●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年6月中
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イマムラッキョ 投稿者:イマムラ  投稿日: 6月20日(日)09時36分52秒

おはようございます。日曜日はいつも昼まで寝込んでいるのですが、今朝は早く目がさめてしまいました。入眠してグラリときたかと思うと朝になっていたハ ゚ターンです。
あれから畸人教で十二時前まで飲んでいました。二日酔いは大丈夫なんですが、歩きすぎたせいか、ケツが痛くて仕方がありません。それに腹の調子も。さっきから、ずっと「おいこら」言ってます。昼過ぎに麻雀の約束があるのにー。勝負に何か影響しないかと心配しています。「運」が悪くなった、なんちゃってね。
Hさんはケロリとしていましたよ。あの人、鉄人ですね。
セイントセイヤのプラモは残念でした。やはり買っておけばよかったです。車でいっていれば、少なくとも十二個は買えていただろうと思います。次回お声をかけていただけるときには、是非とも車でいきましょう。


鬼のいぬ間の告白 投稿者:影姫  投稿日: 6月20日(日)03時33分54秒

「亭主元気で留守がよい」とはよく言ったものですが只今黒猫館館長が留守
の間に黒猫館の秘密の一端をお話しようと思います。

さてまったくあけっぴろげで秘密などなにもないわたしに比べて黒猫館館長
という人物の不可思議さを感じているひとも多いと思います。それもそのは
ず「黒猫館館長」とは固有名詞ではなく「役職の名前」だからです。
さて現在の黒猫館が成立したのは14世紀、神聖ローマ帝国、オットー大帝
の御代だそうです。その時期に「初代黒猫館館長」が誕生しました。現在の
黒猫館館長は27代目だそうです。しかし黒猫館が成立する以前もその前身
である建造物は遥か紀元前まで遡って存在していたそうです。その建造物と
は簡単にいえば「寺院」であり、つまり黒猫館館長とは「司祭」の末裔であ
りなんと現在でもその「祭礼」は続いているらしいのです。
ここからは未確認情報ですが広く噂されるもいまだその存在が明らかにされ
ていない黒猫館の「地下迷宮」ここに謎の核心があるとにらんでおります。
私自身「地下迷宮」の入り口がどこにあるのかわからないのですが深夜に偶
然眼が覚めた時など黒猫館館長の姿が消えている時があります。この時こそ
館長が地下迷宮にこっそり下りている時ではないのか?と推測しております。

では館長は地下迷宮でなにをしているのか?・・・みなさんもご存知でしょ
うけれど黒猫館の「扉」に「黒猫館守護神像」が設置されています。以前わ
たしがこれはなんの像か?と館長に聞いたところ「古代オルフェウス教の神
に近い存在に位置する神の像」という答えが返ってきました。古代オルフェ
ウス教といえばユダヤ・キリスト教が成立する遥か以前からヨーロッパに存
在したといわれている伝説的宗教です。ユダヤ・キリスト教の主神イェホバ
が人間と極めて関わりあいが深い神であるのに対してオルフェウス教の神は
ほとんど人間と接触しないといわれています。さてわたしが大胆な推測をす
るならば黒猫館館長とはオルフェウス教の神から啓示を受け取る司祭であり
「地下迷宮」とはその最深部にそのような神と接触できる霊場が存在してい
るのではないか?・・・このように推測できるわけです。それではその目的
は・また館長はいったいどんな啓示を受け取っているのか?・・・それだけ
はさすがのわたしもあまりの恐ろしさに書くことができません。ただ地球人
類の今後・・・いや太陽系、いやこの宇宙そのものの運命に対するなんらか
の啓示をうけとっているのではないか。。。

さて長くなりました。わたしの今夜の話はここまでです。これは本当の話か
もしれないしただの憶測にすぎないかもしれません。しかしわたしは不安な
のです。館長の真の目的、そして温厚な仮面の下で時折みせるぞっとするほ
どの冷徹な笑み・・・これは正に妻であるわたしにとってはあまりにも見過
ごすことのできないなにかの前兆に思えるのです。。。では。

http://www.cna.ne.jp/~kuroneko/index.html


欲望は満たされたか?(下) 投稿者:園主  投稿日: 6月20日(日)01時07分14秒


 アーニャ
というわけで、そっちへ行ってきたよ。急だったんで、特に連絡はしなかった。気を悪くしないでくれ(笑)。

> 三浦しをん情報

探検エンターテインメント6月 重い問い(石田汗太記者)

ありがとう。私の「三浦しをん論」の資料にさせてもらうよ。

> それからアリョーシャ、Keenさまから伝言よ。
> 「サッカーは前後半45分ずつのトータル90分に、15分のハーフタイムで成り立っていますので、1ゲームに要する時間は2時間程度です(※現在はグループリーグなので、延長はナシ)。でも、ゲームの流れの中で、自ずと勝負どころと抜きどころがありますので、見ている方も適当に休めるのです。これが決勝トーナメントになると、全く目を離せない展開にもなりますが、その頃には1日1ゲームですから安心です(笑)。」

そうか。とにかく「長い」「たいへん」という印象があったんで、実際の倍に勘違いしてたんだな。
しかし、そりゃそうだ。いくらサッカー選手の体力(スタミナ)がすごいといっても、90分間走りづめ(×2)というのでは、身体を壊してしまうよな。

> ちなみに、Keenさまはサッカー漬けの毎日で、嬉しい悲鳴をあげてるわ。それに、ただ見てるだけじゃもったいないからって、レポ書くように努めてるようよ。考え込まずに、素早く反応する練習ですって(笑)。

それは面白い試みかも知れないな(笑)。


> アリョーシャの裏付けが表舞台に!

> 昨日に引き続き、今日の読売新聞朝刊の、石田汗太記者の記事をご紹介するわね。
タイトルはズバリ、ミステリー界 なぜか似通 う 賞の結果!(笑)

石田記者のこの記事自体は、ごく良識的なもので、特にどうということもないんだけれど、ひとつだけ注目すべきは、

『本格ミステリ大賞は、日本推理作家協会賞の最近の傾向に対する、本格系若手作家の不満がきっかけだった。』

という指摘だ。これは私が、拙論笠井潔が、真に望んだこと。のなかで、

『もともと日本のミステリ文壇には、「日本推理作家協会」という業界包括的・中心的な親睦団体が存在している。そこへ笠井潔は、有栖川有栖を看板に立てて「本格ミステリ作家クラブ」という別 団体を創った。それだけならまだしも、笠井は、そこに従来からあった(権威としての)「日本推理作家協会賞」に対抗する形で自前の「本格ミステリ大賞」(本格ミステリ作家クラブ 主催)を設立し、またミステリ界全体をカバーする(売り上げにも直結した)年間ベスト投票誌『このミステリーがすごい!』(宝島社)に対抗するような形で、本格ミステリだけをピックアップして売り込む『本格ミステリ・ベスト10』(探偵小説研究会 編著・原書房)を刊行した。ここまでやって、「党派争い」が(陰微なかたちでも)まったく生じてなどいないと、笠井は本気でそう言うのであろうか? 笠井潔が主導した、これらの「一連の動き」が、「党派争い=勢力争い」に無関係だと、そう言うのであろうか?』

と指摘したことが、決して私個人の「邪推」などではなく、業界では「常識」として認知されている「事実」だということを示しているんだ。

つまり、笠井潔は『本格系若手作家の不満』つまり「新本格系作家たち」の「ルサンチマン」を結集するかたちで、お得意の「組織化」を行った。それが本格ミステリ作家クラブという集団の出自なんだ。

言い換えれば、日本推理作家協会が業界の「親睦」団体であったのに対し、本格ミステリ作家クラブは、その「親睦」から(「賞」の問題をその端的な事例として)疎外されていると感じた人たちの「ルサンチマン」と「対抗意識」を背景に設立された組織だ、ということだ。――いかにも「ルサンチマンのオルガナイザー」笠井潔が組織した、「笠井潔」印の組織だとは思わないか?(笑)





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


欲望は満たされたか?(上) 投稿者:園主  投稿日: 6月20日(日)01時06分28秒

みなさま、本日(6/19)は、いつもの友人たちと、名古屋の古本屋めぐりをしてまいりました。近鉄特急で往復4時間8000円強では、いくら掘り出し物をみつけても、もちろん「採算」は取れません。しかし、もはや私にとって古本屋めぐりは、気分転換がその主たる目的であり、以前のように「狙った獲物」も特に無ければ、掘り出し物探しの「せどり」も重きをなさなくなりました。ただ、本日のように、めったに行けない遠方の古書店を数年ぶりに訪れるのは、なにかトンデモない本との出会いがありそうで、押さえきれないワクワク感が沸き上がってまいります。これはもう理屈ではなく、身体にしみついた条件反射に近いものなのでございましょうね(笑)。

さて、本日の古本の収穫はと申しますと、文庫本が6冊だけで、私としては冊数的に大変少のうございました。と申しますのも、本日のように仲間と古本屋めぐりをした場合、文庫やハードカバーなどしめて20冊以上購入するといったことが、私にはザラでございまして、友人にはいつも冷やかし半分に「それだけ買ってもらえると、お誘いした甲斐がありますよ」などと言われている始末だからなのでございます。――しかし、本日はその冊数であっても、それなりに満足のいく内容でございました。

古本屋めぐりをして、一番つまらない結果とは、何軒も回ったのに「買う本がぜんぜんなかった」という場合。次につまらないのは、なにやらたくさん買って、お金もそれ相応に使ったのだけれど、これといった収穫が無かった場合、でございます。ですから、一番望ましいのは、あまり冊数を買わず、お金も大して使わなかったけれど、内容的には充実していたという場合でございますね。つまり本日の古本屋めぐりは、この理想にかなり近いものだったのでございます。

と申しますのも、本日の6冊の文庫本のうちには、ここのところ探していた、三浦しをんコンプリートの利き目(※ ポイントとなる入手困難本のこと)で、私にとっても最後の1冊であった『極め道』(帯つき完本)が含まれていたからでございます!(笑)

……で、残りの5冊を簡単にご紹介いたしますと、古本マニアとSFマニアの間では人気のある(曰く付きの)絶版文庫『梅田地下オデッセイ』(堀晃・ハヤカワSF文庫・ただし帯欠)を百円均一で。そして残りは、竹本健治のさほど珍しいものではない文庫が4冊、という内容でございました(笑)。

ですから、古本に使ったお金は2000円弱。ただし、その後に立ち寄った新刊書店で新刊を4冊購入して、さらに約4000円使ってしまいました。しかし、それを加えても、やはり書籍購入費は、交通 費より安かったのでございます(笑)。





( 以下は「欲望は満たされたか?(下)」につづく)


アリョーシャの裏付けが表舞台に! 投稿者:アーニャ  投稿日: 6月19日(土)17時52分30秒

昨日に引き続き、今日の読売新聞朝刊の、石田汗太記者の記事をご紹介するわね。
タイトルはズバリ、「ミステリー界 なぜか似通う 賞の結果」!(笑)
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/
↑ここの見出しの「ニュース」の中から、同タイトルの記事をクリックして下さいませ。
日にちが経つと記事が流れてしまうようなので、お早めにどうぞ。
私、新聞読みながら爆笑しちゃったわ〜。ああ、石田記者にここのURLを教えて差し上げたいわっ!(^0^*

それからアリョーシャ、Keenさまから伝言よ。
「サッカーは前後半45分ずつのトータル90分に、15分のハーフタイムで成り立っていますので、1ゲームに要する時間は2時間程度です(※現在はグループリーグなので、延長はナシ)。でも、ゲームの流れの中で、自ずと勝負どころと抜きどころがありますので、見ている方も適当に休めるのです。これが決勝トーナメントになると、全く目を離せない展開にもなりますが、その頃には1日1ゲームですから安心です(笑)。」

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪


三浦しをん情報 投稿者:アーニャ  投稿日: 6月18日(金)14時12分42秒

今日の読売新聞朝刊のコラム「探検エンターテインメント6月 重い問い」に、しをんさんの新刊の書評が載ってるわ。

 三浦しをん『私が語りはじめた彼は』(新潮社)は、ある大学教授をめぐる女たちの愛憎模様を描く連作短編集。心理ミステリーのような、恋愛小説のような、幻想小説のようなふしぎな味わいだ。一編ごとに変わる語り手の、人生に倦(う)んだような諦念(ていねん)がかえって心地よい。〈激しい感情は書物と同じだ。どれだけ厚くても、いつか終わりがやってくる〉。まだ20代とは思えない作者の“老成”ぶりに舌を巻くばかり。(石田汗太記者)

あちこちで高く評価されてるようね〜♪(^0^*
竹本健治『将棋殺人事件』(創元推理文庫)は結局ネット書店で購入したんだけど、しをんさんの本も見つかってないから、またネットに頼ることになるかもしれないわね。

ちなみに、Keenさまはサッカー漬けの毎日で、嬉しい悲鳴をあげてるわ。それに、ただ見てるだけじゃもったいないからって、レポ書くように努めてるようよ。考え込まずに、素早く反応する練習ですって(笑)。

それでは皆さま、ごきげんよう。
にゃあ〜♪

 


大人になっても見失うな(10) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時29分1秒


 ホランド
>  それと三浦しをんさんの新刊『私が語りはじめた彼は』(新潮社)の評判が、とてもいいようですね。『ダ・ヴィンチ』誌で今月のプラチナ本にも取り上げられていたし、『本の雑誌』でも誰かが誉めてました。
>  こないだ園主さまも「予想した以上に、技術的な急成長を見せている」っておっしゃってましたけど、どうやら世間も三浦しをんに注目しているようです。それでも園主さまは、ひとことあるみたいでしたけど、ひとまず今度お貸し下さいね。ボクも自分の目で確認しておきたいと思います(笑)。

『私が語りはじめた彼は』については、「三浦しをん論」に近いかたちで書きたいと思っているんだか、なにぶんいろいろやってるので、もうしばらく待ってくれ。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


大人になっても見失うな(9) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時28分4秒


 nasuさま
> なるほど世の中竹本と言えば泉も健治もいるのだなぁと妙になっとくするそんな今日この頃

どっちがメジャーかは判断の難しいところですが、やっぱり泉の方でございましょうか?(笑)

> 最近話題の「空の境界(上・下)」(奈須きのこ 講談社ノベルス)をつい先日読了しまして、
> 2chで
> 「竹本健治っぽいってゆーか 影響受けてない?」
> と発言したところ
> 「いや奈須自身も影響を受けたと言っている」と指摘され
> ハンドルとペンネームが似てたり・趣向が似てたりと同じnasu仲間
> だなーっと妙にシンパシーを感じてたりします。

私も買ってはおりますが、読むのはもうすこし先になりそうでございますね。
いずれにせよ、笠井潔があそこまで力を入れて「提灯持ち」に努めるのですから、それはそれなりに才能のある作家なのでございましょう。

ちなみに、「笠井潔の、奈須きのこを巡る一連の行動」については、私と黒猫掲示板の方で、笠井潔について論じあっている はらぴょんさまが、

『 講談社文庫版『ヴァンパイヤー戦争』第一巻の帯の推薦文は、奈須きのこ(『月姫』『空の境界』)によるもの。
『空の境界』の解説を笠井潔が行い、その笠井潔の著作を『空の境界』の著者が行い、『空の境界』の絵師が飾り付ける。
ここで、同人誌ルートから一般流通ルートに乗りたいものと、ゲーム・アニメ系の支持者を読者に取り込みたいものの利害が一致し、ひとつのループが完成する。
これらの解説も、推薦文も、見返りを期待しない贈与の一撃とは言えない。結果 は予想されており、安定したループができ、ひとつのグループとして完成する。

しかし、帯のキャッチコピー「そのルーツを知れ。」
こんな帯を巻きつけられて、笠井潔よ、本当にいいのか。「そのルーツ」とは『月姫』や『空の境界』のこと。
笠井潔や竹本健治を読んできたという奈須の作品は、いわば笠井の<子>。
<子どもの七光り>、あるいは<月姫の月の残照に照らされて、その姿が浮かぶ>、そんな評価を版元にされて本当にいいのか。
自力で太陽のように輝く、あのファイターのスピリッツは、どこへ行ったのか。
どこかで間違えたのだ。出発点は良かった。たとえ、それが未完成で、満足いかない精神のレベルの表現であったとしても。
どこかで成長が止まり、どこかで成長の代わりの自己讃美が始まってしまった。
おそらくは自身を否定するものに、心を閉ざしたからだ。
笠井潔よ、もう一度、自身のルーツに帰れ。』

(6月16日投稿「魂の原点に還るということ」より)

と書かれているとおりでございましょう。

同人出版でしかなかった『空の境界』の刊行に先立ち、少部数の「限定豪華版」を刊行して「話題作り」をしたなどというのも、じつに『文の商人』笠井潔らしい、巧みな戦略と申せましょう。
なにしろ「同人誌の世界」というのは、場合によっては、「本格ミステリの世界」と比較しても『本の売れ行きが一桁か、ある場合には二桁以上も違うという事実』があり、『市場のヤスリにかけられているかどうか』という点では『決定的な相違』があるとも言える世界で、そうした「同人誌の世界」から見れば、『本格ミステリの小世界』などという『タコツボ』世界における、たかだか1000部までの「限定本」など、屁でもない部数なのでございますから。

ともあれ、『空の境界』の上下巻それぞれに長い「解説」を付した笠井潔の役どころは、メジャーデビューしようとする娘(あるいは息子)にぴったりとくっついて離れない、欲に目の暗んだ「ステージパパ」といったところでございましょう(笑)。

> 「んじゃ東とは話しが合わなくても奈須きのことは話があうのかえ?」
> と言う私の疑問を穿った形で解決してくれるかもしれません。

> 取りあえずですが、「動物化する世界の中で」を読んでみたいと考えております。

まあ、東浩紀は、仮にも一人前の「批評家」でございますし、笠井潔以上にメジャーな人たちとのつきあいもたくさんございますが、それに比較すれば、一般 にはまったく無名の奈須きのこにとって、「笠井潔という後ろ楯」の持つ意味が、圧倒的に大きいというのは、否定し難いところでございましょう。

> 所で園主様はファスト創刊号の対談はお読みですか?

読んでおりません。その価値はございましょうか?

また、笠井潔の「有能な若手」に対する「オルグ」、というよりは「たらしこみ」を読まされるのかと思うと、気が重うございますから(笑)。





( 以下は「大人になっても見失うな(10)」につづく)


大人になっても見失うな(8) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時27分8秒


 東野 響さま(つづき)

人間が人間として大きく成長するためには、いろんなことからいろんなことを学ぶ必要があり、受験勉強だけではどうになりません。もちろん、だからといって受験勉強から逃げていてはいけないのですが「それがすべてではない」ということは知っておくべきでございましょう。

その意味でも、他者を知る方法として「読書」は、たいへん意義のあるものだと存じます。「読者」ばかりが大切なものではないとは言え、読書の世界は広大無辺で、そこには汲めども尽きぬ 「叡智」が貴方さまの手に取られることを待っているのでございます。ですから、できることならば、いろんなジャンルのいろんな本を読んでいただきたい。そのなかで貴方さまが真に欲するものを、ご自分の力で見つけだしていただきたい。「スポーツ」も「勉強」も「つきあい」もみんな大切ですが、「読書」も同じくらい大切なものであり、決して『押入れの中に安置して』忌避すべきものではないのでございます。

若い貴方さまにはまだわからないかも知れませんが、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(森達也)のでございます。

ですから、目先のことに振り回されすぎることのないよう、もうすこし遠くを見て生きてみて下さいまし。受験生に言うのも何でございますが、「受験の失敗」も「予備校生活」も後になってみれば、貴方さまを人間的に豊かにする「経験」となっているはずでございます。失敗し苦しむ経験をした人でないかぎり、同様の苦しみを味わう人を本当に理解し、同情することはできないのでございます。

目先の「競争」から逃げないことももちろん大切なことではございますが、それよりも大切なのは、貴方さまがどんな逆境にも挫けない、そして他人に思いやりの持てる、幅のある強い人間になることでございます。親御さんもきっとそのように願っておいででしょうし、その意味では「受験」は、目的ではなく成長のための一つの「試練」であり「契機」に過ぎないのでございますよ。

どうか、貴方さまも「未知の世界を開く」という「読書の真の魅力」を知る、豊かな人間になって下さいまし。お説教じみてしまったところは、どうかご寛恕いただければと存じます。





( 以下は「大人になっても見失うな(9)」につづく)


大人になっても見失うな(7) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時26分2秒


 東野 響さま(つづき)

> 私はほんの1ヶ月と少し前に小野不由美さんの「十二国記」の読者になりました。
> ファンタジーには疎いもので抵抗も少なからずありましたが、その世界には惹かれるものを感じました。
> しかしのめり込みながらも、一読者として、ただただ惹かれるだけの自分に少なからぬ 危惧を覚えていたことも確かです。
> そもそもこの本を手に取ったのも、大学受験に失敗し浪人を選択して後の、索漠とした心地を振り払う為であった気がします。

同様に、「小説世界に没入すること」も決していけないことではないのでございます。問題は、そっちの世界に没入したままで「還ってこれなくなること」なのでございますよ。
ですから、読書の際は、可能な限り、その世界に没入し、その世界を可能な限り堪能すればいい。その後で、現実に戻ってきて、読書によって得たものを、現実の中できちんと意味付けし、位 置づけできればそれでいいのでございますし、それが読書の意義なのでございます。

> 鬱々と胸にこもるものを感じながらも、ネットでサイトを検索し、他の十二国読者様と誼を結び、感想や創作小説等を拝見する事を覚えた私でしたが、昨日、軽い読書として三島由紀夫氏の「若きサムライのために」を読み、ハッと我に返りました。
> 己を恥じる気持ちと貴重な時間を無駄にしたという苦々しさに居た堪れなくなりましたが、やっと十二国記と自分との間に距離を置くことができました。

『ネットでサイトを検索し、他の十二国読者様と誼を結び、感想や創作小説等を拝見する事』を恥じたり恐れたりすることはございません。「同好の仲間」と「好きなもの」について語り合う「喜び」を、否定すべきではないのでございます。
なぜなら、「喜び」や「快楽」そのものは、決して「悪」ではないからでございます。ただ人間は「悪」のなかにも「喜び」や「快楽」を見い出す倒錯に陥ることもある、ということに過ぎないのでございます。

ですから、今「勉強」が必要なのなら、それへの努力はなさるべきでございましょう。しかし、だからといって、それ以外のものを「悪者」扱いにしてはなりません。「喜び」や「快楽」は、人間が生きていく上で必要不可欠な、もっとも大切なものの一つなのでございます。

ですから「同好の仲間」とのつきあいも、節度をもって、大切になさって下さいまし。そうしたつきあいのなかでしか学べないものも、きっとあるのでございますよ。たとえば、作品から生きる力を得ている人の強さや、作品世界に没入したっきり還って来られなくなっている人の弱さを、そうしたつきあいから、きっと学ぶことが出来ましょう。





( 以下は「大人になっても見失うな(8)」につづく)


大人になっても見失うな(6) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時23分59秒


 東野 響さま
はじめまして。わざわざご丁寧なご挨拶をいただき、うれしくも恐縮しております。

> 管理人御二方の十二国記に関する文章を読ませていただいたことがあったからです。十二国記読者(である若い女性)への警告(明らかにニュアンスが異なりますが,語彙に乏しい為この様な表現になり、申し訳なく思います。)を含む文章であったと記憶しています。

これはたぶん、ホランドくんの選択の表裏 ――『黒祠の島』と『十二国記』のことでございましょう。

貴方さまの書き込みを読ませていただいて、私が感じましたのは、何より貴方さまの「真面 目」さでございます。その点で私は、貴方さまにたいへん好感を抱きました。

しかし、お若いということが大きいのでしょうが、貴方さまのお考えは、やや柔軟性に欠けており、痛々しい印象さえ与えかねません。真面 目で一本筋が通っているのは良いのですが、無理をするとポッキリと折れてしまいかねない脆さが感じられ、私にはそれが心配でならないのでございます。

> 私はほんの1ヶ月と少し前に小野不由美さんの「十二国記」の読者になりました。
> ファンタジーには疎いもので抵抗も少なからずありましたが、その世界には惹かれるものを感じました。
> しかしのめり込みながらも、一読者として、ただただ惹かれるだけの自分に少なからぬ 危惧を覚えていたことも確かです。
> そもそもこの本を手に取ったのも、大学受験に失敗し浪人を選択して後の、索漠とした心地を振り払う為であった気がします。
> 鬱々と胸にこもるものを感じながらも、ネットでサイトを検索し、他の十二国読者様と誼を結び、感想や創作小説等を拝見する事を覚えた私でしたが、昨日、軽い読書として三島由紀夫氏の「若きサムライのために」を読み、ハッと我に返りました。
> 己を恥じる気持ちと貴重な時間を無駄にしたという苦々しさに居た堪れなくなりましたが、やっと十二国記と自分との間に距離を置くことができました。
> もう読みたい衝動に駆られることもなく、本は押入れの中に安置してあります。
> 憑き物がようやく落ちたようで、これで好きな勉学に打ち込めると、心底安堵しています。

ようございますか。ホランドくんは先の論文のなかで、

『ボクはいつも「エンターティンメントの限界」を感じます。作者が、そこにどんな願いを込めようと、それがエンターティンメントである限り、読者はそれを駄 菓子のように汚く食い散らして事足れりとしてしまうのです。いいえ、たとえ、そこで語られた作者の願いを理解したとしても、それは「理解」という「知的満足」に止まって「作者の期待」に届くようなことは「絶えて、ありはしない」と言っても過言ではないのではないでしょうか?』

と申しております。つまり、彼が言いたいのは、「作者」や「作品」が悪いのではなく、それを受容する側の「読者」の姿勢に、しばしば問題がある、ということなのでございます。言い換えれば、読者の姿勢さえしっかりしておれば、どんな本でも意義深く読むことが可能だ、ということなのでございますね。

ですから、

> もう読みたい衝動に駆られることもなく、本は押入れの中に安置してあります。

などとおっしゃる必要はございません。今なさるべき「勉強」から逃避するためでさえなければ、「読書」は大いに結構なことなのでございます。
むしろ『十二国記』を読んで「そうだ。私も目の前の困難から逃げるのではなく。前向きに戦っていこう」と思えるのなら、それは大いにプラスになるのではないでしょうか。また、そこまでは思えなくても、ひとまず「勉強」の息抜きや気分転換になれば、それはそれで価値がございましょうし、作者もそのような読まれ方を拒んだりはいたしませんでしょう。





( 以下は「大人になっても見失うな(7)」につづく)


大人になっても見失うな(5) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時21分58秒


 Keenさま
> いよいよ明日、サッカー「ユーロ2004」ポルトガル大会が開幕致します。
> 私は賢ちゃんちへ参りますので、こちらは当分留守にするかと思いますが、心配しないで下さいませ。

今ごろはサッカーを堪能なさっていることでございましょうね。それにしても、

> 毎日2ゲームずつ観戦するのは、なかなか体力がいりますわ☆

というのは、まったく同感。
たしかサッカーは、試合時間が3時間ほどで、その間、ハーフタイムを除いては、一瞬たりとも目の話せない競技でございましょう? 野球のように攻守の入れ代わりの際にトイレに行くという余裕もなく、ちょっと気を抜いた隙に、試合を決する瞬間を見逃してしまうかも知れません。つまり3時間、ほとんどずっと気を抜くことができず、一試合の観戦でもたいへんに疲れてしまいます。それが『毎日2ゲーム』とは、好きなればこそでございますよね(^-^;)。

> 「黒猫掲示板」での議論をコンテンツに収録希望とのこと、私はひやかしというか、おちゃらけ役ですので、是非もなし、ですわ(笑)。

ありがとうございます。

> それに「予想したとおり」と言うよりも、「お約束」の方が正しいんじゃありません?(笑)

そうかもしれません。ですが、私のレスも同じようなものでございましょうね(笑)。





( 以下は「大人になっても見失うな(6)」につづく)


大人になっても見失うな(4) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時18分19秒


> ついでながら、受賞作以前に、それより優れた作品のある作家にあとづけで賞を与えるのは、文学の衰退を招く。

ちなみに3年前にこう書いていた日垣隆は、前回候補になった時には『その候補作よりもっと上質な本を以前に書いていた』と自認していたのでございますから、その当時はまだ『受賞作以前に、それより優れた作品のある作家にあとづけで賞を与えるのは、文学の衰退を招く。』という考えは持っていなかったのでしょうね。

しかし、今年の「第35回大宅壮一ノンフィクション賞」(渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』が受賞)の候補に、彼が進んでなったということは、彼がこの候補作 『そして殺人者は野に放たれる』(新潮社)を彼の今までの「最高傑作」だと自認したという証拠となりましょう。しかし、それを落選させられても、彼はまた『あっそう、という感じ』で済ませて、また「次回に期する」のでございましょうか。もし、そうなのだとしたら、彼は「年々歳々最高傑作を書いて無限向上している」という「自覚」を持っているということになるのでしょうが、もしそうだとするならば、それはもう(プロの物書きとしての)『自信』というようなものでもなければ『うぬ ぼれ』でもございません。それは単なる「妄想」と呼ぶべきものなのでございます。

ともあれ、私には「第35回大宅壮一ノンフィクション賞」の候補作5作を、全て読んでみようなどいう気持ちもなければ暇もございませんから、日垣隆の「最高傑作」の落選が妥当なものなのか否かは判断いたしかねます。
ただし、ひとつだけ言えることは、彼は藤田宜永のように、同情で受賞することもなかった、ということでございます。――いいえ、「同情で候補になった」可能性はございますし、この先「同情で受賞」することもないとは言えないのでございましょう。

ちなみに、私は日垣隆のこのエッセイ「文学賞にあたふた」を、産経新聞の切り抜きとして持っていたのでございますが、このエッセイは果 たして日垣の著作に、このままの形で、収録されているのでございましょうか。とても興味のあるところでございます。
なぜなら、こんな「見苦しいエッセイ」をそのまま収録するということは、日垣が自身の「見苦しさ」「言い訳がましさ」に、ずーっと鈍感だという証拠となりましょうし、収録していないとすれば、それは彼がこのエッセイの「見苦しさ」「言い訳がましさ」を自認したということになるからでございます。

ともあれ、収録されているとすれば『偽善系』(文春文庫)ということになりましょう。現時点では未確認なのでございますが、同書の目次,を見る限りでは、収録されていないような感じでございますね。――もとより、日垣隆自身のためには、どっちがマシなのかはよくわかりませんが(笑)。





( 以下は「大人になっても見失うな(5)」につづく)


大人になっても見失うな(3) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時17分5秒


> 選考委員の好みもある。第一、その候補作よりもっと上質な本を以前に書いていたし、今後もっといいものを毎年書いてゆく自信があったので、落選しても、あっそう、という感じだった。うぬ ぼれととられても仕方がないが、自作くらい自分で評価できる。

つまり『落選しても、あっそう、という感じだった。』というのは嘘っぱちで、そう思える(プロの物書きとしての)『自信』が自分にはあるのだと「世間に思ってほしくて」、つまり「見栄」を張っての「強がり」で、このようなことを書いたのでございましょう。

しかし、じっさい何だかんだ言いながらも、自分から進んで「候補」になっておきながら、今さら『落選しても、あっそう、という感じだった。』というのは、かなり無理のあるところで、それはいかな日垣とて自覚せざるを得ないところだったのでございましょうね。他人が同じ状況で同じような発言をした場合、それを鵜呑みにはできないと、彼自身感じたのでございましょう。ですから、『落選しても、あっそう、という感じだった。』という「自己申告」の根拠を、自身の希望どおり(プロの物書きとしての)『自信』だとは思ってもらいにくいだろうと考え、「次善の自己申告」として『うぬ ぼれ』を持ち出し、「自己申告」のリアリティーを担保しようとしたのでございます。

ともあれ『自作くらい自分で評価できる。』などと見栄をきるのであれば、何でもかんでも賞を欲したりすべきではないし、それでも「食うため」に欲しいというのであれば、そう正直に言うべきなのでございます。なぜならそれが「プロの言論人」としての「責任」であり「誠実」の証だからでございます。
……しかし、無論、そう正直に言ってしまったら、普通、賞はもらえません。つまり、日垣隆は「食う」ため(と「名誉」ため)に『「プロの言論人」としての「責任」であり「誠実」』を売ったのでございます。

> 興味深かったのは、少なくとも落選した二人が、「選考委員を殺してやりたい」という意味のことを口にした事実と、たまたま受賞した人も私以外の落選者も、編集者や友人を大勢集めて当選の知らせを待っていたことだ。
> T人間を描くUと偉そうなことを言っているのだから、受賞しなかったときの、自分で集めちゃった人たちへの落とし前くらいきっちりT予想Uしておいてもらいたい。

つまり「私は、そんなみっともない真似はしなかったぞ。その意味で私は、こいつらと同類ではない」と言いたいのでございましょう。しかし、こういうのを世間では「五十歩百歩」とか「目くそ、鼻くそを嗤う」と言うのでございます。

> 五年前にも直木賞(日本文学振興会主催)の候補となった藤田宜永氏は、まさか奥様だけが受賞する、という可能性を全く想定しないで、返信葉書を日本文学振興会宛に投函したわけではあるまい。小池真理子氏は、あの最悪の日以降、苦しむ夫に離婚を打診したと雑誌で語っている。
> 今回の候補作を私も全て読んでみた。藤田氏の小説が選ばれたのは、同情という以外に理由は見あたらない。

藤田宜永・小池真理子夫婦の事の顛末は、たしかに「文学賞と作家」をめぐる「ドタバタ喜劇」として、笑えるものではございましょう。日本の現役作家が、「作品の質」以上に「キャリアの差」で悩むというのは、いかにも「小市民」的で正直だ、とでも申せましょうか。

それにしても、この時(第125回直木賞)の候補作は、藤田宜永の受賞作『愛の領分』のほかに、奥田英朗『邪魔』、東野圭吾『片思い』、真保裕一『黄金の島』、田口ランディー『モザイク』、山之内洋『われはフランソワ』の6作だったのですから、これを『全て読んでみた。』という日垣隆の胸中たるや、察するに余りあるものがあると申せましょう。とは言え、やはりその原動力が「文学賞への執着」であり「落選したことへのこだわり」であるというのは、否定できないところでございましょう。日垣にとって、このエッセイのタイトルである『文学賞にあたふた』というのは、決して他人事ではないのでございます。





( 以下は「大人になっても見失うな(4)」につづく)


大人になっても見失うな(2) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時16分4秒


> 二年ほど前、日本文学振興会から私宛に速達がきた。文学賞の候補になったので、その賞を受ける意思があるかどうか、発表当日はどこにいるか、など返信葉書で知らせてほしいという要望が書かれていた。

ここでわかるのは、一般には知られておりませんが、文学賞の「候補作」というのは、こうした「内諾」を受けたものだけが「候補作」として公表される、という事実でございます。
つまり、必ずしも優れたものが候補作になるわけでも、受賞作になるわけでもございません。こうした問い合わせに、著者が「受けません」と言えば、それは一般 に発表される前に「候補作」からは外されてしまうのでございます。

では、『発表当日はどこにいるか』という質問は、いったい何を意味するのでございましょうか。
この質問は、候補者に、その賞をいかに切実に欲しているかの「態度」表明を要求しているのでございます。つまり「当日は自宅で(事務所で)結果 発表を待たせていただきます」という「従順な態度」を期待しているのでございますね。ですから「どこにいるかわかりません。そんな先のこと」などと返事をしたら、受ける気があると答えていても、とうてい受賞はできないのでございます。
なにしろこうしたイベントは、マスコミ的に盛り上げられることによって、その権威を保つのですから、受賞が決まってマスコミが取材しようとした時に、肝心の作家が、賞の結果 などどこ吹く風とふらふらと出歩いていて行方不明、では「賞の沽券」にかかわるということなのでございます。

ちなみに『発表当日はどこにいるか、など返信葉書で知らせてほしい』の『など』にも注目すべきでございましょう。要は、この「確認葉書」は、作家の「賞に対する従順さ(魂を売る気があるのかないのか)」を試す「ご下問葉書」だということなのでございます。

> ずいぶん先のその日は、原稿の締め切りが二つある以外に予定はまだ入っていなかった。

ずいぶん言い訳がましい書き方でございます。だからどうだと言うのでございましょうか(笑)。
要するに、日垣隆はここで「たまたま外出する仕事がなかったから、賞の発表を自宅(なり、事務所なり)で待たせてもらった」と「見栄」を張っているのでございます。

当然、予定が入っていたとしても、キャンセルできる予定ならばキャンセルして、「結果 報告」を忠犬ハチ公のごとく待ったことでございましょうし、キャンセルできない先約があれば、彼は精一杯連絡先の報告に努め「いつでもマスコミ取材が受けられますよ」という態度と誠意を示したことでございましょう。

> 私は、読者や編集者が選んでくれた賞を何度か、心からありがたいと思って受けてきた。日本文学振興会のものは、大先輩といえども現役の同業者が集まって最終的に一等を選ぶものなので、まあ、貰えたらラッキーくらいに考えた。

結局、何でも「もらえるものならもらう」くせに、どうして『読者や編集者が選んでくれた賞を何度か、心からありがたいと思って受けてきた。』などと「前振り」をするのでしょうか? それは彼が『大先輩といえども現役の同業者』が選ぶ「賞」というものを、無条件に奉っているわけではないと「言いたい(けど、言えない)」からでございます。
つまり『読者や編集者』の権威は『読者や編集者』の権威として(その範囲内で)認めうるけれども、『大先輩といえども現役の同業者』を、自明に自分より優れたもの(選ぶ権威のある存在)と認める気はない、ということなのでございますね。ですから、冒頭にご紹介いたしました拙論「「インテリげんちゃん」の凡庸さについてに引用した『文学賞って聞いても、別 に有難がらずに、「あっそう」と適当に相槌をうっておけばいいんじゃないですか。/でも、あげるよといわれたら、とりあえずもらっちゃいますけど。』という高橋源一郎と「そっくりな物言い」になってしまっているのでございます。





( 以下は「大人になっても見失うな(3)」につづく)


大人になっても見失うな(1) 投稿者:園主  投稿日: 6月18日(金)00時15分1秒

みなさま、先般、アップさせていただきました、

 ・ 「インテリげんちゃん」の凡庸さについて―― 高橋源一郎に見る、文学者のホンネ

を補強する資料を見つけましたので、ここにご紹介して、その意味するところを解説しておきたいと存じます。

その資料とは、『産経新聞』(2001年8月5日付け)の(今は亡き)名物コラム「斜断機」に掲載された、『作家・ジャーナリスト』の肩書きを持つ日垣隆によるエッセイで、その名もずばり「文学賞にあたふた」でございます。

『     文学賞にあたふた

 二年ほど前、日本文学振興会から私宛に速達がきた。文学賞の候補になったので、その賞を受ける意思があるかどうか、発表当日はどこにいるか、など返信葉書で知らせてほしいという要望が書かれていた。
 ずいぶん先のその日は、原稿の締め切りが二つある以外に予定はまだ入っていなかった。
 私は、読者や編集者が選んでくれた賞を何度か、心からありがたいと思って受けてきた。日本文学振興会のものは、大先輩といえども現役の同業者が集まって最終的に一等を選ぶものなので、まあ、貰えたらラッキーくらいに考えた。選考委員の好みもある。第一、その候補作よりもっと上質な本を以前に書いていたし、今後もっといいものを毎年書いてゆく自信があったので、落選しても、あっそう、という感じだった。うぬ ぼれととられても仕方がないが、自作くらい自分で評価できる。
 興味深かったのは、少なくとも落選した二人が、「選考委員を殺してやりたい」という意味のことを口にした事実と、たまたま受賞した人も私以外の落選者も、編集者や友人を大勢集めて当選の知らせを待っていたことだ。
 T人間を描くUと偉そうなことを言っているのだから、受賞しなかったときの、自分で集めちゃった人たちへの落とし前くらいきっちりT予想Uしておいてもらいたい。
 五年前にも直木賞(日本文学振興会主催)の候補となった藤田宜永氏は、まさか奥様だけが受賞する、という可能性を全く想定しないで、返信葉書を日本文学振興会宛に投函したわけではあるまい。小池真理子氏は、あの最悪の日以降、苦しむ夫に離婚を打診したと雑誌で語っている。
 今回の候補作を私も全て読んでみた。藤田氏の小説が選ばれたのは、同情という以外に理由は見あたらない。
 ついでながら、受賞作以前に、それより優れた作品のある作家にあとづけで賞を与えるのは、文学の衰退を招く。
               作家・ジャーナリスト
                          日垣隆
 』

日垣隆が、「日本文学振興会」の主催する賞の候補になったとすれば、それは今年(第35回の)候補になったのと同様、「大宅壮一ノンフィクション賞」だと思われます。
これは「文藝春秋」社が母胎である「日本文学振興会」の主催する「三つの文学賞」のうちのひとつで、他の二つである芥川賞と直木賞がそれぞれ純文学と大衆文学に対応しているように、ノンフィクション(文学)に対応した「ノンフィクション作家の芥川賞」だと考えていただければ結構かと存じます。
つまり、ノンフィクション作家として「食っていく」上で、たいへん大きな意味をもつ「肩書き」であり「権威」だということでございます。

さて、日垣隆のこのエッセイは、囲みコラムの字数制限のせいか、充分にレトリックを尽くせなかったようで、その「ホンネ」がむき出しとなっている部分が、そこここに見受けられます。そうした部分への分析も含めて、このエッセイを以下に逐語的に解説してまいりたいと存じます。





( 以下は「大人になっても見失うな(2)」につづく)


おひさしぶりです 投稿者:nasu  投稿日: 6月16日(水)01時14分17秒

こんばんわ、おひさしぶりです。
急に仕事でちょっと遠くへ行ってました、と言うか
<storong>ヘルプで客先派遣されてました
ヘルプなんで自分の仕事は会社にがっちり残ってます。
酷いなぁと思ったり思わなかったり。
竹本Wikiの宣伝を兼ねて某掲示板
での署名を「竹本Wiki参加者募集中」としたら
「竹本泉Wikiかと思った 『竹本健治Wiki参加者募集中』と明示してほしい」
と使って二日目で苦情が来ました。
なるほど世の中竹本と言えば泉も健治もいるのだなぁ と妙になっとくする
そんな今日この頃ですが
最近話題の「空の境界(上・下)」(奈須きのこ 講談社ノベルス)をつい先日読了しまして、
2chで
「竹本健治っぽいってゆーか 影響受けてない?」
と発言したところ
「いや奈須自身も影響を受けたと言っている」と指摘され
ハンドルとペンネームが似てたり・趣向が似てたりと同じnasu仲間
だなーっと妙にシンパシーを感じてたりします。
さて本題、別に狙った訳ではないですが丁度
先の「空の境界」の解説は笠井潔氏がお書きなっています。
浅学な私が読んだ所では上巻の解説(上下巻両方に解説が入っているのも珍しいですが)
は伝奇小説の流れと日本思想史を絡めながら書き上げた
なかなか面白い物でした。(下巻は「ちょっとちがうんじゃないか?」と言う感じでしたが)
このあたりホランド様が語られている
★  笠井潔が、真に望んだこと。 ★」にて園主様が語られている
『(東浩紀氏が)「オルグ(※ 政治的・組織化=勧誘)」をはっきりと拒絶している。』
事と
「アニメやゲームという領域では、経験と知識という点で東君と噛み合う議論をするのは難しいのですが」  (笠井潔・第一〇信「世代間コミュニケーションの構図」P138-139 より)

と笠井氏が語っている事が
「んじゃ東とは話しが合わなくても奈須きのことは話があうのかえ?」
と言う私の疑問を穿った形で解決してくれるかもしれません。

取りあえずですが、「動物化する世界の中で」を読んでみたいと考えております。
所で園主様はファスト創刊号の対談はお読みですか?


恐らく最初で最後になると思いますが、お邪魔いたします。 投稿者:東野 響  投稿日: 6月15日(火)13時15分43秒

はじめまして、東野と申します。ネットに不慣れなもので勝手も分かりませんが、私事ながら少しお話したいことがあり、掲示板を利用させていただくことにしました。

私はほんの1ヶ月と少し前に小野不由美さんの「十二国記」の読者になりました。
ファンタジーには疎いもので抵抗も少なからずありましたが、その世界には惹かれるものを感じました。
しかしのめり込みながらも、一読者として、ただただ惹かれるだけの自分に少なからぬ 危惧を覚えていたことも確かです。
そもそもこの本を手に取ったのも、大学受験に失敗し浪人を選択して後の、索漠とした心地を振り払う為であった気がします。
鬱々と胸にこもるものを感じながらも、ネットでサイトを検索し、他の十二国読者様と誼を結び、感想や創作小説等を拝見する事を覚えた私でしたが、昨日、軽い読書として三島由紀夫氏の「若きサムライのために」を読み、ハッと我に返りました。
己を恥じる気持ちと貴重な時間を無駄にしたという苦々しさに居た堪れなくなりましたが、やっと十二国記と自分との間に距離を置くことができました。
もう読みたい衝動に駆られることもなく、本は押入れの中に安置してあります。
憑き物がようやく落ちたようで、これで好きな勉学に打ち込めると、心底安堵しています。

何故この様なことを長々お話しているのかと言いますと、以前このサイトに迷い込んできた際に、管理人御二方の十二国記に関する文章を読ませていただいたことがあったからです。十二国記読者(である若い女性)への警告(明らかにニュアンスが異なりますが,語彙に乏しい為この様な表現になり、申し訳なく思います。)を含む文章であったと記憶しています。
手前勝手な言い分ですが、これらの文章が、私が感じまいとしていた自身の心の細波を更に波立たせる一因になったと、私は思っています。
十二国記に浸ることしか出来ず、自分の弱さを見過ごし、強い人間になる努力を惜しんでいた自分を、ようやく認めることが出来ました。
この転機に関しまして、一方的ながらどうしても御二方に感謝の言葉を申したいと、そう思った次第です。
どうも、ありがとうございました。

尚、これはあくまで伝達手段が掲示板しか思いつかなかった為の投稿であり、勿論掲示板に載せて頂かなくて結構です。乱文(特に敬語の用い方など)、平にご容赦ください。


初戦から波乱のユーロ2004 投稿者:Keen@コーフン☆  投稿日: 6月15日(火)00時08分12秒

☆ホランドくん

>「ユーロ2004」というのは、その名のとおり以前は「欧州選手権」と呼んでいたやつですよね。
>開催地は欧州でも参加するのは全世界からなんだから、たとえばゴルフで言ったら「全米オープン」と「全英オープン」を足したような、ワールドカップに優るとも劣らない重要な世界大会だ、ということなのかな。

半分あってて、半分まちがい。
「ユーロ2004」は、4年に一度、W杯の狭間の年(=オリンピック・イヤー)に開催される「欧州だけ」の大会です。予選を勝ち抜いた16カ国が出場し、4つのグループリーグの上位 2カ国:ベスト8が決勝トーナメントに進出、優勝を争います。
レベルの高さではW杯以上とも言われる激戦が、早速繰り広げられています。

ちなみに、日本時間の今朝は「フランス×イングランド」という好カードでした。
前回優勝のフランスとサッカーの母国であるイングランド、クラブではチームメイトのジダンとベッカム、など見どころ満載。そして結果 も、期待に違わぬ劇的なものでした!

なお、賢ちゃんのHP内に、私が過去に書いたサッカーレポをまとめたページが開設されました。ユーロ2004情報も早速UPされてますので、サッカーに興味のある方は↓こちらもご覧頂けると嬉しいです。
・Keen's football repo
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/6709/keen-football-repo.html

☆園主さま

「黒猫掲示板」での議論をコンテンツに収録希望とのこと、私はひやかしというか、おちゃらけ役ですので、是非もなし、ですわ(笑)。
それに「予想したとおり」と言うよりも、「お約束」の方が正しいんじゃありません?(笑)

ではまた。
毎日2ゲームずつ観戦するのは、なかなか体力がいりますわ☆


サボりがちの留守番 投稿者:ホランド  投稿日: 6月14日(月)16時38分33秒

 みなさん、こんにちは! こないだから園主さまが、黒猫館館長さまのところの黒猫掲示板で議論をなさっています。他所の掲示板で議論をするのはひさしぶりなんじゃないかな。ボクは内心、またケンカをするんじゃないかと、ひやひやしながら見守ってるんですが・・・と、ひとこと牽制しておこうと思います(笑)。

 議論の内容は、園主さまがあちらに宣伝に行かれた仮面 ライダー論の感想に始まり、日本(人)論へと移行した後、今は笠井潔論が中心になっているみたいです。というのも、あちらで主に園主と議論をなさっている はらぴょんさんが、現代思想に詳しく、笠井さんのファンでもあるからです。はらぴょんさんが、現在の笠井潔をどの程度評価なさっているのかは良く知らないんですけど、ご意見を拝見したところ、少なくとも最近の笠井さんの行動を擁護するつもりはないようで、その点でも園主さまと特に対立するような論点はないみたいですね。

 印象としては、園主さまの意見を、はらぴょんさんが現代思想の成果に照らしながら位 置づけをし検討して、疑問点などを園主さまに返す。それに対して園主さまが、現実主義的な視点から問題を再整理して「一応の回答」を返す、というパターンのようです。

 ちなみにご承知の方も多いでしょうが一応ご紹介しておきますと、うちにサイト内サイトとして設置されていた、楽古堂主人こと大内史夫さんの『天酒房 楽古堂』の閉店(2003年7月31日)後、楽古堂さまの新サイト烏鷺堀酒造売店がサイト内サイトとして開設された場所こそ、はらぴょんさまのサイト薔薇十字制作室なんです。みなさん、そちらも是非のぞいてみてくださいね。





 Keenさま
> いよいよ明日、サッカー「ユーロ2004」ポルトガル大会が開幕致します。
> 私は賢ちゃんちへ参りますので、こちらは当分留守にするかと思いますが、心配しないで下さいませ。

 「ユーロ2004」というのは、その名のとおり以前は「欧州選手権」と呼んでいたやつですよね。ボクはサッカーはぜんぜん詳しくないんだけど、ヨーロッパ(最近はこの言葉、あんまり使いませんね)が、サッカーの中心地域だし、開催地は欧州でも参加するのは全世界からなんだから、たとえばゴルフで言ったら「全米オープン」と「全英オープン」を足したような、ワールドカップに優るとも劣らない重要な世界大会だ、ということなのかな。・・・もっとも、ボクはゴルフも詳しくないので、この比喩が適切なのかどうか自分でも疑わしいんですが(^-^;)。


 園主さま
> 映画『キューティーハニ−』

 こないだは、ありがとうございました。また、なにか面白そうなのがありましたら、御伴させていただきますので、よろしくおねがいいたします(笑)。

 ところで、先日、ご紹介なさっていた光原百合さんの出世作、日本推理作家協会賞受賞作の収録された『十八の夏』が文庫化されていましたね(双葉文庫)。ボクはまだ読んでいなかったんで、この機会に読んでみようと買ってしまいました。お借りしても良かったんですけど(笑)。

 それと三浦しをんさんの新刊『私が語りはじめた彼は』(新潮社)の評判が、とてもいいようですね。『ダ・ヴィンチ』誌で今月のプラチナ本にも取り上げられていたし、『本の雑誌』でも誰かが誉めてました。
 こないだ園主さまも「予想した以上に、技術的な急成長を見せている」っておっしゃってましたけど、どうやら世間も三浦しをんに注目しているようです。それでも園主さまは、ひとことあるみたいでしたけど、ひとまず今度お貸し下さいね。ボクも自分の目で確認しておきたいと思います(笑)。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。 


書き置き 投稿者:Keen  投稿日: 6月11日(金)08時53分8秒

園主さま、皆さま

いよいよ明日、サッカー「ユーロ2004」ポルトガル大会が開幕致します。
私は賢ちゃんちへ参りますので、こちらは当分留守にするかと思いますが、心配しないで下さいませ。

ではまた。(^0^*

PS.決勝戦は、7/4です。


キューティーハ二ー 投稿者:園主  投稿日: 6月11日(金)00時41分50秒

みなさま、本日はホランドくんと『キューティーハ二ー』(庵野秀明監督)を観てまいりました。結論としては、まずまず楽しめたといったところでございましょう。

この映画、監督の庵野秀明が言っているとおり「予算額がこれにとどかないようだったら製作はやめよう」と考えていた最低ラインぎりぎりの低予算で作られた作品でございます。したがって、CGやミニチュアワークやセットなどに「金と時間」を充分にかけられなかったというのがそれと分かる、ややチープな画面 になっておりました。また佐藤江梨子もハマリ役とは言え、アクションが苦手なのが一目でわかる動きをしており、それを細かいカット割りやアニメ的な手法でカバーしているのがよくわかりました。しかし、こうしたいくつかの弱点を持ちながらも、出演俳優たちはそれをカバーするようにそれぞれに個性的なキャラクターを熱演しており、全体としては楽しく、観終った後どこかほのぼのとした気分になる、微笑ましい佳品に仕上がっておりました。印象としては、低予算でも熱気で惹きつけるアマチュア映画的な楽しさのある作品。ちょうど庵野秀明が学生の頃につくった、伝説の自主製作映画を思わせる部分のある作品でございました。





 影姫さま
> ☆園主様、黒猫掲示板への御論文の投稿ありがとうございました。わたしのお友だちの特撮マニアの方々も恐らくROMっておられると思いますので機会があったらチャットで感想を聞いてみます。尚、わたしの感想もうちの旦那である館長とほぼ同じです。

お気づかい、ありがとうございます。何とぞよろしくお願いいたします。

> ☆以前2度逃がして泣きをみた「あの本」がようやくゲットできそうです。あの本の題名はここ花園で何度か公表しております。ゲットと同時にあの本の書影を月光書影閲覧室に展示し、ここ花園にその部屋へのリンクを貼ります。お楽しみに。

そうでございますか。最近、私の方は、古書よりも読むための新刊にお金を注ぎ込んでおります。でも、古書というのは、新刊の専門書の値段を考えれば、案外安いものでございますよね。


 AOIさま
『テロリストは誰?』

今日、紀伊国屋書店のDVD売り場に行きましたが、当該DVDは置いておりませんでした。また、タイトルを『誰がテロリストか?』と間違えて憶えていたため、パソコンでの検索にも出てこず、完全に無駄 足となってしまいました。今度は正しいタイトルで検索してもらって、入荷するようであればそこで買うし、入荷しないのなら通 販で買おうと思っております。

> 展望的視座を持たないと、希望を語る部分はあるものの、その意図に反して圧倒的軍事力を持つアメリカに対しては力を持たない弱小国は、「命が惜しければ、従うしかないのじゃないか」というあきらめに陥ってしまいかねないのだ。

なにしろアメリカのやっていることがやっていることですから、希望を持たせるところまでやるのは困難でございましょうね。まず、なにより大切なのは、事実を事実としてハッキリと伝えることでございましょう。

> 私たちはこういうアメリカの政策に怒りをおぼえ、それに追随している日本政府に、NO!!を表明し、生きとし生けるものがその生を存分に生きられるような社会を目指すことが人間の英知であり勇気であると語ってゆかなければいけないのだと思う。

そのとおりでございましょう。しかし、それが「現実を無視した空念仏」になってはなりませんし、そのように取られるようでも困ります。つまり私たちは、その主張に相応の、しっかりとした内実や裏づけといったものを、それぞれに鍛え上げていかなければならないのではないかと存じます。


 ホランド
今日は映画とカラオケ、ごくろうさまでした(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm



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