●●● BSS『アレクセイの花園』バックログ ●●●


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ありがとうございました! 投稿者:ホランド  投稿日:12月31日(金)23時59分41秒


 バタバタバタ!!!

 みなさん、こんばんは! 遅刻だ、遅刻だ! レスはすこし待ってねー!
 とーにかく、今年はお世話になりました! 来年もよろしく!!

 バタバタバタ!!!



来年もよろしくお願いいたします。 投稿者:園主  投稿日:12月31日(金)23時58分43秒

みなさま、本年は大変にお世話になりました。創設以来、何かと事件の絶えない「アレクセイの花園」でございましたが、本年はわりあい平穏な1年であったように存じます。

しかし、いったんその目を日本に、そして世界に転ずれば、決して楽観できない状況が続いているというのも、ご承知のとおりでございます。もちろん、私ごときがそんな大状況を気にしてどうなるのかとおっしゃる向きもございましょう。しかし、どうすることもできなくても、その状況のなかで生きる一人として、私はそこにこだわり、そこから目を逸らさずに、少しでもその責任を担っていきたい。すくなくとも逃げたくはないのでございます。見て、考えて、語る。それが私の最低限の責任の果 たし方なのだと、そう思うのでございます。

みなさま、来年も私なりのささやかな戦いを、厳しく優しく見守って下さいまし。





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貼り付けミス 投稿者:時雨  投稿日:12月31日(金)00時22分32秒

それでは皆様、良いお年を。


ゆくとし くるとし 投稿者:時雨  投稿日:12月30日(木)23時55分28秒

皆様、こんばんわ。
もう真冬ですね。こちらでは昨日雪が降っていましたが、関西の方はいかがですか?

>園主様

>もちろん結構でございます。最近『仮面ライダー、ひいては特撮番組の変容』が起っているのであれば、それはたいへん興味のあるところでございますから。

ありがとうございます。
ですが、『仮面ライダー、ひいては特撮番組の変容』については僕が説明するよりも現職のプロデューサーである白倉伸一郎氏による著書
『ヒーローと正義』(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/490133042X/249-8794097-8835541)がありますので、そちらをご覧になった方が詳細かつ明確にこの問題が把握できると思います。
山師的なところのある人なので、鵜呑みにするのも危険ですが。
・・・つまりは、この本(と近年の特撮番組)を肴に園主様と語り合いたいということなのですが、いかがでしょう。

>いやあ、さすがにそれはございませんでしょう。そこまで恥知らずにはなれないだろうと、そう思うからの「皮肉」だったのですが、――私の考えは、甘うございましょうか?(^-^;)?

すみません、悪乗りしすぎました。さすがに僕も表紙じゃやらないと思うのですが・・・
これはライトノベルの世界で良くあることなのですが、キャンペーン用のポストカードとか、武内氏のサイトでの「落書き」という形であれば
・・・やりそうな気がするんですよねぇ。

>本は見つかりましたでしょうか?

すみません、まだです。明日から実家に帰省して暇になりますので、それを機会に『匣の中の失楽』と『虚無への供物』に挑戦する予定です。
読了しましたら、ここに感想を投下させていただきますね。

>私も『ブギーポップ』は1作目を読んだきりで、上遠野氏の他の作品は読んでおりません。
>『ブギーポップ』の1作目には好印象をうけたのでございますが、ぜひとも読み続けようと思うほどの強い印象も受けなかったのでございます。「なるほど人気があるだけのことはある」と思いましたものの、自分が求めているような濃厚さはなかったのでございましょう。

僕も同感なのですが、高校の頃周りのやつらは随分熱中して読んでいたんですよね。
ということは、やはり現代の少年少女の心を捉えるような「何か」があると思うのですね。
でも、それ以前に仲間内で小説って『スレイヤーズ』とか『創竜伝』とか『ロードス島戦記』とかだったからなぁ・・・
まともな小説を始めて読んだってだけかもしれません。
ちなみに当時僕は彼らを横目に京極夏彦と森博嗣に夢中でした。

>ホランド様

>内容からははずれていないようですが、やっぱり女の子ですね。―― 以降の展開に注目せよ! ・・・ってところでしょうか?(笑)

期待・・・出来そうですね。

>学園祭の出し物で、タロットカードですか。占いコーナーみたいなことをやったんでしょうか?

そうなんですよ。僕も占い師をしました。占いというのは人の心の深みが垣間見えるので、実に面 白いものです。

>そう言えば、こないだ『タロット大全』(伊泉龍一:紀伊国屋書店)って本が出てましたよね。図版が多くて気になる本だったんですが、高いんで買うのはあきらめました。

その本の存在は大学の先生から教えられて聞いていました。
僕は買いますよ!
領収書を切れば、サークルから部費という名目でお金が下りますので。ああ、部長になってよかった。公私混同万歳!

>オカルト的なものは信じないんだけど、タロットにはけっこう惹かれるものがあるんですよ。子供の頃にテレビで観た、海外の恐怖映画の小道具として、タロットを目にしていたからなんだと思います。あの神秘的で古拙な寓意画がなんとも魅力的。

不思議ですよね、タロットって。僕もオカルトは全否定なんですけど、占いは気持ちが悪いぐらいあたるんですよ。
いままで百人弱ほど占いましたけど、六割ぐらいの人があたってるって言ってくれました。
心理学的に見ていけばなにかからくりがありそうではあるんですけど。

>ボクが好きな作家中井英夫は『とらんぷ譚』を書きましたが、「タロット譚」とも呼ぶべき作品なら、イタロ・カルヴィーノの『宿命の交わる城』(河出文庫)が有名。

ご紹介ありがとうございます。今度読んでみますね。

>つい、謹みのない宣伝をしてしまいましたが、園主さまのおっしゃってたとおり、『匣の中の失楽』か「ゲーム3部作」を読まれてからにしてくださいね。でないと、わからないところも少なくないでしょうから。せっかく読んでいただけるんだから、楽しんでいただきたいし(^-^;)。

そうさせていただきます。前も書きましたが、竹本作品は未読なので楽しみです。

それから劇場版ウルトラマンの評論、これから見る予定なので自主規制でまだ読めませんが楽しみです。
個人的には今やってるTVシリーズの『ネクサス』は中々面白いと思います。


「偉大なる夢」への儚き抵抗 ―― 江戸川乱歩と戦争 投稿者:園主  投稿日:12月30日(木)00時38分47秒

みなさま、うっかり書き漏らしておりましたが、本日(12/29)、これまでもここ「花園」でも何度か言及いたしました私の最初期の評論文である、

 ・ 偉大なる夢への儚き抵抗 ―― 江戸川乱歩と戦争

を、Keenさまのご協力もあって、やっとアップさせていただきました。

Keenさま曰く、

『いかにも園主さまらしいなあ、と思いました。初期作品とはいえ、その人の傾向って、ハッキリ出るものだな、と。』

みなさま、Keenさまが、どのような意味で私「らしい」とお感じになられたのか、拙論をご確認の上、その点をぜひ推理なさって下さいまし(笑)。





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現実という諸相(5) 投稿者:園主  投稿日:12月29日(水)23時54分11秒


 ホランド

おまえが『御手洗潔対シャーロック・ホームズ』から引用してた文章を、私はこう捩ってみたよ。


「ボクは美少年なんだ、と言ってもいい。言わずとも、信じているのもいい。もし、おまえが本物の美少年なのだとしたら」そんなことを園主さまは言う。「おまえ自身に対して失礼じゃないか」
 ボク自身に対して……。
 もしかすると、それは、肉体の奥にある、人間の存在論的本質というものに対して、という意味なのかもしれない。
「柄刀一の書いた「巨人幻想」に登場する、ホームズやワトスンと同じことさ」
「えっ?」
 ボクに貸してくれていた『御手洗潔対シャーロック・ホームズ』に、園主さまは手をのばした。
「本物だとか偽者だとか、それは大した問題ではないだろう」
「でも、それとこれとは……」
「現実は、片方をオリジナルでもう一方をパスティーシュだと宣言している。そんな説明で安心できるのなら、そう理解していればいい。けれども、そう理解した上で、その感動をそのまま、主観的現実として個人的に受け入る分には、なんの問題はないだろう。あの二人は、ホームズとワトスンの名に値するし、「巨人幻想」はもうひとつの「御手洗もの」だと言っていい。それと同様、ホランドと名乗る君がどういう存在なのか、それを決めるのは、人それぞれのなんだよ」
 愛おしむように、園主さまは太股の上に載せたその本の表紙をなでさすった。
「俺はこんなことを思うのさ、ホランド。おまえや俺が美少年や美青年として描かれた、あのイラストの掲げられた掲示板を、ネット上に構築された異世界だと理解する人もいるかもしれない、と。手前味噌にすぎる考え方かもしれないが、俺はそのような想像をよしとするよ」
 頁はしずかに繰られている。
 そのなかで展開する物語を、人は作りごとだと言うかも知れない。けれども、その作りごとが現実と呼ばれているものよりも、さらに深く現実的であったり人の心を動かしたりするというのは、しばしばあることなんだし、その場合、どちらの現実に価値を見いだすかは、しょせん人それぞれなんだろう。
 ちょうどそれは「人間は戦争をする動物だ」という定義を「現実」だと認める人がいれば、それは多様な解釈のうちのひとつに過ぎず、同等の可能性としての「人間は憎しみを越えられる生き物だ」という定義を現実として掲げる人もいる、というのと同じことなんだろう。
 ――ボクはそのとき、そんなことを考えていた。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

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現実という諸相(4) 投稿者:園主  投稿日:12月29日(水)23時53分3秒


 凡臣さま

> 翻訳がほぼ完成

ひとつ提案がございます。今回のご翻訳、折角ですから、本サイトの原ページの末尾に「補足」として収録させていただけないでしょうか?

もっとも、私のパソコンでは、当該ブログの文章が、

> 三个月前,我?了?古堂主人-大内史夫的《赤气之歌--小野不由美<?祠之?>??》一文。当?我?大内?《?祠之?》主?的解?没什?感触,但?次??《?祠之?》后,我内心被深深触?了。并不是??小?本篇后感到"其主??有了血肉,?人感到真?",而是痛切地感到那是直接触及我"自身体?"的内容。

と、こんな感じで化けて見えており、現在対策を検討中なのでございます。

翻訳文の転載許可をいただいければ、この問題を解決し次第、原ページへの補足収録をしたいと考えておりますので、ご検討のほど、よろしくお願いいたします。



 AOIさま

> あ、わかりました!やっぱり、園主さまと読み方が違う。
> 「観念による観念批判」はわかるけれど、その観念に矛盾を感じると、作者の設定を疑ってしまう。駆に罪はないんだけど。だから、読めるんだけれど。

意見の微妙な擦れ違いが何に由来していたのか、それがハッキリしたのは、とても意味のあることだと存じます。曖昧に「人それぞれだから」と言ってしまっては、人間どうしの対話も本質的には無意味だということになってしまいかねませんからね。

面倒でも、対話し議論し、相手を理解しようと努めること。その根底にあるのは、人間への信頼なのでしょうし、その向うにしか平和は訪れないのだと存じます。

> 今年も残り少なくなりましたね。
> 花園のみなさま、どうもありがとうございました。
> いろいろ心塞ぐことはありましたが、元気付けられたのは花園のおかげです。
> わさわさして、書き込み損ねそうなので、早めにご挨拶。
> では、またね!

こちらこそ、なにかとお世話になり、ありがとうございました。
来年もまた、よろしくおつきあい下さいまし。



 芙宮さま

> ・・・でも1月の舞台はあきらめよう。お芝居1本、就活1回分だ、その分再来年のお芝居通 いに近づくではないか!といった妄想に明け暮れつつ今年を終えそうです。妄想している余裕ができたせいか、ここ数日1日数冊ずつ本を読んでいます。なんだか幸せ・・・。今年もいろいろ泣きついたりしましたが、終わりよければ何とやら・・・にこにこですよ。ふふぅ。

そうでございますか、ひさしぶりに読書に耽る余裕ができたのでございますね。それはまことに結構なことでございます。

貴女さまも、真面目すぎるところがあって、そこが弱点ともなってもおりますから、私のように「真面 目の塊のようでいて、じつは適当にズルもかます、大人のワル」になっていただきたいと存じます。もちろん、ワルへの道も、また遥かなのではございますが(笑)。

> 園主さま、ホランドさま、皆さま、良いお年を!飲み食べすぎにはお気をつけて、ご自愛下さいませ・・・。

う〜む。すでに同僚から「最近、太ったんじゃない? 顔が丸くなったよ」と言われたところなのでございますよ。酒の方は、心配ないのでございますが……(^-^;)。

> だそく)園主さま、来年はちょくちょく大阪に行く機会があるのです。その際立ち寄るべき美味しい物屋さんなどはあります?お教えいただけると嬉しいです。

私、食事に関してはこだわりのない味オンチで、どうもそういう方面はトンといけません。古本屋ならいくらでもご紹介できるのですが。――って、それでどうして太るんだろう……(-_-;)?





( 以下は「現実という諸相(5)」につづく)


現実という諸相(3) 投稿者:園主  投稿日:12月29日(水)23時52分29秒


ちなみに、『2005年度版 このミステリーがすごい!』『2005 本格ミステリ・ベスト10』そして『2004 週刊文春ミステリーベスト10』と見てきて、同情を禁じ得ないのは、『紅楼夢の殺人』の芦辺拓でございます。

この人、近年、平均して高い評価をうけている、実力派の本格ミステリ作家なのでございますが、いかんせん人柄に問題がございまして、あまり人望がなく、そのために割りをくっているようなのでございます。
これは何も、その昔、芦辺氏が私の逆鱗に触れ(て罵倒され)たことがあるからとかいった、個人的な話なのではございません。氏が、某出版社の女性編集者と激しく敵対した結果 、彼女にも落ち度はあれ、場所を選ばずあちこちで彼女の悪口を吹きまくって顰蹙を買ったというのは、業界では知らない者のない話でございます。また、時期によって評価が二転三転するようでございますが、氏がある時期、「新本格」京都学派に反感をもっていたというのも、(当然、本人は否定するでしょうが)私のよく知る事実でございます。

もちろん、こうしたことは活字にはなりませんので、一般のミステリファンのあずかり知らぬ ところなのでございますが、事情を知っている私などがベストテンの結果などを見ますと「また芦辺さん、貧乏くじを引かされてるな。また怒っていることだろうな」なんて読めてしまうのでございます。

そんなわけで、特に加勢してくれる組織や仲間をもたないのに、どのベストテンにもランクインしている芦辺拓の『紅楼夢の殺人』は、ことによると本年の「もっともバランスの取れた」ベストミステリーなのかも知れません。――芦辺拓にはこれからも、この陰微に汚れた業界にあって、例外的に「作品で勝負」していっていただきたいと、切に願うところなのでございます。





( 以下は「現実という諸相(4)」につづく)


現実という諸相(2) 投稿者:園主  投稿日:12月29日(水)23時51分38秒


しかし、このベスト10で一番おもしろいのは、第9位に若桜木虔の『修善寺・紅葉の誘拐ライン』がランクインしている点でございます。
どこのベストテンでも影もかたちも見えなかったこの作品が、どうしていきなりランクインしているのか。当然だれもが疑問に思うところなのでございますが、では「投票者はどんな面 子か」とチェックしてみますと、これがまた、大半は見たことも聞いたこともない名前でございます。――これは臭い。「さしづめ若桜木虔の友人知人のたぐいなんじゃないか」と邪推しておりましたところ、同じように感じていた方もたくさんいたようで、そのあたりを調べた人がおりました。そしてその調査結果 が『Mystery Laboratory』の「2004週刊文春ミステリーベスト10」のページでございます。

結局、この正体不明だった人たちの大半は、若桜木虔が主催する執筆集団『筆客商売』のメンバーであったことが判明するのでございます。つまり、若桜木虔の弟子たちが、先生の推薦で日本推理作家協会員となったあげく、義理堅く先生の作品を推したということなのでございます。

無論、これは批判されてしかるべき「(公的言論公表者の)倫理に反した行為」であり、事実ミステリ評論家の杉江松恋も、この問題を自サイトで批判的に取り上げているのでございますが、如何せん、こうした「倫理」問題は、「義理で投票した」とかいった「内面 の不誠実」について、物理的に証拠を示せないがために、批判が決定的なものとはなりにくいのでございます。また、ですからこそ、こういう人たちは、人にどう言われようと、ヌケヌケとこんなことくり返すのでございましょう。

しかし、さらに問題なのは、若桜木虔という「日本推理作家協会に所属する、ベテラン作家」ではあっても、推理作家としては常に「二流」と目され、「ミステリ業界では、ほとんど何の影響力を持たない作家」のこうした行状だけが事ごとしく取り上げられる一方、本質的にはなんら変わるところのない、笠井潔率いるところの「探偵小説研究会」の問題や「本格ミステリ作家クラブ」「本格ミステリ大賞」の問題には、誰も言及しないという現実なのでございますね。

つまり、杉江松恋が「公正な評論家」づらをして若桜木虔一派を批判してみても、所詮それは今の業界で力を持つ笠井潔一派を批判できない、ダメ批評家である自分の「アリバイ工作」でしかない、ということなのでございます。つまり、若桜木虔一派は、叩いても噛みつかない、ちょうど手頃な「スケープゴート(贖罪の山羊)」だった、ということなのでございます。

ことほど左様に、プロのミステリ評論家の倫理水準とは斯様なもので、「信頼するに足りない」というのは、私がいつも申し上げているとおりなのでございます。





( 以下は「現実という諸相(3)」につづく)


現実という諸相(1) 投稿者:園主  投稿日:12月29日(水)23時49分37秒

みなさま、本年の掉尾を飾るミステリー系ベスト投票『2004 週刊文春ミステリーベスト10』(『週刊文春』2004年12月23日号)の結果 が発表されました。国内作品の結果は次のとおり。


   1.  犯人に告ぐ               雫井脩介  134
   2.  生首に聞いてみろ            法月綸太郎 116
   3.  暗黒館の殺人              綾辻行人  111
   4.  アヒルと鴨のコインロッカー       伊坂幸太郎  85
   5.  チルドレン               伊坂幸太郎  68
   6.  残虐記                 桐野夏生   63
   7.  幻夜                  東野圭吾   61
   8. THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ   矢作俊彦   59
   9.  修善寺・紅葉の誘拐ライン        若桜木虔   54
  10.  紅楼夢の殺人              芦辺拓    51
 次点.  硝子のハンマー             貴志祐介   50


このベストテンで面白いのは、どのあたりの人がどの作品を推したかが、はっきりと見て取れる点でございます。

元来、この『週刊文春ミステリーベスト10』は、「日本推理作家協会会員が選ぶベストテン」としての権威を売り物にしていたのでございますが、後発の『このミステリーがすごい!』に完全に喰われてしまい、近年すっかり影が薄くなってしまいました。また、公募新人賞にすぎない「江戸川乱歩賞」の受賞作が、例年ほぼ確実にランク入りするという不自然さについても「乱歩賞を主催する日本推理作家協会の会員さんたちは、必ず乱歩賞受賞作の献本を受けるから、その貧弱な読書量 の中から作品を選ぶとなると、自ずと乱歩賞受賞作の名が上がってしまうんだろう」などと皮肉を込めた批判に曝されてため、最近は投票者の枠を拡げ『日本推理作家協会員、ミステリー通 、全国有力書店員が選ぶ!』ベストテンということになっていたようでございます。

つまり、『2005年度版 このミステリーがすごい!』や『2005 本格ミステリ・ベスト10』で高順位 につけていた『生首に聞いてみろ』や『暗黒館の殺人』を押さえて、雫井脩介の『犯人に告ぐ』が第1位 に輝いたのは、紀伊国屋書店社員によるベスト本投票キノベス2004でも明らかなとおり、書店員による『犯人に告ぐ』の評価が、『生首に聞いてみろ』や『暗黒館の殺人』への評価を圧倒しており、そういう票がこの作品に集まった結果 だということなのでございます。

これは、『生首に聞いてみろ』や『暗黒館の殺人』に続いて、第4位と第5位 に2作もランクインしている伊坂幸太郎についても、同じでございましょう。
伊坂の作風では、法月綸太郎や綾辻行人を強く推す「本格ミステリ作家クラブ」関係者からの票こそ望めないものの、すでに日本推理作家協会関係では「書ける若手作家」との評価が定まっておりますし、そこへ書店員系の投票が加われば、この結果 は決して驚くべきものではございません。

また桐野夏生、東野圭吾といった「人間を描ける」ベテラン実力派作家が選ばれているのも、投票者に日本推理作家協会員が多いという特性ゆえかと思われます。
当然のことながら、日本推理作家協会には、本格ミステリ作家以外にも、ハードボイルドや冒険小説系の作家が多数所属しており、そういう人たちはどうしても「人間が描けているか否か」といった点に着目するため、桐野夏生や東野圭吾といった油の乗り切った実力派の作品を、見逃すわけにはいかないのでございましょう。
これは本年、『ららら科学の子』で三島由紀夫賞を受賞し、その後、ひさしぶりの長編ハードボイルド『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』を刊行して、にわかに注目をあつめたベテラン作家、矢作俊彦についても言えることでございましょう。





( 以下は「現実という諸相(2)」につづく)


なつかしき時間(5) 投稿者:ホランド  投稿日:12月29日(水)18時56分51秒


 園主さま

>>  ウルトラマンは新生したか?

> この最後の部分に、なるほどと思ったよ。「ウルトラマン」を超えた「ウルトラマン」を、円谷プロが本気で創りたいと思っていない証拠だろうな。
> その点『ガメラ』は、原作者にあたるの大映が倒産して、売りに出されたキャラクターだったから、何でもありで、監督の起用も自由に出来たんだろう。今のウルトラマンは、乳母日傘で育てられた良家のお坊ちゃんで、上品だけど気迫に欠けて物足りない、とでもいった感じなのかな。――「可愛い子には旅をさせろ」ということなのかも知れない。

 うん。でも、平成『ガメラ』も、第1作の時は会社側からいろんな注文がついたって聞いてますよ。例えば「ガメラは子供の味方じゃなくちゃならない」とか。だから下手すると、子供を甲羅の上に乗せて翔ぶ、なんてシーンもいれなきゃならなかったかも知れなかったそうなんですが、監督・スタッフがそれに頑強に抵抗したんだそうです。
 ガメラの顔が『2』『3』と進むにしたがって怖くなっていくのも、だんだんとスタッフの意向が反映できるようになった証拠だそうですし、回転飛行ではなく、頭を出したまま後ろ足のジェット噴射だけで飛行する際、前足をウミガメのそれみたいな翼状に変形させるというアイデアも、第1作目では実現できなかったアイデアだったそうです。
 つまり、平成『ガメラ』は、スタッフが生き生きと撮っているというのがとてもよくわかる作品なんですが、それは自由に撮らせてもらったということではなくって、会社側が押しつけてくる制限を撥ね除けるだけの熱意をもって、スタッフがこの作品に取り込んだことの結果 だったようですよ。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


なつかしき時間(4) 投稿者:ホランド  投稿日:12月29日(水)18時55分19秒


 凡臣さま

> 翻訳がほぼ完成

 ありがとうございました。ボクは中国語がわからないので、翻訳に関しては何とも感想を申し上げられないんですが、とにかくとってもうれしいかったです。
 あとは、これを読んだ人が感想をくれるとうれしいんだけど、まあそこまでは期待せずに、これからも多くの人に喜んでもらえるものを書いていきたいと思います。



 AOIさま

> 今年も残り少なくなりましたね。
> 花園のみなさま、どうもありがとうございました。
> いろいろ心塞ぐことはありましたが、元気付けられたのは花園のおかげです。
> わさわさして、書き込み損ねそうなので、早めにご挨拶。
> では、またね!

 今年後半は、いろいろとお忙しかったようですね。あまりお姿を見せていただけず、ちょっと寂しかったんですが、それでも「花園」が、すこしでもAOIさまのお役に立てていた知り、とってもうれしく思いました。

 今年もお世話になりました。来年が、AOIさまにとって素敵な年でありますように!(^-^)



 芙宮さま

> ただいまっ。里帰り、サトガエリ。・・・サトエリといえば、キューティーハニーを観なかったことが悔やまれる2004年になってしまいました。羞恥心なんて捨てて行けば良かった。大好きなのに・・・悪役のキャスト。。。片桐はいりにミッチー、篠井英介(各敬称略)ってそんな悪役になら若さとか(残念ながら美とか命には保障ないから)献上してしまうよぉ。○○様という流れにはいつも乗れずに、そういった感覚に欠けているのかと思っていたけれど、私にもあるじゃないか!そういう素質!あるドラマで演じていた悪役の眼差しに心を刺されてから、10年来の憧れが噴出したみたい。身のこなしも美しければ、纏っている空気も綺麗(好みな空気)・・・きっと素敵な内面 をお持ちなのだろうなぁ。篠井英介氏は。

 パンサークローの親玉、シスタージルを演じたのが、篠井英介ですよね。どうして男性がシスタージルを演じたのか、よくわからなかったんですが、篠井英介さんって、それくらいの美貌と独自の雰囲気をもった俳優さんなんでしょうね。ただ、今回のシスタージルは、ほとんど動きがなかったんで、篠井さんの魅力が十全に生かせていたとは思わないんですが。
 片桐はいりとミッチーは、とってもよかったですよ。片桐はいりは、キャストを見るまでまったくわからなかったくらいなりきってたし、逆にミッチーは個性をストレートに発揮した役柄でした。
 サトエリも、アクションはイマイチだったけど、独自のハニーを熱演してたし、秋夏子警部(市川実日子)や早見青児(村上淳)との掛け合いは、なかなか楽しませてくれました。それに、それまでの天然っぽいハニーとは違い、変身シーンで『あるときは花形レーサー、あるときはスチュワーデス、またあるときは白衣の天使、しかしてその実体は……。』と振ってから『ハニーフラッシュ!』と叫んで変身した後に『愛の戦士、キューティーハニーさ!』と決めるセリフがとっても雄々しく決まり、すべってなかったのがよかったですよ。サトエリって演技できるんだ、って感心しました(笑)。
 全体に低予算感は否めないものの、好感のもてる作品でした。ただ篠井英介さんのファンには、見せ場が無くて、やや物足りないかも知れませんけどね(笑)。


> 園主さま、ホランドさま、皆さま、良いお年を!飲み食べすぎにはお気をつけて、ご自愛下さいませ・・・。

 芙宮さまも、よい新年をお迎え下さいねー。(^-^)/





( 以下は「なつかしき時間(5)」につづく)


なつかしき時間(3) 投稿者:ホランド  投稿日:12月29日(水)18時54分26秒

『「オレは巨人に出会ったんだ、と言ってもいい。言わずとも、信じているのもいい。もし君が本物の巨人と出会っていたのだとしたら」そんなことを御手洗は言う。「巨人に対して失礼じゃないか」
 巨人に対して……。
 もしかすると、それは、知能の奥にあるけれども決して卑俗において劣っているわけではない本能的な直観としての感性に対して、という意味なのかもしれない。
「あのお二人、ホームズとワトスンも同じことさ」
「えっ?」
 飯橋から借りているギターに、御手洗は手をのばした。
「本物だとか偽者だとか、それは大した問題ではないだろう」
「いや、本物ではないと……」
「現実は、同名異人だと宣言している。それで安心できるのなら、そう理解していればいい。そう理解した上で受け入れれば問題はないだろう。あの二人は、ホームズとワトスンの名に値すると思うよ」
 指を慣らすように、御手洗は太股に載せたギターの弦をつま弾いた。
「僕はこんなことを思うのさ、石岡君。君が歩いていた霧の山道で、別 の世界が口をあけていたと夢想する人もいるかもしれない、と。僕の趣味ではないが、そのような想像をよしとするよ」
 ギターは曲を奏で始めている。
 音楽に関する私の知識はおぼつかないが、これは、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』の中にあった一曲ではないだろうか。』

 このラストシーンは、島田荘司が、敬愛するシャーロック・ホームズへのオマージュとして書いた『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』を読んでいる読者には、特別 に感動的なものです。それは「巨人幻想」の中でも言及されるこの作品が、畏友漱石への惜別 の思いをこめてホームズの奏でるヴァイオリンの音で幕を閉じる物語だったからです。つまり、『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』が、島田荘司によって「明晰な頭脳と熱き騎士の魂を宿す巨人」シャーロック・ホームズに捧げられたオマージュであるとすれば、柄刀一の「巨人幻想」は、それを踏まえた上で、「明晰な頭脳と熱き騎士の魂を宿す(もう一人の)巨人」御手洗潔に捧げられたオマージュだったからなんですね。

 「巨人幻想」のメインアイデアは、島田荘司の初期代表作には及ばないものの、『暗闇坂の人喰いの木』以降の「御手洗もの」長編のメインアイデアになら、優るとも劣らぬ 「島田荘司っぽい」大胆で奇抜なものだったと思います。
 ボク個人は、初期の「大トリック」こそ評価するものの、以降の「大トリック(=アイデア)」は「ためにするもの」という印象が強く、あまり評価することはできませんでした。だから「巨人幻想」のアイデアも、それ自体を作品から取り出して評価すれば「そんなのちょっとね」という感じなんですが、でも、島田のそうしたものをも評価しているらしい柄刀によって、それは島田荘司へのオマージュ作品のなかで使われているんですから、これはこれでたいへん適切なアイデアだったと評価できたんです。

 「巨人幻想」は、多くのミステリファンを魅了した御手洗潔という不出世の名探偵に捧げられた、最良のオマージュ作品だと思います。この作品へのいわく言い難い「共感」は、この作品が、読者と同様の「ファン」によって書かれたものだったからで、そのために、ややもすると自己模倣に陥りがちな原作者自身による新作よりも、ずっとストレートに訴えかけてきたんだと思います。

 ちなみに本書には、島田荘司が巻末解説がわりの短編「石岡和己対ジョン・H・ワトスン」を寄せているのですが、これはたいへん微笑ましい作品で、この作品集をうまく締めくくるものだとも思いました。
 御手洗潔のファンじゃないとたぶん半分も楽しめない作品集だけれど、御手洗ファンにはぜひ読んでほしい。でも、そんなことは心配には及ばないんだと思います。『御手洗潔対シャーロック・ホームズ』そして「巨人幻想」・・・この魅力的なタイトルを無視できる、御手洗ファンなんていないと思うからです。





( 以下は「なつかしき時間(4)」につづく)


なつかしき時間(2) 投稿者:ホランド  投稿日:12月29日(水)18時38分53秒


 つぎは、パステーシュ作品集『御手洗潔対シャーロック・ホームズ』(柄刀一・原書房)

 ミステリファンには言わでもがななんですが、一応ご説明しておきますと、「御手洗潔」というのは、「シャーロック・ホームズ」の影響下で、島田荘司が生んだ名探偵です。長身痩躯の奇人探偵という特徴も同じなら、事件を記述するちょっと頼りない相棒(ワトスン役)が存在するというのも同じ。でも、いまや御手洗潔は、明智小五郎や金田一耕介と並び立つほど人気のある、日本を代表する名探偵の一人と言っていいでしょう。
 明智小五郎や金田一耕介のようにドラマや映画になっていないので、一般 的な知名度は低いんですが、これは「御手洗もの」(の特に長編)を特徴づける「大トリック」が、映像化に不向きだという難点を持つからなんだと思います。たしかに「御手洗もの」には「泣かせる友情話」的な側面 があって、そこが多くの女性ファンを惹きつけているんでしょうが、男性ファンはやはり「島田荘司ならでは、御手洗ものならではの、大トリック」にこだわります。でも、「御手洗もの」の長編に印象的な「大トリック」は、稀有に映像的なものであるため、一度映像化してしまうと、トリックのネタが割れてしまい、原作まで読めなくなってしまう可能性が高いんです。だから、島田さんとしても安易に映像化を許可できないんだろうし、毎回「大トリック」が出せるわけないテレビシリーズだと、どうしても「泣かせる友情話」的な側面 だけになっちゃって、それだと「御手洗もの」ではなくなってしまうから、やっぱりテレビシリーズにもならない、ってことなんだと思います。

 柄刀一は、島田荘司を敬愛する、現在もっとも島田荘司さんと親しい推理作家の一人です。当然、柄刀さんは御手洗潔のファンでもあって、その柄刀さんの書いた「御手洗もの」のパスティーシュ短編が2本、「ホームズもの」のパスティーシュ短編が2本。さらにそこへ両者の対決を描いた書き下ろし中編「巨人幻想」を加えたのが、この作品集なんです。

 「御手洗もの」のパスティーシュ短編2本は、さすが御手洗ファンだけあって、御手洗潔と親友の石岡和己の交情がとってもよく描けていて、なかなか感動的なものがあります。ただ、ミステリのネタは弱いなというのが正直な感想でした。もちろん島田さんご本人の作品だって、トリック(あるいは、アイデア)がイマイチな作品はたくさんあるんだから仕方がないといえば仕方ないんですが、そこはそれ。あくまでもオマージュ作品ですから、それなりの水準が求められるんですよね。
 「ホームズもの」のパスティーシュ短編2本は、「御手洗もの」ほどの思い入れが無いせいか、ちょっと原作をオチョクっているような部分も見受けられるんですが、まずまずよく書けていたと思います。ただ、このホームズは、なぜか現代の日本の舞台にしながら、そこがまるで原作の「ビクトリア朝の霧のロンドン」であるかのごとく、馬車を駆って活躍します。でも、登場人物たちは誰もそのことを怪しみませんし、ホームズ自身もそれを自然なものとして受け入れていて、原作との整合性はなんら問題にされません。つまり、これは一種のパラレルワールドにおける「ホームズ譚」になっているんですが、どうしてこんな奇妙な設定にしたのかが、いまひとつ、この2本の短編ではハッキリしませんでした。

 しかし、その答が、御手洗・ホームズ両者の直接対決を描いた「巨人幻想」で、それとなく示されます。
 現代のイギリスを舞台にしたこの作品は、イギリスに立ち寄っていた御手洗らが事件に巻き込まれ、そこでホームズたちと遭遇することになります。当然、石岡は、あれは自分たちをホームズとワトスンだと思い込んでいる頭のおかしい人たちなのではないかと言うのですが、事件に取り組む好敵手ホームズの姿を目の当りにした御手洗は、彼がどういう存在であれ、ホームズと呼ぶしかない存在であれば、彼をホームズと認めて何が不都合なのか、といった見解を、石岡が作品の冒頭「霧の中で出会った謎の巨人」の正体にからめて、こんなふうに語ります。





( 以下は「なつかしき時間(3)」につづく)


なつかしき時間(1) 投稿者:ホランド  投稿日:12月29日(水)18時37分49秒

 みなさん、こんにちは! 歳末の慌ただしさからか、最近ボク自身も含めて、書き込みがちょっと間遠なので、毎日のぞきに来て下さっている方には申し訳なかったと思っています。ホントにごめんなさい。
 現在ボクは、園主さまからお借りした『アメリカの階梯』(西垣通・講談社)を読んでいるところで、これを読み終えてから書き込みをしようと思ってたんですが、雑用にまぎれて思うように読み進めず、このままでは来年にずれ込みそうなんで、ひとまず最近読んだ本について書かせていただくことにしました。



 まずは、にわかに翻訳ブームの様相を呈しているシオドア・スタージョンの短編集『不思議のひと触れ』(大森望編・河出書房新社)です。

 スタージョンの作品は、アンソロジーで短編を何作か読んでいましたが、まとめて一冊読んだのはこれが初めて。しかも読んだのはずいぶん前なので、正直まったく印象に残っていませんでした。でも、個性的な作風だとか、難解な作品があるというような風評を耳にしていたので、個性派の作家を予想して読んだんですけど、・・・意外にオーソドックスな「昔のSF」だという印象をうました。

 巻末の大森望による熱のこもった解説に寄ると、この作品集はわりと読みやすい作品が集められており「入門編」的なセレクションなんだそうで、だからあまり難解な作品や癖のつよい作品が無かったんだと思います。また、スタージョンという作家は、描写 力にすぐれた作家で、プロパー作家である必要がないほどうまい作家だった、と大森さんは書いているのですが、そう言われてみればなるほどそうなのです。でも、これは逆に言うと、SFのプロパー作家以外を読みなれている読者には、かえって新鮮味に欠けるということなのかもしれません。つまり、ボクのように、SF作家ならでは「強烈な個性」を期待する読者は、一般 的な小説家としての力量よりも、他ではお目にかかれないような部分の方が重要なんですね。その意味で、すくなくともこの短編集におさめられた代表的短編群は、面 白いのはおもしろいんだけど、期待してたようなものではなかったって感じではありました。

 この短編集が「入門編」になってしまった、ひとつの理由は、国書刊行会のスタージョン短編集『海を失った男』(若島正編)と刊行時期が重なったから、ということがあるんだそうです。つまり、企画は別 々だったんだけど、編集の時点でそのことが判明したので、編者どおしで収録作品の調整をしたんだそうです。ちなみに、若島さんは大森さんの大学の先輩にあたるんだそうですよ(笑)。
 そんなわけで、個性的な短編のいくつかは『海を失った男』の方に譲られたみたいなんで、ボクなりのスタージョン評価は、「応用編」である『海を失った男』を読んでからだと思っています。

 この『不思議のひと触れ』の収録作品は、「高額保険」「もうひとりのシーリア」「影よ、影よ、影の国」「裏庭の神様」「不思議のひと触れ」「ぶわん・ばっ!」「タンディの物語」「閉所愛好症」「雷と薔薇」「孤独の円盤」の10篇で、ボクが気に入ったのは最後の「孤独の円盤」。
 この作品は――ある日突然、円盤からあるメッセージを伝えられた女が、そのためにいろいろな迫害にあうんだけど、なぜか女は口を閉ざしてその内容を語ろうとしない。女は円盤から、いったい何を聞かされたのか?――という作品なんですが、この謎のメッセージの内容が、SFらしくなく文学的だったんで、とっても意外でした。で、ボクは、この作品を一般 に名作と評価なさしめているその文学性よりも、むしろこの予想もしない「意外な真相」の方に惹かれてしまったんです。つまり、ミステリファン的に反応してしまったわけなんですが、でもこれはこれで正しい評価なんだと思っています(笑)。





( 以下は「なつかしき時間(2)」につづく)


朝日の囁きに誘われて眠る 投稿者:芙宮  投稿日:12月29日(水)03時55分5秒

ような日々(ちゃんと仕事してはいますが)・・・気づけば、もう年の瀬なんですね。

ただいまっ。里帰り、サトガエリ。・・・サトエリといえば、キューティーハニーを観なかったことが悔やまれる2004年になってしまいました。羞恥心なんて捨てて行けば良かった。大好きなのに・・・悪役のキャスト。。。片桐はいりにミッチー、篠井英介(各敬称略)ってそんな悪役になら若さとか(残念ながら美とか命には保障ないから)献上してしまうよぉ。○○様という流れにはいつも乗れずに、そういった感覚に欠けているのかと思っていたけれど、私にもあるじゃないか!そういう素質!あるドラマで演じていた悪役の眼差しに心を刺されてから、10年来の憧れが噴出したみたい。身のこなしも美しければ、纏っている空気も綺麗(好みな空気)・・・きっと素敵な内面 をお持ちなのだろうなぁ。篠井英介氏は。・・・でも1月の舞台はあきらめよう。お芝居1本、就活1回分だ、その分再来年のお芝居通 いに近づくではないか!といった妄想に明け暮れつつ今年を終えそうです。妄想している余裕ができたせいか、ここ数日1日数冊ずつ本を読んでいます。なんだか幸せ・・・。今年もいろいろ泣きついたりしましたが、終わりよければ何とやら・・・にこにこですよ。ふふぅ。

園主さま、ホランドさま、皆さま、良いお年を!飲み食べすぎにはお気をつけて、ご自愛下さいませ・・・。

だそく)園主さま、来年はちょくちょく大阪に行く機会があるのです。その際立ち寄るべき美味しい物屋さんなどはあります?お教えいただけると嬉しいです。


☆降る夜に。 投稿者:AOI  投稿日:12月28日(火)03時49分54秒

今年も残り少なくなりましたね。
花園のみなさま、どうもありがとうございました。
いろいろ心塞ぐことはありましたが、元気付けられたのは花園のおかげです。
わさわさして、書き込み損ねそうなので、早めにご挨拶。
では、またね!

☆園主さま

>矢吹駆が観念的であるというのは事実でございますし、その意味では「矢吹駆は、自己を観念で鎧わざるおえない業(宿命)をもたされた者」という評価も正しく、それは「矢吹駆は、自己を観念で鎧った、人並み以下に弱い人間である、という自覚の保持者」という評価と矛盾するものではないと存じます。

>ホランドくんが説明してくれましたとおり、笠井潔はかつて、「観念」というものを根本的な誤謬(=悪)として批判いたしましたが、しかしその観念を根本的に葬り去るものもまた観念をおいて他にはない、という考えをもっておりました。これが「観念による観念批判」というやつなのでございますが、こうした考えの正否は別 にして、初期「矢吹駆シリーズ」執筆時に作者である笠井潔が、そのような思想を持っていたというのは間違いのない事実であり、それがシリーズのライトモチーフとして作品に反映されたというのもまた事実なのでございますね。
ですからこそ、矢吹駆は「どうしようもなく観念的」な人間として設定され、その上で、観念の悪を体現する人物との闘争を通 じて、観念の悪を乗り越えていく人物として設定されたのだと存じます。

あ、わかりました!やっぱり、園主さまと読み方が違う。
「観念による観念批判」はわかるけれど、その観念に矛盾を感じると、作者の設定を疑ってしまう。駆に罪はないんだけど。だから、読めるんだけれど。


翻訳がほぼ完成 投稿者:凡臣(suzu)  投稿日:12月25日(土)09時08分46秒

長引きましたが、ほぼ完成です。大内史夫さんの文に二つ小さい疑問があります。

1>「欝ちゅう酒」(うっちゅうしゅ)
この「ちゅう」はどういう漢字か分かりません。今の訳文のように、「酒」だけ書いても文章の理解に支障がないと思いますが。

2>20 『十二国記』には天帝が、『黒祠の島』にはカンチがいた。それでは、日本においては何がそれにあたるのか。国民の総意という名前の黒い豚だろう。この怪物は、何の儀式によっても鎮魂できない。
愚かさを揶揄する時に「豚」を使うのはわかりますが、ここではどうして「黒い豚」で喩えですか?

3>・・・葛木志保と真理の二重性は見易い。
疑問ではありません。ただ、ここの「真理」は「麻理」の書き間違いでは?


(ほぼ)完成した訳文は自分のBLOGにアップしました。
http://suzu.blogchina.com/
興味がある方ございましたら、どうぞ見てみてください ^^


体験をこえて伝えられる想い(下) 投稿者:園主  投稿日:12月23日(木)22時44分7秒


 AOIさま

> 『バイバイ、エンジェル』においても.「矢吹駆は、自己を観念で鎧った、人並み以下に弱い人間である、という自覚の保持者」というより、「矢吹駆は、自己を観念で鎧わざるおえない業(宿命)をもたされた者」として描かれているように思う。
> 「彼らが豚なら」「彼らが虫けらなら」という仮定が前提にあるところに「僕たちは豚以下だ」「虫けら以下だ」「豚以下、虫けら以下だからこそ、・・・」というのは、すでに観念ではありませんか?
> 観念で正当化してしまうという自覚のあるものが観念を語るでしょうか?

矢吹駆が観念的であるというのは事実でございますし、その意味では「矢吹駆は、自己を観念で鎧わざるおえない業(宿命)をもたされた者」という評価も正しく、それは「矢吹駆は、自己を観念で鎧った、人並み以下に弱い人間である、という自覚の保持者」という評価と矛盾するものではないと存じます。

ホランドくんが説明してくれましたとおり、笠井潔はかつて、「観念」というものを根本的な誤謬(=悪)として批判いたしましたが、しかしその観念を根本的に葬り去るものもまた観念をおいて他にはない、という考えをもっておりました。これが「観念による観念批判」というやつなのでございますが、こうした考えの正否は別 にして、初期「矢吹駆シリーズ」執筆時に作者である笠井潔が、そのような思想を持っていたというのは間違いのない事実であり、それがシリーズのライトモチーフとして作品に反映されたというのもまた事実なのでございますね。

ですからこそ、矢吹駆は「どうしようもなく観念的」な人間として設定され、その上で、観念の悪を体現する人物との闘争を通 じて、観念の悪を乗り越えていく人物として設定されたのだと存じます。

> そのように言われるのではないかと思ってはいたんですけれどね(笑)。
> 『バイバイエンジェル』も『サマー・アポカリプス』も一度読んだだけなので、もちろん、誤読はあるかもしれません。ただ、初めて読んだ時の感覚を大事にしたいと思っただけです。
> 笠井潔の読者とはいえないので、これ以上の言及はやめます。一応疑問に感じていたことは言ったので。

初読の感想は大切でございます。まただからこそ、他人との対話のなかでその感想を検討し、無謬ではありえない感覚的理解というものを、鍛え上げていく必要もあるのでございましょう。



 ホランド

>  ウルトラマンは新生したか?

> 『ULTRAMAN』が「ウルトラマン」を超えて変えられない理由は、やはり「ウルトラマン」というブランドが余りにも権威化しており、それを好きにいじるだけの権利を主張する、個性と信念をもった監督を(『ガメラ』などとも違って)起用できないからなんじゃないか。「なんとか枠を超え出たい」という気持ちに嘘はないにしろ、結局は「無難な枠の中」でしか作れない、本当の意味での「冒険」ができない(円谷プロ子飼いの)監督しか起用できないというところに、「ウルトラマン」が『バットマン』や『スパイダーマン』あるいは『ガメラ』のようになれない、根本的で日本人的な特殊事情があるように、僕には思えてなりませんでした。

この最後の部分に、なるほどと思ったよ。「ウルトラマン」を超えた「ウルトラマン」を、円谷プロが本気で創りたいと思っていない証拠だろうな。
その点『ガメラ』は、原作者にあたるの大映が倒産して、売りに出されたキャラクターだったから、何でもありで、監督の起用も自由に出来たんだろう。今のウルトラマンは、乳母日傘で育てられた良家のお坊ちゃんで、上品だけど気迫に欠けて物足りない、とでもいった感じなのかな。――「可愛い子には旅をさせろ」ということなのかも知れない。





それでは、みなさま、おやすみなさいまし。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm


体験をこえて伝えられる想い(上) 投稿者:園主  投稿日:12月23日(木)22時43分16秒

みなさま、本日は、こうの史代の漫画『夕凪の街 桜の国』(双葉社)をご紹介したいと存じます。

この作品は、原爆体験という古くて重い問題を扱いながらも、決して告発調や悲嘆調にはならず、読者の胸にやわらかな風のようにふわりと自然に入りこんでくる、そんな作品で、『ダ・ヴィンチ』2005年1月号の今月のプラチナ本!にも選ばれた傑作でございます。
この作品の魅力をどう語れば適切なのか、私もいささか困惑ぎみなのでございますが、陳腐な表現であるのを承知であえて申しますと、この作品は「とても感じが良く、人に薦めたくなる、みんなに読んでほしいと願わずにはいられない、そんな作品」だと申せましょう。

じつはこの作者、生粋の戦後世代(1968年生まれ)で、広島出身だとはいうものの身内に被爆者もおらず、本作に取りかかるまでは、どちらかというと「原爆問題」を避けてきていたのだそうでございます。――そんな作者が、どうしてこんなに素晴らしい作品を描くことできたのか? 
私はその秘密が、作者自身「略歴」に記した「好きな言葉」の中に隠されていると感じました。作者こうの史代が好きなその言葉とは、ジッドの『私はいつも真の栄光をかくし持つ人間を書きたいと思っている』でございます。

詳しくは、前記今月のプラチナ本!のページをご参照いただくとして、ここでは私と同様の感想を持ったのであろう漫画家みなもと太郎の言葉を、本書の帯からご紹介しておきたいと存じます。

『 実にマンガ界この十年の最大の傑作だと思います。
 これまで読んだ多くの戦争体験(マンガに限らず)で、どうしても掴めず悩んでいたものが、ようやく解きほぐせてきた思いです。その意味でこの作品は、多くの記録文学を凌いでいます。
 マンガ史にまた一つ、宝石が増えました。こうの史代さん、ありがとう。』


                 ○


昨夜ホランドくんが書き込んでくれました、映画『ULTRAMAN』(小中和哉監督)の感想を、さっそく、

 ・ ウルトラマンは新生したか?

としてホランド掌編集の方へ加えさせていただきました。みなさま、どうぞご確認下さいまし。





( 以下は「体験をこえて伝えられる想い(下)」につづく)


ウルトラマンは新生したか?(下) 投稿者:ホランド  投稿日:12月23日(木)00時52分53秒


 新しい試みとしての音楽と空中戦演出については、まずまずの効果をあげていたと思います。音楽は自然に聞けたし、空中戦も「ウルトラマン」としては斬新でした。ただ、板野一郎の演出が、期待どおりの大成功をおさめていた、とまでは言いません。今まで「ウルトラマン」のそれよりはずっと良かったと思いますが、アニメで感じさせたほどの「動きの爽快感」はなかったんじゃないかと思うんです。これはたぶん、「記号化(様式化)された・2次元アニメ」の演出を、そのまま「リアルに近い・3次元CG」でやっても、完全には馴染まない、というようなことなんだと思います。

 なお、この作品は、自衛隊の協力を得て作られていますので、現実の自衛隊の問題については、当然のことながら、無難に避けて通 っています。
 物語の要請から、悪役っぽい自衛官(役者がハッキリ悪人づら)も出てきますが、彼は「後にウルトラマンと呼ばれることになる、人間の味方らしい怪物」に対して慎重だっただけで、現実的な観点から見れば(憎まれ役ではあっても)、決して悪役ではありませんでした。ただ、彼の設定が「アメリカ軍と連係する、防衛庁の対バイオテロ研究機関BCST」に所属する将校というところが、現実の「自衛隊=防衛庁・アメリカ軍」に対する嫌悪をにおわせているように感じますし、自衛隊の基地内で、主人公がパイロット仲間の親友である倉島に退職の話をする際、その談話室風の部屋の片隅に置いてあるブックラックに、『正論』というタイトルの雑誌が、表紙を見せてこれ見よがしに3冊も並べてあったのにも、演出者(監督?)の「秘められた思い」を感じました。なぜって、現存する『正論』は、「右寄り」新聞である産経新聞社の発行するオピニオン雑誌で、この雑誌だけが3冊もならべてあるというのは、自衛隊の思想性をそういうものとして認識し、そういうものとして暗に、しかし意図的に語ったのだろうと思えるからです。――ちなみに、この映画の「宣伝協力」としてテロップに流れる出版社は、講談社と小学館だということをご紹介しておいても良いかと思います。

 予算が少ないというマイナス要因も、ちゃちなセットなどから窺えましたが、『ULTRAMAN』が「ウルトラマン」を超えて変えられない理由は、やはり「ウルトラマン」というブランドが余りにも権威化しており、それを好きにいじるだけの権利を主張する、個性をもった監督を(『ガメラ』などとも違って)起用できないからなんじゃないか。「なんとか枠を超え出たい」という気持ちに嘘はないにしろ、結局は「無難な枠の中」でしか作れない、本当の意味での「冒険」ができない(円谷プロ子飼いの)監督しか起用できないというところに、「ウルトラマン」が『バットマン』や『スパイダーマン』あるいは『ガメラ』のようになれない、根本的で日本人的な特殊事情があるように、僕には思えてなりませんでした。





 園主さま

 今日はありがとうございました。
 お借りした『アメリカの階梯』(西垣通・講談社)、先に読ませていただきます。





 ではでは、みなさん、おやすみなさい(ハート)。


ウルトラマンは新生したか?(上) 投稿者:ホランド  投稿日:12月23日(木)00時51分52秒

 みなさん、こんばんは! 今日(12/22)は園主さまと『ULTRAMAN』(小中和哉監督)を観てきました。まず最初に正直な感想を言いますと、「期待外れだった」ということでしょうか。

 この作品は、「ウルトラマン」第1シリーズ『ウルトラマン』の第1話をベースにして、『バットマン』や『スパイダーマン』のように普通 に「大人も楽しめる娯楽映画」を目指した作品でした。つまり「子供向け怪獣映画」の乗り越えを意図した作品だったんですよね。だから、この作品には「科学特捜隊」や「ウルトラ警備隊」にあたるような「非現実的な特務機関」は存在せず、「後にウルトラマン呼ばれることになる異星人」と事故的遭遇によって合体でするのも「航空自衛隊のパイロット」という設定なんです。つまり、たぶん「ウルトラマン」版の「平成ガメラ」といったラインを狙った作品だったんだと思います。でも、その意図が達成されたとは、ボクには思えませんでした。善かれ悪しかれこの作品は、「ウルトラマン」の枠に止まった、水準作だったんではないかと思います。

 前述のとおりこの作品は、テレビシリーズの延長拡大版として「ウルトラマン」映画を超えることを目指した作品でしたから、音楽にB'zの松本孝弘を、本作最大の見せ場である空中戦の演出にアニメ畑出身の板野一郎(「板野サーカス」という異名を取った、変幻自在の空中戦描写 を得意とする伝説的アニメーター。『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が「2人の師匠」として、宮崎駿と共にその名を挙げる)を起用するなど、意欲的な試みがなされました。――でも、ボクが観たところ、この映画の最大の難点は、映画『ウルトラマンゼアス2』以降、「平成ウルトラマン」シリーズや映画版「ウルトラマン」を撮ってきた「小中和哉監督の(演出力の)限界」です。
 何が一番問題なのかといえば、それは本編の人間ドラマ部分が、「大人の映画」の水準に達していないという点なんですね。具体的に言うと、ドラマが型通 りで、しかも「説明的なセリフ」が多すぎるんです。

 例えば、主人公は航空自衛隊の戦闘機乗りだったんですが、幼い一人息子が難病にかかっており長生きできない可能性が高いので、少しでも一緒にいてやりたいと自衛官を辞めてしまいます。しかし、戦闘機乗りである父親に憧れて、自らもパイロットになりたいと思っていた息子は、そのことを察して気に病み、母親にこんな感じのことを言います。
「お父さんは僕のためにパイロットを辞めちゃったの? お父さん、倉島のおじちゃんと飛行機の話をしている時は、とっても生き生きしていたよ。なのに・・・」
 こんなセリフを幼稚園児が言うか、ということです。
 また、この映画は、この息子の「幼稚園に提出した作文」であろうと思われる、
「(…)僕は戦闘機に乗るお父さんがとってもカッコイイと思います。僕はそんなお父さんが大好きです」
といったようなナレーションで開幕し閉幕するという「ベタな演出」もしています。
 このほか、怪獣「ザ・ワン」と同様のかたちで、人間と合体したはずの異星人「ザ・ネクスト(=ウルトラマン)」だけが、格闘中、なぜかエネルギー切れ(カラータイマーの点滅)になると、「ザ・ワン」がテレパシーで、
「どうした、もうお終いか? そうか、おまえはまだ人間と完全に融合していないんだな。愚か者め、俺と同じように、最初から食っちまえばいいものを」
なんて、ウルトラマンだけがエネルギー切れになる理由を「セリフ(日本語)で説明」してくれるんですよね。

 こうした「安易で型通りの人物造形」や「安易な人物・状況描写」が随所にみられて、その度に白けてしまうんです。たぶん、従来の「ウルトラマン」として観ていれば、さほど気にならなかったんでしょうが、なまじ「普通 の映画」を撮ろうとしているところが目についたので、かえってそうした点が鼻についたんでしょう。





( 以下は「ウルトラマンは新生したか?(下)」につづく)



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