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この本は構造主義を掲げるフランスの人類学者 レヴィ=ストロースの
南米へのフィールドワークを記述した紀行文だ。
と書くと単なる専門書、学術書という扱いをされてしまいがちだ。
表向きは「フィールドワークを記述した紀行文」である、が、
実はポイントはそのフィールドワークの内容だけではない。
確かに人類学など全く縁のない自分でさえ、特徴あるインディオの各種族の 生活、
文化は面白くさえある。
キメの細かく高度な構造を遇した カデュヴェオ / ボロロ
まったく素朴な ナンビクワラ
さらに小さい集団の トウピ=カワヒブ
というように一概に野蛮人といっても様々なのだから。
しかし、本当に本書が僕を惹き付けて止まないのは、彼、ストロースの思想思索であり、
なおかつ、学者とは思えぬ隠喩、換喩を巧みに用いた美しいレトリックなのである。
前者は彼の思いはこれから本書を何度も読むことを予感させ
後者は彼の言葉遣いは読中、その甘美さに酔い、読み終えたくないという、
いつまでも味わっていたいという、欲望をもたらすものである。
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「私は旅や探検家が嫌いだ。
それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている。」
という一文からはじまるこの旅は、その時、その瞬間から読者に釘をうち、宣言するのだ。
決して野蛮人という見せ物を捕まえに未開の地にいくのではない
決して我々にとってはあたりまえなこと、例えば服を着る、
もできない人々という嘲る対象を 提示するための旅行ではない
と。
では、自宅から数千キロも離れた南米まで
なぜわざわざ得体の知れない未開の地の野蛮人の ところまで赴くのか。
それは、
人類というものを、
自分の社会から一番隔たりのある社会を
みつめることにより 知ろうという試みであったと思われる。
人間はへたをすると、自分の属する社会の価値観が唯一のものだと思ってしまう。
作中の言葉でいうと 「人類はいまや、本式に単一栽培を開始しようとしている」のである。
どの社会も完璧ではない。
優れたところもあれば、瑕もある。
その様々な要素を、よいところもわるいところも、を知ることが、
我々人類の可能性の幅を ひろげることになる、それをその答を探す旅だったのである。
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作中、著者の陰鬱な悲観的な思索をやわらげているのが、その美しいレトリックである。
たとえば、
午後三時ごろ、
雷鳴が鳴り、空が暗くなって、 雨が空の半分を垂直な障壁で隠してしまった。
やって来るだろうか?
壁は縞になり、解れて糸屑のようになり、反対側には黄金色の、
次いで洗い晒した青色の微かな光が現れた。
地平線の中央部だけが、まだ雨に塞がれている。
しかし、雲は溶け、その平らな広がりは右からも左からも縮まってゆき、
とうとう消えてしまった。
後にあるのは、
青と白の地に重ねられた青黒い塊りから成る、組み合わされた空だけだ。
といった具合である。
上記のように南米の大地を表現するにあたり、
著者は慣れ親しんでいる絵画や彫刻、音楽 等の芸術を喩えににだすことも頻繁で、
ただの堅物の学者連とは違うことをほのめかして いる。
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著者 レヴィ=ストロースは最初にも書いたが構造主義の旗手として、
当時実存主義を 打ち出していたサルトルと時に敵意とともに議論を激しくしていた。
ただ、半ば単なる感情的な口喧嘩にも似た風采を帯び始めた感もあり、
松浦正剛が大胆にも本書を
「構造主義の全体と『悲しき熱帯』のどちらを取るかといわれれば、
ぼくは後者の一冊を選びたい。
唯一無比とはいわないが、そのくらいかけがえのない一冊なのである。」
と表したとしても言い過ぎではないのかもしれない。
確かに、本当にそれほどの価値があり、
美しい作品であることに異論などありようがない、 そんな作品なのです。
p.s.
あえて引用は避けましたが、本書の最後のページそのまま全てが美しい。
読み終え読後感に浸りたい、そんな気持ちと
何度も咀嚼して味わいたい、読んでいたいという気持ちの狭間で悩んでしまうほどです。
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関連書籍
野生の思考 レヴィ=ストロース 著
レヴィ=ストロース―構造 渡辺公三 著
ブラジルの記憶―「悲しき熱帯」は今 川田順造 著
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2005/11/28