阿育王(あいくおう)
 阿育王」はサンスクリット語を漢訳時に音写したもので、 阿育」はサンスクリット語では「アショーカ」と発音される。 パーリー語仏典では Asokaと記述され「アソーカ」発音される。 日本では阿育王のほかにアショーカ王アショカ王漢語に意訳して無憂王(むうおう)など様々に呼ばれる 阿弥陀寺男坂入口に「アショカの道」と書かれた道案内が掲げられているが、ここに書かれた「アショカ」は「阿育」を表す。前置きはこのくらいにして本題に入ろう。
 この王の在位は紀元前268〜232年頃で、マウリヤ王朝第3代の王である。生没年不詳。古代インドにおける統一国家建設の偉業を果たした。王は在位中、事業や政策の方針を詔勅(法勅)として岩壁や石柱に銘刻して周知せしめた。即位後8年を経て、インド半島北東部のカリンガを征服、これにより南インドの一部を除いて亜大陸全域の統一を成し遂げた。この際に数十万人の犠牲者を出したが、この悲惨な結果を悔い仏教に帰依、法大官を設けて、今までの武力による征服を放棄して、法(ダルマ)による政治を行うべく政策を転換、その主なものをあげれば、婆羅門(ばらもん)・沙門(しゃもん)・長老を訪ねて金銭を布施、人民を接見して法の訓戒を行い、殺生を禁止、饗宴のための浪費を戒め、道路の植樹、井泉の掘鑿、休息所の設置、人と家畜のための2種の療養院の建設、仏教・婆羅門・ジャイナ教・アージーヴィカ教など全ての宗教を人間の真理実現に役立つとして平等に保護、自国の辺地はもとより、ギリシャやエジプト諸国までにもダルマの使臣を派遣等々、王はダルマが永続するよう可能な限りの施策を惜しまなかった。
 阿育王は釈迦入滅時に建立された仏舎利塔を開いて領内各地に仏舎利の分配を思い立ち、全インドに8万4千の仏舎利塔を建立、仏舎利を配分した。この8万4千基の1基が、中国浙江省寧波市の東の山中で発見され、この山が阿育王山を名づけられ、現在阿育王山利禅寺に阿育王塔が伝承される。日本でも箱根・阿育王山阿弥陀寺
滋賀県・阿育王山石塔寺(いしどうじ)にそれぞれ千の各基が保存されている。日本には三か所に置かれたと伝えられるが、あと1基の所在はさだかでない。

ダルマ
 インドの宗教、思想では重要な概念を持つもので、インドでは宗教的義務とされる。仏教では「法」と漢訳され、「固有の性質を持ち、ものごとの理解を生じさせるもの」と解されている。ヒンドゥー教では「ダルマ」はヒンドゥー教そのものを意味する。

仏舎利
 仏の遺体または遺骨の意。一般に仏舎利といえば釈迦の遺骨を指す。
 聖者の「舎利
(遺骨) 崇拝はアジア諸国では盛んだが、舎利容器には必ずしも遺骨が入っているとは限らない。数多くの仏舎利の中には遺骨ではなく舎利を象徴するもので代替えされるものも少なくないといわれる。
                           (TN記)