●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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今の日本人の「象徴」(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月30日(木)22時52分22秒


 アーニャ

> 先日ちょっと猫風邪引いて、私はわりとすぐに回復したんだけど、Keenさまがヒト風邪こじらせちゃったのよね。一度は熱も下がって、もう大丈夫かと思ったのに、ずるずると……夏風邪って、治りにくいのかしら。

今日、別の要件で、Keenさまに電話したんだが、もうずいぶん良くなっておられたようで、安心したよ(笑)。

でも、まだ本の片づけに頑張っているというから、つい腹が立って、いらない本を送りつけてしまった。おまえ宛ての「猫の本」も入っているから、処分されないように見張っててくれよ(笑)。



 ホランド

>> それと今日は、前々から気になっていた大長編記録映画『SHOAH ショア』(クロード・ランズマン監督)のDVDが出ているのを発見してしまった。同監督の同じく記録映画『ソビブル、1943年10月14日午後4時』と合わせて、5枚組で定価23000円(税別 )だ。さすがに今日は見送ったんだが、気になってしかたがない……。

> それはボクも観てみたいけど、高いなあー・・・。

幸いと言うか何と言うか、ひとまず『SHOAH ショア』の購入は思いとどまっているが、その反動もあって、また別 のDVDを買ってしまった。
『薔薇の名前』(ジャン=ジャック・アノー監督)だ。ビデオも持っているので悩んだんだが、特典映像として『ドキュメンタリー:ウンベルト・エーコのT薔薇の名前U(約43分)』というのがついていたので、これに惹かれて買ってしまった……。

あと、イタリア語版原書『薔薇の名前』の初版本が入手できれば、完璧なんだけどなあー。――と、まったく懲りない私であったが、『薔薇の名前』自体、古書がらみの作品であれば「キーチガイデモ、シカタガナイ」と言ったところだろうか。





それでは、みなさん、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


今の日本人の「象徴」(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月30日(木)22時51分41秒


 時雨さま

>> ふ〜む。さしたる考えや信念もなく、つまり「天然」で、『トリックなんてパクればいいんですよ』などと言ったのだとしたら、それはそれで凄うございますよね。

> そうかもしれませんね。佐藤は極端な例だと思いますが、こういった意識は「ファウスト」世代の作家全員に多かれ少なかれ持っているものだと思いますよ。
> かつて清涼院の生んだ流れがこういった形に結実してしまったわけですが・・・

『かつて清涼院の生んだ流れがこういった』天然として『結実』したのだというご説明には、説得力を感じます。そもそもこうした「天然」性は、私の理解を超えたものでございますからね。人様から、ああした言動に「深い意味」なんて無いんだよ、と言われれば、そういうこともあるのかと一応の納得はするのですが、なにしろ実感がございませんから、つい「深読み」をしてしまうのでございます。

ところで、精神科医 香山リカは、その著書『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)の中で、今の日本人には、精神医学でいうところの「解離」の傾向が広くハッキリと見られる、という指摘をしております。

『 そういった無気味な予兆に対して、人々はT最後の抵抗Uを試みようとしているように見える。つまり、「社会の表面 ではいろんなことが起きているように見えるけれど、実際にはそんなに世の中が変わるわけないよ」と思うことで、不安を打ち消そうとするのだ。
 そういう態度を取る際、よりどころとなるのは、「自衛隊がイラクに行こうと行くまいと、私たちの日常には大きな変化はないじゃないか」というT他人事感覚Uだ。逆に言えば、それを持つことによりかろうじて私たちは、大問題を自分から切り離し、不安や恐怖を感じずに平気を装おうことができるわけだ。このT他人事感覚Uは、この時代を生き延びる術として人の心が作動させている防衛メカニズムのひとつ、と考えられる。精神医学的には、このメカニズムを「解離」と呼ぶ。
 学生たちと話していても、「まあ、僕までが徴兵される、なんていうことはないだろうから」と当事者意識を持たないようにすることで、このイラク派遣問題から身を遠ざけようとする態度が目につく。』(P81)

つまり、本来ならば当然関連づけて考えるべき事項を、それをすると厭なことを考えなければならなくなると本能的に察して、なかば無意識の「切り離し」を行う、という心理的メカニズムを「解離」というのでございますね。

ですから、本来『トリックなんてパクればいいんですよ』などと言えば、「本格ミステリに青春を捧げ、斬新なトリックの案出に苦闘を重ねてきた、諸先輩がたの顰蹙を買うのは目に見えている」と、とうぜん関連づけて考えるのが「自然」な事項についても、その「自然」な関連づけがなされず、自分の正直な感想が、他の配慮すべき事項とは切り離されて、無防備にポッと出てくる。――これは、「何も考えていない(=天然)」と言うよりも、むしろ「あれこれ気をつかってたら、頭がおかしくなってしまう」と感じるような、脆弱(繊細)な神経の持ち主ほど、こういう「解離」を起しやすい、ということなのかも知れないのでございます。

ですから、清涼院流水のような「別格」は別にして、清涼院の影響をうけて生まれたかのような、今の若手ミステリ作家たちが、本当に「天然」と呼べるかどうかは、なお疑問の余地を残すと申せましょう。

もちろん、いずれにしろ、本人たちにその「(必要な)自覚がない」という点では、「天然」と同じなのかも知れません。つまり、故意にボケている(天然を演じている)わけではない。――けれども、彼らは「病んでいる」、ということなのかも知れないのでございます。


> いずれ金銭的・時間的な余裕が出来ればその文章はこちらに上げます。
> ジャンル云々を別にしても興味深い文章だと思いますので。

それは申し訳ないので、私の方で購入なり何なりして入手したいと思います。どの本に、佐藤友哉の問題発言が載っているのか、詳しくご教示下さいまし。





( 以下は「今の日本人の「象徴」(4)」につづく)


今の日本人の「象徴」(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月30日(木)22時50分45秒

宮台真司の仮定的な問いに「ばれるウソをつかなかったとしても、手順を踏んでいたとしても、アメリカのイラク攻撃に正当性はなかった」と答える権利を有する日本人は、宮台の言うとおり、ごく少数であろうと存じます。なぜなら、ネオコンに操られたアメリカを批判した日本人の多くは、その批判の根拠を「ウソをついてたじゃないか」とか「手順を無視したじゃないか」というレベルにおいていたからでございます。ですから、「ウソをつかず(バレないウソをつき)、手順を踏んでいれば、もう、それを批判することができない」ということになってしまうのでございます。

しかし、これはどう考えてもおかしい。となると、おかしいのは、そういう表面 的なことではなく、問題の背後に控えるシステムそのものなのだ、という話になってまいります。つまり、この場合には、国連を含めた世界の安全保障システムそのものの正統性が疑われざるをえず、そもそもこのシステムの正統性は、いったい誰によってどのように保証されたものなのか、というような大きく複雑な話になってくるのでございますね。

しかし、そうした問題に密接にからんでいる「グローバライゼーション」という大問題を、一般 大衆に解き伝えるミドルマンが、日本のマスコミには存在いたしません。したがいまして、日本国民は「ウソをつかず(バレないウソをつき)、手順を踏んでいれば、もう、それを批判することができない」というレベルに止まらざるを得ない、ということになってしまうのでございます。

で、このように「ものの表面しか見られずに、勢いだけでものを言うバカ」が日本にはあまりに多く、しかも政治家はそのバカに媚びつつ利用して、日本を誤らせようとしているというのが、宮台真司の見方なのでございます。――そして、そんな今の日本人の知性(民度)の象徴となるのが、最初に紹介した「衆院の通 用門で車を燃やした元右翼」だと、私は斯様に思うのでございます。





( 以下は「今の日本人の「象徴」(3)」につづく)


今の日本人の「象徴」(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月30日(木)22時48分58秒

みなさま、本日、『元右翼』とか名乗る男の車が、衆院の通 用門のところで車を燃やし、建造物放火罪で捕まったようでございますね。『拉致問題など北朝鮮問題に対する政府の姿勢が気に入らなかった』(MSN-Mainichi INTERACTIVEより)とのことでございますが、これはたぶん、政府の北朝鮮問題への対応が「国民感情に媚びるだけの、外交として中味のないものだから不満だ」というような意味合いではなく、現在の日本人の民度に応じて、単純に「北朝鮮への対応が弱腰だ」とかいったことなのでございましょう。――その方が、いかにも「バカ右翼」らしくて納得がまいります。

ちょうど今、以前にAOIさまが読んだとおっしゃっていた、姜尚中と宮台真司の対談本『挑発する知 国家、思想、そして知識を考える』(双風舎)を読んでいるのですが、これが予想以上の面 白さで、特に宮台真司の熱さと真剣さには感動すら覚えました。

宮台真司の立場はハッキリしております。要は「このどうしようもない国を、いかにして少しでも良い方向にドライブしていくか、それを現実的に考え、行動に移していくほかに、道はない」というものでございます。

そこで、そうした行動の一端として語られるのが、宮台がマスコミに登場する理由としての「ミドルマンとしての役割を担う」ということでございます。
「ミドルマン」とは、「専門家=知識人」と「一般大衆」の間に立って、「専門家=知識人」の知見を噛み砕いて「一般 大衆」に伝える役目を担う者のことでございます。つまり「知識人=専門家」がいくら良いことを言い、提案したとしても、それが「一般 大衆」に理解されるような形で紹介するシステムが、日本のマスコミにはない。だから、宮台真司は、自らその役目を担おうというのでございます。

そうした「ミドルマン」についての議論のなかで、私が特に面白いと思った部分を、次にご紹介したいと存じます。

『 たとえば9.11の翌々日、ミドルマンの役割を担おうと考えた私は、「これはアメリカの自業自得だ」とラジオでいったら、ものすごい批判をあびました。でも半年くらいたったら、やはりその通 りだったということになったでしょう。実際イラク攻撃以前は、国民のなかでアメリカが好きだという人が八割近くいました。いまは四割台に減っています。
 でも、そうなると逆に、専門家であり、ミドルマンである私は、「それはちょっと違うぞ、問題はそんなに単純じゃないということを、ちゃんと伝えなきゃ」というふうに思うわけです。
 たとえば、アメリカによるイラク攻撃については、大量破壊兵器に関する情報を捏造してまで世論を操縦したことで、正当性の危機に陥って、ブッシュ政権は大弱りしています。当初は私の「アメリカ自業自得論」を不謹慎だと批判していたみなさんも、さすがにネオコンの自業自得を嘲笑するようになってきました。
 ですが、そこで私は、はたと考え込んでしまう。いったい、みなさんは、何を根拠にしてネオコンを批判しているのか。情報の捏造ですか。なるほど、それはいけないことです。では、ネオコンがもっと周到で、もっと国際世論を味方につけるような手順を踏んだうえでイラク攻撃をすれば、アメリカはOKということになるんでしょうか。
 たまたまどこからか大量破壊兵器がちょろっと見つかっていたら、どうでしょう。あるいは、もっと周到な謀略を使って、見つかったことにしていたら、どうでしょう。そうやって、安保理決議を通 し、総会決議を通して、などという手順を踏んだうえで、徹底してイラクを粉砕していたら、どうですか。これとても、現実に十分ありうる話ですよ。
 今回のネオコンは、ちょっと頭が悪かった。あるいは、おごりたかぶっていた。だから稚拙に振る舞ってしまい、まわりからの袋叩きになってしまいました。しかし、イラク攻撃の孕む問題は、第一に、ネオコンの粗野さという問題以外に、第二に、システムの正統性(正当ではない)の危機という問題があります。
 つまり、実は背後に、もっと大きな問題が控えています。それは一九九九年にシアトルのWTO総会で問題になった、グローバライゼーションとはなんなのかという問題と密接にからんできます。この問題を取りあげるマスコミがまったくないというのも、ミドルマンの不在――場合によってはそれ以前の専門家の不在――を象徴しています。』(P191〜193)





( 以下は「今の日本人の「象徴」(2)」につづく)


どちらが本物の芸術家か?(6) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時39分11秒


 アーニャ

> 先日ちょっと猫風邪引いて、私はわりとすぐに回復したんだけど、Keenさまがヒト風邪こじらせちゃったのよね。一度は熱も下がって、もう大丈夫かと思ったのに、ずるずると……夏風邪って、治りにくいのかしら。
> それでも、かろうじて『凶鳥の黒影』と創元文庫版『トランプ殺人事件』は読んでたようよ。感想書きにくるのは、もう少し後になりそうだけど。

 園主さまも、まだ本調子じゃないみたいだし、この時期は夏の疲れが出るから、無理しない方がいいよね。特に園主さまなんて、厄年で、もう若くはないんだからって、いたわってあげてるんだけど(笑)。

 『凶鳥の黒影』は、こないだ書いたとおり、竹本健治さんの短編がよかったなあー。あの世界は、竹本健治の独擅場だと思う。

 創元文庫版『トランプ殺人事件』は、楽古堂さまの解説だけ読んだんだけど、なるほど楽古堂さま、っていう内容だったね。表面 的には脇役、でも、ある意味では陰の主人公的存在である精神科医天野に焦点をしぼって、竹本健治の描く、不安にみちた「離人症」的な世界を、上手に紹介しておられました。

 ただ、ボクがこの解説で感じたのは、この解説は、単に竹本健治という作家の作風を語っているのではなく、むしろ現在の時代的閉息感にうながされて、それを語ったもののようにも感じられたということ。――その意味で、竹本健治の描く「世界」(特に『闇に用いる力学 赤気篇』的世界)って、いまのボクたちにとっては、とってもリアルなものなんじゃないかあー。

 Keenさまに「お大事に」って伝えといてね(笑)。



 園主さま

> そうだなあー。じつは先日もスタンリ−・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』のDVDを買ってきたんだ。映像的に惹かれるところのある作品だし、なんと言っても1500円なんだからなー。

 『2001』はいいですねー。昔、テレビで見たことがあるけど、すっごく印象が強かった。
 それにしても、1500円は安い! いまどき1500円じゃ、単行本も買えないし、映画も観られませんもんねー。

> それと今日は、前々から気になっていた大長編記録映画『SHOAH ショア』(クロード・ランズマン監督)のDVDが出ているのを発見してしまった。同監督の同じく記録映画『ソビブル、1943年10月14日午後4時』と合わせて、5枚組で定価23000円(税別 )だ。さすがに今日は見送ったんだが、気になってしかたがない……。

 それはボクも観てみたいけど、高いなあー・・・。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


どちらが本物の芸術家か?(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時38分23秒


 時雨さま(続き)

> でも

>> かつて、「オタク=変態」扱いされながらも自分の好きなものに拘泥してきた世代が、外部の目を意識する必要がなくなって何の屈託もなく自己肯定し自閉しはじめた世代に、最後で「ちょっと待てよ。それは違うだろう」と言ったのが、『新世紀エヴァンゲリオン』だったのではないかと思いました。

> だとすれば、「げんしけん」(http://www.genshiken.info/)なんかが人気を博している現在でもエヴァの投げかけた疑問符にはいまだ決着はついていないのかもしれませんね。

 ええ、この問題は、疑問や批判を投げかければ、それで決着がつくような、簡単な問題じゃないですからね。

 ただ、『げんしけん』という作品の、サイトをちらっと見ただけの感想を書かせていただきますと、これは「オタク」になりきれない人の葛藤を面 白おかしく描いた作品のようだから、前述の『エヴァ』の批判の対象ではないように思います。

 庵野さんだって、自分がオタクだと自覚しているから、オタクがオタクであることに負い目を感じる必要なんてないと考えているはずです。でも、問題は、負い目は必要なくても、自身がオタクとして、社会のなかで、どういう位 置を占めているのかというくらいの、あたりまえな自覚は必要だ、と考えたんじゃないでしょうか。つまり「自己肯定」は良いことだけど、それが「他者を欠いた自閉(=無自覚)」になってはならない。その意味で、『げんしけん』が描こうとしているのは、(たぶん)オタクの「自己肯定」の物語(=社会の中での居場所の探求の物語)なんだから、基本的に問題はないと思うんですよね。

 例えば、時雨さまは『エヴァ』について、『いまだ「あの作品はなんだったのか」ということがよくわからなくて引きずっていた』と書かれておりますよね。つまりこれは、作品の固有性(他者性)というものを認めて、それを対象に則して(尊重して)理解しようとした、という姿勢の存在を示しています。つまり、昔のオタクが、好きな作品について、いろいろ調べあげ、自分なりに理解しようとした姿勢と同じなんです。

 ところが、『エヴァ』で批判されたオタクの自閉性とは、そんなものではありません。
 庵野さんが『エヴァ』という作品で何を描こうと、そんなことには一切お構いなしに、自分たちの都合だけで、作品を喰い散らかすような態度。つまり、『エヴァ』という作品の固有性(他者性)を尊重せず、その必要に気づくこともなく、幼児が何でもお構いなしにオモチャにしてしまうような態度で作品に対するのが、彼ら自閉したオタクの態度です。対象が何であれ、つまり『エヴァ』のような作品であっても、型どおりの「学園ラブコメ」のパロディーの素材にして、それで自足してしまうような、発展性のない感性ですね(作中で、「トーストをくわえた綾波が」云々と、逆パロディーで皮肉られた部分です)。

 つまり、こういう自閉したオタクたちにとっては、自分好みの「萌え」要素だけが「すべて」であり、それ以外の要素(例えば、物語性や内面 描写)なんて、存在しないも同然で、そこに何の敬意もはらわないし、敬意をはらう必要すら感じない。そりゃあ、彼らは「消費者」だから、どんな鑑賞のしかたをしようと自由だけれど、そういう傲慢さからは、決してクリエイティブなものは生まれないということを、庵野さんは感じたんじゃないかと思います。

 だから『げんしけん』人気に問題があるとしたら、それは、オタクである自分を自己肯定できない人たちを励ますということではなく、「オタクでいいんだ」と励ますことが、すでに自閉しきったオタクたちの自閉性にも免罪符をあたえてしまう、というような側面 なんでしょうね。





( 以下は「どちらが本物の芸術家か?(6)」につづく)


どちらが本物の芸術家か?(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時37分31秒


 時雨さま

> 『トップをねらえ』をご覧になったのですか。
> あの作品は以前僕も見たことがあります。
> 結構前のことだったのうろ覚えですが・・・
> その当時は背景である「宇宙怪獣との戦争」に随分圧倒された覚えがあります。
> 最後の方で惑星を爆弾に改造して銀河系中心を破壊する、そこまでしないと防衛することすらできないって言う末期的な状況を純粋に「怖い」と思いました。
> 終末的なものに弱いのでしょうね、小学生の頃はMMRにびくびくしたりしてましたし。

 どうなんでしょう。あそこまでスケールの大きな話はなかなか無いですからね、ファーストインパクトとしての強い印象があったのではないでしょうか。
 ああいう話も、いくつか知ってしまうと馴れちゃって、それほどの印象を受けなくなってします。つまり、すれっからしになっちゃうということ。でも、鑑賞者としては、これは不幸なことですよね。ボクだって、子供の頃には、今見るとずいぶんちゃちな、お化け映画や怪物映画をびくびくしながら見てましたからね(笑)。

>> この作品では「オタク的なもの」への「自嘲」から「自己肯定的な情熱の発露」へと向かったが、『新世紀エヴァンゲリオン』では「自己肯定的な情熱の発露」から「自己嫌悪」に向かったという、方向性違いは注目して良いと思います

> という考察は面白いですね。僕はリアルタイムでエヴァに触れて(当時いた鹿児島にはテレビ東京系列がなかったためビデオ化待ちでしたが)、いまだ「あの作品はなんだったのか」ということがよくわからなくて引きずっていたのですが、今回のホランド様の考察で答えが見えてきたような気がします。

 『エヴァ』についての、ボクの見解は、ぜんぜん目新しいものではないですよ(笑)。ただ、『トップをねらえ!』の評価とのからみで、従来からある評価の位 置づけを語ったに過ぎないんです。





( 以下は「どちらが本物の芸術家か?(5)」につづく)


どちらが本物の芸術家か?(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時35分2秒


 FIVEPLACESさま

 おひさしぶりです!――って書いてみても、もうすでに、

> と言いつつ、また長期フェイドアウトする可能性も大ですが(笑)。

なんて書かれてしまっています(笑)。

>『トップをねらえ!』について

> つまらないツッコミですが、脚本のクレジットは岡田氏となっていますが、本当は岡田氏はプロットのみ執筆で、実際の脚本は山賀博之氏が手がけたそうです(『クイックジャパン』18号・山賀氏インタビューより)。

 そうなんですか。ボク、山賀博之さんって、よく知らないんですよ。伝説的なOVA作品『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の人だとは知ってるんですけど、それだけ。このアニメはずいぶん前に見て、たしかにすごく凝った、力の入った作品だというのはわかったんですが、特に面 白いとは思わなかったという記憶があるんですね。だから、山賀博之って名前、どこかで見たことがある、くらいの印象しかないんです。

> もともとこの作品は、企画のみガイナックスが手がけて下請けに任せる作品だったのが、庵野秀明監督の心意気によって、「けっこう感動させられる作品」になったのでしょう。
> 個人的には、ホランドさんの言われるようなアニメアニメしたキャラクターの違和感が最後まで拭えなくて、最後まで乗り切れませんでしたが、国内SFが全盛だった古き良き時代の雰囲気が感じられるのは良いですね。

 このあたり、下敷きになった作品の洗礼を先にうけていなかった、時雨さまの

> その当時は背景である「宇宙怪獣との戦争」に随分圧倒された覚えがあります。
> 最後の方で惑星を爆弾に改造して銀河系中心を破壊する、そこまでしないと防衛することすらできないって言う末期的な状況を純粋に「怖い」と思いました。

というご感想は、とても興味深いですよね。こうした感想は、ボクたちがひっかかった部分を、予備知識のなかったがゆえ、素直に受け入れられた結果 なんじゃないでしょうか?

 これは『トップをねらえ!』のような意図的なパロディー性の強い作品ばかりではなく、あらゆる創作物が、意識するか否かにかかわらず、先行作品の引用の編み物として作られているのだ、という事実を裏書きするもので、「オリジナル」性って、ある意味では、作り手の中よりも、鑑賞者の側にこそあるんじゃないか、なんて考えてしまいました。

 最近、SFをぽつぽつ読んでるんですけど、ちょっとノスタルジーに惹かれて読んでいるような部分が、ボクにはあります。だから、最新の長編SFとかには、あんまり触手がうごかないんですよね。たぶん、これは今の世相が、行き詰まりを感じさせるものだからこそ、「いつの日か、宇宙(そら)駆ける夢」に人類の希望を託せた「古き良き時代」を、無意識に懐かしんでいるってことなんでしょうね。

> もうすぐ、鶴巻和哉監督による『トップをねらえ!2』が予定されてますが、こちらもどうなるか楽しみです。

 鶴巻和哉さんも名前の見覚えはあるものの、作品は見たことがないので、どうなのかなあー? 

 ところで、ハリウッドで作られているとかいう、実写版『新世紀エヴァンゲリオン』って、まだ無事に進行してるんでしょうか?



 はらぴょんさま

> 綾辻行人氏の『暗黒館の殺人』

 あの分厚い2冊本なのに、もう2刷が出てましたね。さて、この売れ行きが、作品の質を保証するものなのか、それとも『空の境界』と同様、派手な宣伝の賜物なのか?

> ただ、あのラストはありえるのか、と思いましたが、すべては館という場の為せる技ということにしておきましょう。

 ああ、こう書かれると、やっぱり『霧越邸殺人事件』(新潮文庫)を連想せずにはいられないですよね。あれも、そういう作品でしたから、やっぱりそっちの方へ行ったのか、と。

 ボクも近いうちに読もうとは思ってるんですが、少しづつ入ってくる情報だけで、なんとなく作品内容が予想されるような気がして困ります。それを裏切ってくれるだけのものがないと、あれだけの長さは、ちょっとつらいなあー。





( 以下は「どちらが本物の芸術家か?(4)」につづく)


どちらが本物の芸術家か?(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時34分18秒


 ところで、先日、園主さまが紹介なさっていた、斎藤貴男さんの『機会不平等』(文春文庫)にも、三浦朱門さんは登場なさっています。

『 三浦朱門・前教育過程審議会会長(74歳)の証言を紹介しよう。東大言語学科卒、八〇年代半ばに文化庁長官も務めた作家で、教育改革国民会議の有力メンバーでもあるやはり作家の曾野綾子氏を夫人に持つ三浦氏は、Tゆとり教育Uを深化させる今回の学習指導要綱の下敷きとなる答申をまとめた最高責任者だった。
「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教過審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけ養っておいてもらえばいいんです。(以下略)」』(P48〜49)

 これが三浦朱門さんの考え方です。つまり「一部エリートは、その才能に応じて優遇され、すべての地位 や権力は彼らに独占されるべきであり、その他大勢の凡人たちは、なまじ頭を使おうなどとせず、エリートの指示に黙って従っておればいいんだ」ということです。
 いかにも『東大言語学科卒』で、ご大層な役職を歴任した人らしい「エリート意識」丸出しの言い種ですが、そのわりには、著作のタイトルに、まるで知性が感じられないのは、ご愛嬌というべきでしょうか。でも、こういうレベルの人が、今の「心」主義の教育改革を進め、文壇をも国家に翼賛させるべく登用されているのだという事実は、決して笑っていられることではないんですね。

 作家のみなさんは、それぞれに一匹狼を気取っておられますけど、「権威に弱い」というのは、園主さまのいくつかの論考(「インテリげんちゃん」の凡庸さについて ―― 高橋源一郎に見る、文学者のホンネ文学賞にジタバタ ―― フジ産経・文春系作家、日垣隆の場合)にも明らか。これまでにも、左翼に分類されていた多くの作家・文芸評論家が、芸術院の会員になって、右翼方面 の嘲笑を買ってきたという歴史がありましたが、今後も、どんな人が芸術院の会員になるのか、これは注目してても悪くはないと思いますよ。





( 以下は「どちらが本物の芸術家か?(3)」につづく)


どちらが本物の芸術家か?(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月30日(木)01時33分28秒

 みなさん、こんばんは! こんな記事をみつけました。『元文化庁長官で作家の三浦朱門氏、芸術院長に』(YOMIURI ON-LINEより)。

 『日本芸術院』とは、国が経営している、芸術家の『優遇顕彰』を目的とした栄誉機関。つまり、文学を含む各種芸術活動で、日本の芸術文化に貢献したと評価され、文化勲章などをもらったベテラン芸術家がその会員に推挙され、これを受けて会員になると、年金がもらえて喰いっぱぐれのない、国家のお墨付き「エリート芸術家」になれるという――本来貧しいのが当たり前な芸術家には、無視できない魅力をもつ――そんな国営芸術家保護団体なのです。 そして『芸術院長』とは、そんな『日本芸術院』のトップ。

 で、今度、そのトップに就任した三浦朱門さんですが、この人いちおうは「小説家」なんですが、ながらく小説らしい小説は書いてないんじゃないかな。少なくとも、週に2、3度は紀伊国屋書店を覗く、ボクの目にはつかない程度に、小説は書いておられない模様です。その代わり、エッセイ本はたくさん出しておられるようで、

  『日本の教育は間違えたか』
  『「学校秀才」が日本を滅ぼす!』
  『「生きる力」と「性」を考える』
  『日本よ、びくびくするな』
  『犯したアメリカ愛した日本 いまなお敗戦後遺症』
  『天皇 日本の成り立ち』
  『国のこころ国のかたち』
  『「歴史・公民」全教科書を検証する 教科書改善白書』
  『「日の丸」「ヒノマル」 国旗の正しい理解のために』
  『人生の荷物のおろし方 もう一花、咲かせる』
  『聖書の土地と人びと』

 なーんて感じで、『文化庁長官』を務めたことのある人だけあって、いかにも「愛国」的で「教育」的な著作が並んでいます(ちなみに三浦さんは、奥さんの曾野綾子さん共々、クリスチャンです)。

 これらの書名は「イーエスブックス」の三浦朱門のページからの紹介なんですが、・・・やっぱり小説は無いに等しいようですね。三浦先生も「小説を書かない小説家」のようで、だから最近は『作家』としておられるのでしょう。

 それから、この「イーエスブックス」のページを見てわかるのは、「読者書評」がほとんど無くて、ほぼ間違いなく、「作家」としてはあまり人気がないのだろうな、ということ。これは何も、左翼方向からの人気がないということではなく、右翼方向からもあんまり注目されていないんだろうということで、たぶん、この調子じゃ、著作数こそ少なくないものの、どれもそんなに売れていないんだろうな――ってことです。

 でも、すでに三浦朱門先生は、文化勲章ももらい、『文化庁長官』も務め、今度は日本芸術院の『芸術院長』にまでなられたんですから、本なんか売れなくても、国が生活を保証してくれるんでしょうね。たぶん、いいえ、間違いなく、市役所の窓口勤務の人や、現場の警察官や消防士や自衛隊員なんかよりも、ずっとたくさんのお金をお国からもらって、それで生活をなさっているのでしょう。――それでも「公務員(役人)」じゃなくて「作家」だと名乗るところが、とても興味深いところです(笑)。





( 以下は「どちらが本物の芸術家か?(2)」につづく)


秋の空(2) 投稿者:時雨  投稿日: 9月29日(水)00時00分48秒

>園主様

>ふ〜む。さしたる考えや信念もなく、つまり「天然」で、『トリックなんてパクればいいんですよ』などと言ったのだとしたら、それはそれで凄うございますよね。

そうかもしれませんね。佐藤は極端な例だと思いますが、こういった意識は「ファウスト」世代の作家全員に多かれ少なかれ持っているものだと思いますよ。
かつて清涼院の生んだ流れがこういった形に結実してしまったわけですが・・・
いずれ金銭的・時間的な余裕が出来ればその文章はこちらに上げます。
ジャンル云々を別にしても興味深い文章だと思いますので。

>おおよそはわかります。それの発展型が、最近話題の『リネージュ』というオンライン・ゲームでございましょう?

そうですね、オンラインゲームはTRPGの発展型といえますね。

それでは皆様、おやすみなさい。


秋の空(1) 投稿者:時雨  投稿日: 9月28日(火)23時46分39秒

>ホランド様
『トップをねらえ』をご覧になったのですか。
あの作品は以前僕も見たことがあります。
結構前のことだったのうろ覚えですが・・・
その当時は背景である「宇宙怪獣との戦争」に随分圧倒された覚えがあります。
最後の方で惑星を爆弾に改造して銀河系中心を破壊する、そこまでしないと防衛することすらできないって言う末期的な状況を純粋に「怖い」と思いました。
終末的なものに弱いのでしょうね、小学生の頃はMMRにびくびくしたりしてましたし。
それにしても

>この作品では「オタク的なもの」への「自嘲」から「自己肯定的な情熱の発露」へと向かったが、『新世紀エヴァンゲリオン』では「自己肯定的な情熱の発露」から「自己嫌悪」に向かったという、方向性違いは注目して良いと思います

という考察は面白いですね。僕はリアルタイムでエヴァに触れて(当時いた鹿児島にはテレビ東京系列がなかったためビデオ化待ちでしたが)、いまだ「あの作品はなんだったのか」ということがよくわからなくて引きずっていたのですが、今回のホランド様の考察で答えが見えてきたような気がします。
でも

>かつて、「オタク=変態」扱いされながらも自分の好きなものに拘泥してきた世代が、外部の目を意識する必要がなくなって何の屈託もなく自己肯定し自閉しはじめた世代に、最後で「ちょっと待てよ。それは違うだろう」と言ったのが、『新世紀エヴァンゲリオン』だったのではないかと思いました。

だとすれば、「げんしけん」(http://www.genshiken.info/)なんかが人気を博している現在でもエヴァの投げかけた疑問符にはいまだ決着はついていないのかもしれませんね。

>べつに締め切りがあるわけではないんですから、そんなこと気にしないで下さい(笑)。

暖かいお言葉ありがとうございます。でも自分で言ったことですので。
なかなか上手くいかなくて・・・


>「テーブルトークRPG」って、このページに紹介されてるとおりでいいんでしょうか?

はい、それだけ理解しておいて頂ければ問題ないかと。


長引く風邪 投稿者:アーニャ  投稿日: 9月28日(火)15時50分28秒

皆さまお久し振り、アーニャよ。
先日ちょっと猫風邪引いて、私はわりとすぐに回復したんだけど、Keenさまがヒト風邪こじらせちゃったのよね。一度は熱も下がって、もう大丈夫かと思ったのに、ずるずると……夏風邪って、治りにくいのかしら。
それでも、かろうじて『凶鳥の黒影』と創元文庫版『トランプ殺人事件』は読んでたようよ。感想書きにくるのは、もう少し後になりそうだけど。

9/17から始まったってのも、ヘンな暗合ね(笑)。このところめっきり暗合が発生しなくなったKeenさまは、そろそろ「暗合の女王」から「暗合の隠居」に改称しようかなって言ってたわ(笑)。

それでは皆さま、ごきげんよう。にゃあ〜♪


島田荘司との対決(6) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時58分34秒


 FIVEPLACESさま(つづき)

> 『ナニワ金融道』ぜひ読んでいただいて、園主さまの感想をお聴きしたいですね。絵柄も読んでいくうちに気にならなくなるのではないかと思います。また、『ナニ金』より作者の哲学が色濃く出ている短篇集『さすらい』(マガジンハウス刊)も、園主さまの趣向と合うかもしれません。

そうでございますね。1巻本ならば『さすらい』も読んでみたいと存じます。

> 青木氏の活字本は、内容の重複や時評ものが多く、質の低いゴースト本も多いので、何冊か読めば十分だと思います。私的なオススメは、活字本の処女作である『ゼニの人間学』と朝日新聞で連載されたものをまとめた『青木雄二のナニワ資本論』の2冊です。おそらく、この2冊は数少ない本人執筆によるものだと思われます。

活字の方が得意ですので、おすすめの2冊は、ぜひ読みたいと存じます。


それにしても、今回のタイトルは、シンプルに『島田荘司と青木雄二について』でございましたが、FIVEPLACESがお好きになられるだけあって、この二人には、やはり共通 した個性があるようでございますね。

一言でいえば、「弱者のために戦う者のロマンティシズム」を有した稀有な人、とでも申せましょうか。細かな点の是非を抜きにすれば、そうした根本的な「善意」だけは、とうてい疑いえないほどの強さを、彼らは共通 して持っていたと存じます。


> 今更ですが、『模倣犯』(宮部みゆき)を最近読んで大変感銘を受けました。機会があれば、この掲示板で感想を書かせていただきたいと思います。と言いつつ、また長期フェイドアウトする可能性も大ですが(笑)。

あれも長い作品ですからねえー(^-^;)。

まあ、読めばそれなりに面白いのでしょうが、私は基本的に「情」の作品よりも、「意」の作品を求めておりますので、宮部みゆきはあまり読みたいとは思いません。これまでに『パーフェクト・ブルー』(デビュー作)、『火車』(代表作)、『理由』(直木賞受賞作)を読んでいるのですが、いまいちピンと来ませんでしたし。

ともあれ、気が向いたら、ご感想をお聞かせ下さいまし。またのお出でをお待ちしております(笑)。



 ホランド

>  たまってるDVD、早く観る機会が持てるといいですね。特に、因縁の『テロリストは誰?』は、気になってます(笑)。

そうだなあー。じつは先日もスタンリ−・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』のDVDを買ってきたんだ。映像的に惹かれるところのある作品だし、なんと言っても1500円なんだからなー。

それと今日は、前々から気になっていた大長編記録映画『SHOAH ショア』(クロード・ランズマン監督)のDVDが出ているのを発見してしまった。同監督の同じく記録映画『ソビブル、1943年10月14日午後4時』と合わせて、5枚組で定価23000円(税別 )だ。さすがに今日は見送ったんだが、気になってしかたがない……。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


島田荘司との対決(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時57分45秒


 FIVEPLACESさま(つづき)

なお、島田荘司の「カリスマ性」についてございますが、私はそれまで島田荘司に、その著作を通 して「反逆者・抵抗者的闘争心を持つ人」かつ「感傷的で、思い込みの強い人」というイメージをもっておりました。つまり、それなりに「押しのつよい人」なのだろうと想像していたのでございますね。
ところが、実物は、むしろ「物静か」で「淡々として」おり、しかも「誠実」かつ「繊細」という、今までに出会ったことのない独特の「柔らかい」オーラを強烈に発しており、「一瞬で人を虜にする、宗教的カリスマの魅力というのは、こういうものなのか」と、個人的には空前絶後の強い印象をうけたのでございます。

私は、それ以前に中井英夫や笠井潔や竹本健治といった憧れの作家と、ほとんどサシで会っておりますし、島田荘司の後には、大西巨人にもサシで会ったりしております。これらの人は、たしかにその業績に見合うだけの、人間性や魅力を備えてはおりますものの、しかし、その一面 、何も知らずに会えば、普通のおじさんであり、おじいさんにしか見えないであろう、その意味では「普通 の人」でございました。

ところが、島田荘司の放っているオーラは尋常なものではなく、私にはそれが一種の「魔力」とすら感じられ、先に書きました批判的質問も、このオーラに抗して、発したものだったのでございます。

で、私がこの時考えたのは、島田荘司ファンの方には申し訳ないのですが、「オーラの強さ」と「人格的な偉大さ」は(無関係ではないが)比例するものではない、ということだったのでございます。


> ちなみに、以前お勧めした『透明人間の納屋』は読まれましたか? 機会があれば是非、と今一度お勧めしておきます。

半年も前に古本で買ってありましたが、これを機会に読ませていただきました。たしかに感じの良い作品でございましたね。私も、読んで良かったと思いました。

たしかに、ミステリとしては、メインとなる「密室内・人間消失事件」の真相が面 白味に欠けて、さほど評価をうけなかったのも、やむを得ないところだったと申せましょう。それから、この作品では「時事的」と言ってよいネタが使われており、それが多くの人に「当て込んだもの」のような印象を与えたのではないか、という感じもうけました。

しかし、この作品に描かれているのは、その「時事問題」に対する意見・評価ではなく、それを背景とした「普遍的な人間の問題」でございました。また、だからこそ島田荘司は、この「子供向け」の叢書に、あえてこの作品を書き下ろしたのではないかと存じます。

『透明人間の納屋』は、いかにも島田荘司らしいヒューマニズムと理想主義を感じさせる作品で、その意味でたいへんに感動的な作品であり、逆に言えば、やや突っ込みに欠けてきれいごとに終っている作品だ、とも申せましょう。しかし、この作品が、子供に読まれるために書かれたものだということを考えれば、この作品は、子供に難問を科す、充分に優れた作品だと評価できるのではないかとも思いました。

ともあれ、結論として思うのは、島田荘司はやはり、良くも悪くも「情の作家」だということでございました。





( 以下は「島田荘司との対決(6)」につづく)


島田荘司との対決(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時56分39秒


 FIVEPLACESさま

> 園主さまもナマ島田荘司に触れたことがあるのでしょうか? 
> 講演時、頭の中にある本から引用するかのような流暢な語り口で、静かな確信をもって話す様子には、確かにある種のカリスマ性がありました。皮ジャンでラフな格好なのに、何か青いオーラが出ているような……。猪突猛進な執筆活動の秘密が垣間みれたような気がしました。


ええ。島田荘司の『秋好事件』(講談社)の単行本が刊行された年でしたか、島田がこの事件を「冤罪事件」だと訴え、各地で講演をおこなっていた当時の事でございます。

この当時、私は島田荘司の「新本格」作家に対する批判が、説得的でもなければ妥当なものだとも思えず、島田荘司の「客観性」というものに、深い疑問と不満をいだいておりました。しかし、事が「推理小説のあり方」に止まっているのならば、問題も「考え方の違い」ということで左程のことではございませんが、話が殺人事件をめぐる「冤罪」問題となってくると、「小説家らしい奔放な想像力」では済まされない部分が出てまいります。そこで「ノンフィクション・ノベル」と添えられた『秋好事件』を読みましたところ、いろいろと問題のあることがわかり、私はそのことを1本の批判論文にまとめて同人誌に掲載してもらい、それを島田荘司本人(や、笠井潔や、新本格作家の数人)に送ったりしておりました。

それで私としては、いちおう自分のつとめは果たしたという感じになっていたのでございますが、そんな折、島田荘司が京都の某大学に「冤罪問題」の講演に来るという話をミステリ関係の友人に知らされ、「それなら、もしかすると、私の批判的疑問を島田荘司本人にぶつけることができるかも知れない」と考え、その講演を聞きに行くことにしたのでございます。

ご存じのとおり、当時、島田荘司は人気の絶頂期にございましたから、講演内容は「冤罪問題」でも、会場に集まったのは、8割がミステリファンで、残りが冤罪問題に関心を寄せる人、という感じでございました。

講演の内容は忘れてしまいましたが、講演が終ると、期待どおり、ファンサービスのサイン会が始まり、私もこれを期待して持参していた『占星術殺人事件』の初版本を抱えて、ファンの列に連なりました。そして、私の番が回ってきて、私が『占星術殺人事件』を差し出すと、島田荘司はニッコリと微笑んでそれを受け取り、サインを始めました。私はすかさず、島田に「ひとつお伺いしてもいいですか?」と訪ねると、島田は気楽に「どうぞ」と応えました。そこで、私は、次のような質問を、ぶつけたのです。

「『秋好事件』の後半で、後に殺人罪に問われることになる秋好が、当時つきあっていた女の家で、この女の家族から、ひどい罵倒による辱めをうけるシーンが、具体的・小説的に描写 されています。この当時、現場には、秋好本人と、女と女の家族しかいません。で、先生がこの事件をお調べになった時点では、この女の家族はすでに死んでおり、女も秋好と敵対する立場に立っておりますから、秋好に都合のよい証言をするわけがない。つまりこのシーンは、先生が秋好被告に取材して、彼の証言だけを元にして描いたものとしか思えません。ですから、秋好の取材結果 を、秋好の証言として書くのなら問題はないのですが、あのように見てきたような、小説的な形で表現するのは、読者をそのドラマ性によって感情的・同情的に誘導することにしかならない。その意味で、仮にもノンフィクションと銘打っている作品で、ああいう恣意的な書き方をするのは問題があるのではないでしょうか?」

と仮借のない問いを発したのでございます。
すると、島田荘司は、サインを終えた顔を、私の方へ向け、本を返しながら、

「そのことに関しては、当方を信じてもらうしかありません」

という主旨の言葉を、短く返しただけでございました。
たしかにこの時は、サインを求める長蛇の列が、私の後ろにも連なっており、個人的に議論をしている時間はまったくございませんでした。つまり、島田に説明の時間は与えられておらず、私もそれでその場は満足するしかなかったのでございます。ともあれ、サインの後の握手を交わした後、私は島田荘司に「とにかく、頑張って下さい」と言い、その言葉にすべての思いを込めるしかなかったのでございます。

これが、私と島田荘司とのたった一度の遭遇であり、たった一度の一騎討ちの顛末なのでございます。





( 以下は「島田荘司との対決(5)」につづく)


島田荘司との対決(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時55分19秒


 はらぴょんさま(つづき)

問題を最初の「ミステリ作家における社会経験の必要性」という問題にもどしますと、綾辻行人と変遷を追っているかぎりにおいては、「ミステリ作家にも社会経験が必要」という意見は、一定の説得力を持っていると申せましょう。また、特別 に天才的な作家は例外でございましょうが、一般論として、「社会経験」も無いよりはあったほうが良い、というのは、普通 に頷ける事実でもございましょう。

しかし、綾辻行人の出現によって始まった「新本格」の世代が、ミステリ界の主流を占める現在、「社会経験のない作家はダメだ」という類の発言は、実質的にタブーとなっております。もちろん、こうした言葉が忌避されるようになったのは、こうした言葉をもって、若い世代を拒絶しようとした前世代の悪しき印象が、この言葉に貼りついているからに他なりません。
しかし、だからと言って、この言葉を禁句にしてしまえば、「創作における、体験の有無」という根本的な問題から目を背けることになるでしょうし、事実、現状ではそのようになってしまっていると思うのでございます。

『虚無への供物』を書いた中井英夫は、もともとお坊っちゃん育ちの知的エリートで、戦時中も陸軍参謀本部で勤務していたような人間でございますから、生活派などでは決してなく、むしろ芸術史上主義に近い感性の持ち主でございました。しかし、是非もなく巻き込まれた「戦争」や「戦後」の渾沌とした社会情勢、それにともなう編集者としての会社勤めが、中井英夫という作家に何も残していないなどとは、決して考えられないものと存じます。

もちろん、人間には、生活の中で否応なく体験させられることばかりではなく、自分から進んで学び体験するといったことも可能なのでございますが、やはり「否応なく体験した(させられた)こと」と「自分から進んで体験したこと」との間には、質的に大きな違いがあると思うのでございますね。つまり、「体験」の無さを「別 の体験」で補うことはできても、「体験」の無さそのものを埋める「同質の体験」を意図的に調達することは、まず不可能なのではないか、ということでございます。

その意味で、私には、綾辻行人の「社会経験の無さ」を責めるつもりは毛頭ございませんし、また、言うまでもなく「経験があれば良い」というものでもないのでございます。

しかし、事の善悪ではなく、言わば「ミステリファンを純粋培養したような作家」として綾辻行人の変遷は、それだけで注目に値するものなのではないか。――私は、斯様な興味を持って、綾辻行人という特異な作家を見守っているのでございます。





( 以下は「島田荘司との対決(4)」につづく)


島田荘司との対決(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時54分12秒


 はらぴょんさま

> 綾辻行人氏の『暗黒館の殺人』を読了しました。

> 『暗黒館の殺人』には、原爆症といった館の外の事件も触れられますが、『虚無への供物』における「新形式の殺人」の言及ほどには、外に関心が向かっていません。


綾辻行人ら現役の大学ミステリ研究会所属の若者たちが、大挙して作家デビューを果 たした15年ほど前、既成のミステリ文壇からは「社会経験も無い大学生が作家デビューしても、まともな小説など書けるわけがない(せいぜいパズル小説が書けるだけだろう)」という種類の批判が出てまいりました。こうした批判に対し、この当時デビューした新人ミステリー作家たち、つまり「新本格」の作家たちは「ミステリ本来の魅力は、人間を描くことにあるのではなく、むしろ、その論理性と意外性と独自の雰囲気にあるのだ」と主張し、それを実作において証明して、今につながる長い「新本格ミステリ・ブーム」を作り上げたいったのでございます。

しかし、「新本格・第一世代」と呼ばれる、現役の大学ミステリ研究会会員からそのまま作家デビューした作家たちは、その多くがデビュー後、5年もすると執筆ペースが極端にダウンして、「寡作な作家」か、下手をすれば「過去の作家」と思われかねない状態になっていきました。

綾辻行人の『暗黒館の殺人』も、綾辻の看板シリーズである「館」シリーズの第7作目であるにもかかわらず、じつに12年ぶりの新作となっております。つまり、シリーズ前作『黒猫館の殺人』刊行当時には、まだ「気鋭」の作家だったものが、次作である本作発表時には「ベテラン」作家になってしまっているのでございますね。
もちろん、その間にも、綾辻行人は何冊かの本を刊行しておりますが、その間の活動で、今となって印象に残っているのは、小説作品そのものよりも、むしろ有栖川有栖と組んでのテレビ用の「犯人当て推理ドラマ」の原作執筆とか、パソコンゲーム『館』などの方だったように思えます。

ともあれ、ここ十年の綾辻行人の歩みは、お世辞にも順風満帆とは言えず、名のみ高けれども、何をやっているのか今一つ判然とせず、作家本人も行き詰まりを感じているようだ、との印象を与えるものでございました。





( 以下は「島田荘司との対決(3)」につづく)


島田荘司との対決(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月27日(月)22時52分29秒

みなさま、忙しい時にかぎって突発的な用事が発生して、どうしようもなくなる、というようはことは、たいがい「仕事の忙しい時にかぎって」という文脈で語られるのでございましょうが、私の場合これとは逆に、ネットの方で新しいことを始めた途端に、仕事の方で突発的な用事が出来(しゅったい)して、一週間のうちに二度も徹夜で仕事をするという、悲惨な羽目に陥ってしまいました。

『トップをねらえ!』のDVDを貸してくれた同僚ともつねづね話しておりますとおり、私(とその同僚)の本業は「趣味」であり、所詮「仕事」は食い扶持を稼ぐための「方便」でしかございません(チョムスキーの「アメリカ外交批判が生涯の使命で、言語学は趣味」というのには、おおいに見劣りいたしますが/笑)。ですから、こういう無茶な仕事はまったく不本意なのでございますが、それでも、やらねばならないことならやる(し、やる必要のないと思える仕事は、いくら強いられてもなるべくやらない)という大原則にそって、徹夜の仕事をなんとかこなし、徹夜明けは長時間睡眠をとって、体調の調整に専念いたしました。

じつは、最初の徹夜の前日から、軽い花粉症めいた症状が出ておりましたので、ひどくなる前にと掛りつけの医院に行きましたところ、まだ軽くはあるものの扁桃炎が出ているので「無理はしないように」と言い渡されておりまして、連日の徹夜の仕事には、正直、不安もあったのでございます。ですが、いずれにしろ避けられない仕事であれば、覚悟を決めてやるしかなったのでございますね。さいわい、薬を服用していたせいか、扁桃炎が悪化するようなこともなく、無事本日にいたったというわけでございます。

斯様に、困難な状況というものは、しばしば何の前触れもなく発生するものなのでございましょう。前もって覚悟をしておれば、困難もそれほどとは感じられませんが、予期せずに起る困難は、規模の大小に関わりなく大変に感じられるものなのでございましょう。
しかし、だからこそ今後は「なぜ、こんな忙しい時に」などと嘆いたり腐ったりするのではなく、そういう窮地に立たされてこそ、その人の真価が問われ明かされるのだと捉え、前向きに困難を乗り越えていける、強い自分でありたいと再確認させられた、この一週間でございました。





( 以下は「島田荘司との対決(2)」につづく)


島田荘司と青木雄二について 投稿者:FIVEPLACES  投稿日: 9月26日(日)23時29分17秒

〇園主さま

>島田荘司のカリスマ性

園主さまもナマ島田荘司に触れたことがあるのでしょうか? 
講演時、頭の中にある本から引用するかのような流暢な語り口で、静かな確信をもって話す様子には、確かにある種のカリスマ性がありました。皮ジャンでラフな格好なのに、何か青いオーラが出ているような……。猪突猛進な執筆活動の秘密が垣間みれたような気がしました。

年末に向けても新刊が何冊か予定されているようです。すぐ読むかどうかは分かりませんが、楽しみにしたいと思います。ちなみに、以前お勧めした『透明人間の納屋』は読まれましたか? 機会があれば是非、と今一度お勧めしておきます。

>経済学部と青木雄二

「一応経済学部……」云々は、余計でしたね。もし間違っていた時の照れ隠しのようなもので、私にとって大学と経済の知識はあまり関係がありません。個人的な興味だったり、『ナニワ金融道』や関連書籍を読んでの知識が主だったりします。

『ナニワ金融道』ぜひ読んでいただいて、園主さまの感想をお聴きしたいですね。絵柄も読んでいくうちに気にならなくなるのではないかと思います。また、『ナニ金』より作者の哲学が色濃く出ている短篇集『さすらい』(マガジンハウス刊)も、園主さまの趣向と合うかもしれません。

青木氏の活字本は、内容の重複や時評ものが多く、質の低いゴースト本も多いので、何冊か読めば十分だと思います。私的なオススメは、活字本の処女作である『ゼニの人間学』と朝日新聞で連載されたものをまとめた『青木雄二のナニワ資本論』の2冊です。おそらく、この2冊は数少ない本人執筆によるものだと思われます。

『僕が最後に言い残したかったこと』はゴースト本ですが、良く出来ていた本でしたね。ただ、青木氏が亡くなった直後の本でしたので、内容がこれまでの著作とは若干おもむきが違っていたような気もします。まとめた方の意向もあるのでしょうが、闘病の様子は一切外に出さずに、訃報の直後にこの本が出た時は青木氏ならではのダンディズムを感じたことを覚えています。

>最近読んだミステリー

今更ですが、『模倣犯』(宮部みゆき)を最近読んで大変感銘を受けました。機会があれば、この掲示板で感想を書かせていただきたいと思います。と言いつつ、また長期フェイドアウトする可能性も大ですが(笑)。


『暗黒館の殺人』 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月26日(日)12時13分37秒

綾辻行人氏の『暗黒館の殺人』を読了しました。
下記URLによると、綾辻氏は中井英夫氏に、「世界の悪意を一身に背負ったような探偵小説を書きなさい」と言われたということで、この作品はそれに応える意味合いがあるようです。
『暗黒館の殺人』の主題は死の問題であり、ここには不死を希求して、奇怪な儀式に耽る人々や、死と生の中間状態で惑う存在や、死にたくても死ねない苦しみなどが描かれており、禍々しい暗黒の館という設定と相俟って、重々しい印象を与えます。『暗黒館の殺人』には、さなざまなフリークスも登場しますが、作者はその深い哀しみを丹念に描こうとしています。
もうひとつ気になった点は、『暗黒館の殺人』に複数の記憶喪失者が登場するということです。トリックからの要請もあるのでしょうが、作者の関心が人間の意識の謎に向かっているということもあるように思えました。物語の解決への運動が、記憶を喪失した物語の語り手の自己回復の軌跡と一致しているのです。
『暗黒館の殺人』には、原爆症といった館の外の事件も触れられますが、『虚無への供物』における「新形式の殺人」の言及ほどには、外に関心が向かっていません。
『暗黒館の殺人』は原稿用紙二千五百枚分だそうです。当初、なかなか殺人が起きませんが、殺人が起きない状態であっても、探偵小説的興味がかきたてられます。怖いもの見たさで、ドラキュラ映画を見るような感覚を与えるのです。
ただ、あのラストはありえるのか、と思いましたが、すべては館という場の為せる技ということにしておきましょう。

http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/news/20040908_01.htm


「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月24日(金)19時15分16秒


 FIVEPLACESさま(つづき)

> と、全く勉強してこなかった一応経済学部出の不祥解説でした。最後に、このような金融問題について理解を深めるには、漫画『ナニワ金融道』(青木雄二)がオススメです。絵柄については好き嫌いが別 れるかもしれませんが、無類の面白さを保証します。

私、大学に行かなかったものですから、多くの方が卒業する「経済学部」とは、いったいどのようなことを学ぶ学部なのか、まったくイメージ出来ずにおりました。結構、役にたつことも教えてくれていたのでございますね(笑)。

ちなみに、『ナニワ金融道』(青木雄二)については、ご指摘のとおり、あの絵柄がイヤで読めなかったのでございます。ついでに、正直に打ち明けますと、作者の顔も好みではございませんでした。

しかし、青木雄二さんの死後、彼が、徹底して弱者の側に立つ、人間愛あふれる人物だと知り、その著作『僕が最後に言い残したかったこと』(小学館)を読んだりいたしました。

私は、金持ちではないものの、これまで特にお金で苦労したことのない人間で、ながらく「お金に拘泥することは、みっともないことだ」と考える、高踏派の趣味人でございました。
しかし、こうしたスタンスは、この世の中の現実を知らぬが故なのだということを、「9.11」以降、世界の現実を学んでいく上で、思い知らされたのでございます。その意味で、青木さんが強調した「銭の教訓」というものを、私はもっと学んでいきたいと存じますし、この世を動かす「銭」が、より多くの人の幸福のために役立つものとなるよう、微力ながら、加勢していきたいとも考えております。

青木さんは、前記の本で「人間にとって、いちばん美しい生き方とは、他人の幸せのためにつくす生き方や」という主旨のことを、衒いなくおっしゃっておられました。私も、少しは彼の生き方を学べればと思いましし、その意味でも、お薦めいただいたのを好機として、青木さんの主著『ナニワ金融道』を読んでみたいと存じます。



 ホランド

>『トップをねらえ!』について

作品の評価はおおむね同じだが、私は作画にも引っ掛かりを覚えた、ということを書き添えておこう。

まず私は、美樹本晴彦のキャラクターデザインが、もともと好きではない。最近の絵柄は知らないが、「安彦良和もどき」として出発してしばらくした、この作品当時の美樹本キャラクターは、妙に目が縦に長く、鼻が低く、口元が変に引き締まり過ぎていて、正面 から見ると、魚の「フナ」を連想させられ、私にはちっとも可愛いとかきれいだなんて思えなかった。

それに今回観た『トップをねらえ!』は、作画スタッフの豪華さのわりには、作画がイマイチで、昨今の作画レベルを知っている肥えた目には、いささか物足りないものと映った。古い作品なのだから、期待のしすぎだと言われればそれまでなんだが、オタクアニメのわりには、作画的には期待はずれだったな。
ちなみに、(ロボット以外の)スタジオぬえのメカデザインは、良かったというよりも、懐かしかったと言うべきだろう(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月24日(金)19時14分26秒


 FIVEPLACESさま

> 大変ご無沙汰しております。

お出でいただき、うれしゅうございます(笑)。

> 今年春に島田荘司の東京講演会のご案内をいただきながら、お返事もしないで失礼しました。ちなみに、その講演会はご案内いただく前に情報を入手して参加もしたのですが、講演の内容は、ほぼ『本格ミステリ宣言2』と一緒で、あとは御手洗シリーズ映画化、吉敷シリーズTVドラマ化情報というキャラクターに興味のある方へのリップサービスという感じでした。一番の収穫は、ナマ島田荘司の雄姿を拝めたことでしょうか。

そうでございますね。島田荘司のカリスマ性は、実物に会わないかぎり、本当に理解することは不可能でございましょうから。講演で、どのくらい、それが感じられたかはよくわかりませんが、少しでも感じていただければ、その価値は充分にあったと存じます。

> 日本では、出資法により年利の上限が29.2%と定められていて、それを超えると処罰されます。トイチは年利に換算すると年364%ですから、『ミナミの帝王』銀次郎の商売は完全に違法な商売となります。

そうでございますか。やはり、違法なのでございますね。

> 『ミナミの帝王』は漫画は読んでいてVシネマの方は未見ですが、ヤクザもので良くある「良いヤクザが悪いヤクザを成敗する」という、どちらも違法な存在ながら、銀次郎は仁義を守って堅気に迷惑かけていないということなんではないかと思われます。

それにしても、法を犯している者が、法を盾にとって悪人をやっつけるというのは、やはり無理があると存じます。悪人を合法的に罰することがしばしば困難であるからこそ、「闇の仕置き人」みたいなアウトローも、リアリティーをもって構想されうるのだと考えるからでございます。その意味では、映画『ミナミの帝王』は、根本的なところで、リアリティーを欠いているように存じます。

>> もともと、こういう商売は、大手金融機関が相手にしない(融資をしない)経済的弱者を相手に、たいがいは「無担保」で融資をおこなう、というもののはずでございます。
>> つまり、最初から貸し与えた金の回収の困難(リスク)が予想される融資だからこそ、最初に差っ引かれる手数料も高いし、利子も無闇に高い。

> 上記の園主さまの主張はもっともで、本来ならば銀行などの大手金融機関が生活に困った人たちに融資をするべきなのですが、その役目は消費者金融が担っているというが現状です(そして、消費者金融にも相手にされない人が街金に手をだすわけです)。

> しかも、たちが悪いことに、銀行は個人に融資することなく、消費者金融に融資をしているそうです。自らは無担保個人融資というリスクを負うことなく、ほぼ0金利の預金を運用して利益を上げているわけです(もっとも、最近キャッシュワン・モビットなどの銀行系消費者金融も出来てきましたが)。

酷い話でございますね。
しかし、濡れ手に泡のバブル経済を通過することで、日本の銀行のモラルは決定的に破壊された、という話は、残念ながら私でも耳にするところでございます。





( 以下は「「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(4)」につづく)


「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月24日(金)19時13分36秒


 時雨さま

佐藤友哉のことですが、

地位を得た者が、権威(名誉)と権力を欲して保守化していくのも世の(凡庸なる)習いであれば、そうした権威を疎ましく思う若い世代によって、なかば暴力的に否定され、やがて古い権威が失墜していくというのもまた、世の習いというものなのでございましょう。

> と言うところなんですが少し違うような気がするんですよね・・・
> 確かに結果として彼の発言や作品はそういったスタンスを取っているのですが、それはあくまで結果 そう見えるだけであって、本人には本格ミステリの権威破壊という明確な目的意識があるわけではない。そもそも目的意識を持つほどミステリにこだわっていないともうんですよ。その行動の動機付けの部分で「権威を疎ましく思う」という部分が希薄なのではないかという節もありますし・・・
> そのあたりについてもたしかクリスマステロルで触れられていたのですが・・・

ふ〜む。さしたる考えや信念もなく、つまり「天然」で、『トリックなんてパクればいいんですよ』などと言ったのだとしたら、それはそれで凄うございますよね。

私などは、「本格ミステリの魅力」そのものは認めており、その意味で「トリックのオリジナリティー」という価値も認めております。つまり、私が否定しているのは、「本格ミステリ」そのものではなく、最近の「本格ミステリ業界」だということなのでございます。

ところが、佐藤友哉の場合、「本格ミステリ」の価値自体、なんとも思っていないのだとしたら、これはもう(本格ミステリ信奉者側からの)反論の対象にすらなりません。
まして、世間が「面白ければ何でもあり」という方向に傾き、ジャンルに固執する姿勢に魅力を感じなくなる傾向が強まり、さらには時代の風向きを次第で、少しずつ立場をずらしていく、笠井潔のように「裏切り者」まで出てきたとなると、私のような者が、本格原理主義者たちの頑なスタンスを擁護するような日も、そう遠くはないのかも知れませんね(笑)。

> あと質問続きで恐縮なのですが、園主様はテーブルトークRPGはご存知ですか?

おおよそはわかります。それの発展型が、最近話題の『リネージュ』というオンライン・ゲームでございましょう?





( 以下は「「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(3)」につづく)


「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月24日(金)19時06分40秒

みなさま、かつて当掲示板にもイヤがらせの書き込みをした常習の「掲示板荒らし」が、当サイトの掲示板荒らし対策用BBS『ARGUMENT』上での名指しの批判に対し、またぞろ掲示板レンタル会社への泣きつきを敢行したため、同掲示板が強制使用停止となってしまいました。――これで強制使用停止は、5度目か6度目か? その回数も定かならぬ ほどで、私もすっかり慣れっこになってしまいました(笑)。

自分が進んで公開している「実名」で批判されたことをして、「プライバシーの侵害」だとか「名誉毀 損」だなどと言うやつも言うやつなら、とにかく揉め事にはかかわりたくないと、投げ文の内容検討もせず、「たしかに本名が書かれている」などと、一本の「誣告」をもって掲示板を使えなくしてしまう掲示板レンタル会社も、「言論」の一端を担う会社として、まったく情けないと言うべきでございましょう。こういう会社があるからこそ、「プロバイダー責任制限法」などという言論規制法も、易々と成立してしまうのでございましょう。

ともあれ、この「掲示板荒らし」が、どうあがこうと、彼から被害をうけた者の怒りは、彼が反省して謝罪しないかぎり、とうてい消えるものではございません。まして、この私に手を出し、その怒りをかった以上は、生涯呪われる覚悟が必要でございましょう(笑)。

ところで、この度、この「掲示板荒らし」を監視して、その被害の拡大を食い止めようというサイトが、ささやかながら開設されました。ノズラー観察同好会HPがそれで、私もこの際、このサイトを全面 的に支援することにいたしました。
したがいまして、私もこのサイトの掲示板へ、今日たくさん書き込みをしておきましたし、かの「掲示板荒らし」が、また、このサイトのレンタル会社に泣きつくまでは、今後もせいぜい書き込みをしたいと思っておりますので(笑)、みなさま、このサイトが消されないうちに、このサイトにご注目いただきますと共に、できれば広く、その存在を宣伝をしていただきたいと存じます。


今では、たいがいの掲示板には、「掲示板荒らし」対策用の機能がついており、その種の被害は少なくなっております。とは言え、これは消極的な防御策でしかなく、かつて「掲示板荒らし」によって、ホームページや掲示板の閉鎖を余儀なくされた人たちの怨念は、いまだ癒されてはおりません。ですから、こうした被害者たちの恨みを少しでも晴らし、その傷ついた心を少しでも癒すために、私は同じ被害者として、こうした人たちとの共闘を厭わないのでございます。つまり私は、言論人の端くれとして、泣き寝入りの沈黙はしない、ということでございます。





( 以下は「「ノズラー観察同好会HP」というサイトがある!(2)」につづく)


金融をねらえ! 投稿者:FIVEPLACES  投稿日: 9月22日(水)20時32分9秒

〇園主さま

大変ご無沙汰しております。
今年春に島田荘司の東京講演会のご案内をいただきながら、お返事もしないで失礼しました。ちなみに、その講演会はご案内いただく前に情報を入手して参加もしたのですが、講演の内容は、ほぼ『本格ミステリ宣言2』と一緒で、あとは御手洗シリーズ映画化、吉敷シリーズTVドラマ化情報というキャラクターに興味のある方へのリップサービスという感じでした。一番の収穫は、ナマ島田荘司の雄姿を拝めたことでしょうか。

閑話休題。書き込もうとしたのは下記の話題についてです。

>なお、この種の「金融」関係の問題については、私、いまだ無知なままでございますので、平易にご教示願える方がいらっしゃれば幸いと存じます。

日本では、出資法により年利の上限が29.2%と定められていて、それを超えると処罰されます。トイチは年利に換算すると年364%ですから、『ミナミの帝王』銀次郎の商売は完全に違法な商売となります。

『ミナミの帝王』は漫画は読んでいてVシネマの方は未見ですが、ヤクザもので良くある「良いヤクザが悪いヤクザを成敗する」という、どちらも違法な存在ながら、銀次郎は仁義を守って堅気に迷惑かけていないということなんではないかと思われます。

>もともと、こういう商売は、大手金融機関が相手にしない(融資をしない)経済的弱者を相手に、たいがいは「無担保」で融資をおこなう、というもののはずでございます。
>つまり、最初から貸し与えた金の回収の困難(リスク)が予想される融資だからこそ、最初に差っ引かれる手数料も高いし、利子も無闇に高い。

上記の園主さまの主張はもっともで、本来ならば銀行などの大手金融機関が生活に困った人たちに融資をするべきなのですが、その役目は消費者金融が担っているというが現状です(そして、消費者金融にも相手にされない人が街金に手をだすわけです)。

しかも、たちが悪いことに、銀行は個人に融資することなく、消費者金融に融資をしているそうです。自らは無担保個人融資というリスクを負うことなく、ほぼ0金利の預金を運用して利益を上げているわけです(もっとも、最近キャッシュワン・モビットなどの銀行系消費者金融も出来てきましたが)。

と、全く勉強してこなかった一応経済学部出の不祥解説でした。最後に、このような金融問題について理解を深めるには、漫画『ナニワ金融道』(青木雄二)がオススメです。絵柄については好き嫌いが別 れるかもしれませんが、無類の面白さを保証します。

〇ホランドさま

>『トップをねらえ!』について

つまらないツッコミですが、脚本のクレジットは岡田氏となっていますが、本当は岡田氏はプロットのみ執筆で、実際の脚本は山賀博之氏が手がけたそうです(『クイックジャパン』18号・山賀氏インタビューより)。

もともとこの作品は、企画のみガイナックスが手がけて下請けに任せる作品だったのが、庵野秀明監督の心意気によって、「けっこう感動させられる作品」になったのでしょう。
個人的には、ホランドさんの言われるようなアニメアニメしたキャラクターの違和感が最後まで拭えなくて、最後まで乗り切れませんでしたが、国内SFが全盛だった古き良き時代の雰囲気が感じられるのは良いですね。

もうすぐ、鶴巻和哉監督による『トップをねらえ!2』が予定されてますが、こちらもどうなるか楽しみです。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/siki/


想いをこめて(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月21日(火)23時36分23秒


 AOIさま

昨日は駅ビルのK書店に『凶鳥の黒影』を買いに行きました。

 読みました? ぜひ、ご感想をお聞かせ下さいね。


> びゅゆゆ〜〜ん←マックちゃんへの念力癒しビーム

 おかげさまで園主さまのマックちゃんは、その後、ご機嫌よく働いてくれているようです。ボクの書き込みも、園主さまのマックちゃんを経由して投稿されている関係上、彼(?)のご機嫌の良し悪しは、僕の方にも影響多大なんですよね。そんなわけで、お礼かたがた、お返しにボクの念力を送っておきたいと思います(笑)。

 びゅゆゆ〜〜ん ←馬龍くんへの念力癒しビーム!



 本多正一さま

 おひさしぶりです。お仕事、一段落ですね。つぎは、創元ライブラリ版『中井英夫全集』の最終巻でしたっけ? この「全集」の最初の巻が刊行されたのが1996年だから、すでに8年越しの仕事になってますが、頑張って完結させてくださいね。
 中井英夫ファンとして、あらためて本多さまのお仕事に、感謝と敬意の念を送りたいと思います。



 楽古堂さま

> 創元推理文庫:竹本健治『トランプ殺人事件』

 いよいよ刊行なんですね! 

 『トランプ殺人事件』と言えば、単行本(CBSソニー出版)は別にして、最初の新潮文庫版の解説が笠井潔さん、次の角川文庫版が田中幸一こと(?)園主さま、そして今回の創元推理文庫版が大内史夫こと(?)楽古堂さまと、ここ「花園」ではお馴染みの人ばかり。これって一種の「因縁のリレー」という感じがしますよね(笑)。

> 内容は、こちらでも皆様との語らいを、まとめることを意識しました。

 竹本さんの作品については、主に『風刃迷宮』をめぐって、かなり突っ込んだ議論(アニムスの物語参照)がなされましたけど、そのあたりがどう生かされているのか楽しみにしております。

 「解説」を拝読したら感想を書きますので、またおいで下さいね!(^-^)/



 園主 さま

 今日はありがとうございました!
 たまってるDVD、早く観る機会が持てるといいですね。特に、因縁の『テロリストは誰?』は、気になってます(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


想いをこめて(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月21日(火)23時35分10秒


 時雨さま

ゲームに関する記述が多くなる上に笠井潔とほとんど関係のないため投下に躊躇していた奈須きのこ論『二十万部の秘密─攻略本とTRPG的想像力(仮)』も結構楽しまれるかもしれませんね。

今日までに上げるといっていた奈須きのこ論ですが、無理でした。
> 本当に申し訳ありません。

 べつに締め切りがあるわけではないんですから、そんなこと気にしないで下さい(笑)。

 でも、「二十万部の秘密」の一端が明かされるかも知れない『二十万部の秘密─攻略本とTRPG的想像力(仮)』にボクも期待していますので、頑張ってくださいね!

> テーブルトークRPGはご存知ですか?

 「テーブルトークRPG」って、このページに紹介されてるとおりでいいんでしょうか?



 はらぴょんさま

『ユリイカ』9月臨時増刊号総特集西尾維新(青土社)が刊行になりました。

 買いましたよ、まだ読んでませんけど。園主さまは、

これは笠井潔や太田克史編集長が、『ユリイカ』の特集に口を出しているというよりも、むしろこの企画が笠井潔らによる持ち込みである可能性の高さを示唆しているとみて間違いございません。つまり、自発的な特集ではないだろうということでございます。

って、この特集号が笠井さんの持ち込み企画ではないかと予想をされていましたが、目次を見るかぎりでは、主導権はむしろ東浩紀さんの方にあるようで、いちおう笠井一派にも、ある程度配慮して、書くスペースをわけ与えたって感じですね。

 「新伝奇」特集なら、笠井さんが主導権を握ったでしょうけど、「西尾維新」と限定されれば、まだまだそのあたりへの影響力は、東浩紀さんの方が圧倒的に大きいということなんでしょうね。


『彼方にて』から『彼方より』の方へ

> 有栖川有栖の短編『彼方にて』(河出書房新社刊行『凶鳥の黒影』に収録)は、9・11以降の世界に焦点を合わせ、反戦思想家としての中井英夫を想起させる内容となっています。
> 主人公の青年は、「外つ国の首都にある独裁者の宮殿めがけ、ミサイルが飛」(P42)ぶニュースを眼にし、不快感を覚えます。この戦争は、「9月にある大国を襲った大規模なテロル」に端を発しており、その大国とは「政治・経済・軍事のすべてで他を圧倒し、その文化を世界の基準にしようとする、この星で唯一の帝国じみた超大国」であり、「テロリストたちは旅客機を乗っ取」り、「摩天楼に突っ込」んだことで、帝国の「為政者」が「新しい戦争」の開始を宣言したのである、と書かれています。(以上、「 」内はP43からの引用)

 有栖川有栖さんの「彼方にて」は、中井英夫の世界をひっくり返して描いた作品なんですが、考えてみれば、ボクたちが生きる「今ここ」は、中井英夫が『彼方より』で描いた「彼方」に、かぎりなく近いんですね。
 中井英夫の戦中日記『彼方より』は、一般には平和と言ってよいだろう「戦後」に「戦中という彼方より送られてきたメッセージ」である、という意味合いがあったと思うんです。でも、今ボクたちが生きているのは、まさに「戦中」であり、その意味で「彼方」そのものです。だから、有栖川有栖さんの「彼方より」も、「反世界」という「彼方」を描くと同時に、やはりボクたちの生きるこの時代という「彼方」をも、そのまま描いたんだと思います。

 だから、ボクたちが今こうして書いている文章も、すべて「彼方より」のメッセージとして、未来に残されるものなんだと思います。その意味でボクは、中井英夫の眷属として、後世の人に恥じないものを書き残さなければならないのだと考えています。





( 以下は「想いをこめて(4)」につづく)


想いをこめて(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月21日(火)23時34分13秒


 さて『凶鳥の黒影 ――中井英夫に捧げるオマージュ集』(河出書房新社)の方ですが、ボクがいちばん気に入ったのは、竹本健治の彼らでした。
 竹本さんの作風はよく知っているんで、むしろボクは、日頃読まない他の作家の作品の方に期待したんですが、結果 は、無理に「中井英夫の世界」に拘泥しなかった竹本さんの作品がよかった、ということになったようです。

 この作品は、はらぴょんさんが先日書かれていたように、「千尋」連作のひとつであり、『闇に用いる力学 赤気篇』とつながってくるホラー(?)作品で、「現実」と「幻覚」の境界が解け崩れていくような、竹本健治一流の不安な世界が展開されており、竹本さんの短編のなかでも、かなり完成度の高い作品になっていると思います。

 でも、どうしてこのような、他所に発表しても良かった作品を、わざわざ「中井英夫に捧げるオマージュ集」に書いたのか?――という点についてですが、たぶん、中井さんに近しかった竹本さんだからこそ、他の作家さんたちとは違って、中井英夫本人が登場するような小説や、中井作品のパスティーシュが書けなかった、ということなんだと思います。そんなことやっても、ろくな結果 にならないだろうということが、よくわかっていたんだと思いますね。だから、竹本さんは、中井英夫の後継者の一人として、自分が進む道を、中井英夫に示して見せたんだと思います。自分らしさを貫くところにしか中井英夫の期待に応える道はない、というのが竹本健治のスタンスだったんじゃないでしょうか。





( 以下は「想いをこめて(3)」につづく)


想いをこめて(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月21日(火)23時33分17秒

 みなさん、こんばんは! 今日は園主さまのお宅で、『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明監督の、初監督作品『トップをねらえ!』(OVA・全3巻6話)を見せてもらい、その後はうちに帰って『凶鳥の黒影』を読み、さっき読了したところです。

 『トップをねらえ!』は、そのタイトルからもわかるとおり、戦闘機パイロットの愛と青春を描いて大ヒットしたアメリカ映画『トップ・ガン』と、園主さまもお好きな出崎統監督のアニメ『エースをねらえ!』(原作:山本鈴美香)を下敷きにした、「巨大ロボット+美少女」という身も蓋もないオタクアニメです。脚本を、当時はまだガイナックスの責任者であった、『オタク学講座』の岡田斗司夫が書いていて、「いかにもな作品だなー」というのが、第1巻の第1、2話を見たかぎりでの正直な感想でした。
 ボクは『トップ・ガン』を見ていないので、そっちはなんとも言えないんだけど、『エースをねらえ!』の方は、意図的にやっているとは言え、そのまんまというシーンがやたら多くて、好きな作品なのはわかるけど、ここまでして何の価値があるんだろうと、正直呆れてしまいました。好きなものを臆面 もなく真似するのが、オタクのオタクたる所以だ、と言ってしまえばそれまでなんですが、やはり原典を知っている者には、鼻につき過ぎる作品だったと思います。もちろん、パロディーとしての楽しさはそれなりにあったんですけど、この作品が最後までそのままだったら、きっと忘れ去られた異色作に終っていたと思います。でも、この作品の場合、主に後半から、おちゃらけた部分が抑えられて、古きよきアニメ的な(みんなの幸せのために戦う主人公の)「熱さ」や、古きよきSF的な「せつなさ」が前面 に出てきて、けっこう感動させられる作品になっていくんです(園主さまは「『無敵超人ザンボット3』(富野由悠季監督)の最終回を連想した」とおっしゃってました)。

 つまり、この作品にはたぶん、オタクの「自意識」的なものが、色濃く反映されているんだと思います。前半は、オタクを見る「世間の目」的なものを過剰に意識して、開き直ったように楽しんでみせている(オタク性を誇示する)といった感じがあり、後半はそうした過剰演技を振り捨てて、本当の意味で、自分がかつて感動した作品を、熱い共感をこめて再現してみせたといったところなのではないでしょうか。

 この作品は、そうしたオタクの「自嘲と情熱」が交錯した、やや分裂気味の作品なんですが、これがやがて『新世紀エヴァンゲリオン』につながっていくんだなというのがとてもよくわかって、いわば『エヴァ』の前史的作品だという印象を強くうけました。

 ただし、この作品では「オタク的なもの」への「自嘲」から「自己肯定的な情熱の発露」へと向かったが、『新世紀エヴァンゲリオン』では「自己肯定的な情熱の発露」から「自己嫌悪」に向かったという、方向性違いは注目して良いと思います。
 これはきっと、オタクが白眼視された『トップをねらえ!』の時代と、すでにオタクが一種の市民権を得た『新世紀エヴァンゲリオン』時代の、オタクのジェネレーションギャップから来たものなんでしょう。かつて、「オタク=変態」扱いされながらも自分の好きなものに拘泥してきた世代が、外部の目を意識する必要がなくなって何の屈託もなく自己肯定し自閉しはじめた世代に、最後で「ちょっと待てよ。それは違うだろう」と言ったのが、『新世紀エヴァンゲリオン』だったのではないかと思いました。





( 以下は「想いをこめて(2)」につづく)


ごめんなさい! 投稿者:時雨  投稿日: 9月21日(火)01時16分33秒

今日までに上げるといっていた奈須きのこ論ですが、無理でした。
本当に申し訳ありません。

>はらぴょん様

いうなれば「反戦思想としてのミステリ」ですね。
興味深いです。
ライトノベルというか漫画評論というか角川書店組というかな方向からは大塚英志氏が反戦活動をしていますが、ミステリではこういった視点は初めてでは?

>園主様

佐藤友哉のことですが、

>地位を得た者が、権威(名誉)と権力を欲して保守化していくのも世の(凡庸なる)習いであれば、そうした権威を疎ましく思う若い世代によって、なかば暴力的に否定され、やがて古い権威が失墜していくというのもまた、世の習いというものなのでございましょう。
と言うところなんですが少し違うような気がするんですよね・・・
確かに結果として彼の発言や作品はそういったスタンスを取っているのですが、それはあくまで結果 そう見えるだけであって、本人には本格ミステリの権威破壊という明確な目的意識があるわけではない。そもそも目的意識を持つほどミステリにこだわっていないともうんですよ。その行動の動機付けの部分で「権威を疎ましく思う」という部分が希薄なのではないかという節もありますし・・・
そのあたりについてもたしかクリスマステロルで触れられていたのですが・・・
すみません、どうもうまくまとまらなくて。

>ゲームについて

なるほど、わかりました。それだけ予備知識があれば大丈夫かと。
それにしても随分昔なのですね、僕とか生まれてないんじゃ・・・

あと質問続きで恐縮なのですが、園主様はテーブルトークRPGはご存知ですか?


経済活動という宿命(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月21日(火)00時07分59秒


 はらぴょんさま(つづき)

> まずは、一握りの権力者の利になることや、権力者にへつらうために卑屈な態度をとることに、異議申し立てをすること。これは身近な日常生活から実践することができる。非国民になることを恐れず、間違っていることは間違っているとしっかり言えること、これが肝心である。

この当たり前のことが、戦時・非常時には当たり前に行えなくなります。だからこそ我々は、今から、誰よりも自身に対し、その覚悟をくり返し語ることが必要になるのでございましょう。


ちなみに日本の為政者が、国民に犠牲を強いる際によく口にする「国益」ということについて、チョムスキーは下のように語っているそうでございます。

『アダム・スミス(一七二三〜九〇)は新自由主義の理論の守護聖人の一人として崇められている。経済学者でもあり道徳哲学者でもあったアダム・スミスを守護聖人とする新自由主義者たちの選択は、いくつかの点において、実は驚くほど不適切であった。チョムスキーは一九九九年に、スミスは「啓蒙主義」の人であった――彼の関心は諸国民の富全般 にあったのであって、現実に相反する一連の利益を含むはずの「国益」という妄想にあったのではない――と述べている。』

(ジェレミ−・フォックス『チョムスキーとグローバリゼーション』P41)

つまり、チョムスキーは、「国益」とは、実際のところ「実態のない概念(=妄想)」でしかなく、それを為政者が大義名分として口にする場合、たいていは、この言葉が「無内容」であるが故にこそ、「すべての国民の利益」だと国民を誑るために使われるものなのだ、ということを言っているのでございますね。

言い換えれば「国益」とは、しばしば「国家の支配階級のための利益」ではあっても「一般 国民の利益」ではない、ということでございます。

現に、この日本でも、大企業の業績は上向いてきているにもかかわらず、失業者数は減っておらず、しかも有職者のなかでも正社員の占める割り合いが下がって、身分の不安定な契約社員・派遣社員・パートやアルバイトの占める割り合いが増えているのでございます。つまり、大企業は儲けているが、その儲けが国民一般 には還元されていない。にもかかわらず、政府は全体の数字しか問題にせず、企業を設けさせるための景気回復だけに力を入れているのでございます(この問題は、いま話題のプロ野球界の問題とも重なります。経営者側は、経営の悪化を理由にリストラを敢行しようとしますが、自らは経営悪化の責任を取ろうとはいたしません。本来、労資ともに分かち合うべき痛みを、すべて弱者である労働者に押しつけようというのが、今の企業人(=資本家・支配層)の本音なのでございます)。

したがいまして、最近では、この「国益」という言葉のペテン性をハッキリさせるために、この言葉に対置する言葉として「国民益」という言葉が使われるようになっております。つまり、政治家が「この選択も、国益のためならば、仕方がないのだ」と言えば、それに対して「しかし、その選択は、国益にはなっても、国民益にはならないのではないか?」と問い返すことができるのでございますね。

政治家のレトリックに騙されないためにも、「国益」と「国民益」の区別 、「国家の利益」か「国民の利益」かの区別、ひいては「国家のための国民」なのか「国民のための国家」なのかの区別 を、峻別していく必要があるのではないかと存じます。

ちなみに最近よくご紹介している斎藤貴男にも『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)という著作のあることを、ご紹介しておきたいと存じます。



 ホランド

急なことだが、明日、ひさしぶりにDVD観賞会を開くことになった。会社の同僚で、今までにも何度か触れたことのあるオタクの後輩が、庵野秀明の監督作品『トップをねらえ!』のDVD(全3巻)を貸してくれたんだ。前から観たいと思っていた作品なんだが、なにしろ借り物だから早く返したいんで、よろしく頼む。

それと、今は読まなきゃならない本が溜まっている状態なので、今回観るのはこれだけしたい。でも、全編3時間強になる作品なので、それなりに堪能してもらえると思うんで、まあ楽しみにしててくれ(笑)。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


経済活動という宿命(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月21日(火)00時05分23秒


 楽古堂さま

> 創元推理文庫版『トランプ殺人事件』

> 上記の文庫の初刷りが、9月16日(木)に拙宅に届きました。竹本健治さんの誕生日に合わせた配慮でしょう。校正の丁寧さも印象に残りました。好感の持てる編集部の対応でした。稀な体験をする、きっかけを作って頂いた園主様に感謝いたします。内容は、こちらでも皆様との語らいを、まとめることを意識しました。ただ枚数が12枚で、いつもの自由な「読書ノート」の形式を取れなかったことが心残りです。

おひさしぶりでございます。

いよいよ刊行でございますか。土日祭日を挟みましたから、たぶん明日にも書店にならぶのでございましょう。どのような解説になっているのか、楽しみに読ませていただきたいと存じます。

また、お暇をみて、書き込みにおいで下さいまし。お待ちしております。



 はらぴょんさま
『彼方にて』から『彼方より』の方へ

> 有栖川有栖の短編『彼方にて』(河出書房新社刊行『凶鳥の黒影』に収録)は、9・11以降の世界に焦点を合わせ、反戦思想家としての中井英夫を想起させる内容となっています。

ちょうど 私も「彼方にて」まで、読んだところでございます。

私のこの作品の評価は「結局は、こじんまりとまとまった、落し話」ということで、必ずしも満足はしておりません。むしろ、はらぴょんさまも注目なさった、冒頭部分で言及されるような問題を、もう少しどうにかしてほしかったというのが、私の率直な感想でございます。

> ちなみに、この短編『彼方にて』は、少し<泣き>が入っているように思えます。まぁ、「新形式の戦争」を告発するような小説に、ウルウルとしかけるのは、少し私が変だからかも知れませんが。

そうですね。たしかにこの作品は、読者をして『ウルウル』させるほどに書けているとは思いません。それはむしろ、読者であるはらぴょんさまの方に、そうした点に関して、並々ならぬ 思い入れがあったからでございましょう。
そして私は、その思い入れをこそ、評価したいと思います。その思い入れがあってこそ、はらぴょんさまの知識は生きて動き出す、と思うからでございます。





( 以下は「経済活動という宿命(5)」につづく)


経済活動という宿命(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月21日(火)00時03分16秒


 時雨さま(つづき)

>> 私も、時間さえあればゲームをやっていたのでございますが、読書を優先したために、ゲームを自らに禁じ、初めてパソコンを購入した際も、ゲームソフトの少ないマックをあえて選んだ、という経緯もあるのでございます。したがいまして、私の興味の範囲で、ゲームの世界のことをご教示いただけるのなら、こんな好都合なことはないのでございますよ。

> そうだったのですか!よろしければどんなゲームをなさっていたか教えていただけませんか?
> 「ドラゴンクエスト」などのロールプレイングゲームや「信長の野望」などのシミュレーションゲームの経験があるとやりやすいのですが・・・

いや、私はコンピュータゲームは、まったくやっておりません。

また歳のバレる話になりますが、私は子供の頃、よく近所のゲームセンターに行ったり、駄 菓子屋の表などに設置されていたゲーム機に、お小遣いを注ぎ込んだりしたのでございますよ。この当時のゲームの主流は、今はほとんど見かけなくなった、(たぶん)アメリカ製のピンボールでございます。ピンボールは、複雑な仕掛や華やかな電飾と効果 音が楽しく、病みつきになる魅力がございました。しかし、当時、1ゲーム50円のピンボールは、子供にはそうそう楽しめるものではなく、友だちがやるのを、横にへばりついて見てたりするようなことも、しばしばございました。

あれは私が小学校の中学年頃でございましたか、お年玉が3000円ほど集まり、ついゲームセンターへ足を向けたところ、数時間後には3000円をすべて使い果 たしてしまっていたのでございます。当時の3000円と言えば、私の数カ月分のお小遣いといっしょでございましたから、この時のショックは非常に大きく、私はこの時、自身をゲームに関しては自制のきかない人間だと断罪し、二度とゲームには近づくまいと固く心に誓ったのでございます。

その後、趣味がプラモ作り、アニメ、読書と移り、それぞれにお小遣いを注ぎ込みましたから、ゲームに近寄るようなことはなく、大人になってもパチンコはいたしませんでした。二度ほどおつきあいでパチンコ店に入ったこともあるのですが、ただ球を弾くだけのパチンコには、ゲームとしての魅力をまったく感じませんでした。――つまり、私は「凝った仕掛」が好きなのであって、賭博性にはまったく興味がなかったのでございますね。

社会人になってから、パソコンゲームの本格的なブームに遭遇し、私もロールプレイングゲームには大変興味を惹かれました。と申しますのも、私はもともと演じる方で演劇に興味がございましたし、CGにも興味がございましたから、そうした要素を併せ持つロールプレイングゲームには、強く惹かれるものがあったのでございます。

しかし、当時、こうしたゲームに病みつきになる人が大勢でて、それが社会問題にまでなりましたから、当時すでに、読み切れないほどの本を所蔵していた私は、「触らぬ 神に祟りなし」ということで、コンピュータゲームを敬遠することにしたのでございます。なにより、「時間喰い虫」としてのコンピュータゲームを恐れたのでございます。

そんなわけで、コンピュータゲームそのものには、ほとんど触れたこともない私ではございますが、コンピュータゲームに関する言説には興味を持ち続けており、その種の評論やエッセイやゲームをテーマにした小説なども読みましたから、例えば『ドラゴンクエスト』や『信長の野望』が、どのようなゲームかということくらいは、理解しているつもりでございます。

したがいまして、時雨さまが、ゲームを論じられる際には、「ロールプレイングゲーム」や「シミュレーションゲーム」といった用語の説明まではしていただかなくても、おおむね理解できると存じますので、どうぞその点はご安心下さいまし(笑)。





( 以下は「経済活動という宿命(4)」につづく)


経済活動という宿命(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月21日(火)00時01分58秒


 本多正一さま

中井英夫死後の刊行物は、本多正一氏が意図して刊行日を調整しているのでございますね。

> そのような事実はございません。関係者一同、不思議な偶然につねづね驚いているところでございます。(^o^)/

『関係者一同』って、具体的に誰とだれ?(笑)



 時雨さま

余談ですが、世代を考える視点では滝本竜彦の「NHKへようこそ!」は面 白いのではないかと思います。ひきこもりというものの本質がそのまま形になった小説ですから。

『NHKへようこそ!』は、以前、はらぴょんさまがマンガ版を誉めてらしたので講読したのでございますが、マンガとしては(絵も上手だし)なかなか面 白かったものの、内容的にはイマイチぴんと来ませんでした。しかし、原作(の小説)には、また違った感興もございましょうから、ぜひ近いうちに読んでみたいと存じます。ご教示、ありがとうございました。


> 「ファウスト」での座談会で『トリックなんてパクればいいんですよ』といっていました。ここにある意味彼(※ 佐藤友哉)のミステリ観が現れている・・・と言えないこともないかもしれません。

いや、これはたいへん興味深い発言だと存じます。
なぜなら、このような発言は「正統派本格ミステリ」のファンを標榜する者やしたい者では、とうてい(公には)口に出来ない言葉だからでございます。そして、その点は、佐藤友哉とて自覚的でございましょう。つまり彼は「正統派本格ミステリ」の系譜に連なる者としての「新本格」ミステリ作家や、そのファンや、ミステリマニアを意識的に挑発し、それらがこれまで独占してきた「ジャンル的権威」を揺るがそうとしているのだと思われます。つまり「本格ミステリの眼目」に一つである「トリック」を軽視するかのような発言によって、「本格ミステリが、何ほどのものだというのだ」ということを誇示したのでございますね。

しかし、こうした一見不作法な否定の仕方も、「新本格ミステリ」が「社会派ミステリ」を否定する形で登場した時にも、しばしば見られたものなのですから、佐藤友哉の言い方もあながち批判できないのではないかと存じます。

地位を得た者が、権威(名誉)と権力を欲して保守化していくのも世の(凡庸なる)習いであれば、そうした権威を疎ましく思う若い世代によって、なかば暴力的に否定され、やがて古い権威が失墜していくというのもまた、世の習いというものなのでございましょう。





( 以下は「経済活動という宿命(3)」につづく)


経済活動という宿命(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月21日(火)00時00分18秒

みなさま、私、前回の書き込みで、映画『ミナミの帝王』シリーズについて、『「裏金融」の世界を舞台にしている』『裏金を営む非情の男銀次郎』と書きましたが、よく(思い返し)考えてみると、主人公銀次郎が営んでいるのは「裏金」ではなく、単なる「街金」でございました。そもそも、「裏金」という言葉自体、無いのかもしれません。

私は、こういう数字やお金のからむ話に弱く、おのずと「商工ローン・ノンバンク・クレジット・サラ金・街金・ヤミ金」といった世界のこともよく知らないのでございますが、これらは「ヤミ金」を除けば、必ずしも違法な「高利貸」というわけではないようでございますね。

『ミナミの帝王』でも、銀次郎が「うちはトイチ」と言っており、トイチというのは「十日で一割の利子」ということだったはずで、私はこの暴利が合法とは思えず、つい「裏金」などと書いてしまったのでございます。しかし、映画の内容を思い出してみると、銀次郎は弱者をいじめる悪党たちを「法律を盾にとって、やっつける」のですから、自身が違法行為をやっていたのでは、それこそお話になりません。つまり、ここからわかるのは、銀次郎の「トイチ」の「街金」商売は、合法なのだということなのでございますね。

もともと、こういう商売は、大手金融機関が相手にしない(融資をしない)経済的弱者を相手に、たいがいは「無担保」で融資をおこなう、というもののはずでございます。つまり、最初から貸し与えた金の回収の困難(リスク)が予想される融資だからこそ、最初に差っ引かれる手数料も高いし、利子も無闇に高い。そして、実際しばしば、融資した元金の回収が困難になるからこそ、非情なまでの取り立てがおこなわれ、そのせいで暴力団などの裏世界とのつながりも強くなっているのでございましょう。

しかし、フィクションである『ミナミの帝王』の主人公銀次郎は、裏世界の人間と渡りあえるだけの「修羅」を抱えた人間として描かれているとは言え、決して「非合法な悪徳金融業者」としては描かれておりません。その意味で、この作品を『「裏金融」の世界を舞台にしている』『裏金を営む非情の男銀次郎』と評するのは、事実誤認による間違いだと気づきましたので、私の誤記を訂正するともに、お詫びさせていただくことにしたのでございます。

映画『ミナミの帝王』の製作関係者のみなさま、当掲示板の読者のみなさま、間違ったことを書いてしまい、大変申し訳ございませんでした。どうぞご勘弁下さいまし。


なお、この種の「金融」関係の問題については、私、いまだ無知なままでございますので、平易にご教示願える方がいらっしゃれば幸いと存じます。





( 以下は「経済活動という宿命(2)」につづく)



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