うつ と 躁鬱
うつも躁
「目に見えるものは失われる」
「目に見えないものは失われない」
という普遍的真理に関わっています。
1.うつ
皆さんは恐らく、
「気分の落ち込み」のことだと思っておられるでしょう。
アメリカ精神医学会発行の診断マニュアルに採用されている
「気分障害」mood disorderという病名にも表れているように、
少なからぬ精神科医もそう考えていると思います。そして、
気分の落ち込みを示す人々に様々なお薬を
試してみることになります。
気分というものは非常に単純なもので、
食べ物や雰囲気によって変わることもありますし、
何よりも元々波のあるものです。ですから、薬をのんで
気分が良くなったとしても不思議はありません。そして、
もしそうなれば通常「治った」ということになります。
しかし、それは実は間違いです!
「気分の落ち込み」そのものではありません。
「気分の落ち込み」自体は、大切な人や物を失った時の
自然な反応です。 問題はそのような「気分の落ち込み」ではなく、
その自然な「気分の落ち込み」を「あってはならない異常な事」と
見なすことです。では、どうして「気分の落ち込み」を
「あってはならない異常な事」と見なして
しまうのでしょうか?
精神分析の創始者フロイトFreud,S.は、
通常の悲哀とメランコリィ=
通常の悲哀が大切な人や物を失った時に見られるのに対して、
という鋭い観察を残していますが、それは、そこで失われた
(と信じられている)のは「自分の一部」ではなく
「自分そのもの」だからです。
「自分そのもの」が失われているということは、
心理的には「死に等しい事」で、到底「自然な事」とは思えないでしょう。
こうなるのには、
互いに関連し合っている
三つほどの道があるようです。
一つは、周囲の人や物との関係が
原体験的な融合合一的である場合です。この場合、
その対象(一心同体となっている人や物)を失うことが、
ごく自然に「自分自身を失った」ということになります。
もう一つの道は、
訳(わけ)あって落ち込んでいるのに、
その「訳(わけ)」が読み取れず、結果として生じた
苦痛な「気分の落ち込み」のみが直ちに、原心性の
「ネガティヴ即異常即忌避排除」という特性に従って
「あってはならない異常な事」とされてしまうのです。
その「あってはならない異常な事」が
すぐに取れてくれないと、
今度は
そういう体験をしている
自分自身がダメになったと思えてきます。
そして「本来の自分が失われてしまった」
という発想に至ります。
第三の道は、
「主体としての自分」が
未形成であるか、十分に働いていない
場合です。この場合、自分の中に「生き生きとした自分」を
感じることができません。そのことが空虚感や不安をもたらします。
いずれにせよ
「これが自分だ」と納得することができる
自分がいない(または、そういう自分と出会えなかった)
ということがベースにあるわけです。
2.「躁鬱病」
「うつ」と並んで
「そううつ」という言葉も
日常使われる語彙の中に既に
入っているでしょう。
要は、
気分がハイになって
とても気が大きくなり、傍若無人な振る舞いをしたり
法外な浪費をしてしまうのが「
「
これも
「気分障害」mood disorderと
されていますが、誤解を招く表現だと思います。
ここでも問題は「気分の変動」そのものにあるのではなく、
それに振り回され支配されてしまうことにこそあります。
そして、それにもそれなりの理由が有るものです。
それには、以下のようなものが考えられます。
| *調子や気分の良い状態のみを「本来の自分だ!」と思っている (勿論これは幻想です)。或は、絶好調の状態のみを愛している。 *調子や気分が落ちてくると、その事実を 一時的な事として 受け止められない。前後のつながりが考えられず、 その時の状態が全てとなってしまう。 *しばしば金銭や容姿など目に見えるものが価値の全てであり、 それらを自分の拠り所としている。 |
これらの
準備状態が在ると、
加齢による体力や容姿の衰え、
あるいは経済的失敗などによって
「本来の自分」が失われてしまったと感じ、
更にはそう思い込み、通常よりもはるかに極端に
落ち込むことになります。
逆に、
調子が良くなると、
その状態を無理に維持しようとして
マイナス要素を否認し、気が大きくなっていって
ブレーキが掛けられなくなり、ひどく多弁で快活な上に
法外な買物をし続けたりもします。更には、
ブレーキを掛けようとする周囲に対して
強く抵抗し、攻撃的ともなります。
そしてまた、
調子が落ちてくると我に返り、
「絶好調」の時にしてしまった種々の行為
(浪費や暴言など)に対して自責の念に駆られ、
ますます落ち込みます。
そしてまた、
その落ち込みに耐え切れず、
反動的にハイになり…という悪循環を
繰り返すことになってしまうのです。


