寿命すりかえ事件 |
| 1.原点 |
| 2.二つの事例 |
| 3.平均寿命 |
| (1)ストックフロー分析 |
| (2)環境説とDNA説 |
| (3)100年住宅 |
| 4.画期的Kコンセプト |
| 5.ある対話 |
| 6.検証 |
| 7.全面広告に見る業界と建設省の姿勢 |
| 8.日米の家の耐用年数 |
| 9.建て替えサイクルの謎 |
| 10.26年という数字 |
| 11.基礎が危ない! |
| (1)耐用年数 |
| (2)施工における無責任体制 |
| (3)隠蔽論理 |
| (4)マンションの耐用年数 |
| (5)白華現象 |
| 12.土建国家の官僚と御用学者 |
| (1)建築物の使用年数は延びている |
| (2)半減年数 |
| (3)長期使用の問題点 |
| (4)御用学者 (コンクリート危機) |
| (5)真っ赤な嘘 |
| 13.俯瞰 |
| (1)ドンキホーテ |
| (2)箱の家 |
| (3)モダニズム |
| (4)男と女の家 |
| (5)綺麗な家 |
| (6)誇り高き建築家 |
| (7)日本の近代都市計画 |
| (8)参照図書 |
| 14.蛇足 |
| (1)旭化成ブランド |
| (2)全壊・半壊ゼロから損傷ゼロへ |
| (3)裸の王様 |
チラリと見て「平均寿命26年」の出所が書かれていることに気づきました.××広告賞常連の旭化成がわざわざ5年前の広告を持ち出したのですから,よほどの自信作に違いありません.じっくり鑑賞していくことにします.
01年夏の全面広告では出所が省かれていました.この出所不明の26年というのは建て替えサイクルであり,『30年目点検異常なし』などと自慢げに宣伝するのはおかしいと,私はこのサイトで批判しました.同年11月22日の積水ハウスの全面広告では出所が明記され,建て替えサイクルが26年と大きく書かれていました.
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へーベルハウスは,高い買い物でしたか?
「多少高くても品質に納得して買った.25年住んでみると,結局安かったと思う」.ある入居者の感想. 私たちは「ライフサイクルコスト」という視点から,60年は快適に住める家づくりを目指しているのです. 日本の住宅の平均寿命は約26年と言われています.(平成8年版建設白書)東京大田区の伊藤様がへーベルハウスを建てたのは,25年前のこと. 普通ならそろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・. 「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」とご主人. 当初の建築費だけ見れば,確かにへーベルハウスは決して安くありません.しかし私たちは,もっと長期的な視点で住まいの「本当の値段」を語るべきじゃないかと思っています.住まいの一生にかかる費用の総額を「ライフサイクルコスト」と言います.これを耐用年数で割った金額(年間ライフサイクルコストと呼んでいます)こそが,「本当の値段」を決める基準ではないか.へーベルハウスは,きちんとメンテナンスすれば60年間建て替えずにすむ家,つまり,この基準で見れば,へーベルハウスは結局安い住宅,と言えるのです. ロングライフ住宅 ヘーベルハウス 「ロングライフ住宅ヘーベルハウス」の,エポックメーキングな広告です. (以下,自画自賛解説が続きます.) |
「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」伊藤氏にとって建て替えとは,基本構造に致命的な経年劣化が生じた時行うものです.伊藤氏は御自宅の広さ・間取りに不満はないのです.
広告の最後の一文に「ヘーベルハウスはきちんとメンテナンスすれば60年間建て替えずにすむ家」とあります.「きちんとメンテナンスすれば」という条件は極めて重要です.
伊藤邸も25年の間に外壁塗り替え,シーリング補修,防水シート張替えなど十分手入れされたと思われます.その費用は残念ながら不明です.ちなみに15年耐久塗料,30年耐久防水シートの最新ヘーベルハウスでも,屋根・壁のメンテナンスコストは15年時点で220万,30年時点で550万かかるそうです(『それから』の第一部参照).
家の耐久性を問題にする場合,きちんとメンテナンスされていることが大前提です.
日本の住宅の平均寿命は約26年と言われています.(平成8年版建設白書)東京大田区の伊藤様がへーベルハウスを建てたのは,25年前のこと.
普通ならそろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・.壮年期に大金はたいて新築し,年金生活に入ったら「今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,建て替える為にいろいろ頭を悩ますことになる」・・・なぜか・・・日本の住宅の平均寿命は約26年であり,「普通ならそろそろ建て替えの時期だから」・・・
「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」<平均寿命26年→築25年でそろそろ建て替えの時期>からわかるように,26年は建て替えサイクルをあらわしています.
旭化成はこのイメージの住宅を「30年耐用住宅」と名づけています.
「30年耐用住宅」とは,きちんとメンテナンスしても30年で住めなくなる家のことです.
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日本の住宅の寿命は,建築時期別のストック統計から試算してみると,過去5年間に除却されたものの平均で約26年,現存住宅の「平均年齢」は約16年と推測されるが,アメリカの住宅については,「平均寿命」が44年,「平均年齢」が約23年,イギリスの住宅については,「平均寿命」が約75年,「平均年齢」が約48年と推測され,日本の住宅のライフサイクルは非常に短いものとなっている. この理由は,日本は戦後急速に住宅ストックを充実させている中途の段階にあることや,そもそも住宅ストックの質の低さ,リフォームのしにくさ,或いは使い捨てのライフスタイルに合わせて住宅も建て替えにより対応していることなどが考えられる.(以下略) |
建て替えサイクル=耐用年数であるかのように扱っています.
| NO | 旧 | 築年数 | 新 | 所有者移転 | 備考 |
| 1 | プレハブ2階建て | 22年 | プレハブ2階建て | あり | 旧宅は昭和42年築,86uの6DK |
| 2 | コンクリート2階建て | 約20年 | プレハブ2階建て | あり | はじめから新築目的の中古取得 |
| 3 | コンクリート2階建て | 2数年 | 木造2階建て | あり | はじめから新築目的の中古取得 |
| 4 | 木造2階建て | 約30年 | 鉄骨3階建て | なし | 高さ2Mの擁壁を壊し1階ガレージに |
| 5 | 木造2階建て | 約30年 | 木造2階建て | なし | 故郷から大工さんを呼び建て替え |
| 6 | プレハブ2階建て | 約30年 | 木造2階建て×2 | あり | 土地を2分割 |
1が我が家の場合です.中古で買った86u,6DKのプレハブ(積水ハウス)は床面積の割に部屋数が多い間取り(1階8,4.5,DK6,2階6,6,4.5,4)でした.狭い上に使いにくい間取りだったので壊したのであり,耐久性に問題があったわけではありません.現に同じ積水ハウス(と思われる)プレハブで昭和45年に建設された一軒(新築時127u,18年後増築して172u,8DK)は,所有者が代わり内外装がリフォームされ立派に現役です.築33年には全く見えません.1,4,5は,建物の居住水準(広さ,間取り)が低かったため建て替えられました.平成8年版建設白書238頁には次のようにあります.
「終戦直後の420万戸の住宅不足を背景に,戦後の住宅政策は住宅の量的確保の推進に力点がおかれた.その結果,昭和40年代には一世帯一住宅の目標を達成し,量的不足は解消された.昭和50年代以降,居住水準の目標を設定し住宅の質的向上を図っているところである.」戦争で日本は多くの家が焼けました.戦後の住宅建設は,まず数の確保(一世帯一住宅)を目指しました.そして
先日のNHKアーカイブで67年放映の「新住宅難時代」が少しだけ紹介されていました.終戦直後の住宅難時代はまず住む家がほしいという住宅難,「新」住宅難時代はより広く快適な住環境を求めて人が殺到した時代でした.「質」の向上時代の入り口だったのです.昭和40年代後半から質の向上へと向かいました.質とは,まずなにをおいても広さです(昭和31年の公団団地は40uの2DKでした).一戸建て持家(建設白書は持家と建売を区別しています)の床面積は昭和43年でようやく90u,昭和53年で115u,平成に入ってから140u弱で推移しています.
わが町も後に出てくる「ハイムニュータウン」もこの頃に造成されました.
現在でも「一人あたりの住宅床面積は英独仏の約40uに比べ33uにとどまるなど,質的な面についてはまだ十分とはいえない」(平成15年版国土交通白書)そうです.衣食住の住ではいまだに欧米諸国に追いついていないのです.(一人当たり床面積は,日本33u,英43u,独42u,仏39u,米58uです.)昭和42年に建設された86uの6DKは,建設当時は平均的大きさでしたが,20年後には平均を大きく下回る小さな家になっていたのです.欧米でこんな事は考えられません.日本特有です.
平成8年版建設白書の「平均寿命」は,バブル絶頂の平成3年から,6掛け水準に落ちた平成7年にかけて「除却」された家の平均築年数です(平成7年でも現在の土地価格より5割高い水準です).つまり反対に土地が超格安だとしましょう.すると築22年,86uの6DKでもまだ住めるのですから転売されます.車の場合と同じように,所有者を変えながら,耐用年数に達して「廃車」すなわち解体されるまで使われるでしょう.産業廃棄物を最小限にするという環境の立場からいえばこれが理想です.
寿命26年という値は,建物の価値が土地にくらべてゴミだった特異な時期の統計です.
ちなみに建設白書を平成9年版から平成12年版まで,そして国土交通白書の平成13年版以降を調べましたが,「平均寿命」の記述は消えています.これは何を意味するか?
家を建てることは日本では昔から一生に一度の大事業でした.家は高いのです.家を建てる人はそれだけの現金が用意できた人であり(頭金ゼロの住宅ローンなどなかった時代です),一生住むつもりで家を建ててきました.そして日本には優れた木造家屋の伝統があります.
敗戦直後の混乱期を経て,「もはや戦後ではない」昭和30年代以降の日本の普通の家は,手入れさえ怠らなければ40年,50年もってあたりまえです.小さな家であったのは仕方なかったにせよ,先人たちは,26年で基本構造劣化で住めなくなるようなちゃちな家を作ってきたわけではないのです.
わが町の例よりずっと広い範囲の事例が丁度いい時期に新聞に載りました.
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| 04年正月元旦の朝日新聞家庭欄から採りました.わが団地と同世代のニュータウンの例です.奇しくも東京都伊藤邸のヘーベルハウスと同じ73年築のハイムです. 70年から78年の8年間に建てられた約2万棟の7割が現役だとあります.解体された家の「平均寿命」は26年と大差ないでしょう.しかしこのニュータウンの家の耐用年数が26年どころでないことは明らかです. ハイムは時代を画する革新的な住宅でしたが,こと耐久性に関しては普通の家だと私は思います.普通の家でも,30年で5回外壁を塗り替えるほど大事にすれば長持ちするのです. 旭化成は築25年のヘーベルハウスを大々的に宣伝しました.しかしそれは本来なんの宣伝にもならない,当たり前のことなのです.(25年間手入れ不要というのなら話は別です.) 当たり前のことを,旭化成は建設白書の寿命26年とセットにすることによって,センセーショナルな全面広告に仕立てたのです. (すべてがハイムではないでしょうが,このニュータウンをハイムニュータウンと呼ぶことにします.) |
| 出所 | 平均寿命の定義 | 日本 | アメリカ | イギリス |
| 平成8年版建設白書 | 潰された家の築年数の平均 | 26年 | 44年 | 75年 |
| ストックフロー分析 | 現存住宅数/ 新築戸数 | 30年 | 100年 | 140年 |
人間の平均寿命にストックフロー分析を適用してみます.70年代前半の第二次ベビーブームの頃は総人口約1億1千万,出生数が約200万で「平均寿命」は約55年,00年では総人口1億2700万,出生数が119万で「平均寿命」は107年になります.生命表に基づいた普通使われている平均寿命は75年で男72年,女77年,00年で男78年,女85年です.一方建設白書の平均寿命は,いわば寿命そのものの実測値です.旭化成は建設白書の平均寿命だけ使用しています.一方ミサワホームは主にストックフロー分析を使用しています.
人間の平均寿命について考えてみましょう.A国の平均寿命が100年,B国が30年だとします.この極端な差に対して,二つの見方があります. B国は,医療設備が整わず,乳幼児の死亡率が高いのだろう,部族間で内戦している為だろう・・・などと,広い意味で環境に原因を求めるのが一つの見方です.これを環境説と呼んでおきます.環境説の根底には,そもそも同じ人間だから,寿命に大差があるはずがないという常識があります. 世界で一番平均寿命の短い国は西アフリカのシエラレオネという人口500万の小さな国だそうです.95年の統計で男32.95歳,女35.90歳です.この国は,内戦が10年以上続き,5万人が内戦で命を落とし,100万人がホームレスになっているといわれています.すべての人が老衰で死ぬような恵まれた環境下での寿命を本来の寿命としておきますと,B国は環境が劣悪なため本来の寿命よりずっと短い,環境を改善すれば大幅に延びると,環境説では考えます.本来の寿命がどれくらいかはわかりませんが,A国の平均寿命100年より長いのは確かです. もう一つの見方は,そもそもB国の人は,遺伝的に短命なのだと考える立場です.これをDNA説と呼んでおきます.DNA説では死亡理由は問わず寿命は寿命であり,平均寿命=本来の寿命です.寿命を延ばすにはDNAを優秀なものに取り替えて人種改良するしかないと考えます. さて住宅の寿命の話に移ります.アメリカと日本の家はどちらも木造主体です.両国の家の寿命を比較します. 住宅の寿命には建て替えサイクルと耐用年数という二つの意味があります.建て替えサイクルは,人が老衰以外にも種々の理由で死ぬように,家が諸事情で壊された時の平均築年数です.環境説では,耐用年数が人の場合の本来の寿命に相当し(住めなくなるまで住み潰した時の年数),もちろん建て替えサイクル<耐用年数です.一方DNA説では建て替えサイクル=耐用年数です. 設問1:アメリカは44年,なのに日本の家の建て替えサイクルはなぜ26年なの? 環境説は自然環境,経済環境,歴史などに違いを求めます(第10章参照).一方DNA説では住宅そのもののつくりに違いを求めます. DNA説では日本の家の耐用年数は26年,アメリカの家の耐用年数は44年です.アメリカなみに建て替えサイクルを延ばすには,たとえばアメリカの家の1.5倍の耐久性をもつヘーベルハウスに建て替えることが必要だと唱えます. これがDNA説の本家本元ですが,意外にも建設省と旭化成だけがこう唱えています.DNA説の多数派は設問1は相手にせず,次の設問2に答えます. 設問2:アメリカは100年,なのに日本の家の耐用年数はなぜ30年なの? 日米間の家の耐用年数に3倍以上の差がある,つまり家のつくりにそれだけの差があることを認めています.この設問はDNA派内だけで通用する設問で環境説の入り込む余地はありません.ミサワを旗手に多くの業者がこの設問をふりかざします. 建設省・旭化成のDNA派本家とはっきり違う点は,アメリカの家の耐用年数を100年としている点です.にもかかわらず奇妙にも,日本の家の耐用年数に関しては,ミサワは本家と同じ26年(30年)を採用しています.本家は日本の家のつくりはアメリカに比べてぼろいと主張し,ミサワはずっとずっとぼろい,話にならないほどぼろいと主張しているのです. |
同広告によると,ミサワは業界初のグッドデザイン賞に認定されて以来,14年連続受賞とあります.住宅そのもののデザインが評価されているのですから,××広告賞受賞とは重みがまったく違います.「蔵のある」高級仕様の家だけでなく,低価格商品でも100年もたせることは可能であるということです.ミサワの家になにか特別な秘密があるのでしょうか.
アメリカの住宅寿命の平均は103年ですが,アメリカの多くの住宅はツーバイフォー(2×4)工法の木造です.(略)日本と同じように「木」を構造材に使いながら住宅寿命が約3倍になるのは,ツーバイフォー工法が特別に耐久性に優れているからということではありません.日本人とアメリカ人の住宅に対する価値観の差が,住宅寿命の差になっているのです.平田氏はミサワのキーマンの一人です(00年10月6日の『100年楽しく.100年美しく』というミサワホーム全面広告で技術部次長として登場されています).彼のここの説明は非常に重要です.
日米間で建て替えサイクルに3倍もの差はありません(日本26年,アメリカ44年です).したがってこの寿命差というのは耐用年数の差を意味していると考えられます.
平田氏は3倍もの耐用年数の差を「価値観の差」といった,まるで雲をつかむような話で説明しています.それが何を意味するかは後で明らかになります.
良好な状態で100年住もうと思えば,新築一棟分の経費がかかると覚悟すべきです.これをどう評価するかはお任せします.とにかく金をかければミサワの家は100年もつのです.
(屋根の葺き替え,外装や内装の取り替え以外に)水回り一つとっても,管やパッキンなど修理・修繕が適切な時期に必要であり,家全体の部材・部品の交換や補修を考えると,100年の間には一棟分ほどの費用がかかってしまうものです.適切な時期に費用を惜しんで交換や補修をしないと,結果として重大なトラブルが生じ,家に深刻なダメージを与えてしまうわけです.早めにメンテナンスしてこそ,家は長持ちするのであって,後手後手に回ると100年どころか,10年ももたないこともある.(同書172頁)
メンテナンスコストと言えば,04年1月10日朝日掲載のセキスイハイムの全面広告(『「エコハイム」の7つの”際立ち”をご紹介』)に次のように書かれています.省資源の視点から,メンテナンスコストの手間や費用がほとんどかからない高耐久性のタイル外壁やステンレス屋根を採用.現在のハイムでは30年で5回塗り替えは,すでに過去の話になっています.この話といい,「基礎を除き約7割の再利用が可能」な「再築システムの家」といい,ハイムはなかなかやります.
年明けの04年1月7日,私は喫茶店からの帰りに地元の図書館に寄りました.98年9月4日全面広告を念の為,朝日新聞縮刷版で確認しておこうと思ったからです.私は驚くべきものを見てしまいました.
私は『へーべリアン(03年秋リニューアル創刊号)』の裏表紙に掲載された全面広告を見て,建て替えサイクルを耐用年数に密かにすりかえようとしていると思いましたが,違いました.
全面広告は2面にわたっていたのです.2面目(下の写真)はご覧のように紙面中央に大きく「日本の住宅が26年しかもたないって本当ですか?」とあります.そのものずばりの疑問ではありませんか!
2面目の先頭部分は以下のようになっています.
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[日本の家の寿命が短いのはどうしてですか?] 建設白書のデータによると,住宅の平均寿命(その年に壊した建物の築年数の平均)はイギリス75年,アメリカ44年に対して,日本は約26年(図1).人生80年といわれる現代の日本にあって,この数字ではあまりに短いとお感じになる方が多いのではないでしょうか. 日本の住宅の平均寿命が他国と比べこれほど短いのはなぜか.その理由として,まず,建物の物理的な耐久性に問題があったことがあげられます.戦後,日本の住宅は「質」よりもまず「量」を確保することが先決という時代がしばらく続きました.その時期につくられた住宅は耐久性という面では必ずしも十分ではなかった.これが理由の一つです. もう一つは文化的な側面.欧米では,一定の場所にずっと住むのではなく,家族の変化に合わせて住み替えるという文化が定着しています.これに対して日本は定住志向が強い.家族が増えても減ってもその土地にずっと住みたいと考える.物理的にはまだまだもつ家であっても,家族の変化についてこられなければ,壊してしまうわけです.ある程度,面積に余裕がある場合はその変化を吸収できますが,近年の特に都市部の住宅事情では難しい.これらが住宅寿命を短くしている要因であると考えられます. |
建設白書のデータによると,住宅の平均寿命(その年に壊した建物の築年数の平均)はイギリス75年,アメリカ44年に対して,日本は約26年(図1).で尽きています.(人生80年云々からは「短いのはどうして?」に対する話に移っています.)
「平均寿命」26年(=建て替えサイクル)→→→ 26年しかもたない(=耐用年数26年)旭化成は密かにではなく,堂々と目の前ですりかえていたのです.
大見出しに興味を持った人は,そうか建設白書に日本の家は26年しかもたないと書いてあるのかと思ったでしょう.だまされたのです.建設白書にそんなことは書かれていないのです.
もつ,もたないという日本語は,普通には物理的耐久性を意味します.しかし普通でない詐欺師は,そう思うのは素人で,もっと広義の「もつ」だと詭弁を展開します.
家族の変化とは,多くの場合,子供が増えたり子供が大きくなって独立スペースが必要になることを意味します.短い文の中に「家族の変化に合わせて」,「家族が増えても減っても」,「家族の変化についてこられなければ」,「その変化」と4箇所も家族の変化が出ています.旭化成は次のように述べています.
1で「物理的にまだまだもつ家」の建て替えは「家族の変化に対応できない為」に単純化されました.多岐にわたる「諸事情」は,「家族の変化に対応できない為」に単純化されたのです.「家族の変化」を何度も強調しているのは,単純化していることを隠したいためかもしれません.家が大きい場合は,家族の変化に対応するための増築も建て替えも不要であることは明らかです.したがって1と2は,昔も今も,都市でも田舎でも,家が小さい場合の話です.
2は一見すると単なる補足説明に見えますが,これが実はちょっと曲者です.
狭小敷地に建蔽率・容積率ぎりぎりに建てられた都市部の小さな家日本の家の寿命26年の説明に,これを持ち出しているのですから,旭化成はこのイメージの住宅が日本の普通の家であるとしていることを忘れてはなりません.
一般に「耐久性」というと物理的な耐久性のことを思い浮かべる方が多いと思いますが,当社では物理的,機能的,サービス面の3つの視点から,長寿命住宅の家づくりが必要と考えています.物理的耐久性を思い浮かべるのは素人で,耐久性にはこんな複雑な側面があるというのです(ここだけ勝手に「」付き耐久性を使用しています).このうちサービス面については『塗料すりかえ事件』と『それから』で,とことん中身のないことを示しました.
構造壁や構造柱に邪魔をされない広い居住空間(ユニバーサル空間)を確保しておくことで,将来のライフスタイルや家族構成の変化に合わせて柔軟な間取りの変化が可能になります.実はこの柔軟性が住まいの寿命を大きく左右します.こうしてようやく「文化的側面」の真意が明らかになりました.
日本の家屋がどんなに自在に間取りを変更できるかは,『大改造!! 劇的ビフォーアフター』(第8章参照)を見ている人には常識です.柔軟性欠如をもって,日本の家を貶めるのは,とんでもない言いがかりです.よほどの間抜けが相手でない限り,日本の家は柔軟性不足だという話は信じさせることができないのです.だからこそ「文化的側面」,「都市部の住宅事情」で化粧した難解な表現になっているのです.
柔軟性不足は,それが本当でないことは馬鹿でもわかる,そして柔軟性に関しヘーベルハウスに何の優位性もない,という意味で二重にお飾りです.このお飾りの方を真に受けた馬鹿なメーカーがありますが.東京都伊藤邸が今日あることに,ヘーベルハウスの柔軟性はなんの寄与もしていません.そして比較対象である「普通の家」は,伊藤邸と同じような広さ,間取りの家でなければなりません.狭小敷地に建つ「柔軟性不足」の小さな家であってはなりません.ところが「普通の家」の場合には25年経つと
そろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・.と旭化成は言っているのです.広義の「もつ」だなどという詭弁は許しません.
| この広告記事は談話をもとにしたものです.誰が騙ったのでしょうか. 旭化成ロングライフ住宅研究所熊野勲所長です. (同研究所は研究員8名で同年4月16日設立). 家族の将来対応をいかに家に仕組むかが「最大の課題」だそうです.床面積140uの現在の住宅でこんな仕組みはニッチ機能です.30年前の90uの時代なら,4畳2間を8畳に簡単にできることは,少しは意味があったでしょう.建て替えサイクルも31年くらいにはなったでしょう. |
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| 気になっていたことがありました.「超特大CONCEPT」の左上の隅に小さく「企画・制作 朝日新聞広告局」とあったことです.3月12日隣町の図書館で確かめたところ,日経には,「超特大CONCEPT」はありませんでした(1面の方はもちろんありました).その後,超特大CONCEPTは,朝日のシリーズの表題であることがわかりました. 朝日はインチキの片棒を担いだのですが,結果として,朝日だけが広告に根拠がないことを証明する記事を同時に掲載したことになります. 日経縮刷版をパラパラ見ていたら,1週間後の9月11日付け『三井ホームの家は,何年住めますか』というタイトルの三井ホームの全面広告が目にとまりました. 熊野氏の苦心の結晶である「もつ」を抜け目なくぱくっています.この全面広告は熊野コンセプトの尻馬に乗ったもっとも素朴な形です. |
「日本の家の寿命が短いのはどうしてですか?」という最初の問いに対する答え(上で全文引用)は全体の約4分の1を占めています.残りは次の問いに対する回答です.「なぜ,今「ロングライフ住宅」なのですか?」これらは旭化成が考えるロングライフ住宅コンセプトの説明です.
「ロングライフ住宅が満たすべき条件とは?」
「住宅のライフサイクルコストとは何ですか?」
「ロングライフ住宅を充実させていく上での課題は?」
「超特大CONCEPT」を二つに分け,最初の問いに対する答えを熊野コンセプト,残りの問いに対する答えを旭化成ロングライフ住宅コンセプトとしておきます.二つのコンセプトは,ライフサイクルコストのところで密に関連します.旭化成ロングライフ住宅コンセプトの土台は熊野コンセプトです.
熊野コンセプトとは建て替えサイクル=耐用年数という真っ赤な嘘に立脚した日本の住宅26年(あるいは30年)耐用説です.
もし熊野コンセプトが正しければ,ヘーベルハウスは普通の家の2倍以上長持ちする画期的住宅であることになります.ミサワの家は普通の家の3倍以上長持ちする超画期的住宅になります.
もし熊野コンセプトが偽であれば,普通の家は26年しかもたない,ヘーベルハウスは60年もつ,長い目でみれば安上がりだと宣伝しつつ,旭化成がヘーベルハウスを売っていることは,たとえ60年もつことが真実であったとしても,詐欺になると思われます.ミサワホームに対しても同じことが言えます.
アメリカは100年,なのに日本の家の寿命はなぜ30年なの?というタイトルの一節があります(162頁).3章の設問の出所はここです.この本はミサワの平田俊次氏(表紙の肩書きは「住まいの耐震と安全を考える会」主宰)とジャーナリストT氏の共著で,この一節は対話形式になっています.
T氏は,<平均寿命30年問題>も<中古住宅問題>も「住宅診断システム」の欠如に起因するとしています.中古住宅問題とは,日本の中古住宅の流通戸数が英米に比べて1桁少ないことを指しています.平田氏 「住宅を診断するシステムがないため,平均寿命が短いという側面は否定しきれません.しかしその責任のすべてが住宅業界にあると責められるとちょっときつい.古い住宅でも厳格に診断し,適正な補強さえすれば,十分に耐震上の安全は確保できる.家の築年数と耐用年数はほとんど関係ないんです.」
この二つの問題の間にはたしかに関連があるかもしれません.日本はアメリカに比べ住み替え回数が少ないと言われています(どこかのメーカーによると漱石は30回ほど住み替えたそうですが).住まいが要件に合わなくなった時,住み替えずに建て替えてしまうから,建て替えサイクルが短くなり中古として市場に出る量が少なくなるというわけです.
しかしこの二つの問題と住宅の質との間に関連があるかどうかは明らかではありません.しかし日本の権威たちは,両問題とも住宅の品質の問題だとしています(第7章参照).T氏もそう考えているようです.
阪神淡路大震災から丁度9年目の04年1月17日朝,テレビに登場した横浜市中田市長によれば,横浜市は無償で耐震診断を実施し,倒壊の危険ありとされた家(診断を受けた家の実に50%!)に対して耐震補強の工事費用を助成(最大で540万円)しているそうです.自治体でもすすんでいるところはここまでやっています.T氏 「要は「平均寿命30年」という数字をどう見るかです.これは「不要な建て替え」を迫られている人が多いことの裏返しでもある.「住宅業界に責任のすべてがあるわけじゃない」とおっしゃいますが,少なくとも「責任の大半は業界にある」と批判されても反論できないはずです.」
平田氏のコメントはたいへん重要です.耐震性は耐久性とは別の概念です.日本の家をとりまく環境は,地震という面でたいへん苛酷な環境です.アメリカなら100年もつ家であっても,日本では危険な家です.そして危険な家は,適切な耐震補強を行えば,もし耐久性のある家なら建て替えずとも安全は確保できるのです.
耐震性はここでは深入りしません.なぜなら今問題にしている「平均寿命30年」は,仮に日本が地震ゼロの国であってもせいぜい「平均寿命31年」になるだけだからです(それどころかもし地震ゼロだとすると,地震で倒壊する家はやはり古い家が多いでしょうから,平均寿命はかえって短くなるかもしれません).
戦後の建て替えが「不要な建て替え」であった結果,「建て替えサイクル30年」になったのではなく,98年以降「不要な建て替え」を実現するために業界は「耐用年数30年」を使ったのです.平田氏 「住宅業界がこぞって不安を煽り,建て替えを強要しているかのような言い方は誤解を招くと思います.日本の住宅の平均寿命が30年に満たないのは問題であるにしても,そこにはいろいろな要素が作用していると思います.」
旭化成熊野氏は4年前の98年に,平均寿命30年は第一に耐久性不足,第2に文化的側面の違いだと説明しました.一方平田氏はごらんのように一言も理由を述べておられません.T氏 「アメリカとは事情が違うにしても,この国の住宅の耐用年数は100年を越えるといいます.フランスが90年ほどです.アメリカでは中古住宅の取引が新築の27倍で,住宅市場の中心は中古の住宅ですよ.それだけ住宅診断システムがしっかりしているということでしょう.」
日本の家26年耐用説を唱えているDNA派が「こぞって不安を煽り,建て替えを強要している」ことは疑いようがありません.
T氏は100年を耐用年数の意味で使っています.30年の方も当然耐用年数の意味で使っています.一方平田氏は本の中で,1)アメリカの平均寿命は103年,2)日米の寿命差は3倍,3)日本の建て替えサイクルは30年と述べておられます.平田氏もT氏と同意見であることは明らかです.このあと平田氏がアメリカのインスペクター制度を紹介し,T氏がそれに比べ日本の中古住宅に対する品質評価はいかにもお粗末だと応じたあと次のように締めくくられます.
平田氏がはっきり意見をいわないため,T氏はまた住宅診断システム主犯説を繰り返しています.
旭化成に対してこの批判はあたりません.それどころか旭化成は古い家を評価する体制を業界に先駆けて整えています(後述).平田氏 「将来,そうした取り組みが,住宅会社の勝ち組と負け組みを決める大きな要素になると私は思います.」
中古住宅の評価には次の要素があります. 1.メンテナンスはどの程度行われているか. 2.基本性能(耐久性・耐震性・耐火性など)は大丈夫か.(性能評価システム) 3.いくらの値打ちがあるか(査定システム) 中古住宅を買う立場からすると,もっとも心配な点は2の性能は大丈夫かという点です. メンテナンスの程度は,内と外を見れば素人でもだいたい判断できます.3の査定に関していえば,査定価格で業者が買い取ってくれるわけではありません(この点が中古車と大きく違います).土地代込みの売値は売り側の素人が(勝手に)つけ,買い側の素人が価格に納得すれば売買は成立です.公正な株価がありえないように公正な査定価格というものもありえません.しかし第三者による公正な性能評価はありえます.アメリカにはそのシステムがあり,アメリカの消費者は安心して中古を買えます.欠陥住宅かどうか心配することなく,価格だけ売主と交渉すればいいのです.一方日本ではババをつかむ恐れが常に存在します. 中古を性能評価した結果,建てた者の責任が問われる場合があります.たとえば,耐震性能に問題ありと評価された場合,手抜き工事・設計ミスに起因するものがあり,これらは建てた者の責任です. メーカー物の中古は一定レベルの品質は保持しているだろうと素人は思います.だからこそ中古業者のチラシにはメーカー物の場合は必ずその旨表記されているのです.公正な性能評価などくそ食らえと内心思っている点で,(一部)メーカーと悪質業者は同じです.公正な性能評価を切望しているのは,消費者と普通の業者です. いま日本でもっとも必要とされるシステムは,すべての中古住宅に適用できる公正な性能評価システムです.査定システムではありません.価格は市場できまるのです. 特定メーカーが作った査定システムなど,消費者の立場では一文の値打ちもありません.それは単にわが社の中古はこんなに価値があると宣伝する為のデモシステムです. |
一般の木造住宅の流通耐用年数(商品価値として流通する期間)が15年であるのに対し,(ヘーベルハウスは)『30年』 と設定しました.旭化成は中古住宅が資産価値をもつ期間(流通耐用年数)を耐用年数の半分に設定しています.60年耐用住宅なら30年資産価値があり,30年耐用住宅なら15年で資産価値ゼロです.
旭化成の新開発した査定法に基づけば,「一般の木造住宅」は何年資産価値をもつのでしょうか.旭化成は一言も触れていません.ヘーベルにだけ新査定法を適用して30年だと言い,「一般の木造住宅」の方は旭化成がいい加減だと批判している従来査定の結果である15年を採用しています.おかしいではありませんか.この批判は旭化成の査定システムを過大評価するあまり少々的外れです.30年は査定の結果ではなく,査定の入力なのです.旭化成の査定システムは,30年資産価値をもつ家と15年で資産価値ゼロの家を比較する「デモシステム」なのです.
「だから任せてストックヘーベル」は<住宅メーカーが最近盛んに長持ちを強調し中古住宅の良さをPRしている,なぜか>という問題意識で書かれた日経記事を材料にしています.
国の中古振興施策にべったりで迷いのない旭化成熊野氏(日経記事に登場されています)とは対照的に,積水ハウス幹部の方はなぜか「低い声」で見解を述べているのが非常に印象的です.
その後積水ハウスも中古住宅流通システムをサポートしていることを知りました.00年2月6日の積水ハウスの全面広告(2面通し)で積水ハウス社長は次のように述べています.
「家の骨組みや基礎・外壁はそう簡単に悪くなるものじゃないですから,適切な手入れをすることで価値を保ち,売却されても,新しいオーナーに対して当社があと10年間保証しましょうという制度」とのことです.
常識的で穏当なサービスだと思われます.
昭和43年に一世帯一住宅が達成されました.量を確保する時代は,戦後20数年続いたのです.現在の住宅と比べると,当時の住宅が「耐久性という面では必ずしも十分ではなかった」のは確かでしょう.ここだけ切り出すと熊野氏は真実を語っています.
部分だけ切り出すと真実であることが,ある文脈に置かれたとき真っ赤な嘘に転化することは,上級詐欺師の常套手法です.典型例が塗料すりかえ事件におけるK文書に見られます.熊野氏は特に量的確保の時代を問題にしました.ということはその時代の建物の耐久性は26年以下ということになります.
その時代の建物を除外して考えると,「現在」の家の耐久性は26年より長いということになります.総務庁統計局の「住宅・土地統計調査(平成10年)」(ここにあります)の中に,平成10年10月1日時点で現存する住宅の建設時期別分布が出ています(下のグラフ参照.2000年版建設白書53頁).
旭化成はどう問いかけたでしょうか.「30年から50年前,日本の住宅が26年しかもたないぼろ住宅だったって本当ですか?」と問うたのではないのです.「日本の住宅が26年しかもたないって本当ですか?」と問いかけたのです.
新築するのにどのメーカーにしようかと迷っている人にとって,遠い昔の住宅の耐久性など何の関わりもありません.98年の全面広告は,伊藤邸の中古広告ではなく,ヘーベルハウス新築の広告なのです.
ということは,量的確保の時代の家の耐久性に問題があって26年がそれに引きずられた結果であり,現在の住宅の耐用年数はもっと長いとしたら,旭化成にとって困ったことになるのです.旭化成は「現在の」家が26年しかもたないと主張しているのですから.ではなぜなぜわざわざ量的確保の時代に言及したのでしょうか.
粗製濫造のイメージを喚起させ,耐久性に問題ありと思わせるために,わざわざ「質より量」の時代を持ち出したのです.建て替えサイクル26年を耐用年数にすりかえる上で,日本の住宅は「質」が悪くて長もちしないと思わせることが必須なのです.
詐欺師にだまされてはいけません.
ちなみに終戦前の住宅の割合(全国平均で3.8%)について地域別にみると,高いものから順に,島根(14.3%),和歌山(9,3%),岡山(9.1%),京都(8.8%),長野(8.1%),山口(7.9%)・・・,低いものから順に沖縄(0.4%),北海道,東京,神奈川(0.9%),埼玉(1.2%),千葉(1.8%)・・・などとなっています.終戦直後の5年を除き,昭和26年から昭和45年までの20年間に建設された住宅は,現存する住宅の16.9%を占めています.現在(平成10年時点)の6戸に1戸が量的確保の時代の家なのです.
昭和56年以降に建設された住宅が5割を占めているという意味で,建設白書の「平均年齢」が16年というのは納得できます.しかし「平均寿命」が26年というのはどう考えても変です.これはちょっと謎でした(第9章参照).
30年から50年前の車が新車に交じって6台に1台の割合で街を走っているとします.その車の耐用年数が26年以下だと誰が信じられるでしょうか!それでも詐欺師は抗弁するかもしれません.量的確保の時代は粗製濫造で大量に建設されたのだ,平均的家屋はすでに潰れ,耐久性に優れた少数の優秀な家屋が残っているのだ,その証拠に以降の時期に比べ,少ししか残っていないではないか・・・などと.
昭和33年時点の総住宅数は1793万戸です.ここから図のように毎年どんどん建てられ,その裏でかなりの数が壊されその結果,平成10年時点の総住宅数が5025万戸です.(ちなみに終戦直後の昭和23年の総住宅数が1391万戸で半世紀の間に約3.6倍になったことになります.)この年別の新築件数を,前の建築時期別の現存住宅数のグラフの期間に合わせて累計しました.最後の欄が平成10年時点の生存率(=現存戸数/新築戸数×100)です.
| NO | 建設時期 | 何年前か | 新築戸数(*1) | 現存戸数 | 生存率 |
| 1 | 終戦前 | 53年以上前 | ? | 165万戸 | ? |
| 2 | 終戦時〜昭和25年(06年) | 48年前〜53年前 | ?(*2) | 67万戸 | ? |
| 3 | 昭和26年〜昭和35年(10年) | 38年前〜47年前 | 360万戸(*3) | 193万戸 | 54% |
| 4 | 昭和36年〜昭和45年(10年) | 28年前〜37年前 | 952万戸 | 548万戸 | 58% |
| 5 | 昭和46年〜昭和55年(10年) | 18年前〜27年前 | 1520万戸 | 1149万 | 76% |
| 6 | 昭和56年〜平成02年(10年) | 8年前〜17年前 | 1402万戸 | 1197万戸 | 85% |
| 7 | 平成03年〜平成10年(08年) | 0年前〜7年前 | 1147万戸 | 965万戸 | 84% |
(*1):古い時期のものはグラフから読み取ったため少々の誤差はあります.
(*2):平成8年版建設白書の図1-41にこの時期の新築戸数の一部がでています.この期間の新築戸数は,かなり多かったと推測されます(昭和23年で60万戸近い).バラックのような家もきっと多かったでしょう.
(*3):後半5年分を2倍(上記図1-41からみて妥当と思われます).
古い時期(?)の「新設住宅着工戸数」は実際の新築戸数より少ないと思われます.(昭和33年から昭和38年の5年で「新設住宅着工戸数」の合計が270万戸に対し総住宅数の増加が316万戸)一方現存戸数の統計に入っていない賃貸・売却用の「空き家」の352万戸は,古いものほど「空き家」になる可能性が高く,3と4の現存戸数にかなりの戸数をさらにプラスすべきものと思われます.(建築時期不詳の建物100万戸も同様)ご覧下さい.熊野氏が耐久性不足だと特に言及した「質より量」の時代(3と4)ですら,30年から50年経っても,半分以上生き残っているではないですか!
建築時期別分布で量的確保の時代の建物が少なく見えたのは,もともと建設された数が少なかったせいが大きいのです.もし量的確保の時代に今と同様の生産力,経済力があり毎年100万戸以上建設されていたとしたら,建築時期別分布がどうなっているか想像してみて下さい.
日本では終戦からの25年間と,以後の25年間で新築件数を比べると,後半25年に前半の2倍から3倍,建設されています.戦勝国アメリカにはこのような差はないはずです.そして戦争で多数の家が焼けたという歴史はアメリカにはもちろんありません.
つまり日本ではアメリカに比べると古い時期(戦前および戦後の25年)に建てられた家の割合がもともと少ないのです.したがってその分建て替えサイクルへの古い家の寄与が減り(アメリカに比べると)建て替えサイクルは短くなります.日米の差18年の理由の一つにこれが考えられます.
前にご紹介したハイムニュータウンの例は,2003年時点において25年前から33年前の2万戸の内の7割が健在だというものでした.この生存率は上表の結果と符合します.
欠陥住宅はいつの時期にもそこそこあります.欠陥住宅は築年数が浅い段階で住めなくなり潰されます.6と7の生存率の低下に一部その影響が表面化しているのかもしれません.
熊野コンセプト(99.9.4)に対する各社の反応を調べるために,各社全面広告を,98年8月から01年12月まで,朝日新聞縮刷版で全件調べました.
全面広告件数は多いものから順に積水ハウス92件,ミサワホーム68件,住友林業46件,旭化成45件,ダイワハウス43件,積水化学33件でした(2面とおし広告は1件とカウント).積水ハウスで月2件強,ミサワ月1.5件,旭化成月1件見当になります.
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 98.08.28 | ヘーベルハウスは高い.本当だろうか. |
| 2 | 98.09.04 | ヘーベルハウスは,高い買い物でしたか? |
| 3 | 99.04.22 | はじめ二階建てで,あとで三階建てにできる,・・・ |
| 4 | 99.11.26 | ヘーベルハウスは高い?それは25年後に判断してください. |
| 5 | 01.07.19 | 30年目点検異常なし(1回目) |
| 6 | 01.08.17 | 30年目点検異常なし(2回目) |
2年後の5,6では建設白書という出所を省いた上で寿命26年をキーワードの一つとして使っています.1から5までの全面広告は出た当時見た記憶がありませんが,6は見ました.おかしな広告だと思いました.『30年目問題』参照.
寿命に関係ありませんが,
ヘーベルハウスPAOの設計不要コンセプトは,ミサワの「未来設計図」の2番煎じ?
旭化成が賃貸住宅の宣伝で何度も使用している「頭でっかち尻すぼみ」広告は,99年8月7日のユニクロ全面広告の2番煎じ?
ではないかと各社全面広告を通覧して思いました.
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 98.9.11 | 三井ホームの家は,何年住めますか. |
|
|
第4章の末尾で引用した広告です. 旭化成のエポックメーキング広告(98.9.4)の1週間後で,ちょっと早すぎると思ったら案の定,更に1週間前に旭化成は第一弾を打っていました.(98年8月28日付け『ヘーベルハウスは高い.本当だろうか』です.) 1行目にご注目下さい.家の平均寿命が最近話題になっているようだと述べています.業界内部で旭化成の全面広告が話題になったことを示していると思われます. 「もつ」という熊野氏が苦心したであろう用語をそのまま使用しています.また建設白書の日米英の寿命をそのまま使っています. 三井ホームは,26年という数字から日本では住宅を消費財と考える人が多いという考察を得たようです. |
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 99.05.14 | 住宅の耐久性はドキュメンタリーで語りたい. |
| 2 | 01.01.18 | 愛する者を護ることが自分の役目だと思っています.彼の選択,パルコン. |
|
|
建設白書の26年とぴったり同じ年数のテスト結果を公表し,「長寿命ぶり」の証だとしているお笑い広告です. (もし26年で「中性化深さ」が鉄骨周辺にまで及んでいれば,それは欠陥住宅の証です.) この全面広告は熊野コンセプトを鵜呑みにしていること,法定耐用年数を持ち出していること,以上二点で二重におかしな広告です.大成建設ともあろうものがという恥ずかしい内容です. |
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 00.04.28 | 日本の風土の中で,三代受け継ぐ家を実現するために. |
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 99.09.11 | 環境住宅に住むということ(2面通し広告,1回目) |
| 2 | 99.12.05 | 環境住宅に住むということ(2面通し広告,2回目) |
| 3 | 00.06.15 | 実証,ゼロ・エネルギー住宅. |
日本人の平均寿命は長い,日本の住宅の平均寿命は短い,では何歳で家を建てるか,結構悩みますという表現で,平均寿命に言及しています(こんな理由で悩んでいる人が世の中に一人でもいるのでしょうか).そして満を持して9.11全面広告を打ちました.1(および2)において,ミサワホームは次のように述べています.
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|
日本の家の耐用年数が30年であり,ミサワの100年住宅は3倍以上長持ちすると宣言しました.建て替えサイクルではなく耐用年数を使っている点に是非ご注目下さい. ミサワは耐用年数30年の出所を示していません.短い理由は,自分からは,一言も説明していません.そして見事に熊野コンセプトの上を行っています. ヘーベルハウスはせいぜい普通の家の2倍,一方ミサワホームは3倍もつというのです! |
家はあくまで仮の住まいと考える伝統もありますし,古くは都自体を遷都してしまうという発想もありましたしね.実際,メーカーの人の話を聞くと,百年以上もつ家をつくることは難しくないし,コストも大して変わらないというのです.ではなぜつくらないのかというと,ユーザーがいやがるんだという.つまり,自分の人生がこれからどう変わっていくか分からない.例えば,子どもが成長してやがて独立していく.その時に,家が長持ちしてはかえって困るのだそうです.54歳まで朝日新聞におられた石東大教授は「環境問題に詳しい」方だそうです.上記の実際以下の内容は「専門外」のことであり,すべて伝聞であることにご注意ください.これはミサワ主催の座談会ですから,メーカーというのはミサワホームのことです.
私は昭和53年から昭和57年まで横浜市の郊外でミサワホームに住みました.大手外資系メーカー勤務の新婚さんが建てた築4年の,のべ床面積60u(!)の小さな中古総二階のミサワ木造(2LDK)を1400万円台(土地40坪付き)で買い,4年後に転勤で売りました.次に買った方はすぐ建て替えました.つまり寿命は8,9年でした.
幼稚園児の長男と3人家族の我々にとって60uの中古一戸建ては,それまでの積水プレハブアパートの30uの2DKに比べて充分すぎるものでした.軽い勾配のついた切妻屋根の外観は,シンプルで都会的だと思いました.しかしこの家は築4年の買った時点で,2階木製ベランダがすでに頼りなげな状態でした.
当時地価はじりじり上がっていました.家の価値は時とともに下がる一方ですから,住み替えるつもりなら家に金をつぎ込むよりその分土地に回した方が有利です.住み替えを前提に新築する人にとって,安く,見栄えがそれなりによい家が望ましいのです.ミサワホームはそのユーザニーズを満たしていました.こうして「ウサギ小屋」が誕生しました.
施主の新婚さんは,家の新築から人生をスタートできる極めて恵まれた環境の人です.第一ステップとして建てられた家の寿命が10年に満たず30年耐用住宅であったとしてなんの不思議もありません.このような家と,家を建てるのは一生に一度の大事業と考えて建てられた「普通の家」は全く別物です.
アメリカは100年,なのに日本の家の寿命(=耐用年数)はなぜ30年なの?にようやくミサワの答えがでました.家を「仮の住まい」と考える日本人は,長持ちしては困ると考えるからだというのです.これが平田氏の「価値観」の意味です.
旭化成が建設省の権威を利用したのに対し,ミサワは東大教授の権威で対抗しました.ミサワが建設白書には全く触れず,26年ではなく30年を使っていることにご注意下さい.3の全面広告では,「日本の住宅の平均耐用年数は26年ほどですから」云々とあります.「平均」耐用年数という言葉,そして30年ではなく26年を使っている点にご注意下さい.すぐ下でその理由がわかります.
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 00.05.18 | 品質確保法施工〜住まいを品質で選ぶ時代〜(00.04.13朝日住まいのシンポジウム2000紙上収録) |
| 2 | 00.11.30 | 住宅性能表示・住まいを品質で選ぶ時代(00.10.28朝日住まいのシンポジウム2000紙上収録) |
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00年4月13日に開催された品確法シンポジウムにおける基調講演です.報告者は建設省住宅局住宅生産課長和泉洋人氏です. 建設白書平成8年版の「平均寿命」が見事に平均耐用年数にすりかわっています. 建設省が建て替えサイクル=耐用年数と考えていることがはじめて明るみに出ました. 建設省の見解ではアメリカの家の耐用年数は44年であることを忘れないで下さい. |
これに余計な解説は不要ですが一言だけ.中古住宅の流通量はアメリカの15分の1だそうです.新聞に折り込まれた業者のチラシを見ると,歩いて行ける範囲の中古物件がつねに数件図入りで載っています.アメリカなら数10件になり,ちょっと歩けば,ここも売り家,あそこも売り家ということになりそうです.本当でしょうか.
次は半年後のシンポジウムです.
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半年後に開催された2のシンポジウム(10月28日開催)では,京大名誉教授,都市住宅学会会長の巽和夫氏が基調講演をしています. 巽氏も中古問題と建設白書平成8年版の寿命に触れています.ただし巽氏は平均耐用年数ではなく,建設白書のとおり平均寿命を使用しています. |
「20年や30年で壊してしまうのではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年持つものを造りましょう」氏の提唱がもし次のいずれかであれば,論理的でまっとうな文になります.
「20年や30年で壊してしまうのではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年壊さないようにしましょう」もし巽氏の真意が前者にあるなら,環境保護の立場からこれはこれで立派な提唱です(品確法シンポジウムの場での提唱としてはおかしいですが).もし後者の意味なら旭化成,ミサワ,大成建設そして建設省の意見と全く同じです.私は提唱していますなどと,自慢げに言う必要はないと思われます.
「20年や30年で壊れてしまうものではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年持つものを造りましょう」
| NO | 日付 | タイトル |
| 1 | 01.11.22 | 日本の美しい四季が家の寿命をちぢめている,という事実 |
壊されない家をつくるということ.それが積水ハウスの環境対策です.これがもし
26年で壊されない家をつくるということ.それが積水ハウスの環境対策です.であったなら,トップメーカー積水ハウスの,建設省に対する断固たる見識を表すものになったでしょう.(ちなみに壊されないの「さ」を省略し,26年で壊れない家をつくるとなると,建設省・旭化成の主張になります.)
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「日本の美しい四季が家の寿命をちぢめている,という事実」と大きく打ち出しています.いったいどこにそんな「事実」があるのでしょうか. 積水ハウスは理科年表をもとにしたクリモグラフを持ち出しています.日本の高温多湿の自然風土は,日本に石造りや煉瓦造りでなく真壁造りの高床式木造軸組構造が発達したことの説明にはなっても,建て替えサイクル26年の説明にはまったくなっていないのです. 日本の木造住宅は,高温多湿の「日本の美しい四季」に対する解として発達してきたのです.日本がもしアメリカの自然風土であったなら,建て替えサイクルはどれくらい伸びますか.たかだか26年が27年になるくらいではありませんか. もし日本の家がアメリカのようにゆったりした敷地に建つ床面積の大きな家であったなら,日本の「苛酷な」自然環境のもとでも,建て替えサイクルは44年にぐっと近づいことでしょう. |
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積水化学が独自に追加した3,4番目を除くと,熊野氏の説明に見事に対応しています.「文化的側面」は増改築がムズカシイときわめてわかりやすくなっていることにご注意ください. 構造体が30年しかもたず,増改築がムズカシク,メンテナンスがタイヘンなまるで三重苦の30年耐用住宅に比べれば,60年耐用住宅のLCCは,たとえ新築価格が2倍であっても,安くなります.問題はそんな30年耐用住宅とは何かです.ハイムの競争相手としてふさわしい家かということです. 熊野氏が建設白書を持ち出したのは,30年耐用住宅が日本の普通の家であると言おうとしたからです.この積水化学の全面広告は,肝心かなめのその点がすっぽり欠落しています. この広告は小学生向けのLCCの解説以外のなにものでもありません.その中身の空虚さにおいて,03年の旭化成全面広告のさきがけというべき全面広告です. 積水化学はひとまず大株主旭化成の顔を立てました.ただし建設白書平成8年版への言及は避けました.言及した途端に建て替えサイクル=耐用年数の真っ赤な嘘に加担することになるからです.その代償がこの気の抜けたビールのような広告です. |
全面広告は消費者に対していわば「マニフェスト」のような重要な役割を持っています.全面広告でおかしな嘘をついている企業が末端までおかしいのは確実です.また全面広告で沈黙している企業でも,現場がおかしなことを言っている可能性があることはもちろんです.踏絵に近寄らないという態度が「一般企業」の対応でした.しかしミサワは違いました.踏絵を旭化成以上の力で踏みつけたのです.
石山修武の『笑う住宅』から日本のプレハブ住宅の歴史を抜き出すと,プレハブ住宅の創成期にはミサワが100年住宅を喧伝したことは,充分メンテナンスすれば100年もってもおかしくないという意味で肯定します.98年8月28日の2面とおし広告(『ゼロ・エネルギー住宅 HYBRID−Z誕生』)のように,100年住宅を「廃棄物の抑制など環境保護にも貢献できます」と説明していれば何の問題もありません.しかしミサワは熊野コンセプト後,豹変しました.
「各メーカーは生産技術の合理化,商品性能の均質化,素材開発といった技術開発を軸にその開発力を競った」.
「「3時間で建つ11万円のお家」というキャッチフレーズで昭和34年にマーケットに出た大和ミゼットハウス,36年の松下1号型.そして100万円住宅という華々しい企画商品だった昭和44年のミサワホームコア100.建築家大野勝彦をその産みの親とするユニット住宅,昭和44年のセキスイハイム等がその代表的な商品」
「技術競争が価格競争に一役買っていた」
「それがいつの頃からか変わった.」「技術開発が水面下に沈み,イメージ開発というソフトの開発が正面に据えられるようになった」「それのきっかけになったのが昭和51年のミサワホームO型の発売だったろうか.その傾向は昭和55年の三井ホームコロニアル80で更に拍車がかけられ,現在(昭和61年,引用者注)に至っている.」
ミサワのO型は,総二階住宅に対するイメージを一新した住宅です.コスト面,構造面からみて合理的な総二階に都会風の衣をつけたのです.装飾に偏ったコロニアル云々とは,合理性に裏打ちされている点で違うように私は思います.ミサワは昔から商品企画力に秀でた企業だったようです.
熊野コンセプトでヘーベルハウスが60年耐用を謳ったことは,ミサワの100年耐用住宅がインチキだと言っているようなものだと,ミサワは危機感を持ったのかもしれません.日本の家の耐用年数は30年,ミサワの家は3倍以上長持ちすると言ってしまってはもうどうしようもありません.どうしようもありませんが,虎の威をかりた旭化成に対する反撃としては極めて有効でした.
ミサワの01年の広告では品確法の評価結果がキビアット図でわかりやすく表示されています.この25万円台の住まいでは,高齢者等配慮と省エネルギー対策の2項目の評価が低く,他の6項目は最高評価であることが一目でわかります.100年住宅を謳う一方で,原点を忘れていないミサワの姿勢を評価します.ミサワの情報量豊富な広告も評価します.ミサワの姿勢は旭化成の『見た目で選んでいいと思います.ヘーベルハウスなら』(99年1月8日付け)という高慢な姿勢とは,決定的に違っているように思われます.それは「国策」にべったり迎合するまるで半官半民のような体質の企業と純然たる民間企業の差ではないかと思われます.
<ちょっと一昔のニュータウンは今や住宅会社の建て替え客獲得の主戦場になっている。わずか築後20年くらいのお宅に商談に行った営業マンは「あちらの××さんのお宅も建て替えになりましたし、××さんもそろそろ検討なさってみてはいかがですか。あちらの奥様も建て替えて良かったとすごく喜んでいますよ」と至極当たり前のことを言っては、プライドをくすぐりながら契約を迫るそんな場面が日本のあちこちで連日連夜行われている。住宅メーカーの中には「築後20年のお客さまを建て替えさせる」などの研修会が行われて日々攻略法を研鑚しているようである。>一般業者は,当然のこととはいえ他社住宅をもちだすのではなく,必ず諸外国の例を出します.そして諸外国の数値は,ほとんどの場合ストックフロー分析の値を,耐用年数として使います.平田氏の著書にあるアメリカは100年,日本は30年がその典型です.その理由は44年より100年という方が効果抜群であること,そして耐用年数としては100年の方が真実に近いからです.
これは建て替えサイクルで検索して見つかった例です.もう一例,某業者いわく
<住宅の建て替えサイクルは、アメリカやドイツでは90年から130年ですが、日本は20年から30年が当たり前です。しかし、近年日本の住宅の耐久性が高くなるにつれて、欧米と同様に日本も子供の代はもちろん、孫の代まで考えて住宅を建てる傾向にあります。そのため、これから住まいを計画される方は、今までよりも長い目でみて住まいづくりをされることをおすすめします。>
アメリカの家の建て替えサイクルが90年から130年だって!
ロンドン郊外の二戸連続建て住宅の戸境壁は厚さ70センチ.ドイツの住宅では内と外を隔てる外壁の厚さが49センチ,部屋を区画する間仕切り壁で24センチが標準.壁が占める面積が家の総面積の約20%もある.(昭和49年6月9日付け朝日新聞に載っているそうです.芦原義信『街並みの美学』より.)住宅業者が,どう逆立ちしても勝てない伝統をもつヨーロッパの家を持ち出すのは,そもそもインチキなのです.そしてそれは建設白書平成8年版が,工法・構造の差を全く無視して,イギリスの家の「平均寿命」を日米と同列に取り上げたことに始まるのです.
業者の顧客向け資料の中には,朝日新聞に大きく載った熊野コンセプトのコピーが入っていたでしょう.実にありがたいことに,このコピーはどの業者でも加工せずにそのまま使えるのです.創業80年の信用ある旭化成の朝日新聞掲載記事です.その説得力は信用のない自社宣伝用資料の比ではありません.「日本の家は26年しかもちません」,「古い家は危ないのです」,「早めに20年で建て替えるのが普通です」とセールス攻勢をかける上で,熊野コンセプト以上のものはありません.もし私がノルマに追われた営業だったら,必ず活用するでしょう.
バブルはすでに去りました.嘘から始まったのですから当然です.
旭化成
98年9月4日VS
ダイワハウス 04年2月13日付け全面広告(朝日掲載)
![]()
右がまぎれもない真実です.『30年目点検異常なし』1回目の鴨川氏が言われた「床のきしみ」は,ダイワハウスの場合にはでているかもしれません.しかしそれは薄いコンパネで床を張り替えればすむ話です(身近で実例がありました).
その根拠を平田氏は著書の中で示していませんが,ストックフロー分析に拠ったと思われます.一方旭化成,建設省は建設白書平成8年版に拠っています.日本の家26年耐用説の旭化成,建設省は同時にアメリカの家44年耐用説を唱えていることになります.アメリカの家の耐用年数に関して,ミサワ平田氏の主張は建設省和泉課長,旭化成熊野氏の主張と真っ向から対立しています.44年耐用説を主張しているのは,建設省と旭化成だけです.ミサワをはじめ業者の圧倒的多数はアメリカの家100年耐用説を支持しています.
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建て替えるしかないと見える家でもリフォーム(補修+補強)すれば,見違えるような家に変身することは,所ジョージの『大改造!! 劇的ビフォーアフター』が教えてくれるところです.「文化住宅」にも,71年築宮部邸(『それから』第1部参照)に投下されたリフォーム資金を投入すれば,こぎれいなハイツに見事変貌するでしょう. 同番組には,築4,50年の小さな家がよくでてきます(築100年もありました).特に興味深いのは,壁・床・天井を落としたときに露呈する基本構造部の劣化に対する補強です. 築25年で「普通ならそろそろ建て替えの時期」と旭化成は言いました.正しくはリフォームの時期です.築25年とは言わず,築30年でも40年でも,そして躯体がしっかりした家なら50年でも100年でもそうなのです.リフォームではかえって金がかかるとわかってから,建て替えを検討をするのが,普通の人の普通の考え方です. 大きい家なら,間仕切りの変更を伴わない軽いリフォームですむでしょう.4人家族が老夫婦2人になっても,部屋があまるだけの話で間取りの変更など不要です. しかし小さい家では,しばしば大掛かりなリフォームが必要になります.空間の絶対的な狭さを克服しようとすると家を根本から見直すしかないからです.住人は現状に対する不満を日々感じています.リフォームに対する要求は極めて具体的かつ切実なものになります. 新築の場合はどうでしょうか.新築するとなると,古い家のことなど悪夢だとしてきれいに頭から消え去ります.家族はめいめい好き勝手に夢を山のようにふくらませます.施主が要件を整理できなければ,たとえ予算がいくらあっても,いくらいいメーカー営業がついていても,あるいはまた有名建築家に設計依頼しても,いい家はできません.所の番組ではリフォームを差配する人を匠(たくみ)と呼んでいます.匠の役割は重要です. 匠には狭く不便な家に長年住んできた住人に対する「同情」「共感」があります.ここが鍵です.客が抱えた積年の問題点をなんとか解決し客の喜ぶ顔が見たいという姿勢がこうして生まれます. 有能な技術者は,要件が明確で納得できるものであれば,制約がいくらあろうとも,というより厳しい制約があればあるほど,その枠内で驚くべき力を発揮します.経験を積んだ日本の匠たちは,狭小空間をいかに生きたものにするかという点で世界一のレベルではないかとすら思います. もちろん『柱の太さで家を決めるな!』に書いてあるような構造設計面の配慮は十分されているとした上での話です.所の番組を見ていると,金の話は別にしても,新築とリフォームのどちらがいいのかわからなくなってきます.メーカー任せで新築し展示場のモデルハウスのミニ版を作るより,リフォームの方がかえって真の意味で「注文住宅」に変貌している例も多いような気がします. |
耐久性は商品が満たすべき基本要件の一つにすぎません.自動車メーカーは耐久性に問題ないのは当然とした上で,デザイン,価格,性能その他その他の違いでしのぎを削っているのです.
耐久性が問題になるのは,商品が誕生した直後の初期段階だけです.その時期には価格が高いものほど長持ちするでしょう.しかし商品が成熟期に入ると,ほとんどの商品が同じくらいもつようになります.カローラもベンツも耐用年数という意味では同じようなものでしょう.
初期プレハブは安物住宅の代名詞でした.台風で屋根がとんだプレハブもありました.そして72年のヘーベルハウス登場によってプレハブもようやくまともな既存工法住宅に比肩しうる耐久性をもつようになった,とまで言えば言い過ぎでしょうか.
日本の木造家屋には長い歴史があります.家は一生ものですから長持ちすればするほどいい商品であることは自明です.にもかかわらず,伝統ある日本の普通の家の耐用年数が26年??? 長持ちしては困ると日本人は考えた???
「夏目漱石は32回」と題する01年3月30日付け東急リバブルの全面広告では,首都圏に住む人の転居回数の平均は約4.2回だそうです.私自身は結婚以来30年で5回転居しました.日本人も結構住み替えしています.車の耐用年数は,スクラップ時点の年数を調べれば目安がでます.買い替えサイクルを調べても目安にはなりません.一方家の耐用年数は,建て替えずに住み継がれた家の築年数を調べれば目安がでます.建て替えサイクルを調べても目安にはなりません.
住み替えを旨とするアメリカですら,耐用年数と建て替えサイクルとの間には2倍以上の差があります.アメリカの家も住み替え,住み替えで耐用年数が尽きるまで住み潰されているわけではないのです.住み替えしない日本はアメリカ以上に,耐用年数と建て替えサイクルの間に差があって不思議ではないのです.
日本の家を見て回りますと,たいていは20年,30年で取り壊されている.なんてもったいない.日本人の発想はどうしてこうなんだろう・・・まわりを見回すと,取り壊されている家の多くは,20年,30年というのは真実です.わが町も「ハイムニュータウン」もそのとおりです.しかしその一方で7割の家は築30年を越えて健在であるというのも真実です.
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某国の経済は低迷し,総住宅数は一定で,新築はすべて建て替えによる新築だとします. 某国には平均40年で家を建て替える人たちが住んでいるA地域と,平均10年で建て替える人たちが住んでいるB地域があります.A地域の戸数4000万戸,B地域の戸数は1000万戸です.(A地域の建て替えサイクルは44年のアメリカなみです.) 総住宅数5000万戸,AとBの戸数の比4は,年月が経っても変わりません(すべて建て替え). 常識的には某国の建て替えサイクルは34年であるように思えます.
しかしこの常識は誤りです.本当は次のようになります. 建て替えサイクルは,その定義により,一定期間内に解体された家の築年数の平均をとります.Bの家がAの家の4分の1しかないにもかかわらず,4倍の頻度で潰されるから,Aの家と同じだけ統計に入ってきます.したがって建て替えサイクル(全国平均)は (40×4+10×4)/(4+4)=25 になります.A地域とB地域の家が同数あるかのような錯覚を与える数字になります.
建て替えサイクルが短い家の存在は,その絶対数が少なくても,建て替えサイクルの平均値に大きな影響を与えることがわかります.全体の5分の1しかない短寿命住宅が,まるで半分あるかのような錯覚を素人に与えるのです. |
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さて某国イヒ社は主要全国紙の全面広告で「わが国の家は25年しかもたない,なぜなら建て替えサイクルが25年だからだ」とぶちあげました.このデマ宣伝により, 築20年の家に住む人(大部分がA地域の人)はそろそろ建て替えの時期だと錯覚するでしょう. 40年で建て替えられる家が全体の8割を占めているにもかかわらず! |
1.この半世紀の歴史的経緯により日本は「ウサギ小屋」と揶揄された小さい家が多く,広さ不足を解消するための建て替えが頻発した.アメリカでは広さ不足を解消するための建て替えは非常に少ないと考えられる.1から3はすでに説明しました.4はどうでしょうか.
2.この半世紀の歴史的経緯により,日本は築30年超の家の割合がアメリカに比べて少ない.建て替えにおける古い家の割合が減り,サイクルが短くなる.
3.26年は土地バブルという異常期の統計である.建物の価値が土地に比べゴミだった時代であり,まだまだもつ家も壊されその分建て替えサイクルを短くした.
4.日本は低品質・短寿命住宅の割合がアメリカに比べて多い?
平成11年度の統計で持家の新築件数は47.6万戸,建売は11.8万戸で,持家と建売の新築戸数の比は4対1です.1戸あたりの平均床面積は持家で139.3u,分譲住宅で97.5uです(分譲住宅には分譲マンションが含まれていますので,一戸建てに限ればもう少し広いと考えられます).アメリカの家の恵まれた立地環境を思い浮かべると,アメリカに比べれば,日本の家に低品質・短寿命住宅が多いのはたぶん本当でしょう.しかしその絶対数はそれほど多くないと考えられます.第9章で述べた論理によって,低寿命住宅は,絶対数は少なくとも建て替えサイクルの平均に大きな影響を与えることを忘れてはなりません.
東京都や大阪圏では狭小敷地(100u未満)が3割を上回っています(平成8年版建設白書).東京都,大阪圏の人口を多めにみて日本の人口の3割だとすると,狭小敷地に建っている家は全体の1割程度です.
狭小敷地でも自分の土地ならば,立派な家が建てられます(特に都心には狭小敷地でも立派な家が多い).しかし建売ならば,すべての建売業者が良心的業者であるとは限りません.
以上,直接関係あるかどうか定かではありませんが,ご参考までに.
現存する住宅ストックは,昭和55年以前の高度成長期に住宅戸数の不足を補うことを重視して建てられたものが多く(図表1−4−24),これらは老朽化が進むとともに,床面積等が最低居住水準や誘導居住水準を満たしていないものが多く,生活水準の向上に対応できず,陳腐化が進んでいるものも少なくない.(「21世紀の豊かな生活を支える住宅・宅地政策について」(平成12年6月 住宅宅地審議会答申))21世紀を迎えるにあたって,審議会委員,官僚たちが日本の家をどのように見ていたかよく表しています.建設白書平成8年版にあるとおり,日本の家はすでに米英より新しい住宅が多くなっています.古い家の割合は少ないのです.にもかかわらずまだこんなことを言っているのです.
旭化成は99年4月22日の全面広告ですでに老朽化という言葉を使っています.熊野氏が詳細に説明した二つの理由が,「建て替えの実態を調査してみると」という言葉を追加した上で,どのように変形されているかよくご覧下さい.質より量・老朽化・陳腐化,これらはすべて同じ方向にベクトルが向いています.築20年超の日本の家はぼろいといいたいのです.
某社長いわく.高みから日本の家を俯瞰し,平然と老朽化・陳腐化と貶める神経を持ち合わせているからこそ,建て替えサイクルは耐用年数にすりかわるのです.建て替えに至る庶民の諸事情などどうでもよく,ぼろいから建て替えられるのだと官僚は斬って捨てるのです.
わが社の平均年齢は35歳を越えている.
35歳以上の社員は,人手不足の時期に大量に採用したものが多い.
彼らはすでに「老朽化」している.
彼らのスキルはすでに「陳腐化」している.
若い「高品質」な人間にすげかえるべし.
某社長と官僚の論理は同じです.
働く人の側の視点,住む人の側の視点がものの見事に欠落しています.
04年4月10日(土曜),京都で開かれた昔の仲間の退職・渡米送別会の帰りに『コンクリートが危ない』(小林一輔著,岩波新書,99年刊)という本を買いました.マンションの寿命の図が目に入ったからです.
大成建設の広告にでていた法定耐用年数は経済的耐用年数の一例なのです.大成建設の広告では,木造の法定耐用年数22年,鉄骨やALCで27年,鉄筋コンクリート47年となっていました.これが一戸建ての法定耐用年数なのでしょう.機能的耐用年数は,建設された構造物が時代の変遷とともに,期待される機能をはたせなくなったという耐供用性の観点から算出される耐用年数である.道路橋では,交通量が増大した場合,または前後の道路幅が変更になった場合などがこれである.
建て替えというのは,「家族の変化」等さまざまな「諸事情」によって,住宅として「期待される機能をはたせなくなった」と,潰した人が判断した結果であると解釈することができます.建て替えサイクルというのは,「耐供用性の観点から算出される」機能的耐用年数の一種であると考えられます.一方物理的耐用年数は,構造物の性能低下によって決まる寿命であって,安全性の見地から機能的耐用年数や経済的耐用年数よりも長くなければならない.物理的耐用年数を予測するためには,構造物の供用期間と性能低下との関係がわかっていなければならない.
「性能低下によって決まる寿命」とあるとおり,われわれ素人が普通に使っている耐用年数というのは物理的耐用年数のことです.そしてそれは,安全性の見地から,機能的耐用年数や経済的耐用年数より長くなければなりません. 使っている最中に壊れたのでは命にかかわるからです.構造物を設計する際には,以上の経済的,機能的,物理的耐用年数を考慮した設計耐用期間を設定する.鋼橋を例にとってみよう.鋼橋は,交通荷重のくりかえしによる疲労現象によって寿命がきまるので,物理的耐用年数を予測することができる.鋼鉄道橋では,疲労によって決まる物理的耐用年数を設計耐用期間とし,在来線で60年,新幹線で70年,本州四国連絡橋では100年に設定している.
コンクリート構造物に対しては,物理的耐用年数を見積もることができないと,小林氏は説いています.品質がブラックボックス状態だからというのです.コンクリート構造物の物理的耐用年数を算出することができた時代があった.それは,東京オリンピックが開催された1964年よりも前の時代である.この時代のコンクリート構造物は,健全な材料を用いたコンクリートを入念に施工してつくられていた.このような構造物の性能低下は,コンクリートの中性化による鉄筋の腐食によって決まる.中性化速度によって構造物の性能低下を定量的に見積もることができるので,設計耐用期間を設定することが可能である.しかし,この時代にはコンクリート構造物の設計に際して,設計耐用期間は設定されなかった.コンクリート構造物の寿命は,機能的耐用年数や経済的耐用年数によって決まり,物理的耐用年数に達して更新されたものは少なかったからである.
家の場合も,これと同じ理由で,誰も物理的耐用年数を問題にしなかったのです.多くの家は物理的耐用年数に達する前に建て替えられてきたのです.ところが,1983年にコンクリート構造物の早期劣化が社会的問題にまで発展するにおよんで,事態は一変した.早期劣化とは,機能的耐用年数や経済的耐用年数に達する前に物理的耐用年数がくることである.高度成長期につくられたコンクリート構造物の耐久性に深刻な疑問が提起されたのである.これ以降,材料の品質と施工のレベルが保証されない状態で,コンクリート構造物が建設されるようになった.
小林氏によれば,わが国最古の鉄筋コンクリート構造物である1903年の京都市山科区日ノ岡の琵琶湖第一疎水路に架けられたメラン式弧形桁橋をはじめ,「第二次大戦前につくられたコンクリート構造物は,メンテナンスフリーの状態で,60〜70年経過した現在でも,その機能を維持」しています.
しかしブックカバーにあるとおり「本来200年の耐久性をもつはずのコンクリート構造物に,いまあちこちで異変が起きている」・・・・・・
家の場合,早期劣化が問題になる家とはすなわち欠陥住宅のことです.これも社会的問題ですが,欠陥のひどさを競う欠陥住宅番組を見てよくわかるように,一部の零細悪質業者の施工不良に話が矮小化される傾向があります.普通の人は対岸の火事として番組を楽しみます.「半永久的に供用できるような頑丈なコンクリート構造物をつくろうと考えるのは,バカげたことだ.機能的耐用年数に達したらかんたんに壊れるような構造物をつくるべきだ」という主張がある.このような主張は,耐久性の観点からコンクリート構造物の使用材料の品質や施工方法を検討する場で,規制される側の利益代弁者となった研究者や学者によって展開される.
旭化成が持ち出した30年耐用住宅など,一部の欠陥住宅だ,あるいは30年耐用が前提のローコスト住宅だ,高価なことを鼻にかけている旭化成が,比較対象としてもちだす事自体がおかしい・・・と私は主張してきました.欠陥住宅は個別・特殊な問題だと私は理解していました.ところがコンクリート構造物の早期劣化の方はそうではありません.
1983年3月12日,NHKテレビで「警告 コンクリート崩壊・忍び寄る腐食」が放映されました.これは「コンクリート構造物の早期劣化が全国的な規模で進行していることをはじめて指摘した番組」です.「わが国の土木技術をリードしてきた「栄光の国鉄」がつくった構造物」で異変が露呈したのです.一部悪質業者の問題ではないのです.
そして案の定というべきか,短寿命を正当化する「専門家」の論が現われました.
痛烈な批判です.小林氏がほんものの学者であるだけに,その言葉は千鈞の重みを持っています.「利益代弁者」によるこの主張は,後述するようにDNA派の主張と重なっています.主張は,コンクリート構造物においても設計耐用年数を導入できるという前提に立っている.しかし,その前提が成り立たないことは,以上から明らかである.現在,問題になっているのは,山陽新幹線高架橋がしめすように,機能的耐用年数に達する前に劣化が急速に進行し,多額の補修費を投じなければ供用できな状態に立ちいたることである.
小林氏は,高度成長期以降のコンクリート構造物の物理的耐用年数は機能的耐用年数にすら達していないと,次のように主張します.
耐用年数の説明のすぐ前のところで小林氏は深刻な予測を述べておられます.現在,私たちの生活や経済活動は,コンクリート構造物によって支えられているといっても過言ではない.オフィスビル,マンション,学校の校舎などの建築物,道路橋や新幹線の高架橋,ダムや原子力発電所,上下水道施設,海岸堤防などはいずれもコンクリートでつくられている.さて,みなさんは,これらのコンクリート構造物が,「ある時期に一斉に壊れだす」などということが信じられるだろうか?
ぞっとするような話です.小林氏のこの予測は高度成長期以降に建設された橋梁の物理的耐用年数は40年,マンションの物理的耐用年数は35年であるという認識に基づいています.そしてそれは小林氏の「20年にわたる構造物調査の経験と,多くの建設関係者から得られた情報」に基づいています.
通常の工業製品は工場で完成され検査の結果不良品は廃棄されます.28日後に不良品とわかったコンクリート構造物は?セメントは工場でメーカーが製造する通常の工業製品です.しかし「工業製品であるセメントまでがコンクリート構造物の早期劣化に加担」しています.
「アルカリ骨材反応騒ぎのさいには,零細企業によって生産されていた骨材がまっ先に槍玉にあがり,工業製品であるセメントのメーカーは,もっぱらだんまりを決めこんだ.鉄筋の塩分腐食問題でもまったく同じ図式で事が進んだ.(179頁)」ここではセメントや骨材の問題点については省き,生コン以下の川下の施工品質に焦点を絞ります.
現場で生コン車から直接採取されたコンクリートから作成された試験体は28日間「生コン工場の試験室で保存されるが,試験体がまったく別のものにすり替えられることは,けっして珍しいことではない(151頁)」小林氏が生コン会社の技術者から聞いた次の話は,コンクリート構造物の品質に関する本質的な問題点をよく表しています.
「完工検査は書類審査によっておこなわれるので,書類さえ整っていれば,なにも問題はおこらない.たとえ強度が設計基準の約二分の一であったとしても,大きい地震がおこらないかぎり,その影響があらわれるのは10年も先のことである.(184頁)」コンクリート構造物は,「いったん,できあがってしまうと,鮮魚や野菜のように外観で中身を判断するわけにはいかない」のです.それでも工業製品のように製造工程が厳しく品質管理されていれば,問題は少ないでしょう.「材料の選定からコンクリートの練り混ぜ,運搬,打ちこみ,締め固め,養生,鉄筋の圧接など,施工の各段階を一貫して管理する体制」すなわち「施工の各段階に技術者が目を光らせて」いれば,問題は少ないでしょう.
「設計どおりの品質コンクリートと,水増しの劣悪なコンクリートは外観上区別がつき難く,しかも検査は書類検査のみである.(138頁)」
書類書き換えと同時に試験体も健全なものにすりかえられるでしょう.
「コンクリートのポンプ圧送が今日ほど普及する以前には,コンクリート打ちこみは工事のもっとも重要な業務の一つであるとの認識から,官公庁の出先機関の監督員と請負者が総出で,打ちこみ作業に立ち会っていた(153頁)」ところが現場には官庁責任者どころか,ゼネコン責任者もいないのです.少人数の現場作業員に品質確保の重責が負わされているのです.ところが,ところが,現場作業員には,品質のことなど二の次で,作業効率しか頭にないのです.不法加水はこうして日常茶飯事になります.
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下請は何層にもなっています.小林氏があげた例を下表に示します.数字は川下にいくに従い工事費がいかに減っていくかを示しています. 参考までに,外壁ぬりかえの場合の例をあげておきました.客はヘーベリアンであり旭化成の名前で受注できたのですから,旭化成リフォームから旭化成に対して,上納金とよぶべきか,リベートとよぶべきかわかりませんが,工事費が還元されているハズですから,旭化成を元請の位置におきました.旭化成に170万のリフォーム工事を頼めば,100万相当の工事をしてくれるという意味です.
「川上では十分な工事費が投入されているにもかかわらず,川下ではその半分近くがどこかへ雲散霧消」してしまいます.「それでも,良質の構造物ができるのであればいいが,実際には耐久性の劣る構造物が量産されているのである.(202頁)」 元請は丸もうけしています.これだけマージンをとっておきながら,元請は品質監視すらしていません.このような形が長年続いてきたことは,日本がこの分野で三流国である証であると思われます. | |||||||||||||||||||||||
| 耐用年数 | 本来の物理的耐用年数 | 機能的耐用年数 | 実際の物理的耐用年数 |
| コンクリート構造物 | 100年 | 50年 | 40年 |
「公団は専門家による結論どおり,アルカリ骨材反応はまったくないと思っている.あの団地で見られる程度のひび割れは,日本のすべてのコンクリートに見られる.学会で論争することもせず,一方的に自分の考えを発表されては第三者に被害を与える」異常ではなくどこにでもある話だと主張しています.小林氏の結論は誰に被害を与えたでしょうか.施工側であることは明らかです.「学会での論争」,「第三者に被害」は,公平,公正を装った欺瞞です.(資産価値低下につながるから建物ではアルカリ骨材反応はおこらないことにしようという「行政的配慮」も出てきました.後述)
「日本の家が26年しかもたないって本当ですか?」「本当です.基礎がぼろいからです」と熊野氏がぶち上げていれば,それは社会に警鐘を鳴らす画期的CONCEPTだったかもしれません.しかし同時に,ヘーベルハウスは60年耐用住宅だなどと大きな事は言えなくなるのです.ヘーベルハウスも基礎はぼろいからです.
| - | 本来の物理的耐用年数 | 機能的耐用年数 | 実際の物理的耐用年数 |
| マンション | 80年 | 40年 | 35年 |
| 一戸建て | 60年 | 30年 | ? |
マンションを買おうとしている人,マンションに住んでいる人には『コンクリートが危ない』の付録「分譲マンションへの対策」は必読だと思われます.小林氏は30年で3つの分譲マンションに住み,管理組合役員として活動された経験をお持ちです.この方以上のアドバイザーはいないのではないかと思います.マンションや家の耐用年数を考える上で,小林氏は重要な側面を指摘しておられます.
1984年はアルカリ骨材反応が社会問題にまで発展した年であるが,このとき,官庁の建築関係者はさかんに,「アルカリ骨材反応は建物にはおこらない」と主張していた.同じ生コンであるから,橋梁に使用した場合でも建物に用いた場合でも,アルカリ骨材反応に関する挙動は変わらないはずである.なぜ,このようなことを言い出したのか?いろいろなことを考えさせてくれる指摘です.
建築物が土木構造物と異なる点は所有形態で,だいたい民間が所有している.アルカリ骨材反応は「コンクリートのがん」とよばれており,いったんその建物にアルカリ骨材反応がおこっていると判定された場合,資産価値が大幅に低下する恐れがある.
建物の外壁にアルカリ骨材反応によると思われるひび割れが発生した場合,原因を調査することになるだろう.調査の結果,アルカリ骨材反応がおこっていると判明し,このことがなにかの拍子で外部に漏れると,資産価値の低下は避けられない.分譲マンションの場合,調査結果を管理組合理事会止まりにしておくことはできない.調査は管理組合の費用でおこなわれるからである.区分所有者全員に知らせた場合には,外部に公表したのと同じ結果になる.
それならば,「建物にはアルカリ骨材反応はおこらない」ことにしようというわけである.気にかかるひび割れは,ごくありふれた乾燥収縮によるひび割れとして,めんどうな原因調査を抜きにして手直ししておけばいい.「行政は現象まで制御できる神様」と言われるゆえんである.このような行政的配慮は,なにも行政官庁だけの専売特許ではない.真理の追究を目的にして研究に従事しているはずの大学教授が,これを錦の御旗として情報隠しに加担するケースも多いのである.
「耐用年数が30年,あるいは15年という部材については,綿密なプログラムに従い,適切なメンテナンスを実施しています.」(04年4月24日付け旭化成全面広告より.後述)白華現象の意味を私は『コンクリートが危ない』によってはじめて知りました.1章19頁の白華現象のところを引用します.
防水シートや外壁塗装・シーリングに関しては,ささいな異常で点検結果はBやCになるのでしょう.当然旭化成リフォームにお任せ下さい,一般業者に任せるのは危険です云々となります.
ところがメンテナンスフリーであるべき60年耐久の基礎に関しては,「コンクリートのがん」の兆しが現われていても,ご覧の対応です.白華現象については説明しないという顧客対応マニュアルがあるのです.資産価値が低下しましたと説明するわけにはいかないからです.そして塗料すりかえ事件のように,客に罪を着せるわけにもいかないからです.
団地の建物北側は,地表面からの高さ約90cmの部分が鉄筋コンクリート基礎の立ち上がり部分になっている.この部分の表層に奇妙な現象がおこっていた.コンクリート表面に白い綿花状のものが吹き出すのである(図1.12).これは白華現象と呼ばれ,コンクリートブロックなどに多く発生していた.しかし,鉄筋コンクリート建物に広い範囲で発生していることが確認されたのはこの団地がはじめてであった(85年夏のことです.引用者注)崩壊の本質的なメカニズムの説明は5章で行われています.5章の最後は次の文で終わっています.
白華は風雨によって容易に消失するが,ふたたび発生する.これがくりかえされると,コンクリート表層部からセメントモルタル部分が脱落して,砕石が露出する.次にに砕石が脱落すると,さらに内部のセメントモルタルが脱落する.このくりかえしによってコンクリートが崩れていくのである.(中略)
基礎立ち上がり部分と一体になっている地中部の基礎コンクリートには,周辺の土壌を通じて水分が供給される.水分は,地上部の大気条件が蒸発を促進させるような場合には,コンクリートの毛管空隙中を上昇し,コンクリート表面から蒸発する.この際に溶質成分が析出して白華になるのである.(中略)
白華の主成分が炭酸ナトリウムであるとすれば,つぎの劣化機構が考えられる.すなわちコンクリートの内部からナトリウムイオンを含んだ溶液が表面付近に達すると,ここには大気中の二酸化炭素から供給される炭酸水素イオンが存在する.水分の蒸発にともなって,両者が反応して,炭酸ナトリウムが析出すると同時に二酸化炭素が放出される.表層部ではこのような結晶の析出と二酸化炭素の放出がくりかえしおこなわれる結果,セメント硬化体組織が多穴質となり,次第に崩壊すると考えられる.しかし,これはあくまで物理化学的な解釈にすぎない.
コンクリートは大気中では不変の材料ではないのである.問題なのはその速度と内容である.ここでは,早期にいちじるしく脆弱な状態を引きおこすコンクリート劣化のシグナルが白華現象であることを指摘しておく.
検査は「中性化深さ」で通常の経年劣化を調べる程度のいい加減なものであってはなりません.国土交通省がもしいい加減な中古住宅評価システムを作ったとしましょう.問題なしとされた物件が,その数年後の地震であっさり倒壊する危険性があります.こうなったらはっきり責任問題です.保身しか頭にない官僚が及び腰になるのは必然です.
最新トピックをいくつか.
1.この2面通し広告(全面見開き広告と言うのだそうです)は,04年4月24日送付されてきた『HEBERIAN』(2004年春号.本文が18頁しかなくペラペラです)の裏表紙にLongLifeGALLERY vol.3として掲載されていました.私にも広告を見る眼があったようです.
「文字だけという大胆な構成でありながら,良質な住宅のあり方を真正面から捉えたこと,「その家はロングライフ住宅か.」という問いかけによって,多くの方に支持されて広告」だと旭化成は自画自賛しています.
2.4月24日の東海林のり子紙上住宅レポート第2弾(『ながーい目で見れば,ロングライフ住宅』)でまた平均寿命26年が登場しました.次のような文脈で使われています.98年や01年の全面広告との差にご注意ください.
(鉄骨躯体が60年以上の耐久性をもつことを述べた後)外壁材・屋根材・床材として使用されているヘーベル板や,建物を支える鉄筋コンクリートの基礎も,耐久性は60年以上.この他耐用年数が30年,あるいは15年という部材については,綿密なプログラムに従い,適切なメンテナンスを実施しています.日本の住宅の平均寿命は26年と言われています.(平成8年度建設白書より)再び建て替えるくらいなら,ヘーベルハウスをリフォームして長く住み続けるほうが,賢いと思いませんか.3.日経新聞4月23日付け,2005年度新卒採用計画より.かっこ内は2004年度.
住宅・建設・不動産のところをみると,積水ハウス620(600),大和ハウス600(300),ミサワホーム15(0),パナホーム約120(109),旭化成ホームズ8(今年4)などとなっています.ミサワが少ないのは,財政苦境に陥っているから仕方がないとして,旭化成ホームズはこんなものなのでしょうか.(ちなみに素材・エネルギーの項に登場する旭化成グループは297(245)となっています.)この数字は次章をお読みになる上で参考になると思われます.
4.4月30日付け東海林のり子紙上住宅レポート第3弾より.「点検員の方がルーペを使って,外壁を入念にチェックしています. (中略)これだけ丁寧な点検をして,なんと無料です.しかもこれまでにも定期的に無料で点検をしてきているそうです.太っ腹ですねー.こんなにサービスして会社大丈夫なんでしょうか.」
確かに外壁をルーペを使って入念にチェックしています.
外壁など目視とちょっと手で触ってみる位で劣化程度はわかりそうなものなのに,なぜこんなに入念なェックが必要なのでしょうか.ちょっとでも水が浸入するとヘーベル板はぶよぶよになるのでしょうか.
白アリならぬ白華が目にも鮮やかに吹き出しても放置するくせに,こんな重箱の隅をつつくようなチェックに精を出すのはなぜ?
この疑問はすぐ解けました.よく見ると塗装ではなくシーリングをチェックしているのです.シーリングはヘーベルハウスの根本的弱点ですから,点検を怠ることができないのはよくわかります.しかしルーペまで必要なのでしょうか.
法外価格のシーリング「増打ち」で,ヘーベリアンは建てたあともぼられる宿命にあるのです.
5.つい4ヶ月前の正月元旦までこの数年間ずっと「築15年で評価額ゼロ」と言いつづけていたのに,5月1日付け東海林のり子紙上住宅レポート第4弾では,「通常築20年も経つと建物の評価額はゼロになる」に変わりました.ヘーベルハウスの場合は,築20年で「なんと建物だけで900万前後の価格」だそうです.相も変わらずうさんくさい話です.
5月の連休前に本屋の土木建設コーナーに寄ったとき,『改訂 建築物のライフサイクルコスト』という厚い本が目にとまりました.ちょっと立ち読みしたところ建物の寿命についておもしろそうなことが書いてありました.大阪市内の図書館でライフサイクルに関する次の書籍を調べました.地元の本屋にあった3の本は1の改訂版です.2の著者である建設大臣官房官庁営繕部保全指導室長の石塚氏は,1と3の執筆主査でもあります.4は建設省とはあまり関係ないと思われる学者の本です.
| NO | タイトル | 著者・監修 | 刊行年月 | 発行 |
| 1 | 建築物のライフサイクルコスト | 建設大臣官房官庁営繕部監修 | 93.10 | 経済調査会 |
| 2 | 建築のライフサイクルマネジメント | 石塚義高著 | 96.06 | 井上書院 |
| 3 | 改訂 建築物のライフサイクルコスト | 建設大臣官房官庁営繕部監修 | 00.05 | 経済調査会 |
| 4 | 長生き建築のしくみ -ライフサイクル計画論- | 小原誠著 | 02.05 | 彰国社 |
「わが国において1990年を過ぎて建築物の使用年数が短いという状況が決定的に変化してきている.」石塚氏の考察対象は個人住宅ではありません.官庁建物や企業の建物で,要はビルが対象です.
「建築物の使用年数が,大幅に延び始めてきている.以前であれば,平均30年で建て替えられていた建築物が,35年を過ぎても40年を過ぎても使用され続けるようになってきている.」
官庁建築物のほとんどは,鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリート造り(法定耐用年数65年)または肉厚4mm超の金属造り(法定耐用年数45年)です.さて第1章には,官庁建築物と民間建築物に分けて,除却時の築年数の分布図が掲載されています.(平成8年版建設白書の平均寿命の記載には,分布図はありませんでした.)
上記の法定耐用年数は2の本が刊行された後の98年(平成10年)に改定されています.それによると前者は50年,後者は38年に引き下げられています.
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個人住宅の建て替えサイクルは26年でした.官庁の立派な建物も建て替えサイクルは31年だというのです! データ件数は50件と少ないことにご注意下さい. 民間建築物に対しても同様の図が載っています(データ件数141件).分布の形はほぼ同様です.平均は30.2年となっています. |
「建築物の物理的寿命は,税法上の耐用年数からみて長い分は良いとして,少なくとも同程度の45年から65年が求められる必要はあろう.しかしながら,実際の建築物の使用年数は,建築物の物理的寿命とは別に仮りに社会経済的寿命というとすると,この建築物の社会経済的寿命によって耐用年数がくる以前にその使用を取り止め,その多くが除却されていたことになる.」物理的耐用年数がくる前に多くが除却されていたと述べています.石塚氏は物理的耐用年数と法定耐用年数の関係について,同じ第1章の別のところで次のように言い切っています.
「本来であるならば,法定耐用年数以上の耐久性をもたせることも必要と考えられ,そのように設計されているものもあるが,資産の保全以上のことは無駄な投資になると評価されており,一般的には,法定耐用年数を上回ることはほとんど行われていない」物理的耐用年数は少なくとも法定耐用年数と同程度なければならないと言いながらも,ホンネは物理的耐用年数=法定耐用年数のようです.上述したように平成10年の改訂により法定耐用年数(=法定償却年数)はそれぞれ38年,50年になりました.
この数字は平成10年に,景気刺激策として免税額を大きくするために,それ以前よりさらに短く変更された数字です.(4の本については後述します.)
法定償却年数は,実際は建物の寿命ではなく,部位別耐用年数の部位別コストの荷重平均年数と考えるべきであり,建物の躯体そのものの年数はずっと長く,それが建物の最終寿命となるので,法定償却年数より長くなくてはなりません.それなのにこの数字だけが一人歩きしているのです.
(蛇足ながら,終戦は1945年,東京オリンピックは1964年,大阪万博が1970年です.) |
| - | 建設時期 | 1965年 | 1970年 | 1975年 | 1980年 | 1985年 | 1990年 |
| A | 1941〜1945 | 120736 | 108001 | 89945 | 84497 | 84497 | 70089 |
| B | 1946〜1950 | 18323 | 14188 | 9369 | 5029 | 5020 | 5020 |
| C | 1951〜1955 | 225384 | 225584 | 202413 | 183947 | 183947 | 183947 |
| D | 1956〜1960 | 499258 | 499258 | 499258 | 499258 | 499258 | 470809 |
| E | 1961〜1965 | 1282418 | 1282418 | 1282418 | 1282418 | 1282418 | 1147294 |
| F | 1966〜1970 | 2305824 | 2305824 | 2305824 | 2296699 | 2296699 |
AやBはどうでしょうか.Bのグラフを描くには,築15年までは残存率は1であるという仮定1の他にもう5年分,Aではさらに5年分のデータが必要です.石塚氏はこれらに対し,築15年を過ぎると5年ごとに残存率が0.82ずつ落ちると仮定しています(10年では0.82*0.82で0.67).これを仮定2と呼んでおきます.
たとえばAのグラフは次の手順で描かれます.築15年までは残存率1,築16から20年で0.82,築21年から25年は0.67,そしてこのあとにようやく,実測の5年ごとのデータが使われるのです.
AとBは開戦から戦後5年という極めて特異な,普通ではない10年間です.そしてその20年後,30年後は高度成長の真っ只中です.A,Bに対しては仮定2が成立し,半減年数30年の「見事な」グラフが当てはまるかもしれません.しかしC以降に対しては,仮定2が全く成立していないことは実測データが示すとおりです.
平均30.7年の建て替え年数グラフは何を意味するのでしょうか.建て替えられた建物だけを対象に平均をとっているからです.Cの時期に建てられた建物でも建て替え年数の「平均」は20数年になるではありませんか.(後述)
「建設後30年経過の建築物全体に占める割合は,1990年では10.9%であったが,1995年では,17.9%に,2000年では31.3%に,2005年では38.9%と予測される.建築物の使用年数の長期化の傾向がより明確に示されている.築30年超の建物の割合がどんどん増えているのは,なにも「使用年数長期化の傾向」の結果ではなく,30年前の高度経済成長期に官庁がどんどん新築された結果にすぎないのです.
建設後30年経過の建築物は,設備機器・配管の更新や建築内外装の更新が必要とされ,経費の大変かかる時期であり,そういうものが1990年では全体の10%程度であったものが,2005年では40%弱と拡大することになり,更新や修繕に要する予算の確保が,今後,重要な課題となろう.
これらのことは,地方の公共団体の建築物や民間の建築物についても同様と考えられる.」
前章で述べたように小林氏はマンションの物理的耐用年数は35年しかないと警鐘を鳴らしました.ここでは以下の理由によりこの「コンクリートクライシス」の問題は除外します.石塚氏にとっては,しかし,この程度の「長期使用」であっても問題があるようです.メンテ予算の確保が課題と述べていますが,さらに包括的に考察して,問題点を「環境問題」と「効用問題」の次の二つに集約しています.(2の本の第4章)
石塚氏の考察対象は建設省が管轄する国の建物です.小林氏の指摘にあるように官庁建物の施工で業者が手抜きする可能性は低いと思われます.国の建物が,耐久性の問題で早期に建て替えざるをえないほどひどいとすれば,地方の学校や民間建物のほとんどは欠陥建物になっていると考えられます.
早期建て替えにはそれに見合う切実な事情,納税者を納得させる事情が存在しなければなりません.終戦直後に応急的に建てられた官庁建物は20年後,30年後の高度成長期に,建てる時予測できないほど異常に「建物に求められる効用」が増大したという切実な事情があったからこそ,早期に建て替えられたのです.
我が国の構築物の使用年数はバブル崩壊以前においては,官庁建築物であれ民間建築物であれ,また事務所建築物であれ個人住宅であれ,使用年数の平均はおよそ30年でありました.ですから,取り壊されたり建て替えられたりする年数の平均は,30年と短いものでありました.それが最近の建築物は,35年がすぎても40年がすぎても使用され続けています.「長期使用」の問題点に関しても,2の本の内容がそのまま踏襲されています.
ライフサイクルコスト(LCC)は家が建てられてから解体されるまでの総費用(生涯費用)です.その中で建設コストの占める割合は意外に小さく,氷山の一角にすぎない・・・というのがLCC法のそもそもの出発点です.
一般事務所の場合には,下の1,2でわかるように,建設コストの数倍が保全コスト,修繕・改善コスト,運用コスト(光熱水費)などに費やされています.新築時に建設コストだけでなく,これらのコストもトータルに考えて建物を作りましょうというのがLCC法の考え方です.
NO 種別 使用年数 建設費 その他費用計 (光熱水費) 出典 1 中規模事務所 60年 16.3% 83.7% (30.8%) 上記2の本の97頁 2 大規模事務所 65年 20.8% 79.2% (40.4%) 上記2の本の101頁 3 個人住宅1 100年 50% 50% − 平田氏『柱の太さで家をきめるな』 4 個人住宅2 60年 56% 44% − ヘーベルハウス(『それから』参照) 5 個人住宅3 30年 72% 28% − 30年耐用住宅(『それから』参照)
一方個人住宅の場合,100年使ったとしても,メンテナンスにかかるコストはミサワ平田氏によれば新築一軒分です(個人住宅は運用コストを省いて評価しています).使用年数が短かければ,もっと小さくなります.個人住宅の場合,建設コストは氷山の一角ではなく,圧倒的に最大コストなのです.つまりはLCC法のありがたみ(?)は,個人住宅にはもともとあまりないのです.
光熱費ゼロ,フリーメンテナンスを目指す積水ハイムがLCCをもちだすのはわかるにしても,建設コストもメンテナンスコストも高いヘーベルハウスの宣伝に旭化成は98年9月4日の全面広告で,LCCを持ち出したのです.あろうことか使用年数を物理的耐用年数にすりかえて!
| − | 老朽化 | 陳腐化 |
| 英訳 | deterioration | out of dating(非今日化) |
| 原因 | 物理・化学的な外因による劣化 | 建物自身の原因ではなく,利用者側の状況変化や,利用者側に利用状況の変化を強いるような社会的,経済的原因による |
| 例 | 日光,風雨,温度変化,酸化,虫害,腐朽のような自然現象による劣化,建物利用に伴う磨耗や破損などの人為的劣化 | 面積が足らなくなる,より高度な設備システムを導入しなければならない,防災水準を高めたい,アメニティを高めたい,建物や部屋の用途を変更したい,経営的に不要になった,手放したい |
三菱車のハブ欠陥は,決して,老朽化によるものではありません.どんな製品でも,品質が問題になるのはほとんどの場合老朽化以外の理由です.こう考えたとき,老朽化という「日本語訳」がおかしいのではないかと気づきました.まさかと思いつつ辞書を引くと,deteriorationは悪化,低下という意味でした.つまり劣化を意味するのです.老朽化とは経年劣化であり,劣化の一種にすぎないのです.
建物の寿命は,物理的劣化と社会的陳腐化によって決定されますが,日本における多くの建物はその物理的寿命以前に社会的陳腐化によってその寿命が決定されています.(陳腐化で寿命が決まるのはなにも日本だけの話ではありません.後述します.)
小原氏のメニューにはありませんが,私の好みは「物理的劣化と陳腐化」です.
耐久(長く持ちこたえること.-性,-消費財)耐久とは読んで字のごとく久しく耐えること,長く持ちこたえることという意味です.耐久にはそれ自身に長い,長寿命という意味があります.耐久性がないとは長持ちしないという意味です.
耐用(使用に耐えること)
耐用年数(機械・設備などのこわれずに使用できる年数.特に,(以下法的耐用年数の説明))
こわれて使用できなくなる場合以外に,使用に耐えなくなる場合があります.まさに陳腐化して,使用に耐えなくなる場合です.この場合,日常生活では耐用年数を使わないのが普通ですが,あえて使う場合は例えば次のようになるでしょう.
3年で車を買い換えたとき,「俺にとって前の車の耐用年数は3年だった.貧乏人のおまえにとっては20年だろうが」という風に.陳腐化しているかどうかの判断は,利用者の主観や都合です.「俺にとって」とついているのはその為です.「俺にとって」を省けば前の車は3年でつぶれた欠陥車だったという意味になります.
『コンクリートが危ない』の著者小林氏は,耐用年数を物理的-,機能的-,経済的-の3つに分類しました.このうち機能的耐用年数が陳腐化により使用に耐えなくなる年数に対応します.
誤解を招く可能性がある場合はきちんと修飾語をつけます.単に耐用年数といえば,(文脈で意味が明らかな場合を除き)「こわれずに使用できる年数」つまり物理的耐用年数を意味するのです.これで学術的定義と日常用法はなんら矛盾しません.
耐久年数とは,「老朽化が進み,物理的にそれ以上使用できなくなる時期であり,物理的寿命」のことだそうです.
耐用年数とは,「物理的劣化だけでなく,陳腐化も含めて用途的,経済的にこれ以上使用することが無理となる時期」のこと
| 理由(→) | deterioration | out of dating 陳腐化 | |
| 老朽化 | 品質劣化 | ||
| 日常用法 | 耐用年数 | (俺にとっての耐用年数) | |
| 学術的定義 | 物理的耐用年数 | 機能的耐用年数 | |
| 小原流 | (「耐久年数」?) 「耐用年数」 | ||
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6月2日地元図書館で建築用語を開架棚にあった上記辞典で調べました.おおむね下表のとおりです.(たとえば耐用年数=耐用年限など年数と年限は同義ですので,年限の方は省略してあります.)
(蛇足:小林氏の物理的耐用年数は,構造的耐用年数あるいはほぼ同義の物理的耐用年数に対応することは明らかです.経済的耐用年数の定義の中の,機能的減価,陳腐化を経済的条件の変化とみなすのは,ちょっと強引です.小林氏の機能的耐用年数は,社会的耐用年数,経済的耐用年数から,純粋に経済的要素を取り除いたものに対応すると思われます.) |
小原氏はこのうち2番目の意味に(勝手に)限定しました.つまり小原氏によると「耐久年数」=構造的耐用年数です.またもし老衰死限定寿命だとすると,「耐久年数」=老朽化限定構造的耐用年数(建築大辞典にない新語)です.2.耐用年数とは,構造的物理的または社会的経済的諸要因によって定まる寿命のことです.そして寿命には実態上の寿命と理論上の寿命があります.
建築大辞典の耐用年数の説明に「実態上あるいは理論上の寿命」とあります.わかりやくす言えば,現実の寿命と本来の寿命という意味です.この二重性が問題です. 人が××歳で死んだとき,その人の寿命は××歳であるという表現は,誤りではありません(現実の寿命). 医療ミスが原因で15歳で死亡した息子の両親を前にして,医者が平然と「寿命です」「息子さんの寿命は15歳です」と言えば両親はきっと怒りだすでしょう.両親にとって息子の寿命が15歳であるはずがありません(本来の寿命). イヒハウスは基礎の欠陥のため26年しかもちませんでした.イヒハウスの耐用年数は26年でした(現実の寿命). イヒ社が「お宅の耐用年数は26年です」と平然と言い放てば,温厚な客は怒り出すでしょう.2千数百万かけて建てた家の耐用年数が26年であるはずがありません(本来の寿命). 「死亡年齢は15歳です」,「お宅の使用年数は26年です」と説明していれば,当たり前のことを言うなと馬鹿にされることはあるにせよ,「被害者側」を怒らせるようなことはありません.それらの言葉は,現実を述べているだけのいわば無色透明な言葉です.しかし寿命や耐用年数はそうではありません. 二重性のある言葉を加害者側が吐いた時,被害者側はなぜ怒りだすのでしょうか.15歳で死んだことを,あるいは26年で使えなくなったことを,本来そうである,必然であるとして加害者側が正当化しようとしていると,直感するからです. 「詐欺師」が無色透明な言葉を使わず,わざわざ寿命を使うのは,もちろん本来の寿命を意図しているからです.そして危うくなった時,そんなつもりはない,現実の寿命の意味で使った,私はウソを申しておりませんと言い逃れるのです. 建設白書平成8年版: 「日本の家の平均寿命は26年」 00年建設省某課長: 「日本の家の耐用年数は26年」 |
地方では百年を超える木造住宅が健在なのに,都市では江戸時代の庶民住宅そのままの間に合わせ住宅が,三十年そこそこの寿命で取り壊されるという資源浪費の建設サイクルを繰り返してきました.これが小原氏の個人住宅に対する認識です.汗水流して頭金を蓄えローンを組んでようやく建てた都会の家は,小原氏によると「間に合わせ住宅」なのです.仮設住宅なのです.「間に合わせ住宅」ですから,「耐久年数」は「30年そこそこ」であって当然です.
都市の記憶を大切にするという観点からも,資源保護という観点からも,長寿命住宅は今日の重要な課題です.それを妨げるものがあるとすれば,それは建設工事量の減少を嫌う現行の建設産業です.建設産業は長寿命住宅建設によって,遠い将来の建て替え需要が少なくなることを心配しているのでしょうか.建設産業は儲けられる時にできる限り儲けようという体質です.何十年も先のことなど全く心配していません.既存建物をさっさと壊して,長寿命住宅を建てましょうと,「全ての」業者は思っているのです.
第2章で示したように,わが町もハイムニュータウンも,除却された家の平均築年数は30年に満たないでしょう.しかし同時に7割が30年過ぎて健在です.「平均30年で建て替えられる」という日本語にだまされてはいけません.
第6章で「生存率」を調べました.旭化成熊野氏が特に耐久性を問題にした量的確保の時代の家でさえ,約40年経っても生存率は50%を超えています.
1951年から55年の間に建てられた官庁建物は築21年から築30年の間に2割弱が除却されていて,それらの平均築年数はたしかに20数年です.その一方で8割強が築40年時点で健在です.
すでにセックスを経験している高校生を対象に,初体験の歳を聞きました.平均は中学1年になりました.・・・(ケース1)
任意の高校生に対して,同じ調査をしました.すると未経験者が80%を占めました.一方経験者20%の平均は中学1年となりました.・・・(ケース2)
任意の中高年を対象に,同じ調査をしました.平均は20歳でした.(未経験者がどれだけいたか不明.)・・・(ケース3)
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小林氏の『コンクリートが危ない』から拝借しました.日本のコンクリート道路橋の架設数推移です.東京オリンピック(64年)あたりからの毎年の新規架設数の多さをご覧下さい.累積数の急激な増加をご覧下さい. 個人住宅も,マンションも,官庁建物もほぼ同様の傾向を示しています(第6章に個人住宅の新築数の推移を示しました). これが世界一と謳われた日本の高度経済成長の姿なのです. これらの耐久社会資本に対して90年代に「平均寿命」を実測すると,それは結果として「夭折したものの平均」になるのです.「健在なもの」の割合を同時に示さない限り,本当の「平均寿命」の姿は見えてこないのです. |
「アメリカとは違い耐用年数の長い社会資本の多さと伝統的な財産を重んずる社会風土から長期に使用可能であるならば永遠にでも建築物をもたせようとする」そうです.(『建築物のライフサイクルコスト』114頁)
建物の物理的生涯年限は建設から物理的崩壊が起こりうる時期までの期間をいう.現実にはその時点まで存続する建物はほとんどなく,経済的陳腐化により廃棄されるのが一般的である.(技術書院刊の日本訳28頁)とことん建物を大事にするイギリスですら,物理的寿命が尽きるまで建物が使われることはほとんどないのです.ほとんどの家は陳腐化が原因で壊されるのです.
「エポックメーキング広告」において,旭化成は日本の家の構造躯体は26年しかもたない,26年経てばローンに頭を悩ませながら建て替えざるをえなくなると言ったのです.構造躯体に要求されるのはひたすら耐久性であり,陳腐化とは縁がないことにご注意ください.
日本の家の物理的耐用年数が26年などと,われわれ建設省が言ったおぼえは一度もない.耐用年数すなわち陳腐化による除却を含めた実態上の寿命が26年であると言ったにすぎない.
耐用年数をこわれずに使える年数だと素人が誤解してもそれは建設省の関知するところではない.また一私企業にすぎない旭化成が何をいったかも建設省の関知するところではない.
ジャーナリストも住宅評論家も大学教授も,平均寿命に言及した人のほとんどが,建設省の期待どおりに「誤解」していることを,図書館開架棚の単行本や新聞記事が証明しています.
初体験の平均年齢は12歳です.あまりに若すぎると思われませんか?このパターンは旭化成の全面広告から始まりました.4年後の『長生き建築のしくみ』にもそっくりこのままの形で踏襲されています.
住宅の平均寿命は26年です.あまりに短かすぎると思われませんか?
1984年はアルカリ骨材反応が社会問題にまで発展した年であるが,このとき,官庁の建築関係者はさかんに,「アルカリ骨材反応は建物にはおこらない」と主張していた.建物所有者に対する「行政的配慮」を示したこの時点で,建設省は事態の深刻さに気づいていたと思われます.
今建っている住宅は江戸時代の庶民住宅さながらの「間に合わせ住宅」だ,これからは資産価値の高い高品質な「長生き住宅」だ!
5月21日に発表した再建計画を策定する過程で,三菱グループの幹部は「自動車の品質にはあまり差はない.問題は売り方だ」と話し,経営建て直しに自信をみせた.しかし,自動車産業は日米欧の企業が競争するもっとも厳しい産業だ.消費者が求める環境対策や安全向上などの研究課題に,トヨタ自動車やホンダは4000億〜7000億を毎年投じている.今回ばかりは「そんなことはどこでもやっている」といういつもの「同情の声」はどこからも聞こえてきません.品質に差はあるのです.そして経営者の姿勢には明々白々な差があるのです.朝日新聞04年5月7日付け「技術者の指摘,無視」に次のようにあります.
「トヨタもホンダも日産もずっと先を走っている.三菱は甘い」と上位メーカーの幹部は漏らす.
今年3月,捜査当局の動きに後押しされるようにして,三菱ふそうは一転してリコールを申し出た.国交省に報告に訪れたビルフリート・ポート社長に同行し,技術的な説明をしたのは,研修会でリポートをまとめた若手技術者だった.「整備不良」とは何か,ユーザが悪いと言っているのです.三菱自トップの前会長は,最後の最後まで,客に責を転嫁して恥じないのです.このような人物がトップであったからこそ,徹底隠蔽は必然の一本道だったのです.
この2日前,宇佐美前会長が国交省に呼ばれている.鋭い眼光,張りのある声.自信満々の態度で,最後まで「整備不良」とする自説を曲げなかった.
三菱自元幹部は言う.「『リコールしましょう』とは誰も言えなかったのだろう.客を見ずに宇佐美前会長ばかりを見ていた結果だ.」
国交省の監督責任は重大です.国交省は何を監視していたのでしょうか.
口先だけ三菱を激しく批判する石原大臣のパフォーマンスにはもういい加減うんざりです.
欠陥隠しに協力した数多くのブランド命の三菱マンが,トップの影に隠れて存在していることも忘れてはなりません.
小林氏は自らの見識に基づき35年耐用説を打ち出したのです.35年説を信用するか否かは,小林氏を信用するか否かにほぼ等しい思われます.「コンクリートの憲法」に則ってきちんと施工されたマンションならば,少なくとも50年,60年もって当然です.問題はそんなマンションがどれだけあるかです.
一方の熊野氏や小原氏にこのような断固たる姿勢はみじんも見られません.彼らの論拠は建設白書の平均寿命26年という数字だけです.それ以外にはな〜にもないのです.
一握りが一部の名もない悪質業者を意味するものではありません.むしろブランドにあぐらをかいた大企業こそ危ないというべきです.なぜなら彼らには欠陥を隠し,ヤミ改修する力があるからです.欠陥住宅番組でぼろを出すようなへまをしないからです.名もない悪質業者は全数からみれば一握りのなかのさらに一握りを占めているにすぎないと思われます.総論については「思う」としか言えませんが,事例報告なら詳細にできます.「資産価値を長期にわたって守り続けることをお約束」し,築20年で資産価値900万と豪語する旭化成のヘーベルハウスが白アリならぬ白華にまみれています,施工された90年当時,コンクリート品質問題はすでに社会問題化していました.旭化成はいったいどんな監視をしていたのでしょうか.
監視といえば思い出します.(昔のことをよく思い出すのは,『知らぬが仏』も終わりに近づいた証でしょうか.)もし日本の家の多くがわがヘーベルハウスと同様に白華まみれであるならば,寿命26年説にも三分の理があることを認めます.しかしそれは本当ですか.あなたの家の基礎も白華にまみれていますか?
塗料すりかえ事件において,工事店は15年耐用塗料使用の「契約書」を8年耐用塗料使用に改ざんしました.旭化成は改ざんを見逃しました.
改ざんがなぜ可能だったか.一切を工事店にまる投げしていたからです.そしてあろうことか,旭化成の業務では,正規契約書が改ざん可能なメモにすりかわっていたからです.
発覚したとき旭化成は何をしたか.まるで客に責があるかのような文面の正式見解で15年耐用塗料に塗り替えを提案したのです.欠陥契約書の存在そして欠陥につけこんだ詐欺行為は一切認めず,形だけ不具合を取り繕おうとしたのです.まさに「ヤミ改修」です.
基礎工事の施工においても,外壁工事とまったく同様に工事店との「信頼関係」に基づき一切を丸投げしていたに相違ありません.監視などなにもしていないのです.
流通件数15万件のうちのわずか200件ですから,これは少ないなんてものではありません.
高すぎるから(!?),制度が知られていないから(!?)
平均寿命26年は全国津々浦々にまで浸透させた実績があるのですから,「制度が知られていない」などと寝言を言わずに広く全国民に知らしめてください.わずか5万から10万で,安心が買えるなら,誰も高いとは思わないでしょう.しかし,目で見てわかることを数字にしてくれるだけのものであるならば,たとえ1万でもどぶに捨てるのは惜しいと思うでしょう.
隈(くま)研吾の『負ける建築』(参照図書1)という本の宣伝コピーから.都心に屹立する摩天楼,郊外に建ち並ぶ一戸建て住宅群・・・・・.流動する生活を強引に凍結して記念し,周囲の環境を圧倒する20世紀型の「勝つ建築」は,いまやその強さゆえに人びとに疎まれている.建築はもっと弱く,もっと柔らかいものになれないだろうか.さまざまな外力を受け入れる「負ける建築」の途をさぐる.気鋭の建築家の手になる「受動性の建築論」.私はこの本にはまりました.ル・コルビュジエや村野藤吾が何者であるか,近代建築が何を意味するのか知りました.
■(略)石山さんは一貫して,家は売り買いするものではなく建てるものと主張し,プレハブメーカーの商品化住宅を諸悪の根源と批判してきました.
(石山) なにより生産の合理化をうたいながら価格に結びついていないためです.自動車産業なんかとそこが決定的に違う.それに職人など住宅生産のネットワークも破壊した.ぼくは日本の商品化住宅は20世紀の歴史に残ると思う.今世紀最大の発明物は超高層ビルですが,その裏返しのネガティブな存在としてです.長い目で20世紀を振り返るとき,どーんと記憶されますよ.今やシェアは行き着くところまで達しつつあり,日本人の住宅観,暮らし全般の感覚を変えてしまった.美意識も,家族像もです.
■こんな家が欲しい,建築家に依頼して家を建てるハウツーなど,住宅書の出版は盛んです.
(石山) 全部読んだけれどひどいね.出版の形をとった企業の広報活動としか思えない本まである.家に関する(言説の)アヤシさは相変わらず.大体,プレハブは大した産業でもないのに暮らしに影響を与えるところが問題.アヤシさのゆえんですね.一方,建築家は情報ビジネスの道具になりつつある.こういう傾向の家が欲しい人には,こういう建築家はいかがでしょうかと.建築家自身がマーケットを持たず,マーケットを持つ産業が建築家をチョイスする.これはだめですね.
■建築家に住宅問題を解決する力はあるのでしょうか.
(石山) いやあ,20世紀を振り返っても初期の大量に安くという貢献だけであとは無力ですよ.(後略)
■日本も戦後すぐは食寝分離の主唱など貢献はありました.
(石山) その西山卯三さん以降,理論らしい理論がない.建築家の理論はすでにアヤシい.ぼくは町医者ですよ.大学病院の医者でもなく,築地のがんセンターの医者でもない.ひどいうそはつきそうもない.(後略)
(建築家T氏) (ハウスメーカーが)デザインするときには,工場で大量につくられることが順位として上にあるけど,僕らは,ある特定の場所に建てることが第一で,その違いがあると,とりあえず建主には説明しています.難波さんのロジックは,僕が引き合いに出すメーカーのロジックに近いところがあるわけですよ.難波は「ハウスメーカーがやろうとしていることや,彼らの社会的な役割が,僕なりに理解できるし,正しいと思う面もある」と述べています.このようなスタンスの建築家は少数派で,多数派はワン・アンド・オンリー派だと思われます(難波が自分の著書にわざわざこんな討論を載せている点からそう思います.たとえば,「抜群の人気」建築家として7月20日朝日新聞文化欄に取り上げられているNなどはワン・アンド・オンリー派の旗手の一人でしょうか).
(難波氏) まさにその通りで,メーカーの論理をもっと徹底してやっているつもりです.彼らの論理を徹底すると,こうなるということを示しているわけです.これは建築家としてのスタンスの問題でしょうね.支配的な流れに対してアンチに立つのが建築家の立場だと,一般的に考えられているけれど,僕としてはそういう立場は取りたくないんです.(略)
「箱の家を反面教師にした」という,お二人の批評はよく理解できました.周囲のコンテクストにきわめてセンシティブに対応した住宅で,その点では「箱の家」とは対照的ですね.たしかに僕が周辺環境にもっとセンシティブに対応して設計したら,箱はくずれると思います.それをしないでなにかを切り捨てているところはあるでしょう.でもハウスメーカーのやり方が対極にあって,それに対して建築家の役割は固有性というかワン・アンド・オンリーな住宅をつくることにあるとは,どうしても受け止めたくない.なぜならハウスメーカーがやろうとしていることや,彼らの社会的な役割が,僕なりに理解できるし,正しいと思う面もあるからです.
しかし一方で彼らは,コマーシャリズムや消費社会といった社会的,時代的な条件にしばられて,初心を忘れていると思う.セキスイハイムの初期の住宅なんて,本当に「箱の家」ですよ.だから僕としては,あれをもっと現代的につくり直してやろうじゃないかと思うんですよ.やはり無意識のうちに,池辺陽の思想を引き継ごうとしているのかもしれませんね.
池辺は設計の手法を徹底して科学化しようと試みた.(略) 池辺はあまりにもまじめに,そして性急に科学と設計とを接合しようとした.機能を科学的プロセスにのっとって計画に翻訳する途を彼は本気で追求した.コルビュジエはその手法を主張はしたが,その方法で設計できるなどとは一度も考えたことがなかった.その途がいかに困難であるかを直感的につかんでいたからである.池辺はその陥穽にすっぽりはまり,脱出できなかった.池辺がまるでドンキホーテのような手厳しい評価です.隈の言葉を借りると,池辺・難波は歴史的には次のモダニストの流れに属すると思われます.
もちろん安藤以前にも,公から私へ建築を奪いとろうとした人びとは存在した.1950年代の一群のモダニストの建築家達が,その先駆者であった.民主主義の新しい世の中がやってきたというフレッシュな空気の中で,彼らは70年代の安藤と同じく,個人住宅に目をつけた.鉄骨造の軽く透明感に溢れた彼らの小住宅は,戦後という時代を象徴するモニュメントであった.しかし彼らのムーブメントは60年代には急速にしぼんでいく.プレハブメーカーの初心とはなにか.まさに「建築を工業化し,高いデザインレベルのものを安く大量に供給する」であった筈です.そしてそれはモダニズムのスローガンでもあったのです.
新しい技術によって,建築を「私」のもとに取り戻すというのが彼らの基本的テーゼであった.建築を工業化し,高いデザインレベルのものを安く大量に供給するという図式である.しかし残念ながら,この図式を実際に担ったのは,彼ら建築家ではなく,プレファブメーカーやゼネコンなどの大企業であった.
20世紀初頭,建築におけるモダニズム運動が起こった.機能主義が唱えられ,「装飾は罪悪である」というスローガンとともに,19世紀以前の様式的建築はすべて批判され,否定された.装飾のない,単純な形をした白い箱のような建築が提唱され,そのような建築様式がモダニズム建築と呼ばれ,それ以降20世紀のほとんどすべての建築家がこの様式に従って創作を続けたのである.
交換可能な主体を対象とする建築に要請される特質とは,ニュートラルな建築表現を追及し,ニュートラルな内部空間を構築することであった.装飾的な外観や,特定の建築様式への帰属はもちろん,ニュートラルな表現からはほど遠いものであった.変化やメリハリのある内部空間はもちろん不適切である.同一の天井高を持つ,できうる限り均質な内部空間が望ましいものとされた.いってみれば個々の主体の恣意的な欲望から可能な限り距離をとることが,この種の建築物に要請された.モダニズムはこのようにして,画期的な成功を収めた.ユニバーサルスペースの起源がずいぶん古くミースにまで遡ることがわかります.「個々の主体の恣意的な欲望から可能な限り距離をとる」ことによって大量生産,工業化の途が開けます.「ワン・アンド・オンリーな住宅」は,「主体の欲望に完全に屈服した家」であり,手作り特注品です.
ユニバーサル・スペースとはどのようにでもなりうる自由なスペースであるとミースは定義した.ユニバーサルとはそういう意味である.その空間はフラットな床と天井という二枚の水平面から構成された完全に均質な空間で,その空間を利用する主体が,簡単なパーティション(間仕切)を使って自由に家具を配列することで,その空間のキャラクターやファンクションを自由自在に作り上げていく.
そこに満を持して主役として登場したのが「公」のチャンピオン丹下健三であった.東京オリンピック,大阪万博などのきわめて「公」的性格の強い建築を,この「公」のチャンピオンが一手に設計した.建築を「公」から「私」へと取り戻そうとしたモダニストの民主主義的な夢は完全にかすんだ.丹下の一番弟子である磯崎新は「小住宅バンザイ」という辛辣なコラムを1958年に発表している.建築は徹底して公的な存在だというのが,磯崎の考えである.小住宅を通じて世界を変えようという試みは,幻想であり,レベルの低い自己満足でしかないと磯崎は痛烈に批判した.技術力のある大企業の前に挫折していくモダニスト達の前で,丹下,磯崎と続く「公」的建築の担い手達は建築の王道を復活させた.一種の王政復古の如くであった.丹下健三について隈は次のように辛辣な評価を下しています.
その王制復古的閉塞のさなかに安藤が颯爽と登場したのである.
コルビュジエの芸術を継承し,増幅したのが丹下健三である.「機械的なものは美しい」という機能主義の基本的テーゼを,丹下は「美しいものは機能的である」という名句を吐いてマジックのような見事さで反転してしまった.芸術は科学,工業を凌駕するというおそるべき自信に満ちた宣言である.そしてこの宣言を可能にしたのは他でもない日本という国の後進性である.
住宅設計にだけは多少自信があった.だから文章を書くときも,どうしても住宅に関するものが多くなる.そんな文章をそれこそ何万枚も書きながら、ふと気がつく.まだまだ住宅のなかで触れていないもの,書いてない部分があり,書いておかねばならないところがまだまだいくつもあることである.宮脇はこの5ヶ月後に亡くなります.彼は35年間で約150軒の個人住宅を設計しましたが,宮脇の関心がどこにあったか,死の直前の上文で窺うことができます.
例えば,私の一種のライフワークでもある,日本の戦後住宅史に関すること,この本のテーマである「男と女」のこと,もっと遡った「人間にとって住まうということ」等,施工のこと,材料のこと,施主として会った人たち,日本と世界の住宅比較等々.いつもそれが頭にあり,日常の仕事のなかでも,フトそれに関するメモをとり,新聞や雑誌の記事をコピーしたり,切り抜いておいたりする習慣がついてしまっている.
けれども時間がない.(後略)
1998年7月 慶應病院5618号室にて 宮脇檀
第一次世界大戦後の住宅難に悩むアメリカで,持ち家政策は本格的にスタートした.大戦後の住宅問題はヨーロッパ,アメリカともに深刻であったが,それへの対応は対照的であった.ヨーロッパは計画的に公共集合住宅を建設し,1920年代だけで500万戸が建設された.一方アメリカでは税金の優遇と,1934年に新設された連邦住宅局(FHA)が管理する,長期低金利で,しかも総建設費の80%までをもカバーする住宅ローン制度によって,戸建ての持ち家の自主的な建設を誘導する施策を行った.すなわち,ヨーロッパでは建築は上から与えられたのに対し,アメリカは個人の建築的欲望を喚起し,昂進させることが,政策の目標となったのである.
この対照的な施策はいかなる結果を招いたか.低家賃でなんの困難もなく与えられた住宅は,ヨーロッパ人の勤労意欲を決して高めなかった.彼らの労働意欲を高め,消費を喚起するには,他の施策,たとえばバカンスと呼ばれる長期休暇の強制的導入などが新たに必要とされたのである.
一方アメリカの持ち家政策は予想をはるかに超える圧倒的な成功を収めた.住宅ローンの返済のために,彼らは農奴のごとき勤勉さで働き始めたのである.さらに住宅ローンを背負った人々は政治的にも保守化することが明らかになり,政治の安定化にも寄与することがわかった.経済,政治両面でこの政策はきわめて有効だったのである.経済だけではなく,政治をも含めた社会の全体が,住宅の建設という行為を歓迎したのである.
アメリカの政策はたちまち効果をあらわして住宅建設戸数は上昇し,1933年に9万3000戸まで減少した着工件数は,34年のFHA新設を境にし,1940年には60万3000戸にまではねあがる.当然景気の浮揚にも大きく貢献した.単に,建設投資額が増大しただけでなく,持ち家を建設する人々は,住宅の周辺−たとえばカーテンや家具などのインテリアから家電製品や庭園にいたるまで−に万偏無く多額の投資をした.「建築」という欲望に一旦目覚めた人間は,ほとんど理屈を超えて,実際上の必要を超えて,その欲望の充足へと一気に走り始めるのであった.
当時のチャーチル首相の(公営住宅)法案の説明演説で「人間の尊厳を守り得る家と,余暇時間を活用できる空間が必要である.だから公営住宅を」という発言をしています.「市民なくして国家なし」という非常に有名な発言もあります.ただ家をたくさんつくれではなく,人間として尊厳を守る家,(中略)そういうちゃんとした家を国家がつくらなくてはいけないということをチャーチルはいいます.(中略)こうした方向は敗戦国であったドイツでもイタリアでも同じでした.皆,国が率先して公営住宅を供給します.そのために,アメリカやあちらこちらから借金をして家をつくりました.日本の政治家でチャーチルのような立派なことをいった人は一人もおりません.ヨーロッパは第二次大戦後も,勤労意欲を高める(!)アメリカ方式ではなく,人間らしく生きるための住まいを国の力で建てたのです.産業復興より国民の生活を優先したのです.日本はどうだったのでしょうか.
(終戦)当時,私は名古屋に住んでいましたが,私の小学校の講堂をベニヤで仕切って家のない人たちが住んでおりました.防空壕に住む人,焼けたバスに住む人,旧日本軍兵舎に住む人,バラックを建てて住む人など,みな雨露を防ぐために必死でした.30坪以上の家には2家族住めという命令があったような記憶があります.それから資材が足りないから,家をつくるなら15坪以下しかつくってはいけないという資材統制令もありました.要するにとりあえずたくさん家が必要でした.この貧しい1947,48年に住宅の自力建設が,数字上ではあれ一つのピークを迎えているのは,バラックでも良いからと,いかに皆が必死で家を獲得しようとしたかを示しています.420万戸の不足に対し,日本国政府はどのように対処したのか,宮脇は語ります.
諸外国と違って,同じ借金を全部九州の鉄鋼と石炭に投入してしまったのは,日本だけです.国家には家を建てる金はなくなりました.そこで考えたのが持家方式,自家建設方式です.
そのときの趣旨説明は「まず日本国を豊かにしよう.日本国を豊かにすると産業が豊かになる.あなたの夫の会社も豊かになる.会社が豊かになると給料が上がる.給料が上がるから,それで家を建てましょう」という,実に見事な三段論法です.国民皆がそれにだまされて乗りました.何もしなければ誰も家を建ててくれない.民間借家もなければ,政府も何もしてくれない.自分の家は自分で建てなければならないわけですから必死です.
まず米よこせ運動があり,その次に起きるのが家よこせ運動です.46年には住宅復興会議,47年8月には皇居前広場で住宅獲得国民大会が開かれています.けれど結局それでおしまいです.日本人はやはり産業復興が大事だといわれて,はいと一生懸命働きながら一斉に自分で家を建てるようになったわけです.国民皆が政府にだまされて自家建設,持ち家という話に乗りました.自分の家を自分で建てるということが格好いいと思い込まされてしまったのです.これがわずか50数年前の話で,そのときから歴史上はじめて日本人は自分の家を自分だけで建てなければならない民族になったのです.
そういうことを実は私たちはすっかり忘れています.狭い国土で,皆必死になって土地を探し,家を建てなくてはいけないと思い込み,間取りを考えて工務店や住宅産業を探し,さらにローンを組んでと,誰もが40歳ぐらいになるとやらざるを得ないものと思い込むように自動的になっていますが,実はたった50数年前にそうなっただけで,これはひとえに政府が悪いのですが,誰もそれをいわない.
家そのものについても,ヨーロッパでは一体どれくらいの規模と設備の家が必要であるか,国が組織を作って研究し一般に普及させる努力をする.民間の建築家のアイディアもどんどん採用して,そうした建築家が考えた家を国の金で建てていく.建ててみたりやり直してみたりして,国が街づくりから家づくりまで先頭に立っているのに対して,日本は金融公庫を作って金を融資するだけで,それ以外は何もしません.やっと1955年7月に日本住宅公団を設立しますが,その供給する住宅の数はまだ雀の涙でした.
実際,統計的には,日本の住宅は平均して約20年で壊していることが分かります.戦後,建てられた住宅の約半数はすでに壊されており,残る半分の建て替えはいつかと,住宅産業や工務店が手ぐすね引いて待っています.20年経って壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です.ですから,20年経つと日本の風景は完全に変わる.しかも日本では,耐用年限70年なるはずの鉄筋コンクリート建築でも,わずか20年で建て替えるというのですから,いかにももったいない話です.26年は二重の意味でインチキであるとすでに述べました.壊したものの平均にすぎないという点に関して,宮脇はだまされています.しかしそうなった理由に関してはだまされていません.建て替えない人は時流に乗り遅れた,つまり金がなかったからだと宮脇は言っています.耐久性の問題ではないと言っているのです.そして
外国の人たちが日本にくると,日本の住宅,建築は全部バラックだといいます.事実日本の家の大半はバラックです.私の設計した家も95%ぐらいはバラックです.要するに,ブルドーザーでちょいと押せばすぐ壊れてしまう家をバラックといいますが,そういう意味では日本のほとんどの家がバラックです.ヨーロッパの石造りの家に比べれば,日本の家はここでいう意味で「バラック」です.日本の家のほとんどは「バラック」で,建築学会賞受賞の宮脇の設計した家も,95%は「バラック」だと宮脇自身が述べています.一方旭化成はどういったでしょうか.日本の家は30年耐用住宅だ,しかしヘーベルハウスは60年耐用住宅だと言ったのです.
はじめにこの本には次の二つの異質なテーマが混じり合っています.
第1章−21世紀の「勝ち家」「負け家」
第2章−21世紀の日本人の暮らしはどうなるか?
第3章−「真の100年住宅」とは?
第4章−「シンプル・イズ・ベスト」と日本人の美意識
第5章−誰でもデザインはうまくなる
第6章−「価値住宅」に住んで「勝ち住宅」にしよう!
21世紀はどのような時代になるであろうか?空き家の増加が日本人の生活に大きな影響をもたらす!? なんのことでしょうか.1章から3章がその説明です.概要は以下のごとし.
多くの人がさまざまな立場から分析をしているが,私のいる住宅産業から見ると,少子高齢社会の到来とともに急速に空き家が増加し,そのことが今後の日本人の生活に大きな影響をもたらすことが容易に推測できる.この流れを意識して生活を営み,資産形成を考える人と,それらに無頓着な人との間には大きな格差が生じ,「勝ち組」と「負け組」の明確な二極分化が進むのが21世紀の日本である.
現在の26年平均で解体される日本の住宅のうち,解体時に耐用年数の期限切れや寿命の尽きたものはほとんどない.まだ十分使用できる住宅が解体されていくのは,建物と維持体制の品質や機能などが悪いからではない.日本の家について,耐用年数はわずか26年で「建物と維持体制の品質や機能が悪い」と貶したのは他ならぬ旭化成でした.ご覧のように著者はここではそれを明確に否定しています.耐用年数は無論もっと長いのです.そしてさらに三歩すすめて主張します.
京都の町屋や木曽路の民家の集落は美しいから残ったのであり,もしデザイン的に評価されていなければ,はるか昔に解体されていたであろう.「品確法」を満たしただけの100年住宅では,「勝ち家」にはなれない,単なる100年住宅ではなく,「真の100年住宅」でなければならない,そして真の100年住宅とは,「デザイン的に評価」される家であり,「綺麗な家」のことなのだ・・・
現代の若い世代は,ファッションなどの日常生活品を購入するとき,気に入るものが見つかるまで我慢強く待っているが,住居探しも同様になる.一方年配者のセンスはこきおろします,たとえば次のように.
戦後の多くの貧困経験者は,どうしても華やかさを豊かさの象徴として捉え,装飾過多をデザインと誤解する傾向が強く,その人たちを満足させる工業製品が数多く発売されているけれども,決して惑わされてはならない.こうして「デザイン評価は子供たちの意見を重視しよう」・・・となります(第6章).「貧困経験者」は,自分の気に入ったデザインで家を建ててはだめなのです.なぜなら21世紀の日本は「一億総デザイナー」の「世界一のデザイン王国」になり,いま建てようとしている家は「毎日のように自分自身のデザイン感覚の熟成を磨いている若い人たち」に評価してもらわなければならないから・・・というわけです.
家を解体するときに生じる大量の産業廃棄物と解体後の新築に使用する地球資源は,20世紀後半の日本のように26年平均で建て替えられてきたのを100年に延ばすだけで4分の1に縮小することができるから,真の100年住宅を新築する人は社会的に評価され,住宅金融や税制面で優遇措置が受けられるべきであろう.100年住宅の100年というのは耐用年数のはずでしたが,ここでは建て替え年数として使われています.旭化成は建て替え年数26年を耐用年数にすりかえ,それを著者は前述のとおり否定していましたが,ここでは著者は耐用年数100年を建て替え年数にすりかえています.
優れた住環境に存在する住居が「勝ち家」になることに異論を唱える人は少ないと思われるが,それではどのようにデザインされた住環境がよいかとなると,十人十色で明確な方向性を出すのは不可能と考えるだろう.「勝ち家」の条件が変わっています.「綺麗な家であること」から「優れた住環境に存在すること」にすりかわっています.こちらの方が本当らしく見えます.なぜでしょうか.
海外の先進国と日本の住宅街を比べたとき,日本の住環境がいかにお粗末であるかを誰もが実感するはずだ.日本が先進国の中で最も劣悪な住環境を抱えていることを,「人口密度と地価が高すぎるから仕方がない」と弁解する声もあるが,住民と環境を融和させようとする責務に対する考え方の差によって,住環境に大きな格差が生じた.環境より自己の所有欲を精一杯表現することによって,閉鎖的で汚く醜い住環境の原因になる住居が,過去ばかりか現在でも数多く新築されている.常識的に考えて「はじめに」くらいは常務取締役その人の「直筆」でしょう.最初に引用した「はじめに」の文とおなじく,この一文もたいへん重要です.
日本の住宅の将来を真摯に考慮しない住宅メーカーに対して,一切遠慮する必要はないとの判断からかなり露骨な内容になった.と述べています.少子高齢化時代を迎え,どのメーカーも必死に将来を考えている筈です.「日本の住宅の将来を真摯に考慮せよ」とまるで憂国の志士のように大上段に構えて言う以上,憂慮の中身は生き残り策といった低次元の話ではなく,もっと格調の高い話でなければなりません.著者の意識では劣悪な住環境の改善というのもその一つでしょう.
外観に生じた線,面,形などの数の差は一目瞭然である.どちらを美しいと思うかであるが,もし写真38〜40が美しいと感じるならば,デザインセンスの向上を目指すことなど諦めたほうがよい.と言い切っています.写真38は積水ハウス,39はメーカー不明,40は旭化成です.40がへ−ベルであることは,バルコニーの「象さん」でまるわかりです.
産業革命後の日常生活品に見られる工業デザインの推移を見ると,確実に機能性と合理性を重視したモダンなデザインが主流になってきている.決して装飾性を否定するのではないが,余分な化粧や装飾を殺ぎ落とし,「シンプル・イズ・ベスト」に徹したデザインが主役になってきた.そして次の図が載っています.モダンとは機能性や合理性を重視し大量生産に適した様式,クラシックとは装飾や化粧を重視し大量生産には不向きな様式というほどの意味です.
デザインに自信がなく,シンプルなデザインを理解できない人たちは,面の少ないデザインに接すると寂しさを感じ,倉庫のようなデザインだという.現実に「倉庫のようなデザインだ」と感想をもらした人がいたのでしょう.シンプルだが物足りない,寂しいと感じたのでしょう.しかしそのような人に対して,「デザインに自信がなく,シンプルなデザインを理解できない人たち」と決め付けるのは,ちょっと傲慢ではないでしょうか.
設計士として数多くの住宅を手がけた後,工業化住宅に魅せられ,71年に(大卒5年後.引用者注)ミサワホーム(株)へ入社し,商品開発を行う.87年ミサワホーム総合研究所取締役,89年ミサワホーム(株)取締役を経て,94年より常務取締役商品開発担当.93年,「デビュー自由空間U」がグッドデザイン金賞.同年「日本マーケティング大賞」を受賞.96年には「ジニアス蔵のある家」がグッドデザイングランプリ」を受賞する.と巻末の略歴にあります.「工業化住宅に魅せられ」ミサワに入社し,開発責任者の立場で商品化した「ジニアス蔵のある家」がグッドデザイングランプリを受賞したことがわかります.
グッドデザイン賞は,「デザインの良さ」を発見し社会に推奨している運動体です.(中略)ここでいう「良いデザイン」とは,外観の美しさだけでなく,機能,品質,安全性などの基本はもちろん,生活への提案までをも含んだ,全体としてのクオリティーの高さを表わしています.良く知られているGマークは,グッドデザイン賞を受賞した商品に使用が許されています.見かけだおしの商品ではGマークをとれません.同広告には今年度Gマーク取得商品の一部が写真入りで紹介されています.個人住宅ではミサワの3つの住宅とトヨタホームの一つの住宅が掲載されていて,ミサワの説明には次のようにあります
ミサワホームは1990年以来,15年連続でグッドデザイン賞を受賞しています.これまでの受賞商品・部品は住宅業界最多の計87点にも達しました.96年には住宅として初めてグランプリを受賞.96年の『ジニアス蔵のある家』は,住宅として初めてグッドデザインのグランプリ(Gマーク大賞)を獲得した特筆すべき商品です.(「蔵」とは「一階天井と二階床の間」の収納スペースのことで,通常の意味の蔵ではありません.)『綺麗な家に住もう』には松永真・総合審査委員長の選定理由が引用されています.その前半部は次のとおりです.
グッドデザインは,人間の生活あっての存在であることは言うまでもない.大賞受賞作品(『ジニアス蔵のある家』)は,その人間の生活の基本である住空間というテーマに正面から取り組んだ,その姿勢において評価されたと言える.誰もが何らかの住宅に住みながらも,なかなか満足のいく住空間を持てないのが日本の実情だ.われわれの実生活により大きな影響を与える分野のデザインのレベルを,ほんの少しでも前進させることの意義の大きさを今年のGマークは示すことができたのではないか.数ある商品の中でなぜ住宅のデザインが重要であるかを説いています.大賞に選ばれた理由が,外観デザインではなく,住空間を改善しようという姿勢にあることが,この説明でよくわかります.私は『ジニアス蔵のある家』の外観デザインは嫌いですが,上記理由でGマーク大賞を受賞したことに何の異存もありません.
(著者は)ミサワホームの常務取締役であり、ベストセラーとなった藤原智美氏の『家を建てるということ』のなかでもたびたび登場する。一流の建築家でありながら、自らを「工業デザイナー」と称するところに、氏の「誇り」が感じられる。これはまぁいろいろ考えさせられる評です.この評に関係すると思われる部分は本の次の個所です.
住宅の設計者は,人間国宝の陶芸家の手になる芸術品ではなく,工場生産力などに頼って毎日使用される食器類などを製作していることと同様であることを認めなければならない.「シンプル・イズ・ベスト」をよく理解し,ローコストを目指して,生活の邪魔になるような難しいデザインをしてはならない.例え高級住宅であっても無駄を排除し,工業化住宅以外の在来工法による住宅などよりも高品質で低価格を実現しなければ存在価値はない.これは著者流のいわばモダニスト宣言です.工業化住宅宣言です.最初の一文,
住宅の設計者は,人間国宝の陶芸家の手になる芸術品ではなく,工場生産力などに頼って毎日使用される食器類などを製作していることと同様であることを認めなければならない.において,人間国宝の作る芸術作品とはまた喩えが極端ですが,要は住宅設計者は,芸術家ではなく,工業デザイナーであると言おうとしていると思われます.ここの住宅の設計者というのは,プレハブ住宅の設計者(後述)であろうと思われます.そしてなぜ著者が芸術家を例に出したか憶測してみるに,これはたとえば,芸術家をきどった建築家といったものが念頭にあると思われます.
建築に限らず,すべての近代主義的運動(モダニズム)は19世紀的な芸術,すなわち「ブルジョアジーのための芸術」という存在形式の否定を目的としてスタートした.そのためにモダニズムは,建築を科学にしなければならないと唱え,建築を工業にすることを唱えた.特権的な芸術家によってデザインされ,特権的,秘技的な施工技術を用いて建設される芸術作品としての建築という存在形式を否定することが目的であった.すべての人々に開放された客観的手法(すなわち科学)によって計画され,デザインされた建築が,すべての人々に解放された技術(すなわち工業)によって,安価で大量に建設されること.それが初期モダニズムの最大の目標のはずだった.こうしてモダニズムはゆがみます.「芸術としての近代建築」というゆがみです.
しかし残念ながら,この目標は中途で放棄された.最も効率的にモダニズムを普及させるための手段は科学や工業ではなく,まさに放棄し,否定したはずの「芸術」こそが最もふさわしいということを,モダニスト達は発見したのである.その発見が,モダニズムを転向させてしまうのである. (略)
この転向を象徴するとびきりの「芸術家」が,ル・コルビュジエであった. (略)
コルビュジエの芸術を継承し,増幅したのが丹下健三である.「機械的なものは美しい」という機能主義の基本的テーゼを,丹下は「美しいものは機能的である」という名句を吐いてマジックのような見事さで反転してしまった. (略)
日本においては,そもそも,特権的な建築家も特権的な芸術建築も存在しなかった.芸術を否定する必要は最初から存在しなかった.むしろ芸術をできる限り早く捏造することが要請されていた.
このあたりの建築界の流れは,建築家,難波和彦氏が,自らの恩師で工業化住宅の草分けであった池辺陽氏に関する試論「戦後モダニズムの極北」(彰国社)で詳細に述べられている.その中で難波氏は,ポストモダンを「戦後のモダニズムがブレイクスルーできなかった未熟さから生じた一過性」と見事に分析している.素人向けのこの本の中で,この一節ははっきり異質です.建築家難波の評論にもろ手をあげて賛意をあらわすことにより,著者は是非とも宣言したかったのです.芸術家ではない,しかし池辺陽を「極北」とするモダニスト陣営に属するれっきとした建築家であることを.
村野にとっては建築も建築家も,命がけの跳躍をするひとつの商品であった.中心的な仕事,公共建築をなりわいとする建築家は,このような認識を持つ必要はない.自分の作り出した商品はまちがいなく自動的に引きとられ,使用されていくからである.彼らの商品は必然的に弛緩する.一方村野の商品には跳躍する場に立たされ者だけが持つ,あでやかな媚と,自らの身を切り刻むほどの緊張感とが同居している.そしてこの二つは近代性と同義なのである.弛緩した商品と緊張感ある商品という対比は,プレハブ商品間の対比にも,施主に迎合した建築家の作品と野心的なプレハブ商品の対比にも使えるように思えます.
以上,日本人の清潔感からなる伝統的な住文化を紹介したが,清潔な生活は汚れることが少なく,欧米の住文化のように汚れを装飾や化粧などで隠す(悪くいえばごまかす)必要性がないため,装飾や化粧を極力控えた「シンプル・イズ・ベスト」のモダンな住生活を確立してきた.建築家には「自分を創造主だと仮託するほどの誇大妄想が必要とされた」と,隈は述べています.その意味で著者には一流建築家の資格がある,とまで言ったら皮肉が過ぎるでしょうか.
そのシンプル性が,欧米の芸術,工芸や工業製品など,あらゆるデザイン界に18世紀ごろから影響を与え続けている.私は,この日本人がつくり上げてきた清潔感に裏打ちされたシンプルな文化が,21世紀には世界の潮流になると確信している.先進国はその経済力により豊かになればなるほど健康と長生きを追求するため,自ずと清潔な住環境を構築するようになる.そうなっていく過程で,今までは一部の芸術家やデザイナー,インテリが評価した日本のシンプルな住文化を,欧米の一般庶民が理解するようになるだろう.
「シンプル・イズ・ベスト」は,21世紀,世界のデザインの主流であることを考慮すれば,今われわれはどのような住居にしなければならないか明確である.
このようにして工務店と継続的に連携して住宅を設計する建築士は,安い設計料で数多くの仕事をこなすうちに工務店と,いわば癒着していくのが,自然の成り行きだろう.このタイプの設計事務所で仕事をする建築士は建築家というより司法書士などのような“代願業者”であると考えるべきだろう.(中略)料率とは設計監理費が全工事費に占める割合です.(全工事費は大雑把にいって設計監理費と工事施工費の和です.)
十数年前だが建築専門誌ではない一般誌に,共に一級建築士である(建築家ではない)若い夫婦の設計事務所が年に100軒の住宅を設計すると報じられていて,唖然としたことがある.私はかって(中略)年間にスタッフ一人あたり1軒半から2軒(中略)の設計監理を行うのが精一杯であった.真の意味での設計監理はそれだけの手間と時間を要するので,一桁の料率の報酬では成り立たないのである.
そういう建築家はしばしば,仕事が好きであるがゆえに,自分の家で過ごすことが少なく「家は帰って寝る場所」に過ぎなくなってしまっているからだ.住宅は暮らしの場であるから,設計者自身が暮らしを楽しんでいなければ,楽しく暮らせる家,心の安らぐ家は設計できない.「建築が好き過ぎる」がいつの間にか「暮らしを楽しんでいない」にすりかわっていることにご注意下さい.そして
住宅設計に実績があって,自分も暮らしを楽しむ術(すべ)を知っている建築家はそう多数はいないものだから,さがすのは容易ではないが,首都圏内では私の所属する日本建築家協会・関東甲信越支部の「住宅部会」に属する数十人に限られるだろう.と聞き捨てならないことを宣言しています.
建築家協会のアクティブな会員である私には残念なことだが,宮脇(檀)さん以外にも,優れた住宅設計者でありながら建築家協会のあり方に疑問をもち,比較的高い会費を払うメリットがないと考えて入会されない方も数名ながらおられる.「数名」の方は,「実績があり暮らしを楽しむ術を知っている建築家は,建築家協会に属する人に限られるだろう」などとタワケタことを,「アクティブな会員」が公然とPRしている「会のあり方」に疑問を持たれたのでしょう.会費云々には,「あり方」に疑問を持つ人に対して,会費を払うのが惜しいのか・・・といちゃもんをつけているニュアンスさえ感じられます.
四方がガラス張りで,まるで金魚鉢のように外から内部が丸見えになる.こういう家を住みこなすには周囲に庭をもてる相当広い敷地でなければならない.この家自体はおそらくそういう広い敷地に建てられ,住み手には気に入られているのだろうが,私の感覚からすれば,たとえ広い敷地に建てられていても,うららかに晴れた春秋の昼間は気もちがいいだろうが,雨の日や夜間には落ち着けないと思う.CM制作者は<狭い日本のリビングに最適な薄型液晶テレビ>といった現実的で夢のないシーンから出発し,逆転の発想で世界の先端を走る芸術的リビングに思い至ったのでしょう.先端的製品と先端的リビングが違和感なく結合し,非先端的和風美女の「リビングは環境です」という優しい一声がバランスよくCMを締めています.このシリーズのこれまでの4作(?)は見て楽しいCMだと素人の私は思いました.
デザイン偏向の設計者が手がけた建築は外観が一つの形態として目立つから,外観を(実物あるいは写真でも)見れば,それとわかる.そういう住宅は近隣環境から浮いて,街並みの調和を乱している感じがすることが多い.大学で教えられる建築史の戦後住宅史に領域で論じられる「有名な住宅」の半分以上は,この類の建築家の作品である.そのうちかなりの数が建築家の自邸であるのが救いだが・・・.施主が気に入っている家に対していちゃもんをつけようとすると道は一つです.「街並みの調和を乱している」です.異分子排除の論理です.ところが著者のこの論理はかなりいい加減であることが,別の個所で次のように述べていることでわかります.
私が自分に課している掟は(略)にとどまり,建物と街並みの調和すら,そう深刻に考えたことはない.それは私がもともと,街並みを破壊する,というか悪い意味で目立ってしまうようなデザインをしないからであり,守らなければならないと思わせる良い街並みにある現場に出会ったことがないせいでもある.著者が設計した家のデザインは,「過剰」でも「偏向」でもなく「良い意味で」目立つということのようです.要するに「前衛的」な建築家がお嫌いなのでしょう.
画家や小説家は貧窮に耐えつつも己の信じる道を行くことができる.具体的に言えば食費を削って絵具や原稿用紙を買えば創作を続けられる.しかし建築家と映画監督は,生活費を節約する程度では作品を作ることができない.文学や美術の世界では,無名のまま世を去った作家の仕事が死後に評価されることもあるが,これは建築や映画の世界ではあり得ないことだ.才能がもろに問われる小説家や画家からみれば,「手に職のある」建築家が,ろくに才能がなくても,芸術家をきどってのうのうと暮らしていけることが,うらやましくてしかたがないでしょう,きっと.
この巨額の金銭はクライアント,つまり他人からもたらされる.したがって映画監督も建築家も,将来ではなく,現在時点で「客に受ける」ことを迫られる.そうでないと次の仕事ができないからだ.これは本当に怖いことで,この点では個人芸術に携わる画家や小説家がうらやましい.
常に現在形で客に相対していなければならないという点では,建築家と映画監督の仕事は芸術的というより芸能的である.これは決して卑下して言うのではない.芸能という概念を低次元で捉えて,「受ける」ためにレベルの低い客に媚びていれば,芸の品格が下がることは自明の理で,それは自分の芸に誇りを持つ芸能人なら決して犯さない過ちである.
芸能というものはひとりよがりでは成立しないので,常に客の反応を測定しつつ表現を調整しなければならない.そのためには当然のこととして妥協が伴うが,それを自分の誇りを失わず芸の品格を損なわない程度にとどめる自戒が最も大切だろう.
これは「言うは易く行うは難し」という言い回しがぴったりのことで,私としてもクライアントに対しては妥協の連続だから,自分がどれほど芸の品格を保っているかは第三者の評価に委ねるしかない.語るに落ちるとはこのことかもしれません.誇り高い建築家が「レベルの低い施主」を相手に,「自分の誇りを失わず芸の品格を損なわない程度にとどめる」ことなど,まず不可能です.というより,そんな苦労をする必要は全くないのです.誇り高い建築家は客を選ぶからです.
しかし一つだけ自負をもって言っておけば,私が公共建築の設計入札に応じないのは,(略)というより,むしろ個人の人生観からして,仕事の受注を報酬の安さだけで競うことが,客に媚びる最悪,かつ最も安易な道であり,結果として自分の芸の品格を損ない,誇りを失うことになるからである.こうして設計監理料が高いことが正当化されます.入札に対する著者の考えにご注意下さい.
(前略)代願業者的設計者と工務店の癒着とはまったく違う.私は首都圏内に過去に施工してもらった長年のつきあいがある工務店,建設業者が約五社あるが,施工者の選定を一任されれば,諸条件を考慮して,そのなかから業者を選ぶ.「長年のつきあいがある工務店,建設業者」のうち4社に関しては,「レベルの高い工務店」としてその実名が本文中に明記されています.「諸条件」の中で価格が占める比重は非常に小さいと思われます.「安さだけで競うことが,客に媚びる最悪,かつ最も安易な道」だという考えを著者は持っているからです.
単なる設計者と真の意味での“建築家”の違いを,さらに突き詰めて考えれば,建築家の業務は,利益を追求するビジネスではなく,倫理に縛られていると言えよう.倫理を伴うことによって,建築家の業務全般は“職業”(job)ではなく“職能”(profession)となる.(中略)
原語に還って考察すれば,“profession”とは“profess”(告白)するという意味であり,これは信仰告白のことである.
つまり建築家は神の前で信仰告白することによって自らに倫理を課す.欧米社会においては聖職者の他,医師,弁護士が古くから,また近代においては公認会計士が“profession”に属するものとされる. つまり建築家は医師,弁護士,公認会計士と同様に,自らの利益を追求する手段として業務を行うのではなく,社会における役割を果たすために業務を行う.本書に引用されている柄谷行人の言葉(『隠喩としての建築』より)によれば,
ギリシャ人において,建築は,単なる職人的技術ではなく,原理的知識を持ち,職人たちの上に立ち,諸技術をすべ,制作を企画し指導しうる者の技術として理解されていた.古代において巨大な神殿の建設を指揮する建築家が神秘的で特別な存在であったろうことは,想像に難くありません.しかし現代において建築家は,なんら特別の存在ではありません.しかし著者は次のように建築家を特別視します.
(画家や作曲家が)時代の風潮に合わない絵や曲を書いても売れないだけで,社会に迷惑を及ぼすことはない.しかし建築は,建築家が自分の作品に情熱をもたず,報酬を得るためのビジネスと割り切って設計すれば,退屈な建物しか建たないし,建築物の寿命は長いから社会に悪影響を及ぼす.売れない絵や曲が社会に迷惑を及ぼすことがないとすれば,建築家設計の退屈な建物も,社会に迷惑を及ぼすことはないと,私は思います.どちらも,その影響力はたかが知れています.
本書は決して私自身のPRにならないように気をつけたが,建築家という職業(厳密には第4章で論じられているように“職能”)のPRになることには遠慮しなかった.その結果として住宅産業の一部から批判を受けることは覚悟の上だ.本書が住宅を設計する真の建築家の事務所の“敷居を低くする”効果をもてば幸いである.私の感想では,この本は建築家のPRになっていないどころか,“敷居を低くする”という意味では逆効果になっていると思います.しかし著者自身のPRには間違いなくなっています.普通であれば,1冊全部が著者のPRであっても全く構わないのですが,著者が
“job”を獲得するために自分をクライアントに売り込むことは“job hunting”と呼ばれ,職業倫理に反することになっている.これは医師が自分が運営する医院の広告をする場合,診療の専門範囲および医院の住所,診療時間,電話番号など最低限の情報しか盛り込めないのと同じく,“profession”の倫理上の理由による.と述べている以上,問題だと私は思います.本書の内容は著者に関する「最低限の情報」どころではありません.著者は自己を売り込んでいます.
建築家を探すのもけっこうくたびれることである.しかしそれは誰でもない,あなた自身の幸せを求める道と言えよう.その努力を回避して向こうから売り込んでくる建築家(そういう人もいないではない)や,たまたま紹介された建築家の個性をよく見極めずに設計を依頼して,その結果がうまくいかなくても,それは建築家ではなくあなたの責任である.心ある建築家はあなたに門戸を開きつつも,自分で売り込むのではなくあなたが訪れるのを待っている.建築家は自分を選んでほしいのであり,選ぶのはあなただ.客と建築家は最初1,2時間の「お見合い」をします.そこでは「お互いに相性を確認しあう」とあります.「お見合い」がうまくいけば,次回は着手金を支払い「住み手の要望の聞き取り,敷地検分」から基本設計がスタートします.
雑誌に作品が掲載されるような“有名な”建築家は,自分がこれから建てようとしている住まいなどは,規模やコストの面で,まったく相手にしてくれないだろうという誤解を一般の人は持っているらしいが
実際は,いかに小規模でもいかにローコスト,建築家は喜んで設計を引き受けるのである.と著者は述べています.著者の場合,最低でも坪80万円(門,塀込み)です.著者は50坪の敷地を「極小過密敷地」と呼んでいます.そして著者はウマのあう客の仕事しか請けません.
既製服が体にピッタリ合う方がいるように,プレファブや建売住宅が自分の生活様式にシックリ合う方も少なくないだろうから,日本の住宅の大多数は依然としてそれらのルートで建てられるだろうし,そのような商品化住宅のなかにも一般的な生活様式にとっては優れた製品もあるからだ.その意味で住宅設計に関わる建築家はプレファブや建売住宅産業と対抗するつもりはまったくなく,そうした業界の設計士と個人的に親しい場合も珍しくない.前項の意味でのプレハブ設計者(たとえば『綺麗な家に住もう』の著者)も,「業界の設計士」です.著者からみれば建築家ではありません.続いて著者は述べています.
建築家に住宅の設計を依頼する方は増えるといっても,それはやはり住意識にとくに敏感な,ある意味で選ばれた少数派に過ぎないと思う.しかしそういう方がプレファブや建売に満足できないのは,いわば商品化住宅の宿命である.なぜなら商品化住宅は商品の宿命として一般多数のニーズに応じることを目的としているからだ.「一般多数のニーズ」とは,最大多数のニーズだけを意味するものではありません.良心的なドキュメンタリー番組は視聴率が低くても一定数の視聴者が必ず存在します.Sクラスベンツは私を含め多くの人には縁のない車ですが,一定数のニーズは存在します.商品には最大多数のニーズに応じるものもあるし,いわば少数派多数のニーズに応じるものもあります.
海外諸国では,と言っても私が知っているのは欧米の事情に限られるが,中古の住宅がそれ自身,“文化遺産”としての価値を認められて売買されている.ところが氏が直接自分の眼で見た話は一つもなく,映画や早川書房の翻訳小説によって欧米の中古事情が語られ,日本と比較されます(後述).さて日本の現状はどうでしょうか.「日本の現状−旧・正田邸も取り壊し」と題する節にまとめられています.
(美智子皇后の御実家である)旧・正田邸は実に雅趣豊かな二階建て洋館だった.(中略)保存は叶わなかった.これはつまり経済功利性が建物の文化的価値より優先された結果である.続いて氏の自宅の隣家が登場します.
私と両親,兄弟が別々の家を建てて住んでいる新宿区下落合(通称おとめ山)でも,すぐ隣にあった某氏邸は風格のある二階建てで,(中略)相続者は時勢には抗し難かったらしく,敷地は売却,某氏邸は上物として取り壊され,(中略)いわゆる億ションが建ってしまった.目白の渡辺一族の敷地もかなりな広さであることをうかがわせる文です.同じ目白の50坪敷地を極小過密敷地と呼んだのはたぶんそのせいでしょう.以上の2例は壊されてしまった例です.続いて保存されている例が紹介されます.
もちろん少数ながらも幸いに保存されている建物もある.ここでは住宅に限って述べるが,アール・デコ風の邸宅の傑作である旧・朝香宮邸(中略)が宮内庁から東京都に移管されて「東京都庭園美術館」として保存,公開されているし,三菱財閥の開祖である岩崎弥太郎の茅町本邸はジョサイア・コンドルの設計により台東区池之端に建てられ,現在は東京都に買い取られ,建物は重要文化財に指定されている.あと2例,同じくコンドル設計の港区高輪の三菱2代目・岩崎弥之助邸,「分離派風の旧学習院教員宿舎」が保存されている住宅の例として挙げられています.住宅以外の例として旧・三井本館が挙がっています.
しかし,私がここで主張したいのは,富豪の豪邸ばかりではなく,一般庶民,少なくとも住意識の強い中流上層に属する人々(私のクライアントである人々の大部分がそうである)が,自邸を建てるとき,ちゃんとした建築家に設計監理を委託し,委託された建築家と共に,耐久消費財的ではない,文化財的な発想で「終の住まい」を建てる気概をもっていただくことである.それは長い目で見ればスクラップ・アンド・ビルドの日本の現状を変え,省資源であり,かつ生き延びる(sustainable)文明を築くことにつながるのではないか.これが第3章「終(つい)の住まいに“資産価値”を」の結語です.なんとなく嫌味なところのある文です.なぜか.
戦後の日本の住宅の寿命は約25年と言われている.これは平均だから,それ以下の年数で取り壊されるものも少なくないわけだ.現在の耐久性の技術発展の前であったとしても,住まいの物理的な寿命はまだまだ残っているはずの建物がたくさん取り壊されてきた.それらの寿命は物理的な耐久性よりも,社会的な耐用性によって決まっている場合が多いのではないだろうか.つまり「取り壊したほうが得」という価値観が,まだ使える建物の命を絶っているのだ.建設省は取り壊し時の築年数データをもとに「日本の家の寿命は約26年」と主張しました.渡辺はこれを使わずストックフロー分析に拠ったと思われます.最新フロー値(直近の新築件数)を使用しているから,25年の方が根拠があると思っているのかもしれません.
日本の住宅が約25年で取り壊される一つの理由は,第二次大戦後,十年ぐらい,つまり1955年ぐらいまでは,戦災による住宅の破壊と,第三次産業人口の増加による都市への人口集中が起こった結果として,都市とその通勤圏内の住宅が不足し,しかも資材も不足していたから,質より量を優先し,規模的も応急需要に応じる程度に小さく,構造的にも脆弱な,粗末な建物が建てられたことにある.理由の考察はこの一つだけです.参考までに宮脇檀は,終戦直後の状況を次のように述べています.
当時,私は名古屋に住んでいましたが,私の小学校の講堂をベニヤで仕切って家のない人たちが住んでおりました.防空壕に住む人,焼けたバスに住む人,旧日本軍兵舎に住む人,バラックを建てて住む人など,みな雨露を防ぐために必死でした.三十坪以上の家には二家族住めという命令があったような記憶があります.それから資材が足りないから,家をつくるなら十五坪以下しかつくってはいけないという資材統制令もありました.要するにとりあえず家がたくさん必要でした.この貧しい1947年,48年に住宅の自力建設が,数字上ではあれ一つのピークを迎えているのは,バラックでも良いからと,いかに皆が必死で家を獲得しようとしていたかを示しています.渡辺のまるで試験の模範解答のような優等生的作文と全く違って,宮脇は庶民の視点から生き生きと終戦直後の住宅事情を描写しています.
ここ数年についていうと,住まいの耐久性を向上させ,その結果として資源を無駄使いせずに環境保護に配慮する技術が発展してきた.少し後ろで次のように述べています.
現在の住まいの耐久性を上げる技術も,資源を節約し環境を保護しようという思想が前の時代以上に強くなった結果として著しい発展を示したのだといえる.ここ数年つまり世紀末から21世紀初頭にかけて,住まいの耐久性をあげる技術が著しい発展を遂げたと述べています.この時期に住宅メーカーが環境問題を盛んに言い始めたのは確かですが,断熱性,耐震性などではなく,住まいのもっとも基本性能である耐久性に関する技術が著しく発展したというのは果たして本当でしょうか?
とくに中年以降に新たな住まいを建てる世代には,一生住み続けてもいいという気持ちで終の住まいを建てる気持ちで家づくりをして欲しいものである.氏は第1章で次のように述べています.
世には古くから「孟母三遷の教え」という言葉があって,それは家を三回建ててみなければ本当に自分に適したものにならないとも読める.しかし実際,日本の持ち家中心主義では,自宅を三回建てるなんてことは不可能なので,たいがいは生涯一度の選択である.珍しくズバリと断言しています.氏自身も「生涯一度」だからでしょう.たしかに多くの人にとって新築は生涯一度の大事業です.ところがそう言いながら,渡辺は
とくに中年以降に新たな住まいを建てる世代には,一生住み続けてもいいという気持ちで終の住まいを建てる気持ちで家づくりをして欲しいものである.と述べているのです.生涯一度の大事業を行うにあたって,「一生住み続けてもいいという気持ち」以外にいったいどんな気持ちだと,渡辺は言いたいのでしょうか.
バブルの頃,私の設計した家が売りに出されて,坪300万,60坪で1億8000万ということで,やはり家に値がつきませんでした.「私が精魂注ぎ込んだあの名作(とは少しいい過ぎですが)の建物評価はゼロか」と設計者として非常にショックを受けた記憶があります.そしてアメリカでの体験を次のように述べています.
アメリカの建売住宅の場合は,(看板に家のことは詳しく書いてあるが)土地の面積は書いていません.セールスマネージャに「どこが境界?」と聞くと「その辺にあるんじゃない」というだけでおしまいです.極端ないい方をすれば,アメリカでは家が有料で土地はただです.日本は土地が有料で家はただ.これが中古問題の核心だと思われます.日本の中古市場が健全ではないということではなく,日本の地価が健全ではないのです.現に日本でも地価が落ち着いてくれば,建物はそれなりに評価されています.
こういう建築家の仕事がビジネスとして成立することはイギリスの中古住宅市場がアメリカと同様に健全であることを示していると言えよう.と述べています.続いてその架空の主人公リー・モリスの言動を1頁以上にわたって紹介した後,日本には
それを実現できるリー・モリスのような建築家もいない.と述べています.所ジョージの番組に登場する「匠」たちなら,スキル的には全く負けていないでしょう.土地がもっともっと安くなれば,「匠」たちもビジネスに乗り出すかもしれません.「リー・モリス」がいるかいないかなど中古市場が健全か否かに全く関係ない話です.
実際,統計的には,日本の住宅は平均して約20年で壊していることがわかります.戦後,建てられた住宅の半数はすでに壊されており,残り半数の建て替えはいつかと,住宅産業や工務店が手ぐすね引いて待っています.20年たって壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です.20年というのもストックフロー分析の値です.宮脇存命の頃は今より新築件数が多かったため,こんな値になります.ただし以下に見るように宮脇のロジックに従うと20年であろうと,25年であろうと,26年であろうとたいした違いではありません.
「貧乏人」は中年になってやっとの思いで粗末な家を建てた.「金持ち」は立派な家を建てた.「金持ち」,「貧乏人」を文字通り金持ち,貧乏人と解釈してもかまいませんが,旭化成の場合は特に,「金持ち」とはヘーベルハウスを建てた人,「貧乏人」とは「普通の家」を建てた人のことであり,渡辺の場合,前者が住意識の高い渡辺のクライアント,後者は一般庶民を意味します.
20年後,「貧乏人」は家の寿命が尽きて建て替えざるをえなくなった.「金持ち」は悠々と死ぬまで古い家に住んだ.
都会の人は小さな家を建てた.田舎の人は大きな家を建てた.これが宮脇の「20年たって壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です」に対する解説です.なんら差別的ではありません.宮脇は建て替えの核心を衝いていると私は考えます.
20年後,時流に乗った都会の人は大きな家に建て替えた.
時流に乗り遅れた都会の人,田舎の人は死ぬまで古い家に住んだ.
20年後,新所有者の多くは遠慮会釈なく上物を取り壊した.これまでの話はすべて高度成長期が背景になっています.しかし,現在右肩上がりの成長はすでに終わり,家は実用上十分な大きさに達しています.小さいからという切羽詰った建て替えは確実に減っています.こうして現在の状況は次のダイワハウスの主張が的を射ているでしょう.
20年後,居住者の多くはリフォームした.
(前略)設計を依頼しにくるお施主さんですら,設計を依頼する要望の第一は「早く安く」で,帰りがけに後ろを振り返って「できたら良いものを」という程度です.ここで宮脇が述べているバラックは終戦直後のバラックとは意味が違っていますので,以下「バラック」としておきます.
ところが,私たちは日常生活のなかで,早くて安いもので良いものなどあるわけがないのを知っています.マクドナルドのハンバーガーやケンタッキー・フライドチキンが旨いか.吉野家の牛丼が旨いか.早くて安いものに旨いものがあったためしがないではないか.なぜ,建築というのは早く安くつくらねばならないのでしょうか.きちんとお金をかけて,100年保たせれば,20年でバラックを建てて壊すよりはるかに安上がりだといっても誰も聞いてくれません.
外国の人たちが日本にくると,日本の住宅,建築は全部バラックだといいます.事実日本の家の大半はバラックです.私の設計した家も95%ぐらいはバラックです.要するにブルドーザーでちょいと押せばすぐ壊れてしまう家をバラックといいますが,そういう意味では日本のほとんどの家はバラックです.そのバラックの家を,とにかくバタバタと早く安く建てて,5年毎ぐらいに改造して,20年経ったら建て替える.これが日本の現実です.これでは家というものに予算をかけ,きちんとした文化としてやろうという習慣は育ちません.
その趣旨は「まず日本国を豊かにしよう.日本国を豊かにすると産業が豊かになる.あなたの夫の会社も豊かになる.会社が豊かになると給料が上がる.給料が上がるから,それで家を建てましょう」という,実に見事な三段論法でした.国民皆がそれにだまされて乗りました.何もしなければ誰も家を建ててくれない.民間借家もなければ,政府も何もしてくれない.自分の家は自分で建てねばならないわけですから必死です.こうして自家建設が人生の目標になってしまいました.必死で小さいながらも我が家を建てました.頑張った人は大きい家に建て替えました.建て替え年数26年は,従順で勤勉な国民の刻苦の証ともいうべき数字なのです.それをあろうことか,建設官僚と旭化成は,国民の家がぼろである証にすりかえたのです.無理やり新築需要を喚起するため,また,だましたのです.
まず米よこせ運動があり,その次に起きるのが家よこせ運動です.46年には住宅復興会議,47年8月には皇居前広場で住宅獲得国民大会が開かれています.けれど結局そこでおしまいです.日本人は,やはり産業復興が大事だといわれて,はいと一生懸命働きながら一斉に自分で家を建てるようになったわけです.国民皆が政府にだまされて自家建設,持ち家という話に乗りました.自分の家を自分で建てることが格好いいと思い込まされてしまったのです.これがわずか50数年前の話で,そのときから歴史上はじめて日本人は自分の家を自分だけで建てなければならない民族になったのです.
そういうことを実は私たちはすっかり忘れています.狭い国土で,皆必死になって土地を探し,家を建てなければいけないと思い込み,間取りを考えて工務店や住宅産業を探し,さらにローンを組んでと,誰もが40歳ぐらいになるとやらざるを得ないものと思い込むように自動的になっていますが,実はたった50数年前にそうなっただけで,これはひとえに政府が悪いのですが,誰もそれをいわない.
国土狭小,資源に乏しい日本が近代国家の仲間入りするために,国民を犠牲にするのは明治建国以来の歴史の要請であった.われわれは敗戦後も依然としてアジアの中の西欧として残った.低賃金と公害というアジア的条件の上に西欧的な高度成長を築きあげた.水俣病事件において国が責任(の一部)を認めるまで実に半世紀かかりました.これが日本です.
戦勝国イギリスではロンドンを中心に相当破壊されておりました.そのために,戦後すぐ公営住宅法とGLCなどという公営住宅建設のための組織をつくります.当時のチャーチル首相の法案提出の説明演説で「人間の尊厳を守り得る家と,余暇時間を活用できる空間が必要である.だから公営住宅を」という発言をしています.「市民なくして国家なし」という非常に有名な発言もあります.ただ家をたくさんつくれではなくて,人間として尊厳を守る家,つまり暖房がある,お湯が使える,個室がある,雨も漏らない,そういうちゃんとした家を国家がつくらなくてはいけないということをチャーチルはいいます.余暇を活用というのも信じられないくらい立派な言葉で,家というものは必ず近くに余暇時間をそこで過ごすための,花を育てたり,散歩をしたり,スポーツができるような公園があるべきだ.その二つセットにしないとだめだというのです.あの1945年のまだ本当に食うものもなくて,芋の茎食っている頃の話です.その頃,ちゃんと家には横に公園が要るんだといったイギリスというのはすごい国ですが,それを着々とやってロンドンとその周辺に無数の公営住宅をつくりました.敗戦国のドイツ,イタリアでも国が率先して公営住宅を供給したと述べたあと,宮脇はわが日本について次のように述べています.
日本の政治家でチャーチルのような立派なことをいった人は一人もおりません.歴史上,仁徳天皇が山の上に登って民のかまどの煙が上がっていると喜んだぐらいが,国民の住宅について触れた唯一の記録みたいなもので,不幸にしてその手の発言を私たちはあまり知りません.逆に明治17年の市区改正当時の東京府知事・芳川顕正がいった「意フニ道路橋梁及河川は本ナリ水道家屋下水は末ナリ」という発言が有名です.そんな国が日本なんです.
<都市計画>とは大正七年このかたの言い方で,それまでの半世紀近くの間,人々は,道を拡げ水路を掘り広場や公園を画す仕事をさして,<市区改正>と呼び習わしていた.しかし,この言葉は,はなから都市計画一般をさす名詞として誕生したわけではなく,元をただせば,明治10年代に芽ばえたある具体的な東京改造計画の名称なのである.これを,<市区改正計画>という.いつしか固有名詞が普通名詞に転じたのは,この計画が,わが身一つを越える大きな影響を周りに与え,日本の近代都市計画の嫡流となったからに他ならない.(98頁)「わが身一つを越える大きな影響」とはなかなか「文学的」です.これが著者の文章の特徴です.著者は市区改正計画を次のように手放しで誉め称えています.
市区改正計画は,さまざまな傾きをもつ諸勢力が船頭となって一つ舟に乗り,なお一つの航路を選びとり,順風を受ければそのまま進み,逆風吹けば舵を回して行く手を変える,そんな一筋縄ではゆかない多元性と,二枚腰三枚腰のねばりを身上とする大人の計画であった.明治10年代に発意され,終わったのは大正3年という息の長さからも,いかにこの計画が,長い歳月と思考を必要とし,またそれにふさわしいものであったかがうかがわれよう.(99頁)市区改正計画の立案者は,東京府知事芳川顕正です.芳川は単なる地方官,府知事ではありません.
芳川は府知事にはちがいないが,しかし先代の楠本正隆や松田道之のような専任者ではなく,内務少輔という本省の高い位を兼ねた地方官であった.(中略)芳川案とは内務少輔芳川顕正の意を体した計画といった方が,その後の経過には合っているとように思われる.(173頁)内務省は次のように「歴史の歯車」を回していきます.
内務省のその後をみると,明治17年の市区改正芳川案提出にはじまり,翌18年の市区改正審査会案作成,21年の市区改正条例発布と市区改正委員会案成立を経て,都市計画の主務官庁としてのヘゲモニーを確立し,以後,明治末年の田園都市計画研究,大正9年の都市計画法発布,等々の歴史の歯車を回していく.(173頁)内務省主導の都市計画の経緯を整理しておくと,次のようになります.
あるいは,芳川は,渋沢の要請を容れた時,名うての二人の新興実業家の力のほどを軽く見ていたのかもしれない.まさか,明治18年2月20日より同10月8日にいたる長丁場のはてに,思わず知らず自案が打ち崩されようとは考えてもみなかったにちがいない.(176頁)10ヶ月にわたる審査会の席において,「築港の復活」と「郭内(皇居周辺の旧武家屋敷)の地を官省地ではなく商業地として開放」することをめぐって官と新興実業家は激しく対立しその様子は非常に興味深いのですが,いま私の関心はそこにはありません.審査会につづく委員会は,「まるで三年前の審査会の熱気ははるか昔のことのように(中略)もっぱら技術上の問題に終始してしまう(248頁)」,「かって審査会をリードした渋沢と益田の両名が,うって代わっておし黙り,役人主導の流れに身を任せていた(254頁)」というありさまになります.
長与専斎 元来日本人の遊びは卑屈極りて,演劇を観るとか或いは碁を囲むとか茶の湯とか謡とか,甚だしきは「芸者の尻でもつねる」如き総て座敷内の遊興にして,真に不健康の至りなり.斯の如き文明社会に不健康なる遊びをなすは必竟真の公園地なきが為なるべし.いやしくも我日本国中君子の遊びをなして,精神を養う所なきは外国に対し如何にも恥入次第なり.(185頁)現在の目から見ればなにもそこまで恥入る必要もないように思われますが,このように恥入る意識が銀座煉瓦街計画,鹿鳴館,官庁集中計画の底流として流れています.それはともかく長与という人は,無趣味で「芸者の尻でもつねる」如き遊興にも無縁の,たいへんまじめな人のようです.
芳川顕正 鉄道線路の為めに道路を損することおびただし,故に即今命令案を改正なす積りなり.(212頁)この発言は以下,「一路を二手に修繕する」のはよろしくない,鉄路に沿って石を敷くという約束は守られず,雨がふれば線路の間は田んぼのように泥まみれになり,通常馬車やその他諸車は線路を避けるため「府庁持の道路破損すること非常なり」と続きます.線路は内務省管轄ではないのです(工部省?).
長与専斎 私は現在の鉄道馬車は嫌いなるも,之を全廃するの論には反対なり.(中略)一体鉄道馬車は賃銭廉にして便益あるものながら,(中略)全く廃するは不可なり.是も文明の道具なれば,繁昌地へ布設することは許さざるの主義と定め,中通りの如きは之を布設するとし,(後略)議論は白熱しますが,結局馬車鉄道は存続が決まります.
人気のでるのは当然で,馬車や人力車に比べて運賃は格段に安く,しかもスピードは馬車に劣らず,とりわけ雨の日や荷の多い時,子供連れの買物や小商人の移動に都合よく,それまで徒足しかなかった市井の人々には,自分たちにも許された最初の乗物として親しまれた.貴顕紳士が馬車と人力車を手に入れたと同じように,市民にとって,馬車鉄道は文明開化の贈物であった.長与や小沢が廃止にうなずかないのはこのことをよく知っていたからに違いない.そう考えると,益田の「我々の馬車を自由に走らせ得んには彼に道路を専有せられざることを望む」という発言はにわかに階級性をおび,いかにも毎朝高輪御殿山の自邸から日本橋兜町へ馬車を走らせる益田ならではの言い分といえよう.説得力のある説明です.私はこれを読んで馬車鉄道の意味が理解できました.一つ難を言えば「長与や小沢が廃止にうなずかないのはこのことをよく知っていたからに違いない」というところです.廃止を主張した芳川などは,馬車鉄道が庶民の足であることを「知らなかった」のでしょうか.そんなバカな話はありません.一度でも街に出てみれば,馬車鉄道が市井の人々,小民,細民,小吏の足になっていることは一目でわかったでしょう.
益田孝 都府の中下谷は最も卑湿にして衛生上には不良の地なるも,旧来は人々自ら歩行するが故に細民又は小吏の類は此地に住居せしも,追々車馬の便開くるに従い多くは乾燥の地に移転するにより,下谷は衰微せるなり.(中略)下谷の衰頽は挽回なし難し,只上野浅草両公園に通ずるの地たるに過ぎず.然るに如何なる要用ありて新川を作らんと云わるるや,新川よりは寧ろ田を造るが適当と云うべし.(207頁)これに対し長与は次のように反論します.
長与専斎 益田君は田を造るべしと極点を以て論ぜらるるが,日本橋神田の如き地が追々良くなれば,従て地価も騰るべく,左すれば細民は本所下谷へ移るもの多かるべし.然かする時は川の一筋も掘り置きて水吐きを付け置かざるべからず,此所のみ打捨ておく訳けはあるまじ.例えば家屋を新築して其門前に雪隠を止むる如し,雪隠は雪隠の位置,座敷は座敷の位置を占めしむるが市区改正なり.日本橋,神田のような一等地は地価が騰がるにつれ,借家住まいしている細民は追い出され,本所や下谷に移ってくるだろう,そうすると運河の一本でも掘って水はけをよくし住みやすくしておかなければならない,日本橋だけでなく下谷のことも,つまり全体をきちんと考えるのが市区改正というものだ,と堂々たる論を展開します.
渋沢栄一 長与君の説は溝渠を要するものなるが,如何にも日本橋神田京橋の地価騰貴すれば,細民は下谷へ移り住むならんが,今市区改正を議するに当りては大体此の辺は便利を十分に謀り斯く斯くすべしとか又は彼の辺は左様に便利となすに及ぶまじとか定めておけば,細民の住居迄をも経営なし置くに及ばざらん.中央の地に住み得ぬなれば,山の手の方にも行くならん.全体より看過せば,下谷に新川の必要なしと云うて可なり.桜井勉(内務大書記官)はヨーロッパの例から貧民街が社会主義思想の温床になることを懸念する立場から長与に賛成しています.
長与専斎 商売の繁昌地を作れば,又一方に細民の集合して便となすの地をも考えざるべからざるなり.下谷は両方に公園もあれば到底田野にもなるまじ,勢い細民の住居となること恰も横浜の松蔭町の如くならんか.さて細民集まると見れば悪水の疏きを十分にせざるべからず.故に溝渠を造るべし.(中略)全く下谷を見捨る如きは酷論と云わざるべからず.
桜井勉 大いに長与君を賛成す.小民は何れにあるも構わぬとは豪商の口頭より出づべき言にあらず.欧州諸府の例を聞くも,傭工社会が其傭主に抵抗しては,其都府を維持し難しと云えり.
また住宅について明治の都市計画リーダーたちが気にとめなかったのは,下町であれば昔の延長上で住みつづければいいし,山の手であれば空いた武家屋敷の後に新時代の有力者や官僚が身相応に入ればいい.つまり江戸の住いのあり方を,一部で住み手を替えるだけで物理的にはそのまま引き継いで十分やってゆけると考えていたからにほかならない.このことを明言したリーダーはいないのだが,暗黙の了解と見ていい.(372頁)明治の都市計画に好意的(?)な著者がいくら探しても,明治の都市計画のどこにも,庶民の住まいに対する配慮の跡はかけらさえ見つけることができなかったようです.
水道計画は市区改正とは別の課題として,同じくらい早くから取り組まれていた.往年の江戸の上水道は,(中略)濾過装置を欠き,かつ木管による流水式をとっていたことから,汚水や雨水の混入は避けがたく,伝染病の感染ルートともなり,改良は強く望まれていた.明治七年には御雇外国人ドールンの上水改良意見をうけて,楠本正隆,松田道之と歴代府知事は熱心に取り組むが実施にはいたらない.そして,あとを受けた芳川顕正が市区改正芳川案立案の最中に内務卿より水道改良の命が下されるが,しかし芳川案から水道は外されていた.外した理由を芳川は,「此案に載する所は,独り道路,橋梁及河川の改正に止まり,市区改正に於て施工せざるを得ざる最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし.然れども,意うに道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり.故に先ず,其根本たる道路橋梁及河川の設計を定むる時は,他は自然容易に定むること得べき者とす」と説明する.文中の「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」の一句をとらえて,芳川は市民生活を無視したとする批判もあるが,しかし,言葉どおり,施行の手順上,配管に先立ち道路を決めなければならない,と解すべきであろう.実際内務省下の都市計画のなかで,水道計画ほど優遇されたものはない.(261頁)説明の便宜上,3つに分割して説明します.水道の重要性は明治の初めから,外国人技師によって指摘されていました.芳川知事の先任知事たちも熱心に取り組みましたが,実施には至りませんでした.
(1) 水道計画は市区改正とは別の課題として,同じくらい早くから取り組まれていた.往年の江戸の上水道は,(中略)濾過装置を欠き,かつ木管による流水式をとっていたことから,汚水や雨水の混入は避けがたく,伝染病の感染ルートともなり,改良は強く望まれていた.明治七年には御雇外国人ドールンの上水改良意見をうけて,楠本正隆,松田道之と歴代府知事は熱心に取り組むが実施にはいたらない.あとを受けた芳川知事が芳川案立案中にも内務卿から水道改良の命が下されていました.にもかかわらず,明治17年の芳川案には水道は入っていませんでした.「有名な発言」は外した理由の説明の中に現われます.
(2) そして,あとを受けた芳川顕正が市区改正芳川案立案の最中に内務卿より水道改良の命が下されるが,しかし芳川案から水道は外されていた.外した理由を芳川は,「此案に載する所は,独り道路,橋梁及河川の改正に止まり,市区改正に於て施工せざるを得ざる最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし.然れども,意うに道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり.故に先ず,其根本たる道路橋梁及河川の設計を定むる時は,他は自然容易に定むること得べき者とす」と説明する.芳川は,市区改正が道路,橋,河川の改正にとどまり,「最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし」,つまり最重要の住まい,水道,下水に触れていないのはおかしいではないかという意見もあろう,しかし私は<道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり>と考える,根本である道路橋川が決まれば,他は「自然容易に定むる」と,説明しています.
(3) 文中の「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」の一句をとらえて,芳川は市民生活を無視したとする批判もあるが,しかし,言葉どおり,施行の手順上,配管に先立ち道路を決めなければならない,と解すべきであろう.実際内務省下の都市計画のなかで,水道計画ほど優遇されたものはない.市民生活を無視しているという批判は,一句をとらえた,つまり言葉尻をとらえた批判でしょうか?注意すべきは芳川自身が「最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし」と述べていることです.明治17年の段階において,すでに市民生活を無視しているという批判があったと考えられます.
加えて,(明治)24年からは上水工事がはじまり,資金はもっぱら地下に注がれ,地上は水道施設に必要な個所を断片的に改正するにすぎない.皮肉にも,「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」はひっくり返されてしまった.(271頁)「ひっくり返されてしまった」と著者は認識しています.しかしこれは明白に誤りです.「水道家屋下水」の優先度が「道路橋梁河川」よりあがったわけでは決してありません.水道だけ優先されたのです.なぜか.
新参の水道が古株の道路を抜いて着手され,わずか三年の遅れで,一歩の後退もなく実施されたのはなぜであろうか.ひとえに伝染病対策を兼ねていた点に答は求められよう.明治19年の夏,東京は死者一万を越すひどいコレラ禍に見舞われており,菌に汚された水をそのまま家庭に届けてしまうこれまでの流水式江戸水道は恐怖の的となり,何をおいても上水改良をうながさずにはおかなかった.(270頁)明治19年夏にコレラにより1万人を超える死者がでたのです.従来の江戸水道は「恐怖の的」となり,命に関わる大事として上水改良事業が最優先されたのです.一方の下水道は極端に遅れます.著者はそれを次のように説明しています.
ちょうどこの頃,世界の伝染病対策は転換期にさしかかり,それまでドイツ,イギリス中心にすすめられてきた水道整備による衛生学的予防法は後退し,代わって,ドイツのコッホ博士の発明になるワクチンで病原菌をおさえる免疫的方法が主流になった.こうした「水道から注射へ」の転換は,(中略)わが国にもいち早く波及し,ドイツにつづく注射の国へと変わった.その結果,下水整備の情熱は年を追って冷め,大正から昭和へと,帝都に汚穢(おわい)馬車の轍はつづいていく.(270頁)医学の進歩により,下水整備は命に関わる緊急課題ではなくなりました.情熱が年を追って冷めたという情緒的説明より,もともと芳川には下水整備など末の末だったというべきです.こうして下水の方は「本来の位置」である末に落ち着いつき,「大正から昭和へと,帝都に汚穢(おわい)馬車の轍はつづいていく」のです(この表現はなかなかうまいと思いました).
(銀座煉瓦街計画は)言い立てられるほど悪い計画とは思われない.また,市区改正計画を見ると,主旨書の一節「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」をとらえて,市民生活無視の計画と断じている.内務省のことゆえ,さもありなんと原文を読めば,何のこと,たんに工事手順のことなのである.実際は,水道は本,道路は末,で着手されている.(363頁)原文はすでに読んでいただきました.「内務省のことゆえ,さもありなん」などとわかったようなことを言いながら,「何のこと」,結局は内務省の肩を持っているのです.道路が末とはよくも言ったりです.道路を末というなら,住まいや下水は末の末のそのまた末です.
大久保利通(内務省創設者)が言ったとおり<大本は殖産興業である>.第二次大戦後の姿がオーバーラップします.殖産興業は産業復興に名を変えました.「国家なくして市民なし」は「企業なくして市民なし」に変わりました.基幹企業の復興が市民生活復興より優先しました.そして「小民は何れにあるも構わぬ」は持ち家政策に外見を変えました.
欧米列強に伍する国力をつけるため,いま最も必要なのは殖産興業である.
そのために何が必要か.インフラの整備である.基幹道路の整備である.
「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」
「国家なくして市民なし」
(略)新時代に一歩遅れをとった大阪の危機感は深く,早くも明治19年10月には大阪府区部会は知事に宛てて市区改正の建議書を呈し,知事はこれを容れ,20年1月6日,大阪市区改正案取調委員会を設けて立案に入り,3月には成案を得ている.(略)しかし,話はこれ以上進まず,棚上げされるが,明治30年,市域拡張を機に,大阪市参議会はふたたび市区改正を取り上げ,設計を民間の建築家山口半六に依嘱し,32年「大阪市新街路設計」と銘うつ成案を得る.(略)地割地番改正の提案など東京の芳川案にはなかった独自性が随所にみられる.山口半六は,フランスのエコール・サントラル(パリ中央工学校)において,土木,建築,行政,経済学といった幅の広い教育を受け,その雑多な技術を逆手にとって,何ものでもなく,何ものでもある都市計画家という職能をはじめて体現した人物といえるが,彼は,大阪につづき,明治33年には長崎の市区改正立案も担当している.もし両市の計画が順調に緒についていたなら,多くの地方都市があとにつづき,民間の都市計画事務所が原案を練り,それを自治体が内務省に上げて認可をうるという新しい街づくりのルートが開かれたかもしれないが,しかし,実現には至らなかった.理由は,山口が,長崎調査の無理がたたって,胸の持病をこじらせて急逝してしまったからではなく,内務省が帝都以外の市区改正を許そうとしなかったからと思われる.こうした内務省の壁が破られるのは,東京の市区改正事業が大正三年に終わってからで,大正七年にいたり,大阪,名古屋,神戸といった各地の再三の要請を容れ,はじめて,人口30万以上の都市への市区改正条例準用が認められ,大阪,京都,横浜,名古屋,神戸の五大都市が指定を受ける.(略)このようにして,明治10年代の東京に芽をふいた市区改正計画は,日本の都市計画の嫡流を形づくってきた.(330頁)著者言うところの「大人の計画」である市区改正計画について,著者はまた次のように述べています.
市区改正計画は,外目を気づかう外務省とは反対に国内統治を旨とする内務省により進められ,立案者中に自己表現を職とする建築家は一人もなく,土木技師,行政官,企業家,衛生学者,軍人などの実際家たちが討論を交しつつ練り上げている.その過程は長く,明治10年代から20年代におよび,その討論は深く,都市の性格付けから道の一本一本まで論じて及ばざるはない(320頁).「自己表現を職とする建築家」(つまりは技術者ではないと言いたいのでしょう)のお世話にならずに「実際家」たちが地道に長く深く討論して練り上げたと著者は表現しています.これと対比すると明らかなように,「大阪市新街路設計」の提案者である民間建築家山口半六に対する著者の形容は非常に冷ややかです.
かくして都市計画は,国の統治を旨とする内務省の手に握られた結果,つねに治国平天下の一翼として構想されるようになり,また,官の力を得て一様の典範に沿って進められるようになる.可能性としてはあった各地の地方官の多様な計画や,新興企業家の自発的な試みは傍らに追いやられてしまう.今日でもなお云々される日本の都市計画の中央集権的性格を最初にはっきり示したのが芳川案に他ならない.(173頁)
(前略)あたかも都市とは,道路の別名でもあるかのように,ひたすら,道作りにはげみ日本橋の真上にまで高速道路を通すようになる.今となっては転換するしかない日本の都市計画のこうした土木工学的個性は,その根をやはり,内務少輔芳川顕正と交通エキスパート原口要の作った芳川案に置いている.(174頁)「今となっては転換するしかない日本の都市計画」の負の側面の源流は,疑いもなく,「内務少輔芳川顕正と交通エキスパート原口要の作った芳川案」にあると思われます.
この時期,内務省が,元老院の反対を強行突破してまで,ヘゲモニー確立を急いだのは,二つの“敵”に備えて,と思われる.外務省との主導権争いに勝利した内務省は,明治21年をもって,国内統治の全権すなわち日本全体をすっぽり手の内に納めたのです.大日本帝国憲法が発布されたのは明治22年です.第1回帝国議会が開かれたのはその翌年です.
一つは,(略)他省の横槍が入らないように.もう一つは,国会開設を間近に控え,元老院の例をみても,とても内務省の意に沿う体制を許しそうにない議会の掣肘からあらかじめ逃げるため.
時期を考える上で,もう一つ,つい四ヶ月前に制定された<市町村制>との関連も注目に値しよう.(略)同時期に二つの制度が作られたのは偶然の一致ではなく,内務省にとって両者は国会開設前に是非とも済ませておきたい懸案であったと思われる.(略)明治21年をもって,制度としても物としても,日本の都市は,すっぽり内務省の手の内に納まったといえよう.(246頁)
維新ののち,国家の建設が始まります.藩を廃して県を置き,生活のあらゆる面を規制していた身分制を取り除き,移動の自由を保障し,義務教育制や徴兵制を布き,私有権を確立してその上に地租改正を初めとする新しい税制を施行し,さまざまの産業を興し,首都を打ち立ててゆき,貨幣を統一し,郵便制度を創始し,時制を変更し,鉄道を敷設し,築港に努め,というふうに数えてゆけば,国家建設の槌音がきこえるようです.維新につづくほぼ1870年代は,工事現場のそんな乱雑さと活気がみなぎっていた時代です.(鹿野38頁)啓蒙思想家の中でもっとも大きな影響力をもった人は福沢諭吉です.彼の『文明論之概略』は明治8年刊です.鹿野は福沢諭吉について次のように語ります.
何よりも速度が求められました.欧米諸国との落差は,現在からは想像できかねるほど大きかったからです.それだけに「西洋」は,幕末での「西洋」の発見以来,追いかけるべき目標であるとともに対抗すべき相手,つまりモデルにしてライヴァルと意識されていたからです.文明開化は,そのように急がれた国家建設に当って,外観からインテリアに至るまでを規定した様式でした.
国家という建築物が造られるのに呼応して,その住人を造りあげることをめざしたのが,今日,啓蒙思想と呼ばれている思想です.(鹿野39頁)
福沢諭吉といえば,「独立自尊」という四文字が浮かびます.(略)「独立」こそ福沢が,他のいかなる徳目にも増して,高くひるがえした旗幟でした.(略)「国と国とは同等なれども,国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能はず」.当然そこには世界に向かって立つ日本が意識されていました.その意識をもとに彼は,封建制下で服従に馴れてきたとみえる人間を,「独立の気力」の持ち主へ変えようとしたのです.諭吉の言葉は130年後の現在なお説得力を失っていません.
この主張は,『文明論之概略』ではいっそう痛烈です.(略)福沢は,日本社会の「権力の偏重」を指摘してとどまるところを知りません.しかも政治の面だけでなく,この社会のどこを切っても,「権力の偏重」という顔がのぞくというのです.
今,実際に就て偏重の在る所を説かん.ここに男女の交際あれば,男女権力の偏重あり,ここに親子の交際あれば,親子権力の偏重あり.兄弟の交際にも是あり.長幼の交際にも是あり.家内を出でて世間を見るもまた然らざるはなし.師弟主従,貧富貴賎,新参故参,本家末家,いずれも皆,其間に権力の偏重を存せり.畳みかけるようにこうのべてきて,福沢は,そんな状態にある日本人を「精神の奴隷」と評し,「日本には政府ありて国民なし」といい放ちます.(鹿野52頁)
以来,運動は10数年にわたって,広汎な人びとの参加をみ,諸地域を網羅するいきおいで繰りひろげられ,日本に立憲制をもたらす原動力の役割を果たしました.(略)国会開設が,合言葉として要求の中核をなしましたが,もとよりその一言に止まることなく,地租を中心とする減税の要求,自治の要求,結社の思想の興起や自由党・立憲改進党を初めとする政党の結成,そのなかで高まった自学自習の気風など,自由民権運動は人びとにさまざまな分野への活動を開きました.自由民権運動の理論的支柱は,東洋のルソーと称された中江兆民です.彼の著書に『三酔人経綸問答』という傑作があります.出たのは1887年すなわち明治20年です.鹿野は次のように述べています.
結果として日本の立憲制は,1889年の大日本帝国憲法に示されるように,天皇制として成立します.その意味で政治運動としての自由民権は敗北した,とみなされたりします.(略)しかしこのように全国的な規模の,しかも長期にわたる運動が人びとを捉えこんだのは,日本史上空前であるとともに,現在までのところ絶後でもあります.
それは,政府が天皇制を軸とする国家整備を急ぐとき,もう一つの国家構想をもって立ち向かった運動でした.わたくしはその基本性格を,政府の国富国権路線にたいしての,民富民権路線と評価したことがあります.(鹿野62頁)
この時期,自由民権運動はひとまず終熄し,政府主導での立憲制の樹立が,カウント・ダウンの時期に入っていました.そのなかでこの書物は,教科書から抜けでたような民主主義・平和主義論者の「洋学紳士君」と,アジア割取を主張する「豪傑君」が登場して,議論をたたかわせ,結局,指南役としての「南海先生」が,いまは漸進的に立憲制を布いてゆくほかないとの,一見何の変哲もない意見をのべるという趣向の作品でした.どのように未来を造ってゆくかについて,それぞれに主張させるというかたちで,兆民は問いをなげかけたのです.碩学の言葉に蛇足を加える余地はありません.読んで頂いたとおりです.
その結論を語る場所に兆民は,「南海先生誤魔化せり」と自分で評をつけています.そこに彼の苦衷をみることができます.そんな状況下でも,彼は未来へのいとぐちをつけておくことを怠りませんでした.民権に「恩賜的の民権」と「恢復(カイフク)的の民権」との二種類あることを指摘した部分がそれで,たとえ与えられるものが前者であっても,実質的に後者化してゆくことが可能と,兆民は人びとを鼓舞していたのです.(鹿野70頁)
明治の都市計画は痛快だった.目の前にクジラのように横たわる旧江戸の街をどう切り刻んで作り変えようかという大テーマがデンとあって,それに立ち向かうのが明治維新の立役者たちなのだから,言うこととやること自由奔放,したい放題で,あんな時代はめったにない.すぐれた個人が,自分の思想をはっきり言明し,それをそのまま現実の東京にぶっつけて,うまくいったり失敗したりで,こととしだいの輪郭がクッキリしている.この本で論じられている4つの計画,すなわち銀座煉瓦街計画,東京防火計画,市区改正計画,官庁集中計画,以上4つの計画を,同じ鍋にぶちこみ,ぐつぐつ煮込んだあと,味見すると,あるいは上のような評になるかもしれません.
ところが市区改正計画終了以後,日本の都市計画は見えなくなる.(370頁)
池田は,大正以降の都市計画をざっと眺めて見えてくる人物の中で,その言動が後世の歴史家をうつただ一人といっていいほど際立っている.だいいち,今日,当り前に使われている「都市計画」という言葉を造語し,その内容を決めたのは彼なのである.(374頁)池田宏はよほど傑出した人物なのでしょう.この本全体を通じて,個人の経歴が記述されているのは,池田宏ただ一人です.それというのも「その言動が後世の歴史家をうつただ一人といっていいほど際立っている」とまで池田を著者が評価しているからでしょう.
池田が明治の市区改正を大正の都市計画に変えるに当り,具体的に何をねらったかというと,郊外にいかに良好な住宅地を作るかであった.(略)(明治の市区改正の)欠点を,池田は“区画整理”という新たな都市計画手法で克服し,郊外に進出するサラリーマン層に良好な環境の住いを供給しようとしたのだった.(376頁)明治の計画で無視されていた住まいに関する政策が,ようやく大正8年の都市計画法の中に誕生しています.区画整理に関してはあとでもう一度触れますが,池田の区画整理が現在のそれとイメージが異なることにご注意下さい.
池田が,工業労働者や底辺の人々のために内務省社会局長としてなそうとした政策はいくつかあるが,それらはうまく結実していない.都市計画方面では,同潤会が数少ない実りであった.(376頁)テレビ,新聞で時折お目にかかる同潤会アパートの起源はここにありました.震災後に設立された同潤会は,「政府による最初の住宅供給組織と知られ,戦後の住宅公団,また現在の住宅・整備都市公団の元となるもの」であり,「墨田川流域をはじめとして工業地域に広がる不良住宅を改良することが主な目的」だったとされています.
池田宏は,大正から昭和初期にかけての東京改造のポイントとなる“市区改正”の“都市計画”への改変,震災復興計画の立案,同潤会の設立,といったことのすべてにかかわり,新しい都市の主人公はふつうの人々であるという思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.(377頁)なぜ「全体としてはうまくいかなかった」のでしょうか.著者は続いて次のように述べています.
理由は今日さまざまに探られているが,その最大のものはやはり,彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,法令審議の場をはじめ,時には市民運動を通して,池田を核として打ち出されてくる内務省の都市計画に反対し,肝心なところの骨抜きを行なった.「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があった」という一文に関して,著者は「04年版あとがき」において,再度言及します.後述します.
肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.
大正13年12月,震災復興計画の方向が定まった後,池田は,京都府知事に転出する.内務省の“星”であった彼は東京府知事に上ると省内では目されていたが,彼の思想と行動を嫌がる明治から続く力はまだ十分強かった.
池田の退場とともに戦前の都市計画のレベルは決まり,それ以上には出ていない.(377頁)
でも,そうした中で例外的に,池田宏の率いる都市研究会には興味を持ち,本書の「同時代ライブラリ版に寄せて」のなかで,都市研究会に集った“内務省社会政策派”の活動について,具体的には,内務大臣後藤新平の下で彼らがリードした関東大震災の復興計画について略述した.(379頁)池田の「都市に対する新しい思想」は,復興計画に関するものだったのでしょうか?「90年版あとがき」は,「具体的には,内務大臣後藤新平の下で彼らがリードした関東大震災の復興計画について略述した」ものだったのでしょうか?大正期の都市計画が,震災後の復興計画にすりかえられようとしていることにご注意下さい.
池田らが当初立案した復興計画が不十分に終わった理由の一つとして,「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである」と書いた.(379頁)ウソを書いていると思われます.「90年あとがき」では次のようになっているのです.重要ですから,再掲しました.
池田宏は,大正から昭和初期にかけての東京改造のポイントとなる“市区改正”の“都市計画”への改変,震災復興計画の立案,同潤会の設立,といったことのすべてにかかわり,新しい都市の主人公はふつうの人々であるという思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.理由は今日さまざまに探られているが,その最大のものはやはり,彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,法令審議の場をはじめ,時には市民運動を通して,池田を核として打ち出されてくる内務省の都市計画に反対し,肝心なところの骨抜きを行なった.「90年版あとがき」から池田宏の足跡を抜粋しておきます.
肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.(377頁)
文の中では具体的に触れなかったが,全体としては不十分に終ったが,十分に実行された部分もあって,それが区画整理にほかならない.関東大震災の復興とは,どこまでも広がる下町低地の焼野原に区画整理をほどこすことだったのである.震災後の区画整理に焦点を当て,「十分に実行された」と肯定的に評価しています.区画整理に関しては,すでに紹介したように,池田らはもともとは郊外で「畑や林の虫喰い状態の宅地化」を防ぎ「良好な住宅地を作る」ための「新たな都市計画手法」として導入したのです.「90年版あとがき」にはそのあとに次のような説明があります.
池田がこのサラリーマン住宅のための区画整理の手法を都市計画法に織り込んだ後,しばらくして関東大震災が起こり,池田は帝都復興院計画局長となった.そして,この手法を,既存市街地の焼け跡の再開発の強力な武器として振るうことになるが,それは予期せざる成果であった.(376頁)郊外の良好な宅地を作るための区画整理と,都心再開発のための区画整理では,その性格が全く異なります.前者では,設計面でいろいろ難しいところがあるにせよ,実行面での困難はたいしたことはありません.田畑山林の大地主からまとまった用地を買収するだけの話です.ところが後者ではそうはいきません.
「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力」とは,この区画整理に正面から反対した大地主層の利害を代表する貴族院議員たちだが,大地主にとどまらず,いや時にはそれ以上に反対したのは中小の地主,具体的には商店主や貸家経営者たちだった.大地主中の大地主の三菱の岩崎家などはむしろ土地の無償提供に積極的ですらあったというのに.庶民の味方であるハズの池田に反対したのはほかならぬ「大衆」だということになってしまいました.<バカな大衆たちよ,おまえたちは自分で自分の首をしめているのだ>というわけです.
いってしまえば,一般市民が,大衆が,内務省の区画整理案に対し猛反対に出たのである.(380頁)
池田宏は,・・・・・・といったことのすべてにかかわり,・・・・・・という思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.理由は・・・・・・彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,・・・・・・肝心なところの骨抜きを行なった.すでに述べたように池田に対する反対は,「彼が作った都市計画法」を含め,彼の言動のすべてに対し,常に,あったと思われますが,折角藤森が震災後の復興計画に絞りたいと言っているのですから,ここはそれに従いましょう.すると復興計画において,池田はその負担をできるだけ大地主層にまわそうとしたが,「反対にあって潰れた」ということになります.大地主の利害を代表する「伊東巳代治などの貴族院議員たち」の反対にあって池田は敗れたのです.大地主は守られたのです.区画整理の実施段階において,大地主の反対が全くなかったしても,それはむしろ当然の話なのです.
肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.(377頁)
帝都復興院のなかにも,実現のむずかしさを見越して区画整理に賛成しない考えがあった.断行派に対し慎重派がいた.池田は帝都復興院の計画局長で,佐野は建築局長でした.佐野は帝国大学建築学科教授を兼任しています(専門は耐震理論).大地震後の復興計画ですから,耐震理論を専門とする学者が参画したのでしょう.
断行派の中心が佐野であり,慎重派が実は池田宏だった.(382頁)
予想される猛反対を前に,池田宏は“日好(ひよ)ろう”としていたのである.それをからくも喰い止めたのは佐野利器だった.震災復興計画の本当の芯棒は高級官僚ではなく建築学者だった.(383頁)
(略)当時はまだこのような大規模の市街地の区画整理は外国にも類例のないことで(略)復興院の中でも意見が一致せず容易に決定しなかったときに,博士(佐野利器)は当時の故太田土木局長・十河経理局長などの名理事と共に区画整理主張派の先頭に立って,驚くべき熱意と信念をもってついに主張を貫徹された功績は,当時の博士の部下の一人として忘れることのできない感銘である.(383頁)池田が区画整理手法を「再開発の強力な武器」に転用することに対して,慎重だったのはたぶん間違いないと思われます.問題はそれをもって「ひよった」と表現した著者の姿勢です.
| NO | タイトル | 著者・監修 | 刊行年月 | 発行 |
| 1 | 負ける建築 | 隈 研吾 | 04.03 | 岩波書店 |
| 2 | 箱の家に住みたい | 難波和彦 | 00.09 | 王国社 |
| 3 | 建築に夢をみた | 安藤忠雄 | 02.04 | NHKライブラリ |
| 4 | 男と女の家 | 宮脇 檀 | 98.10 | 新潮社 |
| 5 | 街並みの美学 | 芦原義信 | 01.04 | 岩波現代文庫 |
| 6 | 「綺麗な家」に住もう | 川元邦親 | 01.03 | PHP研究所 |
| 7 | 住まいのつくり方 | 渡辺武信 | 04.09 | 中央公論新社 |
| 8 | 明治の東京計画 | 藤森照信 | 04.11 | 岩波現代文庫 |
| 9 | 近代日本思想案内 | 鹿野政直 | 99.05 | 岩波文庫別冊 |
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分社・持ち株会社制移行に旭化成が踏み切ったのは,03年10月1日のことです. 左は蛭田史郎旭化成社長のインタビュー記事です(日経04年1月12日). 蛭田氏はヘーベルハウスには無縁の方です.赤字だった旭化成マイクロシステムを短期間で高収益会社に変身させた実績を持っておられます.そのときの経験から「多くの事業を一つの物差しで束ねるのは無理がある」ことを痛感し「分社化論者」になりました. 蛭田氏は当時社長の山本一元氏(現常任相談役)と相談して分社化を山口信夫会長に「進言,同意を取り付けるのに成功した」とあります.(成功したと言うからには会長は抵抗したということでしょう.) さて蛭田氏は「連結売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め」と述べておられます. 経営指針に「お客様の視点の重視」とあります.「お客様」もそう見ているのでしょうか. |
| 分社前のロゴ |
01年からAsahiKASEIをグローバルロゴつまり海外市場で使い始めたことがわかります.AsahiKASEIは「私たちは,旭イヒ成です」を象徴するシンボルです.キムタクの番組提供元はAsahiKASEIです.そして分社化の宣伝だけでなくサランラップの宣伝もしていました.サランラップって持株会社の製品でしたっけ.
売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め.肥大化した「見かけ」を利用するのがブランド商法です.そのためには,旭化成ホームズではなく,AsahiKASEI/旭化成ホームズでなければならないのです.
持ち株会社化されている企業グループでは,採用がグループ一括であったり,各事業会社で個別であったり,その企業グループによってさまざまであることをふまえて集計・表示している点をご留意ください.とあります.たまたまこの特集に掲載されている大和証券グループの広告には,「大和証券グループは,持株会社体制によるグループ経営を行なっています」,「グループ会社の事業特性に応じて,コース別に新卒採用を行います」とあります.ランキングには,大和証券グループ本社と大和総研は,同じグループであるにもかかわらず,別会社として登場します.採用が別だからです.一方旭化成グループの採用形態は次のとおりです.
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| これはこの特集記事の17面に掲載された旭化成の募集要項です. ごらんのように旭化成ホームズだけ別枠になっています. したがってランキング中の「旭化成グループ」には同社分は入っていないハズですが,同社は総合上位100社はもちろん,住宅不動産部門の上位10社にも入っていないので本当にそうなっているかどうかは不明です. |
旭化成は早くからオープン&フェアな採用をポリシーに掲げ,採用時期など,従来の応募資格のあらゆる限定を取り払った独自の人材採用を進めてきた.96年に導入した『ボーダレス採用』がそれであり,これはグローバルスタンダードに基づいた人材採用方針であると同時に,旭化成を取り巻く目まぐるしい事業環境の変化や新規事業展開,事業の国際化といった状況に対応するための人材採用方針でもある.名実ともに分社したのなら採用は「グループ会社の事業特性に応じて」各分社が独自に新卒採用してよさそうなものですが,「本社」つまり旭化成「ホールディング」が一括採用するという独自『ボーダレス採用』がいまなお続いています.分社化は形だけということなのでしょう.
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大学生総合ランキング 16位(68位) (旭化成グループより上位は,サントリー,全日空,JTB,トヨタ,JAL,松下,三井物産,資生堂,電通,東京海上,ソニー,損害保険ジャパン,三井住友銀行,日立,富士通) 男女別ランキング 男性 27位(87位) 女性 7位(54位) (女性ランキングで旭化成グループより上位は,JTB,全日空,サントリー,JAL,資生堂,ベネッセ) 文理別ランキング 理系 6位(32位)(右参照) 文系 30位(94位) 大学院生ランキング 11位(36位) (旭化成グループより上位は,トヨタ,松下,サントリー,日立,ホンダ,味の素,キヤノン,花王,日産,ソニー) |
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売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め.と言いつつ,「見かけは大企業」イメージを若者に浸透させた手腕はなかなかのものです.見直しましたよ,蛭田史郎さん.
今回のライブドアによるニッポン放送株の大量取得に関し,自民党内では「日本の風土になじまない」ライブドアへの批判が続出した.ベテラン議員の一人は「竹中を連想したからかな」と打ち明ける.「風見鶏」の言を信じると世の中少しずつ変わっているようです.
競争原理を身にまとって政権入りした竹中氏は,小泉純一郎首相に重用され,すでに4年近くにわたって側近ナンバーワンの地位を維持してきた.政治家のほとんどは「学者なんて,いびり出すのは簡単」とみていたが,予想外にタフで,あの手この手と繰り出してもくじけない.
結論は「やはり,彼は外資だ.日本の常識でははかれない」となる.堀江氏への見方と同じだ.ただ,現実をみれば,竹中氏や堀江氏に違和感を感じる向きは,政界でも少数派になりつつある.
「ごくていこうふくてんこう」.いつものことながら,この広告でも,コスト,効果など具体的なことは一切わかりません.写真の施工例が3階建てであることから,2階建てには関係ない技術かもしれない,という程度しかわかりません.「詳しくはヘーベルハウス各展示場で」ということなので,展示場で質問したとしましょう.
大地震から家族を守ってくれる,
おまじないのつもりで覚えましょう.
想定Q:「ごくていこうふくてんこう」というのはどんな効果があるのですか.インチキ回答ならいくらでも想定できますが,これ以上誠実な回答を想定することは,私にはできません.もし説得力のあるデータが存在するのであれば,全国の消費者の目に触れる全面広告で堂々と謳うハズではありませんか.訊いてくれば教えてやるという態度は,横柄でしかもうさんくさいのです.展示場で何が話されているか,当事者以外に知る人はいないからです.
想定A:あれは3階建て用技術です.3階建ては揺れが大きいのであんな技術が必要となるのです.ヘーベルハウスはもともと耐震性能が優れていますから,2階建てには不要です.
2階床が1階床に比べて,どれだけ揺れるかを測る応答加速度増幅率は1.3から1.4倍.増幅率が2〜2.5倍といわれている一般的な構造の建物に比べて揺れが小さく,足元をすくわれるような急激な揺れや家具の転倒による危険が少なく,室内にいる人命の安全性が極めて高いことが確認されました.ハイムのこの数値とミサワの数値(建物の変形1/8)を,どう比較すべきか不明ですが,制震装置などなくても2階の揺れはもともと少ないというのがハイムの主張です.それは柱と梁を「ボルトを一切使わず,最新技術の工場で非常に堅固な溶接」で接合するボックス構造のため,「エネルギーを家全体に分散し揺れ幅や揺れの加速度を抑えてくれる「粘り抵抗型」」であるためだと,ハイムは主張します.
| 文責不明の解説記事は,熊野コンセプトほどでないにせよ,問題があります.左の写真は解説記事の一部です. 免震と制震が揺れを抑える技術として同格に扱われています.免震技術は,「大手住宅メーカーのほとんどが取り入れており」となっています.いわば旧技術なのです.一方制震技術に関しては,「超高層ビルではすでに一般的だが,最近,一部の住宅メーカーが戸建てにも取り入れ始めた」とあります.こちらの方が新しい技術のような印象を与えます. 免震の効果は,揺れが5分の1と明記されているのに対し,制震の効果は省略されています. 「新技術」なら「旧技術」より効果があるだろう,と思う人がいてなんの不思議もありません. 「詐欺師」なら誤解するほうが悪いときっぱり言うことでしょう. |
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(大見出し) ヘーベルハウスを建てる という防災対策.
(中見出し) 大地にしっかりと根付く, 屋根のあるヘーベルハウス「新大地」. (広告本文) 重量感のある屋根を頂き,大地から生えた大木のようなどっしりとした佇まい. いかにも地震に強そうな安心感を,見る者に抱かせます. 外観のイメージだけではありません. 耐震性にすぐれた独自の鉄骨構造に加え,3階建てのために開発された 揺れのエネルギーを吸収する制震デバイスを,2階建てのこの家でも使っています. 外観デザインも,構造もまさに揺るぎない.壁や床には, ALCコンクリート・ヘーベルを使用しているから,耐火性も抜群です. |
まるで教科書のように地味で一見まじめそうな解説記事を,いかにも旭化成らしい手練手管です.制震デバイス標準装備で,いかにもどっしりとした「新大地」の価格はきっと目をむくほど高いに違いありません.「新大地」はイメージアップ用のフラグシップ商品で実際どれだけ売れるかは問題外だとすれば,いくら高くてもなんの不思議もありません.
まじめに読んだまじめな人が「新大地」の広告を眺めた時,
へえ〜,旭化成は最新技術を商品化しているのだ,さすがまじめな技術の旭化成だ!
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ハイムの全面広告から借用しました. 「地震エネルギーを正面から受け止めて踏ん張る「強度抵抗型」」と「エネルギーを家全体に分散し揺れ幅や揺れの加速度を抑えてくれる「粘り抵抗型」」の比較図です. 「強度抵抗型」の上の図で,プッツンしているあたりに「極低降伏点鋼」を配置するとヘーベルハウス「新大地」型になると考えられます.「おまじない」の効果で「限界を超えても徐々に変形」し倒壊を回避できたとしましょう.こちらは地震後,元に戻るでしょうか. 「粘り抵抗型」では変形が広い範囲に分散し局所の変形は小さいため,地震後は元に戻るということでしょう,たぶん.しかし「おまじない」の場合は,変形は「おまじない」に集中します.ちっぽけな「おまじない」に,大きな躯体を元に戻せる異様な力があるのでしょうか. |
セキスイハイムの構造体に取り付けられた外壁パネルは,建物の揺れを吸収する特殊合成ゴムを使った目地でジョイント.地震の揺れで構造体がある程度しなった時,外壁同士がぶつかり合って壊れたり,はがれたりする心配がありません.構造体のしなりに,互いにずれながら追従して震動エネルギーを吸収した外壁パネルは,揺れが収まれば元の位置に戻るようになっているからです.「外壁の緩みの補修」は必要そうですから完全とはいえないまでも,外壁も「損傷ゼロ」を指向していることは明らかです.ヘーベルハウスの外壁はどうでしょうか.ハイムと違って外壁パネルは大きく重いALCコンクリートパネルです.それは爪状のもので躯体に半固定されていますが,大地震時にはずれます.ずれたパネルは元にもどるのか?
| 同日付,日経新聞の夕刊に掲載された日本商工会議所山口会頭(旭化成会長)のコメントです. 容疑が事実である「とすれば」,「あるまじき行為」であることはわかりきった話です. 山口会頭はこの日,このコメント以外にもしゃべっていました.それは翌日の朝刊各紙に一斉に現われます. |
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| 最初に北城経済同友会代表幹事(日本IBM会長)が登場します.北城は次のように批判と問題提起を行っています.
「『会社は誰のものか』というコーポレートガバナンス(企業統治)の基本問題に対する認識が薄い」と批判.「企業経営者に改めて実効性のあるガバナンスの確立と社会的責任の実践を望みたい」と問題提起した.つづいて日本商工会議所山口会頭(旭化成会長)です.山口会頭は次のように,一つの「見方」を示し,「批判」を行っています. 「(堤前会長は)経済界の人とはあまり付き合いがなかった.裸の王様だったのだろう」との見方を示した.同時に「聞く耳を持たないのではなく,下から怖くて(情報が)上がってこなかったのではないか.気の毒だが自分の責任」と批判した.記事にはそのあと日本経団連副会長の一人(匿名)と東京証券取引所鶴見社長のコメントが載っていますが,中身のない形式的コメントです. 北城と山口のコメントは,批判の質の違い,経済界全体の問題と受け止めているかどうかの二点において,極めて対照的です.山口会頭は自業自得で片付けています.虚偽記載も対岸の火事です.虚偽記載がとおってきたのは監視システムに不備がある証であり,うそを報告している企業は他にもあるに違いないにもかかわらず. 日本IBM会長の北城にとって,堤の前近代的経営は目に余るものだったに違いありません.『会社は誰のものか』に対して,康次郎も義明も『西武は堤家のもの』と考えていました.そして多くの経営者は,本心では,『経営者のもの』と考えているのです. 北城の批判は,核心を突いた格調高いものです.経済専門紙である日経はさすがに,低レベルの単なる「見方」を,「経済界は批判」の見出しにすることはありませんでした. |
1.聞く耳を持たないのではなく,下からは(悪い情報が)上がってこない感じだったんだろう.(サンケイ)この部分に限定すれば,3で示したWEB上のニュースが,未編集の生の発言に近いと思われます.同ニュースでは,この<聞く耳云々>の直前が,「裸の王様だったんだろうと思います」となっています.つまり<聞く耳云々>は「裸の王様」の説明の位置付けです.しかし他紙の扱いは少し違います.
2.聞く耳を持たないのではなく,下から怖くて(情報が)上がってこなかったのではないか.(日経)
3.いろんな意見を聞く耳持たないんじゃなくて、下から上がってこない、怖くて上がってこないという感じだったんだろう.(JNN News)
1.堤は悪い情報も聞く耳もっているが,下からは悪い情報が上がってこない(サンケイ)若き日の堤義明社長は<西武ではどんな情報でも,途中でとどまることなく,私のところまで上がるようにしている.意思決定は私がする.考えるのは私である.部下は私の指示を実行するだけでいい>という意味のことを,テレビのドキュメンタリー番組ではっきり語っています.
2.堤は情報を聞く耳もっているが,下から怖くて情報が上がってこない(日経)
3.堤はいろんな意見を聞く耳もっているが,下から怖くて意見が上がってこない(JNN News)
堤は裸の王様だ,堤は下の意見を聞く耳持っているが,下が怖くて意見を上げないのだ.これは,しかし,わかったようでわからない文です.トップが聞く耳もっているのに,下はどうして「怖くて」意見が言えないのでしょうか.
「自分の地位にふさわしくない者や,手におえないばか者には,見えない」という能書きで,王国全体を,だまします.この能書きはよくできています.
自分の地位にふさわしくない者や,手におえないばか者には,<日本に一着しかない日商会頭という衣の立派さ>は,見えない.地位ある人も,賢い人も,「さすが日商会頭印のブランド品です」と口々に誉めそやしました.ところが一人のぷうたろうには,そのブランド品のよさがまったく見えず,「あっ,裸の王様」だと叫びました.
「なんにも着ていらっしゃらない!」とうとうしまいに,ひとり残らずこう叫びました.これには皇帝もお困りになりました.なぜなら,みんなの言うことがほんとうのように思われたからです.けれども,「いまさら行列をやめるわけにはいかんわい.」とお考えになりました.そこで,なおさらもったいぶってお歩きになりました.そして侍従たちは,ありもしない裳裾をささげて進みましたとさ.(原作より)堤逮捕は突然の出来事ではありませんでした.見解を用意しておく時間的余裕はたっぷりありました.にもかかわらず,「裸の王様」などという中身空っぽ見解しか出せなかったのは,はたして何を意味するのでしょうか?
蛇足に対する蛇足です.月刊『文芸春秋』05年10月号の「朝日新聞が警察に屈した日」の中に,感じていたことにピッタリの言葉がありました.
西武の堤義明氏が検察当局に逮捕された途端,日商山口会頭(旭化成会長)が「裸の王様」だと評したことに対して,水に落ちたイヌを叩く所業だと私は感じたのです.
| この後,15章エピローグを書いていましたが,この間にクボタショック,姉歯ショックと続けて大きな事件が起こり,15章としてまとめることはできなくなりました.その為,15章エピローグはあらたに『隠ぺいの森』という題で独立させました.『寿命すりかえ事件』の続編として,是非『隠ぺいの森』もお読みください.(06年4月8日) |
| 隠ぺいの森 |