2003年 03月 31日 12時 40分 49秒 〜 04月 10日 01時 19分 00秒
※ いちばん下から上へ、ご覧下さい。
こんばんは。上のURLに、公明党がイラク攻撃支持することになった経緯の記事が載っています。必見です。
しかし、先日希望の論理で夢野さんが紹介された先生の長編詩を読んだ上で、上の記事を読むと、強い違和感を感じます。
それとも、私の先生の詩の読み方が間違っているのでしょうか?皆さんはどう思われますか?
>「状況が意識を規定する」という、まるで左翼系インテリの言動じゃないの、と見間違うような皮相な視点とスタンスに立つことには大いに疑問があります。
公明党、あるいは創価学会が時の流れとともに変っていったのか、そうではないのかということはそれぞれの信仰観に委ねられることですから色々な意見があっていいのだと思います。
今の公明党はおかしいとか創価学会は間違っているという主張もそれはそれでいいでしょう。しかしながら、ずっと議論の推移をみていると特定の個人に対する批判に集中し始めており、そういった議論の推移と結論に有効性があるのかと問いかけたものです。
たしかにあなたの指摘する師弟不ニという視点を、わたしは信仰を持続していく過程で実感としてもつに至っていないというのが正直なところです。創価学会を社会的存在として必要不可欠なものに形成し、教団の精神的支柱であるという以上のものを見出すことはできていません。その点はいわれるまでもなく認めるところですが、それはわたし一人とは思えません。
だから逆にお聞きしたい。あなたの信仰を支え続けている師弟不ニとは何ですか。
>「反体制運動を展開する」ことが正しいなどという前提に立っておられるのなら、そもそもその視点に問題はありませんか?
正しいと言っているのではありません。むしろそういう考え方をもつこと自体無理があるといっているのです。反権力などという一転に集中して己を空しくして反体制運動を叫ぶこと自体、今の創価学会には馴染まないといっているつもりです。
>「創価学会は、貧乏人と病人の集まりだ」という世間の非難中傷こそは、誰が言わず認めなくても、創価学会の誇るべき「悩める者の側に立つ、差別 される者の側に立つ」スタンスではないのでしょうか。それは永遠にそのままでよいではないか、と僕は信じて疑いません。
これもわたしは否定しているわけではありません。むしろそれが創価学会の原点だからこそ、戦後の経済復興に結果 論として寄与してきたと言っているのです。否定しているのではありません、肯定しているのです。病気や貧苦、その他もろもろの社会的疎外感から脱却するために信仰を始めた人が多いということは否定するべきものでなく、軽蔑されるべきものでもなく至極当然のこと。わたしもその一人です。それは今も昔も変らない原点だと私は言っているつもりです。社会適応する基準としての既存社会が変容しているとう現実を無視しないで、現実に即して、それにスライドして社会的疎外感から実生活部分において脱却していったという《個々の体験》が語り継がれてきたことが、信仰を持続する上で大事だったはずだと思います。
わたしはその時々の社会に適応していくということをマイナス評価としていません。むしろそれで良いと思っています。もっといえばそうあるべきだし、時々の社会的価値観にスライドしながら受け入れながら継続的な運動が持続されていくのだと思います。まずあるべき姿がこうだといって、社会に過剰適応することを善しとしないという言葉こそ、これまでに散々言い尽くされたことであり、結果 として何も生み出せていないでしょう。それこそひ弱なインテリの左翼的言辞を弄しているとしか思えない。現実の社会そのものを大上段に振りかぶって否定した後に何が生み出されたのでしょう。
「身近な人間の苦悩を媒介として、それを救済しながら、新しい時代の文化創造を産み出すものとしてそれぞれが桜梅桃李の使命を果 たしていく」という結論部分は同じだと思います。
酔夢さんの疑問はよく解ります。ご指摘のように有効な問いとはいえませんね。
僕としては、学会員が米英の武力行使(を支持した公明党の行動)に一方的に全責任を負って懺悔すべき、あるいは組織の責任を追及する、というような議論の流れに対して、そういう視点が中心でよいのかなぁ、という思いから書いた事です。現下の戦いもあるけれど平和への戦いは先が長いし、内外という枠だけでなく、もっと別 にいろいろな視点から考えることがあってよいと想います。そして、米国の横暴と闘うには僕らの想像以上の覚悟が必要だろう、ということを皆さんはどう考えているのか、と想ったのです。
そもそも、それを今初めて考えなければならない、ということが問題ではあります。
>むしろ信仰を頑張れば頑張るほど権力や現行の体制を積極的に安定的に下支えすることになり、体制に実害の無い・侵食しない適度なガス抜きを組織総体として行いながら、積極的な体制護持の補完作用として機能してきたということであり、その構図は今も昔も変らない。
>没落した戦後の日本を支えた創価学会の運動そのものが、ウエルカムとして必然的にあるいは結果 論として、権力の維持強化と体制強化に拍車をかけてきたということにほかならない。
僕は、酔夢さんの上記のように「状況が意識を規定する」という、まるで左翼系インテリの言動じゃないの、と見間違うような皮相な視点とスタンスに立つことには大いに疑問があります。
これらは、さんざん言われてきたような話で、過去の左翼や共産党の学会認識とどこに違いがあるのでしょうか。
「創価学会のそもそもの信仰の原点は病気・貧苦・その他社会的疎外感から個々が脱することを第一義としたものであったと思います。」ということを、社会の最底辺で最も悩める民衆を救ってきたからこそ学会はスゴイ、といわずに、「積極的な体制護持の補完作用として機能してきた」などと、左翼論理丸出しに言って見せる酔夢さんのスタンスは、人を手段として高見から見て恥じることのない左翼や権力者のそれと選ぶところがないではないか、と僕には想えます。
「反体制運動を展開する」ことが正しいなどという前提に立っておられるのなら、そもそもその視点に問題はありませんか?
酔夢さんがそのような左翼的視座に立っているから、まさに戦後創価学会運動をそのように矮小化して理解し、だから共産党と衝突したなどというのは、共産党の代弁をしているにすぎず、貴方は何者なのですか? と問いたくなります。まさか、創価学会員に向かって立派な「人民」に成り上がれ、とでもいわれるのでしょうか。
巷間いわれてきたように「創価学会は、貧乏人と病人の集まりだ」という世間の非難中傷こそは、誰が言わず認めなくても、創価学会の誇るべき「悩める者の側に立つ、差別 される者の側に立つ」スタンスではないのでしょうか。それは永遠にそのままでよいではないか、と僕は信じて疑いません。
共産党と衝突するのは、酔夢さんのいう低次元の嫌悪するような喧嘩もあるけれど、選挙における支持基盤が近いということと、人間観の違いに起因する、といったほうがよいのではないでしょうか。そうした左翼だけでなく、権力サイドから最も激しくバッシングを受け続けた理由を考えれば、酔夢さんのいうような「権力の維持強化と体制強化に拍車をかけてきた」とだけしか言わないのは、かなり恣意的で一面 的な見方にすぎないだろう、と僕は想うのです。
それなのに、そういう創価学会の凄さ、民衆の力、信仰の力を、われわれ学会員自身が、忘れてはいけない最も重要な原点なのだ、と認識することができずに、権力からの圧力や反創価学会キャンペーンに魂を抜かれて、誇りを持ちきれず「非難されたくない、バカにされたくない」、と、あるいは、故なき批判の嵐に負けて、「世間に認められたい」と、既存の社会に向かって(上昇的に)適応しようとしてきた者たちの「信心の狂い」こそが、ひとつは責められるべきなのではないのでしょうか。
でもあえて弁護すれば、一貫して、インテリから忌嫌われ、権力サイドからは常に権力への追従を画策する物凄い圧力があったし、守ってきた宗門からも袋叩きにされ、会内インテリは負け続け……etc 常に、四面 楚歌の状況があったということは確かなことです。
しかし、批判されることは正しいことの証明だったはずです。
ただし、その現実的な結果として、いま「既存社会と双子の存在である創価学会」という酔夢さんの指摘は重要だろう、と僕も考えます。
そして、既存社会での成功=認められること=過剰な適応が、僕らの信仰の目的だったのか? という問いは意味がある、と想っています。
その狂いは一体どこから出てきたのか?
社会に過剰適応する過程で、最も大切な「信心」を削ってきたのではないか? と。
例えば、信仰者が自分の信仰から政治・社会問題を考えるのは(一般の思想哲学宗教でも)ごく当たり前のことなのに、世間の「政教一致」批判にやられて、組織上の政教分離によって、最も大切な個人における哲学思想的な意味での政教一致(「政」を社会とか文化といってもよい)を、見失わせたのが、竹入義勝の最大の罪なのだ、と僕は想っています。
それを、「魔に食われた」といってもいいだろう。その象徴として「4.24」でいわれる「時流」ということの意味は大きい、と想っています。
で、20数年前からおかしかったのに20数年間も問われることがなった竹入義勝の狂いが、拡大再生産していったことが、信心を見失ったひとつの大きな原因だ、と考えるのです。
つまり、公明党が弱くなったというなら、それは世間で批判されるように(組織上の)政教一致だから、ではなく、信仰上の政教分離が進んだからだ、と。
また、同様に、徹底した「池田教」批判によって、そこに疑いを持つ者が増えて師弟不ニの根幹まで抜かれ続けている、というのが実情ではないのか。
ということで、僕は、「創価学会も公明党も変節したのではなく、今も昔も変っていない。」という見解にはまったく同意できません。確かに、創価学会と公明党を批判する者たちは、変節せずに昔から同じようにバッシングしているけれど、その批判に応じて(負けて)変化してきた(魔に食われてきた)者が多くいたのではないか、と僕は考えます。
つまり、共産党などはともかく、実は、学会員以上に、正確に学会の凄さの本質を認識していた権力側は、学会のもっとも重要なスタンスである「師弟不ニ」と「政教一致」を徹底的に攻撃しつづけることで、その目的を達成しようとしているのだ、と。権力はアホではないのです。否、解りすぎているからこそ、その本質に斬り込んでいるのだ、と僕は想う。
本来、仏教(宗教)は唐の時代や平安時代を見ても、「文化創造」の生命的源泉であるはずで、われわれの運動が、身近な人間の苦悩を媒介として、それを救済しながら、新しい時代の文化創造を産み出すものとしてそれぞれが桜梅桃李の使命を果 たしていく、という「志」がまず求められている、と僕は想っています。
まさに酔夢さんのいわれるような、既存の使い古されて陳腐になってしまって金属疲労を起こしている今の社会の価値などに、自分の誇るべき信仰の評価基準をゆだねるなどという転倒に気付いて、人間がもっとシアワセに生きられるような人間的価値の創造を、それぞれが実際の生きている場所で実現していく――ということを原点に帰ってやっていったらよいのではないか。
学会系のインテリに求められてきたのに、いまだ未開の地となっているのは、まさにその先駆をきって、言論でそうした主張を展開し、庶民の信仰に意味と意義を与え、希望の明日を拓いていくことではないのでしょうか?
この信仰とそれを信じる者には、その力がある、と僕は信じます。
誰よりも私自身に動執生疑(ショック)を与えるために、この「掲示板」に参加しています・・・。
酔夢さんの言われるように、「創価学会のそもそもの信仰の原点は病気・貧苦・その他社会的疎外感から個々が脱することを第一義としたものであったと思います。それはとりもなおさず既成社会の価値観を受容すること、積極的に順応すること、社会的生産性を向上させること、社会的消費性向を向上させることを目指すものであり、当然のことながらそれはどう考えても総体として、あるいは己を空しくして具体的な反体制運動を展開するといった方向性につながるわけがない。」という面 はたしかにあると思います。しかし創価学会が教学を通じて一切衆生平等の思想や地涌の菩薩としての利他の思想を広めるなどの思想運動をしていたことも事実です。境涯革命というのは、境遇が変わるということではないのです。昭和30年代、私がまだ子どもと言ってもよい頃、貧しい青年達がパンをかじりながら、青年訓を暗誦し、理想に燃えて座談会の結集や折伏に動き回っていたことを思い出します。正本堂のご供養でお金が集まりすぎた頃から、学会も変わってきたのでしょう。お金ができて変わったのは山崎正友氏だけではないのです。第1次宗門問題の時、宗門から文句をつけられて、戸田2代会長が学会員は地涌の菩薩だと書かれた青年訓や「創価学会の歴史と確信」などを引っ込め、2代会長と3代会長の師弟不二はどうしたという状態になった時期もありました。その意味では私のなかでは既に師弟不二も相対化されています。
正本堂以後、学会は多造塔寺堅固の時代に入ったと思います。
教学も、財務の時期に合わせてご供養の功徳などを強調するような内容になったり、貧すれば鈍すというのとは反対の現象が見られます。「学会は御書根本」というのが単なるスローガンに堕してしまったのも正本堂ご供養以後のことだと思います。御書全集を持ち歩く人はほとんど見かけなくなり、御書講義の担当者のほとんどが担当者会に御書全集を持参しないという状態になっているのは私の地域だけでしょうか。
それはともかく、やはり今、学会には動執生疑(ショック)が必要だと思います。
マルメラードフさん
聖教の購読を止められるとのこと。
お気持ち、痛いほど分かります。
聖教のご都合主義、座談会の下劣さ、無責任な大放言は、醜いです。
しかし、しかしです。
池田先生のエッセイや、新・人間革命、随筆・人間革命など、師匠の文章に、リア
ルタイムに接することが出来るのも、聖教です。
私は、師匠の言葉の力に触発されて、今まで、信心してきましたし、池田門下生を
自認する多くの全国の同志も、皆、同じだと思います。
師匠の心が、今、何処なのか。これを読み取るのも、師弟不二です。
詩に関しては、誤解してしまいがちですが、散文に関しては、メッセージは、明確
です。
今、この大事な時に、師匠との魂の対話から、耳を塞ぐべきではないと思い
ます。
コン太さん
>自分は加害者の側にある。加害者の側にありながら、傍観者の位置に身を置いて、安堵感・免責感をえていないか・・・。
ここです!ここなのです。コン太さんの問いです。私の心にずっとわだかまり、解決のできない問題のように横たわっているのは。
豊田さんの写真TVで見ました。まさにサタンの所業です。そのサタンに我々は加担していないのか?
つるたまさひでさん
>それなら、あなたの気持ちの中で
あなただけは
あなたの気持ちに従ってください。
今の気持ちを正直に言います。私の「支援している」県の地方議員は、地道に名誉などとは無縁の議員活動をしています。わたしは地方議会の支援はします。この人には反戦の決議を県議会でしてくれないかと、ネット上でやりとりしました。「ただいま検討しています」との回答でした。結果 的には決議はありませんでしたが・・・。
公明党国会議員を与党にいる限り、私は信用できなくなりました。信用できない人に投票はできません。これが現在の心情です。
私は大量破壊兵器の情報を神経を尖らせて、得ようと思います。
武力行使の根拠なのですから。
しばらく拝見していました。みなさんこんにちは。入会暦は長いですが、私は殆ど活動をしていない学会員です。
>例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?
この「問いかけ」には、少々疑問があります。
第一点の疑問は、戦争が起きることを前提とした質問であり、信仰を機軸とする戦争自体への根本的問いかけにはなっていないように感じます。戦争がおきたらどうする、こうする、ああするといった仮想的な問いかけ自体に意味があるとはあまり思えません。いかなる答えを期待されているのでしょうか。
第二点の疑問は、我々近代国家における戦争観からみた質問のようにも感じることです。中東は国家=民族ではないという点を見失い、我々日本のような一国家一民族(厳密に言えば違いますが)という目線で物事を見ようとしているのであれば、それは過ちをおかしているような気がします。中東には何回かいったことありますが近代国家覇権主義による中東の国家意識形成以前に部族意識が深奥に根ざしており、有る意味で流動的な地理・地形に育まれて生きてきた人たちであるという点を忘れてはいけないと思います。現地に行けばわかることですが、彼等の語る『平時が戦争である』という言葉の意味する戦争は必ずしも我々が考えている近代国家間の戦争とは違う意味だからです。石油資本とは直接無縁の都市部から離れて生きる砂漠の民にそういった意識は、わたしの知る限りではありません。《自信の問題として考える》ということ自体、対岸の火事であり、我々近代国家に住居する人たちの不遜・驕り・欺瞞だと感じます。
掲示板の全体的な推移として、立党精神を忘れ公明党が戦争を容認している、創価学会は歴代会長の主張を上層部が無視している、だからいずれもその態度は容認できない、許されることではない、大事なことは、原点に帰って一人一人が主体的に主張をしていくことだという議論の流れになっているようですが、このエキサイトした議論の推移にも少々疑問を感じます。
創価学会の永遠の指針とされる境涯革命をはじめとして、信仰は一切治生産業に違背しないとか、社会に勝利しようとか、足下の泉を掘れとか、信心一人前仕事三人前といった数々の指針を見るまでもなく、創価学会のそもそもの信仰の原点は病気・貧苦・その他社会的疎外感から個々が脱することを第一義としたものであったと思います。それはとりもなおさず既成社会の価値観を受容すること、積極的に順応すること、社会的生産性を向上させること、社会的消費性向を向上させることを目指すものであり、当然のことながらそれはどう考えても総体として、あるいは己を空しくして具体的な反体制運動を展開するといった方向性につながるわけがない。
むしろ信仰を頑張れば頑張るほど権力や現行の体制を積極的に安定的に下支えすることになり、体制に実害の無い・侵食しない適度なガス抜きを組織総体として行いながら、積極的な体制護持の補完作用として機能してきたということであり、その構図は今も昔も変らない。
没落した戦後の日本を支えた創価学会の運動そのものが、ウエルカムとして必然的にあるいは結果 論として、権力の維持強化と体制強化に拍車をかけてきたということにほかならない。政権与党となったのも当然の帰結だし、同じく、庶民のための政治を目指してきたと主張している共産党との間で(それが本当かどうかは別 として)、嫌悪するような喧嘩を繰り返し、理屈を超えて相容れないのはこういった点にもあるかと思います。
そう考えれば、創価学会も公明党も変節したのではなく、今も昔も変っていない。変わったのは上昇志向から峠を越え、下降に向かってしまった既存社会そのもであり、その価値観が崩れてきたという点であり、目標として順応すべき既存社会が元気を失ったことだと思います。だから、既存社会と双子の存在である創価学会も求心力が薄れ金属疲労を起こしてきたということでしょう。時間の推移の中で逆バージョン不適応が生じ、創価学会の現場であるわれわれ名もなき会員への二重不適応が優先的に生じてきたということだと思いますし、それは当然の結果 であったということになります。
掲示板での話題がイラク紛争に集中し、クローズアップされ、そこから組織への不満が一点集中していますが、根源的な不満はもっと別 な世界、別な次元、まさにわれわれの足下にあるのではないでしょうか。それが、《自信の問題として考える》ということでしょう。メスを入れることに躊躇したり、基本的な不安感を覚えないものは所詮自信の問題ではなくひとごとの問題でしかないと思います。
一人一人が主体的に主張していくべきだという結論は間違っていないし、そういった声をあげて連帯していくということはすばらしいことだと思います。しかし、その前提を公明党や創価学会の路線が間違いであり、それは上層部の責任でありけしからんという結論に落ち着くのであれば、議論はどこまでいってもひとごとの範疇でしかないし、ガス抜きでしかない。実生活の中で本当は、何に対して怒りを感じているのか、不安を感じているのか、その点を真摯にもう一度問い直していく必要があると思います。グローバルな不安を増大させながら独り勝ちしたアメリカの暴走や危うさ、そして脆さは、既存社会の中で独り勝ちし、峠を越えた創価学会自身の問題でもあるのですから。
統一地方選告示後に、政府与党にある党の支援団体が、機関紙で、他党の批判をし てますね。
これは、公明党だけじゃなく、その支援団体も政治の次元で、攻撃して欲しい、ということですか。
共産党さん、学会員が全て、こういう馬鹿ではないので、支援者を攻撃しないで下さい。
一部、削除しました(by かんりにん)
戦争を止めるために
日本の動きだけで戦争が単純に止まるとは思えませんが、
日本の戦争支持の動きにブレーキをかけることはできる
はずです。
そのために、創価学会の会員のみなさんができることは
とても大きいと思うのです。
それが、次の選挙です。
「自民党−公明党の与党がこのまま戦争支持を続けるならば
投票しない」という声を選挙前にもっと大きくしてください。
その声を公明党は無視することができなくなるはずです。
そのことは日本政府を動かす大きな力になります。
ぼくは選挙に詳しくないのですが、とても票の読みがうまい
公明党に協力しているみなさんなら、そのような動きが大きな
影響力をもちえることをご存知だと思うのです。
この掲示板の外で仲間の人に呼びかけてください。
いま、日本政府の戦争支持を止める力を発揮できる立場に
いることを友人の学会員のかたにぜひ、呼びかけて欲しいのです。
「平和を求める」ということが、こんなに具体的に証明できる
機会は、そんなにたくさんはないはずです。
イラクがアメリカ合衆国にとっての脅威になるなんてことを
誰も本気で考えてはいないのに、戦争でどんどん人が殺されています。
戦闘員も、非戦闘員も。
そんな戦争を一刻も早く止めさせなければなりません。
いまこそ、どんどん外に出て、人と出会って、
今回の選挙では支持できないということをわかって
もらうために話をして欲しいと思うのです。
確かに組織の中で、こんな風に動くのはとても
勇気のいることで、なかなか出来ないかもしれません。
それはしかたのないことだ、とも思います。
それなら、あなたの気持ちの中で
あなただけはあなたの気持ちに従ってください。
繰り返しになりますが、
小泉政権の連立与党が戦争反対の方向に動き出すこと
の重要性、そして、その力をみなさんが持っているこ
との意味を考えて欲しいと思うのです。
逆に言えば、そこで動けないとしたら・・・。
これは言いたくないですね。
とにかく、
それを動かすためには、外からの声はあまり大きな
力にはなりえません。
だから、外在的なお願いしかできないのが申し訳ない
のですが、本当に祈るような気持ちです。
ぼくは特別な宗教を信仰してはいませんが、
人間の可能性を信じています。
これがぼくの信仰であり、祈りです。
(臆面もない書き方ですが、ここでは祈るような
気持ちで正直に書きます。)
さまざまな宗教を信じる人が手をとりあって
生きていける社会を夢見続けたいと思うのです。
人間はいつか戦争をやめることが出来るはずです。
そのためにできることをやりつづけたいと思っています。
皆さんの誠意あるお答えに感謝します。
と言いますのも、会員さんとは中々議論が成り立たないことが多かったものですから。
差別に関して、私の少ない経験で言えば、女性に差別意識があることに驚きました。学生時代、隣に住んでいた賄のおばさんでとても優しい方なんですが、アジア系の外国人二人が通 り過ぎるなり、「恐い!」ていうんですね。あの優しさが豹変する姿に驚いたものです。外的、身体的弱者にはとても優しいのですが、心情的に受け入れないものに対してはとても攻撃的です。無礼のそしりを恐れずに申し上げれば、それが創価学会に対する素直な感想です。
創価桜(すごいHNですね)さんは広島創価学会について紹介されていましたが、創価学会が文化運動として成果 をあげてきた一つでしょうね。
私は早くから世論の9割が戦争に反対、首長の賛成は0という沖縄こそ、反戦の中心的役割を果 たすだろうと考えていました。検索して実は驚いたのですが、白保議員というのは彼が杉並に住んでいた頃、アパートにも行き、よく知っていました。中々さばけた人でした。その彼が熱心に「池田第3代会長によって結党された公明党が本格的に連立政権に参加して、初の地方統一選挙を迎えました。」(4/2)と述べていることにも驚かされました。戦争反対という文字はありますが、具体的には読み取れませんでした。
追記
敢えてメアドを公開して投稿させて頂いております。会外からの意見である以上、創価学会に対して批判的な意見を述べるわけですから、充分反論にもお答えするつもりで礼儀としてのものです。(それにしても皆さんの勇気ある発言には度々驚かされます。組織にいながら、ということは内部告発に近いものがありますよね。)
創価桜さん、あなたの怒りは十分伝わっていますよ。
人間、本当に怒れば冷静になるものではないでしょうか・・・?
ゆっくりお休みください。明日があります。
↓
訂正です。
一種の心理操作なのではないか→一種の心理操作を意図しているのではないか
学会がどうか変わって→学会がどう関わって
小六さん。
「イラク戦争に異議イコール反逆者」なんて図式が成り立つはずは勿論ありません。だからこそ学会首脳は、(うまく言えないのですが)イラク戦争そのものには頬っかむりしつつ、また、被爆地広島の人々を慰撫したりもしながら、「党の方針に従わない議員」をひとくくりに非難・恫喝することで、イラク戦争に異議を唱える議員を「反逆者」といっしょくたに捉えるような意識を会員読者に植え付けようという一種の心理操作なのではないかとの疑念が膨らんでしまうのです。
部落差別の問題が学会でも重要な課題になってきているとのこと、大変嬉しく思います。
部落解放運動は今、「地対財特法」の期限切れにともなって重大な転換点を迎えつつあります。有り体に言えば、元気をなくしつつあります。学会が民衆運動である以上、部落解放の課題を避けて通 れるはずはありません。その課題に学会がどうか変わっていくのか、今後ハッキリ示していく必要があります。しかし、聖教の座談会記事で、マルメラードフさんが指摘されるような発言を平然と行う学会首脳の意識、そうした発言を恥ずかしげもなく記事にする編集部の意識では、どうしようもありませんが・・・。(こうしたことからも、イラク戦争に対する信濃町のスタンスは必然的とさえ思われるのです・・・)。
信濃町に期待するより、自分で考え、行動していきたいと思います。小六さんが挙げられた『人間革命』の有名な場面 に戸田先生・池田先生の部落大衆への思いが凝縮されていますが、問題は弟子である自分が実際のところどうなのかということです・・・。
大聖人の仏法の視点から、部落差別をはじめあらゆる差別の問題はどう照射され、その解決への道筋はどのように展望されるのか、広宣流布の理念と部落解放の理念がどのように重なるのか・・・といったことが対外的に示されなければなりませんし(時代の要請だと思います)、それが具体的な行動に繋がらなければなりません。「部落出身の幹部が差別 意識を捨てきれないでいる会員さんを叱りつけ」たとのことですが、「叱りつける」だけで解決するような問題ではないと思います。
潮出版社や第三文明社が、例えば小六さんが紹介された「部落出身の幹部」のような方が、信心を根本に、先生との絆を胸に、部落差別 とどう向き合っておられるのかといった
ことを内外に発信していくような記事を企画できないものかと思います。あるいは、創価学会と部落解放同盟との対話もおもしろいと思います。・・・潮や第三文明に期待できるでしょうか・・・?
KOKOさん。ご意見に共感を覚えます。
ただね、「逃げる」と言っても逃げ場がないことも、逃げようがないこともありますよね。だからたくさんの人が殺されるんです。また、たくさんの人が「人殺し」をやらされるんです・・・。イラクの惨劇に、私のつれあいが「逃げればいいのに・・・」とつぶやくと、昔、空襲で命からがらの眼にあった母が「あんた、どこへ逃げればいいの? どうやって逃げればいいの?」と目をむいて窘めました。・・・戦争になったら、これはもうどうしようもないのです。だからこそ、『人間革命』の冒頭に示された「戦争ほど悲惨なものはない。戦争ほど残酷なものはない。」の一説が、戦争の辛酸をなめた人たちには深い共感を呼び、戦争体験のない我々にも強烈なインパクトを持つメッセージになってきたのではないでしょうか?
アメリカの空爆で頭を吹き飛ばされて横たわる子どもや、重傷を負って手当も受けられずに泣き叫ぶ子どもの写 真に、胸が潰れそうになります。私の子どもたちと同年くらいの子どもたちです。今回もまた劣化ウラン弾が使われているとのこと。豊田直巳『イラクの子どもたち』に収められた写 真を見返します。湾岸戦争の爪痕・・・。まさにサタンの所業。9歳になる長女は絶句して固まってしまった・・・。この惨劇がどこまで続くのか・・・。イラクの子どもたちにとって、自分はいかなる存在なのか・・・。自分は加害者の側にある。加害者の側にありながら、傍観者の位 置に身を置いて安堵感・免責感をえていないか・・・。
五老僧に言いたい。
婦人部と女史部を怒らせて見なさい。
どうなっても知りませんよ。
創価学会上層部、公明党の大部分に五老僧の末流がいますね。
敵です。仏敵です。
白蓮の清流から、叩き出しましょう。
本物の敵ですね。
正体が見えてきました。
小六さん
私は、広島創価学会が、ホームページを立ち上げたので、反戦の広島公明に応援のエールの書き込みをしてきました。
私が今回、批判票を投じたのは、地元の県公明本部が、党本部と同じ武力行使容認
だからです。広島・山口を引き合いに出し、確認したら、怒った口調で、そう言いました。
また、途中まで、応援していた地方議員候補も、党本部の見解に同意する旨、確認
しましたので、批判票を入れたのです。
聖教新聞社会面の公明党の街頭演説の写真が、真実を如実に物語っているじゃないですか。
神崎の阿修羅のような顔、その横の二人の地方議員の困惑気味の顔、浜四津の、忍
従に耐えた柔和の顔と、横にいる地方議員の蔓延の笑み、冬柴のスマイルに困惑し
ている地方議員。
今回の号外。あれだけの大量な号外に、いくらかかっているのか。
今回の号外を許可した責任者は、誰なのか。
武力行使容認の文の文責は、誰にあるのか。
加瀬みき他のアメリカ右派政権のシンクタンクの論客を論文を載せた、公明新聞と聖教新聞の責任者は、誰なのか。
最低限、これらの責任が、曖昧なら、創価学会・公明党に未来はない。
あらためて、創価学会を客観的に見直してみる大切さを感じています。
創価桜さん
>はっきり言うと、公明党にとって、戦争に賛成する以上の妥協は、ないのです。
正論です。
テレビで、あるコメンテーターが
「日米関係が大事なのはわかるが、同盟国であっても言うべきことは言って、
一時仲が悪くなっても後で修復していくのが外交というものであって、
それができないというのは、今の日本の外交力の無さを露呈してる」
と言っていました。そうだなあと思いました。
公明党にもっと力があり、優秀な議員がいれば、今回のような事態にはならなかったと思います。
『人間革命』(たぶん10巻)の中で、戸田先生と池田先生の対話を通して、
「学会から出た議員が本当に力をつけ、民衆に喜んで支持されるようになれば、
支援の戦いは必要なくなる。支援の戦いは、そういう状態が達成されるまでのものだ」
ということが述べられています。
公明党の議員の中にもまだ期待できそうな人はいるので、
もうしばらく支援していこうと思います。
ししろうさん
>公明党が支持した「大量破壊兵器の脅威を除く」(議員は予防のために戦争も必要と発言)という正義からすると、見つかるまでこの戦争を続けざるを得ない。
これが今困っているところです。
「『非』はイラクにあり」とか「大量破壊兵器云々」とか言ってると、痛い目に遭いますよ、
ということを僕は組織の中で主張してきました。
僕は大量破壊兵器や生物化学兵器なんて、見つからないと思っています。
それでも戦争は終結に漕ぎ着けられそうですが、あんな「号外」まで作ってしまって、
大量破壊兵器が見つからなかったら公明党も大変です。
壮年Aさん
>米国はイラク攻撃に劣化ウラン弾やクラスター爆弾を使用していることを認めていますが,それ自体が大量 破壊兵器であり,戦争後も住民に被害を与え続けるものです。
この件についての学会員の意識の低さは悲しいものがあります。
「平和運動」、どうなのよ、ということで組織の中で話題にしていこうと思います。
コン太さん
>その議員(イラク戦争に異議を唱える議員?)が反逆者であるとの印象を読者(学会員)に与えようとする姑息な意図が見えるように思われました。
公明党広島県本部は、中央が武力行使支持を表明した時にいち早く、その選択には承服できず広島県本部としては武力行使を支持しない旨を表明しましたが、
神崎はこれに対し
「広島の場合は、被爆地という事情があり、広島県民の声は率直に受け止める必要がある。やむを得ないと思う」
とコメントしました。
聖教新聞でも広島の選挙戦を応援し、学会首脳も応援に飛んでいます。
イラク戦争に異議イコール反逆者、という図式は成り立たないのではないかと思います。
>部落解放運動に若干の関わりをもつが、自分が部落民であることを名乗っている学会員を、今のところ、知らない
僕は知ってます。部落差別の問題は、学会の中でも重要な課題になっています。
ただし、よくご存知と思いますが、地域によって濃淡があります。
差別意識を捨てきれないでいる会員さんが部落出身の幹部に叱られているところも見たことがあります。
また『人間革命』では、戸田先生が部落出身の会員に対し、
「大聖人もご自身のことを『せんだらが子』とおっしゃっている」と激励し、
北海道産の昆布をお土産に持たせてやるという熱い名場面があります。
「在日」の問題についてはわかりません。ただ以前先生・奥様がチョゴリ姿で写真を撮り、聖教に載せられたのが印象に残っています。
身体的障害については、耳の聞こえない会員さんを三人と知的障害の会員さんを一人知っています。
とても大切にされています。
「心の病」については、難しいです。心の病そのものへの認識の度合いもまだまだ個人差があり、
どう接していくべきか模索していく部分が大きいと思います。
お久です。
というより、忘れられた存在ですが・・一応♀ですが・・(^^;
1年前より神奈川より、都下に引っ越したもので、重点区ナントカ部隊にされていたらしくて、ため息が出ます。ほっとしても2桁出るんですよね。
で、会うだけ会って、選挙のことは話さないまま・・という人も沢山いて、なんかなあ・・などと、感じております。
みなさまがおっしゃるとおり、上層部がまともじゃないというのは、全くそうだと思いますよ。どこだってそうだから、全く気にしない。
実は、池田先生の「湾岸戦争への緊急アピール」が取ってあったので、見直してみて、どうも、湾岸戦争の時の方が、聖教新聞が、戦争反対を叫んでいたような気がするので、当時の新聞を調べに国会図書館まで行こうと思っています。
夢野さんがおっしゃる件ですが、逃げるしかないと思います。
と言ってもそうはいかないから、問題なんですけど・・日本の戦前のようだ。
どうも、他にも同じ構図が見え隠れしてますね。
フセインをつぶしても、米英は同じようなのに大統領になってもらうことを望んでますから。
アメリカが武力で倒したところで、またフセインの一族(どう広く見てもスンニ派)から大統領が出て、時間がたてば悪い国になっていくんじゃないでしょうか?
たちが悪いのは、民主的に多数派のシーア派から大統領が出るというマトモな事が成されれば、アメリカにとって都合が悪いって事ですね。
虐げられたクルド人だって、隣のトルコがそんなことを許さない。
そうすると、偽りのポーズだけの民主化ですよ。日本の自民党政権の継続と同じだと思います。(もっとイラクの方がややこしいですね。)
ある本で、経済制裁解除で、まともな中産階級が出てきたら、いい民主化がなされる、とあったけど、日本が経済的に豊かになって、中産階級が出て、アメリカの言いなりじゃないですか!
他の先進国でも、情報操作・メディア支配でおかしくなってるでしょう。
でも、生き残ればもっと豊かで利口になる可能性があると思います。
それが解るまで生き残って、生き抜くのが一番だと思います。
だから、逃げるのが一番だと思います。戦死者たちは美化されて(言葉が見つからないのですが)、戦争賛美に繋がっていくと思われます。
逃げる方が勇気がいると思います。
今、一番大事なのは―『大作、この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火に怯える子どもたちもいる。東洋に、そして世界に、妙法の灯をともしていくんだ。この私に代わって』(新会員の友のために【3】62P)
小六さん
潮が反戦の論陣を敷いているのは、存じ上げています。しかし、電車の中刷りの見出しなどは、かなり、遠慮気味ですね。
4月7日の座談会では、批判する人間は、退転者ばかり、壮年部ばかり、と発言してますね。
この期に及んで、この人たちはーってな感じです。
信心利用ですね。師敵対です。
では、山崎正友一人に翻弄された学会上層部の責任、山崎を顧問弁護士に任命した人事の責任は、どこいっちゃうんでしょうか。
竹入を野放しにして、学会員に票を入れさせていた上層部の責任は、どうするの。
自分達こそ、先生から、守られていながら、何言ってんだ。
組織を乱す者は、破和合層です。しかし、戦争に加担することは、与同罪ですね。
結局、学会上層部は、組織防衛のためだけ、理念など、かけらもない、そのスタン
スが、公明党の行動にそのまま現れているんです。
聖教新聞は、外部からは、信用を失くしましたね。熱心な読者ほどそうでしょ。
先生の文章が載らなくなったら、ただの壁新聞です。
こうなったのも、末端の活動家に新聞啓蒙を任せて、自分達は、信心の練磨を怠っ
てきたからです。
ちょっとテーマから外れるかもしれませんが、会外の方もおられるし、対岸の火事ではなく自身の問題として考えるためにも皆さんにお聞きしたいのですが、例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?
不法な侵略なのだから、武器を取って戦うのか? それとも、服従も戦争もダメだから、と黙ってやられちゃうということでよいのか? あるいは、さっさと白旗を上げて無条件降伏するのか? サダム・フセイン体制の転覆を図るのか? 他に何か対応がありうるのか?
紛争の解決手段としての戦争はダメだし、テロも問題外だ。しかし、そもそも人の生命を虫けらのように扱う悪魔の帝国=米英の侵略と戦うのは正義の自衛行為ではないのか? その場合も戦うことは許されないのか? 死を覚悟して横暴に抗うことはムダ死になのか? では、過去の様々な解放闘争(ex 植民地解放闘争など)は認められないのか? 正義を装う悪の帝国のやりたいようにやらせてよいのか?
追伸
マルメラードフさんの指摘、よくわかります。「人権」を口で言いながら、人権を自分のことと重ねて考えないから、そうなるのだと思います。人権問題は具体的には差別 の問題といって過言ではないのですが、差別の現実を見ようともしないで、「人権」を口で言ってさえいれば・・・という浅はかさ。このことが差別 を助長するものでしかないことに気づかない脳天気ぶり・・・。「平和」についても同じことで、エープリルフールさんの問題提起とも繋がってきます。所詮は「人ごと」。学会はホントに慈悲の団体かいな・・・? 学会の組織の中で、被差別 部落の人、在日の人、身体に「障害」を持つ人、「心の病気」の人、同性愛者等々・・・・は、実際のところ、どんな思いをしているのだろうか・・・? 例え口に出さなくても、「同志」はそうした人たちをどんな眼で見ているのだろうか・・・? 自分は差別 されずによかったと思っていないのか・・・? 私は仕事上、部落解放運動に若干の関わりをもつが、自分が部落民であることを名乗っている学会員を、今のところ、知らない。「同志」を本当に信頼しなければ、名乗れるものではない。例えば座談会が、そうしたことを忌憚なく語り合える場になっているのか・・・。ちなみに私は、ハンセン病療養所内に創価学会の会館があることをごく最近まで知らなかった。ここに私の差別 性がある。そうした自分と正面から向き合っていくものでなければ、それは信心ではない。私はそう思う。エープリルフールさんに「脱会」を考えるほどの失望をもたらしたのは、自身に眼を向けず「成果 」のみに汲々とする学会員の「信心」の姿ではなかろうか・・・。この現実を自分の問題として捉えていきたいと思う。
池田先生についてのご指摘。私は池田先生を師匠としている(つもり)の人間であり、今後、「つもり」を脱却して本当に師匠としていこうと思っております。そのためには、先生を神格化する「狂信」こそ最大の敵と思っております。したがって、タブーは排します(※「狂信」という言葉もどうかと思いますが・・・)。あなたのご指摘、同感です。ただ、先生の思いの中に、ああ言うしかない状況へのジレンマもあるのかも知れないなあと思ったりもしますが・・・。
お久しぶりです。年度初めの忙しさにかまけて(大したことはありません。段取りが悪いだけです)、しばらくご無沙汰しているうちに、談論風発、論議がどんどん進んでいるようです。のんびり屋の私は流れについていけるか心配ですが、まあ、マイペースでいくしかないでしょう・・・。噴き出す思いは多々ありますが、それらを手際よく整理して表現していくには、私の脳味噌の性能が追いつきません。エープリルフールさんの問題提起に自分なりの問題意識(らしきもの?)を重ねながら、いろいろと考えておりますが、茫漠・雑然とした脳味噌の中味を整理しかねているうちに、出戻り(?)のアレクセイさんに先を越されてしまいました(彼のおかげで考え事がまた増えてしまいました)。エープリルフールさん、もう少し時間をください。ごめんなさい。
さしあたり、目下話題になっているところから、まとまらぬ考えをつらつらと述べさせていただきたいと思います。
《コン太の独り言 (1) 》
公明党にとっていちばん大事なのは、自民党との連立にほかならないようです。
そのことは、さしたる政治理念も政治手腕も持ち合わせているとは思えない、また、まともな信心をしているとも思えない、ただ顔が自民党の方に向いているというだけの、凡庸な人物が公明党の国会議員となり、しかも幹事長という党の要職に坐って党の方針を実質的に決定づけているということが端的に物語っていると思います。(そうした現実に苦しんでいる議員ができるだけ多くいて欲しいと願うばかりですが・・・)。
壮年Aさん、4月4日付聖教の座談会記事には私も腹が煮えくりかえりました。しかし、気を取り直して少し冷静に再読してみますと、信濃町と公明党の力関係が何となく見えるような気がしました。記事は反逆し裏切っていった連中を引き合いに出しながら、「党の方針に従わない議員」を恫喝していますが、その議員が「党の方針」のどの部分に「従わない」のかを何ら示していないところに、その議員(イラク戦争に異議を唱える議員?)が反逆者であるとの印象を読者(学会員)に与えようとする姑息な意図が見えるように思われました。大事なことは、この恫喝が学会の最高幹部によって、公明党議員に対してなされているということです。要するに「自分では票もとれないくせに、大きな顔をするな。党の方針に文句言うヤツを、学会は支援しないぞ」ということなのです。つまり、立場は公明党より信濃町の方が強いのです。ですから、「学会首脳部」が「公明べったり」である(だから学会首脳部にも「ショック」を与えれば何とかなるのではないか?)という壮年Aさんの捉え方は、ややナイーヴに過ぎるのではないかという気がするのですが・・・。(実は私もそう思っていました)。今の私は、「学会首脳部」が「公明べったり」、つまり公明党に信濃町が引きずられている、と言うより、信濃町が党の「方針」を規定しているのではないかと思い始めています。公明党は信濃町には逆らえないのです。創価桜さんがいくら公明党にもの申しても、党がとりあわないのは、そうした背景があるからではないでしょうか・・・?
とすれば、「公明党の自民党べったり路線は信濃町(学会本部)の意向である」という、実に摩訶不思議な結論になってきます。そんなことがあり得るのでしょうか・・・?
学会本部の意向は、そのまま池田先生の意向なのでしょうか・・・?
疑念は尽きませんが、ここが正念場です・・・。
今日はこの辺で・・・。おやすみなさい。
創価桜さん
どういうわけかわかりませんが、月刊誌『潮』だけは、今回のアメリカの武力行使に堂々と異を唱え、平和を訴えています。
4月号は、3月5日発売だったので、まだ公明党がああいう判断を下すとは知らずにアメリカ批判を展開していたのだと思ってましたが、
5月号でも同じような主張を繰り返していたので、「へー」と思いました。
一読の価値はあるかも知れません。
私は座談会のあまりの酷さに聖教とるのを止めました。
人権を標榜しながら人権を軽視する姿勢。
退転者とはいえ人権はあります。
A「あいつは糖尿病だ(笑)」
↑↑↑↑↑
このような発言が許されるはずがない。
目を覆いたくなる感覚麻痺。
私個人にとって名誉会長はタブー、例外、絶対ではありません。
類稀なリーダーシップを持つ指導者ではあると思いますが、
信仰者としての私の絶対は法であり、大聖人しかおりません。
名誉会長に一言申し上げるならば選挙時に暗に公明支援のために
戦えと詩歌などでせき立てるのは勘弁願いたい。
選挙が終わればねぎらいの詩歌。。。
これでは選挙を信仰活動の一環としてしまう学会員がでてくるのも致し方ない。
建前として学会員の投票行動は自由であるといっても
内実はそうもいかないことを学会員が一番よく知っている。
選挙は法戦ではない。法戦であれば信仰の一環そのものであり、
信仰であれば批判することは許されない。
公明新聞が、大本営発表であるなら、聖教新聞も大同小異です。
宗教法人法改悪の時、徹底的に反対キャンペーンを聖教はやりましたね。さすがは、反権力と思いました。
また、週間新潮の反人権に対する糾弾もしましたね。
聖教は、人権・平和・教育・文化の新聞を標榜してますが、結局、ご都合主義なん
ですよ。
本当に、正義・人権・平和を標榜するなら、イラク開戦前から、大々的に反戦キャ
ンペーンをやるのが、普通の人たちの感覚です。
池田先生の人権は、守るが、イラク国民の人権は、関係ないんです。
和田sgi理事長は、かつて、紀行文で、「口先だけの偽善は、絶対に許さない。」
と発言しています。今の聖教には、何で言わないんでしょうか。
かつて、羅針盤という若手記者のコラムがありましたが、信平狂言訴訟での新潮に
対して、電車の中刷りまで、批判していましたが、同時に広告部で、東電ol殺人の
扇情的な広告を載せていました。
一時が万事です。
一人の人間に、すべて任せて、自らは、正義を叫ばない。
それどころか、聖教新聞学芸部は、加瀬みき他の、ブッシュ政権右派のシンクタン
クの論客や、山崎正和という劇作家に、何度も紙上で、正戦論を展開させています
ね。
みごとに、公明党の武力行使容認の後押しをしています。
先生一人ですよ、反戦は。
聖教新聞の中にも師敵対がいますね。公明党と同罪です。
壮年aさん、創価学会現執行部の批判ですね。
批判されても、しょうがないでしょう。でも、彼らに期待している人がいますか。
先生だけですね。
聖教新聞も一人の正しい論客以外、読むべきところはない。
この一人の論客以外、あまり、信用していません。
特に、座談会形式の記事は、みごとなまでのご都合主義です。
巨大な官僚機構の機能障害と呼ぶべきですか。
しかし、池田門下生の自覚のある会員は、全国にいますよ。
でも、先生亡き後、聖教啓蒙をやる者がいなくなると心配しています。
米国はイラク攻撃に劣化ウラン弾やクラスター爆弾を使用していることを認めていますが,それ自体が大量 破壊兵器であり,戦争後も住民に被害を与え続けるものです。このような兵器を使用しなければ勝てないという判断によるのは勿論ですが,イラク人の命は白人より軽いという思想が根底にあることも否定できません。「誤爆」が意図的か否かは別 にしても,米国が民間人の生命を軽く見ていることは明らかです。公明党だけでなく学会までが抗議の声ひとつ上げられないというのは末期症状というほかありません。
4月4日付聖教新聞に,秋谷会長,青木副理事長,原田副理事長,高梨総神奈川長,佐藤総合青年部長,中込東海道男子部長という学会のトップクラスの座談会記事が掲載されました。その中で,佐藤総合青年部長は,先日,支持者から,こういう声が寄せられたとして,「新聞を読むと公明党の国会議員の中には,党の方針と違ったり,団結を乱すようなことを言いふらしている議員がいるようだ。私たち支持者にしてみれば『ふざけるな』という気持でいっぱいだ」という「声」を紹介し,原田副理事長がそれを受けて,「公明党は一致団結して戦ってもらいたい。」と発言されています。
こんな公明党べったりの記事が掲載されているようでは,学会首脳部にもショックを与えない限り,以前にも書きましたように,公明党と学会が共倒れになると思います。
小六さんへ
「戦争は反対だが、公明党の判断は許容できる」とのお考えは私の当初の学会認識を変えるものではありません。池田氏の発言について、今、起っているイラク戦争に対する反戦の表明がないための私の誤解と理解してください。学会員の方は「学会の批判は構わないが、池田先生を批判することは許さない」という独特の聖域があるようですので、極力タブーに触れないよう、ここでの発言は注意します。
次に戦後復興への役割こそ重要、との公明党への認識について。
これは先月24日、私が予算委員会を傍聴した際も田畑議員が述べておりました。あなたの意見も同列に考えます。
私の考えは異なります。復興はこの戦争の終り方によると考えます。今も米英による、私に言わせれば”正確な誤爆”によって、兵士、市民を問わず毎日殺されています。公明党が支持した「大量 破壊兵器の脅威を除く」(議員は予防のために戦争も必要と発言)という正義からすると、見つかるまでこの戦争を続けざるを得ない。終りの見えない戦争のボタンを押した、ということです。ですから、「早く終結する事を願う」(小泉首相)という無責任な発言を嫌います。
「イラク解放戦争」の投稿に憤慨されていましたが、アメリカの世論は圧倒的に「フセイン打倒、イラク解放」が主流です。「アメリカは過ちを犯している」という報道をすれば大変なブーイングで記者の首も飛びます。(ピーター・アーネット記者は「アメリカの第一段階は失敗」の発言で解雇)。在米会員さんについては分かりません。その点に関してSGIがどう報道しているか知れれば、「学会員は先生の主張に準じている」と言えます。
小六さんのおしゃっているのが、実情です。
個人的に小六さんのスタンスを支持します。
しかし、私が、長い間、公明党に意見してきたことが、ほとんど無視され続けた経験から、私は、違うスタンスをとりました。
私の今回の公明党の武力行使容認について、次のような見解を持っています。
政治は、妥協の産物である。しかし、公明党という政党にとって、そして、支持者
の願いとして、戦争容認という妥協は、きわめて、重く、苦しいものである。
武力行使容認という妥協を許したら、どんな妥協も許せるのではないか。
あらゆる事案が、苦渋の選択として認められてしまう。
はっきり言うと、公明党にとって、戦争に賛成しる以上の妥協は、ないのです。
これは、党の理念や、レゾンデートルによるものであり、これを支持者は許しては
ならないし、これに対して、寛容であったり、理解を示すことが、逆に、党の堕落
を加速させることの繋がると思う。
以上が、私の見解です。
だから、批判票を入れました。これは、党を支持しないのではなく、公明党・創価
学会のための苦肉の選択です。
公明党には、支持者のシビアな投票行動で、反省を促すことにしました。
もちろん、小六さんのスタンスにも敬意を表します。学会員にとっては、この二つ
は、実は紙一重である、と個人的に考えています。
僕は戦争反対・公明支持の学会員です。
今回の件について、身近の学会幹部、本部職員、聖教新聞記者などと対話してみました。
また、公明党、特に遠山清彦参議院議員のホームページを丹念に読み、
公明党としては本音ではどう思っているのかということを考えました。
イラク戦争についての公明党の主張には、学会の幹部や公明党の中でも意見が割れ、
揺れているというのが現状だと思います。僕が見たかぎりでは。
度々先生の叱責を受けているというアホの冬柴幹事長みたいに
あっさり戦争容認発言をしてしまう奴もいれば、遠山みたいに
退勢挽回に必死で悩み行動している人もいます。
学会幹部も、よく勉強もしないまま「公明新聞・号外」の内容を鵜呑みにして
アメリカにも一分の理があるかのように思ってる人もいれば、
アメリカの極悪ぶりを熟知して「号外」に眉をひそめている人もいます。
先生の立場は明確です。
今日の聖教新聞でも語られているように、戦争の正当化などできないし、
今年のSGI提言ではより具体的に
「大量破壊兵器の最大の保有国は自国なんだという自覚に立たないアメリカの主張に説得力は無い」
「アメリカの行き過ぎに対して日本は、北朝鮮の問題があるとはいえ、アメリカ追随ではなく主体的に行動しなくてはならない」
という内容の主張されています。
学会員の主張もこれに準ずるべきでしょう。
ちなみに、ししろうさんの
「軍事力を全否定するということは、一個の人間の『心情倫理』としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては必ずしも現実的とはいえない」が公明党のイラク攻撃容認のベースになっているものといえます。
という主張には賛同できません。
他の掲示板でも、今年のSGI提言の全体の論旨を無視して
この言葉だけ切り取られて云々されているのを見かけました。
この発言は、今回のような根拠のあいまいな先制攻撃までをも容認するものではありません。
「いざ実際に他国の軍隊が自国に攻め込んで来た時に反撃することまで否定できるのか?」
「爆弾を抱えたテロリストが人質と立てこもっているのを説得だけで解決できるのか?」
というような問いかけに対する回答です。
公明党は先生・学会の主張を完全に実現することが今回できませんでした。
これを、現在の公明党の実力ではやむを得ないこととして許容できるかどうかが、
問題だと思います。
僕は、今回、不満は山ほどありつつ、これを許容していいと思っています。
ただでさえ不況で大変な時に与党を離脱して政局を混乱させるのも賢くないし、
与党に留まってこそ具体的で実現の見込みのある復興支援策を打ち出していくことができると思っています。
現状、アメリカを支持しようがしまいが日本にできることは復興支援くらいしか無い以上、
与党に留まって復興支援の推進力になってくれた方がイラクの人たちのためにもなるでしょう。
公明党がイラクの人に結果としてより大きな贈り物を届けるためにはどうするのがベストかと考える時、
野党に退いてしまうのは賢明とは思えません。
一方で、創価桜さんもおっしゃっているように、
公明党が、「号外」や公明新聞の中で、大間違いのアメリカ万歳の主張をしていることは事実で、
このようなバカげた動きに対しては非難の声を上げ、今後も注意していく必要があります。
僕が見つけたひどい記事は、今回の戦争を「イラク解放戦争」だと主張しようとする、
加瀬みき
という人の寄稿でした。ひどい内容です。
なんでこんなことになってしまっているのか、幹部を突ついているところです。
ともあれ、公明よりも仏法思想を政治に反映してくれる政党があればそっちに投票しますが、
今のところダメな公明党を叱りつけながら支持してやるしかないと思います。
つるたさん
私個人は、既に不在者投票を済ませました。貴方の趣旨通りの投票です。
学会員各個人が、どういう投票行動をとるかは分かりません。
私は、内部にいる人間なので、学会員の苦悩や葛藤を理解できますが、結果として
公明党に投票すれば、世間は、創価学会員も、同じなのだ、と判断するだろうし、
そう判断されてもやもうえないでしょう。
さきほど唐突に、先日来、勝手にやってるキャンペーンを
投稿してしまいました。
ごめんんさい。
公明党を支持する人たちが「戦争を支持しない」
と明確に意思表示すれば、日本政府に与える影響はとても
大きいと思っています。
もしかしたら、小泉政権が戦争支持を続けることが出来なくなる
ような事態にまで追い込めるかもしれません。
そのためには、今回の選挙が決め手だと思っています。
創価学会の人が平和を求める気持ちがどのように表明されるのか?
ここが真価を示す場所なのではないでしょうか?
ここで、現状のままの公明党の選挙運動が続き、現状の執行
体制が安泰で戦争支持政策が続くというようなことにならな
いようにして欲しいと思うのです。
どうか、平和を求める意思を示してください。
「戦争政策は認められないので、政権離脱」
というところまで、公明党を動かすのは支持者の力だと
思います。そうなったら、誰もが創価学会の人は本当に
平和を求めているということを認めざるをえなくなると
思うのです。
平和のための投票キャンペーン
アメリカ合州国−ブッシュ体制のイラク攻撃をとめたいと思っています。
戦争反対!!投票に行こうキャンペーン
のお知らせです。
キャンペーンといってもなにかの運動体があるわけでなく、
ぼくひとりで始めたのですが、偶然、同趣旨のメールを友人からもらったので
なんか勇気づけられて、もっと、みんなにひろめたいと思って、メールを書い
ています。
(長く日本に住んでいるのに、投票権のない外国籍の友人には申し訳ないのですが
次の次の選挙には、こんな断り書きをしなくてもすむようにしたいです。)
みんながキャンペーンに参加してくれたらと思います。
中身は簡単で戦争反対の意思表示ができる機会があるのだから、それをいかそう
というだけのことです。
=====
!!とりわけ、普段投票に行かない過半数の人に呼びかけたいと思います。
!!また、普段は与党に投票している人に呼びかけます。
!!身近に、そういう人がいたら、ぜひ、呼びかけてください。
=====
ものすごくおおざっぱな類推ですが、普段投票に行かない人のうち
数%が動けば、状況は変わるような気がしています。
また、公明党の幹部は「思ったより世論の抵抗がなかった」などと
言っているようです。
こんなことを言わせてはいけません。大きな世論の抵抗をみせつけたいと
思うのです。
で、ぼくの思いついたルールは
「戦争を支持している与党の候補に投票しない」
というものです。
ぼくとしては、いつ寝返っちゃうかわからないような
中間的なところには投票したくないという気持ちはあ
るのですが、とりあえず、これを基準にしたいと思い
ます。ぼくとしては例外はあんまり作りたくないです。
無所属の多い首長の選挙については
「今回の戦争反対を明確に言えない人には投票しない。」
都民について言えば、
核武装を肯定したり、外国人や女性への差別を誘導しているような慎太郎には
投票しない。こいつを負かすような一本化がいまからでもできればいいんです
けど、とにかく慎太郎には投票しないというのはいくら強調してもしたりない
ような気がしています。
つるたまさひで
--- eGroups Sponsor(じゃないんですけど)--- ~-->
■大切な一票、戦争に賛成する与党議員(自民党・公明党)や首長(石原慎太郎な
ど)を当選させないためにみんな、投票に行こう。
【統一地方選挙】のお知らせです。
─【4月13日(日)・4月27日(日)】─
■4月13日(日):都道府県・指定都市│レジャー等で当日投票できない方
■4月27日(日):市区町村 │には【不在者投票】がベンリです
◎詳しくは最寄りの戦争反対の運動参加者におたずね下さい。
----~-->
つるたまさひで さん、ししろう さん、わざわざありがとうございます。
また、井上さんの誠実で果敢な想いに感謝します。
より多くの視聴者のみなさんの率直なご意見をお願いできればと考えます。
豊田さんはまた中東に行っておられるのですね。ご無事で帰ってこられることを祈ります。2002年10月19日(土)の例会では大変お世話になりました。
現場を実際に歩いておられる豊田さんならではの視点にはいろいろ驚かされ、考えさせられることが多かったです。参加者の多くが何かを持って帰ることができた意義ある例会だったと想います。
例えば、アメリカが湾岸戦争で使った劣化ウラン弾の悲惨な後遺症について。また、宗教対立といわれているパレスチナ問題においても、我々の日常感覚で考えることが大切なんです。隣近所で仲良くしていれば、宗教が違うだけで傷つけあったりしますか? 宗教対立にしているのは為政者・政治家、あるいはマスコミの都合だったりするのだ、と言われていました。また、報復の連鎖を止めなければ戦争は絶対に終わらない――だから、パレスチナ人の悲壮な自爆テロ=インティファーダもイスラエルによる武力による報復もどっちもダメ。また、当然9.11テロも……。
パレスチナ人の置かれてきた状況に同情し、またイスラエルの軍事支報復に怒り、超大国アメリカの自己都合による自分勝手な世界支配への関与に嫌気がさしていたその頃の僕の心にあった、横暴なアメリカに対する9.11テロの必然性への単純な理会に楔を刺してくれたように想います。
暴力を以って暴力に対抗してきたが故に、報復の連鎖は無限に拡大してきた――という豊田さんのスタンスは、非暴力を貫徹しようとする意思においてあのガンジーに通 じるのか、という感動がありました。
それはまた、報復の連鎖で犠牲になる民衆への連帯に裏打ちされているのだ、と感じました。学校に行きたくても行けないパレスチナの子供たちに希望を与えるなら、平和を取り戻す以外にないのだ、と。
では、僕らはこの日常を生きながら何ができるのか――をいやおうなく問わざるを得なかったのです。
真摯に平和を願い、現在進行中の殺し合いを許せない――という視点では内外問わずほとんどの人の想いは同じだと想います。では、それをどうやって止め、この暴力の連鎖をもどうやって止めていくのか――を各自が考え行動するよい機会となれば幸いです。
はじめまして、やはり会外からの意見です。
豊田カメラマンのHPに紹介されていましたので興味深くやってきました。
しばらく、ご意見伺えればと思います。
出来るだけ、皆さまの議論に準じた意見交換になるよう、過去ログを多少ロムしてみましたが、相応しくない私の論議については遠慮なくご指摘ください。
岡庭氏についても詳しく知りません。その上で、失礼をも省みず申し上げることもお許し下さい。
この度の戦争は日本では珍しく本格的な議論が起こりました。創価学会とて例外ではないことを井上さんの発言によって知りました。野崎副会長の談話にあったように「米英の武力行使は誠に遺憾、戦争の早期終結を願う」という傍観者的立場で、殆どの会員は政治とは無関係に選挙活動に没頭していると思っていたからです。
井上さんが引用された1.26の池田大作氏の次の発言「軍事力を全否定するということは、一個の人間の『心情倫理』としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては必ずしも現実的とはいえない」が公明党のイラク攻撃容認のベースになっているものといえます。その正当化のためにご丁寧にも公明新聞ではイラクの予想される大量 破壊兵器一覧を特集する念の入れようです。
戦争によって大量破壊兵器の脅威が簡単に片付くとは思えない。何かの目的のために反戦という人達はともかく、そうした疑問に答えることなく戦争を支持してしまいました。戦争によって民主的な国家が築けるとは幻想です。あらたな支配が生まれるだけです。私たちは独裁国家フセインに最善をつくしたでしょうか。もっと悩むべきです。
信仰論、組織論が優先し、民主的な運営は相容れない、これまでの創価学会が岡庭氏が言う「民衆運動としての創価学会運動」と成り得るかどうか。私が創価学会の(主に社会的)運動を評価していません。組織拡大の方法論としか写 らないからです。勿論、真摯に取り組む人たちも居たことは認めます。しかし団体としての活動に形を変えると勧誘、宣伝の一環になってしまうのです。動機は誠実なのですが、民衆運動としては成功しない原因であろうと思います。
この度の井上さんの発言は正直、驚いています。
もしかして、外交という答えのない課題に直面して、創価学会にも変化が起こるのかもしれない。政権与党の一角だけに注目しています。
つるたまさひでさん
管理人さんをさしおいて(管理人さんすみません)ごあいさつを。
来ていただいて、ありがとうございます。
このHPには、会外の方もよくおいでです。つるたさんの疑問などぶつけてください。学会員が今、何を感じ、何をしようとしているか、苦悩も含めて感じ取っていただけるものと思います。
私は、すでに過去のことという人もいると思いますが、公明党代表が「イラクの武装解除になるという意味で」という条件付の発言で「新決議案に賛成だ」と言ったことはどこからも武装解除の圧力とは取られずに新決議賛成=アメリカのイラクへの武力行使容認としか取られなかったつまり新決議賛成=イラクへの武装行使賛成としか取れない。という結論を鈍い私は、やっと気づいたのです。
SGI会長は1・26、SGIの日提言ですでに「アメリカの一連の単独行動主義は、自由や人権、民主主義等のアメリカの掲げる普遍的理念(略)と、どう整合性をもつのか、疑問を呈されても仕方ないのではないか。超大国の自制を切に望むのは、決して私一人ではないと思います。」(第二十八回「SGIの日」記念提言〜大白蓮華3月号P38)
と述べています。
日本はアメリカに無条件に追従したといわれても何もいえません。公明党しかり。
このことを自分にどう問うかさまよってはいけないので、私はこの掲示板に来ます。
公明党は、師敵対であるだけでなく、無知な大衆を扇動して、師匠の理念と違う
というより、逆の方向に、もって行く悪知識である。
公明新聞や聖教新聞にたびたび、アメリカのブッシュ政権の右派勢力と繋がりのあるアメリカのシンクタンクの論客が登場しているが、これは、公明党の行動に対して、理論武装するための布石であった、と考えられる。
師匠が、人間革命を執筆する動機となった理由の一つに、1954年の戸田二代会長の原水爆禁止宣言がある。
これは、余命いくばくも無い戸田先生が、青年の最後の遺訓として、示されたもの
であり、この遺訓をもとに、師匠が、平和行動を生涯の仕事として、自身に鞭打っ
て、それこそ、命がけで、今日まで、行動してきたことは、異論ないところだろう。
内外の批判を覚悟で、獅子吼した日中友好の学生部総会での提言。宗教者が、共産
圏になぜ、行くのかという激しい非難の中、訪ソし、当時のコスイギンに、「ソ連
は、中国を攻めますか。」と率直に語った大胆さ。
師匠は、「創価学会の理念に、暴力や戦争などの人間性否定の手段が入り込む隙は
微塵もない。また、この妙法が全世界に広宣流布するならば、いかなる戦争も、断
じて起こりえない。」と御義口伝講義で述べている。
また、「平和と幸福への願いは、万人共通の念願である。戦争は断じて行うべきで
はない。戦争して誰が喜ぶか。誰が幸福か。勝利者も、敗北者もー。」と人間革命
でも明言している。
近年も「武力の勝利は人間の敗北である。民衆の苦しみで綴られた戦争の歴史に終止符を打つことが、後世に対する現代人の使命である。」等、一環して、創価学会
のテーゼとして、絶対平和を唱えているし、今も、唱え続けている。
神崎代表は、アメリカのアーミテージ国務副長官に、国民の税金を使って、国連の
新決議を支持しに行った。
これは、アメリカの武力行使の事実上の容認である。
仮に、新決議をとっても、国際法で認められているのは、自衛のための戦争だか
ら、国際法違反となる。
さらに、冬柴幹事長は、査察継続と新決議・武力行使容認という国連安保理での意
見が割れる中、新決議支持を明言した。
そして、アメリカの決議なしの戦争犯罪に対し、これを容認、悪いのは、イラクと切って捨てた。
アメリカの武力行使は、査察を受け入れていた、イラクという主権国家に対する侵
略戦争であり、この戦争に公明党は、積極的に参加している。
さらに、公明新聞の号外を出し、これを純粋な学会員の婦人に配らせようとする公
明党は、民衆を馬鹿だと思っているのだろう。
師匠は、罪のない母と子を守れ、と言っている。民衆は、総理大臣よりも偉い、とも言っている。
クラスター爆弾で、子供が八つ裂きになっている。
劣化ウラン弾は、小型核兵器である。
公明党は、民衆の声なき怒りに沈没するであろう。
つるたまさひでさん
そういうことは、当然、起こりうると思います。自らの信念で悔いのない選択を皆するでしょう。
我々は、馬鹿ではありません。
日本は、民主主義であり、主権在民です。学会員である以前に日本国民です。
今回の大儀なきイラク戦争に最も反対しているのは、新聞等のアンケートで、公明
党支持者です。すなわち、学会員です。
結果は、近いうち、出るでしょう。
先生が、ご存命のうちに、こういうことが発生して、逆に良かったです。
すみません、アドレス間違えて書いてしまいました。
さきほどのアドレスでは、ぼくにメールはとどきません。
はじめまして
つるたといいます。
工場労働者です。
創価学会とは関係ないものです。
ただ、なんとか戦争を止めたいと思っているものです。
友人の豊田直巳のHPで井上さんにここを紹介してもらって
創価学会の中に公明党の意に反して戦争反対の人がおおぜい
いるのを知り心強いです。
いま、政権与党が変われないのであれば、投票という
権利を行使するしかないと考えています。
戦争反対の意思を投票で意思表示する、つまり与党への投票を
拒否するしかないのではないでしょうか?
確かに、長年、公明党を支持されてきた方には身を切られる思いかも
しれませんが、党の執行部が態度を変えようとしないのであれば、
ここはそういう意思表示の仕方をするしかないのではないかと
思います。
みなさんのお考えをお聞かせください。
理性的に考えを書くこと、相手の言っていることを理解して返答することなど、対話って難しいものですね.でも自分の思考の傾向性などを知れてためになります。
でも、感情は感情なのだから、感情的に書くのも必要なときもあると私は思います.「大感情」という言葉もあることだし.
夢野さんのいっておられる「あきらめ」、これは一番日蓮仏法から遠い言葉だと思います.わが心をのぞいてみます。
ブッシュの侵略戦争でアラブ諸国の間に、反米感情が高まっているという。
5000人のアラブ義勇軍がイラク入りしたという話しもでています。「イラク国民の解放」などというブッシュの身勝手な押し付けの目論見は外れ、サダム・フセインに決して好意的な見方をしていたわけではなかったイラク国民やアラブ諸国の人々も、反米という旗で結束しつつあるという。「自爆テロ」という最悪の手段で対抗しようとする者がたくさんいる、という状況そのものがパレスチナ問題と同様に、このアメリカの愚劣な侵略戦争の欺まん性を象徴しているのでしょう。
アラブ諸国民の間では、アメリカに対抗するのは「北朝鮮」だけだ、ということで北朝鮮に対する支持が高まっているという。
イラクを「民主化」して中東をよくするのだ、といったアメリカの身勝手な論理は、かえって中東だけでなく、極東まで不安定にしてしまっただけのように想える。日本もまたテロの対象となるのだ、ということに日本政府はどんな覚悟を持っているのか、公明党はどうなのか――。復興支援さえすれば免罪されるというのか?
「報復の連鎖」はこうして世界を不安定にしていくだけではないのか……。
また、真っ先にこの侵略戦争を支持した日本政府や外務省・与党の政治家の本音を聞けば、誰もアメリカのやり方や正義について正しいなどとは想っていないのだという。
だが、超大国アメリカのやることには逆らえない、北朝鮮問題があるから仕方ない、という諦めが彼らの心理を支配していているのだという。
なんとも情けない話ではないか。
一方、戦況はというと、米英軍が首都バグダッドに迫りつつあり、それに伴って、一般 市民の犠牲者が激増している。何ともヤリキレナイ日々が続く――。
個人的に、アレクセイさんのHP、BBSで、対話したいと思います。
アレクセイさん
下の井上の書き込み、下から5行目の
>いつも当てはまらないのです。は
>いつも当てはまるわけではないのです。に訂正し、お詫びいたします。
既に読んでおられたら大変申し訳ありません。書き間違いですのでお許しください。
アレクセイさん
>つまり学会員の人は、しばしば「中味」を問う努力を放棄して「目に見える権威=アリバイ」を欲しがるのです。
「思考放棄」して、それにすがりついたほうが楽なのは当然ですが、既にそうした「悪癖」がなかば「普遍常態化」しているということなのです。もちろんこんなことは池田SGI会長も望んではいないに関わらずです。
文章の切り取りで、申し訳ありませんが。私はこれを読んで正直なところ、なるほどそういうこともあるだろうな、と思いました。なにせ入信直後の頃、我の強い私に、いつも先生の言われることと、御書には「はい、そう思いますと心で言うんだ」と教育されましたよ。
でもこれは、師匠と大聖人に対してで、幹部のいうことにとかは幸いその先輩は言いませんでしたね。
アレクセイさんの文は信仰に関しては当てはまらないと思います。当てはまるのは組織の人間関係や組織での思考法などからくる弊害だという文脈であればわかります。
それに、いつも当てはまるかといえば、そうとはいえないでしょう。
例えば、組織で今回の公明党のアメリカ支持後、ブロックや地区で配られた公明新聞号外、を前にして、私の地区部の地区婦人部長は、これを使って対話しましょうと言われましたが、私はアメリカのことは何もないですね、地区部長はイラクではアメリカの経済制裁で何百万の子どもが死んだんですよ!号外をみんないいと思ってはいません。
しつこいですが、アレクセイさんの言っていることはいつも当てはまらないのです。
こう言うと、あなたは組織の中にいる人だからだ、というような偏狭な方ではないですよね。
それから、管理人さんは2003・3・26・23:24書き込みで、掲示板荒らしの不毛な対応に追われることが多い、と言われているように、初めての書き込みの方には、慎重にならざるを得ない、したがってその人が立っている位 置を確認したいという心情は、理解できます。
日蓮のポリシ―『いまだこりず候』(曾谷殿御返事 p1056)、一部の会員の間で動揺が起きている―此れこそ当に「魔」の意図する処―そして「此れ」を利用して脱会者を増やし、学会破壊を狙っている―『毀 誉褒貶に侵されない賢人』で行こう。