楽しい終末 池澤夏樹 著
「もしも明日世界が滅びるとしたら、今、君はリンゴの木を植えるだろうか?」
この問いの答は一見とても簡単にみえる。
楽観的にYESと答えるか 悲観的にNOと答えればものの数秒でかたはつくからだ。
しかし、仮にYES/NOで即答したところでなにかしっくりこないことに気付く人
が多いのではないだろうか?
実際私がこの問いに出会った学生時代にそんな思いを持ったことを覚えている。
この問いは答えにその本質があるような問いではない。
本質がそれについて考えることによって引き出される類いの問いなのである。
ここで問題をむずかしくしているのは「世界が滅びる」というフレーズだ。
というのは、今まで、人類史上誰もそれを体験したことがないからだ。
たしかに、人間も個々の死滅は他の地球上の種族と同じように繰り返してきた。
生きている個人はそれを体験したことはもちろんないのだが、経験則的にそれを
知っている。身の回りの個人の死滅を経験することによって、個人に必ず訪れる
ということや、そうなってしまった人は二度と再び生き返らないということを知
るのである。
そうではなく、種としての死滅。
一回きりの終焉。
それを「世界が滅びる」というのだ。
その「世界が滅びる」という終末について思いを巡らさずにして、リンゴの木を
植えるかどうかは語れないのではないだろうか?
本書では、その終末の可能性を色々な事例を検証し考えてゆく。
例えば 『核と暮らす日々』 『恐龍たちの黄昏』 『レトロウイルスとの交際』
『洪水後の風景』 という各章のタイトルに表せるように終末の事例には実は我が
種族は事足らない ということはない。
主観的にみると不合理なものから
人間の特性が引き起こしてしまう可能性がある自業自得的なものまで、そのバリ
エーションは豊富だ。
そんな終末のフルコースを前に考えること、それはとりもなおさず、それまで、
終末が来るまでの生について考えることに繋がる。
その生き方がすなわち、「リンゴの木を植える」か否かということなのである。
著者は、本書のなかで、その生き方、終末に対する処方として
「終末というものについてよく考えてみると、それに対応する唯一の方法は、来
ないことを祈りつつ来る日を待つという、この特殊な姿勢以外にないことがわか
る。」 と記している。
それをふまえて、ようやく最初の自分なりの解答が朧げながらわかってくる。
多分人間は滅亡前夜にリンゴを植えるだろう。
それはセンチメンタリズムなどではなく、それしかできないからだ、待つ事しか。
自分達の築いて来た世界に則りその日を生きることしか。
明日、皆いなくなるかもしれないのに、人を殺そうと画策していた人は決行する
であろう。
明日、皆いなくなるかもしれないのに、愛しき人にラブレターを綴る人もいるで
あろう。
坦々と明日の仕事の準備をする人もいれば、
明日の終末を回避しようと東奔西走する人だっているだろう。
どう過ごさなくてはならないとか、なにが正解でなにが間違っているか、という
議論ではない。 終末を思い、待つ。 その間にどれだけ幸せを最大限引き出せるのか、
それを考える必要性。 それを本書は教えてくれた。
終末論は堅苦しい、陰惨で逃げ場のない閉塞感を持たせてしまう危険性を帯びる。
しかし、本書は「楽しい」終末論である。
著者が忘れられないというシベリアの川沿いのおじいさんの風景。
それを想像した時、泣きたいような微笑みたいような複雑な気持ちになった。
終末を想像することで、私は私をとりまく地球という環境の存在を今まで以上に
感じ、私をとりまく、人間と人間の繋がりを意識するようになったのである。
ー関連書籍(終末及び「待つ」ということについて)ー
渚にて―人類最後の日 ネビル・シュート 著
(核戦争後、忍び寄る放射能の大気を前に滅亡を坦々と受け入れる人々を描いたSFの名著)
ゴドーを待ちながら サミュエル・べケット 著
(二人の男が「ゴドー」をひたすら待つという特異な戯曲)
沈黙の春 レイチェル・カーソン 著
(すでに40年以上前に書かれた化学薬品汚染に対する 警鐘。それは今なお鳴り響いている。)
Between The Lines 無料購読/購読解除
2005/4/25