さもなくば喪服を ラリー・コリンズ/ ドミニク・ラピエール 著
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ヘレス映画館は、パルマ・デル・リオの中心街にある。
ネオンサインではなく、手書きの看板が町の中心の広場
を見下ろしている。
1950年冬のある夜、映画館にあふれんばかりにつめか
けた人々の目の前のスクリーンに、映画がうつし出され
た。それはアンダルシアの民間伝承にの中にしっかりと
刻み込まれた伝説だった。
それは、闘牛士の道を歩むことによって貧困から脱し
、 勇気を示すことによって飢えから逃れた、ある貧乏な
少年の物語だった。
当然その場で十四歳になる乱髪の少年マロノ・ベニテスもうっとり
魅入っていた。
スペイン内戦の傷跡も癒えるどころか傷が膿み腐敗するような生 活。
誰もがばらばらで明日の食べ物のことどころか今日の食事にもあり
つけぬような日々。
一方では大地主は依然存在し貧富の差は埋まることはない社会情勢
で唯一、階級を分け隔てなく全ての人々に愛されたもの。
それが闘牛だったのである。
牛の角の前で示される勇気こそ、厳密に作りあげられたスペイン社
会の門戸を開く最高の鍵だったのである。
そして、このヘレス映画館で皆を夢中にさせた映画のように、僕達
は本書を通してその追体験をすることとなる。
マロノ・ベニテス、後にスペインの象徴とも称された、
闘牛士 エル・コルドベスの物語りを読むことによって。
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本書は闘牛士 エル・コルドベスの半生を描いたノンフィクション
である。
たしかに、闘牛というテーマのみで読んでみても興味深い。
闘牛の形式や、闘牛用の牛として望ましい資質について書かれてあ
るところは新鮮で、
観客は闘牛士の勇敢さに席を立ち喝采を浴びせるのはもちろん、
闘牛がながびけばながびくほど、闘牛士の不安や恐怖を共有すると
いう側面がリアルだった。
ただ、本書の魅力はそれだけではない。 エル・コルドベスがスペイ
ンの象徴と呼ばれるのにはわけがあるのである。
彼の半生はその当時のスペインを表すのにふさわしいものであった
し、逆にその社会情勢下で必然的に生まれた存在でもあったのだ。
彼の生い立ちには必然的にスペインの内戦の影があり、その気性に
はアンダルシアの灼熱の太陽が影響していた。
そして、 そのアンダルシアの太陽は貧困を産み出したし、
その貧困は彼のような闘牛士の登場を必要としていたのだ。
彼が姉のアンヘリータに語った台詞
「泣かないでおくれ、アンヘリータ、 今夜は家を買ってあげるよ、
さもなければ喪服をね」
これはきざな台詞なんてものではなく、
自分の名前も書くことができなマロノの決意が込められている。
比喩ではなくリアルな現実なのである。
本書を読み進んでいくにつれ、
次第に本書のタイトルのかっこ良さ が身に沁みてくるのです。
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本書の共著であるラリー・コリンズとドミニク・ラピエールは
ナチス占領下のパリの命運を描いたノンフィクション
『パリは燃えているか?』を世に送りだしたノンフィクション
ライターである。
本書、ラストでもその慧眼を見せることを忘れたりはしない。
エル・コルドベスが闘牛のイメージを通俗化したという
評論家の言葉は、多分正しい。
だが、エル・コルドベスが闘牛場の砂の上にもたらした
通俗化の息吹きは、スペイン全土を吹きまくっている大
風の先触れでしかないのである。
おそらくそれは悲しいことではあろう、が、それはまた
さけられないことでもあるのだ。
カスタネットの音や、フラメンコや、散歩など、ヘミン
グウェイやモンテルランの愛した気高くロマンティシズ
ムにみちあふれたスペインは、押し寄せるもう一つの文
明の大波の前に徐々に消え去りつつある。
新しい文明とは、ネオンサインや、合成樹脂のテーブル
や安価な住宅や、月賦販売や、規格の文明だ。だがそれ
は、より多くの人々に満腹をもたらし、長いこと運命に
みはなされていた人々を夢と希望に目ぜめさせる文明で
もあるのだ。
と語る。 その言葉は単なる闘牛の観客の言ではない。
そこに本書の重厚さがあるのだ。
エル・コルドベスその人の記述だけでなく、まわりの人々、
それをとりまく社会をあぶりだす構成も見事。
後者の文明に属する我々が感じ得るのは、 エル・コルドベスの勇気と、
その僕らが直には知り得ない文化への 追憶でしかないのであろう。
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関連書籍
砂の上の黒い太陽―「闘牛」アンソロジー 林 栄美子 編集
(コクトーやヘミングウェイ等の闘牛に魅せられた言葉達)
誰がために鐘は鳴る (上巻) ア−ネスト・ヘミングウェイ 著
(スペイン内戦下に咲いた恋を描く)
カタロニア賛歌 ジョージ・オーウェル 著
(内戦下のスペイン市民を描いたルポタージュ)
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2006/3/5