改題一部加筆修正 01.02.24

ごまかし文書とは!? (01.02.18)


ごまかし文書は,それを受け取った人が,これはとても大切な手紙だ,誰にも見せずにそっとしまっておこうと思うような手紙とは全く違います.

ごまかし文書というのは,当事者の人が普通にさっと読んだ時,まちがいなく気分が悪くなります.ところがどうして気分が悪くなるのか,なかなか説明できないところが,ごまかし文書のごまかし文書たるゆえんです.直情径行の人なら怒りにまかせて旭化成に怒鳴り込むかもしれません.反対におとなしすぎる人なら納得できないまま泣き寝入りするかもしれません.が普通の人なら,まず友人など信頼できる人に,最後は弁護士などの専門家に見せて相談に乗ってもらおうとするでしょう.

ごまかし文書は第三者に見られることを前提とした文書です.というよりごまかし文書は,当事者より第三者をより意識して書かれています.

当事者の目をじっと見詰めて正直に語りかけてくるのではなく,なぜか当事者よりまわりの第三者に対してぶつぶつしゃべっているような印象を,当事者に与えます.当事者の気持ちなどしったことではなく,それどころか当事者の悪口をいいふらしているかのような印象さえ与えます.

強盗は押し入る現場を第三者に目撃されたら終わりです.いったん家のなかに侵入できたら,家人に察知されてもなにも問題ありません.なにしろ強盗なのですから.ごまかし文書もおなじようなものです.いくら当事者にそれがごまかし文書だと察知されても,第三者がごまかし文書だと認めてくれなければ,イッヒッヒは安泰です.


飛んで火に入る夏の虫であった沢田回答を例にとりましょう.沢田回答は短いものですが,ごまかし文書の説明に使えるほど,どういうわけか多分偶然だと思われますが,ごまかし文書の特徴を立派に備えています.もちろんK文書の足元にもおよびませんが.

総務部長沢田恵殿は資料をもとに口頭で何事か私に説明なさりたいそうです.資料をもとにとは,なんと客観的・公平な態度でしょう.第三者にはそう見えます.

知らぬが仏事件は,私と旭化成の間でやりとりした文書で論理的に完結しています.なんらかの外部資料に頼っている部分は<ありません.> 沢田殿の「新」資料なるものが,どういうものであるか,私が彼(or彼女)に会わない限りわからないというのも実に変な話です.「新」資料リストをもしあなたがご覧になる機会があれば,おそらくあなたはきっとびっくり仰天なさるでしょう.資料リストは空であるか,または膨大な旭化成<内部>資料群でしょう.


総務部長沢田恵殿は,「あらためて」村田殿に会われ,何事か気付かれ,「ご説明が十分ではないため」,私がいくつかの点で正確な理解をしていない,つまり間違っているといわれました.どこがまちがっているか,私が沢田殿に会わない限り教えないというのも実に変な話です.

沢田殿は「ご説明が十分ではないため」と理由をつけて私が間違っていると言われました.旭化成が下手にでていると思われたかもしれませんが実はそうではありません.

K文書を私に説明した人といえば署名された本人である上林所長以外に世の中に誰もいません.しかし上林殿はK文書について一切説明されなかったのです.口頭で余計な説明をして精緻に構築された隠蔽論理と矛盾をきたすことが怖かったためであることは明らかです.

第三者に旭化成がへりくだっているかのような印象をあたえる<説明が不十分であった>という表現は,当事者からみればまったく不十分な表現で,なにいうとるんじゃ!となります.

もし私が間違っている理由を書きたいのであれば「ご説明を全くしなかったため」と書くのが,事実に即した正しい表現です.なぜ沢田殿はそう書かれなかったのでしょうか.

そう書くと,こんな大事な文書をなぜ説明しなかったのだろうと第三者に,なにかおかしいと思われるのが嫌だったのです.


次にそれではなぜ理由を示さず,私が間違っているといわれなかったのでしょうか.客に対して理由も示さずおまえは間違っているというのは,第三者に傲慢に映るのが嫌だったのです.そしてその露骨な表現は<なにがなんでも私がまちがっているといいたいという本心>に一番ちかい表現になってしまうからです.正直な表現はごまかし文書にとって絶対に避けなければならない表現です.なにかお飾りの理由をつける必要があったのです.

このようにして「ご説明が十分ではないため」という不純物が文章に紛れ込みます.へりくだっているかのような印象を与え,本心を隠すための異物です.K文書に点在する異物と同じです.

説明を全くしなかったためと理由をつけるか,またはもっと正直にとにかくおまえは間違っていると書くのが真実を反映した文です.


冒頭の社長への質問をもう一度ごらん下さい.

私は非常に厳しいことを言っています.ほとんど面罵といってもいいくらいのものです.これに対し少しでも反撃できなければ旭化成はおしまいです.

沢田殿の,私がいくつかの点で理解不足のところがある,それについて説明したいので反論があれば面談したときにうかがうというのは,なんとか反撃せよという業務命令と沢田殿の良心の間で,ぎりぎりのところできわどく成立した表現だとみることもできます.つまり彼は自分の説明が正しいとは思っていない,だからこそ「私の推察に対する安東様のご意見をお伺いする」と表現した...のかどうか本当の所はわかりません.

さてそれでは私が間違っているというのは,本当なのでしょうか.私がまちがっていると警告した,にもかかわらず私が会わなかった,なにか私のほうに都合が悪い点があって会わないのだろう,そう第三者は感じてくれるだろうと,沢田恵殿は考えているのです.私が間違っているという匂いが,こうして沢田殿の意図どおり立派に書面で残ります.残念ながら,ボスが「面罵」されたお返しにしてはあまりにも弱々しい反撃ですが.


私が間違っているという言明は,<常識的には>うそです.なぜなら旭化成は私がまちがっていることを証明できないからです.

沢田恵殿が公式に書面で,私がどの点で間違っているかを発表することは<絶対に>ないでしょう.なぜならもし公表すれば,いかに些細なことで揚げ足をとっているのかがわかり,全体としてなにも間違っていないことを,彼の意に全く反して証明してしまう結果に終わるからです.


ここでぜひとも注意してほしいのですが,「説明不足のため」私がまちがっているという沢田殿の言明は,そのことだけを局所的に,近視眼的にとらえると嘘ではないことにご注意ください.説明がなかったことを説明不足といっても嘘ではないでしょうし,私が些細な点でまちがっているのも多分本当でしょうから.沢田殿はうそをいっているわけではないのです.しかし真実を語っていないことはそれ以上に何倍もほんとうです.これが,しっぼをつかまれないように用心しながら,常識的にはまぎれもない嘘をつく極意,というのはおおげさで基本です.


ごまかし文書は当事者には大変な不快感を与えます.嘘だとわかっていても,嘘をつくなと怒鳴りつけてやる根拠があるようでないからです.そのなんともいえないもどかしさは大変なものです.それが極まると,書いた奴の鼻面を殴りつけてやりたいという衝動に駆られ,疲れ果てます.相手の思うつぼです.

しかし人間のすることですから,いくら専門家だといっても必ずぼろを出します.そこを橋頭堡にして攻めます.才子策におぼれるといいますが,一度相手の策がわかると,あとは時間さえかければ,相手はテクニックに従っているのですから,全体の解読は可能で,比較的容易です.


真のごまかし文書は,たとえばとにかく悪意はありませんと1行だけ書いてある文書とか,あるいはごまかす気のない正直な人が,地の文を作り,そこに十分に吟味して絞り込んだ本当に隠したいことを,徹底的に細工して隠蔽してあるような文書...かもしれません.

K文書のようになにもかも,目にみえる嘘までごまかそうという文書は,すぐそれがまともな文書ではないと察知される点で二流だと思われます.さらにK文書のように小手先の細工だけ,つまりテクニックだけで心のない文書は,追求する側に徹底的に暴いてやるという戦意をおこさせてしまうという意味でも二流です.

隠蔽技術論には続きの駄文があります.(『真の隠蔽技術とは!?』)よろしければお読み下さい.品のない私が言うのもなんですが,上品さというもの,K文書にもっとも欠けているものがいかに大切かをまじめに説いたものです.オッホッホ!