苔のむすまで 杉本博司著
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現在ニューヨーク在中の現代美術作家 杉本博司さんの評論集です。
昨年 森美術館にて回顧展「時間の終わり」
を開催し、
雑誌『BRUTUS』にも特集を組まれことで最近露出度が多いので
御存じな方も多いのではないでしょうか。
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内容は 今はなきワールド・トレード・センターからはじまり
骨董や悲劇の天皇 崇徳院、はたまた、ヘンリー八世にいたり、
マルセル・デュシャンにまで飛び火をするという幅広いものである。
一読目はそのジャンルの振れの心地よい振幅に揺られる様にして
読むと 気付くと読み終えている。
ただ、若干散漫だという気もする。
そこで、今度は著者の作品を見つつ、
核心的な言葉を拾いながら読んでいくと
彼が写真という虚像で表現するアーティストであることに気付かされるのである。
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例えば著者は シャッターについて考え、人生をこう語る。
「刻々と変化していく現実、
とらえどころなく流れていく時間、
に対して毅然とした態度で時間に線を引き、見るものを決定する。
漠然と存在していた実像としての現実は、
この事によってはっきりした方向性と意味を与えられた
虚像としてフィルムに定着する」
「シャッターを持たない人間の眼は必然的に長時間露光となる。
母体から産まれ落ちて、はじめて眼を開いた時に露光は始まり、
臨終の床で目を閉じるまでが、
人間の眼の一回の露光時間である。
網膜上に倒立しながら一生を通じて映し出される虚ろな像をたよりに、
人間は世界と自分の距離を測り続けるのだろう。」
時を止めることによって時の実体を実感し、
漠然とした現実を意味を付した虚像で表現することによって人生をあらわにする。
人生という一枚の写真は、それこそ、氏の手掛けた作品『劇場』のように、
数多の光や、光の屈折の集合体であるのだろう。
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そんな風に、一連の文章を杉本博司を意識して読んでみると、
その広範な文章達が、すべて、氏のアウトプットの一形態なのだと合点がいく。
本流のアウトプットである作品の単なる説明文ではない、
根っこの部分を 吐き出している、
この文章も心情をのせた作品なのだと、それに気付くのである。
遊びをせんとや生まれけむ、
戯れせんとや生まれけん、
遊ぶ子供の聲聞けば、
割れ身さへこそ動がるれ 梁塵秘抄
この歌を創造に携わる者の原点とし、
たとえ芸術が「なにも解決」せず、
「超越するだけ」だとしても
「人が神を信じるように私は芸術を信じる」
と言ったアンドレ・マルローの言葉にはげまされた
という氏の念いをのせたこの文章群を読んでいると、
言葉も捨てたものではないのだと、あらためて思うのです。
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関連図書
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2006/2/5