表紙へ  総合目次へ

愛は4年で終わる?

この前のNHKの番組で、「愛は四年で終わる」と紹介したという。これは、科学的にはまるで根拠がない俗説だ(*1)

 もともとこの説は、ヘレン・E・フィッシャーがベストセラーになった著書『愛はなぜ終わるのか』で提唱したものだ。この本自体はけっこうおもしろく荒唐無稽(こうとうむけい)ではない。だから気楽な読み物としてケチをつける気はない。ただ、この本の主張である「ヒトの愛が四年で終わる」というくだりは、論証がまるでなっていないのである(*2)

 彼女の示す根拠は、「各国の結婚後の経過年数にともなう離婚比率を見ると、4年目に離婚が最も多くなる国が最も多い」ということである。これから「愛の継続期間が四年」という説を紡ぎ出す。完璧なレトリックなのだ。以下に批判してみよう。

 第一に、利用したのは、各国の結婚後の経過年ごとの離婚の割合をとった統計である。もともと結婚は社会的な枠組みで、文化によって結婚や離婚のありようが違うから、ヒトという生物種のオスメスの性行動なり配偶を示すものではない。つまり、ヒトに愛をもたらす進化を考えるとき、これを要因として取り上げるのは間違いだ。

 第二に、百歩譲って仮に結婚が愛を示すものとしたとき、各国の結婚後何年目にいちばん多く離婚しているかというデータが、ヒトの愛が終わることを示す指標になるだろうか。たとえば某国のデータをみたとき、離婚率が、結婚して一年未満、1, 2, 3, 4, 5, ……年目では、それぞれ2, 2, 2, 2, 2.1, 2, …… % だったとしよう(*3)。4年目に離婚率がいちばん高くなっている。では、このデータから、この国の人は4年目に愛が終わる遺伝的傾向をもつと結論していいだろうか? 否。最も多いと言っても、4年目に離婚する人は、たかだか数パーセントでしかない。これで、ヒトという生物種の遺伝的性質を云々(うんぬん)できるわけがない。
 ちなみに、日本では一年目(一年〜二年未満)の離婚が最も多い(*4)。フィッシャーの論理にしたがえば、日本人は愛が一年ちょっとしかもたないことになる。しかし日本では、離婚する人は4割に満たないのである。つまり、生涯添い遂げる人の方が、一年目に離婚する人より圧倒的に多いのだ。フィッシャーは、結婚を愛の指標としているのだから、「愛は生涯続く」と言えることになる。とすれば、先ほどの「日本人の愛は一年ちょっとしかもたない」との言明と明らかに矛盾する。つまり彼女の論理は、バカげた詭弁(きべん)だということだ。

 第三に、国ごとの離婚比率が最も高い年を見ると、四年目の国がいちばん多いと言う。彼女は、これこそ愛が4年で終わる証拠だと言うのだ。それを示す棒グラフを見てみると、そのピークは低くだらだらしたカーブでしかない。わたしがフィッシャーの使ったのと同じ国連統計にもとづいて分析してみると、国を考慮しない地球人が四年目に離婚する傾向はまったく認められなかった。つまり、前項の事実と合わせてみてはっきりするのは、ヒトという生物種で愛が四年目に終わる遺伝的傾向があるとは、金輪際(こんりんざい)言えないということである。

 このように、まるで根拠にならないデータから、あたかも「科学的な事実」であるかのように語るのは明らかな欺瞞(ぎまん)である。だから彼女の説は学術誌に論文が掲載されず、最初から一般書として出されている(*5)。人びとは自分が信じたいことを信じる。フィッシャーは受けを狙って、故意にレトリックを駆使し、人びとの要望に沿った俗説を一般書で語ったのだ。そして、この本はベストセラーになり、いまでもNHKで取り上げられるのである(*6)

 米国の大学の先生が書いた本を読んで批判せよと言っても、ふつうの人には無理だ。しかし、わたしは、科学番組の制作者なら、どの説が「まとも」でどれが詭弁(きべん)かを見分けるだけの科学常識をわきまえるべきだと思う。でなければ、科学番組でありながら、非科学的な俗説を助長することになりかねないのだから(*7)

 俗説は世にはばかる。これは、そのほんの一例にすぎないのだ。


(*1) 人間の精子が弱い?参照。関連記事「恋愛科学」の欺瞞

(*2) わたしは新聞社から書評を頼まれて読み、この本の分析がおかしいことに気づいた。それから彼女の使った国連統計を調べて欺瞞をみつけたというわけだ。多少とも論理的な思考ができる人ならだれでも気づく他愛ないトリックだ。
 

(*3) 国連統計を見ると、たいがいこんなふうで、離婚の時期に明瞭なピークは認められない。

(*4) 離婚に関する統計 参照。以前、日本の離婚率は一年未満が一番多かった。このように、離婚率のピークにあたる年数が短時間で変化することは、離婚の時期に遺伝的な背景がないことを示している。

(*5) フィッシャーの論証では、とても学術雑誌には受理されない。論文として出版されていないのだから、ちゃんと批判されることがないまま今日に至っている。そんなバカげた俗説を無批判にもてはやして広めたマスコミの罪は重い。

(*6) わたしは見ていないのだが、二人の知人から聞いたところでは、ヘレン・フィッシャーがそのNHKの番組に出演し、この説を語ったという。彼女は、学者として恥ずかしくないのだろうか? それとも、自分でもこの説を信じるほど愚かなのだろうか? こんな疑問を言ったら、ある人は、「それを言ってくれとNHKに頼まれたら、本に書いた以上、そりゃ言いますよ」と言う。なるほど! しかし、彼女がこの説を発表した当時、研究者はずいぶん批判してバカにしたものだ。彼女はそんな批判を浴びても、ものともしないと言うことか、あるいは日本のNHKならだませるとふんだのか。まあ、実際にだませたのだから、彼女は「してやったり」とほくそ笑んでいることだろう。

(*7) 定年退職にあたって古い記録を整理していたら、この「愛は四年で終わる」説について朝日新聞から取材を受けていたことがわかった。それは1993年7月17日づけの夕刊の記事で、記者が何人かの識者に取材したものだ。わたしは「結婚まで遺伝子が決めることはない」と言ったようだが、まるで記憶にない。そのころは、たぶん書評を頼まれる前で、フィッシャーの欺瞞を見つけてなかったようだ。


作成:2009年2月17日   

Copyright  © 2009榎本知郎 Enomoto Tomoo All rights reserved

トップへ  表紙へ  総合目次へ