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◆ 大西赤人批判 ◆
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―― 言論人の倫理と責務をめぐって
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『大西赤人批判』の概要について
アレクセイ(田中幸一)
「大西赤人批判」は、作家大西赤人のウェブサイト『大西赤人/小説と評論』の(新)掲示板上で、在野の評論家
木村貴と私が中心となって、作家大西赤人の言行を批判したものです。
この一連の批判は、若干、私に関連する「前段」はあるものの、実質的には木村貴の書き込み『大西赤人氏の惰性の言論を排す(1〜7)』(2001年6月16日、書き込みNo.218〜224)に始まったと言っても良いでしょう。
私はこの批判をたいへん意義深いものと評価しつつも、これは木村の仕事であると考え『面 白くなってきやがった』(前同日、No.225)で『たいへん面 白かった。これは間違いなく(※ 大西赤人が)「反論(する)に値する文章」だと思います。しかし、私がこの論文(の内容)への評価を語っても面 白くないので、今それをする気はありません。』との立場表明をして、距離をとろうとしたのでした。
そして10日後、大西赤人の反論なり説明なりを待っていた木村は、大西赤人が「無視黙殺」を決め込むつもりと判断し『現代の文士は政治家の不誠實を笑ふ資格があるか』(同年6月26日、No.229)でその根拠説明をし、さらに『片付かない問題(1〜3)』(前同日、No.230〜232)で大西赤人の批評家としての「底の浅さ」を厳しく指摘しました。
私も、大西赤人の「木村貴に対する無視黙殺」を不当なものとして『「鳴かぬ なら鳴かせてみようホトトギス」……それでダメなら「殺してしまえホトトギス」』(前同日、No.234)で、木村支持を明言。木村に対し、さらなる徹底批判を希望しました。
さらに木村は『唾棄すべき政治主義(1〜6)』(同年6月29日、No.235〜240)で大西赤人の「骨がらみの問題点」である「悪しき政治主義」を論難。私は『「唾棄すべき政治主義」評(1〜2)』(同年6月30日、No.241〜242)で木村の議論を評価しつつ、大西赤人はそれにも値しない人物として痛罵すると、木村は『卑劣漢(ども)に告ぐ』(同年7月1日、No.243)で大西赤人の「言行不一致」の不誠実ぶりを論証しました。
すると、それまで沈黙を守っていた掲示板の管理人 鈴木康之が、突如『メッセージボードの閉鎖について(1〜2)』(前同日、No.244〜246・245 は欠番)で「メッセージボード(掲示板)の閉鎖を示唆し、その末尾を、
『ふつうに書き込みをしたい方には、申し訳ないのですが、7月7日をもって本メッセージボードを閉鎖しようと考えています。/また、田中さんには自主退去をお願いし、掲示板を正常な形に戻すという方向もあるかと思います。まだ我慢をして掲示板を読み続けている方で、ご意見のある方はお寄せください。』
と締めくくりました。
管理人・鈴木のこの呼びかけも虚しく、「閉鎖」の妥当性を支持する書き込みは、五島烈人の『日々の労働の中で』(前同日、No.247)のただひとつに止まる一方、時間を切られてしまったため、私も高みの見物を放棄し、『遼遠』(前同日、No.248)で、
『こないだ赤人さんご本人からいただいたメールには、この掲示板が設置されているサイトについて「サイトはあくまでも私のサイトであり、鈴木さんには管理を任せ、ディレクトリを置かせてもらっているだけ」だと責任の所在が明記されていたんですが、どうなっているんでしょうね? だから、私のサイトでのここの「紹介文は間違いなのでなおして欲しい」というお話でした。私はこれを読んで、貴方は技術的管理者であり、内容には関与せず、ただ赤人さんの指示にしたがっているものだと理解したのですが、今回の(※閉鎖の判断)はいったい「誰の責任」によるものなのでしょうか? 貴方が泥を被りますか?(「それは秘書が勝手にやったことで、私の預かり知らぬ ところです」なんて先生は言うんですよ) それでもいいですが、それで恥をかくのは赤人さんなんですよ。』
と追求するとともに、『バージョン2001「俗情との結託」(1〜3)』(前同日、No.249〜251)で、管理人・鈴木のやり口が「数の力(大西巨人言うところの「強弱」)」に恃む卑怯な「政治主義」であり、典型的な「俗情との結託」であることを明らかにしました。
これに続き木村貴は『神聖ニシテ侵スヘカラス(1〜2)』(前同日、No.255〜256)を投じて管理人・鈴木のやり口の非論理を論破し、さらに、
『要するに、赤人氏は自信が無いから出て來られないのです。出て來てボロが出ると困るから、戰前の天皇よろしく、「神聖ニシテ侵スヘカラス」と云ふわけです。昭和天皇は敗戰直後にマッカーサーに向ひ「全責任は自分にある」と部下を庇つたが、赤人天皇は「祕書」を矢面 に立たせて自分は逃げ隱れする卑怯者です。』
痛罵しました。
このあと、「大西赤人の沈黙」と「掲示板の閉鎖」という事態の評価に揺れるAZをめぐってのやりとりなど、いくつかの議論を経ながらも、木村は『勝手にしやがれ(1〜4)』(同年7月4日、No.271〜274)などで追求の手を休めず、私は「大西赤人批判」の意義を総括するものとして、同掲示板における連載最終回となるであろう『『大西巨人文選』を読む(第6回)/ 「「あけぼのの道」を開け」について(1〜5)』(同年7月6日、No.290〜294)を投じるなどしました。
そして、7月1日の『メッセージボードの閉鎖について(1〜2)』(No.244〜246・245 は欠番)以来、再び沈黙を守っていた掲示板の管理人・鈴木が、閉鎖予定日の7月7日に『掲示板の閉鎖にあたって(1〜2)』(同年7月7日、No.303〜304)を発表。長々と(反論ではなく)言い訳を連ねたあげく、
『以上は、書き込まれたご意見に答えたものではなく、掲示板を閉鎖するにあたって、管理者としての感想のようなものです。長く雑誌や単行本の編集者をやってきたものとしては、こうした形で掲示板を閉じるのは残念でなりません。また、いつか形を変えて、みんなの意見交換の場を作ることができるよう考えていきたいと思っています。』
いかにも編集者らしい形だけの締めくくりをつけ、翌7月8日午前、掲示板を閉鎖したのでした。
以上のように、「大西赤人批判」は、
2001年6月16日の木村貴による『大西赤人氏の惰性の言論を排す(1〜7)』(No.218〜224)に始まり、
同年7月7日の管理人 鈴木康之による『掲示板の閉鎖にあたって(1〜2)』(No.303〜304)の発表とそれにともなう「掲示板の閉鎖」によって終了したのでした。
先にも少し言及したように、 木村が大西赤人の「政治主義」を批判するにあたっては、その前に私となかざきとの間で繰り広げられて議論が、はっきりと影を落としています。ですから、時間に余裕のある人は『一ヶ月論争』以降の「新掲示板」の書き込みを、最初から目を通 していただけると大変ありがたいし、そうしていただくと「大西赤人批判」の出てきた流れも、自ずと明らかになると思います。
また掲示板閉鎖直前に交わされ、木村貴のウェブサイト『地獄の箴言』の掲示板(当該部分抜粋)へと引き継がれた、前述のAZをめぐる議論も「人の心の弱さと強さ」というものを考える意味で大変興味深いものとなっています。できれば、こちらも目をとおしていただければと期待いたします。
前説が長くなってしまいました。ともあれ本編『大西赤人批判』をお読みください。
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◇ ◇ 補足説明 ◇
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上記の前説で書けなかった、いくつかの点について説明いたします。
(1) この『大西赤人批判』が掲載された掲示板の正式名称は、
『「大西赤人/小説と評論」及び「巨人館」のメッセージボードです』
と言います(すでに、この掲示板そのものは閉鎖され存在しません。『大西赤人批判』時の掲示板は「新掲示板」と呼ばれており、現在もその記録は「閉鎖された掲示板のログ」として保存されており、「大西赤人/小説と評論」と「巨人館」のそれぞれのトップページから、閲覧することが可能です)。
この掲示板は、
大西赤人さんのサイト『大西赤人/小説と評論』と、
大西巨人さんのサイト『巨人館』
の共用掲示板(メッセージボード)でした。
(2) 上の『大西赤人批判』へのリンク(『大西赤人批判』へ)は、この掲示板の過去ログのページである
「「大西赤人/小説と評論」及び「巨人館」の新旧掲示板のログ」のページに直接リンクが張られたものです。
このページへの直接リンクは、大西赤人氏ご本人の許可を得たものです。
『大西赤人批判』は「「大西赤人/小説と評論」及び「巨人館」の新旧掲示板のログ」のページを、そのまま活用させていただいているため、表示形式が「古い記事の上に、新しい記事が乗る」という掲示板形式そのままです。そのため時間軸にそって記事を読んでいくには、いったんページの一番下までスクロールした後、逆スクロールをしながら記事を読んでいただくことになります。また、この『新掲示板』は「一投稿が1000字まで」という制限つきであったためで、長文の文章は「分割」され連続的に投稿されており、そのため、かなり読みにくい形になっております。ですが、これは最初に掲載された時の形式そのままであり、当時の雰囲気をそのままに伝えるものだということでもありますので、若干の読みにくさについては、ご容赦いただきたいと思います。
2001年7月10日