●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


● 2004年10月中
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◆ 『機動天使エンジェリックレイヤー』試論(2) 投稿者:はらぴょん  投稿日:10月20日(水)22時34分3秒

(3)『機動天使エンジェリックレイヤー』は、殺人こそ登場しないが、そのプロット展開は、ミステリと同型である。SF版「日常の謎」派というべきではないかと思う。「謎」があり、その「解明」がカタルシスと感動を呼び起こすというパターンになっているのである。しかも、この物語は「謎」の解法に至る手がかりは、初期のうちから完全に開示されている。本格の条件を兼ね備えているのである。「謎」とは、「鈴原みさき」が「エンジェリックレイヤー」を通 して、辿りつこうとしている頂点に君臨する「萩子」とは何者なのか、ということであり、「エンジェリックレイヤー」という擬似格闘ゲームがなにゆえに誕生したのか、ということである。そして、その「謎」を解くことが、単なるカタルシスを超えて、「鈴原みさき」の成長を語ることになるのである。この物語は、「鈴原みさき」が、「エンジェリックレイヤー」という身近な入り口を通 して、未来の夢を描き、誰でもないたったひとりしかしないわたしになる物語であるといえる。
(4)「鈴原みさき」の「天使(エンジェル)」は「ヒカル」である。この「天使(エンジェル)」は、「エンジェリックレイヤー」のためのフィールド内においてだけ、操作者の意思とシンクロして動く。ここでは、人間と機械は、対立項ではなく、その間の境界線が曖昧になってきている。モーリス・メルロ=ポンティがその身体論を展開するにあたり、「幻影肢」に関して考察したことを想起する。「幻影肢」とは、事故などで肢体を切断した後も、当事者にはあたかもそこに腕や足があるかのように感じる感覚が残存することを指す。メルロ=ポンティは、そこから精神と肉体が絡み合う二元論では説明できない領域があることを導き出す。『機動天使エンジェリックレイヤー』にも、『ちょびっツ』にも、機械を非人間的なものとして考える思考は存在しない。『ちょびっツ』で、「本須和秀樹」は、人型パソコンの「ちぃ」に、文字どおり恋する。『ちょびっツ』は、人間と機械の間の切なくも、哀しい恋愛感情を語っている。ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』で扱った「人造人間は、理想の女性足りうるか」という問題の再話である。
(5)『機動天使エンジェリックレイヤー』や『ちょびっツ』から「人形愛」というテーマを析出し、澁澤龍彦の『少女コレクション序説』、ハンス・ベルメールの『イマージュの解剖学』(種村季弘訳)、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』といったその異端文化としての源流を辿ることができる。現代のアニメやゲームで取り上げられている「人形愛」、「吸血鬼」、「怪物」等のテーマは、元を辿ればゴシック趣味の「幻想文学」や「異端文学」等に見出すことができる。そこには産業資本によってエクスプロイット(開発=利用=搾取)される前の原初的形態がある。そこに立ち返ることで、インスパイアされ、新しい何かを生み出すことができると考える。


◆ 『機動天使エンジェリックレイヤー』試論(1) 投稿者:はらぴょん  投稿日:10月20日(水)22時33分6秒

(1)『機動天使エンジェリックレイヤー』という物語では、「天使(エンジェル)」と呼ばれる人形を使って行う擬似格闘ゲーム「エンジェリックレイヤー」が登場する。この擬似格闘ゲームを登場させるにあたって、この物語の語り手は、現在においては玩具の世界に、最先端のテクノロジーが導入される傾向があることを述べる。玩具やゲームといった世界を視ることは、近未来について考えることだと語っているようだ。人間と機械(アンドロイド、DOLL)の問題は、同じ作者(CLAMP)による『機動天使エンジェリックレイヤー』の後の作品『ちょびっツ』によって、より深化した形で考察されることになる。
(2)アニメ版の『機動天使エンジェリックレイヤー』をCV(キャラクター・ボイス)という観点から、考えてみよう。主人公の「鈴原みさき」に、「エンジェリックレイヤー」の手ほどきをし、ゲーム参加のためにはまず「天使の卵(エンジェルエッグ)」を購入し、自分の人形を作る必要があると教える「いっちゃん」は、物語を誘導する役割を果 たしている。「いっちゃん」役は、小野坂昌也、すなわち『カードキャプターさくら』(原作CLAMP)の大ケルベロス(ケロちゃん)役と同一である。「ケロちゃん」もまた「木之本桜」の傍らにあって、主人公を物語を誘導する役割を果 たしているといえる。小野坂昌也を配したことで、『カードキャプターさくら』から、CLAMPファンを『機動天使エンジェリックレイヤー』に導く下地を作ったといえる。また、これはうがちすぎなのかも知れないが、私は「鈴原みさき」役=榎本温子、「浅見祥子」役=三石琴乃、「萩子」役=井上喜久子ということから、『彼氏彼女の事情』の「宮沢雪乃」役、『新世紀エヴァンゲリオン』の「葛城ミサト」役、『不思議の海のナディア』の「エレクトラ」役を想起する。「鈴原みさき」は、ニュースキャスターを務める叔母の「浅見祥子」を頼って上京し、「エンジェリックレイヤー」の頂点に君臨する「萩子」を近づいてゆくわけだが、これは庵野秀明監督によるGAINAX作品の歴代ヒロインを、遡及する旅なのである。ここに、製作者側のGAINAX人気を奪おうとする巧緻な戦略を感じるのである。


マックちゃん、重いでちゅか?(下) 投稿者:AOI  投稿日:10月19日(火)23時38分12秒

(つづき)
>しかし、そうした生活圏内での話と、展覧会場などでの話を同一視するのは無理があって、一般 論にはならないと存じます。つまり、「展覧会ででも、見知らぬ者に話しかけてくる」というエピソードは、象徴的ではあるけれども、大阪においても例外的な事態なのでございますね。ですから、ネイティブな大阪人としては、そこを強調されるのも、一種の「オリエンタリズム」みたいなもので、(誉められているのでしょうが)そのままでは承服しがたいところある、ということなのでございますよ。

そう(笑)?
大阪在住の友人は「東京の人は、びっくりするでしょう。展覧会で、見知らぬ となりの人から、話しかけられて。大阪なのよねっ(笑)」と言っていましたよ(笑)。
それで、『男と女ではちがうとはおもいますが。年齢でも』と言ったのね(笑)。
「生き人形と松本喜三郎展」は「マイナーなものを見に行っている」という仲間意識というよりも、菊人形や見世物の人形を予想して来た人が予想以上のリアルさに「キショクわるー」と言っていたように思います。
あらかじめ乱歩的マイナーなものを予想して来た人はわざわざそういう感想を人に語らなかったでしょう。たとえ大阪人でも(笑)。語りかけてきた人は展覧会場というよりも、生活圏内での会話に近い感覚だったのではないのかな。私たちかしまし娘が引き出したのか(笑)。
ダイレクトな気持ちをオープンに語るというか、見知らぬ人に共感を求めようとするのが私には新鮮でした。いつも、そういう中にいるとうざったいということにもなるかもしれませんけれども(笑)。

>放っといてくださいまし……(-_-;)。

あはは・・・。

>それに、そういうご感想は、本多正一の実物を知らないから言えるのでございますよ。私は、公の場で忌憚のない発言をしますから、ことさらに過激だという印象を与えておりますが、えげつない発言ということでは、本多正一にはとても適いませんし、それを(こっそり)保証してくださる中井英夫関係者は、十指に余ることでございましょう(確信)。

>実物を一度見た(話した)だけども、こういう感想を抱くのですから、本多正一の
「ただ者でなさ」は、推して知るべしと申せましょう(>AOIさま)。

本多さんは、中井英夫に天が遣わした最後の天使だと思っているので、「ただ者でない」のは当然ではないかと思います。
『彗星との日々』を見て、読んで感じるのは、 いたいたしい凶鳥を背負おうと格闘する姿。
あの写真集は、凶鳥の黒影を刻印した作品そのものに思えます。

でも、本多さんと中井さんの出会った年齢で園主さまが、会っていたら、やっぱり、言っていたとおもいます(笑)。
それとも、こう思うのも、私が田中幸一の実物を知らないからでしょうか?

>私、よく「貴方は良い人なんだから、きっと素敵な女性が見つかりますよ」とか言われるのでございますが、いっかな見つかる気配がございません。――ときどき「無責任なことを言うな!」と言いたくなる時がございます(-_-;)。(>芙宮さま)

おとうさんは永遠に報われないのです。
「お父さん」&「岩清水くん」を卒業しよう!おーっ!(^0^)/
おじいさんになるんじゃなくってー・・・。


マックちゃん、重いでちゅか?(中) 投稿者:AOI  投稿日:10月19日(火)23時24分59秒

(つづき)
この号はこれで終わっていて、次号タイトルは『神聖喜劇』の映画化。
映画化はシナリオ(1200枚くらい)段階で。劇画化(10年かける予定)も進行中のようですね。
いったい、誰がシナリオを書いて、監督するのかしら?劇画作家は?
興味深々。

>メディアを積極的に「利用」していこうと考える宮台に対し、 姜尚中は、テレビ出演についても「メディアは人喰いだから、慎重に距離をおいて、取り込まれないようにしなければならない」と言っております。つまり、宮台真司は「メディア」でも「政治(政治家・国家)」でも(その危険性は承知の上で)「自分ならば、御しきれる」と考えているわけでございますが、姜尚中は、そう甘い話ではないんじゃないか、それは歴史を振り返っても明らかだろう、と言っているのでございますね。
つまり、宮台真司は「知性に裏づけられた、青年らしい情熱的な現実主義知的行動論」を語り、姜尚中は「経験主義的な大人の慎重論」で、これをフォローしているのでございます。

>ですから、大西巨人の言う「彼は、頭がよすぎるんじゃないか」という宮台評価も、姜尚中と同じ文脈に立ったもので、「宮台は頭が良くて、ものが見え過ぎるくらいに見えるから、政治家やメディアの住人といった俗物たちが、バカに見えて仕方がないのだろう。けれども、俗物というのは、しばしば理性的な人間の想像を絶するようなことをやってのけるものだから、決して侮れるものではないし、事実そうだからこそ、この世の権力をにぎっているのは、知識人ではなく俗物なのである。そのへんが、頭の良すぎる宮台には、かえって見えないのかも知れない」ということなのではないでしょうか。

なるほどね。
『挑発する知』の理解は充分ではないのでふたりの違いについても今ひとつよくわからないままなのですが、ただ、姜尚中も言っているように、宮台真司自身、アンガージュマンの危険性は充分分かっているのだと思う。だからこそ、「社会政策学者、統制経済学者、政治学者、哲学者、ジャーナリストなど、昭和研究会などに参集した綺羅星のような知識人」としてではなく、ミドルマンなのであり、「国家の操舵へのコミット」というより、市民的な動きをつくるということにあるのじゃないかと思います。
宮台が、最後のほうで
>日本の歴史が教えることは善意のお祭り好きが歴史をつくってきたということです。でも、悪意をもつ者どもに利用されてしまうということがありました。私たちの日本社会は「祭り」を否定すると鬱屈がたまります。だから、「祭り」をバンバンやりましょう。「祭りなどではなく、真摯な動機に基づく運動が必要だ」などといい子ぶっていても、はじまりません。

と言っていますね。
古くは、政治のことを「まつりごと」と言いますね。


マックちゃん、重いでちゅか?(上) 投稿者:AOI  投稿日:10月19日(火)23時22分44秒

↑(なぜか、ハムちゃま語)

☆園主さま

>「彼は、頭がよすぎるんじゃないか」
>大西巨人の発言は記憶に無いのですが、どこでなされた(載っていた)ものなのでしょうか。ぜひご教示下さいまし。

今年の1月から、9月まで断続的に『週間読書人』に連載された『大西巨人氏に聞く』(インタヴュアー鎌田哲哉)8月20日号、第5部〈文学と政治〉44の「福沢諭吉について〜対米従属とアジア主義、民族主義に行き着くもの」の中です。
(2003年3月〜2004年2月まで5回にわたって、大西邸でインタヴューしたものの分載)

ー以下引用ー
鎌田:・・・(前略)
対米従属一辺倒の日本外交に対してどんなオルタナティヴがあるのか。影響度の程度はともかく、知識人レベルではアメリカへの嫌悪感を反映して、今後は新しいアジア主義でやる、アジア版EUを作る、というという動きが有力になりつつあります。十年前に廣松(渉)さんが、「新たな東亜新体制を」と言って死んだんですが、最近ではそれを受け止める形で、宮台(真司)さん達がアジア主義について積極的に言及しています。
 もちろん、当人達の意識ではそれは大東亜共栄圏とは違うんでしょう。実際上も、アジアで広域的に通 貨を統合してアメリカへの輸出依存から脱却できれば、対等な政治的な発言がやりやすくなる、という程度のものかもしれない。ただ、作り出したアジア版EUでいったい何をやりたいのか、日本人が地域内でまた既得権を享受するだけではないのか、という疑問が拭えないんですね。対米従属からの自立を目指す時、それが単なる反米の水準でしか、考えられていない。世界標準として追求すべき諸価値がまずあって、それを実現させる上で自立が必要なんだ、という普通 性の意識に乏しい感じがします。

大西:今の話に出た、対米従属とアジア主義。結局、それは同じものだと思う。アメリカが言っているのも民族主義であるし、EUのようなアジア共同体にしても、最終的に民族主義に行き着く。おそらく、ひとつの国じゃなく、多数の国でいったら、なんとなく民族主義を乗り越えたような感じがあって、ごまかしが効きやすいんだが、出所は同じであって、それでは駄 目だと思う。こういうことを言うと、大西がまた変なことを言っていると思われるかもしれんが、やはり、本当の意味の社会主義じゃないと駄 目なんだよ。それに立脚したところで、全体のグローバリゼーションを考えたり、今のヨーロッパの共同体を考えたり、大東亜共栄圏ではないアジアの共同体を打ち立てることを考えてゆくべきだろうな。ただ、君が例に挙げた宮台真司そのものは、それほど悪いとは思わんがね。

鎌田:それは大西さんの言われるとおりです。前に少しだけ話したことがありますが、とてもきさくで心の温かい方でした。

大西:ちょっと見はへらへらとしているが、そうではないと思う。彼は少し頭が良すぎるんじゃないか。

ー以上引用ー


「やり方」の問題 投稿者:楽古堂  投稿日:10月19日(火)14時08分36秒

時雨様へ。竹本健治の創元推理文庫版の『トランプ殺人事件』の解説を、園主様とのご縁から書かせて頂いた大内です。「空の境界」を、笠井が「ライトノベル」「アニメ」「漫画」そして「ゲーム」の影響下での創作として、正当に評価することは「にわか仕込みの知識」からでは、不可能なことですね。それは、園主様のおっしゃるように、笠井のできる仕事ではありません。笠井は自分の評論の「やり方」を、流用するのです。同世代の時雨様の仕事でしょう。若い方の「やり方」を拝見したいと、49歳の楽古堂も切に思います。頑張ってください。


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(9) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時07分40秒


 賢ちゃん

> 今日は、映画等々おつかれさまでしたm(__)m。
> 『エクソシスト・ビギニング』の感想でもちょろっと書きましょうか。
> えっと。只でみせて貰っておいて、こんなことを書くのも何なんですが、
> 一言で云うと「凡作」以外の何物でもないです。
> ちゃっちいCGとか、伏線も何も無い○○○○とか、
> まぁ監督が所詮レニー・ハーニンだからしょうがないか(w
> まだ、悪魔に憑依された子供の目からビームが出るとか、
> メリン神父がクンフーアクションを!とかバカ話をしていたのですが、
> そっちの方が、まだ面白い分マシだったかと思われます(苦笑)。
> でも、作品の傾向としては嫌いな作品じゃないですよ。いやホント。

この作品がダメなのは、最初の『エクソシスト』(及び、その原作)がもっていた「哲学性」を、まったく理解しておらず、その最も大切な部分を継承していない(捨て去っている)点にあるんだよ。

本作『エクソシスト・ビギニング』でも、「悪魔は巧妙に人を欺こうとするから、それに騙されてはいけない」という助言が、ベテランの神父の口から発せられる。で、問題なのは、「悪魔の巧妙な欺き」とは「どういう性質」のものなのか、ということだ。

本作では、「とり憑かれているのは誰か」という点について、悪魔が人を(神父を)欺く、というパターンなんだが、これでは「凡庸なミステリ」レベルの欺瞞だとしか言えない。

最初の『エクソシスト』(及び、その原作)では、悪魔の欺瞞は、悪魔払いをしようとする「神父の内面 」にむけて仕掛けられるものだった。つまり、「おまえが神を信じるのは、こういう裏があるからだ」「おまえがこの娘を救おうとするのは、裏にこういう感情が隠されているからだ」等々、悪魔は神父の「信仰的確信」を揺るがすために、人間の弱い部分(感情の部分)に働きかけ、神父自身に「自分で自分を疑う」ようにしむけるという「欺瞞」を弄した。

つまり、最初の『エクソシスト』(及び、その原作)には、人間の「善意」とは何か、平たく言えば、「自己の欲望に根ざさない善意など存在するのか?」あるいは「自己の欲望に根ざした善意とは、本物の善意とは呼べないのか?」等といった深い「問い」が秘められていたんだが、残念ながら今回の『ビギニング』では、そうした部分が一掃されて、「悪魔 対 悪魔払い師」という形式だけが残され、すっかり形骸化していたんだ。

だから、『作品の傾向としては嫌いな作品じゃない』という表現は、この際、正確なものではないと思う。君は、「哲学性を持ちうる題材としての、悪魔払い」をあつかった映画に興味があるんだろうけど、『エクソシスト・ビギニング』という『作品の傾向』性は、それとは正反対なんだからね。

『エクソシスト・ビギニング』という映画は、間違いなく「ハリウッドという資本の悪魔」に魂を売った、悪魔の哄笑だけがこだまする作品だと評価すべきだろうな。



 ホランド

さて、順序は逆になったが、次はお待ちかねの『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督)だ。なかなか評判も良いようだな(笑)。





それでは、みなさま、本日はこのへんで失礼いたします。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(8) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時06分46秒


 時雨さま(つづき)

>> せっかくのご助言をいただきながら、――問題の終章を立ち読みいたしますと、これがあまりにも面 白かったので――、つい定価で購入してしまいました。この終章だけでもその価値(が、私的に)はある、と思ったからなのでございますが、まあ、せっかく買ったのだし薄っぺらい本だから、ダメ元で、いちおう読んでみようか、などとも考えてもおります(^-^;)。

> ちょっと意外ですが・・・まあ、最初からそういう見方をされていれば面 白いかもしれません。
> でもですね、僕は「話題の新人の新作」ということで普通に面白い作品を期待して買ってしまったのですよ。だからあの終章を読んだ時の最初の感想は「お前の悩み事になんか興味はないよ」だったのですが・・・

『クリスマス・テロル』に純粋なエンターティンメントを期待した結果、その内容に腹を立てたというのは、まっとうな反応であり、なんら問題はございませんよ。
私は、佐藤友哉に、最初からそんなことを期待していなかったから、あの「終章=あとがき」を最高に「面 白い=興味深い」と感じただけなのでございますから。

それにしても、本日書かせていただきました私の「佐藤友哉」評は、いかがなものでございましょう? 結局私は、この作品を読むことにより、佐藤友哉の「トリックなどパクればいいんですよ」といった発言は、先行世代である『笠井潔を理論的支柱とする「新本格」ミステリの一派、つまり「本格ミステリの正統的後継者」を自認する、現在の本格ミステリ作家クラブの面 々』を意識しての、意図的な挑発発言だという見解を採ることになりました。もちろん、こういう子供っぽい反抗の仕方は、「天然」の部分がなければ出来ないことなのでございますが、少なくとも、従来の「ミステリマニア」的な体質への意識的な反発発言であったことは、「終章=あとがき」のなかの『もっと凄いことを云ってしまうと、』という、反抗の自覚をほのめかす、前置きの言葉に明らかだと存じます。つまり、この言葉が意味しているのは「あなたがた正統派本格ミステリ後継者を自認する人たちは驚くかも知れないけど、僕はそんな正統派なんかじゃないから、名作を読んでないことを隠す気はないし、恥ずべき事だとも思っていないんですよ。だって、世の中にはもっと大切なものが、たくさんありますからね」ということなのだと存じます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(9)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(7) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時05分51秒


 時雨さま(つづき)

>>『自分の思想に固執するあまり破綻していってる』というのが、具体的にはどういうことなのかが、いまひとつハッキリいたしませんが、

> 正確には「従来の自分の見方から抜け出ていない」といったたところでしょうか。
> SFやミステリー、思想での評論のやり方をそのままコミックやライトノベルなどに当てはめているというか。

> 笠井氏の評論はどうにも不全というか、そんなところがあるような気がするんですよね・・・
> たとえば、「空の境界」の評論では上巻を丸々使って伝奇というジャンルそのものについての概説みたいなものを書いて、その後下巻で従来型の伝奇の先にあるものとして「空の境界」を論じるています。
> それはそれで正しいやり方なのかもしれませんが、「空の境界」はそれだけではない部分を持っている。
> つまりそれなりの歴史を持つ「ライトノベル」に分類される作品であり、またミステリ、伝奇だけではなくアニメや漫画にも強い影響を受けていて、そして「月姫」のシナリオライターが書いた小説という面 を持っている(特に僕達の世代にとっては)のですが、そのあたりの視点が弱いように思えるのです。
> とはいえ、このあたりに関しては笠井氏は素人になるわけですから、にわか仕込みの知識で語ってもぼろを出すでしょうから現在のやり方が最善なのかもしれません。

なるほど。しかし、時雨さま自身おっしゃられているとおり、笠井潔が従来の「自分の方法」で、新世代の作家の作品を批評することそれ自体は、何ら間違いではないと存じます。
つまり、物事はいろんな「側面」から批評できますから、何も「今風」の側面 から批評しなくてはならないとか、そうした面を押さえておかなくては無価値であるとかいうことは、全然ないのでございます。例えば、佐藤友哉や奈須きのこを「近代文学のなかで位 置づける」ということをやっても、何ら間違いではございません。たとえそれが、現今の読者にはまったくウケなくても理解されなくても、いっこうに構わない(価値はある)ということでございます。

ですから、笠井潔の(新世代作家評の)問題点は、「方法論の古さ」ではなく、「結論の押しつけ」にあるのではないでしょうか。つまり、新しいものを、自分なりに、真摯に思考しよう(=理解しよう)とするのではなく、お得意の理屈を捏ねる(レトリックを駆使する)ことによって、自己の理論の範疇に回収してしまおうとする「政治性」こそが、笠井潔の批評の本質的問題点だと思うのでございます。そして、こうした問題は、何も昨日今日に始まったことではなく、これは笠井潔という人間の本質に根ざすものだと思うのでございますね。だからこそ私は、笠井潔を「批評家ではなく、党派理論家だ」と批判してきたのでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(8)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(6) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時04分22秒


 時雨さま

> 来年も再来年も、香山(※リカ)の授業が日本でうけられるような状態の続くことをこそ、私は祈らずにはおられません。

 恐ろしい話ですね。興味のある授業が増えればその分楽に単位 が取れるので彼にはぜひ来年もうちに来て欲しいのですが・・・

しかし、「9.11」以降、メールマガジンを発行して、アメリカによる「アフガン空爆」や「イラク攻撃」に抵抗してきた作家 池澤夏樹は、10年間住んだ愛する沖縄を後にして、フランスへ移住しておりますし、このサイトでもしばしば言及する、在日韓国人の東大教授 姜尚中は、「移住」かどうかは憶えておりませんが、かつての留学先であったドイツに近々「行く」というようなことを書いていたように記憶いたします。

彼らの意図がどこにあるかは存じませんが、それが仮に「キナ臭くなってきた日本からの逃亡」であったとしても、私は彼らを責めようとは思いません。

宮台真司が、姜尚中との対談『挑発する知 国家、思想、そして知識を考える』で、姜尚中について言っておりましたとおり、彼ら「才能のある人たち」は、何もこんな日本にしがみついていなくても、どこへなりと移住しても生きていけるのでございます。その彼らが、まだこんな日本に住んで、批判行動に頑張っているのは、ひとえに彼らの「愛国心」の故だと申せましょう。
しかし、それにも限度というものがございます。彼らにだって家族がいるのですから、その家族を危険にさらしてまで、日本に止まり続けねばならぬ 義理など、どこにもないなのでございます。ですから、逃げ遅れないように、この時期に「移住」を決断するのは、むしろ賢明なことなのでございます(もしも、今の方向性が改まれば、その時点で戻ってくれば良いだけのこと)。

だからこそ、そういう選択の許されていない凡庸な我々は、彼ら以上に、日本の現状について危機感を持っていなければならないのでございます。 ――我々は、ナチスの台頭を楽観視したために逃げ遅れ、強制収容所で殺されることになった、多くのユダヤ人の二の舞いを演じてはならないのでございます。
寺山修司が歌いましたとおり、『身捨つるほどの祖国ありや』(もちろん、ありはしない)なのでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(7)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(5) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時03分1秒


しかし、佐藤友哉のこうした「憎しみ」も、結局のところは、自身の弱さによって、うやむやのうちに誤魔化され葬り去られてしまうのでございましょう。
法月綸太郎がそうであったように、結局は、福井健太が言うところの「幻想=欺瞞としての〈素晴らしい職業〉」に就いている「職業的アイドル(=偶像)」として世間からチヤホヤされ、しかも好きな小説を書いてさえいれば何とか食わせてくれるらしい「業界」から、あえて足を洗う意志も持ちえない彼らは、そうした業界に、うやむやのうちに生き残って、いずれは自身がかつて嫌悪し憎悪したものへと変貌を遂げてゆくのだと存じます。

佐藤友哉が、どうして『『新しい波』を唱えて安心している世界の住人ども』の一人である法月綸太郎に関しては、わりあい好意的なコメントをしたのか。それは、勿論、世間並みに「推薦文を書いてくれた先輩作家への社交辞令」という側面 もございましょうが、本質的には二人が「似た者どうし」だからでございましょう。

先に、時雨さまが『クリスマス・テロル』を読んで「お前の悩み事になんか興味はないよ」と腹を立てたという話をご紹介いたしましたが、「苦悩する探偵」が売りの一つであった初期法月綸太郎の作品には、しばしばこうした評価が投げつけられたものでございます。
ですが、そういう作品の代表である法月の『ふたたび赤い悪夢』を、私はかなり高く評価いたしました。それは、私が基本的には「ミステリ」よりも「人間」に興味を持っているからでございましょう。だから、真摯な「苦悩」は真摯に評価したいという嗜好が、私にはあるのでございます。しかし、まただからこそ、その「自身の苦悩」を裏切るような「堕落」をも、私は決して看過いたしません。

すなわち、かつて「老いぼれる前にくたばりたい」と書いた法月綸太郎が、見苦しい「延命」の果 てに、仲間である「探偵小説研究会」の組織票によって、ほぼ間違いなく「第5回本格ミステリ大賞」を受賞せんとしている現状を私は見逃さない(黙認しない)し、同様に、作中とは言え、実質的に「廃業宣言」をしたと理解しても良い佐藤友哉が、2年後の今日まで、見苦しい「延命」を続けている事実も、私は見逃せないのでございます。

佐藤友哉自身が言うように、まったく『新しいものが上で古いものが下』などとは申せません。いつの時代にも、「ダメなものはダメだし、嘘つきは嘘つきであり、偽者は偽者」なんだということでございましょう。その意味で、われわれ一般 読者は、福井健太の「苦い言葉」を噛み締めるべきなのでございます。

『小説家というのはアイドルと同じで――嘘でもいいから――〈素晴らしい職業〉という夢を見せることで地位 を築いてきたものだと思う。インターネット等を通じてメッキの剥がれるのはやむを得ないにせよ、最低限の責任くらいは感じるべきで、少なくとも〈汚い営業や小競り合いは見えない所でやる〉ぐらいの知恵はあっても良いはずだ。ネタとして笑えるのはプラスポイントかもしれないが、だからといって〈ネタにできれば何でも良い〉というのも品がないし。要するにそういうことである。』

大半の小説家は、その公式的なスタンスにかかわりなく、人並みに「小狡い嘘つき」である。また、そうした公式見解を鵜呑みにし、作家の実行動を問おうともしない多くの読者は、その作家に相応の、現実を直視できない「愚昧の徒」である。――要するにそういうことなのでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(6)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(4) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時02分9秒


この対談では、笠井潔から東浩紀に対し「佐藤友哉の『水没ピアノ』をどう評価するかを語り合おう」という提案がなされ、この提案を東浩紀が「笠井潔の、有望な若手作家を自党派に取り込もうとする政治的策謀の一端」として拒絶するという、珍しい攻防が見られるのでございますが、福井健太が『汚い営業や小競り合い』という言葉で表現した、このような事態の渦中にあったと言ってよい佐藤友哉は、そうしたミステリ業界の内情から「作家的苦悩」を語るにいたったのでございましょう。事実、佐藤は「終章=あとがき」の、先に引用した部分に続いて、次のように書いております。

『作中で熊谷尚人が行った演説にもあるように、世界とは新しいものを求めている癖に、いざそれがやって来ると混乱する保守的な空間なのだ。僕は憎らしくて仕方がない。傾向の全く異なる作家を一括りにする魔法の呪文、『新しい波』を唱えて安心している世界の住人どもが憎らしくて仕方がない。古いものばかり、既存のものばかりを擁護する世界が憎らしくて仕方がなかった。いや勿論、新しいものが上で古いものが下とは考えていない。過去は過去として尊重しているし、それを葬り去ろうなどとも思っていない。申し訳ない事に全て未読であるが……ポー、クイーン、クリスティー、それからえっと、乱歩とか? そうした先人達が、何を発明して何を開拓したのか、何を極めて何を成し遂げたのかを僕は一応認識していた。だがしかし……それは作品としてではなく、歴史としての認識だ。つまり僕が彼等から受け継いだのは、伝統ではなく形式だった。もっと凄いことを云ってしまうと、僕は『占星術殺人事件』すら歴史として捉えている。『館シリーズ』だって一作も読んだ事がない。『三大ミステリ』で読了したのは『ドグラ・マグラ』だけ。シャーロック・ホームズや金田一耕介とは出会った事すらない。京極夏彦で講談社ノベルスを知り、森博嗣と清涼院流水でメフィスト賞を知った。それが僕の導入部であり今現在だ、悪いけどね。』

ここで佐藤友哉が『憎らしくて仕方がない』と言っているのは、間違いなく、彼ら「新世代」が登場するまでの日本のミステリ界を、主流として牛耳ていた、笠井潔を理論的支柱とする「新本格」ミステリの一派、つまり「本格ミステリの正統的後継者」を自認する、現在の本格ミステリ作家クラブの面 々だと言っても構わないと存じます。
事実、この団体には(現時点で)、佐藤友哉・舞城王太郎・西尾維新の誰一人として所属していないし、当然、「新本格」にその出自を持ちながら「畸形児」として流された清涼院流水も、この団体には所属していないのでございます。

言うまでもなく、『新しい波』の『波』という言葉は、笠井潔が「新本格」を「第3の波」と呼んだことに発するものでございます。ですから、佐藤友哉ら出現について『『新しい波』を唱えて安心している世界の住人ども』とは、まぎれもなく、『笠井潔を理論的支柱とする「新本格」ミステリの一派、つまり「本格ミステリの正統的後継者」を自認する、現在の本格ミステリ作家クラブの面 々』に間違いないのでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(5)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(3) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)17時01分19秒


つまり、以上、主として3つの要件により、佐藤友哉が「終章=あとがき」に書いた「廃業宣言」を、「反古」にする可能性は、極めて高いと申せましょう。
そもそも、こうした重大発言を「フィクション」のからめて書いた時点で、すでに「逃げ口」は用意されていたと言えましょうし、所詮は人を欺くことを生業とするエンターティンメント作家の言葉を、真に受ける方がナイーブ過ぎるということなのかも知れません。つまり、当たり前のことですが「作家が嘘をつくのは、作中とばかりは限らない」ということでございますね。
事実、本書の冒頭には、ミステリ・マンガ・アニメ・ギャルゲーなどの「オタク系サブカルチャー」全般 に詳しい評論家 福井健太の次のような言葉が(福井のウェブサイトCAPRICE CENTERから)引用されております。

『小説家というのはアイドルと同じで――嘘でもいいから――〈素晴らしい職業〉という夢を見せることで地位 を築いてきたものだと思う。インターネット等を通じてメッキの剥がれるのはやむを得ないにせよ、最低限の責任くらいは感じるべきで、少なくとも〈汚い営業や小競り合いは見えない所でやる〉ぐらいの知恵はあっても良いはずだ。ネタとして笑えるのはプラスポイントかもしれないが、だからといって〈ネタにできれば何でも良い〉というのも品がないし。要するにそういうことである。』

福井のこの発言が、どういう文脈の中で発せられたものかは定かではない。しかし、『クリスマス・テロル』の刊行が、2002年8月5日であれば、それ以前の、そう遠くない時期に書かれたものであろうことは容易に想像できる。つまり2001年初頭から同書刊行日まで位 を想定すれば、まず間違いないということでございます。では、この時期に何があったのか? それは『汚い営業や小競り合い』という言葉からもわかりますとおり、

『本書は、2002年の2月5日から、同年12月1日にかけて、集英社新書ホームページ上で公開された東浩紀氏と笠井潔氏の往復書簡(『哲学往復書簡2002』)全一六信を、公開時の状態で基本的に手を加えずにまとめたものです。(中略)9・11を枕にした第一信「9・11と文学の言葉」を皮切りに、月二回のペースで順調に更新を重ねてきた本企画は、東浩紀氏による第五信「イデオロギー?」をきっかけに、急速に、緊迫の度を増していきます。そして、終盤間際にいたっては、ついに企画の継続が危ぶまれるほどに、両氏の対立が激化します。この間、往復書簡は各方面 で注目を浴び、集英社新書ホームページへのアクセス数も急増しました。(以下略)』

という説明書き「編集部より」が付されて、後に刊行される『動物化する世界の中で 全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』(東浩紀・笠井潔/集英社新書)の元となる、ネット往復書簡『哲学往復書簡2002』が、最高に盛り上がっていた時期に重なるのでございます。
(※ 詳しくは拙論笠井潔が、真に望んだこと。 往復書簡『動物化する世界の中で』に見る、笠井潔の欺瞞性参照)





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(4)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(2) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)16時59分11秒


しかし、この実質「廃業宣言」と呼んでいい言葉を、作者がどれだけ本気で書いたのかは、かなり微妙なところでございます。たとえば、

(1) この「あとがき」を「小説の一部」と考えれば、実在の(大文字の)作者の行動は規定されない。

ということがございます。つまり「あれもフィクションの一部だよ。本気にするな」ということでございますね。つぎに、

(2) 『鏡家サーガはもう書けません。』ということは、それ以外なら書ける。

ということにもなりましょう。
佐藤友哉は『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』『エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室』『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪』と、デビュー以来刊行してきた「鏡家サーガ」3作に続いて、本作『クリスマス・テロル』(初版刊行2002年8月5日)を刊行して以来、単行本を出してはおりません。
しかし、それで「廃業」したというわけではなく、同じ講談社から刊行されている雑誌『ファウスト』に「佐藤友哉の人生・相談」という連載エッセイを書いたり、本(2004)年2月に刊行された同誌2号には「虹色のダイエットコカコーラレモン(短縮版)」という短編を発表したりしているからでございます。
さらに、この「終章=あとがき」での「廃業宣言」を裏切りうる言い訳としては、

(3) 『前線の中に紛れ込んだ三流を排除するのは極めて自然な行為だ。その意志に従わないわけには行かない。』ということは、佐藤友哉の「廃業宣言」は、業界意志への受動的な追認でしかなく、佐藤友哉自身の積極的な意志表明ではないから、業界が許してくれるのなら、彼は『才能のある後続部隊に道を空け』ず、作家家業を続けることにも否やはない。

ということになるのでございますね。
そして、事実、講談社の担当編集者は『ファウスト』に佐藤友哉の「延命」場所を提供しつづけ、佐藤はそれにありがたく便乗して、いまだ作家を続けておりますし、この調子なら、佐藤友哉がぐずぐず言いながらも作家を続けていくのは、ほぼ間違いのないところだと申せましょう。なにしろ、――四国の片田舎ではなく――北海道の片田舎の若者が、自身望んだとおりに「憧れの小説家」になれたのでございますから、やっと手にしたその地位 を、自身の意志において捨てるなどということは、凡人の身には、とうてい不可能なことなのでございます。また、そうした現実の前例は、ごく身近なところにも見いだされるのでございます。

すなわち、デビューして間もなかった、あるミステリ作家は、先行世代の無理解に呪詛の言葉を連ね、「老いぼれる前にくたばりたい」と題するエッセイを書いたりしたのでございますが、その作家は未だにくたばることもなく、自身老いぼれ続け、金ぴかの勲章を欲するまでになっております。――で、その作家とは、佐藤友哉が前記「終章=あとがき」において、

『それから法月綸太郎さんの(※ デビュー作『フリッカー式』へ)の推薦文を読んだ時の喜びは忘れない。作家法月綸太郎でも評論家法月綸太郎でもない、人間法月綸太郎が推薦文を書いてくれたと云う一つの事実は、感動に近いものがあった。』

と、なにやら「意味不明な感謝」を捧げている、佐藤とおなじく「苦悩する作家」法月綸太郎その人にほかならないのでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(3)」につづく)


継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(1) 投稿者:園主  投稿日:10月18日(月)16時57分33秒

みなさま、本日は、時雨さまにご紹介いただいた、佐藤友哉の『クリスマス・テロル』(講談社ノベルス)について書かせていただきます。

本書の作者 佐藤友哉をはじめ、舞城王太郎、西尾維新など、近年「メフィスト賞」からデビューした新世代の作家たちは、それまでの「新本格」作家とは異質なミステリ作家 清涼院流水の影響を多かれ少なかれ受けており、相対的に「本格ミステリ・マニア」的な体質を有してはおらず、旧世代にはどこか「壊れた」印象を与える特異な世界を描く、といった特徴を備えていることから、私はその草創期よりつき合ってきた「新本格」ミステリの将来を占うためにも、彼ら新世代ミステリ作家の特性について興味を持っておりました。

そんな折り、時雨さまより「佐藤友哉が『トリックなんかパクればいいんですよ』などという発言をしている」と知らされ、そうした「これまでのミステリ作家では考えられない発言」が、どこでどのようになされているのかをお尋ねしたところ、ご紹介いただいたのが、先の『クリスマス・テロル』の「あとがき」を兼ねた「終章」だったのでございます。

なお、この『クリスマス・テロル』における「密室トリック」は、あまりにも有名な前例があり、しかもその手際が、前例作に比較しても極めて杜撰であることから、ミステリ作品としては「駄 作」と呼んで差し支えのないものとなっております。しかし、作者の狙いは「作家的苦悩」というテーマにあり、それがどの程度本気なのか別 にして、作者は前記「終章=あとがき」で「廃業宣言」とも取れる、次のような文章まで書いているのでございます。

『 こうして物語は本当に終了した。しかし依然として言葉は続いている。物語の後に存在する言葉とは何か? 決まっている、『あとがき』しかない。しかしこれは純粋な意味での『あとがき』とは云えない内容になるのは間違いなく、また本編との関連性も一般 的な『あとがき』以上になると思われるので、終章(作品の一部)と云う記号を与える事にした。
 さて、聡明に聡明を重ねた『あなた』ならば既に気づいていると思うが、今作『クリスマス・テロル』を最後にして、佐藤友哉の短い作家生命は終焉を迎えることになった。
 鏡家サーガはもう書けません。
 金にならない人間をいつまでも置いておくほどこの業界は裕福ではないし、それに才能のある後続部隊に道を空けるために、前線の中に紛れ込んだ三流を排除するのは極めて自然な行為だ。その意志に従わないわけには行かない。僕が自分の作品で何度も言及したように、弱者は全員、自覚して死ななければならないのだ。いや勿論、僕は自分の作品達が三流とは微塵も思っていない。確かにミステリとしては下の部類に入るかも知れないが、しかしそんな事は関係ないだろう……と云う考えの持ち主は、どうやら自分だけだったらしい。』

この「あとがき」の言葉が多少ともリアリティーを持ちうるのは、もともと佐藤友哉という作家が、こういうことを書きそうな「自意識過剰」な作家であるからでございましょう。ですから、時雨さまが『終章を読んだ時の最初の感想は「お前の悩み事になんか興味はないよ」だった』と書いたのも、むべなるかなといったところでございます。





( 以下は「継承されたもの・法月綸太郎から佐藤友哉(2)」につづく)


凡作に泣く。 投稿者:賢ちゃん  投稿日:10月17日(日)20時19分56秒

★園主さま&ホランドさま
今日は、映画等々おつかれさまでしたm(__)m。
『エクソシスト・ビギニング』の感想でもちょろっと書きましょうか。
えっと。只でみせて貰っておいて、こんなことを書くのも何なんですが、
一言で云うと「凡作」以外の何物でもないです。
ちゃっちいCGとか、伏線も何も無い○○○○とか、
まぁ監督が所詮レニー・ハーニンだからしょうがないか(w
まだ、悪魔に憑依された子供の目からビームが出るとか、
メリン神父がクンフーアクションを!とかバカ話をしていたのですが、
そっちの方が、まだ面白い分マシだったかと思われます(苦笑)。
でも、作品の傾向としては嫌いな作品じゃないですよ。いやホント。
では、またロム専に戻ることにします♪

あ、今日の収獲は、某所で『機動天使エンジェリックレイヤー』の中古DVDを
8巻抜けで見つけたことくらいですかね。
次回、お金を持っている時に買いに行こうと思います。


『エクソシスト・ビギニング』 投稿者:賢ちゃん  投稿日:10月16日(土)21時11分16秒

何気に楽しみにしております。感謝m(__)m。

>ともあれ、エンターティンメント色が強くなるのは、間違いのないところだろうね。

う〜ん……(-_-;)


凍てつく大気(2) 投稿者:時雨  投稿日:10月16日(土)01時19分7秒

>ホランド様

>ところで、笠井さんは、そうした評論をどこに(どういう雑誌に)書いておられるんでしょうか? また、そうした「オタク」好みの作品を、どういう立場で評価しているのかなあー? 園主さまは、ほとんど決めつけるようにおっしゃってるけど、ホントにそういう「新世代に媚びる」ような無理のある理解の示し方をしているのでしょうか?

「イリヤの空」というライトノベルに関しての書評をe-novelsの週間書評でなさってましたね、この作品は未読なので評論の方も見ていませんが。
「ガンスリンガーガール」に関しては評論をしたらしいという話を聞いたのと「ジャーロ」誌での乙一との対談でわずかに言及されたのを見ただけです。
後は「ミステリーマガジン」誌での連載、それから「空の境界」の解説ですが・・・
正直僕には笠井氏が「『新世代に媚びる』ような無理のある理解の示し方をしている」ようには見えないんですよ。
いえ、もしかしたら本人はそういったオタクジャンルに手をかけることで延命を図っているつもりなのかもしれませんが、それが当の「新世代」に受けているかというと、とてもそうとは思えないのです。
実際僕の知り合いのTYPE−MOON信者は「空の境界」の解説には興味がないようでしたし、「ファウスト」誌での対談に至っては
「TYPE−MOON自体には興味があるけどインタビュアーが痛すぎてとても読めない」とまで述べていましたから。
園主様へのレスでも少し書きましたが、笠井氏の評論はどうにも不全というか、そんなところがあるような気がするんですよね・・・
たとえば、「空の境界」の評論では上巻を丸々使って伝奇というジャンルそのものについての概説みたいなものを書いて、その後下巻で従来型の伝奇の先にあるものとして「空の境界」を論じるています。
それはそれで正しいやり方なのかもしれませんが、「空の境界」はそれだけではない部分を持っている。
つまりそれなりの歴史を持つ「ライトノベル」に分類される作品であり、またミステリ、伝奇だけではなくアニメや漫画にも強い影響を受けていて、そして「月姫」のシナリオライターが書いた小説という面 を持っている(特に僕達の世代にとっては)のですが、そのあたりの視点が弱いように思えるのです。
とはいえ、このあたりに関しては笠井氏は素人になるわけですから、にわか仕込みの知識で語ってもぼろを出すでしょうから現在のやり方が最善なのかもしれません。

>その対象が始めから「作られたもの」だというのが分かっているから、問題はないと思うんですよ。「私だけが、彼女の本当の姿を理解してる」なんて妄想にとらわれることがないですからね(笑)。

いえいえ、そうとは言い切れませんよ。
聞いた話によると自分の好きな美少年キャラクターに入れ込むあまり
「俺の勇太(「勇者警察ジェイデッカー」の主人公)キュンが汚されているのが許せない!」
と主張しコミックマーケット開催中のビッグサイトに放火しようとした男がいたそうですから。

>それにしても、綾波って人気ありましたよね。どこかが出した浴衣姿のポスターが、何万だか何十万だで取り引きされたなんて話がいっぱいありましたもんね。そういうの買った人、いまでも後悔してないんでしょうか? 園主さまは、高校生時代に無理して買った『宇宙戦艦ヤマト記録全集』(限定豪華版)3万円について、「人生勉強になったから、損はしていない」なんて強がりを言っておられますよ(笑)。

なんと・・・園主様はやっぱりすごいですね。
僕はキャラクタ名義の詩集だの大して面白くもないゲーム程度で済みましたから傷は浅いのですが・・・

それでは皆様、今夜はここで失礼いたします。


凍てつく大気(1) 投稿者:時雨  投稿日:10月16日(土)00時31分7秒

レスが遅れて申し訳ありません、時雨です。

>園主様

>来年も再来年も、香山の授業が日本でうけられるような状態の続くことをこそ、私は祈らずにはおられません。

恐ろしい話ですね。興味のある授業が増えればその分楽に単位が取れるので彼にはぜひ来年もうちに来て欲しいのですが・・・

>『自分の思想に固執するあまり破綻していってる』というのが、具体的にはどういうことなのかが、いまひとつハッキリいたしませんが、

すみません、これはちょっと言い過ぎました。
正確には「従来の自分の見方から抜け出ていない」といったたところでしょうか。
SFやミステリー、思想での評論のやり方をそのままコミックやライトノベルなどに当てはめているというか。
とにかく僕の笠井潔観については後述のホランド様へのレスでも説明しておりますので、そちらも合わせてお読みくださいませ。

>私はこうした否定のしかたを「いかにも笠井潔らしい」とむしろ肯定的にとらえたのでございますが、……隔世の感がございますねえ、今となっては。

何といいますか・・・今の園主様からはとても想像できない光景です。

>せっかくのご助言をいただきながら、――問題の終章を立ち読みいたしますと、これがあまりにも面 白かったので――、つい定価で購入してしまいました。この終章だけでもその価値(が、私的に)はある、と思ったからなのでございますが、まあ、せっかく買ったのだし薄っぺらい本だから、ダメ元で、いちおう読んでみようか、などとも考えてもおります(^-^;)。

ちょっと意外ですが・・・まあ、最初からそういう見方をされていれば面白いかもしれません。
でもですね、僕は「話題の新人の新作」ということで普通に面白い作品を期待して買ってしまったのですよ。だからあの終章を読んだ時の最初の感想は「お前の悩み事になんか興味はないよ」だったのですが・・・
すみません、どうも愚痴っぽくなってしまいました。


芸術の秋(7) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時46分20秒


 芙宮さま

> ありがとう。その言葉だけで救われます。
> お父さんでなかったら恋してしまいそうなくらい、素敵なセリフ。

『恋してしまいそうな』の「そうな」がポイントでございましょう……。

私、よく「貴方は良い人なんだから、きっと素敵な女性が見つかりますよ」とか言われるのでございますが、いっかな見つかる気配がございません。――ときどき「無責任なことを言うな!」と言いたくなる時がございます(-_-;)。

> 芙宮は園主さまに対しては、まだ4(5?)歳だから、まだまだ手がかかるよ。
> でも、義理堅さには定評があるからね、いつか親孝行。楽しみにして下さいませ。
> ぐっと飲み込んで(受け入れるというよりは諦めに近いかな)処理できる時が来るまで
> とにかく働く!笑顔な雰囲気をとりもどさなきゃ。不幸顔に顔の筋肉が定着しちゃうわ。

だいぶ先の事になりそうですが、信じて待たせていただきます。――でも、「孝行したい時、親はおらず」なんてことになりませんように(笑)。



 Keenさま

> 園主さまから頂いた、乙一さんの『失踪HOLIDAY』『きみにしか聞こえない』(角川スニーカー文庫)読みましたよ。文章はうまいし読み易く、内容もなるほど人気があるわけだなあ、という感じ。以前、ここでも紹介されてた「傷―KIZ/KIDS―」のアサトくんの(美)少年ぶりが、いかにも園主さま好みですねー♪引用箇所にしおりがはさんだままになってましたよ(笑)。
> おもしろかったし、充分楽しめたのですが……それで終わっちゃって、後に残らないような気がするのは、これがジュブナイルであり、私がすでにターゲットを越えてしまっているからなのかな〜。でも、想像してたよりは、ずっと良かったです。ありがとうございました!(^0^*

いや、あれはホランドくんから「読んだら、他の本といっしょに、Keenさまに送って」と依頼された本ですので、お礼ならホランドくんの方へお願いいたします。

「傷―KIZ/KIDS―」のアサトは、小説の描写よりも、挿絵の方が好みでございましたね。
アサトは、いくらなんでもお人好し過ぎて、リアリティーが感じられず、共感ができませんでした。いかにも「善良な良い子(しかも美少年!)」が、そのために酷い目にあう話で、「泣け!」と強要されているような気にすらなりました。

すぐに読めるし、読めばそれなりに工夫もあって面白いのですが、たしかにこれといって残るものがございませんでした。若い頃に読めば、かなり感動したのかも知れませんが、それを言い出すと切りがございませんし。

> 昨日から、日テレ系でアニメ版『ブラック・ジャック』が始まりました。最近は実写 版もありましたが、やはり人間では造形に無理がありすぎるので、アニメの方がいいですね。原作より柔らかく、優しい感じのBJです。監督が手塚真でした(笑)。
> BJは好きなので、内容は知ってても、つい見てしまいますねえ。ピノコもカワイイ♪(^0^*
> 以前、ネットアニメで配信されてた時は、ピノコの声が宇多田ヒカルだったんですよ!それがいかにも話題優先、売らんかなでイヤだったんですが、今回は水谷優子さんって、ちゃんとした声優さんのようなので、安心しました。

予告編を見たかぎりでは、かなり力のこもった作品になっているようでございますね。

ピノコは、私も大好きなキャラクターでございますし、水谷優子さんは、私が名前を見た記憶のある声優さんですから、もうベテランの部類に入る方なのではないかと存じます。

『凶鳥の黒影』

> 実は私も、「本多さんなら、これくらい言うかも……」と疑ってましたが(笑)。

実物を一度見た(話した)だけども、こういう感想を抱くのですから、本多正一の「ただ者でなさ」は、推して知るべしと申せましょう(>AOIさま)。



 ホランド

『モーターサイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督)が、明日から大阪でも公開されるから、明後日にでも観に行こうか? そしてその次は、賢ちゃんと3人で『エクソシスト・ビギニング』だ。

観ていないDVDが溜まっているけど、昨日やっとそろった『ジャイアント・ロボ』も、これを機会に、ひさしぶりにまた観たいなあー。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


芸術の秋(6) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時45分19秒


 AOIさま(つづき)

> 中井英夫と田中幸一ではしんどいね。
> みてる方もしんどいね(笑)。

放っといてくださいまし……(-_-;)。

それに、そういうご感想は、本多正一の実物を知らないから言えるのでございますよ。私は、公の場で忌憚のない発言をしますから、ことさらに過激だという印象を与えておりますが、えげつない発言ということでは、本多正一にはとても適いませんし、それを(こっそり)保証してくださる中井英夫関係者は、十指に余ることでございましょう(確信)。

> 『M.M』が森茉莉だということは分かったんですが、著書を知らず、森茉莉特集(河出?)を本屋で立ち読みした程度なので、『汚いアパートの一室で、誰に見取られることもなく独りひっそりと亡くなり、死後数日してから発見されたという作家で、金銭的に困窮した晩年の境遇』ほどとは思いませんでした。
> 質素でも、それなりに自分の生活を楽しむ程度には生活できていたのだとばかり。

> 封建的家父長制、姉たちのなかで育った末弟である中井英夫は日常的なこと、作家活動以外のことを誰かに頼ることが不自然なことではなかったでしょうし、そういう支えがあったことで作家活動に専念できたともいえる。
周りが見ていられなかったということもあるでしょうし。
> 女性である森茉莉は、日常的なことを誰かに頼らなくてもなんとかなったのでしょうし、日常生活のこまごましたことも含めて楽しんでもいたのでは。
> その分、中井さんのようにアルコールにおぼれなくても済んだのかもしれない。

> 想像で言ってしまうと、父に溺愛された「父の娘」であった森茉莉は、父に反発するというのではなく、この世界は心地よいものであるはずとおもっていたのではないか。基本的に世界を疑うということはなく、自分の世界を構築し自足していたのではないかとおもいます。
> 自分の世界に自足している人に助手としてつくというのは、タイヘンなのじゃないのかしら。

森茉莉は、たしかに「自分なりに」生活を楽しんでいたのでございましょう。AOIさまのおっしゃられるとおり、父・鴎外に溺愛されて育った彼女は、基本的には世界を肯定しており、基本が「嘆き節」の中井英夫とはそのあたりで大きく違うのではないかと存じます。

斯様に、彼女の自足はあくまでも主観的なものであった(中井英夫に比べると、世界が小さかった)からこそ、『凶鳥の黒影』所収の「影を買う店」で皆川博子も描いておりますとおり、人目を気にしない、ある意味では傍迷惑な、「自足の世界」に生きえたのでしょうし、ですからこそ、森茉莉の晩年やその死は、客観的には悲惨であったと言えましょうが、主観的にはそれなりに楽しんでいたのだとも申せましょう。
つまり、乞食婆さんのような風体になっても、死ぬまで森茉莉は、父に溺愛された「小さなマリア」だったのでございましょう。





( 以下は「芸術の秋(7)」につづく)


芸術の秋(5) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時44分25秒


 AOIさま(つづき)

> 三月書房で雑誌を一冊と絵本(50%割引、なぜか?)も買って、斜向かいにある落花生やら果 物やら焼き芋を売っているお店のおじいさんが腰が曲がっていてタイヘンそうだったけど、ちょっと頑固な、笑顔がかわいくて、とってもフォトジェニック。どうしても写 真に撮りたくて、引き返して、焼き芋を買いました(笑)

昨日は三月書房へも行ってまいりましたが、連れがいたものですので、うっかり「斜向かいのおじいさん」のチェックを忘れてしまいました。次回こそは、きっと(笑)。

>> そういうマイナーなものを見に行っているということで、仲間意識を持ってしまうんでしょうね。きっと自分の気持ちがわかってもらえるはずだと、無防備に感じてしまうところがある。そのへんが大阪の下町人情なのかも知れません。(< ホランドくん)

> そういうこともあるのかなあ?
> もっと、ナイーヴに市場などで「これおいしいんやらか?」とか「高いんちゃう?」とか日常生活のコミュニケーションのレベルで、その場に居合わせたもの同士で会話が成立するということがあるでしょう?
> 男と女ではちがうとはおもいますが。年齢でも。

東京に比較すれば、そうなのかもしれませんね。しかし、いくら大阪だと言っても、普通 は、展覧会に行ってまで、見も知らぬ他人に話しかけたりすることは、そうそうございませんよ。だから、ホランドくんも『そういうマイナーなものを見に行っているということで』という条件づけをしたのでございましょう。

たしかに『市場』などの「自分の生活圏」内においてなら、安心感があるので『その場に居合わせたもの同士で会話が成立するということがある』と存じます。それすら東京では無いのかも知れませんが、大阪ではそういうこともたしかにございましょう。
しかし、そうした生活圏内での話と、展覧会場などでの話を同一視するのは無理があって、一般 論にはならないと存じます。つまり、「展覧会ででも、見知らぬ者に話しかけてくる」というエピソードは、象徴的ではあるけれども、大阪においても例外的な事態なのでございますね。ですから、ネイティブな大阪人としては、そこを強調されるのも、一種の「オリエンタリズム」みたいなもので、(誉められているのでしょうが)そのままでは承服しがたいところある、ということなのでございますよ。





( 以下は「芸術の秋(6)」につづく)


芸術の秋(4) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時43分10秒


 AOIさま(つづき)

メディアを積極的に「利用」していこうと考える宮台に対し、 姜尚中は、テレビ出演についても「メディアは人喰いだから、慎重に距離をおいて、取り込まれないようにしなければならない」と言っております。つまり、宮台真司は「メディア」でも「政治(政治家・国家)」でも(その危険性は承知の上で)「自分ならば、御しきれる」と考えているわけでございますが、姜尚中は、そう甘い話ではないんじゃないか、それは歴史を振り返っても明らかだろう、と言っているのでございますね。
つまり、宮台真司は「知性に裏づけられた、青年らしい情熱的な現実主義知的行動論」を語り、姜尚中は「経験主義的な大人の慎重論」で、これをフォローしているのでございます。

ですから、大西巨人の言う「彼は、頭がよすぎるんじゃないか」という宮台評価も、姜尚中と同じ文脈に立ったもので、「宮台は頭が良くて、ものが見え過ぎるくらいに見えるから、政治家やメディアの住人といった俗物たちが、バカに見えて仕方がないのだろう。けれども、俗物というのは、しばしば理性的な人間の想像を絶するようなことをやってのけるものだから、決して侮れるものではないし、事実そうだからこそ、この世の権力をにぎっているのは、知識人ではなく俗物なのである。そのへんが、頭の良すぎる宮台には、かえって見えないのかも知れない」ということなのではないでしょうか。
実際、大西巨人は「時事問題」について、即応的な見解表明を避ける慎重さをしばしば見せており、それは「オウム問題」の際にも、「今は、コメントをひかえる」とした卓八郎のスタンスを評価していたことからもわかります。

つまり、宮台真司の言うことは、心情的には共感できるし、正論ではあるのですが、そこにもう少し『認めたくないものだなあー。自分自身の、若さ故の過ちというものを』(『機動戦士ガンダム』より)という慎重さが欲しい、ということなのでございましょう。
もちろん、宮台真司にすれば、自分は社会の裏側を見てきた人間で、決して頭でっかちの学者ではない、という自負があってのことなのでございましょうが。





( 以下は「芸術の秋(5)」につづく)


芸術の秋(3) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時42分9秒


 AOIさま(つづき)

>> 姜尚中と宮台真司の対談『挑発する知 国家、思想、そして知識を考える』(双風舎)を読んでいるのですが、これが予想以上の面 白さで、特に宮台真司の熱さと真剣さには感動すら覚えました。

> この対談の宮台真司の熱さは姜尚中も食っている(笑)。

たしかに喰っておりますよね(笑)。

> 大西巨人がインタヴューのなかで宮台真司のことが出たときに「彼は、頭がよすぎるんじゃないか」と言っていましたが、あれはどういう意味なんでしょう?

大西巨人の発言は記憶に無いのですが、どこでなされた(載っていた)ものなのでしょうか。ぜひご教示下さいまし。

ちなみに、大西巨人の発言の文脈を無視して、宮台真司が『頭がよすぎるんじゃないか』という発言について私見を書かせていただきますと、これは前記『挑発する知 国家、思想、そして知識を考える』の姜尚中による「あとがき」の、つぎの部分に尽きると存じます。

『 知識人のアンガージュマンといえば、聞こえがいいかもしれないが、そのようなコミットは、つねに危うさをともなっており、場合によっては、国家への「動員」というリスクをともなっている。宮台さんも、この点を十分承知していると思う。
 (中略)
 ただそれでもなお、私は、ハーバマスのカント的な理性概念と啓蒙のプロジェクトに対するコミットに惹かれている。もちろん、ハーバマスの普遍主義の立場は、西欧中心主義的な狭矮さを抜けでてはいないという批判を受け入れたうえで、それでもなおかつといいたい。
 ここで思い出されるのは、丸山眞男の師、南原繁の述懐である。カントをベースにフィヒテなどのドイツ観念論の政治哲学に沈潜していた戦時期の南原は、カント的理性概念と真理性認識の立場にとどまったがゆえに、新ヘーゲル主義的な有機体的国家論や社会進化論的な機能合理性にコミットした多くのイデオローグたちとは違って、国家への「動員」から免れることができたと弟子の丸山に語っているのである。
 総力戦的な戦時動員体制の確立に社会の機能合理的な編成のモメントを見いだし、それをテコに共同体主義的な閉鎖性を打ち破ろうとした「優れた」イデオローグたちがいたことは知ってのとおりである。社会政策学者、統制経済学者、政治学者、哲学者、ジャーナリストなど、昭和研究会などに参集した綺羅星のような知識人たちがたどった戦時期の軌跡は、国家の操舵へのコミットとそれを支える機能的な理性概念の危うさを物語っている。』(P244〜246)

宮台真司は、国家にコミットするのを恐れて、講釈ばかり垂れていてもダメなんだ、と強く語ったわけですが、姜尚中は、「政治の魔性」というものは、しばしば「頭の良さ」を凌駕するものだから、気持ちはわかるけれども、もっと慎重であっても良いと思うよ、と言っているのでございますね。





( 以下は「芸術の秋(4)」につづく)


芸術の秋(2) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時39分48秒


 楽古堂さま

> 誕生日おめでとうございます。

ありがとうございます。

> 私の誕生日も11日。あと一週間に迫りました。49歳です。

明々後日が誕生日でございますよね。おめでとうございます。

創元推理文庫版『トランプ殺人事件』の解説、拝読いたしました。これをきっかけに、さらに楽古堂さまの活動範囲の広がることを期待しております。頑張って下さいまし。



 賢ちゃん

過日のWORLD HOBBY FESTIVAL KOBE19は、ご苦労さまでした。

こないだ言ってた『エクソシスト・ビギニング』(レニー・ハーリン監督)だけど、招待券があるので、ちかいうちに観に行こう。

ちなみに、監督は『ダイハード2』とか『ドリヴン』とか、アクションものが得意な監督のようだね。ちょっと古いところだけど、ホラーでは『エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃』 (1988)がある。『エクソシスト』とは方向性の違う作品だけど、4作目の出来はどうだったかな? ともあれ、エンターティンメント色が強くなるのは、間違いのないところだろうね。



 AOIさま

> こういうカワユイ系の記憶は抜群にいいんですね(笑)。
> 残念!動物ドキュメンタリーはよく見ていたんですけれど・・・。

「動物ドキュメンタリー」と言うよりも「動物ドキュメンタリー・クイズ番組」だったかも知れません。あるいは、『世界ふしぎ発見!』とか、ああいう「世界歴史クイズ番組」だったかも。――あの手の番組は、似たような面 子が出演しているので、ごっちゃになっています。
……それにしても『カワユイ』から憶えていたのでしょうか?(笑)

> 残念賞&お誕生日のお祝いに、音楽苦手の園主さまに、最近はじめて聞いてとてもよかった李政美さん歌う「朝露」のシングルCDをお送りいたします(押し付け)。
> 70年代韓国の学生運動から生まれたこの歌は、どこかで聞いたことがあるような気がするかもしれません。おたのしみに〜(笑)。

事故だといけませんので、いちおうご報告しておきますが、まだそのCDは届いておりません。ご発送いただいておりますのなら、どうぞご確認下さいまし。





( 以下は「芸術の秋(3)」につづく)


芸術の秋(1) 投稿者:園主  投稿日:10月15日(金)17時38分54秒

みなさま、私、昨日は、友人のK氏らとともに、京都へ『戸田勝久展 旅の風』(ぎゃらりー思文閣)に行ってまいりました。 ――澄み切った空気を感じさせる静かな自然を背景に、ふんわりと浮ぶ飛行船や白い月。戸田勝久の絵には、秋の気配が漂っております。
戸田さんは、私が初めて買った絵(版画)の作者で、その作品のタイトルは「古書店夕景」。本好きで幻想的な作風を好むという点で、昔の私と好みの重なるところが多く、爾来15年近いおつきあいとなりましょうか。もともと戸田さんは、超俗的な文人的作家がお好きだったのでございますが、近年は与謝蕪村などに傾倒され、文人画と言うのでしょうか、素朴なタッチで描かれた水墨画を新境地として、独特の高雅な世界を展開深化しておられます。

私が「最近はどんな本を読まれています?」とお尋ねすると、小説はほとんど読まなくなって「絵の資料となる漢詩とか、そういうものばかり読んでいます」とのこと。そのかわり(?)、高校生になる娘さんが江戸川乱歩がや谷崎潤一郎などにハマっており「私の本棚から、谷崎の初版本を持ち出して読んでいますよ。まあ、若いうちから本物(の本=初版本)に触れるのは良いことでしょう」と笑っておられました。装丁家でもある戸田さんは、本をメディアとしてだけではなく、物(オブジェ)としても愛しておられますから、谷崎なら文庫で読めばよい、というものではないのでございますね(中井英夫にも、似たような発言がございました)。つまりこれは、親馬鹿ではなく、立派な教育方針なのでございましょう。――それにしても、かなり贅沢な教育だとは存じます(笑)。

さて、展覧会の前に立ち寄った「BOOK OFF」三条店では、いつもの文庫(笑)を数冊ひろった後、長い間さがしておりましたOVA版『ジャイアントロボ』(今川泰宏監督・全7巻)の最後の2巻も、安く入手することができました。
このビデオ、発売当時(1992〜1998年)、各巻が7000円から10000円もしたもので、到底定価で買い揃えられるようなものではなく、中古で細々と蒐めていたのでございますが、当然のことながら、後の方の巻はなかなか入手できず、やっと今回、コンプリートできたのでございます。たぶんこれは、2000年にDVDボックスが出たのに加え、この9月から「プレミアム・マスター・エディション」版DVDの発売が始まったからでございましょう。つまり、DVDに買い替えるマニアが、ビデオ版を手放したのでございましょうね。全部で5万円近くしたものを十分の一程度の値段で売り払い、新たにDVDを買いなおすというのは、(最初のビデオよりは安く、また今回はじめてDVDで発売される「番外編」があるとは言え)やはりこの作品が並々ならぬ 傑作であることの証なのだと存じます。

なお、『戸田勝久展』の後は、アスタルテ書房に行って定休日、三月書房に行って特に買うものもなく、最後に一人でたちよった新刊書店ブックファースト河原町店では『しずかな八月 河野 甲 作品集』(求龍堂)などを買うに止まりました。でも、この河野 甲という造形家、かなり面白うございますよ。





( 以下は「芸術の秋(2)」につづく)


耳をすませば(下) 投稿者:AOI  投稿日:10月14日(木)10時42分5秒

(つづき)
想像で言ってしまうと、父に溺愛された「父の娘」であった森茉莉は、父に反発するというのではなく、この世界は心地よいものであるはずとおもっていたのではないか。基本的に世界を疑うということはなく、自分の世界を構築し自足していたのではないかとおもいます。
自分の世界に自足している人に助手としてつくというのは、タイヘンなのじゃないのかしら。
父を嫌悪し、母の悲しみを知っていた「母の息子」である中井英夫は、住む世界そのものを嫌悪し、ここではないどこか遠くに自分の世界を構築していた。

どちらも生活能力がなかったということは、敬愛する作家を見る周りの人はタイヘンだったでしょうし、いかにも自分の世界に生きた人らしい最期でもあります。

☆ホランドさま

>美少女フィギュアのオリジナルガレージキットで、会場には、可愛い顔にグラマラスな肢体をもった、ちょっとエッチな美少女フィギュアが、完成見本としてたくさんの飾られていました。そんなわけで、じっくりながめるのは照れちゃうんだけど、でもホントに良く出来てましたよ。ただ、キットというのは、基本的には「未塗装の未完成パーツのセット」のことを言いますから、見本のような完成品を作り上げるには、並々ならぬ 塗装技術が必要です。でも、ボクたち3人は、誰もそんな技術や道具をもっていませんから、「すごいなー」と言って完成見本に感心するばかりで、結局はひとつも購入しませんでした。

へー!目からウロコ。
フィギュアファンは、こんなふうに、女性のパーツを組み立てて、自分好み(可愛い顔にグラマラスな肢体をもった)の美少女をつくっているというわけね。
そりゃあ、楽しい作業でしょうけど・・・(笑)。←エッチ!
アイドルに憧れるということからもさらに離れて、他者である生身の女から、どんどん遠くなっている。
というより、アイドルに肉体を持たせるために美少女フィギュアがあるのか。
別に、責めるわけではないですよ(笑)

☆Keenさま

温泉行きた〜い!
風邪をこじらせていらしたようですが、もう大丈夫なんですか?
温泉ブーム、極まれリで疑惑事件はかえってよかったと思います。

>台風、関東はけっこう大変だったようですが、AOIさま大丈夫でしたか?

傘がおちょこになって、ずぶぬれになったけど、雨、嵐のなか面白かったわよ(笑)。
『風で飛ばされたトタンに当たって、散歩中の東京都K市在住無職AOIさん〇才、腰の骨を折り、全治二ヶ月』なんて、全国的に報道されてたらちょっと、恥しいかったけど(笑)

>以前、ネットアニメで配信されてた時は、ピノコの声が宇多田ヒカルだったんですよ!

あ、これ、聞きたかったかも(笑)。
宇多田のしゃべりって、ちょっとおもしろい(笑)。
ピノコ向きかどうかはわからないけど。

>旅行中に見かけた光景。交通量の多い道路で、歩道橋を渡るネコ。
階段を上って行くのを見て、通過してから振り返ってみたら、ちゃんと反対側の階段からおりてきました。賢いなあ、と感心した次第です。

「耳をすませば」の猫実写版ね(笑)。


耳をすませば(上) 投稿者:AOI  投稿日:10月14日(木)10時34分10秒

☆園主さま

>そういうマイナーなものを見に行っているということで、仲間意識を持ってしまうんでしょうね。きっと自分の気持ちがわかってもらえるはずだと、無防備に感じてしまうところがある。そのへんが大阪の下町人情なのかも知れません。

そういうこともあるのかなあ?
もっと、ナイーヴに市場などで「これおいしいんやらか?」とか「高いんちゃう?」とか日常生活のコミュニケーションのレベルで、その場に居合わせたもの同士で会話が成立するということがあるでしょう?
男と女ではちがうとはおもいますが。年齢でも。

>本多さんから「いくらなんでも初対面であんなことを言えるわけがないでしょう。
私のことを誤解してますよ。でも、河出の編集者の某くんも、本多さん、あんな酷いことを言ったんですか、とまるきり信じてるんですから、これは私の筆力のなせるわざとしか言い様がありません(笑)」というような返事が帰ってきたそうです。
で、園主さまは、それ以上返事は、書かなかったものの内心「それほど、一般 的なリアリティーの無い行動をする人間だってことじゃないか……」と思ったそうです(笑)。

読んでいて、整理されているというか、小説的(出来すぎている)というか、「筆力のなせるわざ」(笑)というか、たぶん、中井さんとの出会いの頃を、なんども反芻しているうちに、肝要な部分だけが抽出されたのではないかと思いました。

>> ・・・アレクセイ、遅かりし(笑)

>とのことですが、園主さまにすれば、中井英夫さんと本多正一さんは「お似合い」であり、「私など、とてもとても」ということだそうです(笑)。

中井英夫と田中幸一ではしんどいね。
みてる方もしんどいね(笑)。

>ちなみに、この作品に登場する『M.M』とは、鴎外の娘、森茉莉です。

>森茉莉も、華麗耽美な独自の世界を構築した作家でありながら、汚いアパートの一室で、誰に見取られることもなく独りひっそりと亡くなり、死後数日してから発見されたという作家で、金銭的に困窮した晩年の境遇は、中井さんに共通 するものがありました。

『M.M』が森茉莉だということは分かったんですが、著書を知らず、森茉莉特集(河出?)を本屋で立ち読みした程度なので、『汚いアパートの一室で、誰に見取られることもなく独りひっそりと亡くなり、死後数日してから発見されたという作家で、金銭的に困
窮した晩年の境遇』ほどとは思いませんでした。
質素でも、それなりに自分の生活を楽しむ程度には生活できていたのだとばかり。

>ただ、中井さんにはいつも「助手」がいてくれたから、森茉莉のような悲惨なことにはならなかったんでしょう。このへんの相似と相違は、どのあたりに発するものなのか? 
 「父の子」であった森茉莉と、「母の子」であった中井英夫。バロックな少年愛の世界を描いた異色の女流作家と、同性愛者だった男性作家。中井英夫に「助手」がいて、森茉莉に「(いたとすれば女性の)助手」がいなかったのは、きっとジェンダーの問題も大きいんでしょうね。

たしかに。
封建的家父長制、姉たちのなかで育った末弟である中井英夫は日常的なこと、作家活動以外のことを誰かに頼ることが不自然なことではなかったでしょうし、そういう支えがあったことで作家活動に専念できたともいえる。
周りが見ていられなかったということもあるでしょうし。
女性である森茉莉は、日常的なことを誰かに頼らなくてもなんとかなったのでしょうし、日常生活のこまごましたことも含めて楽しんでもいたのでは。
その分、中井さんのようにアルコールにおぼれなくても済んだのかもしれない。


静かな湖畔の…… 投稿者:Keen  投稿日:10月12日(火)17時49分21秒

ちーす。
例によって、湯治に行ってました。諏訪湖畔のこじんまりとした宿でしたが、展望風呂からは諏訪湖が見渡せ、のんびり、ゆったりできました。(^0^*

台風、関東はけっこう大変だったようですが、AOIさま大丈夫でしたか?名古屋近辺は、今回は早々と警報がでたわりに肩すかしでしたが、警報のせいでクラウス兄の仕事の予定が変更になり、宿の予約を1件キャンセルせざるを得なかったのが残念でした☆

園主さまから頂いた、乙一さんの『失踪HOLIDAY』『きみにしか聞こえない』(角川スニーカー文庫)読みましたよ。文章はうまいし読み易く、内容もなるほど人気があるわけだなあ、という感じ。以前、ここでも紹介されてた「傷ーKIZ/KIDSー」のアサトくんの(美)少年ぶりが、いかにも園主さま好みですねー♪引用箇所にしおりがはさんだままになってましたよ(笑)。
おもしろかったし、充分楽しめたのですが……それで終わっちゃって、後に残らないような気がするのは、これがジュブナイルであり、私がすでにターゲットを越えてしまっているからなのかな〜。でも、想像してたよりは、ずっと良かったです。ありがとうございました!(^0^*

昨日から、日テレ系でアニメ版『ブラック・ジャック』が始まりました。最近は実写 版もありましたが、やはり人間では造形に無理がありすぎるので、アニメの方がいいですね。原作より柔らかく、優しい感じのBJです。監督が手塚真でした(笑)。
BJは好きなので、内容は知ってても、つい見てしまいますねえ。ピノコもカワイイ♪(^0^*
以前、ネットアニメで配信されてた時は、ピノコの声が宇多田ヒカルだったんですよ!それがいかにも話題優先、売らんかなでイヤだったんですが、今回は水谷優子さんって、ちゃんとした声優さんのようなので、安心しました。
毎週月曜日、夜7時から放送です。

旅行中に見かけた光景。交通量の多い道路で、歩道橋を渡るネコ。
階段を上って行くのを見て、通過してから振り返ってみたら、ちゃんと反対側の階段からおりてきました。賢いなあ、と感心した次第です。

>> 『凶鳥の黒影』
>> 『後書きにかえて』はふたりの初めてであった時の会話がとてもリアルに感じられました。(AOIさま)

>「初対面で、あんなえげつないことを言えるのは、さすが本多正一です。普通 の人はあんな酷いこと、とても初対面で言えるわけないから、これは話を盛り上げるためのフィクションだと思うのでしょうが、実物を知っている私は、むしろそこに、たいへんなリアリティーを感じます。あれは事実でしょう? 酷い人だ」(園主さま・ホランドくん伝)

実は私も、「本多さんなら、これくらい言うかも……」と疑ってましたが(笑)。
ネット書店で注文して届いた時、綾辻さんじゃないけど、「中井英夫、12年ぶりの新刊!」という風に見えてしまって、胸にググッとくるものがありました。でも、当然ながらそれは錯覚に過ぎないわけでして……なんだか、かえって寂しくなってしまいました。
いいな、と思った作品は、奇しくも園主さまと全く同じ赤江瀑、竹本健治、皆川博子の作品。三浦しをんのエッセイは、むしろ驚きでした。『虚無への供物』に、こんな視点での読み方もあるのかーって。そういえば、私はアリョーシャこと光田亜利夫がけっこう好きなんですが、中井さんからは「あんなのがイイのー?」って、怪訝な顔されたんでした(笑)。作者としては、やっぱり蒼司さんや藍ちゃんを気合入れて書いたんでしょうけど、いやね、ああいうおマヌケな役回りで、しかも文句ひとつ言わないところが気に入ったんで、それも他の人物との対比でそう見えるんでしょうけど。

とりとめないですが、今日はこの辺で。


只今我帰還セリ。 投稿者:賢ちゃん  投稿日:10月11日(月)00時24分17秒

★園主さま&ホランドさま

本日はお疲れ様でした。
今日の行程は、自分の日記にも書きましたけれど、
ホランドさまの書かれている通りでした(手抜き笑)。
『機動天使エンジェリックレイヤー』は、フィギュアーとしては作られていなくて、
当時ガレージキットが作られていたことが判明しましたので、
地道に捜していこうと思っています。
カラオケはね。一件目で『Be My Angel』とゴイスタ『青春時代』、サンマス『美しき人間の日々』それとバンプの『アルエ』を唄えたので、スイッチが入っちゃった…と(汗)。
ということで、また遊びに行きましょう(^^ゞ。


暑い一日(下) 投稿者:ホランド  投稿日:10月11日(月)00時08分13秒


 芙宮さま

> ほんの小さな子供と変わりが無いから。花が咲くのも、ペットの散歩のつもりで頭部と胸部の間に糸をつけて飛ばせた瞬間トンボが死んでしまった・・・のも私にとっては大事件。心の線に何かが触れる度に大変大変って誰かに報告したり泣きついたり。それに、忘れっぽいから、日々新たに感動もできるけれど、痛いと思うことも多々あったり。

 ボクもそういうこと、あったなあー。ちょっとしたショックと、なんとも言えない罪悪感。
 僕の場合、どちらかというと、そうした経験から、動物と距離を置くようになっちゃったかな。見てる分には可愛くて好きだけど、自分から撫でさすったり、飼ったりはしなくなりました。なんとなく、責任を持てないという感覚があるんですよね。

> 変わらないよ。今も就活のために常識勉強を始め、時事問題に触れたら、こんな物に支えられた世の中に生きているのかって悲しくなったり、これがベストセラー? 最近本屋さんに行く気が起きないわけだ!とか何だか滅入ってきちゃうし。

 ホントにそう。世の中って、知れば知るほど酷いことになっているのがわかります。
 でもね、園主さまは、そういう世の中を嘆き悲しんでいる人に、すこしでも希望を与えられる人間であろうとすることだけが、この酷い世の中をあえて生きていくに値する価値なんだとおっしゃってましたよ。つまり、自分が愛せる人を支えることで、自分がその相手に生きる意味を与えられ、逆に支えられる生き方だと言うんです。だから、どんなに酷い世の中でも、そういう愛すべき人がいるかぎり、絶望するわけにはいかない。そういう人を見捨てるわけにはいかないんだ、ということなんですね。

> 今日のノルマもこなしたし、闇の中の赤い馬をお供にそろそろ眠ります。

 『闇のなかの赤い馬』がお気に入りなんですね(笑)。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


暑い一日(上) 投稿者:ホランド  投稿日:10月11日(月)00時07分36秒

 みなさん、こんばんは! 今日は、賢ちゃん・園主さまといっしょにWORLD HOBBY FESTIVAL KOBE19に行ってきましたよ。そのあとは、ひさしぶりに神戸の高架下を散策し、特急で梅田に戻った後は、例によってのカラオケ。賢ちゃんなんか、最初は「2時間くらいで」なんて消極的だったくせに、歌いはじめると興が乗ってきて、結局カラオケ店をハシゴして合計5時間。さっき帰ってきたばかりです(笑)。

 「WORLD HOBBY FESTIVAL KOBE19」は、「フィギュア・ガレージキット」版のコミケという感じで、メジャーなメーカーは参加しておらず、同人キットの発売が主となるイベントでした。そして、そのメインとなっているのが、美少女フィギュアのオリジナルガレージキットで、会場には、可愛い顔にグラマラスな肢体をもった、ちょっとエッチな美少女フィギュアが、完成見本としてたくさんの飾られていました。そんなわけで、じっくりながめるのは照れちゃうんだけど、でもホントに良く出来てましたよ。ただ、キットというのは、基本的には「未塗装の未完成パーツのセット」のことを言いますから、見本のような完成品を作り上げるには、並々ならぬ 塗装技術が必要です。でも、ボクたち3人は、誰もそんな技術や道具をもっていませんから、「すごいなー」と言って完成見本に感心するばかりで、結局はひとつも購入しませんでした。

 ちなみに賢ちゃんが探していたのは、お好きな『機動天使エンジェリックレイヤー』(原作:CLAMP)の主人公のフィギュアでしたが、この作品はあんまり人気がないのか、「WORLD HOBBY FESTIVAL KOBE19」の会場でお目当てのフィギュアは見つからず、神戸の高架下のフィギュアショップでも見つかりませんでした。

 でも、ボクにとって高架下は、ホントにひさしぶりで懐かしかった。以前は、よく園主さまと古本屋めぐりに来てたんですが、園主さまが「本の先生」と尊敬していた人のやっていた馴染みの古本屋が店を閉めて以来、めっきり行かなくなっていたんです。

 今回、高架下を歩いてみた印象は、2年ほど前には、爆発的に増えていたフィギュアショップが、目立って減っていたことと、昔からの古本屋が昔のまま店を続けていたこと。棚が2年ほど前に見たのとぜんぜん変わってなくて、古本屋としては魅力のない店ばかりなんですが、それでも生き延びているというのは、昔からやってる人の強味なのかも知れませんね。

 今日は、ちょっとした夏日で暑かったんですが、おおむね12時間、神戸から大阪までを股にかけて、いろいろと遊び歩いた一日でした(笑)。





( 以下は「暑い一日(下)」につづく)



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