| ヒオス島 そのA ヒオス島の村には、今までギリシャの観光地では見ることができなかった昔ながらの生活の風景や 町並みがあった。しかしホテルのあるヒオス市内では全く様子が違っていた。特に港に面したBARでは、 4つ打ちのDANCEMUSICが大音量で流れ、大量のSEXY系ギャルでにぎわっている。 アテネでもこんな雰囲気の場所はあまり見かけなかった。ヒオス島以外の場所からわざわざ 羽目を外したり夜遊びをしたりするために集まって来ているのだろう。まあ随分画一的だな、とか こういう音楽はどうもピンと来ないと思うくらいで、いいとも悪いとも言うつもりはない。 もしピルギの村にこんな店があったらいやだけれど、実際は、このエリア以外の場所で彼らの姿を 見かけることはあまりなかった。彼らは踊れるBARもDISCOもない村にわざわざ行こうと思わないのかもしれない。 あるネットCafeに一台だけ日本語の読める台があり、時々利用した。他の台では地元の(?)青年達が 入り浸って殺人ゲームに興じている。(敵の要塞に乗り込んでマシンガンを乱射するゲームetc) 本当に、その店にいるわたし以外のすべての客が殺人ゲームに熱中していた。彼らは小さな可愛らしい 教会や信仰篤い老人達とはすでに全く別の世界に生きているようだ。 港から少し市街地にはいると、結構おしゃれな店や、今風のお店が並ぶ大きな商店街があって、 こちらは島民や一般の観光客で賑わっている。絵本や玩具を扱う大きな店もあり、ギリシャで出版された 絵本が300冊以上置いてあった。(一応イラストには全部目を通した) また、島の名物のマスティックの入った お菓子やウゾ、蜂蜜などを売るお店も多い。ヒオス市街はかなり活気があり、繁栄しているという印象を受けた。 |
| 8月13日 港に面したFAST FOOD店で朝食。フェタチーズ2枚、トマト3枚、レタスと大量のチキンを挟んだサンドイッチ。 すごいヴォリュームだ。そしてオリーブの薄切りをトッピングで頼んだら、50〜60枚も入れてくれた(!) 2枚くらいしか入っていない日本のハンバーガーとはえらい違い。しかしオリーブの入れすぎでしょっぱすぎて 味のバランスが全然よくない(笑) ギリシャの食事はたいてい量が多すぎる。菓子パンは一個が日本の 2〜3倍あるので、量に圧倒されて食べようという気にすらならない(笑) 今日はKARYASまでバスで行き、そこからタクシーで中部の村を見てまわろうと思った。 バスステーションに行く途中に、かっこいい老人たちの集まる古いカフェがあった。 ガランとした広い店内、高い天井。おじいさん達はGreek Coffeeを飲みながらカードゲームに興じている。 |
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| 壁には昔のヒオスを偲ばせる帆船の絵がいくつも掛かっている。写真を夢中で撮っているうちに バスを逃してしまった。しかたなくタクシードライバーと交渉。2人のドライバーと話して同じ値段 だったので、人相の良い方に頼むことにした。「2hour 35euro.ネアモニへも行けるし、好きな所で停まって 写真を撮ることもできる」というのでいろいろ見てまわることにする。 彼の名はテオドール。今67歳で、昔は船乗りだったという。日本にも来たことがあり、日本人の女性と 結婚していたそうだ。「すばらしい女性だった」と、当時のことを話してくれた。 彼は1960年にその女性と結婚して2年間日本に住んでいたが、女性の両親から猛反対され、結婚後も うるさいことを言われ、日本ではよい仕事に就けなかったため泣く泣く彼女と別れ、ギリシャに戻ってきたという。 「1960年の日本はすばらしかったぞ」「I like Japanese!日本人は紳士的で、親切ですばらしい。」 その後彼はギリシャ人女性と結婚し、5人のお子さんは全員社会人になっているそうだ。 当時島の男たちの多くが船乗りとして海を渡り、日本に来たことのある人も少なくなかったようだ。 彼の話を聞いて、村のおじさん達が親しみを込めて日本語で話しかけてくる訳がわかった。 ヒオス島で見てみたい場所を彼に話す。ちょうど以前から気になっていたAg.Markos(聖マルコ教会) の側を通るところだった。バス道からはかなり離れた山の上にあるので、タクシーで行くのでなければ 半日がかりになってしまうだろう。 |
![]() Ag.Markosは、想像していた以上にすばらしかった。白と青を基調とした鐘楼のある 可愛らしい建物。門をくぐると何本か木の植わっている中庭があり、 得も言われぬ静かで平和な雰囲気が漂っていた。聖堂の内部もこぢんまりしているが、 たくさんのイコンが並び、ひっそりとした気配に包まれていた。
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| 次はいよいよ世界遺産のネア・モニ修道院。テオによれば、100歳のおばあさんと 一人の修道士がこの修道院を守っているとのこと。しかし、行ってみると修復工事中で 残念ながらほとんど大聖堂の中を見ることが出来なかった。現地に行くまで知らなかったなんて バカみたいだ。
しかしヒオス島にはどうしても来たかったのだし、ネア・モニを見なくても すばらしい村や小さな教会堂を見ることができたのだと思うと、そんなに落胆しなかった。 聖堂の窓から覗くと、黄金色のモザイクが少しだけ見えた。おばあさんがもう一つの聖堂にわたしを 案内してくれた。古い見事なイコンがいくつも掛けられている。おばあさんが歌う賛歌が 堂内に美しく響いていた。 |
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| ネア・モニを出て、Agii
Pateresへ向かう。ここも人里離れた山の中腹にあり、つづら折りの未舗装道路を ガタガタと登って行かなくてはならない。大きな、新しい建物だったが、やはり静かで澄んだ雰囲気があった。 聖堂の中は洞窟になっていて、入り口を入って右側にイコノスタシス、左には半円を描く岸壁に沿って木製の 椅子席が並んでいる。修道僧に招かれ、別棟の応接室でGreek Coffeeとマスティック入りのロクム (ゆべしのようなギリシャのお菓子)をいただく。とてもおいしかった。机の上には錫の水差し、コルク栓の ガラスの水差し、コーヒーと水のコップを載せた薄黄色をした透明プラスチックのおぼんがのっている。 その全てが美しい。これほど簡素で澄んだ美しさは滅多にない。ただの瓶や皿にしか見えないという人もいると 思うが、自分はものすごく感動してしまった。贅沢をしなくても、水やガラスや白い陶器など、ごくささやかな ものが、息をのむほど美しく清らかな世界をつくるのは、まるで魔法のように思える。 僧坊の中を案内してもらい、売店でポストカードを買った。この場所に来ることができて、 感謝の気持ちで一杯だった。修道院のテラスからはずっと遠くにきらめく海が見えた。
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| Anavatos ヒオス市から島の西側のElinda村に抜ける街道をさらに行き、途中Avgonima村から分岐路を右折、 乾燥した山あいの道を北上しAnavatosへと向かう。 岩山のてっぺんに、四角い石造りの要塞が建ち並んでいる。 数軒の民家とレストランが一つある他は、人が住んでいる家はなく、村は廃墟と化していた。
テオが昔この村で起こった悲劇的な出来事について話してくれた。 1821年にトルコ軍が攻めてきたとき多くのヒオス島民がここに立てこもって戦った。 しかし兵士達は全滅、追い詰められた数百人の女性と子供は断崖から身を投げてしまったそうだ。 「おい、何故泣くんだ。もうずっと昔のことだよ。これで涙を拭けよ…」とテオが言う。 村の中を30分ほど歩いて回る。教会の廃墟もあり、いくつかフレスコ画が残っているらしいのだが、 残念ながら壁画を見つけることは出来なかった。 村の入り口に戻って来るとレストランで待っていたテオがわたしにいちじくの実をくれた。 |
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| Avgonyma テオはAvgonyma村を通り過ぎようとしたが、一応見てみることにした。 遠くから見るとAnavatosに似た四角い家が並んでいるが、人が暮らしていると やはり雰囲気が違う。可愛らしい窓、煙突、鉢植えの花などが武骨な建物に花を添えていた。 村の後ろには海が広がっている。
Avgoyma
simple Life!
路地の奥のくつろぎの場所。鳥かご、花の鉢、青と緑のカーテンがいい感じ。 |
![]() Dafnonas村 |
![]() Dafnonas 日本にも、ちゃんと溶接して作った門扉がもっとあればいいのにと思う。 |
![]() Dafnonas 廃屋の門に刻まれたレリーフ |
![]() Dafnonas 木陰でくつろぐおじさん達。殆どの人は元船乗りで、半分以上の人が昔日本に 来たことがあるという。 |
![]() Dafnonas こんな乾燥した風景が広がっている。 |
![]() 山道の途中で見かけた養蜂箱。ヒオスでは養蜂も盛んなようです。 |