大西人文選』
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田中幸一 (アレクセイ)  

 

 『大西巨人文選』全4巻は、1996年8月から12月の間に、みすず書房から刊行された、大西巨人の編年体・エッセイ選集である。

 大西巨人の魅力を知りたければ、まずは『神聖喜劇』。次は『大西巨人文選』だ、というのが私の持論である。だが、なにしろ『神聖喜劇』は分厚い文庫5冊の超大作であり、くわえてあの「特異な文体」である。「さくさく読める」のだけが売りのような、昨今の作家のふやけた文章にならされてしまっている、ブロイラーのごとき読者に、はたして『神聖喜劇』は読み通 せるのだろうかと、危ぶまずにはいられない。それに比べれば『大西巨人文選』はエッセイ集だから、ひとまず短い。さらに第1巻など初期のエッセイは、近年の大西巨人らしい「ごりごりの文体」でもない。だから、ひとまず読みやすい。もちろん「読みやすいこと」と「わかりやすいこと」は別 物で、大西巨人の文章はいつの時代のものでも、その「硬度(抽象度)の高さ」ゆえに、「古びもせぬ 」かわり「わかりやすくもない」のである。くわえて『文選』は、定価が高い。中味の問題ではなく、単純に「ふつうの厚さの単行本が4600円もする」というのは、庶民感覚として「高い」としか言い様がないのである。だから、これもなかなか勧めづらいところがあった。内容の良さを少しでも知ってもらえれば、高くても進めやすい。だが、その魅力を平易に語る人は少ない。なにしろ大西巨人は「凄い」のだから、「凄い」ということを強調してしまい、結果 として「そんな凄い作家のは読めないや」という印象を与えてしまいがちなのである。ならばどうするか?

 やはり、自分で『文選』の魅力を語るしかない。平易に語る自信は無いが、とにかく自分でやってみるしかなかった。そして、どうせやるのならば大西巨人のお膝元、大西巨人のウェブサイト『巨人館』の掲示板でやってやろう、と考えた。

 ……これは、そういう「連載」なのである。

 

  2001年6月24日

 

・当連載は前記掲示板の閉鎖にともない、第7回以降は当ページでの、不定期書き下ろし連載となりました。(2001.7.9)

 

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―― 目 次 ――

 

『大西巨人文選』第 新 生

 

大西巨人エッセイ・タイトル

田中  
連載回数
田中  
執筆年月日
   (田中)
第1回
01.04.16
   1946
   独立喪失の屈辱
第2回
01.04.21
   映画への郷愁
第3回
01.05.06
   「過去への反逆」のこと
第4回
01.06.05
   「真人間のかぶる」物でない帽子・その他
第5回
01.06.14
   「あけぼのの道」を開け
第6回
01.07.06

   籠れる冬は久しかりにし

第7回
03.09.01
   創造の場における作家
第8回
03.11.26
  1947
 ●  冬を越した一本の花
第9回
 
 ●  「理想的人間像」とは何か
第10 回
 
 ●  新しい文学的人間像
第11 回
 
 ●  「小説の運命」について田舎者の考え
第12 回
 
  1948
 ●  横光利一の死
第13 回
 
 ●  作中人物にたいする名誉毀損罪は成立しない
第14 回
 
 ●  「二十世紀旗手」の死
第15 回
 
  1949
 ●  文芸における「私怨」
第16 回
 
 ●  中野重治著『国会演説集』
第17 回
 
 ●  天皇を見るの記
第18 回
 
  1951
 ●  運命の賭け
第19 回
 
 ●  兵隊日録抄
第20 回
 
  1952
 ●  林と河盛とにたいする不等な攻撃
第21 回
 
 ●  俗情との結託
第22 回
 
 ●  意図とその実現との問題 『静かなる山々』前篇批判
第23 回
 
 ●  『鴎外 その側面』のこと
第24 回
 
  1953
 ●  現代「滑稽的」小説
第25 回
 
 ●  「絶対的平和主義」の詐術
第26 回
 
  1954
 ●  青血は化して原上の草となるか
第27 回
 
 ●  「過渡する時代の子」の五十代
第28 回
 
  1955

 ●  畔柳二美(くろやなぎ ふみ)の小説一篇

第29 回
 

 ●  なんじら人を審け。審かれんためなり

第30 回
 
  1956
 ●  栗栖訳フチーク出版問題
第31 回
 
 ●  再説 俗情との結託
第32 回
 

 ●  あさましい世の中

第33 回
 



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