『メメント・モリ』 藤原新也 著
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『いのち、が見えない。』
藤原新也はぽつりとはじめる。
その言葉は確実に胸に楔を打ち込む。
そしてその言葉と74枚の写真の絶妙な修辞は一生胸に打ち込まれたままであろうという 予感をもたらす。
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『メメント・モリ』(死を想え)
この言葉は、ペストが蔓延り(はびこり)、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨ-
ロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。
この言葉を冠して彼が表現したかったこと、それにはこの言葉と写真の両方ともが必須 であったように思える。
本書に出会うまで
イメージに言葉なんて無用だと思っていた。
言葉は全方位に広がるイメージをがんじがらめにしてしまう鎖でしかないのだと。
しかし、言葉は
そのイメージを通して語られる思考を散漫にすることなく収斂しうる鍵にもなりえるの
だ、と本書は気付かせてくれた。
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ところで、
告白すると、
『メメント・モリ』(死を想え)
という言葉が心に響くようになったのは、ここ1,2年の話である。
僕は死を倦み嫌い隠す社会の胎内に揺られ生きてきた。
死は僕にとってニュースの1つにすぎなかった。
そんなヤツには『死を想う』よりも大切なことがある気がしていたのだ。
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きっかけは、父親の死だった。
それは決してドラマチックなものではなかった。
彼は癌を患い、ホスピスに入り、重力から解放されるように痩せ細り、静かに逝った。
この親の死という出来事を考えたとき、それは決して特別で特異なものでないことに気 付いた。
人間という種族に限定する必要もなく、今と昔も考える必要がなく、それは塵の数ほど あり、悠久の時の中で常に繰り返してきたものだと。
僕の知る限り、地球上の生物全てが共通して繰り返していることなのだと。
そう想うと、自分が地球というシステムの一部である人間という種の1つを運んでいるの
だということがはじめて実感として認識できたのである。
「必ず死というものが訪れ、それを尻目に新たな生が生まれる」ということ、その連鎖
の一旦を自分がになっていることを。
それが『死を想う』発端だった。
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今では、ただ『死を想う』ということがゴールではないと思っている。
『死を想う』ということはとりもなおさず、『生を想う』ことに等しいのだと。
10年後、さらに死に近付いた僕はどのように『死を想って』いるのだろうか。
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『ニンゲンは犬に喰われるほど自由だ』
このイメージを咀嚼したことがあって死ぬのと、したことがなく死ぬのは従容として、それ を受け入れられるかどうかの1つの分岐点になるといってもおおげさではないだろう。
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−関連図書−
『全東洋街道』 藤原新也 著
『鉄輪』 藤原新也 著
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