音の静寂静寂の音 高橋悠治 著
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若い音楽家たちとなら
いっしょに音楽することができると思ったのも
幻想に過ぎなかった
若いのは外見だけでほとんどは
いまなおヨーロッパの規範に追随して技術をみがき
洗練されたうつろな響を
特殊奏法やめずらしい音色や道化芝居でかざりたてて
利益と地位だけが目当てのものたちばかりだった
いまコンサート会場に音楽はない
きそいあう技術や書法や確信にみちた態度
持てるものがもっと持ちたいという欲望
そのための神経症的努力
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音楽家 高橋悠治の文章はまるで詩のようだ。
その言葉の独特の調子には 差別や排除を忌み、
権威化した音楽、その閉塞を嫌う姿勢が 織り込まれている。
その真摯な姿勢は読み手に緊張感をいやでも与えることとなる。
しかし、その姿勢は裏をかえせば、
彼が求める音楽、人と音楽と、世界と音楽との営みを 彼が求める世界をとりまく音と、
人間との共鳴を 欲する希望のあらわれなのである。
僕は彼の文章を読み、 自分の感覚が弛緩していることに気付いた。
それは、ある時から、気付いたら弛緩していたというのではない。
生まれてこのかた、ずっと、ずっと、
今にいたるまで 張ったことのない感覚への気付きだった。
音に関する無関心さ。
音をカンジタことのない無感覚さへの気付き。
これは世代や現代の風潮がそうさせた、ということも 言えるかもしれないが、
高橋悠治という現代の音楽家が 発見していた気付きと無関係に生きていた
自分のアンテナの低さが 原因と考えるほうが妥当であろう。
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本書を読み、また、見えないもの、感じることができなかったもの がわかった気がする。
だが、それはどんな意味をもつのだろう。
それらははからずも、自分が生きるこの社会の欠点を示すこととなった。
誰かを否定しなければ、痛みをともなわなくては、
それらを真に 得ることはできないのだろうか。
高橋悠治自身もこう書いている。
身体の根拠を欠いた思想は、無知そのものだ。
感覚や論理でとらえた世界は、部分像以上のものではない。
こうして手をうごかしながら一つ音を知ること、
それは部分的な知識ではない。
身体の内側から世界を観ているときは、
そこに見えているのが、世界のすべてでなくてなくてなんだろう 。
そこには内も外もなく、観ているものさえもいない。
だが、そこから眼をそらさずに観つづけることは、
生活のなかでは、ほとんどできない。
そう、「ほとんどできない」のかも知れない。
僕はまだ、その可能性の少なさを実感できていない。
まずは、その可能性が見えるまで研ぎすませ、
生きていくことから はじめてみようと思う。
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関連書籍、他
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たたかう音楽 高橋悠治 著
ATAK006 高橋悠治 演奏
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2006/2/19