこしも進歩していなかったんです。





 それでは、みなさん、また今度(ハート)。


エドモンド・ハミルトン論(6) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時27分2秒


 nasuさま
> あずまんがは榊ちゃんよりもよみちゃんがイイ(・∀・)と思います
> 「よつばと!」は実は未読なんですよね、私は先に「ラブやん」を
> 読まねばなりませんので・・・
> ってゆーか「あずまんが大王」はかなりイイ(・∀・)!です  
> 是非是非読まねばなりません! なりません

 ボクもA-ZONE「立ち読みあずまんが」で読みましたよ(笑)。

 ボク的には、やっぱり「大阪」が、地元びいきもあって好きかな。たぶん人気が高いのであろう榊ちゃんもいいんですけどね。・・・あ、「大阪」の本名、忘れちゃったな(笑)。


 AOIさま
 おひさしぶりです! サボっている間のご復帰は「怪我の功名」なのかな?(笑)。

> 子どもの日、おめでとう!!>ホランドさま

 誰がやねん!

> 今日は『アップルシード』観ましたよ。『イノセンス』より面白かったな。
> 眠らなかったし(笑)。

 『アップルシード』は予告編を見て、妙に3Dしてるの絵が気持ち悪かったので、あんまりみたいと思わなかったんですが、どうしようかな・・・。

> やり切れない気にもなるけれど、希望も感じます。

 「戦いが終ったら、母になりたい」というようなセリフがあったと思うんですが、いかにも「悲劇」を予測させるセリフですよね。

> 『よつばと!』を読むと、もっと元気になるのかな?

 ええ。出ると思いますよ。読まないと損です(笑)。

> レス、書いてないですねぇ(^-^;)。そのうちにね!?
> 待ってなくてもいいわよ(笑)。

 なんのレスだっけ・・・(^-^;)。

> 「・・・だって、アリョーシャったら、いきなり裸になって『ブラッシーだ!』なんて言って、羽交い絞めにしてくるんだもの・・・」

 また、こんなの書く・・・(-_-;)。
 それにしても、これじゃ園主さま、単なるスケベおやじじゃないですか。――まあ、たしかに単なるスケベおやじではあるんだけど(笑/って、ごまかし!)。


 Keenさま
> うーん、病のせいだろうか、出来がイマイチのような……

 しばらく書き込みがないとご病気のことが心配になって仕方がないボクなのに、たまに書き込みがあったと思ったらコレだもんな・・・(-_-;)。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(7)」につづく)


エドモンド・ハミルトン論(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時26分22秒


 で、少し前に「フェッセンデンの宇宙」について、この作品は『自分の造り出した宇宙で好き放題の実験をくり返す、狂気の科学者の姿を描いて、「科学」というもののあり方に疑義を呈した作品だとも言えますが、少し視点をかえれば、そうしたフェセンデン博士の姿は「世界を造り、破壊する」作家の姿(そして、そうした娯楽を求める読者の姿)そのものでもある』という指摘を行ないましたが、これは「向こうはどんなところだい?」でも、同様の指摘が可能です。
 つまり、作中、ウォルターによって『あそこにいる連中は、今夜ダンスをしたり、ショーを見たり、ぬ くぬくとあたたかい部屋にすわって笑ったりするだろう!』と告発された「あそこにいる連中」に、語り手の「ぼく」同様、現実の悲惨さを押し隠して「きれいごとの、荒唐無稽な、勧善懲悪物語」を作り与えているのが、ほかならぬ 「虐げられた者」の一人である彼、エドモンド・ハミルトンであり、そして彼自身もまた「あそこにいる連中」の一人でもあるという、苦々しい事実です。

 こうした「苦々しい現実」にたいする「無力感」という屈折を強く抱え込んでいる作家だからこそ、彼の想像力は「荒唐無稽」なまでに大きく羽搏くことを欲し、事実そのとおりに羽搏きました。それが『キャプテン・フューチャ−』シリーズような宇宙冒険活劇として結実したんです。

 でも、彼はそれだけに安住することができなかった。つねにその安住を自分に許さない「もう一人の自分」がいた。だから、彼は手をかえ品をかえて、自己言及をくりかえし、自分が逃避したいと願う「あちら側の世界」をも、相対化せずにはいられなかったのでしょう。そうした意味で、エドモンド・ハミルトンは決して単なる「荒唐無稽な物語作家」ではありません。むしろ「荒唐無稽な物語作家」に安住することができなかった、それを自身に許すことができなかった、優れて自覚的な「現代の物語作家」だったのだと思います。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(6)」につづく)


エドモンド・ハミルトン論(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時25分47秒


 でも、ハミルトンのこうした視点。つまり「縛られた者の視点」は、彼の作品に「正義を振りかざす、楽天的なアメリカ人」とは明らかに違った、独特の屈折を与えています。それをよく示すのが、本集所収の「向こうはどんなところだい?」です。

 この作品には、人類が原子力発電に必要なウラニウムを求めて、他の惑星への進出をすすめている「未来」が描かれています。その時代においては、国連によって組織され、危険な宇宙開発に乗り出していく男たちは、みんなの英雄的存在です。でも、表には出されないけれど、宇宙開発の現場は、人を使い捨てにする非人間的に過酷な場所でした。語り手は、そうした宇宙開発の現場からどうにか生還できた男で、この物語は、そんな彼が殉職した同僚たちの家族に「嘘でかためたきれいごとの報告」をして回るという構成をとっています。「だって、本当のことなど、残酷すぎて話せないだろう」ということだし、政府も「事実を語ることを禁じていた」と言うわけです。

『 たしかに手をつくした。まだ思いだせる、ブレックがジムのそばについているあいだ、ウォルターとぼくが寒い夜に病院までとぼとぼ歩き、衛生兵をつかまえようとしたが、つかまえられなかったことを。
 忘れられないのは、ふたりで引き返すときに、ウォルターが燃える空をを見あげ、地球という大きな緑の星にこぶしをふりあげた姿だ。
「あそこにいる連中は、今夜ダンスをしたり、ショーを見たり、ぬくぬ くとあたたかい部屋にすわって笑ったりするだろう! あいつらに安い電力用のウラニウムをくれてやるために、どうして立派な男たちがここで死ななくちゃならないんだ?」
「だいじょうぶだ」と疲れた声でぼく。「ジムは死なない。治ったやつも大勢いる」
 あそこで最上の医療措置だって? とんだお笑いぐさだ。ぼくらにできたのは、顔を洗ってやり、衛生兵の置いていった錠剤を呑ませ、ジムが死ぬ まで日毎に弱っていくのを見まもることだけだった。』

 この作品は、1952年に発表されていますから、ベトナム戦争もイラク戦争も関係はありません。でも、そこにはもう、「アメリカの戦争」の本質が語られています。つまり、この物語における「火星」が「収奪される土地」としての「イラク」であり、この物語の「地球」が「アメリカ」であっても、なんら不都合はありません。周知のとおり、戦争の現場へ狩り出されるのは、アメリカ人のなかでも「貧しい層」の人たちで、おのずとそれは、アングロサクソン以外の白人、有色人のしめる割り合いがとても高いということになります。アメリカで黒人にしめるのより、はるかに高いパーセンテージを、アメリカ軍では黒人がしめていますし、同様に他の有色民族やその血をひく者たちのパーセンテージも、必然的に高い。だから、ネイティブ・アメリカンの血をひくエドモンド・ハミルトンも、そのあたりの事情にはきっと敏感だったんでしょうね。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(5)」につづく)


エドモンド・ハミルトン論(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時24分5秒


 本集で特に注目すべきは、有翼人の運命を描いた「翼を持つ男」でしょう。・・・こう書くと、翼を持った男が世間から迫害される話なんじゃないかって、想像した人も多いでしょうけど、これがぜんぜん違うんです。

 羽をもって生まれてきた主人公のために、彼の生誕に立ち会った博士は、孤児である彼を引取り、世間から隔離して育てることにします。やがて主人公は、博士と下男下女の四人だけで暮す孤島の空を自由に飛びまわる少年に成長しますが、博士から「島から出てはいけない」と言われていることに、不満を感じるようにもなります。というのも、島へ訪れる鳥たちは、季節の変化にともなって自由に渡りをくりかえしていたからです。だから少年も、外の世界と自由にあこがれをもったのです。そして、その夢は、博士の急死によって突然実現します。彼は島を出て、あちこちを自由に飛びまわった結果 、地面に貼りついてうごめく下界(人間界)の様子には失望し、やがて空を住処とする野生の人になっていきます。
 ところが、野鳥とまちがわれて発砲をうけた彼は、そのことがきっかけで一人の娘を熱愛するようになります。しかし、その娘は平凡な常識人だったので、彼を愛してはいるが、翼が生えている人とは結婚できない、と言います。それで主人公は悩んだ末「空の世界」を捨てる決心をし、外科手術を受けて翼を切り落とします。以降、彼は、良き夫・良き社会人となり、子供まで授かるのですが、――ときどき、空を渡り行く鳥たちをぼんやりと眺めている自分、それに言葉にならないうずきを感じている自分、の存在に気がつきます。そんなある日、彼は背中に痛みを感じ調べてみると、翼が再生しようとしていることがわかりました。彼は一瞬、驚きとともに喜びの感情を持ちますが、もとより今さら妻や子を捨てるつもりはなく、また新しい翼は前のにくらべるとずいぶん貧弱でいじけていて、とても飛行の用を満たさないものと思えたので、彼は周囲に新しい翼のことを隠すことにしました。
 そんなある夜、渡りの鳥をたちの声を聞き、彼は「一度だけ、この最後の翼を切り落とす前に飛びたい」と飛翔します。そして、ふたたび空を自由にかけめぐった彼には、もう「地上の生活」は「夢の中の生活」のように思え、彼はそのまま鳥たちとともに「空の世界」へ還っていったのでした。

 妻や子を置き去りにするなんて・・・ひどい話だと言えば、まさにそのとおりなんですが(笑)、ここには「あちら側の(自由な)世界」と「こちら側の(縛られた)世界」に関するハミルトンの気持ちが、かなりハッキリ表れていると思います。
 たぶん彼は「こちら側の世界」にも、それなりに愛着を感じ、それなりに誠実に生きた人なんでしょう。でも「あちら側の世界」への止み難い希求が、つねに彼のなかには渦巻いていた。だからこそ彼は、稀代の物語作家にもなった。・・・でも、彼はたぶん「異世界をつくる者」ではなく「異世界に住む者」でありたかったんでしょうね。できれば「翼を持つ男」のように「あちら側の世界」へ飛び込みたかった人なんでしょう。

 中村融さんの解説には、ハミルトンがネイティブ・アメリカンの血を引いているという、とても興味深い事実が報告されています。だからと言ってボクは、ハミルトンの「あこがれ」が、そうした「血」に由来するものだとは思いません。でも、ハミルトン自身は、きっとそれを強く意識したことでしょうね。本来ならば、アメリカの大地を自由に駆け巡っていた人々の子孫であるという意識が、ネイティブ・アメリカンの羽飾りをして「翼を持つ男」の物語を発想させたのだと言っても、あながち無理な想像だとは言えないでしょう。
 本来、自然の中で自然とともに生きた者の子孫であるはずの自分が、今はその征服者にとりこまれた文明人の一人として、荒唐無稽なお話を綴っているという皮肉な現実。そうした自己理解が、いやでもハミルトンをして「自己言及(メタ)」的にせざるをえなかったのでしょう。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(4)」につづく)


エドモンド・ハミルトン論(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時23分13秒

 「縛られてある自己」 と、それに発する「解放された自由への思い」という対は、ハミルトンの作品に「メタ(自己言及)」的な、独特の「二重性」を与えています。つまり「冒険活劇の世界」とそれを夢見ている「平凡で退屈な現実の世界」という「二重性」が、しばしば作品のなかにまで持ち込まれるんです。その代表的な作品が、本集でいちばん長い、掉尾に収められた作品「夢見る者の世界」です。

 この作品では、「オリエント・ファンタジーの世界」の主人公、つまり何時の時代とも何処の国とも知れないけれど、戦乱の「中世東方とおぼしき場所でのヒーローと美女の冒険物語」の主人公と、現代(といっても、本作執筆当時)のアメリカの、気弱で平凡なサラリーマンが、数奇な運命の糸でつながれます。すなわち、前者のヒーローは子供の頃からずっと、夢の中では後者のサラリーマンの人生を歩んでおり、後者も夢の中ではずっと前者の人生を歩んできたのです。そしてそのどちらの夢も、時間軸に沿って矛盾なく進行する一個の人生であり、普通 の「夢」とはぜんぜん別種の一貫性・整合性をもっていました。でも、当初はどちらも、それが「変な夢」であり、自分の人生こそが「本物」であることは、つゆ疑わずに生きてきました。ところが、前者主人公の住む国が存亡の危機にさらされだすと、後者はそれが気が気ではなくなり、仕事も手につかなくなって、とうとう精神科医の診察をうけることになります。そして・・・。

 この物語は「二つの世界」がつながった結果、その結節点であった主人公に「死」が訪れます。この結末が意味しているのは、「フィクションの世界」とは元来、一種の「独立した小宇宙」であるべきであり、それが作家や読者の住む「現実の世界」と連絡する時、すでにそこには「古典的」に安定した「幸福で特権的な作中世界」は喪失している、ということなんだと思います。

 つまり、娯楽小説というものは元来、それがSFであれミステリであれ恋愛小説であれ、その世界が作中で完結しており、読者は本を開いている間だけ、その世界を楽しめるようなものでなくてはなりませんでした。しかし、現代の「自意識」は、そういう世界をも相対化せずにはおきません。中井英夫の『虚無への供物』の、ある登場人物が「いきなり作中人物がふり返り、読者を指差して、貴方が犯人だと告発するような、そんなミステリはイヤだな」と言ったように、現代の小説は、それまでは絶対に保障されていた「フィクション」における「読者の安全な位 置」というものまで相対化し、「これは作りごとではあっても、他人事ではありません。これは貴方自身の物語でもあるんですよ」と、読者にとってはおおむね好ましくない形で、読者の特権性(高みの見物席)を奪ってしまったんです。

 で、単純な「冒険活劇作家」と見られているエドモンド・ハミルトンには、意外にもこうした「メタ」指向がハッキリとみられ、彼が単純な「娯楽作家」ではないという事実を証拠だてています。
 たとえば、表題作の「フェッセンデンの宇宙」は、自分の造り出した宇宙で好き放題の実験をくり返す、狂気の科学者の姿を描いて、「科学」というもののあり方に疑義を呈した作品だとも言えますが、少し視点をかえれば、そうしたフェセンデン博士の姿は「世界を造り、破壊する」作家の姿(そして、そうした娯楽を求める読者の姿)そのものでもあるんですよね(ちなみに、エドモンド・ハミルトンのあだ名は「世界救済者」あるいは「世界破壊者」でした)。
 また、本集所収の「追放者」は、仲の良いSF作家が集まった席での、あるSF作家の「お話」という形式をとった「メタ・フィクション」です。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(3)」につづく)


エドモンド・ハミルトン論(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 5月 6日(木)17時21分44秒

 みなさん、こんにちは! 連休の間、「花園」もなんとなくお休み状態になってしまいました。更新を期待して何度も覗いて下さったみなさん、ホントにごめんなさい! 特に理由はなくって、たまたまボクと園主さまの忙しいのが重なった結果 で、――厄年の園主さまが急逝されたからいきなり更新が止まったとか、ボクに彼女ができて「花園」どころではなくなった一方、園主さまはそれを妬んで気が気ではなかったとか――そういう面 白い話ではないのでした(笑)。それにボクの場合、彼女ができたからって「花園」の書き込みをサボるようなことはしませんので、ご安心下さいね(笑)。一方、園主さまには「花園」のことを忘れちゃうくらい素敵な彼女が見つかれば良いのにと忠心からそう思いつつも、なにしろ身の程知らずだからなあーとため息をつかされる助手のボクなのでした(^_^;)。


 さて、最近読んで面白かった本のことを書かせていただきます。河出書房新社から刊行されている「奇想コレクション」叢書の一冊、エドモンド・ハミルトンの短編集『フェッセンデンの宇宙』です。

 エドモンド・ハミルトンと言えば、やはり『キャプテン・フューチャ−』シリーズの作家として知られ、一般 に「宇宙冒険活劇」の作家だという印象が強く、ボクも何となくそう思っていました。でも、表題短篇は、あんまりSFを読んでいないボクでもそのタイトルだけは何度も聞き及んでいるという、古典的な名作中の名作です。――フェッセンデン博士によって研究室のなかにつくられた完璧な「小宇宙」。サイズが小さいだけで、その宇宙のなかには「ボクたちの宇宙」とおなじだけの内容がつまっていると言うんですから、当然これは「メタ宇宙論」的な作品でもあり、多くの後進の作家の想像力を刺激し、しばしば「小宇宙」の代名詞として「フェッセンデンの宇宙」が語られるようになったんですよね。

 翻訳者で、このオリジナル・アンソロジーを編んだ中村融さんは、ハミルトンについて「単なる活劇作家ではなく、独創的なアイデアの案出に優れた作家だった。しかし、個々のアイデアを惜し気もなく使い捨てにしてしまったので、後続の作家がそれを生かして評判を取るといったことが再々あって、そうした意味では世評的にはたいへん損をした作家だった」という主旨のことを書かれています。
 日本(のSFファンの間)では、短篇にも優れたものの多い作家だと評価されてきたんですが、英米のSF界では『キャプテン・フューチャ−』シリーズなどの成功があだになって、二流の通 俗SF作家と評価され、ながらく黙殺の憂き目をみて、正当な全体的評価をうけてこなかったようです。でも、このアンソロジーを読めば、ハミルトンが決して単純な「冒険活劇作家」ではなく、独特の屈折を持ちながらも、その「あこがれ」に根ざした叙情性のある、すぐれたSFの書き手だったということが大変よくわかります。

 では、エドモンド・ハミルトンの「あこがれ」とは、どのようなものなのでしょうか。それは「天駆ける夢」つまり「解放された自由への思い」だと思います。これは逆に言えば、ハミルトンは「縛られてある自己」を強く意識していた作家だということでもあり、だからこそ『キャプテン・フューチャ−』シリーズような宇宙冒険活劇を成功させたんだ、とも言えるのだと思います。





( 以下は「エドモンド・ハミルトン論(2)」につづく)


羽毛降る五月 投稿者:AOI   投稿日: 5月 6日(木)13時18分29秒

「あ、ホランド兄さんも来てるんだ」

久しぶりにアレクセイ邸を訪れたナイルズは玄関に揃えられたバスケットシューズをみて叫んだ。
長い廊下を歩き、二階へ上る階段の下まで来ると、なぜか物々しい雰囲気。

喘ぎ声とも悲鳴ともつかぬ声とともに、振動が伝わってくる。
ナイルズはそっと、二階にあがった。アリョーシャの部屋のドアをノックする。返事がない。
そっとノブをまわして中をみた。
懐かしい部屋。
『アリョーシャ・・・』
かすかな本の匂いと・・・。

作家ごとに本の詰まったダンボール箱。納まりきらない本が積まれている。
半ば閉じられたブラインドから暮れかかった空が見えた。

ダンボール箱からあふれそうな本の影から、つややかなキャメル色の肌のホランドが身を起こした。
「ナ、ナイルズ!!」
「おー、ナイルズ!!」上気したアリョーシャも顔をのぞかせた。

「ど、どうしたの!?」
立ち上がった全裸のホランドをみて、ナイルズは困惑した。

「あ、ああ・・・」ホランドはしどろもどろ。
耳まで赤くなって、うしろ向きでトランクスをはくと
「・・・だって、アリョーシャったら、いきなり裸になって『ブラッシーだ!』なんて言って、羽交い絞めにしてくるんだもの・・・」

「よし!!こんどはナイルズだ」
「かかって来なさい!!」

アリョーシャは、両腕をぶるんぶるんと交差して、バシッ、バシッと背中を打ちつけると、一糸纏わぬ 姿で仁王立ちになっていた。


大浴場 投稿者:Keen@療養中  投稿日: 5月 6日(木)01時09分47秒

「花園館」にほど近い大阪の某銭湯では、毎年子供の日には「本日菖蒲湯」の札がかかる。
今年のGWが長かったためだろうか、アレクセイとしては珍しく、ホランドを誘って入浴することになった。

「ボク、アリョーシャと一緒にお風呂入るのって、ヤだなあー」

「どうしてだ?今さら恥ずかしがることもないだろう」

「だってアリョーシャと一緒だと、菖蒲湯がいつの間にか「勝負湯」になっちゃいそうだもん」

「何を言うか。普段の私は極めて心優しい、節度ある紳士だぞ。ニューヨーク中で有名な話じゃないか。そういうこと言うなら、風呂上がりのコーヒー牛乳、ジャンケンに勝たないと分けてやらないからな」

「いいよーだ、ボクジャンケン強いから。じゃ、5回ショーブだよ!」

しかしホランドは、アレクセイの真意を見抜いてはいなかった。コーヒー牛乳を半分以上勝ち取り、上機嫌で館に帰って来たホランドを待っていたのは、湯上がりで上気したアレクセイの熱い……(以下、自主規制。読者の皆様におかれましては、タイトルの漢字を再変換の上、妄想炸裂下さいますようお願い致します。)


うーん、病のせいだろうか、出来がイマイチのような……
お休みなさ〜い☆


フラトレス 投稿者:AOI  投稿日: 5月 5日(水)23時12分49秒

♪いらかの波と〜くもの波〜〜かさなる波の〜なかぞらを〜♪

お久しぶりのAOIです。

子どもの日、おめでとう!!>ホランドさま

菖蒲湯入った?・・・だれと?(ふふ)

今日は『アップルシード』観ましたよ。『イノセンス』より面白かったな。
眠らなかったし(笑)。
やり切れない気にもなるけれど、希望も感じます。
『よつばと!』を読むと、もっと元気になるのかな?

レス、書いてないですねぇ(^-^;)。そのうちにね!?
待ってなくてもいいわよ(笑)。

未発表原稿のアップたのしみにしていますよ〜。



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