●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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『彼方にて』から『彼方より』の方へ 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月20日(月)20時17分31秒

有栖川有栖の短編『彼方にて』(河出書房新社刊行『凶鳥の黒影』に収録)は、9・11以降の世界に焦点を合わせ、反戦思想家としての中井英夫を想起させる内容となっています。
主人公の青年は、「外つ国の首都にある独裁者の宮殿めがけ、ミサイルが飛」(P42)ぶニュースを眼にし、不快感を覚えます。この戦争は、「9月にある大国を襲った大規模なテロル」に端を発しており、その大国とは「政治・経済・軍事のすべてで他を圧倒し、その文化を世界の基準にしようとする、この星で唯一の帝国じみた超大国」であり、「テロリストたちは旅客機を乗っ取」り、「摩天楼に突っ込」んだことで、帝国の「為政者」が「新しい戦争」の開始を宣言したのである、と書かれています。(以上、「 」内はP43からの引用)
この青年は、自身の「枕頭の一冊」となっている、ある書物が「新形式の殺人」(P44)に言及していたを思い出します。この書物とは、言うまでもなく中井英夫の『虚無への供物』であり、『虚無への供物』は、昭和29年にビキニ沖で核実験で被爆した第五福竜丸の事件や、同じ年に台風十五号のさなか出航して転覆した青函連絡船洞谷丸の事件などの不条理で空疎な大量 殺人に言及し、それを「新形式の殺人」と呼んで、それを引き起こした人間のみならず、ニュースとして供給されるそれらの情報を、他人事として消費=享楽するだけの人間を告発する性質をもっていました。青年は考えます。もし、この書物の著者が生きていたら、現在のこの戦争に対してどう考え、どう発言するだろうか、と。この戦争は「国と国との喧嘩」ですらなく、「強きが弱きを蹂躙し、弱きが呪咀とともに復讐を誓う」世界であり、「新形式の戦争」であり、「虚無の虚無なる犯罪ではないのか」、と。(以上、P44)[ちなみに、この短編『彼方にて』は、少し<泣き>が入っているように思えます。まぁ、「新形式の戦争」を告発するような小説に、ウルウルとしかけるのは、少し私が変だからかも知れませんが。]
中井英夫の反戦思想は、日本陸軍参謀本部で密かに綴られた厭戦日記『彼方より』の頃から一貫しているようです。中井は『黒鳥の旅もしくは幻想庭園』に収録された「日本人の貌[非国民の思想]」で、「外でも内でも戦争ばかりくり返してきた日本人が、同じ仲間すなわち同胞に対しては飽くことのない差別 と搾取とを続けて、結局は一握りの権力者を富まし、逆にそいつらにへつらうためならば、どんな卑劣なことでも大義名分をつけてやってのける」のが「正国民」であるとするなら、「私はやはり最後まで“非国民”でありたい」(潮出版社、P93)と書いています。『虚無への供物』における「新形式の殺人」の告発は、この非国民の思想に由来するものであると考えます。

『虚無への供物』を基点に、「新形式の殺人」や「新形式の戦争」に抵抗するための思想構築をすることが可能ではないか、と考えます。
(1)中井英夫の著作を、非国民の思想という観点から読み直すこと。それには『彼方より』や『黒鳥館戦後日記』などの日記が重要性を帯びてくる。中井の非国民の思想を生み出すもととなったセクシュアリティの問題も見落とすべきではない。
(2)現代の「新形式の戦争」について、深く知るためにノーム・チョムスキーの『覇権か、生存か〜アメリカの世界戦略と人類の未来』や、アントニオ・ネグリ+マイケル・ハートの『<帝国>――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』といった著作の学習が不可欠である。また、反骨の思想家(例えばサルトルの反戦思想について、とか)について知ることも重要。
(3)まずは、一握りの権力者の利になることや、権力者にへつらうために卑屈な態度をとることに、異議申し立てをすること。これは身近な日常生活から実践することができる。非国民になることを恐れず、間違っていることは間違っているとしっかり言えること、これが肝心である。

http://acephale.e-city.tv/page015.html


『トランプ殺人事件』解説の件 投稿者:楽古堂  投稿日: 9月20日(月)07時43分45秒

上記の文庫の初刷りが、9月16日(木)に拙宅に届きました。竹本健治さんの誕生日に合わせた配慮でしょう。校正の丁寧さも印象に残りました。好感の持てる編集部の対応でした。稀な体験をする、きっかけを作って頂いた園主様に感謝いたします。内容は、こちらでも皆様との語らいを、まとめることを意識しました。ただ枚数が12枚で、いつもの自由な「読書ノート」の形式を取れなかったことが心残りです。


秋の夜長に・・・コンピューターゲーム? 投稿者:時雨  投稿日: 9月19日(日)01時21分57秒

>園主様

>行き先は、石川県の山代温泉でございました。

温泉旅行・・・なんとうらやましい!

>ご指摘のとおりでございます。
私はあの「小説もどき」を書いた時点で、乙一、北山猛邦、佐藤友哉、滝本竜彦、西尾維新のうち、佐藤友哉、西尾維新については小説を1冊読んだだけ、滝本竜彦、乙一は、エッセイをいくつか眺めた程度、北山猛邦にいたっては、まったく何も読んでおらず、作品名すら一つも知らない状態でございましたから、それぞれの人柄を実物に似せて描けるような状態ではなかったのでございます

そうでしたか。まあ、僕も全部読んでるわけではないので偉そうな事はいえませんけど・・・
余談ですが、世代を考える視点では滝本竜彦の「NHKへようこそ!」は面 白いのではないかと思います。ひきこもりというものの本質がそのまま形になった小説ですから。

>佐藤友哉が言っている『すごいこと』というのに興味がございますので、よろしければ具体的にご紹介願えないでしょうか。

すみませんがその記述があった本(講談社ノベルスの「クリスマス・テロル」)は売ってしまって手元にないのですよ。申し訳ありません。今度本屋で立ち読みしてまとめてきます。
ただそれとは別のところですが、「ファウスト」での座談会で『トリックなんてパクればいいんですよ』といっていました。ここにある意味彼のミステリ観が現れている・・・と言えないこともないかもしれません。

>そんな遠慮をなさっていたのでございますか。どうぞやってくださいとお願いした以上、よほどのことがない限り、その言葉を反古にするようなことはいたしませんので、遠慮なくやってくださいまし

どこから手を着ければいいかわからかったというのもあるんですけどね。
「新伝綺」についても書きたかったので。

>私も、時間さえあればゲームをやっていたのでございますが、読書を優先したために、ゲームを自らに禁じ、初めてパソコンを購入した際も、ゲームソフトの少ないマックをあえて選んだ、という経緯もあるのでございます。したがいまして、私の興味の範囲で、ゲームの世界のことをご教示いただけるのなら、こんな好都合なことはないのでございますよ。

そうだったのですか!よろしければどんなゲームをなさっていたか教えていただけませんか?
「ドラゴンクエスト」などのロールプレイングゲームや「信長の野望」などのシミュレーションゲームの経験があるとやりやすいのですが・・・



不思議な偶然 投稿者:本多正一  投稿日: 9月19日(日)00時58分20秒

 ご無沙汰しております。園主さまの書き込みで気になったことがございます。

>中井英夫死後の刊行物は、本多正一氏が意図して刊行日を調整しているのでございますね。

 そのような事実はございません。関係者一同、不思議な偶然につねづね驚いているところでございます。(^o^)/


カンノン様が見ているぞ(6) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時28分48秒


 AOIさま

> 昨日は駅ビルのK書店に『凶鳥の黒影』を買いに行きました。店頭になく、検索で入荷を確認すると、1冊入荷したものの、例によって店頭には並べられないまま倉庫に眠っていたようです。
> 奥から出されてきた1冊は、帯や裏表紙に微妙に汚れがある。
> 納得できませんよぅ。(なぜかコレクターモード)
> 結局、隣まちまで2駅、電車に乗って買いに行くことに。

私が申すのも何でございますが、ご購入ありがとうございます(笑)。

中味に関しては保証しておりませんので、ご不満がございましたら、遠慮なくご意見をお聞かせ下さいまし。私も、中井英夫がらみの本であればこそ、よけいに厳しい目で読むつもりでございます(笑)。

> 建石さんのすばらしい鉛筆画の装丁。
> お誕生日に出すなんて、心憎いですね。

中井英夫が『虚無への供物』の開幕の日に亡くなったという「暗合」もございまして、中井英夫死後の刊行物は、本多正一氏が意図して刊行日を調整しているのでございますね。
で、口の悪い私は「また、むりやり暗合ですか」なんて憎まれ口を叩いたりしているのでございます(笑)。

> 発行部数はどのくらい?

聞きましたが、忘れました(笑)。でも、多くないのは間違いございません。

> やはり、コレクターはコレクション用と読書用と買うんでしょうね(笑)。

それはそうでございましょう。私の場合、今回の本は、中井英夫自身の本ではございませんから、それほどたくさんは購入いたしませんでしたが(笑)。


ちなみに、『凶鳥の黒影』の執筆者の一人、津原泰水のサイトaquapolisの中に、『凶鳥の黒影』公式サイトが開設されましたので、ぜひ一度、ご覧になって下さいまし。


> ホランドさまに「・・・」って言われるのはいやだしな・・・。

私は「オヤジ」と言われるのが、それほどイヤではございません。実際、「スケベ」で「ダジャレ好き」な、典型的な「オヤジ」でございますからね。――ただ「そういうおまえはどうだ?」ということで、「ガキ」に対して甘い態度は採らないのでございますよ(笑)。

> マックちゃん、お疲れのようね。
> うちの馬龍くんも最近ゴキゲン斜め。せっかちで困ります。
> 今朝、書き溜めていた長文のメールを一瞬にして消失してしまいました(泣)。
> いきなり変換できなくなって、フリーズ。「送信しますか?」に「いいえ」と応えたら。
> 「私が何したっていうのー!?」
> 突然の仕打ちに、扁平顔に罵声を浴びせ、平手打ちを食らわしてしまいそうな私でした。
> しかし、冷静なわたしは、馬龍くんのシルバーグレー(若白髪)の絶壁頭をなでなでしたのでした。

馬龍くんも、なかなかやってくれますなあ(笑)。

ちなみに、パソコンを買った当初に読んだ「i-Macの使い方」の本には、本当に「パソコンに名前をつけて、声をかけてあげよう」とか書いてありましたよ。そうすることでパソコンに愛着がわき、大切に扱うようになれば故障も少ないということなのでしょうが、でも、やっぱりパソコンは「人間的な機械」でございますよね(笑)。



 ホランド

でも、こういう人間精神が信じられた時代の作品と、今の日本の若手作家の作品とを単純に比較して「今の日本の若手作家は志が低い」とか批判しても意味ないんですよね。まずは、どうして今の作家や若者たちは、この現実を(個々の生活環境にかかわりなく、一般 に)「生きにくい」と感じてしまうのか、そこを真摯に探らなくてはならない。ボクたちがそれを感じていないから、「我々は強く、彼らは弱い」なんて思うのは、むしろ時代にたいする鈍感さと不遜さの証拠でしかないんだと思います。

なかなか手厳しい言葉だな(笑)。
ただ、私が嶽本野ばらなどに期待するのは、そういう繊細さを持ったその上で、そこから先に踏み出す勇気を持ってほしいということだ。時代のカナリヤであることにも大いに意味はあるだろうが、彼ら自身、それに止まりたいわけではないと信じたいな。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


カンノン様が見ているぞ(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時22分25秒


 はらぴょんさま(つづき)

>・巻末の編集後記を見ますと、講談社『ファウスト』の太田克史編集長の協力を得ているとのこと。

これは笠井潔や太田克史編集長が、『ユリイカ』の特集に口を出しているというよりも、むしろこの企画が笠井潔らによる持ち込みである可能性の高さを示唆しているとみて間違いございません。つまり、自発的な特集ではないだろうということでございます。

かつて笠井潔は、「新本格」ブームを確固たるものとするために、戦略的に「ミステリ評論」を盛り上げようとし、学生運動時代の人脈を利用して、各種雑誌にミステリ特集を組ませました。
法月綸太郎の(単行本未収録の)幻の短編禁じられた遊び(小説トリッパー・1995 冬季号掲載)にはそのあたりの事情が、次のように記されております。

『そんなわけで、ぼくはここ一年間ずっと、**さんの命令に従って、一所懸命ご奉公してきた次第です。自分の仕事を犠牲にしてね。**さんは、こっちの都合とか考えないで、勝手に頭越しに話を決めちゃう人ですから――法月君、今度『G思想』で〔メタ・ミステリー〕特集というのをやることになったから、きみは、百枚の評論を書きたまえ。もう編集長に話は通 してある。ぼくは対談をやるから。法月君、今度『Y時代』で〔本格ミステリーの現在〕という連載評論の企画をやることに決めたから、第一回はきみが書きたまえ。ぼくは他誌の要約を載せるから。法月君、今度はA新聞が出す『T』という雑誌で〔新本格〕特集をやることになったから、きみは短篇を書きたまえ。いや、もうそういうことに決まったんだ。ぼくはS田荘司と対談をするから――いつもこんな調子でね。もちろん目をかけてもらって、引き立ててくれるのはありがたいと思ってますし、**さんの推理文壇に対する提言のひとつひとつに賛同している人間ですから、ぼくも日本のミステリー文化向上のために、できる限りの努力はしようと思っていますよ。現にそうしてきたつもりです。/だけど、いくら何でもあんまりなんじゃありませんか。だってぼくはここんところ、**さんに命じられた仕事をこなすのが精一杯で、予定の原稿なんか全然書けずにいるんです。』

もちろん、『G思想』は『現代思想』(青土社)、『Y時代』は『野生時代』(角川書店)、『A新聞が出す『T』という雑誌』とは、朝日新聞社が出す『小説トリッパー』のことでございます。

アリバイ工作のため、フィクションめかして書かれてはいるものの、ここに書かれていることの、少なくとも雑誌の特集については、「すべて事実」でございます。つまり、笠井潔はこのようにして、法月綸太郎らを手駒として使い、後の「探偵小説研究会」へと発展していく「ミステリ評論」の位 置を確保し、そのなかでミステリ界における自身の地歩を固めていったのでございます。

そして、ここで注目すべきことは、今回「西尾維新特集」を組む『ユリイカ』が、『現代思想』と同じ青土社の雑誌だ、という点でございましょう。つまり、笠井潔は今回も、かつてと同じように「もう編集長に話は通 してある。太田くん、君は最大限の協力をしたまえ。いや、もうそういうことに決まったんだ。」というようなことを言った(やった)のかも知れない、ということでございます。

で、太田克史編集が東浩紀に「やはり、この特集は東さんが前面に出ていただきませんと。できれば、対談とご論考がいただければ……」などと話を持っていったところ、東浩紀は「笠井さんの思惑どおりに動くのは気が進まないな。太田さんも、もうすこし考えた方がいいんじゃないですか。まあ、今回は『波状言論』に載せた西尾さんとの対談の再録で勘弁して下さいよ。はっきり言って、僕は、笠井さんの文壇政治の片棒を担がされるのはゴメンなんです。僕は法月綸太郎とは違いますからね、言いなりにはなりませんよ」などと応じたのではないでしょうか?(笑)


> ノーム・チョムスキーの『覇権か、生存か』(集英社新書)も刊行されました。

こちらも早速購入したいと存じます。
いつも情報をありがとうございます。はらぴょんさまのおかげで、私もずいぶん助けられております。





( 以下は「カンノン様が見ているぞ(6)」につづく)


カンノン様が見ているぞ(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時21分31秒


 はらぴょんさま

(1)『ユリイカ』9月臨時増刊号総特集西尾維新(青土社)が刊行になりました。
> ・西尾維新と東浩紀with波状言論編集部の対談「偏在するトラウマ、壊れた世界」が収録されています。これは東浩紀によるメールマガジン『波状言論』のための対談を再収録したものです。
> ・笠井潔は「『近代文学の終わり』とライトノベル」を執筆。
> 日経から刊行されたムック本『ライトノベル完全読本』の「通産官僚の主導による「コンテンツ産業の育成」路線と、「ライトノベルは、文壇での正当な評価を受けなければならない」という大真面 目な主張」(P43)を斬る一方で、柄谷行人の講演『近代文学の終わり』の「作家が娯楽作品を書くことを非難しません。…(中略)…せいぜいうまく書いて、世界的商品を作りなさい。」(P44)という主張について、「ジャンルXは、「ただの娯楽」にしては過剰なものを孕みすぎてもいる」(P45)点を捉え損なっているとして、同時に斬っています。また、舞城王太郎が芥川賞を落選したことについて、選考委員は「「セカイ系」というコトバさえ知らなかった…(中略)…能力をもたない人間」(P46)であるといっています。西尾維新については『ぼくときみの壊れた世界』を後期クイーン的問題を踏まえながらも、探偵小説の「読ませる機械」という魅力を救おうとする試みとして評価しています。(つまり、西尾維新のこの固有性を理解しているのは、能力のある自分だけだというわけです。)

要するに、新世代に対し、自身の延命を賭けた、これ見よがしの「ゴマを擦っている」ということでございましょう。

『選考委員は「「セカイ系」というコトバさえ知らなかった』とか言っているそうでございますが、それがどうしたというのでございましょう。そんな言葉を知っていようがいまいが、それは少しも本質的な問題ではございません。「新しい物好き」が賢いと思うような人間は「初歩的なバカ」でございましょう。

それに、芥川賞や直木賞の選考委員に選考能力が無いというのは、何も昨日今日に始まったことではございません。それを今になって指摘するのは、笠井が、選考委員の資格の問題云々よりも、単に舞城王太郎らにゴマを擦りたかっただけだからでございましょう。
それに、たとえ今の芥川賞の選考委員が、選考委員として個人的にいかに無能であったとしても、文学賞を「党派運営」の道具にするような笠井潔本人に比べれば、よほど罪が無いとも申せましょう。





( 以下は「カンノン様が見ているぞ(5)」につづく)


カンノン様が見ているぞ(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時20分33秒


 Keenさま

お誕生日、おめでとう

> 竹本健治&中井英夫ご両人の。
> 今年は新刊本の発売日なので、覚えている方が多いようで嬉しいです。

……忘れてなどおりませんとも。ただ、思い出さなかっただけでございます(-_-;)。

> 実はアーニャが猫風邪をひいたようで、寝込んでいますので、今日はこれで失礼します。

アーニャをよろしくお願いいたします。

また、季節の変わり目で、疲れの出る時期でもございますから、Keenさまも(みなさまも)ご健康には、くれぐれもお気をつけ下さいまし。



 時雨さま

課題やっつけたり肩脱臼して病院行ったりでご無沙汰しておりました、時雨です。

おひさしぶりでございます。お姿を見せてくださらないと思っていたら、やっつけたりやっつけられたり、忙しくなさっていたようでございますね(笑)。

> レス遅くなりましたが、『ファウストの夜』堪能させていただきました。
> ただ、けちをつけるわけではないのですが「これも健全なミステリ業界を作るためには、必要なことなんだよ。誰かが、手を汚さなきゃならないんだ」という台詞にはちょっと違和感を覚えてしまいました。
> これらの作家さんはあまりミステリというものにこだわりをもっていないので(佐藤友哉とかすごいこといってますよ)、『業界の為に何かしよう』、という意識は希薄だと思います。むしろ『一人の思想家くずれに牛耳られる程度ならミステリなんてそのまま腐ってしまえ』ぐらいのことを言いそうです。

ご指摘のとおりでございます。
私はあの「小説もどき」を書いた時点で、乙一、北山猛邦、佐藤友哉、滝本竜彦、西尾維新のうち、佐藤友哉、西尾維新については小説を1冊読んだだけ、滝本竜彦、乙一は、エッセイをいくつか眺めた程度、北山猛邦にいたっては、まったく何も読んでおらず、作品名すら一つも知らない状態でございましたから、それぞれの人柄を実物に似せて描けるような状態ではなかったのでございます。

それに、あれはもともと無理のある話で、普通に考えれば、みなさんがあんなことをなさるはずもございませんし、もとよりあの長さでは、説得力のある動機の提出も無理でございましたから、適当なきれいごとでお茶を濁したのでございます。
また、なにしろ、みなさん実在の人物であり、しかも私がよく存じ上げない方ばかりでございますから、あんまり酷い描き方をするわけにもいきませんので、酷いことをさせる代わりに、動機はきれいごとにしておいたのでございますよ(笑)。

ちなみに、佐藤友哉が言っている『すごいこと』というのに興味がございますので、よろしければ具体的にご紹介願えないでしょうか。

ま、じっさい、そのあたりの若手作家が、内心では『一人の思想家くずれに牛耳られる程度ならミステリなんてそのまま腐ってしまえ』ぐらいのことを考えているというのは、十二分にありえることでございますし、それが間違った考えだとも思いませんが、問題はそれを具体的に言葉にできるか否かなのでございますね。
笠井潔を陰で誹っている人間は、若手でなくても結構いると思うのでございます。しかし、笠井潔のような政治屋には、実害のない範囲での陰口など、まったく何の影響もございませんから。


> ゲームに関する記述が多くなる上に笠井潔とほとんど関係のないため投下に躊躇していた奈須きのこ論『二十万部の秘密─攻略本とTRPG的想像力(仮)』も結構楽しまれるかもしれませんね。
> この連休中にがんばって仕上げてみます。

そんな遠慮をなさっていたのでございますか。どうぞやってくださいとお願いした以上、よほどのことがない限り、その言葉を反古にするようなことはいたしませんので、遠慮なくやってくださいまし。

私も、時間さえあればゲームをやっていたのでございますが、読書を優先したために、ゲームを自らに禁じ、初めてパソコンを購入した際も、ゲームソフトの少ないマックをあえて選んだ、という経緯もあるのでございます。したがいまして、私の興味の範囲で、ゲームの世界のことをご教示いただけるのなら、こんな好都合なことはないのでございますよ。ですから、是非ともよろしくお願いいたします。笠井潔のことは、教えられなくてもかなり知っているつもりでございますから、私の知らないことをこそ、ぜひお聞かせ下さいまし。





( 以下は「カンノン様が見ているぞ(4)」につづく)


カンノン様が見ているぞ(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時19分37秒


さて、『千里眼 ミドリの猿』は、松岡圭祐の同名作品を映像化した映画でございますが、「原作からしてこうなのだろうな」と思わせる陳腐なB級サスペンスで、最初の20分で犯人とか大筋は見抜けてしまう作品でございます。
まあ、それはいいのでございますが、この映画には「東京湾観音」というのが出てまいりまして、私は鑑賞中ずっと、これは実在しないもので、映画のなかだけのフィクションだ(ここだけはよく出来ている)と思っていたら、この観音さま、実在したのでございますね。この映画では、この観音さまの映り込む風景だけが、怪獣映画ぽく、かつ妖しかったので、お気に入りだったのですが……。

ちょうど山代温泉からの帰路、バスの車窓ごしに、加賀観音を発見した私が「おお、ウルトラマンやバルタン星人が実際に立ってたら、あんな風景になるのか」と感動し、バスガイドさんに高さを尋ねてみますと、70数メートルというご説明。私がそくざに「ウルトラマンよりでかい!」と反応したら、べつの同僚が「コンバトラーVよりもでかい」と申しました。『超電磁ロボ コンバトラーV』のエンディングテーマの歌詞に「♪ 身長57メートル、体重550トン」とあるからでございます(笑)。――ともあれ、そういう実物を見た後に、映画で「東京湾観音」なんてものを見てしまったのでございます。

以前、山口雅也の『日本殺人事件』(角川文庫)という、パラレル日本(外国人の誤解したイメージなかの日本)を舞台にした異世界ミステリを、楽しく読んだのでございますが、この作品にも、東京湾に観音像が建っているという描写 がございまして、私はその当時も「作品が作品だから、自由の女神のパロディーだろう」と思っていたのでございます。つまり、私といたしましては、「地方に、そういうどこか間抜けな象が建てられるのは、まあわからないでもない。しかし、日本の首都の港に、そんなものが建っているなんてことは、まあないだろう。東京湾に観音像が建ってるなんてビジョンは、外国人の誤った日本のイメージを、茶化して描いたものに過ぎないのだろう」という風にしか、考えられなかったのでございますね。

で、昨日たまたま、書店で『晴れた日は巨大仏を見に』(宮田珠己・白水社)を発見いたしました。私はこの本で、私が旅行で実見したのが「加賀観音」であり、『千里眼 ミドリの猿』に出てきた「東京湾観音」が実在することを知ったのでございます。

この本の帯には、『ウルトラマンより大きな仏像が日本各地に存在している!』と私の感想そのままの惹句が書かれており、『見仏記』のいとうせいこうとみうらじゅんの推薦文がございました。驚いたのは、6月15日の初版刊行なのに、すでに4刷しているという事実でございます。きっと一刷あたりの部数は少ないのでございましょうが、それにしても、それなりの需要があるのでございますねえ。

当然のことながら、この『晴れた日は巨大仏を見に』には、日本各地の巨大仏の写 真が掲載されており、それには著者の一言コメントが付されているのでございますが、それが『林を踏み分けて前進する大仏(ウソ)』とか『月夜になると音もなく移動する(ウソ)』といったもので、著者が巨大仏に感じている魅力が、私のそれと同様のものであることが、たいへんよくわかりました。
そこで、本書に好感をもった私は、平台に積まれた本を掘り返し、しっかり初刷を見つけ、意気揚々とそれを買って帰ったというわけでございます(笑)。





( 以下は「カンノン様が見ているぞ(3)」につづく)


カンノン様が見ているぞ(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月19日(日)00時18分44秒

みなさま、先日の書き込みで『旅行帰り』ということを書きましたが、じつは私、この13、14日の一泊二日で、会社の社員旅行に行ってまいりました。行き先は、石川県の山代温泉でございました。

私は、旅行や観光というものにまったく興味のない人間なのでございますが、この社員旅行は、年に一度のおつきあいということで参加したのでございます。行きも帰りもバスの旅で、車中私は本ばかり読んでいたのでございますが、退屈した同僚がビデオ上映を提案したことから、行きは『ミナミの帝王 リストラの代償』、帰りは『ミナミの帝王 絆』と『千里眼 ミドリの猿』の2本を鑑賞することになりました。


たしか前年の旅行でも『ミナミの帝王』を観たような気がするのでございますが、私がいくつか観た範囲で申しますと、このVシネマ・シリーズは、「裏金融」の世界を舞台にしているだけあった、時事的な社会ネタを上手に取り込みつつ、安定した面 白さのある作品を提供し続けている模様でございます。

この作品の魅力は、裏金を営む非情の男銀次郎が、悪党にはめられて借金を返せなくなった弱者のために、悪党を懲らしめて借金を回収するというパターンにございます。つまり、銀次郎はべたべたの正義派ではなく、むしろ「借りた金は返す。これは常識でっしゃろ。あんたが返せなくなった理由なんか、わしには関係おまへんで」とか「娘売ってでも、金は返してもらいまっせ」と冷酷ぶりを見せつけるのですが、最後は「金の回収のため」という大義名分を立てて、悪を懲らしめ弱者を助けるのでございます。このへんが、かつて「あっしには、かかわりあいのねえことでござんす」の名セリフで一世を風靡した『木枯らし紋次郎』に通 じる「心優しきアウトロー」の魅力なのでございましょうね。
観光バスの車内ビデオと言えば、昔なら『フーテンの寅さん』、近年では『釣りバカ日誌』が定番だったのでございますが、『ミナミの帝王』はその強力ラインへ食い込んできている模様でございます。

ただ、この作品にも難点はございまして、それは見終った後に、つい竹内力のしゃべり方を真似したくなる、という点でございます(笑)。





( 以下は「カンノン様が見ているぞ(2)」につづく)


ちょっと隣町まで買い物に 投稿者:AOI  投稿日: 9月18日(土)10時08分23秒

昨日は駅ビルのK書店に『凶鳥の黒影』を買いに行きました。店頭になく、検索で入荷を確認すると、1冊入荷したものの、例によって店頭には並べられないまま倉庫に眠っていたようです。
奥から出されてきた1冊は、帯や裏表紙に微妙に汚れがある。
納得できませんよぅ。(なぜかコレクターモード)
結局、隣まちまで2駅、電車に乗って買いに行くことに。
建石さんのすばらしい鉛筆画の装丁。
お誕生日に出すなんて、心憎いですね。

発行部数はどのくらい?
やはり、コレクターはコレクション用と読書用と買うんでしょうね(笑)。

☆園主さま

>ご自分で挑戦なさっては、いかがでございましょう? 

そうですね。そのうちにね(笑)。

>……それに、以前、私がちょっとエッチなサイトをご紹介したら、ずいぶんお怒り
になられたくせに(-_-;)。

う〜む。それはちょっとちがいますよ(笑)。
もう、忘れてしまわれているようなので、いいですけど。

でも、
>お慎み下さい・・・。
>まったく、園主さまは「オヤジ」だし、AOIさまもKeenさまも・・・(-_-;)。

ホランドさまに「・・・」って言われるのはいやだしな・・・。

>――それにしても、パソコンというのは、よくわからない機械でございますね。
(と言いつつ、マックちゃんの青い頭を撫でた、私なのでございました)

マックちゃん、お疲れのようね。
うちの馬龍くんも最近ゴキゲン斜め。せっかちで困ります。
今朝、書き溜めていた長文のメールを一瞬にして消失してしまいました(泣)。
いきなり変換できなくなって、フリーズ。「送信しますか?」に「いいえ」と応えたら。
「私が何したっていうのー!?」
突然の仕打ちに、扁平顔に罵声を浴びせ、平手打ちを食らわしてしまいそうな私でした。
しかし、冷静なわたしは、馬龍くんのシルバーグレー(若白髪)の絶壁頭をなでなでしたのでした。

びゅゆゆ〜〜ん←マックちゃんへの念力癒しビーム

☆時雨さま

>「これも健全なミステリ業界を作るためには、必要なことなんだよ。誰かが、手を汚さなきゃならないんだ」

園主さま独特のギャグでは(笑)。

>『一人の思想家くずれに牛耳られる程度ならミステリなんてそのまま腐ってしまえ』

これ、いいですねー。


情報をふたつ 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月18日(土)06時25分59秒

(1)『ユリイカ』9月臨時増刊号総特集西尾維新(青土社)が刊行になりました。
・西尾維新と東浩紀with波状言論編集部の対談「偏在するトラウマ、壊れた世界」が収録されています。これは東浩紀によるメールマガジン『波状言論』のための対談を再収録したものです。
・笠井潔は「『近代文学の終わり』とライトノベル」を執筆。
日経から刊行されたムック本『ライトノベル完全読本』の「通産官僚の主導による「コンテンツ産業の育成」路線と、「ライトノベルは、文壇での正当な評価を受けなければならない」という大真面 目な主張」(P43)を斬る一方で、柄谷行人の講演『近代文学の終わり』の「作家が娯楽作品を書くことを非難しません。…(中略)…せいぜいうまく書いて、世界的商品を作りなさい。」(P44)という主張について、「ジャンルXは、「ただの娯楽」にしては過剰なものを孕みすぎてもいる」(P45)点を捉え損なっているとして、同時に斬っています。また、舞城王太郎が芥川賞を落選したことについて、選考委員は「「セカイ系」というコトバさえ知らなかった…(中略)…能力をもたない人間」(P46)であるといっています。西尾維新については『ぼくときみの壊れた世界』を後期クイーン的問題を踏まえながらも、探偵小説の「読ませる機械」という魅力を救おうとする試みとして評価しています。(つまり、西尾維新のこの固有性を理解しているのは、能力のある自分だけだというわけです。)
・巻末の編集後記を見ますと、講談社『ファウスト』の太田克史編集長の協力を得ているとのこと。
(2)ノーム・チョムスキーの『覇権か、生存か』(集英社新書)も刊行されました。
読まねばならないものが、山積しつつあります。

http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0260-a/index.html


季節移りて、風は秋 投稿者:時雨  投稿日: 9月18日(土)02時51分41秒

課題やっつけたり肩脱臼して病院行ったりでご無沙汰しておりました、時雨です。

>園主様
レス遅くなりましたが、『ファウストの夜』堪能させていただきました。
ただ、けちをつけるわけではないのですが「これも健全なミステリ業界を作るためには、必要なことなんだよ。誰かが、手を汚さなきゃならないんだ」という台詞にはちょっと違和感を覚えてしまいました。
これらの作家さんはあまりミステリというものにこだわりをもっていないので(佐藤友哉とかすごいこといってますよ)、『業界の為に何かしよう』、という意識は希薄だと思います。むしろ『一人の思想家くずれに牛耳られる程度ならミステリなんてそのまま腐ってしまえ』ぐらいのことを言いそうです。

>もちろんこれは、「Xジェネレーション」の作家、『メフィスト』世代の作家、そして時雨さまたちの世代の「世代的特性」を、ある程度は理解した上で、その文学的価値を客観的に評価したいということだ。

とのことですが、それならゲームに関する記述が多くなる上に笠井潔とほとんど関係のないため投下に躊躇していた奈須きのこ論『二十万部の秘密─攻略本とTRPG的想像力(仮)』も結構楽しまれるかもしれませんね。
この連休中にがんばって仕上げてみます。

>Keen様
『メフィストーフェレスの囁き』最高でした。
いやはや、宗像先生お年を召されてもお盛んなようで・・・(笑)

はらぴょん様
ユリイカ9月臨時増刊号 特集 西尾維新』
紹介ありがとうございます。
書店で見かけたら読んでみます。
笠井潔は西尾の解説というより「新伝綺」の解説&宣伝をやりそうですね。


冷たい方程式(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月17日(金)23時39分17秒


 AOIさま

きたよ〜♪

 ありがとうございます! また、お暇をみつけて、おいで下さいね!(^-^)

> あ、ロム派の乙女たちを意識してるね(笑)

 そういうことじゃないです! 他人の目が気になるんじゃなくて、ただ恥ずかしくなるんですよー、ああいうノリ・・・(-_-;)。



 Keenさま

お誕生日、おめでとう

> 竹本健治&中井英夫ご両人の。
> 今年は新刊本の発売日なので、覚えている方が多いようで嬉しいです。

 園主さまは、きっと忘れてたと思う(笑)。

> 実はアーニャが猫風邪をひいたようで、寝込んでいますので、今日はこれで失礼します。

 だいぶ姿を見せてくれてないけど、早く元気になって遊びにおいで、ってお伝え下さいね。



 園主さま

私の方も、目下、嶽本野ばらを読む進めているところだ。この調子でいくと、小説作品はぜんぶ読んでしまうかも知れない(笑)。まあ、そのうえで、嶽本野ばらを評価し、そこから「生きにくさ」を描く、多くの現代若手作家の問題に迫りたいと思う。もちろんこれは、「Xジェネレーション」の作家、『メフィスト』世代の作家、そして時雨さまたちの世代の「世代的特性」を、ある程度は理解した上で、その文学的価値を客観的に評価したいということだ。

 ボクも、そういう興味をもっていろいろ読んでいますけど、やっぱり今の日本の若手作家には、ボクらでも気づくような、ハッキリとした「世代的特性」があるようですね。
 例えば、今日ご紹介したトム・ゴドウィンの「冷たい方程式」なんかは、現実の冷厳さを描きながらも、決して人間をその被害者として消極的に描いているわけではありません。むしろ、そこに描かれているのは、いかんともしがたい現実に対峙する、人間精神の気高さなんです。――でも、こういう人間精神が信じられた時代の作品と、今の日本の若手作家の作品とを単純に比較して「今の日本の若手作家は志が低い」とか批判しても意味ないんですよね。まずは、どうして今の作家や若者たちは、この現実を(個々の生活環境にかかわりなく、一般 に)「生きにくい」と感じてしまうのか、そこを真摯に探らなくてはならない。ボクたちがそれを感じていないから、「我々は強く、彼らは弱い」なんて思うのは、むしろ時代にたいする鈍感さと不遜さの証拠でしかないんだと思います。

 鉱夫たちが坑道に入る時、ガス感知装置としてカナリアの鳥籠を下げて入ったと言いますけど、いつの時代でも若者たちが、時代の歪みにもっとも敏感に反応するものですし、その最先端にいるのが、若者たちの気分を掬い上げる同世代の作家や歌手たちでしょう。彼らが発する「警告としての悲鳴」に、ボクたちが「このくらいでピーピー鳴くな、根性なし!」なんて言うとしたら、それは大バカもいいところでしょうからね。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


冷たい方程式(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月17日(金)23時38分0秒


 はらぴょんさま

『凶鳥の黒影(まがとりのかげ)〜中井英夫へ捧げるオマージュ』が刊行されました。綾辻行人の『暗黒館の殺人』を読み終えていないため、とりあえず竹本健治の短編小説「彼ら」と、笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」を読みました。この続きの読書は、『暗黒館の殺人』読了後となります。

 ボクも未読ですので、感想はいずれ。

> 笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」は、笠井潔が『虚無への供物』を初めて読んだのは、いいだもも宅の贈呈本であったこと、いいだももは優等生であった自分を自慢するタイプだったが、中井英夫は優等生嫌いであったことなどを書いています。

『いいだももは優等生であった自分を自慢するタイプだったが』、笠井潔は「反抗的不良」であった自分を自慢するタイプでございます。例えば、笠井潔は、大学除籍で実質的高卒だったのを自慢しておりますし、デビュー作『バイバイ、エンジェル』が「角川小説賞」という、笠井潔曰く『ふつうは「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない「文学賞」』(『国家民営化論』)でデビュー出来たことを、おかしな形で自慢するのでございます。
> また、中井英夫は『優等生嫌いであった』かも知れませんが、「政治屋嫌いであった」ことは間違いございません。(< 園主さま)

 ・今月号の「ダ・ヴィンチ」に、笠井潔と小林泰三の対談が掲載されています。笠井潔は、斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を挙げ、『ヴァンパイヤー戦争』は戦闘美少女ものの先駆かもしれない、といった話題をしています。

かなり「壊れ方」が露骨になってまいりました。恥も外聞もない自慢でございますね。早けりゃ良いというものでもないでしょうに(笑)。(< 園主さま)

 それにしても、最近の笠井さんの自画自賛ぶりは、目に余るものがあると思います。いくら角川春樹時代の角川書店と決別 したからといっても、当時デビュー作に与えられ、またそれを自ら進んで受けた文学賞について、後になって『ふつうは「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない「文学賞」』なんて書くのは、人として恥ずべき、「裏切り」でもあれば「忘恩」だとも言えるでしょう。

 もちろん笠井さんにしてみれば「それが私には似合いだと書いているんだから、決して私個人は、あの賞を否定しているわけではない。あれはあくまでも、誤りとしての一般 的なイメージを、推測的に語っただけだ」なんて言い訳をするんでしょう。だけど、ホンネは見え見えですよね。

 本気で『「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない「文学賞」』が自分には「似合い」だなんて斜に構えたことを言うんだったら、今ごろになって「本格ミステリ大賞」なんて、いかにも正統派ぶった賞をもらうべきではないんです。
 この賞をもらったということは、「本格ミステリ大賞」が笠井潔にお似合いの『「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない「文学賞」』だということか、笠井潔がかつてのような『「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない』作家ではなくなった(権威ある正統派の作家になった)ということを自身で認めるか、のいずれかしかないんですからね。

 むろん、笠井さんのホンネは後者なんでしょうが、園主さまに言わせれば、当然、前者が真相だということになりますし、最近の笠井さん本人による「私は先駆者であった。だからこそ正当に評価されてこなかったのだ」という臆面 もない自家宣伝を見れば、むしろ園主さまの見方の方が正しいとしか思えないんじゃないかと思います。

 それにしても、「戦闘美少女」なんて、『ヴァンパイヤー戦争』以前に、いくらでもあると思うんだけどなあー。いちいち例証を示して否定する気も失せてしまうような、低レベルの自慢話です……。





( 以下は「冷たい方程式(4)」につづく)

 

冷たい方程式(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月17日(金)23時37分0秒

『トム・ゴドウィンは、今から二千年後、大理石に刻まれて残るような名前ではないかもしれない。しかし、ただ一つ彼が書いた多くの佳作の中で、この「冷たい方程式」だけは、記念碑として後世に残しておきたい気がする。……これは、一つのシチュエーションを曖昧さをいっさい排して吟味し尽した、非常に稀な作品である。このようなシチュエーションが将来おこり得るかどうかということはまったく問題ではない。この小説を読んで以来、それは私にとっての一つの目標、一つのカテゴリーになってしまった』
                        (前記「解説」より孫引き)

 シオドア・スタージョンは、このように押さえた調子で「冷たい方程式」を絶賛していますが、要は「冷たい方程式」という作品は、その「完璧無比」性において「作家たちを呪う作品」だということなんです。事実その後、この作品のシチュエーションに挑戦した作品がいくつも書かれていて、方程式ものと呼ばれる小ジャンルを形成したほどなんです。特に日本では、その「様式性」が愛されたのか、多くの作家が「方程式もの」を書いていますし、SFのオールタイムベストでは、短篇部門のベスト3の常連作品となっています。こないだボクが紹介した『SFマガジン』誌が、1998年におこなった『オールタイム・ベストSF』の「海外短篇部門」でも、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやりかた」に続いて、堂々の第2位 に輝いています。前にもご紹介したとおり、この時の投票ではジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品がベスト10に3作も入っており、「J・ティプトリー・ジュニア」ブームの中での投票結果 という感じもないわけではなかったのですが、それを勘案すれば「冷たい方程式」が、いかに揺るぎない評価をうけている作品なのかが、よくわかるのではないかと思います。

 そんなわけで、ボクなんかからすると、「冷たい方程式」のトム・ゴドウィンは、『虚無への供物』の中井英夫を連想させるところがあります。どちらも、奇跡のような「完璧無比」な作品を残して、後世の作家に呪いをかけたという意味で。ただ、「冷たい方程式」は短編ということもあって「結晶のような完璧性」は備えているものの、『虚無への供物』ようなスケールの大きさはなく、その意味では「読者をも呪う」という点においては、『虚無への供物』の後塵を拝するかも知れません。でも、短編と長編を単純に比較するのが、どだい無理な話で、やはり「冷たい方程式」は、短編らしく「声高に語らない完璧な短編小説」なんだと思います。

 ボクは、この作品に込められた「冷厳さ」と「秘められた熱さ」に、シモーヌ・ヴェイユを連想させられました。みなさんにも、ぜひ読んでいただきたい傑作です。





( 以下は「冷たい方程式(3)」につづく)


冷たい方程式(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月17日(金)23時36分17秒

 みなさん、こんばんは! 最近、SFづいてる僕ですが、翻訳短篇SFのアンソロジーSFマガジン・ベスト(1) 冷たい方程式』(トム・ゴドウィン他 / 伊藤典夫・浅倉久志編)を読みましたので、今回はこの本をご紹介したいと思います。

1980年2月初版の文庫オリジナル・アンソロジーで、ボクが買ったのは2001年2月の14刷の古本です。収録作品は、キャサリン・マクレイン「接触感染」、F・L・ウォ−レス「大いなる祖先」、ポール・アンダーソン「過去へ来た男」、アルフレッド・ベスター「祈り」、ロバート・シェクリイ「操作規則」、トム・ゴドウィン「冷たい方程式」、アイザック・アシモフ「信念」の7作です。
 伊藤典夫の「解説」にあるとおり『このアンソロジー・シリーズは、雑誌〈SFマガジン〉のバックナンバーの中から、これまで文庫への再録の機会に恵まれなかった英米SFの秀作を掘りおこし、紹介してゆくもの』であり、必ずしも収録作が、収録作家の代表的短篇というわけではありません。その意味では『SFマガジン・ベスト』というほどのものではない作品も含まれているのでしょうが、あまりSFを読んでないボクには、そのあたりの評価が、なかなか難しいところです。つまり、「ベストと題するわりには、案外つまらない」と感じる作品があるのは、「今、読むから」なのかどうか(刊行当時に読んだら、傑作と感じたのかどうか)が判然としないんですね。どの作品もそれなりに良く書けているとは思うんですけど、例えばポール・アンダーソンの「過去へ来た男」は、映画にもなった半村良の長編『戦国自衛隊』の原型的短篇バージョンだし、アルフレッド・ベスターの「祈り」やアイザック・アシモフの「信念」なんかは、アメリカのテレビシリーズ『トワイライト・ゾーン』(邦題『ミステリーゾーン』)に出てきそうな話で、その辺の映画とかノベライズとか日本版『トワイライト・ゾーン』である『世にも奇妙な物語』を知ってるボクには、それほど感心させられる作品ではありませんでした。

 でも、表題作「冷たい方程式」は、名作の誉れ高い作品だけあって、他に抜きん出た傑作という印象がありました。この作品は、本集収録の他の作家の作品とは違い、作者トム・ゴドウィンの代表作――と言うよりも、むしろトム・ゴドウィンは、この1作をもってSFの歴史にその名を刻んだ作家なんです。その証拠に、彼はかなりの数の作品を書き、これだけ名高い傑作を残していながら、日本ではトム・ゴドウィン名義の本が1冊も刊行されていないんですね。つまり、今では国内外を問わず、彼は〈「冷たい方程式」の作者〉なんですが、でも「冷たい方程式」は、そうした評価が、トム・ゴドウィンという作家を貶めるものにならないほどの、稀有な傑作なんです。





( 以下は「冷たい方程式(2)」につづく)


お誕生日おめでとう 投稿者:Keen  投稿日: 9月17日(金)10時41分20秒

竹本健治&中井英夫ご両人の。
今年は新刊本の発売日なので、覚えている方が多いようで嬉しいです。
ついでに、若山牧水の命日でもあるそうですが。

「メフィストーフェレスの囁き」にご好評頂き、ありがとうございます。
実はアーニャが猫風邪をひいたようで、寝込んでいますので、今日はこれで失礼します。


ご報告 投稿者:園主  投稿日: 9月16日(木)01時25分3秒

 みなさま

ホランドくんの書き込み破綻の理由(1〜4・2001.9.11)の投稿後の昨日9月15日に、討論・笠井潔をめぐって(9)の方へ、議論の流れの必要から、それ以前のホランドくんの書き込みたったひとつの冴えたやりかた(1〜4・2001.9.6)を追加収録したため、掲示板(および掲示板に付属のログ)上の書き込み破綻の理由(1〜4)のリンク先がズレる結果 が生じております

このズレに関しては破綻の理由(1〜4)を当サイトのバックログへの収録時に訂正したいと存じますので、悪しからずご勘弁下さいまし。

なお、討論・笠井潔をめぐって(10)収録の破綻の理由(1〜4)の方は、訂正済みでございます。






http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


中井英夫評価の新時代(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)23時53分8秒


 ホランド

破綻の理由

>  ボクは前回、乙一作品のラストにおける「世界の肯定」について、取ってつけたような唐突な印象が否めないと指摘しましたが、今回のことを考えあわせると、結局のところ、乙一さんは(ジュブナイルであるという縛りを意識したにしろ)、やはり単に「救いのない不幸」や「本物の悪人」を描く勇気が無かっただけなんじゃないか、と思えるんです。「厭なもの」は、その存在を認めたくない。だから描きたくもないし、描かないし、描けない。――そういうことなんじゃないかと感じたんですね。

なかなか興味深い指摘だな。これは、前回の君の、

 ところが、嶽本野ばらの方には、そういう「大人の配慮」がほとんどありません。だから、自分の実感にストレートに「世界の悪意」を描き、「被害者意識」を隠すこともなく表出してしまってるんですね。嶽本野ばらのこうした点に、園主さまは物足りなさを感じているのでしょうが、これは「文学者」としては、ある意味で「正しいあり方」だとも言えるでしょう。と言うのも、乙一のバランス感覚(大人の配慮)は、どこまでも「世界の肯定」を大前提とした「イデオロギー(=虚偽意識)的なもの」とも言える「作為的なもの」だからなんですよね。言っていることは正しいんだけど、でも「ホントに、そう感じてるの?」って言いたくなるところが、乙一のこの短編集に収められた3本には、共通 して感じられたんです。

という指摘の正しさを裏づけるものだと思う。

私の方も、目下、嶽本野ばらを読む進めているところだ。この調子でいくと、小説作品はぜんぶ読んでしまうかも知れない(笑)。まあ、そのうえで、嶽本野ばらを評価し、そこから「生きにくさ」を描く、多くの現代若手作家の問題に迫りたいと思う。もちろんこれは、「Xジェネレーション」の作家、『メフィスト』世代の作家、そして時雨さまたちの世代の「世代的特性」を、ある程度は理解した上で、その文学的価値を客観的に評価したいということだ。
言い換えれば、笠井潔周辺のミステリ評論家のように、この世代の特徴を「私と世界が直結して、社会の抜け落ちた世代」と片づけるような、優位 意識に裏づけられた評価ではなく、「違い」を認識した上での評価がしたい、ということだ。つまり、「バカにせず、媚びもせず」ということだな。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


中井英夫評価の新時代(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)23時52分5秒


 はらぴょんさま

『凶鳥の黒影(まがとりのかげ)〜中井英夫へ捧げるオマージュ』が刊行されました。綾辻行人の『暗黒館の殺人』を読み終えていないため、とりあえず竹本健治の短編小説「彼ら」と、笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」を読みました。この続きの読書は、『暗黒館の殺人』読了後となります。

『凶鳥の黒影』と『暗黒館の殺人』は未読ですので、感想については後日書かせていただきます。

> 笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」は、笠井潔が『虚無への供物』を初めて読んだのは、いいだもも宅の贈呈本であったこと、いいだももは優等生であった自分を自慢するタイプだったが、中井英夫は優等生嫌いであったことなどを書いています。

『いいだももは優等生であった自分を自慢するタイプだったが』、笠井潔は「反抗的不良」であった自分を自慢するタイプでございます。例えば、笠井潔は、大学除籍で実質的高卒だったのを自慢しておりますし、デビュー作『バイバイ、エンジェル』が「角川小説賞」という、笠井潔曰く『ふつうは「いかがわしさ」「いい加減さ」と特徴づけられるにちがいない「文学賞」』(『国家民営化論』)でデビュー出来たことを、おかしな形で自慢するのでございます。
また、中井英夫は『優等生嫌いであった』かも知れませんが、「政治屋嫌いであった」ことは間違いございません。

したがって、中井英夫という権威を担ぎ出して、いいだももとの比較のなかで、自分を飾れると思ったら、それはとんだ思い違いというものなのでございます。

生者は往々にして、死者の権威を濫用する(虎の衣を借る)ことで、自分を飾ろうとするものでございますが、われわれはその欺瞞を鋭く見抜かなければなりません。つまり、中井英夫を持ち上げる者が、すべて中井英夫に対して誠実な人間だという保証は、どこにもない、ということなのでございます。

> ・笠井潔の『ヴァンパイヤー戦争3妖僧スペシネフの陰謀』(講談社文庫)が刊行されました。解説は笹川吉晴。イラストは武内崇。

『ヴァンパイヤー戦争』第1、2巻は、8月末で第4刷の模様。「奈須きのこ」寄生作戦は、期待した成果 を収めている様子でございますね。ま、読者層を考えれば、致し方ないところでございましょう。

 ・今月号の「ダ・ヴィンチ」に、笠井潔と小林泰三の対談が掲載されています。笠井潔は、斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を挙げ、『ヴァンパイヤー戦争』は戦闘美少女ものの先駆かもしれない、といった話題をしています。

かなり「壊れ方」が露骨になってまいりました。恥も外聞もない自慢でございますね。早けりゃ良いというものでもないでしょうに(笑)。

子供の頃、よく子供どうしでそういう自慢をいたしました。「俺の方が前から知ってたぞ」「僕の方がもっと前から知ってたよ」「俺の方が、そのもっともっと前から知ってたぞ」「僕はその前から知ってたよ」「俺は、おまえの生まれる前から知ってたよ」「僕は宇宙が始まる前から知ってたよ」「俺はその前から知ってたよ」……と、幸福な子供時代でございました(笑)。





( 以下は「中井英夫評価の新時代(5)」につづく)


中井英夫評価の新時代(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)23時17分33秒


 AOIさま
『ファウストの夜』

> しか〜し、エロくない!エロくないぞー!
> 笠井潔先生に対しての肉体的あるいは、精神的欲望が感じられない!
> おつきあい程度のカンシンなのでは?
> 「健全なミステリ業界を作るため・・・」という下心が不純じゃ!(コホン!)

> もっと、エロティシズムを!
> もっと、嘗め回すような肉体の描写を!
> もっと、精神のいたぶりを!

> ・・・ということで(笑)。

ご自分で挑戦なさっては、いかがでございましょう? ……それに、以前、私がちょっとエッチなサイトをご紹介したら、ずいぶんお怒りになられたくせに(-_-;)。

まあ、それはべつにして、私は、笠井潔本人と面識もあり、実物を見ておりますからね、逆にリアルには書きにくいのでございますよ。プロのエロ小説家ならばともかく、私はアマチュアでございますから、私自身「妄想炸裂」しないかぎり、思いのこもったエッチな描写 など、できるものではございません。ですから、この場合、やれと言われてもそれは無理なのでございます。

それに、描写にかんしては、過剰な修飾を排除するリアリズムが、私の好みでございますから、「ファンタジーとしてのエロ小説」は、もともと不向きなのでございます。エロ小説を読んでいても、「お約束」の展開には、つい「そううまくはいかんやろう」などと、ツッコミを入れたくなる方なのでございます。お約束の「堪忍して」とかも(笑)。

せっせと本の山を「縛り上げた」。
>> きりりと引き絞った紐が小口に食い込むのを見ると、私は名状し難い罪悪感と快感を覚え、次第に我を忘れて作業に没頭していった。

さすがでございます(笑)。

この点は、まったく見過ごしておりました。さすがは「好きこそ、ものの上手なれ」でございますね(笑)。



 Keenさま

『メフィストーフェレスの囁き』

> 何かに魅入られてしまったかのような姿に、ある考え(イデー)が私の脳裏に閃いた。ムナカタは東京でニコライ・イリイチと遭い、何らかの洗脳を受けたのではないだろうか。私はすぐさまカケルに連絡をとり、ムナカタの状態を詳しく伝えた。
>  受話器の向こうのカケルは、めずらしく笑いを含んだ声で答えた。
> 「ナディア、それはメフィストーフェレス違いだ」

この「はずし方」は、いかにもナディアらしくて、笑ってしまいました。きっと駆も、同じように感じて、思わず笑ってしまったのでございましょうね。ナディアは、じつに可愛い女性でございます(笑)。

それにしても興味深いのは、今や、矢吹駆と笠井潔のイメージが、完全に分離してしまっている、という点でございます。
つまり、かつては矢吹駆と笠井潔のイメージが重なっており、笠井潔の「ストイックな」イメージを醸成されていたのでございますが、笠井自身の現実の行動が矢吹駆的な「ストイックな」イメージを裏切ったことと、宗像某が笠井潔の作中分身としてハッキリ描かれるようになってきたこと、さらには矢吹駆と宗像某が同じ作品に登場するにいたって、矢吹駆=笠井潔のイメージは完全に解消され、Keenさまの作品のなかでも「矢吹駆が、笠井潔を嘲笑する」ようになるにいたったのでございます。――これは、笠井潔にとって、案外おおきな「誤算」なのかも知れません。


やっぱり、全然エロくないっす(笑)。

まったくでございます。あとは、AOIさまの挑戦に期待いたしましょう(笑)。





( 以下は「中井英夫評価の新時代(4)」につづく)


中井英夫評価の新時代(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)23時16分39秒


中井英夫の章で、注目すべきは、『永井荷風、野上禰生子、渡辺一夫、清沢洌などの戦中日記も、国家や戦争批判において卓越していますが、国家観や戦争観では中井英夫ほどには本質をえぐってはいません。』(P160)という、著者による無類に高い評価でございます。

著者は、『大宅壮一とその時代』『木下順二の世界』『精神の原郷』『女性史としての自伝』『サザエさんとその時代』『美空ひばりとニッポン人』『喜劇の精粋抄』『眺める文化と曝される文化』『ぼくは悪人 少年鶴見俊輔』『唸なる星雲・草野心平』『保守の思想――昭和史・幻想と現実』といった著作があることからもわかりますとおり、一貫して「日本人とその時代」をテーマにしてこられた方でございます。つまり、著者は、文芸評論家でもなければ文学マニアでもございません。もちろん、中井英夫ファンでも、『虚無への供物』ファンでもございません。したがって、その著作からもわかりますとおり、中井英夫との出会いは、鶴見俊輔を経由してのものと推察されますし、事実、この小伝中では、中井英夫の紹介部分で泉鏡花賞受賞作として『悪夢の骨牌』への言及こそございますが、代表作『虚無への供物』についてはまったく言及しておらず、ひたすら中井英夫の「日記」だけを素材として、中井英夫の一断面 を紹介しているのでございます。

この事実をして、もしかすると中井英夫ファンは、新藤の評価を物足りなく感じるかも知れませんし、一面 的だと思うかも知れません。しかし、私はむしろ『虚無への供物』の中井英夫ではなく、「戦中日記」(『彼方より』)の中井英夫として『永井荷風、野上禰生子、渡辺一夫、清沢洌などの戦中日記も、国家や戦争批判において卓越していますが、国家観や戦争観では中井英夫ほどには本質をえぐってはいません。』とまで高く評価された点にこそ、たいへん大きな意味があるのではないかと思うのでございます。

と申しますのも、中井英夫と言えば、これまでは、笠井潔の批判にも見られますとおり、『虚無への供物』あってこその中井英夫で、それが無ければ、どうということのない「マイナーポエットの作家」でしかなかった、というような評価が、それなりの説得力をもって語られてきたのでございます。

ところが、今回の新藤謙の中井英夫評価は、中井英夫を「作家以前の人間」として、「時代に抗する、精神の自由人」として『永井荷風、野上禰生子、渡辺一夫、清沢洌』などにも伍する人物だと高く評価しているのございます。
つまり、『虚無への供物』ファンの我々は、『虚無への供物』という作品の「完璧さ」を評価するあまり、中井英夫という人間の不完全さをどうしても物足りなく感じる部分があったのでございますが、『虚無への供物』をまったく無視したところで「客観的」に評価したとしても、中井英夫という人間は、やはり稀有な存在だったというのが、今回の新藤謙の評価でハッキリ示されたと思うのでございます。

実際、中井英夫が語られることの多いミステリ(推理小説)の世界でも、「戦中日記」と言えば、まず山田風太郎の名が挙がり、中井英夫の戦中日記に言及するのは、一部のコアな中井英夫ファンに限られておりました。
しかし、今回、本書のなかで中井英夫が『国家に抗する人びと』の一人として採り上げられたということは、今後の中井英夫評価を考えるうえで、案外おおきな意味を持つのかも知れません。これからは「作家としての中井英夫」「『虚無への供物』の中井英夫」という評価だけではなく、これまでは中井英夫の存在すら知らなかった方面 の人たちから、私たちがさほど重要視していなかった「中井英夫の新たな側面 」に斬り込む中井英夫論が、登場してくるのかも知れないのでございます。
もちろん「作家としての中井英夫」「『虚無への供物』の中井英夫」という評価を抜きにして「人間・中井英夫」は十全に語れるものではございません。しかし今後は、もうすこし「人間」的な側面 を掘り下げるという作業も漸次進められてまいりましょう。そしてその成果 が、今回のような「抵抗者としての中井英夫」として書かれたりし、いずれは「ホモセクシャルとしての中井英夫」といった研究にも繋がっていくのだと存じます。





( 以下は「中井英夫評価の新時代(3)」につづく)


中井英夫評価の新時代(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)23時15分49秒

みなさま、すでにはらぴょんさまからもご紹介のございましたとおり、『凶鳥の黒影 ――中井英夫へ捧げるオマージュ』(河出書房新社)が、11日頃から書店に並んでおります。ひときわ目を惹くすばらしい装丁。ぜひ「中井英夫に捧げられた美酒」の味を、ご自分でお確かめ下さいまし。


もう1冊、中井英夫関連の本をご紹介いたしたいと存じます。『国家に抗した人びと』(新藤謙・子どもの未来社 寺子屋新書)という、創刊間のない新書叢書の1冊でございます。
この叢書には、この他に、先日ご紹介いたしました『機会不平等』(文春文庫)の斎藤貴男の『教育改革と新自由主義』や、『仮面 ライダー アギト』や実写版『美少女戦士セーラームーン』などを手掛けた東映の若手プロヂューサ−白倉伸一郎が、テレビヒーローを素材に現代社会の「正義」を論じた『ヒーローと正義』など、なかなか私好みの本が刊行されており、かなりマイナーではございますものの、注目してよい叢書となっているようでございます。

さて、肝心の『国家に抗した人びと』でございますが、内容はタイトルどおりで、戦時国家に抗した人たちの生きざまを紹介した、小伝集でございます。目次を引用いたしますと、


  第1章 反戦・反軍主義の元海軍大佐 ―― 水野広徳

  第2章 反骨の川柳人 ―― 鶴彬

  第3章 兵役拒否を貫いた人 ―― 北御門三郎

  第4章 文化を愛するがゆえの怒り ―― 中井英夫

  第5章 内心の自由を求めて ―― 家永三郎


となっており、私の場合、水野広徳、鶴彬、北御門三郎の3人は、本書で初めて知った人物でございました。ある意味では、中井英夫の章よりも、むしろ他の章の方が面 白かったくらいで、特に初めて知ったこの3人については大変興味ぶかく、裨益させられるところも多ございました。





( 以下は「中井英夫評価の新時代(2)」につづく)


『吸血鬼の精神分析』 今後の展開予測 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月15日(水)21時53分26秒

『GIALLO』NO.17 2004 AUTUMNに、笠井潔の矢吹駆シリーズ第6作「吸血鬼の精神分析5」が掲載されました。(なお、今回の『GIALLO』には、竹本健治の「牧場智久の雑役シリーズ」は掲載されず、NO.18に読みきり形式で掲載されます。)
「吸血鬼の精神分析」の今後の展開については、7月 5日(月) 22時19分42秒に投稿した文章「推測」で、笠井潔はフロイトおよびラカンを倒すために、ジャネの多重人格やDissociative Disorders(解離性障害)に関する研究を持ってくるのではないかと書きましたが、「吸血鬼の精神分析5」を見ますと、推測どおり、ジャネの理論が取り上げられています。
ところで笠井潔は『哲学者の密室』で、
悪玉=ハイデッガーの存在論……ナチズムと深いつながりがある。
善玉=レヴィナスの「イリア」の思想……ナチスによる強制収容所から生まれた思想
という思想上の対立図式を立てました。
 『哲学者の密室』は、題名のとおり「密室」を扱ったミステリーであり、ハイデッガー的な「密室」の本質直感では解けず、レヴィナス的な「密室」の本質直感で初めて解けるように、あらかじめ原作者によって作品が設計されていました。
 では、『吸血鬼の精神分析』は、どうでしょうか。
どうやら、
悪玉=ジーグムント・フロイトおよびジャック・ラカン……幼年期の心理的外傷(トラウマ)による神経症に関する理論を有するが、多重人格や解離については論及しない。
善玉=ピエール・ジャネおよびジュリア・クリステヴァ……多重人格やDissociative Disorders(解離性障害)の存在を認める。
という思想上の対立図式の構築に向かっているようです。
 そうなると『吸血鬼の精神分析』は、「一人二役」の発展形としての多重人格者の犯罪を扱ったミステリーになる可能性があります。多重人格や解離に関する理論が欠けているラカン的精神分析では解けないが、多重人格やDissociative Disorders(解離性障害)の存在を認めるクリステヴァ的精神分析なら解けるという設定のミステリーになるのではないかということです。
 なぜ、ラカンではなく、クリステヴァなのか。それは、クリステヴァの理論の核心が、サンボリック/セミオティックの二元論に基ずく弁証法にあるからです。ル・サンボリックは象徴秩序であり、ル・セミオティックは混沌とした欲動の流れです。このふたつのせめぎあいを基に、クリステヴァは、人間の精神や文学空間や世界について語り、詩的言語による革命を目指します。この理論ならば、笠井潔が一貫して支持するバタイユの理論が生き延びることができるでしょう。
 問題は、笠井潔が一貫して支持するもうひとつの柱、フッサールの現象学と、クリステヴァの理論の整合性の問題です。ジャック・ラカンも、ジュリア・クリステヴァも、精神分析学者です。精神分析学と現象学は、両立不可能です。
ラカンは「鏡像段階」について述べました。人は生まれついたときから「主体」ではなく、生後6ヵ月から18ヶ月の間に、鏡に映った自己とそれを見ている自己が同一であることを発見し、鏡に映った自己と同一化し、はじめて「主体」が形成されるとします。クリステヴァにしても、はじめから「主体」があるのではなく、当初、母子が結びついた状態では「主−客」の区別 はないのですが、それをおぞましいもの(アブジェクトなもの)として子供が距離を導入することによって、初めて「主体」ができるとします。クリステヴァはラカンとは異なる理論を提示しているとはいえ、ラカンから得ているものは大きいのです。
「主体」を理論の出発点とするのではなく、いかにして「主体」が形成されるかを問うのが、構造主義以降の思想の共通 点であり、フロイトの精神分析学は、そのさきがけであったわけです。これは、「主体」を理論の出発点とする現象学とは、そぐわない事柄です。仮に、かつてエマニュエル・レヴィナスを持ち上げたように、今度はジュリア・クリステヴァを持ち上げるとしたら、今度は現象学と精神分析の理論的不整合の問題が露呈します。
『吸血鬼の精神分析』は、ラカンとクリステヴァの対立軸で見ていくのではなく(そういう二項対立は、物語としては面 白くても、所詮虚構に過ぎず、現実の複雑さを見えにくくします)、精神分析と現象学の対立軸に注目して読むといいと考えます。『オイディプス症候群』の場合、フーコーの構造主義と、吉本隆明の幻想論の対立は、平行線を辿ったまま、対立もなく終わりました。その先例に習えば、今回も現象学と精神分析の理論的不整合には眼を閉じたまま、曖昧に終わるかも知れません。
<情報>
・今月号の「ダ・ヴィンチ」に、笠井潔と小林泰三の対談が掲載されています。笠井潔は、斉藤環の『戦闘美少女の精神分析』を挙げ、『ヴァンパイヤー戦争』は戦闘美少女ものの先駆かもしれない、といった話題をしています。


復旧のお知らせ 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)17時13分29秒

みなさま、昨夜より続いておりましたパソコンの不調でございますが、先ほど「自然」に復旧いたしました。

昨夜、いつもどおり、いくつかのサイトの閲覧をしていたのでございますが、あるサイトへ移る際にフリーズを起して再起動をかける、ということを3回ほどくり返しましたところ、今度はサイトの読み込み自体がまったく出来なくなり、メ−ラ−までデータのダウンロードが出来ない状態になってしまったのでございます。

『(別の)サイトに移る際にフリーズを起して再起動をかける、ということを3回ほどくり返』すというようなことは、これまでにも時々ございまして、「今日は機嫌が悪いな」くらいの感じだったですが、今回のようにまったく何も読み込まなくなり、メ−ラ−まで機能しなくなるというのは、初めてのことでございました。しかし、パソコンというのは、妙に気分屋的な反応をする機械でございますし、先日のKeenさまの例もございましたから、今朝まで様子を見ることにいたしました。ところが、今朝になっても同じ状態でしたので、プロバイダーのニフティーとメーカーのアップルのサポートセンターに電話相談することにしたのでございます。

まずニフティーの方に相談し、その指示に従っていくつかのチェックを行った結果 「特に異常は見あたらないので、アップルさんの方で本体の動作確認をしてもらってくれ」という指示をうけ、アップルの方へ電話をいたしました。アップルの方では、すでに無料サポートの期間は過ぎているので、有料でもかまわないかとのことでしたので、値段を聞きますと、1件につき5千数百円という回答でございました(そのかわり、この件についてならば、何度でも電話相談できる)。さすがに高いなとは思いましたが、このままでは修理に出すほかなく、そうなると余計にお金がかかりますから、有料相談をお願いすることにいたしました。

アップルの方でいろいろ指示をうけて動作確認をした結果判明しましたのは、当初、まったく読み込まないと思われていたサイトデータですが、URLではなく、URLに自動変換される前のIPアドレスならば読み込みができることが判明いたしました。つまり、アドレス欄に『http://17.254.0.91/』を打ち込み、移動したところ、アップルのホームページが読み込めた(表示された)のでございます。そこで、これはパソコンの故障や断線といったことではなく、IPアドレスをURLに変換する際の「DNSサーバ」の変換トラブルであるということになり、再度その旨をニフティーの方に伝えて対処してもらうようにとの指示をうけました。

ニフティーの方へ再度連絡を取り、アップルの説明を伝えましたところ、モデムの設定のチェックなどを行い、特に問題はないことを確認し、モデムの再起動をかけようというような話になってあれこれやっている最中、私がふと念のために「アレクセイの花園」につないでみましたところ、これがあっさりと繋がってしまったのでございます。

したがいまして、結局は何が原因で「DNSサーバ」の変換トラブルが発生していたのか、何が原因で復旧したのかはよくわからないままなのでございますが、いちおう「フリーズを切っ掛けとして、一時的にパソコンが不安定になっていたのでしょう。しばらく様子を見ていただいて、また不都合があればご連絡下さい」というところに落ち着いたのでございます。

そんなわけで、サポート料5千数百円は徴集されましたが、パソコン本体の故障修理という最悪の事態は、どうやら免れたようでございます。それに、購入から約5年、大過なく動いてくれているのですから、これはむしろ感謝すべきなのかも知れません。――それにしても、パソコンというのは、よくわからない機械でございますね。(と言いつつ、マックちゃんの青い頭を撫でた、私なのでございました)


【追伸】

ちなみに、昨夜の「お知らせ」の文章が乱れていますのは、パソコンの不調であせったというよりも、旅行帰りで死ぬ ほど眠たい時に、慣れないケータイでの書き込みをやったからでございます(^-^;)。





http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


お知らせ 投稿者:園主  投稿日: 9月15日(水)02時00分3秒

みなさま、我が家のパソコンの不調により、しばらく書き込みが出来なくなりそうでございます。ブラウザとメーラーが機能しなくなっており、「アレクセイの花園」にもアクセスできないのでございます。このメールも、ケータイで苦労して打っております。悪しからず、お願い致します。


凶鳥の黒影(まがとりのかげ) 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月14日(火)21時30分12秒

『凶鳥の黒影(まがとりのかげ)〜中井英夫へ捧げるオマージュ』が刊行されました。綾辻行人の『暗黒館の殺人』を読み終えていないため、とりあえず竹本健治の短編小説「彼ら」と、笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」を読みました。この続きの読書は、『暗黒館の殺人』読了後となります。
短編「彼ら」は、本文中には「千尋」としか書かれていませんが、佐伯千尋シリーズに分類できると思います。佐伯千尋シリーズの多くは、当初『闇に用いる力学』のために考えられながらも、この長編に使用されなかったエピソードが元になっています。「彼ら」も文中に「丸田情報科学」という会社名が出てきます。これは『闇に用いる力学』に出てくる「丸田財閥」の関連企業と考えられます。もっとも、「彼ら」はそれ自体完結した作品ですので、『闇に用いる力学』のことは考えに入れずに読むことができます。
ここで脱線しますが、巌谷國士によると、シュルレアリスムは、現実を超えた幻想的なものを目指すのではなく、現実以上に超リアルな世界を目指すものだそうです。とするなら、この作品はシュルレアリスティックな作品といえるでしょう。というのは、この作品の恐怖の根源は、人間が自由を奪われ、科学の被験者となる恐怖、圧倒的な権力を持つものに追跡される恐怖に基づいているからです。
短編「彼ら」は、カフカの『審判』、あるいはアンナ・カヴァンの『氷』と精神的な類縁性を持っていると考えます。カフカの『審判』の主人公は、理由も定かでないのにある日突然逮捕され、裁判にかけられ、最後は犬のように殺されます。「彼ら」の主人公も理由も定かでないのに、わけのわからない権力機構に弄ばれます。また、アンナ・カヴァンの『氷』の主人公は、圧倒的な権力を有する司令に追跡される悪夢を描いています。「彼ら」の主人公も、「丸田情報科学」という謎の組織に関係する「彼ら」に追跡されます。
竹本健治の『匣の中の失楽』が、個の狂気を描いたのに対し、『闇に用いる力学』は集団的狂気を描いた作品だといわれます。『闇に用いる力学』は、無意識の奥までも操作しようとする科学やオカルティックな超越思想と、権力の結びつきを暴く方向に向かっています。この権力の批判の仕方は、外在的に権力はだめだと批判する姿勢とは異なり、権力を各人の心理の奥に潜む魅惑と恐怖を喚起するものとして捉えているように感じます。
笠井潔のエッセイ「中井さんと遇うまで」は、笠井潔が『虚無への供物』を初めて読んだのは、いいだもも宅の贈呈本であったこと、いいだももは優等生であった自分を自慢するタイプだったが、中井英夫は優等生嫌いであったことなどを書いています。
<情報>
・笠井潔の『ヴァンパイャー戦争3妖僧スペシネフの陰謀』(講談社文庫)が刊行されました。解説は笹川吉晴。イラストは武内崇。
・京極夏彦の『百鬼夜行 陰』(講談社文庫)も刊行されました。解説は皆川博子。結構、解説内容が衝撃的でした。


♪飛行機ぐも〜 投稿者:AOI  投稿日: 9月14日(火)10時23分19秒

>「待つ身のつらさ」が、ぜんぜんわかってないんだから(-_-)。

きたよ〜♪

> でも、「メフィストーフェレスの囁き」には感心しました。ムッシュ・ムナカ・・・クセになっちゃったんですね(^-^;)。(>Keenさま)

私も感心しました。パラレルということで言えば、雑誌「ファウスト」「メフィスト」については知らないので、言及しなかったんだけど(笑)。


>まったく、園主さまは「オヤジ」だし、AOIさまもKeenさまも・・・(-_-;)。

あ、ロム派の乙女たちを意識してるね(笑)


破綻の理由(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月11日(土)23時08分27秒


 はらぴょんさま
妄想炸裂

> メールマガジンファウスト[第二十二号]によると、『ファウスト』Vol.4の第一特集は「文芸合宿 atファウスト!」であるとのこと。

http://www.melma.com/mag/67/m00093167/

 はらぴょんさまのお書き込みの主旨は、たぶん『なんでしょう。この体育会系のノリは。』ってところにあるんでしょうね。こういう「わざとらしい」ノリに、『ファウスト』の編集方針の胡散くささを感じ、それを表明なさりたかったんだと思います。――ただ、タイトルがタイトルだっただけに、その後、話はおかしな方向へと発展してしまいました。

 もっとも、あれはあれで批評的な文章だとは思いますけどね・・・(^-^;)。



 Keenさま
妄想炸裂

ハッキリ言って、甘いです。これは単なる「想像」です。この程度ではとても「妄想」とは言えませんし、まして「炸裂」レベルではありません。
> 「合宿」というからには、当然宿泊を伴います。そこで、夜の部は先輩作家先生方による「ミステリ・ナイト〜邪兄図(じゃにいず)モーレツしごき個人授業」が行われ……と、せめてこれくらいの展開を提示しなくては。

 ちょっと、妄想の方向性が、限定されすぎていませんかあー? (-_-;)

 でも、メフィストーフェレスの囁きには感心しました。ムッシュ・ムナカタ・・・クセになっちゃったんですね(^-^;)。



 AOIさま

 一ヶ月もたっていたんですね。過去ログみて、びっくり!
> 半月ぶりくらいかなあと思ってたわ(笑)。
> 月日のたつのってほんと、早い・・・(つくづく)。

 「待つ身のつらさ」が、ぜんぜんわかってないんだから(-_-)。


>> 韓国映画『子猫をお願い』

> 大阪では終わっているようです。ざんねん!(^_^;)

 そうだったのか。うちの近所じゃ、ビデオ入らないだろうなあー・・・。


『ファウストの夜』

> しか〜し、エロくない!エロくないぞー!

 お慎み下さい・・・。

 まったく、園主さまは「オヤジ」だし、AOIさまもKeenさまも・・・(-_-;)。



 園主さま

『ファウストの夜』

 ボクがいちばん面白かった文章は、

※ この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは、あんまり関係ないはずです。(作者)

でした。――嘘ついてないですよねえー、正確な表現です(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


破綻の理由(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月11日(土)23時07分42秒


 では、なぜ作者は、その必要な「二者択一」を避けた(「八方美人」に走った)のでしょうか? ボクが思うには、少なくともこの作品執筆当時の乙一さんには「本物の悪人が描けなかった」ということではないかと思うんです。

 ボクは前回、乙一作品のラストにおける「世界の肯定」について、取ってつけたような唐突な印象が否めないと指摘しましたが、今回のことを考えあわせると、結局のところ、乙一さんは(ジュブナイルであるという縛りを意識したにしろ)、やはり単に「救いのない不幸」や「本物の悪人」を描く勇気が無かっただけなんじゃないか、と思えるんです。「厭なもの」は、その存在を認めたくない。だから描きたくもないし、描かないし、描けない。――そういうことなんじゃないかと感じたんですね。

 そういう目で見ると、乙一さんお得意の、自分自身を茶化して見せる「とぼけたあとがき」も、じつはこの人の、切実な「韜晦」なんじゃないかと思えてきます。

『 富士見中学校の自殺した少年がいじめられてもにやにや笑っていたというのは、二審判決が述べたように、「拒否的態度を示した場合に予想される、より激しいいじめを回避するための迎合的な対応」でもなければ、まして一審判決が述べたように、「悪ふざけの対象としてクラスの注目を浴びることに対する面 はゆさを感じた」わけでもないでしょう。彼は、「遊びモード」のなかで自分を茶化してみせることで、関係の軋みが顕在化するのを必死に避けようとしていたのではないでしょうか。』

(土井隆義『「個性」を煽られる子どもたち』P22)

 つまり、乙一さんの「おとぼけ」も、この少年と同じ、「救いのない世界」が顕在化するのを先延ばししようとして選ばれた、止むに止まれぬ 演技のように思えるんです。

 乙一さんは、エッセイ集『小生物語』(幻冬舎)のなかで、出版社(角川書店)宛に送られてきたという「読者カード」約27500通 の内訳を、

 『「おもしろかったです」       ・ 5万1789感想
  「つまらなかったです」       ・12万3495感想
  「感動しました」          ・ 3万4294感想
  「先生の本は読んだことがありません」・   3295感想
  「自殺しないでください」      ・   4294感想
  「母をよろしく頼みます」      ・    254感想
   カミソリ             ・ 8万2422枚
   炭疽菌              ・    608菌
   爆弾               ・     21爆弾
   結婚届              ・     12届 』(P154)

等々であったと紹介しています。

 この内容や内訳を見ると、乙一さんがそこに手をくわえて「面白おかしく」演出しているというのは、まず間違いないんですが、じゃあ、「自殺しないでください」という主旨のメッセージが、実際にこの程度の割合で含まれていなかったのかというと、ボクはそんなことはないと思います。この「自殺しないでください」という読者の感想は、この程度には実在したでしょうし、その感想は「単純に、作品と作者を混同したもの」などではなく、じつはかなり作者の本質を突いたものだったんじゃないか。だからこそ乙一さんは、それをネタとして茶化し、その禍々しさを祓い落さなければならなかったんじゃないかと、ボクにはそう思えたのでした。





( 以下は「破綻の理由(4)」につづく)


破綻の理由(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月11日(土)23時06分29秒


 この作品「失踪HOLIDAY」は、簡単にいえば「ある人物が、知り合いの、ある人物から、大金を騙しとる」というお話なんですが、ボクが引っ掛かりを覚えたのは、犯人も被害者も警察も含めて、基本的に「すべての登場人物が、善人に描かれている」という点なんです。つまり、犯人は、「善人」である被害者からお金を騙しとったにもかかわらず、その固有の「善人」性から、「善人」として描かれている。この小説は、主人公の少女の一人称で書かれているんですが、主人公が犯人の人柄に惹かれているため、主人公の目を通 して描かれた犯人は、読者には最後まで「善人」という印象しか与えないんですね。でも、これはどう考えても、おかしい。

 たしかに「犯人」は、個人的には人柄の良い人なのかも知れません。しかし、犯人のやったことは「間違ったこと(=善人からお金を騙しとる)」なんだから、それはそれとして批判的に描かれねばならないはずなんです。ところが作者は、犯人の「行動」と「人柄」を混同させることにより、その間違った行動を正当化してしまってるんですね。

 ふつう、お金を騙しとる犯人を「善人」として描きたいのなら、騙しとられる方を「悪人」として描き、そのことによって犯人の行動を「形式的には犯罪だが、実質的には正義の行使(=悪人を懲らしめる行為)」だとして正当化するものです。ところが、この作品では、騙しとられる被害者の方も「善人」として描かれているから、ラストの「みんな良い人」的な描き方が、素直に感動できないものとなってしまっているんです。

 例えば、この辺の機微をきちんと描いた作品としては、宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』が挙げられるでしょう。
 ご存じのとおり、ルパンは「泥棒」です。つまり、その意味では「悪人」であり、ルパン自身それを自覚しているから、この映画のラストシーンで、ルパンに『私もつれてって! 泥棒はまだできないけど、きっと覚えますっ。私、私っ・・・。お願いっ! 一緒に行きたいっ!」と訴える無垢な少女クラリスに対し、

『バカなこと言うんじゃないよ。また闇の中へ戻りたいのか? やっとお日様の下に出られたんじゃないか。なっ、おまえさんの人生はこれから始まるんだぜ。俺のように薄汚れちゃぁいけないんだよ。あ、そうだ。困ったことがあったらね、いつでも言いな。おじさんは地球の裏側からだって、す〜ぐ飛んできてやっからな。』

と諭して去っていくんですね。

 たしかに、この映画でルパンがやったことは「囚われの少女を救い出す」という善行です。でも、それで常習的泥棒であるルパンその人の、すべてが正当化されるわけではありません。つまり、この映画で描かれている範囲では、ルパンは泥棒とは言え「正義の味方」なんですが、やはり、そのルパンも、この映画の外の「泥棒という設定」そのものまでは正当化することが出来なかったんです。彼個人がいかに魅力的な人物であろうと、それで「泥棒」という行為自体を正当化することはできないということを、宮崎駿はきちんと理解していて、そのように描いたんですね。

 それに比べると、「失踪HOLIDAY」には明らかに無理があります。この物語を「無理」の無いものにしようと思えば、犯人の方を「じつは悪人だった」とするか、被害者の方を「じつは悪人だった」とするかしかなかった。でも、作者は最後まで「みんな良い人だった」としたから、不自然な、無理な印象を残す結果 になってしまったんです。





( 以下は「破綻の理由(3)」につづく)


破綻の理由(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月11日(土)23時05分31秒

 みなさん、こんばんは! はらぴょんさまの妄想炸裂 に端を発する「ウロボロス的やおい小説」へのこの盛り上がりは、いったい何なんでしょうね・・・(^-^;)。とくに、KeenさまとAOIさまの女性軍が、こういうネタだと盛り上がること盛り上がること。やっぱり女性って、こういうのが好きなんだなあー・・・。



 さて、ボクはそのネタとは距離をとらせていただいて、今日は乙一さん(あ、ファウストの夜に登場してましたね・・・)の『失踪HOLIDAY』(角川スニーカー文庫)について書かせていただきます。

 この本に収められた作品は、表題作の長編「失踪HOLIDAY」と短篇の「しあわせは子猫のかたち」の2篇。この2篇の特徴は、ともに「ミステリ」だという点です。

   ( ネタを割りますので、未読の方はご注意下さい)

 「しあわせは子猫のかたち」の方は、前回ご紹介した短編集『きみにしか聞こえない CALLING YOU』(角川スニーカー文庫)所収の「Colling You」「傷 KIZ/KIDS」「華歌」の3編と同様、「この世界に生きづらさを感じている主人公が、不思議な現象をめぐる事件を通 して、世界を肯定するにいたる」というパターンを踏襲した短篇です。でも、先の3篇とは違い、ここでは、「不思議な現象」がメインではなくて、「隠されていた真相が、最後の謎ときで明らかになる」というミステリ的構成の方がメインになっています。その意味では、前者3篇は(ハードじゃない、古風な)「SF」に分類されるでしょうし、「しあわせは子猫のかたち」の方は「ミステリ」に分類されると思います。

 長編「失踪HOLIDAY」の方は、これら4篇とは、主人公の設定が全然違います。この作品の主人公は、お金持ちの後妻に入った母の連れ子で、その母が死んだ後は、継父から「いらない子」と思われているんじゃないか、家を追い出されるのではないかと気に病む面 はあるにせよ、基本的には男勝りな明るい元気少女で、この世界に生きにくさなどは感じていません。それにこの作品は、先の4篇とは違い「不思議な現象」は一切出てこず、ややマンガチックなノリだとは言え、基本的には普通 の「非・SF」的な世界が描かれた、純粋な「ミステリ」なんです。
 この作品も、ミステリの趣向としては、先の「しあわせは子猫のかたち」と同じで、読者に「aという性格をもつA」という物語だと見せ掛けておいて、じつは「bという性格をもつA’」という物語だったのだということを最後で示す、叙述に仕掛のある「どんでん返し」系の作品です。
 ボクはまだ、乙一という作家がミステリを書くという印象が薄かったので、当初はこの作品を、主人公のキャラクターで読ませる「ドタバタ感動コメディー」なのかなと思って読みましたから、半分は引っ掛けられちゃったんですが、それでも途中で「この人物は、あきらかにくさい」と思った人物が、結果 としてはやっぱり犯人でした。ですから、なかなかよく出来ているとはいうものの、ミステリマニアが、この作品をミステリであると知った上で読んだら、オチがどのあたりへ持っていかれるかは、おおよそ予想できるだろうし、犯人も「こいつしかいない」という感じですぐにわかってしまって、あとはどのあたりに「仕掛け(や伏線)」があるのかを嗅ぎ分けるだけ、ってことになってしまうんじゃないかと思います。もちろん、この作品も、若い読者向けに書かれた小説ですから、その意味では、当初の目的は十分に達成できるとは思うんですけどね。

 で、ボクが今回、書きたかったのは、じつはこうした「ミステリとしての完成度」の話ではなくて、この作品における「人物の描き方」の問題なんです。





( 以下は「破綻の理由(2)」につづく)


たとえば、コスモス・・・。 投稿者:AOI  投稿日: 9月11日(土)10時18分30秒

おはようございます。
コスモスの似あう秋の日です。

☆Keenさま

>さすがはAOIさま 
>>もっと、エロティシズムを!
>うーん、見事なご指摘!確かに私も「ファウストの夜」を読んで、何か物足りないような気はしたのですが、AOIさまのカキコで納得しました(笑)。

いや〜(ポリポリ)
ゴツン!ごめんなさい!あれは煽りです(笑)。
実をいうと

>そこから先に起ったことを、私は生涯、語ることはないだろう。ともあれ、――こうして恥辱の一夜が始まったのだ。

この最後の一行に、けっこう妄想きちゃったんですよー(笑)
肝心なところ書いてないから、「ずるいぞ!」って言いたかったの(笑)。
かってに想像しろってか?>アレクセイさま
「イヤだなあ」「健全なミステリ業界のため」なんて言っていたのが、各氏、我を忘れて高揚していく加虐性を是非書いてもらわなくっちゃって(笑)。

>せっせと本の山を「縛り上げた」。
>きりりと引き絞った紐が小口に食い込むのを見ると、私は名状し難い罪悪感と快感を覚え、次第に我を忘れて作業に没頭していった。

さすがでございます(笑)。


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