『王の闇』 沢木耕太郎著(『王の闇』収録『コホーネス<肝っ玉 >』より)

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輪島功一を知っていますか?

芸能人ではない、ボクサー輪島功一を知っていますか?

僕はこれほどまでに闘うことに憑かれた男のことを知らない。

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この沢木耕太郎の『王の闇』にはそこらのスポーツジャーナリズムなんてもんじゃなく、 もっと骨太でもっともっと残酷なリアルな現実が存在する。

「王の闇」とは、数多のライバルを倒し、記録に挑み、自分に挑戦し続けて王者にのぼり つめた者に確実にじわりと襲い掛かる闇。
その栄光の頂点の先、どの王者にも必ずおとずれる衰え、新興の勃興、それによる政権交 代、失墜の先の闇のことである。
その栄光の山が高い程、その闇は長く、深い。

頂点を目指すものには頂点の輝きしか見えない。
栄光の光しかみえない。
その頂きの先にあるその影になっている下り坂なんてみえやしないのである。
その影がつくる闇など。。

頂点の栄光を掴んではじめてその闇の存在に気付く。
老いはその身体にずっしりとのしかかり、闇という底なし沼に身体をしずめる。
新興精力を追い払おうとさらに高みに進んでいるつもりでも、
すでにその 闇に足を取られている。

この作品に際立った迫力を与えているのは、その闇の先には決して光は無いという現実な のではないだろうか。
どんなにもがいてもあがいてもうめいても、、その先にまた光なんてない。

この題材を選んだ沢木耕太郎という人はスポーツという闘いの場、非日常の特異の場を通 して人を、人生を考えることに秀でた人だとあらためて思う。
(本人は「人を通して人を綴ることにより自己を確立する」という矛盾に苛まれたと聞い たことがありますが)

普通、この闇につかれた選手には派手な記録は望めない。エキサイティング なスポーツシ ーンなんて皆無である。彼にとってそんなことは二の次、そこでもがく選手達こそリアリ ティがあり、自己を投影できる対象だったのでは ないだろうか。

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輪島功一も例外では無くそんな闇のなかに足をとらわれていた。

ただ、その闇に対する彼の決意、行動が特筆すべきものだった。

普通はその闇にとらわれると、自分のピークはすでにすぎ、体力の限界を悟り、「引退 を決意する。
それはきれいた。 まるで引退試合は晴れやかなイベントのようで、老兵は過去の栄光に 包まれる。
そこには感動があり、愛惜にあふれている。

しかし、輪島はそれを断固拒否する。

『このあいだも、ある人にこう言われたよ。  輪島、引退しろ、チャンピオンのまま引
退するのと負けてから引退するのとでは雲泥の差だ。
ボクシングをやめてからの人生が違ってくるぞ、って。
みじめに負けてからやめたりすると、今までの栄光がすべて消えてしまうぞ、功績がパ
ーになってしまうぞ、って。
俺は考えたね。
何てこいつはつまらないことを言う奴だ。
もしも俺に何らかの功績というものがあったとして、そいつが何で今度負けたら消えて
しまうんだ。
功績というのはいつまでも残るから功績というんじゃないか、たとえど んな惨めな敗北
を喫したってなくならないのが功績じゃないか。
負けて帳消しになるようないい加減な功績なんか、こちらから願い下げだ。』

彼は全てを知りつつ、現実を認識しつつもそれでも闘い続ける。

大敗のあと、寝たきりに近い状態の自分の肉体との
生死にかかわる無謀なカムバックなんて認めない家族との
カムバックを、リングにあがることを許さないジムの会長との
冷笑を投げる世間との
リングで待っている対戦相手との 格闘。

老いてキレのない身体 不様なフットワーク

はたからみれば滑稽で哀れともとれるその姿。

客席からはヤジが飛び交い、罵声と怒声がこだまする。

しかし、彼は客席からはみえるはずもないものと闘っていたのである。

その輪島のラストファイトは案の定散々たるありさまだった。
目を覆いたくなるような不様な試合だった。

なんの見せ場も作れぬまま、彼は破れた。

彼はしかし、それを思い出し「ハッピーエンドだ」と述懐する。

『俺はいつまでやったとしても、ああいう終わり方で終わる俺しか想像できなかった。
メチャメチャ、ボロボロになるまでやりつづけ、堕ちるところまで 堕ちて、そしてやっと ひとつのことをおえられる。
そうでなければどうして納得ができる、どうして後悔せずにおえられるんだ。。。』

彼は憑かれていた。

闘うことに憑かれていた。

しかし、闘う事自体が彼というボクサーの存在意義だったのだ。
闘いおえることがかれの存在意義だったのだ。
闘い続ける事が生きるということに等しかったのだ。

嗚呼、なんとまっとうに勇気をもって生きた人なのだろう。

彼が沢木に語るその目に炎がゆらめいていたのではないだろうか。

その炎は狂気の炎、本人を焼き焦がす炎だ。

敢えてその炎で自分を焼き、すすになるまで全うした輪島功一その人に僕は素直に心から 揺さぶられたのである。

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関連図書

『一瞬の夏』  沢木耕太郎著
『敗れざる者たち』 沢木耕太郎著
『彼らの流儀』 沢木耕太郎著

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Between The Lines 無料購読/購読解除        2005/8/5