『大西巨人文選を読む ― 第

 

「「あけぼのの」を開け」について 

 

田中幸一(アレクセイ)

 「「あけぼのの道」を開け」は、1946年6月に執筆され、『文化展望』の同年9月号に掲載されたエッセイである。

『緑雨が生きた時代にも、すでに「大名」も「穢多」も存在しないはずだった。現代には、もはやますます「大名」も「穢多」も存在しないはずである。もしもしかし公然と語られる言葉としてそれらが存在しないというだけに過ぎなかったならば、言い換えればもしも「君も人なりわれも人なり。」が国民全部の意識的ならびに無意識的な血肉に浸透し尽くしていなかったならば、事情はほとんど緑雨の時代と異ならぬ であろう。「部落民」と呼ばれた一部日本民族についてのみ、僕は、必ずしもここで語っているのではないが、なにしろ総じて単数あるいは複数の人間を単に血統、身分、出生などによってのみ尊敬することも軽蔑することも、ひとしく許されざる非人間的現象でなければならない。しかもこのような自明の命題が改めて事新しく叫ばれ強調されねばならぬ 、というごとき、そんな実状の国家が、今日の日本なのである。「大名」とか「穢多」とかいう古語〔?〕にそれぞれ適切に対応する新語〔?〕をも、僕らは、現代の(貧富ないし階級の差に基づいて生まれ出た)多くの名辞の中に、いくらでも求めて得ることができる。そういう情況、このヒューマニズムの全的蹂躙、人間侮蔑の状態・制度は、その意志あるいは無意識といっしょに、徹底的に打破されねばならぬ 。』

 「差別」は無くならない。人間がいるかぎり、決して無くなりはしないだろう。けれども、その現実に屈せぬ 精神。悪しき現実に抗して立つ精神。すなわち「反逆精神」こそが、作家の命である。いや、「作家のすべて」である。……大西巨人のいう「作家」とはそういうものだ。

 だが、そんな作家は少ない。大西巨人が『このような自明の命題が改めて事新しく叫ばれ強調されねばならぬ 、というごとき、そんな実状の』文壇が、今日の日本の文壇なのである。

 たとえば、私は大西巨人の実息で作家・批評家である大西赤人について、下のごとく評したことがある。
 (1)は、大西赤人を批判したアマチュア評論家 木村貴宛ての形式で書かれたもの。
 (2)
は、私が大西赤人をどう評価しているかを、簡単に説明したものである。

(1)『ひと言で言えば、大西赤人さんの作家生命を奪うつもりで徹底的にやってください(笑)。/言うまでもないとこですが、私にとっては大西赤人も木村貴もありません。どちらも「名前」としては大して興味が無いんです。問題はもちろん中味で、私は貴方の方をずっと高く評価しています。はっきり言って赤人さんの批評は「浅くてつまらない」んです。真面 目なんでしょうが、眠いんですよ。貴方の指摘を待つまでもなくね。だから赤人さんに比較して「ずっと高く評価」されたからといっても、どうということはありませんから、この掲示板から強制排除されるくらいまでやれ、と言いたいんです。そこまでやってくれたらファンになりますよ、私は(笑)。』
(ウェブサイト『大西赤人/小説と評論』 『巨人館』 共用掲示板への、2001年6月26日の書き込み「「鳴かぬ なら鳴かせてみようホトトギス」……それでダメなら「殺してしまえホトトギス」」より)

(2)『以前、私は大西赤人の『スターリングラード』評を読んで、『意味不明』と評した。なぜ、そう評したのかと言うと、ここで木村が指摘しているとおり「当然示されているべき根拠が、示されていなかった」からである。私の場合は、木村のようにその根拠を探してみるというような、そんな手間な(面 倒な)ことはしなかった。なぜなら、それはこの文章が「当然示されているべき根拠が、示されていなかった」という段階で既に「ダメ」な文章だと決定済みであり、そんな文章やそんな文章の書き手にかかわっていられるほど「暇ではない」と判断したからだ。/木村は『ひよつとすると他の文章で既に説明濟なのかと思つてサイトを探してみたが、やはり、どこにも存在しないのである。』とくそ真面 目に報告しているが、さらに他所を探してその「根拠」とやらを見つけたところで、どうせそんなものは、読むにも値しない『左翼紋切り型』に決まっている。それ以上のものが書けるんだったら、はじめからもう少しまともなものを書いていたことだろう。ああいう「拙い文章」が書けるのは、作家の能力がそこまでのものでしかない、ということにほかならない。死者に対する無神経も、「冷酷だから」というような、そんな「カッコイイ」ものでは断じてあるまい。単に「無神経」でそこまで気が回らなかっただけなのである。単なる「無能凡暗」の故なのだ。』
同掲示板への、同年6月30日の書き込み「「唾棄すべき政治主義」評」より)

 私の、この言い方を、ずいぶん乱暴なものだと思う人もいるだろう。事実、この文章を、この掲示板の管理者である(職業編集者)鈴木康之が、以下のように評して批判した。

『より大きな問題は、それに続く田中幸一(アレクセイ)さんの書き込みです。ふざけた口調での、人をおとしめるような発言、揶揄は目に余るものがあります。(中略)田中さんは、それが自分の表現方法だ、言論の自由だとうそぶくかもしれませんが、大西巨人さん、赤人さんのサイトを訪ね、掲示板があることを知り、のぞいてみた人が不快な気持ちになることは間違いありません。このような状態となった掲示板を、サイトに付属するものとして置いておいても、何ら益のあるものではなく、管理するものとしても、不快以外の何ものでもないというところです。』

私が、鈴木のこの文章を読んで「ぬるい」「眠たい」と思ったことは容易にご理解いただけよう。批評に対して言う言葉が『不快以外の何ものでもない』。これがプロの編集者の言うことなのだから、物書きの世界も推して知るべしというべきであろう。私は、鈴木のこうした批判に対し、

ふざけた口調』は批評文学の伝統ですよ。巨人さんの「『先生』付け批評」も、本質的には同じだと言ったら、巨人さんはそれを否定するんでしょうかね?』
同掲示板への、同年7月1日の書き込み「バージョン2001「俗情との結託」」より)

と軽くあしらっておいたが、ここではもう少し補足説明しておこう。すなわち、私の「大西赤人は物書きとしてダメだという確信」と、それに由来する「にベもない評価」は、つぎのような「大西巨人の確信」とまったく同じものなのである。

『できた作品が優れていたら、その作家は「本来の」作家なのだ。また作家が「本来の」作家であったら、作品も勝れた物になるはずだ。さらにまた、そういう作家においては、前述の打破・反逆精神が制作以前の場における彼の血肉に浸透しているはずだ。』
              (「「あけぼのの道」を開け」より)

 大西赤人の作物は「不出来」である。少なくとも私が読んだ「批評文」は、プロのものとしては「凡庸」の域をまったく出ないものだ。彼が「素人」なら、まあ「書ける人」くらいの評価をしても良いとは思うが、彼は「素人」ではなくて「プロ」なのだから、そんな彼を「素人」の基準で「高く評する」わけにはいかない。それは彼、大西赤人に失礼だからである。

 ともあれ、そんなわけで大西赤人は「凡庸」な作家であり、一言でいえば「ダメ」な作家である。したがって、彼は大西巨人言うところの『「本来の」作家』ではない。たまたま親が作家で、早熟な才能が十代の頃にはあり、さらには血友病という世間の耳目を集める要素もあったため、作家としてデビューし、その結果 、それ以後さしたる業績もないままに作家を続けてきたという「非・本来の」作家なのである。だから、『そういう作家においては、前述の打破・反逆精神が制作以前の場における彼の血肉に浸透してい』ないはずだ。事実、私や木村貴が大西赤人を批判したのは、彼の「差別 」的な「特権階級意識」なのである

  大西赤人は、大西巨人の実の息子である。だが、だからと言って「巨人の意志」が赤人に受け継がれるということはなかった。文学においては、いや、人の生き方においては、そういう「血脈」などというものは無いのである。

  大西巨人は、イギリス文学研究家 織田正信の「永遠の叛逆者」の前奏曲は奏ではじめられた。その道を阻むものは、焼きつくされるであろう。/生命まで燃焼しつくして ― 何処へ行く。独り行く者の跡を追うものは誰か。という文章について、こう語った。

『掲出文にたいする感動感激は、私の中に持続する。いまも私は、掲出文を銘記していて、忘れない。少年私は、『「独り行く者の跡を追うものは」おれだ。』とひそかに思ったのであったが。』
              (大西巨人『春秋の花』より)

 無論、私は、大西巨人のこの文章を読んで「独り行く者の跡を追うものは」おれだ。とひそかに思ったのであったが。、今となっては、さらに「大西赤人ではないぞ。「独り行く者の跡を追うものは」この俺だ。」そして「あけぼのの道を開くのも、この俺だ。俺の行くその道を阻むものは、焼きつくされるであろう。と思うのである。……ひそかに思うだけではなく、ここにこうして明記しておこう。

 

 

  2001年7月6日

 

 

補 記

 本連載のなされていた『大西赤人/小説と評論』『巨人館』共用掲示板が、上記「第6回」がアップされた二日後の7月8日の閉鎖された。(※ 閉鎖の経緯については大西赤人批判を参照願いたい)

 あれから既に2年以上の月日が経過している。 その間に大きく変わったものもあれば、変わっていないものもある。
 変わったものとは、私の「木村貴」評価であり、変わっていないものとは、私の「大西赤人」評価である。
いずれにしろ、どうやら私は、木村貴を過大評価していたようだ。そして「過大評価」というものは概ね、自己の「願望」に由来するというのが、私の近年の理解である。つまり私は、無名人木村貴の大西赤人にたいする姿勢に、ある種の理想を見てしまった。自分の「斯くありたい」と願うものをそこに重ねて、木村を理想化してしまっていた。自分の理想を木村貴に重ねたため、そこに伏在した問題点を見抜く、冷静さを失ってしまっていたのである。その事実が否定できないものとなった今、かつて一度でも木村貴を高く評価したことは、私にとっての一大痛恨事となった。……だが、これはまぎれもなく、私の問題点と二流性を示す事実でもあるのだ。 この点を反省することで、はたして私は「本物」になれるだろうか? 
 私は上記『大西巨人文選』を読む  第6回 で、大西巨人の『できた作品が優れていたら、その作家は「本来の」作家なのだ。また作家が「本来の」作家であったら、作品も勝れた物になるはずだ。』という言葉を引いて、これを支持している。その認識は、今も変わらない。したがって私は「下した評価が適切であれば、その批評家は「本来の」批評家なのだ。また批評家が「本来の」批評家であったら、評価も適切な物となるはずだ。」と考える。つまり木村貴について「不適切な評価(過大評価)」を下した私は、単にその評価が誤っていたと認めるに止まらず、私そのものが「本来の」評論家ではなかったという事実をも認めねばなるまい。この一点において、私に言い訳の余地はない。まさに自業自得である。
 だが、自己を「本来の批評家ではない」と自認したとしても、私は『私の問題点と二流性』 を放置しておくわけにはいかない。「本来の批評家ではない」者は、どこまで努力しても「本来の批評家」にはなれない。それが「本来」性というものなのではあるが、私は『私の問題点と二流性』の上にあぐらをかくことをも許されない以上、それとの格闘は避けられない。私は「本来の批評家ではない」、つまり二流である。したがって私は『本物(=本来の批評家)』にはなれない。だが、私は自己の二流性と戦わねばならない。これは当然の責任であろう。


 上記掲示板の閉鎖後、大西赤人批判で共闘した木村貴と、私(アレクセイ)を含む当サイト(『LIBRA アレクセイの星座』)関係者との間に「正字正仮名」論争 が勃発し、関係が急速に悪化。その結果、木村貴と木村の「正字正仮名」の盟友である野嵜健秀が、憎悪をむき出しにして当サイトの掲示板荒らしを始めるという最悪の自体に立ち至った。

 また、そうしたごたごたの最中に、世間では、かの9.11ニューヨーク多発テロ事件が発生。アメリカは急速に「対テロ戦争」へと傾いてゆき、日本もその渦に巻き込まれていった。

 このような「私的」「公的」な事情の発生によって、第6回までアップされていた当サイトの『大西巨人文選』を読むも長らくその中断を余儀なくされたが、このたび楽古堂主人・大内史夫の『天酒房 楽古堂』の閉鎖させていただくことにより捻出した時間で、連載を再開することにした。どの程度のペースでの連載が可能かは、いまだ不分明なるも、再開するからには地道に継続していかねばと考えている。

 次回「第7回」からは、本サイト『神聖記』のコンテンツ『大西巨人文選』を読むへの「書き下ろし連載」ということになるが、前「第6回」から2年の長きを経ている以上、私のものの考え方にも多少の変化はあったはずで、その意味では「第6回」と「第7回」の間には、時期だけではなく、内容的な断層のあらわれる可能性が大である。そのため、あるいは矛盾と映る部分も出てこようかと思うが、それが進歩に由来するもなのか、あるいは退歩に由来するものなのかの判断は、読者諸兄それぞれの判断に委ねたいと思う。

 

  2003年9月1日

 


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