作成開始 03.12.15
最終修正 05.03.18


 寿命すりかえ事件

  1.原点
  2.二つの事例
  3.平均寿命
   (1)ストックフロー分析
   (2)環境説とDNA説
   (3)100年住宅
  4.画期的Kコンセプト
  5.ある対話
  6.検証
  7.全面広告に見る業界と建設省の姿勢
  8.日米の家の耐用年数
  9.建て替えサイクルの謎
 10.26年という数字
 11.基礎が危ない!
   (1)耐用年数
   (2)施工における無責任体制
   (3)隠蔽論理
   (4)マンションの耐用年数
   (5)白華現象
 12.土建国家の官僚と御用学者
   (1)建築物の使用年数は延びている
   (2)半減年数
   (3)長期使用の問題点
   (4)御用学者 (コンクリート危機
   (5)真っ赤な嘘
 13.俯瞰
   (1)ドンキホーテ
   (2)箱の家
   (3)モダニズム
   (4)男と女の家
   (5)綺麗な家
   (6)誇り高き建築家
   (7)日本の近代都市計画
   (8)参照図書
 14.蛇足
   (1)旭化成ブランド
   (2)全壊・半壊ゼロから損傷ゼロへ
   (3)裸の王様





1.原点

03年秋,旭化成からいつものように季刊『HEBELIAN(ヘーベリアン)』が送られてきました.A4版に改められ,以前に比べてずいぶん立派な体裁でリニューアル創刊号となっていました(分社を契機にリニューアルされたと思われます).

その裏表紙に98年9月4日の全面広告が,「広告にみるロングライフ/Long Life GALLERY」というタイトルで紹介されていました.

チラリと見て「平均寿命26年」の出所が書かれていることに気づきました.

01年夏の全面広告では出所が省かれていました.この出所不明の26年というのは建て替えサイクルであり,『30年目点検異常なし』などと自慢げに宣伝するのはおかしいと,私はこのサイトで批判しました.同年11月22日の積水ハウスの全面広告では出所が明記され,建て替えサイクルが26年と大きく書かれていました.
××広告賞常連の旭化成がわざわざ5年前の広告を持ち出したのですから,よほどの自信作に違いありません.じっくり鑑賞していくことにします.

へーベルハウスは,高い買い物でしたか?

「多少高くても品質に納得して買った.25年住んでみると,結局安かったと思う」.ある入居者の感想.

私たちは「ライフサイクルコスト」という視点から,60年は快適に住める家づくりを目指しているのです.


日本の住宅の平均寿命は約26年と言われています.(平成8年版建設白書)東京大田区の伊藤様がへーベルハウスを建てたのは,25年前のこと.

普通ならそろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・.

「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」とご主人.

当初の建築費だけ見れば,確かにへーベルハウスは決して安くありません.しかし私たちは,もっと長期的な視点で住まいの「本当の値段」を語るべきじゃないかと思っています.住まいの一生にかかる費用の総額を「ライフサイクルコスト」と言います.これを耐用年数で割った金額(年間ライフサイクルコストと呼んでいます)こそが,「本当の値段」を決める基準ではないか.へーベルハウスは,きちんとメンテナンスすれば60年間建て替えずにすむ家,つまり,この基準で見れば,へーベルハウスは結局安い住宅,と言えるのです.

ロングライフ住宅
ヘーベルハウス

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「ロングライフ住宅ヘーベルハウス」の,エポックメーキングな広告です.

(以下,自画自賛解説が続きます.)



広告の東京都大田区伊藤邸は,ヘーベルハウス販売開始年である72年の翌年に建設されたものです(01年8月17日の全面広告には,72年の前年に建設された「ヘーベルハウス」が登場しました).この広告は,旭化成が言うように正規ユーザの「嬉しくもありがたいお言葉」を「率直に広告として掲載」したものでしょうか.断じて違います.

「25年住んでみると,結局安かったと思う」と「ある入居者」は感想を述べました.メンテナンスコストが安くて,25年で建設コストの高い分が回収できたことがわかったのでしょうか.違います.ヘーベルハウスはメンテナンスコストも高いのです.それでは「安かったと思う」と述べた根拠はいったい何でしょうか.


「安かったと思う」と述べたのは正体不明の「ある入居者」です(99年11月26日の『家は,建てたあとが大事なんだ』全面広告には実際にこう言われた方が登場されています).伊藤氏の感想は次のようなものです.
「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」
伊藤氏にとって建て替えとは,基本構造に致命的な経年劣化が生じた時行うものです.伊藤氏は御自宅の広さ・間取りに不満はないのです.
広告の最後の一文に「ヘーベルハウスはきちんとメンテナンスすれば60年間建て替えずにすむ家」とあります.「きちんとメンテナンスすれば」という条件は極めて重要です.

伊藤邸も25年の間に外壁塗り替え,シーリング補修,防水シート張替えなど十分手入れされたと思われます.その費用は残念ながら不明です.ちなみに15年耐久塗料,30年耐久防水シートの最新ヘーベルハウスでも,屋根・壁のメンテナンスコストは15年時点で220万,30年時点で550万かかるそうです(『それから』の第一部参照).

家の耐久性を問題にする場合,きちんとメンテナンスされていることが大前提です.

さて旭化成は主張します.
日本の住宅の平均寿命は約26年と言われています.(平成8年版建設白書)東京大田区の伊藤様がへーベルハウスを建てたのは,25年前のこと.
普通ならそろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・.
壮年期に大金はたいて新築し,年金生活に入ったら「今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,建て替える為にいろいろ頭を悩ますことになる」・・・なぜか・・・日本の住宅の平均寿命は約26年であり,「普通ならそろそろ建て替えの時期だから」・・・

と旭化成は言っています.この流れの次に伊藤氏の言葉が配置されています.
「うちの場合,基礎も骨組みもへーベル板も25年間何の不具合もありません.中を少しいじれば,子どもの代になっても,建て替えずに住み続けられますね」
<平均寿命26年→築25年でそろそろ建て替えの時期>からわかるように,26年は建て替えサイクルをあらわしています.

問題は,何が原因で,建て替えられるのかです.

伊藤氏の嘘偽りのない感想は,その直前に(日本の住宅の平均寿命は・・・,普通ならそろそろ建て替えの時期・・・)という2つの文が配置されることによって,あるイメージを喚起します.

普通の家は26年で基本構造が劣化し,建て替えざるをえなくなる・・・というイメージです.

このイメージが疑われることなく読者の頭に入れば,広告は大成功です.
ヘーベルハウスは高い買い物ではなくなるのです.
旭化成はこのイメージの住宅を「30年耐用住宅」と名づけています.
「30年耐用住宅」とは,きちんとメンテナンスしても30年で住めなくなる家のことです.

平成8年版建設白書にはどう書かれているのでしょうか.47頁に次の記述があります.

日本の住宅の寿命は,建築時期別のストック統計から試算してみると,過去5年間に除却されたものの平均で約26年,現存住宅の「平均年齢」は約16年と推測されるが,アメリカの住宅については,「平均寿命」が44年,「平均年齢」が約23年,イギリスの住宅については,「平均寿命」が約75年,「平均年齢」が約48年と推測され,日本の住宅のライフサイクルは非常に短いものとなっている.

この理由は,日本は戦後急速に住宅ストックを充実させている中途の段階にあることや,そもそも住宅ストックの質の低さ,リフォームのしにくさ,或いは使い捨てのライフスタイルに合わせて住宅も建て替えにより対応していることなどが考えられる.(以下略)

これが日本の住宅の平均寿命26年の出所です.26年と短い理由が非常に抽象的に述べられています.

「平均寿命」の定義は,「過去5年間に除却されたものの平均」です.地震火事等で除却された数は全体からみれば少数です.また除却後道路などになった割合も少数で,ほとんどは建て替えのため除却されたと考えられます.したがってこの「平均寿命」は建て替えサイクルを意味します.建て替えサイクルは白書によると,日本26年,アメリカ44年,イギリス75年です.


寿命には建て替えサイクルと耐用年数という二つの意味があります.むろん建て替えサイクル<耐用年数です.物理的にはまだまだもつ家であっても壊されるのが建て替えの現実だからです.

旭化成は建設白書の寿命を耐用年数として使っているように見えます.すなわち
建て替えサイクル=耐用年数
であるかのように扱っています.




2.二つの事例

私が住んでいる住宅団地は,昭和42年(’67年)に私鉄が造成した団地です.同じ町内の周辺4ブロックに限ると,55戸の一戸建てと1棟の小規模分譲マンションがあります.私が住み始めて以降この13年で,6件の建て替えが発生しました.

NO 築年数 所有者移転 備考
プレハブ2階建て 22年 プレハブ2階建て あり 旧宅は昭和42年築,86uの6DK
コンクリート2階建て 約20年 プレハブ2階建て あり はじめから新築目的の中古取得
コンクリート2階建て 2数年 木造2階建て あり はじめから新築目的の中古取得
木造2階建て 約30年 鉄骨3階建て なし 高さ2Mの擁壁を壊し1階ガレージに
木造2階建て 約30年 木造2階建て なし 故郷から大工さんを呼び建て替え
プレハブ2階建て 約30年 木造2階建て×2 あり 土地を2分割


わが町に建設白書の平均寿命(解体した家の築年数の平均)を適用すると26年に近い値になります.一方7割以上の住宅は築30年を越えて健在です.

1が我が家の場合です.中古で買った86u,6DKのプレハブ(積水ハウス)は床面積の割に部屋数が多い間取り(1階8,4.5,DK6,2階6,6,4.5,4)でした.狭い上に使いにくい間取りだったので壊したのであり,耐久性に問題があったわけではありません.現に同じ積水ハウス(と思われる)プレハブで昭和45年に建設された一軒(新築時127u,18年後増築して172u,8DK)は,所有者が代わり内外装がリフォームされ立派に現役です.築33年には全く見えません.
1,4,5は,建物の居住水準(広さ,間取り)が低かったため建て替えられました.平成8年版建設白書238頁には次のようにあります.
「終戦直後の420万戸の住宅不足を背景に,戦後の住宅政策は住宅の量的確保の推進に力点がおかれた.その結果,昭和40年代には一世帯一住宅の目標を達成し,量的不足は解消された.昭和50年代以降,居住水準の目標を設定し住宅の質的向上を図っているところである.」

戦争で日本は多くの家が焼けました.戦後の住宅建設は,まず数の確保(一世帯一住宅)を目指しました.そして

昭和43年('68年)に一世帯一住宅の目標を達成. (総住宅数2559万,総世帯数2532万)
先日のNHKアーカイブで67年放映の「新住宅難時代」が少しだけ紹介されていました.終戦直後の住宅難時代はまず住む家がほしいという住宅難,「新」住宅難時代はより広く快適な住環境を求めて人が殺到した時代でした.「質」の向上時代の入り口だったのです.

わが町も後に出てくる「ハイムニュータウン」もこの頃に造成されました.
昭和40年代後半から質の向上へと向かいました.質とは,まずなにをおいても広さです(昭和31年の公団団地は40uの2DKでした).一戸建て持家(建設白書は持家と建売を区別しています)の床面積は昭和43年でようやく90u,昭和53年で115u,平成に入ってから140u弱で推移しています.
現在でも「一人あたりの住宅床面積は英独仏の約40uに比べ33uにとどまるなど,質的な面についてはまだ十分とはいえない」(平成15年版国土交通白書)そうです.衣食住の住ではいまだに欧米諸国に追いついていないのです.(一人当たり床面積は,日本33u,英43u,独42u,仏39u,米58uです.)
昭和42年に建設された86uの6DKは,建設当時は平均的大きさでしたが,20年後には平均を大きく下回る小さな家になっていたのです.欧米でこんな事は考えられません.日本特有です.

これが日本の建て替えサイクルが短い主因だと私は考えます.戦後に建てられた古い家は一般に小さいのです.こうしてしばしば増築が発生し,あるいは潰して建て替えられたのです.


どうして小さな家になったのでしょうか.日本がまだ貧しかったからですが,家も土地も日本では高すぎるからでもあります.狭い国土に人口が多く,とりわけ土地の値段が諸外国に比べて高いのです.これが日本ではつねに根本にあります.

土地が超高値の場合を考えましょう.土地バブル期の日本がまさにそうです.

日本は平成のはじめをピークとした土地バブルを経験しています.地価公示でいくと,昭和61年から上がり始め5年後の平成3年に東京圏で2.5倍,大阪圏で3倍にも高騰しました.1億を越える住宅はざらにありました.

このバブル期に土地を求め家を建てた人は,土地処分,株売却等で億を超える資金が調達できた人です.彼らにとって1億の土地に建っている中古建物はどう見えるでしょうか.あかの他人が住んでいた家は,それがどんなに築年数の浅い立派な家であろうと,彼らにとってすべて「古屋」です.潰して建て替えるでしょう.(わが町の例でいくと,2と3がバブル期に土地の所有権移転が行われました.)

平成8年版建設白書の「平均寿命」は,バブル絶頂の平成3年から,6掛け水準に落ちた平成7年にかけて「除却」された家の平均築年数です(平成7年でも現在の土地価格より5割高い水準です).つまり

寿命26年という値は,建物の価値が土地にくらべてゴミだった特異な時期の統計です.

ちなみに建設白書を平成9年版から平成12年版まで,そして国土交通白書の平成13年版以降を調べましたが,「平均寿命」の記述は消えています.これは何を意味するか?
反対に土地が超格安だとしましょう.すると築22年,86uの6DKでもまだ住めるのですから転売されます.車の場合と同じように,所有者を変えながら,耐用年数に達して「廃車」すなわち解体されるまで使われるでしょう.産業廃棄物を最小限にするという環境の立場からいえばこれが理想です.

土地の高い日本ではこうはなりません.いくら建物が安くなっても中古住宅の価格は土地値までであり,「廃車」になるまで住みつぶしてくれる人の手には入らないのです.土地が高く住み替えの習慣のあまりなかった日本では,建物は耐久性が尽きる前に建て替えられるのが普通です.


家を建てることは日本では昔から一生に一度の大事業でした.家は高いのです.家を建てる人はそれだけの現金が用意できた人であり(頭金ゼロの住宅ローンなどなかった時代です),一生住むつもりで家を建ててきました.そして日本には優れた木造家屋の伝統があります.

敗戦直後の混乱期を経て,「もはや戦後ではない」昭和30年代以降の日本の普通の家は,手入れさえ怠らなければ40年,50年もってあたりまえです.小さな家であったのは仕方なかったにせよ,先人たちは,26年で基本構造劣化で住めなくなるようなちゃちな家を作ってきたわけではないのです.

03年10月24日の日経掲載のロングライフ住宅/ヘーベルハウスの全面広告の中に,築21年のへーベルハウス解体の例が出ています.そこには「諸事情により」解体することになったとあります.


ヘーベルハウスの場合だけ諸事情による建て替えで,他の建て替えは耐久性が尽きたためというのでは,あまりにもご都合主義です.ヘーベルハウスに限らず建て替えの多くは耐久性以外の「諸事情」で発生するのです.

狭すぎる,間取りが使いにくい,メンテナンスコストがかさみすぎる,所有者が代わり古屋が気に入らない,道路用地に半分かかった・・・等々にはじまって隣近所が建て替えラッシュで見栄を張ったに至るまでいろいろの「諸事情」で建て替えられるのです.


わが町の例よりずっと広い範囲の事例が丁度いい時期に新聞に載りました.
04年正月元旦の朝日新聞家庭欄から採りました.わが団地と同世代のニュータウンの例です.奇しくも東京都伊藤邸のヘーベルハウスと同じ73年築のハイムです.

70年から78年の8年間に建てられた約2万棟の7割が現役だとあります.解体された家の「平均寿命」は26年と大差ないでしょう.しかしこのニュータウンの家の耐用年数が26年どころでないことは明らかです.

ハイムは時代を画する革新的な住宅でしたが,こと耐久性に関しては普通の家だと私は思います.普通の家でも,30年で5回外壁を塗り替えるほど大事にすれば長持ちするのです.

旭化成は築25年のヘーベルハウスを大々的に宣伝しました.しかしそれは本来なんの宣伝にもならない,当たり前のことなのです.(25年間手入れ不要というのなら話は別です.)

当たり前のことを,旭化成は建設白書の寿命26年とセットにすることによって,センセーショナルな全面広告に仕立てたのです.

(すべてがハイムではないでしょうが,このニュータウンをハイムニュータウンと呼ぶことにします.)



3.平均寿命

(1)ストックフロー分析

平均寿命に関しては,ストック数(現存住宅数)をフロー数(年間新築戸数)で割った値が使われる場合があります.これでいくとアメリカは100年,イギリスは140年といった驚くような値になります.新築戸数の多い日本はこの定義でも,例えば93年の新築戸数を採用すると30年になります.

出所平均寿命の定義日本アメリカイギリス
平成8年版建設白書潰された家の築年数の平均26年44年75年
ストックフロー分析現存住宅数/ 新築戸数 30年100年140年


現存住宅数は比較的安定した大きな量(例えば5000万戸)ですが,新築戸数は変動の多い量です.10年の間に180万戸から120万戸も変動する日本の場合,どの年度の新築戸数をとるのか,あるいは何年間の平均をとるのかによって平均寿命は大きく変わります.もし不景気が続き新築戸数が年間50万戸で低迷すると,平均寿命は100年になるのです.

人間の平均寿命にストックフロー分析を適用してみます.70年代前半の第二次ベビーブームの頃は総人口約1億1千万,出生数が約200万で「平均寿命」は約55年,00年では総人口1億2700万,出生数が119万で「平均寿命」は107年になります.生命表に基づいた普通使われている平均寿命は75年で男72年,女77年,00年で男78年,女85年です.
一方建設白書の平均寿命は,いわば寿命そのものの実測値です.旭化成は建設白書の平均寿命だけ使用しています.一方ミサワホームは主にストックフロー分析を使用しています.

建設白書の平均寿命は建て替えサイクルという意味がはっきりしているのに比べ,ストックフロー分析の方は意味があいまいですが,ミサワは耐用年数の意味で使っています.


(2)環境説とDNA説


人間の平均寿命について考えてみましょう.A国の平均寿命が100年,B国が30年だとします.この極端な差に対して,二つの見方があります.

B国は,医療設備が整わず,乳幼児の死亡率が高いのだろう,部族間で内戦している為だろう・・・などと,広い意味で環境に原因を求めるのが一つの見方です.これを環境説と呼んでおきます.環境説の根底には,そもそも同じ人間だから,寿命に大差があるはずがないという常識があります.

世界で一番平均寿命の短い国は西アフリカのシエラレオネという人口500万の小さな国だそうです.95年の統計で男32.95歳,女35.90歳です.この国は,内戦が10年以上続き,5万人が内戦で命を落とし,100万人がホームレスになっているといわれています.
すべての人が老衰で死ぬような恵まれた環境下での寿命を本来の寿命としておきますと,B国は環境が劣悪なため本来の寿命よりずっと短い,環境を改善すれば大幅に延びると,環境説では考えます.本来の寿命がどれくらいかはわかりませんが,A国の平均寿命100年より長いのは確かです.

もう一つの見方は,そもそもB国の人は,遺伝的に短命なのだと考える立場です.これをDNA説と呼んでおきます.DNA説では死亡理由は問わず寿命は寿命であり,平均寿命=本来の寿命です.寿命を延ばすにはDNAを優秀なものに取り替えて人種改良するしかないと考えます.


さて住宅の寿命の話に移ります.アメリカと日本の家はどちらも木造主体です.両国の家の寿命を比較します.

住宅の寿命には建て替えサイクルと耐用年数という二つの意味があります.建て替えサイクルは,人が老衰以外にも種々の理由で死ぬように,家が諸事情で壊された時の平均築年数です.環境説では,耐用年数が人の場合の本来の寿命に相当し(住めなくなるまで住み潰した時の年数),もちろん建て替えサイクル<耐用年数です.一方DNA説では建て替えサイクル=耐用年数です.


設問1:アメリカは44年,なのに日本の家の建て替えサイクルはなぜ26年なの?

環境説は自然環境,経済環境,歴史などに違いを求めます(第10章参照).一方DNA説では住宅そのもののつくりに違いを求めます.

DNA説では日本の家の耐用年数は26年,アメリカの家の耐用年数は44年です.アメリカなみに建て替えサイクルを延ばすには,たとえばアメリカの家の1.5倍の耐久性をもつヘーベルハウスに建て替えることが必要だと唱えます.

これがDNA説の本家本元ですが,意外にも建設省と旭化成だけがこう唱えています.DNA説の多数派は設問1は相手にせず,次の設問2に答えます.

設問2:アメリカは100年,なのに日本の家の耐用年数はなぜ30年なの?

日米間の家の耐用年数に3倍以上の差がある,つまり家のつくりにそれだけの差があることを認めています.この設問はDNA派内だけで通用する設問で環境説の入り込む余地はありません.ミサワを旗手に多くの業者がこの設問をふりかざします.

建設省・旭化成のDNA派本家とはっきり違う点は,アメリカの家の耐用年数を100年としている点です.にもかかわらず奇妙にも,日本の家の耐用年数に関しては,ミサワは本家と同じ26年(30年)を採用しています.本家は日本の家のつくりはアメリカに比べてぼろいと主張し,ミサワはずっとずっとぼろい,話にならないほどぼろいと主張しているのです.




(3)100年住宅

ミサワホームは,平成8年「GENIUS 蔵のある家」という住宅でCHS(センチュリーハウジングシステム)のCHS60型(期待される耐用年数が50〜100年)の認可を受けました.ミサワが長寿命住宅のトップランナーであったとは・・・恥ずかしながら認識不足でした.

04年元旦のミサワ全面広告(『「いちばん家を建ててみたい会社」であり続けます』)によると,現在はミサワの全商品(アパートを除く)がCHS60型の認定を受けており,「ミサワが必要と認めた有料のメンテナンス及び工事を行うことにより,50〜100年間お住みいただけます」となっています.
同広告によると,ミサワは業界初のグッドデザイン賞に認定されて以来,14年連続受賞とあります.住宅そのもののデザインが評価されているのですから,××広告賞受賞とは重みがまったく違います.
「蔵のある」高級仕様の家だけでなく,低価格商品でも100年もたせることは可能であるということです.ミサワの家になにか特別な秘密があるのでしょうか.

ミサワの平田俊次氏は『柱の太さで家を決めるな!』(プレジデント社,2002年)の中で次のように述べています.(同書178頁)
アメリカの住宅寿命の平均は103年ですが,アメリカの多くの住宅はツーバイフォー(2×4)工法の木造です.(略)日本と同じように「木」を構造材に使いながら住宅寿命が約3倍になるのは,ツーバイフォー工法が特別に耐久性に優れているからということではありません.日本人とアメリカ人の住宅に対する価値観の差が,住宅寿命の差になっているのです.
平田氏はミサワのキーマンの一人です(00年10月6日の『100年楽しく.100年美しく』というミサワホーム全面広告で技術部次長として登場されています).彼のここの説明は非常に重要です.

彼は日米間に3倍の寿命差があり,その差は構造の差ではなく「価値観」の差だと明言しています.
日米間で建て替えサイクルに3倍もの差はありません(日本26年,アメリカ44年です).したがってこの寿命差というのは耐用年数の差を意味していると考えられます.

平田氏は3倍もの耐用年数の差を「価値観の差」といった,まるで雲をつかむような話で説明しています.それが何を意味するかは後で明らかになります.

平田氏の話は次のように続きます.(詳しくは同書をお読み下さい.)

・・・米政府は世界恐慌の影響で大不況に陥った1930年代,「市場価値が高く,将来にわたって転売価格が高い住宅」,「プランや使われている材料が単純な住宅」を奨励する方策をニューディール政策の一環として打ち出した.これを契機に,アメリカ人の「家と付き合う姿勢」が大きく変わり,家を資産と考え大切にメンテナンスするようになった.家族総出で休日ごとに壁のペンキを塗り直すようになった・・・

家のつくりがシンプルで簡単にメンテナンスできる,必要な建材・塗料もDIYの店で安価に入手できる,業者任せでなく自分でメンテすることによってコストも押さえられている・・・のでしょう.一方ミサワ100年住宅の方はどうでしょうか.平田氏は次のように述べています.
良好な状態で100年住もうと思えば,新築一棟分の経費がかかると覚悟すべきです.

(屋根の葺き替え,外装や内装の取り替え以外に)水回り一つとっても,管やパッキンなど修理・修繕が適切な時期に必要であり,家全体の部材・部品の交換や補修を考えると,100年の間には一棟分ほどの費用がかかってしまうものです.適切な時期に費用を惜しんで交換や補修をしないと,結果として重大なトラブルが生じ,家に深刻なダメージを与えてしまうわけです.早めにメンテナンスしてこそ,家は長持ちするのであって,後手後手に回ると100年どころか,10年ももたないこともある.(同書172頁)
これをどう評価するかはお任せします.とにかく金をかければミサワの家は100年もつのです.


メンテナンスコストと言えば,04年1月10日朝日掲載のセキスイハイムの全面広告(『「エコハイム」の7つの”際立ち”をご紹介』)に次のように書かれています.
省資源の視点から,メンテナンスコストの手間や費用がほとんどかからない高耐久性のタイル外壁やステンレス屋根を採用.
現在のハイムでは30年で5回塗り替えは,すでに過去の話になっています.この話といい,「基礎を除き約7割の再利用が可能」な「再築システムの家」といい,ハイムはなかなかやります.


4.画期的Kコンセプト

年明けの04年1月7日,私は喫茶店からの帰りに地元の図書館に寄りました.98年9月4日全面広告を念の為,朝日新聞縮刷版で確認しておこうと思ったからです.私は驚くべきものを見てしまいました.

私は『へーべリアン(03年秋リニューアル創刊号)』の裏表紙に掲載された全面広告を見て,建て替えサイクルを耐用年数に密かにすりかえようとしていると思いましたが,違いました.

全面広告は2面にわたっていたのです.2面目(下の写真)はご覧のように紙面中央に大きく「日本の住宅が26年しかもたないって本当ですか?」とあります.そのものずばりの疑問ではありませんか!

2面目の先頭部分は以下のようになっています.
[日本の家の寿命が短いのはどうしてですか?]

建設白書のデータによると,住宅の平均寿命(その年に壊した建物の築年数の平均)はイギリス75年,アメリカ44年に対して,日本は約26年(図1).人生80年といわれる現代の日本にあって,この数字ではあまりに短いとお感じになる方が多いのではないでしょうか.

日本の住宅の平均寿命が他国と比べこれほど短いのはなぜか.その理由として,まず,建物の物理的な耐久性に問題があったことがあげられます.戦後,日本の住宅は「質」よりもまず「量」を確保することが先決という時代がしばらく続きました.その時期につくられた住宅は耐久性という面では必ずしも十分ではなかった.これが理由の一つです.

もう一つは文化的な側面.欧米では,一定の場所にずっと住むのではなく,家族の変化に合わせて住み替えるという文化が定着しています.これに対して日本は定住志向が強い.家族が増えても減ってもその土地にずっと住みたいと考える.物理的にはまだまだもつ家であっても,家族の変化についてこられなければ,壊してしまうわけです.ある程度,面積に余裕がある場合はその変化を吸収できますが,近年の特に都市部の住宅事情では難しい.これらが住宅寿命を短くしている要因であると考えられます.


紙面中央の「26年しかもたないって本当?」という疑問文に,「短いのはどうして?」という小見出しの疑問文が続いていますが,大見出しに対する答えは
建設白書のデータによると,住宅の平均寿命(その年に壊した建物の築年数の平均)はイギリス75年,アメリカ44年に対して,日本は約26年(図1).
で尽きています.(人生80年云々からは「短いのはどうして?」に対する話に移っています.)

つまり「26年しかもたないって本当?」という疑問に対して,建設白書に書いてあるとおり本当だと答えたのです.次のように話がすりかわりました.
「平均寿命」26年(=建て替えサイクル)→→→ 26年しかもたない(=耐用年数26年)
旭化成は密かにではなく,堂々と目の前ですりかえていたのです.


大見出しに興味を持った人は,そうか建設白書に日本の家は26年しかもたないと書いてあるのかと思ったでしょう.だまされたのです.建設白書にそんなことは書かれていないのです.

もつ,もたないという日本語は,普通には物理的耐久性を意味します.しかし普通でない詐欺師は,そう思うのは素人で,もっと広義の「もつ」だと詭弁を展開します.

なぜ短いのか,旭化成の見解を聞いておきましょう.旭化成は二つの理由をあげました.

ホラご覧下さい.寿命が短い理由の先頭に,「まず」,物理的耐久性不足をあげています.戦後日本の住宅史において「質」とは広さです.質を耐久性にすりかえてぼろいと言っているではありませんか.

ここの説明は非常にわかりやすい説明です.このいかにも「俗耳に入りやすい」説明がはたして真実かどうか,第6章で徹底検証します.


二つ目の「文化的側面」は,一つ目の単純さにくらべ,ずっと複雑です.
日本は定住志向が強い→住み替えしない→家族の変化についていくため建て替える,という流れになっています.
家族の変化とは,多くの場合,子供が増えたり子供が大きくなって独立スペースが必要になることを意味します.短い文の中に「家族の変化に合わせて」,「家族が増えても減っても」,「家族の変化についてこられなければ」,「その変化」と4箇所も家族の変化が出ています.
旭化成は次のように述べています.



1.物理的にはまだまだもつ家であっても,家族の変化についてこられなければ,壊してしまうわけです.
2.ある程度,面積に余裕がある場合はその変化を吸収できますが,近年の特に都市部の住宅事情では難しい.

1で「物理的にまだまだもつ家」の建て替えは「家族の変化に対応できない為」に単純化されました.多岐にわたる「諸事情」は,「家族の変化に対応できない為」に単純化されたのです.「家族の変化」を何度も強調しているのは,単純化していることを隠したいためかもしれません.

2は一見すると単なる補足説明に見えますが,これが実はちょっと曲者です.
家が大きい場合は,家族の変化に対応するための増築も建て替えも不要であることは明らかです.したがって1と2は,昔も今も,都市でも田舎でも,家が小さい場合の話です.

2をひとまず無視すれば,旭化成の説明は次のように書き換えればわかりやすい文になります.

<物理的にはまだまだもつ家であっても,家が狭ければ,家族の変化に対応するために増築したり建て替える>

しかしこの当たり前の文では旭化成は困るのです.そこに詐欺師の苦労があります.


さて2の文の分析に移りましょう.旭化成は何が言いたいのでしょうか.

まず面積とは何でしょうか.1と2の全体は,家が小さいすなわち床面積が小さい場合の話ですから,この面積は土地面積のことだと考えられます.

土地に余裕のある場合は,増築すれば家を壊さずにすみます.ただし「近年の特に都市部の住宅事情では難しい」と旭化成は述べています.これはつまり土地の狭い都市部では増築が難しいと述べていることになります.

狭小敷地でも容積率に余裕があれば,2階の増築は可能ですから,旭化成が想定しているイメージは次のようなものであることがわかります.

狭小敷地に建蔽率・容積率ぎりぎりに建てられた都市部の小さな家
日本の家の寿命26年の説明に,これを持ち出しているのですから,旭化成はこのイメージの住宅が日本の普通の家であるとしていることを忘れてはなりません.


さてこのような家で家族の変化に対応するには,方法は二つです.建て替えるか,間取り変更つまりリフォームです.建て替えといっても,すでにぎりぎりまで「大きい」家ですから,広さ変わらずで間取り変更のための建て替えです.

旭化成は少し後ろで次のように述べています.

一般に「耐久性」というと物理的な耐久性のことを思い浮かべる方が多いと思いますが,当社では物理的,機能的,サービス面の3つの視点から,長寿命住宅の家づくりが必要と考えています.
物理的耐久性を思い浮かべるのは素人で,耐久性にはこんな複雑な側面があるというのです(ここだけ勝手に「」付き耐久性を使用しています).このうちサービス面については『塗料すりかえ事件』と『それから』で,とことん中身のないことを示しました.

では耐久性の機能的側面とは何でしょうか? 旭化成は更に後ろで次のように述べています.

構造壁や構造柱に邪魔をされない広い居住空間(ユニバーサル空間)を確保しておくことで,将来のライフスタイルや家族構成の変化に合わせて柔軟な間取りの変化が可能になります.実はこの柔軟性が住まいの寿命を大きく左右します.
こうしてようやく「文化的側面」の真意が明らかになりました.

狭いから建て替えられるのではなく,

 都市部では増築や大きい家に建て替えるのは難しい
 家族の変化に対応するには,間取りの変更が必須だ
 ところが日本の家は柔軟性に欠けているから,建て替えられる

と,旭化成は言いたいのです.

これは「狭小敷地に建蔽率・容積率ぎりぎりに建てられた都市部の小さな家」の建て替えサイクルが短いことに対する旭化成の見解です.日本の普通の家に対する見解とはいえないことを強調しておきます.


ところで柔軟性不足って本当?

まず耐久性不足,第二に柔軟性不足とはっきり書いていないのは,なぜ?

日本の家屋がどんなに自在に間取りを変更できるかは,『大改造!! 劇的ビフォーアフター』(第8章参照)を見ている人には常識です.柔軟性欠如をもって,日本の家を貶めるのは,とんでもない言いがかりです.
よほどの間抜けが相手でない限り,日本の家は柔軟性不足だという話は信じさせることができないのです.だからこそ「文化的側面」,「都市部の住宅事情」で化粧した難解な表現になっているのです.


なぜ柔軟性不足にこだわる必要があるのでしょうか.実は絶対にこれが必要なのです.

「物理的にはまだまだもつ家であっても壊してしまう」のが,旭化成も認める建て替えの真実であり,
この真実に対して,耐久性不足にこじつけられる理由付けが絶対に必要なのです.


家が狭いということは,いくら詭弁を弄しても,耐久性には絶対に結びつきません.
ところが柔軟性不足なら,耐久性に「」を付け,「耐久性」とは,1.物理的耐久性(=素人が考える耐久性),2.機能的耐久性(=柔軟性)であるということにすればいいと,詐欺師は考えるのです.

家が狭いことは,家の責任ではありません.施主に金がなかっただけです.
旭化成はあくまで家の責任にしたいのです.耐久性不足といい柔軟性不足といい,いずれも家のつくりに関わる事柄です.

建て替えサイクルが短いのは家に「耐久性」がないからだ,つまり建て替えサイクル=耐用年数だと言いたいのです.これが詐欺師の目標です.

そう言いながらも旭化成自身は,柔軟性不足より耐久性不足を圧倒的に「信頼」していることは,1面をみれば明白です.

柔軟性不足は,それが本当でないことは馬鹿でもわかる,そして柔軟性に関しヘーベルハウスに何の優位性もない,という意味で二重にお飾りです.このお飾りの方を真に受けた馬鹿なメーカーがありますが.
東京都伊藤邸が今日あることに,ヘーベルハウスの柔軟性はなんの寄与もしていません.そして比較対象である「普通の家」は,伊藤邸と同じような広さ,間取りの家でなければなりません.狭小敷地に建つ「柔軟性不足」の小さな家であってはなりません.ところが「普通の家」の場合には25年経つと
そろそろ建て替えの時期を迎え,今までの蓄えから頭金を捻出したり,銀行ローンの借り入れなど,いろいろ頭を悩ますことになるはずでした・・・.
と旭化成は言っているのです.広義の「もつ」だなどという詭弁は許しません.


表題の馬鹿でかい「CONCEPT」をご覧下さい.詐欺師は「画期的」コンセプトに自信満々,舞い上がったのです.嘘はみみっちくつくのでなく,大きくつくべし,イッヒッヒ!


この広告記事は談話をもとにしたものです.誰が騙ったのでしょうか.

旭化成ロングライフ住宅研究所熊野勲所長です. (同研究所は研究員8名で同年4月16日設立).

家族の将来対応をいかに家に仕組むかが「最大の課題」だそうです.床面積140uの現在の住宅でこんな仕組みはニッチ機能です.30年前の90uの時代なら,4畳2間を8畳に簡単にできることは,少しは意味があったでしょう.建て替えサイクルも31年くらいにはなったでしょう.


「最大の」課題としていること自体,木造家屋に比べヘーベルハウスに「柔軟性」が欠けていたことの証です.木造ではできて当たり前の増築を,01年の全面広告では「試験棟」まで持ち出して増築可能と宣伝しています.

旭化成はその後この「最大の課題」に沿ったと思われるPAOを発表しています.「まず箱ありき」,中はむかしの田の字住宅のように自在に変更可能・・・そして「設計不要コンセプト」です.しかしどうもミサワの後塵を拝したようです(後述).


気になっていたことがありました.「超特大CONCEPT」の左上の隅に小さく「企画・制作 朝日新聞広告局」とあったことです.3月12日隣町の図書館で確かめたところ,日経には,「超特大CONCEPT」はありませんでした(1面の方はもちろんありました).その後,超特大CONCEPTは,朝日のシリーズの表題であることがわかりました.

朝日はインチキの片棒を担いだのですが,結果として,朝日だけが広告に根拠がないことを証明する記事を同時に掲載したことになります.

日経縮刷版をパラパラ見ていたら,1週間後の9月11日付け『三井ホームの家は,何年住めますか』というタイトルの三井ホームの全面広告が目にとまりました.

熊野氏の苦心の結晶である「もつ」を抜け目なくぱくっています.この全面広告は熊野コンセプトの尻馬に乗ったもっとも素朴な形です.



終身会長山口氏,住宅事業総責任者土屋氏,そして今回登場の参謀熊田氏と,『知らぬが仏』の旭化成側の主役が出揃いました.

三役揃い踏みです.



「日本の家の寿命が短いのはどうしてですか?」という最初の問いに対する答え(上で全文引用)は全体の約4分の1を占めています.残りは次の問いに対する回答です.
「なぜ,今「ロングライフ住宅」なのですか?」
「ロングライフ住宅が満たすべき条件とは?」
「住宅のライフサイクルコストとは何ですか?」
「ロングライフ住宅を充実させていく上での課題は?」
これらは旭化成が考えるロングライフ住宅コンセプトの説明です.

「超特大CONCEPT」を二つに分け,最初の問いに対する答えを熊野コンセプト,残りの問いに対する答えを旭化成ロングライフ住宅コンセプトとしておきます.二つのコンセプトは,ライフサイクルコストのところで密に関連します.旭化成ロングライフ住宅コンセプトの土台は熊野コンセプトです.

熊野コンセプトとは建て替えサイクル=耐用年数という真っ赤な嘘に立脚した日本の住宅26年(あるいは30年)耐用説です.

もし熊野コンセプトが正しければ,ヘーベルハウスは普通の家の2倍以上長持ちする画期的住宅であることになります.ミサワの家は普通の家の3倍以上長持ちする超画期的住宅になります.

もし熊野コンセプトが偽であれば,普通の家は26年しかもたない,ヘーベルハウスは60年もつ,長い目でみれば安上がりだと宣伝しつつ,旭化成がヘーベルハウスを売っていることは,たとえ60年もつことが真実であったとしても,詐欺になると思われます.ミサワホームに対しても同じことが言えます.


5.ある対話

前に引用した『柱の太さで家を決めるな!』(プレジデント社,02年刊)の中に
アメリカは100年,なのに日本の家の寿命はなぜ30年なの?
というタイトルの一節があります(162頁).3章の設問の出所はここです.この本はミサワの平田俊次氏(表紙の肩書きは「住まいの耐震と安全を考える会」主宰)とジャーナリストT氏の共著で,この一節は対話形式になっています.


さてT氏は95年阪神淡路大震災で「古い家は危ない」というイメージが定着し,住宅業界はこの機とばかり「建て替え需要」を煽ったと話を切り出します.

平田氏 「古い住宅でも構造の専門家が診断して,適正な補強をすれば,必ずしも建て替える必要はないんですけどね.」

T氏 「それを怠って,業界が「古い住宅は危険」などと言うのは建て替えで儲けんがためといわれても仕方がない.日本の住宅の平均寿命がわずか30年で,中古住宅市場が貧困なのもきちんとした「住宅診断システム」がないからじゃないですか」

T氏は,<平均寿命30年問題>も<中古住宅問題>も「住宅診断システム」の欠如に起因するとしています.中古住宅問題とは,日本の中古住宅の流通戸数が英米に比べて1桁少ないことを指しています.

この二つの問題の間にはたしかに関連があるかもしれません.日本はアメリカに比べ住み替え回数が少ないと言われています(どこかのメーカーによると漱石は30回ほど住み替えたそうですが).住まいが要件に合わなくなった時,住み替えずに建て替えてしまうから,建て替えサイクルが短くなり中古として市場に出る量が少なくなるというわけです.

しかしこの二つの問題と住宅の質との間に関連があるかどうかは明らかではありません.しかし日本の権威たちは,両問題とも住宅の品質の問題だとしています(第7章参照).T氏もそう考えているようです.
平田氏 「住宅を診断するシステムがないため,平均寿命が短いという側面は否定しきれません.しかしその責任のすべてが住宅業界にあると責められるとちょっときつい.古い住宅でも厳格に診断し,適正な補強さえすれば,十分に耐震上の安全は確保できる.家の築年数と耐用年数はほとんど関係ないんです.」

阪神淡路大震災から丁度9年目の04年1月17日朝,テレビに登場した横浜市中田市長によれば,横浜市は無償で耐震診断を実施し,倒壊の危険ありとされた家(診断を受けた家の実に50%!)に対して耐震補強の工事費用を助成(最大で540万円)しているそうです.自治体でもすすんでいるところはここまでやっています.

平田氏のコメントはたいへん重要です.耐震性は耐久性とは別の概念です.日本の家をとりまく環境は,地震という面でたいへん苛酷な環境です.アメリカなら100年もつ家であっても,日本では危険な家です.そして危険な家は,適切な耐震補強を行えば,もし耐久性のある家なら建て替えずとも安全は確保できるのです.

耐震性はここでは深入りしません.なぜなら今問題にしている「平均寿命30年」は,仮に日本が地震ゼロの国であってもせいぜい「平均寿命31年」になるだけだからです(それどころかもし地震ゼロだとすると,地震で倒壊する家はやはり古い家が多いでしょうから,平均寿命はかえって短くなるかもしれません).
T氏 「要は「平均寿命30年」という数字をどう見るかです.これは「不要な建て替え」を迫られている人が多いことの裏返しでもある.「住宅業界に責任のすべてがあるわけじゃない」とおっしゃいますが,少なくとも「責任の大半は業界にある」と批判されても反論できないはずです.」

戦後の建て替えが「不要な建て替え」であった結果,「建て替えサイクル30年」になったのではなく,98年以降「不要な建て替え」を実現するために業界は「耐用年数30年」を使ったのです.
平田氏 「住宅業界がこぞって不安を煽り,建て替えを強要しているかのような言い方は誤解を招くと思います.日本の住宅の平均寿命が30年に満たないのは問題であるにしても,そこにはいろいろな要素が作用していると思います.」
旭化成熊野氏は4年前の98年に,平均寿命30年は第一に耐久性不足,第2に文化的側面の違いだと説明しました.一方平田氏はごらんのように一言も理由を述べておられません.

日本の家26年耐用説を唱えているDNA派が「こぞって不安を煽り,建て替えを強要している」ことは疑いようがありません.
T氏 「アメリカとは事情が違うにしても,この国の住宅の耐用年数は100年を越えるといいます.フランスが90年ほどです.アメリカでは中古住宅の取引が新築の27倍で,住宅市場の中心は中古の住宅ですよ.それだけ住宅診断システムがしっかりしているということでしょう.」

T氏は100年を耐用年数の意味で使っています.30年の方も当然耐用年数の意味で使っています.一方平田氏は本の中で,1)アメリカの平均寿命は103年,2)日米の寿命差は3倍,3)日本の建て替えサイクルは30年と述べておられます.平田氏もT氏と同意見であることは明らかです.

平田氏がはっきり意見をいわないため,T氏はまた住宅診断システム主犯説を繰り返しています.
このあと平田氏がアメリカのインスペクター制度を紹介し,T氏がそれに比べ日本の中古住宅に対する品質評価はいかにもお粗末だと応じたあと次のように締めくくられます.

平田氏 「最近は新築住宅販売の冷え込みを反映して,住宅業界でも,家を大切にして長く住んでもらおうという機運が生まれてきています.」

T氏 「遅きに失していますね.築10年もしたら二束三文に扱われてしまう日本の中古住宅の現状はどう考えてもおかしい.古い家を評価する体制を整えてこなかった業界も反省すべきです.」

旭化成に対してこの批判はあたりません.それどころか旭化成は古い家を評価する体制を業界に先駆けて整えています(後述).
平田氏 「将来,そうした取り組みが,住宅会社の勝ち組と負け組みを決める大きな要素になると私は思います.」


こうして「アメリカは100年,なのに日本の家の寿命(=耐用年数)はなぜ30年なの?」という設問に対して,<日本に中古住宅を評価するシステムがないからです>というのがT氏の答えです.

T氏の考えは,耐久性がつきたと思ったから,建て替えた・・・,評価してまだまだもつとわかったなら,建て替えしなかっただろうということだと思われます.耐久性がなくなったと<判断したのが誤り>だったとT氏は言いたいのです.

まだまだもつ家をもうもたないと判断するほど,日本人は馬鹿ではないと思われます.もたないと判断したから潰したのではなく,狭いから潰したのです.


一方平田氏は「住宅を診断するシステムがないため,平均寿命が短いという側面は否定しきれません」と言っています.「否定しきれません」と極めてネガティブな言い回しです.100%否定はしません,しかし99%否定しますと彼は言外に言っているのです.

平田氏が診断システムに否定的なのは,もうもたないという診断結果が出るだけだという意味であることは後に明らかになります.(第7章参照.)



T氏は中古問題に対する旭化成の取り組みを評価しているように見受けられます.すこし中古問題に寄り道します.

中古住宅評価システム

中古住宅の評価には次の要素があります.

 1.メンテナンスはどの程度行われているか.
 2.基本性能(耐久性・耐震性・耐火性など)は大丈夫か.(性能評価システム)
 3.いくらの値打ちがあるか(査定システム)

中古住宅を買う立場からすると,もっとも心配な点は2の性能は大丈夫かという点です.
メンテナンスの程度は,内と外を見れば素人でもだいたい判断できます.3の査定に関していえば,査定価格で業者が買い取ってくれるわけではありません(この点が中古車と大きく違います).土地代込みの売値は売り側の素人が(勝手に)つけ,買い側の素人が価格に納得すれば売買は成立です.

価格は業者の査定で決まるのではなく,市場で決まるのです.たいへんな高額商品ですから,買う側は慎重に考えます.株のように安全のため分散して買うという芸当は使えず,何千万円の一発勝負です,日本では特に.
公正な株価がありえないように公正な査定価格というものもありえません.しかし第三者による公正な性能評価はありえます.アメリカにはそのシステムがあり,アメリカの消費者は安心して中古を買えます.欠陥住宅かどうか心配することなく,価格だけ売主と交渉すればいいのです.一方日本ではババをつかむ恐れが常に存在します.

中古を性能評価した結果,建てた者の責任が問われる場合があります.たとえば,耐震性能に問題ありと評価された場合,手抜き工事・設計ミスに起因するものがあり,これらは建てた者の責任です.

メーカー物の中古は一定レベルの品質は保持しているだろうと素人は思います.だからこそ中古業者のチラシにはメーカー物の場合は必ずその旨表記されているのです.

メーカーとしてはそれで十分です.なまじ性能評価され,大きな吹き抜けあるいはリビングがほしいという客に営業が迎合した結果が,20年後に耐震性で問題ありと診断され,メーカーの信用問題だと騒がれたくはないのです.
公正な性能評価などくそ食らえと内心思っている点で,(一部)メーカーと悪質業者は同じです.公正な性能評価を切望しているのは,消費者と普通の業者です.

いま日本でもっとも必要とされるシステムは,すべての中古住宅に適用できる公正な性能評価システムです.査定システムではありません.価格は市場できまるのです.

特定メーカーが作った査定システムなど,消費者の立場では一文の値打ちもありません.それは単にわが社の中古はこんなに価値があると宣伝する為のデモシステムです.



旭化成は中古住宅査定システムとして「業界に先駆けた独自のストックヘーベルハウス査定法」を開発しました.そして次のように宣言しました.
一般の木造住宅の流通耐用年数(商品価値として流通する期間)が15年であるのに対し,(ヘーベルハウスは)『30年』 と設定しました.
旭化成は中古住宅が資産価値をもつ期間(流通耐用年数)を耐用年数の半分に設定しています.60年耐用住宅なら30年資産価値があり,30年耐用住宅なら15年で資産価値ゼロです.

旭化成の新査定システムに対して(熊野コンセプトを知らなかった)私は次のように批判しました.(『30年目問題』の中の「だから任せてストックヘーベル」参照.)
旭化成の新開発した査定法に基づけば,「一般の木造住宅」は何年資産価値をもつのでしょうか.旭化成は一言も触れていません.ヘーベルにだけ新査定法を適用して30年だと言い,「一般の木造住宅」の方は旭化成がいい加減だと批判している従来査定の結果である15年を採用しています.おかしいではありませんか.
この批判は旭化成の査定システムを過大評価するあまり少々的外れです.30年は査定の結果ではなく,査定の入力なのです.旭化成の査定システムは,30年資産価値をもつ家と15年で資産価値ゼロの家を比較する「デモシステム」なのです.

だから任せてストックヘーベル」は<住宅メーカーが最近盛んに長持ちを強調し中古住宅の良さをPRしている,なぜか>という問題意識で書かれた日経記事を材料にしています.

国の中古振興施策にべったりで迷いのない旭化成熊野氏(日経記事に登場されています)とは対照的に,積水ハウス幹部の方はなぜか「低い声」で見解を述べているのが非常に印象的です.

旭化成はヘーベルハウス中古の価値が高いことを宣伝する際,必ず「一般に中古住宅は15年で資産価値はゼロになります」と付け加えます.(例えば最近では04年1月1日の日経掲載の全面広告)これが熊野コンセプトの裏返しであることはいまや明白です.

全面広告で旭化成が「一般の家は築15年で価値がゼロ」と繰り返していることは,中古市場にいったいどんな影響を与えるでしょうか.熊野コンセプトは,中古市場にまで毒を垂れ流し,市場の健全な育成を阻害しているのです.


その後積水ハウスも中古住宅流通システムをサポートしていることを知りました.00年2月6日の積水ハウスの全面広告(2面通し)で積水ハウス社長は次のように述べています.

「家の骨組みや基礎・外壁はそう簡単に悪くなるものじゃないですから,適切な手入れをすることで価値を保ち,売却されても,新しいオーナーに対して当社があと10年間保証しましょうという制度」とのことです.

常識的で穏当なサービスだと思われます.


6.検証


旭化成熊野氏は次のようにおっしゃいました.

「戦後,日本の住宅は「質」よりもまず「量」を確保することが先決という時代がしばらく続きました.その時期につくられた住宅は耐久性という面では必ずしも十分ではなかった」

昭和43年に一世帯一住宅が達成されました.量を確保する時代は,戦後20数年続いたのです.

現在の住宅と比べると,当時の住宅が「耐久性という面では必ずしも十分ではなかった」のは確かでしょう.ここだけ切り出すと熊野氏は真実を語っています.

部分だけ切り出すと真実であることが,ある文脈に置かれたとき真っ赤な嘘に転化することは,上級詐欺師の常套手法です.典型例が塗料すりかえ事件におけるK文書に見られます.
熊野氏は特に量的確保の時代を問題にしました.ということはその時代の建物の耐久性は26年以下ということになります.


その時代の建物を除外して考えると,「現在」の家の耐久性は26年より長いということになります.

旭化成はどう問いかけたでしょうか.「30年から50年前,日本の住宅が26年しかもたないぼろ住宅だったって本当ですか?」と問うたのではないのです.「日本の住宅が26年しかもたないって本当ですか?」と問いかけたのです.

新築するのにどのメーカーにしようかと迷っている人にとって,遠い昔の住宅の耐久性など何の関わりもありません.98年の全面広告は,伊藤邸の中古広告ではなく,ヘーベルハウス新築の広告なのです.

ということは,量的確保の時代の家の耐久性に問題があって26年がそれに引きずられた結果であり,現在の住宅の耐用年数はもっと長いとしたら,旭化成にとって困ったことになるのです.旭化成は「現在の」家が26年しかもたないと主張しているのですから.ではなぜなぜわざわざ量的確保の時代に言及したのでしょうか.

粗製濫造のイメージを喚起させ,耐久性に問題ありと思わせるために,わざわざ「質より量」の時代を持ち出したのです.建て替えサイクル26年を耐用年数にすりかえる上で,日本の住宅は「質」が悪くて長もちしないと思わせることが必須なのです.

詐欺師にだまされてはいけません.


総務庁統計局の「住宅・土地統計調査(平成10年)」ここにあります)の中に,平成10年10月1日時点で現存する住宅の建設時期別分布が出ています(下のグラフ参照.2000年版建設白書53頁).


平成10年時点の総住宅数は5025万戸です.居住世帯がない住宅が632万戸あり(うち賃貸または売却用の「空き家」が352万戸),これを除いた4392万戸が,上のグラフの総数です.建築時期不詳のものが約100万戸あるため100%になっていません.

ちなみに終戦前の住宅の割合(全国平均で3.8%)について地域別にみると,高いものから順に,島根(14.3%),和歌山(9,3%),岡山(9.1%),京都(8.8%),長野(8.1%),山口(7.9%)・・・,低いものから順に沖縄(0.4%),北海道,東京,神奈川(0.9%),埼玉(1.2%),千葉(1.8%)・・・などとなっています.

昭和56年以降に建設された住宅が5割を占めているという意味で,建設白書の「平均年齢」が16年というのは納得できます.しかし「平均寿命」が26年というのはどう考えても変です.これはちょっと謎でした(第9章参照).
終戦直後の5年を除き,昭和26年から昭和45年までの20年間に建設された住宅は,現存する住宅の16.9%を占めています.現在(平成10年時点)の6戸に1戸が量的確保の時代の家なのです.

耐用年数26年以下であるハズの「質より量」の時代の建物が,なぜこんなに残っているのでしょうか?

30年から50年前の車が新車に交じって6台に1台の割合で街を走っているとします.その車の耐用年数が26年以下だと誰が信じられるでしょうか!
それでも詐欺師は抗弁するかもしれません.量的確保の時代は粗製濫造で大量に建設されたのだ,平均的家屋はすでに潰れ,耐久性に優れた少数の優秀な家屋が残っているのだ,その証拠に以降の時期に比べ,少ししか残っていないではないか・・・などと.


次の図も建設白書2000年版から採りました(同書19頁).年別の新築戸数です.期間は昭和31年から平成10までの43年間です.


43年間の新築戸数をすべて合計すると約5200万戸になります.

昭和33年時点の総住宅数は1793万戸です.ここから図のように毎年どんどん建てられ,その裏でかなりの数が壊されその結果,平成10年時点の総住宅数が5025万戸です.(ちなみに終戦直後の昭和23年の総住宅数が1391万戸で半世紀の間に約3.6倍になったことになります.)
この年別の新築件数を,前の建築時期別の現存住宅数のグラフの期間に合わせて累計しました.最後の欄が平成10年時点の生存率(=現存戸数/新築戸数×100)です.

NO建設時期何年前か新築戸数(*1)現存戸数生存率
終戦前53年以上前165万戸
終戦時〜昭和25年(06年)48年前〜53年前?(*2)67万戸
昭和26年〜昭和35年(10年)38年前〜47年前360万戸(*3)193万戸54%
昭和36年〜昭和45年(10年)28年前〜37年前952万戸548万戸58%
昭和46年〜昭和55年(10年)18年前〜27年前1520万戸1149万76%
昭和56年〜平成02年(10年)8年前〜17年前1402万戸1197万戸85%
平成03年〜平成10年(08年)0年前〜7年前1147万戸965万戸84%

(*1):古い時期のものはグラフから読み取ったため少々の誤差はあります.
(*2):平成8年版建設白書の図1-41にこの時期の新築戸数の一部がでています.この期間の新築戸数は,かなり多かったと推測されます(昭和23年で60万戸近い).バラックのような家もきっと多かったでしょう.
(*3):後半5年分を2倍(上記図1-41からみて妥当と思われます).
古い時期(?)の「新設住宅着工戸数」は実際の新築戸数より少ないと思われます.(昭和33年から昭和38年の5年で「新設住宅着工戸数」の合計が270万戸に対し総住宅数の増加が316万戸)一方現存戸数の統計に入っていない賃貸・売却用の「空き家」の352万戸は,古いものほど「空き家」になる可能性が高く,3と4の現存戸数にかなりの戸数をさらにプラスすべきものと思われます.(建築時期不詳の建物100万戸も同様)
ご覧下さい.熊野氏が耐久性不足だと特に言及した「質より量」の時代(3と4)ですら,30年から50年経っても,半分以上生き残っているではないですか!

<日本の住宅は26年しかもたない>が真っ赤な嘘であることは明白です.


建築時期別分布で量的確保の時代の建物が少なく見えたのは,もともと建設された数が少なかったせいが大きいのです.もし量的確保の時代に今と同様の生産力,経済力があり毎年100万戸以上建設されていたとしたら,建築時期別分布がどうなっているか想像してみて下さい.


日本では終戦からの25年間と,以後の25年間で新築件数を比べると,後半25年に前半の2倍から3倍,建設されています.戦勝国アメリカにはこのような差はないはずです.そして戦争で多数の家が焼けたという歴史はアメリカにはもちろんありません.

つまり日本ではアメリカに比べると古い時期(戦前および戦後の25年)に建てられた家の割合がもともと少ないのです.したがってその分建て替えサイクルへの古い家の寄与が減り(アメリカに比べると)建て替えサイクルは短くなります.日米の差18年の理由の一つにこれが考えられます.

前にご紹介したハイムニュータウンの例は,2003年時点において25年前から33年前の2万戸の内の7割が健在だというものでした.この生存率は上表の結果と符合します.

欠陥住宅はいつの時期にもそこそこあります.欠陥住宅は築年数が浅い段階で住めなくなり潰されます.6と7の生存率の低下に一部その影響が表面化しているのかもしれません.




7.全面広告に見る業界と建設省の姿勢

熊野コンセプト(99.9.4)に対する各社の反応を調べるために,各社全面広告を,98年8月から01年12月まで,朝日新聞縮刷版で全件調べました.

全面広告件数は多いものから順に積水ハウス92件,ミサワホーム68件,住友林業46件,旭化成45件,ダイワハウス43件,積水化学33件でした(2面とおし広告は1件とカウント).積水ハウスで月2件強,ミサワ月1.5件,旭化成月1件見当になります.

(1)旭化成

本家本元の旭化成の全面広告の中で,寿命26年に直接言及しているものは,以下のとおりです.

NO 日付 タイトル
98.08.28 ヘーベルハウスは高い.本当だろうか.
98.09.04 ヘーベルハウスは,高い買い物でしたか?
99.04.22 はじめ二階建てで,あとで三階建てにできる,・・・
99.11.26 ヘーベルハウスは高い?それは25年後に判断してください.
01.07.19 30年目点検異常なし(1回目)
01.08.17 30年目点検異常なし(2回目)


2がエポックメーキング広告.6は『それから』第1部の主役をはった広告です.その他については随時触れます.

1から4には,平均寿命26年と建設白書平成8年版がセットで顔を出しています.これは旭化成だけの大きな特徴で,旭化成はいわば建設省のスポークスマンなのです.
2年後の5,6では建設白書という出所を省いた上で寿命26年をキーワードの一つとして使っています.1から5までの全面広告は出た当時見た記憶がありませんが,6は見ました.おかしな広告だと思いました.『30年目問題』参照.

寿命に関係ありませんが,
ヘーベルハウスPAOの設計不要コンセプトは,ミサワの「未来設計図」の2番煎じ?
旭化成が賃貸住宅の宣伝で何度も使用している「頭でっかち尻すぼみ」広告は,99年8月7日のユニクロ全面広告の2番煎じ?
ではないかと各社全面広告を通覧して思いました.

(2)三井ホーム

NO 日付 タイトル
98.9.11 三井ホームの家は,何年住めますか.

第4章の末尾で引用した広告です.

旭化成のエポックメーキング広告(98.9.4)の1週間後で,ちょっと早すぎると思ったら案の定,更に1週間前に旭化成は第一弾を打っていました.(98年8月28日付け『ヘーベルハウスは高い.本当だろうか』です.)

1行目にご注目下さい.家の平均寿命が最近話題になっているようだと述べています.業界内部で旭化成の全面広告が話題になったことを示していると思われます.

「もつ」という熊野氏が苦心したであろう用語をそのまま使用しています.また建設白書の日米英の寿命をそのまま使っています.

三井ホームは,26年という数字から日本では住宅を消費財と考える人が多いという考察を得たようです.


(3)大成建設

NO 日付 タイトル
99.05.14 住宅の耐久性はドキュメンタリーで語りたい.
01.01.18 愛する者を護ることが自分の役目だと思っています.彼の選択,パルコン.


建設白書の26年とぴったり同じ年数のテスト結果を公表し,「長寿命ぶり」の証だとしているお笑い広告です. (もし26年で「中性化深さ」が鉄骨周辺にまで及んでいれば,それは欠陥住宅の証です.)

この全面広告は熊野コンセプトを鵜呑みにしていること,法定耐用年数を持ち出していること,以上二点で二重におかしな広告です.大成建設ともあろうものがという恥ずかしい内容です.


2は「日本の住宅寿命は平均で25年.アメリカの住宅の2分の1強でしかなく,イギリスと比べると3分の1でしかありません(建設省データ)」という形で平均寿命に言及しています.建設省データとあいまいながらも建設省の名を出している点で珍しい広告(旭化成4件を別にすると,他は上記の三井ホーム,後述する積水ハウスに各1件あるだけ)のでとりあげておきました.


(4)スウェーデンハウス

NO 日付 タイトル
00.04.28 日本の風土の中で,三代受け継ぐ家を実現するために.


(↑click)
日本の住宅の寿命が短い理由を,縦長日本の気候風土の苛酷さに求めています.

この論理でいくと,<恵まれた環境>の縦長スウェーデンでスウェーデンハウスが100年住宅であったとしても,日本の<苛酷な環境>では何年住宅になるのかわかりません.これがこの広告の基本的な弱みです.

建て替えサイクルは建設白書の値ではなく,住宅総戸数(1991年)/着工戸数(1987〜1990年平均)を使用しています(ストックフロー分析).

この全面広告は,建て替えサイクルという言葉を使いその算出根拠を明記している点,建て替えサイクルが短い理由を説明しようとしている点で,良心的な広告だといえます.

しかし短い理由を自然環境だけに求めているのは致命的な誤りです.日本の自然環境が,地震が多い点を除き,苛酷な環境だとは到底信じられません.

敗戦で焦土と化した国土に,ウサギ小屋と馬鹿にされながらも高価な土地に小さな家を建ててきたという歴史の方がずっと重要です.

自然環境の差だけに焦点を合わせる環境説は,結局のところDNA説と同じです.積水ハウスも後に同じ過ちを犯しました.



(5)ミサワホーム

NO 日付 タイトル
99.09.11 環境住宅に住むということ(2面通し広告,1回目)
99.12.05 環境住宅に住むということ(2面通し広告,2回目)
00.06.15 実証,ゼロ・エネルギー住宅.


1の2面通しの9.11全面広告は,旭化成のエポックメーキング広告(98.9.4)のちょうど1年後にあたります.この広告はその内容のいかがわしさにおいて,エポックメーキング広告と双璧をなすものです.

ミサワは三井ホームや大成建設のように熊野コンセプトにすぐに飛びつかず,じっと様子を窺っていました.ミサワホームは98年11月6日,99年4月9日の2回にわたって,
日本人の平均寿命は長い,日本の住宅の平均寿命は短い,では何歳で家を建てるか,結構悩みます
という表現で,平均寿命に言及しています(こんな理由で悩んでいる人が世の中に一人でもいるのでしょうか).そして満を持して9.11全面広告を打ちました.1(および2)において,ミサワホームは次のように述べています.


日本の家の耐用年数が30年であり,ミサワの100年住宅は3倍以上長持ちすると宣言しました.建て替えサイクルではなく耐用年数を使っている点に是非ご注目下さい.

ミサワは耐用年数30年の出所を示していません.短い理由は,自分からは,一言も説明していません.そして見事に熊野コンセプトの上を行っています.

ヘーベルハウスはせいぜい普通の家の2倍,一方ミサワホームは3倍もつというのです!




1も2も,3人の識者,有名人による座談会が紙面の3分の1を占めています.1の座談会がきわめて重要です.

「木と紙と土という壊れやすい素材の」日本の家の寿命が短い理由を東大教授石弘之氏は次のように述べています(画像).

家はあくまで仮の住まいと考える伝統もありますし,古くは都自体を遷都してしまうという発想もありましたしね.実際,メーカーの人の話を聞くと,百年以上もつ家をつくることは難しくないし,コストも大して変わらないというのです.ではなぜつくらないのかというと,ユーザーがいやがるんだという.つまり,自分の人生がこれからどう変わっていくか分からない.例えば,子どもが成長してやがて独立していく.その時に,家が長持ちしてはかえって困るのだそうです.
54歳まで朝日新聞におられた石東大教授は「環境問題に詳しい」方だそうです.上記の実際以下の内容は「専門外」のことであり,すべて伝聞であることにご注意ください.これはミサワ主催の座談会ですから,メーカーというのはミサワホームのことです.

日本の家は耐久性に乏しい,それはメーカーの責任ではなく,ユーザつまり客がそれを望んでいるからだというのです.人生は将来どうなるかわからない,だから家は長持ちしてはかえって困るというのです!

10年後に子供が独立して家を離れ,20年後に夫婦そろって死ぬとわかっていれば,それこそ20年耐用住宅で充分です.どうなるかわからないこそ,長持ちしてくれなくては困るのではありませんか!

どこに嘘があるのでしょうか.「コストも大して変わらない」というのが嘘だと思われます.「大して変わらない」なら大部分の客は100年住宅を望むでしょう.無視できない価格差があるのです.もっとはっきり言いましょうか.客はローコスト住宅を望んだ,だから30年耐用住宅になったのだと,ミサワは言いたいのです.


私は昭和53年から昭和57年まで横浜市の郊外でミサワホームに住みました.大手外資系メーカー勤務の新婚さんが建てた築4年の,のべ床面積60u(!)の小さな中古総二階のミサワ木造(2LDK)を1400万円台(土地40坪付き)で買い,4年後に転勤で売りました.次に買った方はすぐ建て替えました.つまり寿命は8,9年でした.

幼稚園児の長男と3人家族の我々にとって60uの中古一戸建ては,それまでの積水プレハブアパートの30uの2DKに比べて充分すぎるものでした.軽い勾配のついた切妻屋根の外観は,シンプルで都会的だと思いました.しかしこの家は築4年の買った時点で,2階木製ベランダがすでに頼りなげな状態でした.

当時地価はじりじり上がっていました.家の価値は時とともに下がる一方ですから,住み替えるつもりなら家に金をつぎ込むよりその分土地に回した方が有利です.住み替えを前提に新築する人にとって,安く,見栄えがそれなりによい家が望ましいのです.ミサワホームはそのユーザニーズを満たしていました.こうして「ウサギ小屋」が誕生しました.

施主の新婚さんは,家の新築から人生をスタートできる極めて恵まれた環境の人です.第一ステップとして建てられた家の寿命が10年に満たず30年耐用住宅であったとしてなんの不思議もありません.このような家と,家を建てるのは一生に一度の大事業と考えて建てられた「普通の家」は全く別物です.


第5章で取り上げた設問
アメリカは100年,なのに日本の家の寿命(=耐用年数)はなぜ30年なの?
にようやくミサワの答えがでました.家を「仮の住まい」と考える日本人は,長持ちしては困ると考えるからだというのです.これが平田氏の「価値観」の意味です.

ミサワにとって,東大教授に語らせることが重要なのです.権威がそのまま語ってくれるくらいだから,どんなに荒唐無稽に見えても,真実だと言いたいのでしょう.その上で日本の住宅の耐用年数は30年であるとはじめて明言したのです.

旭化成が建設省の権威を利用したのに対し,ミサワは東大教授の権威で対抗しました.ミサワが建設白書には全く触れず,26年ではなく30年を使っていることにご注意下さい.
3の全面広告では,「日本の住宅の平均耐用年数は26年ほどですから」云々とあります.「平均」耐用年数という言葉,そして30年ではなく26年を使っている点にご注意下さい.すぐ下でその理由がわかります.


ミサワが日本の家の耐用年数に触れたのは99年から00年にかけての上記の3つの全面広告だけです.しかし「アメリカは100年,なのに日本の家の寿命はなぜ30年なの?」という一節があるミサワ平田氏の本は02年に刊行されていることを忘れないで下さい.ミサワが水面下で熊野コンセプトを珍重し利用し続けていたことは明らかです.


(6)品質確保法関連

NO 日付 タイトル
00.05.18 品質確保法施工〜住まいを品質で選ぶ時代〜(00.04.13朝日住まいのシンポジウム2000紙上収録)
00.11.30 住宅性能表示・住まいを品質で選ぶ時代(00.10.28朝日住まいのシンポジウム2000紙上収録)


この2回の品質確保法シンポジウムの基調講演において,平均寿命26年が日本の住宅の品質の問題点を物語る重要な数字として持ち出されている点が特に注目されます.とりわけ1のシンポジウムの基調講演が重要です.



(↑click)
00年4月13日に開催された品確法シンポジウムにおける基調講演です.報告者は建設省住宅局住宅生産課長和泉洋人氏です.


建設白書平成8年版の「平均寿命」が見事に平均耐用年数にすりかわっています.


建設省が建て替えサイクル=耐用年数と考えていることがはじめて明るみに出ました.

建設省の見解ではアメリカの家の耐用年数は44年であることを忘れないで下さい.
これに余計な解説は不要ですが一言だけ.中古住宅の流通量はアメリカの15分の1だそうです.新聞に折り込まれた業者のチラシを見ると,歩いて行ける範囲の中古物件がつねに数件図入りで載っています.アメリカなら数10件になり,ちょっと歩けば,ここも売り家,あそこも売り家ということになりそうです.本当でしょうか.

次は半年後のシンポジウムです.
半年後に開催された2のシンポジウム(10月28日開催)では,京大名誉教授,都市住宅学会会長の巽和夫氏が基調講演をしています.


巽氏も中古問題と建設白書平成8年版の寿命に触れています.ただし巽氏は平均耐用年数ではなく,建設白書のとおり平均寿命を使用しています.


講演結びの巽氏の次の提唱にご注意ください.
「20年や30年で壊してしまうのではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年持つものを造りましょう」
氏の提唱がもし次のいずれかであれば,論理的でまっとうな文になります.
「20年や30年で壊してしまうのではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年壊さないようにしましょう」

「20年や30年で壊れてしまうものではなく,50年,60年,鉄筋コンクリートでは100年持つものを造りましょう」
もし巽氏の真意が前者にあるなら,環境保護の立場からこれはこれで立派な提唱です(品確法シンポジウムの場での提唱としてはおかしいですが).もし後者の意味なら旭化成,ミサワ,大成建設そして建設省の意見と全く同じです.私は提唱していますなどと,自慢げに言う必要はないと思われます.


(7)積水ハウス

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01.11.22 日本の美しい四季が家の寿命をちぢめている,という事実


積水ハウスの2000年1月1日の全面広告(『変わる積水ハウス.変わらぬ積水ハウス』)は格調高い広告です.先頭の見出しは次のようになっています.

壊されない家をつくるということ.それが積水ハウスの環境対策です.
これがもし
26年で壊されない家をつくるということ.それが積水ハウスの環境対策です.
であったなら,トップメーカー積水ハウスの,建設省に対する断固たる見識を表すものになったでしょう.(ちなみに壊されないの「さ」を省略し,26年で壊れない家をつくるとなると,建設省・旭化成の主張になります.)


積水ハウスが八方美人の優等生であることは,1の全面広告ではっきりします.建設白書の26年が建て替えサイクルであると明言したのは,遅すぎたとはいえ,積水ハウスのこの広告だけでありその点は評価できます.

しかしこの広告は万事そつのない積水ハウスとしては珍しくぼろを出しています.熊野コンセプト後2年以上たって建設白書に初めて触れ,そしてぼろを出したのです.建設白書に触れた途端にぼろがでるのです.


「日本の美しい四季が家の寿命をちぢめている,という事実」と大きく打ち出しています.いったいどこにそんな「事実」があるのでしょうか.


積水ハウスは理科年表をもとにしたクリモグラフを持ち出しています.日本の高温多湿の自然風土は,日本に石造りや煉瓦造りでなく真壁造りの高床式木造軸組構造が発達したことの説明にはなっても,建て替えサイクル26年の説明にはまったくなっていないのです.


日本の木造住宅は,高温多湿の「日本の美しい四季」に対する解として発達してきたのです.日本がもしアメリカの自然風土であったなら,建て替えサイクルはどれくらい伸びますか.たかだか26年が27年になるくらいではありませんか.


もし日本の家がアメリカのようにゆったりした敷地に建つ床面積の大きな家であったなら,日本の「苛酷な」自然環境のもとでも,建て替えサイクルは44年にぐっと近づいことでしょう.



積水ハウスは結局のところ,日本の家は「美しい四季」のせいで,26年で壊れてしまうような耐久性に問題のある家だと言おうとしているのです.積水ハウスは環境派のふりをしたDNA派なのです.

00年元旦には<壊されない>というキーワードを使うことにより,平均寿命が耐用年数を意味しないと言おうとしました.上記巽氏と同じです.そしてそれがポーズにすぎない点でも,積水ハウスは巽氏と同じです.そこに見られるのは欺瞞です.


(8)積水化学

積水化学には建設白書や寿命30年に触れた広告は1件もありません.しかし旭化成熊野氏が導入した30年耐用住宅は,よりいっそうぼろい積水化学オリジナルの30年耐用住宅となって姿を現しています.


(↑click)
01年6月に始まった『家の問題』シリーズ(4回)は,非常に興味深い広告です.これはその第一弾です(01年6月22日).

旭化成の超特大CONCEPTに対抗するかのような超特大「家の問題」です.

1回目の問題は「建てたあとに,お金がかからないのはどちらの家でしょうか」となっています(旭化成の「建てたあとが大事なんだ」シリーズを意識した設問です).二つの選択肢が用意されています.

選択肢aは60年耐用住宅,bは30年耐用住宅です.家の一生にかかるお金,つまりライフサイクルコスト(LCC)の観点から,お安いのはもちろん60年耐用住宅というのが正解です.

30年耐用住宅を導入し,LCCの観点から比較している点で,旭化成の『ヘーベルハウスは高い買い物でしたか?』とぴったり同じ構成になっています.そしてハイムはヘーベルハウスと同じく60年耐用住宅であると宣言しています.

この全面広告は超特大CONCEPT広告における熊野氏の詳細かつやや抽象的な説明を,積水化学が小学生にもわかるような簡潔かつ具体的な説明にブレイクダウンしてくれている,たいへん親切な広告になっています.超特大CONCEPTが教科書だとすると,この全面広告はアンチョコ,虎の巻です.

30年耐用住宅のアンチョコの説明を見ておきましょう.


積水化学が独自に追加した3,4番目を除くと,熊野氏の説明に見事に対応しています.「文化的側面」は増改築がムズカシイときわめてわかりやすくなっていることにご注意ください.

構造体が30年しかもたず,増改築がムズカシク,メンテナンスがタイヘンなまるで三重苦の30年耐用住宅に比べれば,60年耐用住宅のLCCは,たとえ新築価格が2倍であっても,安くなります.問題はそんな30年耐用住宅とは何かです.ハイムの競争相手としてふさわしい家かということです.

熊野氏が建設白書を持ち出したのは,30年耐用住宅が日本の普通の家であると言おうとしたからです.この積水化学の全面広告は,肝心かなめのその点がすっぽり欠落しています.

この広告は小学生向けのLCCの解説以外のなにものでもありません.その中身の空虚さにおいて,03年の旭化成全面広告のさきがけというべき全面広告です.

積水化学はひとまず大株主旭化成の顔を立てました.ただし建設白書平成8年版への言及は避けました.言及した途端に建て替えサイクル=耐用年数の真っ赤な嘘に加担することになるからです.その代償がこの気の抜けたビールのような広告です.


(9)その他のメーカー

ダイワハウス,住友林業,パナホーム,トヨタホーム,エスバイエル,「匠の会」,三井ハウス,東急ホーム,クボタハウス,三菱地所ホーム,野村ホーム・・・などに,寿命30年に触れた全面広告はありませんでした.


(10)総評

建設省がさしだした「平均寿命26年」という「踏絵」に対する反応を評価した結果,住宅メーカーは次の3つのグループに色分けされます.旭化成およびその(隠れ)シンパ,沈黙の一般企業,そして一匹狼的ミサワです.(大成は論外.)

全面広告は消費者に対していわば「マニフェスト」のような重要な役割を持っています.全面広告でおかしな嘘をついている企業が末端までおかしいのは確実です.また全面広告で沈黙している企業でも,現場がおかしなことを言っている可能性があることはもちろんです.
踏絵に近寄らないという態度が「一般企業」の対応でした.しかしミサワは違いました.踏絵を旭化成以上の力で踏みつけたのです.

私はミサワという企業を,「柱の太さを自慢する」旭化成のような旧弊企業に対し,合理的根拠に基づき「柱の太さで家を決めるな!」と果敢に挑戦してきた革新的企業だと思っていました.『柱の太さで家を決めるな!』(プレジデント社,2002年刊)にあるミサワ創業者の役所に対する苦闘部分は圧巻です.
石山修武の『笑う住宅』から日本のプレハブ住宅の歴史を抜き出すと,プレハブ住宅の創成期には

「各メーカーは生産技術の合理化,商品性能の均質化,素材開発といった技術開発を軸にその開発力を競った」.

「「3時間で建つ11万円のお家」というキャッチフレーズで昭和34年にマーケットに出た大和ミゼットハウス,36年の松下1号型.そして100万円住宅という華々しい企画商品だった昭和44年のミサワホームコア100.建築家大野勝彦をその産みの親とするユニット住宅,昭和44年のセキスイハイム等がその代表的な商品」

「技術競争が価格競争に一役買っていた」

「それがいつの頃からか変わった.」「技術開発が水面下に沈み,イメージ開発というソフトの開発が正面に据えられるようになった」「それのきっかけになったのが昭和51年のミサワホームO型の発売だったろうか.その傾向は昭和55年の三井ホームコロニアル80で更に拍車がかけられ,現在(昭和61年,引用者注)に至っている.」

ミサワのO型は,総二階住宅に対するイメージを一新した住宅です.コスト面,構造面からみて合理的な総二階に都会風の衣をつけたのです.装飾に偏ったコロニアル云々とは,合理性に裏打ちされている点で違うように私は思います.ミサワは昔から商品企画力に秀でた企業だったようです.
ミサワが100年住宅を喧伝したことは,充分メンテナンスすれば100年もってもおかしくないという意味で肯定します.98年8月28日の2面とおし広告(『ゼロ・エネルギー住宅 HYBRID−Z誕生』)のように,100年住宅を「廃棄物の抑制など環境保護にも貢献できます」と説明していれば何の問題もありません.しかしミサワは熊野コンセプト後,豹変しました.

熊野コンセプトでヘーベルハウスが60年耐用を謳ったことは,ミサワの100年耐用住宅がインチキだと言っているようなものだと,ミサワは危機感を持ったのかもしれません.
日本の家の耐用年数は30年,ミサワの家は3倍以上長持ちすると言ってしまってはもうどうしようもありません.どうしようもありませんが,虎の威をかりた旭化成に対する反撃としては極めて有効でした.


ミサワはたしかにクリエイティブな企業です.だからといってミサワが99年9月11日,別の「権威」を利用して日本の家30年耐用説を導入した狡猾な手口を見過ごすわけにはいきません.罪は罪です.

ミサワの100年住宅が日本の家の3倍以上長持ちするというのは,真っ赤な嘘です.ミサワは当社旧モデルの3倍以上長持ちするというべきだったのです,本当は.


ミサワの01年7月4日の全面広告は『ひとつの夢でした.3.3u当り25万円台の住まい』というものです.この広告は「工業化住宅には本来,「より良い住まいをお求めやすい価格で」という目標があります」という文で始まります.これがプレハブの原点であることは言うまでもありません.

ミサワの01年の広告では品確法の評価結果がキビアット図でわかりやすく表示されています.この25万円台の住まいでは,高齢者等配慮と省エネルギー対策の2項目の評価が低く,他の6項目は最高評価であることが一目でわかります.
100年住宅を謳う一方で,原点を忘れていないミサワの姿勢を評価します.ミサワの情報量豊富な広告も評価します.ミサワの姿勢は旭化成の『見た目で選んでいいと思います.ヘーベルハウスなら』(99年1月8日付け)という高慢な姿勢とは,決定的に違っているように思われます.それは「国策」にべったり迎合するまるで半官半民のような体質の企業と純然たる民間企業の差ではないかと思われます.



ヘーベルハウスやセキスイハイムが60年耐用住宅であろうがあるまいが,あるいはまたミサワが100年耐用住宅であろうがあるまいが,そんなことは他の業者にとってどうでもいい話です.他の業者にとっては,熊野コンセプトの「日本の家は26年しかもたない」という点こそが,なににも増して重要なのです.

<ちょっと一昔のニュータウンは今や住宅会社の建て替え客獲得の主戦場になっている。わずか築後20年くらいのお宅に商談に行った営業マンは「あちらの××さんのお宅も建て替えになりましたし、××さんもそろそろ検討なさってみてはいかがですか。あちらの奥様も建て替えて良かったとすごく喜んでいますよ」と至極当たり前のことを言っては、プライドをくすぐりながら契約を迫るそんな場面が日本のあちこちで連日連夜行われている。住宅メーカーの中には「築後20年のお客さまを建て替えさせる」などの研修会が行われて日々攻略法を研鑚しているようである。>

これは建て替えサイクルで検索して見つかった例です.もう一例,某業者いわく

<住宅の建て替えサイクルは、アメリカやドイツでは90年から130年ですが、日本は20年から30年が当たり前です。しかし、近年日本の住宅の耐久性が高くなるにつれて、欧米と同様に日本も子供の代はもちろん、孫の代まで考えて住宅を建てる傾向にあります。そのため、これから住まいを計画される方は、今までよりも長い目でみて住まいづくりをされることをおすすめします。>

アメリカの家の建て替えサイクルが90年から130年だって!
一般業者は,当然のこととはいえ他社住宅をもちだすのではなく,必ず諸外国の例を出します.そして諸外国の数値は,ほとんどの場合ストックフロー分析の値を,耐用年数として使います.平田氏の著書にあるアメリカは100年,日本は30年がその典型です.その理由は44年より100年という方が効果抜群であること,そして耐用年数としては100年の方が真実に近いからです.

建設白書の数字だけ使用している少数の例では,品確法シンポジウムでの建設省課長の基調講演のように必ずイギリスの75年がもちだされます.アメリカの44年だけでは迫力不足だからです.

ヨーロッパの家は日本の家と根本的に違います(DNAが違うのです).かたや石造や煉瓦造のような組積造であり,かたや木造真壁造りです.ヨーロッパには中世の街並みが保存されていて,住人がいます.日本では考えられない話です.
ロンドン郊外の二戸連続建て住宅の戸境壁は厚さ70センチ.ドイツの住宅では内と外を隔てる外壁の厚さが49センチ,部屋を区画する間仕切り壁で24センチが標準.壁が占める面積が家の総面積の約20%もある.(昭和49年6月9日付け朝日新聞に載っているそうです.芦原義信『街並みの美学』より.)
住宅業者が,どう逆立ちしても勝てない伝統をもつヨーロッパの家を持ち出すのは,そもそもインチキなのです.そしてそれは建設白書平成8年版が,工法・構造の差を全く無視して,イギリスの家の「平均寿命」を日米と同列に取り上げたことに始まるのです.

もしあえて外国と比べるのなら,同じ木造主体のアメリカと比べるべきです.建て替えサイクル26年は,44年と比べるべきなのです.


95年阪神淡路大震災以降,業界がこの機とばかり「建て替え需要」を煽ったというT氏の指摘は正しいでしょう.熊野コンセプトは,建て替えを煽るための販促ツール,宣伝チラシの役目を果たしたのです.

業者の顧客向け資料の中には,朝日新聞に大きく載った熊野コンセプトのコピーが入っていたでしょう.実にありがたいことに,このコピーはどの業者でも加工せずにそのまま使えるのです.創業80年の信用ある旭化成の朝日新聞掲載記事です.その説得力は信用のない自社宣伝用資料の比ではありません.
「日本の家は26年しかもちません」,「古い家は危ないのです」,「早めに20年で建て替えるのが普通です」とセールス攻勢をかける上で,熊野コンセプト以上のものはありません.もし私がノルマに追われた営業だったら,必ず活用するでしょう.

業界は「建て替え需要」を煽ることに成功し時ならぬバブルに潤いました.金満日本だからこその「不要な建て替え」です.長寿命住宅ブームがこうして起こり,数年にしてはじけました.

旭化成
98年9月4日

VS
ダイワハウス 04年2月13日付け全面広告(朝日掲載)



右がまぎれもない真実です.『30年目点検異常なし』1回目の鴨川氏が言われた「床のきしみ」は,ダイワハウスの場合にはでているかもしれません.しかしそれは薄いコンパネで床を張り替えればすむ話です(身近で実例がありました).
バブルはすでに去りました.嘘から始まったのですから当然です.



8.日米の家の耐用年数

アメリカの家の耐用年数は何年でしょうか.ミサワの平田俊次氏は「アメリカの住宅寿命の平均は103年です」と述べておられます.この寿命は耐用年数です.構造の専門家平田氏によれば,アメリカの家の耐用年数は約100年です.
その根拠を平田氏は著書の中で示していませんが,ストックフロー分析に拠ったと思われます.一方旭化成,建設省は建設白書平成8年版に拠っています.日本の家26年耐用説の旭化成,建設省は同時にアメリカの家44年耐用説を唱えていることになります.
アメリカの家の耐用年数に関して,ミサワ平田氏の主張は建設省和泉課長,旭化成熊野氏の主張と真っ向から対立しています.44年耐用説を主張しているのは,建設省と旭化成だけです.ミサワをはじめ業者の圧倒的多数はアメリカの家100年耐用説を支持しています.

圧倒的多数派が正しいと思われます.耐用年数は建て替えサイクルの2倍以上あっておかしくないからです.耐用年数=建て替えサイクルは話にならない暴論です.

アメリカの家は建て替えサイクル44年,耐用年数100年です.アメリカでもまだまだもつ家が壊されているのです.建て替えられずにずっと住み継がれた家の平均築年数は100年です.


さて日本の家の耐用年数に話を移しましょう.

30年から50年前の「質より量の時代」の日本の家ですら,半数が健在であることはすでに第6章で示しました.

関西には,「文化住宅」と呼ばれる木造2階建てアパートの密集地帯があります.老齢の家主さんには建て替えの必要性も資金も気力もないのでしょう.「諸事情」が発生しないこのような地域では平均寿命は40年をゆうに越えると思われます.

「文化住宅」は,住友林業のリフォーム実例集「温故知新」の築100年を越える旧家のように立派な木造ではありません.メンテナンスも必要最小限でしょう.「文化住宅」が日本の平均を超える優良住宅だとは誰も思わないでしょう.

島根県を筆頭に地方では築50年を越える家は珍しくもなんともありません.都会でも戦災を免れた地域では築50年を越える家がざらにあります.日本の家26年耐用説が真っ赤な嘘であることは明白です.


「文化住宅」でもリフォームすればきれいになります.以下ちょっと寄り道します.


リフォームの可能性


建て替えるしかないと見える家でもリフォーム(補修+補強)すれば,見違えるような家に変身することは,所ジョージの『大改造!! 劇的ビフォーアフター』が教えてくれるところです.「文化住宅」にも,71年築宮部邸(『それから』第1部参照)に投下されたリフォーム資金を投入すれば,こぎれいなハイツに見事変貌するでしょう.

同番組には,築4,50年の小さな家がよくでてきます(築100年もありました).特に興味深いのは,壁・床・天井を落としたときに露呈する基本構造部の劣化に対する補強です.


築25年で「普通ならそろそろ建て替えの時期」と旭化成は言いました.正しくはリフォームの時期です.築25年とは言わず,築30年でも40年でも,そして躯体がしっかりした家なら50年でも100年でもそうなのです.リフォームではかえって金がかかるとわかってから,建て替えを検討をするのが,普通の人の普通の考え方です.

大きい家なら,間仕切りの変更を伴わない軽いリフォームですむでしょう.4人家族が老夫婦2人になっても,部屋があまるだけの話で間取りの変更など不要です.

しかし小さい家では,しばしば大掛かりなリフォームが必要になります.空間の絶対的な狭さを克服しようとすると家を根本から見直すしかないからです.住人は現状に対する不満を日々感じています.リフォームに対する要求は極めて具体的かつ切実なものになります.

新築の場合はどうでしょうか.新築するとなると,古い家のことなど悪夢だとしてきれいに頭から消え去ります.家族はめいめい好き勝手に夢を山のようにふくらませます.施主が要件を整理できなければ,たとえ予算がいくらあっても,いくらいいメーカー営業がついていても,あるいはまた有名建築家に設計依頼しても,いい家はできません.
所の番組ではリフォームを差配する人を匠(たくみ)と呼んでいます.匠の役割は重要です.

匠には狭く不便な家に長年住んできた住人に対する「同情」「共感」があります.ここが鍵です.客が抱えた積年の問題点をなんとか解決し客の喜ぶ顔が見たいという姿勢がこうして生まれます.

有能な技術者は,要件が明確で納得できるものであれば,制約がいくらあろうとも,というより厳しい制約があればあるほど,その枠内で驚くべき力を発揮します.経験を積んだ日本の匠たちは,狭小空間をいかに生きたものにするかという点で世界一のレベルではないかとすら思います.
もちろん『柱の太さで家を決めるな!』に書いてあるような構造設計面の配慮は十分されているとした上での話です.
所の番組を見ていると,金の話は別にしても,新築とリフォームのどちらがいいのかわからなくなってきます.メーカー任せで新築し展示場のモデルハウスのミニ版を作るより,リフォームの方がかえって真の意味で「注文住宅」に変貌している例も多いような気がします.

リフォーム寄り道おわり.



73年築のハイムもヘーベルも60年もつでしょう.当時,新興のプレハブは安かろう悪かろうと既存工法より一段低く見られた時代でした.その時代のプレハブでも,安物を除けば,たぶん60年もつのです.現在の高価なプレハブが「100年住宅(期待される耐用年数50〜100年)」であって当たり前です.


耐久性は商品が満たすべき基本要件の一つにすぎません.自動車メーカーは耐久性に問題ないのは当然とした上で,デザイン,価格,性能その他その他の違いでしのぎを削っているのです.

耐久性が問題になるのは,商品が誕生した直後の初期段階だけです.その時期には価格が高いものほど長持ちするでしょう.しかし商品が成熟期に入ると,ほとんどの商品が同じくらいもつようになります.カローラもベンツも耐用年数という意味では同じようなものでしょう.

初期プレハブは安物住宅の代名詞でした.台風で屋根がとんだプレハブもありました.そして72年のヘーベルハウス登場によってプレハブもようやくまともな既存工法住宅に比肩しうる耐久性をもつようになった,とまで言えば言い過ぎでしょうか.

日本の木造家屋には長い歴史があります.家は一生ものですから長持ちすればするほどいい商品であることは自明です.にもかかわらず,伝統ある日本の普通の家の耐用年数が26年??? 長持ちしては困ると日本人は考えた???

家は長持ちして当たり前です.実際に何年もつか,もたせるかは,住む人次第です.

熊野コンセプト以前はこれが常識でした.まともな家を建てる時,何年もつか心配した人がいたでしょうか.壮年期に家を建てた人の中で,老後の建て替えを心配した人が一人でもいたでしょうか.


さてそれでは日本の家の耐用年数は何年なのでしょうか.

日本の場合も耐用年数は建て替えサイクルの2倍以上と考えるのが自然です.日本の場合に限って建て替えサイクル=耐用年数とするのは詐欺師です.

A氏は7年で車を買い換えました.古い車にあきた,新車でほしいのがあった,万馬券を当てた・・・等々理由はさまざまでしょう.A氏にとって前の車が7年しか「もたなかった」のは確かです.しかしそれはあくまでA氏にとっての話であり,客観的にはまだまだもつことが明らかです.A氏の車は中古車となって市場にでて,最後は東南アジアでスクラップになるまで使われます.これがその車の耐用年数です.

家の場合,土地がくっついている点が車と違います.車の場合の「買い替え」に対応するのは,住み替えをあまりしない日本人の場合「建て替え」になります.
「夏目漱石は32回」と題する01年3月30日付け東急リバブルの全面広告では,首都圏に住む人の転居回数の平均は約4.2回だそうです.私自身は結婚以来30年で5回転居しました.日本人も結構住み替えしています.

住み替えを旨とするアメリカですら,耐用年数と建て替えサイクルとの間には2倍以上の差があります.アメリカの家も住み替え,住み替えで耐用年数が尽きるまで住み潰されているわけではないのです.住み替えしない日本はアメリカ以上に,耐用年数と建て替えサイクルの間に差があって不思議ではないのです.

車の耐用年数は,スクラップ時点の年数を調べれば目安がでます.買い替えサイクルを調べても目安にはなりません.一方家の耐用年数は,建て替えずに住み継がれた家の築年数を調べれば目安がでます.建て替えサイクルを調べても目安にはなりません.

建設省・旭化成の論理は,日本車の買い替えサイクルは7年である,したがって日本車の耐用年数は7年である,日本車の品質に問題があると言っているのと同じです.



9.建て替えサイクルの謎

女優の浜美枝さんは,ミサワのあの9.11全面広告において次のようにおっしゃっています.
日本の家を見て回りますと,たいていは20年,30年で取り壊されている.なんてもったいない.日本人の発想はどうしてこうなんだろう・・・
まわりを見回すと,取り壊されている家の多くは,20年,30年というのは真実です.わが町も「ハイムニュータウン」もそのとおりです.しかしその一方で7割の家は築30年を越えて健在であるというのも真実です.


耐久性に問題ありと熊野氏が指摘した30年から50年前の「質より量」の時期の建物ですら,半分が健在です.一方築年数の浅い住宅も一定程度,建て替えられています.これらを念頭において,某国住宅モデルを想定しました.

モデルの目的は建て替えサイクルがどのような性格をもつかを示すことにあります.

某国の経済は低迷し,総住宅数は一定で,新築はすべて建て替えによる新築だとします.

某国には平均40年で家を建て替える人たちが住んでいるA地域と,平均10年で建て替える人たちが住んでいるB地域があります.A地域の戸数4000万戸,B地域の戸数は1000万戸です.(A地域の建て替えサイクルは44年のアメリカなみです.)

総住宅数5000万戸,AとBの戸数の比4は,年月が経っても変わりません(すべて建て替え).

常識的には某国の建て替えサイクルは34年であるように思えます.

地域戸数建て替えサイクル(地域別)建て替えサイクル(全国平均)
某国A地域4000万戸40年34年?
某国B地域1000万戸10年


しかしこの常識は誤りです.本当は次のようになります.

建て替えサイクルは,その定義により,一定期間内に解体された家の築年数の平均をとります.Bの家がAの家の4分の1しかないにもかかわらず,4倍の頻度で潰されるから,Aの家と同じだけ統計に入ってきます.したがって建て替えサイクル(全国平均)は

 (40×4+10×4)/(4+4)=25

になります.A地域とB地域の家が同数あるかのような錯覚を与える数字になります.

地域戸数建て替えサイクル(地域別)建て替えサイクル(全国平均)
某国A地域4000万戸40年25年
某国B地域1000万戸10年


建て替えサイクルが短い家の存在は,その絶対数が少なくても,建て替えサイクルの平均値に大きな影響を与えることがわかります.全体の5分の1しかない短寿命住宅が,まるで半分あるかのような錯覚を素人に与えるのです.



浜さんが某国の建て替えを見て回ったとしましょう.目撃した建て替えの半分は築10年の家の建て替えです.なんてもったいないと,浜さんはきっと思うに違いありません.しかし本当は8割の家は40年で建て替えられているのです.

さて某国イヒ社は主要全国紙の全面広告で「わが国の家は25年しかもたない,なぜなら建て替えサイクルが25年だからだ」とぶちあげました.このデマ宣伝により,

築20年の家に住む人(大部分がA地域の人)はそろそろ建て替えの時期だと錯覚するでしょう.

40年で建て替えられる家が全体の8割を占めているにもかかわらず!




10.26年という数字

すべての源は,平成8年版建設白書の平均寿命26年という数字にあります.この26年が建て替えサイクルを意味することは,積水ハウスが01年11月22日の全面広告ではっきり指摘しているとおりです.

26年がアメリカの44年に比べて短いことを,耐久性にからめて問題にするのであれば,少なくとも次の点は考慮しておく必要があります.

1.この半世紀の歴史的経緯により日本は「ウサギ小屋」と揶揄された小さい家が多く,広さ不足を解消するための建て替えが頻発した.アメリカでは広さ不足を解消するための建て替えは非常に少ないと考えられる.

2.この半世紀の歴史的経緯により,日本は築30年超の家の割合がアメリカに比べて少ない.建て替えにおける古い家の割合が減り,サイクルが短くなる.

3.26年は土地バブルという異常期の統計である.建物の価値が土地に比べゴミだった時代であり,まだまだもつ家も壊されその分建て替えサイクルを短くした.

4.日本は低品質・短寿命住宅の割合がアメリカに比べて多い?
1から3はすでに説明しました.4はどうでしょうか.

平成11年度の統計で持家の新築件数は47.6万戸,建売は11.8万戸で,持家と建売の新築戸数の比は4対1です.1戸あたりの平均床面積は持家で139.3u,分譲住宅で97.5uです(分譲住宅には分譲マンションが含まれていますので,一戸建てに限ればもう少し広いと考えられます).

東京都や大阪圏では狭小敷地(100u未満)が3割を上回っています(平成8年版建設白書).東京都,大阪圏の人口を多めにみて日本の人口の3割だとすると,狭小敷地に建っている家は全体の1割程度です.

狭小敷地でも自分の土地ならば,立派な家が建てられます(特に都心には狭小敷地でも立派な家が多い).しかし建売ならば,すべての建売業者が良心的業者であるとは限りません.

以上,直接関係あるかどうか定かではありませんが,ご参考までに.
アメリカの家の恵まれた立地環境を思い浮かべると,アメリカに比べれば,日本の家に低品質・短寿命住宅が多いのはたぶん本当でしょう.しかしその絶対数はそれほど多くないと考えられます.第9章で述べた論理によって,低寿命住宅は,絶対数は少なくとも建て替えサイクルの平均に大きな影響を与えることを忘れてはなりません.

建て替えサイクル26年は,以上の点を考慮すれば,深刻な問題をはらむ数字ではないと思われます.品確法シンポジウム基調講演で取り上げられるほど,日本の家の品質に関わる数字ではないのです.建設省・旭化成が建て替えサイクルを耐用年数にすりかえたからこそ,大問題になったのです.彼らは平地に乱を起こしたのです.


日本の家の建設時期別分布をもう一度ご覧下さい.昭和26年から昭和45年の数が少なく見えるのは,その間に建てられた数が少なかった為であることは第6章で説明しました.


この時期別分布図は次のような文脈で引用されています(2000年版建設白書53頁)
現存する住宅ストックは,昭和55年以前の高度成長期に住宅戸数の不足を補うことを重視して建てられたものが多く(図表1−4−24),これらは老朽化が進むとともに,床面積等が最低居住水準や誘導居住水準を満たしていないものが多く,生活水準の向上に対応できず,陳腐化が進んでいるものも少なくない.(「21世紀の豊かな生活を支える住宅・宅地政策について」(平成12年6月 住宅宅地審議会答申))
21世紀を迎えるにあたって,審議会委員,官僚たちが日本の家をどのように見ていたかよく表しています.建設白書平成8年版にあるとおり,日本の家はすでに米英より新しい住宅が多くなっています.古い家の割合は少ないのです.にもかかわらずまだこんなことを言っているのです.

高度成長期には住宅戸数の不足を補うことを重視したとあります.誰が重視したのでしょうか.国が不足を補うことを重視して,大量に安価な住宅を供給してくれたとでも言うのでしょうか.大金はたいて家を建てた個人は,量の確保がお国の大事だからぼろい住宅でも仕方がないと思って建てたとでも言いたいのでしょうか.

築20年を越えた家は,何を根拠に,老朽化・陳腐化が進んでいるというのでしょうか.築年数だけなら,米英の家は超老朽化・超陳腐化が進んでいることにならないのでしょうか.それとも日本の家だけが,老朽化・陳腐化しているといいたいのでしょうか.

旭化成は99年4月22日の全面広告ですでに老朽化という言葉を使っています.熊野氏が詳細に説明した二つの理由が,「建て替えの実態を調査してみると」という言葉を追加した上で,どのように変形されているかよくご覧下さい.
質より量・老朽化・陳腐化,これらはすべて同じ方向にベクトルが向いています.築20年超の日本の家はぼろいといいたいのです.

そこには家を大切にして長く住んでいきましょうという姿勢はみじんも感じられません.これだけ新しい家が増えているにもかかわらず,あいもかわらず建て替えの勧めなのです.平均築年数10年が官僚の夢?
某社長いわく.
わが社の平均年齢は35歳を越えている.
35歳以上の社員は,人手不足の時期に大量に採用したものが多い.
彼らはすでに「老朽化」している.
彼らのスキルはすでに「陳腐化」している.
若い「高品質」な人間にすげかえるべし.

某社長と官僚の論理は同じです.
働く人の側の視点,住む人の側の視点がものの見事に欠落しています.
高みから日本の家を俯瞰し,平然と老朽化・陳腐化と貶める神経を持ち合わせているからこそ,建て替えサイクルは耐用年数にすりかわるのです.建て替えに至る庶民の諸事情などどうでもよく,ぼろいから建て替えられるのだと官僚は斬って捨てるのです.

DNA説の元祖が一部の馬鹿な建設官僚であることは疑いようがありません.DNA説に潜む傲慢さは官僚の傲慢さの裏返しです.そんな彼らにべったりすりよった馬鹿で傲慢な民間企業がありました.いうまでもありません.旭化成です.


旭化成熊野コンセプトによって,平成8年版建設白書の平均寿命26年は,一躍脚光を浴びました.そして日本中至るところの商談現場で,素人相手の切り札として,耐用年数26年がフルに悪用されたのです.


熊野コンセプトは今も生き延びています.もし厳しく批判されていれば,02年刊行の単行本で「アメリカは100年,なのに日本の家の寿命はなぜ30年なの?」「住宅診断システムがないせいです」などというトンチンカンな対話が交わされるわけがないではありませんか.

もし厳しく批判されていれば,98年の詐欺広告を03年秋に再び人目にさらして旭化成が自慢する筈がないではありませんか.最高責任者の山口会長が,日商会頭続投のアドバルーンを早々とあげる筈がないではありませんか.




11.基礎が危ない!

04年4月10日(土曜),京都で開かれた昔の仲間の退職・渡米送別会の帰りに『コンクリートが危ない』(小林一輔著,岩波新書,99年刊)という本を買いました.マンションの寿命の図が目に入ったからです.

(1)耐用年数

『コンクリートが危ない』の2章に耐用年数についての説明があります.ここでは,まず著者の説明を引用し,それにコメントしていくという形ですすめます(引用文中の赤字化は原文にはありません).


耐用年数には三つの考え方がある.経済的耐用年数,機能的耐用年数,物理的耐用年数である.

経済的耐用年数の例は,建物における減価償却資産としての法定耐用年数である.大蔵省令第15号は,鉄骨鉄筋コンクリート造・鉄筋コンクリート造で60〜65年,橋梁で50年と定めている.経済的耐用年数の算定基準のもとになるものとして,維持管理や補修に関する費用の増大と経済効果の減少も含まれている.

大成建設の広告にでていた法定耐用年数は経済的耐用年数の一例なのです.大成建設の広告では,木造の法定耐用年数22年,鉄骨やALCで27年,鉄筋コンクリート47年となっていました.これが一戸建ての法定耐用年数なのでしょう.
機能的耐用年数は,建設された構造物が時代の変遷とともに,期待される機能をはたせなくなったという耐供用性の観点から算出される耐用年数である.道路橋では,交通量が増大した場合,または前後の道路幅が変更になった場合などがこれである.

建て替えというのは,「家族の変化」等さまざまな「諸事情」によって,住宅として「期待される機能をはたせなくなった」と,潰した人が判断した結果であると解釈することができます.建て替えサイクルというのは,「耐供用性の観点から算出される」機能的耐用年数の一種であると考えられます.
一方物理的耐用年数は,構造物の性能低下によって決まる寿命であって,安全性の見地から機能的耐用年数や経済的耐用年数よりも長くなければならない.物理的耐用年数を予測するためには,構造物の供用期間と性能低下との関係がわかっていなければならない.

「性能低下によって決まる寿命」とあるとおり,われわれ素人が普通に使っている耐用年数というのは物理的耐用年数のことです.そしてそれは,安全性の見地から,機能的耐用年数や経済的耐用年数より長くなければなりません. 使っている最中に壊れたのでは命にかかわるからです.
構造物を設計する際には,以上の経済的,機能的,物理的耐用年数を考慮した設計耐用期間を設定する.鋼橋を例にとってみよう.鋼橋は,交通荷重のくりかえしによる疲労現象によって寿命がきまるので,物理的耐用年数を予測することができる.鋼鉄道橋では,疲労によって決まる物理的耐用年数を設計耐用期間とし,在来線で60年,新幹線で70年,本州四国連絡橋では100年に設定している.

ところが,コンクリート構造物の設計では,設計耐用期間を設定することができないのである.建設時点において,構造物の品質がブラックボックス状態であるために,供用期間中における性能低下を定量的に見積もることが困難なためである.

コンクリート構造物に対しては,物理的耐用年数を見積もることができないと,小林氏は説いています.品質がブラックボックス状態だからというのです.
コンクリート構造物の物理的耐用年数を算出することができた時代があった.それは,東京オリンピックが開催された1964年よりも前の時代である.この時代のコンクリート構造物は,健全な材料を用いたコンクリートを入念に施工してつくられていた.このような構造物の性能低下は,コンクリートの中性化による鉄筋の腐食によって決まる.中性化速度によって構造物の性能低下を定量的に見積もることができるので,設計耐用期間を設定することが可能である.しかし,この時代にはコンクリート構造物の設計に際して,設計耐用期間は設定されなかった.コンクリート構造物の寿命は,機能的耐用年数や経済的耐用年数によって決まり,物理的耐用年数に達して更新されたものは少なかったからである.

家の場合も,これと同じ理由で,誰も物理的耐用年数を問題にしなかったのです.多くの家は物理的耐用年数に達する前に建て替えられてきたのです.

小林氏によれば,わが国最古の鉄筋コンクリート構造物である1903年の京都市山科区日ノ岡の琵琶湖第一疎水路に架けられたメラン式弧形桁橋をはじめ,「第二次大戦前につくられたコンクリート構造物は,メンテナンスフリーの状態で,60〜70年経過した現在でも,その機能を維持」しています.

しかしブックカバーにあるとおり「本来200年の耐久性をもつはずのコンクリート構造物に,いまあちこちで異変が起きている」・・・・・・
ところが,1983年にコンクリート構造物の早期劣化が社会的問題にまで発展するにおよんで,事態は一変した.早期劣化とは,機能的耐用年数や経済的耐用年数に達する前に物理的耐用年数がくることである.高度成長期につくられたコンクリート構造物の耐久性に深刻な疑問が提起されたのである.これ以降,材料の品質と施工のレベルが保証されない状態で,コンクリート構造物が建設されるようになった.

家の場合,早期劣化が問題になる家とはすなわち欠陥住宅のことです.これも社会的問題ですが,欠陥のひどさを競う欠陥住宅番組を見てよくわかるように,一部の零細悪質業者の施工不良に話が矮小化される傾向があります.普通の人は対岸の火事として番組を楽しみます.

旭化成が持ち出した30年耐用住宅など,一部の欠陥住宅だ,あるいは30年耐用が前提のローコスト住宅だ,高価なことを鼻にかけている旭化成が,比較対象としてもちだす事自体がおかしい・・・と私は主張してきました.欠陥住宅は個別・特殊な問題だと私は理解していました.ところがコンクリート構造物の早期劣化の方はそうではありません.

1983年3月12日,NHKテレビで「警告 コンクリート崩壊・忍び寄る腐食」が放映されました.これは「コンクリート構造物の早期劣化が全国的な規模で進行していることをはじめて指摘した番組」です.「わが国の土木技術をリードしてきた「栄光の国鉄」がつくった構造物」で異変が露呈したのです.一部悪質業者の問題ではないのです.

そして案の定というべきか,短寿命を正当化する「専門家」の論が現われました.
「半永久的に供用できるような頑丈なコンクリート構造物をつくろうと考えるのは,バカげたことだ.機能的耐用年数に達したらかんたんに壊れるような構造物をつくるべきだ」という主張がある.このような主張は,耐久性の観点からコンクリート構造物の使用材料の品質や施工方法を検討する場で,規制される側の利益代弁者となった研究者や学者によって展開される.

痛烈な批判です.小林氏がほんものの学者であるだけに,その言葉は千鈞の重みを持っています.「利益代弁者」によるこの主張は,後述するようにDNA派の主張と重なっています.

小林氏は,高度成長期以降のコンクリート構造物の物理的耐用年数は機能的耐用年数にすら達していないと,次のように主張します.
主張は,コンクリート構造物においても設計耐用年数を導入できるという前提に立っている.しかし,その前提が成り立たないことは,以上から明らかである.現在,問題になっているのは,山陽新幹線高架橋がしめすように,機能的耐用年数に達する前に劣化が急速に進行し,多額の補修費を投じなければ供用できな状態に立ちいたることである.
耐用年数の説明のすぐ前のところで小林氏は深刻な予測を述べておられます.
現在,私たちの生活や経済活動は,コンクリート構造物によって支えられているといっても過言ではない.オフィスビル,マンション,学校の校舎などの建築物,道路橋や新幹線の高架橋,ダムや原子力発電所,上下水道施設,海岸堤防などはいずれもコンクリートでつくられている.さて,みなさんは,これらのコンクリート構造物が,「ある時期に一斉に壊れだす」などということが信じられるだろうか?

これらの構造物はいずれも,わが国の重要な社会資本ストックである.じっさいに,そういう事態に直面した場合,国の社会経済活動ははかり知れない影響を受ける.一通の投書を紹介しよう.『日経コンストラクション』という土木技術者向けの技術誌(1997年2月14日号)の投書欄に「橋が一斉に壊れる日がくる」という表題で掲載されたものである.

「近い将来,これから30年ほど先かそこらに,橋などの土木構造物が一斉に壊れはじめる日がくるであろう.あたかも新婚家庭が購入した電化製品が,しばらくして一斉に壊れはじめるかのように・・・.こうした問題は,一部の専門家のあいだではかなり認識されているようだが,より広く世間に知らせる必要があるのではないか・・・・・・」

私は,コンクリート構造物が一斉に壊れはじめる時期が,30年後よりもはるかに早い2005〜10年頃までにやってくる可能性が高いと考えている.1章にしめしたコンクリート構造物の異変はまさに一斉崩壊の予兆であり,氷山の一角なのである.
ぞっとするような話です.小林氏のこの予測は高度成長期以降に建設された橋梁の物理的耐用年数は40年,マンションの物理的耐用年数は35年であるという認識に基づいています.そしてそれは小林氏の「20年にわたる構造物調査の経験と,多くの建設関係者から得られた情報」に基づいています.




(2)施工における無責任体制

この節も小林氏の本からの受け売りであることをお断りしておきます.

コンクリートはセメント,骨材,混和剤が生コンプラントで混合され,生コン車で現場に運搬され,ポンプ施工で打ち込まれます.検査は打ち込み28日後です.

通常の工業製品は工場で完成され検査の結果不良品は廃棄されます.28日後に不良品とわかったコンクリート構造物は?
セメントは工場でメーカーが製造する通常の工業製品です.しかし「工業製品であるセメントまでがコンクリート構造物の早期劣化に加担」しています.

「アルカリ骨材反応騒ぎのさいには,零細企業によって生産されていた骨材がまっ先に槍玉にあがり,工業製品であるセメントのメーカーは,もっぱらだんまりを決めこんだ.鉄筋の塩分腐食問題でもまったく同じ図式で事が進んだ.(179頁)」
ここではセメントや骨材の問題点については省き,生コン以下の川下の施工品質に焦点を絞ります.


公共工事で使われる生コンの品質は本来発注官庁がチェックしなければなりません.しかし官庁にその力はなく,ゼンコンに全面委託され,ゼネコンは生コン業者に相手費用で試験を代行させています.

現場で生コン車から直接採取されたコンクリートから作成された試験体は28日間「生コン工場の試験室で保存されるが,試験体がまったく別のものにすり替えられることは,けっして珍しいことではない(151頁)」
小林氏が生コン会社の技術者から聞いた次の話は,コンクリート構造物の品質に関する本質的な問題点をよく表しています.

生コン会社の技術者は,試験体の強度があまりに低かったので,驚いてゼネコン担当者に報告,ゼネコン担当者は発注官庁に連絡したそうです.生コン会社の技術者はペナルティを覚悟しました.ところが発注官庁からの指示は,データの書き換えだったのです!

生コンの試験はコンクリートが打ち込まれてから28日後に実施されますから,もし品質不良なら取り壊しになり,責任はゼンコンにとどまらず,発注官庁にも及ぶのです(工期が1月遅れるのは確実です).これがデータ書き換え指示の背景です.つまり

「完工検査は書類審査によっておこなわれるので,書類さえ整っていれば,なにも問題はおこらない.たとえ強度が設計基準の約二分の一であったとしても,大きい地震がおこらないかぎり,その影響があらわれるのは10年も先のことである.(184頁)」

「設計どおりの品質コンクリートと,水増しの劣悪なコンクリートは外観上区別がつき難く,しかも検査は書類検査のみである.(138頁)」

書類書き換えと同時に試験体も健全なものにすりかえられるでしょう.

コンクリート構造物は,「いったん,できあがってしまうと,鮮魚や野菜のように外観で中身を判断するわけにはいかない」のです.それでも工業製品のように製造工程が厳しく品質管理されていれば,問題は少ないでしょう.「材料の選定からコンクリートの練り混ぜ,運搬,打ちこみ,締め固め,養生,鉄筋の圧接など,施工の各段階を一貫して管理する体制」すなわち「施工の各段階に技術者が目を光らせて」いれば,問題は少ないでしょう.

「コンクリートのポンプ圧送が今日ほど普及する以前には,コンクリート打ちこみは工事のもっとも重要な業務の一つであるとの認識から,官公庁の出先機関の監督員と請負者が総出で,打ちこみ作業に立ち会っていた(153頁)」
ところが現場には官庁責任者どころか,ゼネコン責任者もいないのです.少人数の現場作業員に品質確保の重責が負わされているのです.ところが,ところが,現場作業員には,品質のことなど二の次で,作業効率しか頭にないのです.不法加水はこうして日常茶飯事になります.


重層下請制度

下請は何層にもなっています.小林氏があげた例を下表に示します.数字は川下にいくに従い工事費がいかに減っていくかを示しています.
参考までに,外壁ぬりかえの場合の例をあげておきました.客はヘーベリアンであり旭化成の名前で受注できたのですから,旭化成リフォームから旭化成に対して,上納金とよぶべきか,リベートとよぶべきかわかりませんが,工事費が還元されているハズですから,旭化成を元請の位置におきました.旭化成に170万のリフォーム工事を頼めば,100万相当の工事をしてくれるという意味です.
元請 下請 孫請 ひ孫請
コンクリート構造物 ゼネコン 1次下請 2次下請 3次下請
100 70 63 57
旭化成リフォーム工事 旭化成 旭化成リフォーム 工事店
100 60


「川上では十分な工事費が投入されているにもかかわらず,川下ではその半分近くがどこかへ雲散霧消」してしまいます.「それでも,良質の構造物ができるのであればいいが,実際には耐久性の劣る構造物が量産されているのである.(202頁)」

元請は丸もうけしています.これだけマージンをとっておきながら,元請は品質監視すらしていません.このような形が長年続いてきたことは,日本がこの分野で三流国である証であると思われます.



小林氏が強調されている「コンクリート構造物の品質のブラックボックス状態」はこうして生まれます.恐ろしいのはこれが例外的な話ではないことです.品質が保証されているものは,一部の公共建物,超高層マンションなどに限られているのです.厳しく品質管理されているべき高速道路,新幹線高架橋すらその品質はブラックボックスなのです.


(3)隠蔽論理

コンクリート構造物の耐用年数について話を単純化すると次のようになります.

耐用年数本来の物理的耐用年数 機能的耐用年数 実際の物理的耐用年数
コンクリート構造物 100年 50年 40年


100年もつハズのコンクリート構造物が日本では40年しかもたないことがわかったとします.100年と40年の落差です.

施工責任者の「利益代弁者」は,半永久的にもつなどバカげた素人の幻想だ,機能的耐用年数もてば十分だという論を展開しました.50年なら,補修に補修を重ね,ごまかしごまかし,なんとかもたせることは不可能ではありません.

本来の物理的耐用年数と現実のそれを比較されては,施工責任者側はたまらないのです.責任は免れようがありません.こうして本来の物理的耐用年数はタブー視され,かわりに機能的耐用年数が登場したのです.


「利益代弁者」と小林氏の論の決定的違いは,40年を正常でありおかしくないとみるか,早期劣化であり異常だとみるかにあります.正常とみるか異常とみるかです.


84年の雨漏り団地事件は国会まで持ち込まれ,建設省の意を受けた住宅・整備公団は,調査委員会を設置して建物のコンクリートの品質調査を4ヶ月かけて行いました(民間住宅の早期劣化を調べるために国の調査委員会が設置されたはじめての例).42本のコアを採取して専門家が調べました.

その結果は「要するに,団地建物の劣化は通常のものであり,とくに異常なものではない」というものでした.居住者側は「団地の建物にはいろいろな変状がおこっている.報告書はその原因について何一つ明らかにしていない」と反発し,小林氏に再調査を依頼します.

85年12月小林東大教授は「団地の建物でおこっている異常な劣化現象は,アルカリ骨材反応に起因するものである」と明快に原因を指摘し,調査委員会の結論を真っ向から否定しました.「公団側は猛然と反発」し,次のようなコメントを出しました.
「公団は専門家による結論どおり,アルカリ骨材反応はまったくないと思っている.あの団地で見られる程度のひび割れは,日本のすべてのコンクリートに見られる.学会で論争することもせず,一方的に自分の考えを発表されては第三者に被害を与える」
異常ではなくどこにでもある話だと主張しています.小林氏の結論は誰に被害を与えたでしょうか.施工側であることは明らかです.「学会での論争」,「第三者に被害」は,公平,公正を装った欺瞞です.(資産価値低下につながるから建物ではアルカリ骨材反応はおこらないことにしようという「行政的配慮」も出てきました.後述)

わずか築10年の団地で,だれが見ても異常な状態になっているにもかかわらず,施工側はこんなスタンスです.30年,40年のものであれば,機能的耐用年数もてば十分という論がでてきてなんの不思議もありません.

家電製品なら物理的耐用年数=機能的耐用年数という考え方は許されるでしょう.しかし多数の人命が関わる社会インフラがそんな考えで作られてはたまりません.橋が突然壊れるのです.新幹線の高架橋の床版がある日突然壊れるのです.

80年代後半から90年代後半にかけて,この隠蔽論理が,建設官僚に深く浸透したと思われます.それに依拠するより他に道がないほど,事態は深刻なのです.平成8年版建設白書はこのような背景のもとに生まれました.建設省の代弁者たる旭化成が熊野コンセプトをぶちあげたのは98年です.建設省が00年品確法シンポジウムの場で,建て替えサイクルを耐用年数にすりかえたのは,こうして必然です.物理的耐用年数=機能的耐用年数こそ,異常を正常にすりかえるキーコンセプトなのです.


建設官僚が公けの席で,日本の社会インフラは40年しかもたないと述べたとしましょう.大問題になるのは必至です.橋,高速道路,新幹線などの「建て替え」予算は,無駄な「新築予算」のため全く不足しているからです.そして自分たちや,先輩官僚たちの責任が問われるのも必至です.「アメリカは100年,なのに日本の社会インフラの耐用年数はなぜ40年なの?」と,国会で厳しく追求されるでしょう.

建設官僚がぬけぬけと普通の家は26年しかもたないと公言した理由は明白です.ぼろい家を建てたのは個人の「自己責任」であり,自分たちに責任が及ばないと踏んでいるからです.

建設官僚はもっとも弱い層すなわち個人消費者に対してだけ,「負の遺産」の清算を求めているのです.膨大な社会資本ストックに封じ込められている「負の遺産」は手つかずのままです.いつの日か,大崩落が多くの人命を奪うその日まで,官僚たちはそ知らぬ顔をしているでしょう.そして旭化成はそんな官僚の忠実なスポークスマンなのです.

「日本の家が26年しかもたないって本当ですか?」「本当です.基礎がぼろいからです」と熊野氏がぶち上げていれば,それは社会に警鐘を鳴らす画期的CONCEPTだったかもしれません.しかし同時に,ヘーベルハウスは60年耐用住宅だなどと大きな事は言えなくなるのです.ヘーベルハウスも基礎はぼろいからです.


(4)マンションの耐用年数

マンションの物理的耐用年数は小林氏によれば35年です.私は普通の家の物理的耐用年数は,建て替えサイクルの2倍の5,60年のハズだと考えました.しかし堅牢そのものに見えるマンションですら物理的耐用年数は35年だというのです.鉄筋コンクリートの基礎を持つ一戸建ての実際の物理的耐用年数はどれくらいなのでしょうか.

- 本来の物理的耐用年数 機能的耐用年数 実際の物理的耐用年数
マンション 80年 40年 35年
一戸建て60年 30年


マンションの35年というのは,すべてのマンションが35年しかもたないという意味ではもちろんありません.「超高強度の特殊コンクリートを製造できる生コン技術をもつ生コン工場を選定」して,「緊密な連携のもとで入念な施工」が行われた超高層マンションは,「耐震性が優れているのみでなく,高耐久性」で物理的耐用年数はずっと長いでしょう.中高層のマンションであっても,ていねいに作られたものは,やはりずっと長いでしょう.

まともなマンションの物理的寿命は35年どころではないのです.小林氏の指摘の重大性は,まともなマンションははたしてどれだけあるのか,35年しかもたないマンションは,一部悪質業者の欠陥マンションだけでなく,大手ゼンコン施工のマンションにも,公団分譲のマンションにも,どこにでもあるのではないかという点にあります.

マンションを買おうとしている人,マンションに住んでいる人には『コンクリートが危ない』の付録「分譲マンションへの対策」は必読だと思われます.小林氏は30年で3つの分譲マンションに住み,管理組合役員として活動された経験をお持ちです.この方以上のアドバイザーはいないのではないかと思います.
マンションや家の耐用年数を考える上で,小林氏は重要な側面を指摘しておられます.
1984年はアルカリ骨材反応が社会問題にまで発展した年であるが,このとき,官庁の建築関係者はさかんに,「アルカリ骨材反応は建物にはおこらない」と主張していた.同じ生コンであるから,橋梁に使用した場合でも建物に用いた場合でも,アルカリ骨材反応に関する挙動は変わらないはずである.なぜ,このようなことを言い出したのか?

建築物が土木構造物と異なる点は所有形態で,だいたい民間が所有している.アルカリ骨材反応は「コンクリートのがん」とよばれており,いったんその建物にアルカリ骨材反応がおこっていると判定された場合,資産価値が大幅に低下する恐れがある.

建物の外壁にアルカリ骨材反応によると思われるひび割れが発生した場合,原因を調査することになるだろう.調査の結果,アルカリ骨材反応がおこっていると判明し,このことがなにかの拍子で外部に漏れると,資産価値の低下は避けられない.分譲マンションの場合,調査結果を管理組合理事会止まりにしておくことはできない.調査は管理組合の費用でおこなわれるからである.区分所有者全員に知らせた場合には,外部に公表したのと同じ結果になる.

それならば,「建物にはアルカリ骨材反応はおこらない」ことにしようというわけである.気にかかるひび割れは,ごくありふれた乾燥収縮によるひび割れとして,めんどうな原因調査を抜きにして手直ししておけばいい.「行政は現象まで制御できる神様」と言われるゆえんである.このような行政的配慮は,なにも行政官庁だけの専売特許ではない.真理の追究を目的にして研究に従事しているはずの大学教授が,これを錦の御旗として情報隠しに加担するケースも多いのである.
いろいろなことを考えさせてくれる指摘です.


(5)白華現象

私は『コンクリートが危ない』にある「建物基礎に発生した白華現象(図1.12)」および「高速道路高架橋柱基部の崩壊現象(図1.14)」をみて,愕然としました.

90年築のわがヘーベルハウスは,築6,7年頃から基礎に白い粉が吹き出ていました.旭化成はそのことを98年秋に知っています.

玄関に向かって向かって左側(西側)和室の,西側端の空調室外機の後ろの,基礎の写真です(04年4月15日撮影).1が普通の基礎の色,2より右側(東側)は黒っぽい色になっています.これは旭化成リフォームがなにかを塗ったからです.



(↑click)

これは玄関に向かって右側(東側)のリビング前の基礎の写真です(04年4月13日撮影).こちらは建設当時のままで何も塗られていません.

白い粉は最初基礎表面に吹き出ていましたが,現在はごらんのような形で蓄積しています.地面に近い部分のモルタルが一部脱落して砕石が露出しています.



98年秋に外壁を塗り替えた時,旭化成リフォーム社員(実は工事店社員ですが)に白い粉は何かと尋ねました.彼はなにも答えず写真だけ取って帰りました.外壁の工事が終わった時点でもう一度答えを求めたところ,彼はなにかを塗りました.この処置は和室の前の基礎だけ行われました(上左の写真).

下は00年に行われた10年点検の点検結果です.全体画像はこれです.基礎南面表面白華化と書かれています.点検した人はこれについて何も説明しませんでした.そして点検結果はごらんのとおり問題なしになっています.これで保証がきれ次回は10年先です.



これが旭化成がさかんに宣伝している長期無償点検の実態です.旭化成は金にならないメンテナンスはしないのです.いかに重大な現象が起きていようとも.

「耐用年数が30年,あるいは15年という部材については,綿密なプログラムに従い,適切なメンテナンスを実施しています.」(04年4月24日付け旭化成全面広告より.後述)

防水シートや外壁塗装・シーリングに関しては,ささいな異常で点検結果はBやCになるのでしょう.当然旭化成リフォームにお任せ下さい,一般業者に任せるのは危険です云々となります.

ところがメンテナンスフリーであるべき60年耐久の基礎に関しては,「コンクリートのがん」の兆しが現われていても,ご覧の対応です.白華現象については説明しないという顧客対応マニュアルがあるのです.資産価値が低下しましたと説明するわけにはいかないからです.そして塗料すりかえ事件のように,客に罪を着せるわけにもいかないからです.
白華現象の意味を私は『コンクリートが危ない』によってはじめて知りました.1章19頁の白華現象のところを引用します.

団地の建物北側は,地表面からの高さ約90cmの部分が鉄筋コンクリート基礎の立ち上がり部分になっている.この部分の表層に奇妙な現象がおこっていた.コンクリート表面に白い綿花状のものが吹き出すのである(図1.12).これは白華現象と呼ばれ,コンクリートブロックなどに多く発生していた.しかし,鉄筋コンクリート建物に広い範囲で発生していることが確認されたのはこの団地がはじめてであった(85年夏のことです.引用者注)

白華は風雨によって容易に消失するが,ふたたび発生する.これがくりかえされると,コンクリート表層部からセメントモルタル部分が脱落して,砕石が露出する.次にに砕石が脱落すると,さらに内部のセメントモルタルが脱落する.このくりかえしによってコンクリートが崩れていくのである.(中略)

基礎立ち上がり部分と一体になっている地中部の基礎コンクリートには,周辺の土壌を通じて水分が供給される.水分は,地上部の大気条件が蒸発を促進させるような場合には,コンクリートの毛管空隙中を上昇し,コンクリート表面から蒸発する.この際に溶質成分が析出して白華になるのである.(中略)

白華の主成分が炭酸ナトリウムであるとすれば,つぎの劣化機構が考えられる.すなわちコンクリートの内部からナトリウムイオンを含んだ溶液が表面付近に達すると,ここには大気中の二酸化炭素から供給される炭酸水素イオンが存在する.水分の蒸発にともなって,両者が反応して,炭酸ナトリウムが析出すると同時に二酸化炭素が放出される.表層部ではこのような結晶の析出と二酸化炭素の放出がくりかえしおこなわれる結果,セメント硬化体組織が多穴質となり,次第に崩壊すると考えられる.しかし,これはあくまで物理化学的な解釈にすぎない.
崩壊の本質的なメカニズムの説明は5章で行われています.5章の最後は次の文で終わっています.
コンクリートは大気中では不変の材料ではないのである.問題なのはその速度と内容である.ここでは,早期にいちじるしく脆弱な状態を引きおこすコンクリート劣化のシグナルが白華現象であることを指摘しておく.

旭化成リフォームは言われたところだけ何か塗りました.塗ったところは白華現象が目立ちません.旭化成は中古ヘーベルハウスの仲介もしています.旭化成の手を経て市場に出る物件は必ずこのように化粧されるでしょう.炭酸ナトリウムはきれいに除去され,臭いものには蓋がされるでしょう.

中古を売りに出す人は,瑕疵は公表したくないのが人情です.まして完全な補修が不可能な瑕疵であればなおさらです.だれがババをつかむのか,まさにロシアンルーレットです.


前に中古住宅評価問題を取り上げました.中古を買う人にとって第三者の公正な性能評価が頼りです.このもっとも要求されているシステムができるのはまだまだ先のようです.なぜそんなに遅れるのでしょうか.理由はいまや明白であるように思われます.

品質がブラックボックスのコンクリート構造物は,コアをいくつかくりぬいて調べなければなりません.そしてその結果はどうなるのでしょうか.恐ろしい結果がでるのではありませんか.

検査は「中性化深さ」で通常の経年劣化を調べる程度のいい加減なものであってはなりません.
国土交通省がもしいい加減な中古住宅評価システムを作ったとしましょう.問題なしとされた物件が,その数年後の地震であっさり倒壊する危険性があります.こうなったらはっきり責任問題です.保身しか頭にない官僚が及び腰になるのは必然です.

大手ゼネコンの役員が「今時の(90年代後半の話です.引用者注)新築マンションは設備で売り込んでいますが,問題は建物の質です.数年もしたらボロボロですよ」と小林氏にささやいているのです.恐ろしいことになっているのです.


私はヘーベルハウスが60年耐用住宅であることをこれまで疑ったことはありませんでした.60年耐用で家として当たり前ではないかと思っていました.ヘーベルハウスの基本躯体だけは信用していたのです.なんとお人よしの間抜けだったことでしょうか.

ヘーベルハウスで一応まともそうのは工場製品であるALCパネルと鉄骨だけです.現場の作業を伴うものはすべてだめです.基礎も,外壁も,防水シートも,内装も.なぜか.だれも施工を監視していないからです.旭化成は「川上」とピンハネにしか関心がないからです.品質に責任持つ人がいないからです.


00年9月2日の旭化成には珍しい2面通しの全面広告をご覧下さい.



これだけ真っ赤な嘘を平然とつける企業はやはり珍しいと私は思います.今までのことは一切水に流して,00年品確法以降の話だというのであれば,話は別ですが.


最新トピックをいくつか.

1.この2面通し広告(全面見開き広告と言うのだそうです)は,04年4月24日送付されてきた『HEBERIAN』(2004年春号.本文が18頁しかなくペラペラです)の裏表紙にLongLifeGALLERY vol.3として掲載されていました.私にも広告を見る眼があったようです.

「文字だけという大胆な構成でありながら,良質な住宅のあり方を真正面から捉えたこと,「その家はロングライフ住宅か.」という問いかけによって,多くの方に支持されて広告」だと旭化成は自画自賛しています.

2.4月24日の東海林のり子紙上住宅レポート第2弾(『ながーい目で見れば,ロングライフ住宅』)でまた平均寿命26年が登場しました.次のような文脈で使われています.98年や01年の全面広告との差にご注意ください.

(鉄骨躯体が60年以上の耐久性をもつことを述べた後)外壁材・屋根材・床材として使用されているヘーベル板や,建物を支える鉄筋コンクリートの基礎も,耐久性は60年以上.この他耐用年数が30年,あるいは15年という部材については,綿密なプログラムに従い,適切なメンテナンスを実施しています.日本の住宅の平均寿命は26年と言われています.(平成8年度建設白書より)再び建て替えるくらいなら,ヘーベルハウスをリフォームして長く住み続けるほうが,賢いと思いませんか.
3.日経新聞4月23日付け,2005年度新卒採用計画より.かっこ内は2004年度.

住宅・建設・不動産のところをみると,積水ハウス620(600),大和ハウス600(300),ミサワホーム15(0),パナホーム約120(109),旭化成ホームズ8(今年4)などとなっています.ミサワが少ないのは,財政苦境に陥っているから仕方がないとして,旭化成ホームズはこんなものなのでしょうか.(ちなみに素材・エネルギーの項に登場する旭化成グループは297(245)となっています.)この数字は次章をお読みになる上で参考になると思われます.

4.4月30日付け東海林のり子紙上住宅レポート第3弾より.
「点検員の方がルーペを使って,外壁を入念にチェックしています. (中略)これだけ丁寧な点検をして,なんと無料です.しかもこれまでにも定期的に無料で点検をしてきているそうです.太っ腹ですねー.こんなにサービスして会社大丈夫なんでしょうか.」
確かに外壁をルーペを使って入念にチェックしています.

外壁など目視とちょっと手で触ってみる位で劣化程度はわかりそうなものなのに,なぜこんなに入念なェックが必要なのでしょうか.ちょっとでも水が浸入するとヘーベル板はぶよぶよになるのでしょうか.

白アリならぬ白華が目にも鮮やかに吹き出しても放置するくせに,こんな重箱の隅をつつくようなチェックに精を出すのはなぜ?


この疑問はすぐ解けました.よく見ると塗装ではなくシーリングをチェックしているのです.シーリングはヘーベルハウスの根本的弱点ですから,点検を怠ることができないのはよくわかります.しかしルーペまで必要なのでしょうか.


法外価格のシーリング「増打ち」で,ヘーベリアンは建てたあともぼられる宿命にあるのです.


5.つい4ヶ月前の正月元旦までこの数年間ずっと「築15年で評価額ゼロ」と言いつづけていたのに,5月1日付け東海林のり子紙上住宅レポート第4弾では,「通常築20年も経つと建物の評価額はゼロになる」に変わりました.ヘーベルハウスの場合は,築20年で「なんと建物だけで900万前後の価格」だそうです.相も変わらずうさんくさい話です.

旭化成は沈黙したままです.釈明の余地がないようなことばかりしているからです.
そしてヘーベルハウスは15年で資産価値がゼロになる30年耐用住宅だからです.



12.土建国家の官僚と御用学者

5月の連休前に本屋の土木建設コーナーに寄ったとき,『改訂 建築物のライフサイクルコスト』という厚い本が目にとまりました.ちょっと立ち読みしたところ建物の寿命についておもしろそうなことが書いてありました.
大阪市内の図書館でライフサイクルに関する次の書籍を調べました.地元の本屋にあった3の本は1の改訂版です.2の著者である建設大臣官房官庁営繕部保全指導室長の石塚氏は,1と3の執筆主査でもあります.4は建設省とはあまり関係ないと思われる学者の本です.

NOタイトル 著者・監修 刊行年月 発行
建築物のライフサイクルコスト 建設大臣官房官庁営繕部監修 93.10 経済調査会
建築のライフサイクルマネジメント 石塚義高著 96.06 井上書院
改訂 建築物のライフサイクルコスト 建設大臣官房官庁営繕部監修 00.05 経済調査会
長生き建築のしくみ -ライフサイクル計画論- 小原誠著 02.05 彰国社


ライフサイクルコスト(LCC)の考え方がQCなみに根づくためには,「日本化することがどうしても必要」と1の本にあり,それは今後の課題のようです.改訂版の3の本では1の原本のことを「我が国で最も完備したLCC手引書」と自画自賛していますが,1は説得力にとぼしい無味乾燥な内容だと私は思いました.


3年後の2の本はかなり趣が違います.少なくとも第1章は読ませる内容になっています.

(1)建築物の使用年数は延びている

これが第1章のタイトルです.石塚氏は次のように述べています.

「わが国において1990年を過ぎて建築物の使用年数が短いという状況が決定的に変化してきている.」

「建築物の使用年数が,大幅に延び始めてきている.以前であれば,平均30年で建て替えられていた建築物が,35年を過ぎても40年を過ぎても使用され続けるようになってきている.」
石塚氏の考察対象は個人住宅ではありません.官庁建物や企業の建物で,要はビルが対象です.

官庁建築物のほとんどは,鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリート造り(法定耐用年数65年)または肉厚4mm超の金属造り(法定耐用年数45年)です.

上記の法定耐用年数は2の本が刊行された後の98年(平成10年)に改定されています.それによると前者は50年,後者は38年に引き下げられています.
さて第1章には,官庁建築物と民間建築物に分けて,除却時の築年数の分布図が掲載されています.(平成8年版建設白書の平均寿命の記載には,分布図はありませんでした.)

個人住宅の建て替えサイクルは26年でした.官庁の立派な建物も建て替えサイクルは31年だというのです!

データ件数は50件と少ないことにご注意下さい.

民間建築物に対しても同様の図が載っています(データ件数141件).分布の形はほぼ同様です.平均は30.2年となっています.


石塚氏は次のように述べています.
「建築物の物理的寿命は,税法上の耐用年数からみて長い分は良いとして,少なくとも同程度の45年から65年が求められる必要はあろう.しかしながら,実際の建築物の使用年数は,建築物の物理的寿命とは別に仮りに社会経済的寿命というとすると,この建築物の社会経済的寿命によって耐用年数がくる以前にその使用を取り止め,その多くが除却されていたことになる.」
物理的耐用年数がくる前に多くが除却されていたと述べています.石塚氏は物理的耐用年数と法定耐用年数の関係について,同じ第1章の別のところで次のように言い切っています.
「本来であるならば,法定耐用年数以上の耐久性をもたせることも必要と考えられ,そのように設計されているものもあるが,資産の保全以上のことは無駄な投資になると評価されており,一般的には,法定耐用年数を上回ることはほとんど行われていない」
物理的耐用年数は少なくとも法定耐用年数と同程度なければならないと言いながらも,ホンネは物理的耐用年数=法定耐用年数のようです.上述したように平成10年の改訂により法定耐用年数(=法定償却年数)はそれぞれ38年,50年になりました.

4の本の著者小原氏は法定償却年数は「単に建築物の償却費用を控除してくれる年数の限度に過ぎず,建築物の寿命ではない」と指摘した上で,平成10年の改訂について次のように述べています.
この数字は平成10年に,景気刺激策として免税額を大きくするために,それ以前よりさらに短く変更された数字です.

法定償却年数は,実際は建物の寿命ではなく,部位別耐用年数の部位別コストの荷重平均年数と考えるべきであり,建物の躯体そのものの年数はずっと長く,それが建物の最終寿命となるので,法定償却年数より長くなくてはなりません.それなのにこの数字だけが一人歩きしているのです.
(4の本については後述します.)

法定耐用年数65年の時代には,物理的耐用年数も同じ65年だと言い切ることに若干のためらいが見られました.しかし今や石塚氏は堂々と物理的耐用年数65年を主張されているに違いありません.それどころか50年を主張されているのかもしれません.

ちなみに個人住宅の法定償却年数は,木造22年,鉄骨プレハブ27年,RC,SRCで47年です.


さて35年過ぎても40年過ぎても使いつづけているという根拠は何でしょうか.

(2)半減年数

建設省は5年ごとに所管する建築物の面積,構造,修繕履歴などの全数調査を行っています.この官庁建築物実態調査が始まったのは1965年でそれ以前の詳細データはありません.

石塚氏は実態調査の面積データをもとに,残存率による耐用年数というものを導入しています.ある期間に建てられた建物の合計面積を1として0.5になった年数を「耐用年数」とするのです.他と区別するために,ここではこれを半減年数と呼ぶことにします.石塚氏の分析結果を次に示します.

-建設時期半減年数
1941〜194534.2年
1946〜195032.8年
1951〜195531.1年
1956〜196048.8年
1961〜196555.0年
1966〜197056.9年

(蛇足ながら,終戦は1945年,東京オリンピックは1964年,大阪万博が1970年です.)


A,B,Cの期間に建てられた建物の半減年数は30数年であるのに対し,D以降の建物の半減年数は,50年から60年になっています.A,B,CとE,Fは全く違っているように見えます.そしてその間に,過渡期を絵にかいたようなDが挟まっています.ところがこれは相当にインチキなのです.

次の表は2の本に掲載されている元データです(単位はu).

-建設時期1965年1970年1975年1980年1985年1990年
1941〜194512073610800189945844978449770089
1946〜195018323141889369502950205020
1951〜1955225384225584202413183947183947183947
1956〜1960499258499258499258499258499258470809
1961〜1965128241812824181282418128241812824181147294
1966〜1970
-
23058242305824230582422966992296699

横軸は実態調査の実施年度です.第1回が1965年(61年から65年にかけて全件調査)です.それ以前のデータはありません.つまり60年以前に建てられた建物に関しては,もともと何uであったかというデータがないのです.これに対して,石塚氏は築15年までは壊されない(面積は減らない)という妥当と思われる仮定をおきます(これを仮定1とします).

CもDも1965年時点では築15年以内です.仮定1によりCの225384u,Dの499258uは建てられた時の値ということになります.C,Dは次のグラフになります.Cでは40年経って残存率0.82,Dでは35年経って残存率0.94なのです.

おわかりのように,前に示した(図1.4の)CとDのグラフはおかしいのです.CやDも,本当は,EやFに酷似して,半減年数は50年超なのです.

AやBはどうでしょうか.Bのグラフを描くには,築15年までは残存率は1であるという仮定1の他にもう5年分,Aではさらに5年分のデータが必要です.石塚氏はこれらに対し,築15年を過ぎると5年ごとに残存率が0.82ずつ落ちると仮定しています(10年では0.82*0.82で0.67).これを仮定2と呼んでおきます.

たとえばAのグラフは次の手順で描かれます.築15年までは残存率1,築16から20年で0.82,築21年から25年は0.67,そしてこのあとにようやく,実測の5年ごとのデータが使われるのです.

AとBは開戦から戦後5年という極めて特異な,普通ではない10年間です.そしてその20年後,30年後は高度成長の真っ只中です.A,Bに対しては仮定2が成立し,半減年数30年の「見事な」グラフが当てはまるかもしれません.しかしC以降に対しては,仮定2が全く成立していないことは実測データが示すとおりです.

石塚氏は「以前であれば,平均30年で建て替えられていた」,「1990年を過ぎて状況が決定的に変化」と述べました.しかし実態調査結果のデータは,石塚氏のこの認識が誤りであることを,はっきり教えてくれています.

平均30年で建て替えられたというのは,1941年から1950年に建てられた少数の建物だけにあてはまります.1951年以降に建てられた大多数の建物には全くあてはまりません.したがって1990年はクリティカルポイントでもなんでもないのです.

平均30.7年の建て替え年数グラフは何を意味するのでしょうか.建て替えられた建物だけを対象に平均をとっているからです.Cの時期に建てられた建物でも建て替え年数の「平均」は20数年になるではありませんか.(後述)

第1章の結びは次のようになっています.

「建設後30年経過の建築物全体に占める割合は,1990年では10.9%であったが,1995年では,17.9%に,2000年では31.3%に,2005年では38.9%と予測される.建築物の使用年数の長期化の傾向がより明確に示されている.

建設後30年経過の建築物は,設備機器・配管の更新や建築内外装の更新が必要とされ,経費の大変かかる時期であり,そういうものが1990年では全体の10%程度であったものが,2005年では40%弱と拡大することになり,更新や修繕に要する予算の確保が,今後,重要な課題となろう.

これらのことは,地方の公共団体の建築物や民間の建築物についても同様と考えられる.」
築30年超の建物の割合がどんどん増えているのは,なにも「使用年数長期化の傾向」の結果ではなく,30年前の高度経済成長期に官庁がどんどん新築された結果にすぎないのです.

30年経ったらメンテに金がかかる,メンテ費用の予算の確保が今後の重要な課題だと述べています.メンテ費用は予定していないのでしょうか.メンテ予算とは比べ物にならない新築予算なら確保できるとでも言いたいのでしょうか.


(3)長期使用の問題点

建物を長期使用した場合,もっとも深刻な問題点は言うまでもなく安全性です.滋賀の豊郷小学校も,老朽化し安全性を確保できないという理由で壊されかかったのでしょう.

ところが石塚氏が言う長期使用は長期使用といっても80年,90年の話ではなく,たかだか40年の話なのです.私はこの程度の「長期使用」にはなんの問題もないと考えます.「欠陥建物」でない限り.
前章で述べたように小林氏はマンションの物理的耐用年数は35年しかないと警鐘を鳴らしました.ここでは以下の理由によりこの「コンクリートクライシス」の問題は除外します.

石塚氏の考察対象は建設省が管轄する国の建物です.小林氏の指摘にあるように官庁建物の施工で業者が手抜きする可能性は低いと思われます.国の建物が,耐久性の問題で早期に建て替えざるをえないほどひどいとすれば,地方の学校や民間建物のほとんどは欠陥建物になっていると考えられます.
石塚氏にとっては,しかし,この程度の「長期使用」であっても問題があるようです.メンテ予算の確保が課題と述べていますが,さらに包括的に考察して,問題点を「環境問題」と「効用問題」の次の二つに集約しています.(2の本の第4章)

・使用年数全体の総費用ならびに地球環境問題で課題となる全体の二酸化炭素量や全体のエネルギー使用量が膨大になる.

・建築物に求められる効用は,時間の経過とともに変化し,増大していくことに対して,現実の建築物の効用は時間の経過とともに減少していくことから両者の乖離が生じる.


地球環境問題を持ち出し二酸化炭素量と消費エネルギー量を云々しています.これらを定量的に評価した結果の数値は,莫大な費用を必要とする建て替えを正当化できるような値にはなりません.そこで抽象的な「効用」の登場です.

建物に求められる効用は時とともに増加するそうです.本当でしょうか.バブル期に建てられた豪華な本社ビルの効用は時とともに増加するのでしょうか.人あまり官庁の立派な建物の効用は時とともに増加するのでしょうか.

建築物に求められる効用が時とともに自然に増大するというのはまさに「箱物行政」の誤れる大前提です.石塚氏は,昔の夢をまだ追っています.

石塚氏は「長期使用」の問題点の「理論化」に非常に熱心です.しかしその一方で,早期建て替えの問題点にはまるで触れていません.こちらの問題点は誰の目にも明らかです.すなわち税金の無駄使いです.


早期建て替えにはそれに見合う切実な事情,納税者を納得させる事情が存在しなければなりません.終戦直後に応急的に建てられた官庁建物は20年後,30年後の高度成長期に,建てる時予測できないほど異常に「建物に求められる効用」が増大したという切実な事情があったからこそ,早期に建て替えられたのです.

さて2000年に刊行された建設大臣官房官庁営繕部監修の『改訂 建築物のライフサイクルコスト』(3の本)には,石塚氏の考察が次のように要約されています.

我が国の構築物の使用年数はバブル崩壊以前においては,官庁建築物であれ民間建築物であれ,また事務所建築物であれ個人住宅であれ,使用年数の平均はおよそ30年でありました.ですから,取り壊されたり建て替えられたりする年数の平均は,30年と短いものでありました.それが最近の建築物は,35年がすぎても40年がすぎても使用され続けています.
「長期使用」の問題点に関しても,2の本の内容がそのまま踏襲されています.

改訂版には個人住宅がはじめて登場しています.建設白書平成8年版の平均寿命26年が反映されたと思われます.
ライフサイクルコスト(LCC)は家が建てられてから解体されるまでの総費用(生涯費用)です.その中で建設コストの占める割合は意外に小さく,氷山の一角にすぎない・・・というのがLCC法のそもそもの出発点です.

一般事務所の場合には,下の1,2でわかるように,建設コストの数倍が保全コスト,修繕・改善コスト,運用コスト(光熱水費)などに費やされています.新築時に建設コストだけでなく,これらのコストもトータルに考えて建物を作りましょうというのがLCC法の考え方です.

NO種別 使用年数 建設費 その他費用計 (光熱水費) 出典
中規模事務所 60年 16.3% 83.7% (30.8%) 上記2の本の97頁
大規模事務所 65年 20.8% 79.2% (40.4%) 上記2の本の101頁
個人住宅1 100年 50% 50% 平田氏『柱の太さで家をきめるな』
個人住宅2 60年 56% 44% ヘーベルハウス(『それから』参照)
個人住宅3 30年 72% 28% 30年耐用住宅(『それから』参照)

一方個人住宅の場合,100年使ったとしても,メンテナンスにかかるコストはミサワ平田氏によれば新築一軒分です(個人住宅は運用コストを省いて評価しています).使用年数が短かければ,もっと小さくなります.個人住宅の場合,建設コストは氷山の一角ではなく,圧倒的に最大コストなのです.つまりはLCC法のありがたみ(?)は,個人住宅にはもともとあまりないのです.

光熱費ゼロ,フリーメンテナンスを目指す積水ハイムがLCCをもちだすのはわかるにしても,建設コストもメンテナンスコストも高いヘーベルハウスの宣伝に旭化成は98年9月4日の全面広告で,LCCを持ち出したのです.あろうことか使用年数を物理的耐用年数にすりかえて!


(4)御用学者

02年に刊行された4の本,小原誠著『長生き建築のしくみ -ライフサイクル計画論-』(彰国社刊)を取り上げます.この本は大学院生向けの講義メモをもとにしたものです.

著者の小原氏は「大学卒業後NTTに30年近く在職し,その間,電気通信システムの質的,量的変化に局舎工事が追いまくられ,目まぐるしく変化する収容施設と局舎との整合性はいかにあるべきかを考え続けていた」方です(あとがきより).氏の専門は個人住宅でもコンクリート工学でもありません.


さて小原氏は建物が使われなくなる理由を,老朽化と陳腐化に二分します.陳腐化とは英語でout of datingとも言い「非今日化」という方がわかりやすいと氏は述べておられます.氏自身の言葉を使って理由を整理すると,次表のようになります.

<建物が使われなくなる理由>
老朽化陳腐化
英訳deteriorationout of dating(非今日化)
原因物理・化学的な外因による劣化建物自身の原因ではなく,利用者側の状況変化や,利用者側に利用状況の変化を強いるような社会的,経済的原因による
日光,風雨,温度変化,酸化,虫害,腐朽のような自然現象による劣化,建物利用に伴う磨耗や破損などの人為的劣化 面積が足らなくなる,より高度な設備システムを導入しなければならない,防災水準を高めたい,アメニティを高めたい,建物や部屋の用途を変更したい,経営的に不要になった,手放したい

どのような視点で二分したのでしょうか.建物自身の原因かそれとも建物以外の原因か,だと考えられます.「建物自身の原因ではなく,利用者側の状況変化や,利用者側に利用状況の変化を強いるような社会的,経済的原因による」という陳腐化の説明は非常に包括的です.

10年しか住めなかった欠陥住宅の場合はどちらに入るのでしょうか.

三菱車のハブ欠陥は,決して,老朽化によるものではありません.どんな製品でも,品質が問題になるのはほとんどの場合老朽化以外の理由です.
こう考えたとき,老朽化という「日本語訳」がおかしいのではないかと気づきました.まさかと思いつつ辞書を引くと,deteriorationは悪化,低下という意味でした.つまり劣化を意味するのです.老朽化とは経年劣化であり,劣化の一種にすぎないのです.


今紹介している話が載っている第3章のタイトルは「老朽化と陳腐化と建物寿命」,サブタイトルは「物理的劣化と社会的劣化」になっています.また第10章第1節のタイトルは「建物寿命と建築設備の劣化,陳腐化との関係」となっています.さらに第12章第1節に次の言葉があります.
建物の寿命は,物理的劣化と社会的陳腐化によって決定されますが,日本における多くの建物はその物理的寿命以前に社会的陳腐化によってその寿命が決定されています.
(陳腐化で寿命が決まるのはなにも日本だけの話ではありません.後述します.)

小原氏は同じ本の中で実にこれだけ(目についただけで4パターン)言い換えています.もっとも詳しく説明されている3章で採用されているのが老朽化と陳腐化です(章のタイトルであり表にまでなっています).そしてこれが最悪です.老朽化でも陳腐化でもない理由が存在することは明らかだからです.そしてその隠された理由こそがもっとも重要だからからです.
小原氏のメニューにはありませんが,私の好みは「物理的劣化と陳腐化」です.

さて手元の広辞苑(第3版)によりますと,

耐久(長く持ちこたえること.-性,-消費財)
耐用(使用に耐えること)
耐用年数(機械・設備などのこわれずに使用できる年数.特に,(以下法的耐用年数の説明))
耐久とは読んで字のごとく久しく耐えること,長く持ちこたえることという意味です.耐久にはそれ自身に長い,長寿命という意味があります.耐久性がないとは長持ちしないという意味です.

耐用も同じく読んで字のごとく使用に耐えることです.耐用年数とはこわれずに使用できる年数です.

こわれて使用できなくなる場合以外に,使用に耐えなくなる場合があります.まさに陳腐化して,使用に耐えなくなる場合です.この場合,日常生活では耐用年数を使わないのが普通ですが,あえて使う場合は例えば次のようになるでしょう.

3年で車を買い換えたとき,「俺にとって前の車の耐用年数は3年だった.貧乏人のおまえにとっては20年だろうが」という風に.陳腐化しているかどうかの判断は,利用者の主観や都合です.「俺にとって」とついているのはその為です.「俺にとって」を省けば前の車は3年でつぶれた欠陥車だったという意味になります.

『コンクリートが危ない』の著者小林氏は,耐用年数を物理的-,機能的-,経済的-の3つに分類しました.このうち機能的耐用年数が陳腐化により使用に耐えなくなる年数に対応します.

誤解を招く可能性がある場合はきちんと修飾語をつけます.単に耐用年数といえば,(文脈で意味が明らかな場合を除き)「こわれずに使用できる年数」つまり物理的耐用年数を意味するのです.これで学術的定義と日常用法はなんら矛盾しません.

小原氏は耐久年数という耳慣れない言葉と,耐用年数という日常よく使われる言葉を次のように定義します.

耐久年数とは,「老朽化が進み,物理的にそれ以上使用できなくなる時期であり,物理的寿命」のこと

耐用年数とは,「物理的劣化だけでなく,陳腐化も含めて用途的,経済的にこれ以上使用することが無理となる時期」のこと
だそうです.

小原氏は耐久年数と耐用年数をはっきり区別しました.以下小原流の定義には「」をつけておきます.

「耐久年数」は物理的耐用年数の意味であるように思えます.「老朽化が進み」という言葉がなければ物理的耐用年数と同じ意味になります.「耐久年数」は小原氏の定義をまともに受け取ると老衰死限定の寿命のようです.

しかし物理的劣化というべきところを老朽化と言い間違えた(?)ように,ここの「老朽化が進み」というのも,「老朽化」を愛するあまり筆がすべった・・・,つまり「耐久年数」とは単に物理的寿命のことなのかもしれません.氏の真意がどちらであろうと実はどうでもよく,重要なのは氏が「耐久年数」と「耐用年数」をはっきり区別している点です.


「耐用年数」は,「物理的劣化だけでなく,陳腐化も含めて」となっています.この定義は次の点で特徴的です.

1.陳腐化が「明示的に」包含されています.この点で日常語の耐用年数とはっきり違います.
2.物理的劣化も含まれています.もしこれがないと機能的耐用年数と同じになります.
3.単に物理的劣化ですから経年劣化つまり老朽化も含んでいます.

これらの点を考慮する下表のようになります.

<使用限度年数>
理由(→)deteriorationout of dating
陳腐化
老朽化品質劣化
日常用法耐用年数(俺にとっての耐用年数)
学術的定義物理的耐用年数機能的耐用年数
小原流
(「耐久年数」?)
     「耐用年数」


出発点は建物が使用されなくなる理由を二分したことでした.ところが「耐用年数」は両方の理由を含んでいます.理由は関係ないのです.つまり小原流「耐用年数」とは単に使用年数程度の意味しかもたないもののように思われます.


建築大辞典 (第1版,彰国社刊)

6月2日地元図書館で建築用語を開架棚にあった上記辞典で調べました.おおむね下表のとおりです.(たとえば耐用年数=耐用年限など年数と年限は同義ですので,年限の方は省略してあります.)

用語英訳意味
耐久年数durable term1.耐用年数 2.構造的耐用年数
耐用年数durable years,lifetime,service life耐久的財貨の寿命のこと.構造的物理的または社会的経済的諸要因によって定まる.実態上あるいは理論上の寿命を指すこともあるし(以下法的耐用年数の話).耐久年数ともいう.
物理的耐用年数physical durable years構造的耐用年数とほぼ同義だがやや広義に,構造上はもとよりその他の自然的物質的な諸要因によって,建物として使用に耐えられなくなる年数.経済的−,社会的−の対語として用いられる.
構造的耐用年数structual durable years構造物の主要部材が腐食,老化,損傷などにより物理的な寿命に達し,補修・修繕などの技術的処置を行っても,構造的にそれ以上の継続使用が不可能になり,廃棄するまでの年数.耐久年数ともいう.
社会的耐用年数social durable years経済的耐用年数とほぼ同義であるが,建物に対する需要者の好みや流行の変化,法規上の制限など,いわば社会の上部構造の状況変化による建物減価の側面を強調して経済的耐用年数と区別することがある.
経済的耐用年数economical durable years主として経済的条件に由来して決まる耐用年数.新築時から年数の経過につれて,物質的減価のほかに,建築技術の進歩や新様式,新機能の建物の出現などに伴う機能的減価または陳腐化を生じるが,主として後者のような経済的条件の変化が原因となって使用に耐えられなくなり,除却または改築しなければならなくなるときまでの年数.
陳腐化functional depreciation,obsolescence固定資産の機能が衰えなくても,一般的な技術進歩や社会的流行の変化などにより相対的に旧式なものとなってしまい,その資産価値が減少すること.
機能的耐用年数念のため調べたが該当項目なし.
寿命念のため調べたが該当項目なし.


(蛇足:小林氏の物理的耐用年数は,構造的耐用年数あるいはほぼ同義の物理的耐用年数に対応することは明らかです.経済的耐用年数の定義の中の,機能的減価,陳腐化を経済的条件の変化とみなすのは,ちょっと強引です.小林氏の機能的耐用年数は,社会的耐用年数,経済的耐用年数から,純粋に経済的要素を取り除いたものに対応すると思われます.)



建築大辞典によれば

1.建築分野では耐久年数という用語が存在し,その意味は耐用年数または構造的耐用年数です.
小原氏はこのうち2番目の意味に(勝手に)限定しました.つまり小原氏によると「耐久年数」=構造的耐用年数です.またもし老衰死限定寿命だとすると,「耐久年数」=老朽化限定構造的耐用年数(建築大辞典にない新語)です.
2.耐用年数とは,構造的物理的または社会的経済的諸要因によって定まる寿命のことです.そして寿命には実態上の寿命と理論上の寿命があります.


素人が耐用年数を「こわれずに使える年数」の意味で使うのは,広辞苑にあるとおり全く問題ありません.そして建築用語の観点からも,誤りではありません.なぜなら耐用年数は物理的耐用年数を包含しているからです.

「こわれずに使える年数」の意味で耐用年数を使うのは素人がよく犯す誤りであり,専門家は耐久年数を使うのだという主張を,もし小原氏が意図されているのだとしたら,それは真っ赤なウソです.


もし意図がそこにないとしたら,小原氏の新定義はなんの為のものでしょうか.


ある物が26年で使用されなくなったとします.その理由が,構造的要因なのか,物理的要因なのか,社会的要因なのか,それとも経済的要因なのか不明です.このようなケースに対して耐用年数は26年であると主張することは,正当であると小原氏は主張しているように思われます.

理由は不明ですから「理論上の寿命」ではありえず,「実態上の寿命」にすぎないにもかかわらず,「理論上の寿命」であるかのような仮面をかぶっている点が,極めて重要です.


実態上あるいは理論上の寿命

建築大辞典の耐用年数の説明に「実態上あるいは理論上の寿命」とあります.わかりやくす言えば,現実の寿命と本来の寿命という意味です.この二重性が問題です.

人が××歳で死んだとき,その人の寿命は××歳であるという表現は,誤りではありません(現実の寿命).

医療ミスが原因で15歳で死亡した息子の両親を前にして,医者が平然と「寿命です」「息子さんの寿命は15歳です」と言えば両親はきっと怒りだすでしょう.両親にとって息子の寿命が15歳であるはずがありません(本来の寿命).

イヒハウスは基礎の欠陥のため26年しかもちませんでした.イヒハウスの耐用年数は26年でした(現実の寿命).

イヒ社が「お宅の耐用年数は26年です」と平然と言い放てば,温厚な客は怒り出すでしょう.2千数百万かけて建てた家の耐用年数が26年であるはずがありません(本来の寿命).


「死亡年齢は15歳です」,「お宅の使用年数は26年です」と説明していれば,当たり前のことを言うなと馬鹿にされることはあるにせよ,「被害者側」を怒らせるようなことはありません.それらの言葉は,現実を述べているだけのいわば無色透明な言葉です.しかし寿命や耐用年数はそうではありません.

二重性のある言葉を加害者側が吐いた時,被害者側はなぜ怒りだすのでしょうか.15歳で死んだことを,あるいは26年で使えなくなったことを,本来そうである,必然であるとして加害者側が正当化しようとしていると,直感するからです.

「詐欺師」が無色透明な言葉を使わず,わざわざ寿命を使うのは,もちろん本来の寿命を意図しているからです.そして危うくなった時,そんなつもりはない,現実の寿命の意味で使った,私はウソを申しておりませんと言い逃れるのです.


建設白書平成8年版: 「日本の家の平均寿命は26年」
00年建設省某課長: 「日本の家の耐用年数は26年」



小原氏はまえがきの中で個人住宅に関して次のように述べています.
地方では百年を超える木造住宅が健在なのに,都市では江戸時代の庶民住宅そのままの間に合わせ住宅が,三十年そこそこの寿命で取り壊されるという資源浪費の建設サイクルを繰り返してきました.
これが小原氏の個人住宅に対する認識です.汗水流して頭金を蓄えローンを組んでようやく建てた都会の家は,小原氏によると「間に合わせ住宅」なのです.仮設住宅なのです.「間に合わせ住宅」ですから,「耐久年数」は「30年そこそこ」であって当然です.

同じくまえがきの中で氏は次のように述べています.
都市の記憶を大切にするという観点からも,資源保護という観点からも,長寿命住宅は今日の重要な課題です.それを妨げるものがあるとすれば,それは建設工事量の減少を嫌う現行の建設産業です.
建設産業は長寿命住宅建設によって,遠い将来の建て替え需要が少なくなることを心配しているのでしょうか.建設産業は儲けられる時にできる限り儲けようという体質です.何十年も先のことなど全く心配していません.既存建物をさっさと壊して,長寿命住宅を建てましょうと,「全ての」業者は思っているのです.

建設産業にとって困るのは,現時点での新築需要の減少です.既存住宅を大事に使われるのは,嫌なのです.その立場から見て,小原氏の「江戸時代の庶民住宅そのままの間に合わせ住宅」という既存住宅に対する認識はどう映るでしょうか.大歓迎ではありませんか.さっさと建て替えましょうということになるではありませんか.



コンクリート危機

『長生き建築のしくみ』のまえがきで小原誠氏は次のように述べています.
これまでに取り壊されているわが国の鉄筋コンクリート造の建物の平均寿命は40年そこそこと言われていますが,もったいないと思う反面,存続に耐える建物であったかどうかが危ぶまれるものも多いのが事実です.今,昭和40年代の高度成長期以降建設した鉄筋コンクリート造建築の信頼性が大きく揺らいでいます.
第6章は「鉄筋コンクリート構造の劣化と長寿命化」になっています.そしてその第1節は次のように始まります.
昨今鉄筋コンクリート構造の耐久性について,マスコミでもその疑問を呈する記事が掲載されるようになりました.もともと鉄筋コンクリートには過大な期待が寄せられていたにもかかわらず,木造や鉄骨造りに比べて長寿命とは言えない宿命をもっていました.それにしても建設後,あまりにも短期間に欠点を露呈したような最近の事例には,大きな問題が潜んでおり,それが決して特殊例とは言えない点があります.そこで議論を進めるために,もともと鉄筋コンクリートが抱えていた基本的な問題点と,昭和40年代高度成長期からの問題点を分けて考察していきたいと思います.
宿命とは中性化による経年劣化を指しています.「寿命を全うするには幾つかの基本条件が必要」で,条件とは「コンクリートが密実に打設され,亀裂や隙間がなく,骨材が健全であり,鉄筋が必要なコンクリートのかぶり厚さで保護されている,塩分や不純物が少ないことなど」です.そして「すべての原因は,昭和40年代半ばの高度成長期に,これらの基本条件が守りにくくなったことにあります」と述べています.

氏は次のように述べています.
乾燥収縮,中性化速度の増加,骨材の品質低下,塩分増加というコンクリートの四重苦が昭和50年代初めには早くも顕在化し始めました.
そして次のように述べています.
土木では,(中略)建築のようなトラブルはなかろうと思われていたのですが,1990年代にはアルカリ骨材反応による高速道路や新幹線などの土木構造物のコンクリートの亀裂が顕在化し始めました.
山陽新幹線の海砂使用問題をNHKが取り上げたのは83年です.翌年には国鉄が塩分含有量の調査結果を発表しています.84年の「雨漏り団地」事件は土木出身の小林氏がアルカリ骨材反応に起因することを突き止めています.「84年はアルカリ骨材反応が社会問題にまで発展した年」です.高速道路に関しては82年にすでに阪神高速はアルカリ骨材反応が起こっていることをつかんでいます.

90年代に土木分野で問題が顕在化し始めたという認識は誤りだと思われます.


建築分野では昭和50年代のはじめに早くもコンクリートの品質問題が顕在化し始めたそうです.30年近くも前の話です.建築界はいったいどんな手を打ったのでしょうか.90年施工の個人住宅の基礎が白華にまみれているのは,悪質業者の特殊事例なのでしょうか.


『コンクリートが危ない』が教えてくれているとおり,事態は深刻で土建政治が変わらない限り解決しないようにも思えます.しかし小原氏にとってはそうではないようです.

小原氏は昭和40年代に問題があったことは何度も繰り返されていますが,昭和50年代以降,そして現在がどういう状態であるのかは,明言されていません.そしてせっかく「耐久年数」,「耐用年数」を定義されているにもかかわらず,それらは全く使われていません.
一方小林氏の主張は明確です.(東京オリンピック以降に建設された橋梁,建築物のいずれも短寿命であるという)「状況は,ほとんど回復せず,現在に至っている」(『コンクリートが危ない』41頁),そして現在のマンションの物理的耐用年数は35年と考えるべきだと.
第6章第4節は「コンクリートの名誉挽回はなるか?」というタイトルで,昭和50年代から始められた建築界の取り組みが紹介されています.そして次のように小原氏は述べています.
すべての現場でコンクリートの名誉挽回ができるわけではありませんが,品質確保の方法は自明なのですから,その気で品質管理すればいいのです.しかし受注競争によるコスト抑制が大きなネックになっており,長寿命化のためには躯体コスト自身の妥当性が問われています.
氏の立場,氏の認識,氏の本心が露骨に表明されています.重層下請制度の下での現場施工コンクリートの品質管理がなぜ,そしていかに困難であるかという視点は欠落しています.要はやる気の問題で,やる気をあげるには価格をあげればいいという,施工側にとってまことに結構なお話です.

続く第5節「コンクリートの品質管理と設計段階で考えるべきこと」には次の一節があります.
(前略)条件さえ整えられれば数百年の耐久性も期待できるはずなのです.問題は,発注者側がしかるべき対価を払って,そのような高品質のコンクリートを要求するような,耐用年限設計を行う気運がまだわずかだということです.

・・・品質確保の方法は自明だから,その気で品質管理すればいい,簡単なことだ,問題は過当競争で価格が安すぎることであり,発注者側が「しかるべき対価を払わず」,「耐用年限設計」を省いてしまうほどバカであることである・・・

つまり,ピンハネ,下請丸投げのゼネコン,ハウスメーカーが悪いわけではなく,ケチでバカな施主側が悪いのだと小原氏はおっしゃっているのです.


小林一輔氏は54年東大土木卒です.小原誠氏は55年東大建築卒です.一人は真の学者であり,一人は単なる利益代弁者です.



エフロレッセンス


白華現象の原語はエフロレッセンスであることを小原氏の本で知りました.氏の本では鼻垂れという俗称は紹介されていますが,どういうわけか白華という訳語は出てきません.

小原氏の本では,階段タイルの目地から吹き出ている白華の写真が載っています.タイル目地に咲く白華は珍しくなく,言ってしまえば見栄えだけの問題で,放置しても石灰分がなくなるだけの話です.ところが基礎の白華はわけが違います.ケイ酸カルシウム水和物と呼ばれる微細結晶は,「コンクリートの強度や耐久性を発現させる源泉」だからです.

「エフロレッセンスが多い建物はコンクリートに問題があることを暗示している」と小原氏ですら(?)述べています.


旭化成は10年点検時点でわが家の基礎に白華現象が起こっていることを知っていました.そして4月18日に掲載した第11章の写真によって,基礎表面の一部が剥離していることを知りました.

5月21日金曜日の昼頃,突然旭化成ホームズ(リフォームではない)から,明日土曜日に外回りの点検を行いたい旨の電話がありました.(無論定期点検ではありません.)Yというものが伺うということでしたので私は承諾しました.ところが翌22日,見事にすっぽかされました.行けないという電話すらありませんでした.

いたずら電話ではないと思います(Yという人は実在するはずです).点検を承諾したということは,第11章の写真に信憑性があるということです.それだけ知れば十分だったのでしょう.

現場を見る機会のない第三者の方には11章の写真だけでは不十分でしょうから,追加しておきます.(写真はいずれも5月31日撮影)


玄関に向かって左側が和室で,ここの基礎には既述のように旭化成リフォームが何かを塗りました.の個所の写真が11章の左の写真です.玄関に向かって右がリビングでその下の基礎に剥離が起こっています.の個所が11章の右の写真です.

問題個所は上図をご覧になればおわかりのようにベランダ下にあたり,雨はあたりません.このため白華は水に溶けやすいのですが,基礎の根元に蓄積したと思われます.


旭化成リフォームが何かを塗った個所です.目だたなくなったとはいえ,この程度は出ています.
11章の右の写真の個所です.剥離面積はここが最も大きい.
ここも下部で剥離が始まっています.
ここも下部で剥離が始まっています.上部も表面が広範囲にはげて汚くなっています.施工品質の低さを物語る写真です.
左上部がかなり汚くなっています.幅数ミリの溝状のものができています.




(5)真っ赤な嘘

建設大臣官房官庁営繕部監修の『改訂 建築物のライフサイクルコスト』にあるように,個人住宅でも事務所でも官庁建物でも,「平均30年で建て替えられます」.

第2章で示したように,わが町もハイムニュータウンも,除却された家の平均築年数は30年に満たないでしょう.しかし同時に7割が30年過ぎて健在です.

第6章で「生存率」を調べました.旭化成熊野氏が特に耐久性を問題にした量的確保の時代の家でさえ,約40年経っても生存率は50%を超えています.

1951年から55年の間に建てられた官庁建物は築21年から築30年の間に2割弱が除却されていて,それらの平均築年数はたしかに20数年です.その一方で8割強が築40年時点で健在です.
「平均30年で建て替えられる」という日本語にだまされてはいけません.


すでにセックスを経験している高校生を対象に,初体験の歳を聞きました.平均は中学1年になりました.・・・(ケース1)

任意の高校生に対して,同じ調査をしました.すると未経験者が80%を占めました.一方経験者20%の平均は中学1年となりました.・・・(ケース2)

任意の中高年を対象に,同じ調査をしました.平均は20歳でした.(未経験者がどれだけいたか不明.)・・・(ケース3)

「平均30年で建て替えられる」というのはまさにケース1に該当します.健在な家が完璧に無視されているからです.

ケース1と2を比較すれば明らかなように,統計が採られた母集団の情報が隠蔽されたとき,「平均値」からまともな意味は消滅します.「平均値」は,「科学的根拠をもつ」かのような「ふり」をするが故に,ペテン師の格好の道具に化けるのです.


アメリカやイギリスで,除却された建物の築年数を調べたとしましょう.これはケース1ではなくケース3に該当します.なぜか.

英米の耐久社会資本は日本よりずっと前から成熟期に入っているからです.敗戦でゼロからの出発を余儀なくされ,その後の急激な人口増加,急激な社会資本整備という歴史は日本特有で英米にはないのです.


小林氏の『コンクリートが危ない』から拝借しました.日本のコンクリート道路橋の架設数推移です.東京オリンピック(64年)あたりからの毎年の新規架設数の多さをご覧下さい.累積数の急激な増加をご覧下さい.

個人住宅も,マンションも,官庁建物もほぼ同様の傾向を示しています(第6章に個人住宅の新築数の推移を示しました). これが世界一と謳われた日本の高度経済成長の姿なのです.

これらの耐久社会資本に対して90年代に「平均寿命」を実測すると,それは結果として「夭折したものの平均」になるのです.「健在なもの」の割合を同時に示さない限り,本当の「平均寿命」の姿は見えてこないのです.

東京オリンピックから数えてようやく30年にしかならない90年代の日本では,石塚氏が採用したような方法で「予測」しない限り,「日本の平均寿命」は求まらないのです.石塚氏は官庁建物は約57年で半分になると予測しました.同じ手法で個人住宅を予測すれば,アメリカの44年と遜色のない数字になるでしょう.



イギリスなどヨーロッパ諸国は
「アメリカとは違い耐用年数の長い社会資本の多さと伝統的な財産を重んずる社会風土から長期に使用可能であるならば永遠にでも建築物をもたせようとする」
そうです.(『建築物のライフサイクルコスト』114頁)

そんな伝統をもつイギリスの学者が書いた『建物のライフサイクル計画』(ロジャー・フラナガン,ジョージ・ノーマン著,83年刊)に次の一節があります.

建物の物理的生涯年限は建設から物理的崩壊が起こりうる時期までの期間をいう.現実にはその時点まで存続する建物はほとんどなく,経済的陳腐化により廃棄されるのが一般的である.(技術書院刊の日本訳28頁)
とことん建物を大事にするイギリスですら,物理的寿命が尽きるまで建物が使われることはほとんどないのです.ほとんどの家は陳腐化が原因で壊されるのです.

もろもろの点において,使い捨て傾向の顕著な日本において,家だけは物理的寿命が尽きるまで大事に使われている,建て替え年数26年とはこれすなわち物理的耐用年数が26年であることを意味する,26年経てば日本の普通の家は建て替えざるをえなくなるのだ・・・,と旭化成は98年9月4日大声で主張したのです.なんたるペテン!
「エポックメーキング広告」において,旭化成は日本の家の構造躯体は26年しかもたない,26年経てばローンに頭を悩ませながら建て替えざるをえなくなると言ったのです.構造躯体に要求されるのはひたすら耐久性であり,陳腐化とは縁がないことにご注意ください.

旭化成のペテンは二重のペテンです.26年はあくまで除却された家の築年数の平均です.日本の家が平均何年で建て替えられるかを示すものでは決してないのです.これが一つ.

日本の家の平均建て替え年数を40年としましょう.40年は物理的耐用年数を表すものでしょうか.ロジャー・フラナガンが教えてくれています.物理的耐用年数はさらに長いと.だからこそ戦災を免れた地域では,「御殿住宅」ではない築60年超の普通の家が,珍しくもなんともないのです.

日本の家は26年しかもたないという旭化成の主張は二重の意味で真っ赤な嘘なのです.



おしゃべり旭化成に釈明の余地はすでにありません.一方建設省はどうでしょうか.建設省がしたことは次のとおりです.

90年代前半において除却された家の築年数の平均は26年でした.建設省はこれをもって,日本の家の「平均寿命」は26年であるとしました.そして4年後の平成12年,建設省住宅局住宅生産課長は品確法シンポジウムの基調講演において,日本の家の品質に問題があることの証として「日本の家の平均耐用年数は26年である」と発言しました.


私は前の節で小原氏の耐用年数の定義を詳しく吟味しました.なぜか.恥ずかしくて口に出せない建設省の次のような釈明を,御用学者がぬけぬけと代弁しているように感じたからです.
日本の家の物理的耐用年数が26年などと,われわれ建設省が言ったおぼえは一度もない.耐用年数すなわち陳腐化による除却を含めた実態上の寿命が26年であると言ったにすぎない.

耐用年数をこわれずに使える年数だと素人が誤解してもそれは建設省の関知するところではない.また一私企業にすぎない旭化成が何をいったかも建設省の関知するところではない.

品確法シンポジウムは品確法の意義を広く世間に認識してもらうためのものです.シンポジウムに参加した一般の人,住宅メーカーの現場営業,不動産屋の人たち,そして基調講演を新聞紙面で読んだ人たちは,耐用年数をどう理解したでしょうか.小原流に「正しく」理解した人が果たしていたでしょうか.

「誤解」を避けるのは極めて簡単です.寿命とか耐用年数という「色のついた」言葉を使わなければいいのです.何事においても慎重な官僚がなぜそうしなかったのでしょうか.

まさに「誤解」してくれることを官僚が期待したからにほかなりません.その期待は建設白書において平均寿命という言葉を採用した時点から始まっていたのです.


ジャーナリストも住宅評論家も大学教授も,平均寿命に言及した人のほとんどが,建設省の期待どおりに「誤解」していることを,図書館開架棚の単行本や新聞記事が証明しています.

ある東大教授は「木造住宅は現在,20数年で取り壊されている」と表現しました(朝日新聞00年7月1日付け「ウィークエンド経済」より).これ自体は正しい表現です.しかしその前の一文に「高度成長期後,住宅はテレビや冷蔵庫と同じように大量消費の対象となってしまい解体されるまでの期間が短くなった」とあります.

「20数年で取り壊されている」のが,ハイムニュータウンのように,全体の3割だとすれば,家が家電のように大量消費の対象になったというのは明らかに言い過ぎです.この方も「平均寿命26年」にだまされています.

官僚の言い逃れは所詮無効です.なぜか.建設省は三流週刊誌と同じインチキをしたからです.
初体験の平均年齢は12歳です.あまりに若すぎると思われませんか?

住宅の平均寿命は26年です.あまりに短かすぎると思われませんか?
このパターンは旭化成の全面広告から始まりました.4年後の『長生き建築のしくみ』にもそっくりこのままの形で踏襲されています.

皮肉にも,建設大臣官房官庁営繕部保全指導室長の石塚氏が,おそらくは氏の意図に全く反して,90年代の日本において除却された建物の平均築年数が何を意味するか,ものの見事に証明しました.石塚氏の本は96年刊です.建設白書平成8年版の刊行も同年です.

90年代の日本は成熟期に入ってからの年数があまりに浅く,除却建物の築年数の平均は「夭折したものの平均」にすぎないことを,優秀な建設官僚が認識していない筈がありません.にもかかわらずと言うべきかだからこそと言うべきか,彼らは「残存率」を隠しました.健在な家の存在を完全に無視したのです.そして「夭折したものの平均」を日本の平均にすりかえたのです.

寿命すりかえ事件の主犯は建設省です.旭化成は手下にすぎません.



84年にさかのぼります.『コンクリートが危ない』の184頁に次のようにあります.
1984年はアルカリ骨材反応が社会問題にまで発展した年であるが,このとき,官庁の建築関係者はさかんに,「アルカリ骨材反応は建物にはおこらない」と主張していた.
建物所有者に対する「行政的配慮」を示したこの時点で,建設省は事態の深刻さに気づいていたと思われます.

コンクリートクライシスは「やる気」で解決できるような単純な話ではありません.有効な手だてをなんら打てないまま時間だけが流れました.そしておよそ10年後の90年代後半にようやくたどり着いた結論は,御用学者の言を借りると,こうです.

今建っている住宅は江戸時代の庶民住宅さながらの「間に合わせ住宅」だ,これからは資産価値の高い高品質な「長生き住宅」だ!

ゼロからの出発であった波乱の半世紀を,平成8年時点で建設省は振り返りました.平均寿命26年とは50年を総括する言葉だったのです.

日本人があくせく働いてきたのは,ウサギ小屋ならぬ間に合わせ住宅を建てるためだったと,他ならぬ建設省が総括したのです.そこには一片の自負も誇りもないように見えます.なぜそこまで日本の家を貶める必要があるのでしょうか.

同じ建て替え年数から出発して,官庁建物に対しては環境問題と効用問題,個人住宅に対しては品質問題という全く別の理由を持ち出して,建設省は同じゴールに誘導しようとしています.七難隠す早期建て替えというゴールに.




官僚はぶつぶつとつぶやいているかもしれません.

「マンションですら物理的耐用年数は35年というではないか.個人住宅が26年しかもたないという旭化成の主張は,結果として当たっているではないか.少々のウソに目くじら立てるのはいかがなものか.」


三菱自動車の欠陥隠しは,トラックのハブ欠陥からはじまって主力車種にまで及び,そのあげく4台(3台?)に1台がリコール対象になってしまいました.あきれるばかりの欠陥隠しです.朝日新聞04年6月3日付け「不信頂点存立の危機」に次のようにあります.
5月21日に発表した再建計画を策定する過程で,三菱グループの幹部は「自動車の品質にはあまり差はない.問題は売り方だ」と話し,経営建て直しに自信をみせた.しかし,自動車産業は日米欧の企業が競争するもっとも厳しい産業だ.消費者が求める環境対策や安全向上などの研究課題に,トヨタ自動車やホンダは4000億〜7000億を毎年投じている.

「トヨタもホンダも日産もずっと先を走っている.三菱は甘い」と上位メーカーの幹部は漏らす.
今回ばかりは「そんなことはどこでもやっている」といういつもの「同情の声」はどこからも聞こえてきません.品質に差はあるのです.そして経営者の姿勢には明々白々な差があるのです.朝日新聞04年5月7日付け「技術者の指摘,無視」に次のようにあります.
今年3月,捜査当局の動きに後押しされるようにして,三菱ふそうは一転してリコールを申し出た.国交省に報告に訪れたビルフリート・ポート社長に同行し,技術的な説明をしたのは,研修会でリポートをまとめた若手技術者だった.

この2日前,宇佐美前会長が国交省に呼ばれている.鋭い眼光,張りのある声.自信満々の態度で,最後まで「整備不良」とする自説を曲げなかった.

三菱自元幹部は言う.「『リコールしましょう』とは誰も言えなかったのだろう.客を見ずに宇佐美前会長ばかりを見ていた結果だ.」
「整備不良」とは何か,ユーザが悪いと言っているのです.三菱自トップの前会長は,最後の最後まで,客に責を転嫁して恥じないのです.このような人物がトップであったからこそ,徹底隠蔽は必然の一本道だったのです.

国交省の監督責任は重大です.国交省は何を監視していたのでしょうか.
口先だけ三菱を激しく批判する石原大臣のパフォーマンスにはもういい加減うんざりです.

欠陥隠しに協力した数多くのブランド命の三菱マンが,トップの影に隠れて存在していることも忘れてはなりません.

『コンクリートが危ない』において小林氏は「20年にわたる構造物調査の経験と,多くの建設関係者から得られた情報」をもとに,日本のマンションの物理的耐用年数は35年であると警告を発しました.

小林氏は自らの見識に基づき35年耐用説を打ち出したのです.35年説を信用するか否かは,小林氏を信用するか否かにほぼ等しい思われます.

一方の熊野氏や小原氏にこのような断固たる姿勢はみじんも見られません.彼らの論拠は建設白書の平均寿命26年という数字だけです.それ以外にはな〜にもないのです.
「コンクリートの憲法」に則ってきちんと施工されたマンションならば,少なくとも50年,60年もって当然です.問題はそんなマンションがどれだけあるかです.

小林氏の物理的耐用年数35年は,三菱車の品質が日本車の平均品質をあらわすものではないように,決して日本のマンションの平均耐用年数をあらわすものではないと私は思います.三菱車が日本車全体からみれば一握りであるように,物理的耐用年数35年のマンションは一握りのマンションであると私は思います.

一握りが一部の名もない悪質業者を意味するものではありません.むしろブランドにあぐらをかいた大企業こそ危ないというべきです.なぜなら彼らには欠陥を隠し,ヤミ改修する力があるからです.欠陥住宅番組でぼろを出すようなへまをしないからです.名もない悪質業者は全数からみれば一握りのなかのさらに一握りを占めているにすぎないと思われます.
総論については「思う」としか言えませんが,事例報告なら詳細にできます.「資産価値を長期にわたって守り続けることをお約束」し,築20年で資産価値900万と豪語する旭化成のヘーベルハウスが白アリならぬ白華にまみれています,施工された90年当時,コンクリート品質問題はすでに社会問題化していました.旭化成はいったいどんな監視をしていたのでしょうか.

監視といえば思い出します.(昔のことをよく思い出すのは,『知らぬが仏』も終わりに近づいた証でしょうか.)

塗料すりかえ事件において,工事店は15年耐用塗料使用の「契約書」を8年耐用塗料使用に改ざんしました.旭化成は改ざんを見逃しました.

改ざんがなぜ可能だったか.一切を工事店にまる投げしていたからです.そしてあろうことか,旭化成の業務では,正規契約書が改ざん可能なメモにすりかわっていたからです.

発覚したとき旭化成は何をしたか.まるで客に責があるかのような文面の正式見解で15年耐用塗料に塗り替えを提案したのです.欠陥契約書の存在そして欠陥につけこんだ詐欺行為は一切認めず,形だけ不具合を取り繕おうとしたのです.まさに「ヤミ改修」です.

基礎工事の施工においても,外壁工事とまったく同様に工事店との「信頼関係」に基づき一切を丸投げしていたに相違ありません.監視などなにもしていないのです.
もし日本の家の多くがわがヘーベルハウスと同様に白華まみれであるならば,寿命26年説にも三分の理があることを認めます.しかしそれは本当ですか.あなたの家の基礎も白華にまみれていますか?


「つぶやき」にもう一度耳を傾けましょう.マンション35年耐用説と個人住宅26年耐用説は一見すると似たようなものです.どちらも,世間に警鐘を鳴らす立派な主張のように見えます.しかし似ているのは外見だけで中身はまったく違うのです.

小林氏の35年は「実態上の」物理的耐用年数です.「理論上の」それは50年,60年です.現実の品質が本来あるべき品質に達していない,つまり重大な品質欠陥が確かに存在するという認識が,小林氏にはあります.35年は欠陥の結果なのです.ところが熊野氏や小原氏や建設官僚にはこの認識がないのです.

あの破廉恥広告をもう一度思い起こしてください.26年経つと建て替えざるをえなくなると言いました.欠陥住宅だったからでしょうか.違います.26年しか持たないのが普通であると旭化成は言ったのです.

26年は実態上の耐用年数であると同時に理論上の耐用年数でもあるのです.26年は欠陥の結果ではなく,日本の既存住宅は「本来」ぼろいのです.日本の家はそもそも「間に合わせ住宅」なのです.これが建設官僚の認識です.


平均寿命26年は,味噌もくそも一緒にして,臭いものに蓋をするためのものなのです.

20世紀末の日本において,建設官僚,御用企業,御用学者がぐるになって,真っ赤なうそをふりまき,それがまかりとおっているのは,日本がまさに三流の土建国家である証だと思われます.





流通件数15万件のうちのわずか200件ですから,これは少ないなんてものではありません.
高すぎるから(!?),制度が知られていないから(!?)

平均寿命26年は全国津々浦々にまで浸透させた実績があるのですから,「制度が知られていない」などと寝言を言わずに広く全国民に知らしめてください.わずか5万から10万で,安心が買えるなら,誰も高いとは思わないでしょう.しかし,目で見てわかることを数字にしてくれるだけのものであるならば,たとえ1万でもどぶに捨てるのは惜しいと思うでしょう.


13.俯瞰


隈(くま)研吾の『負ける建築』(参照図書1)という本の宣伝コピーから.
都心に屹立する摩天楼,郊外に建ち並ぶ一戸建て住宅群・・・・・.流動する生活を強引に凍結して記念し,周囲の環境を圧倒する20世紀型の「勝つ建築」は,いまやその強さゆえに人びとに疎まれている.建築はもっと弱く,もっと柔らかいものになれないだろうか.さまざまな外力を受け入れる「負ける建築」の途をさぐる.気鋭の建築家の手になる「受動性の建築論」.
私はこの本にはまりました.ル・コルビュジエや村野藤吾が何者であるか,近代建築が何を意味するのか知りました.


(1)ドン・キホーテ

各社の全面広告を調べていた時(第7章),早大教授で建築家石山修武を紹介する記事に目がとまりました.(99年3月25日付け朝日新聞)「石山修武は現代のドン・キホーテ.住宅問題という強大な敵に挑み続ける蛮勇の持ち主だ」という文で記事は始まります.以下で■は朝日編集委員の言葉です.
■(略)石山さんは一貫して,家は売り買いするものではなく建てるものと主張し,プレハブメーカーの商品化住宅を諸悪の根源と批判してきました.

(石山) なにより生産の合理化をうたいながら価格に結びついていないためです.自動車産業なんかとそこが決定的に違う.それに職人など住宅生産のネットワークも破壊した.ぼくは日本の商品化住宅は20世紀の歴史に残ると思う.今世紀最大の発明物は超高層ビルですが,その裏返しのネガティブな存在としてです.長い目で20世紀を振り返るとき,どーんと記憶されますよ.今やシェアは行き着くところまで達しつつあり,日本人の住宅観,暮らし全般の感覚を変えてしまった.美意識も,家族像もです.

■こんな家が欲しい,建築家に依頼して家を建てるハウツーなど,住宅書の出版は盛んです.

(石山) 全部読んだけれどひどいね.出版の形をとった企業の広報活動としか思えない本まである.家に関する(言説の)アヤシさは相変わらず.大体,プレハブは大した産業でもないのに暮らしに影響を与えるところが問題.アヤシさのゆえんですね.一方,建築家は情報ビジネスの道具になりつつある.こういう傾向の家が欲しい人には,こういう建築家はいかがでしょうかと.建築家自身がマーケットを持たず,マーケットを持つ産業が建築家をチョイスする.これはだめですね.

■建築家に住宅問題を解決する力はあるのでしょうか.

(石山) いやあ,20世紀を振り返っても初期の大量に安くという貢献だけであとは無力ですよ.(後略)

■日本も戦後すぐは食寝分離の主唱など貢献はありました.

(石山) その西山卯三さん以降,理論らしい理論がない.建築家の理論はすでにアヤシい.ぼくは町医者ですよ.大学病院の医者でもなく,築地のがんセンターの医者でもない.ひどいうそはつきそうもない.(後略)

プレハブメーカーに対してだけでなく,建築家に対しても批判的です.昨今の日本の建築家には,結構アヤシイのが多いようです.

「長い目で20世紀を振り返るとき」,日本のプレハブメーカーは,「どーんと記憶される」ほどの大物なのでしょうか.ソニー,トヨタで代表される優良メーカーは世界に冠たる「正の存在」として歴史に残るでしょう.そしてゼネコンは世界に冠たる「負の存在」として名を残すでしょう.プレハブメーカーは,どっちつかずの,功罪ともに大した存在ではありません.

しかし「プレハブは大した産業でもないのに暮らしに影響を与えるところが問題.アヤシさのゆえん」という指摘は正しいのです.家という商品が持つ魔力のせいです.


(2)「箱の家」

「箱の家」は,難波和彦という建築家の住宅シリーズ名です.「外部が単純な箱型で,内部は一室空間に近く,外部に開かれ,構造・構法が標準化されたローコスト高性能住宅」を意味します.難波の著書『箱の家に住みたい』(参照図書2)の中に,同業建築家との討論が載っています.
(建築家T氏) (ハウスメーカーが)デザインするときには,工場で大量につくられることが順位として上にあるけど,僕らは,ある特定の場所に建てることが第一で,その違いがあると,とりあえず建主には説明しています.難波さんのロジックは,僕が引き合いに出すメーカーのロジックに近いところがあるわけですよ.

(難波氏) まさにその通りで,メーカーの論理をもっと徹底してやっているつもりです.彼らの論理を徹底すると,こうなるということを示しているわけです.これは建築家としてのスタンスの問題でしょうね.支配的な流れに対してアンチに立つのが建築家の立場だと,一般的に考えられているけれど,僕としてはそういう立場は取りたくないんです.(略)

「箱の家を反面教師にした」という,お二人の批評はよく理解できました.周囲のコンテクストにきわめてセンシティブに対応した住宅で,その点では「箱の家」とは対照的ですね.たしかに僕が周辺環境にもっとセンシティブに対応して設計したら,箱はくずれると思います.それをしないでなにかを切り捨てているところはあるでしょう.でもハウスメーカーのやり方が対極にあって,それに対して建築家の役割は固有性というかワン・アンド・オンリーな住宅をつくることにあるとは,どうしても受け止めたくない.なぜならハウスメーカーがやろうとしていることや,彼らの社会的な役割が,僕なりに理解できるし,正しいと思う面もあるからです.

しかし一方で彼らは,コマーシャリズムや消費社会といった社会的,時代的な条件にしばられて,初心を忘れていると思う.
セキスイハイムの初期の住宅なんて,本当に「箱の家」ですよ.だから僕としては,あれをもっと現代的につくり直してやろうじゃないかと思うんですよ.やはり無意識のうちに,池辺陽の思想を引き継ごうとしているのかもしれませんね.
難波は「ハウスメーカーがやろうとしていることや,彼らの社会的な役割が,僕なりに理解できるし,正しいと思う面もある」と述べています.このようなスタンスの建築家は少数派で,多数派はワン・アンド・オンリー派だと思われます(難波が自分の著書にわざわざこんな討論を載せている点からそう思います.たとえば,「抜群の人気」建築家として7月20日朝日新聞文化欄に取り上げられているNなどはワン・アンド・オンリー派の旗手の一人でしょうか).

さて最後にでてくる池辺陽は難波の師であり,彼について隈研吾は『負ける建築』で次のように評価しています.
池辺は設計の手法を徹底して科学化しようと試みた.(略) 池辺はあまりにもまじめに,そして性急に科学と設計とを接合しようとした.機能を科学的プロセスにのっとって計画に翻訳する途を彼は本気で追求した.コルビュジエはその手法を主張はしたが,その方法で設計できるなどとは一度も考えたことがなかった.その途がいかに困難であるかを直感的につかんでいたからである.池辺はその陥穽にすっぽりはまり,脱出できなかった.
池辺がまるでドンキホーテのような手厳しい評価です.隈の言葉を借りると,池辺・難波は歴史的には次のモダニストの流れに属すると思われます.
もちろん安藤以前にも,公から私へ建築を奪いとろうとした人びとは存在した.1950年代の一群のモダニストの建築家達が,その先駆者であった.民主主義の新しい世の中がやってきたというフレッシュな空気の中で,彼らは70年代の安藤と同じく,個人住宅に目をつけた.鉄骨造の軽く透明感に溢れた彼らの小住宅は,戦後という時代を象徴するモニュメントであった.しかし彼らのムーブメントは60年代には急速にしぼんでいく.

新しい技術によって,建築を「私」のもとに取り戻すというのが彼らの基本的テーゼであった.建築を工業化し,高いデザインレベルのものを安く大量に供給するという図式である.しかし残念ながら,この図式を実際に担ったのは,彼ら建築家ではなく,プレファブメーカーやゼネコンなどの大企業であった.
プレハブメーカーの初心とはなにか.まさに「建築を工業化し,高いデザインレベルのものを安く大量に供給する」であった筈です.そしてそれはモダニズムのスローガンでもあったのです.

モダニズムとは何か,隈は述べています.
20世紀初頭,建築におけるモダニズム運動が起こった.機能主義が唱えられ,「装飾は罪悪である」というスローガンとともに,19世紀以前の様式的建築はすべて批判され,否定された.装飾のない,単純な形をした白い箱のような建築が提唱され,そのような建築様式がモダニズム建築と呼ばれ,それ以降20世紀のほとんどすべての建築家がこの様式に従って創作を続けたのである.


(3)モダニズム

隈の『負ける建築』には,ル・コルビュジエ,ミース・ファン・デル・ローエ,G.T.リートフェルト,ルドルフ・シンドラー,フランク・ロイド・ライト,ロバートヴェンチューリなどが,日本の建築家では丹下健三,磯崎新,内田祥哉,芦原義信,清家清,池辺陽,そして村野藤吾,安藤忠雄などが登場します.

隈は20世紀建築史を,<寂しいほどに透明な/デ・ステイル>,<デモクラシーという幻想/シンドラー>,<デモクラシーの戦後/内田祥哉>,<制度と唯物論/村野藤吾>・・・という独自の切り口で掘り下げて書いています.

結局のところポストモダン,反モダンの流れは衰微し,原点であるモダニズム,モダン建築に螺旋的に回帰したと,隈は主張しているように見えます.「唾棄すべき後衛」とされた村野が,実は本物のモダニストであると・・・.

隈はモダン建築の起源を19世紀に登場したオフィスビルに求めます.オフィスビルは,「今日はA社のオフィスとして使用されるかもしれるが,明日はB社のオフィスとして利用されることになるかもしれない.そのような交換可能性,脱主体性を前提として,オフィスビルは建設されたのである.」
交換可能な主体を対象とする建築に要請される特質とは,ニュートラルな建築表現を追及し,ニュートラルな内部空間を構築することであった.装飾的な外観や,特定の建築様式への帰属はもちろん,ニュートラルな表現からはほど遠いものであった.変化やメリハリのある内部空間はもちろん不適切である.同一の天井高を持つ,できうる限り均質な内部空間が望ましいものとされた.いってみれば個々の主体の恣意的な欲望から可能な限り距離をとることが,この種の建築物に要請された.モダニズムはこのようにして,画期的な成功を収めた.

ユニバーサル・スペースとはどのようにでもなりうる自由なスペースであるとミースは定義した.ユニバーサルとはそういう意味である.その空間はフラットな床と天井という二枚の水平面から構成された完全に均質な空間で,その空間を利用する主体が,簡単なパーティション(間仕切)を使って自由に家具を配列することで,その空間のキャラクターやファンクションを自由自在に作り上げていく.
ユニバーサルスペースの起源がずいぶん古くミースにまで遡ることがわかります.「個々の主体の恣意的な欲望から可能な限り距離をとる」ことによって大量生産,工業化の途が開けます.「ワン・アンド・オンリーな住宅」は,「主体の欲望に完全に屈服した家」であり,手作り特注品です.


50年代モダニストのムーブメントは,60年代には企業の資金力,技術力に対抗できず急速にしぼんでいきます.
そこに満を持して主役として登場したのが「公」のチャンピオン丹下健三であった.東京オリンピック,大阪万博などのきわめて「公」的性格の強い建築を,この「公」のチャンピオンが一手に設計した.建築を「公」から「私」へと取り戻そうとしたモダニストの民主主義的な夢は完全にかすんだ.丹下の一番弟子である磯崎新は「小住宅バンザイ」という辛辣なコラムを1958年に発表している.建築は徹底して公的な存在だというのが,磯崎の考えである.小住宅を通じて世界を変えようという試みは,幻想であり,レベルの低い自己満足でしかないと磯崎は痛烈に批判した.技術力のある大企業の前に挫折していくモダニスト達の前で,丹下,磯崎と続く「公」的建築の担い手達は建築の王道を復活させた.一種の王政復古の如くであった.

その王制復古的閉塞のさなかに安藤が颯爽と登場したのである.
丹下健三について隈は次のように辛辣な評価を下しています.
コルビュジエの芸術を継承し,増幅したのが丹下健三である.「機械的なものは美しい」という機能主義の基本的テーゼを,丹下は「美しいものは機能的である」という名句を吐いてマジックのような見事さで反転してしまった.芸術は科学,工業を凌駕するというおそるべき自信に満ちた宣言である.そしてこの宣言を可能にしたのは他でもない日本という国の後進性である.

安藤忠雄の有名な「住吉の長屋」は,「公」の時代から「私」の時代への転換を象徴するものだと,隈は説きます.そして「私」の建築家であるにもかかわらず,なぜ安藤がメジャーになったかを,皮肉な視点で分析しています.しかし・・・.

安藤に『建築に夢をみた』という文庫本があります(参照図書3)その「はじめに」において,9・11同時多発テロに触れ,「それは追い詰められた人々の,精一杯の抵抗だった」と述べています.きわめて大胆な発言です.そしてワールドトレードセンター跡地のコンペに対し巨大な墳墓様のもので参加し,敗れました.当選したドイツ人建築家の自由云々と名づけられた建築物と比べると,その違いはあまりにも鮮やかです.

安藤は「私」の建築家であると同時にきわめて「公」の建築家です.後進性とは無縁の,真の意味でグローバルな建築家だと私は思います.


(4)男と女の家

安藤忠雄が「住吉の長屋」で日本建築学会作品賞を受賞したとき,宮脇檀も「松川邸」という個人住宅で受賞しました.この二つは単独の住宅の受賞として学界初だったそうです.

宮脇に『男と女の家』という本があります(参照図書4).これは抽象的な住宅論ではなく,一人の建築家の言わば肉声です.宮脇は36年生まれで,(本に登場する)野坂昭如よりすこし年少ですが,野坂と同様に軟派に見えて実は堅い芯があります.まえがきから引用します.
住宅設計にだけは多少自信があった.だから文章を書くときも,どうしても住宅に関するものが多くなる.そんな文章をそれこそ何万枚も書きながら、ふと気がつく.まだまだ住宅のなかで触れていないもの,書いてない部分があり,書いておかねばならないところがまだまだいくつもあることである.

例えば,私の一種のライフワークでもある,日本の戦後住宅史に関すること,この本のテーマである「男と女」のこと,もっと遡った「人間にとって住まうということ」等,施工のこと,材料のこと,施主として会った人たち,日本と世界の住宅比較等々.いつもそれが頭にあり,日常の仕事のなかでも,フトそれに関するメモをとり,新聞や雑誌の記事をコピーしたり,切り抜いておいたりする習慣がついてしまっている.

けれども時間がない.(後略)

1998年7月 慶應病院5618号室にて 宮脇檀
宮脇はこの5ヶ月後に亡くなります.彼は35年間で約150軒の個人住宅を設計しましたが,宮脇の関心がどこにあったか,死の直前の上文で窺うことができます.

宮脇はどのような意味で「戦後住宅史」に関心をもっていたのでしょうか.そこに入る前に,第一次世界大戦後の欧米の住宅事情を,隈の『負ける建築』から引用します.
第一次世界大戦後の住宅難に悩むアメリカで,持ち家政策は本格的にスタートした.大戦後の住宅問題はヨーロッパ,アメリカともに深刻であったが,それへの対応は対照的であった.ヨーロッパは計画的に公共集合住宅を建設し,1920年代だけで500万戸が建設された.一方アメリカでは税金の優遇と,1934年に新設された連邦住宅局(FHA)が管理する,長期低金利で,しかも総建設費の80%までをもカバーする住宅ローン制度によって,戸建ての持ち家の自主的な建設を誘導する施策を行った.すなわち,ヨーロッパでは建築は上から与えられたのに対し,アメリカは個人の建築的欲望を喚起し,昂進させることが,政策の目標となったのである.
この対照的な施策はいかなる結果を招いたか.低家賃でなんの困難もなく与えられた住宅は,ヨーロッパ人の勤労意欲を決して高めなかった.彼らの労働意欲を高め,消費を喚起するには,他の施策,たとえばバカンスと呼ばれる長期休暇の強制的導入などが新たに必要とされたのである.

一方アメリカの持ち家政策は予想をはるかに超える圧倒的な成功を収めた.住宅ローンの返済のために,彼らは農奴のごとき勤勉さで働き始めたのである.さらに住宅ローンを背負った人々は政治的にも保守化することが明らかになり,政治の安定化にも寄与することがわかった.経済,政治両面でこの政策はきわめて有効だったのである.経済だけではなく,政治をも含めた社会の全体が,住宅の建設という行為を歓迎したのである.
アメリカの政策はたちまち効果をあらわして住宅建設戸数は上昇し,1933年に9万3000戸まで減少した着工件数は,34年のFHA新設を境にし,1940年には60万3000戸にまではねあがる.当然景気の浮揚にも大きく貢献した.単に,建設投資額が増大しただけでなく,持ち家を建設する人々は,住宅の周辺−たとえばカーテンや家具などのインテリアから家電製品や庭園にいたるまで−に万偏無く多額の投資をした.「建築」という欲望に一旦目覚めた人間は,ほとんど理屈を超えて,実際上の必要を超えて,その欲望の充足へと一気に走り始めるのであった.

これはまるで「住宅ローン返済のため農奴のごとき勤勉さ」で働きつづけてきた戦後日本とそっくりです.持ち家政策というのも,アメリカの真似なのです.そして持ち家政策の起源は,29年に始まった世界大恐慌時に新築件数9万戸にまで萎縮した個人消費を喚起するための景気浮揚策だったのす.

アメリカには二つの世界大戦を通じて,国土が戦場になった経験はありません.一方日本とヨーロッパは違います.日本は第二次大戦で徹底的に破壊され,ヨーロッパは第一次大戦でも,第二次大戦でも国土が戦場になりました.アメリカは景気浮揚策を必要とし,日本とヨーロッパは戦災で家を無くした国民に対する待ったなしの救済策が必要だったのです.この違いを忘れてはなりません.

ヨーロッパでは第一次大戦後に500万戸の公共住宅が建設されました.そして第二次大戦後のヨーロッパの状況を,宮脇は英首相の演説を引用して次のように述べています.
当時のチャーチル首相の(公営住宅)法案の説明演説で「人間の尊厳を守り得る家と,余暇時間を活用できる空間が必要である.だから公営住宅を」という発言をしています.「市民なくして国家なし」という非常に有名な発言もあります.ただ家をたくさんつくれではなく,人間として尊厳を守る家,(中略)そういうちゃんとした家を国家がつくらなくてはいけないということをチャーチルはいいます.(中略)こうした方向は敗戦国であったドイツでもイタリアでも同じでした.皆,国が率先して公営住宅を供給します.そのために,アメリカやあちらこちらから借金をして家をつくりました.日本の政治家でチャーチルのような立派なことをいった人は一人もおりません.
ヨーロッパは第二次大戦後も,勤労意欲を高める(!)アメリカ方式ではなく,人間らしく生きるための住まいを国の力で建てたのです.産業復興より国民の生活を優先したのです.日本はどうだったのでしょうか.


宮脇は終戦直後の様子を次のように証言しています.
(終戦)当時,私は名古屋に住んでいましたが,私の小学校の講堂をベニヤで仕切って家のない人たちが住んでおりました.防空壕に住む人,焼けたバスに住む人,旧日本軍兵舎に住む人,バラックを建てて住む人など,みな雨露を防ぐために必死でした.30坪以上の家には2家族住めという命令があったような記憶があります.それから資材が足りないから,家をつくるなら15坪以下しかつくってはいけないという資材統制令もありました.要するにとりあえずたくさん家が必要でした.この貧しい1947,48年に住宅の自力建設が,数字上ではあれ一つのピークを迎えているのは,バラックでも良いからと,いかに皆が必死で家を獲得しようとしたかを示しています.
420万戸の不足に対し,日本国政府はどのように対処したのか,宮脇は語ります.
諸外国と違って,同じ借金を全部九州の鉄鋼と石炭に投入してしまったのは,日本だけです.国家には家を建てる金はなくなりました.そこで考えたのが持家方式,自家建設方式です.

そのときの趣旨説明は「まず日本国を豊かにしよう.日本国を豊かにすると産業が豊かになる.あなたの夫の会社も豊かになる.会社が豊かになると給料が上がる.給料が上がるから,それで家を建てましょう」という,実に見事な三段論法です.国民皆がそれにだまされて乗りました.何もしなければ誰も家を建ててくれない.民間借家もなければ,政府も何もしてくれない.自分の家は自分で建てなければならないわけですから必死です.

まず米よこせ運動があり,その次に起きるのが家よこせ運動です.46年には住宅復興会議,47年8月には皇居前広場で住宅獲得国民大会が開かれています.けれど結局それでおしまいです.日本人はやはり産業復興が大事だといわれて,はいと一生懸命働きながら一斉に自分で家を建てるようになったわけです.国民皆が政府にだまされて自家建設,持ち家という話に乗りました.自分の家を自分で建てるということが格好いいと思い込まされてしまったのです.これがわずか50数年前の話で,そのときから歴史上はじめて日本人は自分の家を自分だけで建てなければならない民族になったのです.

そういうことを実は私たちはすっかり忘れています.狭い国土で,皆必死になって土地を探し,家を建てなくてはいけないと思い込み,間取りを考えて工務店や住宅産業を探し,さらにローンを組んでと,誰もが40歳ぐらいになるとやらざるを得ないものと思い込むように自動的になっていますが,実はたった50数年前にそうなっただけで,これはひとえに政府が悪いのですが,誰もそれをいわない.
家そのものについても,ヨーロッパでは一体どれくらいの規模と設備の家が必要であるか,国が組織を作って研究し一般に普及させる努力をする.民間の建築家のアイディアもどんどん採用して,そうした建築家が考えた家を国の金で建てていく.建ててみたりやり直してみたりして,国が街づくりから家づくりまで先頭に立っているのに対して,日本は金融公庫を作って金を融資するだけで,それ以外は何もしません.やっと1955年7月に日本住宅公団を設立しますが,その供給する住宅の数はまだ雀の涙でした.

補足を二つ.戦前主流だった借家(宮脇によれば昭和9年の堺では9割が借家)は,戦時中に法制化された借地借家法のため,戦後激減しました.日本人は自分で土地を求め家を建てるしかないように追い込まれたのです.諸外国より地価が高いという悪条件の中で.

二つ目,街づくりに関して.日本の街並みは欧米に比べて貧しいと指摘する人達がいます.「街並みの美学」(参照図書5)という本は,ウチとソトという日本人の意識構造をたいへんに問題視する一方,政治家,官僚,建築家の責任は申し訳程度にしか問題にしていません.このような本が定評ある教科書になっている点も「他でもない日本という国の後進性」のあらわれだと私は思います.雑然たる都市大阪でも,御堂筋を中心とする街並みだけは後世に誇れるものです.たまたま関市長という見識ある政治家がいたからです.


国民皆が政府にだまされたと宮脇は端的に語りました.驚異の高度成長は従順で勤勉な国民の犠牲の上に成立したのです.

戦後半世紀経った96年に,国はどう言ったでしょうか.御用学者の言を借りれば,君たちが汗をながして建てた家は「江戸時代の庶民住宅そのままの間に合わせ住宅」だと言ったのです.


「平均建て替え年数」−日本26年,アメリカ44年という建設白書が出たのは96年です.宮脇の本は98年に書かれました.
実際,統計的には,日本の住宅は平均して約20年で壊していることが分かります.戦後,建てられた住宅の約半数はすでに壊されており,残る半分の建て替えはいつかと,住宅産業や工務店が手ぐすね引いて待っています.20年経って壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です.ですから,20年経つと日本の風景は完全に変わる.しかも日本では,耐用年限70年なるはずの鉄筋コンクリート建築でも,わずか20年で建て替えるというのですから,いかにももったいない話です.
26年は二重の意味でインチキであるとすでに述べました.壊したものの平均にすぎないという点に関して,宮脇はだまされています.しかしそうなった理由に関してはだまされていません.建て替えない人は時流に乗り遅れた,つまり金がなかったからだと宮脇は言っています.耐久性の問題ではないと言っているのです.そして
外国の人たちが日本にくると,日本の住宅,建築は全部バラックだといいます.事実日本の家の大半はバラックです.私の設計した家も95%ぐらいはバラックです.要するに,ブルドーザーでちょいと押せばすぐ壊れてしまう家をバラックといいますが,そういう意味では日本のほとんどの家がバラックです.
ヨーロッパの石造りの家に比べれば,日本の家はここでいう意味で「バラック」です.日本の家のほとんどは「バラック」で,建築学会賞受賞の宮脇の設計した家も,95%は「バラック」だと宮脇自身が述べています.一方旭化成はどういったでしょうか.日本の家は30年耐用住宅だ,しかしヘーベルハウスは60年耐用住宅だと言ったのです.

石山の言葉を思い出します.「ぼくは町医者ですよ.大学病院の医者でもなく,築地のがんセンターの医者でもない.ひどいうそはつきそうもない.」 宮脇もだまされることはあったにせよ,ひどいうそはつきそうもありません.本を読めばわかります.しかし官僚や企業は「ひどいうそをつく」のです.




(5)「綺麗な家」


『「綺麗な家」に住もう』という01年刊の本があります(参照図書6).著者はミサワの常務取締役で大学の非常勤講師(住宅デザイン論)も務めています.「100年住宅をつくるということ」という(いかにもミサワらしい)副題が付いています.

ミサワの家はグッドデザイン賞を何度も受賞しています.デザイン面はこの本の著者がキーマンで,前に取り上げた『柱の太さで家を決めるな!』の著者は構造面の責任者,ということでしょうか.


『「綺麗な家」に住もう』は次のような構成になっています.

はじめに
第1章−21世紀の「勝ち家」「負け家」
第2章−21世紀の日本人の暮らしはどうなるか?
第3章−「真の100年住宅」とは?
第4章−「シンプル・イズ・ベスト」と日本人の美意識
第5章−誰でもデザインはうまくなる
第6章−「価値住宅」に住んで「勝ち住宅」にしよう!
この本には次の二つの異質なテーマが混じり合っています.

 <テーマ1> 21世紀の日本で資産形成に有利な家づくりとは何かという話
 <テーマ2> 良いデザインとは何かという高尚な話

2のテーマの説明には「O型」,「蔵のある家」,「ジニアス蔵のある家」,「ハイブリッド・ゼット」,「デビュー未来設計図」などのミサワの商品が登場します.

もしこの本のテーマが2だけに絞ってあれば,沢山の商品が登場して宣伝臭が強くても,もっと説得力をもったでしょう.ミサワのデザインにはそれだけの主張があります.しかし残念なことに,怪しげなテーマ1の存在がこの本をだめにしています.


「はじめに」は次のように始まります.いきなりテーマ1のエッセンスが提示されます.
21世紀はどのような時代になるであろうか?

多くの人がさまざまな立場から分析をしているが,私のいる住宅産業から見ると,少子高齢社会の到来とともに急速に空き家が増加し,そのことが今後の日本人の生活に大きな影響をもたらすことが容易に推測できる.この流れを意識して生活を営み,資産形成を考える人と,それらに無頓着な人との間には大きな格差が生じ,「勝ち組」と「負け組」の明確な二極分化が進むのが21世紀の日本である.
空き家の増加が日本人の生活に大きな影響をもたらす!? なんのことでしょうか.1章から3章がその説明です.概要は以下のごとし.

中古で売りに出した時「空き家のままいつまでたっても入居者が見つからない」家が「負け家」で,その所有者が「負け組」です.では入居者がすぐ見つかる「勝ち家」の条件とは何でしょうか.それはもちろん,ミサワですから100年住宅だというのです.ただし次のように述べています.
現在の26年平均で解体される日本の住宅のうち,解体時に耐用年数の期限切れや寿命の尽きたものはほとんどない.まだ十分使用できる住宅が解体されていくのは,建物と維持体制の品質や機能などが悪いからではない.
日本の家について,耐用年数はわずか26年で「建物と維持体制の品質や機能が悪い」と貶したのは他ならぬ旭化成でした.ご覧のように著者はここではそれを明確に否定しています.耐用年数は無論もっと長いのです.そしてさらに三歩すすめて主張します.

京都の町屋や木曽路の民家の集落は美しいから残ったのであり,もしデザイン的に評価されていなければ,はるか昔に解体されていたであろう.
「品確法」を満たしただけの100年住宅では,「勝ち家」にはなれない,単なる100年住宅ではなく,「真の100年住宅」でなければならない,そして真の100年住宅とは,「デザイン的に評価」される家であり,「綺麗な家」のことなのだ・・・


デザインが鍵となる理由は著者によれば次のような事情です.20年,30年後の中古購入客は,現時点では当然ながらまだ子供か若者の世代です.著者は若者を持ち上げて言います.
現代の若い世代は,ファッションなどの日常生活品を購入するとき,気に入るものが見つかるまで我慢強く待っているが,住居探しも同様になる.
一方年配者のセンスはこきおろします,たとえば次のように.
戦後の多くの貧困経験者は,どうしても華やかさを豊かさの象徴として捉え,装飾過多をデザインと誤解する傾向が強く,その人たちを満足させる工業製品が数多く発売されているけれども,決して惑わされてはならない.
こうして「デザイン評価は子供たちの意見を重視しよう」・・・となります(第6章).「貧困経験者」は,自分の気に入ったデザインで家を建ててはだめなのです.なぜなら21世紀の日本は「一億総デザイナー」の「世界一のデザイン王国」になり,いま建てようとしている家は「毎日のように自分自身のデザイン感覚の熟成を磨いている若い人たち」に評価してもらわなければならないから・・・というわけです.


なんだか怪しげな話です.

エコロジーの説明の所に次のような一文があります.
家を解体するときに生じる大量の産業廃棄物と解体後の新築に使用する地球資源は,20世紀後半の日本のように26年平均で建て替えられてきたのを100年に延ばすだけで4分の1に縮小することができるから,真の100年住宅を新築する人は社会的に評価され,住宅金融や税制面で優遇措置が受けられるべきであろう.
100年住宅の100年というのは耐用年数のはずでしたが,ここでは建て替え年数として使われています.旭化成は建て替え年数26年を耐用年数にすりかえ,それを著者は前述のとおり否定していましたが,ここでは著者は耐用年数100年を建て替え年数にすりかえています.

建て替えの平均が100年であるような住宅の耐用年数は,150年,200年だと思われます.それはたとえばヨーロッパの石造の家や日本の旧家のような「立派な家」であり,宮脇言うところの「バラック」ではありません.普通の家とは違うのです.普通のプレハブの平均建て替え年数が100年になることは,日本の経済が大崩壊してやむなく100年もたせるという状況にならない限り,ありえない話です.

「立派な家」ならば,いくら古くなっても資産価値はかなりなものでしょう.解体には費用がかさむでしょうから,高い値のついた家を,わざわざ高い金で壊して,新築しようとする人はまずでてこないでしょう.「立派な家」の中古を買う人は,家が気に入った人に違いありません.

もしその家のデザインが悪趣味な家であったなら,見向きもされないでしょう.所有者は「立派な家」が付いているにもかかわらず,(土地価格−解体費用)でしか売れないのです.これでは,負け組よばわりされるのも,やむをえません.こう考えると「立派な家」の場合には,たしかにミサワ流二極化説にも一理あります.

しかし普通の家の場合には,古くなればどっちみちたいしたことはありません.是非とも「勝ち組」に入りたいのであれば,家ではなく土地の価値を心配すべきです.こちらは二極化するかもしれません.これに関連して,著者は以下述べるように,たいへんトリッキーなことをしています.


第3章の最終節(「デザイン−モダン,シンプル・イズ・ベスト」)は次の一文で始まります.
優れた住環境に存在する住居が「勝ち家」になることに異論を唱える人は少ないと思われるが,それではどのようにデザインされた住環境がよいかとなると,十人十色で明確な方向性を出すのは不可能と考えるだろう.
「勝ち家」の条件が変わっています.「綺麗な家であること」から「優れた住環境に存在すること」にすりかわっています.こちらの方が本当らしく見えます.なぜでしょうか.

21世紀は所得が二極化するにつれ,土地も二極化する可能性があります.便利で環境が良い立地と,そうでない中途半端な所では,全体土地価格が安定していても,格差が広がるかもしれません.「優れた住環境」という言葉は,一見すると,評価が高まる立地という意味も含んでいそうですから,本当らしく見えるのです.

ところが著者の言う「住環境」は,せいぜい周辺に綺麗な家が建っているという意味でしかないのです.それは「はじめに」の中の次の文でわかります.
海外の先進国と日本の住宅街を比べたとき,日本の住環境がいかにお粗末であるかを誰もが実感するはずだ.日本が先進国の中で最も劣悪な住環境を抱えていることを,「人口密度と地価が高すぎるから仕方がない」と弁解する声もあるが,住民と環境を融和させようとする責務に対する考え方の差によって,住環境に大きな格差が生じた.環境より自己の所有欲を精一杯表現することによって,閉鎖的で汚く醜い住環境の原因になる住居が,過去ばかりか現在でも数多く新築されている.
常識的に考えて「はじめに」くらいは常務取締役その人の「直筆」でしょう.最初に引用した「はじめに」の文とおなじく,この一文もたいへん重要です.

「先進国の中で最も劣悪な住環境」を,著者は,建っている家のせいにしています.「閉鎖的で汚く醜い住環境の原因になる住居」と言っているのです.そしてそれは建てる人が「環境より自己の所有欲を精一杯表現」しようと考えるからだと述べています.矛先は庶民に向かっています.

放言は学生相手だけにしてほしいものです.日本と先進国を比べると,国の施策に決定的な違いはあっても,一般庶民の考え方に決定的な差などあるわけがありません.そしてウサギ小屋と揶揄された30年前ならいざ知らず,現在なお日本の家が欧米の家に比べて決定的に劣っているなどとは到底思えません.

著者の論に従うならば,日本の家がすべて「綺麗な家」に建て替われば,住環境は欧米先進国と肩を並べることになります. 馬鹿げた話です.

住環境が劣悪というのは,敷地が狭く,道路が狭くて歩道がなく,街路樹が少なく,電柱が野放図に建っていることではないですか.「所有欲を精一杯表現する」ように見えるのは,敷地が狭いせいではないですか.


著者は,日本の劣悪な住環境に対して,「「人口密度と地価が高すぎるから仕方がない」と弁解する声もあるが」と述べています.「・・・だから仕方がないと弁解」という文になっています.「・・・」の部分,つまり「人口密度と地価が高すぎる」を著者は否定しているわけではありません.もちろん否定することなど金輪際できるはずがないのですが.

仕方がないと弁解しているのは誰でしょうか.劣悪な住環境に対して一番責任をもつべき国,建設官僚,都市計画専門家,そして政治家です.一般庶民に弁解の必要などさらさらありません.

「弁解する(建設官僚などの)声もあるが」,弁解の必要などなく,「所有欲を精一杯表現する」一般庶民の方が悪いのだと著者は述べているのです.著者は,劣悪な住環境の責任を,あろうことか一般庶民に押し付けようとしているのです.

日本の劣悪な住環境の原因は,明らかに,「人口密度と地価が(そして家も)高すぎる」せいです.そして国の無為無策の土地施策,住宅施策のせいです.あえて一般庶民の責を問うならば,従順でお人よしな国民が,宮脇流に言えば政府にだまされて,人間らしい暮らしより経済復興を優先した持ち家政策にのってしまったことです.

耐用年数26年というインチキで中古資産価値の宣伝に先鞭をつけたのは旭化成ですが,「勝ち家」「負け家」の屁理屈も,負けず劣らずのインチキです.建物価値で21世紀の消費者が二極化されるとまで言ってるのですから.ただ旭化成ほど声高に屁理屈を宣伝していない点が救いといえば救いです.


さてテーマ2の良いデザインとは何かに移ります.勝ち家であろうがあるまいが,綺麗な方が汚いより望ましいことは言うまでもありません.

著者はこの本の内容について
日本の住宅の将来を真摯に考慮しない住宅メーカーに対して,一切遠慮する必要はないとの判断からかなり露骨な内容になった.
と述べています.少子高齢化時代を迎え,どのメーカーも必死に将来を考えている筈です.「日本の住宅の将来を真摯に考慮せよ」とまるで憂国の志士のように大上段に構えて言う以上,憂慮の中身は生き残り策といった低次元の話ではなく,もっと格調の高い話でなければなりません.著者の意識では劣悪な住環境の改善というのもその一つでしょう.

さて「露骨な内容」とはたとえば次の個所です.ミサワの3階建て(「ハイブリッド地球人の家」)と,他社3階建てを比較している個所があります.著者は
外観に生じた線,面,形などの数の差は一目瞭然である.どちらを美しいと思うかであるが,もし写真38〜40が美しいと感じるならば,デザインセンスの向上を目指すことなど諦めたほうがよい.
と言い切っています.写真38は積水ハウス,39はメーカー不明,40は旭化成です.40がへ−ベルであることは,バルコニーの「象さん」でまるわかりです.

積水ハウスやヘーベルハウスを「美しいと感じるならば,デザインセンスの向上を目指すことなど諦めたほうがよい」・・・.これはたしかに露骨です.挑発的です.競合他社に対してだけでなく,読者すなわち消費者に対しても.

この「挑発メッセージ」の中に,著者の考える美しいデザインの基準が示されています.「線,面,形などの数」が少ないことです.つまり「シンプル・イズ・ベスト」なのです.著者はこれをモダンと同義に使っています.

著者はデザイン史を俯瞰して次のように語ります.
産業革命後の日常生活品に見られる工業デザインの推移を見ると,確実に機能性と合理性を重視したモダンなデザインが主流になってきている.決して装飾性を否定するのではないが,余分な化粧や装飾を殺ぎ落とし,「シンプル・イズ・ベスト」に徹したデザインが主役になってきた.
そして次の図が載っています.モダンとは機能性や合理性を重視し大量生産に適した様式,クラシックとは装飾や化粧を重視し大量生産には不向きな様式というほどの意味です.



この図は良いデザインの物が増えていることを示している図ではありません.良いデザインとは何かと,モダンかクラシックかは関係ない話です.よいデザインのモダンもあれば,できそこないのモダンもあります.車のデザインはほとんどがモダンですが,いいデザインもあればそうでないのもあります.クラシックについても同様に上品なクラシックもあれば,悪趣味なクラシックもあります.

たしかに現在はモダン全盛です.クラシックの旗色が悪い理由の一つは,金がかかりすぎることです.そのためクラシックにするかモダンにするかという選択肢は富裕層だけのものです.一般庶民が手にするクラシックは多くの場合擬似クラシックにすぎず本物のクラシックではありません.


さて積水ハウスやヘーベルハウスの凹凸の多い要塞のような3階建ては,どういう理由でこきおろされているのでしょうか.シンプルさが足りない,つまりできそこないのモダンだと著者は評価している・・・ように思われます.まさかクラシックだとは言わないでしょう.

「外観やインテリアに生じる壁面の数はできるだけ少なく」と説いた後,著者は次のように述べています.
デザインに自信がなく,シンプルなデザインを理解できない人たちは,面の少ないデザインに接すると寂しさを感じ,倉庫のようなデザインだという.
現実に「倉庫のようなデザインだ」と感想をもらした人がいたのでしょう.シンプルだが物足りない,寂しいと感じたのでしょう.しかしそのような人に対して,「デザインに自信がなく,シンプルなデザインを理解できない人たち」と決め付けるのは,ちょっと傲慢ではないでしょうか.


著者は「どの家が美しいか」と問いました.これがもし「どの家がすっきりしているか」という問いであれば,著者の言うデザインに自信のない人を含め多くの人がミサワだと答える・・・でしょう,多分.しかし問いが「どの家が好きか」であれば,話はまた別です.

「倉庫のようだ」と思った人は,なにもシンプルさが理解できないのではなく,そのシンプルさが好きになれないために「倉庫のようだ」という否定的な感想になったのです.その人にとって「シンプル・イズ・ベスト」は絶対的基準ではないのです.すっきりした「綺麗な家」はどうも肌に合わん,もっと泥臭いのがいいと感じたのです.

「シンプル・イズ・ベスト」だと言っても,機械的にシンプルさを追求すれば箱の家になるほかありません.箱ではさすがにどうもということであれば,あとはどの程度修飾するか,どの程度色をつけるかという程度問題になり,どの程度をよしとするかは人それぞれです.


本の表紙の著者の肩書きは「ミサワホーム(株)常務取締役」です.この本は消費者相手に商売している企業の人が書いた本です.それなのに,「デザインに自信がない人」,「シンプルなデザインを理解できない人」,「デザインセンスの向上を目指すことなど諦めよ」,「貧困経験者は装飾過多をデザインと誤解する傾向がある」などなどとまるで読者すなわち消費者をバカにしたような言葉がばらまかれています.

わが社の商品がわからんやつは,センスが悪いと言っているのと同じです.商売人が客をけなすようになったらおしまいです.客をけなす前にやるべきことが山のようにあるでしょうに.それとも著者の意識は商売人ではなく,誇り高い建築家?


著者は大学卒業後,
設計士として数多くの住宅を手がけた後,工業化住宅に魅せられ,71年に(大卒5年後.引用者注)ミサワホーム(株)へ入社し,商品開発を行う.87年ミサワホーム総合研究所取締役,89年ミサワホーム(株)取締役を経て,94年より常務取締役商品開発担当.93年,「デビュー自由空間U」がグッドデザイン金賞.同年「日本マーケティング大賞」を受賞.96年には「ジニアス蔵のある家」がグッドデザイングランプリ」を受賞する.
と巻末の略歴にあります.「工業化住宅に魅せられ」ミサワに入社し,開発責任者の立場で商品化した「ジニアス蔵のある家」がグッドデザイングランプリを受賞したことがわかります.


先日の朝日新聞にグッドデザイン賞の全面広告(「Good Design Award 2004」:日本産業デザイン振興会と朝日新聞の共同企画特集,04年10月30日付け)が出ていました.ヘッダーに次のようにあります.
グッドデザイン賞は,「デザインの良さ」を発見し社会に推奨している運動体です.(中略)ここでいう「良いデザイン」とは,外観の美しさだけでなく,機能,品質,安全性などの基本はもちろん,生活への提案までをも含んだ,全体としてのクオリティーの高さを表わしています.
良く知られているGマークは,グッドデザイン賞を受賞した商品に使用が許されています.見かけだおしの商品ではGマークをとれません.同広告には今年度Gマーク取得商品の一部が写真入りで紹介されています.個人住宅ではミサワの3つの住宅とトヨタホームの一つの住宅が掲載されていて,ミサワの説明には次のようにあります

ミサワホームは1990年以来,15年連続でグッドデザイン賞を受賞しています.これまでの受賞商品・部品は住宅業界最多の計87点にも達しました.96年には住宅として初めてグランプリを受賞.
96年の『ジニアス蔵のある家』は,住宅として初めてグッドデザインのグランプリ(Gマーク大賞)を獲得した特筆すべき商品です.(「蔵」とは「一階天井と二階床の間」の収納スペースのことで,通常の意味の蔵ではありません.)『綺麗な家に住もう』には松永真・総合審査委員長の選定理由が引用されています.その前半部は次のとおりです.
グッドデザインは,人間の生活あっての存在であることは言うまでもない.大賞受賞作品(『ジニアス蔵のある家』)は,その人間の生活の基本である住空間というテーマに正面から取り組んだ,その姿勢において評価されたと言える.誰もが何らかの住宅に住みながらも,なかなか満足のいく住空間を持てないのが日本の実情だ.われわれの実生活により大きな影響を与える分野のデザインのレベルを,ほんの少しでも前進させることの意義の大きさを今年のGマークは示すことができたのではないか.
数ある商品の中でなぜ住宅のデザインが重要であるかを説いています.大賞に選ばれた理由が,外観デザインではなく,住空間を改善しようという姿勢にあることが,この説明でよくわかります.私は『ジニアス蔵のある家』の外観デザインは嫌いですが,上記理由でGマーク大賞を受賞したことに何の異存もありません.

ミサワ技術陣は,敷地,床面積,予算の厳しい制約下にある小住宅を数多く手がける中で,多すぎるモノをいかに収納するかという問題の重要性に気づき,その一つの解を提示したのです.実生活に大きな影響を与える住空間を「少しでも前進させることの意義」は,たいへん大きいのです.プレハブ会社の責任はそれだけ重大です.建築家が設計した家の場合,「前進」の恩恵を受けるのは施主一家だけですが,プレハブの場合,多くの人が恩恵を受け実生活が改善されるのです.


「蔵のある家」は94年に商品化されました.そして先日の全面広告(朝日新聞04年11月5日付け)によると新登場の4層構造「CENTURY」も「蔵のある家」になっています.「蔵」コンセプトが10年間陳腐化せず,いまだに大きな目玉になっていることは,開発グループの誇りとするところでしょう.


通販大手のアマゾン社でこの本を検索したところ,著者紹介に次のような文がありました.
(著者は)ミサワホームの常務取締役であり、ベストセラーとなった藤原智美氏の『家を建てるということ』のなかでもたびたび登場する。一流の建築家でありながら、自らを「工業デザイナー」と称するところに、氏の「誇り」が感じられる。
これはまぁいろいろ考えさせられる評です.この評に関係すると思われる部分は本の次の個所です.
住宅の設計者は,人間国宝の陶芸家の手になる芸術品ではなく,工場生産力などに頼って毎日使用される食器類などを製作していることと同様であることを認めなければならない.「シンプル・イズ・ベスト」をよく理解し,ローコストを目指して,生活の邪魔になるような難しいデザインをしてはならない.例え高級住宅であっても無駄を排除し,工業化住宅以外の在来工法による住宅などよりも高品質で低価格を実現しなければ存在価値はない.
これは著者流のいわばモダニスト宣言です.工業化住宅宣言です.最初の一文,

住宅の設計者は,人間国宝の陶芸家の手になる芸術品ではなく,工場生産力などに頼って毎日使用される食器類などを製作していることと同様であることを認めなければならない.
において,人間国宝の作る芸術作品とはまた喩えが極端ですが,要は住宅設計者は,芸術家ではなく,工業デザイナーであると言おうとしていると思われます.ここの住宅の設計者というのは,プレハブ住宅の設計者(後述)であろうと思われます.そしてなぜ著者が芸術家を例に出したか憶測してみるに,これはたとえば,芸術家をきどった建築家といったものが念頭にあると思われます.


隈はモダニズムについて次のように述べています(参照図書1).
建築に限らず,すべての近代主義的運動(モダニズム)は19世紀的な芸術,すなわち「ブルジョアジーのための芸術」という存在形式の否定を目的としてスタートした.そのためにモダニズムは,建築を科学にしなければならないと唱え,建築を工業にすることを唱えた.特権的な芸術家によってデザインされ,特権的,秘技的な施工技術を用いて建設される芸術作品としての建築という存在形式を否定することが目的であった.すべての人々に開放された客観的手法(すなわち科学)によって計画され,デザインされた建築が,すべての人々に解放された技術(すなわち工業)によって,安価で大量に建設されること.それが初期モダニズムの最大の目標のはずだった.

しかし残念ながら,この目標は中途で放棄された.最も効率的にモダニズムを普及させるための手段は科学や工業ではなく,まさに放棄し,否定したはずの「芸術」こそが最もふさわしいということを,モダニスト達は発見したのである.その発見が,モダニズムを転向させてしまうのである. (略)

この転向を象徴するとびきりの「芸術家」が,ル・コルビュジエであった. (略)

コルビュジエの芸術を継承し,増幅したのが丹下健三である.「機械的なものは美しい」という機能主義の基本的テーゼを,丹下は「美しいものは機能的である」という名句を吐いてマジックのような見事さで反転してしまった. (略)

日本においては,そもそも,特権的な建築家も特権的な芸術建築も存在しなかった.芸術を否定する必要は最初から存在しなかった.むしろ芸術をできる限り早く捏造することが要請されていた.
こうしてモダニズムはゆがみます.「芸術としての近代建築」というゆがみです.

『綺麗な家に住もう』の著者は,建築家=芸術家の図式を否定しました.ポストモダンについて著者は次のように述べています.
このあたりの建築界の流れは,建築家,難波和彦氏が,自らの恩師で工業化住宅の草分けであった池辺陽氏に関する試論「戦後モダニズムの極北」(彰国社)で詳細に述べられている.その中で難波氏は,ポストモダンを「戦後のモダニズムがブレイクスルーできなかった未熟さから生じた一過性」と見事に分析している.
素人向けのこの本の中で,この一節ははっきり異質です.建築家難波の評論にもろ手をあげて賛意をあらわすことにより,著者は是非とも宣言したかったのです.芸術家ではない,しかし池辺陽を「極北」とするモダニスト陣営に属するれっきとした建築家であることを.


プレハブ住宅の設計者とは,商品開発者のことです.商品コンセプトを考え,プロトタイプを設計する人・グループのことです.大手ハウスメーカーでもその数はそれほど多くなく,選ばれたエリート達です.

実際に客と接触し,客の要望を聞きながら間取りをはじめとするその他その他の詳細を決め,契約に持ち込む人は,商品をいわば「カスタマイズ」する人です.この人たちを仮に技術営業と呼んでおきます.こちらは大勢いなければ話になりません.

車の場合,カーデザイナーが設計した車はそのままの形で消費者の手にわたりますが,プレハブ住宅の場合,プロトタイプは土地形状,顧客要望に応じて「カスタマイズ」された上で客の手に渡ります.商品の使い勝手はカスタマイズの良し悪しで決定的に左右されます.したがって技術営業の重要性はいくら強調してもし過ぎということはありません.しかし,それにもかかわらず,建物の物理性能あるいは建物のイメージはプロトタイプで大枠がほとんど決まっています.


プレハブ住宅設計者と建築家はどこが違うのでしょうか.

建築家は,特定施主の要望に従い,特定の土地に建てる家を設計します.建築家のゴールは当該施主の喜ぶ顔です.

プレハブ住宅の設計者は,不特定多数の施主予備軍の要望を想定してプロトタイプを設計します.土地は特定されていません.設計者のゴールはたくさん売れる商品を設計することです.一方技術営業のゴールは,担当した顧客の喜ぶ顔です.設計者自身は,施主の生の声を知りません.施主との距離は,建築家の場合よりずっと遠いのです.

もし建築家というものの定義が,特定の土地に特定顧客の要望に従って「ワン・エンド・オンリー」な家を設計する人だとすると,プレハブ住宅設計者は明らかに建築家ではありません.「ワン・エンド・オンリー」性こそ,建築家の最後の存在理由です.


建築家がA仕様にするかB仕様にするか迷った時,解決するのは簡単です.施主に決めてもらえばいいのです.一方プレハブ住宅設計者の場合,お伺いをたてるべき全能の施主は存在しません.逆に言うと,特定顧客の要望という制約から自由です.

プレハブ住宅設計者は,顧客要件を自分で想定します.それはごく安易にアンケート結果を統計処理して決めることもできます.あるいはまた,洞察力を持って,こうであるべきだと想定することも可能です.

客のレベルはこんなものだろうと高を括って商品設計するのであれば,特定施主の要望に隅々まで縛られた建築家の設計より話はずっと簡単です.大衆に迎合した商品がこうして誕生します.

しかしもし設計者が,「生活への提案」まで含み,日本の住宅のレベルを少しでもあげようという高い志(あるいは野心と言うべきか)を仮に持っていたとすると,その設計は大変難しいことになります.ハイブローな番組で視聴率を稼ぐことは,人気タレントが出演するバラエティ番組の場合よりずっと難しいのと同じです.売れなければ話にならないのは,商品の宿命です.

隈は次のように述べています(参照図書1).
村野にとっては建築も建築家も,命がけの跳躍をするひとつの商品であった.中心的な仕事,公共建築をなりわいとする建築家は,このような認識を持つ必要はない.自分の作り出した商品はまちがいなく自動的に引きとられ,使用されていくからである.彼らの商品は必然的に弛緩する.一方村野の商品には跳躍する場に立たされ者だけが持つ,あでやかな媚と,自らの身を切り刻むほどの緊張感とが同居している.そしてこの二つは近代性と同義なのである.
弛緩した商品と緊張感ある商品という対比は,プレハブ商品間の対比にも,施主に迎合した建築家の作品と野心的なプレハブ商品の対比にも使えるように思えます.


プレハブ住宅設計者と建築家の間には,もう一つ忘れてならない重大な違いがあります.良くも悪しくも社会に対する影響力の大きさです.建築家が設計した個人住宅の外観写真が新聞紙面に掲載されたことが,過去に何度あったでしょうか.一方プレハブ設計者のデザインした「綺麗な家」が全国紙の全面広告に大きく掲載され,テレビのCMに頻繁に登場することは,ごく日常的なことです.


隈の本に「形式対自由という退屈」という題の章があります.20世紀後半の建築界は,形式と自由が対立するという長い歴史を持つ二項対立の思想が支配し,「建築雑誌に掲載されるほとんどの論文は,この二項対立を前提として,その超克をめざせという形で,論を組み立て」ているのだそうです.「主観の排除」対「主観の重視」,「供給者」対「需要者」などは,形式対自由の変奏として位置付けられています.

『綺麗な家に住もう』の中央大通りにも,派手な二項対立が存在しています.「クラシック」対「モダン」です.装飾されたものとシンプルなものの対立です.「負け家」対「勝ち家」です.この二項対立の特徴は,「超克をめざせ」という形の対立ではなく,片方がほとんど全否定されている点です.モダン=シンプル=良いデザイン=勝ち家という「シンプル・イズ・ベスト」の等式が成立しています.この二項対立は,ちょっと驚くべきことに,欧米の住文化と日本の住文化の対立にまで拡張されます.

著者は「日本人の美意識は伝統的に「モダン」」と説きます.日本人がごてごてしたものよりも,すっきりしたものを好むのは確かです.数奇屋建築がその好例です.

著者は,日本人の「モダンな美意識」を,日本人の清潔好きで説明します.日本人がいかに清潔好きであるかを,衣食住にわたってえんえんと説明した後,次のようにしめくくります.
以上,日本人の清潔感からなる伝統的な住文化を紹介したが,清潔な生活は汚れることが少なく,欧米の住文化のように汚れを装飾や化粧などで隠す(悪くいえばごまかす)必要性がないため,装飾や化粧を極力控えた「シンプル・イズ・ベスト」のモダンな住生活を確立してきた.

そのシンプル性が,欧米の芸術,工芸や工業製品など,あらゆるデザイン界に18世紀ごろから影響を与え続けている.私は,この日本人がつくり上げてきた清潔感に裏打ちされたシンプルな文化が,21世紀には世界の潮流になると確信している.先進国はその経済力により豊かになればなるほど健康と長生きを追求するため,自ずと清潔な住環境を構築するようになる.そうなっていく過程で,今までは一部の芸術家やデザイナー,インテリが評価した日本のシンプルな住文化を,欧米の一般庶民が理解するようになるだろう.

「シンプル・イズ・ベスト」は,21世紀,世界のデザインの主流であることを考慮すれば,今われわれはどのような住居にしなければならないか明確である.
建築家には「自分を創造主だと仮託するほどの誇大妄想が必要とされた」と,隈は述べています.その意味で著者には一流建築家の資格がある,とまで言ったら皮肉が過ぎるでしょうか.


すでに述べたように,著者は日本の「閉鎖的で汚い」住環境をたいへん問題視しました.ところがここでは著者は日本の「清潔感に裏打ちされた」住文化が21世紀の世界の潮流になると述べています.

当然の疑問が起こります.なぜ,世界に冠たる住文化の日本の住環境が,「汚れを装飾でごまかす」住文化の欧米の住環境より,決定的に劣悪なのでしょうか.「清潔感に裏打ちされたシンプルな」住文化と恥ずべき住環境は,どのようにして両立するのでしょうか.

著者の考えは矛盾している,と私は思いました.しかし著者の頭の中では両立しているのです.ヒントは上記の文中に出ています.

日本の住文化は,欧米では「一部の芸術家やデザイナー,インテリ」にしか理解されていないが,今後「欧米の一般庶民」も理解するだろうと,著者は述べています.「一部の芸術家やデザイナー,インテリ」が意味するところは,リッチな人というよりセンスがある人といったところでしょうか.つまり有体に言ってしまえば,欧米のセンスある人たちは日本の住文化の良さがすでにわかっている,しかし欧米のバカな大衆はまだ理解していないという考え方です.

これもすでに述べたように,著者は日本の劣悪な住環境の責任を,所有感を目一杯表現しようとする住人に押し付けました.おわかり頂けたでしょうか.

もののわかった一部の人は日本の住文化のよさを理解し継承している,しかし圧倒的多数のバカな大衆,あるいは「貧困経験者」はまるでわかっていない,したがって,日本の住環境は劣悪になるのである・・・!こうして世界に冠たる住文化と恥ずべき住環境は立派に両立するのです.

このような思考傾向は,隈がいみじくも建築における民主主義と呼んだモダニズムと根本的に相反する,と私は思います.わかる人にはわかると傲慢に構える芸術家をきどった建築家の考え方と同型です.なぜ,こんなことになったのか.


ミサワは低価格住宅にも力を注いでいます.ベーシックモデルも「100年住宅」(CHS60)の認定を受けています.15年連続で「全体としてのクオリティの高さを表わす」Gマークを取得しています.ミサワが高いデザインレベルで高品質・低価格な家を提供するという戦後モダニズムの初心にもっとも近い企業であることは,たぶんまちがいないでしょう.

著者にはモダニズム本流を先頭きって走っているという自覚があります.自負があります.著者から見れば,個人相手の建築家も他のプレハブメーカーも,ものの数ではないのです.

難波の「箱の家」は,著者から見れば「工業化住宅風」の「建築家設計の家」にすぎません.「ワン・エンド・オンリー」論をふりかざすその他の建築家も,実にさまざまな「建築家設計の家」を建ててきたことでしょう.しかし,いかんせん,その数はプレハブに比べれば圧倒的に少数です.大量生産を実践しているのは,まちがいなくハウスメーカーです.

そして他のハウスメーカーも恐れるに足りません.著者が満々たる自信を持って他社デザインを貶している例はすでに見て頂いたとおりです.すでにモダニズム路線を放棄しているかにみえる企業は問題外です.商品デザインより広告デザインに血道をあげている企業など論外です.

かっての日産は,品揃えこそ豊富でしたが,どれもこれも魅力に乏しい車でした.デザインのわからない経営陣が商品化の実権を握っていた為だとよく言われます.一方ホンダは,若いデザイナーの意見が通る風通しの良い組織でした.ミサワはホンダに近いと思われます.著者に言わせれば,官僚的体質の企業から,目のさめるように鮮やかなデザインの商品など生まれるわけがないのです.

著者にこわいものはないのです.そこに罠がありました.突出したものが陥る,おごりという罠です.丹下健三の「美しいものは機能的である」と同型の転倒を著者は犯しました.工業化住宅は「綺麗な家」にすりかわりました.


モダニスト難波の『箱の家』の主張は正真正銘シンプルでした.しかし『綺麗な家に住もう』はそうではありません.そこに見られるシンプルさは,実は強引に捏造されたシンプルさです.親の敵というべき「化粧や装飾」にまみれています.先頭ランナーがこんな本を出すようでは,建築家石山に日本のプレハブメーカーは20世紀の負の遺産とまで言われてしまうのも,あるいはやむをえないのかもしれません.



(6)誇り高き建築家

渡辺武信という建築家の『住まいのつくり方』という本をご紹介します(参照図書7).今年9月刊のごく新しい中公新書です.

著者は1938年生まれ,日本建築家協会会員,日本映画ペンクラブ会員,日本現代詩人会会員で,著書リストの先頭は『渡辺武信詩集』になっています.多才な方です.

建築家の事務所は,「ル・コルビジェ全集がある事務所とフランク・ロイド・ライト全集のある事務所に二分できるような気がする」と著者は述べています.著者はコル派ではなくライト派のモダニストです.



これは「私の設計した家」として紹介されている5つの家の一つで,極小過密敷地への対応−「ライト・コートのある家」というタイトルになっています.「住宅密集地の一角にひっそりと建つ,防衛型都市住宅」です.

「伝統的な和風住宅の開放性への郷愁」から,防衛型に徹することに施主の理解が得られないことが多いが,この家の場合,「都市に住むには「何を確保し,何を捨てなければならないか」ということをきちんと理解されていた」と著者は施主をほめています.つまりこの家で著者は思う存分,防衛型に徹したのです.

外観はシンプルです.ミサワの家が倉庫のようだと思ったことはありませんが,この家は一風変わった倉庫に見えます.機能主義を徹底すると,こんな愛想のない家になるものなのでしょうか.

掲載されている敷地図から敷地の広さを読み取ると,約50坪です.50坪は著者からみれば極小敷地です.


著者は,建築家を次の5つのタイプに分けてこれから家を建てようとする人にアドバイスしています.

 1)非建築家の設計士
 2)住宅設計の経験の浅い建築家
 3)住宅設計に実績のある建築家
 4)「建築が好き過ぎる」建築家
 5)デザイン過剰な建築家

タイプ1の非建築家の設計士とは何者でしょうか.
このようにして工務店と継続的に連携して住宅を設計する建築士は,安い設計料で数多くの仕事をこなすうちに工務店と,いわば癒着していくのが,自然の成り行きだろう.このタイプの設計事務所で仕事をする建築士は建築家というより司法書士などのような“代願業者”であると考えるべきだろう.(中略)

十数年前だが建築専門誌ではない一般誌に,共に一級建築士である(建築家ではない)若い夫婦の設計事務所が年に100軒の住宅を設計すると報じられていて,唖然としたことがある.私はかって(中略)年間にスタッフ一人あたり1軒半から2軒(中略)の設計監理を行うのが精一杯であった.真の意味での設計監理はそれだけの手間と時間を要するので,一桁の料率の報酬では成り立たないのである.
料率とは設計監理費が全工事費に占める割合です.(全工事費は大雑把にいって設計監理費と工事施工費の和です.)

合理的な理由があって料率が低いのであれば,なんの問題もないと思われまが,著者によれば,10%未満の料率で設計監理を請け負う設計士は建築家ではなく,“代願業者”なのです.

設計料には「指針」があります.通称「告示1206号」という建設省による指針です.20坪2階建て,延床面積40坪で坪単価80万円,工事総額3200万円の住宅の設計監理報酬を指針に従って求めると約863万円,料率にして約27%になるとのことです.しかし「建築家にとっては残念なことながら」,大多数の建築家はもっと低い料率を設定しているそうです.

著者は最低でも「指針」による額の半分程度,つまり上記の例で13%以上が妥当と主張しています.ちなみに著者の場合は,工務店選定を一任された場合満額の8掛け,つまり約22%,施主が工務店を指定した場合は満額です.


タイプ2の住宅設計に経験の浅い建築家とは,若手という意味ではなく,大規模建築を専門にする建築家のことです.大規模建築専門の建築家は,たとえ「有名建築家であっても住宅の設計を安易に依頼すべきではない」とアドバイスしていますが,大規模建築専門で,まして有名建築家ともなれば,個人住宅の設計を「安易に依頼」などはじめからできるわけがないと思われます.

タイプ3の実績ある建築家とは,個人住宅で実績を残している建築家のことです.


さてタイプ4と5には,興味深いことが書いてあります.

タイプ4の「建築が好き過ぎる」建築家は,「店舗などの商業建築では才能を発揮することが多い」が,住宅設計を依頼することは避けたほうがいいとアドバイスしています.なぜならと著者は次のような論理を展開します.
そういう建築家はしばしば,仕事が好きであるがゆえに,自分の家で過ごすことが少なく「家は帰って寝る場所」に過ぎなくなってしまっているからだ.住宅は暮らしの場であるから,設計者自身が暮らしを楽しんでいなければ,楽しく暮らせる家,心の安らぐ家は設計できない.
「建築が好き過ぎる」がいつの間にか「暮らしを楽しんでいない」にすりかわっていることにご注意下さい.そして
住宅設計に実績があって,自分も暮らしを楽しむ術(すべ)を知っている建築家はそう多数はいないものだから,さがすのは容易ではないが,首都圏内では私の所属する日本建築家協会・関東甲信越支部の「住宅部会」に属する数十人に限られるだろう.
と聞き捨てならないことを宣言しています.

建築家協会に属する建築家は,実績もあり「暮らしを楽しむ術」も知っている人ばかりだという主張であれば,「はぁそうですか」で終わりですが,実績があり「暮らしを楽しむ術」を知っている建築家は,建築家協会に属する建築家に限られると言われてしまうと「ウソを言うな」といいたくなります.「暮らしを楽しむ術を知っている」ではなく,「優雅に暮らしている」,つまり恒産をもちガツガツ働く必要も意欲もない建築家ということであれば,首都圏で数十人というのも,あるいは真実かもしれません.

日本建築家協会(JIA)とは,著者によると「設計監理だけを専業とする真の意味での建築家の団体」です.著者は述べています.
建築家協会のアクティブな会員である私には残念なことだが,宮脇(檀)さん以外にも,優れた住宅設計者でありながら建築家協会のあり方に疑問をもち,比較的高い会費を払うメリットがないと考えて入会されない方も数名ながらおられる.
「数名」の方は,「実績があり暮らしを楽しむ術を知っている建築家は,建築家協会に属する人に限られるだろう」などとタワケタことを,「アクティブな会員」が公然とPRしている「会のあり方」に疑問を持たれたのでしょう.会費云々には,「あり方」に疑問を持つ人に対して,会費を払うのが惜しいのか・・・といちゃもんをつけているニュアンスさえ感じられます.


タイプ5のデザイン過剰の家の例として,シャープ薄型液晶テレビの吉永小百合CMに登場する「壁のない家」が挙がっています.そして次のような感想を述べています.
四方がガラス張りで,まるで金魚鉢のように外から内部が丸見えになる.こういう家を住みこなすには周囲に庭をもてる相当広い敷地でなければならない.この家自体はおそらくそういう広い敷地に建てられ,住み手には気に入られているのだろうが,私の感覚からすれば,たとえ広い敷地に建てられていても,うららかに晴れた春秋の昼間は気もちがいいだろうが,雨の日や夜間には落ち着けないと思う.
CM制作者は<狭い日本のリビングに最適な薄型液晶テレビ>といった現実的で夢のないシーンから出発し,逆転の発想で世界の先端を走る芸術的リビングに思い至ったのでしょう.先端的製品と先端的リビングが違和感なく結合し,非先端的和風美女の「リビングは環境です」という優しい一声がバランスよくCMを締めています.このシリーズのこれまでの4作(?)は見て楽しいCMだと素人の私は思いました.

短い文の中に「広い敷地」が3度も出ています.これまでの客の中にこんな広い敷地の家はなかった,これは普通の家ではないと言いたいのでしょうが,そんなことは見ている人には言うまでもなくわかる話です.

「壁のない家」は,春秋のうららかに晴れた日に,海外得意先の要人をもてなす為の家かもしれないし,家道楽の富豪の夢の実現かもしれません.シャープのCMに登場する家は,日常生活の場としての普通の家ではないのです.環境芸術としての家です.だからこそCM制作者は白羽の矢を立てたのです.

小百合CMの例に続けて著者は言います.
デザイン偏向の設計者が手がけた建築は外観が一つの形態として目立つから,外観を(実物あるいは写真でも)見れば,それとわかる.そういう住宅は近隣環境から浮いて,街並みの調和を乱している感じがすることが多い.大学で教えられる建築史の戦後住宅史に領域で論じられる「有名な住宅」の半分以上は,この類の建築家の作品である.そのうちかなりの数が建築家の自邸であるのが救いだが・・・.
施主が気に入っている家に対していちゃもんをつけようとすると道は一つです.「街並みの調和を乱している」です.異分子排除の論理です.ところが著者のこの論理はかなりいい加減であることが,別の個所で次のように述べていることでわかります.
私が自分に課している掟は(略)にとどまり,建物と街並みの調和すら,そう深刻に考えたことはない.それは私がもともと,街並みを破壊する,というか悪い意味で目立ってしまうようなデザインをしないからであり,守らなければならないと思わせる良い街並みにある現場に出会ったことがないせいでもある.
著者が設計した家のデザインは,「過剰」でも「偏向」でもなく「良い意味で」目立つということのようです.要するに「前衛的」な建築家がお嫌いなのでしょう.


著者は建築家を「他のジャンルの芸術家」と比べて,次のようにおもしろい意見を述べています.
画家や小説家は貧窮に耐えつつも己の信じる道を行くことができる.具体的に言えば食費を削って絵具や原稿用紙を買えば創作を続けられる.しかし建築家と映画監督は,生活費を節約する程度では作品を作ることができない.文学や美術の世界では,無名のまま世を去った作家の仕事が死後に評価されることもあるが,これは建築や映画の世界ではあり得ないことだ.

この巨額の金銭はクライアント,つまり他人からもたらされる.したがって映画監督も建築家も,将来ではなく,現在時点で「客に受ける」ことを迫られる.そうでないと次の仕事ができないからだ.これは本当に怖いことで,この点では個人芸術に携わる画家や小説家がうらやましい.
才能がもろに問われる小説家や画家からみれば,「手に職のある」建築家が,ろくに才能がなくても,芸術家をきどってのうのうと暮らしていけることが,うらやましくてしかたがないでしょう,きっと.

個人住宅を専門とする建築家が万万が一,「客に受ける」ことに失敗したとします.客とは施主一人のことです.そうすると「次の仕事ができない」でしょうか.同じ施主から二度と注文は来ないでしょうが,客はいくらでもいます.

もともとよほどのへまをしない限り,「客に受ける」ことに失敗することはないのです.なぜなら建築家は,施主に受けるように設計するからです.といってもそれは迎合という意味では必ずしもありません.建築家には客を選ぶ自由があるからです.誇り高い建築家が,「レベルが低い」と判断した客の依頼を請けることは,まずないと思われます.もし請けると喧嘩別れして設計中断という不幸な結末になることが目に見えているからです.

ここの建築家が,個人相手の建築家ではなく,大規模建築専門の建築家や前項の意味でのプレハブ設計者だとすると,話は別です.真実味を帯びてきます.

映画監督も大規模建築設計者もプレハブ設計者も,莫大な金を費やした「作品」が一般多数に不評であると,次を任されることはないでしょう.「これは本当に恐ろしい」ことです.すべての責任は監督,設計者が負わなければなりません.不評の原因を一般多数の「レベルの低さ」のせいにすることはできません.

さて上に続けて,「建築の芸能性」というタイトルで以下のようなことが語られます.
常に現在形で客に相対していなければならないという点では,建築家と映画監督の仕事は芸術的というより芸能的である.これは決して卑下して言うのではない.芸能という概念を低次元で捉えて,「受ける」ためにレベルの低い客に媚びていれば,芸の品格が下がることは自明の理で,それは自分の芸に誇りを持つ芸能人なら決して犯さない過ちである.
芸能というものはひとりよがりでは成立しないので,常に客の反応を測定しつつ表現を調整しなければならない.そのためには当然のこととして妥協が伴うが,それを自分の誇りを失わず芸の品格を損なわない程度にとどめる自戒が最も大切だろう.
これは「言うは易く行うは難し」という言い回しがぴったりのことで,私としてもクライアントに対しては妥協の連続だから,自分がどれほど芸の品格を保っているかは第三者の評価に委ねるしかない.
語るに落ちるとはこのことかもしれません.誇り高い建築家が「レベルの低い施主」を相手に,「自分の誇りを失わず芸の品格を損なわない程度にとどめる」ことなど,まず不可能です.というより,そんな苦労をする必要は全くないのです.誇り高い建築家は客を選ぶからです.

建築家=芸能人説は次のように締めくくられます.
しかし一つだけ自負をもって言っておけば,私が公共建築の設計入札に応じないのは,(略)というより,むしろ個人の人生観からして,仕事の受注を報酬の安さだけで競うことが,客に媚びる最悪,かつ最も安易な道であり,結果として自分の芸の品格を損ない,誇りを失うことになるからである.
こうして設計監理料が高いことが正当化されます.入札に対する著者の考えにご注意下さい.


設計が終われば,あとは工務店の仕事です.建築家は工務店を選び,その仕事ぶりを「監理」します.すでに見たように,著者は工務店と継続的に連携している設計士は,工務店と癒着している恐れがあると述べていました.著者は自分の場合を次のように述べています.
(前略)代願業者的設計者と工務店の癒着とはまったく違う.私は首都圏内に過去に施工してもらった長年のつきあいがある工務店,建設業者が約五社あるが,施工者の選定を一任されれば,諸条件を考慮して,そのなかから業者を選ぶ.
「長年のつきあいがある工務店,建設業者」のうち4社に関しては,「レベルの高い工務店」としてその実名が本文中に明記されています.「諸条件」の中で価格が占める比重は非常に小さいと思われます.「安さだけで競うことが,客に媚びる最悪,かつ最も安易な道」だという考えを著者は持っているからです.

素人が価格の安さに飛びつくのは確かに危険です.中身がすりかわっていたり,手抜きされたりしても,素人にはわからないからです.しかし専門家である建築家の場合は違います.自分が設計した仕様どおりに施工されているかどうかは,「監理」を手抜きしない限り,そして無能でない限り,確実にわかります.

建築家が設計仕様を広く工務店に示し見積もりさせるシステムであれば,建築家設計の家でもプレハブより安くて良いものができる可能性があります(本書によるとプレハブの場合,「設計監理費」に相当する部分は,価格の35%から40%を占めているそうです).このようなシステムは,手間を惜しまず客の立場に立てる建築家でなければ,運用できません.「建築家」の中にはたぶんいないでしょうが,世の中の設計士の中にはきっといると思われます.

信頼できる特定の工務店を使うことに反対しているわけではありません.しかしそういう形で仕事をしていながら,「代願業者的設計者と工務店の癒着とはまったく違う」などと主張しても,説得力がないと言いたいだけです.


クライアントから金をもらう→現時点で「受ける」必要がある→芸能人と同じ,という皮相な論理で著者は建築家を芸能人にたとえました.しかし著者の本懐はこれではありません.著者は建築家=聖職家説というきわめて固い説に親近感を持っています.

単なる設計者と真の意味での“建築家”の違いを,さらに突き詰めて考えれば,建築家の業務は,利益を追求するビジネスではなく,倫理に縛られていると言えよう.倫理を伴うことによって,建築家の業務全般は“職業”(job)ではなく“職能”(profession)となる.(中略)
原語に還って考察すれば,“profession”とは“profess”(告白)するという意味であり,これは信仰告白のことである.
つまり建築家は神の前で信仰告白することによって自らに倫理を課す.欧米社会においては聖職者の他,医師,弁護士が古くから,また近代においては公認会計士が“profession”に属するものとされる. つまり建築家は医師,弁護士,公認会計士と同様に,自らの利益を追求する手段として業務を行うのではなく,社会における役割を果たすために業務を行う.
本書に引用されている柄谷行人の言葉(『隠喩としての建築』より)によれば,
ギリシャ人において,建築は,単なる職人的技術ではなく,原理的知識を持ち,職人たちの上に立ち,諸技術をすべ,制作を企画し指導しうる者の技術として理解されていた.
古代において巨大な神殿の建設を指揮する建築家が神秘的で特別な存在であったろうことは,想像に難くありません.しかし現代において建築家は,なんら特別の存在ではありません.しかし著者は次のように建築家を特別視します.
(画家や作曲家が)時代の風潮に合わない絵や曲を書いても売れないだけで,社会に迷惑を及ぼすことはない.しかし建築は,建築家が自分の作品に情熱をもたず,報酬を得るためのビジネスと割り切って設計すれば,退屈な建物しか建たないし,建築物の寿命は長いから社会に悪影響を及ぼす.
売れない絵や曲が社会に迷惑を及ぼすことがないとすれば,建築家設計の退屈な建物も,社会に迷惑を及ぼすことはないと,私は思います.どちらも,その影響力はたかが知れています.

ここでもまた,建築家設計の個人住宅ではなく,大規模建築またはプレハブであれば意味が通ります.都庁のような巨大公共建築物がもし「退屈な建物」であれば,そこを訪れる多くの人,周辺の多くの住民に,長期にわたって悪影響を及ぼします.プレハブ会社が「退屈な家」を設計し,レベルの低い全面広告を垂れ流し,資金力にまかせて売りまくれば,「社会に迷惑を及ぼす」ことは明らかです.

プレハブ会社に対しては,人々の生活に与える影響力の大きさを自覚し,倫理的であることを強く要求します.しかし個人相手の建築家に対しては,職業人として普通の倫理感をもち,それを守ってくれるだけで充分です.


著者は「序にかえて」で次のように述べています.
本書は決して私自身のPRにならないように気をつけたが,建築家という職業(厳密には第4章で論じられているように“職能”)のPRになることには遠慮しなかった.その結果として住宅産業の一部から批判を受けることは覚悟の上だ.本書が住宅を設計する真の建築家の事務所の“敷居を低くする”効果をもてば幸いである.
私の感想では,この本は建築家のPRになっていないどころか,“敷居を低くする”という意味では逆効果になっていると思います.しかし著者自身のPRには間違いなくなっています.普通であれば,1冊全部が著者のPRであっても全く構わないのですが,著者が
“job”を獲得するために自分をクライアントに売り込むことは“job hunting”と呼ばれ,職業倫理に反することになっている.これは医師が自分が運営する医院の広告をする場合,診療の専門範囲および医院の住所,診療時間,電話番号など最低限の情報しか盛り込めないのと同じく,“profession”の倫理上の理由による.
と述べている以上,問題だと私は思います.本書の内容は著者に関する「最低限の情報」どころではありません.著者は自己を売り込んでいます.


売り込みに関し著者はまた次のように述べています.
建築家を探すのもけっこうくたびれることである.しかしそれは誰でもない,あなた自身の幸せを求める道と言えよう.その努力を回避して向こうから売り込んでくる建築家(そういう人もいないではない)や,たまたま紹介された建築家の個性をよく見極めずに設計を依頼して,その結果がうまくいかなくても,それは建築家ではなくあなたの責任である.心ある建築家はあなたに門戸を開きつつも,自分で売り込むのではなくあなたが訪れるのを待っている.建築家は自分を選んでほしいのであり,選ぶのはあなただ.
客と建築家は最初1,2時間の「お見合い」をします.そこでは「お互いに相性を確認しあう」とあります.「お見合い」がうまくいけば,次回は着手金を支払い「住み手の要望の聞き取り,敷地検分」から基本設計がスタートします.

設計途中で「相性が合わない」ことが分かったとしましょう.「個性を見極める」ことはなかなか難しい話ですから,具体的問題を契機に考え方が決定的に違うと分かったとき,非はお互いにあると考えるのが常識的です.しかし著者の考えは違います.非は客にあるというのです.ちょっとついていけない論理です.

全く宣伝していない商品が,欠陥商品だったとします.買った人は,「選んだ私が悪いのよ」と,泣き寝入りしなければならないのでしょうか.宣伝していてもいなくても,市場にでている以上,製造元の責任が問われるのは必至です.

上の文には2種類の建築家が登場します.自分から売りこんでくる建築家と,客が訪れるのを待っている「心ある建築家」です.どちらの建築家に対しても,選ぶのが客であることは自明です.

この2種類の建築家で決定的に異なる点は何でしょうか.前者が客を選ばないのに対し,「心ある建築家」は客を選ぶことです.客を選べるのであれば,「うまくいかなくなる」可能性は激減します.


著者は「序にかえて」で次のように述べています.
雑誌に作品が掲載されるような“有名な”建築家は,自分がこれから建てようとしている住まいなどは,規模やコストの面で,まったく相手にしてくれないだろうという誤解
を一般の人は持っているらしいが
実際は,いかに小規模でもいかにローコスト,建築家は喜んで設計を引き受けるのである.
と著者は述べています.著者の場合,最低でも坪80万円(門,塀込み)です.著者は50坪の敷地を「極小過密敷地」と呼んでいます.そして著者はウマのあう客の仕事しか請けません.


キリスト者として宗教的信念に基づく厳しい倫理を自己に課していると思われる香山壽夫のような人は尊敬に値します.しかしとり立てて宗教者とも思えない著者が倫理を振りかざすことに強い違和感を感じます.欺瞞の匂いすら感じます.


著者はプレハブについてどう考えているでしょうか.次のように述べています.
既製服が体にピッタリ合う方がいるように,プレファブや建売住宅が自分の生活様式にシックリ合う方も少なくないだろうから,日本の住宅の大多数は依然としてそれらのルートで建てられるだろうし,そのような商品化住宅のなかにも一般的な生活様式にとっては優れた製品もあるからだ.その意味で住宅設計に関わる建築家はプレファブや建売住宅産業と対抗するつもりはまったくなく,そうした業界の設計士と個人的に親しい場合も珍しくない.
前項の意味でのプレハブ設計者(たとえば『綺麗な家に住もう』の著者)も,「業界の設計士」です.著者からみれば建築家ではありません.続いて著者は述べています.
建築家に住宅の設計を依頼する方は増えるといっても,それはやはり住意識にとくに敏感な,ある意味で選ばれた少数派に過ぎないと思う.しかしそういう方がプレファブや建売に満足できないのは,いわば商品化住宅の宿命である.なぜなら商品化住宅は商品の宿命として一般多数のニーズに応じることを目的としているからだ.
「一般多数のニーズ」とは,最大多数のニーズだけを意味するものではありません.良心的なドキュメンタリー番組は視聴率が低くても一定数の視聴者が必ず存在します.Sクラスベンツは私を含め多くの人には縁のない車ですが,一定数のニーズは存在します.商品には最大多数のニーズに応じるものもあるし,いわば少数派多数のニーズに応じるものもあります.

商品の宿命とは,ごく少数の特殊なニーズには対応できないことです.特殊なニーズであっても,一定数のニーズがあれば商品化されるのが普通です.

建築家設計の家は傾斜地や真の意味での極小敷地にも対応できます(先日テレビでわずか7坪敷地の自宅を,時間をかけて楽しみながら設計していたゼネコン勤務の設計士が紹介されていました).小百合CMに登場するような極めて芸術性の高い特殊な家に対しても対応できます(当然「デザイン過剰な家」を得意とする建築家が対応します).遠い将来「文化遺産」になるであろう豪邸を建てたいという富豪のニーズにも対応できます.

そして「ワン・エンド・オンリー」であることをなにより優先するニーズをも吸収できます.このニーズ自体は普遍的かもしれません.しかしそれを最優先ニーズとするのは,やはり特殊です.

プレハブは一般的ニーズに対応し,建築家設計の家は特殊なニーズに対応します.特殊なニーズを,「住意識にとくに敏感な,ある意味で選ばれた少数派」のニーズとするのは,事実に反します.



半年前,隈の文章の毒(?)にあたってから,私は糸の切れたタコのようになりました.ル・コルビュジエすら知らなかったのですから仕方がありません.建築とはなに,モダンとはなに,建築家とはそもそも何者といった,本来のテーマである「寿命すりかえ事件」からかけ離れた話が,キャパシティの小さい頭にどっかり居座ってしまったのです.しかし渡辺武信著『住まいのつくり方』の第3章「終(つい)の住まいに“資産価値”を」が,救いの手をさしのべてくれました.ソフトランディングとはいかないまでも,胴体着陸ならできそうです.


何度か説明したとおり,中古住宅問題と耐久性問題はセットになって持ち出され,多くの場合それに付随する形で資産価値が議論されます.はやりの言葉でいうとこれら3つはうさんくさい三位一体です.中古住宅について渡辺は次のように述べています.

海外諸国では,と言っても私が知っているのは欧米の事情に限られるが,中古の住宅がそれ自身,“文化遺産”としての価値を認められて売買されている.
ところが氏が直接自分の眼で見た話は一つもなく,映画や早川書房の翻訳小説によって欧米の中古事情が語られ,日本と比較されます(後述).さて日本の現状はどうでしょうか.「日本の現状−旧・正田邸も取り壊し」と題する節にまとめられています.
(美智子皇后の御実家である)旧・正田邸は実に雅趣豊かな二階建て洋館だった.(中略)保存は叶わなかった.これはつまり経済功利性が建物の文化的価値より優先された結果である.
続いて氏の自宅の隣家が登場します.
私と両親,兄弟が別々の家を建てて住んでいる新宿区下落合(通称おとめ山)でも,すぐ隣にあった某氏邸は風格のある二階建てで,(中略)相続者は時勢には抗し難かったらしく,敷地は売却,某氏邸は上物として取り壊され,(中略)いわゆる億ションが建ってしまった.
目白の渡辺一族の敷地もかなりな広さであることをうかがわせる文です.同じ目白の50坪敷地を極小過密敷地と呼んだのはたぶんそのせいでしょう.以上の2例は壊されてしまった例です.続いて保存されている例が紹介されます.
もちろん少数ながらも幸いに保存されている建物もある.ここでは住宅に限って述べるが,アール・デコ風の邸宅の傑作である旧・朝香宮邸(中略)が宮内庁から東京都に移管されて「東京都庭園美術館」として保存,公開されているし,三菱財閥の開祖である岩崎弥太郎の茅町本邸はジョサイア・コンドルの設計により台東区池之端に建てられ,現在は東京都に買い取られ,建物は重要文化財に指定されている.
あと2例,同じくコンドル設計の港区高輪の三菱2代目・岩崎弥之助邸,「分離派風の旧学習院教員宿舎」が保存されている住宅の例として挙げられています.住宅以外の例として旧・三井本館が挙がっています.

一般庶民にはずいぶん縁のない話が続きます.そう思っていると,次のようにしめくくられます.
しかし,私がここで主張したいのは,富豪の豪邸ばかりではなく,一般庶民,少なくとも住意識の強い中流上層に属する人々(私のクライアントである人々の大部分がそうである)が,自邸を建てるとき,ちゃんとした建築家に設計監理を委託し,委託された建築家と共に,耐久消費財的ではない,文化財的な発想で「終の住まい」を建てる気概をもっていただくことである.それは長い目で見ればスクラップ・アンド・ビルドの日本の現状を変え,省資源であり,かつ生き延びる(sustainable)文明を築くことにつながるのではないか.
これが第3章「終(つい)の住まいに“資産価値”を」の結語です.なんとなく嫌味なところのある文です.なぜか.

渡辺は三菱岩崎邸などの豪邸の例を出した後,一般庶民に対して,「ちゃんとした建築家」に委託して「文化遺産」にふさわしい家を建てる気概を持てと提言しています.しかしそれだけでは説得力ゼロであることがあまりにも明らかです.

提言に説得力を持たせるために,渡辺は次のような論理を展開したのです.

庶民は無理だとしても,少なくとも中流上層の人は「ちゃんとした建築家」に委託して「文化遺産」にふさわしい家を建てる気概を持とう.これは無理を言っているのでもなんでもない.なぜなら現に私のクライアントは中流上層の人が大部分だから.こう考えれば,提言の中になぜ「私のクライアントである人々」が現われるのか納得できます.

つまり,暗に,渡辺が「ちゃんとした建築家」であり,クライアントは「文化財的発想」を持った住意識の強い人たちであり,渡辺設計の家は「文化遺産」にふさわしい家であることが,前提になっているのです.誇り高い建築家は,そんなことは言わずもがなで当然のことだと,きっとおっしゃるでしょう.

彼の提言は,「単なる設計士」に委託しようと考えている人,あるいはプレハブを建てようと思っている人に向けたものです.

後で渡辺武信と宮脇檀を比較します.宮脇も一見すると渡辺とよく似た提言をしています.しかし両者の提言の中身は決定的に違うことを示します.


アメリカでは工業製品も文化遺産として大切に保存されています.車も飛行機も博物館に保存されています.すぐれた工業製品は後世に20世紀という時代の雰囲気を正しく伝えるでしょう.初期のハイムを保存する必要性は,建築家設計の中途半端な家よりずっと高いのではないでしょうか.無論,安藤の「住吉の家」のような特別の家は別です.


本題に移ります.渡辺は耐久性に関する話を,中古住宅の話の中にぽつりぼつり挿入しています.

2箇所で日本の家の「寿命」に言及しています.最初はこれです.
戦後の日本の住宅の寿命は約25年と言われている.これは平均だから,それ以下の年数で取り壊されるものも少なくないわけだ.現在の耐久性の技術発展の前であったとしても,住まいの物理的な寿命はまだまだ残っているはずの建物がたくさん取り壊されてきた.それらの寿命は物理的な耐久性よりも,社会的な耐用性によって決まっている場合が多いのではないだろうか.つまり「取り壊したほうが得」という価値観が,まだ使える建物の命を絶っているのだ.
建設省は取り壊し時の築年数データをもとに「日本の家の寿命は約26年」と主張しました.渡辺はこれを使わずストックフロー分析に拠ったと思われます.最新フロー値(直近の新築件数)を使用しているから,25年の方が根拠があると思っているのかもしれません.

旭化成は「寿命」を物理的耐用年数にすりかえましたが,渡辺の場合はどうでしょうか.寿命は「物理的な耐久性よりも,社会的な耐用性によって決まっている場合が多い」と述べていますので,一見するとまともな主張に見えますが・・・.

上記の文には違和感を与える点が一つあります.2番目の文,<これは平均だから平均以下も少なくないわけだ>です.

平均だから当然それ以下もあるし,それ以上もあります.以下もあるし以上もあるということであれば,それは小学生向けの平均の説明ですから,除いた方がすっきりします.もし除かれていれば,この文章全体は取り壊しの多くは耐久性に無関係であるというまともな主張になります.

なぜ,渡辺は<これは平均だから平均以下も少なくないわけだ>と言ったのでしょうか.なぜ平均以下に焦点をあてているのでしょうか.それに続く文が,平均以下のものに対する考察だからです.

渡辺の考察は,平均以下たとえば15年で取り壊される家に関する考察なのです.<これは平均だから平均以下も少なくないわけだ>という文はあってもなくてもいい冗長な文ではなく,渡辺には絶対必須の文なのです.

渡辺が示した2つの取り壊し例,旧・正田邸,目白の某氏邸は平均寿命よりずっと長生きしたのは明らかです.それらは耐久性不足で壊されたのでしょうか.そうではなく,諸事情で壊されたのです.以下だけでなく以上のものも,つまり取り壊しの多くは諸事情によるのです.<これは平均だから平均以下も少なくないわけだ>という一文の存在は渡辺が建て替えを正しく理解していない証左だと思われます.


さてもう一箇所では,25年である理由が考察されています.
日本の住宅が約25年で取り壊される一つの理由は,第二次大戦後,十年ぐらい,つまり1955年ぐらいまでは,戦災による住宅の破壊と,第三次産業人口の増加による都市への人口集中が起こった結果として,都市とその通勤圏内の住宅が不足し,しかも資材も不足していたから,質より量を優先し,規模的も応急需要に応じる程度に小さく,構造的にも脆弱な,粗末な建物が建てられたことにある.
理由の考察はこの一つだけです.参考までに宮脇檀は,終戦直後の状況を次のように述べています.
当時,私は名古屋に住んでいましたが,私の小学校の講堂をベニヤで仕切って家のない人たちが住んでおりました.防空壕に住む人,焼けたバスに住む人,旧日本軍兵舎に住む人,バラックを建てて住む人など,みな雨露を防ぐために必死でした.三十坪以上の家には二家族住めという命令があったような記憶があります.それから資材が足りないから,家をつくるなら十五坪以下しかつくってはいけないという資材統制令もありました.要するにとりあえず家がたくさん必要でした.この貧しい1947年,48年に住宅の自力建設が,数字上ではあれ一つのピークを迎えているのは,バラックでも良いからと,いかに皆が必死で家を獲得しようとしていたかを示しています.
渡辺のまるで試験の模範解答のような優等生的作文と全く違って,宮脇は庶民の視点から生き生きと終戦直後の住宅事情を描写しています.


日本人は勤勉です.雨露を防ぐためのバラックのほとんどは10年経たない間に普通の家に建て替えられたでしょう.終戦直後のこの時期でも第3章で示したとおり一定数は90年代に入っても生き残っています.こんな時期でも普通の家は建てられていたのです.

渡辺の「作文」には肝心の点が抜け落ちています.この時期に建てられた家の総数が高度成長期の10年に比べて圧倒的に少ないことです(宮脇のいうピークは小さいピークにすぎません).そしてこの事が「寿命」が短いことに寄与しているのです.これもすでに第3章で示しました.

渡辺は,日本の家の寿命がなぜ25年であるかを考察しています.そして半世紀前の特異な10年間を考察し,日本の家は小さく,脆弱で,粗末な建物だと述べ,それが25年である理由の一つだとし,二つ目,三つ目の理由は述べませんでした.

寿命の考察は,もちろん言うまでもなく,現在ただいま建っている家の寿命の考察です.関心はそこにあります.いま建っている家の寿命と,半世紀前の10年間に建てられた家が小さく,脆弱で,粗末であったことは,いったいどのように関係するのでしょうか.

渡辺は1945年から1955年の状況だけ考察し,55年から世紀末までの考察はばっさり省略しました.小さく,脆弱で,粗末な家という日本の家に対する評価は,その後どうなったのでしょうか.評価を変える必要はないと,渡辺は考えていると思われます.なにも書いていないのですから.渡辺の眼から見れば,庶民の家はいまだにそのとおりなのです.

渡辺は話をいきなりここ数年に飛ばし次のように述べています.
ここ数年についていうと,住まいの耐久性を向上させ,その結果として資源を無駄使いせずに環境保護に配慮する技術が発展してきた.
少し後ろで次のように述べています.
現在の住まいの耐久性を上げる技術も,資源を節約し環境を保護しようという思想が前の時代以上に強くなった結果として著しい発展を示したのだといえる.
ここ数年つまり世紀末から21世紀初頭にかけて,住まいの耐久性をあげる技術が著しい発展を遂げたと述べています.この時期に住宅メーカーが環境問題を盛んに言い始めたのは確かですが,断熱性,耐震性などではなく,住まいのもっとも基本性能である耐久性に関する技術が著しく発展したというのは果たして本当でしょうか?

たとえば旭化成は1972年に建設された1棟目のヘーベルハウスから今に至るまで,耐用年数60年だと主張しています.(この主張には何の問題もありませんが,それと同時に普通の家は昔も今も30年だと主張したのが大問題でした.)近年耐久性能が向上したなどと言っているのは過去に実績のない新参業者だけです(第7章参照).

渡辺に是非ききたいところです.技術が著しく向上する前は,日本の家の耐久性になにか問題があったのでしょうか.あなたには30年の実績があります.あなたのクライアントの方々の家は,耐久性に問題があったのでしょうか.なかったのでしょうか.

渡辺は一言も述べていませんが,自分のクライアントの家は問題ない,しかし一般庶民の家には問題あると考えているらしいことは次の文でわかります.
とくに中年以降に新たな住まいを建てる世代には,一生住み続けてもいいという気持ちで終の住まいを建てる気持ちで家づくりをして欲しいものである.
氏は第1章で次のように述べています.
世には古くから「孟母三遷の教え」という言葉があって,それは家を三回建ててみなければ本当に自分に適したものにならないとも読める.しかし実際,日本の持ち家中心主義では,自宅を三回建てるなんてことは不可能なので,たいがいは生涯一度の選択である.
珍しくズバリと断言しています.氏自身も「生涯一度」だからでしょう.たしかに多くの人にとって新築は生涯一度の大事業です.ところがそう言いながら,渡辺は
とくに中年以降に新たな住まいを建てる世代には,一生住み続けてもいいという気持ちで終の住まいを建てる気持ちで家づくりをして欲しいものである.
と述べているのです.生涯一度の大事業を行うにあたって,「一生住み続けてもいいという気持ち」以外にいったいどんな気持ちだと,渡辺は言いたいのでしょうか.

旭化成は,普通の家は26年に近づけば,そろそろ寿命だから建て替えなければならない,新たな住宅ローンにまた頭を悩まさなければならない,ところがヘーベルはこれこのとおり「30年目点検異常なし」と大キャンペーンをはりました.26年を物理的耐用年数にすりかえたのです.

もうおわかりでしょう.渡辺も旭化成と同じく庶民の家の物理的耐用年数は25年だと思っているのです.幸い(?)渡辺は建てる時期を中年以降に限定していますので,話は簡単です.40歳で家を建てれば65歳で家の寿命は尽きるのです.住めなくなるのです.これでは終の住まいになりえないのは明らかです.


庶民にとって家は特別なものでした.持ち家政策にのせられてしまった結果,家は生涯の目標になってしまいました.渡辺の眼から見れば,極小敷地の,小さく,脆弱で,粗末な家に見えようとも,その家を建てることは人生の目標でした.永住したいという気持ち以外に,いったいどんな気持ちだと,渡辺は想像したのでしょうか.

浮世離れした建築家=聖職者説に共感を寄せる渡辺は,「日本の家は26年しかもたない」と旭化成がぶちあげた時,庶民の家はまぁそんなものだろうと思ったのです.だからこそ,せめて終の住みかになるくらいもつ家を建てるようにと,実にまぬけなアドバイスをなさったのです.


渡辺は,戦後の考察を10年間に限定し,建てた時期を中年以降に限定して説明しました.旭化成熊野コンセプトではこれらはあいまいにされています.はっきり限定すると尻尾をつかまれやすくなるからです.そのことを渡辺は理解していません.

旭化成は,全て承知の上で,商売上の都合から寿命をすりかえました.渡辺はこのすりかえ論理が理解できていないのです.あっさりだまされています.素人ではあるまいに情けない限りです.



渡辺のこの本には宮脇檀がなんどか登場します.宮脇が亡くなった時,渡辺武信は友人代表として弔辞を読んだ3人の中の一人です.宮脇は渡辺より2歳年長で建築家としてのキャリアでは4年早くスタートしています.宮脇は渡辺にとって頭の上がらない兄貴分といったところでしょう.しかしこの「兄弟」は随分違うように思われます.はっきりいえば賢兄愚弟です.

宮脇は次のような生々しい体験を述べています.
バブルの頃,私の設計した家が売りに出されて,坪300万,60坪で1億8000万ということで,やはり家に値がつきませんでした.「私が精魂注ぎ込んだあの名作(とは少しいい過ぎですが)の建物評価はゼロか」と設計者として非常にショックを受けた記憶があります.
そしてアメリカでの体験を次のように述べています.
アメリカの建売住宅の場合は,(看板に家のことは詳しく書いてあるが)土地の面積は書いていません.セールスマネージャに「どこが境界?」と聞くと「その辺にあるんじゃない」というだけでおしまいです.極端ないい方をすれば,アメリカでは家が有料で土地はただです.日本は土地が有料で家はただ.
これが中古問題の核心だと思われます.日本の中古市場が健全ではないということではなく,日本の地価が健全ではないのです.現に日本でも地価が落ち着いてくれば,建物はそれなりに評価されています.

一方渡辺は,建築家リー・モリスという小説の主人公の仕事(中古住宅を買い,改装し,高値で売る)を紹介し
こういう建築家の仕事がビジネスとして成立することはイギリスの中古住宅市場がアメリカと同様に健全であることを示していると言えよう.
と述べています.続いてその架空の主人公リー・モリスの言動を1頁以上にわたって紹介した後,日本には
それを実現できるリー・モリスのような建築家もいない.
と述べています.所ジョージの番組に登場する「匠」たちなら,スキル的には全く負けていないでしょう.土地がもっともっと安くなれば,「匠」たちもビジネスに乗り出すかもしれません.「リー・モリス」がいるかいないかなど中古市場が健全か否かに全く関係ない話です.


さて宮脇檀は寿命問題をどう考えているでしょうか.一部再録になりますが,宮脇は次のように述べています.
実際,統計的には,日本の住宅は平均して約20年で壊していることがわかります.戦後,建てられた住宅の半数はすでに壊されており,残り半数の建て替えはいつかと,住宅産業や工務店が手ぐすね引いて待っています.20年たって壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です.
20年というのもストックフロー分析の値です.宮脇存命の頃は今より新築件数が多かったため,こんな値になります.ただし以下に見るように宮脇のロジックに従うと20年であろうと,25年であろうと,26年であろうとたいした違いではありません.

「20年たって壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です」という言い方は一見差別的で誤解を招きかねない文に見えます.しかし実はそうではなく,この文は重要です.

宮脇にならって誤解を恐れずに,渡辺や旭化成の考えを,短く言うと次のようになります.
「貧乏人」は中年になってやっとの思いで粗末な家を建てた.「金持ち」は立派な家を建てた.
20年後,「貧乏人」は家の寿命が尽きて建て替えざるをえなくなった.「金持ち」は悠々と死ぬまで古い家に住んだ.
「金持ち」,「貧乏人」を文字通り金持ち,貧乏人と解釈してもかまいませんが,旭化成の場合は特に,「金持ち」とはヘーベルハウスを建てた人,「貧乏人」とは「普通の家」を建てた人のことであり,渡辺の場合,前者が住意識の高い渡辺のクライアント,後者は一般庶民を意味します.

この主張の特徴はきわめて差別的なことです.差別の根源は建て替え年数を物理的耐用年数にすりかえている点にあります.

建て替えには金がかかります.家道楽の「金持ち」なら二度,三度できるでしょうが,年金生活の「貧乏人」には不可能です.そしてその必要もありません.


視点を変えて都会と田舎にします.都会と田舎では住宅事情が対照的です.

建て替えには家道楽の建て替えも無論あるでしょうが,もっと切実な建て替えの方が圧倒的に多いと思われます.小さすぎるからという建て替えです.都会の家の建て替えの大部分はこれです.

高度成長期に都会の小さな家は右肩上がりで大きくなりました.苦しい時期に人並みの家だと思って建てた家は,20年後には標準よりずっと小さな家になっていました.時流に乗って金回りのいい人ならば,建て替えを決断したでしょう.

田舎はどうでしょうか.田舎の家は昔から大きいのです.都会の小さな家は,田舎の人の感覚ではまともな家ではありません.したがって田舎では小さいからという理由による建て替えは少ないのです.こうして次のようになります.
都会の人は小さな家を建てた.田舎の人は大きな家を建てた.
20年後,時流に乗った都会の人は大きな家に建て替えた.
時流に乗り遅れた都会の人,田舎の人は死ぬまで古い家に住んだ.
これが宮脇の「20年たって壊れないのは,よほど時流に乗り遅れた方や地方です」に対する解説です.なんら差別的ではありません.宮脇は建て替えの核心を衝いていると私は考えます.

二つ補足します.渡辺も旭化成も住みつづける場合を想定していましたので上記のようになります.新築が生涯一度だとすると,家が途中で人手に渡って壊される場合がむしろ多いかもしれません.他人に所有権が移った場合,時代遅れの小さな家は無論のこと,大きな立派な家でも壊される可能性があります.新所有者にとって古い家はあかの他人が建てた家だからです.
20年後,新所有者の多くは遠慮会釈なく上物を取り壊した.
これまでの話はすべて高度成長期が背景になっています.しかし,現在右肩上がりの成長はすでに終わり,家は実用上十分な大きさに達しています.小さいからという切羽詰った建て替えは確実に減っています.こうして現在の状況は次のダイワハウスの主張が的を射ているでしょう.
20年後,居住者の多くはリフォームした.

宮脇は終戦直後皆がいかに必死の思いで家を獲得しようとしたか述べました.それに続く高度成長期は,皆が必死で少しでも大きな家を建てようと努力したのです.寿命20年はその結果です.こうして日本の家は,少なくとも大きさに関し欧米に比べ遜色ないレベルに達したのです.もし日本人がぐうたらで,家の寿命が50年だったとしたら,日本の家はいまだにウサギ小屋の域を出ていないでしょう.


さて宮脇は次のように述べています.
(前略)設計を依頼しにくるお施主さんですら,設計を依頼する要望の第一は「早く安く」で,帰りがけに後ろを振り返って「できたら良いものを」という程度です.

ところが,私たちは日常生活のなかで,早くて安いもので良いものなどあるわけがないのを知っています.マクドナルドのハンバーガーやケンタッキー・フライドチキンが旨いか.吉野家の牛丼が旨いか.早くて安いものに旨いものがあったためしがないではないか.なぜ,建築というのは早く安くつくらねばならないのでしょうか.きちんとお金をかけて,100年保たせれば,20年でバラックを建てて壊すよりはるかに安上がりだといっても誰も聞いてくれません.

外国の人たちが日本にくると,日本の住宅,建築は全部バラックだといいます.事実日本の家の大半はバラックです.私の設計した家も95%ぐらいはバラックです.要するにブルドーザーでちょいと押せばすぐ壊れてしまう家をバラックといいますが,そういう意味では日本のほとんどの家はバラックです.そのバラックの家を,とにかくバタバタと早く安く建てて,5年毎ぐらいに改造して,20年経ったら建て替える.これが日本の現実です.これでは家というものに予算をかけ,きちんとした文化としてやろうという習慣は育ちません.
ここで宮脇が述べているバラックは終戦直後のバラックとは意味が違っていますので,以下「バラック」としておきます.

宮脇の主張では日本のほとんどの家は「バラック」です.ヘーベルもミサワもセキスイも「バラック」です.誇り高き建築家渡辺が設計した家もほとんどは「バラック」です.なぜって,兄貴分である宮脇が,俺の設計した家でも95%は「バラック」だと断言しているからです.

宮脇がこう言い放つことにより,<普通の家30年,ヘーベル60年>という「画期的」熊野コンセプトは,目くそ鼻くそを笑う類に一気に落ちぶれます.プレハブを建てようと思っている人に向かって「文化遺産」を建てる気概を持とうと叫んだ渡辺の提言は,実は提言を装った,建築家の単なるPRであることが明らかになります.


宮脇の言う「100年保つ」とはどういう意味でしょうか.宮脇は建て替え年数20年と100年を比較しています.だとすると100年も建て替え年数でなければなりません.宮脇の100年とミサワの100年は意味が違うのです.宮脇のは建て替え年数,ミサワのは物理的耐用年数なのです.

宮脇は21世紀は建て替え年数(の平均)が100年であるような家を建てていこうと提言しているのです.そのような家の物理的耐用年数はたとえば200年超です.だから建てるのに金と時間がかかるのです.以下宮脇流100年住宅を『100年住宅』と記します.

建設白書によれば,日本の建て替え年数が26年であるのに対し,アメリカは44年,イギリスは75年です.アメリカの家も「バラック」に毛の生えた程度であり(そう見えないのは広大な敷地のせい),『100年住宅』はイギリスなどヨーロッパの家のイメージに近いと思われます(たとえば「統治国の香りをそのまま残す上海租界」で紹介されているレンガ造り2階建て).石造りの家なら,物理寿命は200年,300年でしょう.


このような家は「ここ数年著しく進歩した」と渡辺が言う耐久性技術を駆使しなければできないでしょうか.断じて否.宮脇はわずか5%しか『100年住宅』を建てていません.しかしそれは宮脇に技術がなかったからでは全くなく,施主が「早く安く」を希望したからです.

耐久性が全てではないことはもちろんです.耐久性だけなら,隈が言うようにいつまでも壊れずに憎まれる存在になるだけです.そしてこれも隈が引用している建築家内田祥哉の言葉「明日の目的は今日の目的と異なるとすれば,今日評価されたものは明日の役には立ち難い」が教示しているように,機能主義一本槍では所詮短い時間で陳腐化します.子,孫,あるいは縁あってその家を買ったあかの他人に,壊すには惜しいと思ってもらえる家であるために何が必要か・・・・・・それを考えるのが,真の建築家の仕事です.目の前の施主に「受ける」だけが能ではありません.

『100年住宅』とは100年陳腐化しない家のことです.地方の旧家のような伝統的日本家屋は『100年住宅』を実現するおそらくもっとも安全な道でしょう.しかしそれは腕のいい大工さんの仕事であり建築家の仕事ではありません.建築家はもっと挑戦的でなければならず,そうでなければ存在理由はありません.


宮脇の提言はまことに傾聴すべき提言です.しかし一般庶民にとってはおいそれと実行できるようなものでないことも確かです.ない袖は振れないからです.高名な建築家宮脇のクライアントですら5%しか,提言に同意しませんでした.宮脇のクライアントですら「早く安く」と言うのです(私はこれを知ってなんだかほっとしましたが).

『100年住宅』は晩年の宮脇が抱いたいわば見果てぬ夢です.夢は夢として我等の「バラック」に話を戻しましょう.

「バラック」の耐久性問題に対する決定打はミサワの100年住宅です.ミサワの家は全モデルがCHS60の認定を受け,誰にも文句を言わせない形で100年住宅を名乗っています.そして(ミサワの人には怒られるかもしれませんが)こと耐久性に関してミサワの家に特別な秘密はありません.ほかの「ちゃんとした」ハウスメーカーが建てた家や「ちゃんとした」大工さんが建てた家も,100年住宅なのです.陳腐化したから建て替えるなどと贅沢なことを言わずに,家を大切にして住みつづける気さえあれば,100年もつのです.終の住みかにする上でなんの心配もないのです.

「バラック」は,ヨーロッパの石造りの家に比べれば,確かに脆弱でしょう.「蹴飛ばせばひっくり返る」家でしょう.しかし実用上はなんの問題もないのです.事実,旭化成・建設省が変なことを言い出すまでは,家が何年もつかなど誰も心配したことはなかったのです.ただし・・・

何年で陳腐化するかは,話が別です.10年で陳腐化する成り金住宅もあるだろうし,100年陳腐化しない「バラック」もあり得ます.ミサワがその得意とするデザイン力を武器に100年陳腐化しない家を狙っていることは明らかです.ミサワの「真の100年住宅」「綺麗な家」とはそういう意味です.

「早く安く」その上100年陳腐化しない100年住宅が,もし実現できれば,それがベストコストパフォーマンスの理想的な庶民住宅です.



『男と女の家』という軟弱タイトル(?)の本の中で,宮脇檀は骨のあるところを見せています.もう一度彼の言うことに耳を傾けましょう.

宮脇は戦後の状況を,傾斜生産方式から説き起こします.それは「鉄鋼,石炭の超重点的増産による経済危機突破対策」でした.日本中の金を九州の三池炭鉱と八幡製鉄に集めて「超重点的増産」を行ったのです.当然の結果として国に住宅復興の金など残っているはずがありません.

戦勝国は無論のこと,敗戦国のドイツでもイタリアでも国が率先して公営住宅を建てました.日本だけです,持てる金も借金もすべてを鉄鋼と石炭に投入したのは,と宮脇は強調します.

そして登場したのがアメリカの物真似である持家方式です.宮脇は次のように述べています.
その趣旨は「まず日本国を豊かにしよう.日本国を豊かにすると産業が豊かになる.あなたの夫の会社も豊かになる.会社が豊かになると給料が上がる.給料が上がるから,それで家を建てましょう」という,実に見事な三段論法でした.国民皆がそれにだまされて乗りました.何もしなければ誰も家を建ててくれない.民間借家もなければ,政府も何もしてくれない.自分の家は自分で建てねばならないわけですから必死です.

まず米よこせ運動があり,その次に起きるのが家よこせ運動です.46年には住宅復興会議,47年8月には皇居前広場で住宅獲得国民大会が開かれています.けれど結局そこでおしまいです.日本人は,やはり産業復興が大事だといわれて,はいと一生懸命働きながら一斉に自分で家を建てるようになったわけです.国民皆が政府にだまされて自家建設,持ち家という話に乗りました.自分の家を自分で建てることが格好いいと思い込まされてしまったのです.これがわずか50数年前の話で,そのときから歴史上はじめて日本人は自分の家を自分だけで建てなければならない民族になったのです.

そういうことを実は私たちはすっかり忘れています.狭い国土で,皆必死になって土地を探し,家を建てなければいけないと思い込み,間取りを考えて工務店や住宅産業を探し,さらにローンを組んでと,誰もが40歳ぐらいになるとやらざるを得ないものと思い込むように自動的になっていますが,実はたった50数年前にそうなっただけで,これはひとえに政府が悪いのですが,誰もそれをいわない.
こうして自家建設が人生の目標になってしまいました.必死で小さいながらも我が家を建てました.頑張った人は大きい家に建て替えました.建て替え年数26年は,従順で勤勉な国民の刻苦の証ともいうべき数字なのです.それをあろうことか,建設官僚と旭化成は,国民の家がぼろである証にすりかえたのです.無理やり新築需要を喚起するため,また,だましたのです.


もっと大きく俯瞰するため,大岡昇平の『レイテ戦記』から引用します.
国土狭小,資源に乏しい日本が近代国家の仲間入りするために,国民を犠牲にするのは明治建国以来の歴史の要請であった.われわれは敗戦後も依然としてアジアの中の西欧として残った.低賃金と公害というアジア的条件の上に西欧的な高度成長を築きあげた.
水俣病事件において国が責任(の一部)を認めるまで実に半世紀かかりました.これが日本です.




(7)日本の近代都市計画

宮脇檀は『男と女の家』の中の「国が家を建ててくれる」という節において次のように述べています.
戦勝国イギリスではロンドンを中心に相当破壊されておりました.そのために,戦後すぐ公営住宅法とGLCなどという公営住宅建設のための組織をつくります.当時のチャーチル首相の法案提出の説明演説で「人間の尊厳を守り得る家と,余暇時間を活用できる空間が必要である.だから公営住宅を」という発言をしています.「市民なくして国家なし」という非常に有名な発言もあります.ただ家をたくさんつくれではなくて,人間として尊厳を守る家,つまり暖房がある,お湯が使える,個室がある,雨も漏らない,そういうちゃんとした家を国家がつくらなくてはいけないということをチャーチルはいいます.余暇を活用というのも信じられないくらい立派な言葉で,家というものは必ず近くに余暇時間をそこで過ごすための,花を育てたり,散歩をしたり,スポーツができるような公園があるべきだ.その二つセットにしないとだめだというのです.あの1945年のまだ本当に食うものもなくて,芋の茎食っている頃の話です.その頃,ちゃんと家には横に公園が要るんだといったイギリスというのはすごい国ですが,それを着々とやってロンドンとその周辺に無数の公営住宅をつくりました.
敗戦国のドイツ,イタリアでも国が率先して公営住宅を供給したと述べたあと,宮脇はわが日本について次のように述べています.
日本の政治家でチャーチルのような立派なことをいった人は一人もおりません.歴史上,仁徳天皇が山の上に登って民のかまどの煙が上がっていると喜んだぐらいが,国民の住宅について触れた唯一の記録みたいなもので,不幸にしてその手の発言を私たちはあまり知りません.逆に明治17年の市区改正当時の東京府知事・芳川顕正がいった「意フニ道路橋梁及河川は本ナリ水道家屋下水は末ナリ」という発言が有名です.そんな国が日本なんです.

宮脇が言及している芳川顕正の「有名な発言」について以下補足します.胴体着陸後のリバウンドのようなものです.


この正月に藤森照信著『明治の東京計画』(04年11月刊の岩波現代文庫,参照図書8)を読みました(オリジナル版は82年11月刊).カバーの宣伝文には,「新時代の都市像をめぐる熱いドラマを,豊富な資料をもとに生き生きとよみかえらせた名著.図版を多数収録」とあります.著者藤森照信は市井の建築家ではなくアカデミズムの中心に身をおく建築学者です.一読後,この本の真の主役は宮脇が触れた芳川顕正であることがわかりました.

著者藤森は市区改正という聞きなれない言葉について次のように説明しています.
<都市計画>とは大正七年このかたの言い方で,それまでの半世紀近くの間,人々は,道を拡げ水路を掘り広場や公園を画す仕事をさして,<市区改正>と呼び習わしていた.しかし,この言葉は,はなから都市計画一般をさす名詞として誕生したわけではなく,元をただせば,明治10年代に芽ばえたある具体的な東京改造計画の名称なのである.これを,<市区改正計画>という.いつしか固有名詞が普通名詞に転じたのは,この計画が,わが身一つを越える大きな影響を周りに与え,日本の近代都市計画の嫡流となったからに他ならない.(98頁)
「わが身一つを越える大きな影響」とはなかなか「文学的」です.これが著者の文章の特徴です.著者は市区改正計画を次のように手放しで誉め称えています.
市区改正計画は,さまざまな傾きをもつ諸勢力が船頭となって一つ舟に乗り,なお一つの航路を選びとり,順風を受ければそのまま進み,逆風吹けば舵を回して行く手を変える,そんな一筋縄ではゆかない多元性と,二枚腰三枚腰のねばりを身上とする大人の計画であった.明治10年代に発意され,終わったのは大正3年という息の長さからも,いかにこの計画が,長い歳月と思考を必要とし,またそれにふさわしいものであったかがうかがわれよう.(99頁)
市区改正計画の立案者は,東京府知事芳川顕正です.芳川は単なる地方官,府知事ではありません.

芳川は府知事にはちがいないが,しかし先代の楠本正隆や松田道之のような専任者ではなく,内務少輔という本省の高い位を兼ねた地方官であった.(中略)芳川案とは内務少輔芳川顕正の意を体した計画といった方が,その後の経過には合っているとように思われる.(173頁)
内務省は次のように「歴史の歯車」を回していきます.
内務省のその後をみると,明治17年の市区改正芳川案提出にはじまり,翌18年の市区改正審査会案作成,21年の市区改正条例発布と市区改正委員会案成立を経て,都市計画の主務官庁としてのヘゲモニーを確立し,以後,明治末年の田園都市計画研究,大正9年の都市計画法発布,等々の歴史の歯車を回していく.(173頁)
内務省主導の都市計画の経緯を整理しておくと,次のようになります.

  明治17年11月立案 市区改正芳川案(<芳川案>)
  明治18年10月立案 市区改正審査会案(<審査会案>)
  明治22年03月立案・公示 市区改正委員会案(<委員会案>)
  明治36年03月立案・公示 市区改正新設計(<新設計>)


芳川案は内務少輔芳川顕正を会長とする市区改正審査会で審議されます.つまり府知事芳川から上申された案を,内務少輔芳川が審査するという図式です.審査会の委員14名は官僚,軍人で,うち内務省関係は過半数の8名を数えています.ところが,「予定の外に,渋沢栄一のたっての要請を容れ,東京商工会の代表として渋沢栄一と益田孝の二人の民間人を追加」することになります(益田は三井物産の創業者).これについて著者は次のように述べています.
あるいは,芳川は,渋沢の要請を容れた時,名うての二人の新興実業家の力のほどを軽く見ていたのかもしれない.まさか,明治18年2月20日より同10月8日にいたる長丁場のはてに,思わず知らず自案が打ち崩されようとは考えてもみなかったにちがいない.(176頁)
10ヶ月にわたる審査会の席において,「築港の復活」と「郭内(皇居周辺の旧武家屋敷)の地を官省地ではなく商業地として開放」することをめぐって官と新興実業家は激しく対立しその様子は非常に興味深いのですが,いま私の関心はそこにはありません.審査会につづく委員会は,「まるで三年前の審査会の熱気ははるか昔のことのように(中略)もっぱら技術上の問題に終始してしまう(248頁)」,「かって審査会をリードした渋沢と益田の両名が,うって代わっておし黙り,役人主導の流れに身を任せていた(254頁)」というありさまになります.

もろに本心がとびかった審査会こそ華です.私は庶民の視点から,審査会の様子をダイジェストします.


<公園について>

明治18年2月の第1回審査会において,公園の必要性について内務省衛生局長の長与専斎は次のように述べています.
長与専斎 元来日本人の遊びは卑屈極りて,演劇を観るとか或いは碁を囲むとか茶の湯とか謡とか,甚だしきは「芸者の尻でもつねる」如き総て座敷内の遊興にして,真に不健康の至りなり.斯の如き文明社会に不健康なる遊びをなすは必竟真の公園地なきが為なるべし.いやしくも我日本国中君子の遊びをなして,精神を養う所なきは外国に対し如何にも恥入次第なり.(185頁)
現在の目から見ればなにもそこまで恥入る必要もないように思われますが,このように恥入る意識が銀座煉瓦街計画,鹿鳴館,官庁集中計画の底流として流れています.それはともかく長与という人は,無趣味で「芸者の尻でもつねる」如き遊興にも無縁の,たいへんまじめな人のようです.

当時すでに公園の制は敷かれ,上野,浅草など5公園が指定されていましたが,いずれも江戸の社寺地の転用で,市の外周に位置していました.「衛生学の草分けとして知られる長与が求めるのは,こうした江戸来の物見遊山の公園とはちがい,下町の繁華街に風穴となるような小公園や広場(186頁)」でした.

公園に関する原案作成が長与ほかに託され,2ヶ月後に審査会に報告されます.ヨーロッパ各都市の面積あたり,人口あたりの小遊園数をもとに,東京の小遊園数43箇所(大遊園数10箇所)が決められます.「市中43ヵ所の小遊園はオープンスペースなど絶えてなかった江戸来の下町に新しい環境を開く拠点となろう.(189頁)」

3年後の委員会では,公園は土地取得の難しさから削除と減歩が続出します.「削除はオープンスペースのもっとも必要な下町の密集地に目立ち,新設はもっぱら山の手方面の社寺地転用の例が多い(250頁)」と著者は述べています.

明治36年の新設計では財政難を理由に委員会案は大幅に縮小されます.公園については「公園は49ヵ所から15ヵ所に減り,とりわけ下町からの後退が目につく(273頁)」と著者は述べています.

ところがなんと最終第5章の改造の実績を総合評価している「小公園開設の実績」では,坂本町公園と湯島公園の設置をもって,「過密な下町に風穴が開かれた(336頁)」と結んでいます.最終的には肯定的な評価で終わっているのです.つまり内務省はよく頑張ったで終わるのです.ここに著者の姿勢がよく表われています.


<馬車鉄道について>

明治15年に日本橋に登場した馬車鉄道について,芳川自らが問題提起します.曰く,馬の大小便にて不潔極まり,(表通りの)商家より苦情ごうごうである,荷車や人力車の通行を妨げている,通行人が負傷することもある,云々と.つまり庶民からクレームがあがっているというわけです.しかし芳川の本心は次の発言にあると思われます.
芳川顕正 鉄道線路の為めに道路を損することおびただし,故に即今命令案を改正なす積りなり.(212頁)
この発言は以下,「一路を二手に修繕する」のはよろしくない,鉄路に沿って石を敷くという約束は守られず,雨がふれば線路の間は田んぼのように泥まみれになり,通常馬車やその他諸車は線路を避けるため「府庁持の道路破損すること非常なり」と続きます.線路は内務省管轄ではないのです(工部省?).

益田孝,桜井勉も種々の理由をあげて廃止に賛成します.益田は「将来市街に我々の馬車を自由に走らせ得んには彼に道路を専有せられざることを望む」と述べています.これに対し長与は次のように反対します.
長与専斎 私は現在の鉄道馬車は嫌いなるも,之を全廃するの論には反対なり.(中略)一体鉄道馬車は賃銭廉にして便益あるものながら,(中略)全く廃するは不可なり.是も文明の道具なれば,繁昌地へ布設することは許さざるの主義と定め,中通りの如きは之を布設するとし,(後略)
議論は白熱しますが,結局馬車鉄道は存続が決まります.

馬車鉄道は,明治36年にチンチン電車に代えられるまでの20年間,庶民の足として人気がありました.著者は次のように述べています.
人気のでるのは当然で,馬車や人力車に比べて運賃は格段に安く,しかもスピードは馬車に劣らず,とりわけ雨の日や荷の多い時,子供連れの買物や小商人の移動に都合よく,それまで徒足しかなかった市井の人々には,自分たちにも許された最初の乗物として親しまれた.貴顕紳士が馬車と人力車を手に入れたと同じように,市民にとって,馬車鉄道は文明開化の贈物であった.長与や小沢が廃止にうなずかないのはこのことをよく知っていたからに違いない.そう考えると,益田の「我々の馬車を自由に走らせ得んには彼に道路を専有せられざることを望む」という発言はにわかに階級性をおび,いかにも毎朝高輪御殿山の自邸から日本橋兜町へ馬車を走らせる益田ならではの言い分といえよう.
説得力のある説明です.私はこれを読んで馬車鉄道の意味が理解できました.一つ難を言えば「長与や小沢が廃止にうなずかないのはこのことをよく知っていたからに違いない」というところです.廃止を主張した芳川などは,馬車鉄道が庶民の足であることを「知らなかった」のでしょうか.そんなバカな話はありません.一度でも街に出てみれば,馬車鉄道が市井の人々,小民,細民,小吏の足になっていることは一目でわかったでしょう.

「知っているかどうか」ではなく,庶民の足になっている事実をどれだけ重視するか,なのです.長与は,庶民にとって「これも文明の道具」であるから,「全く廃するは不可なり」と庶民の立場に立ちました.これに真っ向から対立する益田のあまりに露骨な発言に目を奪われがちですが,内務官僚芳川の意見を見逃してはなりません.他省庁管轄の線路のため,府庁管轄の道路がいたむから廃止すべしと主張したのです.芳川にとって庶民より道路が大事なのです.庶民の生活より自省の権益が大事なのです.


<下谷地区再開発について>

芳川案には住まいに関することは全く入っていません.ただ運河計画に関連する議論の過程で,住まいに言及されます.

芳川案の運河計画に対して,益田孝は水運無用論を展開し,下谷地区がいかに将来性のない地であるかを次のように力説します.
益田孝 都府の中下谷は最も卑湿にして衛生上には不良の地なるも,旧来は人々自ら歩行するが故に細民又は小吏の類は此地に住居せしも,追々車馬の便開くるに従い多くは乾燥の地に移転するにより,下谷は衰微せるなり.(中略)下谷の衰頽は挽回なし難し,只上野浅草両公園に通ずるの地たるに過ぎず.然るに如何なる要用ありて新川を作らんと云わるるや,新川よりは寧ろ田を造るが適当と云うべし.(207頁)
これに対し長与は次のように反論します.
長与専斎 益田君は田を造るべしと極点を以て論ぜらるるが,日本橋神田の如き地が追々良くなれば,従て地価も騰るべく,左すれば細民は本所下谷へ移るもの多かるべし.然かする時は川の一筋も掘り置きて水吐きを付け置かざるべからず,此所のみ打捨ておく訳けはあるまじ.例えば家屋を新築して其門前に雪隠を止むる如し,雪隠は雪隠の位置,座敷は座敷の位置を占めしむるが市区改正なり.
日本橋,神田のような一等地は地価が騰がるにつれ,借家住まいしている細民は追い出され,本所や下谷に移ってくるだろう,そうすると運河の一本でも掘って水はけをよくし住みやすくしておかなければならない,日本橋だけでなく下谷のことも,つまり全体をきちんと考えるのが市区改正というものだ,と堂々たる論を展開します.

つづいて次のように議論は白熱します.
渋沢栄一 長与君の説は溝渠を要するものなるが,如何にも日本橋神田京橋の地価騰貴すれば,細民は下谷へ移り住むならんが,今市区改正を議するに当りては大体此の辺は便利を十分に謀り斯く斯くすべしとか又は彼の辺は左様に便利となすに及ぶまじとか定めておけば,細民の住居迄をも経営なし置くに及ばざらん.中央の地に住み得ぬなれば,山の手の方にも行くならん.全体より看過せば,下谷に新川の必要なしと云うて可なり.

長与専斎 商売の繁昌地を作れば,又一方に細民の集合して便となすの地をも考えざるべからざるなり.下谷は両方に公園もあれば到底田野にもなるまじ,勢い細民の住居となること恰も横浜の松蔭町の如くならんか.さて細民集まると見れば悪水の疏きを十分にせざるべからず.故に溝渠を造るべし.(中略)全く下谷を見捨る如きは酷論と云わざるべからず.

桜井勉 大いに長与君を賛成す.小民は何れにあるも構わぬとは豪商の口頭より出づべき言にあらず.欧州諸府の例を聞くも,傭工社会が其傭主に抵抗しては,其都府を維持し難しと云えり.
桜井勉(内務大書記官)はヨーロッパの例から貧民街が社会主義思想の温床になることを懸念する立場から長与に賛成しています.

賛否は半々でしたが,結局会長すなわち芳川の裁定により,下谷再開発の水路網は廃止に決まります.


渋沢,益田が審査会において果たした役割は非常に大きいものです.彼らがいなければ,丸の内ビジネス街は誕生しなかったでしょう.しかし彼らには「小民」のことは眼中にありませんでした.そしてその点に関して,芳川もまったく同じです.芳川には道路しか眼中になかったのです.

著者は明治の都市計画全体を通じて住まいが無視されたことに関して,次のように説明しています.
また住宅について明治の都市計画リーダーたちが気にとめなかったのは,下町であれば昔の延長上で住みつづければいいし,山の手であれば空いた武家屋敷の後に新時代の有力者や官僚が身相応に入ればいい.つまり江戸の住いのあり方を,一部で住み手を替えるだけで物理的にはそのまま引き継いで十分やってゆけると考えていたからにほかならない.このことを明言したリーダーはいないのだが,暗黙の了解と見ていい.(372頁)
明治の都市計画に好意的(?)な著者がいくら探しても,明治の都市計画のどこにも,庶民の住まいに対する配慮の跡はかけらさえ見つけることができなかったようです.

銀座4丁目交差点の坪あたりの地価は,明治5年で5円だったものが,15年は20円,20年は50円,30年は300円と急騰しています(44頁).東京の人口も明治20年を境に急増しています.庶民の住まいのあり方は激変していたと思われます.そのような現実を前にしながら,<江戸の住まいのあり方をそのまま引き継いで十分やっていける>と考えるほど,明治の都市計画リーダーたちはバカだったのでしょうか.そんなバカな話はありません.

明治のリーダーたちは,市民生活より殖産興業の道を選択したのです.市民生活は切り捨てられたのです.「小民は何れにあるも構わぬ」というのが,芳川案そして明治の市区改正計画全体を通しての,庶民の住まいに対する「暗黙の了解」なのです.


<水道について>

水道が生活に直結するものであることは明らかです.水道をめぐる話の中に,例の「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」という「有名な発言」が登場します.「有名な発言」がどのような背景で,どのような文脈で吐かれたものであるかは,次の著者の説明でよくわかります.
水道計画は市区改正とは別の課題として,同じくらい早くから取り組まれていた.往年の江戸の上水道は,(中略)濾過装置を欠き,かつ木管による流水式をとっていたことから,汚水や雨水の混入は避けがたく,伝染病の感染ルートともなり,改良は強く望まれていた.明治七年には御雇外国人ドールンの上水改良意見をうけて,楠本正隆,松田道之と歴代府知事は熱心に取り組むが実施にはいたらない.そして,あとを受けた芳川顕正が市区改正芳川案立案の最中に内務卿より水道改良の命が下されるが,しかし芳川案から水道は外されていた.外した理由を芳川は,「此案に載する所は,独り道路,橋梁及河川の改正に止まり,市区改正に於て施工せざるを得ざる最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし.然れども,意うに道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり.故に先ず,其根本たる道路橋梁及河川の設計を定むる時は,他は自然容易に定むること得べき者とす」と説明する.文中の「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」の一句をとらえて,芳川は市民生活を無視したとする批判もあるが,しかし,言葉どおり,施行の手順上,配管に先立ち道路を決めなければならない,と解すべきであろう.実際内務省下の都市計画のなかで,水道計画ほど優遇されたものはない.(261頁)
説明の便宜上,3つに分割して説明します.水道の重要性は明治の初めから,外国人技師によって指摘されていました.芳川知事の先任知事たちも熱心に取り組みましたが,実施には至りませんでした.
(1) 水道計画は市区改正とは別の課題として,同じくらい早くから取り組まれていた.往年の江戸の上水道は,(中略)濾過装置を欠き,かつ木管による流水式をとっていたことから,汚水や雨水の混入は避けがたく,伝染病の感染ルートともなり,改良は強く望まれていた.明治七年には御雇外国人ドールンの上水改良意見をうけて,楠本正隆,松田道之と歴代府知事は熱心に取り組むが実施にはいたらない.
あとを受けた芳川知事が芳川案立案中にも内務卿から水道改良の命が下されていました.にもかかわらず,明治17年の芳川案には水道は入っていませんでした.「有名な発言」は外した理由の説明の中に現われます.
(2) そして,あとを受けた芳川顕正が市区改正芳川案立案の最中に内務卿より水道改良の命が下されるが,しかし芳川案から水道は外されていた.外した理由を芳川は,「此案に載する所は,独り道路,橋梁及河川の改正に止まり,市区改正に於て施工せざるを得ざる最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし.然れども,意うに道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり.故に先ず,其根本たる道路橋梁及河川の設計を定むる時は,他は自然容易に定むること得べき者とす」と説明する.
芳川は,市区改正が道路,橋,河川の改正にとどまり,「最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし」,つまり最重要の住まい,水道,下水に触れていないのはおかしいではないかという意見もあろう,しかし私は<道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり>と考える,根本である道路橋川が決まれば,他は「自然容易に定むる」と,説明しています.

下谷地区の運河新設の議論の過程で明らかなように,運河を通すかどうかは住まいをどう考えるかで大きく変わります.ところが芳川案というのは,芳川自ら述べているように「独り道路,橋梁及河川の改正に止ま」っているのです.住まいも,水道も,下水も完璧に無視されているのです.さて次は「有名な発言」に関する著者の見解です.
(3) 文中の「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」の一句をとらえて,芳川は市民生活を無視したとする批判もあるが,しかし,言葉どおり,施行の手順上,配管に先立ち道路を決めなければならない,と解すべきであろう.実際内務省下の都市計画のなかで,水道計画ほど優遇されたものはない.
市民生活を無視しているという批判は,一句をとらえた,つまり言葉尻をとらえた批判でしょうか?注意すべきは芳川自身が「最要用なる家屋の制,水道の布置及下水の設,等に及ばざるを以って憾とする者あるべし」と述べていることです.明治17年の段階において,すでに市民生活を無視しているという批判があったと考えられます.

著者は明治以来の批判の嵐(?)を勇敢にも一手に引き受け,批判はあたらない,「有名な発言」はなにも市民生活を無視したものではなく,「言葉どおり,施工の手順上,配管に先立ち道路を決めなければならない,と解すべきであろう」と述べています.そして「水道計画ほど優遇されたものはない」と啖呵をきっています.芳川案になかった水道が優遇されたとは?

「明治21年10月15日,市区改正委員会開会の席上,芳川委員長の発意により水道計画は市区改正の一翼に取り込むことが決められ(262頁)」,水道計画は最優先課題に変更されます.もし著者が言うように作業手順なら,こんなに簡単に変更できるわけがありません.基礎をうつ前に柱を立てることはできません.本と末というのは,手順ではなく,優先度を表わすのです.普通優先度の高いものから実施しますから,おおむね順番を表わすものでもありますが,それをもって作業手順というのは言葉のすりかえです.

こうして明治21年に水道は最優先課題に変更されました.著者は述べています.
加えて,(明治)24年からは上水工事がはじまり,資金はもっぱら地下に注がれ,地上は水道施設に必要な個所を断片的に改正するにすぎない.皮肉にも,「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」はひっくり返されてしまった.(271頁)
「ひっくり返されてしまった」と著者は認識しています.しかしこれは明白に誤りです.「水道家屋下水」の優先度が「道路橋梁河川」よりあがったわけでは決してありません.水道だけ優先されたのです.なぜか.
新参の水道が古株の道路を抜いて着手され,わずか三年の遅れで,一歩の後退もなく実施されたのはなぜであろうか.ひとえに伝染病対策を兼ねていた点に答は求められよう.明治19年の夏,東京は死者一万を越すひどいコレラ禍に見舞われており,菌に汚された水をそのまま家庭に届けてしまうこれまでの流水式江戸水道は恐怖の的となり,何をおいても上水改良をうながさずにはおかなかった.(270頁)
明治19年夏にコレラにより1万人を超える死者がでたのです.従来の江戸水道は「恐怖の的」となり,命に関わる大事として上水改良事業が最優先されたのです.一方の下水道は極端に遅れます.著者はそれを次のように説明しています.
ちょうどこの頃,世界の伝染病対策は転換期にさしかかり,それまでドイツ,イギリス中心にすすめられてきた水道整備による衛生学的予防法は後退し,代わって,ドイツのコッホ博士の発明になるワクチンで病原菌をおさえる免疫的方法が主流になった.こうした「水道から注射へ」の転換は,(中略)わが国にもいち早く波及し,ドイツにつづく注射の国へと変わった.その結果,下水整備の情熱は年を追って冷め,大正から昭和へと,帝都に汚穢(おわい)馬車の轍はつづいていく.(270頁)
医学の進歩により,下水整備は命に関わる緊急課題ではなくなりました.情熱が年を追って冷めたという情緒的説明より,もともと芳川には下水整備など末の末だったというべきです.こうして下水の方は「本来の位置」である末に落ち着いつき,「大正から昭和へと,帝都に汚穢(おわい)馬車の轍はつづいていく」のです(この表現はなかなかうまいと思いました).


「有名な発言」に対する著者の見解は,あとがき(82年版)の中で,再度,強調されます.
(銀座煉瓦街計画は)言い立てられるほど悪い計画とは思われない.また,市区改正計画を見ると,主旨書の一節「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」をとらえて,市民生活無視の計画と断じている.内務省のことゆえ,さもありなんと原文を読めば,何のこと,たんに工事手順のことなのである.実際は,水道は本,道路は末,で着手されている.(363頁)
原文はすでに読んでいただきました.「内務省のことゆえ,さもありなん」などとわかったようなことを言いながら,「何のこと」,結局は内務省の肩を持っているのです.道路が末とはよくも言ったりです.道路を末というなら,住まいや下水は末の末のそのまた末です.

市民生活無視ではないという根拠はただ一つ,一万人もの死者が出たという緊急事態に直面しあわてて「途中追加の別系統の課題(271頁)」として水道が着手されたという,ただその一点だけなのです.住まいも下水も捨て置かれたのです.


芳川自身に「あなたの市区改正は,市民生活を無視したものではないか」と詰問したとしましょう.水道は整備したから市民生活無視ではない,などと姑息な弁解をしたでしょうか.あるいは,したかも知れません.なにしろ芳川は,著者と違って,当事者であり責任者なのですから.

しかしもし芳川が骨のある人物だったら堂々と反論したでしょう.
大久保利通(内務省創設者)が言ったとおり<大本は殖産興業である>.
欧米列強に伍する国力をつけるため,いま最も必要なのは殖産興業である.
そのために何が必要か.インフラの整備である.基幹道路の整備である.
「道路橋梁及河川は本なり,水道家屋下水は末なり」

「国家なくして市民なし」
第二次大戦後の姿がオーバーラップします.殖産興業は産業復興に名を変えました.「国家なくして市民なし」は「企業なくして市民なし」に変わりました.基幹企業の復興が市民生活復興より優先しました.そして「小民は何れにあるも構わぬ」は持ち家政策に外見を変えました.


第一回審査会において内務大書記官・山崎直胤が打ち上げた「花火」の中に,「京都大阪の如きは彼のリオン,マルセイユの巴里に倣うて大に市区を改良したるが如く東京に倣うて漸次改良の着手あらんことを翼望す」,「(東京)市区の改正は全帝国大小都会の模範にして真に開明進捗の事業たり」.「之を一地方の事業と見倣さず,国家改進事業の一と為し」などとあります.はたして東京の市区改正は,「全帝国大小都会の模範」だったでしょうか.

大阪などの諸都市について著者は次のように述べています.
(略)新時代に一歩遅れをとった大阪の危機感は深く,早くも明治19年10月には大阪府区部会は知事に宛てて市区改正の建議書を呈し,知事はこれを容れ,20年1月6日,大阪市区改正案取調委員会を設けて立案に入り,3月には成案を得ている.(略)しかし,話はこれ以上進まず,棚上げされるが,明治30年,市域拡張を機に,大阪市参議会はふたたび市区改正を取り上げ,設計を民間の建築家山口半六に依嘱し,32年「大阪市新街路設計」と銘うつ成案を得る.(略)地割地番改正の提案など東京の芳川案にはなかった独自性が随所にみられる.山口半六は,フランスのエコール・サントラル(パリ中央工学校)において,土木,建築,行政,経済学といった幅の広い教育を受け,その雑多な技術を逆手にとって,何ものでもなく,何ものでもある都市計画家という職能をはじめて体現した人物といえるが,彼は,大阪につづき,明治33年には長崎の市区改正立案も担当している.もし両市の計画が順調に緒についていたなら,多くの地方都市があとにつづき,民間の都市計画事務所が原案を練り,それを自治体が内務省に上げて認可をうるという新しい街づくりのルートが開かれたかもしれないが,しかし,実現には至らなかった.理由は,山口が,長崎調査の無理がたたって,胸の持病をこじらせて急逝してしまったからではなく,内務省が帝都以外の市区改正を許そうとしなかったからと思われる.こうした内務省の壁が破られるのは,東京の市区改正事業が大正三年に終わってからで,大正七年にいたり,大阪,名古屋,神戸といった各地の再三の要請を容れ,はじめて,人口30万以上の都市への市区改正条例準用が認められ,大阪,京都,横浜,名古屋,神戸の五大都市が指定を受ける.(略)このようにして,明治10年代の東京に芽をふいた市区改正計画は,日本の都市計画の嫡流を形づくってきた.(330頁)
著者言うところの「大人の計画」である市区改正計画について,著者はまた次のように述べています.
市区改正計画は,外目を気づかう外務省とは反対に国内統治を旨とする内務省により進められ,立案者中に自己表現を職とする建築家は一人もなく,土木技師,行政官,企業家,衛生学者,軍人などの実際家たちが討論を交しつつ練り上げている.その過程は長く,明治10年代から20年代におよび,その討論は深く,都市の性格付けから道の一本一本まで論じて及ばざるはない(320頁).
「自己表現を職とする建築家」(つまりは技術者ではないと言いたいのでしょう)のお世話にならずに「実際家」たちが地道に長く深く討論して練り上げたと著者は表現しています.これと対比すると明らかなように,「大阪市新街路設計」の提案者である民間建築家山口半六に対する著者の形容は非常に冷ややかです.

著者は,銀座煉瓦街を一手に設計した英人建築家ウォートルスに対しては,「にわかには信じがたいほど多岐にわたる」仕事をこなし,「窮して通ぜぬところはなかった」,「場に臨んで企て,機に及んで工夫する」,「万能技術者の典型」であると高く評価しています.ところがフランス帰りの日本人建築家に対しては,「雑多な知識」,「逆手にとる」,「何ものでもなく,何ものでもある都市計画家」なのです.

市区改正計画は,中央が地方をコントロールするための道具に化していました.こうして五大都市の都市計画は東京より30年遅れてスタートすることになります.


著者は内務省主導の問題点を次のように指摘しています.
かくして都市計画は,国の統治を旨とする内務省の手に握られた結果,つねに治国平天下の一翼として構想されるようになり,また,官の力を得て一様の典範に沿って進められるようになる.可能性としてはあった各地の地方官の多様な計画や,新興企業家の自発的な試みは傍らに追いやられてしまう.今日でもなお云々される日本の都市計画の中央集権的性格を最初にはっきり示したのが芳川案に他ならない.(173頁)
(前略)あたかも都市とは,道路の別名でもあるかのように,ひたすら,道作りにはげみ日本橋の真上にまで高速道路を通すようになる.今となっては転換するしかない日本の都市計画のこうした土木工学的個性は,その根をやはり,内務少輔芳川顕正と交通エキスパート原口要の作った芳川案に置いている.(174頁)
「今となっては転換するしかない日本の都市計画」の負の側面の源流は,疑いもなく,「内務少輔芳川顕正と交通エキスパート原口要の作った芳川案」にあると思われます.


明治18年の審査会案は,まる2年の間,「太政官の棚の上に眠りつづけ」ます.内務省と外務省の主導権争いがあったからです.山肩有朋に対立する井上馨の存在があったからです.井上は,しかし,条約改正交渉失敗のため失脚し,市区改正計画は陽の目をみます.明治21年2月17日,東京市区改正条例は,内閣承認のあと元老院に回されます.「内実は諮問機関にすぎない」元老院は条例に反対しますが,内閣は強行突破します.

明治21年8月16日,市区改正条例は公布に至ります.条例によって都市計画の全権は内務大臣に集中します.
この時期,内務省が,元老院の反対を強行突破してまで,ヘゲモニー確立を急いだのは,二つの“敵”に備えて,と思われる.

一つは,(略)他省の横槍が入らないように.もう一つは,国会開設を間近に控え,元老院の例をみても,とても内務省の意に沿う体制を許しそうにない議会の掣肘からあらかじめ逃げるため.

時期を考える上で,もう一つ,つい四ヶ月前に制定された<市町村制>との関連も注目に値しよう.(略)同時期に二つの制度が作られたのは偶然の一致ではなく,内務省にとって両者は国会開設前に是非とも済ませておきたい懸案であったと思われる.(略)明治21年をもって,制度としても物としても,日本の都市は,すっぽり内務省の手の内に納まったといえよう.(246頁)
外務省との主導権争いに勝利した内務省は,明治21年をもって,国内統治の全権すなわち日本全体をすっぽり手の内に納めたのです.大日本帝国憲法が発布されたのは明治22年です.第1回帝国議会が開かれたのはその翌年です.


著者は明治初年から15,6年頃まで日本全国を覆った「右往左往の国土事業ブーム」を,大隈重信の回想記から引用しています(168頁).しかしこの時期の「建設」は土木工事にとどまるものではありません.

「国土事業ブーム」から大日本帝国憲法発布に至るまで,すなわち明治前半の様子を,もっと広い視野で眺めるために,鹿野政直著『近代日本思想案内』(岩波文庫別冊,参照図書9)という本に以下しばらく寄り道します.

鹿野は「国家建設の槌音」の様子を次のように述べています.明治元年は1868年です.
維新ののち,国家の建設が始まります.藩を廃して県を置き,生活のあらゆる面を規制していた身分制を取り除き,移動の自由を保障し,義務教育制や徴兵制を布き,私有権を確立してその上に地租改正を初めとする新しい税制を施行し,さまざまの産業を興し,首都を打ち立ててゆき,貨幣を統一し,郵便制度を創始し,時制を変更し,鉄道を敷設し,築港に努め,というふうに数えてゆけば,国家建設の槌音がきこえるようです.維新につづくほぼ1870年代は,工事現場のそんな乱雑さと活気がみなぎっていた時代です.(鹿野38頁)

何よりも速度が求められました.欧米諸国との落差は,現在からは想像できかねるほど大きかったからです.それだけに「西洋」は,幕末での「西洋」の発見以来,追いかけるべき目標であるとともに対抗すべき相手,つまりモデルにしてライヴァルと意識されていたからです.文明開化は,そのように急がれた国家建設に当って,外観からインテリアに至るまでを規定した様式でした.

国家という建築物が造られるのに呼応して,その住人を造りあげることをめざしたのが,今日,啓蒙思想と呼ばれている思想です.(鹿野39頁)
啓蒙思想家の中でもっとも大きな影響力をもった人は福沢諭吉です.彼の『文明論之概略』は明治8年刊です.鹿野は福沢諭吉について次のように語ります.
福沢諭吉といえば,「独立自尊」という四文字が浮かびます.(略)「独立」こそ福沢が,他のいかなる徳目にも増して,高くひるがえした旗幟でした.(略)「国と国とは同等なれども,国中の人民に独立の気力なきときは一国独立の権義を伸ぶること能はず」.当然そこには世界に向かって立つ日本が意識されていました.その意識をもとに彼は,封建制下で服従に馴れてきたとみえる人間を,「独立の気力」の持ち主へ変えようとしたのです.

この主張は,『文明論之概略』ではいっそう痛烈です.(略)福沢は,日本社会の「権力の偏重」を指摘してとどまるところを知りません.しかも政治の面だけでなく,この社会のどこを切っても,「権力の偏重」という顔がのぞくというのです.

今,実際に就て偏重の在る所を説かん.ここに男女の交際あれば,男女権力の偏重あり,ここに親子の交際あれば,親子権力の偏重あり.兄弟の交際にも是あり.長幼の交際にも是あり.家内を出でて世間を見るもまた然らざるはなし.師弟主従,貧富貴賎,新参故参,本家末家,いずれも皆,其間に権力の偏重を存せり.
畳みかけるようにこうのべてきて,福沢は,そんな状態にある日本人を「精神の奴隷」と評し,「日本には政府ありて国民なし」といい放ちます.(鹿野52頁)
諭吉の言葉は130年後の現在なお説得力を失っていません.

明治7年1月17日,板垣退助らは民撰議院設立建白書を左院に提出し,これが自由民権運動の口火となりました.鹿野は語ります.
以来,運動は10数年にわたって,広汎な人びとの参加をみ,諸地域を網羅するいきおいで繰りひろげられ,日本に立憲制をもたらす原動力の役割を果たしました.(略)国会開設が,合言葉として要求の中核をなしましたが,もとよりその一言に止まることなく,地租を中心とする減税の要求,自治の要求,結社の思想の興起や自由党・立憲改進党を初めとする政党の結成,そのなかで高まった自学自習の気風など,自由民権運動は人びとにさまざまな分野への活動を開きました.

結果として日本の立憲制は,1889年の大日本帝国憲法に示されるように,天皇制として成立します.その意味で政治運動としての自由民権は敗北した,とみなされたりします.(略)しかしこのように全国的な規模の,しかも長期にわたる運動が人びとを捉えこんだのは,日本史上空前であるとともに,現在までのところ絶後でもあります.

それは,政府が天皇制を軸とする国家整備を急ぐとき,もう一つの国家構想をもって立ち向かった運動でした.わたくしはその基本性格を,政府の国富国権路線にたいしての,民富民権路線と評価したことがあります.(鹿野62頁)
自由民権運動の理論的支柱は,東洋のルソーと称された中江兆民です.彼の著書に『三酔人経綸問答』という傑作があります.出たのは1887年すなわち明治20年です.鹿野は次のように述べています.
この時期,自由民権運動はひとまず終熄し,政府主導での立憲制の樹立が,カウント・ダウンの時期に入っていました.そのなかでこの書物は,教科書から抜けでたような民主主義・平和主義論者の「洋学紳士君」と,アジア割取を主張する「豪傑君」が登場して,議論をたたかわせ,結局,指南役としての「南海先生」が,いまは漸進的に立憲制を布いてゆくほかないとの,一見何の変哲もない意見をのべるという趣向の作品でした.どのように未来を造ってゆくかについて,それぞれに主張させるというかたちで,兆民は問いをなげかけたのです.

その結論を語る場所に兆民は,「南海先生誤魔化せり」と自分で評をつけています.そこに彼の苦衷をみることができます.そんな状況下でも,彼は未来へのいとぐちをつけておくことを怠りませんでした.民権に「恩賜的の民権」と「恢復(カイフク)的の民権」との二種類あることを指摘した部分がそれで,たとえ与えられるものが前者であっても,実質的に後者化してゆくことが可能と,兆民は人びとを鼓舞していたのです.(鹿野70頁)
碩学の言葉に蛇足を加える余地はありません.読んで頂いたとおりです.


藤森の『明治の東京計画』にもどりましょう. 

  明治18年10月立案 市区改正審査会案(<審査会案>)
  明治22年03月立案・公示 市区改正委員会案(<委員会案>)

審査会案が太政官の棚に眠っていた明治20年は,「自由民権運動はひとまず終熄し,政府主導での立憲制の樹立が,カウント・ダウンの時期に入って」いたという時期でした.大日本帝国憲法の発布は,委員会が開催されていた最中の明治22年2月11日です.

このような背景を考えるとき,委員会が「まるで三年前の審査会の熱気ははるか昔のことのように(中略)もっぱら技術上の問題に終始してしまう(248頁)」,「かって審査会をリードした渋沢と益田の両名が,うって代わっておし黙り,役人主導の流れに身を任せていた(254頁)」というありさまになってしまったのも,「さもありなん」と思われます.

『三酔人経綸問答』と同じように,「長与先生」,「渋沢君」,「益田君」などの各委員がその思うところを存分に戦わせた審査会こそ,灰色の秩序が支配する直前の,「空前絶後」のカオスの最後のきらめきだったのです.



藤森のこの文庫本には3つの「あとがき」がついています.原本は82年刊行,90年に同時代ライブラリ版に収録され,04年に現代文庫版が出版されました.それぞれに対応して,「あとがき」,「同時代ライブラリ版によせて」,「現代文庫版のための追補」という形の「あとがき」がついています.以下それぞれを「82年版あとがき」,「90年版あとがき」,「04年版あとがき」とよびます.

「90年版あとがき」において著者は次のように述べています.
明治の都市計画は痛快だった.目の前にクジラのように横たわる旧江戸の街をどう切り刻んで作り変えようかという大テーマがデンとあって,それに立ち向かうのが明治維新の立役者たちなのだから,言うこととやること自由奔放,したい放題で,あんな時代はめったにない.すぐれた個人が,自分の思想をはっきり言明し,それをそのまま現実の東京にぶっつけて,うまくいったり失敗したりで,こととしだいの輪郭がクッキリしている.

ところが市区改正計画終了以後,日本の都市計画は見えなくなる.(370頁)
この本で論じられている4つの計画,すなわち銀座煉瓦街計画,東京防火計画,市区改正計画,官庁集中計画,以上4つの計画を,同じ鍋にぶちこみ,ぐつぐつ煮込んだあと,味見すると,あるいは上のような評になるかもしれません.

市区改正以外の3つの計画はすべて,内務省が国内統治の全権を握る明治21年以前の話です.謎の英人建築家ウォートルスによる銀座煉瓦街計画も,名知事松田道之の東京防火令も,「ベルリンの父」ホープレヒトをはじめとするドイツ人技師たちによる官庁集中計画も,すべて明治前半の話です.

24歳の青年思想家・田口卯吉の築港論が39歳の第一国立銀行頭取・渋沢栄一を経て,35歳の東京府知事・松田道之へ伝わり,「東京中央市区画定之問題」と銘うつ「史上に名高い成案」の中に結実するという,若き日本を象徴するダイナミックな逸話は,明治13年のことなのです.

明治後半の話は,340頁ほどあるこの本の本文中,実に40頁ほどしかありません.芳川贔屓の著者がいくら大部の委員会議事録を調べても「掬くすべき発言」はなかったのです.それはまるで「撤退戦」であり,特筆すべき点はほとんどないのです.そしてこの顔の見えない委員会案を,著者は「日本の近代都市計画の嫡流」と位置付けているのです.


見逃してはならないことは,「市区改正計画終了以後」,つまり大正3年以後,「日本の都市計画は見えなくなる」という著者の見解です.これは二重の意味でインチキな見解です.

一つ.「痛快」で,「輪郭がクッキリ」していた話は,明治前半で完璧に終わっています.それを著者は,明治全体にすりかえています.明治20年頃から明治が終わる45年まで日本の都市計画の顔はすでに見えなくなっています.

二つ.大正期の都市計画ではじめて,日本の都市計画は,近代都市計画と呼べるレベルに達したと思われます.明治の市区改正計画は,所詮道路計画にすぎず,都市計画ではありません.大正8年に成立した都市計画法の成立過程をトレースすれば,日本の近代都市計画の理想と現実がクッキリと浮かびあがることでしょう.


著者の関心は明治にあります.その理由は,「大正以後の都市計画は,“法”による街づくり,ということになる.僕は法が苦手」(90年版あとがき),「(大正昭和の都市計画は)明治期のように大きな個人やすぐれた構想が四つ相撲を取ることはなくなり,組織と法制によって推すめられるのが定めとなるから,個人と構想好みの私としては御免こうむりたい.で,取り組まないことにした」(04年版あとがき)ということのようです.

好みにあわないのなら,黙っていればよさそうなものですが,「90年版あとがき」と「04年版あとがき」において,大正期の都市計画を論じています.そしてその内容が実に興味津々なのです.この本の白眉と言っていいかもしれません.


「90年版あとがき」には,明治14年生まれの内務官僚・池田宏という人物が登場します.著者は池田宏について次のように述べています.
池田は,大正以降の都市計画をざっと眺めて見えてくる人物の中で,その言動が後世の歴史家をうつただ一人といっていいほど際立っている.だいいち,今日,当り前に使われている「都市計画」という言葉を造語し,その内容を決めたのは彼なのである.(374頁)
池田宏はよほど傑出した人物なのでしょう.この本全体を通じて,個人の経歴が記述されているのは,池田宏ただ一人です.それというのも「その言動が後世の歴史家をうつただ一人といっていいほど際立っている」とまで池田を著者が評価しているからでしょう.

池田は,「国を治める基盤は農村ではなく,都市である」,「(都市政策は)明治期のように有力商人や企業家に依拠するのではなく,ふつうのサラリーマンに立脚し,工業労働者に対してはその劣悪な状況を改善するようにしなければならない」という風な「都市についての新しい思想」を持っていました.彼の思想に共鳴した内務省の若手官僚たちは「社会政策派」と呼ばれました.

池田は,「大正6年,新しい都市のあり方を探るため,内務官僚や建築家に呼びかけて「都市研究会」を結成し,その成果を,明治の都市計画克服の武器として使ってゆく」ことになります.そして大正8年に都市計画法を成立させます.(「昭和43年に,池田の作った都市計画法は全面的に見直され」(378頁),都市計画の権限が中央政府から地方自治体に移ります.「池田の作った都市計画法」は戦後も23年間,生き続けたのです.)

「池田の作った都市計画法」が具体的にどういうものであるか,「法が苦手」のせいか著者はあまり述べていませんが,同法に織り込まれた区画整理に関しては説明があります.
池田が明治の市区改正を大正の都市計画に変えるに当り,具体的に何をねらったかというと,郊外にいかに良好な住宅地を作るかであった.(略)(明治の市区改正の)欠点を,池田は“区画整理”という新たな都市計画手法で克服し,郊外に進出するサラリーマン層に良好な環境の住いを供給しようとしたのだった.(376頁)
明治の計画で無視されていた住まいに関する政策が,ようやく大正8年の都市計画法の中に誕生しています.区画整理に関してはあとでもう一度触れますが,池田の区画整理が現在のそれとイメージが異なることにご注意下さい.

「大正9年には内務省に池田を初代局長としてその名も社会局が創設されて」います.
大正12年関東大震災が起こり,池田は帝都復興院計画局長になります.著者は述べています.
池田が,工業労働者や底辺の人々のために内務省社会局長としてなそうとした政策はいくつかあるが,それらはうまく結実していない.都市計画方面では,同潤会が数少ない実りであった.(376頁)
テレビ,新聞で時折お目にかかる同潤会アパートの起源はここにありました.震災後に設立された同潤会は,「政府による最初の住宅供給組織と知られ,戦後の住宅公団,また現在の住宅・整備都市公団の元となるもの」であり,「墨田川流域をはじめとして工業地域に広がる不良住宅を改良することが主な目的」だったとされています.

さて著者は池田を次のように総括します.
池田宏は,大正から昭和初期にかけての東京改造のポイントとなる“市区改正”の“都市計画”への改変,震災復興計画の立案,同潤会の設立,といったことのすべてにかかわり,新しい都市の主人公はふつうの人々であるという思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.(377頁)
なぜ「全体としてはうまくいかなかった」のでしょうか.著者は続いて次のように述べています.
理由は今日さまざまに探られているが,その最大のものはやはり,彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,法令審議の場をはじめ,時には市民運動を通して,池田を核として打ち出されてくる内務省の都市計画に反対し,肝心なところの骨抜きを行なった.

肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.

大正13年12月,震災復興計画の方向が定まった後,池田は,京都府知事に転出する.内務省の“星”であった彼は東京府知事に上ると省内では目されていたが,彼の思想と行動を嫌がる明治から続く力はまだ十分強かった.

池田の退場とともに戦前の都市計画のレベルは決まり,それ以上には出ていない.(377頁)
「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があった」という一文に関して,著者は「04年版あとがき」において,再度言及します.後述します.


池田に関する記述はやや具体性に欠けますが,全体としてなかなか歯切れよいものです.ただ論拠となる文献は一つも示されていません.著者の専門は明治の都市計画で,専門外である池田の言動を,なぜ,このように歯切れよく説明できるのでしょうか.

三流週刊誌の記者なら,どんなことでも歯切れよく書くでしょう.しかしまともな学者ならそんなことはしません.まして著者は,「近代という時代を過去からも未来からも断罪しないという,歯切れの悪い自分の姿勢」(82年版あとがき)と自ら述べているのです.歯切れの悪さを身上とする著者が,ここまで歯切れよく書けるということは,著者が描いた池田像は,都市計画研究者の間ではほとんど常識である,ということのように思われます.したがって論拠を示す必要はないのです.

著者の「独自性」「独創」は,これからご覧頂くように,14年後の「04年版あとがき」で存分に発揮されます.


「04年版あとがき」は,大正昭和の都市計画研究は「個人と構想好みの私としては御免こうむりたい.で,取り組まないことにした」,そして「建築探偵や路上観察が忙しくなって,都市計画研究にさく時間が惜しくなったこともある」などといった話から始まります.続いて
でも,そうした中で例外的に,池田宏の率いる都市研究会には興味を持ち,本書の「同時代ライブラリ版に寄せて」のなかで,都市研究会に集った“内務省社会政策派”の活動について,具体的には,内務大臣後藤新平の下で彼らがリードした関東大震災の復興計画について略述した.(379頁)
池田の「都市に対する新しい思想」は,復興計画に関するものだったのでしょうか?「90年版あとがき」は,「具体的には,内務大臣後藤新平の下で彼らがリードした関東大震災の復興計画について略述した」ものだったのでしょうか?大正期の都市計画が,震災後の復興計画にすりかえられようとしていることにご注意下さい.

ちなみに後藤新平は「90年版あとがき」において,社会政策派の話とは別のところで「こうしたコントロール型の都市づくりに反発したのが関東大震災復興の時の後藤新平だが,明治とはちがって個人的大風呂敷は穴だらけになって終わる」(371頁)という形で一度だけ登場しています.

さて続いて著者は次のように述べています.
池田らが当初立案した復興計画が不十分に終わった理由の一つとして,「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである」と書いた.(379頁)
ウソを書いていると思われます.「90年あとがき」では次のようになっているのです.重要ですから,再掲しました.
池田宏は,大正から昭和初期にかけての東京改造のポイントとなる“市区改正”の“都市計画”への改変,震災復興計画の立案,同潤会の設立,といったことのすべてにかかわり,新しい都市の主人公はふつうの人々であるという思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.理由は今日さまざまに探られているが,その最大のものはやはり,彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,法令審議の場をはじめ,時には市民運動を通して,池田を核として打ち出されてくる内務省の都市計画に反対し,肝心なところの骨抜きを行なった.

肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.(377頁)
「90年版あとがき」から池田宏の足跡を抜粋しておきます.

 大正02年 留学
 大正03年 「内務省内での都市計画の責任者となる」
 大正06年 「内務官僚や建築家に呼びかけて「都市研究会」を結成」
 大正08年 都市計画法制定.「内務省内の責任者が池田」
 大正09年 内務省社会局の初代局長に就任
 大正12年 関東大震災.帝都復興院計画局長に就任.
 大正13年 「震災復興計画の方向が定まった後,池田は,京都府知事に転出」

関東大震災が池田の経歴のどこで起こっているのか,御確認ください.

「都市の主人公はふつうの人々である」という「新しい思想」を持ち,「都市研究会」を結成した池田に対しては,「彼の思想と行動に対し<常に>反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があった」のです.反対は,区画整理手法を織り込んだ都市計画法の成立過程でもとりわけ激しかったに違いありません.

著者は話を強引に関東大震災後の復興計画に絞ろうとしています.いったい何のため?


著者は続けて次のように述べます.
文の中では具体的に触れなかったが,全体としては不十分に終ったが,十分に実行された部分もあって,それが区画整理にほかならない.関東大震災の復興とは,どこまでも広がる下町低地の焼野原に区画整理をほどこすことだったのである.
震災後の区画整理に焦点を当て,「十分に実行された」と肯定的に評価しています.区画整理に関しては,すでに紹介したように,池田らはもともとは郊外で「畑や林の虫喰い状態の宅地化」を防ぎ「良好な住宅地を作る」ための「新たな都市計画手法」として導入したのです.「90年版あとがき」にはそのあとに次のような説明があります.
池田がこのサラリーマン住宅のための区画整理の手法を都市計画法に織り込んだ後,しばらくして関東大震災が起こり,池田は帝都復興院計画局長となった.そして,この手法を,既存市街地の焼け跡の再開発の強力な武器として振るうことになるが,それは予期せざる成果であった.(376頁)
郊外の良好な宅地を作るための区画整理と,都心再開発のための区画整理では,その性格が全く異なります.前者では,設計面でいろいろ難しいところがあるにせよ,実行面での困難はたいしたことはありません.田畑山林の大地主からまとまった用地を買収するだけの話です.ところが後者ではそうはいきません.

市街地再開発というのは単なる復興ではありません.たとえば,道は震災前より広くなるのです.「道を広げるための土地減歩を誰に(そしてどのよう割合で)負担させるか」という大きな問題があります.関係する権利者は無数といっていいくらい多数です.かっての「長与先生」のように区画整理される側の視点を重視するのであれば,実行面で大きな困難が伴います.解決まで長い時間が必要となります.・・・・・・ただし,強権をもって中小権利者を切り捨てるのであれば,話は別です.


「04年版」にもどります.著者は震災復興後の区画整理は「十分に実行された」と評価したあと次のように語ります.
「彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力」とは,この区画整理に正面から反対した大地主層の利害を代表する貴族院議員たちだが,大地主にとどまらず,いや時にはそれ以上に反対したのは中小の地主,具体的には商店主や貸家経営者たちだった.大地主中の大地主の三菱の岩崎家などはむしろ土地の無償提供に積極的ですらあったというのに.

いってしまえば,一般市民が,大衆が,内務省の区画整理案に対し猛反対に出たのである.(380頁)
庶民の味方であるハズの池田に反対したのはほかならぬ「大衆」だということになってしまいました.<バカな大衆たちよ,おまえたちは自分で自分の首をしめているのだ>というわけです.


化けの皮を剥いでいきます.『塗料すりかえ事件』のK文書の分析を思い出しました.今回の分析はK文書の分析よりずっと簡単でした.なぜか.旭化成の経営会議を経て提出された,住宅総務部長の手になるK文書が,極めて寡黙であったのに対し,藤森のあとがきは,ペラペラと饒舌だからです.

「04年版」の上記の文中に「大地主の利害を代表する貴族院議員たち」とあります.貴族院議員は零細地主である商店主などの利害を代表するものではありません.すぐ上で再掲した「90年版」の重要部の骨組みを抜粋すると次のようになります.
池田宏は,・・・・・・といったことのすべてにかかわり,・・・・・・という思想に従って行動したが,しかし全体としてはうまくいかなかった.理由は・・・・・・彼の思想と行動に対し常に反対に回り,骨抜きを計った一つの都市勢力があったことである.具体的には明治期に形成された都市の地主層で,彼らの利益を代表する伊東巳代治などの貴族院議員たちは,・・・・・・肝心なところの骨抜きを行なった.

肝心なところというのは経済面で,都市計画を行なうための財源や,道を広げるための土地減歩を誰に負担させるかという時,池田はそれを出来るだけ都市の地主層全体に回そうとしたのだが,反対にあって潰れている.(377頁)
すでに述べたように池田に対する反対は,「彼が作った都市計画法」を含め,彼の言動のすべてに対し,常に,あったと思われますが,折角藤森が震災後の復興計画に絞りたいと言っているのですから,ここはそれに従いましょう.すると復興計画において,池田はその負担をできるだけ大地主層にまわそうとしたが,「反対にあって潰れた」ということになります.大地主の利害を代表する「伊東巳代治などの貴族院議員たち」の反対にあって池田は敗れたのです.大地主は守られたのです.区画整理の実施段階において,大地主の反対が全くなかったしても,それはむしろ当然の話なのです.

藤森は返す刀で池田宏を再評価します.
帝都復興院のなかにも,実現のむずかしさを見越して区画整理に賛成しない考えがあった.断行派に対し慎重派がいた.

断行派の中心が佐野であり,慎重派が実は池田宏だった.(382頁)

予想される猛反対を前に,池田宏は“日好(ひよ)ろう”としていたのである.それをからくも喰い止めたのは佐野利器だった.震災復興計画の本当の芯棒は高級官僚ではなく建築学者だった.(383頁)
池田は帝都復興院の計画局長で,佐野は建築局長でした.佐野は帝国大学建築学科教授を兼任しています(専門は耐震理論).大地震後の復興計画ですから,耐震理論を専門とする学者が参画したのでしょう.

「池田はひよった」という著者の判断には論拠となる文献が示されています.それは佐野自身の言葉と,佐野の弟子の回想です.佐野は,帝都復興院の内部に区画整理に対し,「全部の土地家屋を整理するということが非常に困難であるという実行難より来た」反対論があったと述べています.また弟子(佐野四天王の一人だそうです)の言葉は次のようなものです.
(略)当時はまだこのような大規模の市街地の区画整理は外国にも類例のないことで(略)復興院の中でも意見が一致せず容易に決定しなかったときに,博士(佐野利器)は当時の故太田土木局長・十河経理局長などの名理事と共に区画整理主張派の先頭に立って,驚くべき熱意と信念をもってついに主張を貫徹された功績は,当時の博士の部下の一人として忘れることのできない感銘である.(383頁)
池田が区画整理手法を「再開発の強力な武器」に転用することに対して,慎重だったのはたぶん間違いないと思われます.問題はそれをもって「ひよった」と表現した著者の姿勢です.

復興後の市街地再開発に対しては,著者が言うように「一般市民が,大衆が,内務省の区画整理案に対し猛反対に出」ました.これも当然のことだと思われます.痛みを負うのは,零細地主,借地人,借家人など無数の権利者でした.郊外住宅地の開発を目的として生まれた区画整理手法に市街地再開発用のノウハウの蓄積は全くなく,財源も乏しい状況で,あわただしく強行されようとした区画整理に大衆が猛反対したのは当然です.

佐野利器を中心とする「断行派」は,おそらくは公益は私益に優先するという論理の下に,大衆の猛反対を押しつぶし,「驚くべき熱意と信念をもってついに主張を貫徹」しました.広い道路を実現することしか眼中にない技術バカならやりそうなことです.こうして,市民が主人公の欧米先進国では「類例のない」アジア的蛮行が断行されました.道幅がいかに広がり景観がどれだけよくなったかという問題ではありません.その陰で,どれだけ多くの人が泣いたかです.

「震災復興計画の方向が定まった後」,それがどのように実施されるか見届けることなく,池田は京都府知事に転出しました.「池田の退場とともに戦前の都市計画のレベルは決まり,それ以上には出ていない」(「90年版あとがき」)のです.


「04年版あとがき」は,「(佐野利器は)近代都市計画の最大の功労者の一人に数えてもよいのではないか,とまで今は考えている」で終わります.

私は佐野が「震災復興計画の本当の芯棒」だったという著者の見解にそれほど異存はありません.区画整理を断行したのは,弟子の証言どおり,佐野だからです.しかしそれをもって佐野が,なぜ,「近代都市計画の最大の功労者の一人」になるのでしょうか.驚くべき飛躍,驚くべき言葉のすりかえ,驚くべきインチキです.まるで詐欺師です.

佐野利器という人物は本文中にも,実は一度だけ登場しています.「満州国成立後,長春が新京(満州国首都)と名を変えてから,昭和8年,満州国顧問建築家佐野利器ほかは,一大新京計画を立案して起工(328頁)」となっています.佐野は国策とともに歩んだ人です.藤森が阿諛してやまない日本の「嫡流」に乗った人です.

御用学者がここにもまた,二人いました.



    (文中敬称略)




(8)参照図書

NOタイトル 著者・監修 刊行年月 発行
負ける建築 隈 研吾 04.03 岩波書店
箱の家に住みたい 難波和彦 00.09 王国社
建築に夢をみた 安藤忠雄 02.04 NHKライブラリ
男と女の家 宮脇 檀 98.10 新潮社
街並みの美学 芦原義信 01.04 岩波現代文庫
「綺麗な家」に住もう 川元邦親 01.03 PHP研究所
住まいのつくり方 渡辺武信 04.09 中央公論新社
明治の東京計画 藤森照信 04.11 岩波現代文庫
近代日本思想案内 鹿野政直 99.05 岩波文庫別冊



14.蛇足


(1) 旭化成ブランド

娘が見ていたキムタク主演のドラマのCMで,旭化成は分社・持ち株会社制移行を材料に「売名」していました.

分社・持ち株会社制移行に旭化成が踏み切ったのは,03年10月1日のことです.

左は蛭田史郎旭化成社長のインタビュー記事です(日経04年1月12日).


蛭田氏はヘーベルハウスには無縁の方です.赤字だった旭化成マイクロシステムを短期間で高収益会社に変身させた実績を持っておられます.そのときの経験から「多くの事業を一つの物差しで束ねるのは無理がある」ことを痛感し「分社化論者」になりました.

蛭田氏は当時社長の山本一元氏(現常任相談役)と相談して分社化を山口信夫会長に「進言,同意を取り付けるのに成功した」とあります.(成功したと言うからには会長は抵抗したということでしょう.)


さて蛭田氏は「連結売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め」と述べておられます.

経営指針に「お客様の視点の重視」とあります.「お客様」もそう見ているのでしょうか.



分社前のロゴ



これはヘーベルハウスで長年使用されてきた日の出ロゴです(20年前の『ポケプラン実例100』にも使われています).03年春の全面広告まで使用されていました.ヘーベルハウスは「旭化成のすまい」なのです.

旭化成の知名度は総合化学会社の中で群を抜いています.それはサランラップのおかげでも,宗兄弟のおかげでも,あるいはまた××広告賞常連の宣伝力のおかげでもなく,ヘーベルハウス(と宮崎輝)のおかげなのです.

ドイツ生まれヘーベルパネルのヘーベルハウスはその堅牢な製品イメージによって,旭化成は堅実で信用できるというイメージを生みました.ヘーベルハウスが機関車となって旭化成の名を世に広めたのです.

しかし四半世紀が経ち,日の出の勢いだった機関車にも衰えが目立ちはじめました.90年代後半のことです(92年宮崎輝没).そして98年にヘーベルハウスはロングライフ住宅コンセプトでお化粧されて,ロングライフ住宅/ヘーベルハウスに変身したのです.



分社後の03年秋のヘーベルハウス全面広告は次のロゴに変わりました.


AsahiKASEIが旭化成ブランドのロゴであることは,02年の年頭あいさつを見ればわかります.



01年からAsahiKASEIをグローバルロゴつまり海外市場で使い始めたことがわかります.AsahiKASEIは「私たちは,旭イヒ成です」を象徴するシンボルです.キムタクの番組提供元はAsahiKASEIです.そして分社化の宣伝だけでなくサランラップの宣伝もしていました.サランラップって持株会社の製品でしたっけ.

もう一度蛭田社長の言を引きましょう.
売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め.
肥大化した「見かけ」を利用するのがブランド商法です.そのためには,旭化成ホームズではなく,AsahiKASEI/旭化成ホームズでなければならないのです.

積水ハウスや大和ハウスよりずっと小さな旭化成ホームズの家ではなく,売上1兆を越す大企業AsahiKASEIの住まいであると,旭化成ホームズは宣伝しています.消費者がそう思ってくれることを,旭化成ホームズは期待しています.したがって旭化成ホームズの全面広告には本社所在地すら表記されていません.



本章のここまでの部分は,昨年4月頃つまり分社後半年あまりの時点で書いたものです(前章より先にできていました.少し修正したい個所もありますが,後ろを読んで頂ければわかることなのでそのままにしました).旭化成ブランドの過大評価ではないかと思われた方がいらっしゃるかもしてません.しかしそう馬鹿にしたものではありません.

05年2月4日付け日経新聞に「大学生の就職希望ランキング」という特集記事が掲載されました.詳細情報が4面にわたって掲載されています.04年10月から12月末にかけて,全国の06年春卒業予定の大学3年生と大学院1年生を対象にした就職希望調査です.大学生の有効回収数4553サンプル(男:2090,女:2463),大学院生の有効回収数793サンプル(男:586,女:207)です.

調査には企業を選んだ理由も回答するようになっています.その集計結果をみると,上位は,仕事がおもしろそうである,規模が大きい,安定している,信頼できる,一流である・・・などとなっています.

母集団に曖昧さが少なく,一生を託すとまでいうと大げさであるにしても,まじめに企業を選んで回答してハズだと考えると,就職希望ランキングというものは,企業ブランドを測る上で有力な指標ではないかと考えられます.

さて旭化成は「旭化成グループ」としてランキングに顔を出しています.記事中の<調査概要>には
持ち株会社化されている企業グループでは,採用がグループ一括であったり,各事業会社で個別であったり,その企業グループによってさまざまであることをふまえて集計・表示している点をご留意ください.
とあります.たまたまこの特集に掲載されている大和証券グループの広告には,「大和証券グループは,持株会社体制によるグループ経営を行なっています」,「グループ会社の事業特性に応じて,コース別に新卒採用を行います」とあります.ランキングには,大和証券グループ本社と大和総研は,同じグループであるにもかかわらず,別会社として登場します.採用が別だからです.一方旭化成グループの採用形態は次のとおりです.

これはこの特集記事の17面に掲載された旭化成の募集要項です.

ごらんのように旭化成ホームズだけ別枠になっています.

したがってランキング中の「旭化成グループ」には同社分は入っていないハズですが,同社は総合上位100社はもちろん,住宅不動産部門の上位10社にも入っていないので本当にそうなっているかどうかは不明です.


数年前娘に送られてきた『リクルートブック2001』の旭化成工業(当時はまだ旭化成工業でした)の頁の「採用スタンス」には次のようにあります.
旭化成は早くからオープン&フェアな採用をポリシーに掲げ,採用時期など,従来の応募資格のあらゆる限定を取り払った独自の人材採用を進めてきた.96年に導入した『ボーダレス採用』がそれであり,これはグローバルスタンダードに基づいた人材採用方針であると同時に,旭化成を取り巻く目まぐるしい事業環境の変化や新規事業展開,事業の国際化といった状況に対応するための人材採用方針でもある.
名実ともに分社したのなら採用は「グループ会社の事業特性に応じて」各分社が独自に新卒採用してよさそうなものですが,「本社」つまり旭化成「ホールディング」が一括採用するという独自『ボーダレス採用』がいまなお続いています.分社化は形だけということなのでしょう.

旭化成工業の「事業内容」のところにはサランラップとヘーベルハウスの写真が載っています.「人々の生活のあらゆるシーンに,旭化成の製品が使われているといっても過言ではない」とのことですが,旭化成を代表する商品がサランラップとヘーベルハウスであることに疑いの余地はありません.00年3月現在の構成比は,化成品・樹脂部門が31.8%で,住宅・建材部門が34.6%になっています.


ランキングに話をもどします.総合上位100社の中でグループとして顔を出しているのは,旭化成グループを先頭に,以下みずほ,日興コーディアル,セキスイハイムの4グループだけです.「旭化成グループ」のランキングは次のようになっています.()内は前回調査の順位です.

「旭化成グループ」ランキング


大学生総合ランキング 16位(68位)
(旭化成グループより上位は,サントリー,全日空,JTB,トヨタ,JAL,松下,三井物産,資生堂,電通,東京海上,ソニー,損害保険ジャパン,三井住友銀行,日立,富士通)

男女別ランキング 男性 27位(87位)
         女性 7位(54位)
(女性ランキングで旭化成グループより上位は,JTB,全日空,サントリー,JAL,資生堂,ベネッセ)

文理別ランキング 理系 6位(32位)(右参照)
         文系 30位(94位)

大学院生ランキング 11位(36位)
(旭化成グループより上位は,トヨタ,松下,サントリー,日立,ホンダ,味の素,キヤノン,花王,日産,ソニー)


ちなみに住宅不動産部門でトップの積水ハウスは総合で42位,同2位の大和ハウスは総合91位,同3位のセキスイハイムグループは総合99位となっています(住宅不動産部門は以下5位−住友林業,同7位−ミサワ,同9位−三井ホーム,同10位−パナホーム).

いかがですか.「旭化成グループ」は,理系に人気があり,実に6位です.そして女子学生に人気があり,実に7位です.「旭化成グループ」は,「仕事がおもしろそうである,規模が大きい,安定している,信頼できる,一流である」などと評価した学生が少なくなかったことを示しています.旭化成のブランド戦略は侮り難いのです.イヒ!

なぜランクが前回より大きくあがったのでしょうか.今回の調査は,実質的に分社後最初の調査です.眼鏡をかけたおじさん人形を使った「旭化成グループ」の宣伝は,最初こそ,分社化というイベントの広報用に見えましたが,いまだに続けているところからみて,実はそうではなく,ブランドの宣伝だったのです.宣伝すべき商品に乏しい旭化成にとって,苦肉の策だったに違いないグループイメージの宣伝は,若い人に受けたようです.大きい企業なのに親しみやすいと.

ブランドが分散化し目立たなくなるいう山口会長の危惧は杞憂に終わりました.ダボハゼ企業と揶揄された旭化成工業は,「巨大」旭化成グループに変身したのです.野暮ったい旭化成工業は,おじさん人形と「本社」一括採用制の維持により,女性に人気の「旭化成グループ」に見事に変身したのです.そしてなにしろ「技術の旭化成」ですから,理系に人気があるのも当然です?!

売上高1兆2000億と見かけは大企業だが,実際は小さい事業の寄せ集め.
と言いつつ,「見かけは大企業」イメージを若者に浸透させた手腕はなかなかのものです.見直しましたよ,蛭田史郎さん.


昨2月27日の田原のサンデープロジェクトは,ホリエモンに対する集中砲火の話から入りました.田原が最初に示した例は誰だったと思われます? 自分達政治家のことは棚にあげて金がすべてという風潮を教育のせいにした森前総理,その他その他ではありませんでした.実に日商山口会頭だったのです.山口会頭は「資本主義の悪い面が出た」とおっしゃったそうです.(『塗料すりかえ事件』にある消費税上げ容認発言の時のように,「真意ではない」と番組にクレームをつけたかどうかは不明です.)

「新人類」堀江は,株式会社とはそもそも何であるかという資本主義のいろはを,「旧人類」が正しく理解していない事を具体例で示してくれました.「旧人類」にとって,株とはもち合い株が象徴するように<相手を選んで>買ってもらうものなのです.彼らが認めた「信用ある大口投資家」以外の投資家は彼らの意識ではゴミなのです.金のある「素性の知れない」投資家が出現すると,金がすべてではないなどと言い出すのです.

今回の「奇襲」対「禁じ手」の対立において,「奇襲」を批判する側には,せいぜい「制度の抜け穴を突いた」という理しかありません.いくら言いたくても違法だとは言えないのです.一方「禁じ手」に対しては,増資発表の会見席上で記者が質問したように,商法違反の疑いが濃いと思われます.フジテレビ側には三分の理すら疑わしいように素人の私は思いました.

分かり切った解説をくりかえし,五分五分だと言うばかりで自分の意見を言わない「専門家」たちの中で,早稲田の上村という先生は,「奇襲」の仕方の方が問題であると明言しました.まことに旗幟鮮明です.論理を超越した「確信」に基づくものだと思われます.

同じ日の日経新聞の「ライブドアが象徴するもの」と題する署名記事の中に次のような個所があります.
今回のライブドアによるニッポン放送株の大量取得に関し,自民党内では「日本の風土になじまない」ライブドアへの批判が続出した.ベテラン議員の一人は「竹中を連想したからかな」と打ち明ける.

競争原理を身にまとって政権入りした竹中氏は,小泉純一郎首相に重用され,すでに4年近くにわたって側近ナンバーワンの地位を維持してきた.政治家のほとんどは「学者なんて,いびり出すのは簡単」とみていたが,予想外にタフで,あの手この手と繰り出してもくじけない.

結論は「やはり,彼は外資だ.日本の常識でははかれない」となる.堀江氏への見方と同じだ.ただ,現実をみれば,竹中氏や堀江氏に違和感を感じる向きは,政界でも少数派になりつつある.
「風見鶏」の言を信じると世の中少しずつ変わっているようです.

うっかり忘れるところでした.「旭化成グループ」のブランド戦略において,グループ総帥が日商会頭兼務であるという事もそれなりに利用価値があると思われます.なにしろ日経連対日商,かたや天下のトヨタ会長,こなた旭化成会長なのですから.


(2)全壊・半壊ゼロから損傷ゼロへ

積水ハウスの免震住宅の登場はインパクトがありました.揺れている室内の状況を通常住宅と比較したテレビCMには有無を言わせぬ説得力があります.揺れが激減しているのです.

05年1月19日付朝日新聞に「免震住宅関心じわり」というタイトルの記事が載りました.斎藤潤という署名入りです.見出しは「震度7→3へと緩和」,「割高 普及に壁」となっています.

記事によれば免震住宅の累計受注は04年末までにわずか1300戸(日本免震構造協会や住宅メーカーによる)で,東海地方での着工が多く,ほとんどが静岡県浜松市の一条工務店施工だそうです.大手では03年度に大和ハウス工業,三井ホーム,積水ハウスが相次いで新製品を発売したとあります.普及を妨げる最大の壁は価格で,240万円から300万円(延べ床面積40坪の場合)高くなります.「100円万台に下げないと普及しない」という業界の声が紹介されています.

この署名入り記事は制震住宅を完全に無視しています.これは立派な見識です.以下述べるように制震と免震は似て非なるものだからです.


ハウスメーカーの中で制震技術を最初に大々的に宣伝したのは旭化成だと思われます.旭化成は03年4月22日から,7日間連続で全面広告を打つという前代未聞(?)の試みをやりました.『LONGLIFE それはいい家づくりの基準です』という「絵本」シリーズです.見て楽しいのですが,中身からっぽシリーズです(『それから』参照).

この「連続興行」の初日を飾ったのが,特許「極低降伏点鋼」を使用した制震デバイスなのです.広告の真中に次のようにあります.
「ごくていこうふくてんこう」.
大地震から家族を守ってくれる,
おまじないのつもりで覚えましょう.
いつものことながら,この広告でも,コスト,効果など具体的なことは一切わかりません.写真の施工例が3階建てであることから,2階建てには関係ない技術かもしれない,という程度しかわかりません.「詳しくはヘーベルハウス各展示場で」ということなので,展示場で質問したとしましょう.
想定Q:「ごくていこうふくてんこう」というのはどんな効果があるのですか.

想定A:あれは3階建て用技術です.3階建ては揺れが大きいのであんな技術が必要となるのです.ヘーベルハウスはもともと耐震性能が優れていますから,2階建てには不要です.
インチキ回答ならいくらでも想定できますが,これ以上誠実な回答を想定することは,私にはできません.もし説得力のあるデータが存在するのであれば,全国の消費者の目に触れる全面広告で堂々と謳うハズではありませんか.訊いてくれば教えてやるという態度は,横柄でしかもうさんくさいのです.展示場で何が話されているか,当事者以外に知る人はいないからです.


さてミサワの出番です.ミサワは,05年元旦の日経新聞にMGEOという名の制震技術の全面広告を打ちました(別の日に朝日にも載りました).ヘルメット姿で微笑んでいる眼鏡のおじさんこそ誰あろう,私が第3章でちょっと苦言を呈した『柱の太さで家を決めるな!』の著者(の一人)平田俊次殿ではありませんか.

いつものとおり,ミサワの全面広告は情報量豊富です.私はこの全面広告ではじめて制震装置の何たるか,わかったと思いました.

MGEOを装着した2階建てで実大実験しています.「阪神・淡路大震災レベルの揺れにも壁紙に亀裂はみつかりませんでした.全壊・半壊ゼロから損傷ゼロの住まいづくりへ」という文が目を惹きます.これが効果です.つまり

「一般的な鉄骨軸組構造と比べると,関東大震災規模(400ガル)の加速度を加えた場合では,建物の変形はわずか約1/8でした.住いの損傷と補修費を抑え,家具転倒の危険性も低くします」・・・・・・これがミサワの新制震パネルの効果であり目的です.建物の変形が1/8になるのであり,揺れが1/8になるわけでは,決してありません.

ところで,ミサワはなぜ「一般的な鉄骨軸組構造」と比較しているのでしょうか.なぜ,自社モノコック構造の制震パネルありなしで比較しないのでしょうか.ここは大切なところで,曖昧にしてはだめです.


さて制震装置は高層ビルでは一般的です.高層ビルの場合,上層階では地震そのものの揺れの他に,下層階の躯体変形による揺れが加わります.変形しない剛体なら1階でも上層階でも揺れは同じですが,現実のビルは剛体ではない為,上層階になればなるほど揺れが大きくなります.制震装置は,高層ビルにおいて,上層階の揺れをできる限り1階と同じにする為の装置なのです.

こう考えた時,高層ビル用技術である制震技術を,2階建てに適用しても,その効果はたかがしれていると思われます.戸建ての剛性は高層ビルに比べ格段に低いでしょうから,それなりの効果はあるでしょうが.

制震住宅は免震住宅のCMのように揺れが激減するわけではないのです.画面左は1階の室内,画面右は2階の室内,これこのとおり,制震住宅では,1階も2階も,同じように,テレビがすっとんでいます・・・!!


2月18日,セキスイハイムの登場です(2月18日付け朝日新聞『地震から家族を守る家』).

紙面の左上隅に朝日新聞マーク,右上隅に「企画制作 朝日新聞広告局 広告特集」とあります.あの,例の「熊野コンセプト」と同じ広告特集です(第4章参照).しかしこの広告特集の形式は全く違います.全面ハイムのカラー広告で,第三者を装ったうさんくさい解説記事は影も形もないのです.この形式なら朝日新聞の広告特集に何の問題もありません.

ハイム全面広告は,免震でも制震でもなく,昔ながらの耐震性能の広告です.しかし一味違います(後述).この広告中に次のような文があります.
2階床が1階床に比べて,どれだけ揺れるかを測る応答加速度増幅率は1.3から1.4倍.増幅率が2〜2.5倍といわれている一般的な構造の建物に比べて揺れが小さく,足元をすくわれるような急激な揺れや家具の転倒による危険が少なく,室内にいる人命の安全性が極めて高いことが確認されました.
ハイムのこの数値とミサワの数値(建物の変形1/8)を,どう比較すべきか不明ですが,制震装置などなくても2階の揺れはもともと少ないというのがハイムの主張です.それは柱と梁を「ボルトを一切使わず,最新技術の工場で非常に堅固な溶接」で接合するボックス構造のため,「エネルギーを家全体に分散し揺れ幅や揺れの加速度を抑えてくれる「粘り抵抗型」」であるためだと,ハイムは主張します.

「足元をすくわれるような急激な揺れや家具の転倒による危険は少ない」が意味するところは,ハイムの2階は普通の家の2階にくらべて危険がちょっと少ないということであり,それでも普通の家の1階以上に危険なのです.


さて1年9ヶ月前に制震デバイスを大々的に宣伝した「技術の旭化成」は,阪神淡路大震災10年にあたる今年,どんな広告を打ったでしょうか.

1月16日付け朝日新聞に「命と資産を守るために」と題する広告特集が載りました.こちらの広告特集は,ハイムの「革新的」広告特集と異なり,昔ながらの広告特集です.すなわち紙面の上半分は文責不明の解説記事(その中の実大実験写真は旭化成ホームズ提供)と総務省消防局防火安全室長の囲み記事,下半分がヘーベルハウス「新大地」の広告という構成です.

文責不明の解説記事は,熊野コンセプトほどでないにせよ,問題があります.左の写真は解説記事の一部です.

免震と制震が揺れを抑える技術として同格に扱われています.免震技術は,「大手住宅メーカーのほとんどが取り入れており」となっています.いわば旧技術なのです.一方制震技術に関しては,「超高層ビルではすでに一般的だが,最近,一部の住宅メーカーが戸建てにも取り入れ始めた」とあります.こちらの方が新しい技術のような印象を与えます.

免震の効果は,揺れが5分の1と明記されているのに対し,制震の効果は省略されています.

「新技術」なら「旧技術」より効果があるだろう,と思う人がいてなんの不思議もありません.


「詐欺師」なら誤解するほうが悪いときっぱり言うことでしょう.

ヘーベルハウス「新大地」の半面広告は,次のような構成になっています.

(大見出し)
ヘーベルハウスを建てる
という防災対策.


(二階建て寄棟づくり「新大地」の大きな外観写真)


(中見出し)
大地にしっかりと根付く,
屋根のあるヘーベルハウス「新大地」.


(広告本文)
重量感のある屋根を頂き,大地から生えた大木のようなどっしりとした佇まい.
いかにも地震に強そうな安心感を,見る者に抱かせます.
外観のイメージだけではありません.
耐震性にすぐれた独自の鉄骨構造に加え,3階建てのために開発された
揺れのエネルギーを吸収する制震デバイスを,2階建てのこの家でも使っています.

外観デザインも,構造もまさに揺るぎない.壁や床には,
ALCコンクリート・ヘーベルを使用しているから,耐火性も抜群です.

「屋根のあるヘーベルハウス」とは奇怪な言い様です.「嫡流」の陸屋根は「屋根のないヘーベルハウス」におちぶれました!

自画自賛を絵に描いたような広告本文に,意味のある情報は極めてわずかです.かって大々的に宣伝した制震デバイスは,危惧したとおり3階建て限定でした.この「新大地」で2階建てとしてはじめて制震デバイスを標準装備しています.わかるのはそれだけで,くわしいことは,あいかわらず,何一つわかりません.

・・・・・・2階建てに適用するのに,1年9ヶ月もかかるほどの技術的困難があったのか,そんなものあるハズがない,では最初からなぜ2階建てに適用しなかったのか,効果がほとんどないからだ,ではなぜ「新大地」に適用したのか,震災10年の新製品発表にあたり,「技術の旭化成」として目玉が必要だったからだ,ところが外観イメージ以外に目玉がないのだ・・・・・・

特許制震デバイスが「安心な生活を実現」する上で少しでも効果があるのなら,なぜ最初から一般ヘーベルハウスに標準装備,それが無理ならせめてオプションとして,提供しないのでしょうか.もちろん,ミサワの制震パネルのように,効果とコストを明らかにした上で,です.それをせずに「おまじない」のままセット販売しようとするから,上のように痛い腹(!)を探られてしまうのです.


解説記事との連携プレーに是非ご注意ください.解説記事には揺れを抑える技術に免震と制震の2つの方式があり,免震は揺れが1/5になるという画期的効果があるが,すでにほとんどのメーカーが採用している,一方制震技術は最近になってようやく,一部のメーカーが取り入れ始めた・・・とあるのです.
まるで教科書のように地味で一見まじめそうな解説記事を,
まじめに読んだまじめな人が「新大地」の広告を眺めた時,
へえ〜,旭化成は最新技術を商品化しているのだ,さすがまじめな技術の旭化成だ!
いかにも旭化成らしい手練手管です.制震デバイス標準装備で,いかにもどっしりとした「新大地」の価格はきっと目をむくほど高いに違いありません.「新大地」はイメージアップ用のフラグシップ商品で実際どれだけ売れるかは問題外だとすれば,いくら高くてもなんの不思議もありません.


積水ハウスの免震住宅のCMはすでに多くの人が見たと思われます(今もやっています).ほとんどの消費者にとって「揺れを抑える」とは,いまやああいう意味なのです.かく言う私も正月のミサワの広告を見たとき,さすが「技術のミサワホーム」だ,他社では200万以上かけなければ揺れが抑えられないのに,いくら期間限定価格とはいえ50万でやるというのだから・・・と思ってしまいました.

「揺れを抑える」という日本語が素人にとって何を意味するか,免震住宅テレビCMの登場以前と以後では決定的に違うことを,メーカーは認識すべきです.免震住宅以外で,「言葉足らずに」揺れを抑えるを口にするメーカーは,詐欺師と思って間違いないと私は思います.



免震住宅の贅沢な味を知ってしまった消費者にとって,制震技術は,こと揺れを抑えるという意味に限れば,なんともがっかりするような味しかしません.しかし制震技術には別の重要な側面があるのです.

制震技術はミサワが説明してくれているとおり,建物の変形に起因する二次的な揺れを抑えることは抑えます.しかし建物の変形は揺れ以外にも重大な結果を招きます.倒壊に至る致命的変形は論外として,倒壊しないまでも,躯体・壁・床は建物の変形により損傷するのです.

ミサワは,「壁紙の亀裂を抑え」,「住いの損傷と補修費を抑え」ると言いました.<損傷と補修費の問題>に目を向けました.そして「全壊・半壊ゼロから損傷ゼロの住まいづくりへ」をさりげなく謳いました.

旭化成をはじめこれまでいろいろなメーカーが耳にタコができるほど,「全壊・半壊ゼロ」を宣伝してきました(ミサワのこの広告でも「過去約40年の地震において全壊・半壊はありません」となっています).しかし「損傷ゼロ」ではなかったのです.そして「全半壊ゼロ」と「損傷ゼロ」の間には大きなギャップが存在するのです.このギャップがどれほどのものか,実大実験を繰り返している大手メーカーは熟知しています.しかし消費者には何も知らされていません.

ミサワは損傷の例として「壁紙の亀裂」をあげています.制震パネルがあれば壁紙の亀裂すらなかったと述べています.しかし壁紙の亀裂が,もし,ミサワの命である「木質パネル接着工法のモノコック構造」の亀裂を意味しているとすればどうでしょうか.モノコック構造の亀裂は,耐震性能の大幅な劣化を意味します.余震に耐えられないかもしれません.そしてその補修費は壁紙の補修より格段に高くつくことでしょう.制震パネルの重要性は高まります.

制震パネルはモノコック構造の亀裂を防ぐためのものだと私は思います.そうではなく,単に壁紙の亀裂を防いだり,2階の揺れを少し抑えるためだけだとすると,50万でもやはり高い・・・とケチな私は思います.


ハイムの広告には,「セキスイハイムの構造体は,地震の揺れが収まればまた元に戻る「粘り抵抗型」」とあります.そして「1日ごとに外壁の緩みは補修しましたが,3日でトータル49回もの加震実験の結果,構造体への残留ゆがみはありませんでした」とあります.

ハイムの全面広告から借用しました.

「地震エネルギーを正面から受け止めて踏ん張る「強度抵抗型」」と「エネルギーを家全体に分散し揺れ幅や揺れの加速度を抑えてくれる「粘り抵抗型」」の比較図です.

「強度抵抗型」の上の図で,プッツンしているあたりに「極低降伏点鋼」を配置するとヘーベルハウス「新大地」型になると考えられます.「おまじない」の効果で「限界を超えても徐々に変形」し倒壊を回避できたとしましょう.こちらは地震後,元に戻るでしょうか.

「粘り抵抗型」では変形が広い範囲に分散し局所の変形は小さいため,地震後は元に戻るということでしょう,たぶん.しかし「おまじない」の場合は,変形は「おまじない」に集中します.ちっぽけな「おまじない」に,大きな躯体を元に戻せる異様な力があるのでしょうか.

ハイムの場合,躯体は「損傷ゼロ」に近いようです.そして外壁に関して「脱落やひび割れが生じにくく,震動エネルギーを吸収する外壁」というタイトルで次のようにあります.
セキスイハイムの構造体に取り付けられた外壁パネルは,建物の揺れを吸収する特殊合成ゴムを使った目地でジョイント.地震の揺れで構造体がある程度しなった時,外壁同士がぶつかり合って壊れたり,はがれたりする心配がありません.構造体のしなりに,互いにずれながら追従して震動エネルギーを吸収した外壁パネルは,揺れが収まれば元の位置に戻るようになっているからです.
「外壁の緩みの補修」は必要そうですから完全とはいえないまでも,外壁も「損傷ゼロ」を指向していることは明らかです.ヘーベルハウスの外壁はどうでしょうか.ハイムと違って外壁パネルは大きく重いALCコンクリートパネルです.それは爪状のもので躯体に半固定されていますが,大地震時にはずれます.ずれたパネルは元にもどるのか?

この点は前から気になっていました.『それから』で触れた独自免震工法をもう一度ご覧下さい.実大実験で「比較的容易に修復可能な状態」を保持できたというが「比較的容易に修復可能な状態」とはいったいどんな状態なのか,なぜ「比較的」がついているのか,そもそも剛床システムの採用こそ,<ヘーベル板がわが身を守るため,後先かまわずに,ずれる>というヘーベルハウス方式の否定を意味するのではないかという,根幹に関わる疑惑です.


旭化成は今後も「全壊・半壊ゼロ」を繰り返し,「損傷ゼロ」に関しては口をつぐみ続けるでしょう.それは方式自体の根本的な問題点であり,小手先の改良技術では解決困難だからです.初期の成功に慢心し欠陥をかかえた方式に固執し続けた経営陣・技術陣の責任です.いまさら手遅れですが,一つだけ光明があります.

一筋の光明とはヘーベルハウスを免震装置の上に載せることです! 「おまじない」をべたべた貼ったり剛床に金をかけるより,免震装置を標準装備し従来価格で提供するのです! 「いかにも地震に強そうな安心感を,見る者に抱かせ」るヘーベルハウスこそ,大地震後の補修に金がかかりすぎるという欠陥の故に,実はもっとも低価格免震装置を必要とする住宅なのです!


細かい点を除き私はミサワやハイムが「損傷ゼロ」を指向した「まっすぐな」全面広告を打っている点を評価します.積水ハウス,大和ハウスなど他のメーカーは,「損傷ゼロ」に関しては今のところ沈黙しているようです.免震装置が標準装備なら,自動的に「損傷ゼロ」もクリアするハズですから,これは文句のつけようがありません.しかし現実は割高な免震住宅の普及率は残念ながら微々たるものです.

ドイツVWのゴルフは10年以上前から,一番安い車種からエアーバッグとABSは標準装備でした.安全に関わる技術は標準装備すべしという哲学があったのでしょう.遅ればせながら日本車も,現在では軽でもエアーバッグは当たり前です(ABSはどうだか知りません).安価で信頼性が高い免震装置が開発され,エアーバッグのように標準装備が当たり前の時代に早くなってほしいものです.

免震装置がまだ割高な現在,「地震がご心配?それなら免震住宅を」とばかり,ひたすら免震住宅を宣伝して通常住宅の「損傷ゼロ」に口をつぐむのでは,ずるいと言われて仕方がないと私は思います.




(3)裸の王様

05年3月3日(木),東京地検特捜部は証券取引法違反(虚偽記載,インサイダー取引)容疑でコクド前会長・堤義明容疑者を逮捕しました.

同日付,日経新聞の夕刊に掲載された日本商工会議所山口会頭(旭化成会長)のコメントです.

容疑が事実である「とすれば」,「あるまじき行為」であることはわかりきった話です.



山口会頭はこの日,このコメント以外にもしゃべっていました.それは翌日の朝刊各紙に一斉に現われます.

下は翌3月4日(金)の朝日朝刊です.裸の王様だと山口会頭は言ったのです.記事先頭に山口会頭の言葉が引用されています.「解体」し始めた「王国」の王様は「裸の王様」だった!!



次はサンケイです.ホンリエモン騒動の影響でサンケイに興味をもち,図書館でちょっと目を通しました.

サンケイ朝刊の大見出しは「波立つ政界 冷ややか財界」となっています.「冷ややか財界」部分の記事は,<「裸の王様だった」(山口信夫日本商工会議所会頭)「当然のなりゆき」(財界関係者)など,突き放す声ばかりが聞こえた>ではじまり,奥田経済連会長,北城経済同友会代表幹事などの発言の一部を引用した解説のあと最後は,<山口会頭は「聞く耳を持たないのではなく,下からは(悪い情報が)上がってこない感じだったんだろう」と言い切った>で締めくくられています.

サンケイの「冷ややか財界」の記事は山口会頭で始まり,山口会頭で終わっているのです.


さて日経です.前日夕刊に山口会頭のコメントを載せた日経は,4日朝刊に「経済界は批判」という囲み記事を載せています.

最初に北城経済同友会代表幹事(日本IBM会長)が登場します.北城は次のように批判と問題提起を行っています.
「『会社は誰のものか』というコーポレートガバナンス(企業統治)の基本問題に対する認識が薄い」と批判.「企業経営者に改めて実効性のあるガバナンスの確立と社会的責任の実践を望みたい」と問題提起した.
つづいて日本商工会議所山口会頭(旭化成会長)です.山口会頭は次のように,一つの「見方」を示し,「批判」を行っています.
「(堤前会長は)経済界の人とはあまり付き合いがなかった.裸の王様だったのだろう」との見方を示した.同時に「聞く耳を持たないのではなく,下から怖くて(情報が)上がってこなかったのではないか.気の毒だが自分の責任」と批判した.
 有価証券報告書の虚偽記載容疑については「西武鉄道固有の問題だ」と語った.
記事にはそのあと日本経団連副会長の一人(匿名)と東京証券取引所鶴見社長のコメントが載っていますが,中身のない形式的コメントです.

北城と山口のコメントは,批判の質の違い,経済界全体の問題と受け止めているかどうかの二点において,極めて対照的です.山口会頭は自業自得で片付けています.虚偽記載も対岸の火事です.虚偽記載がとおってきたのは監視システムに不備がある証であり,うそを報告している企業は他にもあるに違いないにもかかわらず.

日本IBM会長の北城にとって,堤の前近代的経営は目に余るものだったに違いありません.『会社は誰のものか』に対して,康次郎も義明も『西武は堤家のもの』と考えていました.そして多くの経営者は,本心では,『経営者のもの』と考えているのです.

北城の批判は,核心を突いた格調高いものです.経済専門紙である日経はさすがに,低レベルの単なる「見方」を,「経済界は批判」の見出しにすることはありませんでした.


友曰く:この節はここまで.以下は蛇足の蛇足ナリ.
これは図星ですので,そのおつもりで.

さて山口会頭はどういう意味で「裸の王様」を使ったのでしょうか.朝日新聞は完全に無視しましたが,山口会頭の話には次のような<聞く耳云々>が存在します.
1.聞く耳を持たないのではなく,下からは(悪い情報が)上がってこない感じだったんだろう.(サンケイ)
2.聞く耳を持たないのではなく,下から怖くて(情報が)上がってこなかったのではないか.(日経)
3.いろんな意見を聞く耳持たないんじゃなくて、下から上がってこない、怖くて上がってこないという感じだったんだろう.(JNN News)
この部分に限定すれば,3で示したWEB上のニュースが,未編集の生の発言に近いと思われます.同ニュースでは,この<聞く耳云々>の直前が,「裸の王様だったんだろうと思います」となっています.つまり<聞く耳云々>は「裸の王様」の説明の位置付けです.しかし他紙の扱いは少し違います.

サンケイの場合,「裸の王様」と<聞く耳云々>が頭と尻尾に離れ離れになっているため,相互の関係は不明です.

日経も同様に,「裸の王様」と<聞く耳云々>を分離し,付き合いの悪い「裸の王様」というのは一つの「見方」,<聞く耳云々>は「批判」という形に編集しました.

朝日は<聞く耳云々>は無視し,「裸の王様」には「時代はどんどん変わるのに,グループの中だけで経営が行なわれていた」という他紙にない説明がリンクしています.

私見では,山口会頭は<聞く耳云々>を「裸の王様」の説明として使ったように思います.


さてサンケイも日経も編集時に「情報」という言葉を挿入しました.「聞く耳もつ」と「上がってこない」は,同じものが対象のハズですから,上記の文を省略なしに書き直すと次のようになります.
1.堤は悪い情報も聞く耳もっているが,下からは悪い情報が上がってこない(サンケイ)
2.堤は情報を聞く耳もっているが,下から怖くて情報が上がってこない(日経)
3.堤はいろんな意見を聞く耳もっているが,下から怖くて意見が上がってこない(JNN News)
若き日の堤義明社長は<西武ではどんな情報でも,途中でとどまることなく,私のところまで上がるようにしている.意思決定は私がする.考えるのは私である.部下は私の指示を実行するだけでいい>という意味のことを,テレビのドキュメンタリー番組ではっきり語っています.

友曰く:ほんまかいな?ひょっとして当時から「裸の王様」?

すべての意思決定は私がするというのは,本人がそう思っているだけで,堤個人にそれほどの能力はない,という冷めた見方です.友人は堤の経営者としての能力をさほど買っていません.ここの「裸の王様」は,「知らぬが仏」のお飾り経営者というほどの意味です.


若き堤が言った(下から情報が上がってくる→トップは情報を評価し対応を決める→下が実行する)という図式は,実態は別にして,かくあるべしという意味で本当です.

世の中でこんな動きがある,これが情報です.情報を遅滞なく上に上げるのは下の責務です.経営者はその情報がゴミであるか重大情報か判断し,次にすべき事を決めます.

経営者には,部下の意見など一切無視する超ワンマンから,自分ではなにも決められず側近の言うがままのお飾りまで色々あります.聞く耳もった経営者とは,経営者が行なうべき事項に関して部下の進言にも耳を傾け,それを参考に決断する経営者のことです.

混同してならないのは,超ワンマンで部下の意見など聞く耳持たぬ人でも,部下が上げてくる情報には聞く耳持っていることです.情報を聞く持たぬ経営者は経営者失格です.

「悪い情報」が上に伝わらず,いい情報だけ上がるような企業は,すくなくとも競争の激しい分野の企業なら,生き残れません.情報伝達に問題のある企業は二流,三流の企業であり,西武は該当しません.(旭化成もこの意味で一流企業です.関西ローカルの「極めて悪い情報」は,速やかに東京トップに伝えられました.『塗料すりかえ事件』参照.)

このように考えると,1や2では,堤や西武を実態以上に貶め,誹謗と取られる可能性があります.慎重な山口会頭がそんなヘマなことをいうはずがありません.したがって,3のJNN Newsが山口会頭の「真意」に近いと考えられます.


「真意」と思われるものを簡潔に言うと次のようになります.
堤は裸の王様だ,堤は下の意見を聞く耳持っているが,下が怖くて意見を上げないのだ.
これは,しかし,わかったようでわからない文です.トップが聞く耳もっているのに,下はどうして「怖くて」意見が言えないのでしょうか.

「聞く耳持たない」であればよくわかる文です.しかしその場合「裸の王様」より,超ワンマンあるいは独裁者の方が適切であることは明らかです.裸の王様ではヘンです.

あるいはまた「怖くて」がなければすっきりした文です.堤は世間でよく言われるような独裁者ではなく,聞く耳持ったトップだ,しかし下は自分の意見を持たない無能な人ばかりだという意味になります.

さすがの山口会頭もこれでは「言葉足らず」だと思ったのでしょう.「怖くて」を追加して言い直したのです.その結果,ここだけ見れば,真実にぐっと近づきました.怖くて意見が言えないのは,西武の場合,厳然たる真実だと思われます.しかし,その結果,聞く耳持つという言明がにわかに不安定になってしまうのです.


この小さな「矛盾」に対する私見:

『塗料すりかえ事件』で触れたように,山口会頭は,繊維業界のドンと呼ばれた大ボス宮崎輝の下で長く秘書役を務めた人です.ボスに対して「情報」は上げたでしょうが,「怖くて」意見など進言したことはなかったでしょう.しかし旭化成の場合,勇気ある人がいました.宮崎輝が自分の考えに異を唱える部下の直言を容れたことは,側近山口には驚きだったに違いありません.「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という感慨にふけったか?

山口会頭は堤の側近や部下に(旭化成には存在した)勇気ある人物がいないと言おうとしているのです.自分のことは棚にあげて(・・・もし事実に反すると反論されるなら,大ボス宮崎輝に堂々と意見した自分の場合に比べて,に変更しても一向に構いません),批判の真の矛先は堤の腹心,部下に向けられているのです.

こう考えると日経の最後にある「気の毒だが自分の責任」という発言も,違和感がありません.勇気ある部下を持てなかったのは,「気の毒だが自分の責任」なのです.

私見おわり.


知らぬが仏曰く;独裁政権がなぜ40年も続いたか.独裁者義明が「有能」だったからだ.他に理由はない.いくら莫大な資産を受け継ごうと,無能な二代目だったら,とっくの昔につぶれている.

友曰く:堤は有能でも無能でもなく並の経営者だ.並の経営者でも莫大な資産があれば,長い間やっていけるものだ.

仏曰く;堤義明はすべてを知っている.虚偽報告もすべて義明の意思だったに違いない.「裸の王様」などというコメントは,的外れもいいところだ.

友曰く:「『西武の常識≠世間の常識』を認識していなかった」という意味だと解釈すれば、的外れにあらず.

仏曰く:堤義明容疑者はすでに逮捕前から容疑を大筋で認めていると報道されていた.彼は部下に責任転嫁するような卑劣なことのできる人ではない.

友曰く:総会屋への利益供与事件をはじめ、これまで事ある毎に堤は「私の知らないところで部下が勝手にやったこと」で済ましてきた.今回は外堀と内堀を埋められ万事休すという事態になって初めて、検察の厳しい追及と相俟って、容疑を大筋で認めたんだ.案外腹の座っていない男だ.


堤を語るには,せめて立石泰則の『淋しきカリスマ堤義明』くらいは読んでおく必要があると思われますが,二人ともサンデープロジェクトの堤特集以上の知識はありません.つまり知らぬが仏どおしの水掛論です.

友は腹の座ってない男だと貶しますが,私は堤という人物は,最後の最後まで整備不良だ,ユーザ責任だと主張し,現在も法廷でそう主張しているであろう三菱自動車前会長とは違うタイプの人のような気がします.


さて上の対話で唯一注目すべき点は,友は『西武の常識≠世間の常識』を認識していなかったという意味だとすれば,裸の王様も的外れでないとしている点です.たしかにそういう意味だとすれば,的外れと断言できないかもしれません.

もう一例.逮捕翌日の上記立石泰則の日経紙上でのコメントにある「結局,前会長は時代に取り残された.企業経営の透明性が求められている社会の変化についていけず,孤立した.前会長一人が頭となり,彼しか考える人がいない仕組みで,危機管理が全くできなかった」・・・という意味だとすれば,「裸の王様」もまったくの的外れではないでしょう.

問題は山口会頭がどういう意味で「裸の王様」を使ったかです.だから私は山口発言の細部にこだわったのです.


独裁者,帝王,カリスマなどの言葉は辞書にある言葉です.一定の意味をもっており,使い方が適切かどうかは文脈でわかるのが普通です.しかし「裸の王様」は辞書にはありません.それはアンデルセンの童話の名前であり,その本を読んで想起されるすべてのイメージが「裸の王様」という言葉に含まれます.AがBに意味を示さずに「おまえは裸の王様だ」と批判すれば,たいていの場合「そういうおまえこそ裸の王様だ」とやり返すことができます.


「裸の王様」の原本『皇帝の新しい着物』(『アンデルセン童話集1』大畑末吉訳 岩波文庫)によれば,二人の「いかさま師」は
「自分の地位にふさわしくない者や,手におえないばか者には,見えない」
という能書きで,王国全体を,だまします.この能書きはよくできています.

王や大臣など地位ある者は,自分は地位にふさわしいハズだから,見えるハズだと思います.地位に無縁の庶民は,自分はバカではないハズだから,見えるハズだと思います.王も大臣も庶民も,実際は見えていないにもかかわらず,見えているフリをするのです.王国全体が,一人の子供を除いて,詐欺師にだまされるのです.少なくとも原作には,部下が本当のことを言わないから裸の王様になったという浅薄な意味はないように思われます.


極東の詐欺師は言いました.
自分の地位にふさわしくない者や,手におえないばか者には,<日本に一着しかない日商会頭という衣の立派さ>は,見えない.
地位ある人も,賢い人も,「さすが日商会頭印のブランド品です」と口々に誉めそやしました.ところが一人のぷうたろうには,そのブランド品のよさがまったく見えず,「あっ,裸の王様」だと叫びました.

「なんにも着ていらっしゃらない!」とうとうしまいに,ひとり残らずこう叫びました.これには皇帝もお困りになりました.なぜなら,みんなの言うことがほんとうのように思われたからです.けれども,「いまさら行列をやめるわけにはいかんわい.」とお考えになりました.そこで,なおさらもったいぶってお歩きになりました.そして侍従たちは,ありもしない裳裾をささげて進みましたとさ.(原作より)
堤逮捕は突然の出来事ではありませんでした.見解を用意しておく時間的余裕はたっぷりありました.にもかかわらず,「裸の王様」などという中身空っぽ見解しか出せなかったのは,はたして何を意味するのでしょうか?




蛇足に対する蛇足です.月刊『文芸春秋』05年10月号の「朝日新聞が警察に屈した日」の中に,感じていたことにピッタリの言葉がありました.

西武の堤義明氏が検察当局に逮捕された途端,日商山口会頭(旭化成会長)が「裸の王様」だと評したことに対して,水に落ちたイヌを叩く所業だと私は感じたのです.




この後,15章エピローグを書いていましたが,この間にクボタショック,姉歯ショックと続けて大きな事件が起こり,15章としてまとめることはできなくなりました.その為,15章エピローグはあらたに『隠ぺいの森』という題で独立させました.『寿命すりかえ事件』の続編として,是非『隠ぺいの森』もお読みください.(06年4月8日)


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