『大西巨人文選を読む ― 第

 

「独喪失の屈辱」について 

 

田中幸一(アレクセイ)


 「独立喪失の屈辱」は、『文化展望』誌の1946年 6・7月合併号が初出となるエッセイである。

 昭和37年・1962年生まれの私には、1946年と言われても、それが第2次大戦における日本の敗戦の翌年だと、すぐにピンとくることはない。昭和20年と言われた方が、まだしもマシである。はたして私より年下の人たちは、私よりはいくらかは西暦に馴染んでいるはずだと思うのだが、このあたりの感覚はどんなものなのだろうか。

 「独立喪失の屈辱」というエッセイの内容を要約すると、

知識人(インテリゲンチャ)は、独立が失われたわが国の現状に、誰よりも心を痛めているはずである。そしてそれと同時に、そういう状態にわが祖国をいたらしめた責任をも、痛感しているはずである。独立が失われた今だからこそ、知識人の責務はいやまして重要と言わねばならない。ところが、現今の『軽佻』さはどうしたことか? われわれ知識人は、再び国運を過たつことのないように、独立喪失の『屈辱の苦杯を反芻三雛しなければならぬ 。恥を知る者は、強い』からである。

というようなものだ。

 

 この意見に反対するものは、まずなかろう。「知識人」ならば、自分の責務を胸に刻んで、社会に貢献しなければならない。それこそが「自覚(認識)ある」我々「知識人」の、社会や祖国に対する真の「恩返し」であり「誇りある生き方」だと言えよう……というようなことを、大西はここで語っているのであろう。

 しかし、当然のことながら、この意見は「君が誇りある知識人を自負するのならば」という条件付きで、「当然、こうするであろう。しないではいられまい」というものなのであって、この文章の読み手が、もし「知識人としての誇り・自負・自覚」といったものを「持たない」と主張した場合、この意見はそうした相手には全く無効だということになる。

 ここで私たちが考えなければならないのは、1946年当時、大西が「知識人」と呼んだ人々と、現在「知識人」と呼ばれている人々とは、はたして同じものなのかということ。そして、そもそも現代において、「知識人」というのは、それほど明確な存在なのかということである。

 大西がこのエッセイに引用している『キューリー夫人』には、『それは、新しいゼネレーションの精神を双肩に担う知識人、すなわち芸術家、僧侶、学校教師であった。』という表現が見られる。無論、これが1946年当時の日本の知識人を、そのままに指しているわけではなかろう。けれども、国民の大半が高等教育を受け、9割に近い大学進学率が実現している今日と、高等教育がまだまだ「選ばれた者」に限定されていたであろう当時とでは、「知識人」というものを、単純に同一視できないのは、自明に属する事実なのではあるまいか。

 単純な話、1946年当時は高等教育を受けた者は、ひとまず全員「知識人」だったのではないだろうか。個人の能力差や自覚の問題は抜きにして、ひとまず彼らは「知識」と「教育」に恵まれた「選ばれた人」たちだった。だからこそ、その身の幸運を自覚して「世間に恩返し」しなければならない。それが「選ばれた者の使命」だ……という風に考えることも出来たのではないだろうか。

 ところが、今日のように、大半の者が高等教育を受け、「知識」の恩恵を受けるようになってしまうと、それは自ずと「当たり前」のことになってしまう。それが「恩恵」だという認識は薄れるだろうし、それに伴って「恩返し」の必要や、社会に対する「使命感」やが薄れてしまうのも、もはや必然だと言わなければなるまい。そうした意味で、現代には、かつてのような「社会から選ばれて、知識や教育の恩恵を受けた人」としての「知識人」は実質的に消失してしまい、後に残るのは「特別 に、博学有能な人」としての「知識人」。「社会との関係の中にある知識人」ではなく、「個人的有能者としての知識人」だけ、ということになるのではなかろうか。

 そうなると、大西が「独立喪失の屈辱」のなかで主張した『知識人ならば』という論法は、「現代の知識人」には必ずしも響かなくってしまう。それが響くか否かは、個人の「自覚」の問題であって、「知識人であるか否か」の問題ではなくなってしまったからである。

 例えば、私自身が「知識人」か否かと、他人に問われれば、「私は大学にも行っていないし、一介の凡庸なサラリーマンに過ぎない。だから、客観的に見れば、私を知識人と呼ぶのは妥当ではなかろう。しかし、自覚の問題としてなら、私はそこいらの大学教授なんかよりも、ずっと知識人だと自負している」と答えるだろう。

 つまり「現代の知識人」を基準に判断すれば、私は「知識人」ではありえない。けれども、大西が「独立喪失の屈辱」の中で言った「知識人」の基準に照らせば、私はその「責務と使命を自覚し自負する者」として、立派に「知識人」なのである。

 したがって大西の「独立喪失の屈辱」を読む時、我々はそこで使われている「知識人」とは、今で言う「知識人」ではなく、実質的には『自覚人』のことなのというだということを踏まえておかなければならない。そして『自覚人としての知識人』は、今も昔も決して多数者ではありえないということをも認識しておかなければならない。

 「知識」というものは「ただ単に制度的教育によって与えられた、便利な個人的道具」などではない。それは「個人的用途を超え出る、神聖な道具」だということを、我々は知らねばならない。そうした認識なしで大西のエッセイを読んでも、それは多分「反論のしようのない、ご立派なご意見」に止まり、ついには「他人事」に終わってしまうだろうからである。

 たしか丸山圭三郎に『博識の中に眠り込んでしまう知性』という言葉があったと記憶するが、「知識」をそういうものにしては、決してならないのである。「知識」は「知性」の道具であって目的物ではない。そして、優れた「知性」が見い出すもの。それはたぶん、この世界における「自己の使命」なのではないだろうか。

 一律になる必要はない。また「個々の使命」とは、そういうものではなかろう。自分にしかなしえない、この世における「使命」を見い出し、それに励む者。それが真の「知識人」なのだと、私は思う。大西に倣って言えば『己を知る者は、強い』ということである。

 

 

  2001年4月21日


【第1回へ】  【第3回へ】

『大西巨人文選』を読む-目次へ】

神聖記』トップへ

【LIBRAトップへ】  【LIBRA-MENUへ】   【BBSへ】