| ヒオス島 そのC 8月15日(月)聖母昇天祭 もっとヒオスに居たかった。ウズベキスタンAIRWAYに電話して帰国便の変更を頼もうとしたが、 電話が一向に通じない。(後で分かったのだが、日本の空港の窓口で教えてもらった電話番号が間違っていた! ひどすぎる話だ。今考えるとnetで番号が間違っていないかどうか確かめるべきだった) もう明日の午後にはヒオスを発たなければならない。港に面したいつものcafeで朝食(ミニサンド) そのあとスクエアでテオドールを探す。10時過ぎに彼がやってきた。Myrtidiotissa Mersinidou教会, Lagad岬の小さな教会、Kardamylaの山の上の青い教会、Marmaro村、Moundon 修道院、Volissos村、 Agia Markela,Agio Garaを回るという計画。おそらく8時間はかかるだろうということだった。 Greek Coffeeを飲んでいざ出発。風車、「ホメロスの石」、Myrtidiotissa Mersinidou教会を見る。 |
![]() |
![]() ヒオス市街の北約7km Daskalopetraにある「ホメロスの岩」 Kyveleの古代女神の神殿があった場所で 、 ホメロスがここで思索にふけったという伝説がある。 |
![]() Panaji Myrtidiotissa Mersinidiou |
![]() |
| 教会(Panaji Myrtidiotissa
Mersinidiou)の堂内に、花に包まれて眠っている聖母の像が置かれていた。 あまりに美しいので涙が出そうになる。聖母の衣は純白のビーズを金糸、銀糸で縫い合わせ、 花模様や縁取りの刺繍がほどこされ、色とりどりの宝石が縫いつけられている。 聖母を囲むようにして赤やピンクのバラやかすみ草が置かれかすみ草と4弁の白い生花で編まれた 天蓋の上にはやはり白い花で作られた十字が立てられている。 パチパチ写真を撮っていい雰囲気ではなかったので、簡単なスケッチをして、記憶の助けとすることにした。 自分にとっては、これは有名な景勝地や遺跡を見ること以上に価値がある。これこそ生きた伝統文化 精神文化であり、美なのだと思う。これを見ただけでもヒオス島に来た甲斐があった。 |
![]() Kardamyla村 広場に面したタベルナで一休み。木漏れ日の下、ウゾを飲む。 テオ:「君はなぜ古い家が好きなんだい?」 わたし:「なぜなら美しいから。それは工場で大量生産されたものではなく、 手作りで、そして愛を込めて作られているのです。」 |
![]() Kardamyla 白と黒の玉砂利を敷き詰めた床が美しい。 |
| Kaldamylaに来たのは、昨日土産物屋に置いてあった写真集で、荒涼とした山の上に建つ小さな青い教会 の写真を見て、そこに行きたかったからだった。多分この近くにあるはずなのだ。青い教会の絵をノートに描いて テオに見せる。彼はその絵を行く先々で村の人たちに見せて場所を訊いてくれた。 「多分相当高い山の上にある教会だ」と横から説明を加える。 Marmaro村の外れから丘の上へと続く未舗装道路を登っていく。「見つかりそうかい?」と訊くと、 「多分大丈夫だ」という返事。だんだんと高度を上げていく。入り江や岬、透明な青い海。 眼下にすばらしい眺めが広がる。 |
![]() |
| 20,30分くらいして丘の上に着くと、そこに小さな教会が建っていた。…しかし自分が探していた 青い教会ではない。わたしがノートに描いた絵とは似ても似つかない。あの絵を見て この教会のことだと勘違いするとは、何て識別力がないのだろう。 「中を見るかい?」とテオが言う。かなりの脱力感に見舞われたが、 一生懸命探してくれたテオを怒る気持ちにはなれなかった。 青い教会は1000m位の山のてっぺんにあるのかもしれない。 また同じ道を戻る。青い教会でなかったのは残念だったが、 この美しい入り江の眺めを見ることが出来たのはよかった。
丘の上の白い教会とテオドール |
| Marmaro 港の近くには、起伏のない、2,3条のまっ直ぐな通りに面して古くて美しいお屋敷が並んでいる。 なんだか今回は人の写真が少なくて寂しいな、なんて思いつつ、 建物が可愛いのでそれなりに楽しく撮影していた。
Marmaro ケーキの様な可愛い家 |
![]() Marmaro |
![]() Marmaro 錨の浮き彫りのあるドア |
![]() 砦のある村 |
![]() 教会入り口のレリーフ |
| Marmaroの後、山道を通ってVolissosへ向かう。途中数百年前の砦のある村を見る。 教会入り口の聖母子のレリーフが美しい。 Katavassiから山道を北に入り、Moundon Monasteryを見る。修道院は例によって険しい 山の中腹に建っている。テオが村の人に教会の扉の鍵を持ってくるよう頼んでくれた。 やはりこういう時は現地の事情に詳しい人がいると助かる。 一人でこの村にやって来ても教会の中を見せてもらうことが出来なかかったかもしれない。 扉を開け、中にはいると、素朴な外観からは想像できない見事なフレスコ画が壁一面に 描かれていて、すごい迫力だ。 *写真を撮らせてもらったのですが、このとき撮影したフィルムを旅行中に無くしてしまいました。 残念です。 |
![]() Volissosが見えてきた。丘の上に建ち並ぶ家並みがすばらしい。 いい意味で新しいものが少なく、現代とは別の時空に迷い込んだような錯覚を覚えた。 しかし時刻はもう5時を回っていた。ここでゆっくりしていると、今日是非とも行きたいと思っている Agio Galaに行く時間がなくなってしまう。後ろ髪を引かれる気持ちで通り過ぎる。 テオによると、Agioは"Holly"Galaは"Milk"という意味だそうだ。 「教会の中に洞窟がありそこに一人の乙女がいて、その胸から聖なるミルクが滴っているんだ。」 彼の口調には聖なるものに対する畏敬の念が感じられた。 |
![]() |
![]() |
| 曲がりくねった山道を走っていく。うねうねと続く荒れ地の丘の向こうに海が見えた。 「さいはて」という言葉が頭に浮かんだ。いくつもの村を通り過ぎる。 Agio Galaに着く頃にはだいぶ陽が傾いていた。岩山のような丘の上に建つ小さな村。 ロバに乗ったおじいさんが通り過ぎる。 |
![]() 村の人が、教会の鍵を持つ人の家に案内してくれた。おばさんが大きな鍵を持って出てきた。 起伏のある迷路のような路地を歩き、村はずれの道を谷の方へ降りていく。 教会は岩山の側面の岩棚にへばりつくようにして建っていた。 教会の前におばあさんと6歳位の男の子がいた。扉を開けてもらい、中に入る。 おばあさんが案内してくれた。イコノスタシスの前で祈りを捧げる。 内部は洞窟につながっており、ひんやりとした空気が漂っている。鍾乳洞の奥で、 わたしは"乙女"に会うことができた。おばあさんは大きな器にたまった水(聖水=「聖なるミルク」) をコップに汲んで男の子に手を洗わせ、それから男の子の頭にその水を注いだ。それからわたしにも 同じようにして頭に水を注いでくれた。わたしは洗礼も受けていないまま教会巡りをしている 似而非クリスチャンだが、これはそんなわたしにとっての洗礼なのかもしれないと思った。 もったいないような、ありがたいような、しみじみとした気持ちだった。 おばあさんとおばさんに礼を言い、村を後にする。 荒涼とした丘が幾重にも続き、その向こうにきらめく海が見えた。海も丘も見渡す限り 夕日の黄金色の光に染まっている。海も空も丘も境目がなくなって、光の中に溶け入りそうだった。 海と空の間を果てしなく旅しているようだった。 つづく |