茨冠の 
映画『日本鬼子 リーベンクイズ』の14人


アレクセイ(田中幸一)

 

 ドキュメンタリー映画 『日本鬼子 リーベンクイズ』の共同制作者で撮影も担当した小栗謙一が、プロデューサーの言葉として、次のように書いている。(※ 引用者註・以下、特に断わりのない引用は、すべて同映画のパンフレットによる)

【制作にあたって】
 この映画の制作 意図は、戦争犯罪人を糾弾するものでも、また間違って証言者の勇気を讃えるものでもありません。あくまでも、日中十五年戦争の中でおきた事実の記録です。
 終戦から五六年が経った今、その体験すら語れる人がいなくなりつつあります。不幸にして私たちは加害者の側の国民として生きているのですが、だからといって、この事実を見過ごすことはできません。加害、被害の立場を越えて、戦争が人間に及ぼす悪魔性を知ることに、この映画の重要性はあります。生命体である人間の記憶は、時に待ってはくれません。しかし、フィルムとして記録されたものは、戦争を知らない若い世代にも伝えていくことのできる新たな生命として 生き続けます。この映画は、新しい時代の創造に活かされることを願って制作されました。

 たしかにこの映画の「主たる意図」は、そこにあるのであろう。しかし、この映画がただそれだけのものでないことは、もう一人の共同制作者であり監督を務めた松井稔監督の言葉に明らかである。

 この映画を見て、「これでもか、これでもかの残虐な話に不快になった。今更自分の国の過去の恥部を暴いて何になるんだ」と言う人がいた。
 しかし、この映画は歴史の、人間の真実である。私たちは未来のために、戦争の実態、組織の歯車となった人間の狂気と弱さ(これは平和な現在にも存在する)を知らねばならない。
 残虐な加害者たちは、戦争へ行く前はごく平凡な人たちであった。彼らは私であり、貴方でもある。残虐だからといって、目をそむけたり、隠したりする態度こそが不快であり、恐ろしいことなのだ。それは再び同じ過ちを繰り返すことに繋がる。
 知らないことを知ろうとしないことは罪悪である。
 私たちは未来のために、貴重な加害の証言を記録することを承諾してくださった十四人の方々の勇気に、深く感謝いたします。

 冷静に「中立性」を強調した小栗の発言にくらべて、監督松井の言葉は熱い。その熱さ故に「人間の弱さ」を描いた映画を撮りながら、「人間の弱さ」に苛立ち、糾弾するその本音がハッキリと透けて見える。正直であるが故に、この映画の本質が決して「単なる記録」には止まらないことを、松井の発言は裏書きしているのだ。
 では、松井はこの映画で何を訴えたかったのか? ……それは「戦争と人間の真実」であり、それと共に「現代日本人の無自覚と怯懦」なのである。

 だから小栗は慎重に『間違って証言者の勇気を讃えるものでもありません』と書いたが、松井は正直に『貴重な加害の証言を記録することを承諾してくださった十四人の方々の勇気に、深く感謝いたします』と書いたのである。つまり松井には、この勇気ある十四人の日本人への「敬意の念」があり、それと裏返しに、現実を直視しえない勇気のない現代日本人への「怒り蔑みの念」が存在するのである。本音で言えば「見よ、この勇気ある老人たちを! この人たちが語っているのは他人事ではない。彼らは自らの非人間的犯罪行為を、黙っていればバレはしないそれを、あえて自ら語っているのである。それなのに君たちはどうだ? 自分の祖父や父が見てきた地獄を不愉快だと言って目をそむけ、それでいてその地獄の上に築かれた平和な生活だけは、ちゃっかり享受しているのだ。はっきり言おう、君らは卑怯者だ!」ということなのだと思う。

 私は松井がこのように主張したところで、それを非難するつもりはない。この主張には共感すると言っても良い。しかし、「人間(一般 )の弱さ」とは、ある意味で不変のものだ。それは他人が批判し糾弾したところで改められるような柔なものではない。だからこそ、それぞれが自分で考えなければならない。それぞれが切実に、自分で「強くなろう」としなければならない。所詮、映画にできることは、その手助けでしかないのである。だからこそ小栗は『あくまでも、日中十五年戦争の中でおきた事実の記録です。』と「記録=素材」でしかないという点を強調したのである。

 したがって、この映画は、多くの人が自分の目で見て、自分の頭で「戦争とは何か?」「人間とは何か?」「人間の強さと弱さとは何か?」「自分ならどうする? どうできる?」「戦争を繰り返さないためには何ができる?」等と考えることが大事であり、監督や評論家が映画の代弁をして、効果 のない高説を垂れるのは、さして意味のあることではないのである。
 しかし「では、評論家というのは何のために存在しているのか」ということにもなろう。言うまでもなく評論家は、普通 の人が普通に考えれば「なかなか思い到らない」部分について洞察し、新たな思考の沃野を読者に開示し提供するために存在するのである。

 私は何も奇を衒おうというのではない。私の着眼は、「戦争の悲惨さ」や「戦争に翻弄される人間の弱さ」といった、この映画を見た者なら誰でも考えるであろう部分から、すこしズレたところに存在する。それは映画の秘められた可能性なのだ。そしてそれは、「人間の救済の可能性」に関する問題とも呼ぶべきものなのだ。

 

 

 私が着眼点は、この勇気ある十四人を「どう評価するか?」という点にあった。と言うのも、監督の松井は彼らの勇気に「敬意」を評した(言葉としては「感謝」の意を評したに止まる)が、私とこの映画を観に行った連れは、この十四人の老人たちが「可哀想だ」と評したのである。

 「勇気ある人たちの勇気ある行動」が、そのまま「可哀想な人たちの可哀想な行動」であるというのは、あまりピンとこない状況である。むしろ「勇気のない人の、怯懦な行動」にこそ「可哀想な人たちの可哀想な行動」であるという評価は適当すると思えるからである。
 しかし、この彼に言わせれば「可哀想」という感情はいたって自然なことで、彼らに「同情」しない感性の方がどうかしている、というようなことだった。……そうなのだ。彼の言う「可哀想」とは「同情」であって、決して「蔑み」の気持ちを込めたものではなかったのだ。悲惨な戦争(加害)体験を余儀なくされ、戦後も自分を責め続けなければならなかった、彼らの理不尽な「運命」に、彼は深く同情し、加害体験を語る彼らの姿を見ながら、涙を流していたのである。

 たしかにそういう意味では、彼ら十四人は同情されるべき存在であろう。それは間違いのないことだ。しかし、彼らは、はたして「敬意」を持たれたり「同情」されたりするだけの、それ止まりの存在なのだろうか? 「敬意」を払うべき人も「同情」すべき人も、世の中にはたくさんいるわけだが、これほどの悲惨な人生を歩んできた彼らも、所詮はそうした「敬意」を払われたり「同情」されたりする人の「一例」に過ぎないのだろうか? 彼らだけが持ちうる積極的な「存在意義」は、はたして無いのだろうか?

 「ある」と私は思った。彼らは単に「勇気のある人」でも「可哀想な人」でもない。彼らには、人間がもっとも「神に近づいた実例」としての意味を、「人間の救済の可能性を啓示する存在」としての意味を見出せるのではないか。もっとも「悪魔」に近づいた彼らが、一転して「保身をも捨てた贖罪の殉教者」となりえた点に、私は「人間の可能性」を見たのである。

 

 『泣いた赤鬼』という昔話がある。詳しいストーリーは忘れたが、要するには心優しい赤鬼が善行を行うのだが、人間たちは赤鬼を「見かけ」だけで判断し、彼を迫害してしまうというお話だったと思う。「可哀想」と言えば、私は子供心にこの赤鬼にいたく同情して「可哀想」だと思った。だが、こうしたことは決して昔話の中だけの話ではない。「部落差別 」も「人種差別」も、基本的にはこれと同じ構造を持ったものなのである。

 自己の、日中15年戦争での中国民間人に対する残虐行為(戦争犯罪行為)を、この映画の中で語った14人は、いずれも「中国帰還者連絡会」(略称=中帰連)のメンバーである。「中国帰還者連絡会」は、終戦時に中国大陸に残っていた日本人の戦争犯罪人を裁判にかけるまでの間に収容した戦犯管理所の収容者たちが、帰国後に「反戦平和」を目的としてつくった平和運動団体である。自らの戦争体験を語ることによって、二度と戦争の過ちを繰り返すまいとして立ち上がった「元・戦犯」たち。しかし、彼らは何故、非人間的悪行を告白してまで、つまり「自分一個の平穏な生活」を脅かしてまでして「反戦平和」の運動に取り組むことが出来たのか? ……その理由は、彼らが中国の戦犯管理所で受けた処遇にある、と言っても良いだろう。

 

 まずは、彼らが中国でどんなことをやったのか。その実例をいくつか挙げてみよう。

(1) 小林武司(1920年/広島県生まれ 尋常高等小学校卒業 薬問屋勤務 支那派遣軍第11軍 第39師団 敗戦時、関東軍第三方面軍 第30軍 兵長)の体験。

まだ初年兵の小林は物資を略奪するため入った部落で、上官に命令されるままに娘を強姦したという。「七十過ぎの父親が寝台に横たわってね、二十歳位 の姑娘(クーニャン)がいた。なかなかその娘が父親から離れない。父親を殺して、上等兵が娘を犯した。私も行って犯したんですけどね」。父の亡骸にすがり、それでも「日本鬼子」と叫ぶ娘を見ていたたまれなくなった小林は跳んで逃げ帰った。女を見て強姦、人を見て殺し、物一つ奪えなくては戦友から仲間はずれにされたと語り、殺人・放火は命令で通 るが、強姦は告白すれば自分が全責任を負わされるから話せないと語る。「他のことはみな、人に話すことはあるけど、なかなか話せない」。

(2) 金子安次(1920年/千葉県生まれ 尋常高等小学校卒業 鉄工所勤務 支那派遣軍北支那方面第12軍 第59師団 敗戦時、関東軍第17方面軍 第34軍 伍長)の体験。

実的刺突(※ 生きた人間を棒杭に縛り付け、それを銃剣で刺殺する訓練)で、初年兵の金子は「銃剣をねじると胸に突き刺さる、そういうコツを教えられ、それが人を殺す最初のきっかけになった」。八路軍(※ 中国軍)に壊滅的打撃を受けた日本軍は「燼滅掃討(じんめつそうとう)作戦」を開始した頃、上官の命令に従い、ほとんどの八路軍地区を部落ごと焼きつくした。「塀で囲まれた部落に火をつけ、中から逃げ出してくる村民を皆殺しにした。これは酷いなと思いながら、けれどもやっている方は面 白い」。残酷だと思った上官の命令がいつしか面白半分、興味の殺人に変わったという。強姦を拒んだ女性を上官の命令で井戸に投げ込んだ。その女の子供が後を追って井戸に落ちたのを見た金子は、このままじゃ可哀想だという上官の命令に従って手榴弾を投げ入れた。

 この「体験紹介文」を読んだだけでは、彼らの告白の壮絶さは到底伝わりはしない。

 例えば(1)の小林は『父親を殺して、上等兵が娘を犯した。私も行って犯したんですけどね』と言って、そこで「へへへ…」と笑うのである。それを見ていて私は「そこで笑ってはいけない。誤解されるから、そこで笑っちゃいけないんだ。貴方の気持ちはわかるけれど」と心の中で呟いていた。
  小林の笑いは、一種の「照れ笑い」であり、いかにも「日本人らしい笑い」だった。言い訳の余地のないことをしてしまった彼は、そんな自分の過ちを語る時、もはや深刻ぶって見せたり、いかにも反省してますというポーズをとる気にもならない。「貴方も笑って下さい。私はどうしようもない男なんですよ」という諦観に満ちた、もはや見栄など完全に奪いさられた男の、それはなんとも悲惨な「笑い」だったのである。

 (2)の金子の体験の悲惨さも、この要約文からでは伝わらない。私の記憶による再現だが、彼がどのように語ったのか、もう少し詳しく紹介しよう。
「 女を井戸に投げ込んで殺したんですよ。そしたら、それまでそばで泣きながらチョロチョロしていた、まだ5歳位 のその女の子供がね、お母さんお母さんと叫びながら井戸の周りをぴょんぴょん飛び跳ねながらぐるぐる走るんです。まだ背が低くて、井戸の中が覗き込めなかったんですよ。しばらくしてその子供は家に取って返したかと思うと、椅子だか箱だかを持ってきました。そして、それを井戸の傍へ置き、それによじ登って井戸の中を覗いたかと思うと、ぴょんと飛び跳ねて井戸の中に飛び込んでしまったんです。……それを見た時には、さすがに私も上官もなんとも言えない嫌な気分になりました。上官がこのままじゃ可哀想だと言うんで、私は上官の命令でその井戸に手榴弾を投げ込んだんです」

 小林にしろ金子にしろ、今は子供もいれば孫もいる「普通のおじいちゃん」である。こういう体験も、あえて語らなければ露見することもまずあるまい。しかし他人には知れなくても、彼らの心の中からそうした記憶が消えることは金輪際ないはずだ。高校へ通 うようになった孫娘を見て、小林は自分が強姦した「姑娘(クーニャン)」を思い出すことだろう。庭で駆け回る自分の孫を見て、金子は「井戸に飛び込んだ子供」を思い出すだろう。彼らは自らの行った、まさに「鬼の所業」を深く悔い反省したのは間違いのないことだ。だからこそ、彼らは戦後、自らの行った惨殺・略奪・強姦といった行為を、あえて告白したのである。

 しかし、この2つの事例はまだ「救い」のある方だ。まだ初年兵だった小林は自らの行いに怯えて逃げ帰り、金子の子供の健気な最期を見て心を痛めた。この2つの事例では、まだ彼らには「良心(人間の心)」が少しではあれ残されていたのである。
 しかし、他の多くの証言、たとえば鈴木良雄(1920年/埼玉県生まれ 尋常高等小学校卒業 農業 支那派遣軍北支那方面第12軍 第59師団 敗戦時、関東軍第17方面軍 第34軍 曹長)は、当時の中国における日本兵を『あの頃の日本兵は、たき火の中に赤ん坊を投げ込んでも笑ってられるような心境になっていた』と証言し、じじつ船生退助(1919年/栃木 県生まれ 尋常高等小学校卒業 農業 関東軍第9独立守備隊〜第3方面軍第108師団 曹長)は『老人と五歳と三歳の子供が住んでいる家を見つけた時は処置命令が出て、この家を焼き払い、出てきた子供たちを銃殺した』と語っている。
 つまり 物資の枯渇していた当時の中国の日本軍にとっては「現地調達(略奪)」は当たり前のことであり、「民間人惨殺」も敵の協力者となる可能性がある以上、当然なすべき任務でしかなった。「強姦」もまた軍規には反するものの、所詮は上官も黙認した当然の役得に過ぎなかったのである。つまりほとんどの場合、彼らは「当時の認識」としては「為すべきことを為したまで」であり、良心の痛痒などほとんど全く感じはしなかったのである。

 ……だからこそ中国人民の日本兵、まさに「日本鬼子(リーベンクイズ)」に対する憎悪や遺恨が並み大抵のものでなかったのは、容易に推察できるし、それはまた「当然の感情」であったと言えよう。

 ところが、彼ら戦犯を収容した戦犯管理所の彼らに対する処遇は、彼ら自身の予想すら裏切って、実に「人道的」なものであった。時の指導者であった周恩来の「戦犯とて人間である。その人格を尊重せよ」という方針の下に、収監されていた戦犯はたいへん人道的な扱いを受け、結局、病死・自殺の若干名を除く1062人中のたった45人しか起訴されず、またその45人も裁判にかけられはしたものの、死刑や無期懲役は一人も無しで、8年から20年の禁固刑を言い渡されただけであった。しかも、この刑期も収監期間を差し引かれるなどして、全員が満期を待たずして釈放され、無事帰国を果 たしたのである。そして、この戦犯管理所からの帰還者たちによって創られたのが、先に紹介した「中国帰還者連絡会」(略称=中帰連)なのだ。

 中国で彼らと同じようなことをした日本人は山ほどいる。そしてその大半は中国での自己の醜行「内心で恥じている」ことだろう。しかし、その多くの人たちは、そういう「過去を自分」の記憶の中に封印してしまった。反省はしたかも知れないが、できれば「過去のこと」として忘れようとした、無かったことにしようとしたのである。そんな中でなぜ「中帰連」のメンバーたちだけは、自分の恥となることをあえて話そうとしたのか? そうした並外れた「勇気」は、いったいどこから生まれてきたのか? 無論「反戦平和」のためではあろうが、そういう気持ちなら「口を噤んでいる人たち」とて大差は無かろう。「中帰連」のメンバーたちだけが「事実を語る」勇気を持ちえたのは、間違いなく中国の「戦犯収容所」における「人道的扱い」に、その理由があるはずだ。殺しても飽き足らないはずの鬼(戦犯)たちを、それでも人間として処遇し、生かしてくれた中国人。彼らが中国人たちの態度に感激し、感謝し、それによりまた深く反省し、彼らに「恩返し」をしたいと考えたのは、人間として当然のことだろうと思う。そして中国人たち対してにできる「恩返し」と言えば、それは誰もができれば隠したいと思う自己の(日本軍の)醜行を、自己の保身をもかなぐり捨ててまで語ることしかなかったのである。何も中国のために、ありもしなかったことを語るのではない。あったことをそのまま語るだけで充分なことを、日本兵は中国でやってきたのだから。

 日本に帰還し、戦争の真実を語りはじめた彼らを待っていたのは、「中国で洗脳された」者たちという評価と、影に日なたに行われる「差別 」であった。公安警察は彼らを中共のスパイとしてマークした。一般人もそのような目で彼らを見たから、彼らは働き口を見つけることすら満足にできなかった。また、そういう「偏見」はなくても彼らが中国で行ったことの「告白」を聞いて、彼らを「鬼」を見る様にして見た者も、当然少なくはなかったであろう。
 自分の過去の醜行を心から恥じ、それ故に事実を語った彼らが「アカ」だの「鬼」だのと言われて「差別 」を受け、その一方、同じことをしながら、自分一人の保身のために口を噤んだ多くの者たちが「普通 の人」の顔をして、安穏な生活を享受したのである。もし「過去の行い」をして彼らを「鬼」と呼ぶのなら、黙って「人に紛れている」者たちも間違いなくそれ以上の「鬼」であろう。そして「鬼」でありながら「鬼」であったことを悔い、なんとか「人」のためにと「差別 」を受けながらも「過去」と戦う「中帰連」のメンバーたちはまぎれもなく「人の心をもった赤鬼」なのである。「過去の醜行」を悔い、それゆえに「鬼」扱いにされることをあえて選んだ彼ら。そんな彼らを「赤鬼」だといって差別 迫害 する「戦争を知らない日本人」。この構図は『泣いた赤鬼』の悲劇以外の何ものでもないのではないだろうか。

 しかし、彼らは決して「鬼」ではない。彼らも戦争に行くまでは、そして戦争から帰還してからも、ただの「平凡な一市民」だったのであり、決して「殺人狂」でも「強盗犯」でも「強姦魔」でもなかった。監督 松井稔の言うとおり『彼らは私であり、貴方でもある』。つまり、彼らは普通の「人間」なのである。そして問題は、その「普通 の人間」が状況次第では「例外なく」、「殺人狂」にでも「強盗犯」にでも「強姦魔」にでもなってしまうという事実なのだ。
 私は、よく人間の定義として「人間は、神にも悪魔にもなれる存在(可能態)だ」と表現する。日中15年戦争における日本軍兵士の醜行蛮行は、人間が例外なく「悪魔にもなれる」ことを証明した悲劇的実例だと言えよう。事実、その悲劇的証明の一翼を担った絵鳩 毅(1913年/鳥取県生まれ 東京帝大卒業 上田高等女学校教師 支那派遣軍北支那方面 第12軍 第59師団 敗戦時、関東軍第17方面軍 第34軍 曹長)は『 聖戦であるとは思えなかったが、いよいよ旅立つという時に日章旗を振って教え子たちが見送ってくれた。それを見て、戦うということは、やがて平和を招来する彼らのために死んでいくんだと思った時に腹がすわった』と証言しているとおり、戦場に行くまでは水準以上の倫理観の持ち主であったし、戦場においても決して容易にその色に染まったわけではなかった。だが、鬼の中で生き延びるためには、(小林武司の言ったとおり)最終的には彼とても人間に止まり続けることは出来なかったのである。

 繰り返すが、彼ら14人は決して「特別な人間」ではない。監督の松井稔が言うとおり『彼らは私であり、貴方でもある』。私たちはそのことを決して忘れてはならない。私たちも彼らと同様、状況によれば、遊び半分の「惨殺」「略奪」「強姦」を平気で行える、同じ人間なのである。東京帝大を卒業し上田高等女学校教師を勤めた、「教養」も「知性」も「倫理観」も持ち合わせた絵鳩 毅ですらそうであったのだから、人が鬼になる可能性に「例外」などないということを、私たちはそれぞれに深く銘記すべきであろう。

 そして、それとともに私が強調し注意を喚起したいのは、人はどんなに堕落しても状況次第では「生まれ変わる」ことが出来るということである。そして、これがこの論文の眼目なのだ。

 中国で「日本鬼子(リーベンクイズ)」と化した彼ら。しかし、その「心の闇」が深ければ深いほど、そこから這いのぼり「人間の尊厳」を取り戻した彼らの姿は、我々に「希望」を与えてくれる。どんな過ちを犯そうと、人は人としての尊厳を取り戻すことができるのだということを、彼らの懸命な姿は力強く物語り、教えてくれるのだ。見栄も体面 も平穏な生活も捨てて、それでも人間の真実を語り、戦争の悲劇をくり返すまいとする彼らの姿には、人間の「弱さ」を超え出んとする「非常の輝き」がある。そしてそれは「後光」と呼んでも差し支えあるまい。これ以上(以下)ないという所まで落ちた彼らだからこそ、その再生は、すべての「再生・救済」の可能性を示唆している。人の子供を喰らっていた悪鬼・鬼子母神が、自分の子供を隠され、子を奪われた親の悲しみを知り、守護善神と変じたように、中国において「悪鬼」であった彼らも、中国人の「温情」に触れ「彼ら中国人もまた、同じ人間である」という事実を思いだし、自らの行いを「彼らの立場に立って」反省した時、彼らは「悪鬼」と変じざるをえなかった「弱い人間」から、それを乗り越えて、並はずれた「強さ(勇気)」を備えた人間に変じることが出来たのである。

 彼らも、あの時代に生まれてさえいなければ、私たちと同様に、テレビや映画をみたり、会社の同僚と上司の悪口を言いながら酒を飲むといった「平凡な生活」を送れたことだろう。だが、彼らにはそれが許されなかった……。たしかに彼らは「不運」だった。あの時代に生まれたがために、そして為すべきことに開眼する勇気をもっていたがために、死ぬ まで「波瀾の人生」を歩まなければならなかったのである。だが、私はそんな彼らの「運命」を、そして「人生」を、「不幸」だとか「可哀想」だとか「悲惨」だなどとは形容したくない。むしろ、彼らは運命に「選ばれた人々」なのだと考えたい。

 イエス・キリストが全人類の「罪」を背負ってゴルゴダの丘で「刑死」したように、彼ら14人も「人間の罪」を代表し、それを背負って生きたのだと思う。「罪人」としていったんは死に「聖人」として復活したのが、彼らなのではないだろうか? 彼らに寄せられる非難も賞賛も、すべては彼らのその背負ったものの「重さ」に遠く及びはしないだろう。「悪鬼から聖人へ」という彼らの人生の中で、彼らに負わされた「不断の苦痛」は「選ばれた者にのみ与えられて茨の冠だったのではないだろうか?

 我々に、特別な「神の子」は必要ない。すでに我々は、人間は「悪鬼」にもなれるが、そこから「聖人」にもなれるという実例を知っている。どんな逆境にあっても、人間は「尊厳あるもの」として生き、死んでいける存在だという実例を手にしたのである。

 「不信と憎悪」に傾きゆくこの世界にあって、彼ら14人の勇気ある生き方は、人間に残された「一筋の光明」なのではないだろうか。こういう暗い時代の下で、彼らの茨冠はいや増して輝いているのである。

 

 

 

【後記】
 「南京大虐殺」を無かったことにしたいとする勢力がいる。先の日本の戦争をまたぞろ「聖戦」に祭り上げたがっている勢力がある。日本は先の戦争において「被害者」であったとしたがっている勢力がある。

 たしかに「虐殺」を行ったのは日本軍だけではなかったろう。「南京事件」の死者数も定かではないかも知れない。日本の戦争にも「建て前」や「きれいごと」、「理想」すらあったと思う。無論、戦争においては日本だけが「悪者」なのではない。しかし、先の戦争において日本人が、ナチスドイツのホロコーストにも劣らぬ 非道を、それぞれの手で実行した事実は否定しえない。たとえ森村誠一氏の著書『悪魔の飽食』(角川ノベルス・絶版)に、間違った写 真が1枚紛れ込んでいたのが事実であったとしても、それでこの本がすべて間違いの嘘八百だなどということにはならないのである。

 自分たちのやった非道な行為を隠蔽し、他人の非道をあげつらうことは、「誇りある人間」のすることではない。「誇りある日本人」のすべきことではない。自分のやったことは素直に認め、贖罪をする用意があってこそ、他者の過ちを責めることもできるのではないか。「自分に不利益な事実は、隠さなきゃ損」「相手を貶めることは、言わなきゃ損」という損得打算のみの生き方は、決して「戦前の日本人の理想」ではなかったはずだ。それは悪い意味でアメリカナイズされた「戦後の日本人の(恥ずべき)姿」ではないだろうか。

 だが、そのような輩が「誇りある日本人」を賞揚している。「我らこそが、誇りある日本人」だと、不遜に自称している。 映画『日本鬼子 リーベンクイズ』を観もしないで「下らない」と評したり、「あんな告白など当てにならない」と言ったりする。だが、こういう彼らこそ「戦後の日本」でぬ くぬくと育ってきた「温室育ち」に他ならない。「戦争」がどれだけ怖いものか、悲惨なものなのか。「人間」がどこまで非道になれるものかを、彼らは知らないのである。無論、私とて実体験者ではない。だが、彼らよりは「想像力」という知性を持ち合わせている。だから私は、 映画『日本鬼子 リーベンクイズ』の中で語られていた程度のこと(非人間的行為)は、いくらでも現実にあったと思う。この程度のものに「誇張」を心配する必要などないはずだ。この程度のことは、今も世界のどこかで必ず実行されているはずだし、それはその気さえあれば、誰にでも充分に事実確認が可能なことのはずだ。所詮これは、その程度に「ありふれた現実」で、それにリアリティーを感じられないというのは、その人がこれまで「戦後の日本」というぬ るま湯に浸りきってきた証拠なのである。

 だが、貴方が「誇りある日本人」ならば、現実は直視すべきだ。そして反省すべきは反省し、正すべきは正していくべきだ。そして、それは自他にわたるべきである。
  「自己正当化による保身がすべて」の日本人であることはやめよう。強者に媚びたり、徒党を組んで威張り散らすのはやめよう。自分の目で見て、自分の頭で考えられる「独りの人間」であろう。そこからしか、真の「日本人の誇り」は生まれてこないはずだからである。

 

  2002年2月17日

 


 【MENUへ】 【BBSへ】