地獄の箴言 掲示板
自由と規律
※ このページは木村貴氏のウェブサイト『地獄の箴言』から、
当該「大西赤人批判」に関連する時期の書き込みを、そのまま再現したものです。なお、本文中のリンクは全てはずしてあります。
【『神聖記』トップへ】 【「大西赤人批判」へ】 【「一ヶ月論争」へ】
★ AZさま
木村さんより先に貴女にレスをつけるのは、私が古風なフェミニストだからです(笑)。
>相変わらずでございますね。
>でも、アレクセイさんのそういうところ、好きです。
やっぱり変わってますね、貴女は(笑)。そういう「物わかりが良い」というか、「マゾヒスティックな」女性がもっと増えれば、私もバレンタインデーに寂しい思いをしなくても済むのに……。
もっとも、女性にもてなくても美少年にもてれば、それに越したことはないんですが、なかなか友情の峠は越えられません(笑)。
★ 木村さま
>『神曲』の原題を直譯すると『神聖喜劇』になる。『神聖喜劇』が現代日本文學の白眉であるにもかかはらず、この兩者の質的隔りは餘りにも大きい。これについては、いづれ論じたい。
私はまだ『神曲』を読んでいないんですが、あんまり興味がないというのが正直なところ。むしろ木村さんの論文に期待したいと思います。でも、私はせっかちで忘れっぽいから、できるだけ早く書いて下さい!http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm
『神曲』の原題を直譯すると『神聖喜劇』になる。『神聖喜劇』が現代日本文學の白眉であるにもかかはらず、この兩者の質的隔りは餘りにも大きい。これについては、いづれ論じたい。
ウェブ上では正字正假名で書くのが當り前のやうになつて仕舞つたので、正字正假名に違和感を持つ人が多い事をつい忘れて仕舞ふ。正字正假名を正面 から取上げるコンテンツも作らねばならないのだが、なかなか出來ない。「魁! 國語塾」も初囘だけで止つてゐるし。しかも性懲りもなく新コンテンツを始めたりしてゐる。
まあ、「地獄の箴言」は二年や三年で終はるサイトでは無いので、氣長にやる事にしよう。何しろ、トップページのブレイクの詩を一ヶ月に一囘更新するだけでも、六年はかかるのである。その後は、『神曲』の地獄篇でもやらうかと考へてゐるのである。
>私ほどの人間(!)が、タダで批評してあげているのにもかかわらず、文句を言う身の程知らずのバカが、世の中にはたくさんいるようですが、私はそんなにお安くないですよ(笑)。
相変わらずでございますね。
でも、アレクセイさんのそういうところ、好きです。
>その気になるようなネタを振ってくれなきゃ、やる気にはなりません。
大西サイト掲示板は、貴方をその気にさせていただけに、悔やまれます。
好きなやうにやるのが一番、と私も思ひます。いつでも氣の向いた時に遊びに來てください。
>AZさん
私に席を譲るなんて、簡単に言ってはいけません。私ほどの人間(!)が、タダで批評してあげているのにもかかわらず、文句を言う身の程知らずのバカが、世の中にはたくさんいるようですが、私はそんなにお安くないですよ(笑)。
これまでの議論・論争でも、私から積極的に仕掛けたものは、むしろ少ないんです。だいたいが成りゆきで、まあ、やるんなら盛り上げて意義のあるものにしてやろうか、となるから大事になるだけなんですよ。
「議論して下さい」と頼まれたって、その気になるようなネタを振ってくれなきゃ、やる気にはなりません。私が快楽主義者だというのはそういうことで、私はプロの評論家みたいに企画に合わせて適当に書き散らすような器用な(貧乏臭い)ことが出来ない人間なんです。
自慢話はこれくらいにして(笑)、貴女に言いたいことはひとつ。やりたいようにやれば良い、ということです。無論、相手もやりたいようにやる。それでイヤなら止めれば良いということですよ。イヤイヤやってても碌なことにはなりませんからね。http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm
恐れ入ります。
最後の「ですが・・・」は消してください。
木村さま
議論についての、木村さんの基本的な姿勢は、理解したつもりです。丁寧なご説明を、ありがとうございました。
ところで、恐縮なのですが、私の基本姿勢としては、議論の一形態とは思いますが、「対話」で望みたいと思っているのですが、いいでしょうか?
というのは、私自身の間違いについては気づきました。怪しいとお思いかも知れませんが。(そのことについては、あらためてお話しなければならないとも思っています。)
ですので、基本的に、相反する意見を戦わせるというのではないと思います。もちろん、私に対しておっしゃりたいことはおありでしょうし、忌憚のないご意見や、ご指摘は、感謝こそすれ、拒否するつもりはありません。また、厳しいご批判も自らが気づかないだけに、とても有り難いことです。
木村さんが、話されることについては、こちらが、どのようにと注文することではないのですが、こと私としては、議論となると、疲労感が先に立ってしまいます。
例えば、状況を思い出しながら、正直に述べているつもりなのですが、「嘘です。」「錯覚です。」と断言されてしまうと、言葉がすべてなのだろうか?私が思っていたこと、感じていたことは、それなら何だったんだろうと思い、さらに言葉を失ってしまうのです。
それが、議論というものであるのなら、議論ではなく、おしゃべりでもなく、対話を。自身の意見の正当性を述べながら、ひとりでは気づきえなかったことで、自身の意見を修正していくというような形で、考えをまとめてみたいと思っています。
びりびりとするような議論は、ぜひアレクセイさんとお願いいたします。(笑)
・・・そろそろ、そちらに席を譲った方がいいように思っているのですが・・・。
ですが・・・
>私自身ですか? のけぞつただけです。
くそう! のけぞっただけですか。そのうちもっとディープなやつで、ひっくり返らせてあげます。
『ひっくり返らぬのなら、ひっくり返らせてみせようホトトギス』……こればっか(^-^;)。http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm
誰も憶えていらつしやらないと思ふが、以前、弊サイトに「樂園喪失」と云ふ創作コーナーを作りかけた事があつて、その時、「同じ題名のサイトは無いか」と檢索したら、あつたのである。こちらは「楽」と字が違つたけれども。中身を見たら、これが面 白い。中でも「女帝」様のお書きになる「何ぢやこりやTOWNN」のエッセイやらゲーム実戰記やらを、腹を抱へて讀んだ。アンジェリークとか言はれても、私にはちんぷんかんぷんなのだが。http://www.fx.sakura.ne.jp/~paralos/
野嵜さんの「超くせ」が消えたのは惜しい。どうしてかなあ。
實を申せば、弊サイトの常連さんの多くは、「文武両道」「甘辛兩黨」でありまして、少々の事では「ひつくりかへ」つたりなさらない事を私が保證いたします。
私自身ですか? のけぞつただけです。
>木村さま
わざわざうちの掲示板までお運びくださり、ありがとうございました。
さっそく「LINKS」のページに、こちらのサイトを加えさせていただきました。どうぞ、ご確認下さい。
また、こちらの「LINK集」に加えていただき、ありがとうございました。
こちらの「LINK集」に入っているような「文藝サイト」というイメージで、常連のみなさまが、うちのサイトを覗かれ、『Ryu's Milk Bar』あたりを見て、ひっくりかえられる日が楽しみでなりません。……我慢しきれず、ついリンクを張ってしまいました(笑)。
こんな面白がり屋ですが、今後ともよろしくお願いいたします。http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm
>木村さま
こちらでは、はじめまして。その折はたいへんお世話になりました。言葉は不適切ですが、たいへん楽しませていただきました(笑)。
私は快楽主義者を自認する男ですので、(好きなことは別にして基本的には)面倒なことが嫌いで、それが出来ない性格です。ああした議論や論争でも、わかりきったことを説明するのは、それが必要だとわかっていても、なかなか充分にはできないところがあります。その点、今回は木村さんがそうした面 をキチンと押さえて下さったので、私はたいへん楽をさせていただいた気分でした(笑)。
すでにうちのサイトの「大西赤人批判」のページで、こちらのトップページと掲示板を紹介して、それぞれにリンクを張らせていただいておりますが、今度は正式にうちの「LINKS」のページに、こちらのサイトを加えさせていただきたいと思います。なにとぞ、よろしくお願いいたします。http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/index.htm
道徳にかかはる議論(「論爭」)においては、Aと云ふ價値を信ずる人間は、非Aと云ふ價値を信ずる人間を嚴しい言葉で徹底的に批判せねばなりません。大西巨人は渡部昇一を「破廉恥漢」「學問的無知」「倫理的陋劣」と、徹底的に嚴しい言葉で批判しました。巨人さんの言葉遣は正しい。相手を本氣で許せないと判斷したら、それにふさはしい率直な言葉で相手を批判せねばなりません。私は赤人さんを本氣で許せないと判斷したから、「卑劣漢」と身も蓋もない言葉で批判したのです。
從つて、AZさんへの私の囘答は以下の通りです。「合意できれば一番いい」と云ふ考へは、「お喋り」の場合なら結構なのですが、「論爭」の場合は誤りです。大西巨人が主張を曲げて、渡部昇一と「合意」したら、それが「一番いい」と云へますか? 世の中には、合意出來ない事柄もあるのです。「違ひが分かればそれでいい」と云ふ考へも、まだ正しいとは云へません。大西巨人は、渡部昇一と自分の意見が違ふ事を確認して、それだけで滿足しましたか? 渡部昇一を烈しく批判したではありませんか。
私だつて、氣樂な「お喋り」は好きです。しかし、世の中には、そんな氣樂な話題だけではない。意見間に「序列」をつけねばならない事がある。「自分の方が正しい」「お前は間違つてゐる」と不粹に主張せざるを得ない場合がある。
五島さんが「いろいろな意見を聞きたかつた」と述べていらつしやいましたが、議論に「お喋り」と「論爭」の二種類がある事を理解してゐない。「お喋り」ならば、相手を怒らせず、どこまでも平穩に進めて行く事は可能です。しかし、他人の價値觀を眞向から否定する「論爭」は、相手を怒らせずには濟まない。まして、價値觀のぶつかり合ひを最も誘發しやすい文學・思想と云ふ領域を扱ふ「大西掲示板」において、平穩な雰圍氣をぶち壞す「論爭」が起らないと考へる方がをかしいのです。
文學・思想においても、他人を傷つけない、當たり障りのない「お喋り」は可能でせう。しかし、そんな上面 だけで留まるとすれば、眞に文學・思想を論じてゐるとは云へない。文學・思想・道徳・宗教に關する議論は爆藥を内臟してゐるのです。だから、さうした主題を扱ふ掲示板は非常に鞏固でなければならない。ちよつと位 の爆發で壞れるやうでは困るのです。
大西掲示板で「お喋り」をしたかつた人達に對しては、ちよつぴり「惡かつた」と思つてゐます。しかし、文學・思想を扱ふ掲示板の本分は、「論爭」の場を提供する事だと私は考へます。本分を果 たせない・果たさうとしない大西掲示板は、所詮、無くなつても惜しくない程度の代物だつたのです。
御返事が遲れて申し譯ありません。
>しかし、私は、言論による闘いと思ってやっているわけではありません。木村さんとの意見の違いを述べ合っているつもりでいます。勝敗は、もちろん関係ありません。合意できれば一番いいのです。また、違いが分かればそれでいいのです。議論が、勝ち、負けになると序列につながると思うのですがどう思われますか?
論爭は相撲や柔道のやうな審判がゐる譯ではありませんから、嚴密に勝敗を決める事は出來ません。さう云ふ意味では、私が云つた「勝ち負け」は一種の比喩に過ぎません。しかし、特定の論題について、文句の附け樣のない論理で相手の主張を論破する事はあり得るし、現實にあります。そのやうな場合、論破した側を「勝者」、論破された側を「敗者」と呼ぶ程度の比喩は許して貰へるでせう。
正確に云へば、私がこだはるのは「勝つ事」ではなく、烏滸がましいかもしれませんが、正しい論理を以て論敵を論破し、それを通 じて普遍的な眞理に一歩でも近づく事です。カントが『實踐理性批判』の中で「君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥當するやうに行爲せよ」(岩波文庫版、72頁)と有名な言葉を述べてゐます。私は凡人なりに、カントのこの考へを立派だと思ひ、他人を批判する時には、己を含む他の誰にとつても通 用する理窟を以て批判するやう心掛けてゐる積りです。赤人さんが「左翼」だから躍起になつて批判した譯ではなく、同じやうな愚劣な行爲を「右翼」がやれば、同じやうに容赦なく批判します。
AZさんの質問にお答へするに當たり、一つはつきりさせておきたい事があります。「議論」と云ふ言葉は、非常に廣い意味を含む場合があります。例へば、うどんと蕎麥のどちらが旨いかだの、犬と猫のどちらがペットとして好ましいかだの、要するに個人の好みの問題についてお喋りする事まで「議論」と呼ぶ事がある。かうしたお喋りには、「勝ち負け」なんぞ有りはしません。もし「うどんが不味いと云ふ奴は許せぬ 」だの、「犬のはうが好ましいに決つてゐる」だのと眞顏で主張する人間がゐたら、そいつは正眞正銘の馬鹿です。個人の好みに序列はつけられません。
しかし、世の中には、序列をつけ得る・つけねばならぬ類の意見もまた存在すると私は信じます。例へば、渡部昇一は、大西巨人さんの次男野人さんが不運にも遺傳性血友病を抱へて誕生した事を指して、「劣惡遺傳子を受けたと氣付いた人が、それを天命として受けとり、克己と犧牲の行爲を自ら進んでやることは聖者に近づく行爲で、高い道徳的・人間的價値がある」と、巨人さん夫妻に斷種・中絶・禁性交を暗に命ずる非人間的な文章を書きました。當然、巨人さんは渡部昇一を烈しく批判しました。
このやうな場合でも、二つの意見(渡部昇一の意見と大西巨人の意見)は、「序列がつけられない・序列をつけてはならない」と云ふべきでせうか。そんな事は云つてはなりません。即ち、大西巨人の意見は渡部昇一の意見よりも遙かに「優」れており、渡部昇一の意見は大西巨人の意見よりも遙かに「劣」つてゐると斷言せねばならない。意見間に明確な「序列」を付けねばならない。かうした「序列をつけ得る・つけねばならぬ 問題」について討論する事を、私は「論爭」と呼びます。「お喋り」とは嗜好にかかはる議論であり、「論爭」とは道徳にかかはる議論である、と言ひ換へても好いでせう。
うどんが好きな人間が同時に蕎麥も好きであつたり、犬が好きな人間が同時に猫も好きと云ふ事は大いに有り得ます。しかし、上記の例において、大西巨人の意見に贊成すると同時に渡部昇一の意見にも贊成する事は有り得ません。道徳にかかはる議論(「論爭」)においては、我々は「あれも、これも」と云ふ八方美人的態度は許されず、「あれか、これか」の嚴しい選擇をせねばならない。
>言論による戰ひである以上、まづ自分自身の考へを他人にも理解出來るやうに整理し、それを出來るだけ正確に傳へるように努力し、相手の書いた事も正確に讀取るように努力する必要はあります。
自分の考えを、他人に理解できるように伝えること。相手の考えも正確に理解すること。私に努力が必要と思っています。
しかし、私は、言論による闘いと思ってやっているわけではありません。木村さんとの意見の違いを述べ合っているつもりでいます。勝敗は、もちろん関係ありません。合意できれば一番いいのです。また、違いが分かればそれでいいのです。議論が、勝ち、負けになると序列につながると思うのですがどう思われますか?
最後まで、掲示板の閉鎖に反対すべきでした。
掲示板の閉鎖がどのような意味をもっているかということが、やっと分かりました。
アレクセイさんは半ば、演じてみせていたのです。
異形なるものを。
如何に、自分の平等観が観念的であるかがわかりました。
掲示板の閉鎖は秩序の名の下に異端を排除することです。
私が、その一役をかっていたということです。
悔やんでいます。
>赤人さんに、気持ちが伝われば充分でした。
しかし、前囘も指摘した通り、AZさんの文章は、そんな書き方になつてゐませんよ。明らかに答へを求める質問ですよ。「氣持ちが傳はれば充分」と云ふのは、今になつて取つて附けた嘘です。嘘と云ふ言葉が惡ければ、錯覺です。AZさんの文章がそれを物語つてゐます。
さらに云へば、たとへAZさんが「囘答への期待は無い」と主張したとしても、大西・鈴木兩氏は囘答すべきです。拙い喩へかもしれませんが、成人した息子から暴力を振るはれて半死半生の老母が、「私は息子を恨んでゐません」と訴へたからと云つて、見て見ぬ 振りは出來ません。暴力息子は罰を受けねばならない。
鈴木さんは「まだ我慢をして掲示板を読み続けている方で、ご意見のある方はお寄せください」(246. メッセージボードの閉鎖について(2) 管理者・鈴木康之 2001/07/01 (日) 15:54)
と讀者に意見を募りました。自分がさんざん木村・アレクセイ批判を煽つた後だから、皆から「木村を即刻退去させろ」だの、「掲示板復活後もアレクセイの投稿を許すな」だの、都合の好い「意見」ばかりが出ると高を括つてゐたのでせう。ところが、出たのは赤人さんへの眞劍な問ひ掛けだつた。主宰者側の呼び掛けに應へてAZさんが質問したのですから、呼び掛けた大西・鈴木兩氏は何らかの形で應へるべきです。「何でもお寄せください」と云つておいて、寄せられた意見を一切無視する事が許されないのと同じ道理です。
さて、第二信です。
>返信で書いたことが、木村さんにとって受け入れられないものだということは、すでに分かりました。
うーむ。延々と書いて來たのに、それを讀む前に「すでに分か」られて仕舞ふと、女房の眼を盜んで夜更かししてゐる私の立場が無いのですが。本當に分かつたのですか?
>「教祖を守っているだけだと。」
>何もできないなら、私は、沈黙しておくべきだったと?
うーむ。矢張り、あんまり分かつていらつしやらないやうです。AZさんが本當に赤人さんのファンで、今囘の赤人さんの行爲を正しいと信じていらつしやるのなら、赤人さんを擁護する論陣を張るのは理解出來るし、眞劍に實行する事は立派だと思ひますよ。私に云はせれば、「敵ながら天晴れ」。但し、言論による戰ひである以上、まづ自分自身の考へを他人にも理解出來るやうに整理し、それを出來るだけ正確に傳へるように努力し、相手の書いた事も正確に讀取るように努力する必要はあります。
人一倍勝ち負けにこだはる私が云ふのも何ですが、勝ち負けなど問題ではありません。負けたら、また戰へば好い。AZさんだつて、議論に參加したからこそ、アレクセイさんから手嚴しい批判を受け、何かを學ばれたのではありませんか。あの批判は私も勉強になりました。甘えを斷ち、他人と眞劍に議論を戰はす。それが惡い事である筈はありません。
>木村さん自身、後の書込みで、すぐに返答を期待していたわけではない。コラムででも、近い将来であれば、著作のなかででもいいと思っていたと書かれていましたね。
仰る通り、赤人さんがコラムや著作で反論してくださつても勿論結構です。昨日の書込みでコラムに觸れなかつたのは、以前の記述と重複する煩雜を避けただけです。但し、コラムや本で答へる氣持ちがあるのなら、その意思表示自體は、もつと早く出來る筈だし、するべきです。我々投稿者は、一應「お客さん」なのですから、その程度の配慮はあつてしかるべきでせう。
しかし、はつきり云つてしまへば、赤人さんがコラムや著作で實質的な反論を書く可能性は極めて低いでせう。赤人さんの底の淺い、政治主義に盲いた文章を讀めば、それが能力的にも心理的にも難しい事は判ります。私は、大西巨人さんの文章にも疑問點がない譯ではない。具體的にはいづれこのサイトで書きますが、しかし巨人さんなら、いつかその疑問に答へてくださると私は信ずる事が出來る。巨人さんの懷の深い・政治主義に盲いない文章を讀めば、信ずる事が出來る。だから私は、巨人さんに性急に答へを求めたりはしません。ところが赤人さんの文章には、期待を抱かせる部分が皆無とは云はないが、殆ど無い。だから私は、赤人さんが十日間返事をくださらなかつただけで、「豫想通 りだ」と確信し、容赦ない調子で、批判した(出來た)のです。
>ましてや、赤人さんお一人のサイトではありません。
巨人さんと掲示板を別にすれば濟む事です。第一、互ひに獨立した言論人なのに、掲示板を共用にするのも妙な話ぢやあありませんか。私やアレクセイさんのやうな、「巨人ファン且つアンチ赤人」の人間は一人もゐないと思つたのですかね。先代貴ノ花のファン全員が今の貴乃花のファンでもあるまいに。
>あれは、あくまでも質問です。回答は、できれば、木村さんのご批判に応えていただくことです。私への返信は望んでいません。
私は、さう云ふ形態(木村の批判に應へる事)も含めて、「囘答」と云つてゐるのです。だから、AZさんが赤人さんに(掲示板やコラムでの)反論を期待してゐたとすれば、それは、「囘答を期待してゐた」と云ふ事になるのです。私の呉さんへの手紙だつて、直接の御返信でなくとも、講演か何かで答が聞ければ好かつたのです。だが、これも「囘答を期待した」事に變はりはありません。
>掲示板は、読者の議論の場として設けられたものではないですか?
例へば、弊サイト「地獄の箴言」では、主宰者兼管理人の私(木村)が御覽の通り、しやしやり出て來て書きまくつてゐます。他のアマチュアの大半の掲示板も同樣でせう。サイト運營において、アマとプロとを機械的に區別 ・差別する理由はありません。それに、「今週のコラム、小説、評論等へのご意見ご感想をはじめ、サイトに対するご意見ご希望、また、政治・社会・スポーツ・映画・音楽へのコメントなど、何でもお寄せください」と云ふ大西掲示板の説明からは、「主宰者は掲示板の意見・感想に一切言及・反論しない」と云ふ趣旨は全く讀取れないのだから、後になつて「主宰者は反論しない事になつてゐる」などと主張する權利はありません。
「時間の制約により、投稿にはコメント出來ない場合が多いと存じます。惡しからず御諒承ください」とでも説明にあれば、事情はかなり違つたでせう。ところが現實には、鈴木氏は自分たちの説明不足を棚に上げ、「過去ログを讀めば判るやうに、掲示板には一度も『關與・介入』した事がない」と、さも私が怠慢ででもあるかやうな云ひ方をする。これは二重三重に無禮・愚劣な言ひ種です。
第一に、掲示板に集る人は、少なくも内心では、主宰者のコメントを期待してゐるのだから、「わざわざお越しくださつたのに、時間的な制約で書込めなくて申し譯ない」と恐縮して見せるのが禮儀と云ふものです。ところが、「一度も『關與・介入』した事がない」と惡びれもせず語る鈴木氏の言葉には、そんな謙虚な氣持ちが微塵も感じられない。第二に、いやしくもプロの言論人たる赤人さんが、過去に議論に一度も加はらなかつた事實を、さも賢明な判斷ででもあるかのやうに吹聽する事がどうしようもなく愚かです。自分たちが面 倒を避ける爲に過ぎないのに。第三に、「過去にやらなかつた」事が、直ちに「現在・將來もやらない」事の正當な理由になり得ると考へるところが、これまた愚かです。
>赤人さんは、それ以前にも掲示板に関わっていなかったわけです。関わるのであるとしたら、それ以降のことも考えれば、それ相当の覚悟が必要です。個別 の手紙というのとは違います。今回だけというわけにも行きません。それには10日は十分な時間だったでしょうか?
質問・コメント要求が殺到するのが嫌ならば、上に書いたやうに、「時間の制約により、投稿にはコメント出來ない場合が多いかと存じます」とでも事情を明記すれば宜しい。そのうへで、どうしても答へざるを得ない・答へるべきものにだけ、簡略に答へれば濟む事ではないですか。成る程、時々は私のやうなしつこい人間がやつて來て、多少面 倒な事になるかもしれない。しかし、その程度の「事件」ならアマチュアだつて立派に捌いてゐるし、大西掲示板には鈴木さんと云ふ專門管理人がゐるのだから、鈴木さんの判斷で、赤人さんの負擔を幾らでも輕く出來る筈です。子供ぢやああるまいし、この程度の事を決斷するのに、十日もかかつて堪るものですか。
そもそも、忘れて貰つては困りますが、赤人さんは最初から答へる氣がなかつたのですよ。鈴木さんが最後になつて明言したではありませんか。「主宰者・管理者は、掲示板の内容にそれぞれ共感、異論、反論、等を持っていますが、それらを表明(提示)することにより、むしろ結果 的に主宰者・管理者も巻き込まれた応酬になることは芳しくないと考え、皆さんの自由な書き込みに任せてきました」(244. メッセージボードの閉鎖について(1) 管理者・鈴木康之 2001/07/01 (日) 15:50)。要するに、「共感、異論、反論」を表明する積りがハナから無いと云ふ事です。前囘も書いた通 り、私の眼力が正しかつたのです。一ヶ月も二ヵ月も待つてゐたら、こちらが馬鹿を見るところでした。それにしても、「主宰者・管理者も巻き込まれた応酬になることは芳しくない」とは、つくづく自信の無い、プロの言論人として情けない科白です。
返信で書いたことが、木村さんにとって受け入れられないものだということは、すでに分かりました。
「教祖を守っているだけだと。」
何もできないなら、私は、沈黙しておくべきだったと?
>そもそも、私が「十日間では少し短すぎるから、あと十日待つてみよう。いやいや、一ヵ月待つてみよう」と考へ、實行したところで、赤人さんから反論が返つて來る可能性があつたでせうか。ありはしない
掲示板は、読者の議論の場として設けられたものではないですか?
赤人さんは、それ以前にも掲示板に関わっていなかったわけです。関わるのであるとしたら、それ以降のことも考えれば、それ相当の覚悟が必要です。個別 の手紙というのとは違います。今回だけというわけにも行きません。それには10日は十分な時間だったでしょうか?
木村さん自身、後の書込みで、すぐに返答を期待していたわけではない。コラムででも、近い将来であれば、著作のなかででもいいと思っていたと書かれていましたね。ましてや、赤人さんお一人のサイトではありません。
>。AZさんも同じやうに期待してゐた筈です。假に赤人さんの「參入」はあり得ないと云はれてゐたとしても。私は、手紙に「感想」と明記しましたが、AZさんはどこにも「自問自答」などと書いてゐませんし、素直に讀めば、囘答を(おずおずとであれ)期待した質問としか讀めません。自分を誤魔化さないでください。
あれは、あくまでも質問です。回答は、できれば、木村さんのご批判に応えていただくことです。私への返信は望んでいません。
赤人さんに、気持ちが伝われば充分でした。
不十分と思いますが、のちほど。
そもそも、私が「十日間では少し短すぎるから、あと十日待つてみよう。いやいや、一ヵ月待つてみよう」と考へ、實行したところで、赤人さんから反論が返つて來る可能性があつたでせうか。ありはしない。管理人の鈴木康之氏が「主宰者は掲示板に『關與・介入』しない」と馬鹿な事を後になつて明言したではありませんか。いつまで待つても骨折損だつたわけです。赤人さんは今に到るまで、その自分に都合の良い「ルール」を破るでもなく、囘答どころか一言の發言もしない。十日後に赤人さんを見切つて罵り始めた私の眼力が、正しかつたと云ふ事ではありませんか。
「お前(木村)やアレクセイが亂暴な言葉を使ふから、赤人さんは答へる氣持ちを無くしてしまつたのだ」と云ふ意味の事を、鈴木氏が發言してゐました。AZさんも同樣のやうです。しかし、これほど赤人さんを甘やかした言ひ分はない。掲示板で發言しなくとも、私の批判に對する赤人さんの反論を讀みたい讀者は、少數或は多數、存在する筈です。現にAZさん御自身、「反論を期待してゐた」と書いたではありませんか。私一人の言葉遣ひが「亂暴」だからと云つて、他の讀者への「説明責任」を怠つて好い理由にはなりません。また、私自身の「亂暴」な言葉遣ひが正當である事は、すでに説明しました。黒は黒、白は白です。好い歳の大人が、ちよつと罵られたくらゐで、臍を曲げないで貰ひたいものです。
さらに百歩讓つて、作家によつては、「電子掲示板のせせこましいスペースでは自分の意を十分に傳へる事は出來ない。だから掲示板には書かない」と云ふ主義の人もゐるでせう。しかし、赤人さんは自分からウェブサイトを拵へ、掲示板を設置し、そこには「今週のコラム、小説、評論等へのご意見ご感想をはじめ、サイトに對するご意見ご希望、また、政治・社会・スポーツ・映画・音楽へのコメントなど、何でもお寄せください」と書いてゐるのですよ。「何でもお寄せください」と自分の方から頼んでおいて、いざ批判が來ると完全無視なんて事が通 りますか。まあ、鈴木氏の「批判は書いてくださつて構ひません」と云ふ「うつかり發言」が物語るやうに、本音は「書く場所を與へてやるから、賑やかな雰圍氣を釀出すやうに(當たり障りの無い事を)いろいろ書け」と云ふ傲慢な氣持ちなのでせう、本人たちは意識してゐないでせうけれども。
さて、AZさんの文章の續きです。
私への道義的責任を言われていますが、7月4日の書込みは、読んでいただければ分かる事ですが、いわば自問自答したものです。赤人さんの掲示板への参入はないということは、すでに管理人さんより言われていた事ですので、返信を期待していたものではありません。期待していない人に返信を書かなかったといって、道義的責任はあるのでしょうか? (同前)
AZさんの「7月4日の書込み」は、題名が「大西赤人さま」、本文中にも「赤人さんに質問します」。どこが「自問自答」ですか。どこが「讀んでいただければ分かる事」ですか。アレクセイさんぢやあないですが、そんな言ひ方は甘えてますよ。
私は、呉智英さんへの手紙で、自分の立場を辨へて「感想」と書きました。しかし本音では返信を期待してゐました。AZさんも同じやうに期待してゐた筈です。假に赤人さんの「參入」はあり得ないと云はれてゐたとしても。私は、手紙に「感想」と明記しましたが、AZさんはどこにも「自問自答」などと書いてゐませんし、素直に讀めば、囘答を(おずおずとであれ)期待した質問としか讀めません。自分を誤魔化さないでください。
閉鎖される「大西掲示板」での議論の續きをここに書きます。AZさんへの御返事です。
お行儀がわるいと言った事はお詫びします。
しかし、赤人さん、鈴木さんがそんなに卑怯、非常識ですか?
木村さんが赤人さんを批判されて、10日ほどで返信のないことに憤っていましたね。呉智英さんなら、返信を期待せず、赤人さんなら許せないのですか?
(314. Re^3: 最後の最後まで AZ 2001/07/08 (日) 01:18)
弊サイトの文章をお讀みくださり有難う御座います。しかし私がその文章(「呉智英氏の思ひ出(3)」に明記した通 り、あれは確かに「實質的には質問」ですが、飽く迄も「名目」は「呉氏の主張に對する感想」ですよ。詰り、書いた本人(木村)が、「自分で十分に勉強もしないうちから、これらの事柄について正面 切つて質問するのは怠慢だし失禮だ」と考へながら、したためた手紙です。もしも返事が來なかつたからと云つて、憤る筋合のものではありません。にもかかはらず、呉さんはわずか半月後に御返事を(航空便で)くださつた譯ですけれども、これは「僥倖」と云ふものでせう。
赤人さんの場合は違ひます。そもそも、私が最初に書いた「大西赤人氏の惰性の言論を排す」は、「質問」ではない。「批判」です。通 常の意味での質問は、一方が他方に教へを乞ふわけですから、二人の關係は對等ではない。しかし、批判の場合は對等です。勿論、私はアマチュアの物書き・サイトの訪問者として、プロの物書き・サイトの主宰者である赤人さんに相應の敬意を拂ふべきだと思ひます。私の最初の投稿は、さうした「禮儀作法」に外れてゐない筈です。しかし、基本的な立場は飽く迄も對等です。
他の投稿でも書いた通り、赤人さんは、返答する意思が有るのか無いのかさへ、何もお答へになりませんでした。幾ら忙しくとも、この程度の事なら僅かな暇があれば十分でせう。これが私の憤つた理由の第一です。理由の第二は、具體的な反論が無かつた事です。これには少し時間が必要かもしれない。にもしても、十日間と云ふのは十分な時間ではないでせうか。アマチュアで「長文派」の私ですら、數時間もあれば相應の文章は書けます。
もしも赤人さんが多數の掲示板投稿者から批判を浴び、物理的に對應出來ない状況ならば、十日間は短いかもしれない。しかし現實には違つた。無論、ウェブサイト以外でお忙しい可能性はあります。それならば、すでに述べたやうに、せめて「囘答意思の有無」を明らかにすべきです。それすらやらないのは「非常識」としか云ひやうがない。
掲示板を有料ヴァージョンにしてみました。
近日中に閉鎖されるかもしれないので、未見の方はお早めに。http://hpmboard2.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=PXH01774
※ このページは木村貴氏のウェブサイト『地獄の箴言』から、
当該「大西赤人批判」に関連する時期の書き込みを、そのまま再現したものです。
なお、本文中のリンクは全てはずしてあります。