『夜の果てへの旅』 セリーヌ 著

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1932年 この『夜の果てへの旅』をもって、全世界の欺瞞を呪詛し、その
破格かつ過激な存在感によってフランス文学に凛然たる輝きを与えたセリーヌ。

若きサルトルを狂喜させ、トロツキーを「泣き笑い」させたセリーヌ。

その輝きは「戦犯」「国賊」との揶揄されるように妖しいものであった。
「蛆虫」や「糞」に彩られた妖星だったのだ。

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この自伝的小説の主人公フェルディナン・バルダミュは希望なき旅を続ける。

その旅は第一次大戦の戦場から精神病院、そして、植民地アフリカ、一転して
アメリカ、そして、故国フランスへ。。

彼はその中で、個を抹殺せんとする社会と出会う。
「国のため」と、何万もの人の殺害を奨励する戦争。
その戦場で、その銃後で、彼は、自分が死ぬこと、敵を、他人を殺すというこ
とがどういうことかという想像なしに戦争に耄ける人々に唾を吐きかける。
親、恋人。そんな身近な相手でさえ、彼に戦争を強要する。彼の死も止む無しと。

そんな社会を倦み、彼は独り、なにも持たず、あてもなく、よりどころもなく
世界を転々と旅をする。

それは文字通り転落の旅だった。

彼の生きる時代は特に、マイノリティは貧民をあわらし、アナーキストとして
迫害されたのである。

まったく浮上の見通しなどなく、逆に、悪くなる一方な旅路。

僕はこんなお先真っ暗な旅を知らない。

旅にははじまりがあり終わりがあるのが普通だ。
出発地があり目的地があるのが普通だ
彼の旅にはそんなものは一切ない。

自分探しの旅なんてあまっちょろいわけもない。
ある程度の自己満足の後に帰る場所なんて用意されてなんかいない。

逃亡の旅とも違う。
追ってがいるわけでもない。そんな具体的な敵がいるわけではないのだ。

流浪の旅でもない。
ただの流浪だったらとうの昔にどこか成れの果てに辿りついている。
それに人生を人間を嫌悪したりはしない。

その道程を追っていくにつれ、恐ろしい事件を目の当たりにするわけでもない
のに僕は恐怖を感じた。

例えば、全く見たことのない新大陸アメリカ ニューヨークで 彼はもう
何故自分がそこにいるのかなんて説明できない状況になっている。
自分の根っ子をフランスに置いてきたのではないのだ。
自分の根っ子なんて踏み付け、掘り出し捨ててきているのだ。
もうアイデンティティなんてものは持ち合わせていない。
唯一彼を証明するとするなら、そのちっぽけな汚れ、疲れ切った彼がそこに
いるということだけなのである。
唯一彼の持ち得る武器はその呪詛の言葉でしかなかったのだ。

それは現在日本に国籍を持っている、それが前提で成立っている自分から
想像するにそら恐ろしい状態だったのである。

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この作品は人生、人間に対する嫌悪をあらわす書である。
それ以上でもそれ以下でもない。

絶望ですらなく
反逆なんてものでもないのである。

絶望であれば旅をする必要もない。
その嫌悪する人生からさっさと自ら退場してしまえばいい話なのだから。

反逆とは、嫌悪すべき人の世をなんとか改善したい、という欲求である。
そんな一縷の希望なんてないのである。

絶望もなく、希望もない。

そんなフェルディナンの生きざまにその旅路に、
僕らは刃物の切っ先を突き付けられている気分に陥る。
僕らの夢やら愛やらを暴かれる恐怖にさらされるのだ。

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まだ社会に組み込まれたという自覚のない学生自分に
そして社会に組み込まれ毎日を懸命に生きている若者時代に
なお、社会での役目を終えた後、年老いてから
読むべきと、自分のなかで決めた、そんな作品。
*この著者の作品は本国では発禁になっているものも多い。
 だから、本国版はなく、日本語版は存在する作品があり、複雑な
 心境になる。。

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関連書籍

『なしくずしの死』 セリーヌ著
『黒い文学館』 生田耕作著
『虫けらどもをひねりつぶせ』 セリーヌ著

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2005/11/13