●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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空虚に巣食う魔(6) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時44分16秒


(6) 両儀式の「飛行」に関する見解。(P25)

『過去、人間だけの力で飛行を試み成功した者はいない。飛行という言葉と墜落という言葉は連結だ。だが、空に憑かれた者ほどその事実が欠落していてね。』


『過去、人間だけの力で飛行を試み成功した者はいない。』――意味不明である。
『人間だけの力で飛行』というのは、「人力だけ」という意味で「動力を用いない」ということなのか、それとも「一切の道具」を用いず「裸一貫」で飛ぶということなのか。
言うまでもなく、人間は「動力」を用いずに空を飛んでいる。「ハングライダー」での飛行は、立派に「無動力」飛行である。それとも両儀式は、「ハングライダー」という道具を用いているから『人間だけの力で飛行』したとは言えないとでも言うのだろうか。それならば不可能なことはわかり切っている。『過去』も『未来』もありはしない。話にならない。

『飛行という言葉と墜落という言葉は連結だ。』――日本語ではない。イヤになる。いきおい文章がぶつ切れになってきた。
『飛行という言葉と墜落という言葉は連結だ。』――頭が痛くなりそうである。吐き気を催しそうだ、と言っても良い。

これも書くのなら、

 ・ 飛行という言葉と墜落という言葉は一対のものだ。
 ・ 飛行と墜落とは、観念連合を為している。

といったところだろう。

『だが、空に憑かれた者ほどその事実が欠落していてね。』――言うまでもなく『空に憑かれた者』ほど『欠落』させているのは、「飛行と墜落とは一対のものだ」という「認識」であって、『事実』ではない。だから、事実として『墜落』することがあるのである。



(7) 地面についての蒼崎橙子の説明。(P32)

『しかし、君が水平と思っている地面も不確かな角度なんだぞ。』


『地面』は、確かか不確かかにかかわりなく『角度』なんかではない。それも言うなら、

「しかし、君が水平だと思っている地面も、厳密に言えば、いくらかの角度はついてるんだぞ。」



これで、もう充分に『空の境界』の『あまりにも酷い文章と、その文章力にあらわれた作者の思考能力の低さ』を立証できたと思うが、いかがであろう。

ともあれ、たかだか30ページほど読んだだけで、こんなに引っ掛かるところがあるのだから、上下巻で約850ページの通 読を、私が断念した気持ちは充分に理解してもらえようし、こんな作者に期待できないという気持ちも理解してもらえると思う。
見てのとおり、笠井潔が推薦した新人だから腐しているというわけではない。これは、そのずーっと以前の話なのである。(つづく)




http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/kasai_giron_1.html


空虚に巣食う魔(5) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時43分0秒


(5) 蒼崎橙子の言葉についての黒桐幹也の内的思考。(P24)

『 遺書がないのはなぜだろう。遺書がないのでは、人は自ら死なない。
 遺書とは、極論として未練だ。死を良しとしない人間がどうしようもなく自殺する時、その理由として残すもの、それが遺書のはずだ。
 遺書のない自殺。
 遺書を記す必要がない。それはもうこの世になんの意見もせず、潔く消えるという事。それこそが完全な自殺だ。完全な自殺とは遺書など初めから存在せず、その死さえ明らかにはされない物を言うと思う。
 そして、飛び降りは完全な自殺ではない。
 人目につく死はそれこそが遺書めいてしまう。残したい事、明らかにしたい事がある故の行為ではないのか。だとしたら、何らかの形で遺書は用意されているのが道理だ。
 ならばどうなのだろう。それでも遺書らしき痕跡さえないというのなら―――第三者が彼女達の遺書を持ち去ったのか。いや、それでは自殺ではなくなってしまう。
 ではなにか。考えられる理由は一つ。
 つまり、文字どおりソレは事故なのではないか。
 彼女達は初めから死ぬつもりなどなかった。それなら遺書を書く必要はない。』


『遺書がないのはなぜだろう。』――蒼崎橙子の無根拠な断定を鵜呑みにしている。バカである。
『遺書がないのでは、人は自ら死なない。』――まるで逆である。遺書があるから、人は自殺するのではない。自殺する者が、遺書を書いたり書かなかったりするだけの話である。黒桐幹也は、単に頭が悪いだけではない。彼には因果 律すら存在しないのである。だから、論理的思考などできようはずもない。

ここでの黒桐幹也の内的思考のデタラメさについて、逐一解説する気には到底なれない。私が説明しなくても、わかる人にはわかるし、わからない人には説明そのものが理解できないに決まっているからである。
ただし、大まかにだけ説明しておくと、 黒桐幹也の思考は、「極論」が「スタンダード」にすり変わり、個人的な「感想」や「仮定」がいつのまにか「定義」になり、やがて単なる「思いつき」が「確信」へと妄想的に変移して「断定」に結果 する、といった態の「蒙昧」そのものなのである。

もしかすると、――笠井潔は、この小説をちゃんと読んでないんじゃないか、と思ってしまう。それなら幸いなのだが、そういうことでもないらしいのが、かえって恐ろしい。笠井は(頭が)どうかしてしまったのだろうか?





( 以下は「空虚に巣食う魔(6)」につづく)


空虚に巣食う魔(4) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時42分13秒


また、『それに六人、いや八人ですか。それだけの数なら一人ぐらい遺書らしきものを公開してもいいだろうに』という文章は、「主語」が曖昧である。公開するのは「警察」なのか、それとも八人の「自殺者」のうちの『一人(ぐらい)』なのか。――もちろん、死者である「自殺者」は遺書を公開できないから、公開するのならば「警察」か「遺族」ということになろう。ここでも文脈から言えば「警察」のことを言っているのは明らかである。しかし、

『それに六人、いや八人ですか。それだけの数なら一人ぐらい遺書らしきものを公開してもしてもいいだろうに』

という文章では、どう読んでも『公開』するのは「自殺者」本人ということになってしまう。だから、この文章は本来なら、

「それに六人、いや八人ですか。それだけの数なら一人ぐらい遺書らしきものを残していてもいいだろうに、それを(警察が)ひた隠しにしてる。これって隠蔽でしょ?」

とすべきところなのである。しかし、遺書の存在そのものが公にされていないのだから、こうした議論自体そもそも成り立たない。つまり、作者はここで、「遺書の存在」の問題と「遺書の公開」の問題を混乱させて、話を「思わせぶり」にしているだけなのである。――このことは、この先のところで、黒桐幹也が、

『「……遺書は公開されないんじゃなくて、初めから用意されてないって事ですか?」』

という科白を吐くことからも明らかである。これは、黒桐幹也が気づかなかったことに気づく、蒼崎橙子の知的鋭さを強調する場面 なのだが、その橙子の説明も見事なまでに非論理的で、ほとんど『ドグラ・マグラ』の一シーンを連想させるほどである。曰く、

『だから、それが関連性だ。いや共通点のほうが正しいか。八人中、大半が死亡者自ら飛び降りている現場を複数の人間に目撃されているし、彼女達の私生活にはなんの問題も浮かび上がらない。薬をやっていたとか、怪しい宗教にかぶれていた事もないわけだ。極めて個人的な、自分そのものに不安を抱いての突発的な自殺であるのは疑いようがない。故に残しておきたい言葉は無く、警察もその共通 点を重要視していないんだろうね』

なにが『故に』なのか、まったくわからない。何の論証にもなっていないのだ。
自殺者に、ハッキリとした動機が発見されないというのは、ごくありふれたことである。それこそ、遺書が残されておれば、そこに理路整然と自殺の理由がしたためられているといった「例外的な事例」もあろうが、遺書が残されていてさえ、自殺の理由がハッキリしないことなど、世の中には幾らでもあるのだ。芥川龍之介だって『漠然たる不安』によって自殺したんだなどと言われているではないか。

なのに蒼崎橙子は、死者たちの投身時の状況が自殺としか思えないことと、『彼女達の私生活にはなんの問題も浮かび上がらない。薬をやっていたとか、怪しい宗教にかぶれていた事もない』といった事実だけで、死者たちの死の理由が『極めて個人的な、自分そのものに不安を抱いての突発的な自殺であるのは疑いようがない。』と断言する。
自殺の理由など、それこそ露見していないだけで、じつは会社の金を横領していたとか、失恋や友人の裏切りといった、ハッキリとしたものなのかも知れないではないか。それをどうして、こうもあっさり『自分そのものに不安を抱いての突発的な自殺であるのは疑いようがない。』などと断言できるのか。
――答えは、その方が事件自体を「思わせぶり」なものとして演出できるし、断定的口調が蒼崎橙子の頭の良さを表現し(え)ていると読者に誤解させることができる、と作者が考えているからである。つまり、作者によって想定される読者の知的レベルは、極めて低いと言えよう。私から見れば、蒼崎橙子はバカそのものである。





( 以下は「空虚に巣食う魔(5)」につづく)


空虚に巣食う魔(3) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時41分20秒


(4) 連続飛び降り自殺事件に関する警察の動きについての、黒桐幹也の意見。(P23)

『「……だって遺書が公開されてないでしょう。六人、いや八人ですか。それだけの数なら一人ぐらい遺書らしい物を公開してもいいだろうに、それをひた隠しにしてる。これって隠蔽でしょ?」』


この論理的混乱は、黒桐幹也をことさら「頭の悪い人物」として描いているせいではなかろう。問題は、作者のほうにある。

遺書の残された自殺があった場合、「警察」がその遺書を公開することは、まずない。これは件数には関係がない。なぜなら、それはそれぞれが、死者の「プライバシー」の無用の侵害にしかならないからである。「警察」が遺書を公開するとすれば、それはその「自殺」が疑われている場合であろう。つまり「自殺」ではなく「偽装殺人」なのではないかなどと疑われる場合に、遺書の信憑性が問題となるから、裁判などでそれが「証拠資料」として取りあげられ、その過程でマスコミに公開される場合もある、というだけの話である。

したがって、明らかに自殺だと認識されている場合には、「警察」は「自殺者」の遺書を公開したりはしない。「遺族」が、マスコミの要請に応じて公開することはあっても、「警察」が勝手に公開するようなことはありえない。これは『数』の問題ではないから『六人、いや八人ですか。それだけの数なら一人ぐらい遺書らしきものを公開してもいいだろうに。』ということにはならないのである。

無論、「公開しない」ということと『ひた隠し』にするということは同じではない。同様に「非公開」と「隠蔽」は、同じ意味ではない。当たり前の話なのだが、その区別 が、作者にはついていない。だから、読者に好感をもたせてしかるべき「主要な登場人物であり、語り手」である黒桐幹也に、バカ丸出しのことを語らせてしまう。





( 以下は「空虚に巣食う魔(4)」につづく)


空虚に巣食う魔(2) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時40分5秒


(1) 風景描写。(P17)

『 行儀よく同じ高さのビルが道に並んでいる。ビルの表面は一面の窓ガラスで、今はただ月明りだけを反射していた。』


『ビルが道に並んでいる』わけはない。道に「沿って」並んでいるのである。また、ここは深夜のビル街の散歩シーンなのだから、そもそも『道に』は不必要だろう。誰も、ビルが林や田んぼのなかに並んでいる情景を思い浮かべたりすることはない。つまり「行儀よく同じ高さのビルが並んでいる。」で充分でなのある。

『ビルの表面は一面の窓ガラスで』……言いたいことはわかるが、日本語になっていない。作家が言いたいのは「ビルの壁面 は一面ガラス張りで」ということなのであろうが、「壁」がガラスで出来ている以上、そこには「窓」という設備は存在しない。したがって、ガラス壁をのガラスを『窓ガラス』と形容するのは間違いなのである。



(2) 意味不明な形容。(P17)

『 その時―――つまらない影が網膜に映りこんだ。
 人型らしいシルエットが視界に浮ぶ。』


『つまらない影』とは、いったい何なのか? もちろん例外的には「面白い影」もあるだろうが、普通 、影は面白くもおかしくもないものだから、『つまらない影』などという「意味をなさない日本語」を書く者は、まずいない。小説家では皆無と言ってもいいだろう。



(3) 人形の描写。(P20)

『 それは道徳の限界ぎりぎりにまで迫ったほど、すごく精巧な人形だった。人間をそのまま停止させたようなそれは、同時に、決して動かない人型である事を明確に提示していたと思う。
 明らかに人ではなく、同時に人にしか見えないヒトガタ。
 今にも息を吹き返しそうな人間。けれど初めから命などない人形。生命しか持ちえない、しかし人間では届かない場所。
 その二律背反に、僕は虜になった。』


この作家は『二律背反』が好きである。しかし、彼の言う『二律背反』とはたいがい『二律背反』ではなく、単なる「論理的混乱」に過ぎない。この作家の非論理性については、奈須きのこの文章力(3)の「自殺-事故死-他殺」をめぐる議論で指摘済みである。

この「人形」をめぐる議論でも、同種の「言葉の混乱」による「論理の混乱」が見られる。だが、それがそのまま、「思わせぶり」な議論として、ヌケヌケと読者の前に放置されてもいる。しかし、『道徳ぎりぎりにまで迫ったほど』などという恥ずかしい日本語や、『生命しか持ちえない、しかし人間では届かない場所。』というほとんど意味不明な文章に、その誤謬は明らかである。

『それは道徳の限界ぎりぎりにまで迫ったほど、すごく精巧な人形だった。』を、普通 に(論理的に)意味の通る日本語に訂正すると、

(A) それは道徳の限界ぎりぎりにまで迫った、すごく精巧な人形だった。
(B) それは道徳の限界ぎりぎりに迫る、すごく精巧な人形だった。
(C) それは道徳の限界ぎりぎりにまで迫ったと思えるほど、すごく精巧な人形だった。

となるだろう。
『迫ったほど』などという表現は、奈須きのこの文章力(4)で説明した『幾多もの』という表現同様、論理矛盾を来たしたものなのである。

ちなみに、「人間そっくりの人形を作ること」が、どうして「道徳」と関係してくるのかだが、これは「人形づくり」が「神の御技」の僭越な模倣であるという意味において、「反道徳的」だと考えることができるのである。
だが、この作者にそこまではっきりした認識があって、『それは道徳の限界ぎりぎりにまで迫ったほど、すごく精巧な人形だった。』などと書いたかどうかは、はなはだ疑わしいと言わざるをえない。むしろ「人形づくりとは、背徳的で甘美な魅惑に満ちた行いである」といった、使い古されて言い回しを、無自覚になぞっただけなのではないかと、私には感じられる。

この作家の論理レベルから推せば、こうした「思わせぶり」な表現は、内容を欠いたその「思わせぶり」による「朦朧」性にこそ、価値があるのではないか。つまり、「無意味(無内容)」だからこそ、非論理的な読者からは「過大評価」という「誤解(妄想)」呼び込むこともできる、ということなのではないか。
京極夏彦風に言えば「その箱は、からっぽだった。そこに魍魎が湧いた。魍魎とは、空虚のことだった。――なんだか、ひどく疲れた」とでもなろうか。





( 以下は「空虚に巣食う魔(3)」につづく)


空虚に巣食う魔(1) 投稿者:園主  投稿日: 7月31日(土)22時39分15秒

笠井潔が上下巻にわたる長文の解説を付した、新人作家 奈須きのこのデビュー作『空の境界』。その文章が、壊滅的に酷いものであるという事実については、すでに奈須きのこの文章力(1〜4)において、実例を挙げて証明しておいた。しかしそれは、『空の境界』の冒頭10ページほどを読んだだけの段階でのことである。

「だから」と言うべきか、「それでも」と言うべきか、ともかく私は、このデビュー即ベストセラーになった新人作家の小説を、いちおうは最後まで読んで、きちんと評価してみたいと、その段階では考えていた(上下各巻の帯には、それぞれ「これぞ新伝綺ムーブメントの到来を告げる、傑作中の傑作」「これぞ新伝綺ムーブメントの起点にして到達点」という惹句が躍っている)。
しかし、その意欲は、冒頭30ページまで読むにいたり、あっさりと挫折してしまった。あまりにも酷い文章と、その文章力にあらわれた作者の思考能力の低さに、それ以上は読むに堪えなくなったのである。

私は、笠井潔を憎みこそすれ、奈須きのこを憎む理由など少しも持たない。奈須きのこが、笠井潔の推輓をえてデビューした作家だからといって、彼に八つ当たりするほど、私はつまらない人間でもなければ、党派的な人間でもないつもりである。しかし、下手なものは下手、ダメなものはダメとしか評価のしようがない。これは、笠井潔云々以前の話なのである。

なぜこの程度の作品を、笠井潔は持ち上げるのだろうか。たしかにこの作品は、同人小説としては異例の成功をおさめており、その意味では、ある一定の人たちに、何らかの魅力を感じさせた、というのは事実なのであろう。しかし、ある程度、小説を読んできた者とって、『空の境界』の文章は、あまりにも酷すぎるのではないか。また、この小説を論じて、この文章の酷さに言及しないというのは、作品評価として片手落ちなのではないか。「解説」だから、作品の欠点に言及する必要はない(あるいは、言及できない)という意見もあるだろうが、それならそれで、そもそもそんな無理をしてまで書かれた「解説」に、どれほどの存在意義があるというのであろう。

ともあれ、笠井潔の「解説」では、まったく言及されることのなかった『空の境界』の『あまりにも酷い文章と、その文章力にあらわれた作者の思考能力の低さ』について、ここでもう少し、実例に則して説明を加え、その上で、この点に口を閉ざした笠井潔による「解説」の意味を、後で問うてみたいと思う。

前回の奈須きのこの文章力(1〜4)では、目次や扉ページを除いて、実質的に本編がはじまるP9からP17の章の区切り部分までを対象として、目につく「おかしな文章」を取り上げたわけが、今回は、それ以降、P33の第1章第2節の最後までを対象とする。ここまで読んで、私は通 読を断念したのである。





( 以下は「空虚に巣食う魔(2)」につづく)


気苦労が多すぎる 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月30日(金)20時18分44秒

乙一の『小生物語』(幻冬舎)が刊行されました。「小生」という名前で綴られた日記なのですが、作家の日記ですから、「小生」というのもつくられたキャラクターです。
この日記に、「小生」が「笠井潔先生」と三度目の対談をした時のことが書かれています。対談は、一泊二日で八ヶ岳で行われた、とあります。駅から「笠井潔先生」が運転する車に乗って、大変恐縮したとあります。「小生」は「笠井潔先生」に運転してもらうなどということは、とんでもないことで、「小生」は車に引きずられるくらいがちょうどいいと言っています。
「笠井潔先生」のお宅は、屋根裏部屋・地下室・巨大なスピーカーがあり、「小生」は圧倒されます。「小生」は、そこで温泉などのもてなしを受け、次第に非現実感に襲われます。自分が小説家になったとか、「笠井潔先生」とお会いするようになったというのは、実は夢を見ているだけではないか、と。八ヶ岳で、「小生」は「笠井潔先生」や「駆くん」や出版社の人に出会い、「小生」は「笠井潔先生」と出版社の人が「五十肩」の話をしているのを聞きますが、「小生」にとって曖昧模糊とした夢うつつの世界です。
翌日の日記を見ると、八ヶ岳で疲れて、寝込んでしまったとあります。これは精神的な気苦労のせいではないか、と思われます。
後に「小生」は精神科医に夢を見ているような非現実感の話をして、薬を処方してもらったとあります。
冒頭に記したように、「小生」は必ずしも「乙一」とイコールではありません。
しかし、まったくのフィクションでもないようです。
これを読んで、なんだか普通の日本の会社の人間関係みたいな感覚を覚えました。文壇というのは、自由業者の集まりですから、もう少しラフであってもいいと思うのですが、「小生」の「笠井潔先生」への恐縮度を見ていると、新入社員が会社の役員とともに慰安旅行に行ったときの光景のように見えてくるのです。

http://mylog.ishinao.net/id/65


訂正 投稿者:時雨  投稿日: 7月30日(金)18時04分52秒

いくつか誤字脱字がありました。

(1)あありがとございます→ありがとうございます
  仮面ライダー魂→仮面ライダーSPIRITS

(4)とこでこのかたち→ところでこのかたち

(5)個人的に作家の一人でもあったりします→個人的に好きな作家の一人であったりします

はらぴょん様
期待してくださるのはうれしいのですが、その分失望させてしまうのではないかと不安です。
とりあえず僕にとっての評論家としての笠井潔観は園主様への返事で書いたとおりです。
小説についてはまたいずれ。


若者の目から(5) 投稿者:時雨  投稿日: 7月29日(木)18時20分32秒

はらぴょん様 
>錯綜するリアル、複数化する自己
九十九十九ってそんな話だったんですね。
僕は舞城については『ファウスト』第一号に乗った『ドリルホール・イン・マイブレイン(だったかな?)』を呼んだきりなのでよくわからないのですが・・・
そういえばあれも複数の自己をテーマにした短編だったような。

ところで
>法月綸太郎にとって問題化した「後期クイーン的問題」
>P272からP274では、最近のミステリ評論の中の「大量死理論」に対する反発の言葉がみられる。無論、「大量 死理論」とは笠井潔の唱えた理論である。
というくだりですが、ここでなぜか僕は浦賀和宏(個人的に好きな作家の一人でもあったりします)を連想してしまいました。確か彼も似たようなこと作中人物に語らせて笠井潔の『ミネルヴァのふくろうは黄昏に飛び立つか』で批判されていたし、後期クイーン問題についてもちょこっと言及していたからでしょうが・・・
手元の資料が不足しているので今はかけませんがいずれ彼について何か書いてみようと思います。


若者の目から(4) 投稿者:時雨  投稿日: 7月29日(木)17時59分30秒

ホランド様
>はじめまして、ようこそいらっしゃいました!

はじめまして、こちらこそよろしくお願いします。

>「討論・笠井潔をめぐって」にご参加くださるんですね。ホントにありがとうございます。
>こないだボクは、はらぴょんさんに新たな参加者なんかそうそう期待できないんじゃな
いかって書かせていただいたんですが、その予想がはずれて良かったって思ってます

こちらこそ突然やってきた僕を信用して参加させていただいてうれしい限りです。
実はお二人のやり取りは拝見していました。
そういう発言が出ている状況であれば自分が参加する事にも意義があるのではないかと思って。

>問題となっている「本格ミステリ」にしろ「思想」にしろ「文学」にしろ、そういうジャンルにかかわる人って、そもそもオタク色が強いんですからね(笑)。

そうなんですよねぇ、大学で文学部にいる身なのでその辺は良く分かります(笑)。

>オタクの心理と言うか、正確には「マニア」の心理なんですが、そのへんを押さえておくと、なぜ笠井さんが「本格ミステリ」の世界で覇権を握ることができたのか、というのもよくわかると思うんですよ。

>作家を含む「本格ミステリ」マニアたちが、笠井潔に跳びついたのは、「主流コンプレックス」のわかりやすい表れなんですよ。上述のとおり、それは「国粋主義者が、日本文化をヨイショしてくれる外人学者を殊更ありがたがる」のとそっくりそのままで、その際、その学者が『外人』であることが重要なのであって、「学者としては二流」であることの方は問題にならない、というのも「笠井潔と本格ミステリ界」をめぐる問題と相似的なんですよね。

なるほど。ところでこのかたち、なんだか東浩紀がライトノベルやらギャルゲーを理論付けて「新時代の文芸」だの「新伝奇」だのをでっち上げている今の『ファウスト』界隈の状況と少し似ているような?


『ザ・コーポレーション』 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月29日(木)17時46分20秒

どうも、こんにちは。<おたく>のはらぴょんです。
<おたく>というのも、結構さまざまな場所にセンサーを張り巡らせておかねばならず、日々精進の賜物だったりします。
さて、今日は「討論・笠井潔をめぐって」とは関係のない話です。
マイケル・ムーアやノーム・チョムスキーが出演しているドキュメンタリー映画『ザ・コーポレーション』を、アップリンクが配給するそうです。(下記URL参照。)ネタ元は、UPLINKのメルマガです。
マイケル・ムーアやノーム・チョムスキーの名は、この掲示板でも言及されたことが多々ありますからね。ご参考までに。
ちなみに、ノーム・チョムスキーって人は、自分の中でバートランド・ラッセルのイメージと重複しています。彼らの学問は<おたく>のセンサーにひっかからないのですが、彼らの反戦論は気になるのです。
それから、時雨さまの「ジャンルXのファンから見た笠井潔」の話が早く聴きたいです!

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040610204.html


若者の目から(3) 投稿者:時雨  投稿日: 7月29日(木)17時43分5秒

園主様(続き)

>若者が『世間を知らない』のも当たり前のことなのですから、恥じる必要はございません

>お若いのですから、年長者である私たちより、人間的に「熟達していたり」、「知識があったり」しては、我々の立つ瀬がございません

確かにそうですね、生意気なことを言ってしまいました。申し訳ありません。

>貴方さまはご自分の美点長所を、討論に生かして下さいまし。またそれが、貴方さまのおっしゃる『「ジャンルXのファンから見た笠井潔」という視点』ということなのでございます

分かりました、僕なりの意見を出来る限りの「真剣」と「誠実さ」を持って書き込ませていただきます。

>もっとも、世間には「本」を読んで、若者を理解したつもりになり
>大平楽な「世間知らずの読書バカ」の年寄りも、結構いるのでございますが、そのあたりに対する率直なご感想も、是非お聞かせ願いたいと存じます(笑)。

もちろんです。そのためにここに来たのですから。
僕から見れば最近の笠井潔のジャンルX に対する反応(マンガ・ライトノベルへの批評、乙一やTYPE-MOONとの対談など)は「はぁ?なに言ってるんだこのおっさん、つうか話かみ合ってないじゃん」と思う反面 、「へぇ、そういう見方も出来るんだ」と思わせるところもあったりします。
これについては「空の境界」の解説を対象にしていずれ。園主様が「空の境界」を読了されたあたりでこちらもまとめて投下したいと思います。


若者の目から(2) 投稿者:時雨  投稿日: 7月29日(木)17時21分0秒

園主様(これからはこう呼ばせていただきます)

>正直に打ち明けますと、前回かなり厳しい書き方をしたのは、ひとつには、貴方さまを試す(突ついて反応を見るという)意図があったからございます。

>そんなわけですので、たいへん失礼をいたしましたが、悪しからずご容赦下さいまし。

考えれば当然の対応ですので、こちらは気にしておりません。
同じ状況であれば僕もそうしたでしょうし。
むしろわざわざこんなことを言われてしまってこちらが申し訳ない気分です。

>「謙虚」ではなく「卑下」にしかなりませんし、「卑下」には往々にして「慢心」が付き物だからでございます

分かりました、自分には卑屈なところがあると常々考えていましたし、気をつけます。

>私は貴方さまよりも20年ちかく余分に生きてきて、本ばかり読んできたのですから、本をたくさん読んでいるというのは、当たり前の物理的必然に過ぎないのでございます

それもそうですね。これから僕も時間を無駄にしないよう本を読んでいきたいと思います。

>つまり「前オタク世代」なのでございますから、時雨さまの「オタク」ぶりなど、ぜんぜん何とも思いません。
>『機動戦士ガンダム』の「初放映時の録音(カセット)テープ」を、今も持っているのでございます

すごい!そういう人がいるという話は聞いたことがありましたが・・・
まさか本当に出会えるなんて!


若者の目から(1) 投稿者:時雨  投稿日: 7月29日(木)17時06分9秒

Keen様
丁寧な自己紹介ありがとうございます。
あいにくデスノートは未読です、ごめんなさい。
好きな漫画はたくさんあるのですが・・・基本的には少年漫画(および少年漫画的な漫画)ですね。
ここで以前話題に上った「仮面ライダーSPIRITS」なんかは集めてますし、「TRIGUN」とか「ヘルシング」とかが大好きです。


世界の広さ(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月29日(木)14時02分39秒


 賢ちゃん
 今日、入院ですね。この書き込みは読んでもらえないんでしょうが、看護婦さんと仲良くなって、たのしい入院ライフを満喫して下さいね。で、退院してからその自慢話なんかを書き込んで「人を心配させといて、なんだそれは!」なんて怒られて下さいねー(笑)。



 園主さま
 話題の『ファウスト』の(第三号の)表紙に、「原田宇陀児」という名前を見て「うわっ!」と思ったボクは、やっぱりもう若くないんでしょうね・・・(-_-;)。

 それにしても、あと10年もしたら、冗談抜きで「大下らんぽ」とか「山野Q作」なんて若手作家が出てくるのかも知れません。そうなるとボクも「おじさん、ついていけないよ」って言いたくなるかも・・・。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。


世界の広さ(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月29日(木)14時01分30秒


 くらやみ男爵さま
 黒猫館館長さまは、無事お戻りになられたようですね。

 黒猫館館長さまには「温厚そうだけど、じつは怖い」という評判もあったんですが、やっぱりうちの園主さまの「破壊神」ぶりは、それを上回っていたということでしょうか? 困ったものです・・・(-_-;)。



 Keenさま
> 誤解があるわね。温泉ってのは、健康な人なら「あー、いい湯だった」ってあったまればそれでイイんだけど、私のような慢性の病持ちにとっては、病根を引きずり出して、むしろ悪くなるものなのよ。もちろん昔ながらの「湯治」ならば、穏やかに治癒するまで1カ月でも温泉に滞在するんだろうけど、現代人にはそれもかなわないから、体の奥底に沈殿してるモノを浮かび上がらせるくらいで良しとせねばならないわけ。
> ま、そのうち温泉の種類や効能から効果的な入浴方法まで、じっくりレクチャーしてあげるわ(笑)。

 なるほどね。「湯あたり」というのは、そういう現象だったんですか。ボクはまた「食あたり」みたいなもので、身体に悪いのかと思ってました(笑)。

 でも、ボクは暑いのは苦手だから、温泉よりもお風呂よりもプールの方が好きだな。うん、プールに行きたい! でも、お腹まわりを気にしている園主さまは、「書斎派」を口実にして、ぜったいにプールへなんか行こうとしないし、ボクも一人じゃ行く気になれないから、あいかわらず今日も、クーラーのきいた部屋で読書というわけです(^-^;)。

> 追悼・中島らも

> 『白いメリーさん』(講談社文庫)でいたく感じ入りましたが、他の作品はまだ読んでないので、そのうち書店で追悼フェアやるだろうから、『ガダラの豚』あたりから読んでみようかな。

 一時期のらもさんって、すごい勢いだったんですけど、その後はスキャンダルばかりが目立って、作品の方は評判にならなくなりましたよね。今年も、CD付きのホラーの単行本を出してたんだけど、最近の作品ってどうだったんでしょう?

 園主さまの中島らも評は、その人の死に際しても辛辣でしたけど、あれは園主さまの「心の師」である大西巨人さんが言っていた「(必然性があるのならば)死者をむち打つことも臆するな」ということの実践なんでしょうね。それに、作家の追悼文集なんかを見ると、なかには死者を罵倒するような内容のものもあるんですが、それが逆に追悼者の深い愛情を伝えるものになっていたりします。園主さまが、中島らもに特に愛着をもっていたとは思いませんが、厳正な評価こそが批評対象への信頼の証し、といった気持ちはあるんでしょうね、きっと。

> お休み中に仕込んだネタはいくつかあるのですが(「パンツと『葉隠』」とか)、そのうち文章にまとまる……かも。(;^_^A

 なんだそれ?

> あ、本多さんが寄稿したという『現代詩手帳』(←でしたっけ?春日井建特集の)って、もう発売されてるんでしょうか?どっちみち、近所の書店にはないんだけど……苦苦苦☆

 『現代詩手帳』のはずですけど、ボクが一昨日確認したところでは、いま並んでるのは「春日井建特集」じゃなかったですよ。もしかして来月なのかな?

> 時雨さま、あまりカタくならず、お気楽にどうぞ。私、やおい他ミーハー担当のKeenです。マンガはどういうのがお好きなんでしょう?週刊少年ジャンプ連載の『デスノート』(原作・大場つぐみ/漫画・小畑健)なんかは、最近話題になってますね。私は、月(ライト)よりもLが好きです。(^0^*

 『デスノート』って、『ヒカルの碁』の小畑健が作画を担当している、「ホラー漫画」でしょ? 「やおい」なんてぜんぜん関係ない作品だと思ってたんだけど、どうなってるんだろう? 読んでないから『月(ライト)よりもLが好き』とか書かれても、ぜんぜんわかんないや。 ――でも、この言い方って、どこか「やおい」的なにおいがするんだよなあ・・・。ま、Keenさまが「やおい」の話をなさるのは「元気な証拠」だから、かまわないんですけどねえー(^-^;)。





( 以下は「世界の広さ(5)」につづく)


世界の広さ(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月29日(木)14時00分31秒


 時雨さま
 はじめまして、ようこそいらっしゃいました! 

 すでにご承知のことと思いますが、ボクはこのサイトで園主さまの助手を勤めます「ホランド」と申します。以後よろしくお願いいたします。

 討論・笠井潔をめぐってにご参加くださるんですね。ホントにありがとうございます。
 こないだボクは、はらぴょんさんに新たな参加者なんかそうそう期待できないんじゃないかって書かせていただいたんですが、その予想がはずれて良かったって思ってます。

 園主さまも書かれていましたけど、『いわゆるオタク』であることはぜんぜん問題になりませんよ。だって、園主さまにしろ、はらぴょんさまにしろ、立派なオタクなんだし(笑)。

 むしろ逆に、「オタク的なもの」に理解のない人には、笠井さんをめぐる「本格ミステリ」や「思想」や「文学」の問題を論ずるのは、無理なんじゃないでしょうか。だって、問題となっている「本格ミステリ」にしろ「思想」にしろ「文学」にしろ、そういうジャンルにかかわる人って、そもそもオタク色が強いんですからね(笑)。

 そういう「自閉的自己満足」に向かう傾向のある人たちが、いかにそのジャンルについて「過剰な自負」を持ちたがり、そこにアイデンティティーを委ねたがるものか、ということは、園主さまがよく指摘するところですが、そういうのは園主さまが、いわゆるミステリマニアと呼ばれる人たちと長年つきあってきたからこそ、自信をもって言えるんだと思うんですよ。

 で、まあ、そういうオタクの心理と言うか、正確には「マニア」の心理なんですが、そのへんを押さえておくと、なぜ笠井さんが「本格ミステリ」の世界で覇権を握ることができたのか、というのもよくわかると思うんですよ。

 つまり、「思想」や「文学」は「メインカルチャー」に属するものでしたけれど、「ミステリ」はずーっと「サブカルテャー」に属するものとして一般 に理解され位置づけられてきました。だから「ミステリ」にアイデンティティーを委ねている人たちは、自分たちが「傍流(二流)あつかい」にされていることに、強い「不満と劣等感」を抱きつづけてきたんですね。特に「本格ミステリ」は、「ミステリ」の中では『王道』(山口雅也)だというエリート意識が持っていたから、余計に「傍流扱い」が我慢ならなかったんです。
 そして、そんな人たちのところに、「思想」や「文学」といった「メインカルチャー」の権威をまとった笠井潔という異能の作家=評論家が降り立って「本格ミステリこそ、真に現代の文学なのである」なんて言ってくれたもんだから、「国粋主義者が、日本文化をヨイショしてくれる外人学者を殊更ありがたがる」ように、作家を含む「本格ミステリ」マニアの人たちは、笠井さんの「メインカルチャー」的権威に跳びついちゃった、というわけなんですよね。

 つまり、作家を含む「本格ミステリ」マニアたちが、笠井潔に跳びついたのは、「主流コンプレックス」のわかりやすい表れなんですよ。上述のとおり、それは「国粋主義者が、日本文化をヨイショしてくれる外人学者を殊更ありがたがる」のとそっくりそのままで、その際、その学者が『外人』であることが重要なのであって、「学者としては二流」であることの方は問題にならない、というのも「笠井潔と本格ミステリ界」をめぐる問題と相似的なんですよね。

> 「ジャンルXのファンから見た笠井潔」という視点で何か言えまいか、と思いここに書き込ませていただきました。

 とにかく、園主さまやはらぴょんさまにはない視点からのご感想に、大いに期待しています。遠慮なく思うところを語って下さいね!



 はらぴょんさま
> 錯綜するリアル、複数化する自己

 いよいよ、舞台をここ「花園」に移しての討論・笠井潔をめぐってが本格化してきて、「花園」もにわかににぎやかになってきましたね。
 資料の読み込みまでなさっているはらぴょんさまには、とてもついていけそうにありませんが、ボクも書けることがあったら書かせていただきますので、よろしくお願いいたします。





( 以下は「世界の広さ(4)」につづく)


世界の広さ(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月29日(木)13時59分16秒


 今さら言うまでもないことなんですが、ボクたちがこうしている間にも、イラクではアメリカ軍が使用した「劣化ウラン弾」のせいで、子供たちが日々死んでいます。そんな「アメリカの戦争」を無条件に支持したのが、わが日本だということを、すでに忘れかけてる人もいれば、そもそもイラク攻撃のきっかけが「イラクの大量 破壊兵器の保持」というアメリカのデマにあったことを、忘れている人も少なくないでしょう。
 もちろん、タリバン政権が打倒されたあとのアフガンの惨状を知っている日本国民なんて、100人に1人もいないんでしょうね。
 ・・・こうやって、アメリカの同盟国である日本の国民は、自分たちの国がかかわった「海外での虐殺行為」から目をそらし、趣味娯楽を含む日常生活に没入耽溺することで、それをどんどん忘れていくんです。

 で、つぎに日本人が自衛隊の問題に注目するのは、自衛隊の多国籍軍への参加が決まった時ではなく、自衛隊員がイラクで殺された時か、自衛隊員がイラク人捕虜の虐待で訴えられでもした時なんでしょう。でも、そんなこともすぐに忘れ去られてしまい、そのつぎに日本人が自衛隊の問題に注目するのは、自分の身の回りの人たちが、戦争にとられるようになった時なんでしょう。

 だって、本格的に「アメリカの戦争」に狩り出されるようになれば、兵卒として自衛隊に入りたがる人なんか減るに決まってますからね。アメリカの世界戦略防衛構想からしても、日本は自衛隊の規模を大きくしないわけにはいきません。そうすると、いやでも兵員を増やさないわけにはいかない。高価で高性能な武器だけを買い揃えたって、軍隊にはならないんですからね。
 さらに言うと、今は優遇されてる自衛隊員の海外出張費も、海外派遣が常態化すれば、アメリカ軍なみに下落するのは目に見えています。つまり、今の自衛隊員の給料はバブル状態にあると言っていい。今は「飴」をしゃぶらされているんです。でも、ただでさえ財政が苦しいのに、いつまでも「一兵卒」に高い給料を払ってなどいられなくなるのは、見え透いたことなんですよね。

 つまり、いずれは、自衛隊に入りたいとも思っていない人の中から、戦争にいかなければならない人たちが出てきて、その人たちは安月給で命を危険にさらさなければならなくなり、場合によっては意にそわぬ 人殺しまでしなければならなくなる、ということです。

 日本が深くかかわっている世界情勢は、今のところ、耳を塞ぎ目を閉ざしていても、生活に何の支障も与えません。でも、テレビのむこうで展開する世界情勢は、決してドラマでもなければ夢でもない。スイッチを切っても、朝、目を覚ましても、消えてなくなっていることなんて、金輪際ないんです。それらはすべて、間違いなく、ボクたちの日常と地続きの場所で起っていることなんです。





( 以下は「世界の広さ(3)」につづく)


世界の広さ(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 7月29日(木)13時58分20秒

 みなさん、こんにちは! 暑い日が続いてますね。ボクも暑いのは苦手で、すぐクーラーの効いた部屋に入っちゃうんですが、それでも部屋を一歩出たら、外は灼熱地獄。いやでも夏だということを思い知らされますから、なかなか「喉元すぎれば熱さを忘れる」というわけにはいきません。
 でも、そういう逃れられない状況にでもないかぎり、人間は必ずそこから逃れようとするものだし、完全に逃れてしまったら、そうした苦しみをあっさりと忘れてしまいがちです。でも、ボクたちには、たとえ嫌なことであっても、忘れてはならないことがあります。例えばそのひとつが、イラク情勢であり国際情勢なんです。

 最近、めっきり報道が減りましたけど、イラクはそれだけ落ち着いたんだと思いますか? 当然、そんなことはありません。

『カタールの衛星テレビ局アルジャジーラは28日夜(日本時間29日早朝)、イラク武装勢力が拉致していたパキスタン人2人を殺害したと報じた。イラクでは外国人拉致事件が相次いでいるが、イスラム諸国出身者が殺害されたのは初めて。 』(asahi.comより)

なんて、情勢の悪化を伝えるニュースや、

『イラク中部バクバの警察署近くで28日午前、自動車爆弾が爆発した。ロイター通 信は、イラク保健省当局者の話として、70人以上が死亡し、30人以上が負傷したと伝えた。31日にバグダッドでの開催が決まった国民会議を直前に控えての惨事で、6月末のイラク側への主権移譲後に起きたテロとしては最悪のものとなった。また、バグダッド南方のスワイラでは治安部隊と武装勢力が衝突し、40人以上が死亡したと伝えられている。』(asahi.comより)

なんて事件も起っています。あるいは、日本ではすっかり風化してしまった感のある「捕虜虐待問題」に関しても、

『英兵の暴行などで家族が死亡したとしてイラク人らが28日、英高等法院に、独立の司法調査による事件の解明を求めた。遺族側の主張が認められれば、関与した兵士らが英国の刑事法廷で裁かれる可能性が高まる。』(asahi.comより)

なんて話が出てきています。

 そんななかで、日本の自衛隊は今も「給水活動」をしているはずなんですが、「そんな小さな話」は、もはや日本国内ですら、話題にもニュースにもなりません。まして、直接「給水」の恩恵にあずかっている以外のイラクの国民が、自衛隊の活動に感謝してるなんてことは、絶対にありえないでしょうね。

 そもそも、イラクの人たちは「日本の自衛隊」に対して、学校や病院の補修や建築といったこと(かつて日本の企業が担った仕事)を期待してたそうで、それに応えられないと「まずいことになるんじゃないか」という報道が、自衛隊が派遣された直後には、日本でもなされていましたよね。当然、自衛隊は、そんなイラク人たちの期待には応えず、「給水活動という日本国内向け表看板」の影で、アメリカ軍の後方支援をしているわけです。――でも、日本では、もうそんなことは問題にならないし、問題にしたくもない、というのが、平均的な日本人の正直な気持ちでしょう。だからこそマスコミも、政府に報道管制を布かれるまでもなく、「イラク報道」を自粛することができるんです。





( 以下は「世界の広さ(2)」につづく)


健全な知性(7) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時34分26秒

 Keenさま
> 追悼・中島らも

あくまでも印象の話なのでございますが、結局のところ、中島らもという人は、薬に依存する「弱さ」を持っていたように、私には感じられます。警察につかまって「もうやりません」みたいなことを言い、外に出た途端「あんなの本気じゃねえよ」みたいな強かなポーズを見せてはおられましたが、やはり私からすれば、あれは単に「ツッパリきれない小心者が、見栄をはってカッコをつけていただけ」のように思えてならないのでございます。

結局あの方は、酒に呑まれ、薬に呑まれ、状況にも呑まれていただけ、なのではないか。その意味では、警察が「それ見ろ、あの死に様」と言いたくなるような、――議論されてしかるべきドラッグ問題に関して、悪い影響だけをのこす―― 悪い死に方だったのではないかと存じます。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


健全な知性(6) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時33分24秒


 時雨さま(つづき)

それから、若者が『世間を知らない』のも当たり前のことなのですから、恥じる必要はございません。ただ、渡る世間には鬼もおりますから、自分の経験の乏しさを自覚しておいても損はない、というだけの話でございます。
前回私が、「世間知らずの若者」と書かずに、わざわざ『「世間」を知らない若者』と書いたのも、じつはそういう含みがあったからなのでございます。つまり、「世間知らず」というのは「(世間を知らないという属性を持つ)否定的な存在」を指す言葉でございますが、『「世間」を知らない』という形容そのものは「事実(属性)」を示すだけで、そこに「価値判断」を含まないのでございます。
――私は、大胆なことをズバズバ言う人間だと思われているかも知れませんが、よく読んでもらえれば、言い回しは結構慎重なのでございますよ(笑)。

> このように僕はお二方に比べれば未熟で無知な若輩者ですが、「ジャンルXのファンから見た笠井潔」という視点で何か言えまいか、と思いここに書き込ませていただきました。

お若いのですから、年長者である私たちより、人間的に「熟達していたり」、「知識があったり」しては、我々の立つ瀬がございません。ですから、そのあたりのことは我々に一応任せておいて(笑)、貴方さまはご自分の美点長所を、討論に生かして下さいまし。またそれが、貴方さまのおっしゃる『「ジャンルXのファンから見た笠井潔」という視点』ということなのでございます。これだけは、逆立ちしても、私には真似のできないことでございますからね(笑)。

――もっとも、世間には「本」を読んで、若者を理解したつもりになり、

「セカイ系、脱格系の作品は往々にして、主人公の自分語りを用いはします。とはいえ彼らは、外界と独立した確固たる近代的自我を抱えているわけではなく、他者からの(あるいは他者に対する)承認・否認のあいだでぐらぐら揺れながら、かろうじて自身の輪郭を保っているに過ぎない。何せ、社会領域を通 過しないコミュニケーションでは、こちらから送ったメールはしばしば宛先不明で戻ってくるし、逆に、誰とも知らぬ 相手から不意にケータイに電話がかかってくるかもしれないのですから。」

なんてことを教科書どおりに語る、大平楽な「世間知らずの読書バカ」の年寄りも、結構いるのでございますが、そのあたりに対する率直なご感想も、是非お聞かせ願いたいと存じます(笑)。





( 以下は「健全な知性(7)」につづく)


健全な知性(5) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時32分39秒


 時雨さま(つづき)

また『読書人』というのも「読書をする人」という意味でしかなく、べつに人間の(あるいは、頭の)中味を保証するものではございません。その意味で、ご自身が『読書人』ではないからといって、引け目を感じることはございません。

だいたい、買った本を全部紹介してみせる(他人にひけらかす)人や、読んだ本についてすべて書評を書く等といった人は、ほぼ間違いなく「バカ」でございます。何冊読んでいようと、どんな本を読んでいようと、そういう人は「本質的にバカ」なのでございますよ。

ま、ともあれ、私もそうですが、酒も飲まず、女遊びもせず、博打もしないで、ただただ本を読んでいる人間が、「本をたくさん読んでいる」とか「たくさん、ものを知っている(書物的知識を有している)」というのは当たり前のことで、べつに自慢するようなことではありません。まして、私は貴方さまよりも20年ちかく余分に生きてきて、本ばかり読んできたのですから、本をたくさん読んでいるというのは、当たり前の物理的必然に過ぎないのでございます。

それに私の場合は、活字本を読みはじめたのは、高校からと遅かったので、今の貴方さまの年齢の頃なら、まだ京極夏彦は読みこなせなかったでしょうし、東浩紀なんて齧ることもできなかったでしょう。

私は、子供の頃はマンガばかり読んでいた子供でしたし、中学時に『宇宙戦艦ヤマト』、高校時に『機動戦士ガンダム』の洗礼を浴びた「第一次アニメファン世代」、つまり「前オタク世代」なのでございますから、時雨さまの「オタク」ぶりなど、ぜんぜん何とも思いません。なにしろ私の自慢は、同年に、かの宮崎勤上祐史浩などがいることなのですからね(笑)。さらに自慢話をいたしますと、私は高校の時、漫画部の副部長をやっておりましたし、『アニメージュ』誌は創刊号から200号まで揃えで持っておりますし、『機動戦士ガンダム』の「初放映時の録音(カセット)テープ」を、今も持っているのでございます(笑)。





( 以下は「健全な知性(6)」につづく)


健全な知性(4) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時31分25秒


 時雨さま
若造の上ですが、精一杯やらせていただきます

謙虚で誠実な御文に、好感を持ちました。――正直に打ち明けますと、前回かなり厳しい書き方をしたのは、ひとつには、貴方さまを試す(突ついて反応を見るという)意図があったからございます。
たしかに前回も『お書き込みいただいたご文を拝見すれば、時雨さまが真面 目な方なのは重々承知しているのでございますが』などと書きましたが、あれはあくまでも「表面 的な評価」でしかなく、あの段階で、貴方さまの『真面目』さをそのまま信用していたわけではございませんでした。なにしろ、あの段階での貴方さまは、どこの誰とも知れない人物であり、私にはここの管理者としての責任がございましたから、貴方さまがここ「花園」で意見を交わすに値する人物かどうか、それを試さずにはいられなかったのでございます。
そんなわけですので、たいへん失礼をいたしましたが、悪しからずご容赦下さいまし。

では、今後は対等な議論の仲間として、忌憚なく語り合いましょう。

> 僕自身は某三流私大で歴史を専攻する大学生で、現在最大の関心を寄せているのはそちらの方になります。
> 歴史の資料などとは別に個人的な読書もしますが、あまり良い読書人とは言えないと思います。こちらで時折話題に上る京極夏彦や東浩紀などをかじったりしていますが、多く読むのは娯楽としてのライトノベルや漫画です。
> 後はゲームやアニメなども楽しみます。つまりいわゆるオタク、アレクセイ様の発言を借りれば『「世間」を知らない若者』ですね。

『某三流私大』などという書き方は、止めた方が良うございますよ。それでは「謙虚」ではなく「卑下」にしかなりませんし、「卑下」には往々にして「慢心」が付き物だからでございます。

言うまでもなく、人間の価値を決めるのは学歴ではございません。貴方さまは『某三流私大』かも知れませんが、私は「高卒」でございます。しかし、それを恥じているわけではございません。なぜなら、例えば、ミステリ作家や評論家には、東大や京大といった「一流国立大学」を出た人が少なくございませんが、彼らのやっていることはといえば、「大学除籍」で実質「高卒」を自慢する笠井潔に引きづり回され、「探偵小説研究会」や「本格ミステリ作家クラブ」を作り、凡庸な利益誘導活動にあけくれる、といった程度のことで、すこしも「知的」ではないからでございます。

「探偵小説研究会」には東大卒もいるはずでございますが、そんな人たちが高卒の私に批判されて、まともな反論ひとつできず、苦しまぎれに「余裕の薄ら笑い」を演じてまで「沈黙」せねばならないというのですから、「学歴」など、「人間の格」には何の関係もないのは、明らかなことでございましょう。そもそも、「一流大学」を出た彼らが、人間としては「二流」「凡庸」だというのは、「大学除籍」を自慢する「二流批評家」に手もなく牛耳られている事実からも、すでに明らかなのでございます。





( 以下は「健全な知性(5)」につづく)


健全な知性(3) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時29分19秒


 はらぴょんさま
「Z文学賞選考会」

> ・「ユリイカ」(青土社)の8月号は、「特集・文学賞 A to Z 」で、『文学賞メッタ斬り!』の大森・豊崎コンビと、島田雅彦による「Z文学賞選考会」の模様が載っています。要注目。この「Z文学賞選考会」でも、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」がとりあげられています。(Aは、芥川を指すようです。)

ご紹介ありがとうございました。さっそく、今日購入してまいりましたが、ざっと見た感じでは、内容はさほど濃いものではなさそうでしたね。『文学賞メッタ斬り!』に便乗した、軽い読み物特集という印象でございました。

島田雅彦は「瞠目・反文学賞」の時に注目して、かなり失望させられた人物でございます。結局この人は、「エエカッコしい(気取り屋)」なんですが、「へたれ」の部分があって、最後まではツッパリきれない「半端な人」なのでございます。福田和也との馴れ合いめいた関係が、その良い証拠でございましょう。

> ・現在、舞城王太郎『九十九十九』の読書中ですが、これは今後「討論・笠井潔をめぐって」とも関係してくる内容を含んでいます。直接関係してくるのは、P272〜275とP516〜519ですが、この小説の内容自体が興味深い主題を含んでいます。(しかし、難しいテーマの小説だこと!)とりあえず、予告編ということで。

舞城王太郎は、私が注目する数少ない若手作家でございます。
『文学賞メッタ斬り!』で豊崎由美も言っておりましたが、舞城は「文体」意識のある数少ない若手作家であり、かつその文体は個性的で何より「力」がございます。「うまい」若手というのは結構いるのでございましょうが、「力」のある文体をもった若手作家は、ちょっと他には見あたりますまい。また、舞城は「繊細さ」と「太々しさ」が同居した作家で、その意味でも反時代的に不器用な作家だとも存じます。事実、文学賞の授賞式もふくめて、一切マスコミの前に姿を出さないという態度ひとつ取ってもみても、その個性は本物だと申せましょう。
たしかに、作家としても作品としても、バランスが悪く、完成度の点で問題を残すのではございますが、とにかくこんなユニークな作家は他にはおりません。もうひと皮むければと、思わず期待させる作家なのでございますね。

ちなみに、私が某所で会った某編集者は、いま注目する若手という話題になった時に、私が舞城王太郎の名を挙げると、なぜだか途端に不機嫌になってしまいました。その不機嫌の理由は語られないままだったのですが、ともあれ、嫌われるというのもまた、非凡な才能ゆえなのだと、私は意を強くしたのでございます(笑)。

なお、私はすでに『九十九十九』は読んでおります。ほかに読んだのは、デビュー長編『煙か土か食い物』と短編集『熊の場所』。あと二、三冊は買っておりますが、当分は読めないものと存じます。

錯綜するリアル、複数化する自己[17]〜[20]

こちらについては、後日別枠で。





( 以下は「健全な知性(4)」につづく)


健全な知性(2) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時28分0秒


 賢ちゃん
こないだ8時間カラオケをしたと思ったら、今度は入院か。まったく落ち着かない奴だなあ(笑)。

前々からわずらっていた鬱が思わしくないので入院するってことだけど、そりゃあ、こんなご時世で面 白くもない仕事をしていれば、鬱が良くなる理由なんてないだろうな。たしかに安心して入院してられる身分ではないんだろうけど、最後は健康あってのものだねだからね、今は開き直って、ゆっくり養生することだよ。もちろん、君が開き直れない性格だということは重々承知しているけれど、いまさら先のことを気に病んでも仕方がないんだし。

日記にも書いてたとおり、今は入院中に「本を読もう」とか「看護婦さんと仲良くなろう」とか、そっちの方を考えとけばいいんだよ。―― 本の方は書いてたけど、看護婦さんの方も……考えてはいただろう?(笑)

ま、他人の病気はどうしようもないからな、私としては、君を信じて待つしかない。一ヶ月なんて、あっという間だよ。こんなことでもなきゃ、与えられることのない時間なんだから、バカンスのつもりでその時間を大切に楽しんでくれ。人生は一度なんだ。楽しまなきゃ損だよ。





( 以下は「健全な知性(3)」につづく)


健全な知性(1) 投稿者:園主  投稿日: 7月29日(木)00時27分12秒

みなさま、私、昨日、米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川文庫)を読了しました。本書は「第33回大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した作品でございますが、「文学賞受賞作」などという「俗なレベル」をはるかに超えた、稀有の名著だと申せましょう。

なにより 本書の強さは、著者の「明朗で真率な精神」と「稀有な経歴」とが、奇跡のように出会ったところにございましょう。つまり、「才能」だけでも「経験」だけでも書けないものが、この本にはあるのでございます。具体的に言えば、

『本書は二〇世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点であざやかに切りとった歴史の証言の書でもあります。個人史の本も、現代史の本も、個別 に存在しているものの、両者をみごとに融合させたという点で、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はまれに見るすぐれたドキュメンタリー作品に仕上がったのでした。』

と、斎藤美奈子が「解説」で書いているとおりなのございます。

本書を構成する「リッツァの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「白い都のヤミンスカ」の3本の中編は、それぞれに、著者が1960年から1964年まで通 っていた、チェコスロバキヤの首都にあった「在プラハ・ソビエト学校」時代の友人、リッツァ、アーニャ、ヤミンスカという女友達の思い出から書き起されます。
各国共産党の国際交流機関としての機能をはたしていた『平和と社会主義の諸問題』誌編集部に、各国を代表して派遣されてきていた人たちの子女が通 う学校が、この「在プラハ・ソビエト学校」であり、当然著者の父親も、その編集部に在籍する社会主義活動家でございました。50カ国以上もの子供たちが学んでいたこの学校で、それぞれに著者と心を通 わせた個性的な少女たちは、しかし、やがておとずれた東欧の激動の歴史の波間で別 れ別れになってしまいます。
ソビエトが解体し、ヨーロッパにおける社会主義が壊滅した後年、著者は、この懐かしい友人たちを尋ね歩き、奇跡的な再開を果 たすのでございますが、その後の3人には、それぞれに「理想と現実」の間で引き裂かれた、東欧社会主義の歴史が深く印されていたのでございます。

本書の優れたところは、一種の理想主義として出発した「社会主義」「共産主義」の現実を、その良い面 も悪い面も、分け隔てなく率直に描いている点であり、その意味で著者が立っているのは(よくある)観念的な「政治的立場」ではなく、否応のない「人間の現実」なのでございます。ですから、著者の描き出す人間の「業」は、時に「政治」や「歴史」さえも超えて、より「深く」「暗く」絶望的なものとさえ映ります。しかし、そうした「人間の現実」と直面 しながらも、どこかで人間を愛し信じることをやめられない著者の明るい強さが、一条の光のごとく、本書の読者に希望の光を投げ掛けるのでございます。

安易な希望に逃避することなく現実を直視し、それでいて絶望の淵に沈むことのない強さ――。 本書に描かれているのは、そういう健全な人間精神の手触りなのだと存じます。





( 以下は「健全な知性(2)」につづく)


錯綜するリアル、複数化する自己[20] 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月28日(水)22時13分52秒

(6)ここまで見てきたように『九十九十九』は、舞城の創作観や、ミステリ観が剥き出しになった作品といえる。誤配もしくは遅配によるタイムスリップで、三人の「九十九十九」が誕生するが、ひとりめは「オリジナル」と呼ばれる「九十九十九」であり、この作品世界の創造主である「清涼院流水」を探し、単一の現実に到達しようとする。ふたりめは「コピー」と呼ばれる「九十九十九」であり、「オリジナル」の「九十九十九」が行っている真実さがしをナンセンスだと否定し、複数の虚構の中で生きようとする。そして、三人目はこのふたりの「九十九十九」を俯瞰的に見ている「九十九十九」である。推測するに、舞城本人はこの三人の「九十九十九」を抱え込んだ人間ではないか、と推測される。しかし、それは舞城ひとりだけの問題ではない。私たちにしても、単一の現実に向かおうとする「オリジナル」の部分と、複数の虚構の中で戯れようとする「コピー」の部分と、両者に没頭できない醒めた部分とが混在しているのではないか。とすれば、この小説は私たちの姿を映しだす鏡として機能するのではないか。


錯綜するリアル、複数化する自己[19] 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月28日(水)22時12分10秒

(3)各章で起きる残忍な事件に対し「九十九十九」は推理をして解決を行うが、「九十九十九」は現場に着く前に推理を用意していたり、事件の黒幕が「九十九十九」であったりする。「九十九十九」の推理は、ミステリ・マニアの期待に応えるための意外性を帯びているが、その中身はこじつけの連鎖であり、「後期クイーン的問題」以降の探偵であることがわかる。「九十九十九」は、決して推理を持って真実を射抜くことができないということを、あたりまえの認識としている。
(4)『九十九十九』に登場する「清涼院流水」は創造主の如きポジションを得ているが、神としての「清涼院」に対して、容赦ない言葉が炸裂する。P143で、昔は<流水大説>を書いていたが、<述べる主>となり、<述べ足り内/述べ切れ内>となり、<脳辺那井>となり、<もうお前とは喋ってやんねー世>となり、現在<意味判らせてやらねー世>になっているというのだ。『九十九十九』において、神といえども絶対者ではないし、全知全能でもない。神もまた「後期クイーン的問題」もしくは「不完全性原理」に従う。
(5)P516からP520の記述には、清涼院流水・島田荘司・笠井潔・京極夏彦・竹本健治らの名前がみられ、この作品が彼らを意識して書かれていることが伺われるが、P272からP274では、最近のミステリ評論の中の「大量 死理論」に対する反発の言葉がみられる。無論、「大量死理論」とは笠井潔の唱えた理論である。
「世界大戦中に発生した大量死への反発が<特権的な死を死ぬ>ための装置としての推理小説の隆盛を呼んだという考え方があるらしいが、推理小説における死は本当はまったく特権的なものではない。本物の特権的な死というものは皆に惜しまれて死ぬ 死であり病苦に耐えて生命の活力を全て使い果たした挙句にやってくる死であり家族や友人や多くの知らない人たちに看取られる死であり死にたくて死にたい方法で死にたいときに死ぬ 死であり死ぬべくして死ぬ死である。特権的な死とはあくまでも現実で日常にある、穏やかで威厳に溢れた死だ。誰もおかしなトリックを使われて殺されたいとは思わない。」
「九十九十九」は、『聖書』とかの見立てのために、自分が殺されることは望まないとし、そんな死は決して特権的な死ではない、と反発する。


錯綜するリアル、複数化する自己[18]  k 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月28日(水)22時10分34秒

さて、舞城王太郎の『九十九十九』(講談社ノベルス、2003年)は、一筋縄ではいかない作品である。
(1)舞城の『九十九十九』は、<JDC TRIBUTE>の一冊として刊行された。<JDC TRIBUTE>とは、清涼院流水のJDCシリーズ(『コズミック』『ジョーカー』『カーニバル・イヴ』『カーニバル』『カーニバル・ディ』『彩 文家事件』)の設定を踏襲して書かれた作者と出版元公認の作品であり、現在のところ西尾維新『ダブルダウン勘繰郎』(講談社ノベルス)と、大塚英志原作・箸井地図漫画『探偵儀式』(角川コミックスエース)が刊行されている。舞城の『九十九十九』は、清涼院のつくったキャラクター「九十九十九」を基に、独自の世界を構築する。清涼院の作品に出てくる「九十九十九」とは、日本探偵倶楽部(JDC)第一班のひとりで、探偵神といわれ、その美貌は人を失神させるほどなので、常にサングラスをしているという設定になっている。舞城は、このキャラクターを改変し、美による失神を回避するために、義母から目をくり貫かれたり、自ら顔をそぎ落としたりする設定にしてしまう。
(2)『九十九十九』は、登場人物「九十九十九」が、清涼院流水から届く小説を読むという設定になっている。第二章の「九十九十九」は、第一章の「九十九十九」の出てくる物語を読み、第三章の「九十九十九」は、第一章と第二章の「九十九十九」の出てくる物語を読むという設定である。第一章を読む段階では、この物語は真であるが、第二章を読む段階では、第一章は虚構となる。舞城はP515で、これが竹本健治の『匣の中の失楽』や「ウロボロス」シリーズからの踏襲であることを明らかにしている。
しかし、このメタ・フィクションの造りは、複雑である。清涼院流水から届く小説は、胎内に形作られ、なんども「九十九十九」は切開をして胎児としての小説を受け取る。この切開による出産という表象は、この物語が作品の創造に関する物語であることを示している。
各章には「九十九十九」が登場するが、その傍らにいる女性名は統一性がない。この物語は、単線的に展開する判りやすい話ではない。
さらに、清涼院流水から届く小説は、どうやら誤配や遅配があるようで、第三章の後に、第五章、第四章、第七章、第六章と続くのである。その結果 、それを読んだ順番によって「九十九十九」が三人に分裂する、とされる。(という強引なストーリー展開の小説なのである。)IFもの、パラレル・ワールドものに、読み親しんでいる読者ならば、この三人の「九十九十九」はありえたかもしれない「九十九十九」の可能性を示したものといえる。また、この構成によって、読者にとって最終話と最終章が分裂することになる。


錯綜するリアル、複数化する自己[17] 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月28日(水)22時07分12秒

矢吹駆はナディアに、名探偵は幾多ある等価の仮説の中から「なぜ一回きりの企てで正しく推論することができたのだろう。」と問い、その答えを「初めから知っていたのさ。」とする。(『バイバイ、エンジェル』角川文庫版P41)一度きりの企てで、真実を射抜くことができるのは、現象学的本質直感だから、というわけである。
ところが、最近の笠井潔は「論理的に、探偵は唯一の真実に達することは「できない。」」(『本格ミステリ これがベストだ! 2004』創元推理文庫P33)と書いている。この認識の変遷の影には、「後期クイーン的問題」がある。
法月綸太郎にとって問題化した「後期クイーン的問題」とは、エラリー・クイーンの後期の作品(たとえば『九尾の猫』)では、犯人が探偵の推理を推理して、その裏をかくという事が行われているという。その結果 、探偵は誤謬推理を行い、その誤謬のせいで死者が出て、煩悶することになる。
これは、柄谷行人が『隠喩としての建築』で、問題にした「ゲーデル的問題」のミステリ版である。数学者クルト・ゲーデルの唱えた不完全性原理とは「ある無矛盾の公理系のなかには、Aも証明できないしAの否定も証明できない、というような命題Aが存在する」(第1不完全性定理)と、「公理系が無矛盾であるかぎり、公理系はおのれの無矛盾性を証明できない」(第2不完全性定理)というものである。柄谷は、あらゆる思考体系は形式化を突き詰めると「ゲーデル的問題」に至るとし、そこから脱構築の糸口をさぐろうと企てた。
「思考機械」とも呼ばれた柄谷だが、「ゲーデル的問題」によって、当時の柄谷は思考停止に陥り、書けない状態に陥った。一方、法月綸太郎もまた「後期クイーン的問題」によって思考停止に陥り、ミステリが書けなくなる。<歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として?>
(注) 「思考機械」という言葉から、私はジャック・フットレルの『思考機械の事件簿』を想起する。柄谷を「思考機械」と呼びはじめたのは誰か知らないが、この本を意識したのではないかと夢想する。
ともかく、「後期クイーン的問題」が議論に上るようになってから、それを意識する書き手の作品の中身が変わったのは事実である。舞城王太郎の描く九十九十九は、明らかに「後期クイーン的問題」以降の探偵である。


追悼・中島らも 投稿者:Keen  投稿日: 7月28日(水)14時55分48秒

なんだか、ウソみたいな話。ネタじゃないの?
階段からすってんころりで頭打った、なんて……亜愛一郎(by泡坂妻夫)じゃあるまいし。
らもさんと亜くんの違いは運動神経だった、ということでしょうか。
『白いメリーさん』(講談社文庫)でいたく感じ入りましたが、他の作品はまだ読んでないので、そのうち書店で追悼フェアやるだろうから、『ガダラの豚』あたりから読んでみようかな。

お休み中に仕込んだネタはいくつかあるのですが(「パンツと『葉隠』」とか)、そのうち文章にまとまる……かも。(;^_^A
あ、本多さんが寄稿したという『現代詩手帳』(←でしたっけ?春日井建特集の)って、もう発売されてるんでしょうか?どっちみち、近所の書店にはないんだけど……苦苦苦☆

復帰早々の賢ちゃん、また帰って来てね。

時雨さま、あまりカタくならず、お気楽にどうぞ。私、やおい他ミーハー担当のKeenです。マンガはどういうのがお好きなんでしょう?週刊少年ジャンプ連載の『デスノート』(原作・大場つぐみ/漫画・小畑健)なんかは、最近話題になってますね。私は、月(ライト)よりもLが好きです。(^0^*

ではまた。


入院。 投稿者:賢ちゃん@入院  投稿日: 7月27日(火)11時34分39秒

明後日よほどのアクシデントがない限り、
あっちゅー間に入院とあいなりました。
一応ご報告の程を。
あ、お見舞いとか一切不要ですから。マジで。
つーか、お見舞い返しするのが、面倒なので(w
だから、入院先も一切秘密です。
尚、入院先では携帯禁止ですので、
多分、連絡がとれるのは、一ヶ月先になると思われます。
取り急ぎ、ご報告の程を。
では、また。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/6709/


若造の上ですが、精一杯やらせていただきます 投稿者:時雨  投稿日: 7月27日(火)03時04分54秒

アレクセイ様、はらぴょん様
丁寧な返答ありがとうございます。必要なのは「真剣」と「誠実さ」ですね、わかりました。肝に命じておきます。
僕自身は某三流私大で歴史を専攻する大学生で、現在最大の関心を寄せているのはそちらの方になります。
歴史の資料などとは別に個人的な読書もしますが、あまり良い読書人とは言えないと思います。こちらで時折話題に上る京極夏彦や東浩紀などをかじったりしていますが、多く読むのは娯楽としてのライトノベルや漫画です。
後はゲームやアニメなども楽しみます。つまりいわゆるオタク、アレクセイ様の発言を借りれば『「世間」を知らない若者』ですね。
このように僕はお二方に比べれば未熟で無知な若輩者ですが、「ジャンルXのファンから見た笠井潔」という視点で何か言えまいか、と思いここに書き込ませていただきました。


「Z文学賞選考会」 投稿者:はらぴょん  投稿日: 7月26日(月)23時31分15秒

園主さま
・メールアドレスの訂正、ありがとうございました。
・「ユリイカ」(青土社)の8月号は、「特集・文学賞 A to Z 」で、『文学賞メッタ斬り!』の大森・豊崎コンビと、島田雅彦による「Z文学賞選考会」の模様が載っています。要注目。この「Z文学賞選考会」でも、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」がとりあげられています。(Aは、芥川を指すようです。)
・現在、舞城王太郎『九十九十九』の読書中ですが、これは今後「討論・笠井潔をめぐって」とも関係してくる内容を含んでいます。直接関係してくるのは、P272〜275とP516〜519ですが、この小説の内容自体が興味深い主題を含んでいます。(しかし、難しいテーマの小説だこと!)とりあえず、予告編ということで。

http://media.excite.co.jp/book/news/topics/089/



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