■ ゲーム、どうしますか? ■

テレビの他に避けて通れないものとして、ゲームがあります。今では5歳で半数、小学生になると男の子の9割がゲーム機を持っているそうです。実際、公園ですら、ゲーム機を片手に小学生が集まっているのを見かけます。 たまに会話はしていても、顔を見ることもなく画面だけを見てピコピコしているようです。小児科や、ファミリーレストランでも、待つ間にゲームをしている3才くらいの幼児を見かけることも珍しくありません。

でも、私は子どもにゲームを与える気はありません。

理由は、ゲームで豊かな心が育つとは思えないからです。

テレビのページでも触れましたが、テレビやゲームに接する時間が長いほど人間関係を面倒に思うそうです。 また別の調査結果では、同じくテレビやゲームに接する時間が多いお子さんほど、いじめの加害者になる割合が高いそうです。

このことから、テレビやゲームでは、子どもの心が育たないどころか、人間関係や心の成長に悪影響を及ぼしていることが分かると思います。


テレビやゲームは一方通行の情報だけで、子どもの語りかけには反応はしてくれません。 
そうやって育ってきた子が、人の気持ちに応えたり、くみとったりするのが面倒だ、難しいと思うのも当然ではないでしょうか。

ゲームは操作すれば、子どもの思うように動くから一方的ではないという方もいるかもしれません。 
でも、ゲームは子どもの語りかけに反応しているわけではありません。 また嫌になったら電源を切ればいい。

でも、実生活では、そうはいきません。 

長崎の女児殺害事件の加害者の女の子も、小さい頃からゲームをし、映画のバトルロワイヤルを見て、殺害を決心したそうです。嫌いだから、抹殺してしまえばいいと考えたそうです。電源をOFFにするのと同じ感覚だったのかもしれません。 悲しいことに、その後も罪の意識はないそうです。

相手の気持ちが分からなければ、相手にも気持ちがあることが分からなければ、罪悪感が生まれないのは当然なのかもしれません。

ゲームの主人公はたいてい一人です。 それも子どもの意思によって動くので主人公と一体化してしまいます。同時に他の登場人物にはなれません。 常に一人です。 ゲームの世界には自分の感情だけしかありません。 その上、怖いのが、主人公が失敗すればそれは操作する子どもの失敗になることです。 主人公が相手を倒し殺せば、それは操作する子どもが殺したことになります。 子どもの心の中では。 それがたとえ現実の世界ではなくても、相手を倒し殺して、「やった!」とすっきりする。 母親として、どうでしょう?怖くありませんか?異常に思えませんか? 

それでもまだ、「しょせんゲームでしょ?」と思う方が多いのではないでしょうか?

では、子どもが動物を殺す絵を描いて、楽しんでいたらどうですか? しょせん絵の世界だからと思えますか?

もちろん、そのようなゲームばかりではないでしょう。知育的なものも数多く出回っています。 
でも、「一人」であることに変わりはありません。 

相手はそこに存在していません。 

対戦型なら相手がいるという声も聞こえてきそうですが、それは相手との生のやりとりではありません。 コミュニケーションとは、話し・聞き、体で表現することから学んでいくものではないでしょうか。

でも、絵本は違います。 絵本は自分が操作するわけではありません。だから、絵本の世界に入りつつ、俯瞰図のように一段上から大きく広い範囲で物事見ることができます。主人公だけでなく、他の登場人物の意識に入りながら、また自分の意識も感じることができるようになります。 ということは、立場が違えば、考え方や感じ方が違うということを学ぶことができます。

時間を制限するという考えもありますが、少なくとも小さい子どもが時間の約束を守れるとは思えません。

ゲームの場合、その面がクリアしないとセーブ出来ないため、ずるずると時間を過ぎてもやってしまうということがあるからです。 それであれば、与えてから、制限するよりも最初から与えない方がいいのではないかと思います。

結局、親が根負けしてゲームを買い与えても、今度は「もっとやりたい!」 、「新しいソフトを買って!」のバトルがはじまるだけです。ゲームを買えば終わりではないようです。

もちろん、これだけゲームが浸透している世の中、理想を貫くのは大変なことだと思います。
テレビやゲームは良くないと思っていても、お友達との話題についていけずに、仲間外れになるのではないかと心配して、与えてしまう親が多いのも現実のようです。
しかし、ゲームをするかしないかで人間関係を形成しているのは、普通の状態ではないですよね。そう意味では、子どもだけでなく親もたくましくなる必要があるのかもしれません。

「ダメなものはダメ!」という、「うちはうち」の方針を貫くこと、例え、一時的に感情的な争いになるとしても、譲れない部分があるということを、こういう時こそ示していきませんか。

ゲームをしている子を見ると、夢中になっているというより、魂が吸い取られているように見えます。

絵本を読んでもらっている時、積み木やごっこ遊びなど想像力を駆使した遊びをしている時、外で元気に遊びまわっている時。 そんな時の生き生きとした顔とは全然違う。 そう思うのは私だけでしょうか。