2003年 0410 17時 57分 05秒 0416 20時 06分 35秒


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アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 16日 20時 06分 35秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 酔夢さま
お待たせしました。まだ、この掲示板をご覧になっていることを期待して、精一杯書かせていただきます(メールアドレスがわかっておれば、念のためにお送りするんですが/笑)。

まず誤解の無いようにあらかじめ申しておきますが、私は、夢野さんよりも、貴方(酔夢さん)の方を高く評価しております。その上での、

> 興味を惹いたのは、酔夢さんの登場です。夢野さんが反論をしておられるようですが、結論から申しますと、私は酔夢さんをまったく評価しておりません。あえて反論するにも当らない、この掲示板には不似合いな「凡庸な批評文」だと思っております。

という評価だということ。つまり夢野さんの「批評」とやらは『凡庸な批評文』以下だということです。ただし『この掲示板には不似合い』とは言えない、ということです。貴方ならば、この意味が理解できるでしょう?(笑)

こうした前提の上で、貴方の『凡庸』性について書かせていただきます。

まず、私にこうした印象を強く与えたのは、貴方の最初の書き込み(2003年 04月 08日 17時 14分 01秒)でした。これについて、細かく分析してみましょう。

> しばらく拝見していました。みなさんこんにちは。入会暦は長いですが、私は殆ど活動をしていない学会員です。

まず、この自己紹介を、私は次のように理解します。

「入会歴は長いですが、その間、私は中途半端な活動しかしていない学会員です。つまり、公然と学会に疑問を呈したり活動を拒否したりしているわけではなく、何となく適当に、当たり障りなく、手を抜きながら学会活動を続けている学会員です」

こうした理解において、同じように「創価学会の信心に疑問を呈する者」であっても、私と貴方の間には、明確な線引きがあるということです。


> >例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?

> この「問いかけ」には、少々疑問があります。
> 第一点の疑問は、戦争が起きることを前提とした質問であり、信仰を機軸とする戦争自体への根本的問いかけにはなっていないように感じます。戦争がおきたらどうする、こうする、ああするといった仮想的な問いかけ自体に意味があるとはあまり思えません。いかなる答えを期待されているのでしょうか。

さて、本論です。
この『疑問』とやらが、まず論外です。貴方がここに引用して疑問を呈している相手の人の意見が、何を言っているのかは明白でしょう。つまり「空爆を受け、命の危険に曝されるイラクの民衆の立場に立てば、非対称的戦争の最たるものである『今回の米英の侵略行為』など認められるわけがないでしょう?」ということです。つまり、貴方の『いかなる答えを期待されているのでしょうか。』という問いかけに、私が代わりに答えるとしたら「米英の侵略行為を断固批判し、それを支持する勢力を断固批判する」ということです。

貴方は『仮想的な問いかけ自体に意味があるとはあまり思えません』とおっしゃいますが、そんなことはありません。ここで貴方が引用している文章の書き手(仮説質問者)がしていることは、簡単に言えば「思いやり」を求めることであり、「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」という「倫理学」における、ごくオーソドックスな考え方の提案です。

たしかに『仮想的な問いかけ』が意味をなさない場合もあるでしょう。しばしば「欺瞞的な議論」には、そういう「不自然な仮定」が持ち出されたりしますからね。しかし、そうした「例外」の存在が『仮想的な問いかけ自体』を全面 的に否定するものではありませんし、まして今回貴方が引用なさったような「ごく自然な仮定」を否定できるものでもありません。

つまり貴方の『戦争がおきたらどうする、こうする、ああするといった仮想的な問いかけ自体に意味があるとはあまり思えません。』というご意見は、その前段の『信仰を機軸とする戦争自体への根本的問いかけにはなっていない』ということを強調するためになされた「不自然な否定」に過ぎないのです。
そして、この「不自然さ」がどこから出てくるのかと言えば、それは貴方の興味が「創価学会の信仰への疑問」にしかないからでしょう。このことについては、後で詳しく説明いたします。

> 第二点の疑問は、我々近代国家における戦争観からみた質問のようにも感じることです。中東は国家=民族ではないという点を見失い、我々日本のような一国家一民族(厳密に言えば違いますが)という目線で物事を見ようとしているのであれば、それは過ちをおかしているような気がします。中東には何回かいったことありますが近代国家覇権主義による中東の国家意識形成以前に部族意識が深奥に根ざしており、有る意味で流動的な地理・地形に育まれて生きてきた人たちであるという点を忘れてはいけないと思います。現地に行けばわかることですが、彼等の語る『平時が戦争である』という言葉の意味する戦争は必ずしも我々が考えている近代国家間の戦争とは違う意味だからです。石油資本とは直接無縁の都市部から離れて生きる砂漠の民にそういった意識は、わたしの知る限りではありません。《自身の問題として考える》ということ自体、対岸の火事であり、我々近代国家に住居する人たちの不遜・驕り・欺瞞だと感じます。

貴方はここで『例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?』と問うた人の『目線』を『我々日本のような一国家一民族(厳密に言えば違いますが)という目線』だとし、その一方で、ご自分の立場は『中東には何回かいったこと』のある人間の『中東の(中略)部族意識』を理解し『彼等の語る『平時が戦争である』という言葉の意味する戦争は必ずしも我々が考えている近代国家間の戦争とは違う意味』であることを承知している(つまり『我々近代国家』レベル、『我々日本』レベル、『一国家一民族』レベルを克服した)『目線』だとしています。……しかしここには、明らかな「論理矛盾」あるいは「欺瞞」があります。

つまり貴方は『我々近代国家』とか『我々日本のような』とか『我々が考えている』とか書いているけれども、貴方自身つまり「私」は、この『我々』の中に含まれてはいない、ということなのです。
貴方は、『我々日本』の側の論理も『中東の(中略)部族意識』の側の論理も、「両方理解できる」という複眼的な立場に立って、貴方が引用した人の『我々日本のような』単眼的立場を批判しています。貴方がここでご自身を「複眼的立場」を擬するのは当然のことでしょう。なぜならば、「そのいずれが一方だけ」なら『我々日本のような』立場を否定することが、不可能だからです。
つまり、貴方の立場が、『我々日本のような』立場だけなら、当然『我々日本のような』立場を否定できないし、逆に『我々日本のような』立場を理解できない『中東の(中略)部族意識』だけの立場なら「水掛け論」になるしかないからなんですね。

だから貴方は、ご自分の立場を「複眼的立場」に擬したのです。だが、これは貴方自身の「論理」に従えば、不可能なことです。すなわち『戦争がおきたらどうする、こうする、ああするといった仮想的な問いかけ自体に意味があるとはあまり思えません』という立場、『仮想的』に「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」こと『自体に意味があるとはあまり思えません』とおっしゃる貴方には、何度、中東への旅を経験しようと、どんな勉強をしようと、ついに『中東の(中略)部族意識』には立てないからです。貴方に選びうるのは、せいぜい『中東には何回かいった』経験から「推して」の(貴方自身が否定した)『仮想的な』『中東の(中略)部族意識』でしかないからなのです。


ここまで、ずいぶん回りくどく貴方の立論の「論理矛盾」「手前味噌」性を説明してきましたが、どうして貴方の立論がこんなものになってしまったのか、……その原因は明白でしょう。それは、「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」という「当たり前の行為」を、貴方がご自分で否定してしまったからです。

言うまでもなく「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」ということなしに、人間は生きてはいけないのです。これは一人では生きていけない、弱い生物である人間の、本質に根ざした「優れた能力(共感能力)」なのです。

では、なぜ貴方はこの「優れた能力」を否定してしまったのでしょうか? それは貴方が「他の学会員」とは違って「知的に明晰」であるとご自分を規定なさっているからでしょう。そんな貴方にとっては、

> 例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?

というような問いかけは、「情(主観)に淫した」凡庸極まりない問いかけにしか見えなかったのです。たしかに、この「問いかけ」は「情」に発したものであることは事実でしょう。こうした「問いかけ」は、貴方もおっしゃっているとおり「中東の現実」を知らなくても発することが可能なものですからね。しかし、だからといって、こうした「自然で素朴な問いかけ」が無効だということにはなりません。なぜなら、前述のとおり「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」というのは、人間「倫理」の基本的な形だからです。

では、さらに、なぜ貴方はこの「自然で素朴な問いかけ」を否定してまで、ご自分が『「他の学会員」とは違って「知的に明晰」である』ことを示そうとなさったのか? そもそも、なぜそのような「自負」を持ち(そのように自分を規定し)たのでしょうか?
それは、貴方の創価学会内における「今の立場」に拠るものだと思います。

すなわち、貴方は、「他の学会員」つまり「純粋」とも「愚鈍」とも言える「当然持つべき疑問すら持たなくなった」学会員を、当然のごとく『長い』間、「内心」では見下してきたわけです。……まあ、ここまでは良い(個人的な評価の自由)。しかし、貴方はそれを公然と「他の学会員」にぶつけることをせず、無難にごまかしを重ねながら「同じ学会員」であることを続けてきました。その結果 、こうした「欺瞞」によって、貴方の「知的優位意識」は、「意志薄弱に基づく劣等感」と表裏一体のものになってしまったのです。

つまり、貴方は、ご自分の「知的優位性」を他人に誇示しないかぎり、外見的には単なる「やる気のない学会員」であり「自己満足的自尊心の持ち主」でしかないことを、よくご承知なさっている。だから、どこかでご自分の「知的優位 性」を他人に誇示したかった。しなければ、救われなかったんです。

そして、そんな貴方の前に現れたのが、この掲示板でした。

肉体をさらしての「議論」とは違い、「文章」上での議論は、基本的には「内容」勝負です。「内容は無いけど、声がでかい」とか「内容は無いけど、仲間がたくさんいる」とかいうことで、「文章」上での議論に勝つことはできません。すなわち、貴方が地元で「非論理的な、地域の学会員」を相手にしてできなかったことが、この掲示板上でならできる、と判断なさったわけです。なにしろ貴方のご登場の直前には、アレクセイと名乗る男が、それを実践して見せたのですからね。

しかし、最初にも書いたとおり、貴方と私では立場も違うし、覚悟も違うんです。
貴方の場合は、形式上であろうと、まだ「信仰を続けている」という「弱点」がある。つまり公然とその身をさらして「本質的な信仰批判」をしたことが(ほとんど)無いという「負い目」がある。だから、徹底した批判ができない。それをやれば「ならば、どうして貴方は『入会暦は長いですが、私は殆ど活動をしていない学会員です。』などと言って、何となく適当に、当たり障りなく、手を抜きながらの中途半端な学会活動を続けているか」と追求されるに決まっているからです。

貴方の「弱点」は、そうした「日和見」的な中途半端さにあったのです。だからそんな貴方は「創価学会の信仰」批判の根底に「自分の信念」をおくわけにはいかなかった。そこで持ち出されてきたのが『中東の(中略)部族意識』といった、わずかばかりの「知識」と「経験」だったというわけです。

だが、言うまでもなく『「知識」と「経験」』は、貴方の「専有物」ではない。貴方と同程度の『「知識」と「経験」』をもった学会員さんは現に存在するでしょうし、その人が『例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?』と問いかけることは充分に可能であって、なんらその『「知識」と「経験」』に矛盾することはないんです。つまり、貴方がなさった「創価学会の信心」批判は、貴方が他人には共有しようのない「貴方の信念」を基盤としなかった(できなかった)ことによって、いずれ瓦解するのが目に見えた、脆弱な批判だったということです。

また、さらに貴方の『「知識」と「経験」』が、当てにならないほど「貧弱なもの」であることの証拠を、以下に示しておきましょう。

> 中東は国家=民族ではないという点を見失い、我々日本のような一国家一民族(厳密に言えば違いますが)という目線で物事を見ようとしているのであれば、それは過ちをおかしているような気がします。

ここです。
貴方は『(厳密に言えば違いますが)』と注釈をつけながらも、日本が『一国家一民族』という考え方を承認しています。しかし、日本は、事実として『一国家一民族』ではありません。それは『厳密』に言おうが「大雑把」に言おうが同じこと。日本が『一国家一民族』つまり「単一民族」ではないというのは、アイヌ民族・琉球民族の存在に明らかですし、すこし歴史を繙けば、日本に大勢の「朝鮮民族」が溶け込んでいるのは否定できない事実です。さらに言うと、先の大戦では、日本は「朝鮮併合」をして、現地の「朝鮮人」を「日本人」だと規定しました。つまり日本人による「日本」「日本人」「日本民俗」の規定とは、このように曖昧で、手前味噌なものでしかないということであり、日本は『一国家一民族』であるという「主張」は、「侵略・征服・支配者」側による、その血塗られた「歴史的事実」隠蔽のための、「欺瞞」であり「幻想」でしかなかったということです。

しかし、この程度のこと、貴方が知らなかったとは言いません。それはわざわざ『(厳密に言えば違いますが)』と注釈をつけたことからも明らかです。貴方個人は、本当は『一国家一民族』なんてことは信じていなかった。……だが、ここでは「そういうこと」にしておかないと、

> 例えば自分がイラクに住んでる人間だったとしたら、自分勝手な「正義」をかざし、弱い者イジメみたいな今回の米英の侵略行為にどう対処するのでしょうか?

という意見を、『一国家一民族』を自明の前提とした、自堕落な(情に流された・非理性的な)な問い、つまり、非『根本的』な問いだとして、否定することができなくなるからです。ご自分の、わずかばかりの「特権的な経験」を嵩に着て、「自然で素朴な問いかけ」を否定しさることができないと考えたからなのです。


つまり、貴方のご批判は決してご自覚なさっているような『信仰を機軸とする戦争自体への根本的問いかけ』などではありません。貴方の今回の問いは、『長い』間、学会のなかにあって、その「知性」をなんら評価されずにきた者の「ルサンチマン」の発露に過ぎないのです。
だから、貴方の「問題提起」は、どこまでいっても「信仰姿勢の反省」つまり「君のその確信とやらを問いなおしてみろよ」というところから、一歩も踏み出さないのです。つまり、貴方は「ダメな学会員」を批判するのにやっきになるばかりで、「イラク戦争」をはじめとする「現実」には、完全にノータッチなんですね。なぜなら、貴方はもともと「現実」に対しては、とても非力な人だからです。その「知性」だけを(内心で)生きる支えにしてきた人だからなのです。

そして「現実」から「逃避」して、ひたすら「内面の問題」つまり「信仰の問題」に終始しよう、そこに「修錬させよう」とする貴方の姿勢は、貴方が批判している「ダメな学会員」と瓜二つなのです。

私が批判した、夢野さんの議論をご覧なさい。「現実にも目を向けています」「あれにもこれにも心を痛めています」「それを好しとしているわけではありません」「あれにもこれにも言及しました」「貴方に言われるまでもなく、承知しています」とやったうえで、結局は「師弟不二の問題なのではないでしょうか」と「創価学会内での印篭」を持ち出してきて、事足れりとしているのです。つまり、これが貴方と同じ『「現実」から「逃避」して、ひたすら「内面 の問題」つまり「信仰の問題」に終始しよう、そこに「修錬させよう」とする』態度だということです。

どうして私が、一方で「イラク戦争」などの「現実問題」に関わりつつ、その一方で「学会員の個々」の問題として、いろんな人を個別 に批判していると思います? それは、この「外見上大きな(現実)の問題」と「外見上小さな(内面 )の問題」が「外見上の大小」に関わりなく「等価」であり、その奥底で「リンク(通 底)」しているからです。

だからこそ、夢野さんのような人は、「外見上の大小」は問題ではない「本質の大小」を問題にせよ、と言って、ものの見方を簡単に逆転してしまうのです。そして、こうした「倒錯」を多くの人が許すのは、そうした人々自身、この「現実」と「内面 」の二つの問題を、自分の置かれた立場に応じて「都合良く」片方が「より重要(本質的)だ」とする「手前味噌な発想」を好む(望む)からにほかなりません。「どちらからも逃げない」という覚悟が、創価学会の内と外とを問わず、ほとんど見られない。「二つとも相手にするのはツライから、どっちか一方に決めてよ」という惰弱な精神が、「こっちが本質だよ」という安直な「欺瞞」を呼び寄せているのです。


ともあれ、最初にも書きましたとおり、私は貴方の「創価学会の信心」批判の大半は、誠実で有効なものだと思っています。ただ、そもそもの「動機」に問題があったために「論としては破綻していた」ということです。

つまり、貴方の「批評」を『取るに足らない』としたのは、「相手の立場に立つ(て物事を考えてみる)」という、ご自身拠って立たざるをえない「当たり前の前提」を否定してしまったいたからです。
そして『この掲示板には不似合い』としたのは、私がこの掲示板を、基本的には「信仰と現実の間で悩みながらも、できる限り真摯に思考していこうとしている人たちの掲示板」だと思うからです。そういう意味では、あなたの「議論」は根本的に「自己正当化」のためのものでしかないから、不似合いだというのです。「結論」を先に決めておいての議論だから、不似合いだと言ったのです。

もちろん、その意味では夢野さんの「議論」も充分に不似合いだと言えましょう。しかし彼の「いかにも誠実な信仰者」だという態度の裏側に隠された「日和見的打算主義者(迷っている人たちが、どんな甘言に弱いかを読み取って、それを誠実ぶって語り、その場の状況に応じて人気取りをする偽善者)」の正体は、この掲示板での「議論」において、本当に誠実に「現実を直視」し「逃げることなく思考し・語ろう」としている人たちには、良い「反面 教師」になると考えたからです。


貴方に必要なことは「他の学会員」の「現実」つまり「欺瞞的思考」を問うことではなく、まず貴方自身の「現実」を「直視」し、それを突き詰めて「問う」ことです。すなわち

> 入会暦は長いですが、私は殆ど活動をしていない学会員

という「有耶無耶」にしてきた自分の態度を、明確にすることです。
貴方にまだ「この信心は何かあるかも知れない」という思いが残っているのなら、他人のことをとやかく詮議する前に、貴方が自分の行動で、この信心を試してみるべきです。それで確信が掴めれば良し、それでもダメだと思ったら、すっぱり辞めてしまえば良い。いつまでも、何の足し前にもならない「信仰ごっこ」につきあっていられるほど隙はないはずです。また、すでに全然信じていないというのなら、いいかげんな誤魔化しは止めて、勇気を持って「信じていない」ということを明言し、出処進退を明確にすべきでしょう。そうでなければ、貴方はいつまでたっても「後ろめたさ」につきまとわれ、故なき「ルサンチマン」に捕らわれ続けなければならないからです。
貴方の生き方は、貴方自身が責任をもって決めれば良いんです。学会を辞めて「近所の学会員に陰口を叩かれて」も「信心を捨てて地獄に落ちようとも」、それが自分で決めたことなら「自業自得」で納得できますが、「後ろめたさ」を感じながら、嫌々続けた結果 、このまま何の功徳も無かったらたら、貴方の「今の一生」が台無しなばかりが、後悔してもしきれないんではないですか?

「勇気」持つことです。「信心」も含めて、何もかもは、まずそこから始まるのだと私は思います。




創価桜 さん 2003年 04月 16日 18時 09分 06秒

聖教新聞学芸部責任者、先生の主張と反対、ネオ・コンの加瀬みきを再び、紙面 に登場させた責任、イラク開戦前に、山崎正和を紙面に載せた責任。

戸田先生の顔に泥をぬった責任、とってくれますか。

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 16日 13時 19分 11秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

下の書き込みの引用文(『那覇の風 さん 2003年 04月 15日 19時 42分 10秒 』)に付した、引用マーク『>』にミスがありました。正しくは、下のとおりです。記して訂正させていただきます。

> アレクセイ評価
> アレクセイってやつ、だれだ?
>> それにしても、私はどうして、こうも人気者なのかなあー(笑)。
> 俺は幼児ですっていってるようなもんだな
> 不思議なのは、掲示板読んでも、どこが「人気者」かわかんないところだな。
> ネットの外のリアルじゃ孤立してんだろな


アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 16日 13時 10分 08秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ みなさま

> 省察さん
> まじめに書いておられるようなのに(内容は別として)、《那覇の嵐》などとだいなしですよ。ご自分でこれまで書かれたことが説得力に欠けていると自分で証明しているようなものだし、さらに言えばあなたご自身が書かれた《人格攻撃》《陰湿な攻撃》そのものじゃありませんか。いくら掲示板でかっこよく正義を語っても、一事が万事です。それとも正義のためには手段選ばずですか。これではアレクセイさんの思うつぼですよ。正々堂々と書かれればいいんじゃありませんか。

酔夢さんが、上のとおり書かれておりますが、これが何を意味するのか解説しておきましょう。

『那覇の風 さん 2003年 04月 15日 19時 42分 10秒 』という書き込みが、『省察 さん 2003年 04月 15日 19時 19分 38秒』のあとになされています。

> アレクセイ評価
> アレクセイってやつ、だれだ?
>それにしても、私はどうして、こうも人気者なのかなあー(笑)。
>> 俺は幼児ですっていってるようなもんだな
> 不思議なのは、掲示板読んでも、どこが「人気者」かわかんないところだな。
> ネットの外のリアルじゃ孤立してんだろな

見てのとおり、一見したところ、『省察』さん(こと『tatami』さん)とは別人のような書き方ですが、HTMLソースを開いてみると、どちらの書き込みのデータにも、

(compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.0; Q312461)

とあります。つまり、この「二つの書き込み」は、ほぼ間違いなく「同一のパソコン」からなされた、ほぼ間違いなく「同一人物」による書き込みだということです(親兄弟などの「同居者である可能性」は否定しません)。

つまり簡単に言えば、『那覇の風』なる人は「省察」さん(つまり、tatamiさん)の「なりすまし」である、ということです。そして、こうした「分身の術」は「掲示板荒らし」の常套手法だということです(この文体は、完全に「掲示板荒らし」のそれです)。

たくさんの「名義」をつかって書き込みをし、いかにも自分の意見が、多くの人に支持されているか、いかに説得力があったかということを、卑劣な「なりすまし」によって「演出」し、「世論を煽り」「世論を構成しよう」としたということです。
つまり、私が先日指摘した「数」に頼る人間による「プロパガンダ(政治的宣伝)」だったということです。

もちろん『省察』名義の書き込みには『あ、たたみです。』とありましたから、一応「アリバイ」は成立していると言ってもよいでしょう。
しかし、今回の『那覇の風』名義の書き込みについては、その「断わり書き」がないのですから、これは「意図的欺瞞」だと見るべきです。そして、この場合「貴方(アレクセイ)がやったみたいに、ソースを開けばわかることじゃないか」という「言い訳」は、泥棒に入った家に免許証を落として帰った間抜けな泥棒が、逮捕された後に「泥棒するつもりで入った人間が、免許証を置いて帰るものか」と言って「犯意」を否認するようなものなのです。

また、なぜ このところ tatamiさんが『省察』名義を使いだしたのか、逆に言えば「なぜ『tatami』名義で、アレクセイ批判をしないのか?」について申しますと、それは前述したとおり「なんとなくアレクセイ批判者が増えたような気分にさせる」という「読者への心理的な効果 」とともに、「『tatami』という本来のハンドルネームに、個人攻撃者としての汚れた印象がつくのを恐れたため(つまり、自己の発言からの責任回避)」だと推察されます。

ま、どっちにしろ、『tatami』さんが「掲示板荒らし」をしたというのは最早「否定できない事実」であり、すなわちそれは、彼が恥ずべき「掲示板荒らし」だということです。
かんりにんさんがそれを認めなくても、これは他所でなら充分に説得力のある説明でしょう。また、そうでなければ、私に評価されていないことを承知している酔夢さんが、

> いくら掲示板でかっこよく正義を語っても、一事が万事です。それとも正義のためには手段選ばずですか。これではアレクセイさんの思うつぼですよ。正々堂々と書かれればいいんじゃありませんか。

なんて書くわけないんですからね。
忘れてならないのは、こんな卑劣な人物が、「創価学会員」であり「池田先生を師匠と仰ぐ」と言い「アメリカの卑劣な「イラク攻撃」には反対する」と言っているという事実です。……あれ、言っていませんでしたっけ?(笑)



アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 16日 12時 03分 34秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 酔夢さま
貴方のご論説が『取るに足らない』とした理由説明が遅れており、申し訳ありません。馬鹿を相手にするのが嫌いではない方なので、寄り道ばかりしております。

> こういった不実な回答しか寄せないということで、すべてを了解しました。あほくさいのでこの掲示板は私のブックマークから削除しましょう。

とのことですが、人の「信念」(「思い込み」と言い換えてもよい)を問題にして議論をすれば、きれいな議論にならないのは覚悟するべきです。むしろ、そこへメスを入れることによって、隠されていた膿を出し、病いが伏在していた事実をを知らしめることが治療行為となりましょう。当然、執刀をする者の手にも臭い膿がつくわけですが、そんなのは洗えば落ちるものなのです。

できれば今日中にも、『取るに足らない』とした理由説明をしたいと思いますので、もうしばらく時間をください。
それにこの掲示板の最低部ばかりを問題にしないでください。カッコつけばかりじゃなく、真摯に思考努力をしている学会員さんも多いんですから。現実問題として、長年なんとなく学会員でいたという中途半端な貴方が、そう簡単にこうした人たちを見下せるわけでもないと思いますよ。



小六 さん 2003年 04月 16日 11時 24分 00秒

単純に、先生が今何を思われているかということを考えてみています。

イラク戦争に関しては、アメリカの暴挙に痛恨の思いを抱かれているでしょう。
親友・ゴルバチョフの以下の言葉に先生も賛同されると思います。
「イラクだけでなく、世界に深刻な被害を与える行いだ」
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003mar/20/W20030320MWC3S100000035.html

かと言って、公明党が一度痛い目に遭うことまでも望まれているかというと、
そうではないと思います。
統一地方選前半での完全勝利直後(4月15日)の「わが友に贈る」では

勝利に次いで
大勝利を目指せ!
同志に心より感謝
また快進撃を!

とおっしゃっています。
「勝利」とは公明党の勝利であり、「快進撃」が支援の戦いのことであることは疑いの余地が無いのではないでしょうか。

公明新聞の論調は「アメリカにも一部の理がある」という方向性のまま。
聖教新聞には加瀬みきの連載が再開されました。
学会員の「平和」への意識の低さも今回、痛感されました。

毎回同じことを言ってますが、そのようなことについてしっかり声を上げていきつつも、理想的にはほど遠いながら仏法思想を政治に反映させてくれる可能性が最も高い政党が今のところ公明党であるからには、支援の戦いに汗を流していくべきだと思います。

夢野 さん (yumeno@amy.hi-ho.ne.jp) 2003年 04月 16日 03時 40分 02秒

酔夢 さんへ

「師弟不ニについては、あとで「希望の論理」創造のための掲示板で書きたいと思います。」というのをペーストし忘れてしまいました。失礼しました。酔夢さんに限らず、問題の本質はこの「師弟不ニ」問題をどう捉えられるのか――にある、と思います。ここで少し触れたいと想います。


>名誉会長だけが唯一絶対正しい。問題の根源は組織の上層部だ、信濃町だ、公明党の○○だ、信濃町の○○だ等々、まるで犯人探しのような議論が一部の人によってなされていることを指したものです。また、こういった議論がいたずらに煽られて暴走し、面 白がられ、場合によってはある種の意図に利用されかねないことに懸念をもったからです(さすがに特定の個人名投稿は削除されたようですが)。《よくわかりかねます》ということ自体、なにをとぼけているのかといいたいくらいです

ご指摘のように、みんながみんな犯人探しをしているわけではないと思います。それでも、そう想う人はいるし、想う自由は誰でもあるということじゃないでしょうか。
ですが「名誉会長だけが唯一絶対正しい」とはどなたの言動でしょうか?  師弟不ニが、たとえば、サダム・フセインや金正日のように唯一絶対の政治的存在として君臨する、というような意味ではない(実際にも違う)と僕は思っていますし、おっしゃるように「犯人探しのような議論」には僕も全面 的に賛成はできないと思ってきました。また「ある種の意図に利用されかねない」とのご意見にも共感します。僕もそうした「批判に終始」するような視点とスタンスには、僕なりの視点から異議を申し上げてきました。あまり理解されませんが、「あえて批判される側に立つ」という論理がある、ということも提起しました。

ただ、「組織」「幹部」に信頼を置こうとしてきた人たちには、大きなショックがあり、動揺なり迷いがある、というのは一定理解します。また、間違っていることは間違っている、わけですから、そのことに異議申し立てをするのは、特に、政治の場合にはあって当然、なくてどうするのかというのが僕の考えです。そうでなくして、政治がよくなるはずもない。
ただ、魚は頭から腐るというように、(信仰の)組織もまた幹部から腐るというのはあるわけで、この仏法では、外敵より獅子身中の虫、ということになるか、と思います。
その上で、何が間違っているのか? 自分はどうするのか?――をどういう視座=信心から各々が考えるのか、ということも多少は書いてきたつもりですが、なかなか伝わるように書く事ができません。

僕が一貫して言いたかったのは、例えば学会員が政治を語る上で、信仰者がそこに関わっているわけだから、「信仰者の狂いは信仰の狂い」として認識されるべきだ、ということです。
であるのに、そのように信心の問題として認識されることがないのはなんでだろう? と。
その辺りのことを考えるときに、マスコミや権力が仕組んだ反創価学会キャンペーンが与えた影響力の大きさは計り知れない。なのに、そのことが学会員自身から語られることがほとんどない。――そういう意味で、世間に迎合するような視座=信心の問題があるのではないか、というところから、僕的には「竹入」とそれを見て置いた「竹入への対応」をひとつの象徴として書いた、ということです。

「体斜めなら影斜めなり」というように、信仰者の狂いを信仰からどう見るのか――という認識する者の視座=スタンスは決定的に重要な問題だろう、と思っています。

以前(公明党が突然、連立政権に入るに当たって、国旗国歌法や盗聴法などに賛成していった頃)に、ある知人で、某メディアに登場し学会員として公明党批判をした方がいました。
僕も誘われたようですが、その際、僕は「貴方はどういう視点から批判するんですか?」と聞きました。その人は、いろいろ世間で言われているようなことを言っていました。でも、僕がそこで感じたのは、この人は「信心は信心、政治は政治」なんだなぁ……と。
政党や政治家なんかは、公僕なのだから批判されていてちょうどいい訳で、そのことに異議はないけれど――でも、信心している者がこれでは、「批判している方も批判されている方も信心がない」点で余り異なることがないなぁ……ということです。それはいまも同じではないでしょうか。ということで、僕はそのお誘いを丁重にお断りいたしました。断られることが意外だったのか、僕のような者に信心がないと言われて逆上したのか、その方は僕に「オレを敵に回すのか?」と叫んでいました(T_T)
批判的精神は大切だしそれは堅持し発言しつつも、公明党がおかしい、というなら僕らはその信心の狂いを見抜いて、そうならないような信心をひとりひとりの中に構築していく、ということなしには何も変わらないだろう、と僕は思います。そもそも、人を批判したからといって自分が偉いとか正しいということになるわけでもないのです。それを勘違いする方もイッパイ見てきました。

で、そのメディアに出た知人はその後どうしたか、というと、何かを反省したらしく?、一年後には「連立政権に入ることは名誉会長が決められていたことだ」と、ある場所で公言して失笑を買いました。あれっ、公明党の問題はどこにいっちゃったのかしら?  この変貌振りには僕もびっくりしました。このように、「政教分離」で名誉会長に発言させない体制を作り上げておいて、責任だけ取らせる構造が出来上がってしまっている――と。
こうした人たちを見ていると、学会では「師弟不ニ」だ「先生」だ、「名誉会長だけが唯一絶対正しい」などと言ってみることはあるものの、結局やっていることは何なんだろう? まさに、これは「狂信」あるいは「洗脳」の類いであると――というふうに(酔夢さんのように)考える人が出てくるのも仕方のないことかもしれません。

ただ、僕的に見ると、批判に終始したり、そうして豹変する方のほとんどは僕が想うような意味での「師弟不ニ」で、先生を捉えるということができていない。そもそも、そうした方と先生というテーマで話をすることができない、「信心の視点」を喪失してしまっている、というのが実感です。そもそも、「名誉会長だけが唯一絶対正しい」などと誰が本当に想っているのですか? いまの学会では先生のことが本当に学ばれているのでしょうか? 悲しいですが、それすら疑問符がつくことが多いのです。だから僕は、誤解を恐れながらも、「世間で言われるように池田教だからダメなのではなくて、池田教でないからダメなのだ」といってきたのです。
世間で想われているほど、先生の思想や生き方は学ばれていないのが実情ではないですか? それは酔夢さんが、「師弟不ニという視点を、わたしは信仰を持続していく過程で実感としてもつに至っていないというのが正直なところです。創価学会を社会的存在として必要不可欠なものに形成し、教団の精神的支柱であるという以上のものを見出すことはできていません。その点はいわれるまでもなく認めるところですが、それはわたし一人とは思えません。」と言われる通 りの厳しい実態ではないですか? 知識は伝えられても、智慧(この場合、師弟不ニ)を伝えることは難しいのです。そこを求めていくのが弟子、ということではないでしょうか。

でも、会内インテリたちはそうした師を求めることが少なくても、無告の民は言葉であれこれ説明出来なくても、先生という一点でまっすぐに繋がっている――そうした人に出会ったときに、師弟不ニの凄さを実感してきました。
「公明党に投票するときに幹部が「「ハ」「ム」と書きなさい」、なんてやってるよ」と、某雑誌でバカにされてきたような庶民の方々が、難しい理屈が解らなくても、貧病差別 の最底辺で人を救ってきた姿には、それを目の当りにした左翼の方々でも驚きを隠せなかったのです。それが戦後創価学会運動の力、というものではないでしょうか。

そうしたことが積み重なり、批判よりも、ほとんど崩れてしまった「師弟不ニ」の信仰をどうやって取り戻すのか? ということの方が大切だろう、と僕はずっと想っています。また、ネットで見る限り、世間の「池田教批判」に答えて、マルメラードフさんもどこかでいわれていますが、「師匠は日蓮だ」というふうに逃げてきました。これではもう終わっている、と僕は想ってきました。「師匠は日蓮だ」、というなら他宗との違いはどこに?  かようなほど、教学でも宗門教学の域を出ず、先生=師匠を求める志に狂いが生じているのではないでしょうか。ということで、これは各自の信仰が問われている問題なのです。

既に、三類の強敵を顕した、と宣言された池田先生に連なることをを通じて、日蓮に連なっていく――というのが、創価学会(牧口――戸田――池田と続いた三代の会長が築き上げた師弟不ニ)における仏法の血脈ではないのか。その血脈が、4.24以降、切れそうになっているのが現在の惨状ではないのでしょうか。
そこが解れば、この惨状にも希望はあるのだ、と僕は申し上げてきたのです。

「師弟不ニ」については、すでにコン太さん、いいぐるさんをはじめ、何人かの方々が真摯な書き込みをやっておられます。今後は僕も「希望の論理創造のための掲示板」で少しずつやりたいと想っていますので、みなさまもよろしく。

酔夢 さん 2003年 04月 15日 20時 21分 40秒

夢野さん

>議論の推移が特定の個人批判に集中している、というのは何を指しているのか、よくわかりかねます。

名誉会長だけが唯一絶対正しい。問題の根源は組織の上層部だ、信濃町だ、公明党の○○だ、信濃町の○○だ等々、まるで犯人探しのような議論が一部の人によってなされていることを指したものです。また、こういった議論がいたずらに煽られて暴走し、面 白がられ、場合によってはある種の意図に利用されかねないことに懸念をもったからです(さすがに特定の個人名投稿は削除されたようですが)。《よくわかりかねます》ということ自体、なにをとぼけているのかといいたいくらいです。

>僕らの運動の基本スタンスの誇りを忘れ、批判の嵐に耐え切れず、「非難されたくない、バカにされたくない」、と、あるいは、故なき批判の嵐に負けて、「世間に認められたい」と信心を喪失してきた者たちの狂いを指摘することにもご理解いただけるのではないか、と想うのです。
>世間で生きなければならないのと、世間に迎合するのとでは、まったく異なる、ということです

お互いに使っている《適応》の意味がそもそも違っているにもかかわらず、またそのことを夢野さんは最初の時点から重々承知のうえで、あえてこんなことを書いているのですね。
それにしても《非難されたくない》というのと《バカにされたくない》というのを、同列に論じ、同じ範疇に入れられているようですが、それは違うでしょう。
まあいいでしょう。それはよしとして(五十歩譲ったとして)、そういう人もいるでしょう。しかし、問題の本質が《すべて》そういった人によって引き起こされているといった極論が掲示板で繰り返し繰り返し主張されていることに対して、それを理解しろというのであれば、わたしの固い頭では残念ながら理解できるとはいいがたい。これ以上は何か不毛な感じがするので書きませんが。

わたしへのレスをすると書かれていましたから楽しみにしていましたが、《理解をしろ》の一点張りで何の補足説明も無いどころか、質問した二点に対しては、なんら一切触れずにおわっていますね。これで私へのレスは終わりということですか。レスをすると書いた手前、めんどくさいがほっとくわけにいかず、とりあえずなにかを書いておけみたいなもんでしょう。それならそれで別 にかまいませんが、こういった不実な回答しか寄せないということで、すべてを了解しました。あほくさいのでこの掲示板は私のブックマークから削除しましょう。


省察さん

まじめに書いておられるようなのに(内容は別として)、《那覇の嵐》などとだいなしですよ。ご自分でこれまで書かれたことが説得力に欠けていると自分で証明しているようなものだし、さらに言えばあなたご自身が書かれた《人格攻撃》《陰湿な攻撃》そのものじゃありませんか。いくら掲示板でかっこよく正義を語っても、一事が万事です。それとも正義のためには手段選ばずですか。これではアレクセイさんの思うつぼですよ。正々堂々と書かれればいいんじゃありませんか。

それでは掲示板常連の皆さんお元気で。

那覇の風 さん 2003年 04月 15日 19時 42分 10秒

アレクセイ評価
アレクセイってやつ、だれだ?
>それにしても、私はどうして、こうも人気者なのかなあー(笑)。
俺は幼児ですっていってるようなもんだな
不思議なのは、掲示板読んでも、どこが「人気者」かわかんないところだな。
ネットの外のリアルじゃ孤立してんだろな

省察 さん 2003年 04月 15日 19時 19分 38秒

さて、アルクセイ氏が、肝心の論点には、一切ふれずに、「切り返す」態度を
現在持っている人物だ。ということは、分かってきました。

特に、驚いたのは、

―――――引用 開始――――――――

私に批判される方はみなさん、「人格攻撃」という言葉がお好きなようですね(笑)。
まるで「人格」は批判されてはいけないものだとでも言うように。

しかし、言うまでもなく、人の「誤った行動」の大半は、その人の「人格」に起因します。ですから、明らかに「誤った行動」の原因を分析すれば、自ずとその対象(者)の「性格(人格)」に行き着き、それを否定的に評価せざるをえなくなるものなのです

by アレクセイ

に見られるように、「人格攻撃の妥当性、正当性」が主張されたことです。

これでは、今後も、この掲示板が、「陰湿な攻撃」に終始してしまいますね。

さて、質問にも答えないし、指摘論点にも触れないし・・・
どうも、議論とか、批判というものを「勝ち負け」という視点で
とらえているように、感じられます。

人格攻撃が論外であるように、「自分の勝ち負け」を問題とする「批判・検討」は、
これまた、論外です。

とりあえず、あなたの「人格攻撃の妥当性、正当性」の主張内容は、ひろく世に
問うことにしてみます。どのような、賛否両論が集るか楽しみです。
ちなみに、−思想的な公論ですから、引用は問題ないと思いますので、あしからず。


夢野 さん 2003年 04月 15日 18時 44分 25秒

酔夢 さんへ。
「――色々な意見があっていいのだと思います。」とのご意見、もっともです。
そもそもみんなが同じことを考えることなどできませんし、いろいろな意見や主張、想いがあることが大切なのだ、と想います。
議論の推移が特定の個人批判に集中している、というのは何を指しているのか、よくわかりかねます。

>社会に過剰適応することを善しとしないという言葉こそ、これまでに散々言い尽くされたことであり、結果 として何も生み出せていないでしょう。それこそひ弱なインテリの左翼的言辞を弄しているとしか思えない。現実の社会そのものを大上段に振りかぶって否定した後に何が生み出されたのでしょう。(酔夢さん)

僕らが生きている社会に適応せずして生きることはままならないのは当然です。過剰適応をなぜ問題にするのか――という視点を考えていただきたい。そうすれば、僕の云わんとすることにご理解いただけるのではないか、と想います。
「身近な人間の苦悩を媒介として、それを救済しながら、新しい時代の文化創造を産み出すものとしてそれぞれが桜梅桃李の使命を果 たしていく」という視座で合意できるのなら、僕らの運動の基本スタンスの誇りを忘れ、批判の嵐に耐え切れず、「非難されたくない、バカにされたくない」、と、あるいは、故なき批判の嵐に負けて、「世間に認められたい」と信心を喪失してきた者たちの狂いを指摘することにもご理解いただけるのではないか、と想うのです。

世間で生きなければならないのと、世間に迎合するのとでは、まったく異なる、ということです。

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 15日 18時 33分 59秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 創価桜さま

ご歓迎ありがとうございます。
でも、私は、チョムスキーと同じく「全方向批判者」なので、ご注意くださいね(笑)。


☆ 壮年Aさま

> 地涌の菩薩の眷属ではなく、地涌の菩薩として。

たしか昔、宗門から『地涌の菩薩』というのは間違いだと注文をつけられ、『地涌の菩薩の眷属』という表現に(創価学会として公式に)改められたと思うのですが、その後「旧に復した」ということなのでしょうか?

個人的には「やること(使命)は同じだから、肩書きなどどうでもいい」と思うのですが、学会として現在はどういう見解をとっているのかが気になりますので、是非そのあたりをご教示下さい。


☆ KOKOさま

> ところで、昨日、支部活動者会をしっかりさぼって、国会図書館に行って来ました。
> 湾岸戦争前後の聖教新聞を見るためです。
> さもありなんといってしまえば、それっきりですが、
> 91年1月半ばより(宗門の騒動で紙面が取られたにもかかわらず)、連日のように戦争反対の記事が載っていました。

予想どおりとは言え、とても価値のある「実証批判」だと思います。ありがとうございました。


☆ コン太さま

私ごときのために、たくさん書いていただいて、ありがとうございます。それにしても、私はどうして、こうも人気者なのかなあー(笑)。

> やっぱり舞い戻ってきたね・・・。予想してたよ。それにしても騒々しい再登場だったよなあ・・・。

本当に予想されていたのなら、悔しいなあ。あの時点では、本気でかっこよく立ち去ったつもりだったのに……。

> 大体、「言うべきことは言い尽くした」みたいな大仰な啖呵きって、守れもしない「誓い」なんぞ立てるからいかんのだ。

べつに『大仰』じゃなくて、あの時は本気でそう思ったんですよ。
本当はあの後、さっさとコンテンツ「創価学会の人々」(↑のURL)を作り、こちらにご報告の書き込みをしたら、二度と覗かないでおこうと思ってたんです。ところが仕事が忙しくて「創価学会の人々」が作れず、その間こちらを覗いているうちに、ムズムズしてきちゃって(笑)。

『守れもしない「誓い」なんぞ立てるからいかん』なんて言ったって、そりゃ結果論ですよ。あの時は……。

> そんなのは「誓い」だの「決意」だのとは言わない。「能書き」と言う。「能書き」は「能書き」を呼んで、さらりと再登場すりゃいいものを、「自分のサイトにかかわる時間を削ってまで、こちらにかけるわけですから・・・」なんてくさい見得を切らなきゃカッコがつかなくなるわけだよ。それじゃあ、カチンとくる人も出てくるだろうよ、私は笑ってしまったけど・・・。

みなさん『「誓い」だの「決意」だの』を大袈裟に考え過ぎなんじゃないですか? tatamiさんのレスにも書いたとおり、あの程度の「誓い」を『大仰』に考えるのは、「誓い」や「決意」に信仰的な意味を持たせる習慣のある、学会員特有の「過剰反応」だと思いますよ。

『自分のサイトにかかわる時間を削ってまで、こちらに』云々というのは、純粋に私の「思い」を率直に語っただけなのですが、世間的な「儀礼」の範疇になかったのは事実でしょう。私はそういう「形式主義」が嫌いなので、なかば本能的にああいう挑発的な書き方をしたのですが、それで誤解や反発を招いたのなら自業自得だと思います。

> たかが掲示板(かんりにんさん、ごめんなさい)に書き込みするのに、いちいちカッコつけんでもヨロシイ。書きたけりゃ書けばいい。書く時間があったら書けばいい。「退屈」になったらさっさと消えたらいい。あなたも言っているとおり、それだけのことだ。

そりゃそのとおりだけど、私は「奇人」「変人」の類いが好きで、「ケレン」が大好きだからなあー。でなきゃ、歴史上の尊敬する(好きな)人物が、南方熊楠・宮武外骨・大杉栄だなんてことにはならないでしょう(笑)。

> そして、戻ってくるときには「自分のサイトにかかわる時間を削ってまで・・・」なんて恩着せがましい言い方じゃなくて(「俺らはアホか?」とさすがの私も思ってしまうよ)、「自分のサイトにかかわる時間を削ってでも、こちらの論議に加わらせていただきます」ぐらいの物言いができんのかね、ホントに・・・。「出戻り」というものは(たとえウソでも)低姿勢でやってくるもんだ、あくまでも一般 論だけどね・・・。

そういうのがすごく嫌いなんだなあー。嫌いすぎて反対をやっちゃうところがあるんですよねー。

ま、それに「戻ってきてやったぞ。喜べ! わはははっ!」ってところはあります(笑)。

ちなみに私は自分のことを、京極夏彦の「妖怪ミステリ」シリーズの登場人物 榎木津礼次郎になぞらえたりします。で、この人物は「僕は神だ!」「君は今日からサルイカだ」などと口走ったりする超変人です。ぜひ京極夏彦の『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』『絡新婦の理』(講談社文庫)をお読み下さい。なかなか深みのある傑作ですよ。

> ま、今後ともよろしく。ただ、論議からはみ出したドタバタは騒々しくていかんぞ〜。ドタバタに「演技」は要るまいよ・・・。

だって、根っから好きなんだもん。私は、つっ突くと、よけいにはしゃいで大騒ぎをする子供みたいなものです(笑)。

> その辺のところを語っていただけませんか?

私は基本的に大真面目な「自分語り」が好きではありません。ほかのことを論じる過程で、そこに言及する必要があれば、それを語ることも躊躇しませんが、自分など語りたいとは思わないし、自分のすべては文章の中に正直に語られていると思っています。ちなみに、

> 池田大作という人間はあなたにとっていかなる存在であるのか

についてだけ書いておきますと、池田さんは「凄い人のようだ」という存在です。

でも、私の好きなタイプ、つまり南方熊楠・宮武外骨・大杉栄・大西巨人・チョムスキーといった「奇人」「反骨」「一匹狼(狷介孤高)」タイプではないので、「特に愛着はない」というところです。

> 池澤夏樹さんのメールマガジンの紹介、ありがとうございます。池澤夏樹さんの本は読んだことがありませんが、読んでみようと思います。

基本的には小説家ですが、多方面に展開されている方なので、何を読むかは問題です。ひとまず池澤夏樹さんのサイト「カフェ・インパラ」を覗いて、「新世紀へようこそ」のバックナンバーを読まれてはいかがでしょうか?

池澤夏樹公式サイト「カフェ・インパラ」
http://www.impala.jp

> エープリルフールさんへのレス(出戻り第一弾!?)には、少し首を傾げました。近日中に私なりの考えを述べたいと思います。

むむ。あの完璧な論文に『首を傾げ』たとな! ……楽しみにしております(笑)。


アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 15日 16時 47分 25秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 省察さま こと tatamiさま

私に批判される方はみなさん、「人格攻撃」という言葉がお好きなようですね(笑)。
まるで「人格」は批判されてはいけないものだとでも言うように。

しかし、言うまでもなく、人の「誤った行動」の大半は、その人の「人格」に起因します。ですから、明らかに「誤った行動」の原因を分析すれば、自ずとその対象(者)の「性格(人格)」に行き着き、それを否定的に評価せざるをえなくなるものなのです。

「人格攻撃」というのが「好ましく」ないとされるのは、そうした批判が、批判の対象者(被批判者)には極めて認識困難であり、事実として当っていたとしても、それで本人がその「誤り」を認めることもなければ「反省」して「改める」こともなく、ひたすら「実効性が薄い」と考えられるからです。

例えて言えば、チョムスキーがアメリカ政府の「覇権主義」という「性格」を事実に即して批判したとしても、それでアメリカ政府が『「覇権主義」という「性格」』を改めることはないでしょう。むしろ、逆恨みをしてイヤがらせをしてくるだけなのだから、「性格批判」はしない方が良い……というような、功利的な考え方から、「人格攻撃は好ましくない」という考え方(結論)が出てきたのだと思います。

ところがこの「結論」を形式的にしか見ることのできない人や、人格に問題があってそれをしばしば批判されがちな(しかも無自覚な)人は、「人格攻撃は好ましくない」ということを「教条」扱いにして、「性格(人格)批判」そのものがそもそも「悪行」だと批判するようになります(そういうことにしたがる)。

しかし、たとえば「文芸批評」において、作品内容を語り、その「問題点」を論ずる場合、自ずと論点は「作者」の「思想」や「人格」や「性格」といった部分への批判的言及とならざるをえません(もちろん例外的手法はあります)。しかし、そんなことをしても、作家がそれを反省して改め、そのせいで次から「作品」が良くなるということは絶えてありません。では、だからこのような「作家の性格分析・批判」は「無意味な行為」であり「悪行」なのでしょうか? ……もちろん、そんなことはありません。

「批判対象」にとっては、「ほとんど無意味」であったとしても、「誤り」の「分析」は、それを読む多くの人には「参考」となり「有益」なものなのです。そして「批評」とは、おおむねそういうレベルで有効なものであり、現実的な「速効性」や「実効性」というのは、余禄のようなものとでも考えておいた方が、無難なのだと思います。

さて、tatamiさんは、ご自身おっしゃるところ、しかたなしに、今回だけ、私の「人格批判」をなさっている、とのことですが、……はたしてみなさん、いかがでしょうか?

最近の例で言えば、私に「人格批判」された「夢野―南のママ―tatami」のお三方の書かれていることは、「人格攻撃」以外の何だと言うのでしょうか? もちろん私とて、欠点のない人間ではありませんし、人格的に問題がないとも言いません。ですから、それを事実にそくして「批判」していただくことは大いに結構なことだと思います。それに、なにしろ私は「人格批判」を否定してはいませんからね。私は、他人には「人格批判」を否定しておきながら、自分にだけは特別 に「人格批判」を許すほど、「傲慢」な人間ではないのです(笑)。

しかし、「夢野―南のママ―tatami」のお三方の真の問題点は、私の人格を批判することが目的なのではなく、それをすることによって(私を貶めることによって)、私の批評の「信憑性」を貶めようとしているところにあるのです。

例えば、夢野さんは私が「撤退宣言」を違えて戻ってきたことに、異様に腹を立てて、それが「さも」大きな「人格的問題」であるかのように言い立てておられましたが、前回も書きましたとおり、私がこの掲示板を撤退するとかしないとかいった「誓い」など、どっちにしろ「個人的な問題」であり、他人に迷惑をかけるようなことではありません。例えば、イラクが国連に大量 破壊兵器の廃棄と査察の受け入れの約束をしておきながら、それに抵抗したというような話ではないんです。つまり、私の破約というのは、ある人が「禁煙宣言」をしたのにすぐに撤回したとか、ある女性が「ダイエット宣言」したのにすぐに撤回して「好きなもの」を食べ出した、という類いの問題でしかないんですね。普通 こんなのは「なーんだ。ダメじゃないか、みっともねえー」といって笑い話になる程度のことなんですが、夢野さんはこれを「根源的な人格問題」「本質的な信頼性の問題」としたがりました。どうして、そんなことになったのかといえば、それは夢野さんはもともと私が気に入らなくて、私の存在自体を否定したかったからです。つまり「撤退宣言の撤回」問題は、私の存在を否定するための「口実」に過ぎなかった。だから、「撤退宣言の撤回」程度のことに、不自然にムキになったというわけです。そしてこれは……池田SGI会長が誹謗中傷される場合などに、しばしば現れるパターンだとも申せましょう(笑)。
(ちなみに「イラクの違約」というのは、主にアメリカの見解で、イラクは充分に協力的だったという意見もあります。ただ、国連査察団ではなく、アメリカの査察団が元CIAばかりだったので、当然の抵抗をしたという事実はあります)。

例えば、夢野さんに同調しながらも、さらに利口ぶろうとする南のママさんなどは、何の根拠も示さず私の「人格批判」をなさっていますが、それ以外のことにはまったく興味のないご様子です。こうした態度は、私が指摘したとおり「掲示板荒らし」によく見られる「利口ぶった一丁噛み」のパターンそのままです(「掲示板荒らし」は、論じたりはせず、ただ「さも当然だ」とばかりに利口ぶって断定するというのが、一般 的なパターンです)。なのに、これがかんりにんさんによって削除されることはありません。過激だけれども明らかに「真摯な気持ち」から意見を発している創価桜さんの文章が「一部削除」されたりはしても、ことアレクセイへの攻撃に関しては「削除」はないんですね。
もちろん、私はそうしたものを削除して欲しいとは思いません。それらの文章の下劣さは記録されてしかるべきだと考えるからです。しかし、それらをかんりにんさんが削除せず「黙認」しているという事実は、そこにかんりにんさんの「価値観」や「人格」が反映されているという事実を、否定しえないものにしていると思います。

話を、tatamiさんに戻して、万が一にも削除されるいけませんので念のために引用しておきますと、tatamiさんの「人格」というのは、彼をして以下のような文章を書かしめる「人格」なのです。

> それにしても、疑問なのは、あなたの書き込み量の多さですが、
> 400字書くのにどのくらいの時間がかかります?
> ものにもよるでしょうが・・・・。

> あれだけの量を見ると、自分の部屋で、文章書いてHPにアップしたり、掲示板にアップするのが、毎日の> 仕事なんだろうか? と想像してしまいますが・・どうなんでしょう。

> 思うに、(私も、今は、そうなんですが・・・)、
> HPや掲示板で、あれこれやっていても、たかが知れてますよ。

> もっと、大きく「論を世に問う」ことをしたらいかがですか?
> (私はまたするつもりです。)

> でないと、よくいる、「僕ちゃん、こう思うんだ−、聞いて聞いて−」
> 、(あー、アレクセイさん・・すごいー)って、言って−、言って−」
> てなわけで、閉じた狭い「お仲間集団」で、「小山の大将」に自己満足するケースになって
> しまう危険性はありませんか?

tatamiさんは『もっと、大きく「論を世に問う」ことを』するそうですが、そうしたいなら止めだてはしませんし、それを中止したとしても糾弾したりはしません。どっちにしろ、私には興味のないことです。

ただ、言うまでもなく「時間があれば」何か価値のあるものが書けるというわけではないし、「広く世に問う」にしても「問いの質」がまず問題でしょう。tatamiさんが、私の幾ばくかの「時間的余裕」を妬む気持ちも、広く世にうって出たいと願う気持ちも、わからないではありませんが、率直に言って、上に引用した文章を書いているような「人格」のままでは、それはあまり意味のある妬みや望みだとは思いません。

「結果としての作品」と「作者の人格」が切り離して論じえないように、「結果としての行動」と「行動者の人格」が切り離して論じえないというのも、またたしかな事実だと私は思います。


ともあれ、南のママさんにもお約束いたしましたとおり、時間と気持ちの許す限り、こちらをせいぜい賑わせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします(笑)。


KOKO さん 2003年 04月 15日 14時 47分 31秒

掲示板が込んでいるので、びっくりしました(^^;。
遅ればせながら、ゴン太さんへ
確かに、逃げるという事が難しいと思います。
多分に自分の願いがこもっているんですが・・

ところで、昨日、支部活動社会をしっかりさぼって、国会図書館に行って来ました。
湾岸戦争前後の聖教新聞を見るためです。
さもありなんといってしまえば、それっきりですが、
91年1月半ばより(宗門の騒動で紙面が取られたにもかかわらず)、連日のように戦争反対の記事が載っていました。
一例として
1/25 公明党、追加支援反対
2/ 1 『池田先生のアピール』
2/ 6 沖縄平和展開幕(4日に、それのPR記事も)
2/10 九州青年部著名活動120万枚突破。山崎議長のアピール。
2/19 インドで平和非暴力会議
2/20 ギュプス教授談
3/ 3 平和提言に思う(1)(世界の指揮者の意見です。これから2.3日ごとに、(8)が3/26に掲載されるまで載ります。)
3/ 8 PKO新組織で、石田委員長
3/19 <文化>平和ぼけという論理の危険性

その他、名字の言か社説に戦争反対、という記事が3日に1回は載ります。
三面記事の湾岸戦争で取り扱うスペースも、今の倍です。
2.3月は、「湾岸戦争反対」と載ってない日を探す方が、大変なぐらいでした。
また当時は、声の欄もあって、2月末には毎日そういう意見が載りました。

今は、名字の言に4月になって3回だけです。
(まさか、3/31に私が「少ない。」と文句を言ったから1日、3日と出た訳じゃないだろうが・・)
文化欄も今日4/151回だけですね。

岡庭さんが、情報の読み方として、「何かを隠すために他のものを前に出す。」と言っていたけど、「座談会」の共産や新潮の記事はまさにそれですね。
あの共産批判は石原慎太郎そのままだった。
聖教新聞が変質したって事ですね。
これから、このことをふまえて、聖教新聞に文句を言います。 

省察 さん 2003年 04月 15日 10時 54分 43秒

それにしても、疑問なのは、あなたの書き込み量の多さですが、
400字書くのにどのくらいの時間がかかります?
ものにもよるでしょうが・・・・。

あれだけの量を見ると、自分の部屋で、文章書いてHPにアップしたり、掲示板にアップするのが、毎日の仕事なんだろうか? と想像してしまいますが・・どうなんでしょう。

思うに、(私も、今は、そうなんですが・・・)、
HPや掲示板で、あれこれやっていても、たかが知れてますよ。

もっと、大きく「論を世に問う」ことをしたらいかがですか?
(私はまたするつもりです。)

でないと、よくいる、「僕ちゃん、こう思うんだ−、聞いて聞いて−」
、(あー、アレクセイさん・・すごいー)って、言って−、言って−」
てなわけで、閉じた狭い「お仲間集団」で、「小山の大将」に自己満足するケースになって
しまう危険性はありませんか?



省察 さん 2003年 04月 15日 10時 35分 55秒

さて、アレクセイ氏の 驚くべき傲慢さと、他者への人格攻撃を見て、
私としては、反省すべき文を書きました。
あ、たたみです。

アレクセイ氏的な揶揄的表現をしてしまった・・・。
この点は反省して、たとえ、アレクセイ氏が、

1:人間性攻撃を常套とする状態にある
2:揶揄と蔑笑を多用する

状況であっても、当方は、同じレベルに落とさないよう
今後は、改善します。

さて、「人格攻撃」にすぎない文章への対応は、むなしいので、
これで、さいごにしますが、とりあえず、
空しさと同時に、やりきれない「詭弁とすり替え」に
少しだけ書いておきます。

以下、
T:tatami
A:アレクセイ
です。


T:夢野氏が問題にしたのは、

T:★ 復帰したことではなくて、
T:★ 「誓いの破り方」です。

にたいして、

A:この立論は、肝心の『夢野氏は、誓いの破り方に、あなたの傲慢さを見てとった』の内容説明がなされていないというお粗末なものです。これは、

ですが。あらららら・・・・・
すりかえられちゃいましたね・・・・。
あなたが、「復帰の仕方」への批判を、「復帰したこと」への批判と、取り違えた、または、あえて、そのようにすりかえた? そこは、わかりませんが、ようするに、誤認して
話をすすめたことは、文章からかくじつと思われますが・・・

其の話は・まずいのですか? ふれずじまいですね・・・。

A:>  恣意か無能か、いずれでしょうか?  誰に読ませても恥ずかしくない、とおっしゃるのでしたら、哲学好きな方たちのサイトやチャットで一度じっくり検証されたほうがよい、と思います。 

A:なんてのは、いかがでしょうか?(笑)

あらららら・・・・
うーん、攻撃と揶揄・・・・



省察 さん 2003年 04月 15日 10時 14分 23秒


アレクセイという人は、「自分は正しい」という前提でしか、話をしない傾向があるようですね。これは、
1:自分への批判に対して、「自己を謙虚に省察する」姿勢を感じないこと、
2:自分への批判には、しばしば、「妄想的想定」の上での攻撃をしている様相があること
3:相手への批判が、しばしば、「事柄」批判ではなく、「人格攻撃」になってしまうこと

という点から、そう思いました。

あなたが、批判・攻撃する、あいても、実は、貴方同様に、「自分が正しい」と前提している場合が多いのではないですか? そのままでは、むなしい、絶対主義的意識同士の「おまえなんか間違ってるんだもん」という言い合いにしか、ならないのではないか・・・。

−−−−−−−引用 開始−−−−( (★番号)は、筆者付加 )

これは「共産党についての悪口大会」の様子なんでしょうが、自己を顧みる視点を完全失った、まことにあさましい姿ですね。(★1)「宗門」と良い勝負でしょう。

私も、秋谷会長には何となく「人の良さそうな」人だという印象を持っていたので、裏切られた気がいたします。「麒麟も老いては駄 馬にも劣る」と言っては、この場合、誉め過ぎなんでしょうね。(★2)

> 今こそ邪悪、邪心の連中を鋭く見抜き、見破り、断固として審判を下していくべきだ。でなければ、その手の輩が図に乗り、調子に乗るだけだ。

というのは、至言でしょう。……言っている本人が、その意味するところを理解していないのが、救い難く致命的なのですが。(★3)

−−−−−−−− 引用 終わり −−−−−−−−−−

上の、★1−★3を見るに、

あなたの批判は、考え方や、価値観という「ことがら」にたいしてではなく、
「かくも、(悪い)(だめな)人間なんだ・・・」と、
人格攻撃に終始する傾向がありますね。

ふと、思うのは、あなたにとって、「境涯」というのは、どういう意味、どういう「概念」なんだろう・・・と、いうことです。

貴方が批判・攻撃する相手は、境涯が低いんですか? それとも、他の問題でもありうるのですか?」

疑問なのは、あなたにとっての、「境涯」の意味は、人間の本質、本性そのものを表す概念なのか? それとも、「今のあり方」をあらわす、1つの事柄的な指標にすぎない概念なのか? 前者なら、「あり方の批判=人格攻撃」になりやすいし、後者なら、「(今の)在り方を批判して、境涯を高めてもらう」ための批判にしやすい・・・とおもいます。

いいかえれば、

 1:事柄としての概念:「(今の)あなたの(かわりうる)在り方は、「畜生界」にあたる様相だ。」
 2:人格の本質をさす概念:「おまえは畜生界そのものである。」

のどちらなのか? あるいは、そのいずれでもない、他の「意味合い」があるのか?

あなたの対人批判は、人間への、かつ、あなたの感情的な「攻撃」がちらついていて、読んでいて、心が暗くなります。


コン太 さん 2003年 04月 15日 02時 49分 11秒

↓訂正

日蓮大商人→日蓮大聖人

失礼しました。

コン太 さん (h-tadashi@po3.synapse.ne.jp) 2003年 04月 15日 02時 46分 06秒

☆アレクセイさん

やっぱり舞い戻ってきたね・・・。予想してたよ。それにしても騒々しい再登場だったよなあ・・・。大体、「言うべきことは言い尽くした」みたいな大仰な啖呵きって、守れもしない「誓い」なんぞ立てるからいかんのだ。簡単に「撤回」するような「無理な決意」なんかするんじゃねえよ! そんなのは「誓い」だの「決意」だのとは言わない。「能書き」と言う。「能書き」は「能書き」を呼んで、さらりと再登場すりゃいいものを、「自分のサイトにかかわる時間を削ってまで、こちらにかけるわけですから・・・」なんてくさい見得を切らなきゃカッコがつかなくなるわけだよ。それじゃあ、カチンとくる人も出てくるだろうよ、私は笑ってしまったけど・・・。愛すべき馬鹿者だよ、あなたは・・・。気が利いてるようで(いや、気が利いてるつもりで)間が抜けてるよ。たかが掲示板(かんりにんさん、ごめんなさい)に書き込みするのに、いちいちカッコつけんでもヨロシイ。書きたけりゃ書けばいい。書く時間があったら書けばいい。「退屈」になったらさっさと消えたらいい。あなたも言っているとおり、それだけのことだ。「言うべきことは言い尽くした」つもりでも、論議というものは推移するから、その中で新たに「言うべきこと」「言いたいこと」だって出てくるだろうよ。場合によっては「繰り返し」が必要になることもあるだろう。「そんなことは、わかりきっているはずだが・・・」と、あなたが「勇退」(!?)を宣言したとき、私は訝しんだものだ。自分のサイトが忙しいなら最初からそう言えばいいんだ。そして、戻ってくるときには「自分のサイトにかかわる時間を削ってまで・・・」なんて恩着せがましい言い方じゃなくて(「俺らはアホか?」とさすがの私も思ってしまうよ)、「自分のサイトにかかわる時間を削ってでも、こちらの論議に加わらせていただきます」ぐらいの物言いができんのかね、ホントに・・・。「出戻り」というものは(たとえウソでも)低姿勢でやってくるもんだ、あくまでも一般 論だけどね・・・。今のところはこの掲示板、あなたにとって少なくとも「退屈」ではないから、戻ってきたんでしょう・・・? あ、そうか! あなたにとって、この掲示板に戻るということは、「やっぱり信心やってみます」ってぐらい、重要なことなんだ。そうだとしたら、かんりにんさんは喜ぶと思うよ、ハハハハ・・・。(からかってるんだよ〜、勿論)。ま、今後ともよろしく。ただ、論議からはみ出したドタバタは騒々しくていかんぞ〜。ドタバタに「演技」は要るまいよ・・・。

「おちょくり」はこのぐらいにして、アレクセイさんよ、「信仰をやめた」とおっしゃるあなたが(書類上とはいえ)創価学会員であり続けるのはなぜなのか、日蓮大商人の仏法はあなたにとって何であるのか、池田大作という人間はあなたにとっていかなる存在であるのか・・・、その辺のところを語っていただけませんか? 時間のある時で結構です。私自身も、そうしたところから問い返してみようと思っています。私は「信仰を続けながら問い返す」点で、私と今のあなたとの間に基本的なスタンスの違いはありますが・・・。

池澤夏樹さんのメールマガジンの紹介、ありがとうございます。池澤夏樹さんの本は読んだことがありませんが、読んでみようと思います。

エープリルフールさんへのレス(出戻り第一弾!?)には、少し首を傾げました。近日中
に私なりの考えを述べたいと思います。



☆壮年Aさん

アリくんの映像、ニュースで見ました。思わず眼をそむけそうになる自分がいました・・。眼をそむけたら「対岸の火事」になってしまいますね・・・。



☆Lalahさん 創価桜さん

4月4日付『聖教』掲載の長編詩から、先生の無念さが伝わってきます・・・。
「4,24」を語る時ですね、やはり・・・。当時の自分を振り返って、次回、書き込みたいと思います。

創価桜 さん 2003年 04月 15日 02時 09分 49秒

壮年aさんとアレクセイさんと一致点が、見つかってよかったですね。

私は、アレクセイさんを歓迎します。

絶対平和という学会の永遠のテーゼには、内部批判も覚悟の上です。

サブロー さん (sabu-c@ams.odn.ne.jp) 2003年 04月 14日 23時 43分 18秒

イラク戦後復興への拠出不支持 意見申入賛同署名のお願い!

◆拠出不支持問題についてのFAQ

サブローです。発議者より送信されてきましたの
で、転載致します。
こちらの方も御一読の上、御賛同頂けましたら、御協力お願
い致します。
以下転載
-------------------------------------------------------
◆拠出不支持問題についてのFAQ
青山貞一です。
 
 第二次意見申し入れにつきまして1日で600名以上の方々から賛同を頂き
ました。感謝致します。意見申し入れの最後の部分に関連し、10名の方から
質問を頂きました。
 それに答える意味を含め、第二次意見申し入れのホームページによくある質
問(FAQ)コーナーを設置しました。
 http://www.eforum.jp/shihou/iken-moushiire2.html
 ぜひご覧下さい。今後拡充してゆきます。
-------------------------------------------------------

壮年A さん 2003年 04月 14日 21時 05分 11秒

長大な書き込みをされるアレクセイさんが戻って来られましたね。

私も今回は引用を。

在バグダッド、マリネッラ・コッレッジアさんからの手紙だということです。以下、引用です。

パトリス・ジョーンズ(Pattrice Jones (pattrice@bravebirds.org))から転送
マリネッラへの手紙はパトリスへ

アリ・イスマイル・イーデンは、イラク民衆に対するこの汚い戦争のシンボルです。
あらゆる国際法に違反する戦争。

 私は今2003年4月4日午前11時にバグダッドからこれを書き送っています。私はチグリス川の近くの小さなホテルにイラク平和チーム(Iraq Peace Team)と一緒に居ります。外では私にはわかりませんがミサイル(飛来するアメリカの爆弾?) か砲撃か、何れにしろその音は昨夜のものとは違います。アメリカ軍がとても近くに居ます。

 昨日から明かりがつかなくなっています。アメリカ軍が配電施設を爆撃したからです。でも、発電機からの明かりが消える前に、私が今朝会ったアリ・イスマイルの事を皆さんに話させて下さい。願わくは、この話がジャーナリストたちのどれかの衛星通 信で、そして私がこれを送っているパトリスを介して広く伝わっていく事を。どうかアリという名前を広く伝えて下さい。

 アリはバグダッドのアル・キンディ病院のベッドに横たわって居ます。ブッシュのミサイルが一発、民家2軒に命中し、火焔がアリの家族(母、父、兄弟全て、それに親類)12人を生きながらに焼いたのです。アリのお母さんの一人の姉妹がその場に居合わせなかったので助かっており、今アリに常時付き添っています。アリの意識は確りしています。両腕は今や無く、腹部は黒く焼け焦げています。

 アリの姿を見れば、あなたはその姿を一生涯頭から消す事はできないでしょう。アリは12才です。目が大きくとても可愛らしい。それがアリに残された姿と甚だしい対照を成しています。アリの首から下は惨憺たるありさまです。もし生き長らえてもアリは一生それと付き合っていかなければならないでしょう。

(中略)

 これらのこと全てが一般市民の保護のためのジュネーブ協定に違反します。私たちがアリの病室を出た丁度その時、病院の庭ので、黒ずくめのドレスを着けた老婦人が泣き叫んでいるのが見えました。私たちに付き添っているイラク人のテリブが何事で起こったのか聞きました。その婦人が泣き叫んでいたのは、数時間前にミサイルが一発ムスタンリヤ大学の近くに落下し、娘さんが殺されたためでした。その娘さんは花嫁だったのです。

マリネッラ・コッレッジア
イタリア平和活動家
イラク平和プラン
バグダッド、2003年4月4日

全地球の南に注目を(Focus on the Global South (FOCUS))
チュラロンコン大学、CUSRI気付
Tel: 662 218 7363/7364/7365/7383
Fax: 662 255 9976
E-メールアドレス:N.Bullard@focusweb.org
ウェッブページ :http://www.focusweb.org
(翻訳 寺尾光身)

引用は以上です。
写真はこちらで、http://www.asyura.com/0304/up1/source/017.jpg

選挙の結果、学会も公明党もいよいよ病膏肓に入ることになるでしょうね。しかし、アレクセイさんも言われるように、諦めてはいけませんね。諦らむとは明らかに見るということだと御書にもあります。地涌の菩薩の眷属ではなく、地涌の菩薩として。

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 14日 16時 39分 58秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

私が講読しているメールマガジンを、ご紹介しましょう。
芥川賞作家 池澤夏樹さんが「9.11」をきっかけに、以降、世界の現状にかんする思索を綴り、それを無料で配信しているのが、メールマガジン「Cafe Impala News」(「新世紀へようこそ」)です。以下にご紹介するのは、その最新号です。よろしければ、みなさんもご講読なさってはいかがでしょうか。


=================(以下引用)=================



[Cafe Impala News] http://www.impala.jp ━━━━━━━


■『イラクの小さな橋を渡って』(光文社刊)
  文・池澤夏樹、写真・本橋成一
 http://www.impala.jp/newbooks/index.html

―――食べる物は充分にあったし、質も申し分ない。


 [無料ダウンロード]

 英語・仏語・独語版
 http://www.impala.jp/iraq/index.html
 英語版
 http://www.cafeimpala.com/downloadbookE.html
 仏語版
 http://www.cafeimpala.com/downloadbookF.html
 ドイツ語版
 http://www.cafeimpala.com/downloadbookG.html

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 「新世紀へようこそ」 099




 戦争は終わった?


 サダム・フセインの政権は組織的な戦闘を停止しました(というよりは消えてしまったらしい)。テレビと新聞を見ているかぎり、戦争はアメリカとイギリスの勝利に終わったように見えます。
 
 ジャンケンから核戦争まで、すべての戦い、すべての勝負に共通する原理があります──すなわち「勝つことは快感である」。勝つことが快感だから、勝った側はファンを増やすことができる。勝利の快感のおすそわけに預かろうという人々が日和見の立場から一歩前に出て、勝ちチームに拍手を送る。そのため、戦いは結果 論になりがちです。
 勝てば官軍。侵攻した異国の軍隊でさえ、官軍になってしまう。

 実際には、今イラクで起こっているのは一つの安定した社会組織の崩壊という現象です。
 国というものに求められる最も基本的な機能は、国民が暮らすための基盤を用意すること。水と食糧と安全が行き渡り、人々が安楽にその日その日を送れるためのシステムを作って維持する。それが政府と官僚たちの最も大事な任務です。

 ぼくが見たかぎり、去年の11月にはイラクの社会は安定していました。普通の人々は普通 に暮らしていました。サダム・フセインの政権には問題があっただろうけれど、しかし全体としてイラクは暮らしやすい国に見えた。地方都市の小さなレストランでうまい料理が食べられた。大人は客を歓迎し、子供たちは笑いながら街路を走り回っていた。

 戦闘は終わり、アメリカとイギリスは勝ち組になりました。
 これからは、消滅したサダム・フセイン政権に対する不満の声がイラク国内からも報じられるでしょう。負けた者は批判しやすいし、尻馬に乗る者も出る。それが勝ち組効果 というものです。

 イラクの社会にはさまざまな問題があったかもしれない。政治に不満を抱く人がいたかもしれない。だが、それはまずもってその国の問題です。主権国家の政治的課題を解決するのはその国の国民の責務です。他の国がそれを目的に武力を用いるというのは欺瞞でしかないし、常識的にはこの種の行為は侵略と呼ばれます。


 話を最初に戻せば、今回の戦争のはじまりはイラクと9・11のテロリストの結びつきでした。しかしこれはどうやっても証明できなかった。イラクとアルカイダは無関係でした。
 次に大量破壊兵器をイラクが持っているのではないかという疑惑が正面に出てきた。イラクがそれを他の国に向けて使うという事態が一方的に想定され、被害を防ぐためと称して先制攻撃が企画された。

 疑惑は査察で解決できます。少なくとも国連に加盟する大半の国は査察の実効性を認めていた。
 イラクは査察に協力し、制限を超える能力を持ったミサイルの廃棄にも応じた。にも関わらずアメリカとイギリスは順調に進んでいた査察を中断させて、武力行使を開始した。
 ミサイルについて言えば、「銃を捨てろ」と言って、すなおに銃を捨てた相手を撃った、ということになります。

 大量破壊兵器は今もって見つかっていません。というよりも、イラクが大量破壊兵器を持っていたか否かはもう問題ではなくなった。なぜならば、今後アメリカ側がイラクの国内で何を見つけたと言っても、アメリカ軍とイギリス軍が大量 の軍需物資と共にイラク国内に侵攻した後では、その報告には何の信憑性もないから。彼ら自身が持ち込んだ疑惑がどこまでもついてまわるから。中立を保つ国連の査察団だからこそ、調査報告に意味があったのです。

 査察の結果を待っていると、暑い季節になって戦争ができなくなる。そこで、次の理由として、サダム・フセインの圧政からイラク国民を解放するという欺瞞が登場しました。
 それに、査察が順調に進めば、戦争の必要がなくなってしまう。ともかく、何がなんでも戦争がしたい。理由などどうでもいいし、勝ってしまえば反対の声など消えるだろう。これがブッシュ政権の本音だったようです。

 勝ち組の嘘は通りやすい。

 ミサイルで市場を撃って民間人をたくさん殺した後で、そのミサイルはイラク側が撃ったものだと言い抜けようとする。ミサイルの破片にアメリカ製を示すコードがついていてもまだ認めない。アメリカの戦闘機がこれを発射したという記録もあるのですが。
 あるいは、ジャーナリストが使っているホテルを戦車砲で攻撃して死者を出した。撃たれたから撃ったとアメリカ側は弁明したけれど、現場にいたジャーナリストたちはそんな事実はないと言っています。これは意図的な報道妨害です。アメリカは見られては困ることをあのカメラの前でしようとしていた。だからジャーナリストを殺した。
 残念ながらアルジャジーラはバグダッド支局から記者を引き上げました。戦車砲に立ち向かえるジャーナリストはいません。しかし、アラブ全域に深い恨みは残るでしょう。

 あらためて現実を直視してみれば、アフガニスタンとイラクで証明されたのは、少なくとも武力においてはアメリカは圧倒的に強いという事実です。
 戦争には大義の貫徹と人命や資産の消費という矛盾する二つの側面があります。大量 殺戮に近い一方的な戦闘経過を見れば、イラク側が抵抗を放棄したのは、あるいは賢明だったのかもしれません。
 武力においてはアメリカは強かった。アメリカ政府は今回も武力のみに依存した。世界の人々の声を無視し、国際法を無視し、国連を無視して、ひたすら武力に頼った。勝ってしまえばすべては正当化される。

 言い換えれば、負けたのはイラクではない。
 世界の人々と国際法と国連が、アメリカの武力に敗北した。
 言葉と武器の戦いにおいて、今回は言葉が負けた。

 なんとかこの戦争を始めさせないようにと努力してきたぼくたちは徒労感に襲われがちです。あんなにがんばったのに、戦争ではない方法でイラクの問題を解決しようとしたのに、戦車の前進を止められなかった。子供たちを含むたくさんの死者を出した。落胆するのは当然とも言えます。

 しかし、ぼくはここに書いたほど広い意味で「ぼくたち」という言葉を使ったことがありません。今、この世界でイラクからの報道に接することができる世界の人々の大半、国連に加盟する各国政府の多く、ジャーナリストと知識人たちの大半が、この「ぼくたち」に含まれます。武器ではなく言葉に頼る人々が武力ではない解決法を提案し、支持してきたのです。一千万人のデモを実現してきたのです。武力がことを決める世界にはしたくないと表明してきたのです。

 これからは勝ちに乗じた嘘の言葉が彼らの武器になるでしょう。これに向けた言葉を「ぼくたち」は用意しなければなりません。銃ではなく論理がことを決める世界のために、もう一度最初から、言葉の準備をはじめなければならない。

 戦争は終わった?

 実は何も終わっていない。武力と言葉の戦いは終わっていません。
 イラク国内は混乱し、秩序が乱れ、食料と水と安全の確保がむずかしくなるでしょう。サダム・フセインに背を向けて国外に出たイラク人の中に、今後のイラクを指導できる人材がいるとは思えません。パーレビが去ってホメイニが戻ったイラン革命のような展開はとても期待できない。今のアフガニスタンのような軍閥の抗争ということにもなりかねない。外からの武力が社会秩序の軸を引き抜いてしまったのですから、あとは混乱が残るばかり。

 メディアを通して流された戦闘終結のニュースにはまだまだ疑いの余地があります。
 終わったといえば、世界の関心は他に向かう。アフガニスタンで起こったことです。だから終わったことにしておいて、メディアがいないところでしたい放題をする。今の段階での幕引きにはどうもそういう意図が見えます。

 ここで目を放してはいけない。この先イラクで起きることをしっかりと見続けること、まだわれわれはイラクに強い関心を持っていると表明し続けることが、大事です。



        (池澤夏樹 2003−04−13)

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アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 14日 16時 38分 13秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

イラク戦争も終り、統一地方選挙も終りました。イラクではアメリカが勝ち、日本では公明党が勝ち誇っています。我々は「勝った」故に、我々は「正しかった」……そう言いたいんでしょう。
けれども、私はそうは思いません。それは日蓮大聖人のご生涯を見れば、あきらかなことです。大聖人の仏法が、時の権力者によって受け入れられたでしょうか? 大聖人の国主諌暁が一度でも受け入れられ、その政治に反映されたことがあったでしょうか? ありません。そんなことは一度も無かったばかりか、大聖人は「逆族」扱いされ、命さえ奪われかけたというのは、学会員の方なら誰でも知っている事実でしょう。つまり「正しいものが勝つ」とは限らない。残念ながら、それがこの世の「現実」です。
しかし、だからといって「正しい」勢力は挫けてはならない。そんなことは許されない。大聖人の弟子として、地涌の菩薩の眷属として、私たちは三世にわたる使命をおびているのです。

「世界から大量破壊兵器の危険を除くため」「イラクの民衆を解放するため」に、罪もなきイラクの子供たちを虐殺し、食糧・医療事情の悪化や劣化ウラン弾の影響などによって、これからも日々子供たちを殺し続ける勢力(それを支持する勢力)と、政治力も軍事力もないけれど、それでも「民衆の側に立ち」「日々殺されゆくイラクの子供たちの側に立つ」勢力と、はたしてどちらが正しいのでしょう? どちらが大聖人の末弟子として選ぶべき道なのか? その答は、明らかです。

下にご紹介するのは、私のサイトの掲示板に書き込まれた、ホランドさんの文章の抜粋です。この書き込みの主眼は、ある新聞記事の紹介なので、以下の引用の大半もその記事が占めており、ホランドさんの文章は、冒頭の紹介文と末尾の感想のみです。

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奇妙な世界(抄) 投稿者:ホランド  投稿日: 2月11日(火)03時31分13秒

 (前略)世界は刻一刻と時を刻み、アメリカの「イラク攻撃」がますます差し迫ったものとなりつつあります。そんな中、注目してよいと思う新聞記事を見つけましたので、みなさんにもご紹介したいと思います。
 この記事は、2月8日付けの『スポーツ報知』に掲載された『湾岸戦争死者数いまだ不明』という大見出しをついた岩瀬康俊さんの署名記事です。スポーツ新聞の片隅に一度掲載されて後は日の目をみないというのでは、あまりにも勿体ない記事だと思いましたので、以下にその全文を紹介させていただきたいと思います。


『  頭書き『イラク攻撃間近』
  大見出し『湾岸戦争死者数いまだ不明』
  小見出し『最大で25万人という説も』

 前文
『 米国によるイラク攻撃が不可避な情勢になりつつあるが、まだ解決されていない疑問がある。12年前の湾岸戦争でイラク側の戦死者は何人だったのか。米国は攻撃した相手国の被害者数について発表しないのが通 例。日本政府も正確な数字は出していない。一般に数万人から十数万人という幅広い範囲で推測されているが、最大で25万人が死亡したという説もある。戦死者数に関する諸説から米国の対イラク戦略も見えてきた。』

 本文
『 日本ではほとんど報じられなかった数字がある。米ワシントン・ポスト紙が湾岸戦争終了時からほぼ1年後の1992年3月6日に報じた「総計15万8000人」だ。米商務省国際人口調査部のベス・ダポンテ氏が91年、戦争における死傷者数の推計方式に関する資料と文献を基に、湾岸戦争の死亡者数を報告書にまとめたが、その後、同氏は政府によって解雇された。
 具体的には男性8万6194人、女性3万9612人、子ども3万2195人が多国籍軍によるイラク攻撃とその後の内戦で死亡。うちイラク兵は約4万人、戦火に巻き込まれた市民は1万3000人、戦後の混乱による死亡者が7万人など。この数字は反戦団体などが今も取り上げており、同氏が解雇されたことは、いかに米政府がイラクの死傷者数に神経をとがらせていたかを示しているといえる。
 イラク側の死傷者数は何度も疑問として浮上してきた。戦争終了直後から10万人超という数字が独り歩き。「過去にも敵国の犠牲者数を発表したことはない」と米国防総省は発表を拒否してきた。91年5月にはグリーンピースが湾岸戦争での総犠牲者数は最大23万数千人と公表。元米司法長官は91年に来日した際に「11万回の空爆で8万8000トンの爆弾が落とされ、民間人だけで11万5000人から25万人が米国の攻撃で死亡」と話している。
 米国防総省筋の情報もまちまちだ。国防情報局(DIA)はイラク兵死者約10万人と推定したとされるが、93年3月に元国防総省調査官は「死者は少なく見積もって1500人、多くて数千人」と季刊誌(※ママ)に報告している。結局、数万人から十数万人というあいまいな数字で語られてきた。日本の外務省もきちんとした数字は不明との立場だ。
 一方、イラク側は経済制裁と戦争で170万人が殺されたとしている。多くの米専門家は信じていないが、経済制裁の影響で100万人が死亡したとの国連への報告もある。
 軍事ジャーナリストの沖浦元彰氏は「米軍は死体の数を数えるから少ない。だが、米軍事当局は何人殺害したかに感心はない。むしろ、モスクで市民が空爆で死亡したケースなど、状況による国際世論を気にしている」と指摘。多国籍軍側は400人弱が死亡、米兵は148人が死亡したが、これは味方の攻撃により死亡者35人が含まれている。
 次に予想される戦争について、英医療従事団体「メダクト」は46万人の死者が出るとの報告書を発表。死者のほとんどがイラク人。一方、米兵については米シンクタンクが2000人死亡と予測する。沖浦氏は「米軍はベトナム戦争(米兵5万数千人、ベトナム側200万人が死亡)で懲りている。なるだけ死者数を減らしたい。バクダッドの市街戦も避けるのではないか」と予測している。』


 表1「湾岸戦争におけるイラク側の死者数」
  ・ 米商務省統計局国際人口調査部 ベス・ダポンテ氏  /  15万8000人
  ・ グリーンピース                  /  23万数千人
  ・ 元米司法長官 ラムゼー・クラーク氏        /  11万5000 〜 25万人
  ・ ハイデンリッヒ米国防総省国防情報局元調査官    /  多くて数千人

 表2「米国のイラク攻撃による死者数の予測」
  ・ 戦争と戦後3か月   /  4万8000人 〜 26万人
  ・ その後の衛生状態悪化 /  20万人
  ・ 内戦が発生した場合  /  2万人
  ・ 核が使用された場合  /  最大390万人
                      ※ 英「メダクト」発表 』



 この数字を見てもらえばわかると思いますので、くどくどとは書きませんが、ボクが特に気になった二点について、すこしだけ書かせていただきます。
 まず湾岸戦争での死傷者数について『日本の外務省もきちんとした数字は不明との立場だ。』とのことですが、『きちんとした数字』なんかわからないのはわかりきったことで、みんなが知りたいのは当然「公正な概算数」なんですよね。それを『きちんとした数字』を示さないから、って「逃げ」るのは、いかにも日本的な態度だと思いました。
 また「表2」の、攻撃側であるハイデンリッヒ米国防総省国防情報局元調査官の『多くて数千人』という臆面 もなく手前味噌な数字を見て誰もが連想するのは、日中間で長らく議論の続いている『南京大虐殺』の中国側死傷者数の問題ですよね。……いつの時代でも、どこの国でも、やることは同じだということだと思います。



==============================================

ご存じのとおり、現在、日本の新聞やテレビで報じられているニュースは、「侵略国」であり「戦勝国」であるアメリカを通 したものばかりです。ですから、伝えられるのは「フセイン政権が打倒されて、国民は喜んである」とか「バクダットの治安が悪化しているが、米英軍が現地警察に協力して、治安の回復につとめている」とかそんなものばかりで、この戦争によって、どれだけ多くの「民間人犠牲者」が出て、これからどれだけ出るなんてことは、まったく報じられておりせん。まるで興味も無さそうです。

「メダクト」の試算にある最悪のケース、つまり『核が使用された場合』は避けられました。しかし、『戦争と戦後3か月』の試算『4万8000人 〜 26万人』は今も生きており、この数字の半分は「子供」だということを、私たち忘れてはなりません。

虐げられた人々の存在を忘れること、顧みることのしないこと、それが「悪」なのです。


創価桜 さん 2003年 04月 14日 08時 32分 35秒

公明党は、一応の勝利を収めましたが、これが、国政に直結するのか、公明党の支持者軽視は、一層、進むのか、創価学会は、公明党の戦争賛成に、どのようなケジメをつけるのか。

創価学会は、池田名誉会長の行動と、現在の組織の論理に、どのように整合性を持たせるのか。

我々の平和の叫びを、組織上層部は、どう考えるのか。

平和団体、仏教徒の団体として、1000万をめざし、その果てに、広宣流布は、


待っているのか。

官僚制度の逆機能は、克服できるのか。集団の中の少数意見を生かす度量が、会員

一人、一人が持ちうるのか。

団結のために、一人を置き去りにしていないか。

上位下達の組織活動の中で、自分自身が、見えているのか。

組織の論理が、独善に陥っていないか。

境涯とは、高さでなく、広さである。宇宙大の境涯の正義の人と、最高幹部との落

差は、天と地ほどある。

未来の結果は、現在にある。未来を楽観できる現状に、今、あるのだろうか。

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 14日 02時 17分 49秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 小六さま
> 先生が示している方向はどちらなのか、学会員の人たちとともに議論し思索し、創価学会が「平和団体」と呼ばれるにふさわしい団体になるよう努力することが大事だと思います。

「迷い」は当然のことでしょう。今、迷わない学会員の方がおかしい。なぜなら今回の「イラク攻撃」容認支持の「公明党問題」は、公明党立党以来の危機、まさに「存亡の危機」であるし、そうあるべきですし、さらにそれは「平和宗教の団体」である「創価学会」の本質にもリンクしている重大問題だからです。

しかし、ここで「外の現実」から目を背けて「守り」に入れば、それは「大聖人の仏法」ではない。それは「民衆救済の仏法」ではありません。だから、外に目をむけて対話をするべきです。……それを一人で実践してきたのが、ほかならぬ 池田SGI会長ではありませんか。

たしかに『創価学会が「平和団体」と呼ばれるにふさわしい団体になるよう努力すること』は大切です。しかし、その『努力』は、学会員のひとり一人が「平和」のために努力する結果 としてそうなるべきであり、創価学会の「名聞」のためになされるべきではありません。つまり「創価学会のため」ではなく、いま本当に「苦しんでいる人たちのため」「助けを必要としている人のため」に、私たちは自分にできることをすべきなのでしょう。大切なのは、その「地涌菩薩としての使命の自覚」だと思います。


☆ 疑問さま
> ※このような記事をどう解釈したら、戦争に反対していた、と言えるのでしょうか。

どう解釈しても、そのようには言えないでしょうね。ご苦衷お察しします。

これは「共産党についての悪口大会」の様子なんでしょうが、自己を顧みる視点を完全失った、まことにあさましい姿ですね。「宗門」と良い勝負でしょう。

私も、秋谷会長には何となく「人の良さそうな」人だという印象を持っていたので、裏切られた気がいたします。「麒麟も老いては駄 馬にも劣る」と言っては、この場合、誉め過ぎなんでしょうね。

> 今こそ邪悪、邪心の連中を鋭く見抜き、見破り、断固として審判を下していくべきだ。でなければ、その手の輩が図に乗り、調子に乗るだけだ。

というのは、至言でしょう。……言っている本人が、その意味するところを理解していないのが、救い難く致命的なのですが。



アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 13日 23時 24分 57秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 南のママさま
> このお目出度さには、正直、微笑ましさすら覚えてしまった。

「掲示板荒らし」並みの「煽り」ですね(笑)。本当に「創価学会員」なんですか?

南のママ さん 2003年 04月 13日 21時 36分 32秒

> 南のママさまの言うとおりです、だいたいは(笑)。
>「自称」しないと私の「役割」がわからないだろうな、と思うからです。

このお目出度さには、正直、微笑ましさすら覚えてしまった。

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 13日 20時 17分 09秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

今日、生まれて初めて「日本共産党」の候補者に一票を投じてきました。共産党は嫌いだし、評価してはいないけれども、ひとまず「イラク攻撃」支持の政府与党に、ハッキリとノンを叩きつけられるのは、残念ながら共産党しかなかったからです。白票では、いかにも自己満足的で「弱い」と思ったからです。

選挙の結果がどうなるかはわかりませんが、たとえこれで公明党が大敗したとしても、それで「国民の審判」に素直に服することはないでしょう。「充分に理解が得られなかったのが残念」だとか何とか言って、政治の難しさをしらない国民の理想主義を、内心でなじるのが関の山でしょう。
もちろん、選挙で現状維持か少しでも票が延ばせたりしたら、「我々の選択は間違っていなかった」「我々の苦渋の選択は支持された」と、さらにアメリカ追随の「現実路線」とやらを押し進めることでしょう。……喜々として「イラク復興支援」に邁進することでしょう。中東に石油を依存する国として。(< サブローさま)

つまり、選挙の結果がどうあれ、アメリカによる「イラク攻撃」を支持した政治家たちは、金輪際、本質的な反省などしないでしょう。それが現実だと思います。
そしてこれは「イラク攻撃が現実のものとなったら、それはこの仏法がまやかしだった、無力だったという証拠になる」という主旨の発言をした人が、今も学会員でいる「現実」と釣り合った現実でしょう。つまり、やはり「現実は、そんなに簡単でも甘くもなかった」ということです。こうして多くの人は、あれほど悲憤慷慨してみせた「イラク戦争」のことなど忘れ去り、それぞれに日常へと『元の鞘』へと回帰していくのです。

私の戦いは、こうした「無自覚な凡庸さ」との永遠の戦いだと申せましょう。大したことはできないが、いつまでもしぶとく持続する戦いです。


☆ tatamiさま
>  あなたが、また、「二度と書き込まない」と発言しても、
> 誰も、それを信頼してはいけないんですね。いつでも、
> 「誓いを拝する」可能性があるのですから。

「『可能性がある』から『誰も、それを信頼してはいけない』。また、だから私(tatami)はそんな信頼できない奴(アレクセイ)のことを、先頭に立って攻撃するから、みんなも続け」というのは、ブッシュの意見そのままですよね。本当は、さらにこう言いたいんでしょう? 「われわれ正義の側に組みしない者は、テロリスト(アレクセイ)の味方と看做す」(笑)。

>「決意」よりも「やりたいことを我慢できない性分」が
> 優勢になる人間の発言と約束はとにかく、信頼できないので、
> せめて、信頼度をあらかじめ、予測しておいて、くださいね。

日本語としての難点は多々あるものの、たしかに「一理」ありますね(笑)。
でも、自分の「欲望」を正直に語る人間と、ご立派なことばかり言うわりには、いざとなるとドロドロの「憎悪」を(無自覚に)むき出しにする人とは、いったいどちらが「信頼」に足るでしょうか?

私は「宗門」問題や、今回の「公明党」「創価学会」の変節に学んでいますから、「非人間的なまでにきれいごとばかりを言う凡人」は、まったく信用できないと思っているんですよ。

> ひと時の お笑いタイムをありがとう・・・アレクセイ

いえいえ、これからももっと笑わせてあげますよ。もう結構というくらい(笑)。

でも、そんな貴方も「世間が狭い(排他的な)学会員」の「象徴」として、「世間の物笑い」にならないように気をつけなければいけません。なにしろネットでは、誰が見ているかわかりませんからね。貴方一人が恥をかくのは結構ですが、大聖人の仏法に泥を塗ることは許されませんからね(笑)。

> 夢野氏が問題にしたのは、

> ★ 復帰したことではなくて、
> ★ 「誓いの破り方」です。

> もし、夢野氏が、「書き込まないといってたのに、また、
> 書き込んだ、変節野郎」とあなたを批判したなら、なるほど、
> あなたの夢野氏への批判は、そのスタイルが揶揄的であっても、
> 内容的には妥当なのでしょう。

> しかし、夢野氏は、誓いの破り方に、あなたの傲慢さを見てとった
> のではないでしょうか。
> 私は、あなたの復帰宣言をみて、あなたが、ご自分で述べている通り、
> 「なるほど・身勝手な発想だ・・」と思いました。

この立論は、肝心の『夢野氏は、誓いの破り方に、あなたの傲慢さを見てとった』の内容説明がなされていないというお粗末なものです。これは、

>  恣意か無能か、いずれでしょうか?  誰に読ませても恥ずかしくない、とおっしゃるのでしたら、哲学好きな方たちのサイトやチャットで一度じっくり検証されたほうがよい、と思います。

なんてのは、いかがでしょうか?(笑)

夢野さんは『あなた(※ アレクセイ)の言動は信用されないのではないですか。』と何を根拠にしてなのか、こう「断言」なさり、貴方は『誰も、それを信頼してはいけないんですね。』などと書かれる。

ここに見て取れるのは、「多数派」であることが大好き(つまり「一人立てない」)で、「論理的批判」よりも「政治的多数派工作」が好きな人にしばしば見られる心性(「畜生界」)であり、物言い(プロパガンダ)です。
……ま、せいぜい憎まれ口を言ってください。「如是相」のうちには「文は人なり」という意味での「如是文」も含まれるでしょうから(笑)。




疑問 さん 2003年 04月 13日 20時 14分 16秒

4/10 聖教新聞「4面」 仏法基調の平和と文化と教育
21世紀の展望を語る (81) から一部転載

表向きは戦争反対 実際は戦争利用
秋谷 宗教だけじゃない。政治も、まったく同じだ。見かけや格好、デマ宣伝で、
   有権者を騙そうという連中が、あまりにも多すぎる。
佐藤 まったくです。最近、はやりの「エセ市民派」しかり、「ニセ庶民派」しかり。
   一皮剥けば「風頼み」だけのグータラや、「見てくれ」だけの怠け者だらけだ。
原田 そうかと思えば、戦争を「食い物」にして票を取ろうなんている卑劣な連中もいる。
杉山 表向きは「戦争反対」。ところが本音は大はしゃぎだ。
   「しめた!」とばかりに、票集めに血眼になっている。
佐藤 ひょっとして「戦争が、少しでも長引けばいい。少なくとも選挙が終わるまでは
   長引け」とでも思ってるんじゃないのか?
杉山 結局、「平和、平和」なんて、まったくの名ばかり。他人の不幸を利用するだけ利用
   しているだけ。「地獄の獄卒」も仰天の、残虐、残酷、冷血さだ。
青木 空恐ろしいところもあったもんだな!
原田 そういう「エセ市民派」や「デマ政党」には、絶対に騙されちゃいけないな!
秋谷 政治の上でも、有権者がニセモノを一段と厳しく「峻別」していく時代だ。
青木 今こそ邪悪、邪心の連中を鋭く見抜き、見破り、断固として審判を下していくべきだ。
   でなければ、その手の輩が図に乗り、調子に乗るだけだ。

※このような記事をどう解釈したら、戦争に反対していた、と言えるのでしょうか。

小六 さん 2003年 04月 13日 19時 17分 13秒

創価桜さん

『潮』5月号(4月5日発売)P348より

・・・なぜいま戦争をしなければならないのか、理由がわからない。「非はイラクにある」それはわかる。「危険な兵器を危険な独裁者に渡したら大きな危機に直面 する」それもわかる。
だが、それでもなお、なぜ戦争なのかわからない。
(略)
この戦争を支持する新聞(読売?:小六)が、開戦直後の社説で「戦後復興」「戦後処理」に言及したのは鼻白む思いがする。戦争をしなければ「戦後復興」も「戦後処理」もないではないか。

以前にもお報せしましたが、『潮』は一貫して今回のアメリカの武力行使が不当であることを叫んでいます。

学会員の中でも、公明党があのような判断をし、自分たちもそれに納得せざるを得ないとは思いつつも、「この戦争」をどうとらえるべきか、やはり迷いは多く、いろいろな考え方があります。

先生が示している方向はどちらなのか、学会員の人たちとともに議論し思索し、創価学会が「平和団体」と呼ばれるにふさわしい団体になるよう努力することが大事だと思います。

tatami さん 2003年 04月 13日 17時 34分 01秒

アレクセイ氏の 復帰宣言を読んで・・

>なお、こちらには『二度と書き込まない』と誓った
>にもかかわらず、三たび書き込みをするのは、
>単に『創価学会の人々 ―― 討論・戦争と組織と信仰
>をめぐって』のアップをお知らせをするためではありません。
>『二度と書き込まない』という誓いは排して
>、今後は書きたい時に書き込ませていただくことにしたのです。
>つまり「復帰宣言」です。


  あなたが、また、「二度と書き込まない」と発言しても、
  誰も、それを信頼してはいけないんですね。いつでも、
  「誓いを拝する」可能性があるのですから。


>なぜ私が『二度と書き込まない』と誓ったのかと申しますと、
>その理由はいたって個人的で功利的なものでした。
>つまり、自分のサイトと掲示板があるのに、そっちをほったら
>かしにして、他所の掲示板に時間を取られるわけにはいかない、
>ということだったのです。
>……しかし、もともと私は「やりたいことしかやらない」し
>「やりたいことを我慢することができない」性分(だから
>「言いたいことを言う」(笑)なので、
>こちらへの書き込みを自制するのが、どうにもつらくなって
>きたのです。そこで、結局は無理な「決意」は撤回して
>「やりたいことをやる」ことにしたというわけで。

   「やりたいことしかやらない」で「やりたいことを
   我慢できない」性分(だから、「言いたいことを言う」(笑い)
   だから書き込まないと誓ったんだが、書き込みを自制するのが
   つらくなってきた・・

   とのことりょうかいです。
   さて、それは、「結局は無理は「決意」」だったそうですが、

   これからは、あなたの決意なるものが、後のち、
   (無理な決意」とされて撤回される可能性があるのか、ないのか?
   あらかじめ予測しておいてください。

   「決意」よりも「やりたいことを我慢できない性分」が
   優勢になる人間の発言と約束はとにかく、信頼できないので、
   せめて、信頼度をあらかじめ、予測しておいて、くださいね。


>自分のサイトにかける時間を削ってまで、こちらにかかわるわけですから、
>当然今後もこれまでどおりのスタンスで、自由にやらせていただきます。

   これは驚くべき発言ですね。
   もし、管理人から、あるいは、誰かから「依頼」されて、
   書き込むのならば、「自分のサイトにかける時間を削ってまで、
   こちらにかかる」ことに対して、ご苦労さま・・となりますし、
   それなら、「当然今後も是までどおりのスタンスで、自由にやらせてい
   ただきます。」とも、依頼関係の力関係でいえるかもしれませんね。
 
   しかし、あなたは、依頼されているわけでもなんでもないのです。
   この掲示板にかける時間を削って、ご自分のサイトで自由におやり
   になっても何にも問題はないのです。

   わかりますか?

   「自分のサイトにかける時間を削る」 ということと
   「この掲示板で自由にふるまう」   ということは

   あなたにとっては、意味があるかもしれませんが、
   その他の人にとっては、ただ、

   「傲慢」、「自分勝手」、「我田引水」
 
   でしかないのです。

   頼まれもしないのに、「俺の時間をけずって、
   ここでやってやるんだから、自由にやらせてもらう・・」

   あなたは、そう主張しているわけです。

>そんなわけで、自分勝手な奴ですが、またよろしくお願いいたします。

   そのとおりです。かくも、「自分勝手な奴」の開き直り
   「誓いを排する」論法にであったのは、久しぶりで、
   こっけいさを 覚えました。

   ひと時の お笑いタイムをありがとう・・・アレクセイ


    
さて、夢野氏の書き込みですが、

>アレクセイさん、「『二度と書き込まない』と誓ったにもかかわらず」
>懲りずに、「復帰宣言」するとは、相変わらず身勝手な誓いとその破り方
>ですね。これだから、あなたの言動は信用されないのではないですか。

   でしたね。
   それにたいして、アレクセイ氏が、次のように返答しています。


>「もう、一生信心はしないって言いましたけど、やっぱり、
>またやってみます!」
>と言ったら、きっと貴方は怒るんでしょうね。

   文章は、ちゃんと読んでから、批判なさったほうがいいでしょう。
   アレクセイさん。

   夢野氏が問題にしたのは、

   ★ 復帰したことではなくて、
   ★ 「誓いの破り方」です。

   もし、夢野氏が、「書き込まないといってたのに、また、
   書き込んだ、変節野郎」とあなたを批判したなら、なるほど、
   あなたの夢野氏への批判は、そのスタイルが揶揄的であっても、
   内容的には妥当なのでしょう。

   しかし、夢野氏は、誓いの破り方に、あなたの傲慢さを見てとった
   のではないでしょうか。
   私は、あなたの復帰宣言をみて、あなたが、ご自分で述べている通り、
   「なるほど・身勝手な発想だ・・」と思いました。

   「復帰の仕方」への批判を、「復帰自体」への批判に「誤解」した
   わけですが、

   それは、貴方の能力的限界のためですか?
   それとも、「論理のすり替えを意図的にした」結果ですか?

   そのてん、どちらだろう・・と興味を持って、
   他のあなたの文章を読み出しています。

   とりあえず、今回は、以上です。


創価桜 さん 2003年 04月 13日 13時 03分 53秒

lalahさん

先生は、ずーと反戦です。一貫しています。

先生の思想と創価学会の組織の論理が対立しているということだと思います。

先生は、富士山のエッセイを書かれましたね。


全文ご紹介できませんが、このメッセージをどう見ます。

これは、「あれになろう、これになろう、というより、自らを富士のように不動なものに

作り上げよ。」という吉川英二氏のメッセージを先生は、おっしゃっているのだと思いま

す。

先生は、組織悪に翻弄されるより、自分自身を不動な信仰者として、構築するよう、信心



を練磨せよ、とおっしゃっているのだと思います。


ありがたい師匠です。


一方で、今回の公明党の行動に、自民党からも、疑問が出ている中、学会幹部が、従来の

支持者だけでなく、保守層からの票が狙えると、うすぶいている者もいるようです。

先生につきましょう。

カギは、夢野さんが、何度も強調している、4,24です。

Jonathan さん 2003年 04月 13日 09時 03分 32秒

今日、4月13日の「寸鉄」より
「きょう『21世紀最初』の地方統一選。人物・実力・哲学で選べ。賢明に見抜け!」

アレクセイ さん (TQJ01337@nifty.com) 2003年 04月 13日 04時 38分 17秒
URL:http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/soka.html

☆ 夢野さま
> アレクセイさん、「『二度と書き込まない』と誓ったにもかかわらず」懲りずに、「復帰宣言」するとは、相変わらず身勝手な誓いとその破り方ですね。これだから、あなたの言動は信用されないのではないですか。

「もう、一生信心はしないって言いましたけど、やっぱり、またやってみます!」と言ったら、きっと貴方は怒るんでしょうね。「信用ならないやつだ」って(笑)。
自分が自分に誓ったことを自分で破るのに、自分自身以外には、何も不都合はないでしょう(笑)。だれか、それで損失をこうむる人でも出るというのでしょうか?
……まあ、ここでは「論客」であるだろう貴方を、さして評価してもいないらしい私が、自分から消えてくれて内心「清々していた」のに、それがアッサリ帰ってきたものだから「どうなってんだよ、このやろう!」というようなことなんでしょうね。わかりますよ、その気持ち。まことに申し訳ない(笑)。

> これだから、あなたの言動は信用されないのではないですか。

さぞや 貴方は、ご自分の「信用」に自信があるんでしょうね。なにしろ「知的」で「良識派」で「批判は甘んじて受ける(受け流す?)」という「八方」立派な方ですから。……私とは違って(笑)。

> またいつものように、「この掲示板には不似合いな「凡庸な批評文」」などという傲慢な態度も健在ですね。不似合いかどうかはあなたが決めることでもないでしょう。

意味不明ですね。酔夢さんのお書きになったものを『この掲示板には不似合いな「凡庸な批評文」』とする判断は、言うまでもなく「私(個人)の判断」で、それを『あなたが決めることでもない』なんていうのは脳乱の類いですよ。私がどう評価しようと、それがそのまま「この掲示板の判断」にならないのは「理の当然」ではないですか。貴方のように考えるのは「被害妄想」というものです(あー怖い)。

> さらに、「鬼のように厳格厳密な論理合理主義者」だという「心の師」を仰ぎながら、「自分のサイトにかける時間を削ってまで、こちらにかかわるわけですから、当然今後もこれまでどおりのスタンスで、自由にやらせていただきます。煙たい人もいるかも知れませんが、まあ……覚悟しておいてください(笑)。」などと書いていますが、どこをどう読めば、「ですから」と「当然今後も――」がどうして無条件に繋がるのか?

> 「厳格厳密な論理合理主義者」を目指す彼−アレクセイ氏にとっては、目的合理性において極めて自然な行為であろう。
> 論理的合理性を至上とする者にとっては、「身勝手な誓い」だとか「傲慢な態度」という夢野氏の道徳的批難は、お門違いといったところか。(< 南のママさま)

南のママさまの言うとおりです、だいたいは(笑)。
簡単に言えば「過ちを改むるに如くは無い」ということです。わかりますか? 物事はただ「一貫」しておれば「誠実」あるいは「道徳的」だというものではありません。間違っていると気づいたら、それを改めるのが「誠実」なんですよ。これを世間では「君子、豹変す」と言います(笑)。つまり、……人間、見栄えのよい「誠実そうなポーズ」だけではダメだ。ご本尊さまは、その心根を見抜いているぞ、と。

> 恣意か無能か、いずれでしょうか?  誰に読ませても恥ずかしくない、とおっしゃるのでしたら、哲学好きな方たちのサイトやチャットで一度じっくり検証されたほうがよい、と思います。

きっとネットで、いろいろとお勉強なさってるんでしょうね。でも、生憎と私にはその暇はありません。
私に言わせますと、貴方の場合は、そんなところでお勉強なさるのも結構ですが、仏壇にむかってもっとお題目をあげるべきでしょう。人が見ているところでの良識派ぶり(パフォーマンス)だけではなく、人が見ていないところでの修行(陰徳)を積んだ方が良いということです。

ま、ともあれ、私ごときにそれほど腹を立てられるお気持ちがあるのなら、肝心の学会本部や公明党のことについて、もっと真剣に腹を立ててみられてはいかがでしょうか?(笑)


☆ 南のママさま
> アレクセイ氏の自家撞着は、壮年A氏とのやり取りにおいて理解できるが、そのモチベーションは那辺にありや。

> 酔夢氏が言うところの「ガス抜き」に類するものか。
> あるいは、顕示欲や承認欲求に支えられたものなのか。
> トリックスターを自負する、その心根や如何。

というような「勿体ぶった文体」を使う意図は『那辺にありや』みたいなものです。
つまり、どうでもいいんじゃないですか? そんなこと。 そんなに私のことが気になりますか?(笑)

ちなみに、なぜ『トリックスターを自負』するだけじゃなくて「自称」するのかと言えば、「自称」しないと私の「役割」がわからないだろうな、と思うからです。もっとも、自称しても、わからない人わかりたくない人にはわかりません。その程度のことです(笑)。


☆ 創価桜さま
> 「見直しました。」ーうーん。こんなことは、水面下で、本部に言い続けてきたことです。

いや、私が誉めたのはそういうことではありません。『以前はややその「ぶれ」が気になった創価桜さんの、覚悟を決めた発言には、共感するところが多々ありました。』と書きましたとおり、ご意見に危うい「ぶれ」の無くなってきたことを誉めたのです。つまり意見の「過激さの量 」を誉めたのではなく、意見の「質的向上」を誉めたんです。


☆ 酔夢さま
いましばらくお待ち下さい。


サブロー さん (sabu-c@ams.odn.ne.jp) 2003年 04月 12日 23時 37分 50秒

サブローです。
賛否両論あるかとは思いますが、御賛同いただけましたら御協力お願い致します。
◆緊急◆ イラク戦後復興への拠出不支持 意見申入賛同署名のお願い! 
転載歓迎 
 複数到着の方、ご容赦下さい!
 (前回の賛同者(約7000名)に送らせて頂いております)
みなさま
 青山貞一です。
 米国によるイラクへの先制攻撃に関して、第一次の意見申し入れに引き続き、
第二次の意見申し入れを国会議員、日本政府に行ないます。
 以下の意見申し入れをお読みになられ、賛同署名される方は、前回同様、
以下までご氏名及び所属か職業、あるいは所在地(東京都品川区)をお送り下
さい。これらは前回同様です。
 同時に、呼びかけ人になっていただける方も募集します。いずれも送り先は
前回同様、 no-war-iraq@eforum.jp です.
      〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 よろしくお願い致します。
 こんな理不尽な行為がまかり通ると、21世紀は人類滅亡の世紀となります。
 近々、第一次の意見申し入れ同様、ホームページを設置します。URLは、
前回の http://www.eforum.jp/shihou/iken-moushiire1.html に示す予定で
す。少々お待ち下さい。
 
転載歓迎!                     start 2003.4.12
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国会議員各位、日本政府御中
       
   日本政府のイラク戦後復興拠出 不支持の意見申し入れ
        発議者、呼びかけ人代表
        青山 貞一(環境行政改革フォーラム代表幹事)
呼びかけ人
池田こみち(環境行政改革フォーラム事務局長)
大河内秀人(パレスチナ子どものキャンペーン常務理事、見樹院住
職)
小野寺義象(弁護士・仙台弁護士会)
きくちゆみ(グローバルピースキャンペーン)
小林 一朗(サイエンスライター)
桜井 勝延(福島県原町市議会議員)
        佐藤 大介 (ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局
長)
        鷹取 敦 (環境行政改革フォーラム幹事)
        田中美奈子(ゴミ弁連正会員、弁護士)
        田中 優 (日本国際ボランティアセンター理事)
        戸田 清 (長崎大学環境科学部助教授)
        野村 修身(劣化ウラン研究会)
        藤原 寿和(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク)
        星川 淳 (作家・翻訳家)
        山岸 大高(中学1年生、フリー・ザ・チルドレン・ジャパン)
        吉田 央 (東京農工大学農学部)
【国連憲章、国際法に違反する米英の先制攻撃】
 国連憲章、国際法に明らかに反する「先制攻撃」ではじまった米国のイラク
攻撃が、既に二週間以上が経過した。正当性のないイラク戦争を日本政府は支
持した。この戦争を日本が支持すると言うことは、国連憲章に反するのみでは
ない。同盟関係を規定する日米安全保障条約の第一条、そしてなによりも日本
国憲法第九条に抵触する。日本の国際法学会に所属する国際法学者の80%が
米国のイラク先制攻撃を「違法」と認めている。
 憲法で戦争を国際問題の解決に用いないと明言した国が北朝鮮問題で米国に
お世話になるからイラク戦争を支持せざるを得ないとするのは明らかに詭弁で
ある。
【コロコロ変わるイラク攻撃の動機、目的】
 もとより、米国がイラクを攻撃する名目上の動機は「テロリスト掃討」から
「大量破壊兵器廃絶」、そして「フセイン政権転覆=圧政からのイラク国民の
解放」、「中東全体の"民主"化の拠点化」と、次々に変わっている。世界の世
論を説得しようともしていない。
 このイラク戦争は「大量破壊兵器廃絶」に名を借りた米国の侵略行為である
と世界の過半の人々が思っている。動機、目的は変われど、この戦争は米国に
よるイラク侵略としか言いようもない。
 フセイン政権やバース党がどれだけ非民主的な独裁政権であったとして、だ
からといって、それを理由に他国を侵略することは絶対許されない。米国の対
イラク攻撃はどうみても自衛権の行使でもない。世界の世論はフセイン政権よ
りブッシュ政権の方が世界にとって脅威と感じていることからも米国の対イラ
ク攻撃には正当性はないのである。
【1万発に及ぶ砲撃で激増する市民、マスメディアの犠牲者】
 この数週間、米英両国はイラクの軍事施設への攻撃にとどまらず、一般市民
生活に必須なインフラ施設、市場など、明らかに軍事関連以外の施設に1万発
を超える爆弾を投下してきたとされる。そのなかには、巡航ミサイルに加えク
ラスター爆弾、デージーカッター、マイクロ波弾、劣化ウラン弾など、どうみ
ても「大量破壊兵器」に準ずる兵器が含まれている。大量破壊兵器の掃討、廃
棄に大量破壊兵器に準ずる膨大な量の兵器を使うのも許されない。
 かくしてイラクは最新兵器の実験場、旧型爆弾の在庫一掃の場と化した。罪
なき膨大な数の幼児、子供、市民が犠牲となっている。さらに米英による戦争
行為は、地域のさまざまな環境や歴史的資産を著しく破壊し続けている。
【大量破壊兵器問題はどこに行ったのか】
 一方、米英両国がイラクを攻撃する最大の理由とされてきた生物、化学、核
兵器などの大量破壊兵器は、米国のマスコミが幾度となく発見されたと報道す
るものの、依然として発見されていない。このまま推移すると、米英が自国な
どから生物、化学兵器をイラク国内に持ち込み、「ここにあった」などと言い
だしかねない状況にある。さらに米国はイラクの隣国シリアに隠されているな
どとして、今後、シリアを攻撃しかねない状況にある。
 そもそも世界最大の大量破壊兵器の保有国は、ほかならぬ米国である。イラ
クが大量破壊兵器を保有していると断定し、先制攻撃に突入した経緯からして、
もしこのまま大量破壊兵器が発見されない場合、イラク戦争による多数の死傷
者はじめ国土、都市、環境を破壊したすべての償いを米英がしなければならな
いだろう。
【主権国家の政権転覆は世界秩序を破壊する】
 このように米英両国は大量破壊兵器廃絶問題そっちのけでイラクの政権転覆
にやっきとなってきた。イラクといえども主権国家である。主権国家を世界最
大の軍事大国が一方的に侵略しているのがイラク戦争の実像ではないだろうか。
もともと査察によりイラクを丸腰状態とした後の戦争の軍事的結末は誰の目に
も明らかである。軍事的、政治的に見てフセイン政権崩壊は時間の問題であっ
た。
 今後の大きな課題は、政権崩壊後の戦後処理である。米国は自国の主導を譲
らない。しかし、元来、正当性ない侵略戦争をはじめた米国が仮にどれだけ血
を流したからと言って他国に傀儡政権を樹立したり、その国の資源エネルギー
などを搾取して良いわけがない。
【戦後復興の名の下の利権獲得】
 米国はアフガン戦争で戦後復興を主導した。だが、その具体的な方法は米国
の大石油資本、ユノカル社の中央アジアにおけるトップエージェントだった親
米アフガン人、ハミド・カルザイカ氏をアフガン臨時行政機構議長(首相)に
つかせ、まさに傀儡政権を樹立した。カルザイ氏はその後大統領となりブッシ
ュ政権の念願だった天然ガスパイプライン建設に着工している。
 ブッシュ政権はイラクにあっても、戦後復興の名の下に親米イラク人を暫定
統治機構、臨時行政機構などにつかせ親米傀儡政権を樹立し、世界第二の埋蔵
量をもつ石油に関する利権はじめ、さまざまな権益を米国系企業に与えようと
していることは間違いない。すでにブッシュ大統領のお膝元、テキサス州の石
油資本やブッシュ政権内の各閣僚が関与するエネルギー産業、軍需産業、ゼネ
コンなどが復興費を当て込んで計画を練っていると言う報道も後を絶たない。
【絶対、勝てば官軍としてはならない】
 同時に、新保守主義(ネオコン)メンバーのひとり、元米中央情報局(CI
A)のジェームズ・ウルジー元長官は、次のことを公言してはばからない。す
なわち「イラク戦争は新たな中東づくりの一部にすぎない。敵は(1)イランの宗
教支配者、(2)イラクやシリアのファッシスト、(3)アルカイダなどのテロリスト
だ。米国と連合軍の進軍は続く」と。
 世界各国は、米国をして「勝てば官軍」とさせてはならない。わたくしたち
は、米国のイラク先制攻撃は何ら正当性がないことを主張してきたが、今回の
戦争で次第に明確になってきたことは、次の二点である。
 すなわち、この戦争は米国の新保守主義者の言い分にあるように、一方で武
力で侵攻し、中東諸国に親米そして親イスラエルの傀儡政権を樹立させる新た
な帝国主義戦争である。とともに、他方で中東地域の石油、天然ガスなどのエ
ネルギーを収奪する新たな植民地主義戦争である、と言うことである。
【正当性も正統性もない戦争復興に日本は拠出してはいけない】
 このように、21世紀の世界各国のあり様を根底から揺さぶり破壊するのが
ブッシュ・ドクトリンであり、米国の対イラク戦争である。戦後復興もこの策
略にそって行われ