| 年月 |
掲示板のことば |
| 2008年7月 |
闇から光の 出るのでない 光は来って 闇が去る(安田 理深) |
| 2008年6月 |
あとでやろうと思っても やれた試しがない やるならばいつでも今だ(未青郎人) |
| 2008年5月 |
逆境に生きる人は 尊い 順境に生きる人は ありがたい |
| 2008年4月 |
念仏は 私の心を 照らし出す鏡 |
| 2008年3月 |
何気ない一言で 人を生かし 殺しもする |
| 2008年2月 |
人の為と書いて いつわりと 読むんだね |
| 2008年1月 |
元日や 今日のいのちに 遇う不思議 |
| 2007年12月 |
本当の私に遇えた よろこびの叫びが南無阿弥陀仏 |
| 2007年11月 |
お念仏をするということは 私がいつも如来と一緒 ということです |
| 2007年10月 |
人も草も木も虫も同じものは何一つもない 同じでなくてもみな光る |
| 2007年9月 |
念仏とは 私が仏を呼ぶ声でなく仏が私を呼びたもう声 |
| 2007年8月 |
念仏とは 我が我に対話する 道である |
| 2007年7月 |
耳が聞くのではない 全身が耳となる |
| 2007年6月 |
風は見えないけれど 風の姿は なびく草の上に見える |
| 2007年5月 |
亡き友と 語らんとして 言葉なし み名を称えて 問いつ答えつ |
| 2007年4月 |
仏法とは 真実に「人」となる 道であり法である |
| 2007年3月 |
真実なものが 見つかりました という叫びこそ 念仏です |
| 2007年2月 |
人生における苦しみは すべて 如来の激励(ハゲマシ)げある |
| 2007年1月 |
今日の一日は 永遠の生命に繋がる一日である |
| 2006年12月 |
うそは言わない ひとにこびない ひとのかげぐちは言わない わたしにできぬ ことばかり |
| 2006年11月 |
聴聞は 他人ごとを 自分のことだと 教えてくれる |
| 2006年10月 |
あたりまえに 驚く ありがたさの発見 |
| 2006年9月 |
病気が治るのが ご利益ではない 病気を無駄にしない生活力こそ 現世利益である |
| 2006年8月 |
泥の中から蓮が咲く それをするのは蓮じゃない 卵の中から鶏がでる それをするのは鶏じゃない それに私は気がついた それもわたしのせいじゃない |
| 2006年7月 |
人の粗はよく見えるが 自分の欠点は気づかない お念仏の鏡に 自分をうつしだしてみよう |
| 2006年6月 |
あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための |
| 2006年5月 |
光に照らされることによって 心の闇の深さがわかる |
| 2006年4月 |
過去にとらわれてはならない 未来を待ち望んではならない 現在の一念にいきよ |
| 2006年3月 |
道に迷うと 止まるがいい 止まって元に戻るがいい 道に迷うと聴くがいい そのまま行くと なお迷う |
| 2006年2月 |
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見え年だねえ |
| 2006年1月 |
念仏は 私の心を 照らし出す鏡 |
| 2005年12月 |
人とちがうから 辛いのではなく 違いを認めないから 辛いのです |
| 2005年11月 |
「ほんもの」と 「にせもの」は 見えないところの ありかたで決まる |
| 2005年10月 |
人間の目はふしぎな目 見ようという心がないと 見ていても見えない |
| 2005年9月 |
体温(ヌクモリ)をもった言葉は 必ず相手を包み 相手に響いていく |
| 2005年8月 |
私どもが自力と 考えている全体が 他力の中にある |
| 2005年7月 |
生かされて生きてきた 生かされて生きている 生かされて生きていこう 南無阿弥陀仏 |
| 2005年6月 |
私のあたまに つのがあった つきあたって折れてわかった |
| 2005年5月 |
見えそうで見えないものは 自分の短所と欠点 |
| 2005年4月 |
生まれてきたことに 打算はなかったはずなのに 損得ばかりのわが人生 |
| 2005年3月 |
過去にとらわれてはならない 未来を待ち望んではならない 現在の一念にいきよ |
| 2005年2月 |
善い事をしようと思えば 出来る 悪い事すまいと思えば 止められる これを思いあがりという |
| 2005年1月 |
ひとりでは何もできない しかし まずひとりが 始めなければならぬ |
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科学は自然への問いかけ 宗教は自己への問いかけ |