水 野 賢 世
秋たけなわの日曜日、このような話の風景はどこでも見かけることができるかも知れませんが、述べてみることにしましょう。
紅葉がこれからさらに美しく映えるだろうという日の昼近く、この山寺には次からつぎへと登ってくださる家族連れや友人達のグループでお寺の庭がいっぱいです。
玄関のところに珍しい数珠車、転法輪といいますが、これを子供達が遊び半分で廻して、賑やかさをとおりこして大変騒々しいのです。
▲本堂玄関に吊るされた「転法輪」
この数珠車は二百年以上も前からあるのですが、現代人はこの扱いに不慣れなためか、数珠を車からよく外します。子供達が奪い合いをして、小さい子が泣かされたり、それはそれは大騒ぎです。その日も騒がしい一団が帰っていったすぐ後に、こんどは若夫婦と、五歳くらいの男の子に三歳くらいの可愛い女の子。若い母親は、ここが寺であり御仏を前にしながら、拝むでもなく、そのことをまったく気にもせず、数珠車を左手でユックリ廻している、つぎに父親が右手で同じように拝むでもなく、物珍しげに廻していると、父親の横にいた女の子が、こう言ったのです。
「お賽銭いれないの」、一瞬父親は娘の顔をみたが、数珠から手を離して、無表情に「いこう」と、娘を促すのでした。横にいた娘は、
「私も廻したい、お父さんがお賽銭を入れたら私も入れてみたい」と思ったに違いありません。つまらなそうに夫婦の後を追いかけて行く女の子の背中は、こころなしか淋しさがよぎっていました。お賽銭を供えて手を合わせるという、両親ができないこと、知らないことを、どうしてその女の子は知っていたのでしょうか。たぶん、祖父母とお参りに行ったときの知識を、体験を持ち合わせていたのだろうと思います。
年は伊達にはとらない、四十歳、よい年頃を迎える頃から、恥ずかしくないようにさまざまなことに心を使い、気配りして生きて行ってほしいものです。さもないと、日本総白痴などと小説に出てくるように書かれても文句を言えなくなるかも知れません。
お山に、中年の男性がジュースの缶をポイと捨てるし、女性はチリ紙をところかまわず捨てる、山に踏み入れば山草を根こそぎ持ち去る、家へ持ち帰ったところで絶対に根付きはしないのに、腹の立つことばかりです。せめて、身のまわり、家のまわり、地域の中だけでも責任をもって奇麗にしておきたいと願う今日この頃です。
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