『すばらしい新世界』 オルダス・ハクスリー著

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「共有・同一・安定」 を掲げる完全統制社会がハクスリーの描くユートピア、
『すばらしい新世界』である。

そこでは人類は完全人工受精技術により、胎内から解放され培養壜を源とするようになった。
それにより必要な時に必要なだけ大量に人間を生産することが可能になった。

そこでは人類は遺伝子操作や敢えて正常な成長を止めてしまう『ボカノフスキー法』
を駆使することにより、 姿、形、性能別に好きな様に人間を生産することが可能となった。
それによりα、β、γ、εといった階級に先天的にふるいにかけることが可能となった。

そこでは徹底的に条件反射教育や睡眠学習のように管理教育がなされていた。
例えばどの階級にも階級別に『今ではだれもみな幸福なのだ』と
12年間毎夜150回繰りかえし聞かされることによって 階級間の争いはなく、
皆が幸せだった。

個の苦悩、葛藤は国から配給されるドラッグ「ソーマ」を服用することで悩みではなくなった。

例えば『万人は万人のためのもの』と教えられるおかげで、誰かが誰かを過剰に求めたり、
束縛することなどあり得ぬこと で、もはや、親子、夫婦などという概念は滑稽であり、 みだらな響きさえ持つようになった。
それにより「フリーセックス」が基本となり、
彼らは皆、レジャーランドでアトラクションを選ぶように、
その日のセックスの 相手を選べるようになった。


住人は皆、不満なんてなく、幸せそのもののように映る。

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この古典ユートピア小説が提示する社会、
それは現代我々が住まう社会とくらべるとあまりにかけ離れている。

確かにこのユートピアはすでに生殖本能も奪われた、
進化の道からははずれてしまった生物の集団と言えるかも 知れない。
つまり、滅びゆく人類の未来像と、デストピアとらえることだって可能だ。

しかし、その文明を我々の尺度で測り、批判すること、
それだけがこの小説の価値だというのは あまりに独善的であるといえないだろうか?

1932年出版当時なら社会を風刺する近未来小説というだけでもセンセーショナルであり、
価値があったかも知れない。
しかし、時代、国を隔てた現代の日本で 我々がこの本を手に取ること、
そこには他の新たな意味が見出せるのではないだろうか?



その意味とは、人は自分の属する社会から、
その影響下からそう簡単に抜け出す事などできない、ということである。



このユートピアを、そこに住む管理され飼いならされているような人間を見た時、
仮に、
「人間の尊厳が失われている」
とか
「なんてつまらない世界だ」
と断じたとしよう。

それらは自分の属する社会をベースにした反射的な反応でしかないのではないだろうか?
それは、実は、我々が属している現代社会においての常識から逸脱しているからであって、 必ずしも永遠の真理から外れているとはいえない。
それは、作中、野蛮人ジョンと、
「すばらしい新世界」の統治者ムスタファ・モンドとの討論において、
モンドの言の中にも納得するところがあるにもかかわらず、
現代の思想に近いジョンに肩入れしたいと感じるところからもわかる。

他の文明
他の文化
それを反射的に否定する、
もしくは、違和感を、不快感を抱くということは、
属する社会から抜けだせないことを暗に意味するのだ。

知らず知らずのうちに我々も、自分達の属する社会の価値観に縛られているのである。

だが、それが人間の限界かもしれない。

その社会の善し悪しを個が推し量ることなど出来ないのだ。
それを可能にするには個の寿命はあまりにも短すぎるのだ。

この小説は普通は機械文明の風刺、アンチテーゼとして扱われることが多い。

確かに、その意味でも重要な作品である。
しかし、僕には個の限界、社会の限界、個と社会について考えさせてくれる小説でもあるのだ。

 

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関連書籍

『1984年』 ジョージ・オーウェル著

『華氏四五一度』 レイ・ブラッドベリ著

『ガタカ』 アンドリュー・ニコル 監督

 

 

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2005/8/19