●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年9月上
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パラレルな後日談 投稿者:Keen  投稿日: 9月10日(金)13時10分58秒

やっぱり、全然エロくないっす(笑)。
「メフィスト」が手元にないので、具体的にパロできなかったのが残念です。


メフィストーフェレスの囁き 投稿者:ナディア・モドーキ  投稿日: 9月10日(金)13時07分50秒

 数日、作家としての別件の仕事だとかでこの屋敷を離れて以来、ムッシュ・ムナカタの様子がおかしい。終日ボンヤリと物思いに耽っているようで、私が話しかけると、怯えたような表情をみせる。そうかと思うと、目立たない隅で一人、恍惚とした笑みを浮かべていることもあり、また、何事かブツブツとつぶやいていることも多い。一度すれ違い様に「もう一度……」と言うのを聞いた。今回の事件について尋ねても、全く関心を失ってしまったのか、まともに聞こうとさえしない。何かに魅入られてしまったかのような姿に、ある考え(イデー)が私の脳裏に閃いた。ムナカタは東京でニコライ・イリイチと遭い、何らかの洗脳を受けたのではないだろうか。私はすぐさまカケルに連絡をとり、ムナカタの状態を詳しく伝えた。
 受話器の向こうのカケルは、めずらしく笑いを含んだ声で答えた。
「ナディア、それはメフィストーフェレス違いだ」

 東京の出版社事情にも精通しているらしいカケルは、何か裏情報をつかんでいるようだった。あの日本人がこんな時、素直に手の内を明かすようなまねは決してしないのはよく知っている。私はインターネットで検索して、不在の間のムナカタの行動を調べることにした。
 最初にアクセスしたのは、「アレクセイの花園」という個人の掲示板だった。


さすがはAOIさま 投稿者:Keen@爆笑  投稿日: 9月10日(金)11時36分29秒

>もっと、エロティシズムを!

うーん、見事なご指摘!確かに私も「ファウストの夜」を読んで、何か物足りないような気はしたのですが、AOIさまのカキコで納得しました(笑)。
うん、「ロープで縛り」のシーンなどは団鬼六先生よろしく、もっと縛り手が楽しそうでないとヤらしくないですね。んでもって、笠井さんに「堪忍して」(←なぜか関西弁/お約束)って言わせないとね〜。(^0^*
(とか言いつつ、私には書けないだろうとも思う☆)

>韓国映画『子猫をお願い』

名古屋では、明日1日のみ上映のようですね。残念。


☆蹉跌を乗り越えて〜減書努力活動報告〜

クラウス兄から、ボロボロに風化しかかったカバーなし岩波文庫の類を中心に、処分を裁決する権限を委託された私は、ホコリで両手を真っ黒に汚しながら(軍手をはめると暑い)、せっせと本の山を「縛り上げた」。
これらは、すでに本としての役割を終えているとはいえ、やはり本は本である。きりりと引き絞った紐が小口に食い込むのを見ると、私は名状し難い罪悪感と快感を覚え、次第に我を忘れて作業に没頭していった。

集積場まで何度も往復して本を運び、棚を掃除して本を詰め直すと、もはや「物置」ではない、ようやく誰が見ても「現役の書斎」と言えるだろう状態にはなった。どこに何があるかを眺めわたせるのは爽快である。しかし、ちっとも本が減ったように見えないのはなぜだろう?1段に強引に2列詰めしていた文庫が、1列になったに過ぎないからか。家中のそこかしこに埋もれていた本を発掘し、棚にまとめたからなのか。

蔵書は増書である。よもや、歳月とともに紙魚(しみ)とホコリが結託して、本を増殖させているのではあるまいか。私の甘美な闘いも、ようやくスタートラインに着いたところなのかもしれない。


☆園主さま

>みなさま、本日はお薦めの一冊、『エーコとサッカー』(ピーター・P・トリフォナス、岩波書店)をご紹介したいと存じます。

面白そうですねー♪(^0^*


もっと、エロティシズムを! 投稿者:AOI  投稿日: 9月10日(金)01時30分18秒

☆ホランドさま

>ちょうど一ヶ月ぶりですよね。お変わりなく過ごされていたことと思います。いや・・・ぜんぜん変わりなかったら、もっとお顔を見せてくださってましたよね。やっぱりお忙しかったのかな?

一ヶ月もたっていたんですね。過去ログみて、びっくり!
半月ぶりくらいかなあと思ってたわ(笑)。
月日のたつのってほんと、早い・・・(つくづく)。
いろいろ雑事に追われて、落ち着かない日々ですが、手伝っていた友人のライヴも無事終わり、少し緊張が解けたりすると、もう、いけない・・・(笑)

>あの映画には「情報量」や「映画としての完成度」に還元されないものが確かにありますし、むしろそちらの方にこそ、あの映画の真骨頂があるように思います。

憑きもの落としのような映画でしたね(笑)。

> 韓国映画『子猫をお願い』

大阪では終わっているようです。ざんねん!(^_^;)

http://www.koneko-onegai.jp/info/


☆園主さま

>それは考えてはいけないことなのでございます……(-_-;)。

みたくない現実。ほんとうは快楽。

>『ファウストの夜』

パロディーとしては、よく出来ていると思います(笑)。

「すまんすまん。じゃ、縛らせてもらいましょうか。佐藤さん、ロープとカメラ、持ってきましたよね?」
 北山がそう言うと、佐藤友哉は、
「うん。でも、それだけじゃなくて、みんないろいろ持ってきてるみたいだぞ。僕はいやだなあー、こんなオヤジにそんなことするの。悪趣味だよ」
「ぼやかない、ぼやかない。これも健全なミステリ業界を作るためには、必要なことなんだよ。誰かが、手を汚さなきゃならないんだ」
 はあー、と佐藤が深いため息をつくと、北山が皆を励ますように言った。
「じゃ、始めようか」

この描写なども、なかなかたのし(笑)
臨場感あります。
しか〜し、エロくない!エロくないぞー!
笠井潔先生に対しての肉体的あるいは、精神的欲望が感じられない!
おつきあい程度のカンシンなのでは?
「健全なミステリ業界を作るため・・・」という下心が不純じゃ!(コホン!)

もっと、エロティシズムを!
もっと、嘗め回すような肉体の描写を!
もっと、精神のいたぶりを!

・・・ということで(笑)。


『ファウストの夜』 作者あとがき 投稿者:アレクセイ  投稿日: 9月 8日(水)19時45分20秒



 ひさしぶりの小説です。みなさん、いかがでしたでしょうか? 私としては「やおい小説」を書くこと自体、それなりに抵抗があったのですが、はらぴょんさんとKeenさんの書き込みに触発されて、なんだか随分エグいものを書いてしまいました。ほのぼのとした可愛く美しい「やおい小説」なら、私もそれほど抵抗は感じなかったのでしょうが、しかし、Keenさまが示されたものをそのままなぞるのも業腹なので、つい、ひとひねりを加えた結果 が、こんなものになってしまったというわけです。――でも、けっこうありがちなものになっていますよね。なにぶん素人なもんで、大目に見ていただければ、幸いです。

 では、最後に、この作品を書くにあたり、お世話になったり、ご迷惑をお掛けしたみなさんに、お礼とお詫びを申し上げたいと思います。まずは執筆のきっかけを与えてくれた、はらぴょんさんとKeenさんに、お礼を申し上げたいと思います。あなた方がいなければ、きっとこの作品が書かれることはなかったでしょう。それから、この作品でずいぶん酷い目にあわせてしまった笠井潔先生には、お詫びを申し上げておかねばなりません。本当はこんな形ではなく、公場での一騎討ちといきたかったんですが、機会を与えていただけない苛立ちから、つい、こんなつまらないものを書いてしまいました。できれば、二度とこんなものを書かないで済むようにしていただけると、私自身、元・笠井潔ファンとして救われると思います。それから、文字どおり「汚れ役」を振ってしまった乙一、北山猛邦、佐藤友哉、滝本竜彦、西尾維新の各先生がた。みなさんには何ら含むところはありませんので、どうかご勘弁下さい。恨むのから「文芸合宿 atファウスト!」なんてものを考え出した、太田編集長を恨んでください。最後に太田編集長さんには、『ファウスト』のますますのご発展を祈念しております、と書いておきたいと思います。

 続編は期待しないでください。ありがとうございました。


                            アレクセイ

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


ファウストの夜(4) 投稿者:アレクセイ  投稿日: 9月 8日(水)19時06分28秒


                     ○


 な、なんだ、これは……!
 ――その書き込みの存在を私に知らせたメールにも、おおよそのことは書かれていたから、下劣極まりない内容であるのはわかっていたし、それなりに覚悟もしていた。だが……。

「アレクセイのやつだけは、絶対にゆるさん!!」

 笠井潔の怒号が、八ヶ岳の嶺嶺に木霊して消えた。



 同じ頃、関西では、アレクセイが、鼻をほじりながら面倒くさげに言った。

「だから、いつでも相手になったるって、言うとるやろが。能書きばっかり垂れとらんと、さっさとかかってこんかい」

 ついでに、勢いよく屁までひった。――完全に舐めきった態度であった。




                           おわり




※ この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは、あんまり関係ないはずです。(作者)

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/kasai_giron_1.html


ファウストの夜(3) 投稿者:アレクセイ  投稿日: 9月 8日(水)19時05分17秒


「やめなさい!」

 声を発したのは、乙一くんではなかった。声は、戸口の方から響いたのである。
 数人の男たちが立っていた。いや、4人だ。明日以降、私の個人教授を受ける予定になっていた「可愛い生徒たち」である。

「なんだ、君たちは?」
「いい加減にしてくださいよ。僕は、個人の性癖なんて云々する気はないけど、彼も嫌がってるじゃないですか。……被害者は、一人で十分ですよ、先生」
 そう応えたのは、北山猛邦だった。――こいつが一番の年長者だったかな? ――、北山は手で、合鍵らしきものを弄んでいる。

 頭の中で危険信号が明滅した。だが、――こんな世間知らずの若造どもに舐められてはいけない。こっちは学生時代に国家権力とやりあった経験もあるんだ。
 私は、威厳を込めて言った。
「北山くん、誰に対してそんな口のきき方をしてるんだ? 君は自分の立場がわかっていないようだな。ちょっと人気が出てきたからと言って、いい気になっていたら、きっと後悔することになるぞ」

 北山が、小さく顔をしかめながら汚いものでも見るような目を私に向けた後、今度はニヤニヤ笑いを浮かべ、

「いやだなあー、僕たちは明日以降を待ちきれなかったから、みんなで押しかけたんですよ。正直、趣味じゃないんだけど、みんなでやれば怖くないって言うか、先生のご趣味を満足させられるんじゃないかって」

 何が言いたいんだろう、こいつは。厭な予感がする。――、そう思ったと同時に、乙一が背後から私を羽交い締めにした。

「何をするんだ! こんなことして、ただじゃ済まんぞ!」

 精一杯ドスを利かせて威嚇したが、北山はニヤニヤ笑いを浮かべながら応じた。
「ただでは済まないって、ここまで誰が助けに来てくれるって言うんです? 運動不足の太田さんたちですか? それとも、法月先生や探偵小説研究会のみなさんが、老骨に鞭うって駆けつけてくれるとでもおっしゃるんですか? いいですか、ここでは5対1。先生に勝ち目はない。なに、心配にはおよびません。僕たちは先生に焼きを入れようとか、そんな乱暴なことを言ってるんではありません。本来なら、今夜から一人ずつ可愛がっていただく予定だったのを、すこし趣向を変えて、今晩、僕たち5人が、先生をせいいっぱい可愛がってさしあげることにしたんですよ。先生、スキーで鍛えておられるから、体力には自信をお持ちなんでしょ。大先輩として、若造5人を、その大きな胸に受けとめてくださいよ」

「おい、演説はもういいから、さっさと片づけてくれよ。腕が疲れてきたよ」
 私を羽交い締めにしていた乙一が、面倒くさそうにそう言った。

「すまんすまん。じゃ、縛らせてもらいましょうか。佐藤さん、ロープとカメラ、持ってきましたよね?」
 北山がそう言うと、佐藤友哉は、
「うん。でも、それだけじゃなくて、みんないろいろ持ってきてるみたいだぞ。僕はいやだなあー、こんなオヤジにそんなことするの。悪趣味だよ」
「ぼやかない、ぼやかない。これも健全なミステリ業界を作るためには、必要なことなんだよ。誰かが、手を汚さなきゃならないんだ」
 はあー、と佐藤が深いため息をつくと、北山が皆を励ますように言った。
「じゃ、始めようか」

 そこから先に起ったことを、私は生涯、語ることはないだろう。ともあれ、――こうして恥辱の一夜が始まったのだ。





( 以下は「ファウストの夜(4)」につづく)


ファウストの夜(2) 投稿者:アレクセイ  投稿日: 9月 8日(水)19時04分12秒


 遠慮がちなノック。いかにも、物静かな好青年の乙一くんらしい。思わず弛んでしまう顔を引き締めてから、私は、やや低い声つくって、ノックに応じた。
「乙一くんか?」
「はい」
 本来なら、ドアは開いているからと勝手に入ってもらうところなのだが、私はわざわざ戸口まで行き、ドアを開いて、乙一くんを招き入れた。私はドアのノブを握ったまま、身体を開くと、
「さあ、奥へ入りたまえ」
と彼を先にリビングに送り込み、後ろ手にドアノブの錠を内側から捻った。

 乙一くんは、所在なげに、部屋の中央に突っ立っていた。上背のある彼が立ったままでは、私もいささか気後れしてしまう。
「まあ、そのへんに……ベットにでも掛けたまえ。なに、気を使うことはないよ。酒でも飲みながら、ゆっくりやろうじゃないか」
「いや、僕は、あんまり強くないんで……」
「なに言ってるんだ。君のために準備しておいたんだぞ。それを飲めないというのか」
「いえ、そんな……」

 ほかの4人はまだ勘づいていないだろうが、すでに彼は、私の意図に気づいているようだ。もちろんそれは、彼がうちへ遊びに来た時に、それとなくこちらの意図するところを伝えておいたからである。――彼は才能のある作家だ。どんな手を使ってでも、繋ぎ止めておく価値がある。だが、妻子のいる自宅では、それもさすがにまずいので、彼には私の「格別 な好意」を伝えるに止めておいたのである。

 グラスを啄むようにして、ロックを舐めている。本当に弱いのかもしれない。前回は、それなりに飲んでいたようにも思うのだが……。
 私は、
「そんな飲み方じゃ、うまくないだろう」
 そう言いながら、おもむろに彼の背に腕を回した。





( 以下は「ファウストの夜(3)」につづく)


ファウストの夜(1) 投稿者:アレクセイ  投稿日: 9月 8日(水)19時03分32秒


 予想どおり、笠井潔先生の講演が、合宿初日最後のプログラムだった。夕食の後なので、かなり眠いのだが、人生の大先輩であり、日本ミステリ界の大御所作家の講演で、まさか学生の頃のように居眠りをするわけにはいかない。

 笠井先生の講演は、エドガ−・A・ポオを始祖とする「伝奇小説」の歴史をひとわたりなぞるもので、博識を誇る先生らしく、やたらいろんなジャンルの作家名や著作名が出てくるのには、しょうじき辟易させられた。もちろん、僕たちだって、そうした過去の作家や思想家に興味がないわけではないし、その仕事を軽視するつもりもない。しかし、すでに専業作家となってしまった僕たちには、そうした知識が是非とも必要というわけではない。評論家ではないんだから、系統だてて網羅的に読んでなどいなくても、面 白い小説を書く分には、なんら差し支えはないのである。

 結局、笠井先生のお話は、落ち着くところに落ち着いた。結論として先生がおっしゃったのは、
「これからは伝奇小説の時代である。だから、君たちも伝奇小説を書きたまえ」
という、なかば押し付けがましい御託宣だった。

 笠井先生が演壇を降りると、脇にひかえていた太田編集長が、僕たちに向かって言った。
「え〜、なお今夜からは、毎晩お一人ずつ、プログラムの終了後に、笠井先生の部屋で個人教授を受けていただくことになっております。みなさんそれぞれの個性に応じた、きめ細やかな指導がしたいという、後進の育成に熱心な笠井先生らしい、特別 なご計らいですので、みなさん、真剣に受講くださいますよう、くれぐれもお願いいたします。なお、順番は、五十音順ということで、今夜は乙一先生、お願いします。テキストは笠井先生の方で、ご準備くださっているそうなので、手ぶらで結構だそうです」

 予想どおりだった。奈須きのこさんが仄めかしていたのは、やはりこのことだったのだ。
 でも、僕たちは、こうした展開をむしろ望んでいた。こうでなくちゃ困るんだ。――僕は、そう内心でほくそ笑んでいた。





( 以下は「ファウストの夜(2)」につづく)


まだまだ! 投稿者:Keen  投稿日: 9月 8日(水)11時34分34秒

☆はらぴょんさま

>妄想炸裂

ハッキリ言って、甘いです。これは単なる「想像」です。この程度ではとても「妄想」とは言えませんし、まして「炸裂」レベルではありません。
「合宿」というからには、当然宿泊を伴います。そこで、夜の部は先輩作家先生方による「ミステリ・ナイト〜邪兄図(じゃにいず)モーレツしごき個人授業」が行われ……と、せめてこれくらいの展開を提示しなくては。
三浦しをんのエッセイを読んで、妄想炸裂について研究することをお薦めします。


さて、私はこれから外出しますので、今ははらぴょんさんへの教育的指導(笑)のみにて失礼します。
行ってきまーす。(^0^*


妄想炸裂 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月 6日(月)23時11分40秒

メールマガジンファウスト[第二十二号]によると、『ファウスト』Vol.4の第一特集は「文芸合宿 atファウスト!」であるとのこと。
以下は引用。

編集長:それでは、突然ですが、「乙一、北山猛邦、佐藤友哉、滝本竜彦、西尾維新」の5人の小説家に編集者生命を懸けて心からのお願いがあります。本当に勝手すぎるお願いで誠に申し訳ありませんが、たった今から、10月頭のスケジュールをすべてキャンセルしていただけませんでしょうか。そう、この「文芸合宿」にぜひご参戦をお願いします! 合宿所までのチケットは5人分、すでにこちらで用意してあります。ご決断いただけましたら、即、僕の携帯までお電話を!

なんでしょう。この体育会系のノリは。
「ご決断いただけましたら、即、僕の携帯までお電話を!」なんて言っていますが、断ることなんてできるのでしょうか。「断ってもいいのかな。干しちゃうぞ!」と言われそうです。
ちなみに、このメールマガジンには、メールアドレスがついていて、
faust@kodansha.co.jp 
「五人の小説家の合宿参戦を後押しする応援メール」を送ってくれと読者に呼びかけています。「いいのかな。読者の期待を裏切っても……」O編集長の声が聞こえてきそうです。
作家のメンバーをみますと、ひきこもり傾向のある人が見受けられます。ひきこもりの合宿……なんだか、辛そうです。
このメールマガジンの次号は、五人の作家の返答結果だそうです。
合宿の内容は、まだ公開されていません。合宿ということは、先輩作家によるモーレツしごき教室とかあるのでしょうか。もし、あっとしたら、ますます辛いものになりますね。
笠井潔先輩によるモーレツしごき教室とか……(冷や汗)。
一時間目は、「歴史」。<君たちは、もっと過去のミステリーを読むべきだ。過去の作品を学習し、作品世界の構築とはなにかを知るべきだ。>
二時間目は、「倫理」。<君たちは、笠井潔葬送派の言説に耳を傾けてはならない。彼らは、裏切り者か、ポストモダンかぶれか、どちらにせよ私の敵である。>とか、なんとか。ありえない話ではない、ありえない話ではない……。

http://www.melma.com/mag/67/m00093167/


エーコとサッカー(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)22時22分7秒


 AOIさま
> 園主さまのところは地震の影響たいしたことなくてよかったですね。
> みなさまはいかがだったでしょう。
> それにしても

>> この時は、床から平積みになっている本の山の頂上を手で押さえて

> って、本の頂上ってどのくらいの高さ(笑)?

それは、書斎(2階)の中央の平済みにされた、主に「世界情勢・政治問題」系の未読本で、私の肩くらいの高さまで積まれております。

最初の地震で落下した本とは、書斎の隣の八畳の和室に置かれていたもので、壁際に私の肩くらいの高さまで積まれた本入りの段ボール箱の上に平積みにされていた、未読本や未整理本でございます。したがってこちらは、約2メートルの高さから落下しており、地震になれば、落ちるに任せるしかない状態のものでございました。

> どどどっと崩れるくらいならいいけど、あまりの重さに耐えかねて・・・というのが心配になってしまいます。我が家もひやひやものです。

それは考えてはいけないことなのでございます……(-_-;)。



 ホランド

>  おやじ・・・(-_-;)。

(-_- )=0☆バシッ(#>0<)


> よくもまあ、毎年毎年りちぎに忘れられるものですよね。去年も一昨年も、Keenさまから「9月17日は、中井英夫と竹本健治の誕生日」って教えられてるはずだよ。呆れるの通 り越して、感心しちゃうし、「もしかして、わざとボケてない?」とか思っちゃいます・・・。

「仮面」だと思いたまえ……。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


エーコとサッカー(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)22時21分6秒


                   ○

さて、先般よりご紹介しておりました『凶鳥の黒影――中井英夫へ捧げるオマージュ』(河出書房新社)のお薦め広告をINFORMATIONの方へアップさせていただきました。ぜひ一度、ご確認下さいまし。


それから、中井英夫関連の評論書『ゴシック・ハート』(講談社)が、今月刊行の予定。著者は『少女領域』(国書刊行会)、『無垢の力――〈少年〉表象文学論』(講談社)の高原英理。

内容は、著者自身が、次に語るとおりで、前2著に比較すると、レパートリーに富んだ、ずいぶん賑やかなものとなる模様。要注目の一冊でございます。

『 私・高原英理は一九九六年、「第三十九回群像新人賞評論部門優秀作」に選ばれることから評論活動を開始しましたが、また一方で一九八五年、澁澤龍彦・中井英夫両氏の選考による「第一回幻想文学新人賞」をいただきました。この文学賞は翌年第二回まで行われましたが、澁澤氏の逝去により途絶したまま現在に至っています。
 澁澤さん・中井さんは今も私の師です。

 人外・異形・怪奇・恐怖・耽美・残酷・身体・廃墟・終末といったテーマによって、ゴシックの起源から現在の「ゴス」まで、見込みある未来のないまま今を生きるゴシックな魂の諸相を力及ぶ限り書きとめてみました。
 これまでの著作『少女領域』(国書刊行会刊)および『無垢の力 ――〈少年〉表象文学論』(講談社刊)はいずれも純然たる文芸評論でしたが、今回は文学にとどまらず、シジスモンディ、ウィトキン、フリードリヒ、キャリントン、バロ、ベルメール、建石修志、村上芳正、四谷シモン、三浦悦子、マリオ・Aなどの美術作品、岡崎京子『ヘルタースケルター』、士郎正宗/押井守『攻殻機動隊』、楳図かずお『のろいの館』、永井豪『デビルマン』、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』、三原ミツカズ『DOLL』などの漫画・アニメーションに関する言及も含みます。
 文学としては『オトラント城綺譚』『フランケンシュタイン』『吸血鬼』といったゴシック・ロマンスのほか、澁澤龍彦、中井英夫、三島由紀夫、江戸川乱歩、稲垣足穂、ポオ、サド、ロートレアモン、ミルボー、レアージュ、グラックなどの作品から、ゴシックな心に届くものだけを探りました。
 また、前著『無垢の力』の延長ともなる「人形」「両性具有」「幻想」といった章では、暗黒への志向とともに天上への憧憬もゴシックの領域であることが示されるでしょう。

 ここで善悪は問題ではありません。美しく残酷なこと。きりきりと鋭く、眠るように甘いもの。ときにパンク、ときにシュルレアリスティック、またときに崇高な、暗い魅惑に輝くゴシックの世界へ、どうかおいでください。』(高原英理『記憶測定』より





( 以下は「エーコとサッカー(5)」につづく)


エーコとサッカー(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)22時19分33秒

 

『たとえばイタリアでは、ファンの忠誠心が国の政治の場と階級構造を作りあげ、かつ強化する力をもっている。なにしろイタリア最大の富豪にして、メディア王、首相であるシルヴィオ・ベルルスコーニがACミランのオーナーである。このクラブのファンは大体のところ、ベルルスコーニの率いるフォルツァ・イタリアの支持者である。フィアット社の創立者であるアニェッリ家の所有するユヴェントゥスは富の象徴であるのに対し、フィアット社の工場で流れ作業をしている労働者はトリーノの方に肩入れする。政治家の選挙での当落はサッカーのチームに対する忠誠心の強弱によって左右されると言っても、決して言い過ぎではないだろう。』(本文 P52)

「馬鹿くさい」と言ってしまえばそれまででございますが、サッカーへの過剰な(なかば政治的に仕組まれた)熱狂が、健全な批評性(知性)を消費疲弊させた結果 が、ここにはハッキリと示されております。しかし、これは何もイタリアに限った問題でもなければ、サッカーに限った問題でもない、というところに、エーコの批評の射程の深さや遠さがあるのだと申せましょう。


本書の本文は、やや難解でございますが、今福龍太の「解説」がそれを補って余りあるものとなっております。「解説」にもあるとおり、エーコとトリフォナスはどうやらサッカー嫌いのようでございますが、今福はサッカーが好きな模様。その今福が、エーコの批判をどのように受けとめたのか――そうした点だけでも、本書は真のサッカーファンには見逃せない、稀有な好著だと申せましょう。





( 以下は「エーコとサッカー(4)」につづく)


エーコとサッカー(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)22時18分25秒

 

『エーコ自身の表現を借りれば、彼のサッカー論には一貫して、サッカーという思考の対象への「超然とした無関心」(detachment)、「いらだち」(irritation)、そして「敵意」(malevolence)が、パロディックなやり方とはいえ、歴然としたかたちで書き込まれている。しかしその冷淡さや批判の矛先は、たんなるサッカーそのものではなく、もう少し分節化されたものであることは確かだ。短文「いかにしてサッカーを語らないか」において、エーコは明快に「私はサッカーが嫌いなのではない。サッカーファンが嫌いなのだ」とこのあたりの機微を説明する。エーコにとって「サッカーファン」という概念が意味するのは、その自閉的なマニア主義への陶酔のことである。自分とは違う趣味と嗜好を持った別 の「部族」が自分の周囲に存在することが理解できない、悪しきマニアティスムの空転した饒舌の日常空間への氾濫のことである。』

(今福龍太による解説「サッカーの神の国籍は?」より・P94〜95)

ここに来て、私はエーコの過剰なまでの「いらだち」を理解いたします。すなわち、エーコにとってのサッカーとは、私にとってのミステリ(推理小説)のような、無視しがたい身近なものでなのでございましょう。つまり、私の立場に置き換えて言えば「私はミステリが嫌いなのではない。(独りよがりな)ミステリマニアが嫌いなのだ」ということになりましょう(笑)。

こうした感性を、解説者の今福龍太は、次のように説明しております。

『エーコは、いわずとしれたボンドローグ(ボンド学者)の一人であり、ボンド映画の細部にわたる記号分析はある意味で彼のほとんど職業的な悪癖であるとさえ言えたが、このときの私の驚きは、ボンド映画を熱く語る彼の口調に、ボンド学者にありがちなマニアティスム(偏執的な愛好家主義)が欠片も感じられなかったことである。エーコは本質的に、情報的知識それ自体に惑溺するマニア的志向性とは無縁の知性であることを、私はこのとき直観した。』(前同 P91)

私はかつて、「本格ミステリ」マニアについて「どんな駄 作でもくまなく読み尽していることが自慢なミステリマニア」(=他のジャンルについては無知な、またそれを自覚していないミステリマニア)と書いたことがございますし、また最近は「買った本を全部書きならべて他人に開陳するようなやつは馬鹿である」というふうにも書きましたが、要はエーコの嫌悪し憎悪する人間とは、そういう「鬱陶しい人間」のことなのでございます。そして、そういう人間はしばしば、その無意味な喧噪の中に、健康な批評性を蕩尽してしまっているため、その手の人間が(例えば、サッカーファンのように)増え過ぎると、社会的にも、反知性的な大きな問題をもたらすのだ、という事実に裏づけられた「危惧」が、エーコのサッカー論には、重く響いているのでございます。





( 以下は「エーコとサッカー(3)」につづく)


エーコとサッカー(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)22時17分16秒

みなさま、本日はお薦めの一冊、『エーコとサッカー』(ピーター・P・トリフォナス、岩波書店)をご紹介したいと存じます。

本書のタイトルにある『エーコ』とは、もちろん『記号論』の泰斗にして、『薔薇の名前』等で現代小説家としてもその名を轟かせる、ウンベルト・エーコのことでございます。そして、『サッカー』とは、もちろん、あの「蹴球」のことでございますが、本書は、サッカーの盛んな国イタリアで記号論を講じる「エーコが、文化記号論の対象として、サッカーを批判的に論じたエッセイ」について書かれたものでございます。

『 スポーツは人間を脱人間化する。(中略)エーコによれば、「競争に夢中になってしまった人間をもてはやす」のは自然を侵犯し、運動選手を怪物に――あらかじめコード化された命令を完璧に果 たしてみせる道具に――変身させる例にほかならない。このような断罪はきびしすぎると言うべきだろうか、それともおかど違いと? 少なくとも、スポーツが人間の真の姿を堕落させる影響をもつとするのはショッキングである。もちろん彼もそれは承知の上で、このような考え方を正面 から受けとめようとする読者のうちにさらなる反応を喚起する手掛かりにしようとしているのである。スポーツはよいものと考えられる。サッカーはスポーツである。したがって、サッカーはよいものである。ジ・エンド。だがエーコは、ここで三段論法を終らせない。もう一度やり直す。しかし、今度は、サッカーをひとつのスポーツとして表象する論理の展開の根底に何があるのか、その基本概念は何なのかを再考するところから始めるのだ。』(P32〜33)

エーコが問題とするサッカーとは、河原で子供たちが興じている「お遊び」としてのサッカーではなく、ワールドカップに象徴される、あの「異様に盛り上がっているサッカー」のことでございます。つまり、エーコはサッカーという行為そのものを批判しているのではなく、「競技としてのサッカー」というものをその「総体」として問題としているのでございます。無関心な者からすると、「北朝鮮 対 北朝鮮」みたいな盛り上がりを見せ、その言説はほとんど「宗教的熱狂」に彩 られていると言ってよいような、あの「異様なサッカー」を問題としているのでございます。そして、そうしたサッカーに対するエーコの批判は、かなり辛辣で手厳しいものなのでございます。





( 以下は「エーコとサッカー(2)」につづく)


たったひとつの冴えたやりかた(6) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時41分0秒


 はらぴょんさま
> 文体をめぐって

> 「東浩紀の文章を批評する日記」
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040701
> ここのコメントの中に、奈須きのこの文体を問題にしている人がいて、途中で文体が変わるという指摘をしています。

 いつも情報をありがとうございます。さすがに広範にアンテナを張り巡らせておられますね。それに比べると、ボクや園主さまは、これだけネットで活動していながら、ネットの世界には今だに疎くて、情報源はやっぱり本に大きく偏しています。本を読むのは苦痛じゃないんだけど、ネットサーフィンには、どうも時間の無駄 だっていう偏見があって、いつまでも馴れないんですよ。ネットの情報を使いこなせたらすごいんだろうなーとは思うんですけど。

 ともあれ、これからもいろいろとご教示下さい。よろしくお願いいたします!



 AOIさま
 おひさしぶりです! ここんところ、いつもそうですけど(笑)。

 ちょうど一ヶ月ぶりですよね。お変わりなく過ごされていたことと思います。いや・・・ぜんぜん変わりなかったら、もっとお顔を見せてくださってましたよね。やっぱりお忙しかったのかな?

> 先日、やっと、『華氏9・11』を観てきました。
> メディアでいろいろと語られていることもあって、内容的にも分かってしまっているような気がしていたのと、映画としての出来がいまいちだという評価をきいていたので、そのうちみようくらいの気持ちで行ったのがよかったのかどうなのか?
> やっぱり、観てよかった。
> ドキュメンタリーとしてどうかとか、技術的にどうかとか、ブッシュひとりを悪者にしてどうなるのかとか、それはそれでいい。

 そうですね。あの映画には「情報量」や「映画としての完成度」に還元されないものが確かにありますし、むしろそちらの方にこそ、あの映画の真骨頂があるように思います。
 そういう作品を、ただ客観的に「映画」として評価するというのは、肝心なところで作品を捉えそこなっているということだと思うんですが、そこまで考えるアマチュア批評家は、ほとんどいないようですね、残念ながら。


> 韓国映画『子猫をお願い』

> ディテールの描き方。ロケーションの面白さ。少女たちの惑いや悩みや。映画的躍動感に満ち満ちています。韓国の警察事情など分かりにくいところもありますが。
> 蓮実重彦氏は「いきなり映画の地平を揺るがせるみずみずしい処女作を撮ってしまった映画作家」と監督チョン・ジェウンを大絶賛していますが、大げさではありません。
> ティティ(子猫)も名演技(?/笑)

 たしか、かなり前に中野翠が誉めていたのを読んだ気がします。気にはなっていたんですが、関西ではまだ掛かっていないんじゃないかな。

> 花園のみなさまはこういうのはあまり興味ないかもしれませんが、ご紹介まで(笑)。

 偏見! ボクはもちろん、園主さまでさえ、可愛いものは大好きですし、繊細な作品も好きですよ。ただ、一言あるというのが、普通 の人とはちょっと違うところなんでしょうが(笑)。



 園主さま
>> あ、もしかして、この心構えって「老人力」の発想と似ているかも?まあ、ここでは「アレクセイ力(りょく)」と呼びましょうか……むむ、タイプしてみると、「アレク製菓」みたいだなあ。もちろん、海洋堂と提携して、フィギュア入りの食玩製造してるよね?(笑)(< Keenさま)

> テーマはずばり「ショタ美少年」で、そのタイトルも『ボクのおにいちゃん』! で、シークレットは……(笑)。

 おやじ・・・(-_-;)。


>さて、訂正を一つ。一昨日の書き込み『美しすぎる装丁』の中で、私は、

>> 中井英夫へのオマージュ集『凶鳥の黒影』(河出書房新社)が、定価2415円(税込)で、9月18日の刊行と確定いたしました。

> と、ご紹介いたしましたが、正しくは、刊行日は9月17日(中井英夫の誕生日)でございました。お詫びとともに、謹んで訂正させていただきます。

 よくもまあ、毎年毎年りちぎに忘れられるものですよね。去年も一昨年も、Keenさまから「9月17日は、中井英夫と竹本健治の誕生日」って教えられてるはずだよ。呆れるの通 り越して、感心しちゃうし、「もしかして、わざとボケてない?」とか思っちゃいます・・・。





 ではでは、みなさん、また今度(ハート)。


たったひとつの冴えたやりかた(5) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時40分17秒


 Keenさま
>> 自分に、「自信」というよりも、「確固たる自己認識」がなければ、相手の批判的指摘にいちいち動揺しなければならないから、本来の力までが発揮できなくなるんです。――自分の輪郭を把握する(自分を、過大評価もしなければ、卑下もしない)というのは、とっても困難なことなんでしょうが、それが他者と意見を交わす場合、何より大切なことなんだと思いますよ。

> 「京極堂シリーズ」読んでると、それを具体的に実感できますね。京極堂や榎さんには憧れます。そしてそれだからこそ、状況次第でフラフラしちゃう関くんがカワイくて仕方ないんですが(笑)。

 ボクの意見は、園主さまに否定されるかたちになっちゃいましたけど、でもこれは「輪郭」というものをどう捉えるのか、という問題だと思います。つまり、園主さまがおっしゃるところの『傾向性』を把握するということを、ボクは比喩的に形象化して「輪郭」を把握すると表現したわけなんが、これだと自己が「輪郭」によって規定されたものとして実体的にあると、誤解される怖れが大きいんで、園主さまはああいう注釈をなさったんでしょうね。このあたりは「比喩」による図式化の利点と難点の問題だと思います。

 ちなみに、園主さまは、この問題について、

> 結論としては、人は自己などという「曖昧なもの」の「輪郭の確定」に拘泥する必要はないけれども、必要のあるときには、状況に応じて「適切な仮面 」を被る用意も必要だということでございます。ただし、その「仮面」が虚構だという認識を欠いていると、その「仮面 」に逆規定され、自己が硬直してしまう怖れもあり、それはそれで危険だということなのでございます。

と「仮面」の比喩を用いられていますが、ボクはここで、

『「君も厭でなかったら、顔を出してやってくれないかな。まあ、行っても素直には喜ばないだろうし、また素ッ頓狂なことをするかもしれんが――」
「厭って――そんなことは」
 凡人の、小物の、小市民の、凡庸な、影が薄い平凡で普通の僕が、厭だなんて思う訳がない。
「榎木津はね、あれはあれで、榎木津と云う面を被って暮してるんですよ。何も被ってないように見えるし、本人もそう振る舞っているけれど――あれはそう云う面 なんですよ」
 中禅寺は立ったままそう云った。
 それなら――矢張り僕と同じだ。』

(京極夏彦『百器徒然袋 ― 風』所収、「面霊気 薔薇十字探偵の疑惑」より)

 このシーンを思い出さずにはいられません。
 榎木津礼二郎が時折垣間見させる「榎木津らしくなさ」。つまり、どんなに強そうに見えても、どんなに鉄壁に見えても、まともな人間なら、他者からの善意や悪意を「感じない」人間はいない、ということなんです。ただ、普通 の人との違いは、「マイナスの受信」については、それを効果的に避ける方法を駆使しえている、ということなんだと思いますよ。


> 映画の「デビルマン」は今秋公開のようですが、ちょっと興味あります。ホランドくんは園主さまと一緒に観に行くんだろうなあ。

 その予定なんですけど、ただテレビのCMで見たデビルマンが、なんだかゲームのCGっぽい感じだったのが、ちょっと心配なところです。割り切って観ればいいんでしょうが、過剰な期待は禁物って感じがします。


> 蛇足:「チェ・ゲバラ」という名前を見ると、ついつい昔のギャグ「チェ・デバラ」を思い出して、笑ってしまいます。故・エルネストさん、ゴメンなさ〜い☆あなたがすんごい男前でスリムだったことは、よーく存じてますのよ〜。(;^_^A

 園主さまに、「チェ・デバラ」って言ったら、脳天に拳骨をくらわされましたー(T_T)。


> さあ、ここで試されるアレクセイ力。本を沢山所有していたい、という欲望と場所ふさぎという現実との狭間での葛藤。この場合、アレクセイ力は正負両方向に働くので、なんとも厄介なのだが……前進するのだっ!

> 早速の蹉跌

 やっぱりな(^0^)。


> 復旧!
> あああ、ようやく液晶画面に、見慣れた星崎さんのトップイラストが……っ!

 こんな風に書いていただけるの、光栄だし、とっても嬉しいです(^-^)。





( 以下は「たったひとつの冴えたやりかた(6)」につづく)


たったひとつの冴えたやりかた(4) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時39分9秒


 どうして、こんなことになってしまったんでしょうか? それはひとつには、ボクたちが「世界の真実の姿を見てしまった」と感じているからなのかも知れません。もはやボクたちには「見果 てぬ可能性としてのフロンティア」は残されておらず、日々、否応なく目にさせられるのは、世界の汚い実相でしかない。だから、ボクたちは最早、かつてのような希望を抱くことが出来ず、ただ絶望しないようにするしか、生きていく手立てがないんだということなのかも知れません。

 じっさい、短編集『たったひとつの冴えたやりかた』の訳者あとがきでは、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(じつは女性)の悲劇的な死に方が紹介されて、読者に大きなショックを与えずにはいません。高齢で寝たきりとなり、アルツハイマー病まで進行してきた夫を射殺し、自身も銃で自殺したというんです。二人の間には、生前に取り決めがあったようで、この二人の死は計画的な「心中」だったようですが、しかし「たったひとつの冴えたやりかた」を読んだ後では、この死は、世界の非情さを際立たせて、暗澹たる気分になるのは避けられないものとなっています。

 「この汚れた地上に、不本意に産み落とされ、傷つきながら生きている私」という認識は、今の若者に、ある程度普遍的な認識なのかも知れません。そして、この認識の問題点は、それがある程度は、真実を突いているという点なんですね。

 それでもボクたちは、この地上で生きていかなければならないのでしょうか? 小説や流行歌に癒しを求め、日々自分をごまかしながら、それでも生き続けることが、正しいことなのでしょうか? ――でも、ボクは、そんな逆境のなかに取り残されたボクたちの選びうる「たったひとつの冴えたやりかた」を探すことこそが、ボクたちの生を意味あらしめることなんじゃないか、とそんな風に抵抗してみたいと思うんです。最後はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアにも見つけられなかったそれを見つけることだけが、少なくともボクにとっての真に「たったひとつの冴えたやりかた」だと思うんです。





( 以下は「たったひとつの冴えたやりかた(5)」につづく)


たったひとつの冴えたやりかた(3) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時38分8秒


 その意味で、この二人の作品と好対照をなしていると感じたのが、これも先日読んだばかりの、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの名作短篇たったひとつの冴えたやりかた(早川文庫・同名短編集所収)です。この作品は『SFマガジン』誌が、1998年におこなった『オールタイム・ベストSF』の「海外短篇部門」で、堂々の第1位 に輝いた傑作中の傑作(ちなみに、ティプトリー・ジュニアは、同部門の4位 と7位にもランクインしています)で、SFファンに言わせれば「今ごろ読んだのか」と言われそうな作品なんですが、ボクがこの作家の作品を読むのは、これが初めてでした。

 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは、SFの最前線を走った作家だ、というようなことを聞かされていたのと、この作品が代表作であるということ、さらにこの思わせぶりなタイトルから、ボクは「この作品には、きっと、あっと驚くような落ちなり仕掛けなりがあるに違いない」と思って読みはじめました。ところが、この作品は、そういうのとはまったく反対方向の作品で、平たく言えば、「人間の崇高さ」というものを一人の少女の勇気ある行動を通 して描いた「感動作」だったんです。そして、そうした意味で、この作品は、日本人好みでもあれば、女性にも毛嫌いされない作品だったとも言えるわけなんですが、ただ、ティプトリー・ジュニアの作品としては、むしろ「異色作」だったのかも知れません。

 で、「たったひとつの冴えたやりかた」が、嶽本野ばらや乙一の作品と「好対照」をなす部分とは何なのかというと、それは「世界に対する態度」なんですね。
 嶽本野ばらや乙一の作品では、世界は悪意をもって侵害してくる存在なんですが、「たったひとつの冴えたやりかた」では、世界は探究されるべき可能性に満ちた魅惑的な存在と感じられているんです。また、こうした「感じ方」の違いから出てくることなんでしょうが、前者は世界に対して「受動的」であり、後者は世界に対して「能動的」です。だから前者が「被害者意識」に傾きがちなのに対して、後者はすべての事態を自分で引き受けていこうとします。つまり、どちらの作品も『無垢』な主人公が「理不尽な不幸」に見舞われるという点では同じなのですが、前者はその不幸を「被害者」的に受けとめ、後者はその不幸を自身の問題と受けとめて善処しようとするんですね。

 このように前者(嶽本野ばらや乙一の作品)と後者(「たったひとつの冴えたやりかた」)には、はっきりとした方向性の違いがあって、同じように「逆境にある主人公」を描いてはいても、描かれたものはまったく違った印象を与えるんです。で、両者の違いが何に由来するものなのかというのは、単純には確定できないんですが、ただ言えることは、今の日本では「たったひとつの冴えたやりかた」的な作品は、生み出されにくいだろうな、ということなんですね。





( 以下は「たったひとつの冴えたやりかた(4)」につづく)


たったひとつの冴えたやりかた(2) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時37分8秒


 ともあれ、こうした認識において、嶽本野ばらと乙一のあいだには、一見大きな開きがあるように思えるのですが、しかしまた、この開きがどこまで本質的なものかというのは、一筋縄ではいかない難問だとも思います。というのも、乙一のこの作品は「若者向けのエンターティンメント」として書かれたものであり、その点については、乙一自身ハッキリと自覚的だからです。つまり、乙一は、大人として「読者の大半を占めるだろう若者に配慮」して、このような「フォロー」をしたという側面 も、まず間違いなくあったと思われるからです。でも、じっさいのところ、乙一自身にとっても、世界は『錆とガラクタに覆われている』ものだと感じられているんではないしょうか。そして、そのなかで救いとなるものは『無垢』しかありえないとも――。
 その意味では、これは嶽本野ばらの世界観と、なんら変わりはないんですよね。ただ、乙一には、そういう自身の世界観を「正直に語るだけでは、まずい」という「大人の配慮」があったから、上に引用したような「フォロー」が、最後のところで「やや唐突に」挿入されることになったのだと思います(これは、他の2作にも言えます)。
 ところが、嶽本野ばらの方には、そういう「大人の配慮」がほとんどありません。だから、自分の実感にストレートに「世界の悪意」を描き、「被害者意識」を隠すこともなく表出してしまってるんですね。嶽本野ばらのこうした点に、園主さまは物足りなさを感じているのでしょうが、これは「文学者」としては、ある意味で「正しいあり方」だとも言えるでしょう。と言うのも、乙一のバランス感覚(大人の配慮)は、どこまでも「世界の肯定」を大前提とした「イデオロギー(=虚偽意識)的なもの」とも言える「作為的なもの」だからなんですよね。言っていることは正しいんだけど、でも「ホントに、そう感じてるの?」って言いたくなるところが、乙一のこの短編集に収められた3本には、共通 して感じられたんです。

 だから、ここで大切なことは、嶽本野ばらと乙一の「相違点」ではなく、むしろ、「世界の悪意」を感じ『無垢』に救いを求めるという、「共通 点」の方なんではないかとボクは思います。





( 以下は「たったひとつの冴えたやりかた(3)」につづく)


たったひとつの冴えたやりかた(1) 投稿者:ホランド  投稿日: 9月 6日(月)17時35分54秒

 みなさん、こんにちは! 今、若い読者を中心に人気のある乙一さんの『きみにしか聞こえない CALLING YOU』(角川スニーカー文庫)を読みました。一読後の印象は「上手い作家」だということと「まじめな人」だということでした。この本には「Colling You」「KIZ/KIDS」「華歌」の3編が収められているんですが、共通するのは、主人公が「世界の悪意」に傷つけられた「まじめで繊細な人」だということです。この点で、この作品集は、先日園主さまが論じておられた、嶽本野ばらの問題とも通 じるところがあると、ボクには思えました。

 ただ、嶽本野ばらと乙一の違いは、乙一の方はこの3本の短篇のいずれにおいても、そのラストで「世界の肯定」を試みている点です。
 例えば、「KIZ/KIDS」では、他人の傷を自分の身体に転位させる超能力をもった無垢な少年が、世界に絶望した時、自分の身体では引き受けきれないほどの「傷」を引き受けることで自殺しようとするのですが、そんな少年を愛おしく思う親友の少年が、その「傷」の半分を引き受けることで、少年を救います。そしてラストで、このように「世界の肯定」を語るんです。

『 おまえを見ているうちに、世界がそんなにひどいもんじゃないってわかった。この町は見渡すかぎり錆とガラクタに覆われていると思っていた。でも、そうじゃなかったんだ。おまえは唯一、無垢だったよ。悪い人間だと思っていたやつの中に、少しでもいい部分があるように、神様はこの世界に、心の澄み切ったおまえのようなやつを作ったんだ。
 あまりにも無垢だから、何度も人に裏切られ、傷ついて絶望するかもしれない。だけどこれだけは知っておいてほしい。おまえは、大勢の人間の救いなんだ。たんに、怪我を治してあげられるって意味じゃないんだぜ。おまえがいつも優しく、他人のことばかり考えているということが、はるかに多くの人間を暗闇のような場所から救い上げるんだ。だからおまえが、いらない子なはずがないよ。おまえが死んだら、オレはきっと泣く。
 半分になったとはいえ、オレらにはひどい傷跡が残っている。でも、それを誇りに思う。いつかこの傷跡を移動させて、消すことがあるかもしれない。だけど、この世界に痛みを分かち合うやつがいたのだということを、覚えておいてほしい。』(P116)

 「負け戦かもしれないけれど、その負け戦を戦うことで、人の希望にはなりえる」というのは、いつも園主さまが強調しているところですが、作者がここで語っているのは、「挫けない」ということではなく「汚れない」というかたちでの、それに近いことなんでしょうね。
 ただ、この微妙なズレを、悲観的に解釈すれば、多くの読者は、この科白の中の『あまりにも無垢だから、何度も人に裏切られ、傷ついて絶望するかもしれない。』という部分にだけ共感して、「そうなんだ、自分も」といって一時的に癒されるだけ、そうやって作品を消費するだけ、ということになるのかも知れません。でも、作者が付け加えるかたちで読者に望んでいるのは「君も傷を引き受ける仲間になってほしい」ということなんだと思いますし、その段階にいたって初めて、「汚れない」ではなく「挫けない」ことの重要性が理解できるのだとも思います。





( 以下は「たったひとつの冴えたやりかた(2)」につづく)


『子猫をお願い』 投稿者:AOI   投稿日: 9月 6日(月)11時08分2秒

園主さまのところは地震の影響たいしたことなくてよかったですね。
みなさまはいかがだったでしょう。
それにしても

>この時は、床から平積みになっている本の山の頂上を手で押さえて

って、本の頂上ってどのくらいの高さ(笑)?
どどどっと崩れるくらいならいいけど、あまりの重さに耐えかねて・・・というのが心配になってしまいます。我が家もひやひやものです。
大地震のまえは猛暑だったというし、浅間山の噴火といい。カンベンしてほしい〜〜。
でも、ときどきエネルギーの放出がされた方が大地震にならないようですね。小さいのはガマンするとして(笑)
原発のことを思うと、ますます怖い。

地震ショックで送信し損ねてました。
『華氏9・11』の前に観たはじめての韓国映画『子猫をお願い』のことをちょっとご紹介しておきます。
すごくよかったので。
冬ソナもそのひとつですが、ここ数年、韓国映画がちょっとしたブームになっていますね。韓国は国立の映画専門のコースをつくったりして産業として力を入れているようです。私的にはずいぶん以前に、反日的な映画を観たことはあったけれど、それ以来ちょっと敬遠していたのです。
観ようと思ったのは韓国女性に最も支持された映画とのこと(日本でも話題になった『猟奇的彼女』を抜いて)。
お話しは仲良しだった地方都市の仁川の商業高校を卒業した5人の女性たちのそれぞれの日常や家族や交流を描いたものです。こういうテーマに弱いんですね(笑)。
女性監督の描いた女性映画。
ディテールの描き方。ロケーションの面白さ。少女たちの惑いや悩みや。映画的躍動感に満ち満ちています。韓国の警察事情など分かりにくいところもありますが。
蓮実重彦氏は「いきなり映画の地平を揺るがせるみずみずしい処女作を撮ってしまった映画作家」と監督チョン・ジェウンを大絶賛していますが、大げさではありません。
ティティ(子猫)も名演技(?/笑)

花園のみなさまはこういうのはあまり興味ないかもしれませんが、ご紹介まで(笑)。


地震と訂正 投稿者:園主  投稿日: 9月 6日(月)01時21分6秒

みなさま、関西では、昨日(9/5)から本日(9/6)にかけて、二度の大きな地震がございましたが、ご無事でございましたでしょうか?

私、最初の方は出先で見舞われ、自宅二階に置かれているの本が心配だったのでございますが、帰宅してみると、案の定、硫酸紙でカバーを掛けた状態で平積みにしてあった本が、30冊ばかり落下しておりました。幸い畳敷きの部屋であったため、硫酸紙のカバーがやぶれた程度で、本そのものの損傷はございませんでした。
ニ度目は、今と同じ書斎のパソコンの前で見舞われたのでございますが、この時は、床から平積みになっている本の山の頂上を手で押さえて、揺れのおさまるのを不安な気持ちで待ちました。けっこう長い揺れでございましたね。みなさまに、お怪我や被害のなかったことを祈りたいと存じます。



さて、訂正を一つ。一昨日の書き込み『美しすぎる装丁』の中で、私は、

> 中井英夫へのオマージュ集『凶鳥の黒影』(河出書房新社)が、定価2415円(税込)で、9月18日の刊行と確定いたしました。

と、ご紹介いたしましたが、正しくは、刊行日は9月17日(中井英夫の誕生日)でございました。お詫びとともに、謹んで訂正させていただきます。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


夏の記憶。 投稿者:AOI  投稿日: 9月 6日(月)01時00分28秒

秋風が心地よく感じられほっとしている方も多いでしょうね(笑)。
あのうだるような日々の記憶が懐かしく思えるのは夏の終わりにこの世に生を受けたためかもしれない。

先日、やっと、『華氏9・11』を観てきました。
メディアでいろいろと語られていることもあって、内容的にも分かってしまっているような気がしていたのと、映画としての出来がいまいちだという評価をきいていたので、そのうちみようくらいの気持ちで行ったのがよかったのかどうなのか?
やっぱり、観てよかった。
ドキュメンタリーとしてどうかとか、技術的にどうかとか、ブッシュひとりを悪者にしてどうなるのかとか、それはそれでいい。
ムーアも言っている。
「恋人同士や夫婦でポップコーンを食べながら映画館の暗闇でみんなと楽しい時間を過ごす。笑ったり、泣いたり考えたりしてね。映画館を出た後、そしてその何時間後、何日後、何週間後もその映画の話をしてくれるような楽しい映画を作りたいんだ」と。
入れ替え制、整理券発行、飲食禁止の映画館だったので、ポップコーンを食べながらではなかったけれど、整理番号2ばん、場所どり良好、エアコンの効いた快適なソファで観たのです。

ポップコーンって、アメリカーンでバブリーなかんじ。
はじめてみたときは、ちょっと、魔術みたいな驚きだった。
ふだんは特別食べたいとおもわないけれど、バターのほのかな香りがして、玉 蜀黍の黄金色のつやつやのつぶつぶが、皮を破って、はじけて、膨らんで、ラッパ状の口から湧き出すように溢れてくるのをみたらやっぱり買ってしまう。
縁日で、匙一杯だけのザラメから甘い香りが立ち上り、噴きだしてくるくもの巣みたいなふわふわを割り箸いっぽんでくるくる巻きとる綿菓子も買いたくなってしまうけれど。
いい具合に塩味のきいたポップコーンは、たまーに無性に飲みたくなるからだに悪そうなコカ・コーラがいちばん合うのじゃないかな。やっぱり。

ポップコーン気分とはいかなかったけれど、まぎれもなく、そこは映画館。
暗闇の中ふかぶかとソファにからだを預けていると、途中ねむくなっちゃたりしたけれど、戦場に追いやられる若者をみていたら息苦しくなった。
騙されちゃだめよ。騙されちゃだめよ。甘い言葉に毒林檎。
ピカピカに磨き上げられた車に乗って、バリッと海兵隊の軍服を着たスカウトマン(?)に誘われる田舎町の貧しい、イノセントな若者たち。
ともかく、ムーアはこういう若者たちに見てほしかったのだと思う。ポップコーンを食べながら。
彼らはあのアルやバーディーではないか。
殺戮マシーンと化した兵士。こころやからだに深く傷を負った兵士たちの表情を。
悲嘆にくれる人びとを。
子どもたちに何の罪が。
ブッシュの愚かで、正直な、演説がすべてを裏切る。
映画館で傍観していることの乖離はどうしようもなく遠く。
ぽろぽろ、ふわふわ暗闇の床にこぼれたはずだ。
もはやそれを拾うものはいない。

ポップコーンを食べていたら。


復旧! 投稿者:Keen@嬉泣  投稿日: 9月 5日(日)13時50分26秒

あああ、ようやく液晶画面 に、見慣れた星崎さんのトップイラストが……っ!
昨日からついさっきまで、原因不明のサーバートラブルか何かで、ずっとネット接続できなかったのです。(T-T)というか、「接続」自体はできているのに、メールの送受信やIEによるサイトへのアクセスが全く不可能でした。あちこち開いて設定を確認し、ワイヤレスを外してケーブルで直接つないでみたり……自分でできる限りのことは全て試してみた。おかげで、PCのことが少し詳しくなったかもしれない。そして今日の午前中、不意にメールのみが復旧する。ということは、ADSLやワイヤレス機器の不具合ではないというわけだ。ワープロソフトも支障ないので、PCの故障でもないはず。一昨日の就寝前、↓の「映画版『姑獲鳥の夏』」を書き込みしてから、昨日の午前中に立ち上げるまで、誰もPCにさわっていないので、設定が変更されているはずもない。まさか、夜中にハッカーが我がPCに侵入し、何か悪さを働いたというのだろうか?……

VAIOのカスタマー登録カードを準備し、腹を括って、ついに有料サポートセンターに相談することを決意した頃、IEは、あっけなく復旧した。一体、これはなんだったのだろうか。過去に、特定のサイトが一時的にアクセス不可能になったことはあるが、全てのサイトというのは初めてだ。しかも、わかっているだけで延々26時間は続いたのだ。Macユーザーが、PCを立ち上げる前にはお祈りをかかさない、という話を聞いたことがあるが、PCというヤツは、生き物でもないくせにわがままで気まぐれなのか。
ちなみに、当地では昨日から天候が不順で、雷雨に見舞われたりもしているのが関係あるのかどうか……それにしても、有料相談しなくてよかった(ホッ)。

丁寧語で始まった文章が途中からムチャクチャになってますが、私がいかに狼狽していたかをよく表していると存じますので、このまま送信することにします。(^0^*
ではまた。


美しすぎる装丁 投稿者:園主  投稿日: 9月 4日(土)00時43分58秒

みなさま、私も追加情報をひとつ。
先にご紹介いたしました、中井英夫へのオマージュ集『凶鳥の黒影』(河出書房新社)が、定価2415円(税込)で、9月18日の刊行と確定いたしました。
私も本多さまから書影を入手しておりますので、近いうちに「INFORMATION」の方へお薦め広告をうちたいと存じますが、すでに上のリンク先でも書影がご覧になれますので、まずはそちらで「装画:建石修志、装丁:間村俊一」の最強タッグによる、美しすぎる装丁をご覧になって下さいまし。





 Keenさま

> 早速の蹉跌☆

> 自分だけの本はともかく、クラウス兄の蔵書&共有本は勝手に整理するわけにいかない。そして、そちらの方が圧倒的に多いのであった☆苦苦苦……

彼らは、あらゆる理由をひねり出して生き延びる、最強の生き物でございますからねえ。


>> 『ボクのおにいちゃん』

> 発売日決定の暁には、ぜひ「花園」で告知して下さいませ。(^0^*

私が独占いたしますので、一般販売はいたしません。悪しからず。


>>「ええかげんにせいや!」

> う〜ん、さすがは浪花の本郷猛!私の脳内スクリーンでは、すでに別バージョンが上映中です。高校生の本郷猛が救おうとしたのは、チンピラにからまれた女の人ではなく……(ニヤリ)
> あ、久しぶりにちょっと萌え。(^0^*

正確には「ええかげんにせや!」でした。

ちなみに、当時の私は純粋であり、怒りに任せた行動で、下心なんかまったくございませんでした。今なら、多少は、出てくるのでございましょうが(^-^;)。


> 映画版『姑獲鳥の夏』

> 講談社のメルマガ「ミステリーの館」によると、京極堂の妹・中禅寺敦子役は、田中麗奈だそうですよ!

そ、それは……。映画に何も期待しなくても、きっと観に行くことでございましょうし、まかり間違ってそれなりに面 白かったりしたら、DVDを買う可能性も。なにしろ田中麗奈って、けっこう作品に恵まれてませんから……。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


映画版『姑獲鳥の夏』 投稿者:Keen@忘れ物☆  投稿日: 9月 3日(金)23時21分12秒

講談社のメルマガ「ミステリーの館」によると、京極堂の妹・中禅寺敦子役は、田中麗奈だそうですよ!


早速の蹉跌☆ 投稿者:Keen  投稿日: 9月 3日(金)23時12分42秒

自分だけの本はともかく、クラウス兄の蔵書&共有本は勝手に整理するわけにいかない。そして、そちらの方が圧倒的に多いのであった☆苦苦苦……

☆園主さま

>『ボクのおにいちゃん』

発売日決定の暁には、ぜひ「花園」で告知して下さいませ。(^0^*

>「ええかげんにせいや!」

う〜ん、さすがは浪花の本郷猛!私の脳内スクリーンでは、すでに別バージョンが上映中です。高校生の本郷猛が救おうとしたのは、チンピラにからまれた女の人ではなく……(ニヤリ)
あ、久しぶりにちょっと萌え。(^0^*


美心へ(6) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時46分3秒


 Keenさま

>> 自分に、「自信」というよりも、「確固たる自己認識」がなければ、相手の批判的指摘にいちいち動揺しなければならないから、本来の力までが発揮できなくなるんです。――自分の輪郭を把握する(自分を、過大評価もしなければ、卑下もしない)というのは、とっても困難なことなんでしょうが、それが他者と意見を交わす場合、何より大切なことなんだと思いますよ。(< ホランドくん)

> 「京極堂シリーズ」読んでると、それを具体的に実感できますね。京極堂や榎さんには憧れます。そしてそれだからこそ、状況次第でフラフラしちゃう関くんがカワイくて仕方ないんですが(笑)。

実際のところ、確固たる自己の『輪郭』などというものは、幻想なのではないでしょうか。
人間にとっての「自己」というものは、ある種の個性としての「傾向性」はもつにせよ、基本的には状況によっていくらでも揺蕩うものでございましょうし、そうした柔らかさは必要なものだと存じます。

ただ、悪意が外部から侵犯しようとしてきたときには、無防備では危険でございますから、人は「確固たる自己」という虚構された「仮面 」によって、そうした侵害行為をはねつけるのだと存じます。

つまり、他者が「おまえは、こんなつまらないやつだ」という「呪」を送ってきた場合、それをはねかえすのは「いいや、私はこういう人間だ」という「呪」なんだと存じます。つまり、私の「揺蕩う実態」に関係なく、攻防するのは「呪」なのだということでございますね。(「呪―逆呪」=「呪―祓い」)

結論としては、人は自己などという「曖昧なもの」の「輪郭の確定」に拘泥する必要はないけれども、必要のあるときには、状況に応じて「適切な仮面 」を被る用意も必要だということでございます。ただし、その「仮面」が虚構だという認識を欠いていると、その「仮面 」に逆規定され、自己が硬直してしまう怖れもあり、それはそれで危険だということなのでございます。


> あ、もしかして、この心構えって「老人力」の発想と似ているかも?まあ、ここでは「アレクセイ力(りょく)」と呼びましょうか……むむ、タイプしてみると、「アレク製菓」みたいだなあ。もちろん、海洋堂と提携して、フィギュア入りの食玩製造してるよね?(笑)

テーマはずばり「ショタ美少年」で、そのタイトルも『ボクのおにいちゃん』! で、シークレットは……(笑)。


> もっとも、よその掲示板で見かけた他人の発言に「フッ」と笑うだけでなく、実際に横レスして、論理の穴を指摘するようでなければ、真に「アレクセイ力」を身につけたとは言えないでしょうね〜。(^_^;

私は、無闇に他人の議論に関わったりはいたしませんよ。ただ「義を見てせざるは、勇無きなり」というところはあって、それで乱入するというのは、時々ございます(笑)。
高校生の頃、下校の電車のなかで、女の人に席を譲れとイヤがらせを言っているテキ屋のチンピラの態度に堪えきれず、いきなり(つまり、キレて)「ええかげんにせえや!」という向こう見ずな第一声を発して、警察に連れていかれたこともございます。あのころは、感情表現がストレートでございました(笑)。


> 蛇足:「チェ・ゲバラ」という名前を見ると、ついつい昔のギャグ「チェ・デバラ」を思い出して、笑ってしまいます。故・エルネストさん、ゴメンなさ〜い☆あなたがすんごい男前でスリムだったことは、よーく存じてますのよ〜。(;^_^A

(昔の)全国的なお子さまギャグでございますね(笑)。

ところで、チェ・ゲバラは子供の頃からの喘息もちで、生涯この持病には苦しめられ、つねに薬と吸入器を携帯していたようでございます。ですから、三好徹は『チェ・ゲバラ伝』のなかで「この時期のゲバラは一見すると太っているように見えるが、じつは薬のせいで浮腫んでいたのである」というようなことも書いております。


> さあ、ここで試されるアレクセイ力。本を沢山所有していたい、という欲望と場所ふさぎという現実との狭間での葛藤。この場合、アレクセイ力は正負両方向に働くので、なんとも厄介なのだが……前進するのだっ!

この場合については、何のお役にもたてないものと存じます……(身の程を知る者の弁)。



 ホランド

> また「掲示板あらし」イジメをやってますね。よくやるなあー、まったく・・・(-_-;)。

違う違う。私は、彼らに、自己を顧みる機会を与えているだけだよ。世間は、彼らを馬鹿にし、無視するだけだろう? だから、私が構ってあげているんだ。本当だぞ、これは。……もちろん、楽しんでいるのは、否定しないけれども(笑)。





それでは、みなさま、本日はこのあたりで失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


美心へ(5) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時45分7秒


 はらぴょんさま(つづき)

文体をめぐって

> 「東浩紀の文章を批評する日記」
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040701
> ここのコメントの中に、奈須きのこの文体を問題にしている人がいて、途中で文体が変わるという指摘をしています。
> 最初の「俯瞰風景」を、この人は小説といっていいのかと疑問を呈し、「リズムの化け物」という言い方をしています。要するに、読めたものではない、ということなんでしょう。
> で、その後、「ヘンな小説」になるが、この「ヘンな小説」はつまらないといっています。
> 結論。最初から最後までいいところがないということですね。

smatobaさまのご意見でございますね。――まあ気持ちとしてわかりますが、あまりにも主観的なもの言いで、意見としてほとんど意味をなしていないと存じます。このような言い方なら、小栗虫太郎でも大西巨人でも、同様に腐せることでございましょう。その意味では、サイトマスターのmotidukisigeruさまが後で書かれているとおり、批判者には「(客観的な)説明責任」がついて回るということでございましょう。

ただし、そうした責任を果たしていない人の多くには、自身の主観と客観の区別 がついていないという根本的な問題がございます。そこに無自覚だからこそ、smatobaさまのものみたいな意見も出てくるのでございますね。彼はあれで、十分に客観的な意見表明だと思い、他人にも伝わると思い込んでいるのでございますが、まさにそこが問題なのでございます。

ところで、motidukisigeruさんが、

『奈須きのこを取り上げるのが、商業的な堕落だ、というのなら、根拠を挙げてそう主張すれば良いのです。しかし、彼の根拠は「新青春エンタじゃないからよくない」と言っている。新青春エンタというのは、西尾維新と佐藤友哉と舞城王太郎を含んでるわけで(つまり、よく考えるとまるで共通 点がない)、元長柾木や原田宇陀児が、奈須きのこに比べ、「より新青春エンタだ」というのは、無理でしょう。』

と書いて、東浩紀が『ファウスト』の新たな編集方針を批判していることについて、「説明責任」を果 たしていないと批判しておられます。この文章は、この7月上旬に書かれたものだと思うのでございますが、その段階では、どうやら東さまは、この編集方針の転換の裏に「笠井潔と太田編集長による、新伝綺ブームでっち上げ作戦」があるということを、一般 に向けて明示していなかったようでございますね。

話がどうしても「業界裏話」的になって生臭くなるし、下手すれば喧嘩にも発展しかねない事ですから、公には口にしにくかったのかも知れませんが、そういう肝心なところを伏せたままで批判したりするから、こういう批判も出てくるのでございましょう。

ともあれ、実際のところ、東浩紀さまが『ファウスト』を『商業的な堕落だ』と批判する主たる理由が、『元長柾木や原田宇陀児が、奈須きのこに比べ、「より新青春エンタだ」』(と言えるのに、奈須きのこに比べて扱いが小さいのは、筋に反している)ということではない、というのは、今となっては明らかなのではないでしょうか。

このへんは、「文学」と言えども、純粋に「文学的意味合い」の範囲内だけでは論じられない、という証拠でございましょう。その意味では、(自画自賛になって恐縮ですが)拙稿笠井潔が、真に望んだこと。のような、現実に食い入る批評活動も、泥をかぶることを怖れず、展開する必要があるのではないかと存じます。





( 以下は「美心へ(6)」につづく)


美心へ(4) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時44分0秒


 はらぴょんさま(つづき)

笠井潔の『バイバイ、エンジェル』や『テロルの現象学』を初めて読んだころ、笠井のマルクス葬送派への転向から、椎名麟三や埴谷雄高の転向を想起しました。例えば、椎名麟三は、治安維持法違反で逮捕され、獄中でニーチェを読み、マルクス主義者から実存主義者となり、晩年にはさらにキリスト者になります。
> 埴谷雄高もまた、獄中でカントを読み、脱党します。
> しかしながら、笠井の場合、最後まで知識人としての覇権を確保し、同時代の精神的指導者となるという欲望と手を切っていないし、その実現のためにミステリ批評に批評の主軸を移したと考えられます。精神的指導者として人心を支配したいという欲望が顕在化していることが、笠井の転向の特異な点であると思います。

これは逆だと存じます。

たいていの「転向者」は、転向先でも『最後まで知識人としての覇権を確保し』 たがるもので、椎名麟三や埴谷雄高のような「潔い」例の方が、むしろ『特異』なのではないでしょうか。――つまり、笠井潔の『転向』は、たいへん凡庸なものであったし、笠井潔その人は「転向者の、その他大勢の一人」に過ぎないのだと存じます。





( 以下は「美心へ(5)」につづく)


美心へ(3) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時42分6秒


 はらぴょんさま

異議申し立ての思想

> 『打撃は、絶間なく与えねばならぬ』(ゲバラ)

> この言葉から、毛沢東の『持久戦論』を想起しました。彼らの考えたゲリラの戦術は、どちらも長期戦なのですね。毛沢東の持久戦は、実際のところは広大な中国大陸を逃走しつつ遊撃戦を繰り返すというものでしたが、最終的にはロングスパンで勝利を得たわけです。

圧倒的な戦力を持たない以上、ゲリラには執拗さ、つまり「しつこさ」が必要だというわけでございます。そして、そうした点からも、現在イラクで行われている(「テロ」と蔑称されている)抵抗戦は、まったく正統的で自覚的な「ゲリラ戦」であり、その意味であれは、間違いなく「しつこく」継続されるでしょうし、アメリカから言えば「ベトナム化」せざるをえないであろう、ということでございます。

ちなみに、ああいう「祖国と尊厳と自由」を賭けて戦うゲリラ戦とは違い、われわれのゲリラ戦は、べつにいつやめても支障のないものなのでございますが、だからこそ逆に「しつこさ」を保つことが困難なのだとも申せます。こうした場合、もっとも大切なのは、陰険だと思われるくらいに「しつこさ」を「楽しむ気持ち」なのではないでしょうか。相手にとっても、敵のこういう性格は、最も嫌なものでございましょうしね(笑)。

> チェ・ゲバラに関心が行くというのは、この時代の閉塞感に風穴を開けたいということだと考えます。

一般的に『チェ・ゲバラに関心』が集まっているとは思いませんが、私個人について言えば、チェ・ゲバラについては昔から興味がございましたし、三好徹の『チェ・ゲバラ伝』を買うのも2度目か3度目でございます。今回は、たまたま映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』の公開を知ったので、そのまえに伝記を押さえておこうと思ったのでございます。

ちなみに、私は昔、チェ・ゲバラと(若い頃の)笠井潔の「顔」が似ていると思ったことがございます。どちらも、顔立ちのハッキリとした男前でございますから。ただ、笠井潔の方は、昔はたいていむずかしい顔をして写 真に写っていたのに対し、チェ・ゲバラの方は微笑んでいる写真が多かった。ですから、私は、三好徹の『チェ・ゲバラ伝』の表紙にも使われている有名なゲバラの肖像(画?)のイメージに近いものを、当時の笠井潔に感じたのかも知れません。
ともあれ、昔ならこうした発見を喜んでご紹介できたのでございますが、今となっては紹介するのが恥ずかしく感じられます。そのことが、私には残念でなりません。


これには、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アンドレ・ブルトン、クロード・ランズマン、アラン・レネ、マルグリット・デュラス、ロブ=グリエ、ナタリー・サロートらが署名をし、その署名者の人数から「一二一人宣言」と言われるようになります。

> 現在必要なことは、われわれがこうした先人たちから不服従と連帯の精神を学び、それを生かさないならば、事態はより悪化する可能性があるということです。

そのとおりでございますね。

ただ、私がチェ・ゲバラを持ち出して、みなさんに考えてほしかったのは、国家が「署名運動」など端から相手にせず、知識人の権威など屁のツッパリにもならない状況下での、大衆にたいする暴力的な収奪に対して、いったい我々には何ができるのか、というようなこと(自問)でございます。だから、私は最後に「チェ・ゲバラと、ある知識人の会話」をもってきたのでございます。

つまり、我々が「先進国の知識人」と同じ「特権階級」に甘んじている現状についても、もっと自覚的であるべきだと思うのでございますね。でないと、それは金持ちが、その「金持ち的余裕」のゆえに、貧乏人を憐れむといったような、鼻持ちならないものになるからでございます。だからこの場合、「憐れみ」や「同情」よりも、(チェ・ゲバラのような)悲惨な現状に対する「怒り(憤り)」の方が、問題を「我が事」と感じているという点で、本物のように、私には思えるのでございます。





( 以下は「美心へ(4)」につづく)


美心へ(2) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時41分5秒

 

『 T乙女のカリスマUとしてカルト的な支持を受ける一方、最近は三島賞候補に二回なるなど、文壇からも熱い注目を浴びている。が、それゆえの迷いや悩みもあった。
 「小さなライブハウスで、下手くそでも必死な演奏が売りだったバンドが、急に大きなステージに出たようなもの」。同じように歌っても、二階席に声が十分届かないもどかしさ。「自分のイメージが独り歩きして、昔の読者から『野ばらちゃんは変わった』と言われるのがキツかった」
 もう一度原点に戻るべく、「ガンガン直球を投げ込んだ」のが本書(※ 『ミシン2/カサコ』)。「もう二階席なんか関係ない、『ここまでたどり着けるヤツにだけ聴かせてやるよ』という感じ」。きゃしゃな姿の内側に、確かにハードボイルドな心がある。(小学館、1200円) (汗)』
           (2004年8月1日付『讀賣新聞』、「著者来店」より引用)

たぶん『(汗)』というのは、ここ「花園」でも何度か名前の上がった、ミステリに詳しい「石田汗太」記者を指す略号なのでございましょうが、ともあれ、はたして今の嶽本野ばらを『確かにハードボイルドな心がある。』とまで持ち上げて良いのかどうか、私にはいささか疑問なのでございます。
もちろん 『ミシン2/カサコ』の主人公ミシンには、著者の思いが色濃く投影されているのでございましょうし、その意味で、著者がここでミシンの言葉に託して、今の自分の心境を語るのも間違いではございませんでしょう。そしてまた、『二階席』をあえて振り捨てていこうとするスタンスも、基本的には間違いではないと存じます。しかし、今のミシンの位 置が、すなわち嶽本野ばらの現在位置が『ここまでたどり着けるヤツにだけ聴かせてやるよ』というほどのものかどうかは、大いに疑問であり、作者自身そのことに気づいていないとしたら、作者をこの先で待つものは、客観性を欠いて「凝りかたまった、独りよがりの偏狭さ」ということにもなるのではないでしょうか。

しかし、私は、それを心配するほど、嶽本野ばらという作家に愛着を感じているわけではございません。むしろ私は、この作家の向う側に、現代の「傷つきやすい若者」の病理を感じて、そこから眼が離せないのでございます。

嶽本野ばらの著作は、さらに3冊ほど購入してありますので、もうすこしこの作家を研究してみる予定でございます。私は、その先に見えてくるものについて、決して楽観してはおりませんが、できることならば『ミシン3』では、「自己の乗り越え」と「世界との和解」が語られることを期待したい。私が期待するのは「弱者のツッパリ(=悲鳴)」ではなく、「強き者のツッパリ(=抵抗)」なのでございます。





( 以下は「美心へ(3)」につづく)


美心へ(1) 投稿者:園主  投稿日: 9月 3日(金)17時39分59秒

みなさま、私が最近読んだ小説家の中で、すこし気になっているのが、中井英夫へのオマージュ集『凶鳥の黒影』にも小説を寄せている、新鋭嶽本野ばらでございます。

嶽本の小説を読んでみる気になったのは、彼が中井英夫ファンであることを知ったからというよりも、むしろそれ以前から、彼がトランスジェンダーの傾向をもつ、そうとう変わった人物であるということを知っていたことと、嶽本野ばらファンである私の友人が、ある時『嶽本さんの話はとても苛酷なので少し短目がいいです。気持ちが入り込みすぎてちょっと現実に帰れなくなりそうだし。エミリーはそれほどに苛酷なお話でした。でも、好きなんです。』とメールに書いてきたからでございます。

嶽本野ばらは、若者を中心に支持されている作家のようでございますが、その秘密が、私にはこの「痛い世界」観、逆にいえば「傷つきやすさ」の感覚にあるのではないか、と思えました。
また、この問題は、討論・笠井潔をめぐってでも話題になった「セカイ系」小説家の問題にも、深く関連するものと、私には思われたのでございます。

で、嶽本野ばらの第一著作『ミシン』(「ミシン」と「世界の終りという名の雑貨屋」の2篇を収録)と最新作『ミシン2/カサコ』(ともに小学館)の2冊を読んだのでございますが、私の予想はほぼ当たっていたようでございます。
「ミシン」と「世界の終りという名の雑貨屋」は、共に主要な登場人物が「世界」を下らないものと感じており、その点で「生きにくさ」を感じております。しかし、作中では、世界がどのような点で下らなく生きにくいのかということは示されておらず、そのため、それを自明なものとして共有できる読者は良いのでしょうが、私のような人間には、どうも作者の「独断」的なもの言いや「思い込みの強さ」のようなものが、鼻について仕方がございませんでした。ですから「きっと、この世が生きにくいと感じている、今の傷つきやすい若い読者には、これは共感されるし、癒されると感じるんだろうな。……しかし、これは同病相哀れむに近いものなんじゃないか」と思えたのでございます。

「ミシン」の続編である長編『ミシン2/カサコ』は、死にそこなった主人公の「再生の物語」とも言える内容で、お話としては、個人的には「好き」と言っても良いものでございました。しかし、内容的には、根本的な解決(乗り越え)がなされているとは言えず、問題は最後まで、「個人的な関係」に支えられた「内面 の問題」に終始いたします。その意味で、この小説は、一歩前進したとも言えますが、まだまだ問題を積み残しているのでございますね。





( 以下は「美心へ(2)」につづく)


試されるアレクセイ力 投稿者:Keen  投稿日: 9月 3日(金)15時17分36秒

春に花粉症で頓挫していた、本の整理を再開。今度こそは本腰入れるぞー、と書架を眺めわたす。あまりにも古くて汚くなった文庫などは、この際資源回収に出すことにしよう。「コレクション」的扱いのもの以外は、古書店も利用してみよう(まだ売ったことはない)。放っておくと増える一方なので、とりあえず買っておいた本も、これから買う本も、読了後の進路をきちんと決めること(今までは、とにかく全部保管していた)。

所有するのみが本の価値にあらず。「買う」という行為自体が嬉しかったものもある。一度読んで面 白かったなら、それでも充分。……次々と言い訳を繰り出しながら、新しい環境づくりを目指す。実は友人が急な引越しで、荷造りが大変だったらしいのだが、持ち物を整理する良い機会になった、というのを聞いたのがヒントになっている。そう、これは「仮想引越」なのだ。新居に持ち込んでまで保存したいもののみを残す、これはなかなか良い方法だと思う。

さあ、ここで試されるアレクセイ力。本を沢山所有していたい、という欲望と場所ふさぎという現実との狭間での葛藤。この場合、アレクセイ力は正負両方向に働くので、なんとも厄介なのだが……前進するのだっ!

だって京極さん読み始めたら、一気にスペースなくなっちゃうんだもん☆(T-T)


文体をめぐって 投稿者:はらぴょん  投稿日: 9月 1日(水)19時52分51秒

「東浩紀の文章を批評する日記」
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040701
ここのコメントの中に、奈須きのこの文体を問題にしている人がいて、途中で文体が変わるという指摘をしています。
最初の「俯瞰風景」を、この人は小説といっていいのかと疑問を呈し、「リズムの化け物」という言い方をしています。要するに、読めたものではない、ということなんでしょう。
で、その後、「ヘンな小説」になるが、この「ヘンな小説」はつまらないといっています。
結論。最初から最後までいいところがないということですね。

「宵トマトの部屋にようこそ!」
http://rhizome.exblog.jp/
掲載小説「空の饗宴」は、最近、暴走気味です。


アレクセイ力 投稿者:Keen  投稿日: 9月 1日(水)13時49分54秒

☆ホランドくん

>でも、園主さまから一番学ぶべきことは「不動心」というやつなんじゃないかな。「デビルマン・不動明の心」ということじゃなくて(笑)、相手に「呪」に毒されない「確固とした自己」の構築ということです。

うん。それこそ園主さま最大の武器ですよね〜(笑)。ここ2年近く、私が園主さまに頼り、お世話になってたのも、そういう部分が大きかったと思います。お蔭様で最近は病院の薬も減って、かなり良くなったみたいです。(^0^*
映画の「デビルマン」は今秋公開のようですが、ちょっと興味あります。ホランドくんは園主さまと一緒に観に行くんだろうなあ。

>自分に、「自信」というよりも、「確固たる自己認識」がなければ、相手の批判的指摘にいちいち動揺しなければならないから、本来の力までが発揮できなくなるんです。――自分の輪郭を把握する(自分を、過大評価もしなければ、卑下もしない)というのは、とっても困難なことなんでしょうが、それが他者と意見を交わす場合、何より大切なことなんだと思いますよ。

「京極堂シリーズ」読んでると、それを具体的に実感できますね。京極堂や榎さんには憧れます。そしてそれだからこそ、状況次第でフラフラしちゃう関くんがカワイくて仕方ないんですが(笑)。
あ、もしかして、この心構えって「老人力」の発想と似ているかも?まあ、ここでは「アレクセイ力(りょく)」と呼びましょうか……むむ、タイプしてみると、「アレク製菓」みたいだなあ。もちろん、海洋堂と提携して、フィギュア入りの食玩製造してるよね?(笑)
もっとも、よその掲示板で見かけた他人の発言に「フッ」と笑うだけでなく、実際に横レスして、論理の穴を指摘するようでなければ、真に「アレクセイ力」を身につけたとは言えないでしょうね〜。(^_^;

蛇足:「チェ・ゲバラ」という名前を見ると、ついつい昔のギャグ「チェ・デバラ」を思い出して、笑ってしまいます。故・エルネストさん、ゴメンなさ〜い☆あなたがすんごい男前でスリムだったことは、よーく存じてますのよ〜。(;^_^A



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