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第]章 不安、神経症、心因反応、心的外傷
このページでは、かつて
「神経症(ノイローゼ)」neurosis(英語)Neurose(独語)
と呼ばれていた病態の主要部分と、
心因反応 psychogenic reaction及び心的外傷(psychic)trauma
にまつわる諸知見を不十分ながら
まとめています。
 このページの内容
「不安」について
 T.不安&不安神経症
 U.自律神経失調症
身体表現性障害
心因反応とPTSD

 [補足]フロイト晩年のトラウマ論
 T.拘禁反応研究史
 U.拘禁反応まとめ
 V.強制収容所
 W.ベトナム戦争神経症
 X.大災害
 Y.ストレス障害
 Z.複雑PTSD
 [.PTSDの脳科学
 \.「統合失調症」への疑問
「不安」について
自律神経失調症パニック障害出生時外傷

T.不安不安神経症

 お馴染みのフロイトFreud,S.は、『制止・症状・不安』1926という恐ろしく長い論文に於いて、不安に関してかなりつっこんだ議論を展開しています。要約しますと、

@ 不安状態は、出産時の外傷再生である。人間にとっては、出産時の体験最も根源的な不安、即ち「原不安」Urangstである。
 この事は[不安情緒としては全く捉え処が無いが、その根底には興奮の高まりがあり「特定の経路(運動神経支配)による緊張解除」という比較的明瞭な身体感覚(過換気や心悸昂進)を伴う、特殊な不快状態であること]と[不安の感覚と神経支配を相互に固く結びつける生活史的な契機があるものと仮定すること]により推定されるとしています。
 要するに「赤ん坊が誕生時に体験するであろう生理的不快感とそれに触発された過換気や心悸昂進を伴う産声(うぶごえ)こそが不安状態の原型だ」と言うわけです。フロイトのこの説は、パニック発作の様態に関して大変説得力のある主張だと思われます。

 ここでフロイトが指摘しています「過換気や心悸昂進などの比較的明瞭な身体感覚」を司(つかさど)っているのが自律神経のシステムです。
 自律神経というのはその名のとおり、自律的に(即ち、意識する必要なく)自動的に体内の諸々の機能を整える機構の一部です。交感神経のシステム副交感神経のシステムとがあり、前者は主に火急の場合の「闘争‐逃走」反応fight-flight reaction(日本語も英語もきれいに韻を踏んでいます)を支えており、後者は安静時の栄養摂取と同化の際に最も働いています。
 
  交感神経のシステム「闘争‐逃走」反応fight-flight reaction
 副交感神経のシステム栄養摂取と同化

A 不安その時々の発達段階に応じた危険に対する合目的的反応として現れる。
 具体的には次のように考えられています。

 @.出産時原不安(=絶滅不安annihilation anxiety)⇔母体(母胎)からの離別という危険

産声(生理的過程

 A.乳児の不安(=被迫害不安見捨てられ不安)⇔母対象との離別という危険

母を呼ぶ泣き声(対象希求的行為

 B.男根期の不安(=去勢不安)⇔性器との離別という危険

 C.潜伏期の不安⇔超自我の愛情の喪失(=超自我の怒りや処罰)という危険

 D.思春期以降⇔死(または生)という運命力(=超自我の投影)の危険

 上記A〜Dの場合にも、人はしばしば@の原不安の反応を起こしてしまうものです。そしてそれは取りも直さず上記交感神経系の反応であり、出産時の一過性の低酸素状態と筋肉運動に備えた状態になるわけです。筋肉に酸素を多く供給する為に呼吸量は増え(=過呼吸/過換気)心臓の拍出量も増し(動悸/心悸昂進)、結果として息苦しさ胸がバクバクする状態を生じます。

 この「闘争‐逃走」反応は、動物の場合には概ね有用な反応です。しかし人間の場合はどうでしょう。@やAの場合には合目的的なのですが、B〜Dの不安は通常、対人関係の場に於いて生ずる内的な想像上の危険に対するものですから、実際に相手を殴り倒したり走って逃げたりして肉体を直接に解決の為に使うことはまずなく、その為に上記のような交感神経システムの反応は空回りに終わります。
 なお、筆者の臨床経験では、上記のような「闘争-逃走反応」は、睡眠不足や過度の疲労が蓄積している状態で起こり易いようです。勿論、睡眠不足や過労をもたらす状況自体、何か厄介な事態が生じていて不安をもたらすような状況なのでしょうが、睡眠不足や過労そのものも身体にとって危機的な状態と認識され、「闘争-逃走反応」が生ずるのではないかと思われます。

 これらの関係が読めない(洞察できない)と、体の反応だけがとても異常な事態だと感じられ、「死ぬのではないか?!」とまで思われてきます。そうなると不安が更に高まります。そこで、例えば過換気でCO2が出過ぎて末梢血管が収縮したりして手が痺れたり頭がボーッとして来たりして益々不安になる、という悪循環が生ずると「過換気(過呼吸)症候群hyperventilation syndrome或いは「パニック障害panic disorder」と呼ばれる状態となります。また、反動的に副交感神経が過剰に働いて腸の活動が活発になって、腹痛下痢を来たすと「過敏性腸症候群irritable bowel syndrome(過敏性大腸irritable colon)」と呼ばれる状態となります。
 これらに更に、「また同じ事になるのではないか、それは絶対に避けたい」という無理な願望が加わると「予期不安」expectation anxiety, Erwartungsangstと呼ばれる事象が生じ、「不安神経症」anxiety neurosis, Angstneuroseが完成します。

U.自律神経失調症

自律神経失調症”というのは、精神神経科診断病名の中でも恐らくもっともポピュラーなものの一つではないでしょうか。しかし、実は弘文堂の『精神医学事典』にもそのような診断病名は存在しません。DSM-W(アメリカ精神医学会「精神疾患の分類と診断マニュアル」第4改訂版)にもICD-10(国際疾病分類第10改訂版)にも存在しません。これはどういう事でしょうか?(但し、Wikipediaには存在します⇒「自律神経失調症」 また、ICD-10には「身体表現性自律神経機能不全」somatoform autonomic dysfunctionなる診断名は存在し、しかも「身体化障害」somatization disorderと区別してあります。次の「身体表現性障害」somatoform disorderで見ますように、両者の区別は殆ど無意味だと思われます)。
 (うつ)状態をはじめ多くの「精神疾患」の状態は決して安全で安定した状態ではないでしょう。従って、それらの状態に於いては、自律神経システムの上記のような機能は通常、多かれ少なかれ失調を来たしているものです。そこで、諸般の事情から端的に「精神疾患」的病名を記すのがためらわれる場合などは、診断書に「自律神経失調症」と記されるわけです。



身体表現性障害 Somatoform Disorder

 心の病(精神疾患)の分類も
1980年のDSM-V(アメリカ精神医学会の診断分類マニュアル第3版)の登場以来、随分と様変わりしました。この「身体表現性障害」という聞き慣れない病名もそこから来ています。この中には次のようなものが含まれています(一部ICD-10も参照しています)。

  1.身体化障害 Somatization Disorder
 若い頃から絶えず体のあちこちに不調を感じ、いろんな病院で調べてもらっても「原因が分からない」とか「どこも悪くない」と言われ、それでも納得できず更に医者通いを繰り返したり(ドクター・ショッピング)、家に引きこもってしまったりして、生活に支障をきたしている状態です。精神分析学者
フェニケルFenichel,O.器官神経症 organ neurosisと呼んだものと概ね重なっています。前項の「自律神経失調症」と重なるものも多く、症状は消化器(胃や腸)運動器(筋肉や骨格)呼吸循環器(肺や心臓)などあらゆる器官に現れます。過敏性腸症候群 irritable bowel syndrome(過敏性大腸 irritable colon)ある種の膝関節の故障起立性調節障害(立ちくらみ)、DSMでは別の項目になっているパニック障害 panic disorder(過換気症候群 hyperventilation syndrome心臓神経症 cardiac neurosis)などの多くもここに含まれます。近年注目の慢性疲労症候群 chronic fatigue syndromeもその多くは実はここに含まれると筆者は考えています。

  2.
転換性障害 Conversion Disorder
 シビレや麻痺が有るにもかかわらず、それに見合った体の異常は見つからず、生活に支障をきたしている状態です。
ややこしい事に、ICD-10では「運動および感覚の解離性障害」dissociative disorders of movement and sensationとして、「身体表現性障害」とは別の項目に分類されています。

  3.
持続性疼痛障害 Persistent Pain Disorder
 いわゆる心因痛です。ひどい痛みが有るにもかかわらず、それに見合った体の異常は見つからず、生活に支障をきたしている状態です。
最近議論されている
繊維筋痛症 fibromyalgiaも、大半はこれに該当すると筆者は考えています(こんな事を言うと「やっぱり精神科医は…」との謗りを受けるのでしょうが…)

  4.
心気症 Hypochondriasis
 体の小さな異変から自分は重い病気に罹っているのではないかと心配で仕方なくなり、生活に支障をきたしている状態です。


  5.
身体醜形障害 Body Dysmorphic Disorder
 自分の体の外見の問題に過度にこだわって、生活に支障をきたしている状態です


 これらの内の最初の三つ身体化障害転換性障害持続性疼痛障害)は、いずれもの中の悩みや葛藤が「体の異常」という形で表現されたものです。かつて「ヒステリィ」hysteria/Hysterieと呼ばれていたものの一部ですが、ヒステリィという言葉は本来の意味内容(即ち、多彩な身体化症状解離症状)から離れて、単に感情を制御できない女性に対して少々侮蔑的に誤って使われることが多くなったこともあって放棄され、新たに分類し直されました(「ヒステリィ」という命名自体、古来、女性に多く見られたことから、誤って「子宮」hysterikosに由来する病気とされたわけで、間違いに基いたものだったのですが…)。
 誤解されやすいのですが、これらはいずれも仮病(()(びょう))ではありません。仮病(詐病)というのは「本人が意識的に偽(いつわ)ること」であり、それに対してこれらはあくまでも「無意識的メカニズムによるもの」です。(この部分2008.11.22に改訂)
 これらの障害は、次の二つの要因が重なって生じます。

 一つは心と体の区別の難しさです。心というものは直接に具体的にとらえることができないので、実感というものを私達は最初は具体的な体の感覚としてとらえます。私達は困った時に「頭が痛い」と言い、堅苦しい場面では「息が詰まる」、哀れに思う時やうしろめたい時に「胸が痛む」と言います。人に対して「甘い」と言い、昔の思い出を「ほろ苦い」とか「甘酸っぱい」などと言ったりもします。期待に「胸を高鳴らせ」たり嫌悪感で「吐き気がし」たりもします。心と体とは実際に自律神経などを介してつながっていますから、元々は文字通りに「頭が痛く」なったり「胸が痛く」なったり、あるいは「吐き気がし」たりしたのかも知れません。しかしこれらの言葉は、目に見えない心というものが把握できるようになるにつれて、やがてもっぱら心の状態を表すようになって行きます。とは言え、目に見えない心の動きというものを把握することはとても難しいので、しばしば見失われて、体で感じたものだけが認識されることがあるのです。
 更に、身体に実際に若干の不調が生じているであろう場合もあります。多くは外傷の「後遺症」加齢によりますが、そうなると見分けは一層難しくなります。

 もう一つは心の中の葛藤が本人自身の目からも隠されている場合です。こういう現象を「抑圧」とか「解離」と言いますが、そのようにして意識から切り離された思いは器官言語 organ languageというコードを通して「転換」され身体の症状として表現されることがあるのです。例えば、自立をめぐる葛藤から足が麻痺して立てなくなったりします。
 
「ゲシュタルトクライスで有名な医学的人間学の祖フォン・ヴァイツゼッカーvon Weizsäcker,V.は、

     感覚器官と運動の障害 ⇒ 個人と環境に関する葛藤
     皮膚粘膜移行部      ⇒ 個人内部の欲動理性の葛藤
     自律神経領域       ⇒ 存在の根源を脅かす葛藤

をそれぞれ表現すると述べています。

 後の二つ心気症身体醜形障害)も基本は同じですが、大抵は「生きること」への不安が具体的な体の内臓や外見への不安に置き換わっています。醜形障害思春期に多く、心気症中年以降に多いようですが、これは思春期には「性」の受容と社会的自立(自分を男性あるいは女性として受け入れ、一人前にやって行くこと)が、中年期以降には自分の身体的健康が大きなテーマとなるからでしょう。ちなみに、不安がとても強くなるとこれらの「とらわれ」が「確信」となってしまいますが、そうなると「醜形妄想」「心気妄想」と言われることになります。
 以上のようなカラクリは、身体表現性障害に限らず、例えばリストカット等を繰り返す反復的自傷行為、あるいは拒食症過食症といった「摂食障害」でも見られます。

治療と予防
 治療はまずお話をよく聴くことから始まります。できるだけ詳しく聴かせていただきます。そうすると大抵の場合は、身体に実際に病気故障があってそこから来ている症状なのか、それとも身体表現性障害なのかが分かってきます。と言いますのも、身体表現性障害には必ず一つの「ドラマ」があるからです。(それでももし疑問が残れば身体の検査を行うこともできます。)

 ここで重要なのは、身体そのもの認識することもない言葉も発しないということです。「えっ、そんなことないでしょ?不快痛みしんどさ等は身体感じて認識しているでしょ?」と仰る方も居られるかも知れませんが、実際にはそれらを感じて認識しているのは「心」(と言って悪ければ「脳」)です。言葉を発するのも「心」「脳」)です。身体言葉を発しません。身体は「日本語」や「英語」でではなく、あくまでも「画像」や「データ(の数値)」で語るのです。
 確かに、これだけ進んだ現代医学でも、画像やデータでキャッチできない身体疾患が存在しないとは言いきれません。「存在しない」ということは実証不可能です。しかし、もし仮にそのような疾患を持っていたとしても、「実際に存在する不具合は、従来の検査等に引っ掛からないくらい僅かなものだ」ということになるでしょう。それをいわば針小棒大に感じ、更にそれを言葉で訴えているのはやはり「心」「脳」)です。この事に気づくことが、治療上の大きなポイントでしょう。

 話し合いの中でのドラマが見えて来ても、ご本人に見えなくては役に立ちません。相手(治療者)の話に耳を傾け自分を振り返るにはに余裕も必要です。したがって精神安定剤や睡眠導入剤も適宜利用します。そうして、「症状」の中にひそむ悩みや葛藤との関係が見えて来るのを待つのです。
 予防としては自分のの動きといったものを自分でモニターしてみることがお勧めですが、それはなかなか難しい事ではあります。




心因反応

PTSDPost-traumatic Stress Disorder)

―拘禁・戦争・虐待・災害・
統合失調症

  はじめに
 「心因反応」というのは、何らかの困難な事情や状況が実際に存在し、それに対する反応として主に精神病的な混乱を呈することを言います。元々は、その困難な事情や状況が消滅すれば速やかに改善することも、その要件の一つでした。
 また、PTSDは本来、誰の目にも明らかな、通常の人が経験する範囲を超えた、殆ど全ての人に著しい苦痛を与える心的外傷を経験し、それが消失した後に生ずる、主として神経症水準の反応とされていました。
 この事を図式化してみると、次のようになります。

    困難を受け止める力: < 困難の強さ:  心因反応 (精神病症状)

    困難を受け止める力: < 困難の強さ:   PTSD (神経症症状)

 しかし、これから見て行きますように、事はそれほど単純ではないようです。
 ( 以下、文献からの引用は「である」調としています。)


[補足]フロイトFreud,S.晩年のトラウマ(心的外傷)理論

 周知の如く、精神分析の創始者フロイトFreud,S.は当初、全てのヒステリィ幼児期の大人からの性的誘惑[今日で言う「性的虐待」sexual abuse]によるトラウマ(心的外傷)を病原とする、というテーゼを提出していましたが、治療経験を重ねる内に、そのトラウマが必ずしも客観的現実として存在したとは言えない事例が少なくない、という現実に直面し、理論家として深刻な危機に直面します。
 そしてその危機の中からフロイトは、実はそのトラウマは患者の幻想が大きく関与した「心的現実」psychic realityである、ということに気づきエディプス複合などを含む新たな理論的地平を切り拓いたのでした。
 しかし、フロイトは絶筆となった最晩年の著作『人間モーゼと一神教』(1939)に於いて、再びトラウマの問題に立ち返っています。彼はそこで次のように述べています。

神経症の病因として特に重視されているのが、過去に於いて経験していたが忘れられている印象であり、こうしたものを心的外傷(トラウマ)と呼ぶ。(中略)ここで問題になっているのは、誰もが経験するような体験や要求に、尋常ではない異例な反応が示される例である。(中略)これに関連して次の二つの点を指摘しておきたい。第一に、神経症の発病はどこでも、またいつでも、ごく早期の幼児期の印象によって生まれるものだということである。幼児期の早い段階で、1回または数回にわたって非常に強い印象を受けた人物に於いて、その印象が正常な形で処理されなかったことが影響しているのが確実な事例があるからである。その印象を受けていなかったならば、神経症が発病することもなかった、と考えられるのである。
問題なのは、何をトラウマ的なものと定義するかということである。ある経験がトラウマ的な性格を帯びるのは、量的な要因だけによるものであり、全ての事例に於いてその経験の過剰な力によるのだとしよう。(中略)ここには、いわゆる「補足系列」という自在な系列が存在する、と考えることができる。この系列では、二つの要因(経験素質;引用者註)が重なって病因となるのであり、片方が不足した場合には他方が過剰になってそれを補うのである。そして、単純に動機について語り得るのはこの系列の末端に於いてだけであり、一般にはこの二つの系列(経験素質)が共同して働くのである。
神経症の現象(症状)と呼ばれるものは、特定の体験や印象がもたらした結果であり、その為に、こうした体験や印象を「病因となるトラウマ」と呼んでいるのである。

 続けてフロイトは、トラウマについて次の三つの特徴を挙げています。
@生後5歳までの早期の経験―こうしたトラウマは、どれも5歳頃までの幼い時期に受けたものである。2歳から4歳の時期が最も重要である。
A忘却―この「トラウマとなる経験」は、原則として完全に忘れられている。こうした経験喪失は、個々の記憶の残滓、特に「隠蔽記憶」によって明かされる。
B性的で攻撃的な内容―この経験は性的で攻撃的な印象によるものであり、自我の早期の損傷(ナルシシズム的な傷)によるものである。
 更に彼は、重要な事柄を指摘しています。即ち、
トラウマとなるのは、自分の身体に受けた経験であるか、または、多くは見たり聞いたりしたことからくる知覚的な印象である。即ち、実際の経験なのか受けた印象なのである

 近年、乳幼児児童への虐待が珍しくなくなる中で、初期のトラウマ説から後期の幻想(心的現実)説へのフロイトの理論的進化/深化/転向?は、現実の問題に目をつぶり全てを患者の内的幻想に還元する抑圧的な理論への後退であると批判されたりもしていますが、晩年のフロイトはここに抜き書きしましたように、今日のトラウマ理論と比べても全く遜色のない議論を展開していたのでした。

 T.拘禁反応の諸像とその研究史


 拘禁という状況によって生じた心因反応拘禁反応と言い、早くから報告されています。


 1.デルブリュックDelbrück「犯罪者精神病」Verbrecherwahnsinn(1853)

 ◎ 犯行に対する後悔の念と拘禁の苦痛による、深刻で持続的な「感情動揺」(絶望と苦悩、良心の苦痛、司法・警察からの圧力、過去の自由で幸福な生活への憧れ)から妄想形成(犯行の否定、拘留不当の訴え)に至る。

 累犯者よりも初犯者、利欲犯罪者よりも熱情犯罪者の方が高率に発症する。

 ◎ 長期の拘禁に於いて、頭痛・抑鬱気分・不眠・食欲不振・いらいら・幻聴を来たし、更に興奮・躁状態・就労拒否・被害妄想を呈する。

 長く拘束されている苦痛や、希望のない生活による

 拘禁年数とともに自殺者精神異常者の率が上昇する。

 2.グッチGutsch「独房精神病」1862

 独房隔離は、囚人の個性・年令・生活史などの個人的要因を超える「いかなる悲哀や抑鬱にも比較しがたい」強烈な力によって発病を促す。

 ◎ 拘禁による身体衰弱・無力化により、神経過敏・気分易変となり、メランコリィに陥ると共に、幻聴自殺心・興奮・妄想・邪推などの精神病的症状示す。

 独房から工場に移したり社会に釈放すると、殆どのケースはたちまち軽快する。

 3.キルンKirn「急性幻覚精神病」1881

  一種の独房精神病で、初入者や熱情犯罪者に多く、急性幻覚性メランコリィ急性幻覚性妄想症の2亜型に分けられる。

 ◎ 急性幻覚性メランコリィ

 罪を犯した自分を非難し、絶望し、家族の不幸について思い悩む挙句、不眠・食欲不振・頭痛を経て重い鬱状態に至る。非難・叱責・威嚇などの幻聴、亡霊・黒い鳥などの幻視が現れ、自殺企図も生ずる。

 独房から開放して治療すると症状は逆の順序で次第に改善する。

 ◎ 急性幻覚性妄想症

 メランコリィと同じような経過から幻聴に支配されて多くは被害妄想(まれに誇大妄想)を抱く

 4.レッケRaecke「拘禁昏迷」1901

 拘禁された未決囚が昏迷状態に陥り数時間から数カ月続く。

 5.ガンザーGanzer,S.「ヒステリー性朦朧状態」(ガンザー症状群)(1904)
  これは次の4症状から成っている。

  (1) 的外れ応答、幼児的応答

  (2) 意識障害(夢幻様の精神状態)

  (3) 感覚障害(頭痛は必発、皮膚の痛覚消失など)

  (4) 妄覚幻視幻聴


  一度この種の反応性のメカニズムが発動し始めれば、最初の意識的、無意識的意図を越えて病気が進行し、、心因性詐病精神病 psychogene SimulationspsychoseBirnbaum,K.)の状態に達することも稀ではない。

                                                                    (文献1)

 U.拘禁状況における一般的反応

 1.非順応「逃避・ひきこもり」傾向と「攻撃・反抗」傾向

 2.順応「プリゾニゼーション」prisonization(刑務所ぼけ)

 典型的には長期囚の多く、時には短期囚でも模範囚型や意志薄弱・無力型などの者に認められる。「症状」は「アパシー(慢性感情鈍麻)」「受動性」「幼児的退行」であり、生き生きとした感情や個性・自主性・自発性・主体性・創造性が奪われている。

 死刑囚の多くはプリゾニゼーションを免れる。


 これは注目すべき記載です。いつ執行されるか分からない「死刑」という絶対的現実の存在は、(全ての場合ではありませんが)しばしば受刑者をして「実存」としか呼びようのない生の真実にさえ目覚めしめる力を持つようです(だからと言って死刑を肯定してしまうのは少々安易なようにも思うのですが…)。
                                                               
(文献1,2)

 V.強制収容所

 強制収容所においては、拘禁状況の一般的特徴[自由の喪失、集団化と無名化、特殊な人間関係]が極限的な形で実現され、そこでは次のような事態が生じました。


 1.入所時の反応:急性離人症恐怖反応

 境遇の激変がめまぐるしく周囲を通り過ぎて行き、それらの事件が「私とは全く無関係であるように」また「穴からのぞき見でもしているように」感じられる。

 ついで抑留者は身近に迫った死の恐怖を知る。今や注意力は唯一の目的=自己保存だけに集中される。外面的には冷静で落ち着いているように見えても、内面的には強烈な自己保存の欲求が働き、意識は狭窄して他のことは全て忘却される。一方では、情緒の麻痺や本能的感情の減少が、他方では、著しく高められた生命感、倦怠感の欠如、極めて旺盛な食欲といった多幸的気分や捨鉢のユーモアや好奇心といった逆説的急性症状がみられる。
 「異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動である」フランクルFrankl,V.E.


 2.長期収容期間中の反応:無感動と刺激性と存在の根底からの退行

 ここにあるのはまるで死者のような日々、生ける屍の生活である。目的のある生には終わりがあるが、目的も意味も無い生活には終わりもない。この未来喪失こそ抑留者達の救いなのであって、希望はかえって死を招くという逆説的事実がある。

 決して一人になることがないこと、睡眠不足は抑留者達を神経過敏状態に追い込んだ。些細なことで口論が起こり、小児的な興奮が繰り返された。

 飢餓は抑留者達を動物的段階にまで退行させた。正常な社会規範は崩壊し、「飢餓のためのあらゆる種類の堕落」(ミンコフスキーMinkowski,E.)が行われた。一切れのパンと交換に売春が行われ、窃盗、利己主義、他人への思いやりの喪失、無情、法規の無視はここでは正常なこととなった。さらに親衛隊やカポー(抑留者を取り締まるための抑留者、多く犯罪者)に対する幼児的依存が退行を完全なものにする。抑留者達は主人の手の動くままにあやつられる無力な道具と化した。拘禁者の権力は絶大であり、もはや憎悪の対象とすらならない。最も下品な問題―性交や排泄―へ関心が集中された。名前、年齢、住所、職業等は何の意味ももたず、幼児と動物へ、つまり存在の根底からの退行が完成する。


 3.解放直後の反応:一種の離人症とそれに続く比較的長い感情麻痺状態

 「人々はある牧場にやって来た。そして咲き乱れている花を見る。これらのことは知覚としては分かるがまだ感情を伴わない」(フランクルFrankl,V.E.

 離人症に続いて比較的長い感情麻痺状態が続く。これは表情が無く、動きの鈍い、ぼけた状態で、極端な場合には何らの感情表出も見られないもので、特に幼少な収容所生存者に多く見られた。ミンコフスキーMinkowski,E.1948)はこの状態が急性で一時的な情動性の変化ではなく、かなり慢性で永続的な感情性の変化として示されている事実から、収容所拘禁が人格の中核を侵襲する可能性を暗示した。


 4.強制収容所症状群

 強制収容所生存者の示した感情鈍麻無為傾向アパシー等はその後も慢性に経過し、次第に不安抑鬱自律神経異常、悪夢、強迫症状等いわゆる「強制収容所症状群」という神経症様症状を数多く見出すようになった。

 共同社会的孤立マトゥセックMatussek,P.):「私が社会に帰って来た時、誰も強制収容所の実情を知らなかった。皆親切にしてくれたが、私の経て来た過去を知ると言いようのない重苦しい気分があたりに流れ、それが私にはつらく、これらの人々の間にもう住むことができないように思えるのだった」

                                                                    (文献2)

「極めて長い間しかも非常に狭い所での孤立収容を生き抜いた人々の中に、その間全く幻覚を体験したことがなく、自分は孤独で心理学的にも剥奪されているという事実を常に意識していた人々がいますが、彼らは開放された後に、永続的な人格欠損を残しており、しかもそれは非可逆性のようでした。その人格の中になにか鈍さがあり、対人感情において生き生きと豊かに他人に応答することがもはやできないのですが、彼らは元に戻れそうもありません。・・・・・・それと対照的に、孤立収容に際して我々のあらゆる基準に照らしても精神病と言える状態になる人々がいます。つまり、家族に囲まれているという幻覚をもち、しかも単なる空想ではなく真正の幻覚で家族と話もするわけですから。ところが、かれらが孤立収容から解放されるや否や、この幻覚活動がすっかり消え失せてしまうのです。明らかに幻覚をもった人の方がそうでない人よりも欠損が少なくて治りもよいし、現実検討に頑固にしがみついていた人よりも、環境への適応度においてずっとよく回復するようです。

                                                                    (文献3)

 W.ベトナム戦争神経症

 「戦争神経症は、外傷神経症(この場合の「外傷」は身体的戦傷を意味していました)、シェルショック(砲弾ショック)戦闘消耗と同一のもので、戦争のストレスに続発する共通の後天的障害である」(カーディナーKardiner,A.『戦争ストレスと神経症』)と定義されています。

 1.ベトナム体験

 ベトナムでの対ゲリラ戦では恐怖が必ずつきまとい、また東洋人を人間扱いしない習慣が余りにも浸透していた為に大量虐殺はほとんど日常のこととなっていた。それはナチスの死の収容所と何ら変わるところは無かった。権力者にそむいたら直ちに与えられる罰と、権力者に従ったために与えられる報酬は殺人をより一層促進した。

 多くの従軍牧師は、第の戒律「汝、殺す勿れ」を「汝、虐殺する勿れ」に変更して、一連の大量虐殺を正当化しようとした。

 対ゲリラ戦の戦士達は、感情は麻痺し、道徳心も鈍くなり、忍耐力も無くなり、あらゆる人間的現実とかけはなれて、夢遊病者の夢見る無人の国に住んでいるかのごとくであった。このような状況に適応し生き残る為には、兵士達は死の捕虜収容所での気違いじみた現実の中で捕虜が行ったのと同じように、自分の“自我”を根本から変造しなければならなかった。死が(例えば待ち伏せ攻撃の時のように)新たな“現実の問題”となった時、戦闘を妄想的に考えることだけが生き残る唯一の希望となる。かつては他人事と感じていた破壊主義が現実のものとなった時、その人の昔の知覚の世界は“現実の膜”の向こうに消えてしまうかに見える。

 このような適応の仕方を選ぶということは現実を認知する二つの仕方の衝突、即ち認知の不一致をきたす。“現実の膜”は、破れたり穴があいたりしても全く現実が見えなくなってしまったわけではない。内界と外界は調和せず、兵士は戦うことも逃げ出すこともできないということになる。ここに臨床的“症状”が始まり、彼らは精神の病気になる。


 2.ベトナム後症状群(遅延ストレス反応)

 復員後9ヵ月ないし60ヵ月の間に多くの帰還兵は“変化”し始める。彼らはまず最初にアパシー、疎外感、抑鬱、疑惑、自嘲、裏切りの予感、それに集中困難、不眠、落ち着きの無さ、悪夢、根こそぎ感、人間関係やあらゆる状況での忍耐力の無さ等に気がつく。

 破局的な夢、過敏(大きな音に敏感になっている等)、攻撃性があり、時には暴力行為に及ぶこともある。しかし、またその人間は、ある時は極端に優しかったりしゅんとしたりすることが特徴である。それに加えて健忘や記憶障害、心身症も起こる。

 自我機能の萎縮はしばしば分裂病性荒廃に似ているし、また世界は敵の横行する場所だというような恐怖症はしばしば精神病的な迫害妄想と誤って(?)とられてしまう。しばしば彼らは、ほとんど幻覚にも似た強迫的な記憶に苦しむ。

 それらをまとめると、次のようになる。

罪悪感と自己懲罰

他人の罪の身代わりにされたという感情

誰彼の見境無く向けられる怒り

戦闘の残虐化に伴う「精神的鈍麻」

自己疎外と他者からの疎外感

他人を永く愛し、信頼する能力に自信をなくすこと

 「ベトナム後症状群」で我々は、兵士達の終わることのない悲しみ・「悲嘆」に遭遇した。その悲しみの中で、終わりの無い逃げ出すことのできない過去が生存の意味さえ奪い続けているのである。彼らの悲しみは衰えることもなく、またその傷の痛みは語られることなく、そしてその罪は償われることもない。

                                                                    (文献4)

(文献1)福島章「拘禁状況における反応」:現代のエスプリ別冊「現代人の異常性」第2号

(文献2)小木貞孝『死刑囚と無期囚の心理』金剛出版(1974)

(文献3)ミリアム・エルソン編『コフート自己心理学セミナー1』金剛出版(1987)

(文献4)C.R.フィグレー編『ベトナム戦争神経症』岩崎学術出版社(1984)


 X.大災害 catastrophe


  1)不意に襲う巨大な力破滅不安を介して敏感性の過覚醒(「非常警戒態勢」)状態を惹き起こします。


  2)次のような広範囲にわたる喪失は、いずれも多かれ少なかれ人間存在の根底を揺さぶる体験であり、これらが重複するほど(当然の事ながら)「ひとりで」「すぐに」は受け止め難くなります。→「異常な状況」における「正常な反応」

   【死別】
    ・親、配偶者、子との死別

    ・それ以外の身内、知人との死別

   【愛着物の喪失】
    ・馴染みの地、「棲み処(すみか)」の喪失

    ・思い出の品々の喪失

   【経済的喪失】
    ・財産の喪失

    ・収入の喪失
   

  3)喪失に対する反応

   (自分の死子供の重度奇形受容する課程と、大差はありません。)

   ショック(マヒ状態)
     思いがけない現実に茫然自失してしまう段階です。

    →否認(現実への没頭)
       その思いがけない現実を見ようとせず、別の事柄に没頭したりします。

     →怒り
        ある程度現実を認めますが納得はできず、怒りが湧いてきます。

      →取引
         その現実にさまざまな意味づけを行って自分を納得させようとします。

       →抑鬱
          結局はどうにもならないことを悟り、打ちひしがれます。

( うまく行けばこの後受容(再起)」が訪れるのですが、
大災害の場合は次のような病理的事態に移行することもあります。


  4)持続する生活上の困難→慢性的な精神的身体的不快


  5)これら全てが「考えられない、有り得ない」と感じられる

   →「普通ではない、異常な体験」

   →「誰にも理解されない異常な自分」(疎外感,脱落意識

   →遷延する引きこもり、自暴自棄


 Y.ストレス障碍(stress disorders)

 
「ストレス障碍」は、心的外傷を与え得る出来事(traumatic event)に曝(さら)されたことによって生ずる心身の不調を指します。主に上述のような「ベトナム戦争神経症」に至る戦争神経症の研究、及びレイプ等の暴力被害による影響の研究から産み出された概念で、例によってアメリカ精神医学会編の診断マニュアルDSM-Vで登場しました。
 DSM-Wでは、心的外傷を与え得る出来事から4週間以内に発症し発症後4週間までのものを
「急性ストレス反応」ASD(acute stress disorder)発症が6ヶ月以内症状持続が3ヶ月までのものを急性PTSDそれ以上のものを慢性PTSD発症が6ヶ月以降のものを発症遅延のPTSDとしていますが、それぞれの期間の設定に余り必然性は無さそうです。
 
心的外傷を与え得る出来事主要な症状は、概ね以下のように定義されています。

 1)
心的外傷を与え得る出来事
 これは、命に関わるような事態に暴露されたという
客観的な(つまり多くの人がそうと認める)事実と、その時の主観的な強い恐怖、無力感、戦慄の体験の存在を要件としています。
 DSM-Wではこの「暴露」を、「体験」または「目撃」または「直面」としています。

 2)
主要症状
 @
侵入的再体験(反復強迫):日中の苦痛な想起やフラッシュバック、夜間の外傷夢etc.
 A
防衛的努力:持続的回避行動や外傷体験の健忘と情動麻痺/感情鈍麻etc.
 B
過剰覚醒(持続的覚醒亢進症状):睡眠障害、過敏性、注意集中困難etc.

 以上は、心的外傷を与え得る出来事が1回ないし数回の場合で、単純PTSDとも総称されます。これに対して、子供への虐待child abuse)や家庭内暴力domestic violence)など持続的反復的で逃れ難い安全欠如状況に暴露されたことによる後遺症は単純PTSDの症状群には収まりきらないことがハーマンHerman,J.L.ファン デア コルクvan der Kolk.B.A.らによって指摘され、複雑型PTSD(complex PTSD)或いは複合型PTSD(combined PTSD)と名づけられています。


 Z.長期反復性
外傷(トラウマ)複雑型PTSD

 上述の如く、ジュディス・ハーマンHerman,J.L.をはじめ複数の研究者は、大災害犯罪被害などの時間限局性外傷と、児童虐待家庭内夫婦間暴力DVへの曝露のような長期反復性外傷とを、同一には扱えないとして、後者に伴う症候群を「複雑型PTSD」complex PTSDまたは「複合型PTSD」combined PTSDとすることを提唱しています。更に言えば、多くの人々が同じ運命に見舞われる大災害と個人的に襲われる犯罪被害幼少期の虐待成人後の虐待を、それぞれ同等に扱えるのか、といった疑問も生じてきます。
 要するに、PTSD概念は「ストレス」という非特異的生理学的概念に依拠していることで、様々な病態の垣根を取っ払って見ることを可能にした画期的な概念であるまさにその為に、それぞれの個別的事情を等閑視するという問題も有していた、ということでしょう(⇒「ストレス」概念について)。

【児童虐待】
 精神分析家で小児科医の渡辺久子虐待による心的外傷は、一つの危害によって被る一つの傷ではない。むしろ反復し連続する負の情動の嵐であり、恐怖体験であるその状況自体が終生消えぬ恐怖を植えつけると同時に、生き延びる為の防衛機制自体がその恐怖を二次的に加工して複雑化する。信頼し身を委ね頼る親や教師が最も危険な怖い存在となる、という混乱と不信は、その子の世界観、自己と対象像の混乱を惹き起こす。基本的信頼は形成され難く壊れ易い。この裏切られる体験は、幻滅や失望といった限局されたレヴェルの負の体験ではなく、根源的な存在的な抹殺体験に近い。》と的確に指摘しています(文献5)が、このように見てみると、何やら統合失調症の世界をも連想してしまうのは私だけでしょうか?
(文献5)渡辺久子「児童虐待と心的外傷」:臨床心理学3巻第6号(2003.11)

 [.PTSD脳科学

 阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件で有名になったPTSDですが、元々は上述のベトナム戦争を最悪のものとして含む、戦場に行った兵士に生じた様々な精神症状(戦争神経症)を研究する中から生まれてきた概念です。それが、災害や犯罪被害の場合の反応にまで広げて考えられるようになっていったのです。

 それと共に、一般に大事件・大災害後のPTSDの発症率が概ね数〜数十%であり、同じ外傷体験に暴露されてもPTSDになる人とならない人とがいる、という事実を受けた一連の神経画像研究から、PTSDにはそれに先行するストレス脆弱性が存在し、遺伝的素因と幼少期の養育環境の相互作用によって規定された、前部帯状回を含む内側前頭皮質と辺縁系(扁桃体・海馬)の神経発達異常がそれである、と想定されています。
 即ち、PTSD患者に於いては海馬の体積の統合失調症患者ほどひどくはないが、鬱病患者よりはひどい減少及び前部帯状回を含む内側前頭皮質の異常が見出され、その事から、PTSDに於いては、内側前頭皮質の機能不全の為に扁桃体の活性を抑制できず、恐怖条件付けの過形成・消去不全が起こる、(海馬は、直接に或いは内側前頭皮質を介して、扁桃体外側核に抑制性の入力を与えるようなので)「小さい海馬体積」PTSDの慢性化・重症化のリスクファクターのようだと言うのです。


 ここで私達は、事態を逆の方向から眺めることもできます。つまり、PTSDをもたらす(内側前頭皮質や海馬の抑制を受けない)恐怖体験の記憶こそは、最も直接的なものであるという意味で「記憶の最も原初的な性質のものである」とも考えられるのです。この種の記憶をは最近(正確には2007.03.22グループ・スーパーヴィジョンの場で)「原体験記憶」と呼んでいます。それは状況と結びついた直接体験的感覚記憶であって、内容が想起できるような概念的記憶ではなく、しかし同じような状況に置かれると自動的に生々しい感覚が再生される(=フラッシュ・バック)ような記憶です。
 ひとたびこのような概念に思い至ると、後年に現れる自我違和的な「症状」は須(すべか)らく外傷的体験原体験記憶再生/再現ではないか、という着想が浮かびます。この着想は、パニック障害難産パーソナリティ障害児童虐待、そして本HPの「統合失調症の三重外傷モデル」で述べています統合失調症乳幼児期心的外傷などを関連づける道を拓(ひら)きます。

 例えば、拒食症(anorexia nervosaのある若い女性では、家族から、乳児期に飢餓状態に置かれ、危うく死にそうだったことが報告されていました。談笑する人々に何故かひどく苛立ちを感じると訴えていた自傷傾向の強いある中年女性は、治療中に、児童期に談笑する母親達から疎外された上、衆目環視の中で叱責されとても惨めで恥ずかしい思いをしたことを想起しました。

 一般に危機的状況に対しては、大脳辺縁系(扁桃体、海馬を含む)が緊急に反応します(「闘争-逃走」反応)。それは当初は適応的ですが、危機が慢性化し、扁桃体の活性化が繰り返されると、安全な小さな出来事(刺激)に対しても扁桃体が容易に活性化し、不つりあいな強い恐怖感や攻撃的行動に至る、と推測されています。
 また、被虐待児の脳では、左半球の発達の障害、左右大脳半球の神経線維の連絡路である脳梁の体積減少も報告されており、それらと、被虐待児に見られる認知の偏り、感情の爆発、論理的思考や言語表現の乏しさとの関連も推測されています。(文献6)

 強いストレスに伴うコルチゾール(副腎皮質ホルモン)の過剰分泌による海馬体積の減少を示唆する最近の報告もあり、PTSDに先行するとされる「小さい海馬体積」それ自体(例えば周産期〜乳幼児期の:筆者注)外傷体験への暴露による獲得性のものである可能性も示唆されているようです。理化学研究所脳科学綜合研究センター精神疾患動態研究チームの加藤忠史氏は「早期の養育環境が脳発達に影響し、これがストレスへの脆弱性に関与していることが示されつつある。」と述べています。(文献7,8)

(文献6)伊藤ゆたか「子どものトラウマ」:こころの科学129
(文献7)笠井清登,山末英典「PTSDの生物学」:こころの科学129
(文献8)加藤忠史「ストレスと脳」:こころの科学129


 \.「統合失調症」への疑問


 広義の「心因反応」というものに関する以上全ての議論を踏まえると、「統合失調症」の成因論や疾病論的位置づけに関して、看過し得ない疑問が生じてきます。
 まず、福島章は次のように述べています。( 犯罪精神医学者としての福島章という人の言動には余り感心しませんが、ここに引用したお話には感心しています。尚、原文の「分裂病」を「統合失調症」としています。)

「クレペリンが早発性痴呆(現在の統合失調症)を内因性の疾患単位とする体系を確立して以来、拘禁反応内因性精神病の異同が医師の間で大きな問題となり、その鑑別は今もって大きなアポリアであることをやめない。」(125頁)

「拘禁施設からの釈放によって軽快するかどうかは絶対的な決め手とはならない。初診時に典型的な拘禁反応の特徴を示していた者が数年数十年後に追跡調査をしてみると統合失調症と区別の出来ない症状・経過を示していたり、見まごうこともない統合失調症と診断した患者が状況の変化でけろりと全治したりする経験も決して稀でない。こういう経験を重ねるうちに、診断技術の未熟さを反省するだけではたしてよいのかという疑問も起こってくる。つまり、統合失調症という疾患がなにか脳内の器質的プロセスによって生ずる『内因性精神病』であるという支配的見解が、はたして正当かどうかという疑問が強まる。」(126-127頁)

                                                                    (文献1)

  次に、PTSDのところで触れたストレス脆弱性の問題があります。 要するにPTSDは「遺伝的素因と幼少期の養育環境の相互作用によって規定された「小さな海馬体積」等に対応した何らかのストレス脆弱性が存在し、その上に何らかのストレス状況が加わって発症する」と言うのです。PTSDストレス脆弱性に関して取り沙汰されている前頭皮質と辺縁系(扁桃体・海馬)の神経発達異常統合失調症に於いても注目されており、こうなってくるともはやPTSDも(統合失調症を含む)他の精神障害も同じような成り立ちをしていることになり、それぞれに程度の差こそあれ、決定的な相違は無くなってきます(⇒統合失調症ストレス-脆弱性モデル」及び「三重外傷モデル」)。
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