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細部修正 2002.2. 5
加筆修正 2002.6.26 2001年9月7日私は日本広告審査機構(JARO)の大阪事業所を訪ねました.次の二つの旭化成ヘーベルハウスの新聞広告について,あることを報告するためです.この二つの広告はいずれも全面広告です. 1. 2001年8月17日付 『「30年目点検」,異常なし』 2. 1999年9月14日付 『家は建てたあとが大事なんだ』 1の広告には2001年に30年目点検を受けた「ヘーベルハウス」の写真が出ています. 新聞に掲載された写真はこれより鮮明で新築ですから建物はもちろん綺麗です.右下の手書きメモにご注目下さい. S46のSは昭和の意味で,1971年11月というメモです.広告本文には2001年7月に30年目点検を行ったとありますから,1971年7月に建物が完成し4ヶ月経った頃の家族揃ってのスナップです. 一方2の広告には「二十七年前に建てた一棟目のヘーベルハウス」という表現があります.1999年の広告ですから一棟目が建設されたのは1972年になります. 1の広告のお宅は,一棟目のヘーベルハウスが建設された年の前年7月に建設されたことになります.これはどういうことでしょうか? 旭化成の公式サイトの旭化成の沿革 から関係部分を抜粋します. 住宅・建材事業では、1967年8月に軽量気泡コンクリート「ヘーベル」を企業化したのをはじめ(中略)建材事業に 本格的に進出しました。 総合化学大手の旭化成は1967年に建材「へーベル」の商売を始め,1972年に新製品「ヘーベルハウス」でプレハブ住宅分野に進出したのです. 「事業領域が広く,経営資源が分散」している点が旭化成の弱みだそうです.(日経新聞2001年10月2日)ヘーベルハウスは1972年に販売開始されました.したがって1971年7月に建設された1の広告のお宅はヘーベルハウスではありません. 旭化成はヘーベルハウスという商品の宣伝に商品でないものを持ち出したのです. JARO関西事業所次長さんにはすぐに納得して頂け旭化成に回答を要求して頂くことになりました. 1のお宅は,写真の直後に増築されたと思われます.新築直後の増築であり,おそらく増築テストが目的でしょう.1のお宅は,ヘーベルハウス商品化のための試験棟だと考えられます. さて冒頭1の全面広告はシリーズ最初の広告ではありませんでした.第二弾でした. JAROを訪れた翌日,1の広告の1カ月前の7月19日に第一弾の全面広告が打たれていることを図書館で確認しました.この第一弾のお宅は第二弾とは違うお宅でした. このお宅は,30年目点検を受けたことそして築30年とあることから1971年6月に建設されたと思われます.したがってこのお宅も商品ヘーベルハウスではありません. このお宅の増築経緯には1のお宅の場合と違い不自然なところがありませんから,このお宅はモニター棟的に使用されたと思われます. カメラのライカを例にとりましょう.1923年にモニター用として30台の量産試作機が作られいろいろな人の意見が集約されました.その結果を反映して1925年に商品LEICAが誕生しました.試作機はのちにNULL LEICAと呼ばれました.NULLとはドイツ語の0を意味します. この第一弾全面広告では事業設立30年目で「30年目点検」だと旭化成は宣伝しています. ところが事業初年度つまり1972年に建設したヘーベルハウスは事業設立31年目の2002年30年目点検です. 入社1年目の新人が夏に買った車の3年点検は,入社4年目の夏です. 全面広告に登場されたお客は旭化成の御華客(おとくい)かもしれませんが,ヘーベルハウスを買ったお客ではありません. 旭化成は全国の消費者をだましたのです. 旭化成はJAROに対してきちんと回答するでしょうか. 2002年元旦の日経新聞の日経広告賞の「広告」頁に旭化成会長山口信夫氏が登場しました.前の方にある授賞スピーチ,終わりの方の経歴にご注目下さい. 旭化成は宣伝に長けた企業です.たしか前回もイヒの広告で日経広告賞を受賞していました.冒頭で触れた『家は建てた後が大事なんだ』もなにか受賞しています. 旭化成は知名度NO1の化学メーカーです. さて山口会長は次のようにスピーチされました. 「住宅事業が本格的にスタートして2002年9月で三十年になる.節目の時に住宅関連の広告が評価され感慨深い」この30年は言うまでもなくまる30年経過した,つまり30周年という意味です.事業設立30年目という全面広告の表現が為にするものであることがおわかりでしょう. 30年前つまり1972年9月が30周年の起点です.住宅事業本格進出祝賀パーティーでも開かれたのでしょうか.そんな馬鹿な. 記念すべきヘーベルハウス第一号棟が竣工し,客に引き渡されたのです.建材供給メーカーにすぎなかった旭化成は,先行十数社に遅れはとったものの,安かろう悪かろうが定着しかけていたプレハブ住宅分野に,高品質ヘーベルハウスで,はじめて進出したのです. 旭化成は遅れてきた一介の新参者です.開発技術陣も将来に確信はなかったでしょう.後年旭化成のもうけ頭になるなど誰が予想したでしょうか.山口会長はヘーベルハウス誕生当時,総務部長で2年後に住宅事業部長に就任されておられます.住宅事業の育ての親ではあってもヘーベルハウス生みの親でないことは確かです. 山口スピーチは次のように言い換えることができます. 「旭化成は1972年に住宅事業に本格的に進出しました.」 「もしもし,旭化成さん?元旦の新聞に出ていた山口スピーチはまさか嘘じゃないですよね?旭化成さん・・・」 赤字部分は日経1月24日付の旭化成の「30年一括借上げシステム」全面広告の頭と尻尾を頂きました.この全面広告は,改善の兆しが見られ,私は評価します.「1972年住宅事業に本格進出というのは嘘じゃないですよね?旭化成さん・・・」 住宅事業を建材事業を含むと拡大解釈し,本格的進出がヘーベルハウス販売開始を意味すると旭化成が回答すれば山口スピーチは嘘じゃありません.しかしそう回答すれば,全面広告が真っ赤な嘘であることを認めたことになります. 山口スピーチは補足説明を加えれば本当になりますが,旭化成が補足説明する筈はありません.なぜなら山口スピーチの真意は1972年ヘーベルハウス販売開始という真実を伝えることではなく,1972年ヘーベルハウス<本格>販売開始,つまり1972年以前にもヘーベルハウスを売っていたという,全面広告の嘘と辻褄をあわせた嘘を言うことにあるからです. 旭化成は質問には答えず「1972年に住宅事業に本格的に進出しました」とあいまい表現を繰返すでしょう.山口スピーチはこのままの形でJAROに対する回答になっていると思われます. 旭化成は責任ある回答には縁のない企業です.嘘をついて申し訳ありませんと謝罪しない企業です.なぜってイメージが壊れるのをなにより恐れているからです.ドイツ生まれのへーベルパネルに源流があると思われる堅実で信頼できるという旭化成のイメージが. 山口会長は慶賀すべき30周年の起点を,住宅事業本格進出とぼかし全面広告の嘘と整合性をとりました.このことは30年目点検異常なしの異常な全面広告が,山口会長の指示・了解のもとで打たれたことを示唆しています.
山口信夫氏は旭化成の売上の約3割を占める「住宅事業の育ての親」で現在日商会頭でもあります.記事でおわかりのように副社長から会長になられたという経歴をお持ちです.この山口氏こそ旭化成の保身体質の元凶であると噂されています. ・・・・・繊維業界のドン,旭化成中興の祖と言われた実力者宮崎輝氏が死去した平成4年、権力闘争がありました.宮崎氏に秘書室長,総務部長として永く仕え当時副社長であった山口信夫氏を味方につけるか否かが勝負の分かれ目になったようです.そして山口氏は交換条件を出したのです.取締役会議での動議は、議長にしかできない旨社則を変えるという条件を.つまり三越の故岡田氏のような、”なぜだ”ができないように、解任動議は議長である自分ー会長にしかできないようにしたのです.山本現社長派(若手派)は、この条件を飲みました.会長までもが保身を前提に社則を変えたという前代未聞の会社です.下々が、保身に走ることに何の不思議がありましょう・・・・・
山口会長は社則の変更には成功したかもしれません.しかし社史の変更は不可能です.山口会長は老・老リレーと批判されても長年待ちつづけた日商会頭のポストに就かれた方です.責任を潔く認めるなどありえないことなのかもしれません.
「30年目問題」 補足資料30年目点検異常なしの全面広告に対して,私は最初部品交換という言葉にひっかかり内容を調べ始めました.家は建てた後が大事なんだの広告も引っ張り出して見ていたところ,ヘーベルハウスは27年前に一棟目が建設されたという記述に出会いました.私はまる29年経った点検を「30年目点検」と目を付けた新語でごまかそうとしているのではないかと疑いました.ふと写真をみるとS46.11月と書いてあるではありませんか.30年経っていたのです!1.『「30年目点検」って?』 |