幻想と喪失と悲哀
幻想と喪失と悲哀を語ることは
こころの成長/成熟を
語ることです。

 1) 幻想の起源と性質

  
@ 幻想は原体験に由来している
 幻想は原体験の後継者です。それは「何でも思うようになる」と思っています。「不如意」という言葉は幻想の辞書には無いのです。当初は全く受動的なこれが、もう少し能動的に「自分は何でも思うようにできる」という思いに変化すると、典型的な「自己愛的万能幻想」となります。

  
A 幻想の天敵は現実である
 言うまでもなく、現実は不如意なものです。人は様々な現実と出会い、その現実を受け容れることで、幻想を「幻想だった」と(わきま)るようになります。しかし、その過程は決して楽しいものではなく、むしろ苦痛に満ちたものです。そこでしばしば、現実の方を拒絶し否認する、ということも起こります。また、そのような現実に(さら)されている自分自身を攻撃し消してしまおうという動きも生じます。

 2) 幻想の喪失と幻想への気づき

  @ 対象喪失(object loss)と喪の作業(mourning work)
 身内や親友など、非常に関わりの深かった人物を失うことを、
精神分析では特に「対象喪失」と呼んでいます。非常に関わりの深かった人物との間には通常、愛憎入り混じった強い情緒的繋がりが存在し、そうであればあるほど相手と自分は一心同体に近くなっています。つまり、私達の言い方で言えば「原体験な合一化」が生じ、その中で幻想が活動しているのです。従って、対象喪失もまた、幻想を「幻想だった」と弁えることを要求してきます。
 我国のミスター精神分析(?)故小此木啓吾は著書『対象喪失』(中公新書,1979)の中で、対象喪失はその時だけの出来事ではなく、長く続く(もしかすると一生続く)プロセスであることを強調し、
エンジェルAngel,G.という精神分析学者の次のようなお話を紹介しています(53頁)。即ち、対象喪失は常に、

 a)既に対象喪失が現実に起こっているにもかかわらず、心の中では対象を手放そうとしない心の部分(
giving_up-part即ち「諦めつつあるがまだ諦めきってはいない部分」、小此木訳では「対象を失っていく部分」)と、

 b)「対象の喪失はもはや動かし難い現実」と諦め、この現実を受け容れてしまった心の部分(
given_up-part即ち「諦めてしまった部分」、小此木訳では「対象を失った部分」)

 という二つの心の部分の複合体complexで成り立っている、と言うのです。言われてみれば「まさにそうだ」と腑に落ちるお話で、
このHPでの言い方をすれば、「諦めつつあるがまだ諦めきっていない部分」原体験心性に支配された部分(「心の鎧-心無い対象」)で、「諦めてしまった部分」「自我-超自我」の部分だということになるでしょう。

 A 「幻想への気づき」と「悲しむ能力」
 対象喪失に続く「悲哀の過程」は、実は対象喪失に固有のものではなく、次に見るように、「幻想への気づき」に於いて共通に見られる人間にほぼ普遍的なプロセスです。逆に言えば、「悲しむこと」「幻想への気づき」(もたら)極めて重要な能力なのです。

 3) 悲哀の過程/喪の作業→「異常であって欲しい状況」における「正常な反応」
 スイスのテューリヒ出身で、ユングJung,C.G.から最も影響を受けたと言う合州国の精神科医エリザベス・キュブラー=ロスKübler-Ross,E.は、多くの末期癌と告知された患者さん達とインタヴューする中で、自分の死という、「自己愛的万能幻想」にとって最悪とも思われる痛手を被った人々に、概ね共通した次のようなプロセスを見出しています(
⇒参考図書;括弧内は筆者による加筆。尚、これらのプロセスは決して直線的に進むものではなく、行きつ戻りつしながら進行するものですし、途中で頓挫することもあり得ることは、キュブラー=ロス女史も強調しています)。

    ショック(マヒ状態):思いがけない現実に
                   茫然自失してしまう段階です。

    →否認(現実への没頭):その思いがけない現実を見ようとせず、
                      別の事柄に没頭したりします。

     →怒り:ある程度現実を認めますが納得はできず、
           その現実に対して怒りが湧いてきます。

      →取引:その現実にさまざまな意味づけを行って
             自分を納得させようとします。

       →抑鬱:結局はどうにもならないことを悟り、
              打ちひしがれます。

        →受容(再起):どうにもならない現実を受け容れ、
                    その中で生きて行く気持ちになります。


 そして、受け容れ難い現実は「悪夢」等で繰り返し想起されながら「消化」されて行くようです。
 これらのプロセスは、イギリスの
クライン派精神分析の概念で述べれば、現実の否認と苦痛な体験の活発な分裂排除を特徴とする
妄想-分裂ポジションparanoid-schizoid positionから、分裂排除の幻想性に気づき現実を受容する抑鬱ポジションdepressive positionへの移行、ということになっているでしょう。
 以上のようなプロセスは、
の本質に根差した自然な流れに従っており、経過を早めたり、苦痛を軽減したりすることは難しいようです。()て言えば、そのような心の痛みを理解し共有しようとして傍に居てくれる誰かの存在のみが恐らくは、この心の痛みを軽減し得るのでしょう。


          

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